蠅声なす掲示板ログ
2002.4-後半
多に蛍火の光く神、及び蠅声なす邪しき神有り。復草木咸に狽ュ言語有り。
素人のひらめき、力はないが騒がしくなかなか従わない、一寸の草木にもある五分の魂の発露を!
さばへなすの本殿 神奈備掲示板にもお立ち寄り下さい。
多に蛍火の光く蠅声す掲示板
  神奈備別荘写真掲示板にもお立ち寄り下さい。

[226]   口(くち) と 木の洞  バツ3 紋次郎 [Mail] 2002/04/30(Tue) 17:00 [Reply]
 玄象師師ドン、紋ちゃんは流れもんだよ。

 CHAR あったよ、KHOL あったね。
 エデン語 char は口は口でも喋りぐち。
 ネパール語 khol はホクラ(神庫)の xo .木のウロのなかになんにもない。
 an もエデン語の「ある」

 口あって xo あったね。xo に強調末尾辞の -ra がつく。
 POL はアイヌ語で洞窟。pol-an あじゅよ。

 香具さん、おれ4日めに立ちなおったよ。
 あれかなりのドショックやった。
 立ち直らせたものは、タジク語だった。関東甲信越伊豆にはミョウチクリンな
渓流の沢名、岳、落ち込みなどの名前がついている。
 六甲に裏の小さな流れにはミョウチクリンな名前はおまへんかぁ。

 けふ、鳴海日出志さんへの印刷と封筒を用意できやした。

[225] Re[191]:   ぬーん あらんしが よ〜     香具 2002/04/30(Tue) 14:07 [Reply]
>  香具さんに八つあたりしたことになったんカネ。

 いやあ〜、先週の始めは開店休業状態で暇だったんですが、半ばから忙しくなり一週間ぶりに覗いたら、いろいろとたて込んで流れが早いですねー。しばらく書き込みがないときでも、無視したり拗ねたり塞ぎ込んだりしてる訳ではありませんのでよろしく。
 ただ、ハイレベルなお話しが目白押しのときは、疑問質問の余裕もなく、指を咥えて呆然と見てるだけってなこともあります。まぁ、ぼちぼちと・・・。

 電脳を経由する文章は、裸の脳に直接触わってしまうのでしょうか。疑問や批判は論説に対するものであって、人格への中傷ではないと思っているのですが、表現には注意を払うように努力いたします。国会の論戦すら人格攻撃に移行しやすい時代ですから大変ですね。
 では、ぼちぼちと・・・。

> やっぱ他人様がやっていないみたいな領域を掘りさげて、
> それを“近未来”の若いもんにヘタにバトンタッチするしかない。
> そこのバトンタッチに空洞が開いたげな気がするとですヨ。 

 試みに(同様に)『近未来の若いもん』も『他人様がやっていないみたいな領域』を掘りさげようとしたら『バトンタッチ』を受け取らないだろうし、掘り下げたものを『さらに次の近未来の若いもん』もまた受け取らずに『他人様がやっていないみたいな領域』を掘り下げようとするのでしょうナ。昔からずっと今まで繰り返されてきたことです。
 『バトンタッチに空洞が開』くのは、前提の『他人様がやっていないみたいな領域』という条件にあると思うのですが、それでも『バトンタッチ』するには、【他人様に判ってもらうような領域】にまで掘り下げる必要がありませんでしょうか?
 それはまた、自己の探求するテーマ以上に難儀で骨の折れる作業ですが、完成・成功させる為には最重要の仕事だと思います。エジソンで言えば99%の汗の方でしょうね。
 以上、たんなる言葉のお遊び。諸ご先達方に失礼申し上げました。<(_ _)>

[224] Re[220]:   √♪ どこにも ふるさとはない     玄松子 2002/04/30(Tue) 13:35 [Reply]
>  みなの衆、へば、まっぴらぁ〜〜ごめんなすって。

これは、決別宣言?

[223] つまり  近藤 貴夫 [Mail] 2002/04/29(Mon) 09:47 [Reply]
"ghaasa"なら「牧草・飼葉」と訳したほうがいいということ。
"kuza(kusha)"なら、儀式に供される特殊な「聖草」ということで、
いずれも「草」一般ではありません。

[222] 語彙の件 >紋次郎様  近藤 貴夫 [Mail] 2002/04/29(Mon) 09:36 [Reply]
> 安本美典さんが、騙されたとは思えないのですが、どういうイキサツ
> だったんでしょうね。

私はその本は見ていません。
けれども言えることは、サンスクリットには「太陽」とか「月」とかの
基本的な語彙にも<類義語>がとても多いということ。
基本語彙の対照表を作ろうとすると、数個から十数個の候補から絞って
載せなくてはいけません。それで、ghaasaは対応から落とされたのでしょう。
ですから、本当に対応する単語を見つけようとするなら、辞書を見ないと
いけないと思います。

ちなみにサンスクリットで「草」を表す他の単語はといえば、"tRNa"が一番
一般的でしょう。「穀草」なら"zasya"とか。「若草」なら"zaada"とか。

[221] 辞書の件 >紋次郎様  近藤 貴夫 [Mail] 2002/04/29(Mon) 09:16 [Reply]
サンスクリットの辞書の件、私なら、

M.Monier-Williams編、"A Sanskrit-English Dictionary" Oxf.Univ.Press

を推薦しておきます。

紋次郎様お望みの、コンパクトなものではありません。古典的な名著で、
12万語から載っております。が、何巻にもわたる超大型でもありません。
どこで印刷されたものを買うかにもよりますが、数千円で入手できるはずです。

で、敢えてこれを推すのは、紋次郎様が、比較言語的なことを目標にやって
おられるからで、ハナからある程度厚手の辞書のほうが、「あまり使われない
けれども実はもっとよく対応する語彙」を見落とさなくて済むからです。
その上、他の印欧諸語との対応語彙がかなり書いてあるので、その点が便利です。

つまり、入門者用のコンパクトな辞書を先に買うことのほうが、お金の無駄に
なるのではないかということ。
如何でしょうか?

[220]   √♪ どこにも ふるさとはない     バツ3 紋次郎 [Mail] 2002/04/29(Mon) 07:25 [Reply]
 ケチ(ネパール語;警告)がつきやした。風通しを悪うしてすまねぇ。
 居心地よかったんで、わらじぬぎがついつい長くなりすぎやした。
 親分さぁもずいぶんと御達者で。
 
 みなの衆、へば、まっぴらぁ〜〜ごめんなすって。

[216]   サンスクリット語の KUSA     バツニの 紋次郎 [Mail] 2002/04/28(Sun) 13:07 [Reply]
 おらが見たのは安本美典著『日本語の誕生』巻末に出ている58ヶ国語対比一覧表でした。

 安本美典さんが、騙されたとは思えないのですが、どういうイキサツだったんでしょうね。
まさに「発音いっちょまちがやイノチ取り」ですね。これ常々ここの席亭のセトホドンに言って
いることです。
 もう5ヶ月ほど前になりましょうか、神名の発音が固定されてないことを知って、このとき
も大ショックくらいました。
 大ショックといえば鳴海日出志さんの出現です。
 いろんな質問があります。いっちょいっちょ……おひまがありましたら。

 なお、けふ午前中は 上代諸学掲示板 http://www.umoregi.com/php/msg.php3 にあそびに
行ってゴタク並べました。これも、おヒマでしたら……。

[215]   サンスクリット語の辞書、紹介してください    バツニの 紋次郎 [Mail] 2002/04/28(Sun) 12:53 [Reply]
 貴さん、ラッシェーイ!
 貴さん呼ばわりをお許しあれ。掲示板は偉いひとがいてもテッペンとか
頂上があってはならず、横一列の DU 呼ばわりの世界だと思いおりやす。

 ついつい「ラッシェ〜イ」と言うてしまいやしたが、あっしも間借り人、
席亭じゃぁござんせん。
 いろいろと質問したいことがメジロ押しですが、まずは、手ごろのサンス

クリット語辞書を紹介していただければと存じます。
 いまから7〜8年まえ。諏訪神社におられるサンスクリット語の大家から
紹介してもらったのでしたが、「これはダイジだ」と思って格別にしまいこ
んだ……ら、そのしまいこんだ先を忘れてしまって、その大家に2度もおね
だりできずに、至る現在でした。

 できるだけ、簡便な辞書がいいのですが……。
 掲出語彙数は、どんな言語の辞書でも5000前後がいちばんいいと思います。
 小生には、これくらいの少ない掲載をジックリ睨みながら、語幹とその意味を
自分で割り出したほうが、理解がすすむみたいです。

 文法・統語については、また存念を吐き出しますので御指導よろしくアマカネ。

[214] 問い合わせ  sitthi 2002/04/28(Sun) 10:52 [Reply]
バツ二の 紋次郎様。貴殿は2001年3月9日「よろず手控帳」に「リラの花咲くころ……2」と題した一文で<従来、日本語と類似語が多いといわれてきたものは、……、ブータン東部のメンパ語200、……だったのです。音韻対応は、こういう類似語の貧困のさなかで設定されたのでした(点線部分は略)>とお書きになった方でしょうか。

[213] 喰わず嫌いしないで  近藤 貴夫 [Mail] 2002/04/28(Sun) 06:33 [Reply]
サンスクリットもおやりになったほうがいいですよ。
現代でも公用語の一つになっていて、国営ラジオでの放送もある、
三千年以上ずっと生き続けている言語なんですから。
歴史的にも、ヴェーダ語やサンスクリットから分かれて、パーリなどの
中期インドアーリヤ語や、ネパール語、ヒンディー語、ベンガル語、
その他多数の現代語ができたわけですから、絶対に参考になります。
お時間さえあれば、せめて、文法の基礎をやっておくようにお勧めします。

[212] それから  近藤 貴夫 [Mail] 2002/04/28(Sun) 06:14 [Reply]
サンスクリットで動詞語根budhは目覚めるの意味。
Buddhaはその過去分詞からきた名詞ですね。
ドイツ語で関連がありそうなのは、実はbieten、英語ではbidの方。
ドイツ語wachen、英語wakeの系統とは違うようですよ。

[211] はじめまして  近藤 貴夫 [Mail] 2002/04/28(Sun) 06:01 [Reply]
紋次郎さんにうちの掲示板に再三来ていただいていたので、一言ごあいさつ
しに参りました。
お構いできませんで申し訳ありません。

> 桜左近さん、出番だよ。
> なんでネパール語 ghas(草)が サンスクリット語の KUSA(草)になったか。

呼ばれてないですが、そのghasに相当するサンスクリットは、kuzaではなくて
ghaasaのほうでしょう。家畜の飼料にする牧草地の草、という意味からきていると
思いますけど。動詞語根ghasは喰うという意味ですからね。
参考になりますか?

[210]   ワイハ〜 タジク語 1     バツニの 紋次郎 [Mail] 2002/04/27(Sat) 14:50 [Reply]
☆ ここをときどき覗きに来るご仁は「ホトケ」の毛が気になるんだろう、エッチーィ。
  ブツタとは「目覚めたひと」と解釈されているらしい。この BUTT という音は
  ドイツ語の WACHEN(目が覚めている・バッへン)と関係があるのだろうか。
  タジク語 BUT は「偶像、神像」と訳されている。「仏像」ではない。
  ネパール語 BUDDI は「智恵」。こうなるとどっちが本家かやろか。

  こんな三つだけでは結論だすのは、まだ不十分だが、百済から紹介された仏教は
 まず、仏像という視覚で捕らえられた。モノノベ語に馴れていた頭には神像のほう
 が理解しやすかったのではないだろうか。

 フヴヒーさん、ネパール語に budh(水星)がある。これ、役にたたんやろかネ。
 タジク語 SITORA(星)、ネパール語 TARA(星)もある。
NAуM(星……уは x の濁音)は「南雲」にも似いちゅうがアイヌ語 nochiw(星)
 にも似いちゅう。chiw は(天の)川か、蒙古に同系の川あり。 

 あっしの H.P ができ上がりしだいに一覧表を作りますが、それまでは「ワイハー」
 (津軽弁で、ακθαμβεω)で、びっくりしてくたシャイ 。
 この作業、あっしのドタマに印象深くするため……ざんす。
  

[209]  ソホドの神のおぼしめし     バツニの 紋次郎 [Mail] 2002/04/27(Sat) 11:39 [Reply]
 きのふもセトホドンが神奈備掲示板にカキコした。
 原文のままでなく、ちょと極端な表現だが「紋ちゃんは、これまで言語学者を嘲り
嗤っていたのに、たった一人の言語学者の出現に、なんでそんなにうろたえるのか」
とあった。
 それに就いてわかるように解説したつもりだったが、真正面からの回答や反応はま
だない。そして、けさも「紋次郎さんが畏怖される 印欧祖語その他の言語学……」
という表現に遭った。
 今は「あげ足取り」にはメチャ気をつけねばならないタイミングだが、オレがこれ
から隆盛になる印欧祖語その他の言語学を“畏怖”している……とした表現は、オレ
の「思い計り」とはまったく逆な受け取りだし、ここは言語追求を趣味にしているシ
ロート全員に深くかかわることなので、また同じようなことを書くところとなった。

 結論を先にいうと、おらは「これから興る世界規模での言語対比による関連学問の
興隆」は、“畏怖”どころか大歓迎しているんですぞ。
 下でも叙べたが、名誉慾とか自尊心の満足を狙ってこんなことやってんじゃねぇ。
だからおらは、見ずしらずのひとがおらの開発〜発見した真実(らしき)説を無断で
転載してもニャンとも思わないし、友人にも「できるだけこのヤリクチでやれ」と奨
めた。

 「では何のためにそんなことやってんのか?」と訊きたくなるだろ?
 こたえ;「神風特別攻撃隊の付託に少しでも応えるためでア〜〜る」

 おれというイノチを長らえさせるために、「これからッ!」という18〜23歳の
18900名もの若者が「あとは頼んだぞ」と言い置いて、死んでくれたのです。

 心霊追求も価値観の整理もこの範疇をでない。
 あとは H.P.でそのうち発表するので乞うご期待。緊急に知りたいときの質問は
「ほにゃらか掲示板」で。

 近未来の言語学は、コンピューターを駆使して同時に数百の言語対比もできるよう
になるだろうし、対象言語は当然にも世界規模になる……、それは10年前痛切に感
じ、予測してきたことだった。
 ところが、そのカケラすら出てこなかった。……が出た! まさにお目出度いかぎ
りである。
 
 サラセッセよ、安心なせぇ。おれとペア組めば大義名分は立つのら。

[208]   そ れ れ い い の ら    バツニの 紋次郎 [Mail] 2002/04/27(Sat) 07:14 [Reply]
 あげ足をとればどうにでも解釈できる。下の[207]を文面どおりを悪意で解釈するなら
 「無責任でシロートの私も参加してゴタゴタ言うた」ことになるよナ。

 おらは、ねっから自尊心なんちゅうものは捨てている。邪魔でしょうがない紋ナ。
 おらを攻撃することでウンジュの気が晴れるんやったら、ナンボでもやってけれ。
 ウンジュの価値は無限なのだ。
 

[207] ハッティ(ヒッタイト)  桜左近 2002/04/27(Sat) 04:54 [Reply]
hvhyさん、一連のゴタゴタはさぞ見苦しかったでしょうね。
率直に考えて、もし記紀の神名が魔方陣で「エンコード」されているならば、紋次郎さんが畏怖される
印欧祖語その他の言語学をもってしても大した成果をあげることができないはず。この辺り私のような
無責任な素人の外野席から見ると面白い(失礼!)成り行きで、楽しみにしていますよ。

 沖縄によくある「具志堅」という姓、この由来をWEBで調べてみてもどうも定説がないようです。
そこで思い出すのがhvhyさんの情報、ヒッタイトはハッティと呼ばれていた(らしい)。
沖縄で「羽地」という姓は多いと聞きました。羽地はハッティではないでしょうか?
先日ご紹介したヒッタイト-シュメール辞書によると、「GUSHKEN」は「金=GOLD」です。
ひょっとすると、蜂須賀もハッティか?(笑)

[206]   おろち と みもろ     バツニの 紋次郎 [Mail] 2002/04/26(Fri) 20:29 [Reply]
 「オロチ」はチチカカ湖の西海岸へ縄文土器を伴って現代に露出している。
 だから、弥生期以前に出雲にあった偏執(文化)である。
 オロチは龍ではなく“へび”だ。
 ……と、ハナシをひとまずここに置いといて、

 雄略天皇がミモロの丘の神の姿が見たいと仰せられたくだり……、その実体はへびだっ
た……と。
 いつのまにか、書き物や地名では「 mi 」がへびとして多用されるようになったみたい
だ。それは「モロ」というのが山であって、イクオール「大地」ではなかったからではな
いだろうか。
 多くの族では mor といえば山だったのだが、へびとは「大地」専属(?)の神だっ
た。
 そして、峯々には別の意味の先祖神や英雄神が祭られるところとなったからだと思う。
 
MOR はタジク語で、山ではなく へびなのだ。

 では、オロチの語源はなんだろうか。アイヌ語では *WOR(奥山)がとれる。だが、こ
れは入会地という行政的感覚での意味が濃厚である。
 タジク語で ota∫ が「火」であることは、きのふ紹介したところだが、(少なくとも
文化的に)“混血”が基本の言語では、火なら火で、二つ三つは用意している。
 別に,OLAW が火である。
 火の CHI(霊)がオロチだったのだ!  
 出雲神話のあとを辿ってみると、諸賢は以上の考察が正鵠を得ていることに思い当たる
だろう。

 長くなるので、はしょって申しあげる。
 シナから来た土民が蛇崇拝の群れ(モロコシ)で、それを龍信奉の(支配者)の群れが
制圧したというのが、ya(神)mat(大地)……へび神……(+ パーリ語的開音(母音
づけ)-A )のオロチ退治の本スジ説話である。
  ※ moro(へび神)KO(ネパール語;△△の)SI(ネパール語;ひと)

 どうでぇきょうでぇ、どんなに -A が「目くらまし」をするか……、わかったよネ。
 どうでぇきょうでぇ、鳴海日出志さんのもとでも、おらの活路、依而如件!
                                 アマカネ

[205]   鉄さびの池 そぶ    バツニの 紋次郎 [Mail] 2002/04/26(Fri) 17:24 [Reply]
 小学館ライブラリー;谷川健一著『青銅の神の足跡』
P 64 には愛知県葉栗郡に祖父江(ソブエ)町があって、イフキや伊福部に関連した
   ことが書かれている。
P298 には甲斐の國、飯富の旧訓はオブだと書いている。

 ソブエの S は製鉄に関係するものらしいので 朝鮮語 * Sφ としよう。
E はギリヤーク語との共通の川である。そうすると残りは タジク語 OB(水)。
 甲斐の飯富は湖沼干拓の蹴裂(ケサク)伝説に深くかかわる。タジク語 OB(水)。
 その他、神社の側のため池をソブと言うとかの記事があったという幽かな記憶があった
ので探してみたのだが、見あたらない。ミナシャン、なにかありましたらタシュケテくたシャイ。

[204]   シラクサへシラクサへと 草木はなびくヨ  バツニの 紋次郎 [Mail] 2002/04/26(Fri) 06:09 [Reply]
 桜左近さん、出番だよ。
 なんでネパール語 ghas(草)が サンスクリット語の KUSA(草)になったか。
 ついさいきんまで川周辺の葦原をカジと言ってたんでっせ。

 たしかに、セトホドンが言われるとおりに「くさ」は臭い。
 きのふクラリンさんちに遊びに行ったら「日下」と書いて「東」を意味していた
のはシナでの習慣だったことを尻やした。へば、これ KU(よか)SAKHA(ところ)
が、「クサカ」の基本だろう。文字はシナから、発音と意味はネパール語あたりから。

 それにしてもシシリ−島の「シラクサ」はいよいよ臭い。
 アイヌ語 KUSA は舟などで「川を渡る」で、GHUS はネパール語で「貫く」。kus は
アイヌ語でも「貫く」。日本語「串」、ミオツクシ。
 極東に広く SIR は船着き場だが「クサ」も船着き場かもしれん。
 これも、きのふ、クラリンさんとこにカキコしたばかり。

[203]   お 詫 び ぞ な        バツニの 紋次郎 [Mail] 2002/04/26(Fri) 05:46 [Reply]
 ◇×○しゃん オハヨ

 おらのアタマのうしろでウグヒスが鳴いたヨ♂ 
 気分どうカネ お詫びにいい先生紹介しやす。
 
 体調崩しておられて、ゴールデン・ウイーク前の多忙中ですが、まもなくご自分の
掲示板 (榕風) http://402.teacup.com/kondotak/bbs でカキコが始ること
と見込めやす。近藤 貴夫先生。 サンスクリット語にメチャお詳しい。

  NO ONE BUT BLAME-mono カネ 

[202] 桜は葉桜,今や野山はツツジと藤花  神奈備 2002/04/25(Thu) 22:22 [Reply]
「くさ」とは何か?
海神のいづれの神を祈らばか行くさも来さも船の早けむ
わたつみの,いづれのかみを,いのらばか,ゆくさもくさも,ふねのはやけむ
と歌われる往来方の地をクサとしたのではなかろうかと,『古代播磨の地名は語る』姫路文庫に記してあります。
 この歌の舞台の姫路平野は船の行き通う海であったことが、『風土記』の記述からも推測でき、紀の国の名草の「クサ」も紀の川の船の往来の地に関係していないだろうか。
更に思いをはせれば、草香、日下などのクサも日の出に関連して説明されるのだが、同時にまた船着き場の様相もあるのです。

[201]   ソホド は 風の神か??  バツニの 紋次郎 [Mail] 2002/04/25(Thu) 18:39 [Reply]
 「イタキソ」様という。末尾の SO はどうも「神」らしい。
 するとソホドに代入すれば「神・BOD 」=「神・風」じゃん。あらま! 神風特別攻撃隊!!

 √♪ 大きな袋を肩にかけ 大黒様物語り……やり直すべか。鳴海日出志さんのご威光のもと
でも、おらの活躍の場はあるやなしや。

 「ほど穴」は香具さんが教えてくれたんだったよな。オレイ言うの忘れてた。ごめん。
 sobotu も香具さんが教えてくれたんだった。
 それがなぁ、香具さんたいへんなんだヨ。 濡れそぼつは S-OB という分析が赦されるなら、OB
が、やっぱりタジク語の「水」だった! S- は強調接頭辞(ネパール語)。「○○おつ」の語形
は「かこつ」にもある。これ、逃げはしない。ゆっくり探すべ。
 タニグクもソホドも出雲神話にでてくる。
 ここにはクエ彦、神ムス(炎)bi(mi がレプチャ語で火)、SUK(+彦)など、希望が持てる。
 
 心配かけたが、なんとかもちなおしそう。紋チャンじゃモンネ〜〜。

[200]   け ふ の 書 き 入 れ  バツニの 紋次郎 [Mail] 2002/04/25(Thu) 16:47 [Reply]
 ネパール語に似ている日本語・アイヌ語。既登録;日本語1150. アイヌ語460
 なにか、新しい解釈などありましたら、お教えください。

 《khat(適用する)》 
 かこつける 「かっこうつける」ではない。「○○にかこつけて…」などという。
        khat は日本語化されるときには「か」となるはず。
       「こ」はアイヌ語にみる包合(それを)らしい。
 かまける 「か」を「香」とする解釈があった。
      「まく」は「任・任命」としたい。

 《ghatak(有害な)》
 博多弁;「ふてぇがって、どげじゃろかい」(なんとまぁ、たいへんな)

 《dost(ともだち)》
 沖縄;あみどし。鹿児島;もどし
 勤王の志士仲間などの「同志」にきこえがちだが、九州では「どしの意気」などと短
く発音する。もどしのモは原意は朝鮮語と共通の苗だろう。「田の面(も)」を派生。

 《bihaha(朝)》
 bi は原意 2で再びの概念。hana は日本古語のハネる(往ったものが戻ってくる)。

  《bilasi(堕落)》
 bi は「悪い」。las はアイヌ語; ra(低)。 i(ことがら)。

  《bhui(床・地面》
 「地歩を占める」、踏む、麓  A;旭川近文(地名)鷲の多い土地 cir ka bhumi

  《sarbocca(最上の)》
 岡山方言; ぼっこう(たくさん・勢いが強いさま)

  《mar- (死ぬ)》
 まかる、みまかる。mar が日本語になるときには ma となる。「かる」は下。
 屍体のカラを内包。
  
  《gar (する)》
 まかる、まがる、さがる、つ(2)がる、おがる、な(流水)がる、もがり、など

  《mol (値段)》
 目盛り、見積もる。

  《nwaran(新生児のお披露目)》生後11日めに親戚を呼んでとり行う。
 n ; 強調接頭辞。war (ツワリの war ……芽がでる)。「ツ」は芽。
 -an は、上手には表現できないがエデン語。名詞を作ったり、状態を表す。

  《niska(出る)》
 n ; 強調接頭辞。is = 出ず。 -ka ; A;動詞末尾辞

  《 pal (テント)》
 サンカ用語;ユサバリ(テント)。yu ;日本古代語で「休む」。「サ」は名詞化。
 張る。

[199]   おらも「バカ」いわれちゃったヨ    バツニの 紋次郎 [Mail] 2002/04/25(Thu) 06:13 [Reply]
 桜左近さん、オハヨ


 とまぁ、2行ほど空白あけたらヨカったん。ぜんたいを見てけへ。
 なんだか、怒ってんのか? おれもきのふのオレにバカ言われたんで、怒ろうかなぁ。
 バカからアホ言われてもいいじゃん。
 へば(津軽弁)、天才、神業と言われたときは、どんな反応するんカネ。
 
 「怒っているとき」の、その相手は価値ゼロなんだよ。価値ゼロの相手に人格をかけて
マジにつき合うときの自分もまた、そのときは価値ゼロになる。
 バカにはマジにつきあうもんでねだ。

[198] Re[194]:  1を聴いたら 10 は知らんっぷりする    桜左近 2002/04/24(Wed) 21:44 [Reply]
> 桜左近さん、オハヨ
>  わてかてバカやが、あんたかてアホやろ? 会話はお互いがいい加減バカやという共通認識
> のもとに、矛盾があるからこそ発生する。

今度は「アホ」ですか・・・・
なるほど、私は頭が良くないのは承知していますし、それなりの発言しかできません。
だからといって、いくら大先達だからといって、こういう公共の場で「アホ」と名指しで侮辱される筋合いはないと思いますね。
昨日は私の「態度がマチガイ」といわれました。
私は何かそんなに悪いことをしていますでしょうか?

[197]   オ タ ス ツ 人    バツニの 紋次郎 [Mail] 2002/04/24(Wed) 19:51 [Reply]
 途中でのっぴきならねぇことォ思い付いたので、予定よか6時間ほど延び々々になりやした。

 いやさね。樺太にオタス、オタスの杜っちゅうのがあるんですヨ。
 こことの抱合せでの調査報告はアナシには向かないことを思い知り、キー打っていやす。

 吾人がアイヌに「最も異人めいたもの」を感じるのは「ウチナンチュ−(沖縄人)とのそっくり
さんのアイヌ」に対してでござろう。

 おらはに一度だけ、川村カ子ト(カネト)エカシに会ったが、そのときの印象は「青森県にいく
らでも見られる人相骨格」……ということでした。

 川村カ子ト(カネト)エカシは、もっとも広く和人に知られたアイヌでした。
 『ク・スクップ・オルシペ(私の一代記)』を書いたクラさんの兄さんでもあり、このごろ何
かと有名な“ビッキさん”も身内で、オタスツ人の血をひいて、誇り高い一族です。

 どのように誇り高いのかといえば、まず先祖からの血統。そして霊力が強く、この世の“ああ
やらこうやら”に気を動かさない人びとです。このへん日本のシシミ(修験・神道・密教)に似
ています。

 オタスツ人が世界史(?)に初めて認められたのは、道南にいたあたりからだろうと思います。
 和人の北上がイヤになって、少し北上して余市方面にしばらく居たことはクラさんの記述にも
あります。
 「オタスツ人」といえば、周辺のアイヌは無条件に尊敬していたし、みずからもそれだけの矜持
をもって生きていた人びとです。

 OTA∫ がタジク語の火であることは、すでに神奈備掲示板で叙べました。「オタス」なんていう
音はぐるりぐるっとを探してまわってもないのです。
 では「オタスツ」の「ツ」とは何でしょうか? 小生は津軽の「ツ」……すなわち「龍」だと思
います。ghar はネパール語の家、「ツ」とは LU を写した川舟の人びととでしかありえない……
です。
 すなわち、オタスツ人とは「火龍」です。金属精錬士でないわけがありません。

 知里真志保によれば、道南(渡島半島)と樺太アイヌの方言は酷似しているそうです。
 樺太にある「オタスという地名」……もういちど、どこかで書く機会はきっとあるはずです。

[196]   『かむなび』 NOW ・カカセオの語源      バツニの 紋次郎 [Mail] 2002/04/24(Wed) 14:10 [Reply]
 「いかがわしい」とか「醜(しこ)女」という類似発音にイヤ気がさして、新しく神名
を創ろうとしたのではないだろうか?
 すなわち、原音は 「IK(エデン語 EK(1)) AKHA(目)SI(人)KO(の)O(神)」で物部の
先祖神イカガシコオのみこと。

 KAG(光りを呼び込む神鳥……鴉)のパーリ語的開音(母音づけ)化をうけてカカ・カガ。
 セはセニョ〜ル、壮年、指導者。
 O は男、神。

[195]   ほ ど ア ナ の 謎     バツニの 紋次郎 [Mail] 2002/04/24(Wed) 12:30 [Reply]
 女性の陰部を「ホト」という……これ常識みたいになっていますが、「ほと」はもともと
男根です。これに毛までつけて丁寧に崇め奉ったのがホトケ……これホント!
 この“毛”ことは、いずれ近いうち詳しく披露しますが、それまでのあいだ、どうか紋チャン
はキチガイではないことを信じてくたシャイ。

 ちょとだけいうと、原音は PHOTIで、意味は女性の性器。末尾の I が女性を表しているわけ。
ですから元になってるのは PHOTO の男根です。 
 これがいつのまにか「ホト=女性性器」になっちゃった。ナァ〜〜ンデカ?

 それはネ、BOD が風だからァ〜〜、オレイ! これタジク語あるよ。
 BOD がパーリ語的な開音(母音づけ)をうけるとまちがいなく「ボダ」になっていた筈だが、
野ダタラの段階ではパーリ語族はまだ日本列島にやってきてなく BOD の「O」をそのまま継いで
日本語としての「ボド穴」が定着した。語頭の濁音は清音化される。
 「穴だったら、あそこの穴……」、誰かさんもミナシャンも同じように考えるべ?
 しかしネ。昔のひとはもっと真面目だった。それが生産の根源の場所だったんだ。

 セトホドン、「をほど」にちょと近づいたね。日進月歩だね。「を」もタジク語で VO なんとか
ならむ。

[194]  1を聴いたら 10 は知らんっぷりする    バツニの 紋次郎 [Mail] 2002/04/24(Wed) 06:53 [Reply]
桜左近さん、オハヨ
 わてかてバカやが、あんたかてアホやろ? 会話はお互いがいい加減バカやという共通認識
のもとに、矛盾があるからこそ発生する。
 これには例外がある。死にかけているとき、と、一方が大ガネ持ちで、一方が貧乏人のとき。

 ここにわれわれとはねっからの乖離を持った言語学者による東西比較が出発したんでんがな。
「このひとはバカとはいえん」関係にある。

 この先の展開は火をみるよりも明らか(10)……、わえらのロマンは、文明開花このかた
いままでの学者が暗愚だったことに支えられていた、来た。
 「お通さん、そっちは無ミョウ(明)の道だよ」とタクワン坊主に言わせた吉川英治そのひと
も、どこまでバカやったんやろか。
 わえら21世紀初頭人。お猿さんがシッポ切ったばぁなのら。

 サンスクリット語のこと……、こまかいようだが、MAR でないと「男」追求はでけしまへん。
MARA という具合に 末尾に「-A 」をもってくる必要はないし、あれば混迷のもと。そういう
集積がコワイ。
 ここをしらんっぷりできるなぁ、やっぱ神さま神技や。
 おらも神技で生きたいが、21世紀初頭人の矜持(呪縛)から解放……うまく行くやろカネ。

[193] Re[184]: 人造語は悲しからずや     桜左近 2002/04/24(Wed) 04:49 [Reply]
お言葉を返すようで恐縮ですが・・・
> おら、サンスクリット語の辞書はまだ見ちょらん。ばってん、「ありゃ人造語だ」と
>聞いたとたんに「サンスクリット語の“座”が奈辺にあるか」を尻やした。

「人造語」だと言っても、決してエスペラントみたいなものではありません。以下、「講座東洋思想
(東京大学出版会)」を参考にします。
ヴェーダ文献は長い歳月にわたって成立したものなので、最古層の『リグ・ヴェーダ』と比較的新しい
『ウパニシャッド』では明らかに言語の変遷が認められる。紀元前4世紀頃に文法家パーニニが出て
それまでの「文法」を整理!し、いわゆる「古典サンスクリット」を確立した。ですから、ウパニシャッドと
古典サンスクリットは非常に近い関係にあります。パーニニが言葉を創作したわけではありません。
参考のために、「新・サンスクリットの基礎(平河出版社)」から要約引用します。
パーニニは「アーダルシャナ山の東方、カーラヴァナの西方、ヒマヴァット山脈の南方、パーリヤートラ
(ヴィンディヤ)山脈のの北方の地域」に住むバラモンの言葉を「標準」と定めた・・・のでありますから

> 言われているように、周辺言語の bon(良い)とこを寄せ集めたのだから、変化して
>ゆく概念を閉じこめている姿はそこにはねぇはずにござんしょう。

は少し疑問です。
KUMARAにしても、ネワール語をサンスクリットで分解して解釈したわけではなく、サンスクリットの
KUMARAがKUとMARAから構成されているのはサンスクリット辞書に出ているはずですが・・。

>サンスクリット語に語源を求めようとする取り組み態度は……マチガイである。

うーん、よくわかりませんです・・・・(^^;

#大先達に対して大変失礼な物言いとは思いますが、タブーを廃し真理を追究する紋次郎さんの
姿勢に共鳴するからこその発言と受け取って頂ければ幸いです。

[192] 天智天皇について  hvhy 2002/04/23(Tue) 23:15 [Reply]
>一曰鼻垂。妄假名號、山谷響聚、屯結於菟狭川上。
>二曰耳垂。残賊貪婪、屡略人民、是居於御木川上。
>三曰麻剥。潜聚徒黨、居於高羽川上。
>四曰土折猪折。隠住於緑野川上。獨恃山川之険、以多掠人民。
>(景行十二年より引用)

以前も引用した書紀の一節です。前後の脈絡はさておき、
ここで「二」と言われている部分に注目。「屡略人民」は、
古典文学大系で「しばしば人民を略(かす)む」と訓まれる。
魔方陣の【二】は「神沼河耳」で、「沼河」は「額」でしたね。
してみれば、まずもって「略」は「各田」(額田)の隠字ですし、
「かすむ」という訓も、なんと「膠」を意味する「Casb」に繋がる。

こんなあたりを確認しておいて、今回の本題に入りましょう。
実は「御木」という地名の後ろに本当は原文注記があるのです。
「御木、木此云開、川上」となってる。これを踏まえたところで、
例えば古典文学大系は「御木」を「ミケ」と訓む。そういうわけで、
「木此云開」は訓むための注記です。しかし、本当にそれだけなのか。
思い起こすべきは、古事記や日本書紀の全体構造です。それは循環構造。

***

【二】に属するのは、第2代、第11代、第20代、第29代。
古事記の範囲ならここまで。最後の第29代は、古事記の天皇で、
「天」を負っている唯一の天皇でした。これはだれでも確認できる。

#どうやら、この「天」は「ΣMYA」らしい。
#つまり創世記の冒頭の「天」。という話はした。
#「ΣMYA」は「472」だから【二】に属する。(※確認して下さい)

然るに記が第33代で終わっているのに対し、紀はもう少し続く。
その結果、【二】に属する天皇がもうひとり居る。それが「天智」。(※書物の中に居るの意)
第38代の天皇である「天命開別」は【二】に属します。ここが肝腎。

冒頭で引用した「二曰耳垂」に続く部分は、【二】に関すること。
つまりは、【二】に属する「誰か」について「何か」を言っている。
そういう性質のものです。例えば「略」という「たったの一文字」が、
第2代の「神沼河耳」の「沼河」を解く道具になっている。同じように、
「木此云開」という注記は、「命開」が「命木」であることを言っている。
言っているか言っていないかを論ずるのは不毛ですから、言っているとして、
このまま進めましょう。問題は、「命開」即ち「命木」の意味するところです。

***

ヨハネの黙示録の最終章に「命の木」なる言葉が繰り返し出てくる。
『Aramaic Peshitta Text』で確認すると、これは「QYSA・DXYA」。
正確な元の発音は分かりませんが、「カイサ・ディ・ハヤー」ぐらいか。
音は無視できませんが、もっと無視できないのは、その数字がどうなるか。(※今の議論では)

★「XYA」(9/20/2)→「31」→「4」即ち【二】

★「QYSA」(200/20/70/2)→「292」→「4」即ち【二】

★「QYSA・DXYA」(292/5/31)→「328」→「4」即ち【二】

「命」を意味する「XYA」も、「木」を意味する「QYSA」も、
そして「命の木」を意味する「QYSA・DXYA」も、【二】です。
計算はごまかせません。中学生でも確認できます。確かめてみて下さい。
このような結果を見た時に、「それは偶然だろう」と思う人は思う人です。

日本書紀は「天命開別」(天命木別)が第38代と書く。つまり【二】と書く。
ところが、アラム語の「QYSA・DXYA」(命の木)は【二】の数価を持つ。
ベースにあるもの。それは、同じ魔方陣。そんな馬鹿な話が果たして有り得るのか。(※他の例は後日)

***

「二曰耳垂。残賊貪婪、屡略人民、是居於御木川上」の「屡略人民」。
「略」は「各田」(額田)で、第2代の「神沼河耳」に繋がるのでした。
では「人民」という言葉は何を指すのか。【二】は「水」であってみれば、

★★★★★←→★★★★★←→★★★★★
★二七九★←→★水月金★←→★486★
★一三五★←→★計土羅★←→★531★
★六八四★←→★火日木★←→★972★
★★★★★←→★★★★★←→★★★★★

それは、アラム語の「MYΝ」(メーン)でしょう。「MYΝ」の意味は「水」又は「人民」。
数字は「50/20/60」→「130」→「4」即ち【二】。実は「人民」も【二】なんです。
だからこそ書紀は「屡略人民」と書いた。「略」も「人民」も「木此云開」も【二】を言っている。
特に「木此云開」は、【二】である所の「天命開別」の「命開」を「命木」に変換する道具でしょう。

[191]   ぬーん あらんしが よ〜     ×2の 紋次郎 [Mail] 2002/04/23(Tue) 18:28 [Reply]
 香具さんに八つあたりしたことになったんカネ。
 ま、いいや。相手が香具さんや。
 おらがムナシイなぁ、『判ってて何度も書かすな!』ではなぐってぇ、こんなシロート放言
は30年後にはカスのカスになっちまうんだろうに……でんがな。
 それもワカッチョルよな。

 この世で、ナニかするにあたいするものがあるとしたら……、やっぱ他人様がやっていない
みたいな領域を掘りさげて、それを“近未来”の若いもんにヘタにバトンタッチするしかない。
 そこのバトンタッチに空洞が開いたげな気がするとですヨ。 

[190]  √♪ 花も嵐も踏みこえて 征くがオトコの生きる道     ×2の 紋次郎 [Mail] 2002/04/23(Tue) 18:02 [Reply]
 ホロホロ鳥ばい
 クラリンしゃん、タミル語へのつっこみ、すすんでるゥ〜〜。
 「マツル=飲み食いをさせる」は、おとといカキコしたばかりです。
 五七五など、日本文化へ隕石みたいに落ちてきたタミル語……はうごかし難い事実だと思います。

 タミル語に就いて概略をお教えアマカネ。
☆ おらハ、大野晋教授の『日本語とタミル語』解説のなかから、16語彙のアイヌ語そっくりの語 
  形を拾った(『衝撃のネパール語』P 24 )んだが、タミル語のなかにはなんぼぐらいアイヌ語
  語彙が拾えるもんですカネ。ネパール語からは450ペア拾えました。
☆ まだ村山七郎さんが生きておられたときには、大野晋教授は「日本語とネパール語のあいだには
  35ペアの類似語彙がある」と言っておられました。ところが村山七郎さん逝去のあと、ある
  雑誌には「500ある」と言っておられる。
  大野晋教授は、タミル語・日本語に精通した助手二人を雇って10万余語が掲載されている辞典
から 350ペアを摘出し発表されたのでした。
  この「逝去」前後の数字には学者らしくないものを感じるのは、オレばかりやろか?
  500ペアはあると思われますかね。
☆ タミル語のなかには強調接頭辞、強調末尾辞はありませんカネ。
  PUTT-AI などの -AI はネパール語では強調末尾辞です。
  -RA の処置に困っておられたみたいでしたが、これもネパール語では強調末尾辞ですら。
  強調接頭辞には S-(すってんてんなど)と N-(ウシ / 主など)がみられます。
  上は語彙を構成しますが、言い終わったあとの強調辞には ta 、ni 、 nai 、ga があって「生い
 ばおうるがに(ba は英語の OR )」とか「日本人やろが」など、そっくりさんが顔をだします。
☆ 過去形を示す語彙はありませんか。ネパール語では BHO をつけて過去を示します。英語のように
  -ED をつけたりしません。
  
★ クズのウタに「さやさや」がありましたネ。SAIT(吉兆)の神も「サヤ」になりそう。
  壱岐ではセーンガミと言っています。
★ これも、いままでの言語学者の怠慢のあげくの現象でしょうが、民俗学はたけのひとがよくくちを
  だしますけど……。佐々木隆さんとは、主にどこのことばを見ているひとですか?

 こんごもよろしく。続けて来てちょ、なも。

[189] お手数をおかけします  香具 2002/04/23(Tue) 17:28 [Reply]
むなしかぁ〜ないです。
『判ってて何度も書かすな!』
すみません。しかし、あちこちに何度も繰り返し書いて頻繁に出てくることが大切だと思います。数がたくさんあると、検索でも引っ掛かりやすくなりますしね。
 いろいろな流れで出てきた話題に対して、その都度に解説が繰り返される。そしてだんだんと定着していく。一度発表すれば終わりということはないと思います。引退はさせまへんデ。なにより、お蔭様で著作権侵害を回避できますし〜。<(_ _)>

[188]   √♪ 風も鎮まる 大刀洗 ああ、闘魂のこころ意気    ×2の 紋次郎 [Mail] 2002/04/23(Tue) 15:59 [Reply]
 むなしいネェ〜。レッキとした言語学者がいまんとこたった一人とはいえ、旧来の殻をぶち破
って踊りでたのだ。もうすぐ、世界規模で、人類史をトレースする新しい方法論が出る。
 ほんとうに、まちがいなくそれが出るかどうかの見咎め役にわれわれが役たてるかどうか……。

 少なくとも30年後にはハッキリ出るということが分りながら、いまここでシロート・ドタマを
しぼりまくって「タタラ」や未解読語彙なんざに熱中することが、おらにはムナしく感じる。

 だが、やるべ チョホ・ホ・ホ
 527〜9年、磐井のランがあった場所に太刀洗(タチアライ)町がある。
 昭和17〜20年の戦争たけなわのころ、√♪ 風も鎮まる大刀洗 ああ、闘魂のこころ意気
……と戦意を高揚させた地名。
 大刀洗……といえば、これには「むかし○○の戦争があったとき、ここで××という武士が
太刀を洗った」という伝説が必ず付着する。事実そんなことが、なんとかいわれている。
 ところで、上の歌詞にもあるが「風も鎮まる」とはなんだろう。ここはいつも風があたる場所で
それゆえにこそグライダー飛ばしから飛行場ができたのではなかろうか。
 福島さん、ここどげなんふうでしょうか。
 風がよく吹きつける場所とは窯焼きに適した場所だ。

 ハナシはちょと飛ぶが、江戸期にでた紀行文で『秋山郷』がある。おへまの里の裏山みたいな山
村で、畑をネパール語〜パーリ語系で「ケットウ」という。色のまっくろけの同級生も別の集落に
いたともいうし、あっしが「ガンジー」と綽名をつけた婦人もいる。
 この秋山郷(GAU は村)では夏でも夜はひと晩じゅう大きな樹の幹を燃やして暖をとる……と
書いてある。炉の上に吊った乾燥棚を「くど」ということも、書いてある。

 ネパール語で DHA が燃やす。DAD は柱・幹 ARA はエデン語で燃やす。
 できるだけ乾燥している樹の幹を、強風(ADHI)のもとに燃やして、これに然るべき鉱物の粉
をふりかけ続けると、原始的な「タタラ」になるじゃん。
 大刀洗とは、タタラという語が、まだ DAD ARA I(場所)と発音されていたことを物語ってい
るのではないだろうか。「太刀を洗った」という伝説があったからこそ、現代にまで伝わったので
はないだろうか。

 ふいごは「吹き(ネパール語 PHUK……くちで吹く)ご」。「ご」は篭の概念で、これは動物の
皮のなかに竹の弾力を利用して組み篭を作ったからだとおら惟ふ。
 だからタタラの始原は「木の幹を燃やすこと」で、踏むことには関係なかったと、おら惟ふ。
 イフキ (I-PHUK-I ), イブリ(I-BHUL-I) は、台湾の造語法と酷似している。
 イブリの BHUL は「ふくろう」になっている。朝鮮では PHUL-MI がふいご。

 もう、これ4回ぐらいあちこちで書いたよなぁ。むなしいなぁ。むなしかばい。

[187] 妄想暴走!  香具 2002/04/23(Tue) 15:26 [Reply]
以下は勝手にほざく伝奇SFカブレ風妄言です。裏付けはありません。

 ホトタタライススキヒメでは聞こえが悪いので、後にヒメタタライスケヨリヒメとしたというのは、男性のモノをムスコ(産す子?)というように、女性のホトをヒメ(秘め?)と言い換えたと(言いくるめられると)納得できる範囲ではあります。ただし本来のホトは、たたら製鉄の用語だったとしてのことです。(もっとも、火窪や火床、ほど穴がホトを連想させるから、そう呼ばれたということも有り得ますネ。)
 ここまでで、ヒメタタラはホトタタラへ還元。また最後のヒメはどちらも女神の姫として(女神でないという主張もありますが)、神の意味に。
 イススキとイスケヨリは、イスケヨリの方が改名した後の名前なら、ヨリを依りと観たいナ〜、例として玉依姫のように。イススキ、イスケが判らないで残りました。
 斎(イ)+憑き(スキ)+依り(ヨリ)+姫(ヒメ)・・・【お遊び】
イススキが変化してイスケとなったとして、イ(ユ)+ススキ、イスス+キなどで何か技術用語がないでしょうか?
 と、いうことでイススキを置いといて、単純にセヤタタラ(ヒメ)とホトタタラ(ヒメ)として暴論。
 セヤタタラを、土で高殿の炉を作り、さらにその炉を屋根付きの建造物で囲い、全天候型にしたタタラ。
 ホトタタラを、風向きなどの条件の良い地面に、火窪(ホド)を掘って築き上げた、屋外型のタタラ。
 この場合、『セヤ』を建造物を意味する語として勝手にこじつけていますが、証拠はありません(跳んでます)。屋内型のタタラ場に祀る神をセヤタタラヒメで、屋外型のタタラ場に祀る神をホトタタラヒメ・・・? 無理があるな〜、タタラ場の神さまは金屋子神でしたか。

 ミカシキヤヒメは御炊屋姫ですが、炊屋(カシキヤ)を後の炊飯用のかまど屋に限ることなく、タタラのような炉をも焚く建物には繋がらないでしょうか。
 トヨスキイリヒメ・・・豊憑き依り姫、イリ王朝を依り王朝なんて、ワルノリの冗談です<(_ _)>。やはりここでも『スキ』は何かということです。あの謎の『スキ』・『ユキ』に展開していくのでしょうか。

以上の妄想をまとめると、
 金属精錬や製鉄の用語に、ホト・セヤ・スキがないか?
 建造物の用語に、セヤ・カシキヤがないか?
 祭祀関係に、スキ・イススキ・イリがないか?
ということで、ここまで煮詰めてから海外に溯って行ければナァ〜、と思うのでした。

[186] Re[183]: 丹塗矢伝承のタミル語による批判的分析  香具 2002/04/23(Tue) 11:34 [Reply]
 はじめまして! 以下はクラリンさんに対するイチャモンではありませんのでよろしく。大野先生のタミル語による丹塗矢伝承の解釈への疑問です。丹塗矢伝承を利用して、そのまま登場する神々の名前を分析しても・・・ネェ?

 奈良県桜井市、三輪山の西麓に桧原神社があり、三つ鳥居の横には豊鋤入姫命を祀る社もあります。簡素で美しく落ち着いた境内です。
 この境内には、古代の野ダタラでしたか製鉄遺構があります。儀式用なのでしょう、小さなものです。西向きの斜面は、遥か二上山から大和平野を遮るものなく、ドーンと風が吹きつけてくる好立地です。この桧原神社から下に、野ダタラが沢山あったとしても不思議ではないでしょう。野ダタラは地面に窪みを掘って炉を作るそうですが、これを『火窪』(ホド)と呼ぶそうです。
 これとは別に土で高い炉、高殿(タタラ)を作って製鉄するとき、高温で溶融した不純物を炉外に流れ出させる穴を『ほど穴』と呼ぶそうです。この穴は始め粘土で塞いであるのですが、工程中の頃合いを見計らって、鉄の棒で突き崩し、ほど穴から赤く灼けた不純物がタラタラと流れ出すと精錬の成功となります。
 また、製鉄とは異なりますが、鍛冶職人が、材料の鉄を赤らめる炉を『火床』(ほど)と呼びます。このように製鉄のテクニカル・タームとしての『ホド』が伝わっています。(確かにそれは秀処を彷彿とさせますが・・・)。

 ミカシキヤヒメ、ヒメタタライスケヨリヒメ、ホトタタライススキヒメ、セヤタタラヒメ、トヨスキイリヒメ、・・・等の語源分析には、もう少し金属精錬周辺の用語から煮詰めていく必要を感じます。カシキ、イスケヨリ、イススキ、セヤも技術用語から派生した可能性を洗いたいと思います。「征箭」「瀬矢」の解釈には頷けません。丹塗矢伝承は後から出来たお話しでは?

 漢字でタタラを『蹈鞴』、踏むフイゴと書きます。そして『フイゴのことをタタラと言う』という解説がありますが、本当かな〜?と疑問なのです。たしかに鞴櫓天秤(フイゴヤグラテンビン)は足で踏むものですが。
 フイゴとタタラは別で、『タタラ』は精錬炉を指す言葉ではないかと思っています。
『タタラ』という語には、高温で灼けて溶けているイメージがあるのです。爛れる、タラ〜リ、滴る、祟る、煮え立つ、滾る・・・、(ド素人の刷り込み雑脳ですワ)。
西アジア〜インド方面で、炉などから『タタラ』に繋がる言葉はないものでしょうか?

[182] まとめてレス  桜左近 2002/04/23(Tue) 05:54 [Reply]
 少し見ぬまのナントカで「遅かりし由良の助!」・・・ですが、しつこくまとめてレスをつけます。
前にも書いた通り、私は古事記や日本書紀は受験勉強の時以来読んでいません。そんな視点
でhvhyさんの古事記解読を拝見すると、ああそういうことだったのか!と感心するのみ、コメント
などできないのは当然ですね。しかし、最近のご発言を見ていると、「春」や「額」、「膠」等の語源
が次々と解明され、素人目にも「こりゃ革命的なことらしい!」とわかります。幸い私は古い知識も
持っていなかったので違和感はないが、本居宣長以来諸説を論じていた人にはショックでしょう。
そのような人たちは、是非このhvhy説に反論、または論破していただきたいものだと思います。

#そこで、hvhyさんのモグリ政策秘書の私としては(え?、誰が認めたんだ!)、疑問を少し。

Re: [171] 「突厥」と「ソグド」
>やはり「突厥」(Turgish)です。古事記の「當藝志美美」。(※「突厥」の王は製鉄族)
>神武天皇の子供なので、この「當藝志」(Turgish)も【二】。
>ところが「Turgish」(突厥)の王族は「阿史那」。そして、

突厥は普通(TURKUT=チュルク=トルコ)の音訳とされています。TURGISHは突厥の一支族の
突騎施ではないでしょうか。となれば、「TURGISHの王族は阿史那氏」には少し疑問があります。
ま、そんな細部はどうでもよいことで、例えばTURGISHが「剣(つるぎ)」の語源かもしれない!。
「阿史那」の祖先は狼だという言い伝えがあるそうです(平凡社世界大百科事典を参照した)。
連想&妄想ですみません、ファルシ語やパフラヴィー語で「鉄」を「アシナ」といいます!。何か関係
アラムか?(笑)。

紋次郎さんへ。
テレビでネパールのクマリを見ました。
ネワール語ではKUMARAはプリンスのことで「男」です。しかし、無礼者!とお叱りを受けるのを承知
で率直に申し上げると、KUMARAの語源はサンスクリットにあると思われます。KUが「易」で、MARA
が「死」と分解できるので、意味は「死に易い」=か弱い童子。これを庇護するのが功徳と考えられるのではないでしょうか。
チベットのダライラマの後継者選びも、生まれ変わりと見られる赤ん坊を探して育てるわけでしょう。
これと同じような思想があるのではないでしょうか。
ちなみに、少し前にAMARAKOSAが話題になりましたが、これもA(否定の接頭辞)+MARA(死)で、
意味は「不朽の」KOSA(宝物、文書)となります。

なんか、また怒られそうですね(^^;

[181]   『かむなび』 NOW ・ 「タマ」と「たまきはる」の語源     出戻り 紋次郎 [Mail] 2002/04/22(Mon) 14:48 [Reply]
 「始める、初めて」は「端」からの派生だろう。
 この場合、 ha が端、末端であることはわかるが、SI がわからん。「ハジ」ともいうの
で「SI , TI」の関係で SI は「地」なんだろうか。「め」は境界線。

 「タマキハ・る」の解釈は、大略クソヂヂイの言うとおりで、(天皇の)威光が途絶えか
けている末端で“あること”、“いること”だと惟ふ。
 「キハ」の KI は大地、ハは端。「大地の隅っこ + 動詞形成子の“る”」で、ここまで
で「きはる」の分析はいいだろう。

 では「タマ」とはなにか? 
 アイヌ語だけをみているご仁は「そりゃアイヌ語の RAM(こころ)だ」というだろう。
ネパール語も見ているご仁は「そりゃぁ『 OH ! RAM RAM(おお神様お助けください)』
だ」というだろう。
 日本語に詳しいご仁は「たまげた(魂消えた)」の TAMA と関連づけるだろう。
 だがね、そういう稀薄な関連は否定できないまでも、「たまきはる」の TAMA は
パーリ語 DHAMMA(法・正義・真正)を直接的に写していると見なければならない。
 ここで想起ねがいたいのが、インドの AYN(鏡・法)です。
 AYN は「アイアイ」と」いいながら頭をさげる挨拶語からおこって(これがアイヌ……
人間……の語源)クルド語で「儀礼」となり、インドでは「法」となった。
 そして、その法の象徴が鏡だった。
 「タマ」も同様の変化を遂げたことはタシカだろう。
 恨む、痛む、悼む、悩むなどと派生収斂をくりかえしながら、人類は約3万年ぐらいまえ
に「こころ(バスク語; GOGO)」みたいな高級抽象概念を得ただろう。
 その個人的、倫理的な傾向がつよい「AYN みたいなもの』の象徴が玉(ギョク)や勾玉
だっただろう。勾玉はフヴヒーさんが説くように“ ’(ヨッド)”で神の象徴でもある。

 だから、銅 (TAMA) からおこった刀をみて「抜けば玉散る氷りのヤイバ」などといっ
てカッコつけるのが、イッパツで流行する(これ、物理的意味を考えてもワカラン)。

 パーリ語 DHAMMA はネパール語では DHARMA(宗教)です。ダルマさんは宣教師とお
なじ意味の普通名詞だった……くさい。
 DHAMMA(法・正義) / DHARMA(宗教) と並べると、なんで宗教が言うにこと欠
いて倫理ばっかししゃべるのか……がよくわかる。

[180] Re[178]: クマリ観ました  出戻り 紋次郎 [Mail] 2002/04/22(Mon) 12:16 [Reply]
>、篭目紋は上下の三角形の重なり、陰陽和合の調和のシンボルでしたね?違いましたっ
  け?
☆ REPLY とかを使って、初めてカキコします。
  星しるしを見ていたとは……! やっぱ、いろんなひとが見るといろんな見方が出る
  紋ですな。そして掲示板での加速がこれまたヨロシ。
  おら、☆印等、覚えようと思わんので、「忘れてはいない」……みたが、その場でア
  タマの中を通過しただけ。
> 五芒星や六芒星をユダヤがルーツと限定して、恣意的に煽る説には疑問をもっていま 
  す。菊花紋にしても然り。
☆ 然り。thik とはネパール語で「合っている、正しい」。
  お宮の回廊隅の軒先きにぶらぶら下がっているフサ(今は小さな鉄製の灯籠)をみ 
  て、ユダヤとの一致を言うならば、オーストラリア・アボリジニのちんちんの前にぶ
  らさがってユラユラゆれているキンカクシのフサもユダヤと関係づけねばならん。な
  も。余談 ; アレ、ちらちらするのがいいんだろーか。
  おらは、12、13という数字に注目しました。青森県市浦村十三湖、その50キロ
  西々南(岩崎村)に十ニ湖がある。
  ネパールでは、生まれて11日めに、名前をつけて親戚をよんで赤ん坊を紹介する。
  そして、九つアタマの龍の彫り物があるイスに、平気で坐っていられればクマリちゃ
  んになれる。

>  さらに愚痴れば、よく言われる『日本のピラミッド!』という表現も、神奈備山のほ
  うが世界的に普遍なのであって、ピラミッドはそれを真似て作ったと思っています。
  つまり『エジプトの人工的神奈備山』。それともピラミッドは、日本の造山活動期よ
  りも古いのだろうか?・・・ま、どーでもいいことですが。m(_ _)m
☆ ピラミッドはカイラ−ス山を写したんだと、おら惟ふヨ。
  いま養老『唯脳論』読んでいますが、「大脳にはシンボル化のクセがある」と言って
  います。
  焼きつけられて、「ああいうもの」「そういうもの」が総体のシンボルとなるんだろ
  うか。
  √♪ 黒いひとみの わかものが わたしの こころを とりこにした。

  古いねぇ……と、古きセトホドンのつぶやきカネ。うたごえ喫茶カネ。

 香具さん、けふは休みカネ?

[179]   わ が こ と 成 れ り      出戻り 紋次郎 [Mail] 2002/04/22(Mon) 10:32 [Reply]
 香具さん ベ−リ− あがぁ〜 あがぁ〜。

 鳴海日出志さんに就いては、まったくシランカットいてんでんねん。
 でも、こーゆー一流学者が発言し始めると、もう巨盤はうごいたもおなじです。

 わがこと 成れり 

 さっそく、新風舎に電話いれました。
 おれの、例の一覧表を鳴海日出志さんに送って、この方の時間節約に貢献カネ。
 
 おら、パソコン活用がメチャわるいんですが、この鳴海日出志さんはホぺ張って
いるようなことはなかでっしょうか。
 もし、みつかりましたら、またアマカネ。
 イヤァ〜〜、けふは記念すべき日になりました。お陰さまです。ホント・ホント!!

※ 玄象師師ドンよ、盗まれたくなかったら発表しなけりゃいいんだべし。特許とか
  著作権のことです。
  お互いにケツンス小ぃそうしちょったら、人生オモシロかなかばい。
  あ、ミナシャン、当分間、私信みたいなことは「「ほにゃらか」に書いてください。

[178] クマリ観ました  香具 2002/04/22(Mon) 10:24 [Reply]
4/21(日)のNHK特集、カトマンズの番組を観ました。
 少女が数日部屋の中に篭もった後に出て来て、太陽との結婚をするという通過儀礼は面白いものでしたね。また、王宮主席司祭の爺さんが正装したたきの袈裟にあった、六芒星も印象的でした。インド周辺の文明圏では、篭目紋は上下の三角形の重なり、陰陽和合の調和のシンボルでしたね?違いましたっけ?

 脱線。相応の文明が発達した所では、そこそこ出てくるデザインではないかナと思います。交易や交流を否定するつもりはありませんが、五芒星や六芒星をユダヤがルーツと限定して、恣意的に煽る説には疑問をもっています。菊花紋にしても然り。
 さらに愚痴れば、よく言われる『日本のピラミッド!』という表現も、神奈備山のほうが世界的に普遍なのであって、ピラミッドはそれを真似て作ったと思っています。つまり『エジプトの人工的神奈備山』。それともピラミッドは、日本の造山活動期よりも古いのだろうか?・・・ま、どーでもいいことですが。m(_ _)m

[177] ザッと立ち読み  香具 2002/04/22(Mon) 08:56 [Reply]
まいど!ですゥ〜〜〜。本屋でこんな本↓を見かけました。

『アイヌ語とインド・ヨーロッパ祖語』
   −語根を比較する−
鳴海日出志 著 北海道出版企画センター版
1999年02月発行 3,800円 ISBN4-8328-9901-5

書店のサイトでこの著者を検索したら、他にもこんな本が↓あるそうです。

『日本語と英語の起源』
   −遺伝言語学から見た原インド・ヨーロッパ語根との比較−
鳴海日出志 著 北海道出版企画センター版
1997年10月発行 4,000円 ISBN4-8328-9707-1

『日本祖語とアイヌ祖語』
   −共通語根を探る−
鳴海日出志 著 北海道出版企画センター版
2000年12月発行 4,000円 ISBN4-8328-0008-6

『日本祖語とインド・ヨーロッパ祖語』
   −共通語根を探る−
   (『日本語と英語の起源』増補改訂版)
鳴海日出志 著 新風舎版
2001年3月発行 4,200円 4-7974-0962-2
http://www.pub.co.jp/book/ISBN4-7974-0962-2.html

遺伝言語学!だそうです。ネーミング・・・ですね。

新風舎のサイト『鳴海日出志さんの部屋』
http://www.pub.co.jp/room/room_116/room_116.html

以上、ご参考まで。ほならネ〜〜〜。

[176]   くまr と くまr-i     出戻り 紋次郎 [Mail] 2002/04/22(Mon) 07:08 [Reply]
 セトホドン あがあが。おかげで久しぶりに自分の好きなテレビ番組をみることができたよ。
 いつもおへまんやつがチャカチャカ(リモコン)をガメて、5分おきにチャンネルを切り替え
るので、ここ3年ぐらい、おらテレビはあんまし見る機会がない。また、いい情報タムね。

 さかんに女神だ女神だと言ってたね。あれくらい言われると学者でも「ヒメは女である」と、
ウソ判断してしまうのではなかろうか。……だから、N.H.K. には視聴料払っちゃダメなんだ。

 歴史の始発から女神がそんなにダイジだったら、クマリなんざの発音はなかった筈なんだ。
 女神が最初だったら KUMA-NI とやってるはずです。KU(よか) MAR(おとこ)。
 それが 「クマ RI 」となっているのは、「クマ R 」が先行していたことを雄弁物語りカネ。
 チベットの少年童神みればわかるじゃん。文化のドーナツ化現象ぞな。

 フヴヒーさん、「クマリとクマニ」「アラとアナ」……いっしょにしちゃオエンと惟ふ。
発音を恣意に変えるのは自らの墓穴掘りカネ。ちょっとした微差発音のなかに「見極めるべき」
ダイジが隠れている。ただし、おらもしょっちゅうやってることだらうガネ。

[175] 少女神  神奈備 2002/04/21(Sun) 19:05 [Reply]
 今日日曜日の夜9時からNHKで紋チャンの好きなクマリチャンが出る番組があるよ。

[174]   なんかお役に立たんやろか     出戻り 紋次郎 [Mail] 2002/04/21(Sun) 17:02 [Reply]
 シャカに説法たぁ思ふれど……

☆ 谷川健一さんは「初期の物部の男に、maru がついた」と解説されたが、谷川健一
  さんはネパール語などシランかっとってん。mar は男です。似ているのにエデン
  語の水夫、船頭がある。
☆ マレウドなど、むずかしくってオラシラン。
  ただし、ネパール語接頭辞の MA- には「よか男、よかオナゴ」のように褒める意
  味がある。「まほらば」もその範疇内。
☆ ワニさんたちの「春日、大宅、粟田、小野、柿本……」の「……」部分には、まだ
  まだ名前が続くのですかね。 WAN は片手とか5との関係があちこちで出ている。
  この5氏族が、ほかと比べて突出しているようなことはありませんか。
☆ ハッティというのはヒッタイトの別名ですか?
  おらのバカのひとつ覚えだが、ヒッタイト人は「ヘテ人」から本格的な製鉄技術を
  習ったと。(その実、掠奪だったんだろうなぁ)
  HIT はネパール語で「良い(こと)」になっている。
☆ アナトリアは「ギリシャ語で東という意味だ」と、こっち側の人びとは理解してい
  るみたいだが、現地ではまるで違った意味に解釈されているのではなかろうか。
  ネパール語 TOLIYA は集団、組、群れだし、日本語の ANA は穴でラテン語の
  アヌスと同じ。「穴」なんざの古い文化語はいろいろと、あちこちの氏族や集団で
  おれたちが知らぬ意味がありゃせんやろか。
☆ 春木さんは隠岐の島にいます。OKW-I……童神と金属精錬士偏執がごちゃごちゃ
  になっている。
☆ 富士山麓の本栖湖からさらに西へ、下部温泉に向かって下ってゆくと、山の中に
  「釜額……カマビタイ」という集落これあり。谷は「両岸相せまった深い谷」……
  すなわちタミル語と同根のカマでもなく、たいした絶壁(BHITTA はネパール語の
  壁)の連続もない。なんべん考えてもおらワカラン。ヒッタイト人やろカネ。
  だが、下部は判った。「奥まった」という意味。

[173]   崇神・垂仁 とその周辺固有名詞   出戻り 紋次郎 [Mail] 2002/04/21(Sun) 13:38 [Reply]
 崇神天皇、垂仁天皇周辺には金属精錬にかかわる語彙がみられるのが特徴です。
 そして「五十」をイと発音させていることは、古代朝鮮語 SUJIN(50)に痕跡を遺
した「インドのルピア通貨の 50(mo)+ 50(mo)=SAE(100・幸せ・モモ)」偏
執の東遷を物語っています。

 《 垂仁天皇……イクメ イリ ヒコ イサチ 》
 「イリ」が最大の難関です。
 正直な表現をすれば「ワカラン」ですが、古代の偏執をたどると、このイリは朝鮮語に
残っている iri(狼)ではないか……に惹かれます。
 ローマ人の先祖が狼であったこと、チンキス・ハンも蒼き狼と呼ばれたこと、
 いずれも情無用を突き付ける征服王朝が「狼」ではなかったでしょうか。

 イクメとは国際語の ek(1)の日本列島なまりで ik(1)です。メは目。すなわち、
ひとつめ……金属精錬士の守神です。

 ヒコは HIR(太陽)の KO, HO ,XO(万物を産む虚なる神)。HIR はエジプトの鷹……
太陽の鳥に連なります。HIR の R が落ちた語形が HI です。
 この ヒコは朝鮮語に残っている「 HIK(土・土壌)の O(神・男)」に懸け言葉され
これが再び IK(朝鮮語 ; 生成)と関係をもってきます。すなわち「なりものをよく育て
る土地神」の謂いです。

 イサチは I-SAT-I の造語形態で、SAT または SAC(H)する i(ひと・神)。
 もしかしたら、これは I-ATI , I-AC(H)に強調接頭辞 S- がINFIX された語形かも
しれません。
 アチノオミみたいな人物がいたような気がしますが、ここはセトホドンが助けてくれる
でしょう。
  SAT , SAC については、いつかフヴヒーさんも言っていましたね。
 目につくネパール語は、SACI-(本当)、SACIB(大臣・長官)、SACY-(直す、正
しくする)があります。(それまでの)王統の系図を書き換えるという意味が込められて
いるのでしょうか? 
 気になるのは密教の行者あたりが、火を焚き神の降臨をねがうこと、を「たてる」とい
う。その「たてる」が THAT に似た発音だったら、「イサチ」は「降臨した者」となる
ことです。ネパール語には、この THAT みたいな「たてる」はありません。せいぜい似
ている発音は DAH(燃やすこと)、DAD(柱)です。

 いずれにしろ、崇神・垂仁朝はネックレスや耳輪をつけず、且つ、50 偏執に満ちた文
化地帯からやってきた王様です。フヴヒーさんがまもなく、正確なこたえを出してくれる
でしょう。
 ついでですが、それまで「YAE(良い)」と言った発音が、ここで「イ・イ」に切り替
わったと思われます。
 きのふ香具さんが「ようせぬ」の「よう」をむずかしい旧カナ使いで書いていました
が、これはギリシャ語にもある「EU(能く)」と同根です。
 E.C といっていたヨーロッパ連合が E U になったのも、なんかまじないの意味があった
んやないやろカネ。eucalyptus……よく(花弁を)包んでいるもの、ユーカリ。

[172] 「客」は「各」  hvhy 2002/04/21(Sun) 13:08 [Reply]
民俗学的な観点から「荒脛」と「客人」の関係がしばしば問われる。
「客人」は「マロウド」と読むが、この「客」(マロ)とは何だろう。

>だいぶん古い話になりますが、ほにゃらか掲示板で「粟田臣」の「粟田」は、
>「ソグド」そのものという話をしました。古事記で言う「天押帯日子」の後裔。
>その同族は「春日臣、大宅臣、粟田臣、小野臣、柿本臣、……」と書かれている。
>書紀では、これらをまとめて「和珥(ワニ)臣」となっている。即ち「ワニ」です。
>(……中略……)
>「粟田」が「ソグド」ならば、「ワニ臣」の筆頭に位置づけられる「春日臣」も、
>やはり「ソグド」でしょう。「春日」の由来は「KSB」の漢字表記と思われます。
>ソグド人において「膠」(Casb)が重要なシンボルだったなら、考えられることです。(※発言[142]より)

書紀の「和珥臣」を古事記は「丸邇臣」に作っている。
端的に言って「客人」(マロウド)の「客」(マロ)は、
「丸邇(ワニ)臣」の「丸」(マロ)と同じと考えられる。

「マロ」(丸)と言えば、「マロ」(客)と言えば、
それは「額」(ヌカァ)や「膠」(ニカァ)を表わす。
即ち「ハッティ」や「契丹」や「突厥」や「ソグド」を。
そういう話であろう。木簡においては「額田」は「各田」。
「各」(ヌカァ)の人は、「客」(マロ)の人。という話だ。

その「ヌカァ」(各)を負う「神沼河耳」は【二】。
「Turgish」(突厥)を負う「當藝志美美」もまた【二】。
ところが「Turgish」(突厥)の王族は「阿史那」。そして、
「足名椎」の称号は「稲田宮主須賀之八耳」(耳を負う!)。
書紀は【一】は「鼻垂」、【二】は「耳垂」と明記している。
それはさておき、【二】である「穴穂」も「波流岐」も「鉄」。
その「鉄」の神が仮に「荒脛」なら、「客人」との繋がりは自明。

#魔方陣の【二】に何が位置するかを凝視することで、
#自ずと「荒脛」と「客人」の関係が見えてくるわけだ。

[171] 「突厥」と「ソグド」  hvhy 2002/04/21(Sun) 13:04 [Reply]
第2代の「神沼河耳」の「沼河」は「瓊河」で、
「膠」(ニカァ)との掛詞という点は述べました。(※発言[142]を参照)
しかし一方では「額」(ヌカァ)との掛詞でもある。
その「額」(ヒタイ)は「ヒッタイト」に繋がってる。

「ヒッタイト」とこの列島を繋ぐのは、穏当に考えて、
やはり「突厥」(Turgish)です。古事記の「當藝志美美」。(※「突厥」の王は製鉄族)
神武天皇の子供なので、この「當藝志」(Turgish)も【二】。
【二】はカバラの「ホド」で、ここに「拆雷」が照応してる。
ところが「拆」〜「咋」〜「久延」〜「蹶」〜「厥」と繋がる。

ほにゃらか掲示板で「三島湟咋」と「鉄」の関連は述べた。
「三島湟咋」は古事記の表記。書紀では「三島溝厥耳」です。(※「厥」は木偏が附く)
「鉄」との関連を念頭に置くなら、ここで「厥」という漢字が
使われるのは、やはり「突厥」(Turgish)を意識したものでしょう。
その「突厥」と「ソグド」の密接な結びつきをよくよく鑑みるなら、
「曾富騰」(ソグド)の別名「久延毘古」の「久延」は「厥」だろう。

#これはどういうことなのか?……「額」という漢字を、
#一方で「ヌカァ」と読み、一方で「ヒタイ」と読むのは、
#子供が生まれると「膠」を手に握らせた「ソグド」の人と、
#「鉄」で名を馳せた「ヒッタイト」あるいは「突厥」の人が、
#言わば「一緒にやってきた」ことを伝えてるのではなかろうか。

[170] 【二】の範疇  hvhy 2002/04/21(Sun) 11:13 [Reply]
天皇でありながら、実は「天」を負ってるのは、(※古事記で)
第29代の「天国押波流岐広庭」に限る。そして、
この「天」は「ΣMYA」。魔方陣の【二】でした。
さらに「波流岐」の「波流」は「春」との掛詞でした。

★★★★★←→★★★★★←→★★★★★
★二七九★←→★水月金★←→★486★
★一三五★←→★計土羅★←→★531★
★六八四★←→★火日木★←→★972★
★★★★★←→★★★★★←→★★★★★

ところが第29代もそうですが、第20代も【二】です。
第20代の天皇を「穴穂」と言うが、これは「鉄」の意味。
してみると、仮にヒッタイト語の「hapalki」が「鉄」なら、
「hapalki」と上記の「波流岐」との関連はもはや疑えません。

#そこで「穴穂」と「波流岐」を合体してみると、
#「穴(アナ)穂波流岐(ホパルキ)」となります。
#「アナ」と「アラ」の音転は一般的。これ「荒脛」?

[169] Re[168]:   『かむなび』 NOW 「まつり」の語源     神奈備 2002/04/21(Sun) 08:46 [Reply]
>  標題入れるのをわすれました。
>  下(167)は “『かむなび』 NOW 「まつり」の語源 ”です。
> >  セトホドン、おエメ打ったんやけど、届いてないカネ。どうも受発信がハッキリしません。

 到着していたので、返事をだしたよ。受信設定がまずいんだろうね。
 zik@theia.ocn.ne.jp  へ。

[168]   『かむなび』 NOW 「まつり」の語源     出戻り 紋次郎 [Mail] 2002/04/21(Sun) 06:55 [Reply]
 標題入れるのをわすれました。
 下(167)は “『かむなび』 NOW 「まつり」の語源 ”です。

 セトホドン、おエメ打ったんやけど、届いてないカネ。どうも受発信がハッキリしません。

[167] 無題  出戻り 紋次郎 [Mail] 2002/04/21(Sun) 06:50 [Reply]
 英国からの支配を断つために、英国議会にのりこんで「われに自由を与えよ、然らずんば死を
与えよ」とアメリカの独立を訴えたヘンリーさんは、パトリック・ヘンリーと讃えられました。
 この *PATR は、パトロンの PATR と同一で、ネパール語で「自国語」を MATRI-BHASA という
ときの MATR と同じです。
 PATR と MATR ……、これはお父さんとお母さんの区別で、英語での FATHER , MOTHER 。
 PATR , MATR の末尾にある R についてですが、これは、インドで広くみられる -TRA で
末尾辞のひとつであることはまちがいありません。この -TRA がどういう意味かは今はまだ掴ん
ではいません。ただの形容詞とか名詞を作る末尾辞みたいにも感じられます。

 そうすると、PATRA , MATRA は PA(父) , MA(母)となる。
 しかし、もともと母は MAT で、これは「大地」でもあります。一夫一婦制度がある程度まで
進んだ段階で PA(父)が文化に固着したのでしょうから、PA(おとっちゃん)は MA(おっか
ちゃん)に附随して発達したといえましょう。
 そして氏族間の闘争が頻繁となって父権が力を持つようになったとき、パーリ語で PA- が
強調接頭辞になっている……これ、関係あるとおら思う。

 娘がてて無し子を産みそうになったとき、そのお父さん神様は大勢の神々を招いて宴会を張っ
たそうです。そして神様たちに「飲み食いさせる」うちに娘の相手を割りだしたそうです。この
「飲み食いさせる」は「まつる」と表現されていて、これはタミル語に同じ意味と語形があります。
 ですが、用例はこれひとつだけではないでしょうか。

 「あちこちを集めてくくりつける」意味でもちいられる 裁縫用語の「まつる」もネパール語に
あります。神奈備掲示板でひふみさんが採用されている「まつる」はこれでしょう。

 しかし「お神輿・ワッショイ・神社」の“祭り”とか、祭政一致の「まつり(ごと)」のマツリ
とは、「母・おらがくに」の二つの大きな概念が慣用されて、この日本列島に定着したものとおも
われます。
 その慣用ー定着は、日本列島のなかでできあがったのではなく、そのハシリは、すでにネパール
的(……まだ、ネワール語も調べていないから“的”なんです)な社会で醸しだされていました。
 
 ネパール語では語彙の中央部に N がINFIX(挿入)されます。AKHA(目)は ANKHA になったり
します。
 MANTRI は大臣、長官という意味です。そうすると MANTRI は MATRI に還元できます。
 物部の真鳥にかんする紀記の記述は、新羅にいた「大臣」をスカウトしたことを意味していると
おらはみます。政務に携わること(ひと)が「マツリ」だとわかります。

 何年も何年も近畿地方だけにいると、海のむこうの新羅は遠いように思われますが、ラクダや
馬を乗りついで、或いは徒歩で歩いてきたわれわれの一部の先祖の感覚では、「新羅? ハ、すぐ
ぐそこじゃんけ」ぐらいの紋だべさ。

[166]   『かむなび』 NOW 「もの」の語源       毛ツワリ 紋次郎 [Mail] 2002/04/20(Sat) 18:41 [Reply]
 飯野睦毅さんは「上代呉音(?だったか)から“モノ”の語源として考えられる音素は
5つぐらいある」とおっしゃるが、同氏の分析傾向はどうも“あっちこっちから引っ張っ
て来すぎる”きらいがある。
 「MO(くに)NO(ひと・神)」でいいのではなかろうか。
 インド共通の考え方で「ひと=神」がある。

 もののべとは、まず「地方(MO)」にあって、そこを守った軍事集団だった。どな。

 おらには「物」と mal(物)との音転はよくはわかりまへん。が、関係ねぇわきゃねぇ。
 「事(こと)」はバスク語と共通がある。コンツというだ。

 こーゆときゃ 、頼れるオトコ、桜左近。なんかないやろカネ。

[165]   アラハバキ と 焼酎     毛ツワリ 紋次郎 2002/04/20(Sat) 15:51 [Reply]
 スカート、ちょとはぐってみた……ら、左近さん、またまた大手柄アルネ。オ〜〜メデトウ!
 アラハバキは、『焼く・風・神』にしちゃ、このままではどうも語形がオカシいと
思っていたんよ。
 この HAPALKI に HABA(ネパール語;風)とかエデン語の ARA(焼く……焼酎はアラッキ)
をまぶしこみ(INFIX)させて、習慣といっしょにアラハバキができた……を直感しやす。

※ ハパルとカパルには関係ないですカネ。KI とはナニですカネ。
※ ネパール語の鉄は phalam 。「原さん」は鉄ちゃんやろね。 

 セトホドン、いつもしばしばおいでんせぇ(戻ってくるなりコレだからな)。
 『族際移動の言語観』……これでいいのら。
 おととい、なんとかいう『縄文語』書いた学者がオレに“指導”みたいな手紙よこした。
 みると旧態依然! 江戸時代そのままだ。

[164]   ア マ カ ネ    毛ツワリ 紋次郎 2002/04/20(Sat) 15:15 [Reply]
 やっぱ、O.C.N.ねぇちゃんがサバ(巾)よんでウソ教えたらしかったみたいな……ような。

 いま、ちゃうなんがやってきている。先週土曜日に E メールの設定わすれたまま、いんだ
ちゅうこってす。
 サバエ・サバエ 五月蝿!!  よく寝たんで、どたま冴えさえね。

[163] Re[161]: 唯一神  桜左近 2002/04/20(Sat) 03:51 [Reply]
>失敗ではないと思いますよ。紀元前2000年前に鉄をやっていた民族のようですから、しゃべっていた
>言葉はエデン語とも言えるでしょうね。
>
>決して「ケチ」を付けたわけではありません。念為。

え?、何とおっしゃるウサギさん!、ケチどころか、大変貴重な情報を、と感謝している次第です。
ところでアラハバキに限らず、神さんの名前の由来が難しいのは、イスラム教などの一神教が八百万の
土着神の名前を消し去ってしまったからかもしれません。
そういえば昔、「ほにゃらか」とか「神奈備」の掲示板で、「消えたアラビアの星神?」みたいなカキコが
ありませんでした?。

#ま、一神教はつまるところファッショ!(民族の個性を無視しているという意味で)。

[162] Re[160]: 「be 動詞」の話  桜左近 2002/04/20(Sat) 03:01 [Reply]
補足と訂正。

>ロシア語の「ETO(発音はETA)」が「連辞」として使われる・・・。
>現代ロシア語には英語の「それ」(IT)に直接対応する代名詞がなく、ON(英語のHE、SHEなら
>ONA、複数はONI)、またはTHISにあたるETO(ONと同様の変化形を持つ三人称指示)などの
>代名詞を使い分けます。

まず訂正から(^^;
この場合の「ETO」は「ON」と同様の変化は・・・しません!。(笑)
英語のTHIS( is my pen)と同じ用法の「ETO」と、THIS (pen is mine)のTHISにあたる「ETO」
の両方があり、連辞として使われる(という)のは前記のETOですね、勘違いしてました。こちらは
単複、男中女性同形で変化しませんが、後記のETO(中性)は変化を受けます(単複、男中女性、
更に6格変化)。

次に補足。
現代ロシア語で主語と述語をダッシュで結ぶ例はよくあります。
ON STUDENT (彼は学生です)・・・ですが、代名詞ONの代わりにMOI BRAT(私の兄)だと、
MOI BRATーSTUDENT となり、このダッシュ(かなり長い)をTIRE(チレー)と呼びます。
チレーを挿入する理由は、主語と述語が両方とも名詞の場合に主語と述語が区別されにくいため。
しかし、こんな見苦しい記号を付ける位なら、BE動詞の現在形を表示すればよいのに、という疑問
が浮かぶのは当然ですよね。そんな時にヘブル語ではBE動詞の現在形を省略するのは宗教的な
理由からだ、という記述を読んだのがきっかけで両言語の関係に興味を持ったわけでした。

#長々とつまらないロシア語の話で失礼!

[161] Re[159][157][151][150][146]:  神奈備 2002/04/19(Fri) 11:00 [Reply]
> アラハバキが金属精錬に関係するのではないか?と書かれていたのでヒッタイト語のHAPALKI(鉄)を連想したのですが、失敗でしたか!(笑)

失敗ではないと思いますよ。紀元前2000年前に鉄をやっていた民族のようですから、しゃべっていた言葉はエデン語とも言えるでしょうね。

決して「ケチ」を付けたわけではありません。念為。

[160] Re[158][155][120][116][83]: 「be 動詞」の話  桜左近 2002/04/19(Fri) 05:45 [Reply]
>連辞に人称代名詞を使用するのはセム語族の特徴である。例えば
>聖書アラム語では三人称、男性、単数(hu)を連辞現在形に用いる。
>(例:anta hu Daniyel. 貴男はダニエルである)
>ロシア語にもこれは影響した。「eta」(指示代名詞、三人称)を
>連辞にも用いることがある。(例:prostit' eta zabit'.)
>中国語の「色即是空」の「是」と同じである。

ロシア語の「ETO(発音はETA)」が「連辞」として使われる・・・。
現代ロシア語には英語の「それ」(IT)に直接対応する代名詞がなく、ON(英語のHE、SHEなら
ONA、複数はONI)、またはTHISにあたるETO(ONと同様の変化形を持つ三人称指示)などの
代名詞を使い分けます。
これと全く同じ文法が現代へブル語でも行われていて、つまり三人称単数男性形のHU、女性形
や複数形(男性、女性)ではそれぞれHI、HEM、HENと変化して、英語のITに対応する。

ま、現代語はそうだとしても、古の聖書ヘブル語ではどうなのでしょうか?
例として「列王記上」の1章から7章までを見てみます。
欽定訳では「WAS」が34回使われていて、その中でヘブル語では省略されているケースが24回、
(HYH)が用いらているのは10回でした。
この使い分けの理由は(私には)よくわかりませんが、強調ではないかと推測します。
別の例でいえば、創世記の1章2節「やみ(闇)が淵のおもてにあり・・」の「あり」は省略される。
他方同3節「『光あれ』と言われた。すると光があった。」。この「あった」は表示されることから、
2節では「闇」が、3節では「あった」が強調されるべき言葉だからではないか?と考えます。

#うーむ、もっと勉強しておけばよかった!

[159] Re[157][151][150][146]:  桜左近 2002/04/19(Fri) 04:59 [Reply]
Setohさん、レスを有難うございました。
アラビア語なら「アラハバキ」の語源として何種類も候補をあげられる!ということは、結局どれが本当なのか決定的な証拠はないわけですね。
Setohさんも紋次郎さんも、アラハバキが金属精錬に関係するのではないか?と書かれていたのでヒッタイト語のHAPALKI(鉄)を連想したのですが、失敗でしたか!(笑)

[158] Re[155][120][116][83]: 「be 動詞」の話  hvhy 2002/04/17(Wed) 18:47 [Reply]
『アッシリア語入門』を開いてみたら、(※開いただけ!!)
やっぱり連辞について書いてありました。

>連辞に人称代名詞を使用するのはセム語族の特徴である。例えば
>聖書アラム語では三人称、男性、単数(hu)を連辞現在形に用いる。
>(例:anta hu Daniyel. 貴男はダニエルである)
>ロシア語にもこれは影響した。「eta」(指示代名詞、三人称)を
>連辞にも用いることがある。(例:prostit' eta zabit'.)
>中国語の「色即是空」の「是」と同じである。

「ロシア語にも影響した」と書いてあるので、
そうなのでしょうが、私には判断がつきません。
ちなみに書き手は、『アラム語』と同じ飯島紀氏。
説明の仕方は、前に紹介したものと全く一緒ですね。

[157] Re[151][150][146]:  神奈備 2002/04/17(Wed) 13:59 [Reply]
 足守神社のことが出ていましたので,一言。

近江雅和氏の『記紀解体』彩流社から引用。p235
 「アラハバキ」をアラビア語でみると、allah=アラファ(神),baqi=バーキィ(残存している人,即ちヤマンの人々,不滅の,永遠の)から,「ヤマン部族の神,不滅の神」と言うこと。
p236には,faqi=ファキ(輝かしい,深紅色)の代わりのhaqq=ハク(真実,神)を付けるとala
=アラァ(偉大な,高い)・ハク(真実,神)で「偉大な神」となり,allah=アラァ神)・haqq=ハク(真実,神)なら「唯一真実の神」の意味、alwa=アラワ(天)・baqq=ハク(真実,神)で「天神」の意味となる。
 とあります。ヤマンとはイエメンのこと。
 なおついでながらヤマン人はインドに入り、土族信仰と結びつき,「アータヴァカ・夜叉」なる仏教の守護神となり,「阿臈鬼:あらき」,「褐陀披鬼:わたばき」,「阿吨薄倶大夜叉:あたばくだいやしゃ」と漢字に置き換えられているようです。
 なお,単なる紹介で,これを正しいものと主張する気(勿論能力も)は一切ありません。

[156] Re[155][120][116][83]: 「be 動詞」の話  hvhy 2002/04/17(Wed) 09:26 [Reply]
出典が明確ではないのですが、アラム語の新訳聖書があって、
これにヘブル語の対訳が付いていました。ヨハネ福音書の冒頭。

>BRAΣY十、AY十WHY、HWA、ML十A.

>WHW、ML十A、AY十WHY、HWA、LW十、ALHA.

>WALHA、AY十WHY、HWA、HW、ML十A.(アラム語)

文法を見ると、「〜が存在していた」という表現は、
「AY十」「HWA」の連辞で作ると書いてあります。
これに対してヘブル語の訳は、以下のようになってます。
ここで「AY十WHY」は「三人称単数・男性形」との事。

>BRAΣY十、HYH、HDBR.

>WHWA、HDBR、HYH、ATL、HALHYM.

>WALHYM、HYH、HWA、HDBR.(ヘブル語)

(※スペースの代わりに便宜的に「、」を入れました)

[155] Re[120][116][83]: 「be 動詞」の話  桜左近 2002/04/17(Wed) 05:29 [Reply]
紋次郎さんまたトラブってますか、早くなおるといいですね。
アラハバキ神の語源妄想は、結局ヒッタイト語のARA(良い)+HAPALKI(鉄)でチャンチャン!

遅レスですみません、「anta hu daniyel」が聖書のどこにあるのか探していました(未だに不明)。
>>次に面白いことに三人称「hu」が主語と述語との間の連辞として
>>使用されるようになった。又シリア語では「HWA」(hu・彼)と
>>「HWH」(hawa・有る)とは使い分けているが、もとは一緒だった
>>とも言われる。「ena hu ber-ak」(私は貴女の息子である)
>>聖書アラム語の例。「anta hu daniyel」(お前はダニエルか?)
>
>不明なのは、三人称「hu」が使われるようになった、
>という話との関係です。動詞が無いと、分かりにくい。

ピント外れだったら申し訳ない。
実はヘブル語にもBE動詞の代わりに三人称代名詞「HU」(等)を挿入する場合があります。
それには「主語または目的語が二語以上からなる文」という条件があって、どれが主語でどれが目的語
なのかを区別するために用いるのでしょう。また、使用する三人称代名詞は主語の「男性形/女性形」、
「単数形/複数形」に従わなければなりません。英語に当てはめればHE(HU)、SHE(HI)、THEY(HEM)、
女性形THEY(HEN)という具合になります。
ということは、少なくとも現代ヘブル語では「anta hu daniyel」のような主語も目的語も一語の場合はHU
は挿入されないです。

#ヘブル語は一度死語になり(アラム語に侵食された)、18世紀頃?に再構築された言語ですから古語
の形を比較的よく保存していると思われます。

[155] Re[120][116][83]: 「be 動詞」の話  桜左近 2002/04/17(Wed) 05:29 [Reply]
紋次郎さんまたトラブってますか、早くなおるといいですね。
アラハバキ神の語源妄想は、結局ヒッタイト語のARA(良い)+HAPALKI(鉄)でチャンチャン!

遅レスですみません、「anta hu daniyel」が聖書のどこにあるのか探していました(未だに不明)。
>>次に面白いことに三人称「hu」が主語と述語との間の連辞として
>>使用されるようになった。又シリア語では「HWA」(hu・彼)と
>>「HWH」(hawa・有る)とは使い分けているが、もとは一緒だった
>>とも言われる。「ena hu ber-ak」(私は貴女の息子である)
>>聖書アラム語の例。「anta hu daniyel」(お前はダニエルか?)
>
>不明なのは、三人称「hu」が使われるようになった、
>という話との関係です。動詞が無いと、分かりにくい。

ピント外れだったら申し訳ない。
実はヘブル語にもBE動詞の代わりに三人称代名詞「HU」(等)を挿入する場合があります。
それには「主語または目的語が二語以上からなる文」という条件があって、どれが主語でどれが目的語
なのかを区別するために用いるのでしょう。また、使用する三人称代名詞は主語の「男性形/女性形」、
「単数形/複数形」に従わなければなりません。英語に当てはめればHE(HU)、SHE(HI)、THEY(HEM)、
女性形THEY(HEN)という具合になります。
ということは、少なくとも現代ヘブル語では「anta hu daniyel」のような主語も目的語も一語の場合はHU
は挿入されないです。

#ヘブル語は一度死語になり(アラム語に侵食された)、18世紀頃?に再構築された言語ですから古語
の形を比較的よく保存していると思われます。

[154] お知らせ?  hvhy 2002/04/15(Mon) 12:49 [Reply]
紋次郎さん、またまたパソコン・トラブル!!
一週間くらいは、アクセスできない模様……(^^;

[153] 「天」と「水」  hvhy 2002/04/15(Mon) 12:46 [Reply]
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アラム語で「水」を意味する言葉に「MYA」(マイア)があります。
なんとなく日本で言う「もひ」(水)と似てますね。それはそれとして、
創世記における「天」(ΣMYA)と比べると、この「天」という言葉は、
「水」(MYA)の派生語と予想される。ところが魔方陣の【二】は「水」。
である以上、やはり「ΣMYA」は「MYA」の派生語と考えてよいでしょう。

#「MYA」は「50/20/2」(72)で【六】ですが、
#もうひとつ「水」を意味する「MYΝ」(メーン)があって、
#こちらは「50/20/60」(130)で【二】になります。
#この「MYΝ」は、「水面」(ミナモ)などの表現に見られます。
#文字の綴りで「MYA」が、数で「MYΝ」が、「天」を指し示す。

[152] 「波流岐」とは?  hvhy 2002/04/15(Mon) 12:44 [Reply]
>この列島においては、いわゆる春の訪れとともに黄砂が舞う。(※訪れでなく真っ只中か?)
>ところが、「砂」を意味する「XL」(ハール)という言葉も、
>「9/40」→「49」→「13」→「4」で、魔方陣の【二】。

>古事記の天皇の名前を確認していただくと、実は「天」を負うのは、
>「天国押波流岐広庭」のみ。第29代のみですね。この人物も【二】。

言わずもがなでしょうけど、確認しておくと、
【二】である第29代の「天国押波流岐広庭」。
名前に「天」を含むだけでなく、「波流」も含む。
この「波流」は、当然「XL」の漢字表記でしょう。

#「波流岐」の「岐」が、「黄砂」の「黄」かどうか。
#そこまでは何とも言えない。可能性のひとつではある。

[151] Re[150][146]:  桜左近 2002/04/15(Mon) 05:20 [Reply]
前記(というか下記)の神奈備のSetohさんのアラハバキに関する発言を引用させて頂きます。
> 全く話は変えるが、山東の一帯は赤土の地帯であり、この様な葦の根元には水酸化鉄の鈴がなった
>と言う。それを熱して鉄製品を鋳造したのかも知れない。鞴を吹くのは辛い作業であり、長期間従事して
>いると、足を痛めると言う、足痛、穴師、製鉄に通じないかとも想像できる。
> あらはばき神が関東東北に未だ残っている。製鉄神であったのが、現在はハバキが脚絆に通じる事
>から、履き物の神として、まさに草履等を奉納されている零落した姿になっている。

ヒッタイト語の辞書をWEB上で探すと、スペイン語訳が見つかりました。そのアドレスを示します。
http://www.hottopos.com/convenit3/hitita.htm

しめしめ(オヤジ語ですよ!)、「ハバキ」がHAPALKIだったとしても、じゃ「アラ(ARA)」は何なんだ?。
もし「ハバキ」がヒッタイト語であり、「アラ」が例えばスワヒリ語だった!なんていうことであれば、コジツケ
という非難も甘んじて受けなければならないでしょう。つまり、ハバキがヒッタイト語なら、アラもヒッタイト語
でなければならない。
そこで、上記の「ヒッタイトースペイン語辞書」を見ると「 AR: (Med. 1) "estar (de pie)", "presentarse",
"estar (en)".」とあります。「ESTAR」はBE動詞で、PIEは「足」なのだそうです(私はスペイン語の知識
が全くない)。要するに「足で立つ」ことになるわけで(間違いなら指摘してください)、足守(あしがみ)
神社の由来も万事解決となるのですがね。(^^)


[150] Re[146]: 飛躍させて考えると……  桜左近 2002/04/14(Sun) 16:38 [Reply]
どうもイッコンジンさんみたいなレスですが、気がついたときに書かないと忘れてしまうので(^^;
> ・中国で西の言葉を写す時、h音はk音の漢字で写される
>
> ・鉄で有名な「ヒッタイト」は「ハッティ」とも言われる

> 古の「ヒッタイト」の後裔が中国にも移動していった。

神奈備の中の↓のページを読んでいたら興味深い説がありました。
http://www.kamnavi.net/ki/asimori.htm

Setohさんが「あらはばき」は元は製鉄の神だったのでは?、と述べられているのです。
平凡社の世界大百科事典の「ヒッタイト」の項に、ヒッタイト語で鉄を示す言葉は「HAPALKI」だとあります。なんだか似ていますね。(笑)

#うーむ、ヒッタイトも隅に置けないやつだ!

> これが中国の漢字で「契丹」と音写された。さらにまた

[149] 今日はネパールの新年  桜左近 2002/04/14(Sun) 13:23 [Reply]
今朝、ネパールから年賀メールがぞくぞくと届き始めました。今日から2059年が始まるのです。
現在ネパールではマオイスト(毛沢東主義者)の反乱が各地で起こり、政情不安が高まっています。カトマンドゥ以外の地域は以前にも増して極貧にあえいでおり、何万人もの少女がインドのムンバイに売られていくような状況では、共産主義者の主張に魅力を感じても不思議なことではないでしょう。
パソコンを持っている程度の「裕福」なネパール人(我がメル友など)は「マオイストはけしからん!」と非難しています。一度染みこんだカーストの思想はなかなか抜けないもののようですね。

[148] アラム語の「YD」  hvhy 2002/04/14(Sun) 02:24 [Reply]
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アラム語の「YD」(ヤド)を計算すると、
「Y」が「20」で、「D」が「5」だから、
「20/5」→「25」→「7」。即ち【八】。

#最も簡単な例ですから、
#よく確認してみて下さい。

この【八】は「日天」あるいは「日曜」ですが、
しばしば「日曜」は「休日」です。分かりやすい。(※マニ教の話を参照)
即ち「日曜」も「そこで休む」という意味があって、
「やど」も「そこで休む」という意味がある。然らば、
そのものずばり、この「YD」が「やど」(宿)ですね。

#但しアラム語の元の意味は、
#「手」とか「力」とからしい。
#なぜか女性名詞。文例は未検討。

[147] 『配る』を意味する「ま」?、他  福島雅彦 [Mail] [Url] 2002/04/14(Sun) 00:38 [Reply]
※『撒(ま)く』は該当しませんか?

※強調の接頭語“k”?

「カッ」食らう、飛ばす、ぱらう、攫う、ぱじく、たるい(疲れるの意)等、倭語にも在りますが…。
 朝鮮語の方は少し時間下さい。

[146] 飛躍させて考えると……  hvhy 2002/04/13(Sat) 20:44 [Reply]
「額田部湯坐連」の「湯坐」は「ユヱ」と読む。
職掌としての「湯人」(ユヱ)と比べてみるなら、
例えば「日子坐」「日子人」は通じる可能性がある。
それはさておき、難読地名の「間人」を解いてみたい。
「人」が「ザ」と読まれる脈絡は既に述べた通りだから、
残りの「間」が「タイ」と読まれる脈絡を考察してみよう。

・「タイ族」は自らを「キッタイ族」の後裔と言っている

・中国で西の言葉を写す時、h音はk音の漢字で写される

・鉄で有名な「ヒッタイト」は「ハッティ」とも言われる

・「ひたい」(額)という言葉は、第二音節に強声がある

以上のことから、まあ妄想のレベルと言っていいが、
古の「ヒッタイト」の後裔が中国にも移動していった。
これが中国の漢字で「契丹」と音写された。さらにまた
アクセントの関係で、これが「タイ」と略して呼称された。
どういう訳かこの「タイ」が古の「ハッティ」であることを、
日本に辿り着いた某の人は知っていた。おそらくその某の人が、
「額」→「眉間」→「間」という連想から、「間」という漢字を
この日本で「タイ」とも「ハッティ」とも読んだ。と想像されます。

#ほにゃらか掲示板で述べましたが、古事記には、
#「軽」(銅)と「穴穂」(鉄)の戦い?において
#後者が勝った旨の説話が盛り込まれてます。然るに、
#「穴穂」(アナホ)「大長谷」(オホハツセ)は兄弟。
#単に兄弟であるばかりか不即不離の関係に描かれている。
#してみれば、「大長谷」の「長谷」に「鉄の国」としての
#「ハッティ」が刻まれている可能性は高い。仮にそうならば、
#件の「間人」の「間」と、「大長谷」の「長谷」は通底します。

[145]   集落の境界にあったヤド     毛ツワリ 紋次郎 2002/04/13(Sat) 17:46 [Reply]
 愛染の宝塔こそ、古代宿場の典型かもしれません。また、全国に展開した「柱ヤド」の起
源だったかもしれません。
 古代では「ハシラ」という語は畏れ多く、口には出せないことばではなかったでしょう
か。どうみても *BAS は神です。蓮の花は神の花です。坐す(イマス)というのは I-
BAS-U という造語形態です。
 
 村落の中央にも柱は建てられたことでしょうが、村落の境界に旅びとの宿泊施設が設けら
れて、そこにも柱が建てられいたのはたしかなことです。
 村の境いめにはサイの神も飾られました。ネパール語 SAIT(吉兆)です。
 長野冬期オリンピックのときには、丸まっちいお面が図案化されたサイの神が出現しまし
た。覚えている方も多いでしょう。
 峠や村境には瓶も埋められたそうですが、これについては小生は多くを知りません。
 恐らくは MAT(土……へび神)へ油を捧げたのでしょう。
 サイの神は、江戸期ではほとんどが藁細工の人形です。カシマ(神目)さまとも呼ばれ
ました。邪悪の侵入を DOS(咎めだて)する神様です。これがドサマワリに繋がります。

 その村落の境界ちかくに建てられた柱は何と呼ばれたでしょうか。小生はハシラではなく
LAT や RUKH だったと思います。LAT とは「ラチがあかん」の LAT で柵のことですが、
もともとは「棒」です。ところが、大多数の倭人や渡来人は語頭の L は発音するのがニガ
テです。この LAT が第二子音濁化のクセで YAD に移行するとき、別概念の YA(神・屋)
DO(処)が作用して「ヤド(宿)」ができたと、確信します。

 RUKH はネパール語の「木」です。RUKH はヅキ、ツキとなって地名、姓名になっていま
す。東海道五十三次の「次ぎ」とは、まさにこれでしょう。ただ、小生には広島県北部の
三次市が、なぜ「みよし」と発音するのかがわかりません。誰か教えてください。
 語頭の R , L を発音できない大衆は RUKH の前に“イ”を立てました。蘇我イルカは
「イルク」がパーリ語的開音(母音“ア”づけ)で造語されたものだったと思います。意味
は神木です。ですから蘇我氏は外来民ではないか……が出ます。「飯塚」「五木」もこれだ
とも考えられます。
  ヤドの柱が RUKH だったため、一里塚のように“塚”が今でも続いているわけです。

 √ からころも 着きつ馴れにし つましあれば
   はるばるきぬる 旅をしぞ 思う。

 この “タビ” は、「風(カラ?)ころも……ウインド・ヤッケ」が TAPHI(エデン語
; 小布)から発達してきたことを物語っています。小生は長い間、これが“旅”の語源だと
信じて、疑うことがありませんでした。
 しかし、「旅の語源」については有名な民俗学者が提唱した説があります。旅びとが、門
づけをするルンペンのように、土地の人びとに、「○○してたべ(○○してください)」と
いう、その「たべ」が“旅”の語源だというのです。
でも、いまは別の覚度からこの説に「或いは?」を覚えます。
 「たべ」とはネパール語(パーリ語も) THAMB(柱)ではなかっただろうか……と。
 秋田のタンベ(チンポ)はこの「柱」でしょう。アイヌはマタタビを「MATA(風)タン
ブ」と呼んでいました。この MATA は凡オセアニア語です。

[144]   偏執はテコでバラそう      毛ツワリ 紋次郎 2002/04/13(Sat) 15:08 [Reply]
 なんでもかんでも、朝鮮語を日本語の先祖にしねぇと気がすまないソウル大学教
授がいた。POM (朝鮮語・春)をどうしても日本語ハルの兄哥分にしたいので涙ぐ
ましいコジツケをやっていた。もう20年ぐらい前のこってす。
 ギリシャ語 PUR(火) / 朝鮮語 PUR(火)を見なかったわけじゃねぇだろー
に。
 紙の枚数をくってしかたがないので、ワープロ専用機の出現をみるまでは、言語
のマルチ対比はほとんど不可能でした。
 それでも一覧性を得ながら気持よく対比作業を続けるには、どうしてもタテ置き
になる。タテ置きなら同時にやれるのは、5〜6言語が精一杯の容量です。
 この作業は詰めてやっても4ヶ月はかかるだろう。病気にもなりやすい。元気の
いい第一線の教授や助教授では、思いついてもまずやれないだろう。
 マルチ対比をだれもやらないので、言語というものの本質把握が遅れ、日本では
いつまでも江戸時代が続きました。

 フヴヒーさん、紀記にでてくる神名が80以上ドンピシャと出てきたら、そこで
いちおうの AUTHORITUY を持つ。200 以上出てきたらテコの強制力を持つ。
 いうまでもなく、在来のくにつがみは南方語を語源にしているかもしれない。
 とりわけ「空白時間帯のデッチアゲ」がおネラでんな。

 フヴヒーさん、頑張れ!

 ソグド語……だったか、カスガのカスに「王」みたいなのが出てきていました
よ。気がついたら、すぐ報せます。
※ ところで、インドをなぜ天竺と呼んだか、御存じだったらお教えアマカネ。
  「テン」という音にこめられている内意です。

[143] 「春」について補足  hvhy 2002/04/13(Sat) 13:11 [Reply]
この列島においては、いわゆる春の訪れとともに黄砂が舞う。(※訪れでなく真っ只中か?)
ところが、「砂」を意味する「XL」(ハール)という言葉も、
「9/40」→「49」→「13」→「4」で、魔方陣の【二】。
即ち、この言葉も「ΣMYA」(天)「KSB」(膠)に照応する。
「春日」の「春」を「カス」とも「ハル」とも読む。どうでしょうか。

#「XL」(ヘット・ラメッド)と綴りましたが、
#フェニキア文字の「X」(ヘット)の実際の形は、
#ほとんど「日」に同じ。(時代によって多少は変化)
#「KSB」を音で写す時に、「XL」も念頭にあって、
#それだからこそ「春日」と表記した。ってことでしょう。

[142] 「天」とは?  hvhy 2002/04/13(Sat) 12:39 [Reply]
まず最初に「Y」(ヨッド)は「20」で、日本の天皇だと第22代。
ということを確認しておきます。第22代は【四】に属してはいますが、
「11」「22」「33」はそれ以上は加えない。というカバラの話から、
【二】のゾロ目という観点が出てきます。このことを念頭に置いてください。

-------------------

だいぶん古い話になりますが、ほにゃらか掲示板で「粟田臣」の「粟田」は、
「ソグド」そのものという話をしました。古事記で言う「天押帯日子」の後裔。
その同族は「春日臣、大宅臣、粟田臣、小野臣、柿本臣、……」と書かれている。
書紀では、これらをまとめて「和珥(ワニ)臣」となっている。即ち「ワニ」です。

★★★★★←→★★★★★←→★★★★★
★二七九★←→★水月金★←→★486★
★一三五★←→★計土羅★←→★531★
★六八四★←→★火日木★←→★972★
★★★★★←→★★★★★←→★★★★★

ここでアラム語の創世記を見てみます。ヘブル語でなくアラム語です。
「BRΣY十、BRA、ALHA、Y十、ΣMYA、WY十、ALOA」
最初に創ったとされる「天」は「ΣMYA」、「地」は「ALOA」です。
ゲマトリアにより「ΣMYA」は【二】、「ALOA」は【八】と導かれる。

上に述べた通り、「Y」(ヨッド)は【二二】。即ち【二】のゾロ目です。
その意味で「Y」(ヨッド)は「天」(ΣMYA)に重なる。ところが一方、
第二代の天皇は「神沼河耳」。ここで「沼河」の「沼」は「玉」の意味であり、
「瓊」(に)でも同じ。故に「沼河」〜「瓊河」〜「にかわ」〜「膠」と繋がる。
桜左近さんのお話にあったように、「Y」(ヨッド)は「手」の意味を持っている。
ですから、「手に膠を握らせる」というソグド人の習慣は、この線から理解できます。

ソグド語では確認できておりませんが、桜左近さんのお話ですと、
ファルシ語で「膠」は「Casb」。おそらくアラム語では「KSB」。(※これは推定)
「30/70/3」→「103」→「4」ですから、魔方陣の【二】。
つまり「膠」を意味する「KSB」も、やはり「天」(ΣMYA)です。

古事記の天皇の名前を確認していただくと、実は「天」を負うのは、
「天国押波流岐広庭」のみ。第二十九代のみです。この人物も【二】。
ところが「春日臣」を筆頭とする「ワニ臣」の始祖は「天押帯日子」で、
これも「天」を負っています。してみれば、これらの名辞が含む「天」は、
「天」を意味するアラム語の「ΣMYA」(シャミア)と考えざるを得ない。
その「ΣMYA」(シャミア)に「手」(Y)と「膠」(沼河)が照応してる。
「粟田」が「ソグド」ならば、「ワニ臣」の筆頭に位置づけられる「春日臣」も、
やはり「ソグド」でしょう。「春日」の由来は「KSB」の漢字表記と思われます。
ソグド人において「膠」(Casb)が重要なシンボルだったなら、考えられることです。

-------------------

「天」については、そうかもしれない。「地」については、どうなんだ?
そういう話もありますが、まず「ALOA」はゲマトリアで【八】と出る。
【八】は「YM」(ヤマ)であり、「黄泉」に繋がってることは述べました。
そもそも魔方陣の位置で【八】は「地」と言われるに相応しいと言えましょう。

ところが【八】は「日」即ち「日天」です。ソグド語では「myr」(ミル)。
その漢字音訳が「蜜」です。この「蜜」という文字は、かなり時代は下るが、
日本の具注暦にも記されています。当然ながらこの場合は「日曜」の意味です。
「蜜」は「日天」であり「日曜」なのですが、マニ教徒は常に日曜日に潔斎した。
即ち「日曜」を非常に重視してました。(背景にはミフル神、ミトラ神の信仰が?)
ソグド人=マニ教徒ではないにせよ、彼らを考える時、これは見落とせない観点です。

#この意味の「蜜」は「口に蜜を含ませる」というソグド人の習慣と、
#関係あるでしょうか、関係ないでしょうか。長くなるので、ひとまず。

[141]   ゲ・ゲ・ゲロ・ゲロ     毛ツワリ 紋次郎 2002/04/13(Sat) 05:47 [Reply]
 またまたまた!! おぬし、ヤルゥ〜〜。

 おらはぁ、ごめんなさいみたいに両手ついた「わくどの姿」に気を奪われていただ。
 で、「ど……人」として擬人化されたもの、の、その形容が WAK かな? と。
 そういやぁ、子音母音を組み合わす言語の始原は一切オノマトペアだんべ。

 子供のころ「毛ぇ何本?」で遊んだハコベはゲーロッパというなぁ。
「カエル」はゲールが原音か。 E から「AE 移行」のいい例だ。
 飛騨高山の南ゲロ温泉も蛙の棲み家だったんだろうか?
 そういえば、おらが国民学校4〜5年生のとき、がッコからの帰り道にボタ山の熱で温泉
となった湯溜り池ができた。
 10cmぐらいのビキタンがいっぱい集まってきていた。やつらは温かいのが好きなんだな。
 端ッコのほうは土の加減で温度がぬるい。そこへまず、並べておいて、ケツをつつくわけだ。
 池の中央へ逃げたやつは片っ端はら手足をのばしたまま動かなくなったなぁ〜。
 もちろん、ケツから“プー”もやったヨ。
 
 ビキタンの「タン」と「谷グク」の「谷」は同じナニかだなぁ。
 ハコベラの語源 ; ハコはネパール語の草地、傾斜地。べラは極東語 *BIR(草)
のパーリ語的開音(母音づけ)。

[140] カエル  桜左近 2002/04/13(Sat) 03:53 [Reply]
「カエル」がパフラヴィー語でWAK、タジク語ではグクだったりすると、それはオノマトペア(擬音語)だから
似ていて当然だ!とか言われそうですね。思わず「そうかぁ・・・」と肯きたくなりますが、世界規模で見ると
カエルの声から「ワク」というオノマトペアを引き出す例はあまり多くないような印象があります。
もちろん「印象」では説得力がないので、実際に各国語でカエルを表現する言葉を集めたサイトをご紹介。
http://www.maki.simplenet.com/dmm/frog/sayfrog.htm

ちなみに、FARSI(現代ペルシャ語)ではカエルは「KHUK]です。どうですタジク語と似ているでしょう!。(^^)

[139] Re[137]: FARSI=PERSIAN  桜左近 2002/04/12(Fri) 23:33 [Reply]

>  パソコンで丸善の電話番号を探すこと20分。らちあかんので、104で訊いた。
>  やっと電話かかったが、ファルシ語辞書は見当たらないソウナンデス。

言葉足らずでした。FARSIはペルシャ語と同じです。
厳密にいえばペルシャ語の方言としてFARSI,DARIなどがあることになります(タジク語も非常に近い)。で、DARIやTAJIKと書いてあったら別ですが、PERSIANなら即ちFARSIと考えてかまいません。

[138]   配る と ミクマリ  4(完)     毛ツワリ 紋次郎 2002/04/12(Fri) 17:40 [Reply]
 「のべつまくなしに」を彦島で「たんだもんに」とは言いませんカネ。
 ほな、次から次にを「せんぐりせんぐり」言わんかいし? 
 ま、せんぐりせんぐり書いても WEN ハデ、このへんで結論だしておきましょう。

 フヴヒーさんの交際援助もあって、「配る < くまる」という日本語が突然に表
れたことはまちがいない。
 それは、ミクマリまたはミクマルという発音の上に新しい意味がのっけられた…
…ちゅうこってしょう。
 MI-KUMAr とは「 神ーKUMAr 」と、鮮やかに決まっています。

 では、そこへ新たに添えられた意味はナンだったかがモンダイですよね。
 おら、推論の手続きまちがえた。あまりにも早く「隅々」を出しすぎた。
 だが、「くまr 」に込められた意味(それは希いでもあった)は、MA に良く似た
MO だった。なぜか? kumo (雲)こそは、くなどの神(家の近くの街角に坐す)
を山畑から、次から次に川上へ追い上げた南方系の KUMAL(雲)だったからです。
MUMAL……台湾のどこだったか……わすれた。
 ビルマ、ボド語群、ラ−ルング語に山手の畑を意味する KUMA があって、福岡県
山田市の熊ヶ畑(ここの北5キロがオレがた)があります。これもクナド神を山地
に追い上げたのではないか……と思われますが、真相はわかりません。
 ビルマ、ボド語群、ラ−ルング語というのは日本語とのあいだに身体語(だけ)
にもの凄い類似を見せる言語です。

 そして MO はくにであり、隅々。
 その「くまる(配る)」はサンカの偏執のなかに、現代まで温存されていた。
どな、わえらは21世紀初頭人。これ以上はかんべんしてくたシャイ。
 なお、MO を朝鮮語と表現しましたが、これ方便で MOD の語形でネパール語に曲
り角の意味があります。
 英語 CORNER (角・隅) / ネパール語 KUNA (角・隅)……この関係と MOD
概念の広がりと「似てる・似てない」は次の世代へ。

[137]   We〜〜N おとうちゃん  毛ツワリ 紋次郎 2002/04/12(Fri) 16:54 [Reply]
 アイヌ語 ; WEN(わるい・だめ) 岡山弁 ; おえん(わるい・だめ)。この二つ関係あるない。

 パソコンで丸善の電話番号を探すこと20分。らちあかんので、104で訊いた。
 やっと電話かかったが、ファルシ語辞書は見当たらないソウナンデス。
 洋書部の担当オネェちゃんの名前、ファクス番号はきいた。
 イマイチ、手どり足とり世話してくたシャイ。
 わがお E メール・アドレスはあさってごろ繋がるかもしれません。

[136]   √♪ 轟沈 轟沈 凱歌はあがるゥ〜〜     毛ツワリ 紋次郎 2002/04/12(Fri) 10:32 [Reply]
 桜八百魚さん、オ〜〜メデトございまァ〜〜す。

 またヤッタねぇ〜! ……パフラヴィ−語 WAK のこってござるよ。
 まるで、フタあけたばかりの饅頭のアタマに、てめぇのツバつっけた指でトトトン
トンと占有のシルシつけるようなもんだワ。
 文字どおりの日進月歩なりィ〜〜。
 こんな連続凱歌は、比較言語学やってる教授さんたちが聴いたらビックらこいて腰
ぬかすんでナイカイ? おめぇら 蝿じゃ蝿じゃいうてナメんなよ、なも。

 残るは、ガマですな。これはネパール語に「品性下劣な」というなんとかいう類似
発音があります。おれが作った一覧表には出してないと思う。必要ならしらべます。
 それよかフヴヒーさん、オハヨ。「四・六のガマ」……オハコ数字のうちやが、な
んとか出ませんカネ。

 九州弁 ; ワクド(蛙)、四国 ; ばっぷくどん(蛙)
 WAK と BIK(毒)とは似いちゅう。 「食うちゃオエン」いうて、BIK を強調したん
やろなぁ。
 カワズの「ズ」、わくどの「ど」、こーず(梟)の「ズ」、アキツ(トンボ)の
「ツ」……どこまで関係が「ある・ない」か。アキツのツは LU(龍)とされた形跡こ
れあり。

※ 丸善さんには、早速電話で問い合わせしてみます。ありがとう、ありがとう!
  泣く! 
  FARSI とはペルシャ人のことでは? そのまま(?)がネパール語にあります。

※ 「文法、統語は3万年前からボツボツ氏族固有のものとなって定着した」……こ
  の発想どな。
  場所的に近いからといって、比較はむずかしいと思うよ。
  むかしの数百〜数千の氏族が、現代はひとつになってんのら。

フヴヒーさん、またオハヨ。
 勾(玉 ’)あが、*GUM の援助交際あが。
 桜さんがちょと書いておられましたが「一介の……わし如きが……、くにのダイジ
を……」という悩みやろカネ。だったら心配ない。ダイジョ−ビ!
 おれもアタマに最大5cmぐらいのサンカク禿げ作って悩んだよ。現代日本の良識を
代表する一流雑誌編集長二人に相談もちこんだ。 電話相談は 048-882-4901 ね。

 オツムのオは尻である。……あれ? 「つむぐり」はナニ語だったか? ぼけた。
 つむり(頭)、「つむくり(独楽)」。
 コマと*GUM(回転・廻)と“曲”とが、関係ありそでウッフン。

 「秘法」への観点……ダイジあるね。長くなったので、数日あと、書く。

[135] Re[120][116][83]: 「be 動詞」の話  桜左近 2002/04/12(Fri) 05:21 [Reply]
hvhyさん、レスを有難うございました。

>>完了法、不完了法、嘆願法、命令法、分詞法、不定法等がある。
>>古代語には時制はない。過去、現在にかかわらず、既に終わって
>>しまったことか、否かで動詞を区分する。(以下略)

まったく私の説明不足ですみません。
アラム語は現在ほとんど死語だという事実に気がつかず、ピント外れの質問で申し訳ないです。
YHVHの解読が混乱していたとはいえ、語中にHOVEH(有るというBE動詞)が含まれている、という
解釈が一般的であったらしい、その証左として、「現代」ヘブル語に現在形のBE動詞が無い事実が
述べられているわけでした。つまり、存在そのものが神聖であるから、全能の神が「存在する」という
動詞が、「俺(三人称なら与太郎とか)が存在する」の動詞と同じではまずいだろう!となり、現在形の
BE動詞を遠慮して省いたのではないか?という論旨でした。
「現在、過去、未来」等の時制は古語にはなかったでしょう。というか、過去形や未来形が出現した
あおりを食ってBE動詞の現在形を表す必要に迫られた、といえると思います。そんな中、ヘブル語
においては「与太郎と全能神が同じ動詞を使うのは恐れ多い(私の妄想です)」から、与太郎の方は
「オレ与太郎!」ですました(か?)。(^^;
ま、ヘブル語ではそうであったと納得するも、現代ロシア語で同様の文法が行われているのは不思議
な現象ですね・・・じゃ、アラム語はどうなんでしょうか?と単純に考えてしまったのが罠でした。(^^;

「ATUM神=頭」説の補足。
私の在所では「頭」をオツムといいます。

#以上終り!

[134] パフラヴィー語辞書発見  桜左近 2002/04/11(Thu) 23:52 [Reply]
オンラインのパフラヴィー語辞書がありました!。
この間のソグド語辞書のページ
http://www.uni-koeln.de/phil-fak/indologie/lil/farhangan.html
を開いて、一番上の方にある「Lexicon of Iranian Languages (LIL)」をクリック。
それから次に「・The Concise Pahlavi Dictionary (CPD) 」をクリックするとあります。
早速「カエル」をひいてみたらWAKでしたよ!。
すぐ下にある「ソグド語のオンライン辞書」はまだ出来上がってないようです。

パフラヴィーという名ですが、昔イランにいた「パーレヴィ国王(英語読み)」と同じ由来です。
この言語は主にゾロアスター教の関係で使われたので、ソグド語のような交易言語とはジャンル
が違うはずですね。同じ時代の言葉としてパルティア語もありますが、こちらの情報は知りません。
ファルシ語(FARSI)は現代語なので丸善に何種類か辞書があり、たしか3000円くらいで買えました。

[133] Re[127]: カバラの怪説  桜左近 2002/04/11(Thu) 22:05 [Reply]
まず、紋次郎さんがお尋ねのカバラの意味。
私なんぞに聞くのは八百屋で魚を求めるようなものですよ。(^^;
仏教でいえば「顕教」に対する「密教」・・(うまい例ではない!)、モーゼの律法(トーラー)の他に、
ユダヤ教には秘密に受け継がれてきた伝統(カバラ)がある。12世紀ごろ、スペインにいたユダヤ人
が暴露するまでは全く秘密のベールに包まれていたという。hvhyさんが古事記との関係を指摘する
のをためらっていらっしゃるのも、このあたりが引っかかるからです。
「命の木」という逆さまの木の絵の中に宇宙、森羅万象を詰め込んである(そうです)。
ああっ、もうワカラン!

[132] :[131] の続き  hvhy 2002/04/11(Thu) 19:12 [Reply]
さてところが、「金」即ち「九」即ち「勾」です。
「Magha」の形状は「河曲」あるいは「曲河」でした。

>そして古代では川の彎曲に内側をクマといいました。
>これは別語で“芥”という命名と同じでクマ(ゴミ)が
>たまるところでもあります。と同時に、これは
>川の*GUM(曲)でもありました(*GUM もネパール語です)。
>そしてKUMA には「曲り角・隅」という意味もあります。
>これは千曲川の「曲」みたいですが、(以下略)

仮に「金」(クマ)が「勾」(マガ)だとするなら、
「曲」(マガ)が「曲」(クマ)と読まれるのも当然?

[131] そして「金」は「勾」に繋がる  hvhy 2002/04/11(Thu) 18:52 [Reply]
小学館の古語大辞典を見ると、「くばる」(動詞)の項に、
「古くは『くまる』」と出てきます。その根拠は古事記です。

>天之水分神、訓分云久麻理。

「訓分云久麻理」は「分を訓みて久麻理と云ふ」。
この「久麻理」(クマリ)は、連用形からの名詞化。
ならば、「くまる」という動詞が想定されるわけです。

しかも古事記・日本書紀・万葉集のなかに、
「くばる」という動詞は実は確認できません。(※訓読の確定してる範囲で)
確認できない以上、かなり危うくはありますが、
古事記の訓注から「くまる」が古形と推定される。
一応こういう話になっております。(一般的な話は)

***

「天之水分神/国之水分神」について古典文学大系は、
「分水の神」と無難に書いています。当然のことですが、
これは「水の神」とはニュアンスが異なる。この点が重要。
「木→火→土→金→水」という五行循環に即して言うかぎり、
単純に考えて「水を分配する」そういう神格は「金」でしょう。

ところが偶然なのか何なのか、「金」は「コム」で、(※朝鮮音?要確認!!)
「金星の童子」を意味する「サナト・クマラ」がいる。(※これはインドの神様)
この「クマラ」の正確な発音を私は知りませんけれども、
「サナト・クマラ」は書紀では「狭名来田蒋津之命」です。(※考証は別途)
「蒋津」の「津」は接尾辞なので、要するに「蒋」(コモ)。
これら「蒋」とか「金」とか「クマラ」とかの言葉が、やはり、
「水分」の「分」を(だれかが)「久麻理」と訓じた背景にある。
さしあたって、そのように私は考えます。以上を踏まえてみるなら、
「子守」は「水分」という玄松子さんの話は非常に納得いくものです。

#「子守」という表記は、音で「金」を示唆しつつ、
#一方では「童子」も示唆する旨い表記になっている。

[130]   配る と ミクマリ  3     毛ツワリ 紋次郎 2002/04/11(Thu) 17:01 [Reply]
 7年ほど前に『日本語とアイヌ語』を著した片山龍峰さんは、椎葉の土地びとといっしょ
に汗みどろになって山の中を駆けまわりました。
 「たましい」という語彙の語源が、土地に伝わる「タマスわけ」という、一種の儀式みた
いなものに由来するのではないかと、思ったからです。
 「タマスわけ」とはイノシシを仕とめた直後に、村びとに分け与えるために、肉を切りわ
けることです。
 日本語以外の言語を当たってみれば、タマスとは、肉などへ「刀を入れて形へ切り分ける
こと to cut into shape 」という単純な意味で、極東の共通語だったのでした。 
 ま、片山さんも若かったのでしょう。
 
 堀井令以知さんによれば「くばる」の古語は「くまる」です。「くばる」はあとで音転し
て日本語として定着した語形だとあります。
 そうすると、この「くまる」の「MA-R-U」が「TA-MAS-U」とナニカの縁由を持って
いないか……を、いちどみる必要もありそうです。
 たしかに、 SU と RU を動詞形成子として見れば MA が共通しています。しかし、この
見方をするかぎり、TAMASU の語頭の TA がどうしても、これまた動詞形成子らしく、そ
うすると、ダブって動詞形成子が含まれている……それはありえないことではないが……。
 それよりも TAMAS には極東に関連語彙があり、動詞形成子の TA + MAS(ネパール語 筋肉・肉)とするのが普通の考えでしょう。
 で、TAMAS と「くまる」は関係ないと見た方がいいです。

 村びとや仲間に配るという意味の「ま」がつく語彙は、日本語としてほかにありましょう
か? ……ないようです。
 「飲み食いさせる」という意味の「まつる」はタミル語にも同根があるそうですが、これ
は「配る」や「隅々まで届ける」という概念からは、かなり離れているとしかなりません。

 熊野シシミの偏執が古代日本の語彙に大きな変形を与えたことは先に述べたところです。
そして古代では川の彎曲に内側をクマといいました。これは別語で“芥”という命名と同じ
でクマ(ゴミ)がたまるところでもあります。と同時に、これは川の*GUM(曲)でもあり
ました(*GUM もネパール語です)。
 そしてKUMA には「曲り角・隅」という意味もあります。
 これは千曲川の「曲」みたいですが、これには異分子的な語根が含まれていそうですので
稿を改めて追求します。

 また、長くなった。

[129]   A D M は数式という船に乗っからないと安積にならんのか? ア〜〜ン・    毛ツワリ 紋次郎 2002/04/11(Thu) 14:29 [Reply]
 その語彙に含まれている音と内意によって、異言語族間に語彙は貸借される。
 フヴヒードンの記述は、その語彙を受け付けるときに検問所があって、所定の数式に
合致しないものは、流入を拒否される……みたいなものを感じるヨ。
 ギリヤーク語でも男をアヂュムという。ここには、検問所も数式もなかったんぞな。

★ 同じか同じでないか……白黒二元の判断はまちがい。
☆ イエ〜〜ス! そのとおり!!
  メチャだいじな観点あるね。
  すべての概念は矛盾を内包しながらインプット〜受容される。
  おれ、67歳。この法則をやっと発見して、まだ1ヶ月たたない。
  フヴヒードンはやっぱ天才だ。

☆ 天皇さまが淡路に行こうとしたとき、「(淡路の)名前が気にくわん」と
  発言したことが、その前後に書いてありましょうが、この意味わかる?
  それはネ、A(反・非・不)WA(ひと)で、「ヒトデナシ」だから。
  隠語に「アワマク(姦通)」という。 MAηーKU(SEX)……マンコカネ。
  

[128] 「ADM」は「阿曇」  hvhy 2002/04/11(Thu) 12:48 [Reply]
>「YHWH」(39)と「AWR」(309)の場合、まったく一致はしないが、
>「39」と「309」は各桁に現われる数字の構成要素が同じですね。こんな時も、
>言葉と言葉の間に(何かしらの意味で)密な繋がりがある。そのように考えられます。

ここで述べたのと同じ意味で注目されるのは、
「ADM」(57)と「YΣWO」(507)。
4つの言葉はすべて【三】ですが、数字の構成は、
「YHWH」(39)「ADM」(57)は異なる。
数学的に言うなら、弱く分類するか強く分類するかで、
等しかったり等しくなかったりする。そういうことです。

#つまり「同じか同じでないか」などと、
#二元法で考えるのは、まったく意味なし。

-----------------

問題は発言[79][80]の話です。
もう一度ここで、書紀の記事を引用。
「飼部」と出てくるのは「馬飼」です。
その「馬飼」は『舎頭諫経』の「馬師」、
インドのナクシャトラの「Asvini」でした。
また「Asvini」の漢字表記が「薊瓊」であり、
一般には、これは「阿曇」として知られている。

>(五年の)秋九月の乙酉の朔壬寅に、天皇、淡路島に狩したまふ。
>是の日に、河内飼部等、従駕へまつりて、轡に執けり。是より先に、
>飼部の黥、皆差えず。因りて卜ふ。兆に「飼部等の黥の気を悪む」と
>云ふ。故、是より以後、頓に絶えて飼部を黥せずして止む。(履中紀)

#あらためて訂正。うっかり引用を間違えました。
#「飼部の黥、皆差えず」と「因りて卜ふ」の間に、
#実は以下のような極めて重要な一文が入っています。

#>時に島に居します伊奘諾神、祝に託りて曰はく、
#>「血の臭きに堪へず」とのたまふ。

即ち「阿曇」であるところの「飼部」(馬飼部)は、
日本書紀の説話で「黥」に結びつけられ、さらにまた、
「血」(及びその臭い)に結びつけられているわけです。(※古事記では「気比大神」の説話)
なぜ「血」に結びつけられているのか。ここでもアラム語。
アラム語の「ADM」は「血」という意味。これが由来です。
即ち「ADM」〜「Asvini」〜「馬師」〜「阿曇」という流れ。

-----------------

桜左近さんの「頭」という話も、もちろん無視できません。
「婁」(Asvini)の形状を、『摩登伽経』は「馬首」とする。
さらに『宿曜経』は「馬頭」とする。ここに出てくる「首」は、
要するに先頭の意味。つまり「馬首」であっても「馬の頭」の意。
いわゆる「馬頭観音」は日本でポピュラー。淵源は以上に尽きます。

#試しに「ADM」を「A十M」としてみると、
#前者は「57」、後者は「552」となります。
#数字の構成は変わるものの、「A十M」も【三】。

ここで「馬」→「厩」→「YΣWO」と連想してみましょう。
「ADM」は「57」。然るに「YΣWO」は「507」です。
各桁に現われる数字の構成要素が同じ。冒頭に述べたことですが、
こんな時は、言葉と言葉の間に、何らかの意味で密な繋がりがある。
「何らかの意味」は、ナクシャトラの「Asvini」それ自体と言えます。

[127]   人 造 語 の く び れ     毛ツワリ 紋次郎 [Mail] 2002/04/11(Thu) 10:55 [Reply]
 左近さん、オース
 解説、こんせつ、あがあが。 Y とはおれ感覚の「’」でありつったか!
 ヘブライ語の辞書を読んだとき、こんな解説が欲しかったよ!!
 そんならそうで、’と Y , I は峻別させなあかんな。
子音につく母音が不透明なのに加えて ’の一文字でも発音が確定しない……、そういう
 言語。ミナシャンの猛烈な探究心には感心々々。

★  ともかくも、紀元前後にユダヤのラビが集まって子音だらけの旧約聖書に適当と思わ
   れる母音を確定し、以後f2000年これが定着しているのは凄いことだと思わざるを得
   ません。
☆  会話はお互いに矛盾を持ち、それを感じるので始り、会話のあとにはそれぞれが、よ
   り高い AUFHEBEN (止揚)に恵まれる。で、まぁ聴いておくれ。
  *「凄い」とは、どういう内意だろうか? おらには「おぞましい」とか「大破壊だ」
    だと写る。
  *「適当と思われる母音を確定し」……適当にやられたんじゃカナワンあるね。
    12氏族の語彙を調べ尽しての結論であれば、その時点で母音が添えられた辞書を
    作るべきやったね。それができないぐらいに混沌状態だった……というのが実情
    だったのではないやろカネ。

    どこの氏族の言語も、最低10万年ぐらいの継続時間(歴史性?)を持っている。
    それを、とおりいっぺんの調査で“確定らしきこと”を人為的にデッチあげること
    は、それこそエホバさんを冒涜することだと思う。(まず初めにあるのがことばや
    ろが)
  * ここ1200年の偏執こそ、「いい面の皮」だ。
    わえらは、そーゆームチャクチャを押し付けられているのら。それは、ドイツに生
    まれた赤子がエチオピア語を優先選択できない「ゴリ押しつけられ」とひとつも変
    わらぬドテライ強制でんがな。

 おらの「サンスクリット語、ラテン語への思い」、依而如件。
 あ、おらの言語追求での取り組み姿勢はいろいろあるが、そのうちのおおきなオネラは、
「エデン語の復活」にある。人類はひとつなのら。ひとつの意識系統にまとまることができ
るはずでんがな。アフリカ人迄はかなりあと廻しになるけんどヨォ〜お。

★ たった一つ問題がありました。全能の神を表すYHWH(YHVH)という言葉はみだりに口
  にしてはならないという戒めがあり
☆ これが「ナーモー ……NAM(名前)O(神)」という唱えことばになる。ナマステ。あ
  あ、御名におわし BAS(神・坐す)U (する)お KATA(貴人)さまよ。ナムアミダ。
  エホバさん、が出現した当初は、さかんに「おらの名前はエホバってんだぞォ」と宣伝
  しなすったよナァ。
★  聖書を読む場合も必ずADONAI(我が支配者)と読み変えてきたのでYHWH の本当の読
 み方が全く伝わっていなかったという、嘘みたいな事情がありました。(笑)
☆  ネパール語 ; ADHO(めくら)、安曇に繋がるみたいやなぁ〜。
  初代新羅王も数種の別名をもっているが、そのひとつに -NAI があった。⇒東北のナイ
  アイヌ語の NAI(川)。
  A は吾、ドンはセトホドンのドンかね。なも。
  
 左近ドン、アイヌ語で鷲をカパッチリという。カパラ、かぱr とはどういうことやろか、
また解説アマカらんやろか。この「鷲」はネパール語にも関係がでる。
 アイヌ語で、同音の KAPAR には「平べったい」の意味これあり。

[126] Re[120][116][83]: 「be 動詞」の話  hvhy 2002/04/11(Thu) 10:40 [Reply]
>聖書アラム語の例。「anta hu daniyel」(お前はダニエルか?)

注意したいのは、ここに出てくる「hu」は、
もともと「hawa」(ハワ)。ということです。
つまり「アンタ、ハワ、ダニエル?」という話。
「あんたはダニエル?」と聴こえるのでは???

[125] Re[122]: Y(ヨッド)  桜左近 2002/04/11(Thu) 06:43 [Reply]
古来ヘブル語は子音表記のみでしたが、いわゆる旧約聖書を宗教として宣教するためには仏教のお経
やイスラム教のアッザーン(礼拝の指揮者の声)のように「音声化」する必要だと気がついたのでしょう。
「声に出して読めない、ただ黙読する聖典」では魅力が半減しますからね。中世以降キリスト教の賛美歌
(声明!)が凄まじい威力(魅力)でもって大衆を魅了した事実は疑いのないところです。
ともかくも、紀元前後にユダヤのラビが集まって子音だらけの旧約聖書に適当と思われる母音を確定し、
以後f2000年これが定着しているのは凄いことだと思わざるを得ません。
しかし、たった一つ問題がありました。全能の神を表すYHWH(YHVH)という言葉はみだりに口にしては
ならないという戒めがあり、聖書を読む場合も必ずADONAI(我が支配者)と読み変えてきたのでYHWH
の本当の読み方が全く伝わっていなかったという、嘘みたいな事情がありました。(笑)
そのために、後世いろいろな説が提唱される事態になり、未だに決定的な解釈は無いといわれています。

再掲ですが・・
>「HWH」(ハワ)に「即ち」の意もあるらしい。
>仮に「HWH」が「即ち」なら、「HWHY」は
>即ち「Y」だが、神智学のブラヴァッキー夫人は
>「Y」の事を「ADM」(アダム)と言っている。

このような説はたくさんあって、HWHが「イヴ」と読めるという前提にたっています。つまり「Y+HWH」とは
アダム(Y)とイヴ(HWH)が結婚(または合体)したと分析するわけです。特にカバラやタロット関係に多い
解釈で、その理由は「占い」の本質を考えれば納得しやすい。

以下は私の思いつきによる独断で、何も責任は持てない放談と受け取って頂きたい。
もともと「Y(ヨッド)」は半母音で、ローマ字に写すと「I」か「J」になります。そしてヨッドのヘブル語の意味は
「開いた手」なんですよ。開いた手の平は洗礼(バプテスマ)を授けるときの手であり、ゴッドハンドの手でも
あります。更に遡れば、エジプトの最高神アトゥム(ATUM)を表していると考えられる(ATUMはIATHUMで
「I」が頭文字)。このATUMが日本語のカシラを意味する「頭」として入っている(のかな?)。(^^;

#長くなるので、また次の機会に。


[124]   配る と ミ・クマリ  2     毛ツワリ 紋次郎 [Mail] 2002/04/10(Wed) 17:47 [Reply]
 イエスさんも「赤ん坊のほほえみに神様を直感しろ」みたいなことを言ったとか言わな
いとか……。
 童神がユーラシア全域にいたことはタシカです。
 日本では今でも語り継がれているのが、飛騨の柱曳きのときの少年神。各地の神社の祭
事に現れる少年少女神、結婚式のときのオチョメチョ……これらは膨大な証拠です。
 童神は年令別にみると 1 水子〜目があいてない子 2 嬰児 3 4〜6歳ぐらい
 4 少年少女の〜13歳ぐらい に分かれていますので、これらには夫々かなり広域に
通用する名前があったはずです。また、かなり男女別の呼称もあったはずです。
 ところが、現代に伝わっている童神の名前は「みずこ」「あかご」「ざしきわらし(岩
手)」ぐらいなもので、あとはハっきりしません。
 また、水子という名前を童神と呼べるのかもハッキリしません。「あかご」は「AKHA
(目)」がついているので、「赤」との関連は薄いのではないでしょうか。
 ただ、「太郎」という呼び名は、小生には童神の一種だとみえます。松島のサイタロウ
はおっぱい(トット)をのむ年令です。桃太郎は鬼を退治する少年、金太郎は熊と相撲を
とる少年。TAR はネパール語で「若い男」です。
 名前はないが、まぎれもなく目があく前の、生まれたての童神が遮光器土偶にみられま
す。小生は、これは「イ・あど(⇒えぞ……I-ADHO)」と踏んでいます。
 アイヌ社会には、蕗の下のコロボックルや、始祖神のオキクルミ(OK =朝鮮語にみられ
る子供)が伝わっています。
 日本では高麗をコマといいますが、これはパーリ語のコマラ(ネパール語の KUMARと同
根)だと睨んでまちがいないと思います。
 日本の七五三行事は中東の割例の年令を写しています。これは童神の年令区分だったの
ではないでしょうか。

 総じていえば、実にいろんな証拠が残っているにも拘わらず、童神をいう明瞭な語彙は
まったく残っていない……と言っても過言ではありません。
 よくは分りませんが、いずれにしろ、童神の名前が「あった・消えた」は稲作開始前と
稲作開始後の段差現象だと見ていいでしょう。
 はたまた……、神社やお寺そのものが童神の存在が邪魔だったという事情が考えられま
す。玄象師師ドン、お力ベッセルティー。

 ありゃ、また長くなった。 続く。

[123] Re[114]: ホントですか!?  hvhy 2002/04/10(Wed) 15:46 [Reply]
>でも、フヴヒーさん オハヨ。 買う必要ないよ。オレがそのうちキー叩いて日本語版
>つくってみる。Frog も出てない辞書は利用価値あんもっへ(長崎弁……あり申すけぇ)。

それはそれは有り難いお話で!!
東西を繋ぐ言葉という意味では、
やはり見落とせない言葉ですから、
そういうものが出来たら、さぞかし
役に立つと思う。とっても楽しみです。

[122] 「神」は「回文」か?  hvhy 2002/04/10(Wed) 15:34 [Reply]
ヘブル語において「Y」(ヨッド)という文字は、
「私の〜」という意味の語尾として頻繁に使われる。(※要確認)
このことから、語順および格の問題があるにはあるが、
「YHWH」の「Y」に「私」という意味を推定できる。
さらに「HWH」が「有る」とか「〜である」だとすれば、
全体として「YHWH」は、英語で言う「I am」に相当する。
もしくは「am I」に相当する。という話は、まあ納得できます。

いささか唐突ですが、ここで「ウロボロスの蛇」を考えてみる。
「大物主」が自分の尻尾を噛んでいた。という説話はありません。
しかし古事記の「美和」の説話は、「美和」(つまりは大物主)が
円環構造であることを明確に述べている。「YHWH」が「蛇」なら、
「YHWH」は「円」の形をしているはずです。とりあえず書いてみる。

***Y***   ちょっと「円」は書けないので、
*******   左の図で勘弁していただくとして、
*******   「自分の尻尾を噛んでいる」のなら、
H**・**H   もともとの文字列は「YHVHY」で、
*******   最初と最後を重ねたのが「至聖四文字」。
*******   こう考えると、その意味は「I am I」です。
***W***   日本語で言うなら、「私は私である」となる。

#「蛇」なのか?「I am I」なのか?
#という二者択一的な話ではありません。

[121] Re[116][83]: どうして「蛇」か  hvhy 2002/04/10(Wed) 15:25 [Reply]
神様のことですから(?)、ある時は「丹塗矢」に、
ある時は「小蛇」に、と姿を変えたりするようですね。

>爰に倭迹迹姫命、心の裏に密に異ぶ。明くるを待ちて櫛笥を見れば、
>遂に美麗しき小蛇有り。其の長さ大さ衣紐の如し。則ち驚きて叫啼ぶ。

日本書紀では「大物主」は「小蛇」(つまり蛇)の姿で、
このように描かれています。よって、仮に「YHWH」が
「大物主」ならば、自動的に「YHWH」は「蛇」と言える。
ここで言っていることは、実は「YHWH」の読み方ではなく、
「YHWH」は何かと言えば、それは「蛇」だろうという話です。

ところが面白いことに、「YHWH」は「H」から読む言葉。(※つまりHWHY)
そう強引に思ってみると、あれれ?……「蛇」と読めますねぇ。
発言[83]の最後の部分は、そんな意味合いを含めて書きました。

#以上でご納得いただけるとすると、専ら問題は、
#「YHWH」と「大物主」は本当に通底するのか。
#そこのところです。「羽合」や「合羽」は別として、
#ともかく「YHWH」は「20/6/7/6」だから、(※http://platz.jp/~hvhy/mat.html
#「39」→「12」→「3」で、魔方陣の【三】に該当。
#のみならず、「39」をそのまま漢字表記すると「三勾」。
#ゲマトリアによれば、紛れもなく「HWHY」は「大物主」。
#然るに記紀の筆致も「大物主」は「神」の代名詞といった風情。

[120] Re[116][83]: 「be 動詞」の話  hvhy 2002/04/10(Wed) 15:16 [Reply]
飯島紀氏の本によると、アラム語は便宜的に
「古アラム語」「西アラム語」「東アラム語」
に分類され、さらに「東アラム語」のひとつに
「シリア語」が属している。とのことらしいです。
この「シリア語」について多少の文法が出てますが、
「動詞」の「法」に関しては、以下のようにあります。

>完了法、不完了法、嘆願法、命令法、分詞法、不定法等がある。
>古代語には時制はない。過去、現在にかかわらず、既に終わって
>しまったことか、否かで動詞を区分する。(以下略)

また「連接動詞」(copula)というのがあって、
今ひとつ分かりにくいのですが、こう書いてある。
むしろ、どなたかに御解説いただきたいところです。

>人称代名詞で動詞を挟むことにより連接動詞を作った。
>例えば、「ena afra ena」(私は塵である)
>次に面白いことに三人称「hu」が主語と述語との間の連辞として
>使用されるようになった。又シリア語では「HWA」(hu・彼)と
>「HWH」(hawa・有る)とは使い分けているが、もとは一緒だった
>とも言われる。「ena hu ber-ak」(私は貴女の息子である)
>聖書アラム語の例。「anta hu daniyel」(お前はダニエルか?)

また例文を捜してみたら、こんなものがありました。
紀元前200年ぐらいの「マハチカラ文献」からです。
(この文献がどういうものであるかはよく分かりません)

>MLYK MHRDΘ MLK RB BRA ΖY PRSMΝ MLK RB
>ミフルダート王は、パルスマン大王の子の偉大な王である。(飯島氏の訳文)
>ミフルダート王、大きなる王なり、大きなるパルスマン王の子なり。(その意訳)

この例文を見る限り、やはりアラム語でも、
桜左近さんの言われるヘブル語の場合と同じ。
いわゆる「be 動詞」が省略というか無いですね。
不明なのは、三人称「hu」が使われるようになった、
という話との関係です。動詞が無いと、分かりにくい。
だから「hawa」を「hu」に置き換えて使ったんですかね?

[119]   配る と ミ・クマリ  1      毛ツワリ 紋次郎 [Mail] 2002/04/10(Wed) 13:44 [Reply]
 わが敬愛する玄象師師ドン、らっしぇ〜〜い。
 おいでませぇ、蝿ブンブンの里に。

 下の102 でちょっと挑戦してみたのですが、尻切れチョンボに終わりました。
 だが、重要事項を言いかけていることだけは、感じていただいたはずです。

 福島さんが教えてくれた朝鮮語に「MO=隅」がありました。
 その MO は世界的に「くに」でもあったわけで、ここに同音衝突を内包しながら
「守る」という日本語が定着したか……と思うのであります。
 守るの古形は「もる」ですよネ。これに南方系古層の動詞形成接頭辞の MAηーが
前置されたのが 「まもる」だと考えられ、この視線でみると、「ミクマリ=水配
り」も解けそうです。

 この「くに」は、現代の NATION でないこと、もちろんで「平野や同じような
島々の続くかぎり(多島海)」ぐらいの、おらがくにサの「くに」です。
 そして「くに・する」は日本語造語では「MO ・ RU 」になりますよね。
 その MORU は「隅々する」でもあるわけです。
 防人とは「サイ(SAIT)の神の土地を“守る”LI(ひと)」ですが、守るの内意
はメンテが中心で攻撃ではなかった。
 インド文化を継承しているので、なにか新しいことを思いたつときには、すぐに
“破壊”が先行するのが原則ですが、日本列島にきてみたら、これほどの恵みあふれ
る「くに」はほかにないので、メンテが優先されるところとなったかと思います。

 そこで憶い出しておくれ。サンカの「配り偏執」のことを。
 「配る」というと、おらなんざには戦中戦後の配給で、意識が変形されていると看
たほうがはやいくらいですが、この「配る」の典型は、いいものが手にはいったら、
村落共同体の全員に“くまなく・もれなく”届けるというのことでしょう。
 そして、ここで重要なことは、この「届け」がさかんに行われていたときには、
「配る」とは言わず、べつの言葉を用いていたのではないか……と、あっしには思え
るのです。
 この日本列島で、「配る」ということばが定着したのは「ミ・クマリ神」が上陸し
たあとのことだ……と、こう考えれば、前後の辻褄が合います。

 この推論には日本列島内部での「童神の崩壊理由」を考えねばなりません。
 これは子供に仕事をさせる農耕事情からではないでしょうか。

 おらの叔母はひとり残った末娘に婿を取ったのでしたが、その実の娘が幼児を遺し
たまま事故死してしまいました。
 その婿と折り合いがわるく親戚が寄りましたが、そのとき豊後の山奥から来たムコ
は「こどもというものは、4歳ぐらいになるまでは、決して叱ったり叩いたりするも
んでネだ」と言っていました。
 あかごは目を醒ましているときの形容を「こから・こから」といいます(おへまの
里)が、まさに KO(神) KARA(つくる)です。

 ……おっと、つづく。

[118] Re[112]: ソグド語辞書発見  hvhy 2002/04/10(Wed) 11:33 [Reply]
桜左近さん、辞書の件どうも有り難うございます。
う〜ん、3万円ですかぁ。ちょっと苦しいですねぇ(^^;

[117]   神を示す限定詞は先行する    計都わり 紋次郎 [Mail] 2002/04/10(Wed) 09:33 [Reply]
 ミナシャン、母音の表示がない言語に、よくぞ食らい付いて行きなさる。感心する。

* 日本でもそうだが、神名の場合は古い語形ほど、神を意味する語彙…… I , MI ,TA , O
HO , KO , NO , などなどは、体言に先行して造語されるという世界的な一種の法則があら
  へんやろか。
  「神・存在」があるなら、これを現代の日本語流にいうなら「存在の神」ではなかろうか。
  アン神も存在の神だ……と川崎真治さんが言っていた。この場合はメチャ古いので、神という
  語彙はつかなかったのだろうか。
  上に出した I , MI ,TA , O , HO , KO , NO , などなどは,インドの習慣をそのまま継承
  して、これは「ひと」でもあります。ひとには WA 、LI 、SI 、YA , なども見られます。

* 川崎真治さんで憶いだしたのですが、羽合の古形は「ハワイ・イ」ではなかった?
  川崎真治さんは、そう言って、羽合とハワイの一致を論証していましたヨ。

* 左近さん、Y,W.H.V が偏って多出しているが、これナンジャイね。

[116] Re[83]: 「HWHY」は「鬼」  桜左近 2002/04/10(Wed) 05:45 [Reply]
>アラム語の「HWH」(ハワ)は「有る」。
>「HWHY」(ハワイ)は「羽合」なので、
>転じて「YHWH」は「合羽」(κ)だが、

ああ、そういうことでしたか!。
ちなみに、ヘブル語でのYHVHの解釈もやはりY+HVHに分けて考えるのが通説のようですね。
参考サイト:
http://www.revelations.org.za/NotesS-Name.htm

以下はこのサイトの説(あくまで一説)に従って少し説明を加えます。
ヘブル語ではHVHはHOVEH(ホーヴェー)で、意味は英語の「BE」に相当する動詞だとする。
そうなると、YAH(全能の神)がHOVEH(あらします)ということになるらしい。
ところで、アラム語のHWH(ハワ)が「有る」ということならば、ヘブル語と同じ使い方です。

>「HWH」(ハワ)に「即ち」の意もあるらしい。
>仮に「HWH」が「即ち」なら、「HWHY」は
>即ち「Y」だが、神智学のブラヴァッキー夫人は
>「Y」の事を「ADM」(アダム)と言っている。

単純な疑問ですみません。語順からいえばYHWHですよね。すると『「Y」即ち』になるのですが、
アラム語では逆転するのが普通の文法なのでしょうか。
また、上記のサイトの論旨に従えばヘブル語にはBE動詞の現在形が無いという指摘があります。
つまり、I TEACHER(私は先生)のようになってAMが省かれる理由が、HOVEH(有る)という語
の現在形は全能の神(有りて有るもの)しか使うことができないからではないか、という。
ここではAMしか触れられていませんが、IS、AM、AREにあたるすべてのBE動詞の現在形がない
のです。もちろん過去形や未来形になると出てきますが、神とは過去や未来に限定されない存在
なので許される(のかな?)。(^^;
参考のために教えて頂きたいのですが、アラム語でもBE動詞の現在形は省かれるのでしょうか?
実を言えば、私は上記サイトの説には少し疑問を持っています。何故なら、ロシア語でも現在形の
BE動詞は省かれ、過去や未来形になると出てくるという全く同じ文法なのです。
ロシア語とヘブル語が特別近い関係にあるとも思えない(いや、私だけが知らないだけかも!)。

>#以上を踏まえるならば、
>#「HWHY」は「蛇」。

私の理解力が悪いせいで、どのようにして突然この結論に達したのか全く理解できません。
お手数をかけて申し訳ありませんが、小学生にも分かるようにご説明して頂けると助かります。

[115]   バッキ(フキノトウ)の語源     計都わり 紋次郎 [Mail] 2002/04/10(Wed) 05:30 [Reply]
 ことしは温かい2〜3月でしたが、北の雪ぐにではいまごろフキノトウがでています。きのふおへまの里から、フキノトウが着きました。
 白一面の長い冬がすぎて、黒い土があらわれるときは、もう、メチャクチャにうれ
しいそうですね。

 蕗の塔は秋田津軽ではバッキといいます。バッキ……あんたこの語源わかるゥ?

 結論からさきにいうと、これは 「VAR(芽を吹く)KI(草木)」がもとの姿で、
R が促音をおこして「ヴァッキ」となったもの。

* ギリシャ語で春を VAR といいます。
* ネパール語 PHAL-(実がなる、花咲く)、PHUL-(花咲く、ふくれる)。
* そして日本語に“雪割り桜”があります。

 「芽が出る」の日本古音では WAR が一般的で、津軽方面では ギリシャの VAR
に近かった……が言えましょう。
 まちがえちゃいけないので、ひとこと言わせて貰いまっさ。
 「日本では WAR が一般的で、津軽方面では ギリシャの VAR に近かった」と表現
したからといって「あ、西南が WAR 、北が VAR ね」と、短絡冒しちゃぁいけねぇ
〜〜イヨッ。古代の真相は、こんなのがモザイクなんです。
 
 堀井令以知さんによれば、日本古語として「ツワル=芽がでる」を出しておられま
すが、この分析はちょっとだけまちがっているようです。「ワル」だけで、「芽が出
る」です。
 「ツ」とは、ツバナのツで「芽」です。
 仲秋の明月にかざるススキの穂が、まだカラの中にある状態をツバナ、ヅバナとい
います。子供のときに食べたひとは多いでしょう。
 日本語のツ(芽)はアイヌ語でも CHUCHU といいます。

 「ケツワル」まで続けるつもりでしたが、長くなるのでカットね。
 フヴヒーさん、「計都」とはどういう意味ですか? おらシランかったが、転がっ
ていたので、持ってきてくっつけただけ。

[114]   ううすらごと  計都わり 紋次郎 [Mail] 2002/04/10(Wed) 04:58 [Reply]
 ならよっちゃん、オハヨ
* 山手樹一郎の『天保紅小判』よんでいたら、長崎うまれの女が喋る「ううすらごと」が出
  てきたヨ。うれしかったねぇ〜オレ。「うう(大きい)」は、出雲、沖縄、豊後、で捕ま
  えていたが、長崎にもあったとは! “点・面作戦”あるね。
  沖縄・長崎はイントネーションで一致する。そうすると、あとは鹿児島、津軽、新羅での
  方言で「うう」が残っていないか……だ。鹿児島には、あったような気がするが、確認に
  は至っていない。ヘライ村行ったときには、確認タム。

* 左近さん、オハヨ
  ソグド語辞典……さすがぁ〜。ようするに、左近さんは英語文字 H.P を見てるんだナ。
  少し天才のヒミツわかった。
  でも、フヴヒーさん オハヨ。 買う必要ないよ。オレがそのうちキー叩いて日本語版
  つくってみる。Frog も出てない辞書は利用価値あんもっへ(長崎弁……あり申すけぇ)。
  左近さん、またオハヨ。
  ネワール語につっこんで行ってると、きっと世の中の目は放ってはいない。いろんな辞書
  をタダで貰えるヨ。オレ、これで4册タダで貰った。
  それよか、アタマ使えば“足あり”にはゼニモーヶのネタは、ごろんごろんあるヨ。

* それよかミナシャン、ネパール語辞書を入手しておくれ。
  日本語版は大学書林4万円だが、あと3年は「普及版」は出ないと言っている。
  おらが持っているのは天理教海外伝導部が出したぶんだが、去年、絶版になった。

  考えてもみてござれ。日本語と類似を示す外国語は、朝鮮語で140 ペア。レプチャ語
  ・メンパ語(ブータン東部の氏族)で 200 ペア、タミル語で 350 ペア(大野晋教授)
  でっせ。……アイヌ語は計算できない。ムリにやって 500 ペアぐらいカネ。
  ネパール語は 1150 ペアを吐き出した。ケタちがいあるね。
  ネパール語とアイヌ語は 450 ペアの類似語彙が詰まっていて、大幅に日本語との共通
  関係とは、また、別の様相を示している。

  さて、ネワール語がなんぼの類似語彙を吐き出すものやら……楽しいね。

[113] 「あめふり」と「大雀」  hvhy 2002/04/09(Tue) 23:51 [Reply]
>吉野の国主等、大雀命の佩かせる御刀を瞻て歌曰ひけらく、
>「本牟多能、比能美古、意富佐邪岐、意富佐邪岐、
>波加勢流多知、母登都流藝、須恵布由、布由紀能須、
>加良賀志多紀能、佐夜佐夜」とうたひき。(古事記より)

この歌があることから、「大雀」の読み方は
さしあたり「意富佐邪岐」(オホサザキ)だが、
「佐邪岐」(サザキ)と「佐佐宜」(ササゲ)は
おそらく転だろう。「佐佐宜」は「豆」の種類だが、
これは「アルデバラン」(畢)をそう見立てたものだ。
また紋次郎さんの言われる通り、元の言葉は「佐佐岐」。

蘇我蝦夷が香を焼いて祈雨の儀式を行なうと、
微かに雨が降った。皇極天皇が天を仰ぎ祈ると、
今度は雷が鳴って大雨が降った。という話がある。(※日本書紀)
さらに「於是、天下百姓、倶称萬歳曰、至徳天皇」。
何が天皇の力だったかは別としても、ここにおいては、
「雨を降らせること」が天皇の天皇たる力を示している。

「アルデバラン」即ち(二十七宿の)「畢」の和名を、
「あめふり」とか「あめふりぼし」と言う。これは簡明。
東西すべからく、この星が雨を降らせると考えられていた。
件の逸話は、要するに皇極天皇を「畢」に準えているわけだ。

>(44)80アイン……16仁徳……「畢/昴」
>(43)70サメフ……17履中……「昴/畢」
http://www.platz.jp/~hvhy/mat.html より抜粋して引用)

飯島氏の『アラム語』に「佐佐岐」を思わせる語は見つからないが、
「SS」(ササ)「ΝSK」(ナサク)などの語を参考にすることで、
(あくまでも仮定だが)その綴りを「SSK」と推定しよう。この場合、
「70/70/30」→「170」→「8」となる。即ち魔方陣の【七】。
これは「大雀」が第16代であること、【七】であることに全く矛盾しない。

#アラム語に「大雀」の「雀」に当たる語があったとしたら、
#その綴りは「SSK」の可能性が高い。むしろそういう話か。
#いずれにしても、ここで言う「雀」は「アルデバラン」(畢)。
#「朱雀」も関係あろう。「アルデバラン」は「赤い」からである。
#魔方陣の【七】は「南」であって、まさに「朱雀」に照応している。

[112] ソグド語辞書発見  桜左近 2002/04/09(Tue) 21:37 [Reply]
hvhyさん、グッドニュースかもしれませんよ。
以前にソグド語辞書を入手したいと書かれていましたが、ひとつ見つかりました。
テヘランの出版社なので、ひょっとして紋次郎さんがお持ちのものと同じかもしれません。
私は買うつもりが無いので、実際に注文できるかどうか試していないのが不安、もし駄目だったら
申し訳ない。しかし、約3万円とはいい値段ですね・・・・

http://www.uni-koeln.de/phil-fak/indologie/lil/farhangan.html

[111]   陸奥の語源     計都わり 紋次郎 [Mail] 2002/04/09(Tue) 20:18 [Reply]
 先日、陸奥・ムツゴロウに含まれている MUT は
 朝鮮語 MUT(陸地)といいましたが、ネパール語の
 MULUK(くに)を忘れていました。 L は T になり易い。
 朝鮮語という霧のむこうに、ネパール語が現れるようです。

 きのふ、SASAK を支配といいましたが「支配者」でした。ちょと訂正あるね。
 なんで「雀」と書いてササギと読ませたか……、フヴヒーさんの追求の占い箸で、この
ような語源とか、分析の結論(? 表現悪いナァ)をつまみあげることは、できるんですカネ。

 大雀という表現は、やっぱ魏で朱雀台が完成したあとの命名ではなかったやろか?
 南の語源を思わせる(土俗)言語は13〜15種ぐらいありますね。
 
 南とは「顔」か「胸」のどっちかが、本ネになっている。
 そして紀のくにには“南偏執”が渦まいている。
 なんで「指南車」が「指導」やろかなぁ〜。

[110]   √♪ 原ミッチャン はなたれ 目はドングリ目    計都わり 紋次郎 [Mail] 2002/04/09(Tue) 07:27 [Reply]
 桜さん、オハヨ よく眠れましたか?
 おれが神業いうたんは、ファルシー語で「密・にかわ」をさっさとどこからか引っぱりだした
実力のことでんがな。
 でも、ああいう解説はいつもやらなならんと思う。
 どこのモノイイでも、入ってきたひとが誰であってもすぐに理解できるような言葉が喋られ
ねばならん……それが板書きのマナーというべけんや。これ至難のワザなれど、不可避ね。
 ただし、フヴヒーさんみたいになったご仁は、格別扱いしてあげる必要これアラム語カネ。
 周辺は掻きまわされるが、文化の進歩とはそーゆーものぞ。
 周辺のご仁でも分かってるひとと分かってないひとがいる。
 ワカランやつは解説できないのだが、それでもムリムリ解説……おれ、やっちゃった。
 モグリ秘書でもなんでも、ワカルひとはワカランひとに教えてやってくださいな。

 アレ……な、数字が出てくるやろ? ニガテなんだよなぁ〜、オレ。読めない漢字も出るシイ。
 
 「探題」とはナンですか? ドテーーかね。ヒマだから、なにかテーマを探すんやろか? 
 “3(集団形成の意識)”は、こーゆーむずかしいことォ、平気でひとに押し付ける。
 近代史を考究するときゃ、こーゆーひねくれをイッチョイッチョ当たる必要があることは
おれも否定しないヨ。だがな、そこ(ST 幕府)で始原から連綿と続いてきた概念が断ちきら
れて、変形された概念が大手を振って歩きだす……それがイカン。

 でも、そこを明瞭に意識しながらトレースすればそれで良いこった。
 おそらく、ここを横目で睨みながら、前進できるワザを自分で修得できる研究者はゼロだろう。

 フヴヒーさんは3で変形されてしまった諸概念の草むらを、汗たらしてハーハーヒーヒー言い
ながら、かきわけかきわけ前進してるのら。桜さん、たのんまっせ。

 いま、神奈備で「配る」がモンダイです。シシミ(修験・神道・密教)の糞ボーズ(知識)ど
もが、いいかげんなとこで KUMAR を変形させ、それを後世に押しつけたのら。騙されちゃオエン。
 

[109] 六=lok関連  桜左近 2002/04/09(Tue) 05:20 [Reply]
京都に六波羅という地があり、この名はその地にある「六波羅蜜寺」に由来するということです。
波羅蜜(多)とは般若心経の(ハンニャハラミタ)のように、「悟りに至るステップ」であり、六波羅は
その六種類の方法を表している(厳密な考察ではないですよ)そうですね。
不思議に思うのは、「六波羅蜜」がいつの間にか「六波羅」になってしまった理由です。もともとは
ハラミッタだったのが、ハラミツになり、更にハラになってしまった。
これは例えていえば、木村拓哉がキムタクになるような感覚でしょうか。(^^;

いずれにしろ、六波羅は「六」+「波羅」という組み合わせ。
ところで鎌倉幕府がここに「六波羅探題」を置いた、は受験勉強レベルの知識ですが、なぜ六波羅
というローカルな地名を名乗ったのか?という疑問があります。普通は「京都所司代」とかなるでしょ。
これを解く鍵はサンスクリットにあります。Loka-palaはハラミタとは全く関係の無い「世界の守護者」
という意味で、六波羅探題のニュアンスにピッタリなのです。
こんな例からも推測できるように、少なくとも鎌倉時代にはサンスクリット他アジアの諸言語に通じて
いる人たちが権力の中枢にいたという事実を認める必要があるでしょう。

#紋次郎さん、サンスクリットの話題ですみません。紋次郎さんの板では決してサンスクリットには
触れませんので、ここはお許し願います。

[108] Re[106][95]: >マルヤさん  hvhy 2002/04/08(Mon) 22:52 [Reply]
> 煩わしいことですみませんでした。

いいえいいえ、読んで頂いただけでも光栄です。
味もそっけもない文章で申し訳ありませんでした。
また、新たに考える材料をご提供いただきました事、
たいへん感謝しております。有り難うございますm(_ _)m

[107] 「蛇比礼」  hvhy 2002/04/08(Mon) 22:33 [Reply]
マルヤさんがご紹介くださった三角数の計算を、
「アレフ=2」の体系(古事記)でやってみると、
これはだれでも計算できますが、以下のようになる。

|Y 20 = 20
|YH 20+6 = 26
|YHW 20+6+7 = 33
|YHWH 20+6+7+6 = 39

|20+26+33+39 = 118

ここで「118」は「10」ですが、このことは、
「1+2+3+4=10」という話に全く通じます。
さらに各桁の数を日本の数に置き直すと「五五七」で、
この数字構成は「五×五=七」という算式を想起させる。
「118」の意味については、この程度にしておくとして、
少し述べた「十種神宝」の話に視点を移すこととしましょう。

・「剣」………「H」……………「6」……………「6」
・「鏡」………「WW」…………「77」…………「5」
・「ひれ」……「HHH」………「666」………「9」
・「玉」………「YYYY」……「20202020」……「8」

これを見れば、やはり「666」という数字に目が行く。
当然のことですね。そこで和を求める前の数字に注目して、
各桁を日本の数字に変換してみます。(そういう方法もある)

・「剣」………「H」……………「九」
・「鏡」………「WW」…………「八八」
・「ひれ」……「HHH」………「九九九」(三勾)
・「玉」………「YYYY」……「四四四四」

ところが「三勾」は「美和之大物主」でした。面白いことに、
海の向こうでは「666」は「悪魔」だの「蛇」だの言われる。
「須勢理毘売」の神話に見る通り、「蛇」と言えば「ひれ」です。
以上から分かることは……「神」なのか「悪魔」なのかは別として、
いわゆる「ひれ」(比礼)が重要な何かを意味している。ということ。

#「神」が「悪魔」でもあるというような事柄が
#導かれる計算は、計算が間違っていると思う人も、
#なかにはいるかもしれません。しかしながらそれは、
#「白は白、黒は黒」と分ける西洋人(?)の発想です。

[106] Re[95]: 抽象的な意味  マルヤ [Mail] [Url] 2002/04/08(Mon) 22:29 [Reply]
フブヒーさん、解説ありがとうございます。
「簡単に解説をお願い・・・」などと失礼なことを言いました。
背景知識の無い者相手に、簡単には説明できませんよね。
煩わしいことですみませんでした。

それぞれの書き込み説明を、ありがたく読ませていただきました。
理解が出来た訳ではありませんが、アラム語やゲマトリアについて興味を持つきっかけとなりました。どうもありがとうございました。
又お尋ねするかもしれません、よろしくお願いします。

[105] Re[94]: これも前提  桜左近 2002/04/08(Mon) 20:44 [Reply]
> どこをどう見ればそーゆーことが書いてあるのカネ。

(紋次郎さんが毛嫌いしている)印欧語の本を少し読めばどれにも書いてある程度の知識です。
実は、私もこんな「解説」をするのは面倒で気が進まないのですが、いきなり「パフラヴィー語では・・」
と書き出したらもう掲示板というより、hvhyさんと私の間の私信になってしまう。この掲示板を読む人
全員が「パフラヴィー語」等を知っているとも思えないので、少し「前提」!を書いただけです。

#なんだか、hvhyさんのモグリ「政策秘書」になったみたいな・・・ (笑)

[104]  フヴヒーさん、フヴヒーさん     計都わり 紋次郎 [Mail] 2002/04/08(Mon) 19:37 [Reply]
 sasak が「支配」を意味するんだが、これも計算で割りだせるのカネ

[103]  「さばえ」の語源  2     計都わり 紋次郎 2002/04/08(Mon) 19:16 [Reply]
 「黒山のひとだかり」といいますが、この山は JAMAT(集まり)です。
 蝿が真っ黒にたかっている……の マックもインドに広く分布している「黒」で、北
海道羊蹄山南麓の真狩村は「黒・黒」の語彙構成かと思われます。マッカツ族もそう
だそうです。「まっ赤」「真っ白」「真っ正直」などというのはこの MAKK の慣用が
もとでできた表現だと思います。

 「沢山(たくさん)」は「サバエなす(群がり集まる)の SABA を 良く似た発音
の「沢」に宛て字して、その後慣用で定着した日本語です。
 いまでこそ「SAWA=たくさん」が日本古語として言われますが、この語は「さば
え」が語源で、「さわ(沢山)なエ(?)」あたりから「さばえ」がでてきたのでは
ありません。

 「さばえ」は「五月の蝿」……と言ってしまうこともできますが、「それ言っちゃ
おしまいヨ〜」のニュアンスが多分にあります。
 サバエのサは「早乙女・五月乙女(さおとめ)」の“サ”との近接概念です。これ
をちょっと説明しましょう。
 豊後には「渡辺ン綱ちゅうやツァ、そりゃもう、そうなもんぢ(で)」という表現
があります。そうな者……標準語に直すと「たいそうな者」でしょう。この「そう」
は「大(おお・おう)」に強調接頭辞の S を付けたものかもしれません。
 しかし、この SO: がネパール語やロマン系西洋語に見えるのです。語形は*SAU や
*SAW になっています。意味は「最高」です。英語の SUPER に関係あるかもしれま
せん。
 おらが持っているネパール語小事典では SAWBHAGE(幸運)がありますが BHAGE
だけでも幸運ですので、SAWBHAGE は「メチャ幸運」という意味でしょう。
 (アマミハギやナマハゲの BHAGE )。
 ところがネパール語のなかにもともとあった*SA(狭・小)にひっかかって、われ
われがよく目にするのは、「時間的意味での“最高”のちょっと前」という意味で日
本語に定着している SA です。
 *SA には「細」という意味は見逃せませんが、これは朝鮮語でいちど「細」となっ
たあと、日本語にはいってきていました。
 小夜嵐などの SA がそれで、夕暮れが過ぎて、真夜中にかかるちょっと前の時間帯
です。
 早苗は今から本格的に伸びようとする苗です。

 ところが *SA はもともと「最高」なんですから、「○○のさ中」とか「さ kari
(作る)……盛り」の意味も内在するわけで、その一つが「サバエ」の「サ」です。
 サバエは時期的にも、勢いでも「最高の蝿」でしょう。

 では、なぜセトホドンは「蝿声」と書いてサバエと読ませた文字が好きだったので
しょう。
 それはひとつには「ワーン」と飛び立つ群れた蝿の羽音を強調したかったのでしょ
うが、HAWA , HABA がネパール語で「空気・風」なんです。
 アイヌ語の「声」は HAU , HAWA です。古代語」は「風=呼気=声」。

 このHAWA , HABA の二語の末尾の A に注目してください。これはお経よみのパー
リ語〜サンスクリット語の影響を受けた語形であることがわかります。原形は HAW ,
HAB だったはずです。
 元気のいい、最高の(蝿の)羽風の音は SAHAW で、これは第二子音濁化のクセで
SABAW となり、これに強調末尾辞 -E がついた語形が SABAWE です。
 
 この SABAWE なる語形を睨みつけると、「勢いよく飛び立つ羽音」がサバエで
あって、なにもわえらは蝿男になる必要はないことになります。
 でも、ゴザ借りているてまえ、「蝿になれ」と言われたら「ハイハイ」カネ。

[102]   「配る(くばる)」の語源 ほか   計都わり 紋次郎 [Mail] 2002/04/08(Mon) 19:15 [Reply]
 知ってるから書くのではありもはん。
 「配る」はサンカ(山窩)の強執です。さかんに「くばる」を使う。
 血で栄養分をからだの隅々まで届ける……も、「くばる」です。
 「配る」はもとは「くま(隅)る(する)」だったのだろうか?

 その隅(くま)もネパール語の KUNA(かど・隅)が起源だった。
 いや、配るは KU(いい) MAL(もの) U(動詞化)でボーナスふるまいだったのか?
 
 精神文明の中心地、熊野が日本語に及ぼした影響は計りしれないものがある。
 その熊野では、類似発音をさかんに「クマ」へと変えた。
 KU(わるい)MANA(塵埃)を KUMA(ごみ)にした。 
 南方系クーマイ(熊)をクマにした(朝鮮語は KOM)。
 もともと KU(いい)MEI(?米)だった神米をクマにした。
 
 では、なぜ「配る」を「くまる」で通さなかったのだろうか?

 (未完) 

[101] 御陵について  hvhy 2002/04/08(Mon) 18:55 [Reply]
天皇陵については一応の比定があって、例えば百舌の大仙古墳は、
仁徳天皇陵と呼ばれたりもする。これはこれで無視できないと思う。
しかし、そういった現実に存在するものを離れた観点も必要でしょう。

第25代の「小長谷若雀」は、「雀」を名に負ってますが、
また第16代の「大雀」(仁徳天皇)も、「雀」を名に負う。
これはまず、述べてきたところの九進法の表われと見られます。

然るに第32代の「長谷部若雀」も、やはり「雀」を負ってる。
「25」と「16」は「7」。しかしながら「32」は「5」で、
述べてきた九進法が破綻してるようにも見えます。どういうことか。

この背景には、中国で「勾股弦」として知られる原理があります。
いわゆる三平方の定理がそれです。九進法との関連においては特に、
「5×5」(25)も「4×4」(16)も「7」という点こそ重要。

即ち、第25代と第16代は、単に九進法で一致するだけでなく、
「5×5」も「4×4」も「7」という意味を含んでいるわけです。
第25代という代数は、実はそれ自体「5の平方」という意味を含む。

「25」は「5の平方」という意味で、第25代の「若雀」に対し、
九進法で「5」に当たる第32代も、やはり「若雀」を名に負ってる。
このことを頭に入れて下さい。このことを頭に入れて陵墓の記事を読む。

第25代の「小長谷若雀」は「御陵在片岡之石坏岡也」と書かれる。
ところが第23代の「袁祁之石巣別」は「御陵在片岡之石坏岡上也」。
なぜ同じ場所なのか。上記で述べたことに尽きます。数学的な創作です。

#すべての陵墓の記事が「此れ式」に解ける。
#とまでは言いません。しかし陵墓の記事にも、
#機械的に配置した痕跡が見られるのは確かです。

[100] Re[91][89][86][84]: 「YM」と「山」  hvhy 2002/04/08(Mon) 17:30 [Reply]
>YMは(20/50)というところです。ここでY=20、M=50は何処から導いたのでしょう?
>照応表の20・・・ヨッド、 50・・・メム、と理解すればよろしいのでしょうか?

どうも質問をありがとうございました。
この件ですが、そういう理解で結構です。

#一般的ではありませんが、「サメフ」を「S」、「スィン」を「Σ」、
#「テット」を「Θ」、「ツァディ」を「T」、「タウ」を「十」、
#「ヘー」を「H」、「ヘット」を「X」と表記してますので、
#この点も綴りを見る時にご注意いただけば誠に幸いです。
#例えば、「十QP」の「十」は「タウ」という具合。

[99]   『さばえ』の語源 1     ケツ割り 紋次郎 [Mail] 2002/04/08(Mon) 15:04 [Reply]
 もともと、福島さんは「たかる」ということばが大好きで、セトホドンは「さばえな
す」ということばが大好きだった。
 いずれも蝿たかりだ。
 手許の辞書と相談したけど「蝿声=さばえ」は出ていません。
 「さばえ」が好きなセトホドンが、日頃気をつけていたのでどこからか拾ってきたの
だろう。

 香具さん縁由の鯖江を先に書かせてもらうべ。
 もう……、そうだ! 50年も前のことになる。これは和歌山市出身のおらが恩師・
橋本正行先生が北九州外国語大学の富田儀介という先生から聴いたということで、話し
てくれたことです。
 現代人の覚度(目覚めた度合い)を5としたら、原始人がことばをおぼえ始めたのは
確度1からぐらいではなかっただろうかと、置く。
 新潟、大阪でボボ、ボンボンというが、これは子供とオメコの区別がなかった段階の
意識がそうあらしめたものだ……と。
 女陰もボボ、行為もボボ。そして中央ユーラシアあたりでは、これがボアボアにな
る。忘れたがシナ語の巾はなんだっけ。これもボアに似いちゅう発音だとか。
 巾……凝視してみるといい。
 そして、英語の BROAD を辞書ひいてみるといい。そこに「恥じ知らずな」という意
味を見い出すだろう。 BROAD とはオメコの左右の差渡し、巾広いことをいうらしい。
 巾……恥……なんかあるよナ。
 BROAD の二番目の“R”だが、これは洞窟に永いあいだ住んでいたコーカソイド
(白人)のクセ音で、ついでにでた意味のない発音とみてよろしい(紋発見)。

 上とはいちおう関係ないが、この巾を「さば読む」というように「サバ」ともいう。
元来の発音が Xaba だったのだろう。とにかくハバでもサバでもよかったんだワサ。
 鯖江の E は、入り江などの E で、これはギリヤーク語の川( E )と同根。ギリヤー
クという民族はついさいきんまでミヅラを結っていて、日本の風俗に似ている面があ
る。ただし、言語のほとんどはまったく異なる。
 だから「江」は川とか湾入のこと。まぁ、フヴヒーさんの説明にあったような「山」
ではないっちゅうこった。
 で、鯖江は「広い湾入の水域」でっしゃろな。

[98] いろいろな「山」  hvhy 2002/04/08(Mon) 12:41 [Reply]
今でも「海のものとも山のものともつかない」
といった表現がありますが、この言葉遣いには、
海や山の持つある種の得体の知れないイメージが
反映してるように思います。海に限らず山に限らず、
「行ったら帰ってこれないような恐ろしいところ」は、(※遭難することも珍しくない)
言わば「黄泉」ですが、またそこは、「海の幸・山の幸」
という言葉の通り、恵みをもたらす場所でもあったわけで、
してみれば、同じ場所が(魔方陣で言えば【八】が)一方で
「黄泉」でありながら「山」でもあるのは不思議じゃないです。

#いわゆる「閻魔」を意味する「yama」なる語と、
#アラム語に見られる「YM」(ヤマ)という語は、
#以上のようなイメージ連関の中に全く収まっている。

然るに「日」(太陽)は、その「山」(あるいは海)から昇り、
即ち現われ、また「山」(あるいは海)に沈む、即ち隠れますね。
この隠れる場所は、これまた「黄泉」のイメージに繋がっているし、
隠れると「闇」になるという意味で、「黄泉」は「闇」でもあります。
というあたりで、私は「yama」と「YM」は同じ言葉と考えております。

#古事記の「子之一木」を書紀のそれと比較してみれば、
#【二】(水)は「ホド」、【九】(金)は「ネツァク」。
#同じ脈絡で、【八】(日)は「ティファレト」と導かれる。(※詳細は別途)
#カバラの「ティファレト」の色は偶然にも「黄泉」に通じる。

[97] こともちろらね  香具 2002/04/08(Mon) 11:41 [Reply]
 久々に神奈備掲示板を覗いたら、紋次郎親分の御復活!
おめでとーございます。『マカルガエシの玉』を使いはりましたね。
 この掲示板の略称として『サバエ』と出ていましたので、それを見て福井県鯖江市を思い出しました。義妹の実家があり、我が愚弟の結納に凄い積雪を乗り越えて行ったことがあります。今はメガネのフレーム製造が主要産業ですが、伝統的には漆工芸品で栄えたそうです。そして、継体天皇さまゆかりの地だとか。
 越前は武生(たけふ)も鯖江(さばえ)も山々に囲まれた土地でした。関西から行くと言葉も難解で、同じ福井県内でも小浜とはかなり異なる印象を受けました。

[96] 具体的な意味  hvhy 2002/04/08(Mon) 10:04 [Reply]
より意味について考えるのであれば、
文字の数価の和ではなく、文字の数が
問題になります。むしろこちらが重要か?


YH
YHW
YHWH

こう並べると、

Yが「4つ」
Hが「3つ」(2番目のHの話)
Wが「2つ」
Hが「1つ」(4番目のHの話)

となりますよね。

---------

これは未だ検証してませんが、
いわゆる「十種神宝」そのもの。
そのように捉えることもできます。

・「1つ」は「剣」(H)
・「2つ」は「鏡」(W)
・「3つ」は「ひれ」(H)
・「4つ」は「玉」(Y)

古事記と書紀を突き合わせることで、(※隼人の名前の比較)
「十掬剣」は「ひれ」と判明するので、
「剣」「ひれ」が共に「H」だとすれば、
それはそれで、非常に納得できるんですよ。

[95] 抽象的な意味  hvhy 2002/04/08(Mon) 10:03 [Reply]
マルヤさんが例で挙げなさったのは、
いわゆる三角数の考え方から来てます。(※もともとの発想として)

http://www.apec.aichi-c.ed.jp/shoko/kyouka/math/onepoint/ex5/sankakusu.htm

アルファベットの数価とはまた別の観点から、
伝統的に「YHWH」を「1234」と見なす。
ここで見なすと言いましたが、見なし方は様々で、

・「Y」=「1」
・「H」=「2」
・「W」=「3」
・「H」=「4」

という見なし方と

・「Y」=「1」
・「YH」=「2」
・「YHW」=「3」
・「YHWH」=「4」

という見なし方があります。

------------

特に後者に対して「三角数」の考え方を適用した。
「1+2+3+4=10」という計算の形をまんま
適用したのです。そしてアルファベットの数価を代入。

>Y 10 = 10
>YH 10+5 = 15
>YHV 10+5+6 = 21
>YHVH 10+5+6+5 = 26

>10+15+21+26 = 72

抽象的な数字の計算としては、
以上のような意味を持ってます。

[94]  PA(頭)ふらふらフヴヒー語    ケツ割り 紋次郎 [Mail] 2002/04/08(Mon) 07:34 [Reply]
 桜さん、オハヨ。
 神ワザ……、おらの735倍のパソコン活用力あるね。
 どこをどう見ればそーゆーことが書いてあるのカネ。
 そうするってぇとォ〜、ネワール語の次はまず、アラム語。その次はパフラ語の順序やろか。
 なぬなぬ? ファルシ語ちゅうのもあるのか! 
 これらは鹿児島方言と岩手方言ぐらいに想っていてヨカろう。
 
 にかわの Casb ……CAS はカスガイのカスだろう。B はモノだ。CAS はネパール語にもある。
 固めの盃……! なも。

 ところで、いつも朝が早いんだが、まさか徹夜してるんじゃねーだろーナ。
 それやると、身体は正確な反応を示す。必ずいつかは出る。ガンになるぞ。老婆心カネ。
 わえらのカラダ時計は「10時〜朝4時が睡眠時間である」と、セットされている。

 ならよっちゃん、アマカネ。
 「ヤギは草の根まで食う」……シランかった! あがあが。大収穫じゃァ〜。
 神奈備とのあいだに二重のホリ掘った。こっち側にはウンコいれて鯉を育てることにした。
 余ったウンコがあったら、持ってきてくだしゃい。書き物、描きものは排泄物ならめ。
 育った鯉は五十鈴の清い水で洗って食うべ。

 このあと、「さばえ」語源けとばしたら、ヘライの○坂堅二さんに「ワーニャドナラ」の
全文を教えてもらうべく、手紙かきます。
 岩手の四バカ学者のおかげで、妙チクリンな“文化”がヘライ村に凝結してんのら。
 ひっぺがすべ。

 フヴヒーさん、そうするってぇとナンですけぇ?
尾 心 房 氏 亢 角 軫 翼 張 星 柳 鬼 井 参 

觜 畢 昴 胃 婁 奎 壁 室 危 虚 女 斗 箕 
 のほか、漢字は現れてこない……というのが原則ですカネ。それが現実には、アラム語
が数式に乗っかって、漢字を利用しながら、紀記にみられる神名となって現れてきている
……と、理解していいのやろか? アラム語以外には考えられない……との結論に至った
んだろうか?
 マルヤさんなんざ、さっさと理解がすすんでいるみたい。おれはワカランぞォ〜〜。

 おらの「バカのひとつ覚え」だが、サンスクリット語のヤーマは「死人の神」と解釈され
ています。生きてる人間を死に導くのか、死んだ人間を案内するのかの区別はオラシラン。
 Y M は黄泉(よみ)とも読めるなァー。子音だらけの文字言語は KSKRH(糞くらえ)や。
 これ実際に、有名なヘブル語開拓者が日本語として訳したんでっせ。あー クソクラエ。
 日本語のヤマ(山)のほとんどは JAMAT(集会)が基本で、SAM , JAM が付帯している。
 沖縄、富山では「ヤン」になっている。
 

[93] [91]に関連して  マルヤ [Mail] [Url] 2002/04/08(Mon) 07:28 [Reply]
こんな数表がが出ていましたが、よく理解できません。(合計数字の72の意味など)
フヴヒーさん、簡単に解説いただければ幸いです。

Y 10 = 10
YH 10+5 = 15
YHV 10+5+6 = 21
YHVH 10+5+6+5 = 26
10+15+21+26 = 72
●出ていたのは以下のサイト・ページです。
http://www.geocities.com/syeger/Permutationsofletters.html

[92] Re[81]: 「にかわ」と「蜜」  桜左近 2002/04/08(Mon) 05:24 [Reply]
>また、有名な法隆寺の香木の焼印の話もあります。(パフラヴィー語、ソグド語)
>そういったあたりを見ていくのがより現実的でしょうね。ソグド人の宗教と言うと、
>まずはゾロアスター教ですが、純粋なそれではなかったことも報告されてます。また、
>マニ教になると、いわゆるキリスト教的な要素も混交している。このあたりを鑑みれば、

ソグド語の文献としては仏典の翻訳が多いですよ。
パフラヴィー語とソグド語は、インドーイラン語派の中では西と東に対応します。
前に述べたように、アラム語がエジプトからインドに至る地域の大共通語であった時代に、
ソグド語はもう少し北東の方、シルクロードの交易標準語として10世紀頃まで繁栄しました。
面白いのは、hvhyさんが指摘されるように中国(唐)の文献(特にマニ教関連)にその痕跡
を残していることです。
ソグド語の文字の大半(というか、定説)はアラム語の文字から作られたといわれています。

>(紋次郎さん)>honey はありましたヨ。ANGUPE:N(アングペーン)。

>ソグド人の逸話に、赤ん坊が生まれると、「にかわ」を握らせ、
>甘い言葉を囁けるように「蜜」を口に含ませた。というのがある。
>ここで言う「にかわ」とか「蜜」とか。問題はこれのソグド語です。

そんな(どんな?)しがらみを踏まえると、ソグド語に近いのはタジク語などですが、似ている
言語としてペルシャ語が挙げられます。ペルシャ語はペルシャ古語、パフラヴィー語、近代(現代)
ペルシャ語の3期に分けることができ、ソグド語の時代に対応するのは紀元前3世紀パルテア
に始まるパフラヴィー語か近代ファルシ語で、どのくらい似ているかといえば、「蜜」=「Anguben」
の例で理解して頂けると思います。
で、ファルシ語でglue「にかわ」は「Casb」「Serisem」。

#何かお役にたったでしょうか?(^^;

[91] Re[89][86][84]: 「YM」と「山」  マルヤ [Mail] [Url] 2002/04/08(Mon) 01:41 [Reply]
早速ありがとうございます。
小生の書き方が悪かったようです。YAMAではなく、「Yama」と書けばよかったと思います。
つまり冥界の支配者(閻魔大王)のつもりでした。
でも、アラム語のYM ヤマを教わりひとつ得をしました。
ですが、分からないことがあるので質問です。
すでにレクチャー済みとお叱りを受けるかもしれません、
9進法は理解できますが、
YMは(20/50)というところです。ここでY=20、M=50は何処から導いたのでしょう?
照応表の20・・・ヨッド、 50・・・メム、と理解すればよろしいのでしょうか?
ど素人の初歩的質問ですみません。

[90] 三日見ぬまの  習志野のてつ [Mail] 2002/04/08(Mon) 01:37 [Reply]
ちょっと野暮用で、三日ほど掲示板を見ていませんでした。

さすが紋親分。
島流しにあっても、ケツを割って、戻られましたか。
三日見ぬ間に桜は散り、親分はシャバへの復帰。
おめでとうございます。長のわらじ、ご苦労さんでやんした。

「戸来」には疑問があって、ユダヤ人ならユダヤ教を
信じているはずで、キリスト教の十字架は、無関係。
また、小麦でパンを作っていて、羊飼いである種族が
いつから(どこから)米作りの牛飼いになったか?
砂漠で黄金の牛の偶像を作り、モーゼにしかられた
一族か?

羊は、草の根っこまで食べてしまい「砂漠化の一因」。
牛は、根は残して、上の部分だけを食べるそうです。
「家畜として、羊を選択しなかった縄文人は偉い」
といった話が記憶の端に引っかかってます。

いずれにしても「縄文パワーの復活」ならぬ
「常連の紋パワーの復活」うれしいです。

[89] Re[86][84]: 「YM」と「山」  hvhy 2002/04/08(Mon) 00:46 [Reply]
>同じ「Y」を頭文字にする、「YAMA」、
>これも神または鬼ともいえますが、
>何か関係あるのでしょうか?

発言[88]の例に挙げましたが、アラム語に「YM」(ヤマ)という語があり、
飯島紀氏の本によると、これは「海」という意味なんです。トリッキーですが、
いわゆる「海幸・山幸」の神話には、〈こういう背景〉もあったと考えられます。

照応表(http://www.platz.jp/~hvhy/mat.html)をご覧いただくと、
古事記の「山佐知毘古」(ホホデミ)は【八】に属しますね。
ところが「YM」(20/50)も「7」で【八】に属します。

#魔方陣の【八】は「北」だが、いわゆる風水思想などでは、
#「北」を「山」と見る。こういう観点もあって日本神話では、
#【八】に「山佐知毘古」(ホホデミ)を配置したのでしょうね。

[88] いわゆるゲマトリアについて  hvhy 2002/04/07(Sun) 23:47 [Reply]
「YHWH」が何であるか、みたいな話が先に出てしまったので、
とりあえず、ここで「ゲマトリア」と言われる計算方法を述べます。
ものの順番としては、古事記(や日本書紀)に九進法が入っている点。
これをよく確認することが先決です。例えば有名な吉野裕子氏に限らず、
どこかの思想や概念を使って日本の神話などを読み解くアプローチはある。
私が書いていることは、それとはまったく異なる。どこかの話ではなくって、
古事記(や日本書紀)そのものに何が書かれているか。という話をしています。

★★★★★←→★★★★★←→★★★★★
★二七九★←→★水月金★←→★486★
★一三五★←→★計土羅★←→★531★
★六八四★←→★火日木★←→★972★
★★★★★←→★★★★★←→★★★★★

一般に知られるそれと違うのは、「アレフ」が「2」という点。
ここが決定的に違います。「一桁になるまで各桁の数字を加える」
という計算方法そのものは同じです。例えば「YΣWO」であれば、
「20/400/7/80」→「507」→「12」→「3」となる。
ここで上記の魔方陣を見ると、「3」は【三】で「土」(土星)に相当。

・「YM」(20/50)は「70」即ち「7」……【八】で「日天」
・「OLYM」(80/40/20/50)は「190」即ち「1」……【五】で「羅喉」
・「BA」(3/2)は「5」(これ以上は足せません)……【一】で「計都」
・「ADM」(2/5/50)は「57」即ち「3」……【三】で「土星」
・「AWR」(2/7/300)は「309」即ち「3」……【三】で「土星」
・「十QP」(500/200/90)は「790」即ち「7」……【八】で「日天」
・「θL」(10/40)は「50」即ち「5」……【一】で「計都」
・「MYΝ」(50/20/60)は「130」即ち「4」……【二】で「水星」
・「MLKH」(50/40/30/6)は「126」即ち「9」……【六】で「火星」
・「十MWΖ」(500/50/7/8)は「565」即ち「7」……【八】で「日天」
・「BOL」(3/80/40)は「123」即ち「6」……【九】で「金星」
・「LΣΝ」(40/400/60)は「500」即ち「5」……【一】で「計都」
・「XDA」(9/5/2)は「16」即ち「7」……【八】で「日天」
・「MRYM」(50/300/20/50)は「420」即ち「6」……【九】で「金星」
・「ALYTA」(2/40/20/100/2)は「164」即ち「2」……【四】で「木星」
・「YWΝA」(20/7/60/2)は「89」即ち「8」……【七】で「月天」
・「AWRYA」(2/7/300/20/2)は「331」即ち「7」……【八】で「日天」
・「OPY」(80/90/20)は「190」即ち「1」……【五】で「羅喉」

全てアラム語の単語です。煩雑になるので、各語の意味は省略しました。
ここでむしろ注目いただきたいのは、例えば「OLYM」と「OPY」は、
単純に数字を足し算した段階で、いずれも「190」で一致する。この場合、
単にカテゴリーが【五】で同じという以上の意味を持ちます。さらに言うなら、
「YHWH」(39)と「AWR」(309)の場合、まったく一致はしないが、
「39」と「309」は各桁に現われる数字の構成要素が同じですね。こんな時も、
言葉と言葉の間に(何かしらの意味で)密な繋がりがある。そのように考えられます。

[87]  サラマビッチ と ビッタレ売女    ケツ割り 紋次郎 [Mail] 2002/04/07(Sun) 21:38 [Reply]
 ニクソン大統領でしたカネ、 a son of a bitch を連発したのは……。
 a son of a bitch は日本人にはサラマビッチと聞こえる。
 戦後20年間ぐらい、巷間にサルマタ・ベッチョという下品なことばが続いた。

 ネパール語でわるい意味をそえる接頭辞には BI- と KU- があります。ku- には別に「窯焼き
セックス」と、ペルシャ系の ku- がネパール語として同居していますが、ペルシャ語系 KU- と
は、KHUSK(美)に起源をもつもので、同音で正面衝突をやらかしてるわけです。
 また、ネパール語の KU には窯焼きでの SEX がこめられてもいます。

 ik とか ic とかは、お猿さんでも言える発音だと思えないこともない。
 ネパール語 KUICCHA は「欲望・性欲」と訳されています。この KU は SEX でしょう。

 日本語発音でいえば「イッシュ、イック、イッチ」だが、これらに含まれる ICC は、日本語
には、一生懸命、一気に、一気飲み、一揆、イチャつくなどになっている。
 この ICC に先述の BI- を前置させると bitch(めかけ)となる。

 「びったれ」とは、おもに九州弁で「汚いことを平気でやる女」の謂いです。
 女は不浄なものだが、それだけに身のまわりをキチンと整理してもらいたいとの願いがかかっ
ている。
 ふつう、tar , tal は男に用いることが多いと思えるのだが、オキナガタラシ(女王)のなか
にも tal が入っている。ビッタレとは BI-ICC TALE と分析できます。
 ハナビッタレとは鼻汁を 汚く(BI-ICC)垂れている、それが「とっても濃い(来い)よ」。

[86] Re[84]: [83] の補足(鬼について)  マルヤ [Mail] [Url] 2002/04/07(Sun) 18:46 [Reply]
フヴヒーさん、ありがとうございます。

> 即ち海の向こうの「HWHY」は、日本において「鬼」。

そうでしたか Yehovah?は日本においては「蛇」あるいは「鬼」でしたか。
なるほど鬼はモノ、カミに通じますね。
同じ「Y」を頭文字にする、「YAMA]、これも神または鬼ともいえますが、何か関係あるのでしょうか?


[85] Re[82]:  オンタン タケミツ     hvhy 2002/04/07(Sun) 15:50 [Reply]
紋次郎さん、どうも有り難うございましたm(_ _)m
「にかわ」は載ってないんですね。。。それは残念!

>「オンタン タケミツ アソバレンゲ ノ ハナ 
>ビッタァーレ ドッコイ トッテモ コイヨ」

ところで、この歌の「ビッタァーレ」は、
どういう言葉なんでしょうか?

[84] [83] の補足(鬼について)  hvhy 2002/04/07(Sun) 15:20 [Reply]
「合羽」(κ)に当たる第21代は「壁」ですが、
第12代は「鬼」です。「鬼」は「モノ」と訓ずる。
当然この「鬼」(モノ)が、「大物主」の「物」です。
即ち海の向こうの「HWHY」は、日本において「鬼」。

#ここで実に重要なのは、日本では一貫して「鬼」を、
#二十八宿のなかで最も縁起のいい宿としてきた点です。

[83] 「HWHY」は「鬼」  hvhy 2002/04/07(Sun) 15:19 [Reply]
「HWHY」は「6/7/6/20」。
つまり「19/20」で「39」だが、
そのまま漢字に置き換えると「三勾」。
いわゆる「美和之大物主」(饒速日)。

アラム語の「HWH」(ハワ)は「有る」。
「HWHY」(ハワイ)は「羽合」なので、
転じて「YHWH」は「合羽」(κ)だが、
「κ」の数字は「30」で「壁」に当たる。(※「壁」は「日置」)
「三十」〜「三重」〜「三重勾」〜「三勾」
であって、これが意味するのも「大物主」。

「HWH」(ハワ)に「即ち」の意もあるらしい。
仮に「HWH」が「即ち」なら、「HWHY」は
即ち「Y」だが、神智学のブラヴァッキー夫人は
「Y」の事を「ADM」(アダム)と言っている。
「ADM」は「2/5/50」(57)で「三」。
然るに「Y」に照応するのは「室」(諸)であり、
「三輪山」は「御諸山」とも書く。このことから、
たしかに「Y」も「ADM」も「美和之大物主」。

#以上を踏まえるならば、
#「HWHY」は「蛇」。

[82]   オンタン タケミツ     ケツ割り 紋次郎 [Mail] 2002/04/06(Sat) 21:04 [Reply]
glue は出てなかったです。なにせ frog も出てない辞書なんです。大きいこた大きいバッテン。
 honey はありましたヨ。ANGUPE:N(アングペーン)。ツングース「ANη」は口なれど……。アイ
ヌ語 *pen は「上」。

 おへまの里には地名学者を哭かせたケット−(ネパール語 ; 畑、田)がありまして、お手玉あ
そびの歌が
「オンタン タケミツ アソバレンゲ ノ ハナ ビッタァーレ ドッコイ トッテモ コイヨ」
 武光を腰に差しているようなオンタン(伯父さん?)は遊ばれない……にひっかけているのだが
……。蓮華・インド・アショバ なんか参考にならんやろかね。

[81] 「にかわ」と「蜜」  hvhy 2002/04/06(Sat) 19:55 [Reply]
紋次郎さんに、一つ教えていただきたい単語が出てきました。
ソグド人の逸話に、赤ん坊が生まれると、「にかわ」を握らせ、
甘い言葉を囁けるように「蜜」を口に含ませた。というのがある。
ここで言う「にかわ」とか「蜜」とか。問題はこれのソグド語です。

#とりあえず英語だと「にかわ」は「glue」なんですが、
#「glue」から、逆にソグド語は調べられますでしょうか?

[80] 説話から見る「阿曇」  hvhy 2002/04/06(Sat) 18:52 [Reply]
ナクシャトラの「Asvini」は、古い書物では「Asvayujau」。
この「Asvayujau」は「馬を繋ぐもの」という意味だそうです。(※要確認!!)

>馬師宿者。有三要星。形類馬案。行三十須臾。
>而侍從矣。食魚麥飯。主香神天。姓為馬師。

『摩登伽経』の「婁宿」は、このように『舎頭諫経』では「馬師宿」。
これを日本風に言えば、おそらく「馬飼」ではないでしょうか。つまり、
「Asvini」が「阿曇」とするなら、必然的に「阿曇」「馬飼」は縁を持つ。
ところが「阿曇」「馬飼」が縁を持つことは、日本書紀にも描かれています。

>(元年の)夏四月の辛巳の朔丁酉に、阿曇連浜子を召して詔して曰ふ。
>「汝、仲皇子と共に逆ふことを謀りて国家を傾けむとす。罪、死に
>当れり。然るに大きな恩を垂れたまひて、死を免して墨に科す」。
>即日に黥む。此に因りて時人、阿曇目と曰ふ。亦浜子に従へる
>野島の海人等が罪を免して、倭の蒋代屯倉に役ふ。(中略)

>(五年の)秋九月の乙酉の朔壬寅に、天皇、淡路島に狩したまふ。
>是の日に、河内飼部等、従駕へまつりて、轡に執けり。是より先に、
>飼部の黥、皆差えず。因りて卜ふ。兆に「飼部等の黥の気を悪む」と
>云ふ。故、是より以後、頓に絶えて飼部を黥せずして止む。(履中紀)

ここに出てくる「飼部」が「馬飼」であることは、
古典文学大系の頭注の通り。記事の流れを鑑みれば、
「飼部」(馬飼部)に「黥」があったのは、いわゆる
住吉仲皇子の反乱で「阿曇連浜子」に従った(?)者が
墨を科されて「飼部」の職掌に落とされてたと理解される。

逆に言うなら、日本書紀は「黥」をキーワードにして、
「阿曇連」と「飼部」(馬飼部)を結んでいるわけです。
では、そのように結びつけた根拠はどこにあるのでしょう。
「Asvini」(Asvayujau)が「馬師」(馬を繋ぐもの)だから。
そう考えるのが自然でしょう。即ち「阿曇」の語源は「Asvini」。
系譜の構造からも意味の上からも、まったく同じ結論へと導かれる。

#ここに至って、「ADHO(めくら)」という言葉も
#無視できなくなってきます。「黥」を負う者が即ち、
#「盲」ではないが、それに通じる部分があるからです。

[79] 系譜から見る「阿曇」  hvhy 2002/04/06(Sat) 18:51 [Reply]
「阿曇」についての考察をここでまとめてみます。
(まずこの項では記紀の系譜の構造から考察します)

-------------------

書紀に「薊瓊入姫−−稚浅津姫」と書かれてる系譜が、
古事記では「阿邪美能伊理毘売−−阿邪美都比売」です。

この比較から言えることは、「阿邪美能」は「薊瓊」で、(※「阿邪美」が「薊瓊」の可能性も)
「阿邪美都」は「浅津」ということです。そうである以上、
「浅津」は(読み方に拘らず)「薊瓊」と考えて構いません。

第19代の天皇は「男浅津間若子宿禰」ですが、以上から、
名前(諡号)に含まれる「浅津」は「薊瓊」と考えられます。

-------------------

上記の話とはまったく無関係に、古事記をよく読むと、
天皇の代数に関し、以下のような「照応」が読みとれる。
この「照応」の根幹は、ほにゃらか掲示板で議論した通り、
第1代(伊波礼毘古)が「尾」(Mula)という点にあります。

1・2・3・4・……・18・19・20・……【天皇の代数】
尾・心・房・氏・……・胃・婁・奎・……【二十七宿/逆順】
http://www.platz.jp/~hvhy/mat.html より抜粋引用)

ところが、たまたま、この照応において、
第19代は「婁」(Asvini)に当たります。
「男浅津間若子宿禰」の「浅津」は「薊瓊」。
ならば、この「薊瓊」は「Asvini」の漢字表記。

-------------------

いわゆる九進法において「尾」「星」「婁」は同値。
「星」は「Magha」ですが、この「Magha」を名に負う
「勾大兄皇子」がいる。(古事記で「広国押建金日」)
その「勾大兄」の漢風諡号は「安閑」(あんかん)です。

瀬藤さんのお話ですと、滋賀県の「安閑神社」の「安閑」は、
現在は「あんかん」と読むそうですが、少なくとも以前までは、
「あづみ」と読まれていました。仮に「安閑」が「阿曇」ならば、
「阿曇」〜「安閑」〜「勾」〜「Magha」〜「Asvini」と結びつく。

-------------------

というわけで、「阿曇」の語源(と思われるもの)は、
古事記や日本書紀をベースに検討するかぎり、どうやら、
「Asvini」に求められそうです。その漢字表記が「薊瓊」。
「男浅津間若子宿禰」の「浅津」も「Asvini」に由来します。

[78]   へぇ〜〜 のハナシ  5     ケツ割り 紋次郎 [Mail] 2002/04/06(Sat) 05:15 [Reply]
 左近さん、オハヨ。いつも早いですね。

 秋田県の人びとは「え」と発音できることを自慢しているムキがある……と思う。
 新潟県の人びとはイとエの区別ができないのです。おへまは今でも縁石と隕石の区
別に困ってる。
 玉川温泉下流の「新鳩の湯」で「ひぇんびぇじぇだの?」と訊かれたなぁマイッタ
マイッタ!
 
 「おめぇら V と発音できねぇだろう」と、B をさかんに V と発音したのがパーリ
語だと思う。パーリ語、サンスクリット語の V は B と置き換えるべし。
 Visa は Bisa で、「いけない・こと」の分析でいいと思う。

 古代文明を支えた基礎のひとつに、植物を噛んで受ける陶酔があったことは明瞭。
巨石を運ぶときなどは、木の葉を噛んで「火事場のバカ力」以上だったろう。
 ドクターを毒太とやったなぁ、あっしのドクダンだが、高校のとき覚えた
intoxication (スペル……だったか?)は気になる。

 フヴヒーさん、すまねぇ。「婁」あたりは駅逓のなまえでしたね。
 ならば、6帖ぐらいの大きな表を作って、そこへいっちょいっちょ該当する項目を
書き入れたが早い……とは思わんカネ? おらはセールスのとき、巨大な地図を描いた。
そしたら、その地域は完全制覇できました。遠まわりですが近かまわりですた。
 風水、星占、タロット、ジプシー占い、水晶占い、易占一般、オアシス地名……な
どなど。アガスティアの葉もありやした。
 そして、ナンで婁を婁というか等、駅逓名の語源解明は外されないところでしょ
う。参、危、柳……出かたが唐突すぎますね。何語がベースになってんのか! 

 あるだけの辞書集めて攻撃すればいい。テキは27やったか、29やったか……し
かいないのら。

 辞書は総読みせなあかんと思う。「あれもある・これもある」じゃ科学じゃなぐっ
てぇ、ロマンでしかない。
 言語現象を「あれもある・これもある」の目で見ていたんじゃ、西洋の言語学者の
二の轍を踏むばかりでなく、自分のドタマもオカシクなると思う。
 あっしゃ、こんかいヒマを得る直前にタジク語の“語彙集”を入手しましたが、
「語彙集」なので、タジク語語彙を中心に5ヶ言語を一つの表に取ってマルチ対比に
臨みました。
 ところが、どうしてもそこへ朝鮮語を入れないワケには行かんので、こんどは朝鮮
語のなかに含まれている「こまことば」の摘出作業にとりかかりました。
 そこへ「おまえの書いている価値観はだめだ」という“価値観がワカラン爺様”が
うるさく言うてきたので、書き直したしだい。

 あー、オモシレか! 
 時間はナンボあっても足らんばい。

[77] Re[72]: 「百毒」と「百襲姫」  桜左近 2002/04/06(Sat) 03:44 [Reply]
>インドのナクシャトラの「Satabhisaj」(シャタビシャー)は、
>「百人の医者を持つ」の意味で、『舎頭諫経』は「百毒」と訳す。

>これを拝見して混乱したんですが、「Satabhisaj」の「bhisaj」と、
>「毒」を意味する「visa」は同じなんでしょうか?(派生語なのかな)

Bhisajは「医者」、Visaは「毒」です。
インドでは毒蛇に噛まれる被害が多いのですが、その傷を治療する医者は「毒医者」=Visabhisaj。
わかりやすいですね!(笑)
サンスクリットには医者の意味でVaidyaもあり、雰囲気としてはこちらの方が権威がありそうです。
Bhisajは「膏薬貼り」みたいな感じで、Vaidyaともなればヴェーダに則って治療をする医者のような
ニュアンスが感じられます。

#それと、「Sata」は「無数(多数)」という意味ですね。ま、中国では「百」は「多数」を表しますから問題
ないとは思いますが。(^^;

[76] Re[63]: 「へ」の放し(ハナシ)     玄松子 2002/04/05(Fri) 21:59 [Reply]
>  わかった。ドメインは切られていても、プロバイダのほうは「1ヶ月間サービス」とかなんとか言っていた。

「ドメイン」というのは、住所と同じです。紋次郎さんの住所はもう使えないので、手紙(メール)は届かないし、家(ホームページ)に訪問することもできません。

でも、税金(プロバイダと契約)払っているので、紋次郎さんが手紙を書いたり、よその家に行くのは問題ありません。税金払わなければ、いつか、それもできなくなりますが。

[75]   ドクターは「毒太」     ケツ割り 紋次郎 [Mail] 2002/04/05(Fri) 18:01 [Reply]
 フブヒーさん、カガチ(ほうづき)のご指摘あがあが。
 いまから思うと、香具さんがいちど KAG 関係を総だししてくれたときに「ほうづき」も
あったような気がしますが、そのときは「蛇の目」みたいな思い込みが支配していて、ついぞ
ついぞ、見落としていました。akha が目。
 それにしても、KAG からは、おらは「かぐわしい」しか連想できなかったが、「すっぱい」
を思い浮かべるフブヒーさんのアタマはたいしたもんだ。

 SAJー が「治療する」だったかな。「さじ加減」で覚えておきました。
 BHISAJ の BHI は、悪い意味を添える BI- ではない。要注意。BHIの意味おらにはワカラン。
 
 スミヨシの語は、九州が古いと玄象師どんか瀬藤ドンから教えてもらったことがあります。
 九州にいたころは、ケンカばかりしていて、“編纂”どころの騒ぎじゃなかったのでは?
 ならヨッチャン、五島列島にスミヨシはあるのだろうか?

 アズミは、ADHO(めくら)がピッタシなんだがなァ〜。A- は反・非・不。DHO は瞳(どう)。
 アド、アト、アトウ、ナヅ にもごちゅうい。
 三神……は三位一体など、世界規模の宗教偏執じゃないだろうか。三本足のカラス、柱も。
     へっついの「足三本」もシナでも古いなぁ。安定しちょるモンネ。

 婁……こんな文字をフブヒーさんがどこから割り出してくるのか、中学生にもわかるような
解説アマカネ。 

[74] 至る所に「九進法」が  hvhy 2002/04/05(Fri) 17:02 [Reply]
>(47)200コフ ……13若帯日子 ……「井/奎」
>(38) 20ヨッド……22白髪   ……「室/柳」
http://www.platz.jp/~hvhy/mat.html より引用)

皇后が問題なら、天皇の兄弟もまた問題。
例えば「白髪」の妹は「若帯比売」と言う。
これは当然ながら「若帯日子」と共通の名辞。
何故か。第13代と第22代は、九進法で同値。

[73] 「墨江」と「阿曇」  hvhy 2002/04/05(Fri) 16:45 [Reply]
>(46)100ツァディ……14帯中日子……「参/婁」

再びこの部分を見ていただくと、「気長足姫」が、
なぜ「住吉三神」に結びつけられてるかも自明です。
「住吉三神」は「参」(オリオンの三ツ星)ですから。

ところが「参」と対になる「婁」は「Asvini」(阿曇)。
だから古事記で「墨江之三前大神」「阿曇連等之祖神」は、
同時に生まれている。何をベースに話を創っているかの問題。

#天皇だけでなく、皇后もその代数が意味を持つ。
#例えば「気長足姫」は、第14代の皇后であって、
#その第14代という数字が、最も大きい意味を持つ。

[72] 「百毒」と「百襲姫」  hvhy 2002/04/05(Fri) 16:15 [Reply]
インドのナクシャトラの「Satabhisaj」(シャタビシャー)は、
「百人の医者を持つ」の意味で、『舎頭諫経』は「百毒」と訳す。

>ネワール語ではESAが普通です。なお、サンスクリットの「毒」=VISAが
>ネパール語とネワール語両方に入っていますね。(桜左近さん)

これを拝見して混乱したんですが、「Satabhisaj」の「bhisaj」と、
「毒」を意味する「visa」は同じなんでしょうか?(派生語なのかな)

>(50)500タウ  ……10御真木入日子印恵……「星/危」
>(46)100ツァディ……14帯中日子    ……「参/婁」
>(41) 50メム  ……19男浅津間若子宿禰……「婁/参」
>(37) 10テット ……23袁祁之石巣別  ……「危/星」
http://www.platz.jp/~hvhy/mat.html より抜粋)

「百毒」は『摩登伽経』では「危」なんですが、照応表を見ると、
九進法において第23代と第14代は同一視されるので、偶然にも、
「百毒」の「百」と、「ツァディ」の「100」がまったく呼応する。

ところが日本書紀で「卑弥呼」に準えられている人物が2人います。
「気長足姫」と「倭迹迹日百襲姫」です。ここでまず「気長足姫」は、
よく知られるように「帯中日子」(第14代)の皇后です。したがって、
「倭迹迹日百襲姫」に特徴的な「百」なる数は、『舎頭諫経』の「百毒」、
または「ツァディ」の数が「100」であるところに由来すると思われます。

[71]   へぇ〜〜 のハナシ  4     ケツ割り 紋次郎 [Mail] 2002/04/05(Fri) 15:51 [Reply]
 フブヒーさんにもめやぐかけたじゃ。
 桜の下でワイワイ酒のんで騒いでいたら、そこのゴザはよそんちの子供がと
った席だった……りして。
 ま、いいか。まるっきしのよそんちでなかったしィ。

 あっしのおエメは利きません。外されています。いつプロバイダから切られる
かわかりませんが、いままでの「ほにゃらか」は瀬藤ドンが切らずにいましたの
で、きのふから雑談〜おエメ替わりに使っています。

※ 6には朝鮮語の MUT(陸地)もありましたよね。陸奥とかムツゴローはほと
  んどまちがいなしに、これでしょう。アイヌ語では lik(高み)になってる
  みたい。
※ 「前提事項」……わかる、わかる。あっしが「大黒様ものがたり」にとっ組
  んだとき、次ぎから次ぎにに前提事項が必要になってウンザリしたあるよ。
  そこを中学生にもわかることばで噛んで含めるのが、新しいことをいう人間
  の縮ウンたらめ。
※ ユダヤ……、あれ、何と言う動きやったか……。
  ユダヤが大きく騒がれるのは、この日本では特別なんじゃなかろうか。
  日露戦争のあと、國なし「さすらいびと」で、戦争にゼニをだしたユダヤが
  満州をドメインにしたがっていたんですよね。
  けふ優勝した報徳学院の応援団には外人ばりの美人ナオンちゃんがいました。
  神戸市には25000人のユダヤ人が居留していたそうです。
  いまでも、おらが毎日お世話になっている神戸のオシメの会社は、ユダヤ系
  らしいです。
  ユダヤが世界的に注目されるのは、やっぱ発達した言語を持っているからで 
  しょう。やっぱ、BC 6 世紀(?あたり)に戦争をしてメチャクチャに揉ま
  れたからでしょう。
  あのころ……、ヘブライ語辞書を読んだとき、アイヌ語なんざを見つけたア
  タマには、もう、メチャクチャなひでぇ言語だと写りました。
  騙すとか裏切るとか、拷問にかける……などの語彙が次ぎから次ぎに出てき 
  て、タマルカ! でした。

  景教ということもあって、日本のインテリはここ百年ぐらい、目がユダヤに
  偏っているのはタシカなことでしょう。

[70] Re[69]: 「kagati」と「加賀智」  hvhy 2002/04/05(Fri) 14:26 [Reply]
>尚、香具さんのお力添えで、ネパール語 kagati(レモン)が
>日本古語の「ときじくのかぐのみ」に該当することを発見。

そっちの方向へ繋ぐより、まず「赤加賀智」の「加賀智」かな。
「此に赤加賀智と謂へるは、今の酸漿なり」と古事記に出てくる。
「ほおずき」は「鬼灯」とも書きますが、「酸漿」という綴りには、
どういう訳か「酸っぱい」という字が入ってます。こりゃまた不思議!!

[69]   へぇ〜〜 のハナシ 3    ケツ割り 紋次郎 [Mail] 2002/04/05(Fri) 13:52 [Reply]
★ ヘブル語は離散したユダヤ人たちの心の支え、団結のしるしである「聖なる書の言葉」として細々と残っていきます。
☆ コンチキ号(筏)で南米から東へ、ポリネシアへ冒険したハイエルダールさんは、タヒチ で2回目の I-NAM(名前を贈られること)を受けましたが、そのとき、長老がどこのこと ばともしれない古代語で儀式をとり行ったそうです。
 インド / オセアニアには物凄い語彙の類似がみられます。これは文化の重層現象で、その長 老に残っていた言語こそ、アイヌ語の基層と一致するものならむ。

★ 細々と日本にたどり着いたユダヤ人の一氏族が、日本語に大きな影響を与えたはずもない  ですから。
☆ きのふ、『kumanolife』掲示板みていましたら、とんちんかん小僧さんが「甲斐の忍  者」みたいなことを書いておられました。
  少数派でも幻術を使えれば、既成集団のてっぺん近くを牛耳れますね。

★ 私は「ヘブル語」と書きますが、一般的には「ヘブライ語」という表記ですね
☆ 厳密には知りまへんが、ヘブライという意味には、いつかの時代に、どこかで「さすらい  びと」という意味がありました。紋ちゃんはこれにゴロニャンとなるのであります。
  ネパール語 sar(動く・移動する) > 日本語 ; sa 。猿田彦カネ。
  HEBR / HEBR-AI ……-AI はネパール語でも強調末尾辞。日本語は -E 。やろカネ。 
  -AI などには「ひと」という意味がアブクのようにくっついたり、消えたりするのでっ  しゃろなぁ〜。

 ア、先日、ヨモツヒラサカのとき、ヒラをダイヤモンドと訳しましたが、訂正します。
  ネパール語 HIR には日本語「ひるむ」と似いちゅう「消える」がありました。これを適用するのが本スジと心得ます。ヒルコ(蛭子)にも関係これアラムやろか。
 とくに、香具さんアマカネぞな。
 尚、香具さんのお力添えで、ネパール語 kagati(レモン)が日本古語の「ときじくのかぐのみ」に該当することを発見。これでネパール語/日本語の類似語総数は 1150 になりましたので、ここに慎んで神奈備さまへご報告申しあげます。
 「ときじく」……、天竺に似いちゅう。

[68]   へぇ〜〜 のハナシ 2     ケツ割り 紋次郎 [Mail] 2002/04/05(Fri) 12:38 [Reply]
 ならよっちゃん、ハナシの流れ先はヘライ村だヨ。

★ ヘブル語は旧約聖書の言語として現代まで伝わっていますが、紀元前6世紀に起こったバビ
  ロニア人に よる徹底的な侵略(バビロン捕囚)により、日常言語としてのヘブル語はアラ
  ム語に取って代わられました。 
☆ こういう概略的な歴史の把握……、おらには全く欠けていました。
  地域〜地帯はどこですカネ。
  やっぱ、紀元前6世紀……、おらは、いちおうシッダルタさん誕生に焦点合わせておりま
  しただ。
  も少し西ではイエスさん。
  シイ(イエス・シッダルタさん)が心霊がらみで偉かったんではなく、おらは金属精錬以
  後の社会の必然がシイをエラァ〜〜く、まつり揚げた……と見る。
  心霊現象を発揮するご仁は無条件にエラいのではない。もともと、心霊〜超能力なんちゅ
  うもんはヒトがゲロッペッと痰ゴロを吐くようなもんだわサ。
  心霊現象〜超能力と、「神聖」とは元来関係のないものである。なのに、それを集団形成
  に利用せなならんもんで「神聖さ」がスパイスとして味づけされる。
  ヒマラヤには17の霊峰がある。シッダルタさんも結局はインドでは「仏教がらみ」で霊
  峰(きわだった超能力者)のひとつとして収められた。
  総じて……、中東三教もヒンヅ−も「霊能力者主義」といえる。共産主義といっしょや、
  いっしょ。日本のシシミ(修験・神道・密教)もまた同じ。
  これ 21世紀初頭人の佇まいカネ。

  あれ? ハナシが価値観がらみになっちまった。
  アラム語というのも、ほとんど知りません。ちょと、解説アマカネんカネ。

  「ヒブルィーさん」は「フブヒーさん」に似いちゅう、なも。 続く。

[67] ユダヤ云々について  hvhy 2002/04/05(Fri) 11:33 [Reply]
厳密な話は措くとしても、いきなり「日本とユダヤ」と言ってしまうのは、
どうだろうか?という気はしています。時代は下りますが、渤海との交流が
盛んだった頃だと、文献的にも「日本にソグド人が来た」ことが確認できます。
また、有名な法隆寺の香木の焼印の話もあります。(パフラヴィー語、ソグド語)
そういったあたりを見ていくのがより現実的でしょうね。ソグド人の宗教と言うと、
まずはゾロアスター教ですが、純粋なそれではなかったことも報告されてます。また、
マニ教になると、いわゆるキリスト教的な要素も混交している。このあたりを鑑みれば、
「ユダヤ的な要素」を「ユダヤ人」に短絡させて考える必要はないという気もしてきます。

[66] Re[63]: 「へ」の放し(ハナシ)     hvhy 2002/04/05(Fri) 11:14 [Reply]
紋次郎さん、復活おめでとうございます〜
また宜しくご指導くださいませ。m(_ _)m

>「へー=6」の「6」には lok で、ネパール語にも見れる「地上」(おそらくは「この世」?)
>から、「くに」「地方」という意味が慣用であちこちの日本列島に定着していたのではないかなァ

関連すると思われるのは「陸」の日本での読み方です。
これを「りく」と読み、また「陸奥」を「むつ」と読む。
母字が同じ「睦」も「むつ」と読みます。この例に限らず、
いわゆる訓読みというものは、須く考察の対象だと思います。

>「ザイン、ヴァV、ヘー」とは、どこの言葉ですか?

どこの言葉という意味ではなくて、
フェニキア文字のアルファベットの
名前という意味で、単に書いています。
そういう意味で取って頂ければ幸いです。

>ヘブライ語は、日本語とのあいだには「最も類似語彙が少ない国語」

これについては、まったく桜左近さんと同意見で、
日本語との直接の繋がりは、むしろアラム語の中に
痕跡を留めていると見ています。決定的と思える単語、
幾つかありますが、例を説明するには前提が必要なので、
前提を順番に説明して、その後に例を挙げる心積もりです。

[65]   へぇ〜〜のハナシ 1       ケツ割り 紋次郎 [Mail] 2002/04/05(Fri) 11:06 [Reply]
 桜左近さん、さっそくのお控(しけ)え、ありがとさんにアマカネ。
 るすちゅう、ごめやぐかけたじゃ。
 じゃっどん、セトホどんの計らいでわえらが暴れまわれるスペースがここに親切新設でよかった
じゃん。
 ところで、ひと一生の宝物はやっぱともだちやなぁ。セトホどんのともだちで、チョー優秀なご仁
がいらっしゃって、おらもここ3年ぐらいお世話になっちいやす。なかなか世話(ネパール語も
SEWA)上手で、ネパールから写真を電気に替えて、しばしばお送りくださいます。
 また、「ネパールの子供の教育を!」の運動で、会員さんたちが年に2回ぐらい飛んでいたり、現
地在住のひとと連絡がある……そういうヒトもおられます。
 ここは、やっぱネワール語に関心の高いご仁に辞書を撰んでもらったがいい。辞書代金のことは、
  ♪√ こんひとたちのおらすけんで、あとはどうなときゃぁなろたい。

ネワール語で「毒」は何というか?……、お教え、あがあが。
★ ネワール語ではESAが普通です。なお、サンスクリットの「毒」=VISAがネパール語とネワール
  語両方に 入っていますね。

☆ esa の -sa は沖縄の名詞末尾辞と同一。で、これはアイヌ語の YE(濁水・膿み)と同根かな?
  bi- はネパール語では「悪い」意味をつける接頭辞です。
  小舅みたいなこと申し陳べやすが、サンスクリット語は人造語ですので、この場合は「ネワー
ル、  ネパールの土着語がサンスクリット語に入った」と理解したほうがいいのではないやろネ。


★ サンスクリットでは「白毒」「青毒」「黒毒」などの分け方もあり、白毒はHALAHALA、青毒は
 KALAKUTA、黒毒はKAKOLA、それから蛇毒はAHEYAなど、気になるな名前です。ところでネワー 
  ル語でHALAは「葉」なんですよ!。ですから、白毒HALAHALAは何かの葉っぱから作った白い 
 毒・・・かな?。(^^;
☆ あがあが、極まりぬ。
  インド通癖で LA =RA(ネパール語; 強調末尾辞)。一般形 ; *pat(葉)。
  -KUTA も末尾辞で、ウイルタ語でよく発達しています。ガラクタのクタ。意味は「そんなの」。

  今回の離れ〜大ヒマで価値観につっこみましたが、この「あんなもの・そんなもの意識」を捕ら
え  ることができたのは、大収穫だったと思っています。
  ヒトは愛情とかシヤーセなどの大概念には、その内部に相矛盾した付属概念を包んだままに、受
容  れて、平気な顔ができるのです。また、これで自殺するご仁もあとを断たない。
  このへんの事情……本殿(かむなび掲示板)に奉納すべきスジやろな。

  上述の「ネパールの子に教育を」会さんの名前はラルパテいいますじゃ。意訳すると「子守草」
  英語・アイヌ語の *lulu に似いちゅう。
  pate は上述の pat に強調末尾辞の -e がついたもの。日本語の一般系(-e)と同一。
  ただし、フェルナガ盆地のナシュパテ(梨)の場合は、もう「草・植物」から脱皮した概念で、  
  これは秋田のパッチ(総領)と同根の「頭」と訳さなならん。
  語彙・ひとの意識……依而如件。なも。

 長くなりやすハンで、別けて続けやしょう。

[64] Re[63]: 「へ」の放し(ハナシ)     桜左近 2002/04/05(Fri) 05:39 [Reply]
紋次郎さん、何はともあれ復活おめでとうございます。またよろしくお願いします。
先日頂いたお葉書では、タジク語でカエルが「タニグク」だった、という大発見をされたそうですね。
メールが使えないということなので、お返事をここに書きます(掲示板に適当な話題のみ)。

(紋次郎さん)カエルは九州ではビキ、アイヌ語でビッキで、ネパール語のBIK(毒)が語源だろう。ところで
ネワール語で「毒」は何というか?

ネワール語ではESAが普通です。なお、サンスクリットの「毒」=VISAがネパール語とネワール語両方に
入っていますね。サンスクリットでは「白毒」「青毒」「黒毒」などの分け方もあり、白毒はHALAHALA、青毒は
KALAKUTA、黒毒はKAKOLA、それから蛇毒はAHEYAなど、気になるな名前です。ところでネワール語で
HALAは「葉」なんですよ!。ですから、白毒HALAHALAは何かの葉っぱから作った白い毒・・・かな?。(^^;

次に、ネパールのメル友に頼んでネワール語辞書を入手できるか?・・という問題。
探してもらうのはできそうですが、お金を送るのが面倒みたいです。外国へ送金する方法として一番手軽
なのは郵便局で扱っている「International Money Order」。ところが、ネパールはその対象国から外れて
いるという不運に見舞われています。相手が法人だったらカードが使えるんですがね、どなたか解決法を
ご存知のかた、是非教えてください。

>これもちろん、「ヘライ村」の「へ」を睨むときの基礎資料だべし。
>
>ヘブライ語は、日本語とのあいだには「最も類似語彙が少ない国語」として、おらには印象的ざんした。

ヘブル語は旧約聖書の言語として現代まで伝わっていますが、紀元前6世紀に起こったバビロニア人に
よる徹底的な侵略(バビロン捕囚)により、日常言語としてのヘブル語はアラム語に取って代わられました。
その後、アラム語が西はエジプトから東はインドに至る地域の「大共通言語」として繁栄する一方でヘブル語
は離散したユダヤ人たちの心の支え、団結のしるしである「聖なる書の言葉」として細々と残っていきます。
アラム語は余りにも広大な地域に広がったゆえに方言化が進み、単一の言語としてのアイデンティティを失い
強力なイスラムが興ると簡単にアラビア語に侵食されてしまった。今ではシリアの一部の地域で話されている
のみです。
このことから感じるのは、旧約聖書のヘブル語、コーランのアラビア語など大宗教の経典として固定された
言語は生き残る(った)・・・・という事実。
そんな事情を考えると、『ヘブル語と日本語とのあいだには「最も類似語彙が少ない国語」』は肯けます。
細々と日本にたどり着いたユダヤ人の一氏族が、日本語に大きな影響を与えたはずもないですから。
アラム語は最盛期にはインドまで来ていたので、日本語にいろいろ入っていても当然と思います。

余談
私は「ヘブル語」と書きますが、一般的には「ヘブライ語」という表記ですね。ヘブル語では「`IBRIY」で最初
の音は「イ」ではなく「ヒ」で「ヒブルィー」みたいな音です。これがギリシャ語に入って「ヘブライオス」となり、
ヘブライとして広まったようです。

[63] 「へ」の放し(ハナシ)     ケツ割り 紋次郎 [Mail] 2002/04/04(Thu) 13:19 [Reply]
 わかった。ドメインは切られていても、プロバイダのほうは「1ヶ月間サービス」とかなんとか
 言っていた。とまれ、薄皮一枚で首がつながっているような紋にござんす。
 そーゆー忙しい会話でもーしわけないが……、

 フブヒーさん、前のカキコはみんなはまだ見てない段階ですが、「ザイン、ヴァV、ヘー」とは
 どこの言葉ですか? 
 「へー=6」の「6」には lok で、ネパール語にも見れる「地上」(おそらくは「この世」?)
 から、「くに」「地方」という意味が慣用であちこちの日本列島に定着していたのではないかなァ
 と思えるフシがある。
 ミロクの lok がそれやし、群馬県に六合村(くにむら)がある。
 これもちろん、「ヘライ村」の「へ」を睨むときの基礎資料だべし。

 ヘブライ語は、日本語とのあいだには「最も類似語彙が少ない国語」として、おらには印象的ざんした。

[62] ありゃ どうなってんだ  ケツ割り 紋次郎 [Mail] 2002/04/04(Thu) 11:14 [Reply]
これ、はいったのかなぁ you-iorg 健在なりや? オラシラン

 √ 足柄山の山奥で 小○○集めて お××の稽古
 キーの打ち方も大半忘れたヨ

 雨とサメの関係……、フブヒーさんカキコの「母音連続を嫌う」ところへ、ネパール語と共通の強調接頭辞の Sーが適用されしものと思いけらくも。
 それに、同ネパール語関連の *jar(水)が sa となって日本列島にはいっている。
 サンサしぐれカネ。

 ミナシャンのパソコンでも見えるのだろうか? 応答ねがいます。

[61] 無題  ケツ割り 紋次郎 [Mail] 2002/04/04(Thu) 11:02 [Reply]
恐らくはいらんだろうが、テストかね

[60] [56] の訂正です  hvhy 2002/04/03(Wed) 21:07 [Reply]
【誤】:然るに「日詰」という地名が散見されるのは能都半島。

【正】:然るに「日詰」という地名が散見されるのは能登半島。

[59] Re[55]: 戸の由来  神奈備 2002/04/03(Wed) 17:03 [Reply]
籠神社の奥宮社の真名井神社にあった『ダビデの星』のマーク入りの説明石碑は,日出倭さんが別荘へ投稿して頂いて,どうやら神社によって消されてしまったことがわかりました。

 奈良県五條市の宇智神社(国生さん)の神宮寺の安生寺に古瓦が展示されており,その内の一つの瓦にダビデの星が付いていました。この寺は人間が祟り神となったはしりの井上内親王(いがみ)が他戸(おさべ)皇子を産む際に安産祈願した伝承がありますが,例の「大秦景教流行中国碑」の模造がある高野山金剛峯寺の末寺です。

井上内親王(いがみ),他戸(おさべ)皇子 この名前も何か謎めいていますね。

[57] Re[56]: 「ヘブル」?ヘブライ?  習志野のてつ [Mail] 2002/04/03(Wed) 15:53 [Reply]
> 「北陸から東北へ」という移動の道を想定することは可能ですね。
*突然、岩手県の戸来(へらい)村の話を思い出しました。
20年程前ですが、テレビで篤農家の撮影をしていましたが、
見事な『鷲鼻』。ユダヤ系の顔でした。キリストの墓も有ります。

友人だったイスラエル人と、見学に行こうと約束をしていました。
伊勢神宮の参道の『ダビデの星』のマークを、いっしょに見に行き
次は戸来村行きを計画、都合で国に帰った為果たせませんでした。

ユダヤ系の一氏族は、日本まで流れ着いたと思っています。

[56] 「ヘブル」そのものか?  hvhy 2002/04/03(Wed) 15:07 [Reply]
高句麗の始祖王に「解夫婁」がいますが、
だいたい「ヘプル」というような発音です。(←受け売り。要確認!!)
これとの関連で見落とせないのは、古事記に
「丸邇之比布礼能意富美」と出てくることです。
「比布礼」は「日触」にも作る。また飛鳥時代の
「丸邇日爪臣」の「日爪」は「日触」の別称?です。

>和珥臣日爪が女、糠手娘、一の女を生めり。是を春日山田皇女とす。
>一本に云はく、和珥臣日触が女、大糠娘、一の女を生めり。是を
>山田大娘皇女とす。更の名は、赤見皇女といふ。文稍に異なり
>と雖も、其の実一なり。(仁賢天皇の元年二月)

ここでは異伝を載せるだけでなく、わざわざ
「文稍に異なりと雖も、其の実一なり」とする。
である以上、「日爪臣」は「日触臣」と言えます。

発言[42]で述べましたが、「金日」の「日」に
「ヘー」(He)が掛けてあるとしたら、今ここで
問題にしてる「和珥日触」の「日」の音についても、
「ヒ」より「へ」に近いかもしれん。これら鑑みれば、
「解夫婁」と「ヘブル」と「日触」は同じ可能性がある。

然るに「日詰」という地名が散見されるのは能都半島。
「丸邇之比布礼能意富美」の娘の「宮主矢河枝比売」は
北陸地方に結びつけられてますが、その名残とも思えます。
「日詰」という地名は、ところが岩手にもあって、もちろん
これは現行地名の話ですから、これを以て結論はできませんが、
「北陸から東北へ」という移動の道を想定することは可能ですね。

[55] 戸の由来  桜左近 2002/04/03(Wed) 05:37 [Reply]
>青森県の八戸で有名な「戸(へ)」、遠野も元は「十戸(とおのへ)」だったと聞いています。
>この「戸」をヘブル語のヘーと関連づけるのは無理スジ(トンデモ)ですかね。

説明不足で、何かわけわからんカキコになってますね。(^^;
古語で「戸(へ)」は戸籍のことでした。しかし、陸奥においては「牧場の柵」、または「木戸」の意味があったそうです。参考サイトを紹介します。
http://www05.u-page.so-net.ne.jp/xa2/mayu-ito/sobo20000224.html

ところで、ヘブル語の「ヘー」は、何と「柵」とか「窓」の意味なんですよ。昔、キリストが来たという伝説もある土地だし、面白そうだな・・・・という戯言でした。(笑)

[54] Re[48]: 「背」について  桜左近 2002/04/02(Tue) 05:07 [Reply]
>カバラの起源は中世と言われています。古事記や書紀は8世紀の書物です。(※通説に従えば)
>もし古事記(や書紀)に「カバラのようなもの」まで書かれているとすると、
>これは驚かざるを得ません。インドの「ナクシャトラ」の導入は、述べた通り、
>『摩登伽経』『舎頭諫経』『Sardulakarnavadana』あたりにルーツが求められる。
>じゃあ「Hod」とか「Netzach」とか、そういう言葉は何処から誰が持ってきたのか。
>このあたりになると、ちょっと文献的な材料が見つかりません。どうなんでしょうね。

「カバラ」と称するに値する最古の文献は12世紀の「Sefer Ha-Bahir」だそうです。
2世紀頃に書かれたとされる「Sefer Yetzerah」は数字の意味付けまでで、「Netzach」も「Hod」も出てきません。
ここで考慮されるべき理由(と勝手に私が思う)は、ユダヤ人は古来迫害され続けてきた民族という環境です。
つまり、ヘブル文字に斯くも膨大な情報(数や意味)が暗号化されて埋められている理由。それは暗号化という作業を経なければ通信(または記録)に危険が伴うという状況がからんでいるのではないでしょうか。もしそうなら、その「暗号表」を公開するはずもなく、文献として残る可能性は皆無だったはず。ですから古事記にカバラの影響があったとしても不思議ではないが、しかしそれを文献的に証明するのは至難の業だ、ということになりそうです。(^^;

2世紀の「Sefer Yetzerah」の時代は、例えていえばhvhyさんが前に指摘されたフェニキア文字「Tzadi=釣り針」のレベル(コード化の)以上に進む必要性はなかったかと想像しています。
余談ですが、このTzadiの例はちょうど英語の軍隊や通信用語の「ROGER」と似ています。大昔、通信機の性能が悪かった頃は、言葉をハッキリと聞き取れないための聞き間違いによる重大ミスが起こる危険性がありました。その解決策として「了解(RECEIVED!)」の頭文字の「R」をとって「ROGER」にした(何故なら「RECEIVED」は「CE(シィ)」という音は高い周波数を含んでいるので、通信の音声帯域が狭いと再生されない)。
別の例でいえば、ヘブル文字のアーレフはアーレフ(牡牛)の頭文字ですが、アーレフという文字は必ずしも牡牛を意味しない、というのと同じことです。

#何かエラそうなことを書いてしまいました。間違いがあったら指摘してください。(^^;
 青森県の八戸で有名な「戸(へ)」、遠野も元は「十戸(とおのへ)」だったと聞いています。この「戸」をヘブル語のヘーと関連づけるのは無理スジ(トンデモ)ですかね。(^^;

[53] 「巳」も「箕」も同じ  hvhy 2002/04/01(Mon) 15:58 [Reply]
第27代(箕)が「九」ならば、第26代(斗)が「八」です。
よって「金日」(九八)は「箕斗」と読み替えられる。ところが
「箕」の和名は「み」ですから、「美斗能麻具波比」の「美斗」は、
あるいは「箕斗」かもしれませんよ。これは「丹塗矢」も「男根」で、
「金精さま」(金星)も「男根」であることに、よく符合しております。

#「丹塗矢」即ち「美和之大物主」の「美和」(三勾)は、
#やはり「27」(3×9)を意味するのであった。(既述)
#「三輪山」の神様を「巳さん」(みぃさん)と呼んだりする。
#これは「蛇」だが、しかしまた「箕」の和名「み」にも通じる。

[52] [51]の補足  hvhy 2002/04/01(Mon) 15:53 [Reply]
例えば「広国押建金日」という名前の固有部分が
「金日」だということは、だれでも分かるわけです。(※発言[40]参照)
この「金日」という表現(表記)を見て、思いつきで、
「金」は「金星」で、「日」は「太陽」と言うのも可能。

今ここで問題にしているのは、古事記の作者が、
「金星」と「太陽」の組み合わせの意味を込めて、
第27代に数えられる天皇の名辞を「金日」とした。
その脈絡です。脈絡が納得できる自然なものかどうか。
いわゆる「コジツケ」では、まったく意味がありません。

「一・二・三・四・五・六・七・八・九」
「計・水・土・木・羅・火・月・日・金」
「尾・心・房・氏・亢・角・軫・翼・張」

インドの「ナクシャトラ」(二十七宿)を基本にした
言うところの「九進法」の構造が古事記に入ってること。
このことが認められれば、「金日」は「九八」と理解され、
さらに「9×8」即ち「72」即ち「27」と理解されます。
第27代の天皇を「金日」(九八)と命名したところの脈絡は、
「金×日」〜「九×八」〜「72」〜「27」(第27代)です。

#ここで「金日」の意味は「金と日が重なったもの」。
#「金」でもあり「日」でもあるもの。とも言えますね。
#ところが、「9×8」は「72」で「9」(金)。また、
#「9+8」は「17」で「8」(日)です。この点からも、
#「金日」なる表現は、やはり「金と日が重なったもの」です。

[51] Re[42]: 「金日」の「日」は?  hvhy 2002/04/01(Mon) 13:49 [Reply]
「勾」という漢字は、それ自体が「九」(3×3)を意味し、
さらにまた「三勾」は「三×九」(27)を意味するのでした。

【数字が並んでいる時は、それが掛け算を表わす場合もある】

「三勾」という表記(表現)からは、このことが言えるわけです。
「AであるところのB」を「AB」と表記する例も見られますので、
それぞれの場合に関して、その表記の意味を吟味する必要があります。

----------------------------

ここで改めて第27代の「広国押建金日」の
「金日」という名前の意味を考えてみましょう。

|>「七」……7(軫)16(畢)25(女)……「月天」
|>「八」……8(翼)17(昴)26(斗)……「日天」
|>「九」……9(張)18(胃)27(箕)……「金星」
|(神奈備掲示板[2725]を参照)

|これを見る限り、「金星」と「日天」を組み合わせて
|「金日」としたようにも見える。しかし「安閑天皇」は
|あくまでも第27代だ。「金日」の「金」は「金星」だが、
|「日」(ヒ)については別の由来をむしろ考えるべきだろう。

以前の書き込みでは、このように〈別の由来〉を求め、(発言[42]を参照)
「金日」の「日」を「ヘー」(He)と考えた。この場合、
「AであるところのB」を「AB」と表現したという把握。
これはこれで良いでしょう。ところが別の把握の仕方もある。

★「27」=「72」=「9×8」……「九八」(金日)

各桁の数字を入れ替えても「九進法」では同じだから、
「27」は「72」(9×8)と読み替えられるのです。
ここで「九」は「金」で、「八」は「日」なわけですから、
実は「金×日」の意味において「金日」と表現(表記)した。
このようにも考えられます。抽象数学としては、こういうこと。

#古事記では「3×3」を「三重」と表現する。したがって、
#「掛け算」での表現は「重ねる」や「重なる」の意味を持つ。
#このことから、「九×八」即ち「金×日」の意味するところは、
#「金星に日天が重なる状態」と言えよう。(いわゆる「暁」か?)

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