青草談話室ログ平十五年 八月 2003.1 |
[212] 訂正です。 サン・グリーン [Mail] [Url] | 2003/08/29(Fri) 11:26 [Reply] |
神奈備さま。 9月7日、石上神社崇敬会大祭情報です。 今回は鈴鹿先生は講演だけで筑紫舞を舞わないとのことでした。 受付は午前十時から、神事は本殿で11時から 直会と福引などもあるそうです。 参加の時は「きわむの会」の村山左近さんの紹介と言って下さいとのことです。 参会費は昼食、福引つきで確か3000円だったと思いますが 受付で確認してくださいね。 |
[211] Re[210]: こんにちわ。 神奈備 | 2003/08/28(Thu) 12:26 [Reply] |
> そうもいかず来週また洞川に行くことになりそうです。 とのさん お手数をおかけいたしました。 洞川には、役小角が開いた修行の場の蟷螂の窟(とうろうのいわや)などもあり、石灰岩の岩が水で浸食されて、えもいわれぬ雰囲気を漂わしています。 現在でも行われている修験の場として貴重ですね。 |
[210] こんにちわ。 との [Mail] | 2003/08/28(Thu) 11:35 [Reply] |
神南備さま、こんにちわ。 先日の吉野紀行楽しかったですね。 9月は福山でおとなしくしておこうと思ってましたが、そうもいかず来週また洞川に行くことになりそうです。 今年はあと何回登ることになるのやら…。 |
[209] 無題 サン・グリーン [Mail] [Url] | 2003/08/27(Wed) 09:23 [Reply] |
神奈備さま、みなさま、こんにちわ。 今日は6万年ぶりに火星が地球に大接近する日とか、お隣さんとは仲良くしたいですね。 ところで、本殿で日雲さんが取り上げられている資料「神道民俗芸能の源流」の作者 鈴鹿千代乃先生なのですが、以前神奈備さまにご紹介した、踊りの家元で大阪の二宮神社の神職、村山左近師匠たち四人で「究の会」という古典芸能研究会を主催して各地の神社で奉納されています。 鈴鹿先生は筑紫舞(クグツ舞)を研究、伝承されているのですが、 9月7日に奈良の石上神社の崇敬会で筑紫舞を踊られますよ。 ちなみに、左近さんも新作の白拍子舞を舞われます。 |
[208] Re[206]: 結城大明神+曲尺 神奈備 | 2003/08/26(Tue) 22:42 [Reply] |
つくつく法師、赤トンボ、いよいよ秋、サンマがおいしい季節が近づいていますね。 > 思兼命が命じて、手置帆負・彦狭知の二神に天御量(アメノミハカリ)を作らせたとあり、思兼命が曲尺を作ったとする伝承の原型かと思われるのですが、いかがでしょうか? 手置帆負・彦狭知が木を切って宮殿を造ったという話もあったような。 [159] で習志野のてつさん > 手置帆負命を作笠者(かさつくり)となし、 > 彦狭知命を作盾者(たてつくり)としました。 笠や盾には大した物差しは要らないのかも知れませんが、家を建てるとなると物差しは必須です。家を造る前に、必要な道具を作る、分業ができあがってくる以前は当たり前のことだったようです。 > 手置帆負・彦狭知が木を切って宮殿を造ったという話もあったような。 紀の国の上小倉神社の由緒にも出てきます。 http://www.kamnavi.net/ki/city/kamiogura.htm |
[207] Re[205][204] 神奈備 | 2003/08/26(Tue) 22:42 [Reply] |
> 最先端技術と神さまが同居している 神々の世界とインターネットの世界の類似点は多いような気がします。 神は一瞬に移動する。野見宿禰は出雲から当麻へすぐ来た。 神を分霊しても、元の神は減らない。情報のコピーも同じ。 アラタマが尊ばれる。HPには更新は不可欠。whatnewをのぞく。 |
[206] 結城大明神+曲尺 さんま [Mail] [Url] | 2003/08/26(Tue) 10:46 [Reply] |
神奈備 様 いつも お世話になります。 > 大三元さんのHP > 伊那・伊奈・いな・否? > http://www.dai3gen.net/ina.htm > に、阿布知神社の「ア・フチ」は「我らの・(老女)女神」と読めるとか、織物の女神の気はありそう。 ここは前から気にしていたHPでしたので、大三元さんの掲示板(言語系)の方へ書き込みさせていただきました。地元の新聞(南信州)では、「伊那族」に関する怪しげな連載が時々載っており、楽しみにしています。 太玉命は祭祀を司る忌部氏の遠祖であり、天日鷲命は阿波忌部氏の遠祖で木綿や麻に関係しているようですので、やはり結城大明神は太玉命ではなくて天日鷲命の方がふさわしいのでしょうね。しかし、本当に千葉方面からお迎えしたかどうかはわかりません。ちなみに、結城大明神を産土神に祀っていた村は「栗矢」村といい、「厨」と関係があるのかないのか。紬が名産だったとは聞きませんが、麻は作っていたでしょう。 ところで「古語拾遺」に、思兼命が命じて、手置帆負・彦狭知の二神に天御量(アメノミハカリ)を作らせたとあり、思兼命が曲尺を作ったとする伝承の原型かと思われるのですが、いかがでしょうか? 手置帆負・彦狭知が木を切って宮殿を造ったという話もあったような。 → http://218.228.195.8/jshiryo/kogojyuui.html |
[205] 電子神社 すっぽん | 2003/08/25(Mon) 20:06 [Reply] |
青草失礼します!(たまにはお笑いでも?) > 時代を感じさせるお話ですね。ここもそうですが、最先端技術と神さまが同居して > いるところが今の日本のおもしろいところですね。そのうち電子神社なるものが、 おお〜 未来の人格を持ったロボットでも、そういう電子神社なら行きやすいですね。 もちろん祝詞は「01011100010110101000101110・・・・・」 なんか有り難みに欠けるような気も(笑) |
[204] Re[203][202]: 新屋坐天照御魂神社に行きました。 石上佳孝 [Mail] | 2003/08/25(Mon) 09:06 [Reply] |
>
石上佳孝さん お久しぶりです。 神奈備さま、 ご無沙汰しております。早速のお言葉、ありがとうございます。 > 宮司さんは元は液晶の開発技術者さんだったとか。 時代を感じさせるお話ですね。ここもそうですが、最先端技術と神さまが同居して いるところが今の日本のおもしろいところですね。そのうち電子神社なるものが、 ホームページ上にできるかも知れません。いやもうあるかも。 ところでいま初めて気付きましたが「神奈備」=神ナビなのですね。 素晴らしいセンスに感服致しました(笑)。 |
[203] Re[202]: 新屋坐天照御魂神社に行きました。 神奈備 | 2003/08/24(Sun) 22:40 [Reply] |
石上佳孝さん お久しぶりです。 > 参堂などが改修されており別の神社のようになっています。 そうですか。私は今年のお正月に参詣いたしました。 宮司さんは元は液晶の開発技術者さんだったとか。 > 今のような世の中でも神社や祖霊をしっかり守って行こうとされる方々が大勢おられる。 そうですね。都会生活ではなかなか実感できませんね。 > 自分も何か出来ることはないかな、等と柄にもなく思ってしまいます。ともあれ今後も神社めぐりを続けて行きたいと思っております。 神社巡りそのものをお続けになることが、一つの貢献ではないでしょうか。 |
[202] 新屋坐天照御魂神社に行きました。 石上佳孝 [Mail] | 2003/08/24(Sun) 14:30 [Reply] |
時間の空いた時に少しずつ神社めぐりを続けております。 今日は大阪府茨木市福井にあります、新屋坐天照御魂神社(本宮)にお参りして参りました。正直言って小さなお社かと思っておりましたら存外立派なお社でしたので驚きました。さすが式内社はだてではないですね。 このお社の写真は物部氏ゆかりのページの方でも紹介されていましたが、参堂などが改修されており別の神社のようになっています。 さいきんあちこちの神社を参詣するたびに心強く思いますのは、今のような世の中でも神社や祖霊をしっかり守って行こうとされる方々が大勢おられることで、境内の八幡社の鳥居も平成の元号が記載されてありました。残念ながら拝殿の方は濡れ縁や灯篭が取り外されており、さびしい外観でしたが、今後また補修されるのかも知れません。 代々の福井村長の顕彰碑や村の方々の名前を見るにつけ、都会に住む根無し草の自分には、何やら羨ましくもあり、自分も何か出来ることはないかな、等と柄にもなく思ってしまいます。ともあれ今後も神社めぐりを続けて行きたいと思っております。 |
[201] Re[199]: 結城大明神2 神奈備 | 2003/08/22(Fri) 17:36 [Reply] |
サン・グリーンさん ありがとうございます。「言うな、聞くな」の湯殿山神社にも行ってきました。 結城と言えば結城紬、これのルーツは信濃の上田紬。江戸時代、新領主の伊那備前守が故郷信濃の上田から織女を招聘、「結城紬」を藩の特産品としたとか。 麻と言うより、織物にからんでいないだろうかと、勝手に想像。織物の神としての天日鷲命が祀られたのか今のところはっきりしないが、下総国結城郡に鷲神社「天日鷲命」が三座鎮座、面白いが、結論は導けそうもない。 話をそらす訳ではありませんが 大三元さんのHP 伊那・伊奈・いな・否? http://www.dai3gen.net/ina.htm に、阿布知神社の「ア・フチ」は「我らの・(老女)女神」と読めるとか、織物の女神の気はありそう。 |
[200] Re[197][192][185][173]: 神鳴り現象初体験 サン・グリーン [Mail] [Url] | 2003/08/22(Fri) 16:37 [Reply] |
神奈備さまおかえりなさい。 北の果てから帰られて、大阪の暑さにびっくりされているのでは? ひふみさま 大阪ではようやく夏らしい猛暑と熱帯夜の襲来を受けてうんざりしています。 ひふみさまの住む、水の美味しい、涼しい天川村が実にうらやましいかぎりです。 昔の伝承は、はっきりしなければしないほど想像力が掻き立てられますね。 これをご縁に、今度とも仲良くしてください。 |
[199] 結城大明神2 さんま [Mail] [Url] | 2003/08/22(Fri) 14:37 [Reply] |
すみません。「古語拾遺」によると、太玉命に従っていた5神があり、天日鷲命、手置帆負命、彦狭知命などだったのですね。話に遅れていました。最初は、全ての太玉命が明治維新で天日鷲命になってしまったのかと早とちりしていました。うちの村の結城大明神は、どうして太玉命でなくて天日鷲命になったのかは、依然分かりません。水利が不便で畑作地帯だったらしいので、「麻植の神」の方がよいのでしょうか。 うちの村では、新羅明神も牛頭天皇も「須佐之男命」に変えられてしまいましたから、いい加減な変更だったのでしょうか。 結城大明神については、全く分かりません。何かのゲームのキャラらしいとしか・・ |
[198] 結城大明神 さんま [Mail] [Url] | 2003/08/22(Fri) 13:49 [Reply] |
長野県阿智村のさんまです。村内の旧村の神社の事で調べています。 江戸時代、産土神に結城大明神を祀っている神社がありました。しかし、江戸後期にはその由緒が既に不明になっており、当時の神主は「古語拾遺」を調べて、これは安房の国から勧請した天太玉命だろうと考えました。ところが明治維新になって、結城大明神は天日鷲命と改名されてしまいました。 以前にも天太玉命と天日鷲命の書き込みがありましたが、同じ神様と見なして良いのでしょうか。日本書紀の中に「一書に曰く」として「粟の国の忌部の遠祖天日鷲が作ける木綿を懸でて、乃ち忌部の首の遠祖太玉命をして執り取たしめて、・・・」という記述があるそうですが、ここだけ見ると同一神に読めます。 結城大明神というのは現在祀られていないと思いますが、千葉県方面で以前信仰があったのでしょうか。問題にしている神社のある地区に、千葉氏が室町後期から住んでおり、おそらく千葉氏の祖神だと思われます。 |
[197] Re[192][185][173]: 神鳴り現象初体験 ひふみ | 2003/08/21(Thu) 02:40 [Reply] |
サン・グリーン様 丁寧なお返事ありがとうございます。 お察しの通り、天川村に住んでおります。 様々な情報が行き交う中、意外と一番知らないのは地元の者かもしれません。 サン・グリーン様の旅行記、又、楽しみにしております。 元宮と言われている場所は、様々あるのでしょうが、私が書かせて頂いた所は、六角岩とは別の場所です。もし、天川川合からミタライ方向へ歩く事があれば見つかるかもしれません。 さて、役行者が大峰山を開く前に琵琶の音を聴いたと云われる場所ですが。 この話も諸説あります。 天河神社のある坪ノ内の方の話、修験の世界で一般的に伝えられている話、又、修験道でも様々な流派によって、微妙に違っていますし。 大体、大峰開山と琵琶山開山と、どちらが先かというのは正直これもわかりません。 大峰山上で、役行者が天下泰平を祈って修行されていた時、今で云う山上ヶ岳の湧出岩から最初に現れたのが「弁財天女」で、しかし優しすぎるので、弥山にお鎮まり頂き、その次に祈り現れたのが「地蔵菩薩」、この方は川上の方にお鎮まり頂き、最後に現れ出でたのが「蔵王権現」で、この方を山上が岳にお鎮まり頂いたというのが、一般的でしょうか。 又、琵琶山で琵琶の音を聴いたのは壬申の乱の戦勝祈願にいらしていた大海人皇子という話もあります。 古い伝承というものは、雄略天皇と一言主の神様の伝承でも解かるように、その時代や地域によって、色々と変るもので、それぞれに様々な思惑があるようですね。 明言するのは難しい問題です。 自分の感じたままで、いらして下さい。 ありがとうございました。 (神奈備様、個人的な文章で、申し訳ありません。) |
[196] Re[194]: kokoroさんのページ 神奈備 | 2003/08/20(Wed) 20:44 [Reply] |
> ども。神奈備さん、みなさん、こんにちは。 ZOUさん、こんばんは。 うまくまとめておられますね。ありがとうございます。 kokoroさんがHPを開設されるとか、楽しみですね。 |
[195] 花菱 菊 剣花菱 kanetomo | 2003/08/19(Tue) 22:12 [Reply] |
本日、神宮参拝に行って参りましたが、 伊勢神宮の神紋の件ですが、神域内に見られる建造物に付されているそのほと んどが「花菱」、「菊」の2種でした。 そしてやはり「剣花菱」も散見されました。 内宮、外宮とも、[184]にて言及しました部位は、やはり「剣花菱」でした。 (御正宮でも目立つ位置に置かれている紋ですので、つい注目していまいます。) 陽の光に黄金色に輝いていました。 実物を御前にすると、「剣花菱」の「剣」は、棟上の正面から見える2本の 「千木」に対応して意匠されているようにも感じました。 それぞれが「千木」と平行に「花菱」から突き出ており、あるいは意匠上、 それは「剣」でなく、「千木」を表してデザインされているのかとも感じま した。 |
[194] kokoroさんのページ ZOU [Mail] | 2003/08/19(Tue) 01:13 [Reply] |
ども。神奈備さん、みなさん、こんにちは。 拙サイト掲示板にkokoroさんが書き込んで下さった文&画像について、興味深いものが多くて過去ログにしてしまうのももったいないので、いくつかを1ページにまとめさせていただきました。よろしければ下記アドレスまで。一部に神奈備さんが書き込んで下さったものもまとめさせて頂いています。ご了承下さいますようお願いいたします。 http://www1.kcn.ne.jp/~rascals/shikinokuni/kokoro/ |
[193] 無題 サン・グリーン [Mail] [Url] | 2003/08/18(Mon) 10:18 [Reply] |
ひふみさま ごめんなさい天河〜洞川に行ったのは8月4日〜5日でした。 |
[192] Re[185][173]: 神鳴り現象初体験 サン・グリーン [Mail] [Url] | 2003/08/18(Mon) 10:09 [Reply] |
ひふみさま。こちらこそはじめまして、よろしくお願い致します。 > サングリーン様、はじめまして。 > 天河に、来ていらしたのですね。洞川の行者祭り、天河の七夕祭と、今年の奥吉野は祭り続きの三日間でした。 お盆に彼の田舎(丹波の篠山)に帰っていてお返事が遅れてすみませんでした。 ちょうどデカンショ祭りで賑わっていて、一緒に踊ってきました。(*^_^*) 天河には14日〜15日と取材がらみで行っておりました。15日に洞川・蛇の倉七尾山に始めて登拝したのですが、感動的でした。(詳しいことは私どものHPにアップしましたので、もしよろしかったらご覧下さいませ) > > ところで、 > > 神社の元地(川の合流地点の先端)に奥社があるのですが、そこで拍手を打つと山上(たぶん彌山方向)からはっきりと神鳴り現象が聞こえました。 > と、書かれている内の「奥社」ですが、もしかしたら、「禊殿」の事ですか? そうです、一般には禊殿と言われていようですね。私たちはあそこを奥社、山上を奥宮と言っていましたのでまぎらわしかったですね。私は昔から、山の先端とか三角州の先端の場所とかについ反応してしまう体質なのですみません。 > > 普通、「奥社」というのは、弥山の上にある御社の事を指すものですから、ちょっととまどってしまいました。 > > 今、本殿がある琵琶山は、あれ自体がピラミッド型をした一個の巨大なイワクラと聞いた事もあります。昔からの聖地ですね。 > 壬申の乱の折、大海人皇子が戦勝祈願の為、弥山の上におわす弁財天の為にあの地に里宮を建てたのが、今のような神社形態の初めだったように記憶しております。 > > ちなみに、もうひとつ。「元宮」といわれている場所は、坪ノ内には無く、川合からミタライ渓谷の間の川の中にある石の上の祠がある場所が、そうだと聞きました。 以前、掲示板で話題になっていた六角形の石のことでしょうか? 役行者が大峰山を開く前に、琵琶の音を聞いて女神を感応したというのが、その場所なのですか? 天河の本殿の場所には大きな穴(または井戸)になっていて、その穴がご神体だと聞いたことがありますが、そうなのでしょうか?(貴船神社の奥宮のご神体も確か井戸だったのでは?) > > ちなみに、「禊殿」のある所は「高倉山」と言い、今は山頂は禁則地になっていますが、昔は祠があったと思います。 何年か前にイワクラ探検隊で、高倉山を探索した覚えがあります。しかし山頂には何も無く、小さな祠の前で龍神祝詞を唱えたことを記憶しています。 > 今の「禊殿」は、比較的新しく、天河神社が今の御社に建て替えられた時に、古い御社の木を使い、高倉山をちょっと削って建てられています。 > 林道が出来る前は、もっと川も深く、梅林もあったそうです。 高倉山からは水が豊富に湧き出しているようですね、あの小さな山のどこからあんなに水が噴出しているのか不思議です。しかし洞川や天河、吉野全体がどこでも美味しい水に恵まれた土地なのですね、うらやましいかぎりです。 > > (「禊殿」からの弥山方向は、背中の方になると思いますが、いかがでしょう。) 私はまだ天河の弥山には昇ったことがありませんので山頂の方向が判りません。 神鳴り現象を聞いた時は、山の上の方というか頭の上の方から少し遅れて音がはっきりと聞こえてきましたので、これが以前、神奈備さまに教えて頂いたカンナリ現象だと直感で思ったわけです。 ひふみ様は天河の近くにお住まいなのでしょうか? 私は今回は北小原の民宿に泊まったのですが、宿のご主人のお話では年々蛍が増えて来ていて 今年は去年よりもさらに増えて幻想的だったとのことです。ぜひ来年行って見たいと思っています。 また、天河のことなどいろいろと教えてくださいね。よろしくお願い致します。 ちなみに私が坪ノ内で一番好きな場所は神社の向かいにあるお寺のイチョウの木なのです。 |
[191] Re[189]: 伊勢神宮と出雲大社2 kanetomo | 2003/08/17(Sun) 19:23 [Reply] |
再度、お教えいただいたURLを拝読していると、玄松子さまの 「社紋(家紋)の確立は、平安以降のようですから、古代史と直接結びつけるには注意が必要ですが。」との記載に当たりました。 そうするとやはり、出雲大社の「亀甲に剣花菱」紋の成立を神話時代にまで結び付け解釈するのは無理があるかもしれないですね。 |
[190] Re[189]: 伊勢神宮と出雲大社 kanetomo | 2003/08/17(Sun) 17:14 [Reply] |
玄松子さま 重ねての御教示ありがとうございます。 亀甲に「有」は現在でも出雲の神魂神社にて御神紋として使用されていますが、この「有」とは、十月の旧称「神有月(出雲)」、「神無月(出雲意外)」の「有」に基づいているのですね。 また『家紋家系辞典』(昭文社)によると、花菱とは天菩日命(天照大神の右の髪につけていた珠から生まれる)を象徴し、この天菩日命が出雲大社の祭祀者に任命され(後の出雲国造の祖)、その事から、国津神系である出雲神族を象徴する亀甲紋に、天津神系である天菩日命を象徴する花菱紋が合わされ、現在の出雲大社の亀甲に剣花菱紋に至ったとの意が、記載されていました。 上記の続きで類推するなら、天津神系の代表格である伊勢神宮が花菱紋であるのも諾われます。また、花菱に剣が加わり剣花菱紋へ変化する事に関しては、単に装飾の上での変化として捉えてもいいように感じました。 玄松子さまの説の通り、出雲大社の御神紋とは、当初は出雲族の「亀甲に有」であった所に、天菩日命の末裔、出雲国造家が祭祀者として「花菱」とともに入り込み、そして装飾として「剣」が加わり、「亀甲に剣花菱」紋が完成したと捉えて良いのでしょうか。 |
[189] Re[184]: 伊勢神宮と出雲大社 玄松子 | 2003/08/17(Sun) 16:15 [Reply] |
> 出雲大社の御神紋は「二重亀甲に剣花角(菱)」紋として知られていますが、 昔の出雲大社の神紋は、亀甲に「有」でした。それがいつか装飾的な剣花菱にかわったそうです。 |
[188] ありがとうございます。 kanetomo | 2003/08/17(Sun) 14:07 [Reply] |
神奈備さま 玄松子さま 御教示頂きましたURLを早速拝見させて頂きます。 ありがとうございました。 伊勢神宮には正式には御神紋はない、あるいは花菱紋であるという事は、 伊勢神宮=皇室=菊紋との勝手な先入観から、当初は思いもよりません でした。皇室の御紋が菊紋であると統一して見なされるようになるのは 13世紀の後鳥羽上皇以降との事、そんな古い歴史を有す事ではないの ですね。 伊勢神宮の御正殿の棟上に嵌められている甲板金具に、「剣花角(菱)」 が彫込まれている事も、単に花菱(角)に剣を加えただけで、特に意味 はないのかも知れないですね。 御教示頂いたURLをもう少し見てみます。 |
[187] Re[186]: 伊勢神宮と出雲大社 玄松子 | 2003/08/17(Sun) 12:14 [Reply] |
> 紋のことなら玄松子さんですね。 紋のことなら「家紋WORLD」ですよ。 http://www.harimaya.com/o_kamon1/syake/kinki/s_araki.html http://www.harimaya.com/o_kamon1/syake/kinki/s_wata.html やっぱり、伊勢神宮の紋は、社家の紋とも考えられますね。 ついでに、住吉大社も花菱ですが、これも社家(津守氏)の紋。 http://www.harimaya.com/o_kamon1/syake/kinki/s_tumori.html > 玄松子さんの調査を活用されたサイトがあります。 僕のは、調査じゃなくて、偶然参拝した神社の紋が「こんなだった」という程度ですからねぇ。学術的ではありません。 |
[186] Re[184]: 伊勢神宮と出雲大社 神奈備 | 2003/08/17(Sun) 09:41 [Reply] |
紋のことなら玄松子さんですね。 http://www.genbu.net/mesg/bbs200302.htm 伊勢神宮には神紋はないようです。 花菱紋などは共に社家の家紋との説もあるようで、社家の紋としての花菱はステイタスであったのかも知れません。 ついでですが、玄松子さんの調査を活用されたサイトがあります。 http://www.yo.rim.or.jp/~eizo10/eizo-kodai/ise-kigen.html この辺りからも月読神の影の薄さよ。 |
[184] 伊勢神宮と出雲大社 kanetomo | 2003/08/17(Sun) 02:11 [Reply] |
神奈備さま いつも興味深く貴サイト拝見させて頂いております。 以下は本当に些細な疑問なのですが、 出雲大社の御神紋は「二重亀甲に剣花角(菱)」紋として知られていますが、伊勢 神宮の外宮、内宮とも、その御正殿の棟上の千木と鰹木を載せている水平の柱の先 に嵌められている金具には、「剣花角(菱)」が彫込まれています。 伊勢神宮の御神紋は「花菱」紋であるので、「剣花角(菱)」が彫込まれていても おかしくはないかもしれませんが、ただ出雲大社の同部位の柱の先にも「二重亀甲 に剣花角(菱)」が彫込まれていますので、何かの符号かと、ふと感じました。 あるいは伊勢神宮のその部位に、単なる「花菱」でなく、「剣」を加えた「剣花角 (菱)」が彫込まれている事に、何か正式な理由があるのでしょうか。 |
[185] Re[173]: 神鳴り現象初体験 ひふみ | 2003/08/17(Sun) 02:30 [Reply] |
サングリーン様、はじめまして。 天河に、来ていらしたのですね。洞川の行者祭り、天河の七夕祭と、今年の奥吉野は祭り続きの三日間でした。 ところで、 > 神社の元地(川の合流地点の先端)に奥社があるのですが、そこで拍手を打つと山上(たぶん彌山方向)からはっきりと神鳴り現象が聞こえました。 と、書かれている内の「奥社」ですが、もしかしたら、「禊殿」の事ですか? 普通、「奥社」というのは、弥山の上にある御社の事を指すものですから、ちょっととまどってしまいました。 今、本殿がある琵琶山は、あれ自体がピラミッド型をした一個の巨大なイワクラと聞いた事もあります。昔からの聖地ですね。 壬申の乱の折、大海人皇子が戦勝祈願の為、弥山の上におわす弁財天の為にあの地に里宮を建てたのが、今のような神社形態の初めだったように記憶しております。 ちなみに、もうひとつ。「元宮」といわれている場所は、坪ノ内には無く、川合からミタライ渓谷の間の川の中にある石の上の祠がある場所が、そうだと聞きました。 ちなみに、「禊殿」のある所は「高倉山」と言い、今は山頂は禁則地になっていますが、昔は祠があったと思います。 今の「禊殿」は、比較的新しく、天河神社が今の御社に建て替えられた時に、古い御社の木を使い、高倉山をちょっと削って建てられています。 林道が出来る前は、もっと川も深く、梅林もあったそうです。 (「禊殿」からの弥山方向は、背中の方になると思いますが、いかがでしょう。) |
[182] Re[181]: 三貴子 玄松子 | 2003/08/15(Fri) 21:47 [Reply] |
> 月読神を祀る神社数、県別ランキング > 静岡 41 新潟 30 千葉 42 茨城 49 山形 41 > 月山の影響もあるのでしょうが、東偏重です。 月山や日月を除くと、東西に平均して少ないですよね。みんなが見ている月なのに。 習志野のてつ> 三貴子(アマテラス、ツキヨミ、スサノオ)のなかで、ツキヨミだけが影が薄い そんな感じですね。アマチュアとしては、別神へ変身したと考えたいところです。 |
[181] Re[180][179][178]: 三貴子 神奈備 | 2003/08/15(Fri) 13:11 [Reply] |
> 素盞嗚尊と似た行為をするところを見ると、月神は素盞嗚尊かもしれない。 > あるいは、アジスキ・・・ 『神話の系譜』大林太良著から 中国大陸 目は日と月、気は風雲となる。(三国呉の『五運歴年紀』) 内陸アジア 太陽と月はその両目から(カルムク族) 内陸アジア 太陽は良い目、月は悪い目(サモエド族) 東南アジア 両眼から日月(南ベトナム) 東南アジア 口から火と煙の木、喉頭から黄金の木、右目から太陽、左目から月(インドネシア) 東南アジア 胸と肩からは天と地、両目からは月日(マリアナ諸島) インド プルシャの体、月はその心臓から、日はその目から、インドラとアグニはその口から、風神ヴァーニュはその呼吸から生じた。(リグ・ヴェーダ巻十) 日と月は両目からのパターンが目立ちますがリグ・ヴェーダでは月は心臓からと言うのも面白い。素盞嗚尊の神格は複雑で、単純に風(台風)とか、海原とか、限定しにくいのですが、『五運歴年紀』の気は風雲となるとか、『リグ・ヴェーダ』の風神はその呼吸から生じたと言うあたりが記紀に反映しているのかも知れません。 月読神と素盞嗚尊、穀物の女神殺しでは同じ役割を果たしています。記紀編纂の頃には、素盞嗚尊の後裔とする氏族の勢いも強く、月読神の仕業を素盞嗚尊に切り替えたのかも知れません。 月読神を祀る神社数、県別ランキング 静岡 41 新潟 30 千葉 42 茨城 49 山形 41 月山の影響もあるのでしょうが、東偏重です。 |
[180] Re[179][178]: 三貴子 玄松子 | 2003/08/14(Thu) 23:07 [Reply] |
> > 三貴子(アマテラス、ツキヨミ、スサノオ)のなかで、ツキヨミだけが影が薄い > ひょっとしたら > 天照大御神 下照比売 漢字に囚われてるかもしれないけど。 月読って、月を読む、つまり月神の神託を受ける巫女なんじゃないだろうか。 素盞嗚尊と似た行為をするところを見ると、月神は素盞嗚尊かもしれない。 あるいは、アジスキ・・・ |
[179] Re[178]: 三貴子 神奈備 | 2003/08/12(Tue) 09:28 [Reply] |
> 三貴子(アマテラス、ツキヨミ、スサノオ)のなかで、ツキヨミだけが影が薄い > なぜか考えた青草 ひょっとしたら 天照大御神 月読神 太陽 月 昼 夜 夏 冬 米 麦 燕 鴨 高天原 葦原中津国 天照大御神 迦毛大御神 天照大御神 下照比売 なんて。 |
[178] 三貴子 習志野のてつ [Mail] | 2003/08/12(Tue) 09:11 [Reply] |
三貴子(アマテラス、ツキヨミ、スサノオ)のなかで、ツキヨミだけが影が薄い なぜか考えた青草 1、末子相続であった。 2、女系の相続であった。 1からはスサノオが正統な相続権を持ちます。 1及び2からはアマテラスが正統(女系末子) *一応ワカヒルメについては考えないことにします スサノオが天に上ったとき、アマテラスは武装してでむかえます。 そして語気鋭く国を奪おうとしに来たのでは?と問い掛けています。 もしかしたら奪われる スサノオ側にも、何らかの正統な理由があるから奪うことができる。 こう考えると、高天原の相続権は二人だけに在ったように思えます。 |
[177] Re[176]: かねる=はかる さんま [Mail] [Url] | 2003/08/11(Mon) 22:14 [Reply] |
> 辞典で、「兼ねる」を引いてみると、 > ・心をおしはかる。 > ・将来のことまで予定する。 > などとも出てきます。 > なるほど、「兼」には深い意味があるんですね。勉強になりました。 でも、「かねじゃく」は安直すぎるので、例えば江戸時代くらいからの民間信仰ではないかと疑いたくなります。 |
[176] かねる=はかる 玄松子 | 2003/08/10(Sun) 14:38 [Reply] |
> 青草談話です > 思兼(おもいかね):「かね」が創った尺度 だから 辞典で、「兼ねる」を引いてみると、 ・心をおしはかる。 ・将来のことまで予定する。 などとも出てきます。 昔の「兼ねる」は、今の「はかる」に似ています。 図る・計る・測る・量る:計測 諮る:協議、相談 謀る:計画、計略 すべてが、思兼命に通じる言葉ですね。真偽は、はかりかねますが。 |
[175] Re[171]曲尺? さんま [Mail] [Url] | 2003/08/08(Fri) 21:37 [Reply] |
> なぜ矩尺・曲尺(かねじゃく)と呼ぶか? > 思兼(おもいかね):「かね」が創った尺度 だから これって、オモイカネの「カネ」に引っかけて、後から作った話じゃないんですか? 棟札に「思兼命」を書くようになったのは、そんなに古いことなのでしょうか?古い神社なんかの棟札には、きっと書いてないんじゃないかと思います。 少なくとも、思兼命の地元である「阿智村」の神社の古い棟札には書かれていません。最近建て直した近くの氏神様の棟札に「思兼命」が書いてあったので、思兼命を祀る祠かと思って聞いたところ、上記のような話を聞きました。 確か、秩父の方で曲尺の伝承があったのでしょうか? 阿智村では、それを聞いて思兼命の由緒に付け加えたと聞いています。 |
[174] Re[173]: 神鳴り現象初体験 神奈備 | 2003/08/08(Fri) 13:53 [Reply] |
ここの七夕は弁才天と牛頭天王との組み合わせとか。 天河の信仰の原点は神奈備山信仰であること、鴨の末裔である役小角がここで琵琶の響きを聞いたとか、カンナリ体験、おめでとうございます。 |
[173] 神鳴り現象初体験 サン・グリーン [Mail] [Url] | 2003/08/08(Fri) 09:49 [Reply] |
8月4日、取材で奈良県天河神社の精霊流しに行ってきました。 この日は旧暦の七夕の日に当たり、天上の天の川の流れと、地上の天川の流れがピッタリと一致するとのことでしたが、生憎曇り空で星は見れませんでした。 神社の元地(川の合流地点の先端)に奥社があるのですが、そこで拍手を打つと山上(たぶん彌山方向)からはっきりと神鳴り現象が聞こえました。 ここは役行者が開いたと伝わる地です。 これが以前に神奈備さまが言われていた神鳴り現象だと判りました。 とすると天河弁財天は鴨系ということなのでしょうか? ちなみに奥社の場所はよくUFOが見られるといううわさです。(*^_^*) |
[172] 筑前地名考 ユアン [Mail] | 2003/08/07(Thu) 21:21 [Reply] |
今日は宗像大社の神宝館でやっている 「沖の島大国宝展」を見てきました。 海の正倉院というふたつ名も伊達ではなく、 なかなか見ごたえのある展示でしたよ。 その帰りに宗像近辺の神社めぐりをしてきました。 地図を見ると変わった名前の神社が結構あるので、 面白そうだと思って行ってみたのですが、 どれも小さなお社ばかりでたどり着くのに難儀しました(笑) それでも「縫殿神社」と「空間神社」を見ることができました。 縫殿神社の方は由来が書いてあって、縫製技術を持つ渡来人が 作ったモノだそうです。 それで思ったんですけど、宗像から新宮にかけては結構変わった 地名が多いんですよ。「米多比」ネタビとか「在自」アラジとか なんだか渡来っぽい響きですよね? 北九州は古代から大陸と行き来が多かったので、渡来人もたくさん いたでしょうね。 ネタビって発音、日本の発想じゃない気がしました(笑) |
[171] Re[159][158] 習志野のてつ [Mail] | 2003/08/06(Wed) 15:20 [Reply] |
青草談話です > 八意思兼神は、曲尺(かねじゃく)を創りました。 なぜ矩尺・曲尺(かねじゃく)と呼ぶか? 思兼(おもいかね):「かね」が創った尺度 だから |
[170] Re[169] 習志野のてつ [Mail] | 2003/08/05(Tue) 08:53 [Reply] |
> 話は変わりますが、ガマの油(血止め)って、もともと偽薬では? > 落語では「ガマ蛙がタラーリタラーリと流す冷や汗」とかいいますね。 子供のとき「ガマの油売り」見たことあります。 刀で「一枚が二枚、二枚が四枚…」とか紙を切って、切れ味を見せます。 それから腕を刀で切って血を出し、ガマの油ぬって血止め。だけど切り過ぎた ようで、塗ってもなかなか血が止まらず、上腕部をタオルで止血してました<笑> その後、切り傷にベタベタ塗って、血はとまりました。 軽い切り傷や擦り傷程度には、本当に効くみたいです。 |
[169] Re[165][164]テキヤ すっぽん | 2003/08/05(Tue) 03:44 [Reply] |
玄松子さん レスをありがとうございます。 玄松子さん>ガマの油売りのように薬の露天商が本来の姿。 玄松子さん>だから、薬神である神農を祀っています。 なーるほど、そうだったんですか!(あっさり降参) 話は変わりますが、ガマの油(血止め)って、もともと偽薬では? 落語では「ガマ蛙がタラーリタラーリと流す冷や汗」とかいいますね。 |
[168] Re[161]: 「伊奘諾尊」/「伊弉諾尊」 玄松子 | 2003/08/04(Mon) 21:00 [Reply] |
> 漢字的には、同じ文字で形の異なる「異体字」ですから、普通の文章では、どちらでもよいでしょうが、神名の表記というとそういうわけにもいかないような・・・。 神名が、漢字以前に成立していたと考えると、すべての神名の漢字は、「当て字」という考えもありますよね。 |
[167] Re[166][165][164]ステキヤ 神奈備 | 2003/08/04(Mon) 18:43 [Reply] |
> > 大阪の道修町(薬問屋街)でも、神農祭が行われていたはず。 > ありがとうございます。 神農さんは道教の神とか。 http://www.kamnavi.net/dk/sinnou.htm 大阪の神農さんは、京の五條天神社からの勧請とか。 京都市下京区松原通西洞院西入天神前町 五條天神社 光仁帝大和の宇多に祀られしを、桓武帝奠都の際平安城五条の地に移し給ひ天使の宮と崇め給ひ尊信最も深し またこの神社は大和の宇多、で古そうなのを探しましたが、光仁帝創建は見つけられなかったですが、 奈良県宇陀郡榛原町長峰 天満神社 天武天皇勅願の社 が古すぎるのですが、ありました。 |
[166] Re[165][164]テキヤ チョロ [Mail] | 2003/08/04(Mon) 16:47 [Reply] |
こんにちわ。いつも他愛ない書き込みですみません。 > 大阪の道修町(薬問屋街)でも、神農祭が行われていたはず。 うちの子の会社の近所なんですが、去年は11月22・23日にあり、 お薬の箱とかを、飾りつけとして用いているそうです。 ケータイで撮ったので、見づらい写真ですが、↓な感じです。 http://easyclub.web.infoseek.co.jp/machi4.jpg |
[165] Re[164]テキヤ 玄松子 | 2003/08/04(Mon) 11:19 [Reply] |
> 神農氏は中国の神ですから、このことから見てもテキヤと中国は関係が深いかも。 的屋は、香具師とかいて(やし)とも言います。これは薬師から来ている職業。 ガマの油売りのように薬の露天商が本来の姿。 だから、薬神である神農を祀っています。 大阪の道修町(薬問屋街)でも、神農祭が行われていたはず。 |
[164] Re[160][159][158]テキヤ すっぽん | 2003/08/04(Mon) 04:03 [Reply] |
どうも、おひさです。 神奈備さん> 映画の中でしか知りませんが、床の間には天照大御神の掛け軸。 そうそう、特にテキヤ組織においては床の間の左側に「天照大神」、右側は「神農大神」が定番。 神農氏は中国の神ですから、このことから見てもテキヤと中国は関係が深いかも。 |
[163] Re[160] 習志野のてつ [Mail] | 2003/08/03(Sun) 23:51 [Reply] |
> 大工さんの頭領の家の床の間には天太玉大神があるのかな。葛城の姫神に訊いてみよう。 天太玉命は難しいのですが、八意思兼命については、近いものがあります 「手斧初」(チョウナハジメ) 『…建前(タテマエ)にかかる初の日に、正面を南向きにして頭柱(リュウバシラ)を立て 柱の正面に天思兼命と書き、右側に手置帆負之神、左側に彦狭命と記し、さらに裏面に 年月日・建主名を墨書する…』― 日本神祇由来事典 ― 川口謙二編 柏書房 1993年 「思兼命」についての記述(P107) |
[162] Re[161]: 「伊奘諾尊」/「伊弉諾尊」 神奈備 | 2003/08/02(Sat) 22:55 [Reply] |
イザナギ イは伊 イザナで誘 サは邪、佐、射、座、狭 ナは那、奈 キは岐、伎 ナギは諾、渚 適宜組み合わせたり、ナを抜かしたり。 誘岐尊 伊弉諾尊 伊邪那岐尊 伊佐那岐尊 伊弉那岐尊 伊射奈岐尊 伊佐岐尊 伊佐諾尊 伊座奈伎尊 誘岐尊 いろいろな表記がありますね。あまり気にしないようにしております。 |
[161] 「伊奘諾尊」/「伊弉諾尊」 アリオン | 2003/08/02(Sat) 21:47 [Reply] |
はじめまして。ある式内社のことを調べていてたどり着きました。 この掲示板ならと思い、かねてからの疑問書いてみます。ご教示よろしくお願いします。 イザナギ、イザナミの漢字表記の問題ですが、かなりの神話辞典で「伊弉諾尊」の表記をつかっており、私もそう思い込んでいたのですが、先日、岩波文庫の『日本書紀』をおのぞいて見てびっくりしました。 「伊奘諾尊」と、なっているのです。 2文字目の「弉」と「奘」です。この2文字は、漢字的には、同じ文字で形の異なる「異体字」ですから、普通の文章では、どちらでもよいでしょうが、神名の表記というとそういうわけにもいかないような・・・。 いくつかの伝写本の書き文字がいろいろあるのでしょうか? |
[160] Re[159][158] 神奈備 | 2003/08/01(Fri) 15:16 [Reply] |
大家と云えば親も同然、店子と云えば子も同然。 > 物部氏の一族は擬似的で山口組一家みたいな関係ではなかろうか? 秦氏もそのようで、街道筋を押さえていたようです。屯倉を任されたのはその実力が評価された。 > 「ヤクザやテキヤの世界に、古くからの風習が残った。」 映画の中でしか知りませんが、床の間には天照大御神の掛け軸。 大工さんの頭領の家の床の間には天太玉大神があるのかな。葛城の姫神に訊いてみよう。 |
[159] Re[158] 習志野のてつ [Mail] | 2003/08/01(Fri) 09:11 [Reply] |
> …出雲国 盾縫郡(平田市)の都武自神社の摂社に金鵄神社が鎮座、 > 天日鷲翔矢命を祭神としています。 『盾縫』が引っかかります。 天太玉命は、大国主を祀るに際し 手置帆負命を作笠者(かさつくり)となし、 彦狭知命を作盾者(たてつくり)としました。 いずれも棟上式の際に祀られる二柱の神です。 天太玉命が支配者です。 八意思兼神は、曲尺(かねじゃく)を創りました。 家造りの神々を支配する神にふさわしい。 天太玉命=八意思兼神説、業績からは近いものが有りますね。 > 岩戸開きの主催者はどうやら思兼命、登場する神々は思兼命の御子となって… この頃の「親子」は、ヤクザ世界の「親子」と同じではないか?←私の青草説 擬似的に「親」の身分=親分と、「子」の身分=子分になること。 物部氏の一族は擬似的で山口組一家みたいな関係ではなかろうか? 「ヤクザやテキヤの世界に、古くからの風習が残った。」って云うのはどうでしょう。 |