橘本神社 きつもと

海南市下津町橘本779 its-mo

鳥居



交通案内

熊野古道 所坂王子跡
阪和自動車道下津インター西500m JR加茂郷 東3.5km

祭神
田道間守命、熊野坐大神
摂社 里神社「天照大神」、小殿社「素盞嗚尊」、女郎子神社「宇受女命」、天満宮「菅原道眞」、秋葉神社「迦具土神」、妙見神社「祭神不詳」

由緒
 創立年代は不明であるが、白河法皇熊野行幸の時、この社で通夜された史実があり、当時(今から八百五十年前)既に壮麗な神社であり、熊野九十九王子の中の古社の一つの所坂王子である。この時「橘の本に一夜のかりねして入佐の山の月を見るかな」と詠んでいる。古来から橘の伝承はあったようだ。
 明治40年に柑橘や菓子業の祖神として、また文化の神として広く崇敬される田道間守命を奉祀した。記紀によれば、第十一代垂仁天皇の御代、田道間守は勅命により、不老不死の霊果を求めて海外に渡り、艱難辛苦十余年、ついに橘を得て帰り、既に崩御されていた垂仁帝の陵に捧げて哭き死されたとあり、昔は小学校の教科書にも掲載された。

 田道間守の上陸伝承の残る地域と神社
 売布神社   京都府竹野郡網野町木津字下和田21 橘の音読みはキツ、木津となったとか。浦島伝説、天女伝説、神仙思想の多い地域で常世国につながる港だったようだ。
 伊万里神社  佐賀県伊万里市立花町又84 古くからの海外との交易の地

 戦前の小学唱歌
1. 香りも高い橘を 積んだお船が今帰る
   君の仰せをかしこみて 万里の海をまっしぐら
   今帰る 田道間守 田道間守
2. おはさぬ君のみささぎに 泣いて帰らぬ真心よ
   遠い国から積んで来た 花橘の香と共に
   名は香る 田道間守 田道間守

社殿

 その橘を最初に移植したと伝えられる「六本樹の丘」の遺跡も神社の傍にある。 その後橘は改良されて、欧米までも輸出される日本の銘菓となったのである。 「橘は菓子の長上にして人の好む所なり」と伝えられるように、全国菓子業者の祖神として崇敬が篤く、毎年四月三日には、全国銘菓奉献祭(菓子祭)という県下唯一の大祭を行って有名である。

 『橘』吉武利文著 法政大学出版局 によれば、何か種本はあったのだろうが、実に良くできた偽書と思われる『秀真伝』に
 (伊弉諾尊 伊弉册尊) 筑紫に行幸 橘を 植えて常世の 道なれば 諸神受けて 民お治す 魂の緒留む 宮の名も 緒留橘の アワキ宮
 (伊弉諾尊 伊弉册尊) 素盞国に至りて 宮造り 静かに居ます 紀志伊国 橘植えて 常世里 注:素盞国は熊野 紀志伊国は紀伊、志摩、伊勢の三国
 アワキ宮とは宮崎市阿波岐原町でここには江田神社が鎮座のこととされるが、橘本神社の棟札に「紀国橘本王子造営大願主日向国江田住僧実典大工路正吉 永享九年(1437)二月二十二日」と書かれたものが残っている。 (引用:終わり) 
 伊弉諾尊の禊ぎの場所であるが、大祓の祝詞にもこの阿波岐原が出てくる。橘の実は神への捧げ物として貴重であり、その匂いは参列者の意識を神の世界(常世国)へ誘いだのであろう。

 明治40年に、上記の摂社の他に、熊野王子社の搭下王子橘本王子を合祀した。

お姿

 ミカンの原木とされる木がある。小さい実がなっていた。 



ミカンの原木




お祭り
 4月 3日 春季例祭(菓子祭)
10月10日 例大祭(みかん祭)

『平成祭礼データCD』由緒から

  当社は、柑橘や菓子業の祖神として、また文化の神として広く崇敬される田道間守命を奉祀する由緒ある神社である。

 創立年代は不明であるが、白河法皇熊野行幸の時、この社で通夜された史実があり、当時(今から八百五十年前)既に壮麗な神社であり、熊野九十九王子の中の古社の一つである。

 また『記紀』によれば、第十一代垂仁天皇の御代、田道間守は勅命により、不老不死の霊果を求めて海外に渡り、艱難辛苦十余年、ついに橘を得て帰り、既に崩御されていた垂仁帝の陵に捧げて哭き死されたとあり、昔は小学校の教科書にも掲載された。その橘を最初に移植したと伝えられる「六本樹の丘」の遺跡も神社の傍にある。その後橘は改良されて、欧米までも輸出される日本の銘菓となったのである。「橘は菓子の長上にして人の好む所なり」と伝えられるように、全国菓子業者の祖神として崇敬が篤く、毎年四月三日には、全国銘菓奉献祭(菓子祭)という県下唯一の大祭を行って有名である。
 以上




『紀伊続風土記』 海部郡 仁義荘 橘本村 から

○塔下王子   境内周十間
 藤白峠にあり 御幸記に見えたり 土人若王子といふ 慶安四年(1651)境内禁札を賜はる 此社地は地蔵峯寺の境内なれとも別に社地にありて寺に預らす

○橘本王子社   境内周三十四間
村の北にあり 土人本の字を略して橘の王子といふ 御幸記に橘下王子とある是なり 土人伝へていふ 白河法皇御幸の時当社に通夜し給ひて
  橘乃本□ 一夜乃旅寐して 入佐の山乃月を見るかは
といふ御製ありしとそ 入佐山は下の條に出す(橘本王子社の南にあり 或いは鉢伏ともいふ 此山に城跡あり 山名氏の物見なりしといふ)

○所坂王子社   境内周三十四間
橘本王子の南三町許坂上にあり 御幸記に ところ坂王子とある是なり 此地?[草冠に卑]?[草冠に解](トコロ)の多く生ひたりし故に此名あり 社頭に杉の古木あり
 


公式橘本神社
古代史街道 紀ノ国編

熊野古道 九十九王子社
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