0.
青草掲示板ログ 2002.8 |
[242] Re[241][240]: [239] 杉皇大神 玄松子 | 2002/08/29(Thu) 22:56 [Reply] |
> > 杉皇大神って、どなたなのでしょうか。 > ひょっとしたら、と思われますが、決め手に欠けています。探さなくては。 やはりひょっとしたら、という程度ですね。 大物主系は、三輪の杉からの連想と思われますが。 岐阜の杉生の素盞嗚尊は、スサノオの訛かもしれませんし。(音韻変化の可能性は知りません) 平成CDでは、杉皇大神は添川神明社だけですね。他の祭神はビッグネームですね。 |
[241] Re[240]: [239] 杉皇大神 神奈備 | 2002/08/29(Thu) 22:37 [Reply] |
>
杉皇大神って、どなたなのでしょうか。 ひょっとしたら、と思われますが、決め手に欠けています。探さなくては。 > 椙尾(すぎのお)神社 サジェッションありがとうございます。 【住所の杉】 ●兵庫県川辺郡猪名川町杉生字宮ノ下の八坂神社に摂社の八将神社が鎮座、祭神は大屋姫命、五十猛命となっています。 ●滋賀県蒲生郡日野町杉には式内の大屋神社、祭神は五十猛命です。 【スギオ】 ●椙尾神社 山形3社、徳島、香川、 ●杉尾神社 滋賀、兵庫、和歌山2社、島根、岡山、徳島17社(大己貴命が多い。天石門別八倉比賣神や天水沼間彦神 天水塞姫神も)、香川7社、愛媛2社、高知9社(大物主命が多そう) どうやらスギ尾には五十猛尊は見いだせませんでした。 大杉、杉生 には見えますから、一つ位はと思いましたが・・・・ |
[240] [239] 杉皇大神 日雲 | 2002/08/29(Thu) 10:38 [Reply] |
>玄松子様 山形の椙尾(すぎのお)神社も、同系列でしょうか? >yanase様 ニワタリ、確か茨城辺りで「鶏」に転訛しているものもあったかと。 |
[239] 杉皇大神 玄松子 | 2002/08/28(Wed) 23:17 [Reply] |
秋田の添川神明社の祭神は、「天照皇大神 豐受姫大神 鹿嶋大神 杉皇大神 熊野大神
那智瀧大神」。 杉皇大神って、どなたなのでしょうか。 岐阜の杉生神社は、須佐之男命。 徳島の杉王神社は、大國主命 事代主命。 愛媛の杉王神社は、菅原道眞 五十猛命 素盞嗚命 軻遇突智命 大山祇命 雷神 高おかみ。 高知の杉王神社は、大物主櫛甕玉命。 |
[238] Re[236][233][230][227][210][207][193][191][190][189][188] : 香山の鹿来 神奈備 | 2002/08/28(Wed) 19:55 [Reply] |
> 揖保川(風土記=宇頭川)を遡れば、 > 御津・網干−竜野−新宮(香山)−伊和神社−御形神社−明延−大屋町。 網干 揖保川沿いに太田、ここは『播磨国風土記』に「呉勝(くれのすぐり)が名草の太田に居住し、その後摂津の三嶋、播磨の揖保に移住したと記されている」所に比定されています。 竜野の手前に中臣印達神社があり、中臣氏が射楯神を祭った神社とされています。葦原志挙乎の国占伝承で名高い「粒丘」に比定されているようで「粒丘」と彫った石標がありました。 竜野には火明命を稲作と神として祭っていますが、『播磨国風土記』では大汝命の子の火明命は、強情で行状も非常に猛々しかった。置いてきぼりにしようとして船を沈められたような話があります。 新宮町に大屋と言う地名の場所や、高倉山があります。 明延の北側に御井神社、大屋彦命三兄妹神を祭ってるとも言われます。 > (これは、まさに、播磨のアメノヒボコのルートです。) 同時に揖保川(風土記=宇頭川)を遡る道は、五十猛尊大屋彦神ロードでもあります。同一神? |
[237] Re[235]: 酒(ちょうど今頃) 玄松子 | 2002/08/28(Wed) 17:14 [Reply] |
>
酒はお供え物であり、供えた後、参集者にふるまわれます。 サラリーマンなので、祝祭日の参拝が多くなります。 すると、祭日に遭遇する場合もありますね。 御神酒を勧められますが、いつも車なので、なめる程度。 が、何故か御神酒は上手いのです。悔しい。 莫越山神社の御神酒、飲んでみたいですね。 |
[236] Re[233][230][227][210][207][193][191][190][189][188] : 香山の鹿来 豆石 煌 | 2002/08/27(Tue) 23:15 [Reply] |
ごめんなさい。パート2. 間違っていました。訂正いたします。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−− > 新宮町 > その名は、近世以後。とのこと。 > > 新宮宮内遺跡−−弥生の中期と後期・が、重層。 @弥生後期と、古墳時代前期の・重層は、 姫路市網干区の「和久遺跡」、でした。−−−これも揖保川下流域です。 > |
[235] 酒(ちょうど今頃) 習志野のてつ [Mail] | 2002/08/26(Mon) 18:40 [Reply] |
酒はお供え物であり、供えた後、参集者にふるまわれます。 莫越山神社[ナコシヤマ]千葉県安房郡丸山町沓見253 「…天小民命が祖神である忌部の神、手置帆負命、彦狭知命を当社莫越山に おまつりして、祖先崇敬の範を示した。…」神奈備神名帳から 祭祀用として使用する「清酒(白酒)」の製造免許は、日本全国で出雲大社・ 伊勢神宮・莫越山神社(千葉県)・岡崎八幡宮(山口県)の4社だけが持っています。 (それ以外に40社 ”どぶろく”の醸造神社があります) 安房国総社の鶴谷八幡宮の安房国司祭が、来9月14・15日におこなわれます。 莫越山神社も、これにお神輿とお酒で参加、少しなら外部の人にもお裾分けして 下さるそうです。 お祭りに合わせ、神主さんみずから、毎年8月に酒の仕込みをし、一升瓶40本 前後醸造されるそうです。「年を取って大変なので辞めたい、けれど千年以上 (国司祭より以前から←強調)続いているので、私が途絶えさせたくはない。」 とのお話でした。 |
[233] Re[230][227][210][207][193][191][190][189][188] : 香山の鹿来 豆石 煌 | 2002/08/25(Sun) 08:56 [Reply] |
> 国生み神話のコウナイの石が神武天皇ゆかりの高嶋の宮。 > これは興味津々のお話です。 > 「播磨国風土記」の揖保郡のはじめに、「伊刀嶋」の記載があり、これに続いて、 香山(かぐやま)の里。−−−現在。揖保郡・新宮町・香山(こうやま)。 元の名は鹿来墓。 ・・・鹿が来て山の峰に立ちました。山の峰もまた墓に似ていました。 そこで、鹿来墓と名づけました。天智天皇の代に・・・香山としました。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− (ここに、香島小学校があります。古に、揖保川の中洲か?) 新宮町 その名は、近世以後。とのこと。 揖保川(風土記=宇頭川)を遡れば、 御津・網干−竜野−新宮(香山)−伊和神社−御形神社−明延−大屋町。 古代、揖保川河口には、ウズが巻いている淵がありそこで、ウズ川と(風土記)。 (これは、まさに、播磨のアメノヒボコのルートです。) 新宮宮内遺跡−−たしか?、弥生後期・古墳前期が、重層?。 吉島古墳−−−−香山の山の尾根にある。 かの、箸墓古墳と同時期?。(前期古墳) 「天・王・日・月」の銘のある舶載鏡?、出土。 ここから、家島群島が見晴らせる、という。(約25km) @御津町の権現山51号墳からも、「日月鏡」が出ています。 (・・・たかやまのすえ、ひきやまのすえ・・・・)!海から見ていたんだ!! 家島の「宮」と、香山の里の「新宮」との関係は・・・・ その「新宮」が、香具山???−−−カマメ!!海原?? 青草!! |
[232] 思いつき(既出?) hvhy [Mail] | 2002/08/23(Fri) 18:07 [Reply] |
>その某氏>
『白波がソソソー』という擬音擬態語をセトホドンが覚えたのは、 >淡路島にいたときだろうか? 九州ではおよそ考えられないオノマトペアです。 >朝鮮語 thoki(うさぎ)に似いちゅう。 「菟神」を祀っているのは、鳥取県が多いのは当然として、(※神話の影響で) 出雲あたりの「ソキ社」(幾つかある?)もひょっとしたら、 まさに「菟」の読み下しの漢字音による表記かもしれませんね。 |
[231] ♪〜大黒様は〜♪ 神奈備 | 2002/08/23(Fri) 16:31 [Reply] |
昔、ある人の書き込みを消去せよと管理人に迫った際の某氏のせりふ。 > 削除しなければ、おらは、某掲示板、神奈備系統はやめる。 で、退去していただいたことがあります。 その某氏> 『白波がソソソー』という擬音擬態語をセトホドンが覚えたのは、淡路島にいたときだろうか? 九州ではおよそ考えられないオノマトペアです。朝鮮語 thoki(うさぎ)に似いちゅう。 セトホ管理人[225] > 「着物を剥がれる」のイメージは「波上の兎(いるか)」を指すのかも。 アイヌ語には、「剥く、剥がす」を意味する soso という語がある。「素兎」とかいて「裸の兎」を意味してきた根元は、このアイヌ語彙 soso にあるのではなかろうか。(大三元さんのHP) それを擬音に使ってみたお話でした。 > 朝鮮語 thoki(うさぎ)に似いちゅう。 何に似てるんでしょうかね。 |
[231] 白波がソソソー 焼尻紋次郎 | 2002/08/23(Fri) 08:01 [Reply] |
おらがここに書くことはアホ臭い内容ではねぇど。
ただし、下の229のごとく、セトホドンが書く内容は“アホクサ”丸出しなのである。 席亭が、「自分だけがアホクサ書くよ」と宣言し、それを実行するは許されよう。 でもな、ここに使われている「青草」の意味が席亭みずから「青草ですが」というような意味であれば、この掲示板に書くひとの記事はみ〜〜んなアホ臭いことになりはしないか? そこまで、他人様のカキコ内容にドロ塗る傲慢資格はどこから湧出するのか、アアン? 『白波がソソソー』という擬音擬態語をセトホドンが覚えたのは、淡路島にいたときだろうか? 九州ではおよそ考えられないオノマトペアです。朝鮮語 thoki(うさぎ)に似いちゅう。
わ〜〜るかったら、消す。
|
[230] Re[227][210][207][193][191][190][189][188] : 鹿久居島の鹿子 神奈備 | 2002/08/23(Fri) 08:01 [Reply] |
家島の西島の旧名は「高嶋」なのです。−−−「コウナイの石」の有る島。 ドロンパさん、こんにちは。国生み神話のコウナイの石が神武天皇ゆかりの高嶋の宮。 これは興味津々のお話です。 『日本書記』の国生みで「淡路洲(あはぢのしま)を以て胞(え)とす」の胞島が家島になったなどと妄想していましたが、別にオノゴロ島と想定する説もあるようです。 実在したのかどうかはともかく神武天皇の話は『記紀』に記載されていることは事実。 天の下の政を志して東征の旅の出たからには、伊弉册尊の墓所伝承の地の熊野を無理に経由させているように、国生みの聖地をパスしていくストーリィとはならないでしょうから、吉備の高嶋の宮にめでたく八年の滞在となったのは、ここが国生みの聖地であったと見られていたのかも。 神武天皇聖蹟であったとの説は保存運動への大いなる支えになるでしょうね。 |
[229] Re[226]: 父母 神奈備 | 2002/08/23(Fri) 08:00 [Reply] |
>
イザナミ神の糞や尿、血から生まれた神々の父は、イザナギ神なのかな? 『古事記』には両神の子として三十五柱にカウントされているようですね。 生活に密着してくる神々が目立ちますね。 両神のそれぞれの様相によって神格が違うのかも。青草ですが特にイザナギ神禊ぎの際の神々は王権の成り立ちに関係が濃いのかも知れませんね。 |
[228] Re:神奈備 [3307] Re[3303]: 神社の少ない県 神奈備 | 2002/08/22(Thu) 22:21 [Reply] |
神職数と神社数、大阪は神職数のほうが大きいそうです。全国的に珍しい所。合祀の効果かも。 大阪市内にもう少し神社が鎮座していれば、少しは猛暑も和らぐかな、とも思いますね。 なお難波八坂神社のように大阪商人の作る神社の面白さも一役かっているのかも。だんじりも。 何とか食っていける神社数は和歌山では十指以内とか。合理化不足とも言えるか。 神社の合理化にはお寺になること(消滅)などを含めて多くなされてきたのでしょう。京都の醍醐寺には磐座があるそうですが、建物で隠されていて見えないとか。 総社作りは参詣側の都合、消滅したくない神社としてはこれから何をなしていくのかな。 |
[227] Re[210][207][193][191][190][189][188] : 鹿久居島の鹿子 無責忍者・ドロンパ | 2002/08/22(Thu) 19:03 [Reply] |
こんにちは。ドロンパです。 歴史書に記載があるのかどうかは存じませんが、ここにも「かこ」があります。 兵庫県との県境の岡山県側の海の町、「日生(ひなせ)町」。 ここの浦を、「鹿子の浦」といいます。目前の島が鹿久居島。いま、鹿が居るそうです。 幕末には、無人島。いま、学校は無い? > > >加古川以西(姫路=中播磨も、西播磨も)は、古代・吉備王国だった??? > > 十分あり得ることでしょうね。吉備比売はなにせ国境を決める人の奥さんですから。 加古川市 以西が、もし、吉備だったなら、 家島群島も、当然、吉備!!? 家島の旧名「伊刀島」は、伊都国の、イト? 吉備の高嶋の宮−−−神武天皇は、実在か? いつ頃??。 家島の西島の旧名は「高嶋」なのです。−−−「コウナイの石」の有る島。 「どんがめっさん」のはなし。 家島の宮浦神社の御祭神は、白髪大明神、猿田彦命。 「宮」と言う地名?(浦名)の存在。 宮には、高島 姓が多い。 などなど・・・・ 岡山県内に明らかな「吉備の高島宮」が無い?? 以前は、笠岡市の神嶋(こうのしま)。 今は、 新岡山港の南の高島が候補地。 「吉備の高島宮」の候補地の一つに、家島も加えるベシ!! 忍忍! |
[227] 音をかってに(恣意的に)うごかしちゃアカン 焼尻紋次郎 [Mail] [Url] | 2002/08/20(Tue) 19:01 [Reply] |
セトホドン、今ならおらの 『ユー・アイ掲示板 2 言語篇 』 http://www.you-i.org/treebbs/0/index.html にはあっしのほか、だぁれもカキコしていないので、おべんきゃうの絶好のチャンスばい。 まだ、言語リロンは書いちょらんが、真理を恐れないならば、読んぢょくれ。 いっしょけんめい読んで、1年ほど経ったら「イタサとイタケをごちゃまぜにしたきやう のカキコ」をもういっぺん読んでみるこった。 おらぁ〜、ここではアホクサみたいなこたぁ言わねぇど。 ここのカキコ発言を、なにがなんでもアホクサにしたい真っ黒ケの心情わからんでもねぇがナ。 ジドシャ磨くヤツはこころが曇っちょるからじゃ。ゴング浄土、ゴング神様カネ。 |
[226] 父母 玄松子 | 2002/08/20(Tue) 08:58 [Reply] |
神奈備掲示板>
また三貴子は、伊邪那岐神の黄泉帰り後の禊ぎの際に誕生しており、母無し子です。 イザナミ神の糞や尿、血から生まれた神々の父は、イザナギ神なのかな? |
[225] Re[222]: 兎美味し 神奈備 | 2002/08/20(Tue) 08:52 [Reply] |
因幡の白兎については、大三元さんが http://www.dai3gen.net//sirousagi.htm 因幡の白兎考(1)で、 「兎」が海上の三角波を意味する 「波上の兎(いるか)」にせよ「兎くじら」にせよ、どういう訳か、「兎」とこの種の海の動物が関連している。 と記載されています。 青草222習志野のてつさん> 「兎跳ぶ」とは、風が強くなってできる多数の白波のことです。 符合するお話ですね。ワニ(シャチ、サメ)が集団で動いている所が、白い波がソソソーと走るように見えたり、「着物を剥がれる」のイメージは「波上の兎(いるか)」を指すのかも。 シャチに「獲物を・陸に上げる・神」の意味があるとすれば、獲物とはイルカ?そう言えば、気比神宮の神饌にイルカが供えられた話が応神天皇の名前交換(品陀と伊奢沙)の次に出ています。 交換、イタサ、社地交換した神は五十猛(イタケ)、これも一考の要ありか。 |
[224] ドラヴダ系 カル(石) 焼尻紋次郎 [Mail] [Url] | 2002/08/20(Tue) 06:29 [Reply] |
大野晋教授提唱の『タミル語起源』説に出てくる
KAR(石)。これが日本語としていえるか どうかが、あの発表当時にかなり検討されました。 大野晋教授は日本語のカラウスの一語を挙げられたのでしたが、習ヨッちゃんの「錨」カキコ で、あっしゃアッ思った。イカリとは「イ・KAR ・-i」の統語で、「石・する・もの」へと還元 できる。 台湾ブヌン語の KAROP(袋)は、あまりにもドンピシャとアイヌ語で分析できる。 KAR(石)O(入れる)P(もの)。この場合の KAR はアイヌ語カラニ(火つけ木)のカラなの で、この場合は火打ち石のことになる。 結婚式の披露宴で、奥さんになったしるしとして貴石を身につける風習があちこちであった? アイヌ語の SO-kara-MAT(酋長の奥さん)に含まれている KARA は、そのような意味での石だ と思えます。アイヌ語で酋長と訳された語彙は多い。そのなかに SOMAT がある。MAT とは女。 しかし、不思議ではなかった。SOMAT とは「礼儀ただしい、洗練された」という意味がネパー ル語にあるからです。酋長のおくさんの SOKARAMAT とはKARA がSOMAT にINFIX された語形でした。 習ヨッちゃん、南風と魚のうごき(興奮状態)を何かシランカネ。「フェ〜」 カネ。 シル、シラがつく風の名前……ないやろか。地中海にシロッコ(恐ろしい南からの突風)あり。 海の波で ノツ、ノトがつく語彙ないやろカネ。ポルトガル語 NOTO(南風)。 尚、イスパニアとは「兎が多い島」が語源だという。ISPA ./.アイヌ語 ISEPO(うさぎ)。 |
[223] 藤 習志野のてつ [Mail] | 2002/08/19(Mon) 20:49 [Reply] |
神奈備掲示板からの思い付きです。 伊勢都彦命の「風を起こし、波を立て…」から 播磨風土記の大汝命の乗っていた舟を壊した火明命を思い出します。 神奈備さんの「八丈岩山(因達神山)と高岡神社」 http://www.kamnavi.net/it/kinki/idateyama.htm 私は舟が壊された後の話が気に入っています。 「沈石(いかり)が落ちたところは沈石丘」 碇(いかり)に鉄を使うのは、近代です。元寇の時でも碇石でした。 「綱が落ちたところは藤岡(今の二階町付近)」ですが、 綱には、藤蔓が使われていた。舟を操るにはロープは欠かせません。 たとえば舟を岸に舫う(もやう=つなぎとめる)為にも。 徳島の奥地、祖谷(いや)渓のかずら橋も、植物で綱にしています。 |
[222] 兎 習志野のてつ [Mail] | 2002/08/19(Mon) 20:14 [Reply] |
神奈備掲示板[3289]大三元さん すいません。勝手カキ付けです 「伊勢都彦は風を起こして……東へ去った」 強風が吹くと兎が跳ぶ。…と云います。 私はダイビングをするのですが、海事関係者の言葉です。 「兎跳ぶ」とは、風が強くなってできる多数の白波のことです。 「その場の波の頂部が白く砕けだす現象。兎が跳ぶ等ともいわれる。」 ODCC 海洋開発コンサルタント の用語集の「白波」から http://www.odcc.co.jp/tyousayougoshu/yougoshu3.htm |
[221] √♪ ガリョウビンガの馴れ馴れしィ〜〜ィ 焼尻紋次郎 [Mail] [Url] | 2002/08/18(Sun) 10:15 [Reply] |
謡曲『羽衣』にでるガリョウビンガ(or
カリョウビンガ)はインドの美しい鳥の名前です。 オスメス揃って飛ぶ様子はまさに極楽鳥の名にふさわしいとか。 去年オレ、娘の結婚式でここだけを拾い謡って座をにごした。 双胴船を池に浮かべた貴族が「カルの船」と名前をつけたとか。その「カル」とかカレ、 カラの意味がわからんかった。 やっぱこれ、カリョウビンガに通じると想定してみたい。 すると、ネパール語の カラ(芸術)が浮上する。原音は開音(母音づけ)を削って考え るべきだろうから kar(芸術) となる。芸術……、われわれ現代人が考える芸術とはかなり 隔たりのある概念ならまし。英語に magnificent (すてきな、立派な、堂々とした)という 語彙があるが、KAR とはそういう概念だったのではなかろうか。 語彙の借用ということは、なにも発音だけではなかろう。それに付着した考えの歴史性を もまとめて借用してるのだ。 古代語は発音はそんなにも変化しない。概念の移行のほうがケタタマシイ。それを考える とカルの船とか、カラ(朝鮮・シナの総称)も“芸術周辺概念”へと、その座を得ることが できるのではなかろうか。 「ゴ」は牛であり、神である。オオゴ(大胡)は大神という普通名詞に還元できる。しかし このとき GO のなかに、その語彙の出自(ネパール発)が語られている。 音転現象は、まだよちよち歩きのわれわれには「イヂくる権利はあんまし付与されてない」 と、それこそ“謙譲”せなならんとこやが、関東弁「オッがヤッかンナ(おれがやるからナ)」 には、明瞭に「ラ」が「ン」になっている。赤くなってアタマ掻きかきこれを適用すれば、 カル、カラは「ガン」にならんとも限らないが‥‥、うう〜ん、やっぱ唇さむいなぁ〜〜。 ここは放っておくべし。品行方正をこころがける君子は、やっぱ三十六計“離”ですばい。 甘楽は俎上にのっけるには、時期尚早やなかっちゃろカネ。 *KAR が KARE(枯野) となるのは KAN-RA の -RA と同じネパール語統語現象。 NO: は船。 |
[220] Re[216]: 羊 習志野のてつ [Mail] | 2002/08/17(Sat) 15:00 [Reply] |
> 多胡碑の「胡」から。西域の民を連想。 > 上野国には大胡氏。 大胡(JRの駅名はおおご)は勢多郡で、甘楽郡とは距離的に離れ過ぎでは? また大胡氏が活躍するのは時代も違うのでは?と思っていました。しかし、 [218] の神奈備さんのカキコで、「有り得る」と、見解を変えました。 そこで、羊ならぬ馬の青草 馬が全国的に普及するのは6世紀になってから。発見された馬の骨で、最 も古いのは?宮崎県の西都原(さいとばる)古墳群からで、5世紀中ごろ と思われている。 大化の薄葬令に、墓への副葬品や馬の副葬の禁止が載っているそうです。 つまり7世紀にも行なわれていたことになる。古墳から馬の骨が出土するの は宮崎県から青森県まで約150例。長野県飯田市を中心とする伊那地方から も多く出土しており、伊那地方にも早くから馬がいた事がわかっている。 馬の骨が十六体も出土している。 神戸市立埋蔵文化財センターのHPの勝手抄 「古墳時代を駆けた馬」http://inoues.net/yamataikoku/study/kofunuma.html 馬の埴輪は、長野と群馬に圧倒的に多く出土(〔215〕でカキコした本)。 信濃国から降りてきた上野国の入り口は、甘楽郡です。一ノ宮貫前神社のある地は、 今の行政では富岡市ですが、周りほとんどが甘楽郡に囲まれていて、「市」と云う 単位がでいる以前は、同じ甘楽郡だったのでは?と思えます。 |
[219] イタキソ様 追加 ほか 焼尻紋次郎 [Mail] [Url] | 2002/08/17(Sat) 11:13 [Reply] |
セトホドンから >伊太祁曽 は イ タキ ソ でいいんだか。 >比売許曽、媛社などは ヒメコソ で、これは ヒメ+コソ の、おエメ頂戴しました。ほかのミナシャンとの絡みもあるので、ここにカキコしま す。ギョ−ギがわるいとまた叱られるんやろカネ。 セトホドンは「イ タキ ソ」と並べましたが、これでは関連がハッキリしません。 それをいうなら 「イ・タキ + ソ」 とやりたい。 I・TAKI の内意は柱(その実、柱が“足切られ”からおこった経緯を表明してい る)。これに SO(敷地)がついたのが、イタキソ。 オレ、鳥居の語源をさきに「3(tri)I(座)」と断じました。 これが中核となって“トリイ”という音が決まったという考えには、いまも変わりは ありません。しかし、これが決まると同時に「神の tol(区域)はここからだぞ」とい うニュアンスもすぐに付着したことでしょう。 柱を二本たてて“門”としたのは、陰門の両側のふくらみを形どっていると思いま す。そのワレメちゃん(これが「メ」)の中は XO でなんにもない聖域です。 二本柱になるまえは1本柱だったと思います。 65000年間の永い氷河期にあって、65000年の歴史をもってコングラガってい るいるのは赤道直下の地帯でしょう。 わえら日本人はせいぜい1万年このかたの寄せあつめ偏執(文化)しか持てまへん。 日本語の発音はポリネシアをMOにしています。固有名詞だけを挙げ続けていた、あ のご仁、どうしてるのかなぁ。 ま、どの分野も若げ衆に継いでくれることを希うだけだわサ。 |
[218] 羊群声なく 神奈備 | 2002/08/17(Sat) 09:51 [Reply] |
上野国勢多郡(大胡町河原浜)に大胡神社が鎮座、大己貴命を祀る。由緒を伝える古文書に、 「一筆致啓上侯 御堅固之段珍重 奉存侯然者其地 赤城大明神当城之 鎮守ニ近戸大明神と 奉祭度侯間其元 父子之中此方江 引越神祭奉 頼侯万事家来 (折紙)口上申入侯謹言 常陸介 天正十七年十一月九日 奈良原紀伊守殿」 要は、赤城神社を近戸大明神(大胡神社)として祭りたいとの趣旨。 近戸大明神とはyanaseさんの曰く、ちかつ神社でしょう。ちかつ神は群馬ではもっぱら、大己貴命。 赤城山と大胡神社は20km程度、どうやら、里宮的な、近くに神社を、の意味でしょう。 多胡郡は周辺の甘良郡などから郷を割出して置かれたようで、辛科神社などが鎮座、多胡碑は今の吉井町池字御門(みかど)にあり、羊太夫が通った都かも。辛科神社と大胡神社の直線距離は約30km。 羊は祥の刻印の略字との説もあるようですが、大陸には羊氏があり、秦の乱に泰山に徙居す。とありますがら、それが高句麗、百済と流れて、遂に上野国なでやってきたのかも。住むべき土地を失い、朝廷が上野を与えて、蝦夷への備えと調庸の民としたのかも。 玄松子さん> 羊大夫は、西域あるいはモンゴル辺りからの渡来民 そうかも知れません。羊は祥ではなく、羊のままかも。 習志野のてつさん ご紹介ありがとうございます。 「僕と歩こう 全国50遺跡 考古学の旅」 森浩一 小学館 2002年8月20日付発行 読んでみたいと思います。 |
[217] それぞれの自我に共通して内在する幻影を精神文化として錯覚した 焼尻紋次郎 [Mail] [Url] | 2002/08/16(Fri) 19:26 [Reply] |
魚なんざは母親から735匹ぐらいいっぺんに生まれるワナ。 にんげんはイッチョイッチョひとりづつ生まれてくるので錯覚する。 73世代前の同じ遺伝因子の仲間・&・きょうでぇがすぐとなりにガイコツに皮 かぶって共に生きているんだワサ。 ところで、白樺の木の根元にはえる錯覚キノコ‥‥、ああいうのでひっかかっても 昔のひとは、自分に内在している「神様みたいなもの‥みたいなもの」と、受け取って 内部処理した。 概念の総数は、たいして要らないんですよ。ホーキングさんは、わずかに動かすこと ができる指先で、2000の単語キーを叩いて宇宙物理学を講議してるんだそうな。 このことに就いてオレうそ書いちゃった。 そんなこんなのコングラマリットが現在なんですヨ。21世紀初頭人ね。 mendikant(托鉢修行僧・ペルシャ語)はスーフィー(羊皮の粗末な衣服)を身に纏った。 贅沢しなかったら神と直結できると思ったんやろカネ。 ヒルメムチ・ヒコなど、イタキソ含みで、オレ、けふみごと解明ばい。 イタキソ‥‥永かったナァ〜〜。 解明の場は『ユー・アイ掲示板 2 言語篇 』 http://www.you-i.org/treebbs/0/index.html ですばい。 習ヨッちゃん、ネコっちゅうなぁ気高いばい。写真これあり、神奈備に送ったら 全人類に画像を見せることができると思う。 かんじんの、その写真が4へーべー不思議空間にブラック・ホールちゅうばい。 |
[216] 羊 玄松子 | 2002/08/16(Fri) 08:51 [Reply] |
多胡碑の「胡」から。西域の民を連想。 上野国には大胡氏。 羊といえば、ジンギスカン。 『神道集』に、羊太夫は足が速く、上野国から都まで二時間で走破する健脚。四時間で往復する使い。足の速さは、騎馬の上手と考えれば、騎馬民の末裔。 羊大夫は、西域あるいはモンゴル辺りからの渡来民、じゃだめかな。 |
[215] ご紹介 習志野のてつ [Mail] | 2002/08/16(Fri) 08:02 [Reply] |
[214]
では、話が飛びすぎました。反省。 そこで直近にでた、私が面白いと思った本のご紹介。 「僕と歩こう 全国50遺跡 考古学の旅」 森浩一 小学館 2002年8月20日付発行 P64〜P67 韓国の光州市とその周辺で、次々に前方後円墳が見つかり、古墳の形が日本の 前方後円墳と似ているだけはでなく、濠(ほり)のなかから円筒埴輪が出土し …埴輪作りの技法を丹念に調べたら、なんと小松市の矢田野(やだの)エジリ 古墳…のものとピタリと合うことがわかってきた。 石川県小松市の矢田野エジリ遺跡の古墳からは、二体の騎乗の人物埴輪がでた。 大人の男が乗馬している姿の埴輪は全国でここだけ。 小松市の額見町(ぬかみまち)遺跡は、7、8世紀の集落跡だが、ここで発掘 された竪穴住居には、オンドルをつけた家が七軒も見つかっていて、面白いこ とに渡来の二世、三世となると、オンドルをやめ、普通の家に変わっている。 「九州の唐津(からつ)は、韓(から)や唐(から)との津(つ=貿易港)で、 石川県小松(こまつ)市は、高麗(こま)との津だったから高麗津(こまつ) と名付けたのではないか…」 気比の話や、継体天皇の力の裏付けのような気がします。 他の話題も示唆に富み、とても面白かったです。 |
[214] Re:神奈備[3246] 猫が好き 習志野のてつ [Mail] | 2002/08/13(Tue) 10:48 [Reply] |
犬派か猫派か?あなたはどちら派? スタジオジブリの最新作、「猫の恩返し」は面白くなかった。 しかし「バロン」はやけにかっこよかった。 丹波哲郎の声の「猫の王様」もそれなりにいい。 非常に存在感があった。 存在か非存在か、生か死か? 「シュレディンガーの猫」はお好き? 八幡神は、宇佐→岩清水→鎌倉と勧請された。 神を勧請・分祭祀しても、どちらにも同じ存在たりうる。 会社組織なら、本社と支社になるのに。 これが最新の物理学で説明可能になりそう。 キリスト教の神父さんが、天文学者になって、宇宙の始まりを研究している。 「ビックバン」の始まりは、神が「光あれ」といったからと証明する為に。 |
[213] 御前峰 神奈備 | 2002/08/11(Sun) 09:32 [Reply] |
12,13日と加賀の白山登山と奥宮参拝に行きます。御前峰です。 猛暑で最近あまり動いていないので、ゆっくりペースで生きたいと思っております。 翠が池の水も飲んでみたいですね。 帰路は白峰温泉。 |
[212] Re[209]: 高麗 神奈備 | 2002/08/09(Fri) 09:06 [Reply] |
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富山の高麗神社は、五十猛命でしたね。高麗を単に、朝鮮半島の意味で使っているのかもしれません。 『筑前国風土記逸文』怡土の郡 ここに怡土の県主らの祖五十跡手は、仲哀天皇に対し、「高麗の国の意呂山(ウルサン)に天から降ってきた日桙の末裔」と名乗っています。 天から降ってきた日桙とは天日矛でしょうから、本人は新羅の王子と言っており、ともに半島全域の支配をしていますので、おっしゃる通りかも知れませんね。 大阪には高麗橋や新羅橋(今は心斎橋)など、痕跡が目立ちますが、これらはだいぶ後生のことのようです。平安時代にはまだ海の中でした。小生の住処などウツボが住んでいたとか。 |
[211] 気比、紀伊、丹生 神奈備 | 2002/08/05(Mon) 20:43 [Reply] |
『紀伊續風土記巻』に、丹生都比売神社の由緒について詳細に記しています。 その中に風土記の選者は否定的ですが、以下の記述があります。 三宮(気比大神)四宮(厳嶋大神)まても皆丹生明神の御子神にして四坐相連なりし神といふ(最信用しかたし)。 三宮(気比大神)四宮(厳嶋大神)は鎌倉時代に高野山の行勝上人が神社の總神主と共に同し霊夢を受け尼将軍に請ひて承元二年(1208年)創建する所、とある勧請社のようです。 では、何故、この二神が勧請されてきたのかですが、ともに西海北陸境異の神であるとの説明があります。 しかし西海なら大三島神社も重要な神ですし、山陰東海も境異と言えましょう。 気比大神は宇佐八幡大神と同体とは『越前国風土記逸文』にあり、応神天皇の事としています。さすれば、丹生都比売とは神功皇后と同体となります。 また厳嶋大神を御子神と言える神とは、素盞嗚尊か天照大神でしょう。女神として考えると、丹生都比売神は天照大神と同体となり、一部の地元の伝承と符合して来ます。 鎌倉時代のこととは言え、神仏への畏れ敬いは現在の想像以上でしょうし、神々についての多くの伝承が残っていても不思議ではありません。 日の神、日の女神、皇祖神、神功皇后も天照大神も同一視されていたのかも。かたや五十猛命が渡韓に助け、かたや素盞嗚尊と姉弟とされる時を越えた神々です。また神功皇后は武内宿禰にめっぽう世話になっています。 神功皇后の渡韓を助けた神としては住吉大神、五十猛命、大山祇神、など枚挙にいとまはありませんが、それらの集合体が武内宿禰かも。 出典は忘れましたが、大化のクーデターが失敗に終わっていたら、武内宿禰が高皇産靈神の地位を獲得していたのではないか、と読んだ記憶があります。遠い祖霊とは子孫神の集合体として構想されていったとも言えそうです。 |
[210] Re[207][193][191][190][189][188] : 南毘都麻の賀古 神奈備 | 2002/08/04(Sun) 23:16 [Reply] |
品太天皇が巡幸中、丘の形が「鹿の児」に似ているから鹿児と名付けたと『風土記』にはありますが、『日本書紀』とはどんぐり的付会でしょう。金属精錬好きの方なら迷わずに、香具や軽と同じく銅のことで、鉄の種族の天孫族に征服されて、鹿児の地と呼ばれたとの伝承が、『風土記』や『日本書紀』に採録されたのかも知れません。 南毘都麻の南毘は神奈備の奈備で、隠ると言うような意味があるのかも。都麻は妻かも知れませんね。妻になるべく隠れたのそうですから、 景行天皇が別嬢に会うべく摂津の高瀬の渡しを通った際、紀の国の小玉なる船頭に一度は断られています。何故、この物語があるのか、別途の課題です。この別嬢の母親は吉備比売です。 豆石さん>加古川以西(姫路=中播磨も、西播磨も)は、古代・吉備王国だった??? 十分あり得ることでしょうね。吉備比売はなにせ国境を決める人の奥さんですから。 上で紀の国を持ち出したのは、賀古郡に城宮(きみや)と言う所があり、加古川市木村が比定地だそうで、ここに泊神社が鎮座、祭神は天照大神、國懸大神、少彦名大神となっています。この祭神の國懸大神とは紀の国一宮の日前国懸神宮の祭神で、紀氏の祖神とか天日槍とかひょっとしたら五十猛命かもと思っています。播磨の中枢部かひょっとしたら吉備だった所に國懸大神が祭られたと言うのは、興味津々のところです。 |
[209] 高麗 玄松子 | 2002/08/02(Fri) 19:28 [Reply] |
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『平成祭データ』では、埼玉県日高市の高麗王若光を祭神とする高麗神社しか、高麗と武内宿禰とのつながりはでてきませんね。高良とは多いようです。ついでに黒男(くろどん、くろお)は高良・高麗の訛かも。 高良と書いて「こうらい」と読む社が幾つかあるようです。その場合、祭神は武内宿禰ですね。 富山の高麗神社は、五十猛命でしたね。高麗を単に、朝鮮半島の意味で使っているのかもしれません。 |
[208] Re[206][205]:疋野神社と波比岐神 神奈備 | 2002/08/02(Fri) 08:17 [Reply] |
> 平安期の日本から見れば、新羅は滅亡していく古い国。高麗は新興・上り調子の国。 渡来人の影響が相当大きいこの国の古代を語るのには半島の国々の盛衰にはもっと注意を払うべきとの有益なご指摘です。 みなさんの御参考に供するべき略年表を(金達寿著『日本の中の挑戦文化』から 列島・・・・・・・・・半島・・・・・・・・・・・・・・・ 弥生 −200・・・・楽浪郡・帯方郡・・馬韓・弁韓・辰韓 ・・・・・・・・・・・・・・・高句麗・・百済・加耶・新羅 古墳・・300・・・・・・・・高句麗・・百済・加耶・新羅 ・・・・562・・・・・・・・高句麗・・・百済・・新羅・ ・・・・668・・・・・・・・・・・統一新羅・・・・・・ 平安・・935・・・・・・・・・・・高・・麗・・・・・・ > 五十猛命は、新羅の神。 厳密には、主に新羅からの渡来人が祀った神の一で、新羅国魂であったかどうかは疑問。 『日本書紀』に、素盞嗚尊は、その子五十猛命をひきいて、新羅の国に降りられ・・ とあるので、新羅の神とされるのですが、この新羅とは、いつ頃のどこを表すのかです。 1.『記紀』編纂時は統一新羅の時代、半島全体を指す。 2.いやいやもっと古い三国時代の新羅を言っている。 3.さらに古い縄文の頃だが、地域名として、記憶に残る三国時代の新羅を言う。 などなどを想定することができますね。昨秋、「新羅の国に降りられ、ソシモリのところにおいでになった」のソシモリ探しツアーは、主に百済の地域でした。統一新羅で考えていたことになります。 > 武内宿禰は、各地の高麗神社に祀られている(のを見た記憶がある)。 実際に各地を歩かれた玄松子さんならではの言葉です。『平成祭データ』では、埼玉県日高市の高麗王若光を祭神とする高麗神社しか、高麗と武内宿禰とのつながりはでてきませんね。高良とは多いようです。ついでに黒男(くろどん、くろお)は高良・高麗の訛かも。 武雄神社の「武」は「黒」はら来たのか、「猛」からか、五十猛命と武内宿禰については、肥前国と紀の国とでつながっているのです。 肥の国(肥前国)に勇猛山なる山があり、東からは五十猛命の妻山神社、北からは武内宿禰の武雄神社の神奈備山とできるかもしれません。 紀の国 武内宿禰誕生の地とか井戸と伊太祁曽神社とは目と鼻の先です。 紀の国、肥の国のグループ、気比、吉備、丹生のグループ、期せずして紀の国がキイかも。 |
[207] Re[193][191][190][189][188] : かこ 豆石 煌 | 2002/08/01(Thu) 17:57 [Reply] |
> 加古川の加古の原意を知りませんが、また『水夫』の読み(カコ)も、どうしてこう読むのか判りません。つながる可能性はあるのでしょうか? ??? 丸木舟の時代−−−−−−−−専属の−−漕ぎ手は居なかった。−−縄文時代? 準構造船(丸木舟に側壁を付けた)−−−客と漕ぎ手が分化。−−−弥生時代? 日向の水主(かこ?)たちが、鹿の皮をかぶり鹿子水門に入ったので、 そこを名づけて鹿子水門(かこのみなと)と呼ぶ。(応神紀・13年) 大吉備津日子命と若建吉備津日子命の二柱、相ひ副えて、針間の氷河ノ前に 忌甕(いはひべ?)をすえて、針間を道の口として、もって吉備国を 言向け和せり。(孝霊記・古事記) −−−−−氷河(ひかわ)=加古川?!・氷上郡は加古川水系。 −−−−−加古川以西(姫路=中播磨も、西播磨も)は、古代・吉備王国だった??? 青草!!。 |
[206] Re[205]:神奈備[3191] 疋野神社と波比岐神2 吉備の逆・疋は肥国と紀国か 玄松子 | 2002/08/01(Thu) 08:48 [Reply] |
五十猛命は、新羅の神。 武内宿禰は、高良大社祭神とされていた時期もあり、各地の高麗神社に祀られている(のを見た記憶がある)。 新羅と高麗。7世紀に半島を統一した新羅は10世紀に滅亡し、その後、高麗が成立。 平安期の日本から見れば、新羅は滅亡していく古い国。高麗は新興・上り調子の国。 韓国の歴史はまったく知らないので、間違っていたら申し訳ないですが、 新羅と高麗の扱いは、平安期には変化点にあった微妙な時代のようですね。 |