熊野古道、大阪府の王子社
津守王子と住吉大社

大阪市住吉区墨江東町 its-mo




 熊野古道に面した墨江小学校の敷地内にあったと伝わる。津守廃寺跡の説明板がある。ここに新宮社があった。また南朝後村上天皇崩御の住吉行宮跡も近い。
 津守王子は、紀行文に阿倍野王子と境王子の間に時々登場する。
 この王子社については、津守寺南門前に若一王子祠があり熊野若一王子を祀っていたとある。九十九王子の一として『摂津名所図会』にも記されているが、現在はない。
 『墨江村誌』『住吉村誌』は、明治初年に住吉大社摂社になっている船玉神社の傍らに遷したとの記載があるが、現在はその周辺には見あたらない。
 また、住吉大社の摂社に新宮社「伊邪那美命、事解男命、速玉男命」があり、この社に引き継がれているようにも見える。また
止々呂岐比売神社に合祀されたとも言う。


津守王子跡があったとされる墨江小学校前の古道


住吉大社摂社新宮社





住吉大社 大阪市住吉区住吉2-9-89 its-mo



祭神  底筒男命、中筒男命、表筒男命、姫神(息長足姫命)

摂社
大海神社「豐玉彦命、豐玉姫命」
志賀神社「底津少童命、中津少童命、表津少童命」
船玉神社「天鳥船命、猿田彦神」
若宮八幡宮「應神天皇、武内宿禰」
楠(予扁に橡)社「宇迦魂命」
種貸社「倉稻魂命」
大歳社「大歳神」
浅沢社「市杵嶋姫命」
侍者社「田裳見宿禰、市姫命」
港住吉神社「住吉大神、神功皇后」
宿院頓宮「住吉大神、神功皇后」
楯社「武甕槌命」
鉾社「經津主命」
后土社「土御祖神」
市戎・大国社「事代主命、大國主命」
児安社「興臺産靈神」
海士子社「鵜茅葺不合尊」
龍社「水波野女神」
八所社「素盞嗚尊」
新宮社「伊邪那美命、事解男命、速玉男命」
立聞社「天兒屋根命」
貴船社「高
星宮「国常立命」
薄墨社「國基靈神」
斯主社「國盛靈神」
今主社「國助靈神」

由緒
 住吉はすみのえで澄んだ入り江である。大社は和泉山脈が大阪湾に突出した上町台地の其部にあり、南につづく我孫子台地との間には細井川が流れる地である。なお上町台地の先端は現在の大阪城、難波の宮の地である。この住吉大社の位置は明石海峡の真東に当たる。 航海に於いて重要な聖地であったものと思われる。
 「筒男」神のルーツについては幾つかの説がある。代表的な説は以下の通り。
 @津を司る津之男神
   津(湊)津(之)男の意とする。

 A船の帆柱をたてる筒穴とからめる船霊説
   五所御前が聖なる神木であり、船玉神が荒御魂である。

 B対馬の豆酸[つつ]を本拠とする安曇系海人の説
   安曇磯良も塩筒老翁と同じく海導者である。安曇磯良は神功皇后を新羅に案内した「磯鹿海人名草」である。

 C「つつ」を「ゆうづつ」とする金星からの星説がある。
   星説の延長でオリオン座のカラスキ星(参星)説があり、この三つの星を三筒男神に比定する。星も海から上がってくるので、三筒男神も海底で生まれたとしても不思議ではない。 オリオン座の隣に牡牛座があり、頭部が畢宿あめふり星、横が昴宿すばる星である。畢宿・昴宿は丹後国風土記の筒川嶼子(浦嶼子)の物語に出てくる星である。やはり筒がキイとして共通項が見える。
 浦島太郎は約三〇〇年の時空を越えたと伝えられる。光速で宇宙旅行をした場合、150光年の往復が地球上では300年の時を経過させる。 畢宿は牡牛座α星アルデバランで68光年、昴宿はプレアデス星団で410光年離れており、この星々は太陽系からほぼ同一方向にあり、間には亀比売の宮城星天上仙家に当たるヒアデス星団がある。古代のSFであるが、これを丹後国司の伊預部の馬飼連が書いているところに空想だけでないものを感じる。
 
 筒は塩筒老翁の筒でもある。彦火火出見尊を竜宮へ案内し、神武を大和へ導く神でもある。航海神であり、住吉大神の現人神でもある。古来、時間を超えて活躍する現人神としては、浦嶼子、塩筒老翁、武内宿彌が代表的な存在である。全て住吉大社の祭神にからんでくる。


第一本殿と第四本殿の間から




 摂社になっている船玉神は元々第四本宮(息長足姫命を祀る)の前に鎮座していた。 船玉神は第四本宮を通じて五所御前の杉の木に降臨する住吉三神を祀る神であった。 この神を紀ノ国の人々が祀っていた。船玉神は住吉三神の荒魂とも言われ、航海の安全とくに瀬戸内海の行路の安全を司っていた神であり、住吉大神の本質は航海神であったと思われる。


船玉神社



 さて息長足姫命(神功皇后)は日神であり、大八嶋の天の下に日神を船出させた船を紀ノ国で祀ったのが武内宿彌である。その神々とは紀ノ国の志摩社「市杵島姫命」、静火社「火結神」、伊達社「五十猛命」の三船玉神、紀州三所神である。

 紀州三所神は紀ノ国の紀氏の氏神であり、武内宿彌は紀直の娘を母とする。
 神功皇后の玄界灘の荒海の航海を守った渡しの神・木の神で名草に鎮座する五十猛神(磯鹿海人名草との関連は?)、赤土で危難をさけさせた伊都郡に鎮座している丹生都比売神も紀の国を代表する神々である。 なお、和歌山県の伊都郡高野町には上筒香、中筒香、下筒香と言う地名が並んでおり、住吉大神のルーツであるとの伝承もある。 「住吉大社神代記」によると、丹生川上に天手力男意気続々流住吉大神の名が見える。またこの付近には丹生神社が多く、神功皇后が丹生都比売をこの地に祀ったとされる。

 住吉大社は延喜の制で名神大社に列せられ、摂津国一の宮であり、官幣大社であり、全国二千余に及ぶ住吉神社の総本宮とされる。 また住吉大神は、禊祓の神格をもって出現したので、禊祓の神であり、住吉祭は「おはらい」と呼ばれる程、神道で最も重要な「祓」のことを司る神となっている。
また、住吉大神は、「吾が和魂をば宜しく大津の渟中倉の長峽に居さしむべし、便ち因りて往来ふ船を看護せむ」と神功皇后に告げた由が『日本書紀』住吉大社神代記に見え、海上安全の守護神であり、奈良時代、遣唐使の派遣には、必ず朝廷より奉幣があり、その海上無事を祈った。
 この社は国家的な軍神で綿津見の神であった。延喜式に出ている名神大社の住吉神は以下の通り。
摂津国住吉郡住吉神社四座(当住吉大社)
長門国豊浦郡 住吉坐荒御魂神社三座
筑前国那珂郡 住吉神社三座
壱岐国壱岐郡 住吉神社
対馬国下県郡 住吉神社 これらの名神大社は難波津から朝鮮半島へ向かう海路の道筋に沿って鎮座している。王権による神社であった。

 遣唐使の派遣が途絶え、熊野御幸の道筋にも当たっており、風光明媚な土地柄でもあって、紀ノ国の玉津嶋神社とともに和歌の神として尊信されるようになった。古来歌道の上達を志す人が参篭献詠し、あるいは現実に姿を現される現人神としての信仰もあり、産業発展・文化・貿易の祖神と仰がれた。中世に朝廷の権威も下がり、経済的にも地元との結びつきを強め、農耕神、穀物神の性格を強めていった。一寸法師のお伽噺は住吉さんのPRの話である。

 社殿は、第一本宮より第三本宮まで東西に縦に、第四本宮は第三本宮の南に並び、全て西向きという他に例のない配置で、各本宮とも本殿は、「住吉造」と称せられる神社建築史上最古の特殊の様式で、いずれも国宝に指定されている。 「住吉造」というのは、丹塗・桧皮葺・直線型妻入式で切妻の力強い直線をなした御屋根に置千木と五本の四角堅魚木を備え、周囲に回廊なく、板玉垣をめぐらし、さらにその外に荒忌垣があり、正面で「住吉鳥居」と称せられる特有の四角鳥居に接続している。
 反橋は住吉の象徴として名高く太鼓橋とも呼ばれている。

祭り
 住吉大社の夏祭り(住吉祭)は、ただ単に「おはらい」とも呼ばれ、国中の大祓を行うお祭りです。 七月三十一日、御例祭に続き、午後一時より夏越大祓神事(大阪府指定無形文化財)が行われ、翌八月一日には堺宿院の頓宮に渡御があり、荒和大祓が行われている。


五所御前の杉の木




阿倍野王子神社、止々呂岐比売神社、住吉大社の地図




参考書 日本の神々ー神社と聖地ー3(大和岩雄)白水社
神話の痕跡(豊田有恒)青春出版社

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