熊野古道、京洛の勧請社 

熊野若王子神社

京都市左京区若王子町二番地 its-mo



 祭神 国常立神、伊佐那岐神、伊佐那美神、天照皇大神

 永暦元年(1160年)後白河法王が永観堂の守護神として熊野権現を勧請したのが創祀である。 背後の東山中に滝があり、熊野三山の那智大社に相当する。なお山王町の熊野神社が速玉大社、今熊野神社が本宮に相当すると云う。 熊野詣に当たり、この滝で浄めを行ってから出発したと伝わる。起点である。
 現在は哲学の道の起点となり、季節の良い時には老若男女で賑わう。7月第二日曜日が例祭。

 神木の梛の木が鳥居の横に立っている。ナギと読み、いぬまき科の常緑高木である。

熊野若王子神社の梛の木と鳥居


熊野若王子神社前




熊野神社
京都市左京区聖護院山王町43 its-mo


 祭神 伊弉冉尊 配 伊弉諾尊、天照大神、速玉男尊、事解男尊

 嵯峨天皇の時代の弘仁二年(811年)に、修験道の始祖役小角の十世僧日圓が、国家護持のために始めてこの地に紀州熊野大神を歓請して以来、永らく白川熊野社または熊野権現社と云われた。 寛治四年(1090年)白河上皇の勅願により創立された聖護院は、当社を守護神とし、別当職を置いて管理された。 そのご後白河法皇は、熊野大神に対するご信仰古今に比類なく、はるばる紀州より土砂及び樹木を移植されて社頭の整備に力をそそがれた。 また承治二年(1178年)十一月高倉天皇の中宮徳子(建礼門院)は、皇子ご安産祈願のため使を遣わされ、無事安徳天皇をご誕生になった。
 京洛の熊野三山の速玉大社に相当する。
 東山通りと丸太町の交差点の北西に鎮座する。4月29日 神幸祭(氏子大祭)

熊野神社の鳥居




新熊野神社
京都市東山区今熊野椥ノ森町42 its-mo


 祭神 伊邪那美命 配 後白河上皇


 永暦年間(1160年)、法住寺殿造営に当たり、後白河院が新日吉社とともに勧請した。 熊野から土や楠を持ってこさせ、今なお樹齢800年以上の大楠となっている。大樟之社として神木である。 京洛の熊野三山の本宮大社に相当する。

新熊野神社の大樟


熊野古道、九十九王子社

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