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多に蛍火の光く神、及び蠅声なす邪しき神有り。復草木咸によく言語有り。
素人のひらめき、力はないが騒がしくなかなか従わない、一寸の草木にもある五分の魂の発露を!

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[5916] 無題  和歌山 2011/02/28(Mon) 15:38 [Reply]
和歌山生まれで昨年奈良に来ました。随分以前に大分に5年ほどいました。

[5915] Re[5914]: イ     生田淳一郎 2011/02/28(Mon) 10:45 [Reply]
> よだきい、しゃあしいいなどのイも関係有るんでしょうか

漢文のおべんきゃうのとき、「いにしへの賢聖、孔孟といへるも、一男児耳矣」というのがあって、先生は、この矣はなにも発音しなくってもいい、敢えていえば「イ」である、と教えてくださいました(耳はノミと発音)。
この イ は、沖縄の海洋博覧会のとき、一銭もゼニを使わずに、フィジー列島サタワル島から駆けつけて来てくれたチェチェメニ号の末尾にも現れています。チェチェメニとは「少し(チェチェ)は men(考え)ろ」という意味だそうです。「オレに呉れイ」などにも現れているかと思います。

和歌山さんは和歌山にお住まいでしょうか? 「よだきい」をご存知とは驚きです。東條操著『全国方言辞典』には、鹿児島、宮崎、大分、兵庫県方郡にあることは出ています。
種子島〜大阪間は片道三日の高速輸送が可能でしたので、そのころ、大阪方面に入ったことばかもしれません。
「ヨ」は iya , iyo(いよいよ、弥々)、これにネパール語の * tak(疲れ)がついた語形だと思われます。*tak 系の語彙は thakai, thakal(疲労、疲れ)、thake(疲れた)、 thak-(疲れる)、 takliph(めんどう、苦労)があります。

● 「しゃあしい」は、「せせこましい」の se(狭)あたりから音転したものでしょうか。大阪では「せわしない」とよく言うようです。sese が sewa となったのは、「世話」という強いネパール語が傍らにあったからだと目されます。
この「世話」はパーリ語にもサンスクリット語にもなく、ネパール語にあるのです。sewa = 世話。
インドに行った三蔵法師は、採取先の言語をまちがえたらしい。

[5914]  和歌山 2011/02/27(Sun) 21:21 [Reply]
よだきい、しゃあしいいなどのイも関係有るんでしょうか

[5913] 伊太祁曽・五十猛  ほか     生田淳一郎 2011/02/27(Sun) 16:13 [Reply]
けふ日曜日、のど自慢は山口市でした。お陰で長州っぽの人相観にちょっとだけ深かまることができました。

●  it には「頂」のように「極」の意味がありました。it の開音化された語形が伊太祁曽の「伊太」……かな?
●  taka(竹 < 神)がいつのまにか take になっています。
   “猛 ” は侵入攻撃の dakhal を採用したときには、カナ書きでいうと「ダカル」だったはず。
   五十猛は「イ・タカル」とか「イソ・タカル」読むのが本筋ではなかったでしょうか。
   テレビドラマ ; 必殺仕置き人だったかに、イタカ十三……、あんがいほんまだったりして、ガハハ
● 祁はケと読めるんですかね。藤堂明保著『漢和大辞典』ではケと読むことは見当たらないようでしたが……。
  シナ語には無くっても、朝鮮語で慣用されたという実績があるので、社はソと読めるのですが……。
  朝鮮語、ベトナム語あたりで、又は古文献でのカナ振りで、ケと読んだという「実績」がほしいところです。
● 五十と、二文字を消費して「イ」と読ませるのは、<1 > ネパール語 の 50 + 50 = 100 と <2 > ネパールの貨幣の数え方 >が噛んでいるからだと思います。これはいちど説明したかと思います。
 これ説明すると長くなりますので、拙板『ことばが拓く超古代』http://6712.teacup.com/bhasa/bbs で、「十二、十三」などといっしょに申し述べます。
 あ、トルコ語も「良い」は「イイ」と云いますだ。

[5912] クロマニョンの足どり    生田淳一郎 2011/02/26(Sat) 09:35 [Reply]
まっつっあん、へんなことを長々と書いてめやぐ(津軽弁)かけました。
長崎の大村市に電話したら委員会をイインクヮイと発音してました。
大分県豊後の生まれ育ちの おたしのおふくろも火事をクヮジと言ってましたよ。お菓子はオクヮシです。
これは、もしかしたら、秀吉が九州を平定させる直前、薩摩勢が豊後にも来ていたので、そのせいかもしれません。
そのとき、おたしの父スジがいた切り株山は落城しませんでした。
父は 6歳のとき、筑豊に屋うつりしましたので、クヮシだのイインクヮイだのは言いませんでした。

ところで、子供番組に「アルプスの少女ハイジ」がありましたが、バスク語で風は haize です。
鍛冶屋は風が基本かもしれませんね。

おたしは皆しゃんが アラビア語だのネパール語だのの遠隔地の言語を引っぱってくることに拒絶反応を示すことに、どうも納得でけまへん。
クロマニョンがアフリカを離れたのは 4万年前だといわれています。
そして、オーストラリアの東南にある湖の遺跡は 4万年前の古さを物語っています。
まっすぐ、太陽が上がるほうに足で歩いたと思われるのですが、そこまでは陸つづきだったわけです。

[5911] Re[5910][5909] : 牛         生田淳一郎 2011/02/26(Sat) 08:51 [Reply]
牛を餌にして釣り糸を垂れていたら、クジラクラスの巨大魚が噛み付いてきた……、そういう実感です。

実存主義哲学での廃退、現象学での無効を機に、構造主義が台頭してきましたが、構造主義とは潜在しているスジを掴みあげる所作だろうと思います。先日の北鮮にしろ、今回の「牛」にしろ、死期を迎えたおたしの深層心理は、次から次に巨大なスジに接近して行っているのかもしれません。

とにかく、この掲示板で「牛」を標題に掲げることは モー、やめにしましょう。
牛にまつわるわが胸の火は、さかんに燃えつづけていますが、それは http://6928.teacup.com/fudangi/bbs の『ふだん記・ニッポン』で続けます。

インドネシア語に hampa(中味のない、役立たずの)があり、自分を卑下していう hamba があります。
この語は、日本が占領していたときにインドネシア語に取り入れられたのでしょうか? 
それにしても、インドネシア語には、ほかの日本語が余りにも少なすぎます。
日本でも自分たちのことを「半端者」よばわりする Y派、T派の人がいます。選挙のとき、この人たちが「この人は当選するよ」とか「あの人は落選するよ」と言ったら、実際にその通りになります。
おたしは永年、このフシギな現象がナニに起因しているのかが分らずに注ぎ目していました。が、牛を起点にして思考をつづければ、なにやら、この現象を起こすスジが掴めそうな気分になってきました。

選挙があるたびに、いつもとんでもない事件が起こって、報道を賑わせるのが、青森県木造町と奄美の徳之島です。
ここは、選挙となると、男たちはえらくハッスルして狂い立ちます。
この心情をもつ人びとのムレを、おたしはジョッキ族と名付けることにしました。八重山〜長崎〜薩摩〜津軽では長過ぎるからですが、津軽のジョッパリと薩摩のボッケモンをつきまぜて、ネパール語 jhok(怒り)で絞めあげました。
天草のランにしろ、西南戦争にしろ、爆薬湖どま爆破せんことにゃ、胸の火がどうにも止まらない。
http://www.youtube.com/watch?v=xUkN-BuyPoo どま聴いてみらんですか。

[5910] Re[5909] : 牛        佐々木 2011/02/25(Fri) 21:50 [Reply]
>アカマネ
 閼伽(あか)水の「アカ」、仏教では水のことらしい。アクアの語源説あり。
「マナイ」は「神聖」「禁忌」でしたね。
>稲荷
 いいなり(飯也)だと思っていましたが。少し休みます。

[5909] Re[5908][5907][5906][5905][5904][5903][5902][5901][5900][5899][5896][5895][5893][5889]: 牛        生田淳一郎 2011/02/25(Fri) 18:35 [Reply]
つづけて「ブランド神社」を少々。
● イナリ・・・・・、稲なり(成熟、みのり)のように考えられていますが、nali は土管や噴水です。
  「イナリ」とは、田んぼに水を入れることを中心とした概念から意転したものと見受けられます。
  稲荷山古墳をもつ行田市は「業田(なりた)」と称していました。千葉の成田市と同一動機で命名された。

● 新羅神社、シラ髯神社・・・・・、 gi が神だと割れました。
  日本領土にも多くのシラギ、シラ髯神社がみられますが、これは台湾アミ語の tsilar(太陽)、沖縄のテダと同根。
  hige はヒコの前身 hik の k が濁音化した現象として処理すべきでしょう。


十二社のジュウニという呼び方は、これまでのセンスでは薩摩〜長崎〜津軽型です。たとえば「とよふた」などと言わず
になぜ ジュウニ が定着したのでしょうか? ここに疑問符を入れたことで、隠されてきた古代日本史がおおきく開かれ
る展開をおぼえます。
★ 大久保利通が薩摩藩の中枢に近づくために囲碁を習ったように、中臣鎌足は蹴鞠をおぼえて中大兄皇子に近づいたと
  言われていますが、中大兄皇子にしてみれば、獅子身中の虫だった巨大勢力の片われが、向こうのほうから飛び込ん  
  で来た。
  ここでは便宜上タジク人とよびますが、タジク勢力は表(今の裏)日本一帯にバッチリ割拠していたんです。
  もう少し、なんとか煮詰めたいのですが、長州っぽの男と、津軽の女性は人相の上で同じ出かたをしています。
  おたしゃちょっと前までは 八重山〜長崎〜薩摩〜津軽 と書いていましたが、これに「新発田、長岡、小千谷」が加  
  わわり、更に、東のほうで鹿島が加わるのです。しかも、出雲はイントネーションこそ残していませんが、その中枢  
  には「ごとびき岩」、「那智の滝」、「ぼど(風)」などのタジク語を内包しているのであります。
  しかも、日本列島周辺に400も散在する「オオシマ」とは、タジク語で「水を汲む島」となって、圧倒的です。
★ ヤマト朝廷中枢に、「八重山〜長崎〜薩摩〜津軽」の蔭が見えかくれしていました。
  江戸では「舟マンジュー」の語があり、「……サ」の言いかたが横行していまっサ。

ヤマト中枢部と北辺タジク系勢力・・・・・、
なんでもいい、タジク系勢力の一つを(インド流の)バラモンに仕立て上げることが中大兄皇子に課せられた天命だっ
た。 / puja(尊敬、礼拝)、wara……意訳少々で、氏子。→ 藤原。

[5908] Re[5907][5906][5905][5904][5903][5902][5901][5900][5899][5896][5895][5893][5889]: 牛        生田淳一郎 2011/02/25(Fri) 14:37 [Reply]
ここにきて考えてみたら、◯○とか△△を冠している神社を一覧表化すれば、その◯○、△△で 系列化ができそうです。
------ おたしゃやっぱ、表現がヘタですねえ。こういう ↓ こってす。もう少しつきあってください。

● つくば山麓にはかなり信頼度が高い言い伝えがあります。それを要約し我田引水式にひっぱりこみますと……。
ここは和歌山県と同じ「キのくに」でしたが、ここが崩壊したとき、数百人の負け組は奴隷として二つの大岩を引っ張って来させられた。その一つはオス岩で鹿島神宮に、もう一つのメス岩は香取神社に納められた。これは岩の重さで大地にひそむ邪悪神を封じこめようとしたのでしょう( “ キの国勢力 ” はへび信仰だったらしい)。
この亘りをひろく i bala ki というので、キのくにを攻め陥したのは、津軽同様に bala(王子)の国を創ろうとした勢力だったと見受けられます。このことは、白鳥のハナシでも、かなり津軽との関連があるとか……。
大岩をひっぱり終わったあと、奴隷たちは諏訪へ逃げて行ったそうです。

● 遠くから板をカンコン・カンコンと叩く音がしたら、百姓を兼ねていた鎌倉武士たちは、「すわ、一大事」といって、矢倉下へ集合しました。そのとき「すわ、鎌倉」とも言い合ったそうです。
諏訪の正確な意味を割り出すには、シナ江南の「諏訪ナントカ遺跡」を当たらねばなりません。が、これまで、あっしゃ、あまりにも iswar , iswor(神)を出しすぎました。ネパール語には swami(僧への尊称、聖者)の語があるのです。
よその国ではただの神だったのが、日本では軍神となったのでしょう。諏訪太鼓の音をきくと、えらく勇み立つそうです。

● 鹿島は塚原卜伝があまりにも有名になったので、チャンバラ剣戟のほうで専門化したようです。
  鹿島はタジク語 tʃaʃm(目)発だと思えますので、「王子の国つくり」から、逆に、津軽勢力とはやっぱタジク語勢力  だといえるのでは?

● 那須与一は扇の的めがけ、「南無三、弓矢八幡 !」と唱えて、ひょーと矢を放ったとか。・・・三とはナニぞ。

健康、幸せ促進の助っと(十二柱)が「いくさ神」に変身した跡が辿れました。

[5907] Re[5906][5905][5904][5903][5902][5901][5900][5899][5896][5895][5893][5889]: 牛        生田淳一郎 2011/02/25(Fri) 09:19 [Reply]
> 貴独演会は論理の飛躍、唐突な表現が連続して楽しいです。
★ あり難うございます。ほかの人が書き込みできないようなハス睨み・ぶった切りをやらかしている点はジクジクです。でも、ここにこそ、アマのムラクモの剣が潜んでいるようで……。
ここの項は早いとこ片づけたいと思っていますのでアマカネ。

> ニューギニア奥地に残存した「ことば」なのか「鳴き声」なのだろうか。
★ 末尾に --ne という族際辞が立っているので、これはかなり後世での借用語ではないでせふか。
  タスマニア、ニュージランドへは、双胴船などが出現しないことには、遠洋航海は不可能なんじゃないでせふか。
  モニ(アマカネ)族は山の中に kumba という塩が採れる泉を確保しています。

> 母音↑と母音+「っ」には、相手によい印象をあたえる魔法があったような
★ 同音衝突を避けながら、語彙らしく落ち着かせる機能を添えさせたのでは? --d , --k , --p , --n あたりも?

『牛の来た道』の著者は、初期の新潟県では「十二社(読みはジュウニシャとも、ジュウニソウとも)」がずら〜っと並び、そうなった上に諏訪、八幡、熊野が冠せられたのでは? との推測をしています。
この着想は、方法的に福井、石川、富山、新潟、山形、秋田あたりまで拡大してみたほうがいいとみました。
十二社の十二とは、熊野では薬師如来の働きを活発にする十二人(神)の助っ人(神)としています。
如来というのは、わかりにくい概念ですが、「来たようなもんだ」ぐらいの意味で、われわれ庶民には「ご光来」みたいなもんじゃないかと思われます。

薬師のヤクシとは、一見、シナ語の薬からの借用みたいな感じですが、これは 「 iya(弥々)*kus(健康、シヤワセ) i(神)」に分解できます。ついでに云いますと、ヤサカも「 iya(弥々)sak(できる)」で、「栄え」を含みつつ、「何でもできる」を謂っています。iya も kus も sak もネパール語的です。
いつの世でも「死に至るまで、健康でシヤーセに」 は、大多数庶民の切なる願いでありましょうか。

[5906] Re[5905][5904][5903][5902][5901][5900][5899][5896][5895][5893][5889]: 牛        佐々木 2011/02/24(Thu) 20:04 [Reply]
生田さん 
 貴独演会は論理の飛躍、唐突な表現が連続して楽しいです。
 またいつもながら興味深いのが例の「アマカネ」です。
 縄文時代中国から島づたいをニュージーランドまでマオリ族が移動する途上に、ニューギニア奥地に残存した「ことば」なのか「鳴き声」なのだろうか。
 脳と音声の専門ではないが、母音↑と母音+「っ」には、相手によい印象をあたえる魔法があったような。

[5905] Re[5904][5903][5902][5901][5900][5899][5896][5895][5893][5889]: 牛        生田淳一郎 2011/02/24(Thu) 11:01 [Reply]
堀井令以知先生の研究によれば、古代日本語の「フ」は心の精密な機構だそうな。腑抜けというのがこれか。
まとまった体系としての漢方が入ってくるまでの医療は jap-(拝む)のヤブ医者の専断するところだった。
これを組織的に取りおこなったのが、出雲の精神的伝統をも継ぐ呪文唱えの行者のムレだったとみよう。
呪文が病気に効くのは、そこに使われている「発音とその意味」での言葉が発する効果ではない。
それは石井晋男さんがメロディーを中心とした「唸り声」で判断すれば、歴然としている。
「このお経が最高だ」などという選択は、そこに書かれている字句がいいのではない。
そのお経を唱える韻律……すなわち、メロディーが他を凌駕していると思うからだ。

もちろん、呪文が病気に効かないこともある。その効かなさ加減は、現代医学と同様である。
今でも日本の総人口 「1200万人 ÷ 平均寿命 」を再び 365 で割った人びとが、毎日死んでいる。
記憶した語彙の絶対数が少ない民は、動物同様に病気をしない。多くの言葉を覚えた人がフに狂いを生じる。
行者が地方の有力者の家々を廻るというのはこれが基本の一つとなっている。行者はそこで各種情報も提供できる。

行者が山を歩きそうつく(九州弁 ; 歩きまわる)には、それだけの理由がある。根元には「ことば不信」があった。
このことの意味がわからない人は、実際に、 4里 16キロをめやすとして、じぶんの足で峠を越えてみるがいい。
オレは 20歳まで、日曜日にあちこちの峠を歩きそうついた。言葉とは、また違った無言の情報を感知できた。
テレビもパソコンもない時代、山 → 里 歩きは、一種の浮いたような世界観を得、シャバを超えた気分だ。
これが「イノチ」と直結していると “錯覚” するのはムリもない。なにせ科学ゼロの古代人である。
田んぼを這いづりまわって汗を流す必要もない。奈良〜紀のあぶれ青年たちは例外なく憧れた。
だが、シャバはどこでもセチがらい。行者のムレには地方ごとに縄張りができた。
そのテリトリーを、行者隠語で「カスミ」といった。アイヌの iwor と同じ。

[5904] Re[5903][5902][5901][5900][5899][5896][5895][5893][5889]: 牛        生田淳一郎 2011/02/23(Wed) 11:45 [Reply]
神社仏閣にたむろする男たちの日常業務は、昔日の医師団だった・・・・・が、浮上しました。
いずれにせよ、剰余人口対策の一環として、です。

ごちゃごちゃ言葉を連ねるとロクなこたない……それに気がつくのは文明によってかなりの時間差があります。
エジプトでは BC 1500年期、ツタンカーメンの父上が、武力で言葉集団(神官)を抑える挙に出た。
法王の力が強かったので、ヨーロッパではフランス革命の後になってようやく軍政が優位に立った。
インドでは、いまだにウヤムヤの混沌がつづいていて、軍政優位が確立されていないようです。
シナでは秦の始皇帝がやった焚書坑儒(前213年)で、宗教のカラを脱ぎ捨てています。
日本では信長がやった比叡山焼き討ちで、軍政優位が固まったとみていいでしょう。

シナではその後、儒教が旺盛となって、宦官がごちゃごちゃと言葉や制度を連ねました。
日本神道は石や岩を拝む原始宗教を持続させたので、モノを喋る習慣がなかった。
そこで「神さまとはなんですか」と質問してもクスノキあたりを指さして、
「これで感じるもの、それが神だ」ぐらいにしか云えませんでした。
いっぽう、ごちゃごちゃ喋りの仏教徒がいて、喋ればしゃべるほど分らなくなる言葉を列ねました。
上の両者の隙間を縫うようにして出現したのが、山伏や山岳密教とよばれる行者さんたちのムレでした。
日本一多い姓は鈴木さんですが、その鈴木姓を全国にバラ撒いたのは、熊野に本部を置く「くまの衆」でした。
クマルというのは、部族連合の象徴として共立する少年少女神ですが、南方ではサツマイモをクマルいいますだ。
すなわち、クマルとは「いいもの」という族際語に還元できるかと思います。この kuma(l)(いいものの )no(神)が、熊野 と解釈できます。これが語源として当・不当は別にして、この「解釈できる」が、風をおこすに十分なんです。

くまの衆の日常のしごとは病気なおしです。
元々、あぶれ者ですので、所帯はもってないのが普通です。独身者が数名集まって、地方の素封家を廻って、病気を治す呪文などを唱えていたのだろうと推測します。
この「霊験あらたか」な 呪文となえは、ドラヴィダ系だとされています。
現代人は「そんな呪文となえぐらいでは病気は治らないだろう」と思うと思います。が、どっこい、それが治るんです。

[5903] Re[5902][5901][5900][5899][5896][5895][5893][5889]: 牛        生田淳一郎 2011/02/23(Wed) 09:42 [Reply]
佐々木さん、まいど監査役、あり難うございます。ついつい使いみハミダシをやらかしますのでアマカネ。
茂◯寅男さんが、ユダヤ人がでっちあげた百科事典を鵜呑みにして「日・ユ道祖論」を、そんじょそこらを歩き廻って、ぶちあげていたので、おたしゃ、1ヶ月半かけてヘブライ語辞書をモロに読んだんです。
すると、日本語と類似する語彙はほとんど無く、アゼンとなりました。
同時に、ユダヤ人が優秀なのは、多くの戦争や摩擦を経験したので、使っている語彙が豊富になりで、概念も高度に発達したからだ、との結論に達しました。悲しいことですが、文化をおしあげる起爆剤は戦争だったです。
司馬遼太郎さんは、「川魚を獲って生活している民には、好奇心が欠如し、世の中を面白くしてやろうなどとの発想など出ない」と書いちょられます。

岩手日報新聞の嘱託書き屋をやっていた大友幸男さん(検索可能)は、会うたびに「盛岡から東一帯は裸の民ばかりだった」と、洩らしておられました。裸おとこは千葉県だけではなく、東側一帯がそうだったみたい。
そんな男たちを兵隊に仕立てあげるべくかき集めても、モノの役にはたちません。
そこで、ゲゲゲの里から男どもを連れてきて、敵にぶちあてた。
その成れの果てが蝦夷の俘囚だった。その敵とは……!

新潟県中央部 ; 646〜648年にヌタリ・磐舟の柵ができた。
おたしゃ、後三年という名前の国鉄駅近くでナヒトハハニ(超美人)に遭遇した。
その近くにあった物部系の神社がうごいたので後三年の役(1083〜1087年)がはじまった。
岩見市だったか、太田市だったか、出雲大社の武器庫のカギを握っていたのも物部武士団だった。
一旦緩急あれば、神社仏閣は兵隊の集合地、宿泊地になっていたことは歴然。
へば(津軽弁)、この武士団、平常ではどんな暮らしをしていたのでせふか。

[5902] Re[5901][5900][5899][5896][5895][5893][5889]: 牛        佐々木 2011/02/22(Tue) 23:47 [Reply]
>低位の民は記憶している語彙数が足りないということではないか
 語彙数が不足する条件として、生活習慣が単調、人口密度が希薄なため会話頻度が寡少、いやいつもひとり、ビタミン○○失調症。
 高文化とは何か?

[5901] Re[5900][5899][5896][5895][5893][5889]: 牛        生田淳一郎 2011/02/22(Tue) 13:31 [Reply]
あっしゃ裏番組 , 神奈備掲示板で数回にわたって漢字で書いてある神名の発音はナニなのかを質問したことがあります。
そのつど、答は得られず「愚紋だ」との答のありました。
いろんな文化が錯綜・重層している近畿京阪地帯で、祭神や神社の発音もわからないままに、書いてある漢字をたよりに、攻めまくっている人は天才だとしか言いようがありません。
その点、おらはバカだから、文化の重層が稀薄な裏日本(むかしの表日本)へ視線を入れます。
バカだが、苦労しただけに “要領” だっきゃぁ、心得ているつもりでんす。

でもでも、後背霊というものは、どうも本当にいるみたいです。
これまで、へんな曲がりかどで、利き目のあるキーワードに恵まれているんです。
そんなこんなで、大略ですがコシのくに〜東北の「経営」は割れたんじゃないかと、思いおります。

● まず、「高文化の民と低位文化の民との接触での落差とはナニであったか」に気をまわす必要を感じます。
  ひとことでいえば、低位の民は記憶している語彙数が足りないということではないかと思われます。
  川崎真治さんから聴いたのですが、ルソン島北部には言葉をほとんど喋らぬ一族がいるそうです。

● 文化が重層錯綜した西南部では、掴みにくいのですが、関東甲信越の渓流には異質の地名がズラリです。
  これらは、日本列島の南北にストーンサークルを残した民として把握できましょう。
  が、その数は数十 〜 百はあったが、その殆どは絶滅したか、他に吸収された。

● 岩手県の最初の民はロンレの滝を拝む百越〜ベトナム語系だったと置いてみる。
  そこへ BC 1300年期に津軽王国が出現し、若狭、丹後半島までを支配した。
  その勢力を一時的にくい止めたのはゲゲゲの女房の里、伯耆勢力だった。

牛を高い山地に放牧しています。牛は塩分が足りなくなったら、土や岩を舐めて生き続けることができるらしい。

[5900] Re[5899][5896][5895][5893][5889]: 牛       生田淳一郎 2011/02/20(Sun) 10:41 [Reply]
神奈備ドンに二つのオネガヒがあります。
一つは 下 [ 5898 ] を削除していただきたい。
も一つは、津軽〜下北方面の神社に特有の傾向・性質が認められれば、それを教えてほしいのです。

[ 5897 ] では「新潟県下の神社は、総じて新しい」との感慨を得たのですが、このことは云えるでせふか。

氏族・民族の重層した跡をたどる作業には、まず地方の特徴を掴むことがだいじでしょう。それを成功させる方法には人相、ことばの特徴、地名、気候、産業などの総合的把握が必要ではないだろうかが、考えられます。
● 新潟県に圧倒的に多い諏訪神社というのは、モリヤ族の血(?)をひく諏訪湖でいいのでしょうか。
  すると、武田信玄が諏訪勢を滅亡させたは、エツのくににとっては境天地堂の大事件だった!
● 新潟県で次に多い八幡系神社とは、即、武人集団だと看ていいのだろうか?

★ 北緯 50度線の東西に延びるウル地名は、圧倒的な風圧で日本列島に押し寄せています。
  この地帯は牛馬・人間の食糧となる稲科のマコモ(カツボ、フシシバなど)が生えている地帯でもある。
★ 革命が興ってロマノフ政権は500トンの金塊を持ってザバイカルめざして、東に進んだ……は事実らしい。
  ということは、ケモノ道みたいにして「牛馬、塩のみち」があったことを示唆しているのではなかろうか。
★ おねらの津軽! ソグド語辞典に「Tukar の王」という語があります。意味が汲み取りにくいのですが、「王子が成長したとき、周辺へ創る王国の属国」と認識していいかと思えます。この方法は蒙古の習慣でもあった。
★ 3年ほどまえ、会津の渓流地名をみたときの印象は、関東甲信越のそれとは、すこし違っていました。

● ちまきを作る草がマコモ。出雲大社の巨大な注連縄、宇佐神宮のご神体の「まくら」はマコモで作られる。
● アイヌ語 an は「一つある」を謂います。ku an i 末尾の i がシナ語の矣のような強調がいえるのか、どうか
  いずれにせよ kuani は「わたし一人のこと」となります。

[5899] Re[5896][5895][5893][5889]: 牛       生田淳一郎 2011/02/19(Sat) 18:06 [Reply]
> 当時台湾で力的に優位にたっていたプユマ(卑南)語圏人が、アミ族が北に分布していること、アミ族らは自分たちをami、amiというので、ami=北となったとか。
よって、ami は私たちという意味だったのではないかと思います。
● そうでしょう、そうでしょう! なにか呑み込んでおられる様子がビンビン伝わってきていました。
  そしてあっしの方も、なにか別の語形みたいな ku ani ? を、どっかで聴きおぼえがあるような気がしていました。
  薄っぺらな辞書をみても、分らなかったので、そのままにしましたが、バチェラーの三対辞書をみたとところ、
  ku ani(我自身)がありました。テキは微妙なところに逃げこんでいたのですね。
  kuani の急言としての kani も どっかで聴いたような気がしています。

> あなた(男)は anta、
● 「あんた」もかなりあちこちで見受けるようですね。

スミマセン、REply の打ち込みはムズカしいです。目下、晩酌ちゅう。

[5897] Re[5895][5893][5889]: 牛             生田淳一郎 2011/02/19(Sat) 14:07 [Reply]
下 [ 5896 ] は 晩酌しながら書き込みをしたのですが、酒のみながらでヨカッタ!
それでも、ひと晩じゅうボキャブラリーが飛び交い、安眠できませんでした。
“ ★しるし ” で区切った項目は 50ほどありますが、うち 10ぐらいは、半年ぶんの表題にもなりそう。

あっしは佐渡ヶ島の職場販売で、どえろうお世話になった本間さんと、その後も文通しています。
著者の本間さんも、そのご親戚かナと思っていたのです。
[ 5894 ] の下 5行では批判めいたことを書き込みしたような結果になって内心ジクジクです。
というのも、誠実で着実な著者の取り組み姿勢が、行間に溢れているからです。

いろんな項目にメチャ惹かれますが、わけても ★ 新潟県には4868の神社があって……、の所は
新潟平野の勢力交替を秘めているかと思われて、メチャメチャ注ぎ目させられます。
その裏には、「新発田・長岡・小千谷地域」の起源と消長があるのではないか……と、睨んでいるのです。

● 4868社のうち、最も多いのが諏訪を冠した神社で、次は八幡を冠した神社、その次が「十二」を冠している。
  それでも 870の十二系神社があると。この 870の数には熊野神社と改称した 43社はふくまれていない……とも。

十二とはネ・ウシ・トラ・ウ・・・の方角を司る神のことだそうですが、著者は、こうなる前は、この十二系が神社のほとんどを占めていたのではないかと、推測しています。
ということは、「新潟の地は神社だらけだが、総じて新しい」と云えそうです。
神社は拝みの場所ですが、戦力の中心地でもあり、兵の宿舎でもあったとの見方が、ここでモノを云うのでは?

※ 千葉県柏市に十余二(とよふた)という地名があります。

[5896] Re[5895][5893][5889]: 牛           佐々木 2011/02/19(Sat) 14:02 [Reply]
 しょうもないことを書きました。深謝します。
 実は以下のようなことを気にしていたのです。
> 私たち(あなたを含まない) Kami カミ
 台湾アミ語ではami:北でした。
 当時台湾で力的に優位にたっていたプユマ(卑南)語圏人が、アミ族が北に分布していること、アミ族らは自分たちをami、amiというので、ami=北となったとか。
 よって、amiは私たちという意味だったのではないかと思います。
 それがレイテ島に残っていたのでしょう。
 ちなみにアラビア語イラク方言では、私はani、私たちはaHana、あなた(男)はanta、あなた(女)antiがありますね。

[5895] Re[5893][5889]: 牛           生田淳一郎 2011/02/19(Sat) 10:25 [Reply]
> 私たち(あなたを含まない) Kami カミ
● 語彙を構成する音素の分析など、ワ、ちから不足でまったく手がつけられません。まして形容詞後置形。が、アイヌ語の一人称の ku(吾)に惹かれます。てもとの台湾 18語が載っている語彙本をみると、18氏族語ちゅう 13氏族語に ku(吾)が入った語形を呈しています。
まもなく雷鳴のごとく鳴り響く松本克己先生は、世界規模の人称比較から始めておられますので、あと 3年待っていれば、k--ami などの分析ショーも拝見できるこったろうと思います。

> ほかに「岳」がありますが、これもtak:神?でしょうか。
● ワ見によれば、起源は山頂 → 神で、これも神だと思います。沖縄に残っているウタキもこれかと……。

琉球松っつぁんにお訴えします。

アイヌの人相がウチナンチュウに似ているとよく云われるのですが、その共通人相をレイテでも認めたんです(テレビで)。そこで ワは佐々木さんに「レイテ島にはなにかがある」と訴えたところ、レイテ島のワライ語を掲げて下さったんです。レイテ島にはアイヌとウチナンチュウにそっくりさんがいます。
ワライ語はフィリピン・タガログ語系です。それでも kubid を飲み込んでいました。
ワライ語族のすぐ隣に、そっくりさんがいるはずです。レイテ島に行く酔狂人はいないでしょうか。

でも、アイヌ民族を構成した主要一派が残した足跡は、大略たどれたみたいですね。

[5894] Re[5892][5891][5890][5889]:  牛                生田淳一郎 2011/02/18(Fri) 18:38 [Reply]
『牛の来た道』からの抜粋です。
※ とくに断らぬ語彙は、日本の方言か、または日本古語です。下で既出のものは出しません。

★ so に砂丘の意味があるか ★ 横綱ふうの太い綱をツボという ★ ツボ山は牛の放牧地 ★ bari , gut は尿 ★ go(牛)は呉音、ペキン語はニュー ★ 標準語音とはペキン官(僚)音 ★ bo = 男 / アイヌ ; オッかイボ(若衆)★ 牛尿(うぐつ)……薩摩の古名 ★ gai(繋ぐ) ★ マキ・・・川の中州、曲流 ★ ネガラ・・・根元を搦める、縛る ★ ウシワク・・・双胴船 ★ 部に「ラ」とルビ ★ ra・・・○◯の、★ 天王とはほとんど牛である ★ bhumi ・・・踏み ★ kaki・・・特殊漁法 ★ 甘……カイ ★ 垣……カイト、カイチ ★ ブシ・・・トリカブト ★ ペルシャで月信仰 ★ 加葉・・・葉をショウと発音させる ★ 長宗我部は秦氏の子孫 ★ 柵をキと発音する。馬柵はマセと発音する ★ 烏 = ウ ★ 地名での転(ころび)、落(おとし)は屠殺場 ★ つる……水流 ★ 草里(ゾーリ)は焼き畑のこと ★ ナギノ・・・焼き畑のこと ★ カフカ・・・合歓の木 ★ 朝鮮語 do は島 ★ 新潟県には4868の神社があって、いちばん多いのが諏訪、次が八幡、三番目には「十二」がつく。これが 870社 ★ 強執、十二本の柱 ★ 古事紀 日本書記が出たころには牛がいた ★ 潟をセキと読ませている ★ 長野の上田市は小県郡神川村だった ★ 粥とは「かき湯のことだった」か ★ 人身牛首 ★ 地下女将軍 ★ 牛三昧・・・牛の墓場 ★ コシとは鞣し皮のこと ★ 佐渡町城主は桜井氏 ★ 海老名 -- 本間 / 神戸 --- 生田 ★ 壬……ウル ★ 寸を「キ」と発音する ★ カツは「まこも」のこと ★ 胡とは北方民族を指すことば ★ ウル市では牛が神獣として崇められた


● 「首」とは「牧畑のこと」と解説しているが、やはりこれはワライ語にみる山(地)のことだろう。
● 著者は「アワマク(不倫する)」を知らなかったらしい。→ マキは同族となる。
● コタン、ホータンなどの把握も不十分。
● 著者は ur(水)も urφ(朝鮮語 ;龍)も知らなかったらしい。
これらの現象は、ピリピノ語、インドネシア語、ネパール語の辞書編纂が大幅に遅れたことによるだろう。

[5893] Re[5889]: 牛          佐々木 2011/02/18(Fri) 17:53 [Reply]
> くだんのワライ語は、ドンのご配慮で 消えずに存続していました。
例えば ワライ語の例文で
 私たち(あなたを含まない) Kami カミ
 Mauri na kami.(私たちは帰ります)
 あなた達 Kamo カモ
 Mga esutdyante kamo.(あなた達は学生さんね)
 私たち:かみ、上、神、加美・・・・・神武縁者?
 あなた達:かも、賀茂、蒲生、(下)・・・・神武帝従属者?
 上賀茂神社・・・・私達とあなた達の神社?
 下賀茂神社・・・・あなた達の神社?   とかね。
「山」のほかに「岳」がありますが、これもtak:神?でしょうか。

[5892] Re[5891][5890][5889]: 牛             生田淳一郎 2011/02/18(Fri) 15:15 [Reply]
琉球松っつぁん
とっぴょうしもない発想・発言はアイディア湧出の源泉です。
ここ青草掲示板の書き込みは、「こいつキチガイだ」と “断定” されたら失敗……。ですが、「こいつバカか」と思われたら、成功だとの評価が得られる・・・、ということにしましょうや。

さっそく、も一つお詫びしたほうがいいハミダシがあります。ヲナラは「烏・太陽」で、奈良の語源は太陽・・・・・も。

朝鮮語でも牛をウと言ってるそうです。これは牛と何らかの関係があると思われるのですが、普通の思考方法では「シ」の決めてがみつかりません。アイヌ語の u-- は「互いに」、「みんなで」の意味が強いのですが……。ネパール語の u-- は、「あっちとこっちで」とか「二つ揃って」で、この二つの u-- は似ているといえば似ているような……です。
では「シとはナニぞや」となると、ここは「ツノ」しかないでしょう。へんな推論かナ?
そのツノはベトナム語で sang,、ネパール語が sing 。sung でもツノというのがありましたが、どこの言葉だったか……。
ネパール語 sing は「篠竹」に現れているかと思います。
このへんで「二つ揃いのツノ= ウシ」が出ているかと思うんですがねえ。

アイヌ語 mina mina(抱腹絶倒)の意味、由来がわかりました。あり難うございました。

[5891] Re[5890][5889]: 牛          琉球松 2011/02/18(Fri) 12:58 [Reply]
 これは参考になるかわかりませんが。。。

 琉球方言圏では、スイジ貝を「モーモー」と呼んでいます。これが牛をも意味していることは、一部の離島で「ベーベー(山羊)」と言っていることでわかります。つまりは「角2つ・足4つ」というわけです。

 スイジ貝やクモ貝などの巻貝は、そのホトを露わにすることで鬼を威嚇することができますから、我が家でも玄関外に吊り下げて鬼に侵入を阻止しています。

 そういう意味では「倭トトヒ "モモ" 襲姫」も、牛と関連?する徐福伝説と関わるかもしれません。。。あ、また変な事を書いてしまった(笑)。

[5890] Re[5889]: 牛          琉球松 2011/02/18(Fri) 12:39 [Reply]
 生田淳一郎さん、謝ることなんかないですよ。僕にしても変な事ばかり書いてます(笑)。


 ところで。。。地名に多様される「牛」って、意味的には「忍・後・押・鷲・伏」などとも考えられますね。こういう語源探しは、一応東アジアの範囲で考えることにしてますから、生田淳一郎さんとはとかく行き違いになります。
 しかし、日本語は東アジア以外にも語源を持っていることは確実なわけですから、いつかは対面するはずですね。

[5889] 牛          生田淳一郎 2011/02/18(Fri) 11:36 [Reply]
佐々木さん、お目ンくり玉のご機嫌はいかがですか。
くだんのワライ語は、ドンのご配慮で 消えずに存続していました。 http://kamnavi.jp/log/ikuta.htm がそれです。
この一覧表の中で、kubid(山)があり、これに佐々木さんが 「頚城、牛首、鳥首、犬首、老首、鹿首」のコメントをつけておられたには、まったく頭がさがりっぱなしです。

へんなこと書いたみたいですが、オレ、このごろ未来社刊 ; 本間雅彦著『牛のき道』を読んだんです。
すると、日本列島には「牛首」だらけと云ってよいほどの地名が散在していることを知り、くだんの「大風・キュピロス」説は撤回せざるをえなくなりました。琉球松っつぁん、ごめんなさい。
kubid → 「くびと」の語形も出ていますが、著者の本間さんもこれには気がつかなかったみたいです。

● いま、どこの農家も耕耘機は持っていますが、これと同じことで、牛を使えるかどうかは、生業が成り立つかどうかがかかっていたはず。
● また、牛をビヤとも云っていました。これが神社がありもしない所に、「宮内」などの地名として残っている。
● シュメールのウル市からユーラシア大陸にひろがったウル地名( = 牛地名)は、満州北部〜バイカル湖あたりの北緯 50度にびっしりついていて、日本への影響も十分に考えられます。牛はあながち南方系とは限らないのでは?

▲ この本から得られた情報を、このあと一覧表式にアップします。
▲ 牛もかなりの塩を消費するようです。カスピ海あたりからの塩のルートがあったのでせふ。

このような歴史・民俗、風俗あたりを書いた本からは、いろいろ古い語彙が拾えますね。へたに古語辞書を読むよか効率かいいみたいです。
カラスに「ヲ」というふりがなをつけたのがありました。そして「葛城の烏那羅(人名)」ですって。この当時、 back mind は別の発音をやっていたんですね。……奈良は「人」らしい。しかもネパール語系。

[5888] Re[[5885][5884][5883][5882][5881][5879][587]: アハハ天国   生田淳一郎   生田淳一郎 2011/02/16(Wed) 09:44 [Reply]
イヤァ〜、皆しゃんがたのみ胸ぇお借りして十余年、ここまで書きたい放題をやらかさせてもらったのでお陰さまで、あっしの胸ン中にも、弾け飛んだものがありやしたぜ。ドン、あが!
まだじょうずには云えませんが、それは、別途追求ちゅうの紋流価値観リロンに収斂されやす。

それは、ことばというものが、単語だけではなく、「文章としても」各種の方面に繋がりを持っていること。そして人間の場合、ことばを異常に多く取りこんだので、あっちの概念の塊、こっちの概念の塊を関連づけて楽しんだり、苦しんだりするクセが出た。早いハナシ、アイディアとか遊びというものの正体はこれでござんしょう。
また、将来とはナニが起こるか判らないのが基本なれど、ヒトは言葉に凭って未来予測もできるようになりました。

あっちの概念、こっちの概念を関連づけるうちに、しだいに認識にカタマリが生じてきた。それをそうさせた起動力とはナニなのかが、まだ判然としていません。しかし、あっしはそれを「意識叢」と命名しました。
肉がとり行う補食・排泄を、より合理化しようと、情念、集団形成、物理化学、経済が機能してきました。
ヒトは言葉で、あらぬことを心配しはじめたので「死に場所、死ぬ方法」を探すのが宗教の専門分野となりました。

話しポ〜ンと飛びます。もの忘れをするので、経験は部分的にしか記憶されていないように受けとられ易いのですが、一切の経験は記憶として「個」に取りこまれています。忘れた・・・・というのは表面意識に現れてこないだけです。
こういうふうに云うと、皆しゃんはフシギに思われるかもしれませんが、それは催眠で年齢溯行をやってみればいい。並みの経験なら、みごとに復原できます。

概念の関連(ネット)を『神奈備』で洗ってみましょう。
発音だけでみれば、カムナビとは 「kanna(カミナリ)bi(ふうの)」に分析できますが、「カミナリふう」では意味をなしません。「ka(上)n(の)bi(ふう)」でも、「お偉いさんふう」となって、バシッときません。
そこで、これを 「kan(神)nabi(朝鮮語の蝶々)」と置けば、「われわれのタマシイを乗っけてあの世に運んでくれる蝶々」という意味が バシッ! です。「 bi = ふう」は「みやび」から抽出しました。

「文章としても」の部分が割れてはじけ飛んだんです。一歩前進ばい。低劣な表現しかできずにスンマッシェン。

[5887] Re[5886][5885][5884][5883][5882][5881][5879][5878][5877]: アハハ天国          生田淳一郎 2011/02/15(Tue) 14:19 [Reply]
木にのぼったついでに、ワ(ぶた)、もうちょっと アハハつづけまっか。

ぜったいに食ってはならないモノの領域は D.N.A様にインプットされてるらしいです。
まあ、これ http://www.youtube.com/watch?v=ZGJ1HUo2hEo&NR=1 ごろうじあそばせ。
なぜ笑うかは、落語の桂歌丸さんや、太田総理あたりも大きな関心を持って見つめています。
早いハナシ、笑いキノコを動物たちに食べさせてみるのが、いちばんいい方法ではないでせふか。

アハハついでに「なぜ人は歌うのか」を考えてみました。
丸山圭三郎さんといえば、ソシュールの言語リロンを日本に紹介した哲学者として有名な人ですが
その著『ひとはなぜ歌うのか』には、能楽の 故観世寿夫氏の言を引いて、その中核思想としています。
曰く、(歌は)「観念の伝達手段ではなく、遥かに微妙な深淵の美を表出する祈りに近い言葉」だそうです。
あっしにいわせれば、やはりここでもキリスト教の影響が日本インテリ層にも浸透していると、こうなります。

写真掲示板にアップする技術がないのがザ〜ンネンながら、チンパンジーは日本人よりも上手にハモることができます。
http://www.youtube.com/watch?v=GsEkXTly2MA&feature=related の初め 20秒ぐらいをお聴きあそばせ。
このムードを音で聴いた牛は、親や恋人(牛)と別れねばならなかった記憶で「感情移入」できると思います。
なぜなら、モーツアルトのジュピーターを聴いた乳牛は、ドバーッとオッパイの出がよくなるのであります。

ことばというものを「音素の組み合わせである」としか理解してなかったのも問題です。
ことばは、身振り語から始まり、内面の歓楽・苦渋を咆哮語で表塀します。次はオノマトペアです。
無数の高等動物が世代を重ねるたびに、その記憶がD.N.A様に蓄積され、いま、末端ランナーが走っています。

とまれ、1996年 9月 23日に、パウロ二世さんは、カソリックの名において進化論を受け容れる宣言をしました。
遅きに失したキライ無きにしも非ずですが「人間と動物はちがう」などという世迷いごとは言わなくなることでせふ。

[5886] Re[5885][5884][5883][5882][5881][5879][5878][5877]: アハハ天国          佐々木 2011/02/14(Mon) 21:28 [Reply]
 すばらしい着眼点だとおもいまするう。
○笑気ガスがありますが。「くすっ」という感じなのかな。
 燃焼によって発生するので、森林火災や製塩の際などに生成されるかもしれません。もしかするとワライワライ語圏などでも発生していてもおかしくはない。
○縄がわらうともいいますね。縄がうまくなえず、どうしようもなくてふと笑ってしまうのもありましょうか。
○ワライワライ語という言語があったかどうか不確かです。

[5885] Re[5884][5883][5882][5881][5879][5878][5877]: アハハ天国          生田淳一郎 2011/02/14(Mon) 13:26 [Reply]
ところで、ひとはなぜ笑ふのでせふか。
「対象がじぶんよりも劣っているときに笑う」と云った西洋の哲学者がいましたが、この一語をみても
われわれが明治維新このかた受け容れた西洋文明が、いかに低いレベルのものかが伺い知れます。
それは人間と動物はちがうとするキリスト教の教えが禍いしていると、あっしゃ踏んでいます。

まずは http://www.youtube.com/watch?v=MazVX_t1ZnM をごろうじあそばせ。
これを見た 8歳と 6歳の孫は何回みてもゲラゲラ笑って飽くことを知りません。
犬、猿、イルカは笑います。ヒトの笑いは、そこを基盤にしている。

食っていいかどうかを、くんくんくんくんと臭いを嗅ぐ、食ってわ〜るいときには クシュ! と吐き出す。
それが積り積もって、横隔膜や鼻、のどにヒキツケや痙攣を起こすのが笑いの始まりだと思います。
絵を描く象さんもあれだけの集積を持っているのですから、笑わないはずはない。
象さんはお鼻が長いので、異臭にショックを受けにくいのかもしれません。

「異臭」から「これまでとは違う事柄一般」へと、対象が移ったのかもしれません。
「違う事柄」として認識した対象が、あたりまえのことになったら、笑いは止まります。

これまでとは違う事態にたち至っても、それが解決できる見込みがあるかどうかで、笑うか、笑わないの分岐がでる。
● 解決に要する数十年の将来が約束されている子供〜青少年は、笑って済ませることができる。
● あちこちの諸般が当たりまえになってしまった老人の頬からは笑いが消える。

笑い・怒りを両極とする情念の意識は、宗教、集団形成、経済に合うと屈折した表現になる。
肉そのもの、物理化学では笑いも怒りも現出しない。

次の表題は「カム・ヤマト・イハレ・ヒコ」に移りたいですが、どうでっしゃろ?
● 「あっし」はリトアニア語と同じです。横浜の建林賢司さんから教えてもらひまひた。
● 野郎とは 「yar(仲間)の o(男)」のつもりでんす。

[5884] Re[5883][5882][5881][5879][5878][5877]: アハハ天国          生田淳一郎 2011/02/14(Mon) 09:49 [Reply]
ハハ〜ン phal phal- でしたか、あり難うございます。まさに長老 pir さんですばい。
ネパール語に phur phur(鳥が飛びたつ様子)がありますが、この語は多くの関連を世界中に持ちます。
ネパールとオセアニア全域でしゃべられている pur は卵。
ヒンディー語、ペルシャ語、ベンガリーズ語に共通の par(feather 、羽根)は huru としてオセアニア全域で、
サンスクリット語、ペルシャ語、ネパール語に共通の bal , bak(wing 、羽根)は トンガ、サモア、マオリに、
共通の語彙として現れています。

あっしはネパール語だネパール語だといって騒ぐのですが、phal- は捨てる、phaltu には「不要のもの」の意味
があります。phaltu の「ツ」は、九州弁での「オレがたんツ」とか「要らんツ」などのツにそっくりさん。
「掃く」という動詞が先にできたんかもしれませんね。その場合、--k が動詞末尾辞として把握できそう。
phal-k が掃くの原始音で、これに i(物)がついて、 l 音が脱落。phak--i となったらしい。
これらは、安本美典著『日本語の誕生』巻末基礎 200語対比一覧表をたんねんに読むと出ています。

「もち」は太鼓持ちの mot--i で、饗応する人。 / 美人局(ツツモタセ)。tutu はウイルタ語で……ヒキツケ。

亀は宇宙を底支えする。普通、「クラ」としてインドネシア語に顕著。 / 貴人の座・クラ / 峠の神のクラ。
音だけのことで云えば、 kam(*神、カミナリ)に --ai , -- e の強調接尾辞がついた語形。
ネパール語 camkinu(イナビカリ)。

九木崎の神主さんによろしくお伝えくらヒャイ。

[5883] Re[5882][5881][5879][5878][5877]: アハハ天国          佐々木 2011/02/13(Sun) 22:31 [Reply]
ほうき:古事記に箒持「ははき・もち」があります。「ははき」とは、当時は鳥の羽を利用していたからだとか。
かつて尾鷲の九木神社(三重県尾鷲市九木崎)の神主さんが、神さんは亀さんですわと仰せでした。

[5882] Re[5881][5879][5878][5877]: アハハ天国          生田淳一郎 2011/02/12(Sat) 21:35 [Reply]
褒められたげな気になっち ワ、木にのぼっちょりますと。ブーブー。

● ほうき(箒)と 伯耆は同じ音ですが、ほうき(箒)の語源とかが割れないことにはうごきがつかないですね。
  まず、「ほうき草」というのがあって、そこから「箒」が出たのなら、解釈はカンタンですね。
  でも「タカ(竹)ぼうき」……。竹をタカと言ってた時代。こりゃかなり古いですねェ〜。
  植物という意味でのホウキのキには、アイヌ語に共通がみとめられるようです。
● あっしゃ吉野裕子しゃんなシランとです。よかオバさんやろなぁ。
  そん吉野の yosi または no に神さまがくっついていてござろうげな気がしちょります。神社 = ヨシ は タシカ。

● 古代音ファファがハハになったのは、いつごろでしょうか ?
  「遥か」という日本語があるかぎりに於いて、こりゃ英語の far でっしゃろばい。ネパール語 para(遠い、よその)

神をいう音は……kami , mi , ki(gi), ha , -- o , go , *is , iwa , と、だいぶ溜まりました。おっと tak もありました。

[5881] Re[5879][5878][5877]: アハハ天国           佐々木 2011/02/12(Sat) 10:41 [Reply]
生田さん いつもながらの情熱烈風的書込みにほれぼれでごだいまふ。
>「ハハキ(伯耆)のくに」も割れたんじゃないでしょうか。
 帚木(ははきぎ)というのがありますが、近づいても逢ってくれない人、逢えそうで逢えない人の喩えとして有名ですが、「はは」には近づいても逢ってくれない、逢えそうであえないという意味(たとえば黄泉の国の人、神または蜃気楼)があるのではなかろうか。
 先の青草幕府の副将軍生田公なるぞう、ハハー?に近いかな。なお吉野裕子氏は「ハハ」は蛇としていますね。
デハ
伯耆:たとえば「みえそうでみえない国」と仮定すると、西方の出雲は「雲の上の場所」だとか。

[5880] Re[5879][5878][5877]: アハハ天国           生田淳一郎 2011/02/12(Sat) 09:39 [Reply]
この日本列島には、大陸・朝鮮半島で醸成された多くの氏族神が流れ込んできているはずです。
神を意味する発音には、どれくらいの種類があるかを羅列するのは、とても大事だと思います。
さきに、 kami ,mi , ki ( gi) を並べてみましたが、 ha を追加するのを忘れていました。
これに加えて、主として末尾辞として用いられている -- o (神、男)もありました。

グニュー( g / n )の変化法則でみれば、アイヌ語の tokkoni(へび)の語彙構成は、
*tok(山)ko(の) ni(神)であることが、ほぼ確実に云えるようにになりました。

裏番組・神奈備掲示板で、加賀さんは ハ 音に類似する「ホ」も挙げられています。
たしかに、神庫をホクラと読ませるところをみると「ホ = 神 」も云えそうです。
しかしこの ホ は物に囲まれた空虚な空間を謂っているようで、一般の神から、
少し離れた概念かとみうけられます。
その視角でいうと chi(霊)あたりも一般の神とはちがう神格のようです。

国家形成がすすんでくると、神概念も一つの発音に絞られてきます。
多くの氏族が融和するとき、あっしが「強執」と呼んでいる「神の代理」が出現します。
カミナリ、龍、強風、鎚、黒色、柱、巨人、こびと、七支樹、片目、盲目、石、岩、などなど。

先日、桃のタネの放映がありましたが、その直前に「アキハ神社」が放映されたのを記憶している人も多いでせふ。
火の神だそうです。これで日本には愛宕とともに二つの火の神があることがわかりました。
aki はバビロニア語で火です。ネパール語 ; agni 、ロシア語 ; agon。
するとアキバの ba はバール神へ繋がりますね。さきに述べた ha(神)と同列語でしょう。
おっと、愛宕、ゴトビキの go もあった。 / 牛(go).

[5879] Re[5878][5877]: アハハ天国           生田淳一郎 2011/02/11(Fri) 09:30 [Reply]
「ハハキ(伯耆)のくに」も割れたんじゃないでしょうか。

見逃してならない鋭い語があります。
ヴィシュヌ神の名一つと解説もついていますが、インドではみそぎのときに Har har と唱えるのです。
この har に強調接尾辞の --ai がつくと「祓い」となります。ハレの日の語源でしょう。
「あっぱれ」というのも「 ar(コレまで気づかなかった、別の) har --ai」で、「あはれ」の語源とも目せられます。
Har har は原義原音がハハだったと見込めます。ピリピノ語に hari(王)があるのは注ぎ目させられます。

音転のあとを辿ると、 ア という音がお経読みの関係か、長音化し アー となり、この アー が ar の r を呼び込み、
この r は歴史のうちに消えたり、促音(ッつ、とつまる)になったり n になったりする……と、わしは思います。

「くにかかす」には、「苗代かき」のカキと同根の kak が入っているかと思いますが、沖縄、ピリピノ語に農耕具を意味する語がありますので、それを具体的に挙げて、後日、お報せしますので、ちょっと待っててね。

“ 神 ” の系統をたどることも、氏族民族のながれや分布を把握するに、とても重要です。が、こんかい初めて「カミ」以外の語が一つ出たみたいです。おっと、mi もありましたか。

それにしても神概念は、すべてのコトを吸収してしまう恐ろしい概念です。日頃、虫を殺すなと言っている坊主が、いざ戦争となったら、まっさきに銃や刀をとって異民族を殺しまくる。
二つの宗教が隣接するところでは、必ず殺し合いが展開される。
そいつらの背骨に挿入されている氷の塊のヤイバを溶かしてやりたい。……それがオトコぞ。

[5878] Re[5877]: アハハ天国        生田淳一郎 2011/02/10(Thu) 08:49 [Reply]
文献に出ている「ハ」を帰納法的にみると、神とか「くに」の意味があるようです。
そうしますと「ハギ」は「くに神」とするのが本筋かもしれない。ここをちょっと睨んでおきましょう。

ha には水や風などが流れて行くという意味が日本語・アイヌ語にみとめられます(例 ; バクチ岩)。
その源をたどると hawa , haba (呼気、空気、風)の語形に行きつきます。
この hawa , haba の国籍は問わないでおきます。
「国籍を問わない」というところがミソなんです(mitho とは味がよい、おいしいという意味)。

ここにアラハバキが出ます。アラは銅か又は「燃やす」でしょう。「燃やす」とはアラッキ(焼酎)のアラ。
アラハバキ神を語る多くの書き込みは、なぜか遮光器土偶に関連づけていますが、ここには必然はないようです。
しかし、ここに『 ki , gi = 神』が出るじゃあ〜りませんか!

イザナギの “gi ” は神だと断定してもいいと思います。
gi が男でなければならない……などと、誤った先入観を持ったのがイケなかったんです。
マタギも割れました。「マタ=狩り」というアイヌ語ができたのは、秋田県でのできごとだったことでしょう。
原義原音は mat(女)で、女神がマタギ。アイヌ語で mata は(狩りの季節で)冬にもなっています。

木や気という漢字にまぎれて、多くの神が埋もれているようです。
エンキ式といいますが、ここはシュメールのエンリル神(土地神)の「エン」を調査する必要がありそうです。
エンキの ki が神だと判った。すると「エン」が「土地」ということになりゃしませんか?

滝の語源も、ピリピノ語系 tal(滝)に、ki(神)がついた語形だと、これは断定です。
神奈備のウブスナ・・・イタキソ様もお出ましになりました。

[5877] アハハ天国      生田淳一郎 2011/02/09(Wed) 09:08 [Reply]
裏番組・神奈備の話題です。

そういえば、山口県でしたか、氏子衆が大声で笑いあう神事がありました。
琉球松っつあん、沖縄方面でへんな笑い声はないでしょうか? 
薩摩には「ウヒッ・ウヒッ・ウヒッ・ウヒッ・ウヒッ!」と笑う奇妙な笑い声がありましたね。
仙台〜気仙沼では「く〜、く・く・くっ!」が目立ちます。ウイルタ(オロッコ)もこの系統でした。

日本古語では貝は mina ですが、アイヌ語で mina は「笑う」。
mina mina と、二つ重ねれば、土佐っぽがタマルカ・タマルカを連発する「抱腹絶倒」です。
ヒキツケ野郎に気を使う必要もなく、「泣く・笑う」の声を辿っても氏族・民族の分布が地図化できそう。

「ハハ」の考察に移りましょうか。
まずは http://www.youtube.com/watch?v=HRRwKTAEjX8 で人間ばなれしたお嬢ちゃんを見てください。
モノノベの若い衆が「あんなのがナヒトハハニというんだろうなぁ」と囁き合ったことが記録にあります。
あっしは、まだ完全な語彙分析はできていませんが、これを「ヒト離れしたおネェチャン」と解きました。

ピリピノ語にその典型をみる nene(姐さん)は、nonne や nurse など西洋圏まで広がっています。
この nene 系とは別に併行したみたいに、東洋には *xaxa が分布しています。
「女」は蛇、大地、舟、母に概念移行します。発音を少し変えることで類似概念を表明しますので
Xaxa は母やベビ、土地の護り神にもなるわけ。
アイヌ語には kakapo(姉)があり、ネパール語では *kak(叔父)にもなっています。
九州では女のつれあいを「かくさん」と呼びます。

60年ほどまえ、ダブル・ハットというのが流行りました。うしろから見てハッ、顔を見て、またハッ。
あっしがナヒトハハニを見たのは、秋田県の後三年という駅のちかく。
秋田美人というのは、急に見たら、嫁入り行列から抜け出てきた白キツネに合ったような衝撃が走ります。
後三年は、小野小町生誕の地といわれている土地に近い場所です。

[5876] Re[5875][5874][5873][5872][5871][5870][5869]: イザナミ     生田淳一郎 2011/02/07(Mon) 15:23 [Reply]
こう思ったんです。
貴人からの賜りものは家宝にまでなりました。天皇様などの身分の高い人が用いる手洗いの道具は「おなで」といったそうです。これが鋳物に関連するかどうかは分りません。語源的には「為す・手」??
いっぽう武将はいつも、その器量を問われていました。
器量・・・ウツワ・・・ですね。このウツワのワは輪でしょうか? 
へたなゴロあわせでは、「どちらも○◯があります」といいますが、ウツワもオナデも、どちらも「容器」があります。

殿様が「敵を討つぞ」と言いだしたら、サムライたちは命を投げ出して戦わねばなりません。そんなことが無いように、先に胸を撫でおろしていたんじゃないでしょうか。

闘争専門の武士団は織田信長からでしたか。でも、江戸期のサムライはずいぶんと堕落していました。コトなかれ主義に陥っていたのではないかとおもわれます。
明治維新を推進させたのは、下級武士でした。

800人というのは「僮客 八百人」と符丁があいますね。出雲にでてくるカミは「シゴト人」ではないでしょうか。
ネパール語 ; kami (鍛冶屋などの、低い階層の一つ)、kamikaj(しごと、事務、商売など) / カミシモ、◯○の守
大きな袋とは牛(ウ=大、シ =風)の皮ではなかったかと思い始めました。また大黒様シリーズを始めようかなぁ〜。


今朝、 相撲での「八百長」の語源をテレビがしゃべっていました。

[5875] Re[5874][5873][5872][5871][5870][5869]: イザナミ     琉球松 2011/02/07(Mon) 10:50 [Reply]
 "サムライは「打つ」を忌み、「なでる」と言った" 。。。これはもう言霊信仰ってことでしょうかね。
 強い言葉を避けるのはタタリの問題でしょうから、銅鐸の名も積極的に伝承されていのでしょう。

 しかしどうでしょうか?「大国主命」など出雲系の神々が、それこそ"八百"もあるのは、村々国々によって名前が違っていたとも考えられるわけで、「倭国の乱」と繋いで考えるのも悪くないと思います。
 敵方の神の名が同じとは思えないですし、同じような機能や形状でも名前が違いますよね。

 例えば、日本では「零戦・紫電・疾風」などと呼ばれた戦闘機は、アメリカでは「ムスタング・ヘルキャット」で、イギリスは「スピットファイヤ」、ソ連では「ミコヤン」などでしょうか。

[5874] Re[5873][5872][5871][5870][5869]: イザナミ     生田淳一郎 2011/02/06(Sun) 09:43 [Reply]
 《 ぬりで と 同時通訳機 》
まじめに「ぬりで(銅鐸)」のことを考えていました。が、やっぱ、わしゃぬるい。
途中で同時通訳機械のことに考えが移って行ったとき、諸行無常を感じました。
Googってみたところ、今 143ヶ国語で同時通訳機が活躍しているそうな。
ただ “語源” に思考角度をしぼってないので、現代の通訳機は使えない。
しかし、そういった夢の日々は、もう目前に迫ってると思います。
語源開発をやっても、これが誰れの経済にもひっかからない。
そうなると、人間の持つ好奇心に期待するよかテはない。

しかし、「シナガ神社」だったか、かなり感情的対立にまで進んでいるとかを聴いたことがあります。
「ぬりで」と字をおいて、「語源」のキーを叩けば、サッと言語学の集積が解説記事として出る……。
そういう時代は、あと10年もたったら、確実にやってきているのではないでせふうか。

落語では、「チハヤブル」の語源をたのしんだ隠居がいたが・・・、そういう愉しみはもうなくなる。

されど、「ぬりで」をちょっと考えたお陰で、忌み言葉の一つが判りました。
むかしのサムライは「打つ」を忌み、「なでる」と言った。ナァ〜ンデカ

[5873] Re[5872][5871][5870][5869]: イザナミ     生田淳一郎 2011/02/04(Fri) 11:47 [Reply]
  《 追補やら 訂正やら 》
● 福岡県飯塚市に伊岐須というあざがあります。そして、茨城県鹿嶋大社と香取神社の近くに息栖神社があります。この
二つの類似は偶然ではないはず。まだ確定にまでは至りませんが、ピリピノ語には man igo(幸せな、繁栄)があり、注
ぎ目させられます。「繁栄祈願の is(神社)」かな? 

● hag-i の --i は女性をあらわす 末尾辞でもあります。これは ネパール語にも出ますが, インドネシア語 Batara(男
神)に対して、女神は Batari です。
ネパール語 の幸運は bhage になっています。末尾の --e は強調接尾辞だと思われます。古くはカリウチといっていたバク
チが *bhag(幸運)の語によって、「 bhag 打ち」へと変わって行ったものと思えます。baji は「賭け」。
ネパール語の強調接頭辞には n-- もあります。アマミハギ に n-- が接頭された語形がナマハゲかと。
そういう --i(女性)の限定を、わきゃわからん外つ国びとが「タリ(男)」として借りできたのでしょう。
Batra , Batari の Ba は「父」かと思います。ネパール語、アラビア語で ba(父)です。朝鮮語 abi はオトッチャン。

● アキツ末尾の「ツ」にタジク語を持ってきましたが、ピリピノ語に tutubi(とんぼ)があり、少し反省してま。

● 高知の店は如何ばかりの伝統があるのでせふか。高知---いさなときたら、潮ふく鯨を連想します。
  しかし、クジラはアラビア語 qutr(国、地域・・・・ t の下に “●”あり)では? 
  / 久志呂 ……陸地のように大きな isa(神)na 
  イサ・ナミであれば、ナミには眷属、一族の意味がある。この店のご先祖は神官だったのでは? 

[5872] Re[5871][5870][5869]: イザナミ     生田淳一郎 2011/02/04(Fri) 10:28 [Reply]
佐々木さん あり難うございます。

ヌリテが本筋でしたか。「*nur(*太陽)+ 鋳て」かな?
文字で書くと「射手さん」というのは少なく、井出さんが多い。
ちょとの間、フトコロに入れて、ごろんごろんさせてみます。

始発音、始発概念として「*is(神)」をおいてみました。
この *is がエジプトのイシスに繋がるのではないかと期待してます。
is の一般的開音は isa でしょうが、強調形では ise(伊勢)になりそうです。
この末尾辞の --e は、ネパール語 --ai に連なりますが、いまんとこ台湾アミ語です。
isa は神から離れて「神社」へも意転したと見受けられます。というのはイサズミ神社。
sum がインドネシア語なら「水の神」、ピリピノ語でしたら「火の神」になりそうです。
is は神関係ですので、末尾に --o がつき、 iso となり易い → イソラ。 --ra も強調接尾辞。
is --i(石)は岩とともに神であった / ネパール語 iswar 、iswor(神) / iswor-a (開音)。

isa はピリピノ語で「1」。 isa の sa に「始め、一番」がなかったかは佐々木さんのニラミです。
√ ひとはイサ こころも知らず ふるさとの ♫♡ イサに not → 禁忌・タブーが内在してる。
九州では「あんた、イサーギュ頑張るなァ」などといいます。「イサギよく」からかナ?
その場合、イサギの gi は気なんでしょうか? isa 気 --iyo(弥々)とも考えられそう。

とまれ、*isa にスワヒリ語の ana 、ピリピノ語の anak(子供)がついたら isana 。
ピリピノ語 anak の ak 部分と朝鮮語 agi , ægi(子供)が同根。
とにもかくにも、曲がりまがったが、イサナギが出たみたい。
イサナがイザナに変化するのが第二子音濁化のクセと、ネパール語 ijyan(いのち)が影響した。

[5871] Re[5870][5869]: イザナミ     佐々木 2011/02/03(Thu) 19:56 [Reply]
★ぬりて(鐸?)で検討してくださいませ。
 
>出産後は鬼の様相です。
 子を産むと女性はもっと強くなるのでしょうけど、出産直後で生命に危険が及ぶほどの極度のカルシウム欠乏症にて「鬼の形相」なのかも?

[5870] Re[5869]: イザナミ     生田淳一郎 2011/02/03(Thu) 10:37 [Reply]
佐々木さん アキサミオ ワッシャココ(パラオ) ウルマタンタン

> 高知の城下に、いさなみ(勇魚海)という店あり。海(の神)と来れば、山(の神)とか? 
● 海がアマ で、女性。山の神がマタギの gi ?  マタギとは mat(女性)にかしづく男衆か!
  奄美島に「奄美とは女性の神だ」という限定を示す説話などないでしょうか。
  そういえば、「アマミ・ハ “ギ” 」……このハギは bhag-i(幸運)の神。
  ふつう幸運の女神といいますね。でも、これは西洋人の考え方か。

> 柳田先生も金田一先生も、なぜかしばしばわが芳屋に
● これで佐々木さんのフシギの一端が割れました。
  これ、素地とか下地というもんでせふ。

 《 ぬて(銅鐸)》
古語辞書にも載っていないのですが、銅鐸を「ぬて」といっていたこともタシカです。琉球まっつぁんが気にしておられた銅鐸の色が、この「ぬて」の語に含まれていそうなので、いじくりまわして見ようと思いたちました。
「ぬて」だけでは、まったくひっかかりを得られません。で、この語は nuk--- か nur ---の k 音、 r 音脱落だと踏んでみます。
nuk--でなにか出ましょうか。まず、城を陥落させる「ぬく」が出ます。わたぬき(綿貫)さん、……ぬきてを切って泳ぐ、ヌタリ、ヌシロ、ヌマから「舟で到着する」が出ます。・・・・鋳型から抜く ? / アイヌ語 ヌキッぺツ(濁流)。
「鋳型からぬく」がすこしひっかかりますが、鋳型から取り出すのは銅鐸だけとはかぎりません。
そこで nur のほうに目を移すと、すぐに nur(火炎)が出ます。・・・・・アレッ? nur(火炎)は何語だったか? 個人名 ヌルハチのヌルです。ハチは *patti(かしら、頭目)。このヌルは安里屋ユンタの「マタハリ・ヌ・ティダラ」のヌで、この概念は
太陽にまで遡ることができると確信します。
植物のヌルデはヌデに短縮されていますので、ヌルテはヌテになる可能性は大のはず。
「テ」はわかりません。朝鮮人は紐や布、棒を振り回して騒ぐのが好きですが、そのイベントの一つに鳥の模型をつけた棒を振りまわす「ソテ」があります。神奈備ドンがそれを見物に行っています。このソテの「テ」などにも似ているかと思えます。
ベトナム語には te(性質)があります。
鋳型から取りだしてロクショウ(緑青)がふくまでの間は、ヌテはびらんびらんに光り輝いていた……、そういうことから銅鐸
をヌテと呼んだのではないでしょうか。

[5869] イザナミ  琉球松 2011/02/03(Thu) 10:20 [Reply]
 佐々木さんへ

 「いさなみ(勇魚海)」は当て字なんでしょうけど、「魚・海」は気になりますね。

 独身の頃?のイザナミは縄文の母って感じですけど、出産後は鬼の様相です。「倭国の乱」の喩えを背負っていると考えるのはどうでしょう?

[5868] Re[5867][5866][5865][5864][5863][5862][5861][5860][5859][5858]ply 桃の種              佐々木 2011/02/02(Wed) 20:14 [Reply]
>「イザナ・ギ/イザナ・ミ」では
 高知の城下に、いさなみ(勇魚海)という店あり。海(の神)と来れば、山(の神)とか?
 7500年前、海底火山の噴火で海の中から喜界ヶ島が出てきました。
★柳田先生も金田一先生も、なぜかしばしばわが芳屋に来られたものでした。なつかしいお名前です。

[5867] Re[5866][5865][5864][5863][5862][5861][5860][5859][5858]ply 桃の種              生田淳一郎 2011/02/02(Wed) 16:32 [Reply]
> 「イザナ・ギ/イザナ・ミ」では
● なんとかして「ギ = 男」という動かぬ証拠をつかみたいもんですねぇ !

> 「ヒキガエル」。。。沖縄島方言の「アタビー(蛙)」
● 知りませんでした、あり難うございます。
  食べるということばは、「食う」よりも上品な言いかたみたいですが、この語源は何でしょうか。
  柳田国男さんによれば、「『ちょうだい』という意味の『◯◯してたべ(◯◯してください)』が東国方面で遣われていたそうで、これが旅の語源だ」とされ、かなり支持されたそうです。そうすると、これから「食べる」も出たんでしょうか。
 だが「*tab = 食う」が別にあるとすれば、 アタビーは “食えない” にもなりますね。
 この場合、末尾の長音は、沖縄特有の「…っと いったような、そんなもの」か又は「イ(もの)」。

 《 言語による古代開発と Sex 用語》
儂は 36歳ごろから 53歳まで、毎年北海道へ出稼ぎに行きました。そしていつも阿寒に山本多助エカシを訪ねました。エカシは死ぬまで「ことばは sex が発展させた」と、頑として言い張りました。
儂はそれを聴くたびに、「もイッチョ、金属精練が絡んでいるんだがナァ」と思いました。
文化……というか、意識がパッと飛躍したのは人が金属を手に入れたときだと思うんです。
そして又、その金属精練士のことばが sex だらけで、ガハハ。
でも、インドネシア語、ピリピノ語辞書を読んでいると、この儂さえ顔を赤らめるような語彙が、まぁ〜次から次に、出てきますなぁ〜。辞書編纂の上でも不可避だったんでしょうぜ。
知里真志保が蒐集した語彙群を見た金田一京助が顔を赤らめたそうですね。……がくもん!

あ、サンカもおおらかでしたよね。
子供 ; 「オトッちゃん、オッカちゃん、何してるの?」
父親 ; 「おう、お天道様から子種もらってんだァ」

[5866] Re[5865][5864][5863][5862][5861][5860][5859][5858]ply 桃の種             琉球松 2011/02/02(Wed) 11:36 [Reply]
 「サナキ(蛹)」説?は捨てる必要はないと思いますよ。

 僕は、「イザナ・ギ/イザナ・ミ」ではと考えるんですが、しかし「蛹」の形と銅鐸はどこかで繋がっているように思えます。

 それと、女性に関する隠語。。。これを持ち出すとカドが立つんですが、古代史に興味を持ついじょう避けて通れないですよね。なんせ神武の妻の名さえ「ホトタタラ」なわけですし、物部氏など金属加工に関わる溶鉱炉などの部位の一部は××名なわけです。
 まあ、現在ではいかがわしい話になりがちなこれらの話題は、沖縄諸島と奄美諸島の一部ではむしろ聖なる?善なる?説話となっていて、鬼退治や再生、神々との交信などは男なんぞに出る幕はないんですよ。

 ついでに「ヒキガエル」。。。沖縄島方言の「アタビー(蛙)」の語源は「アタビキ=アタヒキ」でしょうね。「ヒキ」は「彦(クエビコ etc)」とも解せますし、「アタ」は薩摩半島の地名かもしれません。

[5865] Re[5864][5863][5862][5861][5860][5859][5858]ply 桃の種             生田淳一郎 2011/02/02(Wed) 10:43 [Reply]
お目玉の調子はいかがですか?
「うるまたんたん」は、台湾とか奄美の慣用句かなにかでしょうか。韻律がいい。島おこしとかに利用できそう。

> ヒキガエルは毒がある
● ヒキとは bik の語形で現れている “毒” でしたか! 
 儂の頭の中は、雨蛙、殿様蛙、青蛙、わくど、いぼ蛙、がま蛙といろいろあるのでゴッチャになっていました。
 九州、アイヌ語のビキ、ピッキ(蛙)は「毒を持っている」という意味が強いのでしょうね。
 別の毒ですが、アイヌ語に *ashi が認められます。ashi-ai は毒矢です。毒蛇を kami-ashi といいますだ。この場合の カミは神ではなくって、*pæm に収斂される「蛇」。ハム →カム と音転。
 *pæm は日本語で「咬む」にもなっていると思うのですが、下で書き忘れたのにピリピノ語 kagat , ikagat(咬む)があります。

> 栗の木のボトルに御酒を入れておけば、絶妙な味が……
● 旧家の戸や建具には栗の木が使われています。廚とかラテン語 kurina(台所)に関係あらましや。
  焼酎のコクづけには見逃せない。ミソ樽にも栗の木が使われていることをテレビが言ってまひた。

> さっぱりのさ、さくらのさ、さ
● アレ、失礼しました。サナギ(蛹)のことだったんですよね。
  幼いに含まれている「サ」に惹かれます。sa は朝鮮語では「些」がでますが、ほかでは「旬」とか「小」、「元気がある」、「早い」などです。「さわらび」とか「わさ」といった場合には「幼」があるのか……。
  ネパール語 sapha(きれいな、清潔な) , saphal(きれいにすること、清潔、掃除)saphal(成功)。
  同じくネパール語 ; chakra barti(王座)、ヨガなどでいうチャクラ(放射状の神経叢)にこころ惹かれてま。

ただし、さきに述べましたように、これらの賞味期限は 3年です。あとはレッキとした言語学者さんたちが、本格的な地ならしをやってくれるでしょう。
 ビルマ語、タイ語などを当たりたいのですが、これも賞味期限と儂の寿命の賞味期限の関係で、あきらめまひた。
 ヒンディー語だけは、乗りかかった舟ですので、目ン玉の黒いうちに対比をやりたいと思ひてま。    

[5864] Re[5863][5862][5861][5860][5859][5858]ply 桃の種           佐々木 2011/02/01(Tue) 20:23 [Reply]
★tan-ikugu としただけです。
 いくぐ いくぐ と鳴き声がきこえんかのふ。
 なお、ヒキガエルは毒があるので、お子さまはお遊びにならないかもしれませんね。

★日当たりがよいこと、昼夜の温度差がブドウ糖を生成して、寒くなると実に貯留してしまう。

★生田さんもオークや栗の木のボトルに御酒を入れておけば、絶妙な味がかもし出させるかもよ。

★さっぱりのさ、さくらのさ、さは気になりますが。。。ではこのへんで失礼します。

[5863] Re[5862][5861][5860][5859][5858]ply 桃の種           生田淳一郎 2011/02/01(Tue) 07:52 [Reply]
佐々木さん うるまたんたん  
うるま は ultra + ma(ベトナム語;強調接尾辞) たんたん はtartar(驚・恐)

> 「(い)くぐ」とは彼の鳴き声なか?
● 「(い)くぐ」の「い」の根拠は? なにか文献に現れているらしいですが、お教えを
  鳴き声でしょうね。蛙は子供のオモチャ。「くぐつ」と関係ないでしょうか。
  ツ はタジク語で、被覆形として「生き物、ムシ」。アキツのツかと。

>  さなぎ 「さ」は第1番かな?
● 「サのよいよい」の サ だろうと思いました。 / オケサ(エレジー) オコサ(バカ歌)

> 次に昼夜の温度差
● 木が環境の激変にイヤン・イヤンする。そのたびに濃縮樹液を絞り出す。そこがウマい。
 苦労人の味、マンデリン。イキがって飲んでいましたら、胃潰瘍になっちゃった。

「川上から桃がどんぶらこ、どんぶらこ」 / アイヌ語 ; *mon(流る、漂う) momde(浮かべる)。
アイヌ民族を構成した主要一派はどっか新発田〜長岡〜小千谷のあのへんにいた・・・・・。
そこをホケケー族が攻めて北辺へ追い払った。・・・・・どんじゃらほい。
どんぶりの語源を朝鮮語に求めた朝鮮語系のご仁がいましたナァ。

[5862] Re[5861][5860][5859][5858]ply 桃の種           佐々木 2011/01/31(Mon) 22:38 [Reply]
生田さん おでめとうさん。
★たにくぐ
 「(い)くぐ」とは彼の鳴き声なか?、tanは潭(たん:台湾の湖のこと)または田んぼかも。
★さなぎ
 「さ」は第1番かな?
★桃(Amygdalus persica)の甘さは、まず日当たり(南側であること)、次に昼夜の温度差(斜面であること)らしいが。
 驚き桃の木の青草でした。

[5861] Re[5860][5859][5858]ply 桃の種           生田淳一郎 2011/01/31(Mon) 15:14 [Reply]
 《 タニクグ(蛙)》
タニもクグもタジク語じゃないかナァ〜。guk はヒキガエル。tan は身体。古代人は山や岡を人体と見立てた。tan に強調接頭辞の S- がつくと、タジキスタンとかパキスタンなどの Stan(国)になる。飯田市の近くで、蛙は「ぐく」。
「ホミ・タニ」のタニは、インドネシア語 batara(男神、大王)の tar からの訛り。 / 中臣鎌足の 足(タリ)。
アイヌ語に tanne-kamui(へび)の語形これあり。tanne は tar ne(長く・ある)に還元できる。tar 、tan は長いもの一般 → 種子島。ただし、(女)たらしは、タジク語 tala(罠)から。

 《 シネリキヨ 》 
E , O が現れているは、沖縄語から飛び出している。インドネシア語 sinar(ひかり、光線)、シナテルのシナ。
ki(アイヌ語 ; 光線)-ilo 、-iyo (族際語 ; いよいよ、いやます)。「シネリキヨの尊」みたいな表現があってもいい。
アイヌの始祖神 オキクルミも光ビカビカ。
シロミキヨには、台湾アミ語 tsilar(太陽)やオシラ様の *sir が影響しているのでは? 或は sir(大地)か。

[5860] Re[5859][5858]ply 桃の種           生田淳一郎 2011/01/30(Sun) 19:14 [Reply]
琉球松さんへ  ご応答多謝。

>「ギ」は男性の意かもしれません。
● これが言えないで難航してたところへ、琉球松さんの絶妙の着想が出たので、「サナキ(銅鐸)」の電球がきらめいたんですけど……。
新羅、マタギの gi とはナンでしょうねぇ。魏王朝の魏も知りたいところです。

>「ミ(小穴)=女性」。
● ウルマには「ホミ」がありますよね。アイヌ語にはズバリがあります。
あ、あんまし書くと、誰かさんがヒキツけを起こしますので……。
でも vom とモモは関係あると思います。 ダレダァ? 、勝手に vo を二つつづけて顔を赤らめているヤツは!

> 「カカシ」も "足の無い" 蛇
● ウ〜ム、「欠き足」でしょうか。やまかがち……。沖縄・ピリピノの農耕具に kak を持った語形がありましたね。
モノノベの先祖神、イカガシコオ(一つ目神)もひっかかります。一つ目を大きく描くと鳥が近寄らないらしい。

※ 貝と○○……、古代語で貝は mina といいました。 mi が入っています。
 儂が育った故郷は、山も谷も真っ黒ケの筑豊でした。それでも緑を求めて峠を越えやした。

※ では、昆虫の「さなぎ(蛹)」は、なぜサナギなのか ? 答 ; san-æki(子供)だと憶われます。æki(子供)は朝鮮語です。/ cf. アイヌ語 san mitpo(孫)。成虫としての蛾や蝶の、子供の子供。

[5859] Re[5858]ply 桃の種       琉球松 2011/01/30(Sun) 08:07 [Reply]
 生田淳一郎さんへ

 奄美沖縄の祖神「アマミキヨ・シネリキヨ」は、多くの方が指定されているように、男女ペアではなく一神とされています。これには十分な証拠?が提示できるようで「シネリキョ(シロミキヨとも)etc」は後から追加されていると考えられています。

 「イザナギ・イザナミ」の場合も、これが適用できる可能性はあるわけですから、生田淳一郎さんご指摘のように "後から" は案外正解かもしれませんよ。

 その神名の語源はなんとも難解なんですけど、「イザナミ」の「ミ」が女性を表すとの説は琉球方言の「ミ(小穴)=女性」で解釈可能です。これが的を得ているとすれば「イザナギ」の「ギ」は男性の意かもしれません。

 僕は、生の銅鐸を見たことがありませんので想像なんですが、どうなんでしょう?若干の青錆で覆われているその表面は、蛇のヌメヌメテカテカ感を連想させるんじゃないでしょうか。
 「タニグク」が紹介した古い神「カカシ」も "足の無い" 蛇とすることもできますね。大国主命さえ知らない「スクナヒコナ」を知っているということは、そうとう古い神のはずです。銅釧や銅鏡出現以前の神?

 それと桃なんですけど、生田淳一郎さんの地域では神への供物として採用されていないでしょうか?桃はみるからに女性ですし、中国の初期道教と「卑弥呼の鬼道」を関連ずける考え方は正しいと思います。
 同じような事が巻貝や二枚貝にも言えます。こちらでは貝を女性と見なし、魔物への威嚇としていますね。東の海底の貝の "ホト" は太陽を産む穴とされています。

[5858] Reply 桃の種       生田淳一郎(76歳) 2011/01/29(Sat) 18:28 [Reply]
  《 イ・サナキ(銅鐸)は「銅鐸する」 》
裏(神奈備)番組なれど
> 銅鐸とイザナミの関係は強いと思いますがどうでしょうか。
● 絶妙の着想 ! でも イサナミのほうではなくって、イサナギのほうかと思われます。佐々木さんが教えてくれた古代国際語のナギの木(梛)はおおいにこころ惹かれるも、サナギは サ(メロディ)ナ(成す、生む、鳴く)キ(器)と分析できてドンピシャ。古代のことだから「へび(sal)」か入っているとみて、土中に埋めてへびのこころを慰めたものならむ。いや、これが本筋かもしれん。
まず、男女に関係のないイザナギ神ができて、先祖神であるところから、あとで女神(mi)を造語した・・・・・どな。

  《 談合、壇坂 》
ダンには「大将、奉納、感謝」の意味これあり。 saka は部門、gau は「村、歌」。
√ この屋敷は めでたい屋敷 鶴と亀とが舞いあそぶ てな歌を歌い唱えたのでは? 壇山のヤマは人びとの集まり。

  《 八幡 》
ya(神)pata(海)形容詞後置形・・・南方系。 w / p の通音(わだつみのこと)。 hat(秦・機降り)にもひっかけた。

  《 楠 と 奇(くすし)》
原意原音は ghus(貫く)ならむ。あの世、神世と現世を貫くもの……アマカネ。玉串がある。
qutr(地方、くに)は上とは別語源。「このくにの木」として、楠を植え継いだのか。

  《 鳥インフルエンザ 》
疱瘡や湿疹などには、いろんな呼び名があるそうな。一般的な語形は かさぶたの「かさ」。
あんまし信用できないがキムシカさんは kac-h-i(かささぎ……語形不完全)を挙げられた。カサを持ってくる鳥か。

[5857] Re[5856][5855][5851][5850]: 桃の種       生田淳一郎 2011/01/27(Thu) 09:44 [Reply]
 《 *vom = 紅、赤 》
mom はレプチャ語 vom(赤)に連なる。千葉県に実籾という地名がある。赤米のことか? 音転して ben-i(べに)。ベンガラというのもこれに連なる。ガラは今でもコークスの子分で、炭坑住宅での主要燃料でした。
つぼみ(蕾)は南方系の造語で形容詞後置形。この「つ」はアイヌ語 chuchu(芽)で、「赤い芽」がつぼみ……か。ツブ(丸い)実ともうけとれる。

 《 フリューと「くず」》
アイヌにもフリューとかフーリという有翼神獣が伝わっていて、カンナカムイ(雷、龍)とも呼んで恐れられた。このフリューはホリエモンの故郷の八女黒木や三潴郡では「凧」になっている。龍と同じだから、長崎では凧揚げにこだわる。
金や七支樹、七支刀、獅子などと組になって世界を流れた。有翼神獣は時代のシンボルだった。
くずさんがおっしゃる「九・頭」は、このフーリに還元できないだろうか? ある氏族で K というのを、別の氏族では H と発音する。 r の濁音は d (第二子音濁化のクセ)。 

 《 あの放映では「王を共立」とあった 》
赤壁の戦いのとき、魏の圧力を恐れた代々の豪族たちは、身の保身を優先させ、恭順(降伏)策を執った。が、呉王孫策は机を叩ッ切って戦闘の決意を表明した。だれだったか、孫権、孫堅、孫策の眼は碧かった。異人の王を共立していた。
ヒミコもクマリならむ。

 《 モモと飯豊(ふくろう)》
貨幣制度がどこまで古くたどれるか……だが、 - har は複数や表情を表わす末尾辞。2 mohar で sae(百、幸せ)。 sait (吉兆、サイの神)でもある。 mo-mo は百で「シヤ〜セ。
トルコ語でも「良い」は「いい」……50 + 50 と同じこと。トヨとは tori-o から r 音脱落。 o は神。
ポーランドの霊媒師、ラルースキーはうしろ首にふくろうを出現させた。ボーダーランド文庫 ; 『霊界写本』に写真あり。

 《 三白眼とは 第三の白い眼・・・か 》
上をむいた三白眼は、さながら眉間上方をニラんでいるみたい。ここにイルカさんのように、第三の眼がある。
ヤブというのは jap(拝む)から。拝んで病気を治す医者はヤブ医者。
サンナイマルヤマ、風呂場のサンシタ、鍛冶屋の下働きのサンナイ、やりくり算段、などのサンは研究、修行の意味。ネパール語に sa:nyasi(修行者)の語あり。 → 津軽半島北端、竜飛岬の南に算用師というの地名あり。

[5856] Re[5855][5851][5850]: 桃の種  琉球松 2011/01/27(Thu) 00:16 [Reply]
 奈良の巻向遺跡から出土する土器が吉備系が多いことと、「百襲姫・吉備津彦」との関係は多いにあると思います。
 大和国造の祖は、明石海峡と鳴門海峡を制する海人でしょうから、吉備や淡路島などが根拠地だったでしょうか。淡路島が国生みの最重要地になっているのも意味があるんでしょうね。

 それと「櫛箱」なんですが、この箱は櫛が入っていたからそう呼ばれたのか、奇き蛇が入っていたからなのか。。。怪しい煙の詰まった「玉手箱」も奇き箱かも?

[5855] Re[5851][5850]: 桃の種  神奈備 2011/01/26(Wed) 20:23 [Reply]
> しかも "モモ" は「倭トトヒモモ襲姫」と繋がるかも??ですし、こちら沖縄諸島でも桃を女性にみたて、祖先神への供物としています。

 百襲姫は桃太郎である吉備津彦命のお姉さんに当たります。

 百襲姫は跳び上がり巫女と思われます。櫛箱に入っていた神は飛び上がって三輪山に戻りました。この時、百襲姫も跳び上がったのです。そうして落ちた所に箸が立っていたのでしょう。

[5854] Re[5851][5850]: 桃の種  琉球松 2011/01/25(Tue) 23:42 [Reply]
 大和氏ではなく、"淡路島などの海人を祖とする大和国造" に訂正です。

[5853] Re[5852][5850]: 桃の種       生田淳一郎 2011/01/25(Tue) 10:38 [Reply]
>  これをおよそ3000個と見て
> ○佛説阿弥陀経?・・・あのくだら(百済)さんびゃく(三百)さんぼうだい・・・・・

ア〜ア、よう寝た。おめでと。

大三元さん、5844で披露された「三碧」についてお教えください。
世に「サンパクガン(三白眼)」といいますが、この「三」とは何でしょ?

秦から漢の王朝に代わったとき「秦は黒だったが、われわれの漢は何色であるべきか」などが議論されたとかを読みました。
科学的思考方法がなかった時代、ヤミクモの中に抛りだされた人類は、緑とか青・・・二つとか三つなどの色や数詞に含まれている抽象性に、なにか頼れるよすがを探し求めたのでしょうか。

「脳を “適当に” 冒されると、天才が出現する」……は、儂の永年のヤブ睨みです。
眼は脳の一部です。三白眼というのは、俗にいう白目ですが、じつは、たいへんな現象をもたらしていると思える。
江戸末期にあって、将来の日本のゆくてを明確に指し示したのは、吉田松陰ではなく、その師匠筋(?)の佐久間象山でした。勝海舟も佐久間象山の弟子筋(?)かとも目されます。
その異才がどこから生まれ出たのか・・・・・、じつは佐久間象山はたいへんな三白眼のヤブニラミだったそうです。

幕末にはもう一人います。
徳川家茂、徳川慶喜の二代将軍の脈をとった豪傑医者・松本良順を外国言語の翻訳で脇支えをしたのが、佐渡島出身の島倉猪之助ですが、このご仁も極端な三白眼だったそうです。
あっという間にシナ語、英語、ドイツ語までおぼえてしまう異才ぶりです。
そうとは知らない人が「まっすぐこっち向いて話せ」と迫ったとき、「ご心配あるな、ハッキリと見ていますよ」と返答したそうです。このご仁、倫敦巴里でもあったらしい。
おっと、ヒトコトヌシのみことさん、しばし耳目をつぶっておくれ。

イチ、ニ、 サン、シ、ゴ、ロク、 シチ、ハチ、キュー、ジュー
イー;アル、サン、ス、ウ、リュー、チー、パー、チュー、シ 
二つの系を並べてみたら、「ちがう」のは 2 と 5 だけみたい。しかも 5 とは「牛」らしい。「サン」は同一。
このシナの数詞はどこでできたんでしょうか。
イチ、ニ、 サン、シ、ゴ、ロク、シチ、ハチ、キュー、ジュー……は、薩摩、長崎、津軽の専売特許(?)みたい。
この薩摩、長崎、津軽の連合艦隊に新発田、長岡、小千谷が入ってきました。
佐久間象山の出身地の松代藩が、ここに入ってくる……みたいで、目下追求ちゅうです。 / 新潟県ツバメ(エン)市。

[5852] Re[5850]: 桃の種  佐々木 2011/01/24(Mon) 17:23 [Reply]
> 所で昨日纏向遺跡から出た桃の種のお話がNHKで話題にしていました。2765個です。桃の種のお話がNHKで話題にしていました。2765個

 これをおよそ3000個と見て
○西王母が桃、3000年に一度実がなる桃、長寿のたとえ。
○伊邪那岐命が黄泉の国で投げた3つの桃。
○桃太郎の猿犬雉3匹。
○佛説阿弥陀経?・・・あのくだら(百済)さんびゃく(三百)さんぼうだい・・・・・
なぜか桃(百)には数字の3が関わるような

>卑弥呼の時代から国内で祀るべき社(=地方豪族?その氏神とか?)がほぼ決まっていたのかも。
 非常に興味深いテーマです。
以上枯草の暴言?でした。

[5851] Re[5850]: 桃の種  琉球松 2011/01/24(Mon) 12:34 [Reply]
 NHKの番組、観てました。

 銅鐸は、熱を加えた状態でないと粉々に破壊できないようですね。
 これはもう新宗教への転換と考えざるをえないのですが、中国道教の影響による桃の種の出土には目頭が熱くなりました。

 神奈備さんはどうお考えでしょうか "卑弥呼の時代から国内で祀るべき氏神?" 淡路島などの海人を祖とする大和氏の可能性は大だと思いますが。。。

 しかも "モモ" は「倭トトヒモモ襲姫」と繋がるかも??ですし、こちら沖縄諸島でも桃を女性にみたて、祖先神への供物としています。

[5850] 桃の種  神奈備 2011/01/24(Mon) 09:45 [Reply]
 荒神谷遺跡から出土した銅剣の数は358口。この数は『日本書紀』神代上一書第六 に、「大国主神の子は皆で181柱おいでになる。」とあります。それぞれの子が伴侶を持っていたとしますと、362柱、銅剣と似た数になります。

 また銅剣の並び方は『出雲国風土記』に記載の神社の数に不思議と似ているのです。

 2列目 111口 これは
 島根郡 59社
 秋鹿郡 26社
 楯縫郡 28社の計113口に極めて近い。

 3列目 120口
 出雲郡 121社 一致。

 4列目 93口
 神門郡 37社
 飯石郡 21社
 仁多郡 10社
 大原郡 29社の計97社に近い。

 1列目は34口 これは意宇郡に対応してほしいが、67社もあり、大きい差があります。森浩一さんは『風土記』に記載のない隠岐島の神社と見ていますが、それでは意宇郡は消えてしまいます。熊野大社のある郡です。出雲の中心とも言える郡です。恣意的解釈のように思います。
 それよりは33口に近い銅剣は過去に持ち去られたと考えたほうがいいのかも。出土の写真を見ても1列目はいかにも少ないように思います。....

 所で昨日纏向遺跡から出た桃の種のお話がNHKで話題にしていました。2765個です。
 平安時代に定められた延喜式内社の数は2861社。その差は僅か96個で少ないのです。種が運悪く腐敗したこともあったのでしょう。

 卑弥呼の時代から国内で祀るべき社(=地方豪族? その氏神とか?)がほぼ決まっていたのかも。

[5849] 無題  琉球松 2011/01/21(Fri) 20:24 [Reply]
 神奈備さん、いつもの思いつきに応えていただいてありがとうございます。

 これ以上深入りはしませんので、どうぞ次の話題などお願いします。

[5848] Re[5847]: 櫛・串  神奈備 2011/01/21(Fri) 08:38 [Reply]
櫛、久須、奇、霊、くし が先頭にくる神社名を探してみました。

石見国 那賀郡 櫛色天蘿箇彦命神社(くしあめのこけつひこのみことじんじゃ)
石見国 美濃郡 櫛代賀姫神社(くしろかひめじんじゃ)ともに式内。

式内社ではない。
陸奥(陸奥)国 津軽郡 久須志神社
若狭国 遠敷郡     久須夜神社
大和国 吉野郡     久須斯神社
阿波国 阿波郡     奇玉神社
筑前国 夜須郡     奇志神社
石見国 鹿足郡     奇鹿神社
出羽(羽後)国 仙北郡 久斯神社
越後国 岩船郡     久志神社
越後国 蒲原郡     久氏神社
長門国 厚狭郡     楴山神社(くしやまじんじゃ)

 祭神は大己貴命が多い。国津神の意味や、まさに「霊妙なこと、不思議なこと」の意味がありそうですね。

[5847] 櫛・串  琉球松 2011/01/20(Thu) 11:27 [Reply]
 『ウィキペディア』には、"櫛は同音の串と同じく「霊妙なこと、不思議なこと」という意味の「奇(く)し」「霊(くし)び」が語源" とあります。

 「久須・九頭」は「奇」に由来するとは考えられないでしょうか。蛇や樹木の枝振り、河川のクネクネした感じを連想するんですねど。。。?

[5846] 正月行事  くず 2011/01/19(Wed) 21:20 [Reply]
正月の七草粥は、「荊楚歳時記」の記事、
「正月七日。為人日。以七種菜為羹。翦綵為人。・・・」
が元になっているそうです。
また同書に「正月七日。多鬼車鳥度。家家槌門打戸。・・・」
という記事もあって、七草囃子で歌われる、
「七草ナズナ、唐土の鳥が日本の土地に渡らぬ先に、・・・」
(地方により歌詞は色々)
の唐土の鳥とは、この鬼車鳥を指すものと。。
鬼車鳥は九頭鳥とも。この鳥が疫病を運ぶ?

それから唐土(とうど)が道祖神祭り、どんど焼きのどんど、とんど、の語源となっている、
その可能性はあるのかも。
どんど焼き祭りでは茅や藁で仮社を作って、火を付けた中から道祖神を助けだすと言う事をしますが、
この辺りの信仰は古いものが残っているのかもと思っています。


[5845] Re[5844][5843]: 天平時代の九頭龍(蛇)の認識  くず 2011/01/16(Sun) 00:57 [Reply]
大三元さん、お久しぶりです^^

アイヌとの関連興味深いです。
こんな話も。。
和名抄(934頃)
「道祖 風俗通云共工氏之子好遠遊故其死後祀以爲祖神<漢語抄云道祖 佐部乃加美>」
共工氏の子=道祖、塞ノ神、

また、中国六朝時代(222年 - 589年)の歳時記、「荊楚歳時記」に、
「按ずるに共工氏に不才の子あり、冬至の日を以て死し、疫鬼(えきき)と為り、
赤豆を畏(おそ)る。故に冬至の日、赤豆粥を作り以て之を禳う」。
とあって、
共工氏の子が疫鬼と考えられていたようです。
疱瘡神が赤を嫌うというのもこのあたりに原義があるのかもと。。
南山=五行で言う南は赤


[5844] Re[5843]: 天平時代の九頭龍(蛇)の認識  大三元 2011/01/15(Sat) 09:01 [Reply]
くずさん、おひさしぶりです(ですよね;初めまして、ではなく)

> 平城京跡出土の[二条大路木簡]にみられる"九頭一尾の大蛇"は、天然痘を運ぶ鬼を食う守護獣と考えられていたようです。

興味深いUPを有り難うございます。私はアイヌ語の研究から、天然痘は鳥が運ぶ、天然痘は「年(歳)の神」がもたらす、この「歳」こそ「さいの神」か、大年(歳)神の絡み方、あたりの関連に注目しております。(大蛇の登場は見えておりませんが)
http://www.dai3gen.net/izumo3.htm

話変わって:
> 守護獣を明確に"九頭一尾の大蛇"としているのは、独自のもののようです。

「其中有 一大蛇九頭一尾」の部分は「地中有蟲、赤頭黄尾」に対応するのでしょう。 
 「虫」字は蛇の象形文字から出来たそうで、日本側でも「這う虫」とか「まむし」という語もあり、ここの「蟲」も蛇のことで良いのだろうと思います。
 さて「赤頭黄尾」の部分ですが「赤、黄」が色彩だけを意味しているのか、ということに関して思いついたことがあります。すなわち、
 九星(一白・二黒・三碧・四緑・【五黄】・六白・【七赤】・八白・九紫)を参照するに 色と数 が対応させられそう;
 さしづめ「赤頭黄尾」は「七頭五尾」か、と。
 「七頭」という表現は、 聖書(ヨハネの黙示録)に「赤い龍」として登場するようです、もっとも七頭十角ですが。
 つまり「赤頭黄尾」と「九頭一尾」も全く関係がないわけでもなさそう。
という「オモイツキ」のご紹介まで。



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