温泉神社
長崎県南高来郡小浜町雲仙319番地 雲仙観光協会

交通案内
雲仙温泉宮ノ前

祭神
白日別命、豐日別命、速日別命、豐久士比泥別命、建日別命
摂社 普賢神社、妙見神社、八坂神社、愛宕神社、木花開耶姫神社

温泉神社

由緒 「平成祭礼データ」から
 上古温泉神社と称す。中古四面宮と称す。明治2年神社改正を以て筑紫国魂神社と称し、大正4年県社昇格の際、温泉神社と社号復旧す。

祭神(5柱)
白日別命、速日別命、豊久士比泥別命、建日別命。古事記上巻に「次に筑紫の島を生み玉ふ。此の島は身1つにして面四っあり。面毎に名あり。故に筑紫国を白日別と謂し、豊国を豊日別と謂し、火の国を速日別と謂し、日向国を豊久士比泥別と謂す。」

 鎮座(歳月不明)
 神代の鎮座と称す。歳月不明なれども来歴頗る古し。肥前風土記に昔者纏向の日代宮御宇天皇(景行天皇12年能襲御親征の時)肥後国玉名郡長渚浜之行宮に在りて、此の郡の山を覧て日く。「彼の山之形、別島に似たり。陸に属るの山か、別在の島か、朕之を知らまく欲りす。「仍て神大野宿禰に勅して遣はして之を看せしむ。往いて此の郡に致れば媛に人有り迎来りて日く「僕者此の山の神、名は高来津座、天皇の使の来るを聞き迎え奉る而巳」因って高来の郡と曰ふ。筑紫国魂神社記に是国魂の神、高来津坐神作り而現耳。

 位階(従五位上)
 三代実録に清和天皇貞観2年庚申2月8日「授く肥前国従五位下温泉神に従五位上を」とあり。

社格
 文武天皇大宝元年勅願所となる。後宇多天皇弘安4年、九州総鎮守となる。明正天皇寛永17年、郡中の祈願所となる。東山天皇元禄6年、藩主親祭となる。明治天皇明治9年郷社。大正天皇大正5年県社となり、今上天皇昭和27年宗教法人となる。
 祭日(春季祭、臨時祭として期日定らず。秋期祭、9月27日より29日)
 古文書(たびたびの戦乱にて存在せず。)
 但し、古事記、三代実録、肥前風土記、倭漢三才図絵、古史正文、扶桑記、伽藍開基記、太宰府管内誌。等の書籍中に当山の事、散見せり。

 五十猛命
 白日神を五十猛命とみる理由は白日別神を参照してください。

 雲仙にはニニギノ命の降臨伝承が残る。『温泉山縁起』にここに降りて、308,545年間国を治めたとあるそうである。 30+8+5+4+5=52、52年間の意であろうか。

 雲仙山周辺には紀元前2,300年の稲作の跡や、石器、縄文、弥生の遺跡が数多い地域である。 南方からの漂着者が絶えなかったのであろうし、また噴火などで住民が継続しておらず、遺跡が残りやすかったと言えるだろう。

お姿
 雲仙温泉郷のまっただ中に鎮座する。隣は湯の沸き出している地獄廻りと証する散歩道がある。 摂社の木花開耶姫神社は温泉郷地を廻る反対側の原生沼の左側の参詣道を100mほど歩く。

温泉神社社殿

お祭り
   9月27日、28日 例大祭

摂社 木花開耶姫神社

 古来より造化の神として霊験あらたかなりとして長く祀られてきた。 雲仙祭祀の当社には男女の性の巨大なシンボルが鎮座ましている。 元禄の頃より祀られたもので、詣でれば、向かって右に女陰、左に男根があって思わずギョッとさせられる。 男はこぞって自分の持ち物が大きく太く逞しくあるように祈り、また女性はあな「オソロシ」とため息をつくそうである。 この男根女陰崇拝の風習は長く伝えらて来たので、参拝者は家内安全和合、子宝また良縁の神として拝むべし、と記されている。

女神

祠の中の男神      もうひとつの1m程の新しい男神
  

肥前の五十猛命
五十猛命ホームページ
神奈備にようこそ