熊野古道、九十九王子社

熊野 − 究極の神奈備、魂の再生の杜 −

目次

京洛の熊野社
紀伊路 大阪府 全歩破
紀伊路 和歌山県 全歩破 H13.2.11
中辺路 全歩破 H19.4

大雲取越え小雲取越え大日越え H15.3
 速玉大社から那智 H13.12

大辺路 長井坂古道
小辺路長井坂古道  果無峠 H17.11.6
伊勢路

浜街道南 H13.12.
ツヅラト峠 H15.12
一石峠・熊谷道 H16.1
始神峠 H16.2

大峰路
北山路

熊野三山を勧請した全国の神社一覧


 いのち輝く南の海に面する黒く深い山々が連なる聖地である。
 紀の国のもう一つの聖地は高野である。
 高野は空海により開かれた真言宗の荘厳な聖地である。女人禁制であった。
 熊野は開祖のいない聖地である。
 民が開祖で、女性にも解放されている聖地である。

 熊野三山とは本宮、新宮、那智の三大社を言う。
 11世紀末までは本宮を目指した。12世紀になると熊野三山を巡拝するようになった。
 修験道の道は十津川の山と谷を越える峻険な道である。
 熊野古道は歩ければたどり着く道である。盲目でもたどり着く道である。
 白河上皇は寛治四年(1090年)最初の熊野御幸を行った。
 その後熊野参詣はブームとなった。
 蟻の熊野詣と形容されるほど武士や一般庶民の参詣者の列はとぎれる事はなかった。
 街道筋に王子社が勧請されていった。日根王子が文献初出の王子社。
 神威赫々たる親神に対し、清新溌剌たる御子神である。王子とは海の彼方から来た神を云うとか。 少童、海童なのだ。
 藤代、切目、稲持、滝尼、発心門王子を五体王子と言う。

 上皇−熊野三山信仰は天皇−伊勢神宮を大きく包んだ。
 開放的な熊野信仰は外来の神々を受け入れた。
 修験道の霊地から浄土思想を受け入れ、阿弥陀浄土に擬された。
 補陀落渡海の地とされるにいった。

 近世、新道が出来るにつれて王子社は忘れ去られていった。
 紀州藩は亨保年間(1716〜36年)王子碑を建て往古の記念とした。
 近年、歴史の道として古道の保存・整備が進められた。

熊野古道 松原右樹氏講演から

古代史街道 紀ノ国編
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参考文献
くまの九十九王子をゆく(西口勇)燃焼社
大和紀伊寺院神社大事典 平凡社
熊野古道ハイキングマップ JR西日本
和歌山県神社誌 和歌山県神社庁
和歌山県史 原始古代 和歌山県
和歌山県の歴史散歩 山川出版社
大阪府の歴史散歩上下 山川出版社
三重県の歴史散歩 山川出版社
歴史の中の和泉 和泉書院
熊野古道を歩く(堀家敏功)あさひ高速印刷出版部
熊野古道 向陽書房
宗教民俗講義(五来重)角川書店
古代熊野の史的研究 寺西貞弘

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