『延喜式神名帳』に伊勢国多気郡に佐那神社二座と載せられています。ここは伊勢船木氏の拠点で、祖神の手力男神を祭る佐那神社を祀っていました。また伊勢の佐那の造もいたようで、曙立王と二柱の神をして二座としていたのでしょう。
近くの多気郡多気町四匹田から銅鐸が出土しています。銅鐸のことを「サナキ」と言うらしいです。
佐那神社から南西15kmに多岐原神社が鎮座、この辺りにも船木と言う地名が残っています。『三重県の地名』(平凡社)によりますと、倭姫が当地で御船を造り行幸した伝承によるものだそうです。なお、多岐原神社から2km南に滝原宮が鎮座しています。
以降「青草」話。
「サナキ」は「サナ」や「ナキ」に訛ることもあるのかも。丹後に祀られた豊宇賀能売命は哭木村の奈具神社、そうして船木氏は「フ・ナキ」、伊勢では佐那神社を奉斎、手力男神は内宮の相殿に祀られるほどの神、その力はもの凄いものがあるのでしょう。銅鐸の力なのでしょう。おそらく銅鐸は忘れ去られたのではなく、手力男神のような強力な神の名として伝えられていたのでしょう。
国生みの二神、サナが入っているのです。三貴子の親神とされたのもむべなるかなかも。
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