青草談話室ログ平十五年 六月
2003.1
多に蛍火の光く神、及び蠅声なす邪しき神有り。湯嶽神・菊嶽神の集い。
素人のひらめき、力はないが騒がしくなかなか従わない、一寸の草木にもある五分の魂の発露を!
 青草談話室

[74] 諸神之ヒレ  習志野のてつ [Mail] 2003/07/01(Tue) 10:46 [Reply]
「諸神之ヒレ」とは
「渋沢敬三が出した本に『日本魚名の研究』があり、その中で、日本料理の流派で四条流では、
鯉の背鰭(セビレ)で、前から二番目の鰭のことを『諸神之ヒレ』と言う。」(部分抄)
河出文庫「日本語の起源を探る」2003年5月・P38金田一春彦の部分に載ってました。
同じく最初のヒレは「ヒヤコノヒレ」、三番目のヒレは「諸人之ヒレ」と言うそうです。
この諸神に先んじる「ヒヤコ」ってな〜んだろ? (青草が体質になじむテツです)

ユアン様
> 夏越の儀礼、志賀海神社では神事のとき、
> 小さな茅萱の輪を胸の前で三回まわして邪気を払います。
大きな茅萱の輪をくぐるよりも、こちらの方が、風土記に近そうですね。
「カタシロ」だとすると、祓い終わったあとは海に流すのでしょうか?

[73] ややこしくてすいません  ユアン [Mail] 2003/06/30(Mon) 22:56 [Reply]
>メルアドが同じなので、こちらでは別人格でカキコされるのかと思っていました。

思いっきり同一人物のつもりで書き込んでおりました(笑)
でも青草の方ではお気楽にハナシができるので人格も
変わってたかも?(笑)

夏越の儀礼、志賀海神社では神事のとき、
小さな茅萱の輪を胸の前で三回まわして邪気を払います。
この場合、茅萱は純粋にカタシロですね。

[72] Re[71]: ユアン様  習志野のてつ [Mail] 2003/06/30(Mon) 10:58 [Reply]
> 左回りとは死の儀礼。右回りは生の儀礼。死と再生を繰り返して生れ変わり、…
> 禊の効用を果たすのではないでしょうか
なるほど、ナットク!判りました。ありがとう。
生きている状態から、再度生きるには、死を通過するんでしょうね。
大国主命も、再生で(宝物のせいもあるけど)力強い八千矛神に生れ変われたわけですから。

 メルアドが同じなので、こちらでは別人格でカキコされるのかと思っていました。

[71] 夏越について  ヨリコ [Mail] 2003/06/30(Mon) 01:34 [Reply]
>茅の輪をくぐるのに、「入って左周り、又入って今度は右周り」と、8の字を横に
>倒したような回り方をする。まあどこの解説でもそう書いてありますが、これって
>一体いつ頃からの風習なのだろう?
起源は分かりませんが、左回りと右回りの説明なら
つけられそうです。
左回りとは死の儀礼。右回りは生の儀礼。
死と再生を繰り返して生れ変わり、
それが禊の効用を果たすのではないでしょうか。

それと申し遅れましたが、ワタクシ、ユアンでございます。
青草がリニューアルしたのでうっかりハンドル書き間違えました。
以降、ユアンでゆきます。

[70] 亀形石  すっぽん 2003/06/29(Sun) 23:43 [Reply]
青人草のみなさんよろしく!

亀の話で盛り上がっていますが、明日香の亀形石のモデルはスッポンだそうですね。
数日前の日本経済新聞記事に、足の指の数が亀は5本でスッポンは4本という解説がのっていました。

[69] 夏越  習志野のてつ [Mail] 2003/06/29(Sun) 23:24 [Reply]
旧暦では、6月で、夏は終り。はや半年過ぎてしまいますね。夏越と云えば茅の輪。
茅の輪をくぐるのに、「入って左周り、又入って今度は右周り」と、8の字を横に
倒したような回り方をする。まあどこの解説でもそう書いてありますが、これって
一体いつ頃からの風習なのだろう?
備後風土記の武塔の神は、目印として、茅の輪を腰に帯びるように云っただけなのに
いつの間に、人が通れる大きさにまで成長した。これぞ茅の輪の生命力!

>「生きた缶詰」として、捕まえられまくっていた  
イギリス海軍の小説では、腐り始めたコンビーフが、よく食べられています。
そんな時ネズミは「フレッシュな肉」。けっこう珍重して食べていたようです。

南の方では、大きなシャコガイを見つけると、非常時用に獲って来て、島の近くに
置くことが有ります。海が荒れて漁にいけない日が続くと、そのシャコガイたべる。
これは「生きた缶詰」どころか「中味が増える缶詰」です。

猿田彦が溺れ死んだ時挟んだのは、こうして身近に置いといたシャコガイです。
そのことを忘れていた為、巨大化したシャコガイでした。(←青草をすぎ嘘草です)

[68]  ヨリコ [Mail] 2003/06/29(Sun) 22:02 [Reply]
>これなんかはどうしたって「罪滅ぼし」ではなく、「欲望」のなせる業ですね(;w
思いっきり亀的には迷惑じゃナイですか!(笑)
亀とか鶴とか、いずれも人間に助けられて
恩返しをしますけど、その二番煎じを
狙ってるんでしょうかね。
昔話では二番煎じをする人は例外なく痛い目みますけど。

>「生きた缶詰」として、捕まえられまくっていたようです。
鍋と蓋いらずですしね(笑)

[67] Re[66][65]ヨリコ様 てつ様  日雲 2003/06/29(Sun) 13:48 [Reply]
ヨリコ様>生き物を放してやるのは放生会みたいなものじゃナイですか?
関西の方では、『カメを捕まえて甲羅に願い事を彫って放すと、願いが叶う』って風習が、
割と最近まで現役で残ってる地域があったようです。
これなんかはどうしたって「罪滅ぼし」ではなく、「欲望」のなせる業ですね(;w
どこぞの神社で、形代のカメに願いを書いて――っていうのがあるそうですね。
関東の「クサガメに酒飲まして」、っていうのとはまた別だろうとは思いますが。

てつ様>網とかシカケに入ってきても、逃がしたのでしょうか?
ディティールは解りませんが、大人がやってたんなら、そうじゃないでしょうか。
子供なら、面白がって積極的にカメを捕まえて、無理から酒飲まして、
「ああ、イイことした!」
って遊ぶかも知れませんが、大の大人がカメを捕まえる状況となると……
やっぱり、仕掛けに入ってたとか、そういうことでもないと……?

> よく神池に亀が放して有りますが、長生きでおめでたいせいですかね。
いや、あれは大部分がただの飼育放棄かと思います。少なくとも、今のそれは。
小さい頃に可愛くて買ったが、でかくなって持て余して近所の池に捨てた、という。
たまたま近所に池があったのが、寺社だけだった、ってことで。
ああいうところにいるのは、今はほとんどがアカミミガメ(緑ガメ)の筈です。
京都のどっかの寺では、昔から池にイシガメとかを飼っていたらしいのですが、
そこに緑ガメがドカドカ捨てられるようになって、
元からいたイシガメ達がおびやかされるようになったため(緑ガメの方がずっと強い)、
定期的に緑ガメのみ捕まえて、『処分』しているようですね。
寺が殺生していいのかという気もしますが、カメ捨てる奴の方が悪いですわね、それは。

> 「カミツキガメ」じゃないけど、スッポンは池に放っていません。これ旨いんです。
仕掛けにかかった、でっかいカミツキガメを食った人達もいましたけども……(;w
爬虫類飼育雑誌で、チョコエッグの作者が食べてました。美味かったそうです。

> 亀の甲羅は亀占に使うとして、肉はどうしたんでしょう?
やっぱり食べた……のでは? と思いますが。

>普通の亀って、まずくて食べられないのでは?海亀だってマズイッす。
いや、亀は食われまくってます。
中国界隈では、現在かなりの種類のカメが絶滅の危機に瀕してますが、
そのほとんどが「人間に食い尽くされた」んだそうです。
今でも、市場には食用のカメがいっぱい売ってますし。食用のための密輸まで行われてるとのこと。
ガラパゴスゾウガメだったかな? が、絶滅の危機に瀕したのも、人間に食われたからだそうです。
生きたまま捕まえて、船に乗せるんですって。そうしたら、いつでも新鮮な肉が食えると。
「生きた缶詰」として、捕まえられまくっていたようです。

因みに日本では、弥生時代頃は関西以西からしかカメを食べた跡が出ないそうですね。
大陸から渡ってきた人達が、亀食文化を持ち込んだのではないでしょうか。
まあ、やっぱり食べていたのは、ほとんどがすっぽんだったようですが。
クサガメやイシガメじゃ、食べるとこ少なそうですもんね。

――あ、でも、サンカの人達が一部地域で「亀つり」って呼ばれていたそうで、
渓流でイシガメを捕まえては近所の山村で売ってたとか聞きますが、
あのイシガメは食ってたんじゃないかと思います。
クサガメとイシガメじゃ、イシガメの方が食べられそうですね。
臭亀ですからね……肉も臭そうな気がしますです。
私はスッポンしか食べたことありませんが。
って、何か長くなってしまいましたね。すみません。

[66] Re[65][64]  習志野のてつ [Mail] 2003/06/29(Sun) 09:53 [Reply]
日雲様 > クサガメとかを捕まえても酒飲まして放す
初めて聞きます。川魚を食べさせる店があるので、チャンスがあれば聞いてみます。
昔霞ヶ浦が大きくて海に繋がっていた時代、海亀と川亀(こんな表現は無いかな?)
の区別は無かったのでは、と思いますが。網とかシカケに入ってきても、逃がした
のでしょうか?

ヨリコ様>> 印旛沼のカミツキガメでチャレンジする猛者は現れんものでしょうかねえ 
    >わはは(笑)ツボ入りました、それ。
よく神池に亀が放して有りますが、長生きでおめでたいせいですかね。
「カミツキガメ」じゃないけど、スッポンは池に放っていません。これ旨いんです。
かみついたら雷が鳴るまで離さないとか云いますが、旨ければペロリです。

亀の甲羅は亀占に使うとして、肉はどうしたんでしょう?
普通の亀って、まずくて食べられないのでは?海亀だってマズイッす。
太占は鹿の肩甲骨使いますが、残りの鹿肉は、間違いなく食べたと思います。

カラスがのさばるのも、その肉が臭くてたべられないせいだ、と微かに記憶してます。

[65] Re[64][63]: てつ様  ヨリコ [Mail] 2003/06/29(Sun) 00:33 [Reply]
> 印旛沼のカミツキガメでチャレンジする猛者は現れんものでしょうかねえ。

わはは(笑)ツボ入りました、それ。
生き物を放してやるのは放生会みたいなものじゃナイですか?
それなら海でも陸でも同様に行われると思います。

[64] Re[63]: てつ様  日雲 2003/06/28(Sat) 00:42 [Reply]
千葉県の方では、クサガメとかを捕まえても酒飲まして放す、って何かで読みましたが、
そういった話は聞いたことないですか?
元々海亀系の風習だったのが、妙見信仰の亀とからんで、内陸でもそうなったのかな?
なんて思ってたのですが。

印旛沼のカミツキガメでチャレンジする猛者は現れんものでしょうかねえ。

[63] 無題  習志野のてつ 2003/06/27(Fri) 10:56 [Reply]
亀に酒を飲ませて返す話、和歌山出身の、故中上健次さんの小説でよんだことがあります。
小笠原では、亀肉の刺身、亀の卵をたべさせます。さらに南方、ミクロネシアに行くと、
裏返しにして、甲羅を鍋の代わりに刻んだ肉を食べます。味は?もう食べなくていい、程度。
亀が卵を産む時、本当に涙を流します。あれを見た後は、食べたくないです。
南に行くと、やはり(魚類は除く)動物性淡白質が、乏しいせいかもしれない。

亀を酒を飲ませて逃がす。あるいは
>> お山に登らせて頂く時、小さなおにぎりを一個余分に持っていきます。
といった余裕のある暮らしが、長続きしてほしいです。
北朝鮮では、そんなこと言ってられないだろうから。
「はも鍋食べたし 大阪遠し 亀の代わりに 酒呑もう」

[62] Re[61]: 泥酔エビス  KAG 2003/06/25(Wed) 23:44 [Reply]
> そんなに酔っ払って海亀は無事なのか!とツッコミたい!(笑)

子供の頃、爺さん達に、そのようにツッコんだら『亀が涙を出して喜ぶんだ』と言ってました。そりゃ苦しんどるんちゃうん???

[61] 泥酔エビス  ヨリコ [Mail] 2003/06/25(Wed) 21:07 [Reply]
>日本の漁村でも『オット!えべっさん』とか言って、お猪口を傾けて酒を少し垂らす習いを見たことがあります。

KAGさん、よろしくです☆
その風習は私も地元の漁師さんから聞いたことありますよ。
あと海亀とかが網に掛かると酒を一升飲ませてから
再び海に戻すとか…。
海亀はおえべっさまの御使いだから…とかイイますけど、
そんなに酔っ払って海亀は無事なのか!とツッコミたい!(笑)

>宗教だなんて混同されたくないですね。

同感ですねえ。日本の年中行事はどれも、元は宗教だった物が
日常生活に馴染んで風習と化したような物ばかりですし。


[60] Re[55]: お山に入る時には・・・  KAG 2003/06/25(Wed) 18:05 [Reply]
ひふみさん、お久です〜。ヨリコさん、よろしく〜。
 私も日帰り登山のときは、コンビニでお握りを買うのですが、必ず1個余分に買います。また、カロリーメイトか、冬場でしたら棒状のピーナッツキャラメル(スニッカーズ?とかなんとか)など余分に入れています。もちろんペットボトルのお茶も1本余分に。やむを得ず1夜を明かすことになっても慌てないための準備です。でも山中で、パリパリの巻き立て海苔のおにぎりを食べられるなんて贅沢になりましたね。予備のお握りは、さいわい今まで帰りの電車の中でパクついています。(^^)

 山でお酒を飲むときに、指の先につけ四方に飛ばすのはしますよ〜。文豪・開高建がモンゴルの釣り紀行TVで、やっていたのを見ていらい真似ています。大地の神々?に感謝をあらわすモンゴルの風習らしいのですが、なんとなく粋でかっこいいから。
 日本の漁村でも『オット!えべっさん』とか言って、お猪口を傾けて酒を少し垂らす習いを見たことがあります。信仰云々以前に、心の余裕ですね。山ノ神に捧げる小さなおにぎりにしても、宗教だなんて混同されたくないですね。

 ヒダル神ですが、南九州では腹が減ったことを『ひだいか〜』と言ってました。『ひだるい=ひもじい』、ハングリーってことです。
 ヒダル神にも負けず劣らず『ビールとギョーザ!』と唱えて下山する私は餓鬼以上の餓鬼か?どなたか施餓鬼供養を・・・ビールと餃子で。<(__)>

[59] こ〜いお話  神奈備 2003/06/25(Wed) 08:22 [Reply]
はも鍋を囲み、こ〜いお話をする会

 下記の予定で開催いたします。ゆかりの方々のご参加を期待しております。
 ご参加いただける方は、7月2日までに瀬藤までメールをお願いいたします。
 目下、与乃登さんとK氏、神奈備の三名。

 7月4日(金) 午後18時30分〜
 場所 おきん  map ↓
http://www.kamnavi.net/link/okin.htm
 予算 3,000円+飲み代  

[58] Re[57][55]: お山に入る時には・・・  神奈備 2003/06/25(Wed) 08:21 [Reply]
餓鬼(ヒダル)にとりつかれるのは南方熊楠翁によれば「急に脳貧血と精神茫然」と形容されているように、どうやら酸欠みたいですね。熊楠翁は仰向けに倒れて背中のリュックがクッションになったようなことを書いていましたね。

ガキから逃れるには、所で手のひらに「米」と云う字を書いてなめるとか、木の葉を口に含むとか、何かを食べるとか、要は体を動かして酸素を摂取するように持っていけばいいようですね。「飯」の字には、ほのぼのとした親の愛情を感じますね。

[57] Re[55]: お山に入る時には・・・  ヨリコ [Mail] 2003/06/25(Wed) 01:13 [Reply]
> お山に登らせて頂く時、小さなおにぎりを一個余分に持っていきます。

どうもお初です。それはヨリコもきいたことがありました。
だから山に登るヒトは必ずわずかばかりの食料を残しておく
そうですね。
もし食べ物がなかったら、手の平に飯と書いてのめばよいとも…
当時小学生だったわたしはひだるがみの恐ろしさについ
当時習ってもない「飯」という漢字をいつでも書けるよう
訓練した物でした(笑)

[55] お山に入る時には・・・  ひふみ 2003/06/24(Tue) 00:03 [Reply]
お山に登らせて頂く時、小さなおにぎりを一個余分に持っていきます。
それを、登山口の邪魔にならないような所に「山の神様、これから登らせて頂きます。」と、お供えします。

又、山でお弁当を食べる時は、自分のお弁当から取ったご飯粒やら水筒の水やお茶などを、「山の神様に」と四方の空に向かい、指で宙に飛ばして捧げます。

ひだる神とは、山で行き倒れになった方達の事だとか。
山の神様を介して、ひだる神さん達にもお供えしているのかもしれませんね。

古老の山伏さんに聞いた話でした。

[54] Re[53][52]: 身を眠らそうとする場所  ZOU 2003/06/21(Sat) 01:42 [Reply]
>たぶん、ガス等の関係なのでしょうね。尾根筋は良くとも、谷筋の怖さです。

妖怪「ひだる神」ですね〜。大台にもいるそうで。
http://ntv.naver.co.jp/go.php?url=http%3A%2F%2Fwww.ntv.co.jp%2FFERC%2Fresearch%2F19990704%2Fr036.html
山登りは一人では危険だそうですね。

[53] Re[52]: 身を眠らそうとする場所  KAG 2003/06/20(Fri) 21:03 [Reply]
 ときとして、山中では、『身震いをするような畏怖の心』を覚える場所なのに、だんだんと『うっとりと引きつけられる魅惑の心』が湧いてきて、(奇妙な)安らぎに満ちて『もうエエやん、ここでゆっくり横になろう、とても気持ち良さそうやん。』と錯覚させる場所があったりします。そんな場所こそ、たいへん恐ろしい所なのですが・・・、気を引き締めて、身を奮い立たせて、大急ぎで逃げてきたものでした。たぶん、ガス等の関係なのでしょうね。尾根筋は良くとも、谷筋の怖さです。
 涅槃への誘いから逃げる呪文は『ビールと餃子!ビールと餃子!』でした。俗心がこの世に引きとめる太い命綱になったりします。マ、これで無事帰還できたからよかったのですが、『ビ〜ルと〜ギョ〜ザ〜』なんてイイながら化けて出る幽霊になると情けないですね。『裏、飯し屋〜』ほどの怖さもありません。
 飛鳥川上坐宇須多伎比売命神社の場合・・・というか、私にはまだ飛鳥そのものが怖いイメージです。飛鳥内でどこかカラッと天まで気が抜けている処をご紹介下さい。

[52] 二心ある場所  神奈備 2003/06/20(Fri) 20:38 [Reply]
 聖なるもの、から受ける感覚は、身震いをするような畏怖の心、と、うっとりと引きつけられる魅惑の心があるとか。
 飛鳥川上坐宇須多伎比売命神社の場合には畏怖の心でした。

[51] 心ある場所  KAG 2003/06/20(Fri) 01:29 [Reply]
 沖縄でウタキと呼ばれている場所、『御嶽』という漢字表記でほぼその通りに本州でも通じるものと思います。
 沖縄の言葉を漢字表記することに抵抗を持つ方々の多いようですが、その言葉、言葉により適宜考察していくしかないようにも思っています(唐手の型名なんてジェンジェンです)。交易などにより入ってきた言葉は別にして、根幹は古い大和言葉から分岐して方言化していった印象を受けました。マ、門外漢でド素人の旅行者が感じた印象にしか過ぎませんけどね。

 私が訪ねたのは、首里と斎場御嶽と久高島だけなのですが、それらの地の御嶽は、それほど大きな敷地規模のものではありませんでした。そして、御嶽の周囲あるいは後方に、○○ヤマとか○○モリとか呼ばれる叢林があったり、それら全部ひっくるめて御嶽といったりしていました。(実際には山でなく平地でもヤマ、森でなくて林でもモリです。)
 ちょうど、本州の神社の禁足地や本殿地(建築物としての本殿がない所)のような処です。ヒモロギとしての樹木や磐が在る場合もあれば、見当たらない場合もあります。それでも、その空間、つまり神奈備としての空間を『御嶽』と呼び習わしているといえば雰囲気が伝わるでしょうか?日常の俗な空間から少し離れた聖なる場所でした。(実際には、家々の近く村を見守るが如くにあるのですが)先ほど記したように、タケ(嶽)・ヤマ(山)・モリ(杜)など、本土の古い信仰形態に十分つながるタームですね。

 久高島では、沖縄本島と比べてもさらに方言の変化があり、カミ→ハミ、タキ→ラキ、モリ→ムイなどと訛るそうです。実際、各地の御嶽は『○○タキ』という個々の名称があり、久高島の場合では『○○ラキ』となります。
 御嶽は本質的には、遠い遠い昔にその村落を入植開拓した祖先の生活跡(住居跡)や、墓跡につながるそうです。つまり東方遥か海上の理想郷ニライカナイの神々というより、直接の先祖神・氏神ということです。(マ、先祖神自身もニライカナイと御嶽を行き来しているそうなんですが)

 沖縄地理学の父と尊敬されている仲松弥秀先生のご著書によると、このウタキのタキという言葉には、『嶽』という神奈備的場所を意味する言葉だけでなく、ダキつまり『抱く』という意味も内包されているそうです。お婆さんが孫娘を抱き被い庇護しているイメージです。先祖神が子孫の家々を守護する形をとることにより村落が形成されているそうです。
 これは、単に言葉の語呂を合わせた言語学的な考察ではなく、習俗信仰の民俗的側面や、村落形成の地理学的側面から導かれたということを記しておきます。
 実際、久高島でも大里(ウプラトゥ)家という総本家(元家:ムトゥヤー、根家:ニーヤー)が村の一番北にあり、そこから派生した分家が前面の南側に代々形成されていった様子が、短期間の旅行者にすらよく判るような配置になっています。その大里家の裏にはイザイヤマという叢林が広がっていました。・・・『抱き』、現地に佇むとなるほどと、心に響いてきます(机上の知識のみで導かれた考察ではないのですね)。

 ということで、(建築物としての)拝殿はあるが本殿はない、という本州の古い神社に共通する御嶽の形態なのですが、拝殿に相当する建物の前面に『神アサギ』という、広場あるいはアズマヤのような壁のない柱と屋根だけの空間があります。久高島ではハンアシャギと訛ってますけど。ここは、いろいろな祭祀や儀式を行う大切な場所となります。そういえば本州の神社の境内にも、笹竹と縄で結界をして丸石を敷き詰めた儀式用の空間が在ったりしますね。こうしてみると『ウタキ』、『アサギ』などなど、面白そうです。
 沖縄の信仰習俗を見るとき『お婆さんが孫娘を抱き被い庇護しているイメージ』というのは重要な気がします。

 帰神してから、飛鳥川上坐宇多須岐比売命神社へ参拝したのは、なんとなく宇多須岐が気になったからです。実際、もし建築物が無かったら、ウタキな雰囲気の社でしたネ。

[51] 心ある場所  KAG 2003/06/20(Fri) 01:29 [Reply]
 沖縄でウタキと呼ばれている場所、『御嶽』という漢字表記でほぼその通りに本州でも通じるものと思います。
 沖縄の言葉を漢字表記することに抵抗を持つ方々の多いようですが、その言葉、言葉により適宜考察していくしかないようにも思っています(唐手の型名なんてジェンジェンです)。交易などにより入ってきた言葉は別にして、根幹は古い大和言葉から分岐して方言化していった印象を受けました。マ、門外漢でド素人の旅行者が感じた印象にしか過ぎませんけどね。

 私が訪ねたのは、首里と斎場御嶽と久高島だけなのですが、それらの地の御嶽は、それほど大きな敷地規模のものではありませんでした。そして、御嶽の周囲あるいは後方に、○○ヤマとか○○モリとか呼ばれる叢林があったり、それら全部ひっくるめて御嶽といったりしていました。(実際には山でなく平地でもヤマ、森でなくて林でもモリです。)
 ちょうど、本州の神社の禁足地や本殿地(建築物としての本殿がない所)のような処です。ヒモロギとしての樹木や磐が在る場合もあれば、見当たらない場合もあります。それでも、その空間、つまり神奈備としての空間を『御嶽』と呼び習わしているといえば雰囲気が伝わるでしょうか?日常の俗な空間から少し離れた聖なる場所でした。(実際には、家々の近く村を見守るが如くにあるのですが)先ほど記したように、タケ(嶽)・ヤマ(山)・モリ(杜)など、本土の古い信仰形態に十分つながるタームですね。

 久高島では、沖縄本島と比べてもさらに方言の変化があり、カミ→ハミ、タキ→ラキ、モリ→ムイなどと訛るそうです。実際、各地の御嶽は『○○タキ』という個々の名称があり、久高島の場合では『○○ラキ』となります。
 御嶽は本質的には、遠い遠い昔にその村落を入植開拓した祖先の生活跡(住居跡)や、墓跡につながるそうです。つまり東方遥か海上の理想郷ニライカナイの神々というより、直接の先祖神・氏神ということです。(マ、先祖神自身もニライカナイと御嶽を行き来しているそうなんですが)

 沖縄地理学の父と尊敬されている仲松弥秀先生のご著書によると、このウタキのタキという言葉には、『嶽』という神奈備的場所を意味する言葉だけでなく、ダキつまり『抱く』という意味も内包されているそうです。お婆さんが孫娘を抱き被い庇護しているイメージです。先祖神が子孫の家々を守護する形をとることにより村落が形成されているそうです。
 これは、単に言葉の語呂を合わせた言語学的な考察ではなく、習俗信仰の民俗的側面や、村落形成の地理学的側面から導かれたということを記しておきます。
 実際、久高島でも大里(ウプラトゥ)家という総本家(元家:ムトゥヤー、根家:ニーヤー)が村の一番北にあり、そこから派生した分家が前面の南側に代々形成されていった様子が、短期間の旅行者にすらよく判るような配置になっています。その大里家の裏にはイザイヤマという叢林が広がっていました。・・・『抱き』、現地に佇むとなるほどと、心に響いてきます(机上の知識のみで導かれた考察ではないのですね)。

 ということで、(建築物としての)拝殿はあるが本殿はない、という本州の古い神社に共通する御嶽の形態なのですが、拝殿に相当する建物の前面に『神アサギ』という、広場あるいはアズマヤのような壁のない柱と屋根だけの空間があります。久高島ではハンアシャギと訛ってますけど。ここは、いろいろな祭祀や儀式を行う大切な場所となります。そういえば本州の神社の境内にも、笹竹と縄で結界をして丸石を敷き詰めた儀式用の空間が在ったりしますね。こうしてみると『ウタキ』、『アサギ』などなど、面白そうです。
 沖縄の信仰習俗を見るとき『お婆さんが孫娘を抱き被い庇護しているイメージ』というのは重要な気がします。

 帰神してから、飛鳥川上坐宇多須岐比売命神社へ参拝したのは、なんとなく宇多須岐が気になったからです。実際、もし建築物が無かったら、ウタキな雰囲気の社でしたネ。

[50] あいうえおタキ  神奈備 2003/06/19(Thu) 07:58 [Reply]

日高郡美山村 上阿田木神社(かみあたぎじんじゃ)伊弉冉尊 伊弉諾尊
京都市右京区嵯峨愛宕町 愛宕神社(あたごじんじゃ)稚産日命


福岡県京都郡犀川町大字大坂字宮山 飯嶽神社(いいたけじんじゃ)伊弉諾神 伊弉册神 藤原廣嗣
和歌山市伊太祈曽 伊太祁曽神社(いたきそじんじゃ)五十猛命


ウタキ
徳島県三好郡山城町大字寺野名字土井 宇多賀賢見神社(うたかけんみじんじゃ)應神天皇 素戔嗚命
島根県隠岐郡都万村大字歌木 歌木神社(うたぎじんじゃ)伊弉册命 速玉男命 事解男命


御岳
愛知県幡豆郡幡豆町大字東幡豆字宮後 御茸天王社(おたけてんのうしゃ)須佐之男命
島根県安来市飯生町 意多伎神社(おたきじんじゃ)大國魂神

[49] Re[41][40]: そーねー付会  神奈備 2003/06/16(Mon) 09:14 [Reply]
鳥見日子と疏禰毘古とで支配していた大河、これを利根川といふか。座布団!?

潮来のいた〜♪の潮来は古風土記では「板来」、これについては大三元さん
http://www.dai3gen.net//itate.htm

板来の記事に続き、建借間命が安婆の島に露営。国栖退治の杵島ぶりの歌の話

国栖を捕虜にして焚き滅ぼしたと記しています。痛く殺る(いたくきる)を伊多久の郷といい云々とあり、
安婆 
http://www.kamnavi.net/it/kinki/mieosugi.htm
杵島ぶりの歌
http://www.kamnavi.net/it/tukusi/inasa.htm

辺りから、東国征伐に五十猛命の旗印が使われたように感じます。

[48] 神奈備掲示板での「白木神社」の件(4/30)。  ともこ.K 2003/06/16(Mon) 07:04 [Reply]

 神奈備掲示板での「白木神社」の件(4/30)。

返信が随分遅れ、大変申し訳なく思っております。
神奈備さん、玄松子さん、どうも有難うございました。

[47] 見回り不動石  KAG 2003/06/16(Mon) 00:20 [Reply]
サン・グリーンさま。有難うございます。ZOUさんとこの掲示板で神奈備先生撮影の画像を拝見しました。大きいですね!梵字を彫り込んだ以上、磐座決定のだめ押しのような気もするのですが、やはりそれ以前の大昔はどうだったのか考えちゃいますネ。磨崖仏なんかだと磐座にはならないと思いますけど?広義の解釈だとなるのでしょうかね?

[46] Re[43]: 誰か紀州と出雲の関係を教えて下さい  玄松子 2003/06/15(Sun) 23:49 [Reply]
句読点がないので、よくわからないのですが。

> 木の神といえば・・・出雲の大国主の命です

と読んでよいのでしょうか。大国主命(大己貴命)は木の神?

> そこで先に関西や中国地方を収めていたのは出雲ではないかとおもいます
> 誰か紀州と出雲の古代の 関係を教えて下さい

紀州も含めて、関西と出雲が関係・交流があった証拠は記紀や地名に見ることができますが、「関西を収めていた」と考える理由を説明していただけないでしょうか。

[45] Re[44][43]: 誰か紀州と出雲の関係を教えて下さい  神奈備 2003/06/15(Sun) 20:46 [Reply]
> 誰か紀州と出雲の古代の 関係を教えて下さい

掲示板上での質問としては史上最大の質問のようですね。
以下の「真面目」は紀の国から眺めたことにも触れていますのでご覧下さい。
http://www.kamnavi.net/kinokuni/majime-rekisi.htm

> 私にはこれがイワクラかどうか判りませんでした。神奈備さまはどう思われましたか?
http://www1.kcn.ne.jp/~rascals/cgi-bin/albumbbs/albumbbs.cgi
に写真をエントリー。
祭祀された岩壁ですから、まさに磐座でしょうね。

[44] Re[43]: 誰か紀州と出雲の関係を教えて下さい  サン・グリーン [Mail] [Url] 2003/06/15(Sun) 19:11 [Reply]
> 誰か紀州と出雲の古代の 関係を教えて下さい 

紀州と出雲の古代の関係は判らないのですが…
串本(潮岬の最南端)の突端に出雲という集落があります。「古事記のものがたり」を一緒に書いた小林晴明さんのお祖父さんの出身地なので、この春お墓参りに行きました。なぜ、ここに出雲という地名があるのか不思議なのですが、出雲崎の先端からは海からの日の出と日の入りが見渡せる絶好のポイントで、静かで小さな入り江になっています。海のすぐ側に朝貴(あさき)神社という小さな神社がありましたが、小林晴明さんのお母さんたちは、いまでもそこを出雲神社と呼んでいます。
そこと島根の日の岬を結ぶライン上に吉備の中山(吉備津神社)があるのです。

奈良県の三輪山〜長谷に行く街道沿いにも出雲という地名があります。
今日も、神奈備さまと「桜井を歩く会」でその周辺を歩いてきたところです。
古代出雲王朝の中心は三輪山周辺を基点にしていたと言う説は地元の方々は昔から言われています。ちなみに私もその一人です。

詳しい論証は諸先生方にお任せしますが、出雲の地名がいまでも何箇所か残っている事実をお伝えさせて頂きますね。

KAGさま
見回り不動石というのは、初瀬ダムの近くの車道沿いにある凡字を彫った大きな巨岩のことでした。私にはこれがイワクラかどうか判りませんでした。神奈備さまはどう思われましたか?

[43] 誰か紀州と出雲の関係を教えて下さい  東出 [Mail] 2003/06/15(Sun) 16:07 [Reply]
    神武東夷では熊野から上陸して紀伊半島を北上して紀伊一族と和歌山を統一したと有りますがもとは伊太祈曽さんの国 もともと伊太祈曽さんは輪くぐりなどの祭りなどあり木の神ですそこで木の神といえば北は子の神出雲の御神で有名な出雲の大国主の命ですそこで先に関西や中国地方を収めていたのは出雲ではないかとおもいます
誰か紀州と出雲の古代の 関係を教えて下さい                  

[42] Re[40]: そーねー  玄松子 2003/06/15(Sun) 16:05 [Reply]
> 曽根に要注意では。

ちょっと地図で「曽根」の付く地名をさらってみると、
佐賀・福岡から瀬戸内沿岸を通り、京都・滋賀。
そこから北陸道と東海道に分かれ、東北で合流する「流れ」が見えます。
関西を中心に考えると、山陰以外の四道将軍の遠征路にあるともとれるかな。
詳細にプロットして、各地に残る伝承を散りばめると、なにか見えるかもしれませんね。
(単に地形を表す古称かもしれませんが)

[41] Re[40]: そーねー付会  習志野のてつ [Mail] 2003/06/15(Sun) 08:57 [Reply]
> 『常陸国風土記』 > 行方の郡
> 郡役所の西北に提賀の里がある。手鹿と呼ぶ佐伯がいる。
> その里の北方に香島の神子の社がある。
 この『香島の神子の社』はソバタカ神社のようです。
(側高:佐原市、蘇羽鷹:松戸市、側鷹:成田市、他に曽波鷹とも表記)

同じ行方の郡で、香澄の里
「下総の国の印波の鳥見の丘にお登りになり…」とあり、
更に当麻の郷
「この郷を通り過ぎ…鳥日子と名のる佐伯が…」とあります。
この『鳥日子』は「鳥見日子」では?と疑っています。
もしそうなら、トミの長髄彦の子孫?
ちなみに鳥見神社のご祭神は、ほぼニギハヤヒです。

「疏禰毘古(ソネヒコ)の長者がナガスネフコ」??? 

[40] そーねー  神奈備 2003/06/13(Fri) 22:05 [Reply]
『常陸国風土記』
茨城の郡
国巣(土地の言葉でツチクモ、ヤツカハギ)、山の佐伯、野の佐伯と言う、穴倉生活をする者がいて、狼の性、梟の情、鼠の如く云々、とあります。
行方の郡
 郡役所の西北に提賀の里がある。手鹿と呼ぶ佐伯がいる。
その里の北方に香島の神子の社がある。ここから北方は曾尼の村、古い時代に、名を疏禰毘古(ソネヒコ)と言う佐伯がいた。

『日本書紀』で、長髄彦を評して、稟性愎很(にんべん)て=性質がねじけている=、としているのと、常陸国の佐伯特に疏禰毘古を思わせます。

 長髄彦はやはり佐伯(土蜘蛛)の一族であって、物部氏の東遷以前に大和へ入っていた者のように思われます。福岡県福間町の曾根崎はやはり長髄彦の祖先がいた所ではなどと思っています。大阪市内にも心中で有名な曾根崎があります。今は歓楽街の一角です。曽根に要注意では。

[39] Re[37]: ボケにはツッコムのが関西の礼儀  KAG 2003/06/12(Thu) 20:34 [Reply]
> ところで15日は初瀬地区のイワクラを歩くそうですが、見回り不動というのもコースに入っています。これは奥不動寺と同じでしょうか?

『見回り不動』というのを知りませんが、たぶん奥不動寺とは違うのではないでしょうか。実際のところどうなのか、また教えて下さいね。

> 倉敷に「あちの臣」の阿智神社があります。

倉敷に居たことがあります。鶴形山の阿智神社、あの石段を登っていくと倉敷弁で『あーちー(暑い)んじゃ』。となりの人は総社弁で『そうじゃ』。でーれー、ぼっけー、もんげー、方言の洪水で、おえんがー!となりました。

[38] Re[34]: オー、ノー、オリジナルティ。  神奈備 2003/06/12(Thu) 08:12 [Reply]
ウソはオロカナル。

赤猪にかみ殺されるのは香坂王でした。

[37] 無題  サン・グリーン [Mail] [Url] 2003/06/12(Thu) 05:58 [Reply]
KAGさま
お分かり頂けたようでうれしいです。
笠山秘話の情報、ありがとうございます。
笠縫い部と太陽祭祀のかかわりにはとても興味があります。
ところで15日は初瀬地区のイワクラを歩くそうですが、見回り不動というのもコースに入っています。これは奥不動寺と同じでしょうか?

それから、私も一つ聞いて欲しいセリフがあります。
倉敷に「あちの臣」の阿智神社があります。
海岸に漂着した人たちに「どこから来たの?」・・・「あッちーー」(~_~;)



[36] オリジナリティーの宣言について  KAG 2003/06/11(Wed) 22:14 [Reply]
私は福島雅彦先生のスタイルが好きです。

> 以上、福島雅彦独創説。紹介、引用、大歓迎!

の名セリフが大好きです。(イヨッ!福島節!)
  『女王はいずこに?』・・・『山たいッ!』(邪馬台)
という九州北部弁に、腹を抱え笑い転げて涙流しながら感動しました。
(こういう独創が最高に大好き!)他には、
  『新しい穀物、米を見て・・・「細めー」(コメー)』
粟や稗はどう表現されるのかと思いましたが、芋よりは小さいですね。
 これらを単なるダジャレと見る方々、方言と共通語について(古代からの)分かり易い解説を願いたいものです。言語についてはド素人ですが、言葉というのはプリンのような豆腐のようなジュンサイのようなものだと思っています(プルプルね)。ま、言語は置いといて・・・。(福嶋先生、また投稿して下さいネ)

 分かり易い宣言と念を押すことが方法なのでしょうね。そうすると、確認や質問も提起しやすいですし〜。引用もしやすく、オリジナリティも保証しやすいでしょう。なにぶん、掲示板への投稿の著作権も認められる時代ですが、出版物と異なり(意外と)追跡調査(確認)しにくいような気がするのは私だけでしょうか?
 掲示板を含めて多くの人々が自由に意見を述べられる場での「オリジナリティー」を無視するわけではありませんが、できればHP等に纏められた時点での「オリジナリティー」の方が、外野には理解しやすい気がします。そういう意味で掲示板へ投稿と(同時に)その扱いには、(両者とも)ビー・ジェントルを期待したいものです。
 僕は同好の士の集まりなので、誰も悪意は無いと信じています。(それだけに、宣伝や営業目的のような投稿にはキツク当りますけどね。)
『神奈備にようこそ』のコピーは、『おおいにコラボレーションしましょう』でしたよね。みなさんとともに創り上げていく世界でもあります。(勉強させてネ)

[35] ビバ!青草!  ヨリコ [Mail] 2003/06/11(Wed) 20:12 [Reply]
いやっほう!青草復活おめでとうございますー!(←遅いし…)
最近あんまりアクセスしてなかったんで、今日は超久々にのぞいてみましたー☆
いやーのぞいてよかったー♪
またどうぞよろしくー☆
本殿の方も面白そうなハナシ結構ありましたね。
久々に入って行くのはちょっぴり気後れしますが(笑)
では、御挨拶まで〜(゚ω゚)

[34] オー、ノー、オリジナルティ。  神奈備 2003/06/11(Wed) 19:03 [Reply]
 疋田の少し北になるのですが、押熊と言う所があり、その東隣が神功です。疋田には疋田物部が拠点としており、いち早く神功に味方した物部瞻咋連が疋田物部の戦力を使い、押熊王を襲撃したのでした。伝承としては押熊王は赤猪にかみ殺されます。勿論「おシくマ王」は「おオくニ主」をもじった名前です。
 この話が後に引田部をからかう赤猪子の話に変わり、地方では『播磨風土記』の根日女命の巫女の不遇なお話になったのであります。

[33] Re[32][31][23]: ありがとうございます  KAG 2003/06/11(Wed) 00:01 [Reply]
 サン・グリーンさま、詳しくご説明いただき有難うございます。
なるほど!そういうことだったのですか。おかげさまでウロウロ探すことなく予定が組めます。(^^)/
 ダンノダイラでは今、植林された樹々が大きく高くなり見通しがよくないですけども、仮に樹木が低くて周囲の見晴らしがよくなれば、かなり壮観な景色がみれることでしょうね。初瀬川が流れる長谷を挟んで南側の山々が同じような高さに見渡せます。磐座周辺が開けていたら、出雲集落側からも十分見える岩だったのかもしれませんね。

> お酒や御餅を持ってみんなで昇りましたから…

 これが磐座に接する本当の姿勢かもしれませんね。みなさんで楽しく愉快に暖かい一時を共有する、素朴な感謝と祈り。

> 「笠山秘話」・・・

は、笠にお住まいの細川翁が執筆された笠・泊瀬・三輪周辺の伝承と古代遺跡?の紹介です。現在、4巻まで小冊子が自費出版されています。私は檜原神社の前の茶店(柿シャーベットの美味しい)で第2・3巻を購入しました。絶版の第1巻と新刊の第4版は、ある方の御好意で頂きました。m(__)m
 笠の細川氏による「笠山秘話」は賛否両論というか(やや否が多い?)、笠では風当たりも強いそうですが、有名な方みたいです。ご高齢ということなので(90歳!でも元気でハッスル爺ちゃんみたい?)早くお会いしたほうがいいかもしれません。貴重な昔話を伝えていらっしゃいます。たぶん、桜井の郷土史家の方々はご存知ではないでしょうか?

[32] Re[31][23]: ご案内とお誘いです。  サン・グリーン [Mail] [Url] 2003/06/10(Tue) 10:53 [Reply]
香具さま
こんにちは。
こちらこそ、その節は八つ岩探索に伺えなくてとても残念に思っていました。
ワクワクしながら発見の顛末を読ませて頂きました。ありがとうございました。

さて、ご確認の件ですが、段の平のイワクラはたぶん同じものだと思います。
この件では、以前に神奈備さまともお話したような記憶がありますが、アップされている写真を見た時に同じものと確認しました。

表現が曖昧で反省しています。
詳しく言えば、段の平を確認し、イワクラを再発見(再確認)してお祭りをした方々とするほうが適切だったかもしれません。(やはり、ちょっとややこしい言い回しになりますが…)
台風で大岩が崩れたのではなく、上に生えていた木や土が崩れて全容が現れたので地元の人がイワクラのお祭りをすると言う日に私も呼んで頂いたと記憶しています。
お酒や御餅を持ってみんなで昇りましたから…
そして植林されてしまっていたあの場所がもしかして幻の聖跡ではないかという話しが出て、郷土史家の小西さんに、故M先生(栄長さんの本には実名で出ています)をご紹介させて頂いて、あとは、本に書かれているようないきさつになったのだったと思います。
ただし、私が当日に地元の人から直接聞いた話では、出雲の集落の人々は戦前までは毎年一年に一度、段の平にお弁当を持って集まっていたそうです。しかし、その方は子どもだったので大人たちが何をしているかまでは判らなかったとのことです。

なにしろ、数年〜10年近い前(本が出版される前であることだけは確かです)の話なので、記憶があいまいですみません。
その時一緒に昇った郷土史家の方もM先生も亡くなりました。
15日に桜井のみなさん方にお会いしますので、またなにか判ればお知らせしますね。
これで香具さんへのお答えになったでしょうか?

ところで
「笠山秘話」という書物はまだ知りませんが出版社と著者名を教えてくださいませんか。
私のいつもの感覚(直感)だけの想像なので、裏づけがなくて誠に申し訳ないのですが、あの段の平の場所はトヨスキイリ姫と倭姫ゆかりの重要な太陽の祭祀場所(暦を作るための)であるような気がしてならないのです。どうか、よろしくお願い致します。

桜井を展く会はとても自由な集まりなので(山菜採り感覚の方も健康志向の方々もいます)
長く続いているのではないかなと思っています。毎月一回案内があるのですが面白い企画があれば、また談話室に書き込みさせていただきますね。



[31] Re[23]: ご案内とお誘いです。  KAG 2003/06/09(Mon) 02:17 [Reply]
 サン・グリーンさん、ご無沙汰しています。素浪人シリーズでフラフラしている香具です。面白そうな企画ですね。当日は別の予定があり参加できないのが残念です。今後また同様な企画が有りましたら、ご案内を頂きたくお願い致します。
 さて、少し確認させて頂きたいのですが、

> 数年前に台風で崩れたために現れた、段の平のイワクラを発見したのもこの方たちです。

 これは、桜井市の郷土史家の栄永氏が著書で公表されているダンノダイラの磐座とは別のものなのでしょうか?ダンノダイラの東端にある注連縄のある大きな磐座は見ていますし〜、辺りに散在している岩々もいろいろあったのですが、磐座かどうなのか見当がつきませんでした。この『東端にある注連縄のある大きな磐座』は、周辺の植林の状況などからみても、台風で崩れたために現れたという程度の岩ではありませんでしたので・・・。
 それに奥不動寺の庵主さまに伺ったお話しでも、出雲集落の方々の磐座への参拝は昔から続いていたということなので、件の『数年前に台風で崩れたために現れた』磐座とは別物と考えられますよね?
 ダンノダイラのどの辺りに、どんな磐座を発見されたのかお教え頂けませんでしょうか?近々、湧水池の確認に登拝しようと予定していたところなのです。笠の長老、H翁も近著『笠山秘話』の第4巻でダンノダイラに言及されていることですし〜。
 けっして難癖をつけるつもりはありません。ただただ純粋に確認をさせて頂きたいだけですので、どうか表現の未熟をお許し下さい。

[30] ムーアシロホシテントウ  神奈備 2003/06/08(Sun) 18:11 [Reply]
この前の毎日テレビでムーアシロホシテントウ虫を紹介していました。

http://www2.mus-nh.city.osaka.jp/learning/Ent/Ladybeetle-key/calvia-muiri.html

勿論阪神がらみのお話ですよ。

[29] 人生儀礼  神奈備 2003/06/08(Sun) 07:40 [Reply]
 縄のれんはいかにも日本的な結界を示しています。のれんの内での遊びは外へ持ち出さない、これがのれんの意味です。結界と空間です。
 結界とは門のようなものとは限らず、例えば茶碗のような焼き物も結界で、ものが空間を移動する際に結界を通るのは、食物が焼き物を通して人の前に来るようなこともそうです。
 で、”もの”は”空間”内に存在し、空間を移動する際に結界を通るのですが、その結界は別の空間に移動するための潔斎の場とも言えます。
 人生儀礼では
    +−−−産屋−−−この世−−−もがり屋−−−+
    +−−−−−−−−常世の国−−−−−−−−−+

[28] Re[27]: ながすね  神奈備 2003/06/06(Fri) 20:54 [Reply]

> 景行天皇の条に『天皇身長一丈二寸、脛四尺一寸』
> おいおい! 脛四尺一寸はなが〜いぞ!

大足日子ですから。

[27] ながすね  習志野のてつ [Mail] 2003/06/05(Thu) 16:07 [Reply]
大日本史・巻2・景行天皇の条に
『天皇身長一丈二寸、脛四尺一寸』
とあります。

おいおい! 脛四尺一寸はなが〜いぞ!
身長は約3Mと10cm、脛は約124cm?
脛はわしの3倍じゃ!身長は倍までいかないのに。

ウワッ、すねながい。ナガスネ彦ぐらいかな。

ちなみに、孫の仲哀天皇も身長は一丈、
脛の長さは書いてありません。

息子の日本武尊や成務天皇については記載なし。
確か日本書紀で、日本武尊は身長一丈だったと思うけど。

一丈=十尺=30.3(cm)×10=303cm
一尺=十寸=3.03(cm)×10=30.3cm

[26] Re[25][23]: ご案内とお誘いです。  サン・グリーン [Mail] [Url] 2003/06/05(Thu) 09:13 [Reply]
> 事前に申し込みは必要なのでしょうか。

自由参加なので必要はありません。
雨天の問合せ先は、桜井ジャーナル・室原さんです。
0744−46−2222

[25] Re[23]: ご案内とお誘いです。  神奈備 2003/06/04(Wed) 08:34 [Reply]
お知らせありがとうございます。

事前に申し込みは必要なのでしょうか。

[24] 電話番号修正  サン・グリーン [Mail] [Url] 2003/06/04(Wed) 07:57 [Reply]
すみません
問合せ先の電話が間違っていました。
まほろばセンター 春日さん 0744−42−1973 でした。

[23] ご案内とお誘いです。  サン・グリーン [Mail] [Url] 2003/06/04(Wed) 07:54 [Reply]
神奈備さま、みなさまへ。

神奈備さまが調べてくださったクズ神さまのいそうな神社周辺を桜井市在住の郷土史家と地元の方が案内してくださる「歩く桜井講座」があります。
もしよかったらいかがですか?
「長谷地区のいわくらをめぐる」
6月15日(日)午前十時、近鉄長谷寺駅前集合
問い合わせ先・まほろばセンター春日さん・0744−46−1973
参加費。資料代500円、弁当水筒各自持参のこと。

数年前に台風で崩れたために現れた、段の平のイワクラを発見したのもこの方たちです。
九日神社の小さな陰陽石のことも、かなり前に教えて頂いていました。
桜井は仏教伝来地、能楽発祥地、相撲発祥地など日本最初の0000というのがたくさんあるところですが、あまり人に知られていない謎多き土地です。
数年前から地元の郷土史家の方々がボランティアで「日本文化の源流桜井を展く会」を結成し、歩きながら名所旧跡探索をしています。
ちなみに今回は私たちも参加する予定です。

[22] 大山祇と九頭  神奈備 2003/06/02(Mon) 17:18 [Reply]
九頭神の濃密そうな奈良県天理市桜井市大宇陀町菟田野町吉野町での大山祇神を祀る神社を『平成CD』からピックアップ。

宇陀郡菟田野町松井 天神社摂社大山祗神社
吉野郡吉野町喜佐谷 櫻木神社摂社山ノ神社
吉野町吉野山 鷲尾神社
吉野町吉野山 勝手神社
吉野郡吉野町山口 吉野山口神社
桜井市三輪 大神神社,大峯社
桜井市初瀬 長谷山口神社 
桜井市初瀬 素盞雄神社摂社秋葉神社
桜井市小夫嵩方 天照皇大神社摂社琴平神社
桜井市赤尾 忍坂山口坐神社
桜井市谷 石寸山口神社
桜井市飯盛塚 杉山神社
都祁村小山戸 都祁山口神社
都祁村南之庄 國津神社摂社山神神社
天理市三島町 三島神社
天理市豊井町 豊日神社
天理市和爾町 和爾坐赤阪比古神社摂社山之神神社
天理市杣之内町 都祁山口神社

この一覧を一にらみして見て下さい。例えば南国栖から大宇陀町付近はゼロ。
桜井市でも天理市でも山地での分布は少ないように思います。

どうやら九頭神と相容れないと云うか補完的な神のように思われます。
大山祗神は伊予三嶋の大山祗神社に見るように海人の斎祀った神のようで、海からやってきて山へ入っていった人々が祀ったようです。南九州にその伝承が残っているところから、南方系の熊襲隼人と同族の存在で、インドシナ方面から黒潮にのってやってきた比較的色の黒い人々だったと思われます。

土蜘蛛は討伐されていますが国栖の討伐の話は『常陸国風土記』に国栖俗称土蜘蛛と見えるように、ニギツチクモが国栖と云う名をもらい、アラツチクモが討伐されたと云うことでしょうね。そうすると九頭神は従順な連中の神、大山祗神はまつろわぬ連中の祀った神となります。この神の祭祀が今日まで残ったのは懐柔策とか祟り封じとかあったのでしょう。

和歌山では坂上田村麿(758〜811年)が雄山峠(泉南との境)、那賀郡中貴志(伊太祁曽神社の東4km)などで土蜘蛛を征伐した伝説があります。平安初期に近畿に未だ存在していたのですね。

[21] Re[20]: 大黒様ものがたり  ヘタレの素浪人 2003/06/01(Sun) 22:32 [Reply]
> 「大黒様ものがたり」の連載はどうなったんだろう。

ごめんなさ〜い!<(__)> m(__)m <(__)> m(__)m
もう、余計なチャチャ入れませんですゥ〜!!
オヤジサン、へそ曲げンと続けてね。

[20] 大黒様ものがたり  玄松子 2003/06/01(Sun) 05:29 [Reply]
「大黒様ものがたり」の連載はどうなったんだろう。


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