青草掲示板ログ
2002.6
多に蛍火の光く神、及び蠅声なす邪しき神有り。湯嶽神・菊嶽神の集い。
素人のひらめき、力はないが騒がしくなかなか従わない、一寸の草木にもある五分の魂の発露を!
 青草掲示板

[128] Re[127][126]: きび→丹生→入道  Setoh 2002/06/30(Sun) 10:44 [Reply]
玄松子さん[124] > 伊和包囲網かな。
 関西近辺の丹生神社で云えば『播磨国風土記』に言う爾保姫神の鎮座地がおそらくは播磨の中でしょう。
六甲山の北西にあたる,神戸市北区山田町の丹生山上に鎮座する丹生神社あたりかとも思うのですが,真言宗の進出もしくは『住吉大社神代記』によると,紀州からの遷座の可能性もあります。

ラインに載らない一匹狼なのか,出石か吉備へのショートカットなのか,はたまた石見辺りのラインなのか。

>>>> 見れば見るほど綺麗なカーブ。
神奈備で。


[127] Re[126]: きび→丹生→入道  玄松子 2002/06/28(Fri) 22:19 [Reply]
> > > 見れば見るほど綺麗なカーブ。
>
> 吉備ライン
> 出石ライン
> 気比ライン

こうしてみると、丹生神社は、丹生の道、丹生の駅と見ることができますね。
ライン状に展開する神社の一例でしょうか。

出発点は日本海、丹生グループの上陸地点でしょうか。徐福の伝承地にも重なるかもしれません(未検討ですが)。

[126] Re[124][122]: きび→丹生  Setoh 2002/06/28(Fri) 20:48 [Reply]
> > 見れば見るほど綺麗なカーブ。

吉備ライン
広島県世羅郡甲山町(備後国世羅郡) 丹生神社
広島県比婆郡西城町(備後国奴可郡) 爾比都賣神社(式内)http://www.ne.jp/asahi/hon/bando-1000/dust/tan/tan-1.htm
岡山県邑久郡長船町(備前国邑久郡) 丹生神社(神捨て)
徳島県鳴門市撫養町(阿波国板野郡) 丹生神社
兵庫県三原郡南淡町(淡路国三原郡) 丹生神社
和歌山市     (紀伊国)    丹生神社 

出石ライン
兵庫県城崎郡香住町(但馬国美含郡) 丹生神社(式内)
京都府舞鶴市大丹生(丹後国加佐郡) 丹生神社
http://www.tango-ex.com/traso/rekishi/rekishi_sanpo/rekishi_16.html
福井県小浜市太良荘(若狭国遠敷郡) 丹生神社(式内)
滋賀県伊香郡余呉町(近江国伊香郡) 丹生神社二座(式内)
http://www.kamnavi.net/ny/yogokami.htm
滋賀県坂田郡米原町(近江国坂田郡) 丹生神社
奈良市丹生町   (大和国添上郡) 丹生神社

気比ライン
福井県丹生郡清水町(越前国足羽郡) 丹生神社
         (越前国敦賀郡)丹生神社(式内)
福井県三方郡美浜町(若狭国三方郡) 織田神社(式内仁布神社の論社)http://www.mihama.or.jp/maturi/ota.html
出石ラインの近江国へ

[124] Re[122]: きび→丹生  玄松子 2002/06/28(Fri) 12:30 [Reply]
> 見れば見るほど綺麗なカーブ。

なるほど。直角二等辺三角形じゃなくて、円弧にも見えますね。伊和包囲網かな。
あるいは、四方八方から丹生津姫へ集中する形。
または、丹生津姫から、四方八方へ。

まだまだ、遊べそうです。

[123] ほんに青草い  Setoh 2002/06/27(Thu) 22:25 [Reply]
魏志倭人伝に「卑弥呼の宗女の壱与(台与)なるもの、年十三を たてて王とした。」とありますが,宗女とは一族の世つぎの娘のことだそうです。
宗男とは?

[122] Re[121][116][114]: きび  神奈備 2002/06/27(Thu) 17:00 [Reply]
> > 吉備と気比、まだまだ遊べそうです。
> この丹生都姫を祀る神社の配置を見ていると、中央構造線とは別に、
> 吉備から丹生、出石から丹生、気比から丹生、の3本のラインが匂う。

大発見!!ですね。
見れば見るほど綺麗なカーブ。
暇を見てリストアップいたします。書いた資料はどこだろう。

[121] Re[116][114]: きび  玄松子 2002/06/27(Thu) 14:35 [Reply]
> 吉備と気比、まだまだ遊べそうです。

http://www.kamnavi.net/ny/nyuiti.htm
この丹生都姫を祀る神社の配置を見ていると、中央構造線とは別に、
吉備から丹生、出石から丹生、気比から丹生、の3本のラインが匂う。

あながち、青くない話かもしれない。かも。

[120] 豊饒の瀬戸内海  神奈備 2002/06/26(Wed) 17:36 [Reply]
吉備 吉備津彦 黍
紀伊 五十猛命 木実

国生み
阿波 大宣都比売 粟
讃岐 飯依比古 飯
淡路 穂の狭別の島 穂
小豆島 

大宣都比売から
蚕、稲種、粟、小豆、麦、大豆

その他
三大丸山 栗
日吉 稗

[119] Re[118]神奈備[3089]:[3090]  玄松子 2002/06/26(Wed) 12:41 [Reply]
> 英語でA,B&Cとなると、3個、3種類ですよね
> 日本語も同じではないでしょうか?

失礼しました。
(刀+斧+鉄)の鐸 と読んでいましたが、これでは意味が通じませんね。
刀+斧+鉄鐸 を作ったわけですね。鉄器全般を担当したという意味。

ここで、青草。
刀(軍事)+斧(生産)+鉄鐸(祭祀)で、三種神器アイアンバージョン。

[118] Re神奈備[3089]:[3090]  習志野のてつ [Mail] 2002/06/26(Wed) 11:44 [Reply]
> 雑(くさぐさ)の刀・斧及鉄(おのまたくろがね)の鐸
> (さなぎ)をつくらしむ』岩波文庫『古語拾遺』P19

この文章では、作ったのは鐸じゃないかな。
「くさなぎ」に通じる感じではありますね。

英語でA,B&Cとなると、3個、3種類ですよね
日本語も同じではないでしょうか?

でも『雑(くさぐさ)…の鐸(さなぎ)をつくらしむ』から
「くさなぎ」説は始めて聞きます。 ウ〜ム!!
草薙剣は鉄製ですか…ム〜ウッ!

吉備―気比―紀伊 説
KIBI―KIHI(KEHI)―KII 云われてみると良く似てますね

た「けひ」説  も含め  興味深々

[117] Re[104]: 丹生と花咲−犬の贈り物−  玄松子 2002/06/26(Wed) 00:10 [Reply]
> > 熊襲=建日別、吉備児島=建日方別。
> これは面白い。神奈備掲示板で。

本殿に奉納するには、まだまだ青いでしょう。
建日は、た「けひ」と読むのだろうか。

[116] Re[114]: きび  玄松子 2002/06/26(Wed) 00:07 [Reply]
吉備と気比、まだまだ遊べそうです。

福井に「気比神社」と書いて、「きい神社」というのがありますね。

ちなみに、気比と書いて「きび」とよむ神社を検索した結果。

和歌山県那賀郡粉河町、気比神社
滋賀県大津市、日吉大社境内気比社
岐阜県瑞浪市、気比神社
長野県木曽郡上松町、鹿島神社境内気比神社
富山県高岡市、気比神社

この並びは、琵琶湖をかすめて北北東へ延びる、丹生都ー気比を連想する。かも。

[115] コウナイの石  KAZZ [Mail] [Url] 2002/06/25(Tue) 16:03 [Reply]
はじめまして、家島のKAZZです。
コウナイの石について書いてあったのでちょっと紹介させていただきます。
家島は、国生みの島オノゴロ島の伝承地としてはるか昔から伝えられている島です。
家島の西島にあるコウナイの石は、昔から、天の御柱とされ、瀬戸内海の航海の守り神として鎮座しています。その近くには、天の浮橋と呼ばれる潮の干満で島と島をつなぐ瀬もあり、研究していると楽しいですよ。
細かい事は、当館のホームページをご参照ください。
山の頂上にある高さ8メートルの巨石は、一見の価値ありです。

[114] Re[113]: 出石  神奈備 2002/06/25(Tue) 15:28 [Reply]
> 以前の青草の続き。
> > 吉備−丹生都−気比の直角二等辺三角形。
> 頂点の丹生都姫から垂線を下ろして延長すると、出石あたりに到着する、みたいな。

丹生−出石のラインと吉備ー気比のラインの交点付近の
兵庫県氷上郡春日町に式内社の阿陀岡神社[アタヲカ]が鎮座
「吾田鹿葦津比賣命」木花咲耶姫がいますね。

[113] 出石  玄松子 2002/06/25(Tue) 12:58 [Reply]
以前の青草の続き。

吉備−丹生都−気比の直角二等辺三角形。
頂点の丹生都姫から垂線を下ろして延長すると、出石あたりに到着する、みたいな。

[112] Re[111]: 八意思兼神 Re [110]  神奈備 2002/06/24(Mon) 16:37 [Reply]
> 今の情報社会のありがたさを痛感します。

> 一方威力があって、追い出すことはできない、ご隠居の位置を治めるものも居る。
出雲大社の本殿真後ろに素盞嗚尊が祀られています。大社を拝する人は,横を向いている出雲大神よりも,真後ろの祭神を拝んでいるのかも。

大阪に茨木神社がありますが,やはり真後ろの天石門別神社を拝む構造です。

> 住吉大社の配置
大阪の高校の先生は住吉三神について面白い説を出されていました。[2209]setoh

                   息長帯日売
                     ‖
大帯日子(景行)ー若帯日子(成務)ー帯中つ日子(仲哀)

住吉大社の社殿の配置
                   姫大神
 上筒男命   ー 中筒男命   ー 底筒男命

と云うのもありました。”帯日神社”ですね。


信濃南部の開拓にあたった阿智族の中心をなす阿智神社の祭神は天八意思兼命ですが,これがいつからそうなのかですが,天児屋根命と同神とすれば,藤原氏のルーツにもかかわりそうですね。
思兼命は秩父神社(埼玉県秩父市番場町)の祭神です。
社名に共通に「チ」の音があり,「智」の神らしい。

[111] 八意思兼神  習志野のてつ [Mail] 2002/06/24(Mon) 14:58 [Reply]
平田篤胤は思兼命について、天児屋根命と同神であるとした。
「現在この神を奉祀する社がないのはこのためである」と説いた。
*『日本神祇由来事典』川口謙二編 柏書房 1993年 思兼命の項
今の情報社会のありがたさを痛感します。

[110] Re[108][107]: [106]  習志野のてつ [Mail] 2002/06/23(Sun) 21:34 [Reply]
> 棟上げの神事は「家屋と工匠の守護神」を招いて、神々にはずーーと坐して
> いただく,ことでは?
 違うと思いますよ。工事のためだけ、あとは施工者を明記し残すだけです。

> 木についていた神が家屋の神にもなるそうです。五十猛命と大屋彦神が異名
> 同神とされるのはここらからかな。

> 倉敷阿智神社に祀られている神で,造園の神様なんか,いないのかな。
 さあ?存じませんが、変わりにといっては長過ぎですが。

神社がないころ、祭りが終わると神はまた元に戻られていました。
いちいち呼びかけてお越しいただかなくてもいいように、
いつでもそこにいてお休みいただけるように、恒常的な施設を
造りました。それが神社です。お正月の門松がその典型ですね。
お正月に神がおりてきて、終わりにまたそこから戻られるわけ
です。おりやすいように設えた施設ですね。伊勢神宮でさえ
初期には、常設の祭の施設を持たなかったようです。五十鈴川
の、今手水を使うあたりの上流にそうした祭祀跡が発見されて
います。もっともそういった祭祀跡に、その当時祀られていた
のは天照大神ではない可能性が大きいと思います。

   ー 祭神の変化 −
祀られる神、神名が変化する理由
@本来祀られていた神の威力が衰える
=その神を支えていた一族が衰える(他との比較でです)
A有力な神を招いてその力を借りる
=あらたな神を支えている一族の力を借りる
=その一族の支配下に入る(色々なレベルが有りそうです)
このことは、能動的ではなく、受動的に行われることが多い
=有力な一族に、支配下に入るように強制されることが多い
一般的に、平安時代の荘園の寄進は、その典型でしょう。

 ● ここからはきものぬげ (←解釈自由の意味)
押し出された神は、境内摂社、末社、境外摂社、末社になる
昔の明治時代の家に書生部屋、女中部屋が有ったように、追い出
された神の定位置がある。鳥居近辺に小さくなっている。
一方威力があって、追い出すことはできない、ご隠居の位置を治める
ものも居る。本殿を見下ろす位置に居る。外宮の(高宮)多賀宮である。
但し規模は大分小さくなっている。
以前摂津住吉大社の配置をカキコしたことがあるけれど、第一殿が大きく、
第二殿、第三殿はおなじで、第三殿横の神后皇后も同じ大きさ
これは、ダンゴ三兄弟では断じてない。四社で、第一殿が偉い。
以下同格だが、神后皇后は別系統である。との表現です。

[109] コウナイの石  神奈備 2002/06/23(Sun) 20:56 [Reply]
赤穂の沖の家島群島西島に磐座があります。
これについては
http://www2u.biglobe.ne.jp/~HASSHI/tyonoiwa.htm
に記載されています。

この磐座を「コウナイの石」』と云うようです。

以下、播磨の方からのメールです。
 「コウナイ」(地名)には、漢字が、ありません。家島町?、県?は、「高内」と、しているようですが、 私は、勝手に、元の意味は、「神奈備(樋)」であろうと、思っております。
 谷崎潤一郎は、「乱菊物語(海島記)」に、たしか「構内」と記載していたようです。
そして、コウナイの石?を、「天の逆ほこ」と記載。

オノコロ島のコロ 水のナイ? 何で水や? 

[108] Re[107]: [106] 追加:ガーデニング  神奈備 2002/06/23(Sun) 18:43 [Reply]
> 「ある土地に結界を張り、神の降臨を祈り、祀り、お帰りいただき、その地
> を元に戻す」のは、建物としての神社が出来る以前の、素朴な形態でした。
> 今に残る、建築時に行われる儀式は、この古い形態を引き継いでいるのでは?

棟上げの神事は「家屋と工匠の守護神」を招いて、神々にはずーーと坐していただく,ことでは?
木についていた神が家屋の神にもなるそうです。五十猛命と大屋彦神が異名同神とされるのはここらからかな。

所で倉敷の阿智神社に祀られている神で,造園の神様なんか,いないのかな。
【祭神】多紀理毘賣命 多岐津比賣命 市杵嶋比賣命 (配祀)應神天皇 (合祀)八意思兼神 素盞嗚命 大己貴命 宇迦之御魂命 神大市比賣命 吉備津彦命 少彦名命 伊邪那岐命 伊邪那美命 稻田姫命 久那斗神 墨吉三前大神 天照大神 八十禍津日神 大直日神 神直日神 です。

[107] [106] 追加:大工と石工  習志野のてつ [Mail] 2002/06/22(Sat) 23:11 [Reply]
欧米には「フリーメースン」と云う秘密結社があります?(前提)
(本当なら)これを日本語に訳せば「自由な石工」。渡り歩いて、各地で
建築物を作った人達の集まりが、おおもと。同じようなことが、もしも
日本にあったとしたら、それは大工の集まりになるはず?

家を建てるとき、その家族の状況を聞く。建物を建てるときは、その建物
の持ち主の内情が判る。各地のそれらの情報を、秘密に交換していた?

「ある土地に結界を張り、神の降臨を祈り、祀り、お帰りいただき、その地
を元に戻す」のは、建物としての神社が出来る以前の、素朴な形態でした。
今に残る、建築時に行われる儀式は、この古い形態を引き継いでいるのでは?

[106] Re[105] [103][102][100]:  習志野のてつ [Mail] 2002/06/22(Sat) 21:35 [Reply]
> 熊襲=建日別、吉備児島=建日方別。 
思わず「ムッムッムッ!」と声が出ました。
  『吉備=気比 』説にも驚きましたが。
 またしてもビックリです。ただ解釈できないので、
 とりあえずこちらにて、感心しています。

  思兼命と手置帆負命と彦狭知命
手置帆負命と彦狭知命が、上棟式では祀られますが、
建前のとき、手斧(チョウナ)初めと云う儀式があり、
このときは三柱が祀られ、真中は思兼命です。
思兼命は、倉敷市の中心の阿智神社に祀られる神様、
由加神社(彦狭知命)とはとてもご近所です。また
思兼命の兼(カネ)は、曲尺(カネジャク)に通じ、
聖徳太子以前の、大工の神様です。
三内丸山の柱を建てるについても、古代の規格・寸法
が、あったらしいのです。まあそんな大昔の神様では
ないと思いますが。

[105] Re[101]: 手置帆負命  神奈備 2002/06/22(Sat) 17:22 [Reply]
>  手置帆負は、文字通り解釈すれば、ヨットのこと?

手置帆負命は(たおきほおひのみこと)で,ヨットのイメージを懐かれたのは卓見。

エジプトから発見の5000年前の壺に帆船の絵があったそうですね。
またジャワ島のボロブドールの遺跡の石にアウトリガー付きカヌーの大船」が彫刻されているようです。船体に三角帆をつけたマスト二本、船側にそってハンドレール(手すり)があるそうです。これが「手置」でしょうね。(『古代日本の航海術』茂在寅男著から)

 古代の船で思い浮かぶのが『応神紀』の「枯野」で,軽く浮かびて疾く行くこと馳るがごとし。と評されている船です。軽野でもあり,カラノ,カラヌとよんでいたのでしょう。カヌーの語源説,あったような。

[104] Re[103][102][100]: 丹生と花咲−犬の贈り物−  神奈備 2002/06/22(Sat) 10:24 [Reply]
思いつきの青草。

> 熊襲=建日別、吉備児島=建日方別。
これは面白い。神奈備掲示板で。

> 道教の丹(水銀)は、正しく用いれば仙薬、正しく用いなければ猛毒。
石長姫と木花咲耶姫でもあるのかな。どっちがどっちだ!

> 火によって精製され、咲く花は「朱」なのか。
石長姫を化粧して木花咲耶姫?
さかさま。
朱沙を精錬して,水銀。

[103] Re[102][100]: 丹生と花咲−犬の贈り物−  玄松子 2002/06/21(Fri) 19:42 [Reply]
> 思いつきの青草。
> > > 『花咲爺』
>
> 「花咲」を名に持つ神は木花咲耶姫,さすればヂヂイは大山祇神。
> この神は南方からの漂流者の斎祀った神,呉越同舟で薩摩半島へ来たか,隼人の祖先となった,狗の 真似は先祖を犬としていたから。

熊襲=建日別、吉備児島=建日方別。 木花咲耶姫と丹生都姫は近いかも。

> 火によって精製され、咲く花は「朱」なのか。

[102] Re[100]: 丹生と花咲−犬の贈り物−  神奈備 2002/06/21(Fri) 17:07 [Reply]
思いつきの青草。
> > 『花咲爺』

「花咲」を名に持つ神は木花咲耶姫,さすればヂヂイは大山祇神。
この神は南方からの漂流者の斎祀った神,呉越同舟で薩摩半島へ来たか,隼人の祖先となった,狗の 真似は先祖を犬としていたから。

[101] 手置帆負命  習志野のてつ [Mail] 2002/06/21(Fri) 14:09 [Reply]
 手置帆負は、文字通り解釈すれば、ヨットのこと?
舟に帆を張りそれを背にして(帆を負って)、オールは漕がない
(手は使わず置いている)。こうした舟の作り手だった。
その舟作りの技を活かして家も作った。今でも上棟式には、必ず
呼び出される。日本中で祀られる神様。手置帆負命を主祭神とす
る神社は数少ないが、日本の家全てに係わる忙しい神様です。
通常屋形舟でも、舟の上に家を作ると妻入りとなります。
出雲大社は、手置帆負命が作り、妻入りとなっています。
青草ですが、『手置帆負』との言葉、考えさせられます。

[100] 丹生と花咲−犬の賜物−  玄松子 2002/06/19(Wed) 10:31 [Reply]
思いつきの青草。

『花咲爺』
花咲爺では、良いおじいさんが灰をまくと花が咲き、悪いおじいさんでは、災いがある。
道教の丹(水銀)は、正しく用いれば仙薬、正しく用いなければ猛毒。
火によって精製され、咲く花は「朱」なのか。

[99] Re[98]: 蛇か木か  神奈備 2002/06/17(Mon) 16:33 [Reply]
> 「その少名毘古那神を顕(アラ)はし白しし謂(イ)はゆる崩彦(クエビコ)は、今に山田のそほどといふ。」

ありましたね。
崩彦(クエビコ)だから「こわれた男」かな。注釈もこの程度かな。

[98] 蛇か木か  玄松子 2002/06/17(Mon) 14:00 [Reply]
石王版より。
「その少名毘古那神を顕(アラ)はし白しし謂(イ)はゆる崩彦(クエビコ)は、今に山田のそほどといふ。」

この「そほど」ですね。

[97] Re[96][95][93]: 大彦命と木の神  神奈備 2002/06/17(Mon) 13:05 [Reply]
『広辞苑』には,ソホド(ソオド)を案山子としています。「曾富騰」と『古事記』にあるとのことですが,小生は見つけていません。
『古事記』では少彦毘古神の名前と出自を大国主神に教えたのが久延毘古で,角川文庫の注には かがし,こわれた男の意となっています。この「こわれた」とは一本足や一つ目のことをさすのかも。
> 大台ケ原あたりの話にある「一本だたら」。

これについては,「紀の国の神話と神々 金属神」に以下を紹介しています。

 福士幸次郎氏「原日本考」の紀州の山奥にある大檜噌(おおびそ)に伝わる伝説

 集落の者が果無山脈の中に入り込んで雑木を採りにいき、さて帰ろうとする段になって何気なしに坂道を見ると、そこに一本足の神様がいたという。 その姿を細かく明白に見たわけではなく、鏡のように円く輝いた目が一つあって、ちょうどその辺に立っている木が、おりからの夕日を浴びて円い光でも放っているような、至極間際らしい程度のものであった。 だがこの男は、畏敬しながらも、何度も振り返っては、その輝く一つの目を見たというのである。

> 巨木のイメージも少し。
感じますね。一本足で動けない,木ですね。
吉野祐子著『蛇』にあるような「一本足の案山子は蛇をデフォルメしたもの」と云う説は知恵ある神の蛇として一理ありそうですが,どうなんでしょうね。

[96] Re[95][93]: 大彦命と木の神  玄松子 2002/06/17(Mon) 11:20 [Reply]
> 横合いから。ククノチ神って、農耕民の方では「かかし」さんになっていませんでしたか。

「かかし」は、クエヒコだと思いますが、ククノチと同神?


> 一本足って、巨木信仰の名残でしょうか?

山海経に出てくる、「キ(漢字が出ない)」という動物は、一本足の牛(あるいは羊)です。山梨のどこかで、「キの神」として祀られていたはず。木の神に通じるのでしょうかねぇ。

[95] Re[93]: 大彦命と木の神  ひふみ 2002/06/17(Mon) 09:52 [Reply]
> いずれも、今は、ククノチ神とされていますが、大彦命と木の神に関連があるのだろうかと考えました。

横合いから。ククノチ神って、農耕民の方では「かかし」さんになっていませんでしたか。
そういえば、大台ケ原あたりの話にある「一本だたら」。
あれは、製鉄等のタタラの関係だと思っていたけど、巨木のイメージも少し。
一本足って、巨木信仰の名残でしょうか?

[94] Re[93]: 大彦命と木の神  神奈備 2002/06/16(Sun) 18:32 [Reply]
玄松子さん,情報ありがとうございます。
樹霊信仰は極めて古い信仰のようで,これ樹霊なりとある久久遅神はいかにも古そうな神ですね。
飛騨は高山から乗鞍までは伊太祁曽神社が並んでいる地域です。3日かけたのですが,未だ回りきれていません。大津神社の木霊神社なんかは五十猛神であってもよさそうですね。
富山の杉原神社の由緒「大彦命が祀った杉の巨木を神とし、木祖神」は木にかかりますね。

[93] 大彦命と木の神  玄松子 2002/06/16(Sun) 17:38 [Reply]
富山の杉原神社の由緒では、「大彦命が祀った杉の巨木を神とし、木祖神」としたとあります。
また、岐阜の大津神社祭神は、大彦命ですが、境内に木霊神社というのがあります。
いずれも、今は、ククノチ神とされていますが、大彦命と木の神に関連があるのだろうかと考えました。
このあたりは、越と木曾の文化の混じる場所なのかもしれませんが。

[92] Re[91]: 不思議な大屋彦  神奈備 2002/06/16(Sun) 17:05 [Reply]
> 大彦と大弥彦、大屋彦は、まったく関係ないのですか。

「大」も「弥」も尊称とすれば,大屋彦は彦神。
大彦に尊称をつけるなら,弥大彦。
弥彦に尊称をつけるなら,大弥彦。
だから 彦→弥彦→大弥彦(大屋彦)で大彦さんは筋違いかと。
大彦命は将軍として越の国へ,ここに弥彦神社や度津神社が鎮座するのがやや越。
古四王神社(越王?)の祭神は大彦命が多いですね。

ついでに五十猛神と大屋彦神を同じとしているのは『先代旧事本紀』。
また大屋彦神は伊弉諾・伊弉册の島々の生成の次の神々の生成ででてくる神で,三貴子より先。それなのに何故か五十猛神は素盞嗚尊の御子神となっている。不思議なこと。

[91] 私的質問  玄松子 2002/06/16(Sun) 11:21 [Reply]
大彦と大弥彦、大屋彦は、まったく関係ないのですか。

[90] Re[89]: 吉備・丹生・気比  神奈備 2002/06/16(Sun) 11:15 [Reply]
> > 吉備津神社と丹生都姫と気比神宮を結ぶ三角形は、ほぼ直角二等辺三角形。

頂点は丹生都比売神社ですね。やはり神功皇后,応神天皇がポイントか?
紀伊国伊都郡をして邪馬台国説がありましたが,丹生都比売にも卑弥呼かトヨの役割が?
または
倭迹迹日百襲姫命が卑弥呼とすれば,吉備津彦命は男弟に当たるのかな?

[89] 吉備・丹生・気比  玄松子 2002/06/15(Sat) 22:48 [Reply]
青草らしい話。

吉備津神社と丹生都姫と気比神宮を結ぶ三角形は、ほぼ直角二等辺三角形。
「ほぼ」です、ほぼ。

[88] Re[87][86]:  習志野のてつ [Mail] 2002/06/15(Sat) 18:51 [Reply]
> 著作権の主張も、古さの立証が第一。立証できなければ、パクリ・
> 真似・影響も否定できないわけです。
文字に記録されないと、口伝だけでは立証は困難ですね〜。
ところで、「某掲示板」にも書き込みましたが、
再来週の月曜日、6月24日『シンドバッドの海』が、TV朝日系で放送。
副題は「遥かなるインド洋。大いなる謎と冒険を求めて」おもしろそう。
古代の海運、船について、いろいろ教えてくれそうです。
マダカスカルに住む人々の祖先は、インドネシアから渡ったと言われます。
スンダランドから、どう人々が出て行ったか?も解説しているかも知れない。
問題は20時〜22時20分と長時間にわたること。
ビデオに撮っておいて、CMとばして見ようかと思ってます。

[87] Re[86]:  玄松子 2002/06/15(Sat) 13:21 [Reply]
> 兵がめざめる話は、日本武尊の伊吹山での話、神武東征時の話、と似ています。
> でも、以下のようなことを誰かが唱えたら、納得できません。
> 「これは、@大魚に呑まれるA腹の中でそのままで生きているB腹の中で火をたき、
> そのおかげで皆無事脱出できる―の三点から、ピノキオの話の影響を受けている。」

「ピノキオ」は20世紀の小説なのは明らかですが、もしこれに
「ギリシャ神話『ピノッキュオ』をアレンジし、現代風に焼きなおしたファンタジー」と説明があれば、どうなんだろう。(嘘ですが。)

著作権の主張も、古さの立証が第一。立証できなければ、パクリ・真似・影響も否定できないわけです。

[86] Re[85][83]:  習志野のてつ [Mail] 2002/06/15(Sat) 11:51 [Reply]
> 「似ていない」ことを否定しているわけではありません。
> 「似ている事情」に関して、私見を書き込んだということです。
[似ている]との表現は、主観的なんですな〜と実感
 「影響をうけた」との表現をとりたいと思います。

日本神話に南方起源のものがあると、わりに良く云われています。
それについて、一度自分の目で確かめたいと思っていました。それ
でたまたま本屋でみかけ、文庫本なので買ってみました。読後の私
の結論が、日本神話は「南方起源のものはほぼ無い」です。全く無
いとは、資料不足で云えない。少なくとも「読んだ限りは無い」でした。
  たとえ話をします。
日本武尊の息子である武殻王(たけかいこのきみ)(記は建貝児王、紀は武卵王)物語。
◎ 瀬戸内海に大魚が出現。多数の舟や人を襲いました。人々は大変に難儀をし
ました。王は部下八十人と共に大船に乗りこれを討つ為出発。しかし大魚にのみこまれ
たしまう。腹の中で火をたき、腹をやぶって、見事大魚を退治。皆生還する。しかし八
十人の兵たちは大魚の毒気に触れて酔ったようになる。そこに、一人の童子が来て清水
を献じ、これによって兵たちは蘇生する。
 武殻王は別名、【讃留王】・【讃留霊王】と呼ばれ、讃岐綾君(さぬきあやきみ)の祖
となった。王は百二十五才にして薨じた。 
 現在、鵜足郡井上郷玉井村(現在の綾歌郡飯山町下法軍寺)に讃留霊王神社・讃留王
大明神として祀られており、神社の裏手にある前方後円墳は武殻王を葬ったものと云わ
れています。 

兵がめざめる話は、日本武尊の伊吹山での話、神武東征時の話、と似ています。
でも、以下のようなことを誰かが唱えたら、納得できません。
「これは、@大魚に呑まれるA腹の中でそのままで生きているB腹の中で火をたき、
そのおかげで皆無事脱出できる―の三点から、ピノキオの話の影響を受けている。」

[85] Re[83]:  玄松子 2002/06/15(Sat) 10:45 [Reply]
>  ただ、私の[78]の書き込みの意図は「似ていない」です。

「似ていない」ことを否定しているわけではありません。
「似ている事情」に関して、私見を書き込んだということです。


> > そもそも海に囲まれた島で、「天」を垂直方向に想定するのだろうか。
> > 海の彼方、水平方向にあると見る方が自然だ、と思う。
>  これも一般的に賛成。ただしインドネシア・スラウェシ島内陸部
>  あのコーヒー豆で有名なトラジャ族の話
>  なので、日本と同じ程度の島国です。「天」はありえます。

山がないから「天」がない、とか、山があるから「天」があるということでもありません。
山よりも広大な海があるので、まず海の彼方に黄泉なり天を想定する方が自然、と書きました。相対的な比重の問題です。
島国にとっての恵みは、多くは海からもたらされるので、そのソースである海に、コンロンをみる方が自然だと思うのです。
山から恵みを得ている地域では、山に桃源郷があるでしょう。
また、農耕主体になれば、雨などの気象現象(天空)に神の力を感じるはず。

[84] Re[83][79][78]:芋ねーちゃん  神奈備 2002/06/15(Sat) 09:49 [Reply]
習志野のてつさん,まさにサッカー試合の真っ最中のご投稿,心意気ですね。

>> 海の彼方、水平方向にあると見る方が自然だ、と思う。
> これも一般的に賛成。
たしかに。モアイの石像は海の彼方を眺めているように見えますね。
ジャワ島でイスラム以前の聖地の跡を見ましたが,立地は山の麓,神奈備信仰と軌を一にするように感じたことを思い出します。天上からの神の降臨と云う発想もあったのかも。

> 大宜都比売の話は、死体そのまま、分割はしません。
体のそれぞれの部分に穀物などの種子を生成する話ですね。古事記では須佐之男命が殺すのですが,『日本書紀』では保食神を月読命が殺します。
 月、は生成誕生にかかわる,と見られていたようで,月神に地母神のイメージがあったようです。種子を天照大神が取り上げている物語りになっているのは,地母神の地位が月神から日神に移りつつあるようにも見えます。
主要穀物が芋から種子穀物への転換は同時に天照大神の女神化をもたらしたのかも。

[83] Re[79][78]:  習志野のてつ [Mail] 2002/06/14(Fri) 16:29 [Reply]
> 旧日本軍が持ち込んだ日本神話が、南方の島々の伝承と混じってし
> まった可能性もあるでしょ。
> 南方の島々の伝承が、南方の島々の発祥という証拠はないし。
 賛成です。本では話の出所が不詳です。またあとがきで、
「神話事例のほとんどは、…英、独、仏、および蘭語の文献から引用」
 としています。日本神話の影響の可能性、あります。
 ただ、私の[78]の書き込みの意図は「似ていない」です。

> そもそも海に囲まれた島で、「天」を垂直方向に想定するのだろうか。
> 海の彼方、水平方向にあると見る方が自然だ、と思う。
 これも一般的に賛成。ただしインドネシア・スラウェシ島内陸部
 あのコーヒー豆で有名なトラジャ族の話
 なので、日本と同じ程度の島国です。「天」はありえます。

【訂正】『南島の神話』後藤 明 著、中公新書2002年2月、
 中公新書ではなく、中公文庫でした。失礼。ついでに、同じ本のP57
インドネシア、セラム島の女神・ハイヌヴェレの神話
バナナから生まれた男がココ椰子を埋めておくと、そこに成長した木から女
が生まれた。彼女はハイヌヴェレと名づけられたが、大便から陶器のような
貴重品を生み出したので男は裕福になった。しかしその秘密を知った友人た
ちは踊るふりをして、彼女を生き埋めにして殺してしまった。父親は娘の死
体を掘り出して切り刻み、破片を一つ一つ別の場所に埋めると、それぞれ違
う種類のイモが生えてきた。これが今、人類が植えているイモになった。

イモは、生のままで分割して埋めます。するとそれぞれから芽が出ます。
煮ても焼いても復活再生は出来なくなります。
日本の瓜子姫の話は、やはり生で分割する話です。
大宜都比売(おおげつひめ)の話は、死体そのまま、分割はしません。
大野晋さんは、栽培植物がイモから粟稗に変わった為と説明してます。
粟や稗なら、分割はありえないわけです。

[82] Re[75][74]: 吉備=気比?  玄松子 2002/06/11(Tue) 22:46 [Reply]
> 備後、吉備津彦神社で手に入るチラシには、「元 気比太神宮」とありますから、定説?

備前の間違い。

[81] Re[80]: 席亭の反省  玄松子 2002/06/11(Tue) 16:53 [Reply]
> 玄氏> 神奈備掲示板が「磐座」なのですね。岩長姫は醜かったらしいし。

こう並べて書くと誤解されそうですが、そういう意図はありません。


> 吉備=気比からの何か先行文献がでていましたら,ひとつ教えてやって下さいな。

文献ではありませんが、仕事中にネットサーフィンしていて、こういうのを見つけました。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Poplar/5241/hyoshi10_001.htm
気比神宮で売っている桃太郎像だそうです。伊奢沙別命(いさわけのみこと)が鍵ですね。

[80] 席亭の反省  神奈備 2002/06/11(Tue) 16:01 [Reply]
玄氏> 神奈備掲示板が「磐座」なのですね。岩長姫は醜かったらしいし。
みなさんのおかげで清浄さが保たれているつもりですが,神奈備席亭としては,お高くとまっているつもりはないのですが,書き込みしにくいとの意見を寄せてくれる方々もおられます。席亭のいたらなさを大いに恥じるところです。

吉備=気比を大発見と思っていましたが,そうですか,定説でしたか。
玄氏> 吉備津彦神社で手に入るチラシには、「元 気比太神宮」
参詣をしていないとなかなかわからない話ですね。
吉備=気比からの何か先行文献がでていましたら,ひとつ教えてやって下さいな。

習氏> 石や岩が一見永遠に見えることは、全世界共通ではないでしょうか。
習氏> 金属精錬が始まれば、この考えは消えていくでしょう。
金属精錬が始まって消えていくのは鉄鉱石で,磐座や巨木への思いは消えなかったのでは。

[79] Re[78]: 部分的にRe[77][68]:  玄松子 2002/06/11(Tue) 14:11 [Reply]
>  やがてラモアは天から、二人の元にツタに結んで、石をおろした。しかし
> 二人はそれに見向きもしなかった。彼らは天のラモアに言った。「一体こん
> な石をどうしろというのだ。もっと別のものをくれ」と。

日本の石長姫の場合は、たとえ醜くても、娘を天子に捧げるという意図が明確ですが、僕にはこのラモアの意図が全然理解できない。

原典を見ていないので、今回も感覚で書きますが、
意図や意味があいまいな伝承は、よそからの受け売りという可能性もある。
旧日本軍が持ち込んだ日本神話が、南方の島々の伝承と混じってしまった可能性もあるでしょ。

南方の島々の伝承が、南方の島々の発祥という証拠はないし。
そもそも海に囲まれた島で、「天」を垂直方向に想定するのだろうか。海の彼方、水平方向にあると見る方が自然だ、と思う。

青草なのだが、ちょっとマジ。

[78] 部分的にRe[77][68]:  習志野のてつ [Mail] 2002/06/11(Tue) 13:55 [Reply]
> > 青い草はいずれ枯れてしまいます。木花咲夜比売のようなものです。
>  岩長姫は醜かったらしいし。
 似ている?と云われる南方神話
 昔、天にも届く山があった。神ラモアはある日、石を刻んで人間を作った。
男と女を一人ずつである。しかし二人は動くことができなかった。そこでラ
モアは彼らを山の上に運び、風を孕ませると、二人は呼吸を始めた。
 やがてラモアは天から、二人の元にツタに結んで、石をおろした。しかし
二人はそれに見向きもしなかった。彼らは天のラモアに言った。「一体こん
な石をどうしろというのだ。もっと別のものをくれ」と。それでラモアは今
度はバナナを下ろしてやった。それを見ると二人は競争してバナナをつかん
だ。それを見てラモアは言った。「おお人間のこどもたち!お前たちはバナ
ナを選んだ。だからこれからは、人間の生命は同じようになる。バナナの木
が死ぬように、人間も死ぬ運命になる。もし石を選んでいたなら、お前たち
は永遠の命を持ったであろうに!」
『南島の神話』後藤 明 著、中公新書2002年2月、P152,153

石や岩が一見永遠に見えることは、全世界共通ではないでしょうか。
金属精錬が始まれば、この考えは消えていくでしょう。

@、 バナナは食料用で、花は観賞用のもの。
A、 二者択一か、両者獲得可能かは、決定的に違う。
B、 天から下ろす、と、嫁がせる(奉げる)
C、 バナナは木が枯れる。花は枯れても木は残る。
以上四点から、私はまったく似ていないと思います。

バナナも花が咲いてから実がなるし、ハナとバナナは
確かに音が似ている。

[77] Re[68]: 磐座  玄松子 2002/06/11(Tue) 11:20 [Reply]
> 青い草はいずれ枯れてしまいます。木花咲夜比売のようなものです。

神奈備掲示板が「磐座」なのですね。

個人的には、何の根拠も無い素人の閃きが、肉付けされて行く過程を楽しめる「青草」が好みですね。岩長姫は醜かったらしいし。

[76] Re[75][74]: 吉備=気比?  習志野のてつ [Mail] 2002/06/11(Tue) 10:07 [Reply]
>> 和歌山県那賀郡粉河町猪垣に鎮座の気比神社は「きび神社」と読みます。
> 備後、吉備津彦神社で手に入るチラシには、「元 気比太神宮」とありますから、定説?

全く知りませんでした。参考になります。
ところで、応神が気比神と名前を交換した話があります。
もしそうなら、応神は気比系=吉備津彦系=新羅系
あるいは、その援軍を得て大王家の権力を簒奪した!ですか?
「岡山発進で大阪方面に攻め込む」のは、神武の話に似てますね。
神武に似ているから応神と忌み名を付けたのでしょうか?

[74] 吉備=気比?  神奈備 2002/06/11(Tue) 08:27 [Reply]
和歌山県那賀郡粉河町猪垣に鎮座の気比神社は「きび神社」と読みます。神主は三宅氏。
これを頼りに吉備=気比を思い立ち、吉備一族と天日槍や秦氏との関連を考えていました所
玄氏>> 温羅と戦った大吉備津彦が新羅系なのでは?
習氏> なるほど、ガッテン! その解釈は十二分に成り立ちますね。
とお二方の援軍を得たような気持ちになっています。

[73] Re[72][71][69]: しらが に感じて  習志野のてつ [Mail] 2002/06/11(Tue) 00:37 [Reply]
> > ただ、岡山の桃太郎伝説では、討たれる鬼は「ウラ」と
> > 云いいますが、百済から飛んできた王子となっています。
> 温羅と戦った大吉備津彦が新羅系なのでは?
なるほど、ガッテン! その解釈は十二分に成り立ちますね。
おそらく大吉備津彦を祀っていると思われる吉備津神社だけが、
神階が「一品」(イッポン)(天皇家の極親しい直系)です。
これは当時の天皇家(まあ大王家)は、新羅系との傍証に使え
そうですね。…青草の上で飛躍のしすぎか?

[72] Re[71][69]: しらが に感じて  玄松子 2002/06/11(Tue) 00:09 [Reply]
> ただ、岡山の桃太郎伝説では、討たれる鬼は「ウラ」と
> 云いいますが、百済から飛んできた王子となっています。

温羅と戦った大吉備津彦が新羅系なのでは?

[71] Re[69]: しらが に感じて  習志野のてつ [Mail] 2002/06/11(Tue) 00:02 [Reply]
> 青草ネタ。
> 白髪(シラガ)の神は、新羅の神かもしれませんよ。

岡山にいた時の話
岡山に住んでいる人の姓で(シラガ)姓がありました。
 漢字で書くと二種類「白髪」と「白神」です。
 会社に二人ともいました。
どちらもアクセントも含め同じ発音でした。
ただ、岡山の桃太郎伝説では、討たれる鬼は「ウラ」と
云いいますが、百済から飛んできた王子となっています。

[70] 神奈備掲示板[3041]からの続き  習志野のてつ [Mail] 2002/06/10(Mon) 23:50 [Reply]
江戸時代、稲作を中心に肥料が使われだします。関東では、干し鰯が
有力でした。銚子で取れた鰯を干して保存状態を良くし、俵詰にして、
川の水利を生かして、船で農家に運びました。逆に農家で取れた米も、
船で川伝いに江戸へと運びました。今一つ有力だった肥料は人糞。
これは値段があって、買い取るものでした。だから金肥などとも呼び
ました。たとえば越後屋(今の三越)などの、大店(おおだな)から
出る人糞は、栄養が良いので、高く買われていきました。一方裏長屋
から出る糞尿も、安いけれどそれなりに売られていきました。これら
の売却収入は、旦那や大家の懐に入りました。
 この糞尿は、そのままでは使用できず、加工する必要があります。
つまり糞溜めに入れて発酵させる=腐らせるのです。たとえば藁に降
りかけて、いっしょに腐らせると、かなり高熱を発します。すると寄
生虫やその卵がいても死滅し、肥料として使えるようになるわけです。
後の「暴れん坊将軍」こと八代将軍・徳川吉宗が、まだ若い頃、鷹狩
の途中で肥溜めに落ちた話は、後始末が良かったことで有名です。
へい…お後がよろしいようで…

[69] しらが  玄松子 2002/06/10(Mon) 22:53 [Reply]
青草ネタ。

白髪(シラガ)の神は、新羅の神かもしれませんよ。

[68] Re[67]: 磐座  神奈備 2002/06/10(Mon) 17:53 [Reply]
> いつみても、化野なので、書き込み。
玄松子さん,ありがとうございます。

青い草はいずれ枯れてしまいます。木花咲夜比売のようなものです。
一方、永久不変な存在として磐があります。岩長比売がそのシンボルです。

> 祈祷する人が、「今年は此処で」と一つの岩を磐座と決めるのではなかっただろうか。
おっしゃる通りの磐座は、三輪山へ登拝の途中に並ぶ磐などは同じ様なものですが,お隣は祀られているのに,もう一つにはその跡が見えないといった状態ですね。
それは祀った人の感覚で,この岩が神の依代とする事で岩が磐座となるんでしょう。
その人のお祀りが終われば,おっしゃる通り,普通の岩に戻ると云うことでしょうね。

> 大岩・奇岩と呼ばれる変わった石や特徴的な石
だけではなく,いわゆる磐座とされて,本殿背後にある岩や「本殿の代わりに」存在する磐座については,そこに神々を祀った昔の人々の気持ちを想像できるような気分になります。神祭りの源流を示しているように思われます。そのような気分は大好きです。
磐坐の前に無理矢理本殿を置いている神社の鎮座していますが,場合によっては興醒めの気分。

[67] 磐座  玄松子 2002/06/10(Mon) 15:19 [Reply]
いつみても、化野なので、書き込み。

「磐座」ってそんなに大事なものなのだろうか。僕はあまり興味がないのだが。
大岩・奇岩と呼ばれる変わった石や特徴的な石は別だが、これが磐座と言われても、ピンと来ない。

神奈備と呼ばれる山には、多くの磐座が存在し、祈祷する人が、
「今年は此処で」と一つの岩を磐座と決めるのではなかっただろうか。
ヒモロギの場合も、祭祀が終われば片付けられるモノ。磐座も祭祀が終われば石に戻るべきものではないだろうか。

[65] 紋トラブルはごめんだ。  神奈備 2002/06/05(Wed) 20:14 [Reply]
紋氏が失礼な書き込みを致しましたので,謝罪を要求しましたが,罪の意識はない,と云うことでしたので,神奈備青草から退去されます。氏の書き込みを楽しみにされていた方々には,どっかで探して見て下さい。

なお,氏のHpの再開までは,YOUーI掲示板は残して置きます。

[64]   とり消し、削除たのむ     クサ枕紋次郎 [Mail] 2002/06/05(Wed) 5:21 [Reply]
 本人にはとうに然るべき謝罪文いれている。

 端がさわぐとまずい。このカキコと下は、即刻削除してください。
 削除しなければ、おらは、YOU-i掲示板、神奈備系統はやめる。

としよりは若いもんのためにある。ここ見た人、とし取ったとき忘れるなよ。


[63] Re[62]:  の っ て こ い  玄松子 2002/06/05(Thr) 20:53 [Reply]
>  ミナシャンもおらもバカ・アホなんや。
>  そうでないと、会話の場はない。

ならば、特に書く必要はないこと。
誤解されても仕方の無いことでしょう。
まず、誤解させた書き込みを謝罪しなければ「のってこない」のではないでしょうか。


[62]   の っ て こ い     クサ枕紋次郎 [Mail] 2002/06/04(Tue) 18:40 [Reply]
  「あんたかてアホやろ」が、どーして気にさわるのか! 
 「おれだってバカやが」とチャンと断ったじゃねぇか。
 ミナシャンもおらもバカ・アホなんや。
 そうでないと、会話の場はない。

 ひとりだけが濃密な霞みのなかに斬り込んでいったとき、その他のミナシャンにはどういう選択枝が残されていようぞ。
 おぬしならその後のフォローがやれるん。
 資質をムダにすること勿れ。
 読んでいるひとは、み〜〜んな解ってる人ばかりだ。“不特定多数”ではない。




[61]   記憶ちがいだったらゴメン     クサ枕紋次郎 [Mail] 2002/06/01(Sat) 13:55 [Reply]
 書き洩らしました。アイヌ語 UE は「人肉を食う」ウエグルは「ひと食い人種」です。

 YOU−I 掲示板 http://ucgi.kamnavi.net/cgi-bin/youibbs.cgi
 で紹介した藤原明さんは、上田という日本人の姓や地名が「狩人(ここが、記憶が薄い)」
だったかの VEDA と関係あるだろうと言っておられました。ただし、これはかなり昔のことで
すので今でもこう思っているかどうかは定かではありません。

 六文銭が剽悍なのは、あるいはこのへんに遠いとおい遠因これあらむか。連想大歓迎!!

 もう少し北へ移って、おへまの里では「まったく以ってそんなことあってたまるか」を
「ベェ〜〜ッ!!」と言います。こういうオノマトペアが「ウエ」あたりに絡んでいるのか
いないのか……。ベェ〜〜ッ カネ。

[60]   礼文島、北深く  クサ枕紋次郎 [Mail] 2002/06/01(Sat) 11:06 [Reply]
 礼文島には一等席を誇る日本最北の喫茶店“エンジェル”があります。
 そこのNマスターがレンジャー部隊にいたころ、仲間と二人で乾パンと水筒を持たされ
て100キロの山の中を15日ほど歩かされたことがあるそうです。
 三日で水も乾パンもきれ、飢えを凌ぐためカエルやとかげを捕まえて、鉄かぶとに吊る
して日干しにして食ったそうです。
 目的地に着いたとき、上官が足を縛った生きたニワトリを放ってよこしたそうですが、
おもわずその首にかぶりついて生き血をすすった……と。
 (朝日新聞社に長くいた木内宏さんが書いた『礼文島、北深く』から)

 わえら戦争前にうまれた世代は、飢えをさしせまった恐怖として実感できます。
 若いひとは、どげんふうですな?
 戦後、この脅迫観念にまけて、惰弱のミチを選択したオトコども……だらけやった。

 アイヌ語のU には「お互い」「二人で」の意味があります。E は「食う」です。
 日本語の UE(飢え)との関連連想なら、アイヌ語も受入れ歓迎がもしれまへんナ。

[59] Re[58]:   『かむなび』 アサッテ      玄松子 2002/05/31(Fri) 21:37 [Reply]
>  玄象師師ドン、日本語とアイヌ語は、そげな連想をゆるすぐらいには近接してまへんのでアマカネ。

連想は自由。
「われわれは〜っ、れんそうする〜っ、けんりを〜っ、ようきゅう〜っ、する〜っ」
のだ。

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