古座神社

和歌山県東牟婁郡串本町古座347

交通案内
紀勢線  古座駅 南西2km its-mo


祭神
應神天皇、素盞嗚命、底筒男命、中筒男命、表筒男命

摂社 綿津見神社「綿津見神」、蛭子神社「蛭子大神」



鳥居




由緒
 中秋の名月に例祭を行う。参拝者多し。昭和七年刊郷土誌に河内神社祭は古座神社の渡御式ではないかとの説を記している。
 江戸時代の記には若宮八幡又は八幡宮とあるが、大正の末期に正式に河内神社、住吉神社を合祀し、名称を古座神社とした。今でも土地の人は八幡さまと呼ぶ。
 江戸の末期古座大火で焼失したとあり記録は残っていない。祭典のあと昔の角力をしたなごりの角力の(型ばかりの)奉納がある。これは青年二人がはだかにまわしをつけ仕切をし行司が合せて組み合う。そこで行司が割ってはいり、”この勝負預りでごぎいます”で終わる。
 次に青年会の獅子舞が行われる。通常の獅子舞のほか子供(大ていは女の子)による”てんぐ″とよばれる舞が町民の楽しみとなっている。
 夜間は境内にちようちんを多数つるし階段は本殿までちょうちんが両側につるされて美しい。

 江戸時代天保年間(一八三〇〜四四)に編纂された『紀伊続風土記』によると、現在の古座町古座は、三前郡古座滴と云っており、村名の由来を、「村の西に神ノ川村あり、古座疑ふらくは神座の転にて、これも又重山瀧姫神によりし名ならん」と記している。
 また村内に「小祠三社」と記し、「若宮、村中にあり若宮龍王社、社地 方二町村端にあり、社 方三尺、 衣美須社社 社地 周五間 村中にあり 社 四尺に三尺」があったことを記している。

 若宮は若宮八幡または八幡宮とも称したが、大正四年古座川川中の河内島にあった河内神社を、大正九年、西 向浦の住吉神社と、若宮龍王社・衣美須社を合祀して古座神社と改称した。(和歌山県の地名)

 『紀伊続風土記』に「黒島」を記しており、「海口より未の方 海中十一町にあり、回り六町余、島に弁財天社あり、穴二あり、あかり穴 長五十間 高サ四五間 干塩には人往来す、暗かり穴、長凡四十間 高サ叫間許といふ」と説明している。これは現在九龍島と称し、熊野水軍の根拠地であったといわれ、漁業の神として弁財天を祀っており、九龍島神社と云う。

拝殿と本殿への石段

摂社

摂社




お姿
 古座駅を降りて、古座橋を渡る。渡り終える所に「木の芽」と言う食堂があり、そこで昼飯。お造り定食千円。旨かった。そこから古座川沿いに降って行くと1kmほどで古座神社に行き着く。道路工事で前を削られたのか、拝殿までは寸詰まりの感じであるが、真偽は不明。
 拝殿の向こうに石段が続いており、左に曲がっているようだ。おそらく本殿へ昇るのだろう。境内にどなたもおられなかったので、勝手に昇るのを控えたので、本殿は見ていない。

 石段の左右の樹林は暖帯林の様相である。この森のウバメ樫群生林は串本町の指定天然記念物となっている。



ウバメ樫群生林




お祭り

旧歴  8月 13日 3日間 例祭
旧歴  8月 13日 1日間 住吉祭
河内神社
新暦  7月 23日 3日間 例祭 御船三周神事

みくまのネットに河内祭りの紹介がでていますので、リンク先をしめしておきます。
河内河内島(河内神社)(こうちじま・こうちじんじゃ)
 和歌山県東牟婁郡古座川町宇津木  宇津木村
http://www.mikumano.net/meguri/seishoto.html

河内神社古座川町宇津木171から

 御船三周神事(7月25日)

 鯨舟を象りたる(一説には軍船を象るとあり)御船三艘美々しく飾りて船謡を歌いながら古座川町の宇津木なる清暑島に達し、翌御祭日当日は神籬神官上臈(三名小学校一二年生)を乗せた当舟(頭舟)を先頭に参拝者屋形船に群をなして遡上し川原(吉村側)なる拝所より拝礼を行う。御祭礼は神官祝詞奏上の間御船が謡を謡いながら島を三周、あと奉幣行事終って獅子舞、伝馬戦合がある。午後に入って御船”花周り″のあと御船・当舟を先頭に参拝者の船続々帰途につく、御参礼の盛大なる事当地方にその比をみず云云と昭和七年刊の郷土誌にある。

 大昔より崇敬され島を御神体として、島上に上ることは許されなかったという。

 素盞嗚の命を祀る。源平時代源氏方水軍に加わり戦功をたてた、その戦勝報告祭が御船の由来と伝う。
 尚この祭で重要な役割をするものに上臈がある。これは男二名女一名が(小学校一二毎生くらい)が神社でしめかけの日から三日間こもる。
 神社から外へは出ないことになっているが、伝馬競争などをみるため出る場合は土をふんではいけないことになっているのでおわれてみて神社に戻る。
 祭典の日は当舟でのぼる。橋があれば陸にあげ勇進会員が負って橋をすぎてから船にのる。古座椅、鉄橋、河内橋と三つの橋はこのように橋の下を通らないことにな っている。
 上臈座は祝詞座の南西にあり、南向に女子をまん中にして幣をもって坐る。(座席の上に)この幣は奉幣の時に古座区民の幣として高池下部、古田、宇津木、月の瀬の幣と共に奉幣する。
 帰りも御船につづき当舟で神官と共に帰る。
 以上


古代史街道 紀ノ国 南紀編
古代史街道 紀ノ国編
神奈備にようこそに戻る