紀の国の神話と神々 金属神

さまざまな金属精錬神

 縄文時代と弥生時代との大きい差異は金属の使用にあったとの事である。
 その後も、主に鉄であろうが、金属製錬を掌中に入れている氏族こそ、農地開発、造船、武器製造等の権力の基盤を我が物にしていたのである。 鉄は、死にものぐるいで確保したであろう最先端素材であった。 従って、多くの神々が、何らかの形で金属製錬を守護し、質の良い鉱石・砂鉄が入手できる事を祈願されたはずである。 また、それぞれの有力氏族の祖神にも、金属製錬を機能が付加されていったと見て良い。
 

代表的な金属精錬神

金山彦命、金山姫命
 美濃国不破郡 仲山金山彦神社 現在の南宮大社
 河内国大縣郡 金山孫神社、金山孫女神社

天目一箇命(天之御影神)
 伊勢国桑名郡 多度神社別宮の一目連神社
 近江国野洲郡 御上神社
 大和国城下郡 鏡作麻氣神社

石凝姥命、天糠戸命
 大和国城下郡 鏡作坐天照御魂神社
 大和国城下郡 鏡作伊多神社

天津真浦
 摂津国東成郡 深江稲荷神社摂社笠縫社
 

多岐に渡り祀られている須佐之男命、五十猛命、丹生都姫命、天日矛命、天火明命、稲荷神などにも、金属精錬神の色彩がある。
 

金属精錬神を祀る神社の存在

  金属採取と製錬の跡を遺跡として検出するのは難しい事であり、よしんば検出できたとしても時代考証がまた難しい。 そのような意味で、これらの神々を祀る神社の存在は、その付近において、何時の時代かはともかく、金属採取や製錬が行われた可能性を物語っているはずである。 ここに古代史を解明するに当たって神社の存在は大きい。
 注意されねばならないのは、祭神名が失われてしまい、おぼろげな記憶から誤った祭神が決められると言う事もあったろうし、村の人々の移住で故郷の神社が勧請されていった場合の神社などに遺跡を語らすのには無理があろう。
 

紀の国の金山彦、金山姫神

木本八幡宮摂社三嶽神社 和歌山市西庄
杉尾神社摂社金比羅神社 海南市阪井
千種神社摂社金刀比羅神社 海南市重根
琴平神社 海草郡美里町高畑
丹生神社 那賀郡桃山町垣内
小倉神社 和歌山市金谷
隅田八幡神社摂社琴平神社 橋本市隅田町垂井
一言主神社 橋本市山田
丹生官省符神社 伊都郡九度山町慈尊院
八幡神社 伊都郡高野町西郷
顕國神社摂社若宮神社 有田郡湯浅町湯浅
廣八幡神社摂社天神社 有田郡広川町上中野
城山神社 有田郡清水町二川
湯川神社 御坊市湯川町小松原
八幡神社摂社金山彦神社 御坊市藤田町吉田字八幡
熊野神社 御坊市熊野寺井
須佐神社 御坊市塩屋町南塩屋
内原王子神社 日高郡日高町萩原
原谷皇太神社 日高郡日高町原谷
宇佐八幡神社 日高郡由良町里
丹生神社摂社秋葉神社 日高郡川辺町江川
土生八幡神社 日高郡川辺町土生
紀道神社 日高郡川辺町三百瀬
下阿田木神社 日高郡美山村皆瀬
天寶神社 日高郡南部川村高野
八幡神社 日高郡印南町山口宮の前
大歳神社摂社奥津神社 日高郡印南町印南原
真妻神社 日高郡印南町松原
須佐神社 田辺市中万呂
長野八幡神社摂社金比羅神社 田辺市長野
山神社 西牟婁郡白浜町湯崎
住吉神社摂社権現神社 西牟婁郡大塔村鮎川
日吉神社 西牟婁郡上富田町生馬
中山神社 西牟婁郡すさみ町佐本
有田神社摂社若宮神社 西牟婁郡串本町有田上
天神社 東牟婁郡那智勝浦町天満
王子神社 東牟婁郡那智勝浦町市野々
青彦神社 東牟婁郡那智勝浦町井関
色川神社 東牟婁郡那智勝浦町大野
金刀比羅神社 東牟婁郡太地町太地
稲荷神社 東牟婁郡古座町上地
木葉神社 東牟婁郡古座町田原

 金山彦神、金山姫神は王権によって、金属製錬神として集大成された夫婦神ではと言われている。
 

紀の国の天目一箇神

  中山神社「金山彦命」摂社天一神社「天一神」西牟婁郡すさみ町佐本
続紀伊風土記から
天目一箇命社 名草郡 国懸宮末社
天一社 名草郡多田郷本渡村
廻神社「天一神大白神」海部郡濱中荘椒濱村 
天一神社 在田郡石垣荘釜中村 天一神は一夜巡りの神といふ

 福士幸次郎氏「原日本考」の紀州の山奥にある大檜噌(おおびそ)に伝わる伝説
 集落の者が果無山脈の中に入り込んで雑木を採りにいき、さて帰ろうとする段になって何気なしに坂道を見ると、そこに一本足の神様がいたという。 その姿を細かく明白に見たわけではなく、鏡のように円く輝いた目が一つあって、ちょうどその辺に立っている木が、おりからの夕日を浴びて円い光でも放っているような、至極間際らしい程度のものであった。 だがこの男は、畏敬しながらも、何度も振り返っては、その輝く一つの目を見たというのである。

 柳田国男翁の採取した熊野の伝承
  熊野の山中に昔住んでいた一踏鞴(ひとつたたら)といふ凶賊の如きは、飛騨の雪入道と同じく、また一眼一足の恠物(怪物)であった。 一踏鞴大力無双にして、雲取山に旅人を劫かし、或は妙法山の大釣鐘を奪い去りなどしたために、三山の衆徒大いに苦しみ、狩場刑部左衛門といふ勇士を頼んでこれを退治して貰った。 色川郷三千町歩の立合山は、その功によって刑部に給せられたのが根源であって、後にこの勇士を王子権現と祀った。
色川神社に王子権現は合祀されている。

 若尾五雄氏の「鬼と金工」の解説
  和歌山県 牟婁郡色川村樫原には、狩場刑部左衛門をまつる王子権現というのがある。ところで、この話のある色川村のはじまる辺りが、妙法山であり、有名な妙法鉱山のある所で、 昔は紀州家のドル箱といわれた銅山。現在でも、妙法山の下は至る所、坑道になっており、その先は那智の滝の近くまで達しているといわれている。 これに続く、口色川、大野、籠、阪足、樫原の各集落一帯は、至る所に古い銅鉱の跡があり、色川村の地名は、鉱石により色がついたから色川とつけたという伝えもある。 殊に鬼退治をした樫原集落の辺りになると床という名のついた小規模の野タタラ跡が無数に見られる。この様に、片目片足の鬼といわれた怪物の住んでいた所も鉱山地帯である。 同様に奈良県吉野郡伯母ヶ峯にも片目片足の話があるが、伯母ヶ峯の麓にも赤倉銅山という鉱山がある。

 コメント
 天目一箇神はタタラ製鉄の溶解した鉄を片目で長期に渡って見続ける事により、熱により目が見えなくなって、片目になってしまう、と言う事から来た神とされる。 相当古い神格かと思われる。
 天麻比止都命(天目一命)は天津彦根命の子とされる。
 伊勢忌部は天目一箇神の裔とされる。近江の御上神社の祭神を「天之御影命」と言うが、天目一箇神の別命とされる。この娘が息長水依比売、その子孫が息長帯比売命である。また息長帯比売命は渡来系金属神である天日槍命の後裔でもある。
 阿波の忌部氏も天目一箇神と無関係ではない。阿波山地の山川町には天一神社がある。また湯立と言う地がある。湯立はもとの射立郷の後で、射立は射達であろう。五十猛命である。 播磨の伊達郷には射楯兵主神社が見える。兵主神社の性格については議論の分かれる所であるが、天日槍命を祀るとも言われる。天目一箇神と天日槍命が阿波でもつながってくる。
 

紀の国の忌部氏の祖神 天太玉神、手置帆負神、彦狭知神

名手八幡神社 那賀郡那賀町穴伏
奥安楽川神社 那賀郡桃山町善田
三船神社 那賀郡桃山町神田
丹生神社 那賀郡桃山町垣内
船津八幡神社 那賀郡岩出町岡田
上小倉神社 和歌山市下三毛
河根丹生神社 伊都郡九度山町河根
上岩出神社 那賀郡岩出町北大池
坂本神社 那賀郡岩出町西坂本
闘鶏神社摂社玉置神社 田辺市湊
須佐神社摂社稲荷神社 田辺市中万呂
神楽神社 田辺市神子浜

 忌部氏の祖神は木造建築の神として名高い。木を切り、加工して、建物を建てる、やはり鉄製の道具が不可欠であろう。
 

紀の国の須佐之男命、五十猛命

 紀の国名草郡にも伊太祁曽神社や伊達神社が鎮座している。五十猛命を祀る神社については五十猛命ホームページを参照してください。 須佐之男命、五十猛命は金銀の多い新羅に天降ったのであろが、ここにはいたくない、もしくは、船がないのはよろしくないと言う事で、 出雲に来たことになっている。鉄1トンを得るためには砂鉄15トン木炭15トン、この為には木材100トン、則ち一山を丸裸にしてしまう。 恐らくは新羅の山々の木々を取り尽くして、木々の再生産に向いている高温多湿な日本列島にやってきた製鉄民が持ち込んだ伝承であろう。 鉄原料は大山のように古い花崗岩があればいい。鉄を取る本当の資源は木材、木々を素早く育てる高温多湿な風土であった。
 

紀の国の石凝姥命

日前国懸神宮 和歌山市宮 
内原王子神社 日高郡日高町萩原

 この神の名の「石」は、磨き上げた石の表面に丹砂を塗り込んで、その水銀の作用で、まさに鏡のようにする神との説もある。
 

紀の国の丹生都比売神

丹生都姫伝承参照下さい。
 

紀の国の天日槍神

生石山
国懸神宮 御神体を日矛鏡と称する。その実体は不明であるが、天日槍神の降臨する依代かも知れない。

天日槍神については、兵主神・天日槍命・赤留比賣命を参照して下さい。
 

紀の国の饒速日命

藤白神社 海南市藤白
高橋神社 和歌山市岩橋
信太神社 伊都郡高野口町
住吉神社摂社権現神社 西牟婁郡大塔村鮎川

饒速日命については、物部氏ホームページを参照して下さい。
 

水酸化鉄と菜草

多奈川町から鈴が出ている。これは葦などの根もとに水酸化鉄が固まってできるもので、質は低いものの、鉄であり、加熱しつつ鍛造すれば、そこそこの鉄製品になるとの事である。 垂仁天皇の皇子の五十瓊敷命が石上神宮に納めたと言う剣一千口を作ったのが、茅淳の菟砥川上宮とされるが、 おそらくは、多奈川町の鈴となった鉄を大量に使用したものであろう。
 名草山付近には赤土が多く、また周辺は「阿備の七原」と呼ばれ、安原、広原、吉原、松原、内原、柏原、境原があり、葦茅薦の水辺の植物が生い茂り、 この根元に鈴が成り、それを使った原始的な製鉄が行われていたと言う。(真弓常忠氏:古代の製鉄と神々)  
 名草山の地主神は名草姫である。

名草姫については、名草戸畔を祀る神社を参照して下さい。


紀の国の遺跡から

大谷古墳から鉄製農具が出土している。
少し奈良県にはいるが五条の猫塚から大量の鍛冶道具が出土している。
那智勝浦町の妙法山周辺は、銅を掘ったと思われる無数の穴がある。
高野山周辺にも多くの採掘の跡がある。
 

紀の国の鉄

紀の国の大豪族紀氏の大和王権からの独立的存在感、また半島での活躍物語、これらは、ある程度は自前の鉄生産を行っていなければ、到底達成できるものではないと思われる。
 半島からの鉄資源の持ち込みもあったはず。これが細っていくにつれ、力も失っていった事も考えられよう。
 こう言う事からも、紀の国には鉄資源がそれほど豊富には存在しなかったと結論できよう。
 出雲から吉備にかけての中国山地の豊富な鉄資源を求めて、紀の国の商人がおもむいているのがなによりの証であろう。

 
参考文献 
和歌山県史 原始・古代
青銅の神の足跡 谷川健一氏
古代の製鉄と神々 真弓常忠氏



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