あさもよし紀の国 ML・掲示板ログ

 平十四年 四月以降 ML発信者のお名前は省略させて頂きます。



[137] 私こそ知識不足で…  柑橘家 母 2002/12/20(Fri) 10:36 [Reply]
私の方こそ知識不足でして…

雷公神社は、子供の頃母に連れられて毎月9日に参拝し、白石の奉納を
行った記憶があります。神様がご不在の時もあるようですが、詳しくは
分りません。
今後も神奈備さまのHPや奥熊野通信さまのHP他で、故郷の歴史などにつ
いて色々と勉強させて頂きたいと思っております。

[136] Re[135]: 説明不足で…こちらの知識不足で・・  神奈備 2002/12/19(Thu) 21:20 [Reply]
> ご丁寧にありがとうございます。
『紀伊続風土記』や『和歌山県の地名』にもユヤノ谷は記載されていませんでした。
よっぽどの小字の地名だったのでしょう。貴重な情報ですね。感謝いたします。
『紀伊続風土記』によりますと、権現島には、熊野権現がこの島に降り、それより新宮へ鎮座との口伝があったそうです。
 串本の出雲も気にかかります。雷公神社も面白い存在ですね。

[135] 説明不足で…  柑橘家 母 2002/12/19(Thu) 10:06 [Reply]
お早うございます。

田代港は、南紀大島内に幾つかある小さな港の1つです。
権現島を挟んで巡航船が発着していたのが大島港、少し古座側寄りにあるのが
田代港です。
「ユヤノ谷」と言う名称を知る人は地元では少ないかもしれません。

[134] Re[133]: 南紀大島ユヤノ谷  神奈備 2002/12/18(Wed) 22:36 [Reply]
> 初めて書き込みさせていただきます。
柑橘家 母 さん、ありがとうございます。
> 田代港の山側にあるようです。
その田代港が一体どこにあるのかが分かっておりません。
近くの町の名前でも教えて頂ければ・・・。

[133] 南紀大島ユヤノ谷  柑橘家 母 2002/12/18(Wed) 21:09 [Reply]
初めて書き込みさせていただきます。
奥熊野通信さんの掲示板でお世話になっている者です。

遅くなりましたが、南紀大島の海図を見ておりましたら「ユヤノ谷」と
記された箇所がありました。田代港の山側にあるようです。
国土地理院の閲覧サービスの地図には記載されておりませんでした。
(地図は串本大橋開通前のものです。)
既にご存知でしたらお許しを。

[132] 紀のくにを巡る語源考    焼尻紋次郎 [Mail] [Url] 2002/11/27(Wed) 11:55 [Reply]
 古代シナには心霊がらみの偏執(文化)があります。ニルバーナ(涅槃)にはいれば誰でも
感受できることらしいのですが、それはトンナンシャーペーに出ています。東……青龍、南…
…赤雀、西……白虎、北……黒亀 です。
 これら青赤白黒の中央に置かれる色が黄色です。この“中央”が誤解されて、黄色は“地上
〜この世の一切”になり、皇帝、道士、僧侶の着物の色となって定着しました。
 しかしベトナム語 hien hien(顕現する) hien(濃い黄色)に残っているように、黄色とは
この世の意識をかなぐり捨てて到達できる心境……が、基本概念だったと想われます。

 サイババさんが言った「ひと皮(むく)」とはトンナンシャーペーのことでした。因みに青
は肉、赤は共産党や宗教のしゃべくり叡智、白はドッチラヶの経済、黒は情・ロマンの自然で
す(詳しくはおらの“価値観”で)。これらの皮を剥き捨てると黄色がでるというメカです。

 黄は平原ではフアング、呉音でクワゥですから、「キ」という発音は hien を中心に、エジ
プト発のキナ(蘆葦)などを母胎にして生まれたものでしょう。九州では「黄色い」をキナイ
と言いますし、また鬼無里もありました。標準語にも「キナくさい」が残っています。

 吉川英治描くところの三国志は黄布のランから始まります。
 国造りに“黄色”を旗じるしにするなんざは、ブタ・ニンゲンに真珠を与えるに等しく、理
想に走りすぎた思弁哲学です。
 でも、この傾向は日本列島に「日ノ川」となって、あちこちに残っているようです。ここで
は“日”を充て字していますが、この黄色勢力は白勢力に滅ぼされたため、黄をそのままナマ
で用いるのは、過去の敵対関係を再起させることなので、差し控えねばならなかったことと見
受けられます。
 出雲に見られるとおり、ヒは日や火を避けて「氷川、簸川、斐川」の文字を遣っています。
この主原因は敗戦でしょう。カワ(川)とは「 ka(の)wa(人)」という意味が起源です。

 理想郷をこの世に出現させようとする願いは、濃密に宗教的です。
 戦争・政争に敗れたとはいえ、その思い入れ強い理想郷を出現させようとしたのが、ゴトビ
キ岩をメッカにした“紀のくに”だったにちがいありません。

 “紀”の字義は「曲がって起き立つ」という意味です。曲がった……とは戦争・政争に負け
たことでしょう。紀のくにの枕ことばは「あさもよし」です。「あさ」は第一義的には“馬”
ですが、そこには「アカサ(黄)」という古代日本語が懸け言葉されていると診れます。

 アカサの ka が「の」だから、外されたのでしょう。アサモの MO は「くに」です。
 アサモヨシのヨシとは葦のことで、蘆葦を燃やして鉄を得るという遅れた製鉄法を言うので
しょうが、スクナヒコナ神が「住居(これがタジク語 sukunat)」とする柱を謂っています。
 蘆(ヨシ)というのは、葦(アシ)が「悪し」に通じるので、新しく造語されたものです。

 また、紀の読みは呉音で ko です。この ko には古代共通の XO(聖なる空虚)が内包され
ていると見るべきで、ここに「ほのくに(愛知方面)」との文化的繋がりが察知せられます。
 ベトナム語に khong(なにもない、ゼロ)が見られます。-ng は固有の喋りグセです。

 その他“白”や菊(ククリ・CUC)については、11月25日ごろの KUMANOLIFE に既述し
ました。

[131] 週刊 神社紀行  神奈備 2002/10/21(Mon) 07:46 [Reply]
週刊 神社紀行
2号目に神名辞典の様なモノが附録でつくようです。
ここに伊太祁曽神社が掲載されることになっています。

[130] ★「小栗判官伝承の深層」  資料室 [Mail] [Url] 2002/10/14(Mon) 10:47 [Reply]
★講座「小栗判官伝承の深層」のお知らせ
 ゆう・ゆうプラザでは、和泉市内をとおる小栗街道(熊野街道)を舞台にした小栗判官伝承についての講演会を開きます。全国各地の民衆に語られ、受け継がれてきた小栗の物語。物語に隠された真実の世界を講師とともに探ります。

【日時】2002年10月26日(土)午後2時〜4時
【場所】大阪府和泉市 ゆう・ゆうプラザ(市立人権文化センター)1F大会議室
【講師】松原右樹(民俗学者・大阪府立高校教員)
【参加費】無料
【申込】定員100人に達するまで先着順で受付
詳細はURLをご覧下さい。
http://www.ican.zaq.ne.jp/m471560

[129] Re[126][125]: 徐福と霊薬  マルヤ [Mail] [Url] 2002/08/26(Mon) 11:45 [Reply]
朗報ありがとうございます。
うれしいお知らせなのに、ご返事遅くなってすみませんでした。PCの使えないないところで仕事をしていました。

> 一緒に探しに行ってもいいような口振りです。
> 神社にも詳しい方です。何ならご一緒してみましょうか。岸和田です。


そうお願いできればとても嬉しいです。アレンジよろしくお願いいたします。

●明日葉とはどんな植物か?
検索しましたら次のページに写真が出てました。
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/asitaba.html

[128] Re[127]: 和歌山の金  神奈備 2002/08/25(Sun) 21:25 [Reply]
> 毎日新聞 http://www.mainichi.co.jp/ より
> −−−
お知らせありがとうございます。
新聞社のHPはどんどん更新されるのでしょうか、記事を見ることは出来ませんでしたが、大旨の住所なんかが判らないものでしょうか。
何も金や手稲石を採りに行こうとしている訳ではありませんが。

翌日 検索窓がありましたね。発見! 紀の川の北側のようですね。・・・

[127] 和歌山の金  玄松子 2002/08/25(Sun) 18:13 [Reply]
毎日新聞 http://www.mainichi.co.jp/ より
−−−
 和歌山県那賀郡内の紀の川沿いの山中で、和歌山市内の中学1年と小学4年の兄弟が2年前の夏休みに鉱物を採取したのがきっかけで、極めて含有率が高い高品位の金鉱脈が確認された。また、これまで国内では2カ所でしか採取されていなかった「手稲石」と呼ばれる珍しい鉱石も見つけた。専門家は地層の状況などから、金の埋蔵量は少なく事業化は難しいものの、他の貴重な鉱物を含む可能性も高いと評価している。子供たちは「みんなのために保存してほしい」と話しており、県教委も現場保存の検討を始めた。
−−−
空海は知っていたのでしょうか。

[126] Re[125]: 徐福と霊薬  神奈備 2002/08/25(Sun) 11:02 [Reply]
元和歌山在勤で植物に詳しい方に聞いてみました。

日当たりの良い海岸斜面の草地のようです。
花は8〜10月とありますからちょうど探しどころかも知れません。
白浜あたりでは通常あるのではないでしょうか。

と言うことで、目撃されたようではありません。

一緒に探しに行ってもいいような口振りです。
神社にも詳しい方です。何ならご一緒してみましょうか。岸和田です。


[125] 徐福と霊薬  マルヤ [Mail] [Url] 2002/08/24(Sat) 13:15 [Reply]
秦始皇帝が徐福に命じ、日本で探させた不老長寿の霊草は「明日葉(あしたば)」だった?・・・という説があります(実は健康食品通販会社のDMコピー)。
この「あしたば」はセリ科の多年性植物だそうですが、ゲルマニウムなどを多く含み、万能の霊薬だといいます。
この明日葉は日本原産で八丈島に多く自生し、伊豆半島や紀伊半島の太平洋岸沿いの、水はけの良い木陰のあるところでも見つけられるそうです。

明日葉やぁーい、小生この明日葉を見つけて栽培したいと思います。
八丈島や伊豆半島は遠いので、南紀で見つからないでしょうか?
もし何方か南紀で「明日葉」の自生地をご存知でしたら教えてください。
採取に行きたいと思います。
その時、石笛も見つかるといいなぁ。

[124] Re[123]: 三重県国崎、鎧崎に行って来ました  神奈備 2002/08/19(Mon) 09:00 [Reply]
鎧崎、倭姫、あまり知りませんです。以下ご参考に。

海士潜女神社(あまくぐりめじんじゃ)<通称>海士御前(あまごぜん)
志摩国 答志郡
【祭神】潛女神 (合祀)天目一箇神 猿田彦大神 素盞嗚命 石凝姥命 玉柱屋姫命 大山祇命 級長津彦神 宇賀御玉神 大土御祖神 大歳御祖神 月夜見尊 建御名方命 天村雲命 天照大神 伊弉册命 天忍穗耳命 天穗日命 天津日子根命 活津日子根命 熊野久須毘命 多岐理毘賣命 多岐津毘賣命 狹依毘賣命 應神天皇 建日丹方命

熨斗アワビの献納は今でも年三回行われるそうですね。

[123] 三重県国崎、鎧崎に行って来ました  まさと [Mail] 2002/08/19(Mon) 02:07 [Reply]
 不思議な場所でした。
倭姫命が鎧を脱いだという場所ですか?
詳しいことご存じでしたら教えてください。

[122] Re[121]: 力石を御教示下さい。  神奈備 2002/08/01(Thu) 09:20 [Reply]
高島さん、こんにちは。
珍しい所へ書き込み、ありがとうございます。

高島さん> 肥前の田島神社に力石があるとのこと、詳しい所在地を御教示下さい。

田島神社の場所をお尋ねと理解すればよろしいのでしょうか。

下記のサイトをご覧ください。
玄松子さん  http://www.genbu.net/data/hizen/tajima_title.htm
田島神社   http://www.matsuronet.ne.jp/tashima/
どうやら境内に置かれているようですね。

[121] 力石を御教示下さい。  高島愼助 [Mail] [Url] 2002/07/31(Wed) 22:45 [Reply]
以前に玄松子様が、書いておられましたが、
肥前の田島神社に力石があるとのこと、
詳しい所在地を御教示下さい。

[120] 葛城山の古名  Setoh 2002/06/15(Sat) 13:00 [Reply]
 古代中国の『山海経』という書物から演繹して日本探検家協会の高橋さんが面白いことを書かれていました。
 超古代の地球規模の大洪水以前に「胡不譽国」という国が和泉葛城山の麓、和泉市父鬼(ふき)から和歌山県粉河町へ向かう中津川の丹生津比売神社の付近にあったそうです。
 この父鬼の地が高野山東の富貴の地に地名移転を行ったし、そこの丹生神社は中津川の丹生津比売神社が元社だという説です。
 また、高野山の名も、葛城山の古名の高陽山(高陽という王様がいた)の名から付けられたとしています。
以上
胡不譽国の名は『山海経』第十七 大荒北経 にあります。
和泉市には父鬼の他に九鬼の地名があります。
中津川には役行者の先駆けの前鬼後鬼の子孫が住み着いたとの伝承もあります。
中津川の丹生津比売神社の 那賀郡粉河町大字中津川に熊野神社が鎮座,祭神に丹生都比売命の名が見えます。丹生都比売命は粉河郷の祖神として祭られているようです。

[118] Re[117][116]: はじめまして。  にゃあ [Mail] 2002/04/22(Mon) 04:19 [Reply]
やはり、胡瓜の所為ですか(笑)
川は串本ではなく三重県の木本(「ノ」は入らないのです)の近くの
飛鳥と書く所なのですが、同じ様な発音が連なるには何か意味があるのか?
それとも、都道府県を決める時に、何かを参考にして付けただけかも?
と、色々と無い頭を使って考えていたものですから。

あ、何か一人だけ、変な質問をしてしまったようですみません。
神社の写真等、色々眺めて楽しませて頂いております。
またお邪魔させて頂きます。

[117] Re[116]: はじめまして。  Setoh 2002/04/21(Sun) 09:07 [Reply]
にゃあさん こんにちは。

http://www.kamnavi.net/kinokuni/minwa/kami4.htm
に掲載している民話は以下の通りです。

木ノ本様

 昔、南島沖で船が難破した時、木ノ本の森に光明が輝き、海が明るくなったので、数人の船員の命が助かった。 そこで住民は木ノ本の森に社をつくり部落の守り神とした。 その後、この部落で胡瓜を作ると必ず悪疫が流行したので、いろいろ調べてみると木ノ本様の紋章が胡瓜であることがわかった。 それでこの部落では胡瓜を作らなくなったという。以上

 神様を祀ったのでしょうが,お寿司の胡瓜巻を河童と言うように,河童の好物は胡瓜と言われており,このへんの話で,神様から河童に変わったのではないでしょうか。
 この程度しか思いつきませんね・・・・。


 

[116] はじめまして。  にゃあ 2002/04/21(Sun) 04:15 [Reply]
はじめまして。
偶然ここのHPを見つけてとても感激しております。
私は南紀の出身なのですが、全然知らないことばかり...。
とても楽しく拝見させて頂きました。

ところで、地元でやはり胡瓜を作る事が禁じられていた川(注)があったのですが
そこは神様ではなく河童の伝承でした。
伝承が伝わる間に変化したのでしょうか?

(注)私がまだ地元にいた時、胡瓜を作る事を再開するため、慰霊碑が建てられ
神主様に拝んで頂いて、ハウスができました。現在はどうなっているか解りません。

[115] Re[114]: ここにも?五十猛神  Setoh 2002/04/20(Sat) 21:12 [Reply]
> 「高天岸野神社」<式内社> 五條市北山町1289(小字岸野)のこの神社、祭神は未詳ですが五條市史によりますと、「この神社は度会延経の神名考証によれば、祭神は五十猛神」とあります。このすぐ近くの「一尾背神社」同北山町249も未参拝ですが、こちらは龍神かも。

マルヤさん。貴重な情報ありがとうございます。金剛山の麓ですね。
すこし南西に式内の高天山佐太雄神社が鎮座しています。こちらは須佐之男尊を思わせます。一尾背神社ともども近い内に参詣しようと思います。これからもよろしくお願いいたします。

[114] ここにも?五十猛神  マルヤ [Url] 2002/04/20(Sat) 13:36 [Reply]
未だ参拝したことはないのですが、
「高天岸野神社」<式内社> 五條市北山町1289(小字岸野)のこの神社、
祭神は未詳ですが五條市史によりますと、
「この神社は度会延経の神名考証によれば、祭神は五十猛神」とあります。
このすぐ近くの「一尾背神社」同北山町249も未参拝ですが、こちらは龍神かも。
両神社とも興味深いものがあります。

[113] Re[112][111][110]: 天野について  あまのや [Mail] 2002/04/09(Tue) 14:40 [Reply]
Setohさん、なにがしさん、ありがとうございました。
たいへん参考になりました。

> 「わらで作ったひもを輪にして肩から云々」の風習

どうやら神道の儀式と関係があるようです。木綿襷ではないかというご指摘を頂戴しました。麻の代わりにわらを使ったのではないかと思います。
大神神社では、三輪山に入山する時に木綿襷をするとのことです。


[112] Re[111][110]: 天野について  Setoh 2002/04/02(Tue) 18:58 [Reply]
なにがしさん,こんばんは。「わらで作ったひもを輪にして肩から云々」の風習は,山東(伊太祁曽神社付近)でもなかったように思います。
あまのやさん>粉河大工
あまのやさん,はじめまして。
聞いたり読んだりの記憶はありませんが,粉河鋳物師は存在していたようで,粉河寺に関する仏具などの製造にあたっていたようです。あれだけの名刹ですから,粉河大工さん方もおられて不思議じゃないですね。

[111] Re[110]: 天野について  なにがし [Url] 2002/04/02(Tue) 00:56 [Reply]
はじめまして、なにがしと申します。
> 私の住んでいる村では、お通夜の時に、わらで作ったひもを輪にして肩からたすき掛けにし、遺族が遺体を棺に納めるしきたりがあります。和歌山でもこの様な風習がありますか。

天野のあるかつらぎ町の地区地区で結構違うのですが、私の知っている範囲ではそのような風習はなかったように感じます。このあたりの有名な風習としては、骨のぼせ(あるいは骨のぼり)と言って高野山に遺骨の一部を納める風習と、両墓制(遺骨を納める墓と、「むせ」といって骨を納めない墓を作ります)という風習でしょうか。

[110] 天野について  あまのや [Mail] 2002/04/01(Mon) 23:01 [Reply]
はじめまして。
先祖が、天野屋の屋号を使い宮大工をしており、天野について調べています。
私の住んでいる村では、お通夜の時に、わらで作ったひもを輪にして肩からたすき掛けにし、遺族が遺体を棺に納めるしきたりがあります。和歌山でもこの様な風習がありますか。
また、粉河大工についてご存知の方、教えてください。

[109] Re[108]: 智名曾について  Setoh 2002/03/21(Thu) 16:45 [Reply]
にぎはやひおたくさん こんにちは。
HP 神話の時代
天道根命━麻枳利命━比古麻夜真止乃命━智名曾命━鬼刀彌命━久志多麻命━大名草彦命━宇遅彦命

『紀伊続風土記』に引用の「國造家譜」
天道根命━比古麻命━鬼刀彌命━久志多麻命━大名草彦命━宇遅彦命
 これには「智名曾命」は出ていません。

和歌山市冬野鎮座の名草神社の社伝によれば「名草比古命は神産霊命五世の孫の天道根命の五代の孫とされており,その妻の名草比売命は紀國造「智名曽」の妹と説明されています。
 『先代旧事本紀』には「素盞嗚尊六世孫の豊御気主命(またの名を武甕依命)が紀伊の名草姫(紀伊国造智名曽の妹、中名草姫)を妻としたとあります。

 いずれにしても,系譜上では
にぎはやひおたくさん>智名曾と大名草彦は別人
でしょうね。ただ,智名曾の妹を中名草姫と称している所からは智名曾は「中名草彦」であったとできないでしょうか。

「神奈備掲示板」の2001/09/29に上田充夫さんが下記のことを書き込まれています。
【智名曾については「古屋家系図」にも現れます。溝口睦子さんの書かれた「古代氏族の系譜」に大伴氏の系譜があり、その中で「豊日命」の説明に「母紀直智名曾女乎束媛命」とかかれています。他の
豪族の系譜に現れるほどの名前であるのに、肝心の紀国造家に「智名曾」の名前が現れないのは不自然に感じられます。天皇家に対して、実名を記載するのがはばかられる事情があって「大名草比古」と表されたのではないかと考えています。】

また「HP:板東千年王国 紀伊氏系図」http://www.ne.jp/asahi/hon/bando-1000/data/kei/k06.htm
では,名草戸畔の子に智名曽と中名草姫をあげていますね。面白い考え方だと思います。紀伊氏とやっているのがシンドイのですが・・・。

[109] Re[108]: 智名曾について  Setoh 2002/03/21(Thu) 16:45 [Reply]
にぎはやひおたくさん こんにちは。
HP 神話の時代
天道根命━麻枳利命━比古麻夜真止乃命━智名曾命━鬼刀彌命━久志多麻命━大名草彦命━宇遅彦命

『紀伊続風土記』に引用の「國造家譜」
天道根命━比古麻命━鬼刀彌命━久志多麻命━大名草彦命━宇遅彦命
 これには「智名曾命」は出ていません。

和歌山市冬野鎮座の名草神社の社伝によれば「名草比古命は神産霊命五世の孫の天道根命の五代の孫とされており,その妻の名草比売命は紀國造「智名曽」の妹と説明されています。
 『先代旧事本紀』には「素盞嗚尊六世孫の豊御気主命(またの名を武甕依命)が紀伊の名草姫(紀伊国造智名曽の妹、中名草姫)を妻としたとあります。

 いずれにしても,系譜上では
にぎはやひおたくさん>智名曾と大名草彦は別人
でしょうね。ただ,智名曾の妹を中名草姫と称している所からは智名曾は「中名草彦」であったとできないでしょうか。

「神奈備掲示板」の2001/09/29に上田充夫さんが下記のことを書き込まれています。
【智名曾については「古屋家系図」にも現れます。溝口睦子さんの書かれた「古代氏族の系譜」に大伴氏の系譜があり、その中で「豊日命」の説明に「母紀直智名曾女乎束媛命」とかかれています。他の
豪族の系譜に現れるほどの名前であるのに、肝心の紀国造家に「智名曾」の名前が現れないのは不自然に感じられます。天皇家に対して、実名を記載するのがはばかられる事情があって「大名草比古」と表されたのではないかと考えています。】

また「HP:板東千年王国 紀伊氏系図」http://www.ne.jp/asahi/hon/bando-1000/data/kei/k06.htm
では,名草戸畔の子に智名曽と中名草姫をあげていますね。面白い考え方だと思います。紀伊氏とやっているのがシンドイのですが・・・。

[108] 智名曾について  にぎはやひおたく 2002/03/21(Thu) 13:23 [Reply]
ホームページ「神話の時代」を見ていたら、智名曾は天道根、麻き利、比古麻の次に位置しています。智名曾の後は鬼刀禰、久志多麻、大名草彦と続いており、智名曾と大名草彦は別人と思われますが、いかがでしょうか。出典は「古代豪族系図集覧」となっています。

[107]  なにがし [Url] 2002/03/18(Mon) 21:49 [Reply]
setoh様
>笹は竹の笹だと思いますが、
そうです、竹の笹のことです。

>薦、葦,茅などもササとよばれていたようです。
ええ〜!!!そうなんですか。と言うことは後世竹の笹に変わっていった可能性も無きにしもあらずでしょうか。setoh様の言われている方向からももう一度見なおしたほうがいいですね。ありがとうございます。

[106] Re[105]: 笹踊り  Setoh 2002/03/17(Sun) 15:21 [Reply]
なにがしさん こんにちは。
> 死者の霊を憑依し、荒れないように鎮めるための「依り代」として、天野の里では「笹」を採り物にした「笹踊り」があった。

 笹は竹の笹だと思いますが、薦、葦,茅などもササとよばれていたようです。天野の湿地帯にこれらの植物が生えていたら鳴石とよばれた水酸化鉄のスズが根元にできたかも知れませんね。天野の里が丹生都比売神の本拠地になるためには何かそれらしい特徴があったのでしょうが,それがスズの良好な産地だったと言うことはないのでしょうか。

 東北地方の「会津磐梯山」を歌った有名な民謡の歌詞
  ♪会津磐梯山は宝の山よ 笹に黄金(こがね)のまたなりさがる
 会津磐梯山は産鉄地であったようで,他に銅もとれているようです。この笹は竹の笹なのか薦、葦,茅などかですが,黄金が「なりさがる」と歌われているのは,根元にスズが出来ることを示唆しているとの見解もあるようです。(インターネット検索から)
 
 確かに墓地の近くには笹が多いように思います。これは人が住んでいる近だとも理解出来ますが,おっしゃる通り,天野の「笹踊り」は笹を依り代としているのかも知れませんが,何故「笹」なんでしょうか。正月の門松にも竹を使い,敷地の角に竹を立てますが,死霊が寄りついてはかないませんね。

【天野の特徴】 【笹はめでたい植物では】が浮かんできますね。

[105] 笹踊り  なにがし [Url] 2002/03/16(Sat) 22:46 [Reply]
以前より「笹踊り」の「ささ」は植物の笹を表すのか、お酒の「ささ」を表すのか、鉄の「ささ」を表すのか疑問がありましたが、それが分かりましたのでカキコ致します。
和歌山県伊都郡天野は岡野氏のコミック「陰陽師」の場面にもなった丹生都姫神社がある地です。「盆踊りは、亡霊に扮装して踊り、霊を招き集め、荒れないように鎮めてから墓地や村境、河や海へ送り出す芸能的儀礼であり、民俗宗教学では踊り念仏とか大念仏と呼ばれる念仏芸能に分類される。死者の霊を憑依し、荒れないように鎮めるための「依り代」として、天野の里では「笹」を採り物にした「笹踊り」があった。現在でも、かつらぎ町三谷に伝承されている。葛城修験を考察するキーワードにもなる」(「高野山麓 天野の文化と民俗」(天野歴史文化保存会)より)。
丹生都姫はある意味高野山寺院の一角を形成していますので、真言宗や修験者の影響がこの笹踊りに表れているのかも知れません。金属や鉱山師に関係あるのかと思っていましたが、どうも関係なかったようです。ただし、和歌山ではそうでしたが、その他の地域の「笹踊り」は違うことから始まっているところもあるようですので、地域によって内容はぜんぜん違うかも知れません。


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