infoseek goo Yahoo NTT






神社サイト


江別神社
 北海道江別市緑町
江別神社は明治18年、熊本県より移住した屯田兵の守護神として加藤清正公を江別市緑町の飛鳥山にお祀り申し上げたのが創始である。
荘内神社 山形県鶴岡市
元和8年、酒井忠勝公が藩主として荘内に入国されてより、領民は酒井のお殿様を敬い慕ってまいりました。  
薬莱神社 宮城県加美郡
天平九年(西暦七三七年)鎮守府将軍大野東人が軍事輸送の為に色麻柵より出羽国に至る通称「玉野道路」を開いた時、悪疫が流行し多くの兵士や人夫が斃れたので、将軍は薬莱山上に医薬神を祀りました。
二柱神社 仙台市泉区
神様を1人2人と云わず1柱2柱というようにもうしましたので二柱神社と申します。 万壽二年(一〇二六年)に市名坂の修林壇(現在の七北田字東裏付近旧社(殿地現存)におまつり(神社の記録)されました。
大崎八幡宮 仙台市青葉区
社伝に依れば、坂上田村麿将軍が東夷征伐の折、現在の岩手県水沢市に胆沢城を築いて奉祭し、降て宮城県の北部五郡を領した大崎氏が遠田郡田尻の地に水沢より遷祀し代々崇敬したので大崎八幡神社と称される様になった。
西久保八幡神社 東京都港区
寛弘年中(1004〜12)に、源頼信(多田満仲の四男)が、石清水八幡宮の神霊を請じて、霞ヶ関のあたり(榎坂とも)に創建したという。 太田道灌が江戸城を築いた時、現在地に遷された。
はやいhpで気持ちがいいですよ。
明治神宮 東京都渋谷区
重厚なhpです。
馬橋稲荷神社 東京都杉並区
馬橋稲荷神社の由来、神社の四季、年中行事、神前結婚式 など。
松陰神社 東京都世田谷区
御祭神由緒 (松陰神社の御祭神である吉田松陰先生の略歴)、神社由緒(松陰神社の創建の由緒)、境内案内(松陰神社の境内の紹介)
神田神社 東京都千代田区
神田神社の由来 神田明神は今から約1270年前の天平2年(730年)、武蔵の国豊島郡芝崎、現在の千代田区大手町将門塚周辺に創建されました。 それから約200年後、平将門公が俵藤太に討たれ、その首が京都で晒されましたが、これを奪い返して塚を築き、葬りました。 さらに、延慶2年(1309年)には将門公の霊をも相殿に祀り、神田明神と名付けました。
靖國神社 東京都千代田区
國神社は、明治2年(1869)に明治天皇の思し召しによって、戊辰戦争で斃れた人達を祀るために創建された。 初め、東京招魂社と呼ばれたが、明治12年間國神社と改称されて今日に至っている。

赤坂氷川神社
 東京都港区赤坂6-10-12
起源…創立の起源は、古い書物によると、天歴5年(村上天皇 951年)武州豊島郡人次ヶ原(俗称…古呂故ヶ岡・赤坂4丁目一ツ木台地)に祀られました。
これよりおよそ百年後の治歴2年(後冷泉天皇 1066年)、関東に大旱魃が発生、降雨を祈るとその霊験(しるし)があり、以来よく祭事が行われました。
鎮座…江戸時代、幕府の尊信は篤く、八代将軍 徳川吉宗公が享保元年(1716年)将軍職を継ぐに至り、同14年(1729年)に老中岡崎城主水野忠之に命じ、現在地(豊島郡赤坂今井台)に現社殿を造営、翌15年(1730年)4月26日に、一ツ木台地から現在地への遷宮が行われ、28日に将軍直々の御参拝がありました。
鷲神社 東京都台東区
鷲神社は天日鷲命(あめのひわしのみこと)日本武尊(やまとたけるのみこと)をお祀りした由緒正しい神社です。現在は「おとりさま」として一般にも親しまれ崇敬を集めており、また十一月の例祭も現在は「酉の市(とりのいち)」として広く知られています。
鳥越神社 東京都台東区
承年間(一〇四六〜一〇五三年)の事となりますが、奥州安部氏の反乱が当時の朝廷を震撼させました。 そこで、当時武名の高い源 頼義・義家親子にさっそく鎮定するようにとの勅命がくだりました。 源親子は東国に向かいましたが、武蔵の大川(旧宮戸川・隅田川)の河口を越えることに大変苦しみました。 その時、一羽の白鳥が飛んできて、親子の目の前で川の浅瀬に下り立ち、そこならば、対岸に渡れる事を悟してくれました。 そのおかげで、軍勢を無事対岸に渡すことに成功しました。
國領神社 東京都調布市
歴史:今の神社は、「國領神社」と「八雲神明社」をひとつにした神社です。 どちらもいつできたというのはかわかりません。 國領神社は昔、第六天社と呼ぱれ、今の八雲台小学校の裏(現在地より北へ約300メートル)にあり、近くに住む人々を守ってくださる神さまとしてみんなからおまいりされていました。
大國魂神社 東京都府中市
大國魂神社は大国魂の大神を武蔵の国の護り神としてお祀りした神社であります。 後に本殿の両側に国内著名の神、六所[ろくしょ](小野大神・小河大神・氷川大神・ 秩父大神・金佐奈大神・杉山大神)を奉祀して、六所官とも称せられるようになった。
瀬戸神社 横浜市金沢区
大昔、今日の泥亀町から釜利谷東一帯は大きな入江でした。 この入江と平潟湾とは、今日の瀬戸橋の位置にあたる狭い水路状の海峡でつながっていました。 そしてこの小さな海峡は、潮の干満の度に内海の海水が渦を巻いて出入りする「せと」でした。 古代の人は水流の険しい「せと」を罪穢れを流し去ってしまう神聖なところであるとして、豊な幸をもたらしてくれる神々をここに祭りました。 これが瀬戸神社の起源です。
師岡熊野神社 横浜市港北区

鶴岡八幡宮 神奈川県鎌倉市
岡八幡宮は康平6年(1063)源頼義公が奥州を平定して鎌倉に帰り源氏の氏神として由比ケ浜辺にお祀りしたのが始めです。 その後、頼朝公は鎌倉に入るや直ちに神意を伺って現在の地に八幡宮を移し祀り、建久2年(1191)には鎌倉幕府の宗社にふさわしく上下両宮の現在の姿に整えました。
鵠沼伏見稲荷神社 神奈川県藤沢市
昭和18年5月12日京都市伏見区に鎮座の旧官幣大社伏見稲荷大社の御分霊を勧請して創建せられた。  白砂青松の保養地であった鵠沼海岸は、大正12年9月1日の関東大震災後、とりわけ昭和4年小田急電鉄が開通してから、鵠沼海岸駅前を中心に住宅地として、急速に町づくりが進むに及び、地域住民の要望により新しく鎮守社を創建することとなり、御祭神として、庶民に最も親しまれ、広く信仰の集まる稲荷大社をお祀りしたのである。
天津神明神社 千葉県安房郡
 祭神は天照皇大神、豊受大神、八重事代主神、大山祇大神等7柱の神が合祀されている。 その昔、「天孫降臨」にあたり、八重事代主神が海路この地に来て、東方鎮護の神として鎮座されたので、人々はこれを喜び「もうけ明神」と尊称した。 治承4年(1180)源頼朝が石橋山の戦いに敗れ、安房に逃れたとき伊勢神宮に源家の再興を祈願し、祈願が成就したなら、安房の国に御厨一処を寄進すると祈誓した。 宿願が成就し、寿永3年(1184)御厨を新設し、伊勢から迎えた神霊と、以前より鎮座の「もうけの大神」とを相殿に祀った。 その後「房州伊勢の宮」と尊称され今日に至っている。境内東側の山は、すぐれた極相林。
今宮神社 埼玉県秩父市
役行者、八大龍王を祀る。当社には古代より龍神池と言われる霊泉があり、ここに伊邪那岐・伊邪那美の二神が祀られていました。 大宝年間(七〇一〜七〇四)、役行者(えんのぎょうじゃ)が飛来し、神仏混淆を旨とする修験の教えを広めるとともに、この地に宮中八神と、観音菩薩の守護神である八大龍王を合祀し、以後、明治維新まで『八大宮』と称するようになりました。
一ノ矢八坂神社 茨城県つくば市
御 由 緒 一ノ矢八坂神社の御儀は、その昔清和帝の朝、貞観年間山城国愛宕郡より、御祭神素戔嗚尊を、病厄難・海上安全の守護神、振武文教の祖神として崇め勧請鎮め奉った由緒ある御社であり、創祀以来悠久実に千百有余年の星霜を閲しております。
常磐神社 茨城県水戸市
明治の初年、義公(第2代藩主徳川光圀公)・烈公(第9代藩主徳川斉昭公)の徳をしたう人達によって偕楽園内に祠堂(しどう)が創立され、明治6年(1973)には勅旨をもって常磐神社の社号を賜った。
岩津天満宮 愛知県岡崎市
ある日、岩津山の空が急に暗くなったかと思うと天と地をふるわせるばかりの雷鳴がとどろき渡りました。 そして、はるかな天空から剣のような稲光りとともに、芭蕉の葉に乗られた天神様・菅原道真公(菅公)が岩津山の山頂に降り立たれたのです。 これが学問の守り神として多くのみなさんの信仰を集める岩津天満宮の起こりです。
大岩神明宮 愛知県豊橋市
社伝に依ると、当神明宮は古く文武天皇二年(698)岩屋山、南山麓「かささ」(現在の久保田地区)に巌根の庄の里人に依って創建祭祀されたと、伝えられておる。

水屋神社
 三重県飯南郡
由緒 垂仁天皇二十五年(紀元前51年)天照大神が当地に巡幸された際、この地に鎮座しておられた春日の神と議って川中の巨石を以って伊勢・大和両国の境とした。  この話は、隣接する滝の郷が神宮内宮の御厨であるという「神鳳抄」の記事を考えあわせると、当社が興福寺領の東端を、滝野郷が内宮領の西端を示すものとして注目される。
野宮神社 京都市右京区嵯峨野
黒木鳥居はクヌギの木の皮を剥かないまま使用する、日本最古の鳥居の様式です。 小柴垣はクロモジの木を用います。 天皇陛下の御即位式で建てられる「大嘗祭」も黒木鳥居と小柴垣で囲まれます。
護王神社 京都市上京区
護王神社は、はじめ洛西の高雄山神護寺の境内に和気清麻呂公の霊社として祀られていましたが、確かな創建年は伝えられていません。 古くから「護法善神」と称されていましたが、嘉永4年(1851)、孝明天皇は和気公の歴史的功績を讃えて正一位護王大明神の神階神号を授けられ、明治7年(1874)、「護王神社」と改称して別格官幣社に列せられました。 ほかに和気清麻呂公の波乱の一生など。
安井金比羅宮 京都市東山区
第38代天智天皇(てんちてんのう)の御代(668〜671)に藤原鎌足(ふじわらのかまたり)が一堂を創建し、紫色の藤を植え藤寺と号して、家門の隆昌と子孫の長久を祈ったことに始まります。
佐久奈度神社 滋賀県大津市
天智天皇御宇8年 勅願により中臣朝臣金連が当地において、祓 を創し祓戸大神四柱を奉祀した。 当地は八張口、桜谷と呼ばれ、天下の祓所として 著名で、大七瀬の祓所のひとつである。
酒井神社 滋賀県大津市
社伝によれば、その創建は、弘仁元年(810)、下阪本の梵音堂(下阪本四丁目)にある磊 (大きな石)から酒が涌きだし、その酒の精は大山神であるとの神告をうけたため、人々は社を建てて磊を神体として祀るようになったといわれます。 この場所は、旧社地として今も残っております。
磐船神社 大阪府交野市
船神社は御祭神饒速日命が天照大御神の詔により天孫降臨された記念の地であり、古典によると「河内国河上哮ヶ峯」と呼ばれているところです。 御神体は命の乗ってこられた「天の磐船」といわれる高さ12メートル、幅12メートルある船の形をした巨大な磐座(いわくら)で、初めて訪れた人々は皆一様にその威容に圧倒されるといいます。
上宮天満宮 大阪府高槻市
1・神道の精神を守り拡める。生きとし生けるもの、一草一木にも精霊がやどるという古代人の直感的な神への恐れと祈りの心が今こそ必要。 人の英知なるものが引き越こしてきた物心両面にわたる荒廃を実感する時、振り返るべき原点と思います。
2・歴史的遺産を護り伝える。時と人の移り変わりを見守り続け、その折々の祈りのカタチが残されている神社。 単なるモニュメントではなく、それに注がれた心をあらわす貴重な遺産としてその保全と継承に努めます。
3・鎮守の森を維持し続ける。自然を守るのではなく、人が自然に護られている・・・・という正しい理解をもとに原始の姿を残す杜(もり)と日本の景観を象徴する竹林の整備を通じて心安らぐ空間を保持して参ります。
三光神社 大阪市天王寺区
創立は仁徳天皇から三代後人皇十八代反正天皇の御宇と言い伝えられ創建以後神職として奉仕された武内宿弥の末裔武川氏(八十六代)にして今に至ると言う。 当神社は古来より日本全国で唯一の中風除の神として広く知られています。
玉造稲荷神社 中央区玉造2丁目
当神社は垂仁天皇18年(西暦 紀元前12年)の秋に創祀されたと伝えられ用明天皇3年に改築。聖徳太子が仏教受容問題で物部守屋公と争われた際、この玉作岡に陣を敷き「我に勝を与えるならこの栗の白木の箸に枝葉を生じさせ給え」と祈願されたところ、のちに枝葉が生じ、この戦いも無事に終わったと記されています。
深江稲荷神社 大阪市東成区
創建年代は垂神天皇の御代笠縫氏の祖が摂津国東生郡笠縫島の宮浦の地(今の深江南三丁目の地)に居を定め、下照姫命を奉祀したのを始めとし、その後元明天皇和銅年間に山城国稲荷神社の御分霊を勧請したものであると伝えられています。 慶長八年豊臣秀頼が片桐市正、加藤左馬介に命じ、社殿を改築しました。
綱敷天神社 大阪市北区
今これらに依りて由緒の大略を記述すれば、弘仁十三年(822)、嵯峨天皇兎餓野(とがの)に行幸あらせられて当地に一宿を過ごさせ給いしことあり。 同天皇崩御の後、左大臣源融(みなもとのとおる)公御追悼の余り承和十年(842)天皇假(仮)殿の跡、すなわち現在の社地なる字神山に社殿を創建し、天皇の尊像を自ら作りて奉祀す。 社名は御諱(いみな)神野(かみぬ)の二字をとりて『神野太神宮』と称せられる。
金剛山葛木神社 大阪府南河内郡
最新情報11/26   金剛山積雪情報   史跡金剛山   金剛山葛木神社   金剛山転法輪寺   金剛錬成会
土生神社 岸和田市土生町
由緒の解説、河内和泉地域全般の古道、歴史が述べられている。
萩原天神 堺市日置荘
神社の創建と由緒の解説など

伊太祁曽神社
 和歌山市伊太祈曽
紀州 木の神
六甲八幡神社 神戸市灘区
あなたの厄を祓いませんか!、平成11年大厄一覧表、厄神祭、湯立の神事、六甲八幡神社の節分豆の供え方、御影石冶金鳥居建設記録
富松神社 兵庫県尼崎市
樹齢500年とも言われるこの楠の大木。様々な風雨にも耐えて地域の歴史や人々のくらしを見守ってまいりました。 しかし、昨今の自然環境の悪化に伴う酸性雨や地球規模での環境の変化か、近年は急速に枝枯れも見うけられ定期的な木の診断も急がれています。
高瀬神社 富山県東砺波郡
当神社の御祭神は、「大己貴命(大国主命)」を主神に、「天活玉命」、「五十猛命」を祀り、末社三社と砺波地区の村々里々に鎮座されます氏子の神々と越中国延喜式内社三十三座の神々を奉斎したお社です。
杉原神社 富山県婦負郡
一、聖武天皇天平二年郷長小右衛門なるものあり。世々守護神として邸内に奉仕す。 時に後病大いに流伝す。此に於いて郷民等神明の霊験あるを聞き小右衛門に請ふて一祠を建て衆人をして参拝せしむ。 名付けて郷の明神と称す。
日枝神社 富山県富山市
旧記文献等の散逸消失により詳しくは知り得ないが、現在の記録によると最も早い年号は建武二年(1335年)で、その頃の記録によると、当神社は、越中国新川郡針原大野に鎮座、広壮な社殿・社地を備えていた。

出雲大社 佐久之宮 講社 島根県大社町
 
湯田八幡神社 岡山県久米郡
創建は天文年間(1532年〜1555年)に豊前国宇佐八幡宮の御分霊を勧請した。
志呂神社 岡山県御津郡
奈良時代から弓削庄二十七か村の総氏神としてまつられている。 長良ヶ嶽にまつられていたが社地を中山神社に譲り美作分国の和銅六年(七一三年)に神の辺の地に鎮座。
焼火神社 根県隠岐郡
火山(海抜452m)の中腹にある焼火神社は日本海の船人に海上安全の神と崇められている。
玉生八幡大神社 愛媛県伊予郡
往昔、神功皇后が三韓を征して御帰りになるとき、 松前の沖に船を止められて天一神の託宣によって久斯美玉を伊豫市上野の大きな木下に納められた。 のち、この地を玉生林と言った。 後世、郡司がその地に社殿を建立して御霊を遷してそれを久斯美玉宮と称した。 これが、古玉生であるという。
出雲大社松山分祠 愛媛県松山市
出雲大社松山分祠は、四国は愛媛県松山市のほぼ中心にあります。 日本三大平山城の一つ「松山城」の西麓、市内でも特に交通量の多い幹線道路に面した、小じんまりした境内に小さな社殿を構えています。 周囲をビル等に囲まれていて、うっかりしていると通り過ぎてしまいそうな程小さな神社ですが、それでも「松山の出雲さん」として広く親しまれています。
薫的神社 高知県高知市
太古から人々を魅了する「神秘の霊場・四国」疲れたとき・迷ったとき……魂の清浄・活性化に祖霊の宿る辺地・霊山・社寺を「へんろ」してみませんか。
新宮神社 高知県南国市
「延喜式」には神饌を司った「十市に坐す神」と記載、「土佐日記」紀貫之が船待ちした大湊の「航海の神」であり戦国時代以降、熊野信仰の拠点でもあった新宮大神‥‥。
高良大社 福岡県久留米市
芸能の祖神(おやかみ)さま・延命長寿厄除けの神さま、高良大社の神さまについて、高良大社の歴史、 神々の山「こうらさん」イラストマップ 、神々の山「こうらさん」の歴史
加津佐温泉神社 長崎県南高来郡
大宝元年(西暦701年)島原半島 雲仙の地に祀(まつ)られたと 言われています。 鎌倉時代、弘安4年(1281年)福岡県博多に蒙古襲来の時、身一つに面四つの勇士が現れ、敵をあっという間に倒しました。 名を尋ねると肥前の国温泉山の者だ。と言い残し立ち去りました。 後に、温泉神社の神だとわかり、人助けの神、武道の神として九州の大名が年1度参拝するようになったそうです。 その後、雲仙に祀られた神社はたくさんの人に親しまれていたのですが、何せ今と違い昔は雲仙の山は道も険しく女人禁制(にょにん)であったため、ふもとに誰もが気軽にお参りできる神社をと、この加津佐温泉神社が祀られました。
疋野神社 熊本県玉名市
・六国史の一つ「続日本後紀」に・・・・・・仁明天皇承和七年七月庚子(西暦840年)肥後国玉名郡疋野神社を似て官社に預からしむ云々・・・・・・ と官社列格の年月が銘記されている由緒深い神社(国史現在社という)であり、また平安時代の国の法律書「延喜式」の神名帳にも記載されている式内社で、県下でも貴重な存在です。



神奈備リンク集  神奈備HP