熊野古道、大阪府の王子社
佐野王子と春日神社(泉佐野)

泉佐野市田出



 和歌山貝塚線を南西方向に進み、佐野川を越えると泉佐野市に入る。 バス停田出を越えて200m程行くと右に折れる道がある。それを少し進むと佐野王子跡の石碑が立っている。 いかにも王子跡らしいが、実際の所判っておらず、推定地に立てたに過ぎない。しかし、それらしく存在すると元々ここであったような気がしてくるものである。
 『泉佐野市史』昭和三十年)はこの地に否定的な見解、しかし昭和四十年の『同市文化財研究評議会編の目録』では、佐野王子跡としている。が如し。
 王子社は春日神社に合祀されている。


佐野王子跡碑

 





春日神社 泉佐野市春日町4-12 ゼンリン


春日神社




祭神  健甕槌神、天兒屋根命、天押雲根命、齋主命、姫大御神

由緒
 光仁天皇の宝亀年中(約一千二百年余前)、坂上刈田丸が奈良の春日神を勧請したのが当神社の起源である。 仁明天皇の承和十四年、大同皇子高岳親王が、皇太子の後仏門に帰し、僧となって名を真如と改め、当社の西南に平城寺を建立して当社の宮寺とし、長慶天皇の天授二年、坂上正澄が社殿を造営した。 後小松天皇の応永五年、社殿鳴動し、翌六年に領主大内義弘が戦に敗れた時、拝殿、倉庫、平城寺等、悉く兵火にかかり、神殿のみが僅かに災を免れた。 天正十三年までは、祭神五座が各々別殿であったが、同年根来の乱にまた焼失したので、その後、同殿祭祀となった。 地元の氏神でありかってはお祭りも盛大であった。「明日は十一日春日の結陳佐野の女衆の衣装くらべ」という俗謡が今も残っている。
 明治四十一年、旧佐野町内の二十九の神社が全部現在の春日神社に合祀された。 現在本殿は三殿に別れ、中央は春日神社で五柱の神をおまつりし、左は濱出神社で御祭神は、事代主命・猿田比古命・健角見命・大山昨命、右の社殿には、後白河天皇・菅原道真公・豊受姫命・応神天皇・武速須佐男命・等合祀の神々をおまつりしている。 境内社として、赤手拭稲荷神社があり、御祭神は大山祇命、倉稲魂命で、明治四十二年五月に、東鳥取村々社八幡神社の境内神社を移転したものである。

お祭り
   5月 3日 祈年祭
   7月23日 夏祭り宵宮祭
   7月24日 夏祭り本宮祭
  10月11日 秋祭り


春日神社社殿




貝田王子、佐野王子、春日神社の地図




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熊野古道 紀伊路 大阪府の王子社

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