…… 1 …… H12.10.27
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…… 2 …… H12.10.28 古代語は特殊なヴェールにつつまれています。神様とか神社の名は現代感覚からはかけ離れたものとなっています。
古代の思考には古代固有の偏執があります。○○の命とか△△尊などの神が現れるまえは、カミナリを頂点においた自然神(日月、岩、風、水、動物など)、光を呼び込むカラスを頂点においた鳥神、出産や収穫を司る童神など、区分けすらむずかしいほどのいろんな神樣がいました。また、特に金属製錬士が信奉していたものは、このほかに「一つ目、片目、盲、鎚、刀、片足、龍、黒石、耳、大風、つの、源」などの狂執がありました。もちろん、金属製錬士はこれら狂執のほかに鳥神、自然神、童神をも持っていたわけです。
カイラース山頂に降りてくる神は目には見えない柱をヨリシロとして、そこを通ってアモ(降臨)されるのです。
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…… 3 …… H112.11.2 伊太祁曾神社の中に五十猛命が坐す。 ふつう、祭神と神社名がちがう場合は、祭神は一つの意味を持ち、神社名はそれとは違う別の意味を持つものです。私どもは永いあいだ、この常識と字づらにひっかかって、意味がわからないままに時間を潰したのでした。伊太祁曾も五十猛も意味はほとんど変わらなかったのでした。 ここで日本語のなりたち……とりわけ圧倒的多数派だった倭蛋民が金属製錬を中心としたネパール系支配階級のことばをどのようにして吸収し、ぜんたいとしての日本語ができあがるまでの過程をおおざっぱながら、掴んでおきましょう。
さて五十猛の五十(イ・イソ)とは別記の「sait 偏執」です。これを「イ」にしぼって読むところからナゾが解けはじめました。
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…… 4 …… H12.11.3 「sait 偏執」とは 50 + 50 = 100 = sae(幸せ)=
momo = イイの展開を示す古代人の偏執です。このことは、ほかのところで書いていますのでご確認ねがいます。 奇跡的な伝統が現代の日本にも残っていました。しかもこれは世界共通な行事でもありました。
大工さん……とくに宮大工などは昔も今も第一級の青年が就ける名誉ある仕事だったのでした。その大工さんは
ネパール語では dakarmi といいます。どういう中間語形を通過したのかは掴めませんが、これが「たくみ」になったことは、まずまちがいないところです。末尾の
mi は訳がむずかしいのですが、「尊身」ぐらいにしか訳せません。とにかく、神にも用いる mi なんです。
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…… 5 …… H12.11.7 立っているだけの樹木を“神そのもの”に切り替える力(takat)を持っているのは、人ですが、すでに人ではありません。
恐らく……ですが、木を神へと切り換える役を担ったのは、選ばれた紅顔の美少年だったと思います。童神の化身です。童神はネパールでは
kumar(i) と呼ばれ、その痕跡を熊野(神社)などにとどめています。クマリは女の子です。男の童神は kumar です。
そして木を切るのですが、この「切る」ということが、ことのほか大事な宗教行事だったにちがいないのです。ネパール語;
kat-au とは「切ってもらうこと」という妙な意味になっています。遮光器土偶は掘り出されたものすべてが(3体を例外として)片足が切られているのです。ネパールの主都・カトマンズとは「一本の材木で支えられているお寺」という意味です。
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…… 6 …… H12.11.7 とはいえ、その庶民の言語もまたまたインド系金属製錬士の文化を受けて造語されていたのです。ここはあたまゴッチャになりますが、まぁ聞いてください、読んでください。 動詞形成接頭辞というのがあって、短い音を語幹の前に置いて「全体の語彙を動詞にする」という造語のやりかたを説明したいのです。
* わ(輪)の前に ma を置けば 輪が廻り始めます。これに機能別に「す」や「る」を後置すると「廻る」「廻す」となります。 * kal は世界的に「死」とか「いのちを失った抜け殻・体」です。これに ma を前置させて「まかる」となる……と「、死ぬ」です。偉いひとが死んだ場合は「みまかる」となります。 * ku は世界中で、古い古い「セックス」です。これが喋られていたときには、セックスはそんなには社会の裏に押し込まれていませんでした。で、ma-ku
で生まれた一族を「マケ」とか「マキ」とい うのはこれです。不倫をすることは「アワマク」といいす。 ma- ではなくwa- の場合もあります。tar はインドのネパール語、パーリ語で「(水を)わたる」ですが、「垂る」との同音衝突を避けたのでしょうか、wa- を前置させて日本語にしています。 日本語の動詞形成接頭辞で特筆すべきは ta- です。これももともと ma- と同様に「手」だったのでしょう。 * 「たが(違)う」は「交う」に ta ば接頭されたものとして理解できます。 * 「束ぬ」は一見「束」nu(する……これもネパール語)みたいですが、これはパーリ語の*bandh 、ネパール語 badh-(結ぶ)……英語の band と同根……に ta が接頭されたものでした。 * 「すく(掬)う」と「すき(鋤)」はどちらが語源かはわかりません。しかしこれに taが接頭されると「助く」となります。ただし、ネパール語 *sukh には「幸せ」という意味が絡んでいますので「助ける」とは「幸せにする」ではないか……現在ではどちらとも決定できません。 * 「問い質す」の「ただす」は、ネパール語 dos-(咎めだてする)に ta が接頭された形です。 * 「尋ぬ」はネパール語 sun-(聞く)に ta が接頭された形です。 その他、「頼る」「頼む」「倒る」「矯む」「たじろぐ」「耐ゆ」などもこの系統とおもわれます。そして、これらグループに「たぎる」がありますので、記憶していてください。takir……です。 * 以上の語幹にワンサとネパール語などが出ました。一見日本の固有語彙と思っていたのが ta などがつ いたり……音転したものが実に多いのです。伏せておきましたが、「交う」はいままでの常識とは逆で「買う」から「交う」が出たのでした。「買う」はパーリ語に残っていたのでした。
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…… 7 …… H12.11.8 拙い小生の説明もいよいよ佳境に入ってまいりました。まもなく伊太祁曾神がその 御名前の意味をお明かしになられます。 ではなぜ、切るという日本語がうまれたのか、ここが伊太祁曾・五十猛の意味解明
の核心部です。 「切る」は柱を「切る」こと、すなわち神事から興ったとしか思えません。 「切る」の kiの音が kat から興ったとするのは、かなり無理です。アイヌ語
ki は「行う」ということですが、これを適用させることも少し無理です。
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…… 8 …… H12.11.9 ひと里から遠くはなれてご神体となる木を伐りに行く男たちの胸には、57年前の神風特別攻撃隊の勇士と同じ心情が去来していたにちがいありません。
古代ならこのフシギは尚更のことで、人々は木の伐採を介して、「一種の神意の発動がなされた」としか考えつきません。
神意の発動によって、村びとは人身御供を捧げたからこそ“柱そのもの”を神として意識できるわけです。サラセッセから教えてもらったのでしたが、千年経った木で建築物を造ると千年もつそうです。ヘナチョコ木材で建てた分譲住宅は、形だけはイッパシの商品ですが、いつも風の当たるところはペンキを塗り替えてやらねばなりません。 懐かしい「あのオッチャン」が柱にこもって村びとの暮らしを守っているのです。
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…… 9 …… H12.11.9 さきの動詞形成接頭辞 ta の分析でもおわかりのとおり、日本語となった「伐る・切る」は最初の語形は「ta
kir」でした。いまでも「ぶった切る」などの表現にそのなごりを留めていると思われます。これがその後、ネパール語の kii
に 動詞形成接尾辞の ru が添えられた形へと落ち着いたのでした。 では、「猛」という字がなぜ i・takir の takir にアテ字されたのでしょうか。
神様のお名前に関する解説に「タギリ」だとか「男根」だとか、不謹慎きわまる……とおっしゃるアナタは認識不足です。
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…… 10 …… H12.11.9 古代語……とくに神にまつわる語彙は「懸詞」だらけです。……というよりも、言語混成期にあっては、いろんな似たことばが“せめぎ合い”をおこしますので、ひとつの発音は複合概念になったまま、社会に通用して周辺の人々に強制力で以て服従を迫ってゆきます。イタキソ、イタキル、イタケルもその例外ではありえません。 「切る」という意味の「ta ・kir 」がいちおう安定した「ハバきかせ」をみたとき、国家形成のうごきが活発となってきたのでしょう。そこには「勇ましい男」とか「たけだけしい」英雄が社会で大きな評価をえてきます。
国家形成の嵐に乗って、イタケルが暴れ廻ったのでした。で、嵐がいちおうの鎮まりをみせたとき、神社の名前は“もと”を留めて「伊太祁曾」のままだったのです。
ここに 五十猛=itaki ………= 伊太祁 がえられたのです。 「イタケル」と変化する前の段階で「伊太祁曾」の漢字と呼び名が決まったのです。
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…… 11 …… H12.11.9 以上で五十猛・伊太祁曾の語源的、根元的な説明はし尽くしました。 「ta-kat……切ることの神」が「力・権力者」だったわけで、その神を i・takat
と呼んだところまでが、われわれ20世紀末人の辿れるギリギリの語源です。
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