梅野神社
佐賀市大和町大字梅野2552 its-mo


肥前鳥居の梅野神社 季節は早春 花粉症にご注意


交通案内
佐賀駅からバス古湯温泉行き、  下車後東へ橋を渡り、さらに背振方面へ向かう。松梅小学校前の川の東岸に鎮座

祭神
五十猛命 配 三女神

由緒
 由緒を書いた板の朽ちかけたものが置いてあったので、書き写した。
 鎌倉時代にこの地の地頭であった人が京都出身でその氏神の梅宮神社の御分霊を祀り社となった。
 鳥居に刻ある「仁明天皇」の皇后は子宝に恵まれず、京都梅宮神社に祈願した所、子供を授かったという。 その御神徳より、お産の神、木の神、交通安全の神として広く信仰されている。以上
 梅野神社は生むからのこじつけであろうか。京都の梅宮大社の祭神に嵯峨天皇、仁明天皇、橘清友、橘嘉智子が配祀されている。創建に関わった人々である。

 『佐賀県神社誌』には、石華表に聖武天皇皇后云々嵯峨天皇橘嘉智無御子云々仁明天皇云々等とあるが摩滅して読む能す。 と記されていた。梅宮大社との関連であろうが、五十猛命については何故であろうか。
 梅宮大社には熊野から三羽の烏が飛んできて石に化したと伝える影向石があるが、五十猛三兄妹神も熊野の祭神と見られていたふしがあり、この五十猛命の名が持ち込まれたのかも知れない。

 『肥前風土記』に荒ぶる神の話がいくつか載っており、この中に五十猛命を祀る荒穂神社や筑紫神社の関連が見える。
 この地付近の説話。川上に荒ぶる神がいて往来の人の半ばを生かし、半ばを殺したので、県主などの祖「大荒田」が占いを問うた時、 土蜘蛛の大山田女、狭山田女という二人の女子が、「下田村の土を取り、人形馬形を作り、この神を祀れば、それに応えて必ず和まれるでしょう。」 と言ったので、その通りにしたら神が和らいだと言う。
 この伝説の中の下田村の地と言われる。下田東方の下山山頂には、巨大な奇岩が散在し、それを石神と呼んでいる。

 この説話とこの神社とを結びつけにくいが、地勢から見て、五十猛命は梅宮大社からの勧請以前からこの地で祀られていたかも知れない。

お姿

 梅野山は川上川(嘉瀬川)の東の山地を言う。集落も東岸に開けた谷間にある。
名尾川の南に鎮座している。近くの名尾山村に杉大明神社が鎮座。名尾山村は楮紙の産地。
 大きいグラウンドを回って神社へおもむく。

社殿

説明板

お祭り
 1月 15日 1日間  村祭り
 7月 14日 1日間  夏祭り



肥前の五十猛命
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