青草談話室ログ平十五年十一月
2003.11
多に蛍火の光く神、及び蠅声なす邪しき神有り。湯嶽神・菊嶽神の集い。
素人のひらめき、力はないが騒がしくなかなか従わない、一寸の草木にもある五分の魂の発露を!
 青草談話室

[461] Re[460][457][456] 西方見聞録?  神奈備 2003/11/29(Sat) 15:04 [Reply]
>> カラタチは落葉樹のようですが、夏ミカン(常緑)を作る場合の接ぎ木の元木にします。
 そうですか。好物ですが、それは知らなかった。

≫弱水、紀伊水道と云うよりは砂漠の湖
> 紀伊水道はなあ・・スケールがちいさすぎて古代人もあきれてるかも(^^;

阿南市に橘湾があり、後戸(うしろと:古代はオドか)と云う地名があります。
『古事記』竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原に到りまして、禊ぎ祓へたまひき。
の候補地とか。
 二上山の向こうは、柄の悪い河内ですが、一種の他界としていた大和平野の連中、紀伊水道は海賊の跋扈する難所だったのかも。紀伊と四国の平定、10年はかかるかも。

 『常陸国風土記』
 古の人、常世の国といへるは、蓋し疑ふらくは此の地ならむか。
・行方郡の役所の側の人里には橘が生えている。
・香島の郡の前に郡役所を置いた所は多くの橘を植えその果実はうまい。
 

> 古来から日本の「タチ」花もあったはずです。
遺伝子分析では中国原産の紀州蜜柑とは違う遺伝子があるようで、日本原産の種と見られています。遺伝子を知らずとも、古代の人は、左近の桜を梅(外来種)から切り替えており、右近の橘と並べ、日本原種を神前に植えているのです。

[460] Re[457][456] 西方見聞録?  かたばみ [Mail] [Url] 2003/11/29(Sat) 11:49 [Reply]
≫弱水、紀伊水道と云うよりは砂漠の湖

紀伊水道はなあ・・スケールがちいさすぎて古代人もあきれてるかも(^^;
弱い水は雪解けの季節に現れる沼沢水のイメージがありますね。
チベット高原の東端にある入ったらでられないという広大な湿地帯という論もあります。

山海経にも弱水や若水が崑崙を示す指標として登場しますが、その位置論などは他国人にはいささか遠い話。
岩波の書紀の弱水の註では魏略や漢書註を引用して「遠くはるかな河川の意」に書き替えてるのは感心しない。
弱水は地名でその位置と内容がはっきりしないだけ。

1950年以降の良渚文化(BC3000頃、長江河口)や〜1986年の三星堆文化(BC1400頃、四川省)など長江流域文化の発見があいついで、黄河中心だった常識が崩壊して中国は大騒動(^^;
まあ、数十年もすれば日本でのいろいろも改訂されるのかも。

弱山城?・・おややっ、和歌山の語源決定か(^^;
弱と若は漢音でも呉音でもジャクとニャク。
弱を置き換えて若山城、どうみたって弱より若ワカイほうがいい文字ですね。


長江中流域の洞庭湖付近では青銅器(BC1400頃)を山頂、山麓、水辺などの土中に浅く埋めた遺構が多数発見されていて、特に鐃(鐸類似の祭祀楽器)は他の遺物を伴わずに山の斜面に埋められており、謎なのだそうです(長江文明の発見/徐朝龍)。
その出土状況が日本の銅鐸そっくりであることも指摘していますが、日本側の反応は知りません。
下図は象紋様の鐃で、大きい物では高さ80cm以上あるそうです。
http://www.tcn-catv.ne.jp/~woodsorrel/k_data/nyou.jpg

その慣習は後の楚に継承され、戦国時代に楚文化は最強となって瑯邪八神など山東半島(斉)にも広まっています。
(山東半島でも青銅器埋納が発見されているそうですが現物未確認)
弥生文化は楚文化(山東半島)の影響を多大に受けていると考えています。
弥生の意識は島国のスケールにあらず、はるかにでかい(^^;


タチバナの語源がなにかも面白そう。
唐タチ、枳、枸橘・・カラ・タチバナ(これの実も漢方薬)
カラのタチ、であるなら古来から日本の「タチ」花もあったはずです。

余談
カラタチは落葉樹のようですが、夏ミカン(常緑)を作る場合の接ぎ木の元木にします。
うちのは下手な接ぎ木をしたせいか恐ろしい棘のある夏ミカンの木になっていますが、5月頃に花のいい香りがたちこめます。


[459] 神奈備:吉備と気比はどっちがコピー?  玄松子 2003/11/28(Fri) 11:05 [Reply]
> 某ページ 実は2つある。この文章で検索すれば出る。
> 社記にと傅え、一説に大美屋都古神又は玉佐々良彦命とも云う。舊事記には『蓋し営国国造の租なるべし』と載せてある。

なるほど、そういうことだったのか。思い当たることがあったんだなぁ。

[458] Re[455] 垂仁帝の皇子たち  神奈備 2003/11/27(Thu) 16:35 [Reply]
> こんなん出ました〜。
> http://www.geocities.jp/kokido/tatibana.pdf
> 橘マニアかな? 

> 垂仁天皇と苅幡戸辺の間に胆武別命(いたけるわけのみこと)という方がいらっしゃったんですねぇ。苅幡?

胆武別命は古事記では伊登志別の王。
信濃国埴科郡(長野県更埴市大字寂蒔字八幡新田)の天皇子神社(あまおうじじんじゃ)に天忍穗耳尊とともに伊登志和氣命が祭られています。
 仲哀天皇と神功皇后が伊都県主の五十迹手(いとて)のイソイソサを褒めて国の名を伊蘇志とするとの説話がありますが、イタケ、イトテ、イソシ、イトシ辺りは同じように聞こえていたのかも知れません。
関連神社
 兵庫県宝塚市伊孑志 伊和志津神社
 奈良県御所市楢原 駒形大重神社

> 垂仁天皇の子に「鐸石別命」(ぬてしわけのみこと)とありました。「鐸」(ぬて・ぬりて)の語が使われていますね。
関連神社
 大阪府柏原市大県 鐸比古・鐸比売神社

[457] Re[456] 西方見聞録?  神奈備 2003/11/27(Thu) 16:33 [Reply]
かたばみさん こんにちは。
> 弱水はチベット高原周辺の論が有力
岩波の注には「西域の向こう」。
昔、和歌山城のことを弱山城書きました。これは砂地の砂山だったので崩れやすく、弱い山と呼ばれていたからのようです。
弱水、紀伊水道と云うよりは砂漠の湖、例えばさまよえる湖のロブノール湖などを越えての方が説得力はありそうですね。

常世の地名
 福島県東白川郡塙町大字常世中野
 福島県東白川郡塙町大字常世北野
 福島県耶麻郡塩川町大字常世
 千葉県銚子市常世田町51

[456] Re[455][454][453][452][451]: 橘  かたばみ [Mail] [Url] 2003/11/27(Thu) 02:34 [Reply]
田道間守がどこへなにしにいったのか、常世の国とはどこか、興味深いです。

書こうかと思っていたらすでに陳皮が登場していました。
ある種の橘の実の皮を乾燥させたもの、漢方薬。
田道間守が持ち帰ったのは八竿八縵とあるので、串刺しとか縄に結んだ乾燥果とみえます。

大分の温州ミカンは浙江省温州発の長崎着で日本での改良品種、紀州ミカンはこれとは別種の日本原産種の改良品である可能性があるそうです。
(韓国では温暖な済州島が温州ミカンの産地)
日本原産の橘もあるようで、このあたりぜひDNA分析をやってもらいたいところです。

柑橘類の原産地は雲南〜チベット高原、同時にこの一帯は薬草の宝庫でもあります。
(神産巣日神の子、少彦名はこのあたりの出自と推定→薬の神様)
柑橘類は典型的な常緑照葉樹であり、日本文化との共通性をいわれる照葉樹林文化の中枢は雲南。
田道間守は「弱水」を渡っていますが、弱水はチベット高原周辺の論が有力なようです(中国研究者にも各論あり)。

四川盆地は古来から豊かで天府の国と呼ばれています(有名な三星堆遺跡あり)。
その西の6千m級の高山地帯は崑崙神話(現在の崑崙山脈とは別)や西王母神話の有力候補地です。

すべからく可能性でしかないですが、10年の旅程も重ね合わせれば田道間守の旅した常世の国(神仙の秘区)とは四川盆地〜チベット高原を示すとみています。
垂仁は仙薬のいろいろを探しに常世の国へ田道間守を送り出したのではないかな。

もし田道間守が殉死などせずに旅行記を書いていたなら・・タラレバ(^^;


[455] Re[454][453][452][451]: 橘  恋川亭 2003/11/27(Thu) 01:05 [Reply]
こんなん出ました〜。
http://www.geocities.jp/kokido/tatibana.pdf
橘マニアかな? 途中、漢方の資料がありますが、26ページ以降がホツマの中の橘の紹介です。
今日から、ほかさず(捨てず)にベランダに干して、陳皮をつくってみます。

[454] Re[453][452][451]: 橘  神奈備 2003/11/26(Wed) 10:52 [Reply]
> 矛が明らか=日矛、の方が面白いのに。残念。
 橘を探しに行ったのを日矛の子孫とした物語が案外こんな所に着想のヒントがあったのかも。
 日矛か将来した神宝に熊神離があったのが不思議な気がしていたのですが、香りの橘と合わせて考えると新たな神祭りの方式を持ち込んだ可能性を感じます。

 建水分神社奉納額に楠木正行(まさつら)(正成の子)のものがあり「左衛門少尉橘正行」とあります。橘氏の祖先が河内や紀伊に移って楠木を名乗ったとか。紀伊では楠や熊は長寿祈願の字で名に一字を入れることがありました。二字入れたのが南方さん。

 ミカンの皮を乾燥させて燃やすともの凄い勢いで燃えます。油があるようです。この油は人間をして心地よくするようで、香に焚いたり、風呂に入れたり、潤いをもたらすもののようです。橘の効用でしょう。

[453] Re[452][451]: 橘  玄松子 2003/11/26(Wed) 10:41 [Reply]
> キツは橘の旁で、上に矛・下に冏で、まるい穴をあける・まるい。
> 「橘」は、まるい実のなる木、の意味とありました。

「丸」なのかぁ。うーん。

> 矛があき(冏)らかな樹木。

矛が明らか=日矛、の方が面白いのに。残念。

[452] Re[451]: 橘  恋川亭 2003/11/26(Wed) 10:10 [Reply]
> 「橘」の字源ってわかりませんか。
> 分解すると、矛があき(冏)らかな樹木。

漢和辞典には、
「木+(音符)キツ」の会意兼形声文字。
キツは橘の旁で、上に矛・下に冏で、まるい穴をあける・まるい。
「橘」は、まるい実のなる木、の意味とありました。

で、このキツ(矛/冏)はイツの読みの方で記載されていて、
「矛(ほこ)+冏(あな)」の会意文字とあります。
@刃物で穴をあける。また、中心に穴のあいたさま。
Aすぐれて美しいさま。(類)逸。「(矛/冏)皇、イツコウ」
B「(矛/冏)雲、イツウン」とは、三色のめでたい雲のこと。
C狂ったように走る。「走+(矛/冏)」

・・・こんな感じです。

[451]  玄松子 2003/11/26(Wed) 01:47 [Reply]
「橘」の字源ってわかりませんか。
分解すると、矛があき(冏)らかな樹木。

ちょっとそそられる文字だと思いました。

[450] Re[448][447][445]: 橘  恋川亭 2003/11/26(Wed) 00:38 [Reply]
ソースのご教示、ありがとうございます。『ほつま』・・・はじめて読んでみました。(声に出して詠みあげてみたのですが、5・7調のわりにはリズムが難しいですね、謳うようなタイプとは別?)

> 香久君の元彦の娘花橘

も少し調べてみます。

> いずれにしても出石や多遅麻が系譜上に現れるのは日矛系と物部とは緊密だったのかも。

面白そうなところです。『但馬橘大娘皇女』も但馬と橘の関係を繋ぐような名前。

> 橘・・・武蔵国橘樹郡・・・静岡・・・和歌山

銚子を北限に、黒潮洗う太平洋沿岸には南の記憶って香りますね。

>> 鳥居が村の門になっている

のは、あくまで映画「ラストサムライ」の話しでして。 (^^;)
米国人にはオリエンタルでジャパンなイメージが必要なのでしょう。鳥居が神社のものだという認識でないみたい。西部劇での街や牧場の入口のアーチと同様にとらえていたようです。

〔別件〕:垂仁天皇と苅幡戸辺の間に胆武別命(いたけるわけのみこと)という方がいらっしゃったんですねぇ。苅幡?

[449] Re[447][445]: 橘  神奈備 2003/11/25(Tue) 14:16 [Reply]
> 鳥居が村の門になっている

勧請縄もこの一種かも。
注連縄研究会の大友氏の発信の「道切りの習俗」は秀逸。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~auto/mitikiri.html

[448] Re[447][445]: 橘  神奈備 2003/11/25(Tue) 09:44 [Reply]
> 弟橘姫は田道間守の子で、穂積押山宿禰の養女となった?
> てな、話があるそうな。
・・・ネタ元(ソース)をお教えください。

 香しき橘に関心を持って頂き、ありがとうございます。
 吉武利文著『橘』法政大学出版局からの孫引ですが、『秀真伝』の三七段二八辺りを要約しますと「垂仁天皇の遺言に香久君の元彦の娘花橘を、田道間守の妻となせ、とあり、その間に弟橘が誕生、(命名の由来は田道間守の魂の緒を留める子)、後に花橘と弟橘とは田道間守によく似た押山命に嫁いだとのこと。
参照:◆『ほつま』全文 ◆の鶏合(トリアワ)せ、タチバナの紋(アヤ)
http://www1.ocn.ne.jp/~hotsuma8/ht037.html

> 物部の系図
 『先代旧事本紀』では饒速日尊四世孫の大水口宿禰命は出石心大臣命の子、いずれにしても出石や多遅麻が系譜上に現れるのは日矛系と物部とは緊密だったのかも。

> 伊勢鈴鹿の忍山神社
鈴鹿市道伯町(伊勢国河曲郡)と亀山市野村町(伊勢国鈴鹿郡)に忍山神社が鎮座、後社の祭神に饒速日命、大水口宿禰、忍山宿禰が並んでいます。 伊香我色雄命も鎮座。

 橘では武蔵国橘樹郡と云う地名があり、
1.五十猛命を祭神とする説もある杉山神社がどっさり
2.日本武尊の伝承、弟橘媛の伝承も多い。
3.ミカンがとれそうな気候。
で、静岡や、2を除けば和歌山に似た感じと補助線妄想を補助せん。

用明(ヨウメイ)天皇
弟(オト)、橘豊日王(タチバナノトヨヒノミコ)、池辺宮(イケノヘノミヤ)に坐しまして。

> 鳥居が村の門になっている
半島のソッテの発想ですね。対馬辺りはそう言う感じはないのかな。来年くらい行きたいと。。。

[447] Re[445]: 橘  恋川亭 2003/11/25(Tue) 03:23 [Reply]
「橘」のつく名前をザッと見てみました。漏れはあると思いますし、続柄の表現も適切ではないと思います。その辺は教養不足にて失礼します。<(__)>ゴシテキテイセイクダサイ
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
弟橘媛(おとたちばなひめ)、
日本武尊のおきさき。穂積氏忍山宿禰の娘。稚武彦王の母。

但馬橘大娘皇女(たじまのたちばなのおおいらつめのひめみこ)、
允恭天皇の娘。安康天皇、雄略天皇とは兄妹。仁徳天皇の孫、応神天皇の曾孫?

橘王(たちばなのみこ)、顕宗天皇・仁賢天皇の兄弟。履中天皇の孫。

橘仲皇女(たちばなのなかつひめみこ)、
仁賢天皇と春日大娘皇女の娘。武烈天皇と兄妹?。宣化天皇のおきさき。敏達天皇は孫。

橘麻呂皇子(たちばなのまろのみこ)、欽明天皇の子。

橘本稚皇子(たちばなのもとのわかみこ)、
欽明天皇と堅塩姫の子、用明天皇、推古天皇とは兄弟。聖徳太子は甥。

位奈部橘王(いなべたちばなのひめみこ)、
聖徳太子のおきさき。尾張皇子の娘、敏達天皇と推古天皇の孫。

橘娘(たちばなのいらつめ)、
天智天皇のおきさき。阿倍倉梯麻呂大臣の娘。

あとは(失礼)、県犬養東人の系統から橘三千代。その子孫の橘宿禰佐為、橘宿禰古那可智、橘諸兄、橘奈良麻呂。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
> 弟橘姫は田道間守の子で、穂積押山宿禰の養女となった?
> てな、話があるそうな。
・・・ネタ元(ソース)をお教えください。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
〔別件〕:垂仁天皇の子に「鐸石別命」(ぬてしわけのみこと)とありました。「鐸」(ぬて・ぬりて)の語が使われていますね。
〔蛇足〕:映画「ラストサムライ」観てきました。とても感動的!チャンバラ時代劇ファンとしては大いに愉しめました。鳥居が村の門になっているのが笑えましたけど。v(^^)

[446] Re[445]: 炬燵と蜜柑  恋川亭 2003/11/25(Tue) 01:58 [Reply]
いえ、田道間守と穂積忍山宿禰という副題で。
登場人物の背景に疎いので、少し読んでみました。余分なものが多いですが・・・
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
【田道間守】(たじまもり):天日槍の末裔で三宅連の始祖。

◎系図(イ)・・・・・『日本古代氏族人名辞典』(坂本/平野、吉川弘文館)参考
天日槍
 |−−但馬諸助−−但馬日楢杵−−但馬清彦−−田道間守−→・・・三宅連
麻多烏(但馬出石の人)

◎系図(ロ)・・・・・『古代天皇系図』(荊木美行、燃焼社)参考
天日槍
 |−−多遅摩母呂須玖−−多遅摩斐泥−−多遅摩比那良岐−−多遅摩毛理
前津見(多遅摩之俣尾の娘)

 そして多遅摩比那良岐の子(つまり多遅摩毛理の兄弟)として、多遅摩比多訶と清日子があり、その清日子は当摩之灯繧娶り?、酢鹿之諸男と菅竃由良度美の2子をもうける。
多遅摩比多訶は、その菅竃由良度美(姪になるのかナ?)との間に、葛城高額比賣命(神功皇后の母)をもうける。

〔読み〕
・天日槍(あめのひぼこ)、 ・前津見(まえつみ)
・多遅摩之俣尾(たじまのまたお)=麻多烏?
・多遅摩母呂須玖(たじまもろすく)=但馬諸助?
・多遅摩斐泥(たじまひね)=但馬日楢杵?
・多遅摩比那良岐(たじまひならき)
・多遅摩毛理(たじまもり)=田道間守、 ・清日子(きよひこ)=但馬清彦?
・多遅摩比多訶(たじまひたか)、 ・当摩之灯縺iたぎまのめひ)、
・酢鹿之諸男(すがのもろお)、 ・菅竃由良度美(すがかまゆらとみ)、
・葛城高額比賣命(かずらぎのたかぬかひめのみこと)

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
【穂積忍山宿禰】(ほづみのおしやまのすくね):穂積氏、饒速日命の後裔氏族。

◎系図(ハ)・・・・・『古代豪族系図集覧』(近藤敏喬、東京堂出版)参考
 饒速日命−宇麻志麻治命−彦湯支命−意富祢命−出石心大臣命−鬱色雄命−大水口宿禰命−建忍山宿禰→弟橘媛

ただし、物部の系図では、
 饒速日尊−宇麻志麻治命−彦湯支命−大禰命−出石心大臣命−大綜杵命−伊香色雄命−大水口宿禰命−建忍山宿禰→弟橘媛

建忍山宿禰のところには穂積臣、采女臣の祖とある。(物部十市根の甥?、物部連多遅麻と従兄弟?ムム・・・) 〔読み〕はパス m(__)m
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 まだ弟橘姫までたどれませんが一区切り。
系図を眺めていると「弟姫」はたくさん出てきますね、一般的な名称だったのでしょうか。
絞る対象はやはり「橘」にあり・・・と。 さて、「橘」氏とは別に「橘守」氏というのがありました。「三宅連同祖。天日桙命之後也」で、田道間守の後裔だそうです。妄想的には、「田道間」→「橘」→「聖徳太子」→「紀氏」→「みかん」あたりの補助線を仮想してみようかナと愚考中です。

〔途中で拾った神社関係〕:伊勢鈴鹿の忍山神社?
「摂津国三宅門神、荒々神並従五位下」という三宅連の氏神「三宅門神」?

〔蛇足〕:但馬皇女(天武天皇の皇女)と穂積皇子の恋愛話しも時代が異なりますが、但馬と穂積ですね。

[445]  神奈備 2003/11/22(Sat) 20:24 [Reply]
弟橘姫は田道間守の子で、穂積押山宿禰の養女となった?
てな、話があるそうな。
田道間守は非時の香の実をを探しに常世国へ行ったのだが、それが橘だったと云う辺りと連動したお話なんだろう。

記紀に登場する皇太子で抜群なのは日本武尊と聖徳太子、記紀の作成目的に皇太子とは偉い者と云う宣伝があると読んだことがあるが、この二人、妃が共に橘だ。

[444] Re[441]: 銅鐸鋳造工房にて  恋川亭 2003/11/14(Fri) 22:45 [Reply]
> 技術が熟成すれば装飾的になるのは、ある意味、人間の性(さが)ではないでしょうか。
> たんに、制作者(技術者・プロデューサー)の自己満足かもしれません。

クライアントの要求もエスカレートするでしょうしね。(^^;)
勢いこんで親方は凝ったものデザインするし、納期は迫るし、材料の入荷は遅れるし、試作品は割れるし、何度か使った鋳型はだんだん彫りが甘くなるし、見習はフクレテ動かんし・・・なんだか見てきたような???

[443] Re[440]: 銅鼓は何処に?  恋川亭 2003/11/14(Fri) 22:35 [Reply]
> これらのことが解らないから、面白い。(^_^;

容易に答えの出ない謎解き、この面白み、楽しいですねっ!
中国西南部方面の銅鼓の使用方法例、有り難うございます。同様に埋める場合でも、それぞれの意味づけが異なるのですね。霊的な関係で捉えていることが共通でしょうか、単なる楽器以上の取扱い。礼・楽・・・孔子様が整備される以前の原始儒(巫覡)の世界を思い浮かべましたが、今でも儀式には楽器や鳴り物は欠かせないものでした。

> 私個人としては、音が基本であって、見るは付加価値だと思い始めています。

以前、神戸の埋文に展示してあった大きな銅鐸のレプリカ(精巧に再現して造った方)を鳴らしてみたら、カン〜ッ〜という高い音だけど深みのある響きでした(教会の鐘ともお寺の梵鐘とも異なる)。電車も車も無い昔なら、遠くまで聞こえただろうと想像できます。とくに小高い処なら、平野の耕地に届いたでしょうね。

> 地中に埋めて、一体、誰がその装飾を見るんだ!!

銅鐸にある狩りや杵搗きの様子や、鳥獣の絵が稚拙だという意見がありますが、流水紋などの精巧さを見ると、わざとあの略式の絵にしたのかなァ?と思います。つまり、当時において「昔からの伝統的デザイン」だったとか・・・これも妄想です。<(__)>

[442] Re[439]: 連綿不断  恋川亭 2003/11/14(Fri) 19:44 [Reply]
>  祭祀とは原初の再現と復活、観念を原初に戻すことが禊ぎの原点など日本の神祭りは原初へのこだわりが言われます。この国の人々は意識して原初の保持を行って来ているように思えてなりません。

 いろいろな時代に移り変わっても、生活していく人々の心持ちが変わらずに、祭祀が受け継がれていくというのは、本当に貴重なことですね。それでこそ、昔の人々の思いを推定していく基盤が築けるのでしょう。易っていくものと不易なものと・・・バランスよく見極める眼を養いたいものです。

>  神事は言うなかれ語るなかれ、ましてや一握りの王族や神官が管理していたであろう銅鐸、伝承に残らなかったのでしょうね。

 そういえば、神事に関わる名前は安易に語ってはならない、俗称とは異なる秘密の名前がある・・・という例もありますね。神さまとの間だけで取り交わす真の名前、神名であったり、巫女の名前であったり、御神体の名前であったり。記録に残った神名が、尊称ばかりに飾られた俗称や別称である可能性は大きいかもしれません。真の名前は祭祀する巫覡一人だけに代々伝わるのが本当かも?記録に残る神名だけ拾いあげて、いくら弄くってもすぐ壁にぶつかるのは案外ソレが原因かもかも??

[441] 魅せる  玄松子 2003/11/12(Wed) 20:15 [Reply]
技術が熟成すれば装飾的になるのは、ある意味、人間の性(さが)ではないでしょうか。
たんに、制作者(技術者・プロデューサー)の自己満足かもしれません。

[440] Re[438]: ふりだしにもどる  ペギラ [Mail] 2003/11/12(Wed) 19:03 [Reply]
恋川亭さんの銅鐸の疑問は、そのまま現代の謎ということになると思います。
これらのことが解らないから、面白い。(^_^;
計画的に埋納する青銅器ということで、他で参考にできるのは中国西南部方面の銅鼓
使用方法例
○北ラオス山岳地帯のラメト族
祖先の霊をよぶために銅鼓を叩き鳴らす。
そして普段はそれを地中に埋めておき、使うときだけとりだすという。
○ビルマのカレン族
銅鼓に悪霊がすむものとして、使うことを恐れており、
土中または湛水した石灰岩洞穴に埋めてあるという
(以上Beauclair)
○ベトナム
ふだん銅鼓を土の中に埋めておき、
葬式とかあるいはほかのお祭りのときだけ取り出し、
それが終わればまた土の中に埋めた
(松本清張)

> (1)『見せる銅鐸』の見せる相手とは誰を想定しているのか?
> 祀っている祭祀者なのか、所有権を持つ権力者なのか、見せ付けたい有力貴族なのか、圧倒して帰属させたい一般民衆なのか、それとも『奉りあげたい神々や祖霊』なのか?
> (2)『見せる銅鐸』はいつどんな時に見せたと推定するのか?
> 農耕祭祀説や祖霊祭祀説が説かれていますが(どっちも同じような気が?)、祭祀に関連すると推定するのは同じですね。では、祭りの儀式のときだけに見せたのか、それとも常時見せたのか?
> (3)『見せる銅鐸』はどこで見せたと推定するのか?
> 集落の中の常設の祭祀場なのか、祭のときの仮設の儀式殿なのか、祭祀者の側か、権力者の側か?まさか、埋設場所で?
> (4)『聞く銅鐸』から『見る銅鐸』への変遷という説は、信じてもOKかな?
> ・・・というような証拠もないのに考えても詮無いことを空想していました。現在の神社の形態と混ぜて考えるのは無茶なコジツケと弁えているのですが、今回は手掛かりにしてみます(空想ですから)。
>

見る銅鐸というのも、まったく鳴らさなかったわけでもないようです。
聞く銅鐸というものたちのように、摩耗するほど使用しなかっただけかもしれない。
構造的には、鳴るようになっている。
(本当に突帯を持たないものもある)
聴く銅鐸・見る銅鐸。
このことを言い始めたのは、田中琢さんだったでしょうか。
あまりにもわかりやすい表現ですので、多用されますが、
私個人としては、音が基本であって、見るは付加価値だと思い始めています。

「見る」という表現より、「見せる」かな。
誰にだ?ということになりますが、神様でしょうかね。
多くの民に見せるなら、永く飾っていても良いはず。
地中に埋めて、一体、誰がその装飾を見るんだ!!というところから。

謎が謎を呼ぶ。(爆)

[439] Re[438]: 原初にもどる  神奈備 2003/11/12(Wed) 09:48 [Reply]
 祭祀とは原初の再現と復活、観念を原初に戻すことが禊ぎの原点など日本の神祭りは原初へのこだわりが言われます。
>結局、神社の祭祀から、古代の祭祀をどのくらいまで推定できるのか?
 この国の人々は意識して原初の保持を行って来ているように思えてなりません。

 先日、沼島の自凝神社の例祭に参列する機会を得ました。にわか神主さん(京都の方ではない)が懸命に神事を進行されていましたが、なかなか雰囲気が盛り上がらず、ざわざわしていましたが、参列者の頭上を順に鈴を振りながらの勤めがあり、薄暗い中の鈴の音は全員を鎮まらすものと感じました。
 さらに竜笛の音が境内に流れた時には、まさにお祭りの場に神が降臨されたイメージでした。
 深夜、掘り出された銅鐸の音が森の中から聞こえてくる、これは強烈な印象を聞いた人々に与えたはずです。神事は言うなかれ語るなかれ、ましてや一握りの王族や神官が管理していたであろう銅鐸、伝承に残らなかったのでしょうね。

[438] ふりだしにもどる  恋川亭 2003/11/12(Wed) 01:26 [Reply]
>ペギラさん、大三元さん、レス有り難うございます。
銅鐸のお話しで始った流れだったと思うのですが?もう一度だけ、引きずらせてもらいます。依然として『見せる銅鐸』という表現に拘っています。その方面(考古学的素養)に詳しくないので、実証のない全く印象だけのヨタ話しに終始しますけども。m(__)m

(1)『見せる銅鐸』の見せる相手とは誰を想定しているのか?
祀っている祭祀者なのか、所有権を持つ権力者なのか、見せ付けたい有力貴族なのか、圧倒して帰属させたい一般民衆なのか、それとも『奉りあげたい神々や祖霊』なのか?
(2)『見せる銅鐸』はいつどんな時に見せたと推定するのか?
農耕祭祀説や祖霊祭祀説が説かれていますが(どっちも同じような気が?)、祭祀に関連すると推定するのは同じですね。では、祭りの儀式のときだけに見せたのか、それとも常時見せたのか?
(3)『見せる銅鐸』はどこで見せたと推定するのか?
集落の中の常設の祭祀場なのか、祭のときの仮設の儀式殿なのか、祭祀者の側か、権力者の側か?まさか、埋設場所で?
(4)『聞く銅鐸』から『見る銅鐸』への変遷という説は、信じてもOKかな?
・・・というような証拠もないのに考えても詮無いことを空想していました。現在の神社の形態と混ぜて考えるのは無茶なコジツケと弁えているのですが、今回は手掛かりにしてみます(空想ですから)。

 お寺の秘仏は何十年ぶりとかで御開帳されることがあっても、神社の御神体が公開されることは滅多に無いです。例え公開されても、直接に拝観できる人は厳選されます。みだりに見せません、現代ですら・・・。
 また、古式ゆかしい祭りでは、御神体が渡御されるときに白い布で覆ったり、参道まるごと幕をしたりして隠す例がありますね。しかも夜に少ない明かりの中で儀式が斎行されたりします。明るい陽射しのもとに観衆の眼前にさらけだす御神体は、磐座とか滝とか神奈備山のような自然天然のものです。コンパクトな物や人工物の御神体は大事に大切に秘匿されています。現に皇室に伝わる三種の神器を見た人は何人いるのでしょうか?

 もし銅鐸が祭祀に使われたとすれば、単なる青銅製の儀式品ではなく、神やどる御神体だったのではないでしょうか。そして御神体のように有難くも畏れ多いものは、昔も今と同様に、見ると目がつぶれる、罰が当ると戒められていたと思います。かけまくもかしこき大神さまの御神霊が依りあそばれた御神体ですからネ(^^)
 また、記紀伝承にもあるように昔の『見る』ということは、そのものを欲する、征服するという意味あいも持ちます。見ることでマジカルパワーを得る呪的行為だったのかも。見られるとパワーを失うと考えた可能性もありますし〜。
 ただし、儀式のときには、見せないでいて音を響かせたかもしれませんね。神々であれ祖霊であれ不可視の神霊が祈りに感応されたということで。

 このように、直接に銅鐸を見た人々が少なかった為に、記憶されず伝承されない→記録に残らない、という展開になり、結果、一般には銅鐸を示す言葉が伝わらなかった。と言えば妄想の極致ですね。(^^;)

以上、ウダウダと妄想を書き連ねました。なんの確証もない妄想でここまで至りましたが、『やはり「見る銅鐸」は見たのでは』とはとても言いきれない思いです。
「見る銅鐸」は、大きいから・立派だから・鳴らした形跡がないから・・・以外で、これは見る物だったのだ!という論拠があれば、ご教示下さい。<(__)>

 神奈備先生。上記は、私が神戸市灘区桜が丘(神岡)の銅鐸が発掘された現地に立ってから悶々モヤモヤと感じていた事柄です。今回、この場をお借りして言葉にできたことを感謝いたします。結局、神社の祭祀から、古代の祭祀をどのくらいまで推定できるのか?という命題になりえますか???

[437] [436] Re[426]: 韓竃神社  角丸山 2003/11/11(Tue) 07:33 [Reply]
>> ボーフラ、フォアグラと勘違いし、ゴアフラなどとして、失礼しました。「ゴホウラ」を意味して書いたものでした。
>間違えたことに関して、どうこうという問題ではありません。
>他者の書き込みの意味・内容を、もう少し理解するようにお願いします。

他者の書き込みの意味・内容を、いっそう理解し、対応する場合は表現に留意するようにいたします。m(_ _)m


[436] Re[426]: 韓竃神社  玄松子 2003/11/11(Tue) 01:27 [Reply]
> ボーフラ、フォアグラと勘違いし、ゴアフラなどとして、失礼しました。「ゴホウラ」を意味して書いたものでした。

間違えたことに関して、どうこうという問題ではありません。
他者の書き込みの意味・内容を、もう少し理解するようにお願いします。

[435] [434] Re[431][429]: [421] 影あるところに〜  角丸山 2003/11/10(Mon) 16:11 [Reply]
様々な次元が交差する奥深い場所に突き当たったような気がします。
ゆっくり、じっくりロムさせていただきます。ありがとうございました。

[434] Re[431][429]: [421] 影あるところに〜  大三元 2003/11/10(Mon) 14:15 [Reply]
追記:近淡海之御上祝以伊都久【此三字以音】天之御影神之女。

「御上」と書いてあるも「三上」のこと。私説を広げて行くなら、ミカミ、は「水・上」であり、「み」は「川」を表していると推定(*)するので、ミカミは「川上」と成り得そうである。そうでありそうな傍証として、丹波比古多多須美知能宇斯王が娶った人が丹波河上之摩須郎女、という具合に「河上」が入っている。

(*) http://www.dai3gen.net/mi_kaha.htm

つまり、天之御影神の系譜には「水」の要素を含む名前が多い、ここまでは合意が戴けようか。難しいのは、、、、だから「御影」は「水影」ではないか、という部分でしょうけど。

角丸山さん、はい、見 も 御 も ミ甲 です


[433] [431] Re[429]: [421] 影あるところに  角丸山 2003/11/10(Mon) 13:17 [Reply]
意味的には「水影」よりは「見影」がしっくりいきますが、「見」と「御」は母音類別が異なりましょうか。

[432] [430] Re[428][419] [402]: 兄貴銅鐸  角丸山 2003/11/10(Mon) 13:16 [Reply]
>福田型の作風を継承するような銅鐸が皆無だということは、
>そのある集団の移動があった根拠が見つからない。

了解しました。

>小銅鐸ならこの話は理解できます。移動。
>弥生末期には、関東まで出土しているのが小銅鐸。
>何度も言いますが、副葬品の様相。
>鐸に関して文様の有る・無しで、弥生人は明確に使用方法を区別している。

関東小銅鐸生産に九州集団が関与していないとは言い切れない。当然ながら、近畿からの可能性はある。ということですね。

[431] Re[429]: [421] 影あるところに〜  大三元 2003/11/10(Mon) 12:25 [Reply]
角丸山さん

# 天之御影神・・・「輝く金属製の鏡」程度の範囲で考えておけばいいのかと考えます。

ま、私は材料を提供しただけで、そこからの展開は各自なさったら宜しいのですが、私は、角丸山さんがお書きになったような所まで絞れておりません。

むしろ、天之御影神の子が「息長水依ヒメ」、その子の中に「水」が付く名が少なくとも二名あることから「御」は「ミ(甲類)」で、その音は実は「水」(ミ甲)を意味しているかも知れない、という方向に傾いております。

そう考えれば、もう一人の子も「御井津」も水絡みだし、更に、これに力を得て「丹波比古多多須美知能宇斯」の「美」もミ甲だし、「チ」だけで「道」にもなるから「美知」は「水・道」かいな?とかを追いかけることにもなります。無理かもしれないけど。


[430] Re[428][419] [402]: 兄貴銅鐸  ペギラ [Mail] 2003/11/10(Mon) 12:12 [Reply]
> 九州では福田式銅鐸でもって銅鐸生産を中止し、以降銅鐸生産は近畿に移行し、九州地方は銅剣銅矛の生産に集中ということで、明確に分かれていく。

そういうことだろうと思います。

> 銅鐸生産を支えてきたであろう宗教的集団はその頃に中国、近畿地方に移動したのではないかとの線もありますね。

これは、現状の出土状況では、あまり考えられない。
畿内以東に邪視文の銅鐸が出土されたりしない限り。
福田型の作風を継承するような銅鐸が皆無だということは、
そのある集団の移動があった根拠が見つからない。

小銅鐸ならこの話は理解できます。移動。
弥生末期には、関東まで出土しているのが小銅鐸。
何度も言いますが、副葬品の様相。

鐸に関して文様の有る・無しで、弥生人は明確に使用方法を区別している。

[429] [421] 影あるところに〜  角丸山 2003/11/10(Mon) 11:42 [Reply]
大三元さん、ありがとうございます。

「加賀郷の地名の起源は「キサカ姫が金の弓矢で射た時、光り輝いた」http://www.town.shimane.shimane.jp/school/shimane-j/contents2sub2.html、かぐや姫(化生説話のくだりでは光っています)もあり、天之御影神、輝きの神さま、御姿を影向された神のいずれかを考えると「輝く金属製の鏡」程度の範囲で考えておけばいいのかと考えます。

[428] [419] Re[402]: 兄貴銅鐸  角丸山 2003/11/10(Mon) 10:59 [Reply]
九州では福田式銅鐸でもって銅鐸生産を中止し、以降銅鐸生産は近畿に移行し、九州地方は銅剣銅矛の生産に集中ということで、明確に分かれていく。銅鐸生産を支えてきたであろう宗教的集団はその頃に中国、近畿地方に移動したのではないかとの線もありますね。ありがとうございました。

[427] Re[425][422]: セヂ(勉強中)  大三元 [Url] 2003/11/10(Mon) 10:18 [Reply]
恋川亭さん、ご高覧ありがとうございます
他人様に伝えるのって難しいモンですよね、書いている内に自分で判ってないことがボロボロ出てきたりして。。。

> >  ユーカラの伝承者も、また「セヂ」高い人々だったのでしょうね。
> 映画「ベン・ハー」で(うろ覚えなのですが)、(中略) と、書けばオーバーですか?(^^;)

霊とか霊力、という ものの捉え方 とでも云うのでしょうか、そういうのって、結構時代・土地に限られたものではなくヒトの普遍的な精神活動なのかもしれませんね。

> >  記紀伝承の「ツチ」と南島の「セヂ」という言葉を、言語的に関連付けられるとまでは・・・まだ思い込んでいません。(なんとなく発音の似た雰囲気は纏っているようなのですが)

はい、恋川亭さんのスタンスは承知して居たつもりでした。言語的に関連づけるには、琉球方言のどれと(セジ、スシ、シシなど)と和語「ツチ」を関連づけるのか、から決定せねばならない、という問題があり、ムツカシイですよねぇ、と同意的に掲げたつもりでした。

>  それよりも「セヂ」の実際的な意味合いを学んで、神・神霊・霊力と説明されてきた「ツチ」という言葉を、もう少し掘り下げて考えてみたいナと、思っています。心から湧きあがってくるような「体感的」な理解を求めて・・・難しいですけどね。まだまだ勉強中です。<(__)>

その並びでは「ムチ」「ヂヌミ(チヌミ)」「ツミ」「ミミ」なんかも纏めて理解できたらなぁ、という想いだけはあるのですが・・・

> > > 実はアイヌ語 sut (所属形は suchi) が「祖先、根」であり、はて同根なのかいな、と思ってみたりしてます。現段階ではなんとも・・・
> > 『根』(ネ)、琉球神道で最重要の言葉の意味を示すのですネー!(感激)

あまみんちゅ・しねりんちゅ (揺れ:あまみく・しねりく など)の後半に関して、アイヌ語の sinrit、これも「根・先祖」、が S_N_R_ を共有していて、♪もしや、もしや、♪と思ってはおります。

根の国、に関して書いたものもあります。よろしかったらどうぞ。 
http://www.dai3gen.net/nenokuni.htm


[426] [424] Re[423]:: 韓竃神社  角丸山 2003/11/10(Mon) 09:45 [Reply]
ボーフラ、フォアグラと勘違いし、ゴアフラなどとして、失礼しました。「ゴホウラ」を意味して書いたものでした。

[425] Re[422]: セヂ(勉強中)  恋川亭 2003/11/09(Sun) 23:56 [Reply]
大三元さん、拝読いたしました。
いつも判り易い解説をご公表されますね、有り難うございます。

【「国懸」と「日前」の語義(3)影・陰考】
http://www.dai3gen.net/kunikakasu3.htm
『ユーカラを読んで行くと、神々はその霊力をもって「影」として登場する、その「影」から神の実体を見現すには、見る方も相当な霊力を必要とする、ということが読みとれる。』

 ユーカラの伝承者も、また「セヂ」高い人々だったのでしょうね。
映画「ベン・ハー」で(うろ覚えなのですが)、過酷な奴隷労働に倒れたチャールトン・ヘストン(古いですねェ)の頭もとに、灼熱の太陽を遮る影が現れる場面を思い出しました。(生前の!)イエス様が主人公をいたわる印象的なシーンです。光を背負って逆光なのですが、影であり光であり。ムチ打とうとする監督官も後ずさり。父なる神の『セヂ』を具現させたかのような威厳と慈愛をもっての登場でした。
と、書けばオーバーですか?(^^;)

===================

 記紀伝承の「ツチ」と南島の「セヂ」という言葉を、言語的に関連付けられるとまでは・・・まだ思い込んでいません。(なんとなく発音の似た雰囲気は纏っているようなのですが)
 それよりも「セヂ」の実際的な意味合いを学んで、神・神霊・霊力と説明されてきた「ツチ」という言葉を、もう少し掘り下げて考えてみたいナと、思っています。心から湧きあがってくるような「体感的」な理解を求めて・・・難しいですけどね。まだまだ勉強中です。<(__)>

==================

> 実はアイヌ語 sut (所属形は suchi) が「祖先、根」であり、はて同根なのかいな、と思ってみたりしてます。現段階ではなんとも・・・

『根』(ネ)、琉球神道で最重要の言葉の意味を示すのですネー!(感激)

[424] Re[423]:: 韓竃神社  玄松子 2003/11/09(Sun) 20:10 [Reply]
> > ゴアフラ形状とは和式の弓を全開に引いた形状で丹塗り矢の発射(アーチェリーでなく縦型で下が開いた形)を意味している。
>> ゴホウラ形状とは和式の弓を全開に引いた形状で丹塗り矢の発射(アーチェリーでなく縦型で下が開いた形)を意味している。

細かなことですが、参照部分を書き換えるのは、マナー違反ですよね。

[423] [417] Re[413]: 韓竃神社  角丸山 2003/11/09(Sun) 19:36 [Reply]
ごたごたしたまして。余りご参考にはならないかとも思いますが・・・

>> ゴホウラ形状とは和式の弓を全開に引いた形状で丹塗り矢の発射(アーチェリーでなく縦型で下が開いた形)を意味している。
>これには、参考となるURL・文献・資料はないのでしょうか?

http://www.kcn.ne.jp/~toyo/yumi/yu_reki/gensi.html
このHPにある[原始の弓] 「長弓は、だいたい二メートル以上で、握り部が一般に中央より下部にあり縦形式に使用し、森林の弓と云われ、主として海洋民族系のものであった。 南洋民族系や日本の弓がこれに属し、南洋のものは単一弓であるが、日本のものは単一弓から彎弓の合成弓(木と竹)に発達した。」参照。
http://www.town.shimane.shimane.jp/school/shimane-j/contents2sub2.html
「キサカ姫が金の弓矢で射た時、光り輝いた。」参照。
http://www.setouchi.ac.jp/~dnagoh/kantouzusetu/zusetu.1.html
http://www.sewayaki.jp/ken39/yasu/rekichi/rekichi6.html
http://www.pref.shimane.jp/section/maibun/pdf/D.M20-a.pdf

>> 農耕文化が始まった段階以降の穀霊再生産祭祀であり、
>たとえば、どの祭に残っていますか?
http://www.biwa.ne.jp/~kasajima/ouminomaturihonbun2.htm
おけち、村弓、弓始式、家知講参照。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~W730688M/warasan134.htm
1月御彌射参照。
>>陽光の最小となる冬至の日に行われたものでしょう。
>どうして、そう思うのですか?

農耕の開始と共に日照時間の有効利用が必要になります。太陽観測が始まります。冬至は北半球農作シーズンとしての新年度の始まりです。

>>後に正月に一緒にされ加賀見開きとなる。
>どうして、そう思うのですか?

旧暦、新暦等色々の経緯を経て現在の正月にいたりましたが、正月、クリスマス等が冬至に近いのは古代の太陽観測に基づく冬至を正月としていたことの名残でしょう。

>>公的行事としては白装束の神主さんが白羽の朱塗りの矢を洞窟に向かって射て、年を越して豊作を祈り、穀霊(稲種)再生を祈ったのだと思います。
>たとえば、どの祭に残っていますか?

再生通過儀式は神社時代に入り、洞窟が茅の輪、鳥居などに変わったものと思われます。いまは、再掲しますが、この伝説にしか残っていません。
http://www.town.shimane.shimane.jp/school/shimane-j/contents2sub2.html
概念的には三輪のニョウドウ祭のようなことを洞窟に弓を射るという形で行ったと考えているのです。それは概念的にhttp://www.genbu.net/data/izumo/kankama_title.htm
「立岩の間を通って社殿へ」にあるとおりの通過儀式に共通したものではなかたかなーと考えています。

[422] セヂ  大三元 [Url] 2003/11/09(Sun) 18:38 [Reply]
恋川亭さん、
『沖縄古語辞典』では見出しが「セヂ」で、お書きになったように「セジ」とも、またシジともスジとも、更に、ABCで書き表すと
A=お、う、またはゼロ、
B=し、す、せ、ひ、
C=し、ざ、じ、ぜ、ち、ぢ 
の各種組み合わせが、ざっと50ほど収録されてます。
どれが原形であって、和語との対応を考えるべき対象なのか、途方に暮れるような多様な発音が記録されてますね。意味は「神霊、不可視の霊力」などとあります。

かと思うと、池宮正治著『混効験集の研究』では、「せぢよせ」という項目で「せぢ(霊力)寄せ。倉庫のこと。おもろ語。」とあり、多少学んだつもりの、この語の概念がすっ飛んでしまいます。

ニライセヂが「最も有力」(外間守善著『沖縄の言葉と歴史』p153)ということでニライ(カナイ)の性格(同書によると、祖神の国、死者の国・底の国、地上に豊穣、幸福、平安をもたらすセヂの源泉地、生みの彼方の楽土、常世の国)を勘案すると、実はアイヌ語 sut (所属形は suchi) が「祖先、根」であり、はて同根なのかいな、と思ってみたりしてます。現段階ではなんとも・・・

[421] 影あるところに〜  大三元 [Url] 2003/11/09(Sun) 17:56 [Reply]
題名は恋川亭さんからパクリました、(^o^)
以前からまとめておきたかった「影」に関して、急遽上記URLにアップしました。

恋川亭さんのご指摘、かが、かげ、に かぐ も「輝き」仲間で列なるのではないか。はい、カグツチの異名(カガビコ)から、列なるものであると思ってます。

[420] Re[406]:さなぎ  ペギラ [Mail] 2003/11/09(Sun) 15:20 [Reply]
> > [396] 響銅(さはり)
>  ペギラさん、サハリの容器は仏教の儀式関係とつながるような印象を受けているのです。新羅方面からの仏教伝来とともに伝わったのでしょうか?インド料理店で出てくる金属の食器のイメージ。弥生時代には遡れないかもしれません。また別件ですけども、虫の「サナギ」は、そんなに古い言葉ではないという解説をどこかで見かけました。(出典忘却ですみません)鉄鐸の「サナキ」は古語辞典にあるのに。
>

「さなぎ」については、以前少し探索しました。
私のHPから。切り張り
・・・・・・・・・・・・・・
私の調べれた限りでは所謂「蛹(さなぎ)」は古語辞典では見つかりませんでした。
一体誰が初めに、蛹のことをサナギといったのか!!
ということで私の調べた内容です。

○古語大辞典(小学館)
さなき(鐸)鉄製の大きな鈴。古代の祭式用具。「ぬりて」「ぬて」とも。
○日本国語大辞典(小学館)
さなき(鐸)の語源説
・サナキ(細鳴)の義(東雅・日本語源=賀茂百樹)
・サナケ(細鳴器)の義(言元梯)
・サヤナキ(鏘鳴)の義(大言海)
・サナキ(狭鳴)の義(神代史の新研究=白鳥庫吉)
・サは接頭語、ナリは鳴の義で単に鳴り物を意味した語(日本古語大辞典=松岡静雄)
・風鈴形をしており、舌が長く垂れ出ているところから舌長(シタナガ)の義
(松屋筆記)
さなぎ(蛹)の語源説
・サナキ(鐸)を見たてた名。繭の中で固まり、振れば音がするところから(大言海)
(語源大辞典)
・ウセナカコモリ(亡中籠)の義(日本語原学=林甕臣)
○日本方言大辞典
・さなぎ−てぐす。または釣り糸にかがった釣り針(島根県美濃郡益田市)
    −ふんどし。(鹿児島県奄美大島、徳之島、与論島)

古代、蛹や卵は、「コ」が基本になっている言葉のようで、
サナギなんてのは、出てこない。

私の中では
鐸(サナキ)の語源が「蛹」だと思っていたら、
蛹(サナギ)の語源が「鐸」かも知れないという本末転倒な結果になっています。
・・・・・・・・・・・・

「さはり」と「さなき」
「sahari」と「sanaki」
sa+○a+○iで、言葉として極めて近い部類ではないかな?と。


[419] Re[402]: 兄貴銅鐸  ペギラ [Mail] 2003/11/09(Sun) 15:07 [Reply]
危うく見落とす所でした。(笑)

九州の銅鐸ですね。
一般的に福田型銅鐸と言われる、邪視文の銅鐸。

これについて、姿形からついつい銅鐸の最古形だと感じてしまいますが、
これは、鈕の分類でいう菱環鈕ののち外縁鈕へと変化していったあたりの変形です。
後菱環鈕とでも勝手に云いましょうか。(笑)
菱環鈕の子供で、外縁鈕の兄弟?従兄弟?かな。

今の所ですが、東奈良が最古だと推測されております。

銅戈に大阪湾型があるように、九州型銅鐸なんて言えるのではないかと思うのですが、
先達の方々からそのような発言は、聞いたことがないです。

大阪湾型銅戈が畿内で発展しなかったように、
九州では銅鐸は、発展しなかったのだと思います。

福田型の銅鐸が存在する範囲は、
弥生のその時代に九州の影響が大きかった地域だとも言えますね。

これは、銅鐸を見なくても解ることですね。(^_^;

[418] 光あるところに〜  恋川亭 2003/11/09(Sun) 14:58 [Reply]
> [405] 玄松子さん
> 「チ」が神を表すと考えると、「ツ」は単に、「の」を意味すると考えられます。

古い連体助詞『ツ』のことですね。体言を承けて体言にかかるのが連体助詞なので、『カグツチ』の場合は「カグ」も「チ」も体言、つまり名詞?
用言の連体形は助詞を必要とせずに体言にかかるから、『カガチ』の「カガ」は用言?(嘘です、信じないでね) 言語・文法は大の苦手、逃げたい分野です。m(__)m

=================================

> [410] 『かがみの語源』 大三元さん
>「かげ」が「かが」となるのは他にも「酒:さか・さけ」「赤:あか・あけ」「竹:たか・たけ」などがあり、コトバの上からも納得しております。

「かげ」⇔「かが」、あとはこれに「かぐ」が繋がると輝きの仲間ですね。
大三元さんが指摘されているように、「カゲ(影・陰・景)」にはシャドウの意味だけでなく、光りや姿がありました。「かが・み」はそのまま「姿・見」なのでしょう。
面影、君影、月影、赤影(joke!)等、月影は月光による影でなくて月光そのものの明かりのことですね。(ただし山影は山の光りではなくて山のシルエット)
天之御影神、輝きの神さまか?または御姿を影向された神さまか?

=================================

記紀の神名によくある『ツチ』の件ですが、奄美・沖縄の信仰用語(いわゆる琉球神道)でいう『セジ』(またはシジ・スジとも)という言葉との関連を考えています。
(まあ、直接の関連は無いのでしょうが)『ツチ』の理解を深めそうに思えたのです。しかし、『セジ』そのものが説明の難しい言葉なので、いまだ苦闘中です。(T_T)

[417] Re[413]: 韓竃神社  玄松子 2003/11/09(Sun) 12:39 [Reply]
> ゴアフラ形状とは和式の弓を全開に引いた形状で丹塗り矢の発射(アーチェリーでなく縦型で下が開いた形)を意味している。

これには、参考となるURL・文献・資料はないのでしょうか?

> 農耕文化が始まった段階以降の穀霊再生産祭祀であり、

たとえば、どの祭に残っていますか?

> 陽光の最小となる冬至の日に行われたものでしょう。

どうして、そう思うのですか?

> 後に正月に一緒にされ加賀見開きとなる。

どうして、そう思うのですか?

> 公的行事としては白装束の神主さんが白羽の朱塗りの矢を洞窟に向かって射て、年を越して豊作を祈り、穀霊(稲種)再生を祈ったのだと思います。

たとえば、どの祭に残っていますか?


繰り返しますが、否定しているわけではありません。
「くだらない」と読み捨てることも可能ですが、あるいは、そこに真実があるのかもしれない。だから、「ゆっくり、じっくり」とお願いしています。
それが、青草掲示板の意義だと思うからです。

[416] ゆっくり、じっくり  角丸山 2003/11/09(Sun) 12:21 [Reply]
神奈備さん、

仕事がないとついつい。ゆっくり じっくりよくわかりました。本掲示板のテンポを考慮した書き込みに留意してゆくことといたします。ではまた。

[415] かがみ の語源  角丸山 2003/11/09(Sun) 12:13 [Reply]
大三元さん、

近江の三上神社は天之御影神と言うのはどういう意味なのか悩んでいたのですが、一つのヒントとして「鏡の神様」という気がしました。さわらぎ神社の方は字面からは新羅色は出てこないんですが、そういうことも捨てきれないと思います。ありがとうございました。

[414] ゆっくり、じっくり  神奈備 2003/11/09(Sun) 12:03 [Reply]
 角丸山さん 精力的な書き込み、ありがたいのであすが、テンポが速すぎて追いつけません。
 ゆっくり じっくり
お願いしたいものです。
 前にも猛烈な勢いで書き込みされた方がいましたが、結局お互いにチョット不愉快な思いをしたように記憶しています。

 他の方の(勿論貴殿のも)貴重な書き込みが、遠くにいってしまい、影が薄くなるのも問題です。
 永らくのご愛顧を頂きますためにも
 ゆっくり じっくり
 お願いいたします。

[413] 韓竃神社  角丸山 2003/11/09(Sun) 11:48 [Reply]
ゴアフラ形状とは和式の弓を全開に引いた形状で丹塗り矢の発射(アーチェリーでなく縦型で下が開いた形)を意味している。
農耕文化が始まった段階以降の穀霊再生産祭祀であり、陽光の最小となる冬至の日に行われたものでしょう。後に正月に一緒にされ加賀見開きとなる。これをご家庭でどう行うかは各家庭の聖なる領域にして侵すことははばかられますが(我が家は鏡も見ないでテレビを見てる)、公的行事としては白装束の神主さんが白羽の朱塗りの矢を洞窟に向かって射て、年を越して豊作を祈り、穀霊(稲種)再生を祈ったのだと思います。

[412] Re[411]: 韓竃神社  玄松子 2003/11/09(Sun) 11:13 [Reply]
> この加賀はゴアフラ形状で再生を象徴するシンボル。お正月の加賀見開きはこれからでないでしょうか。

「ゆっくり、じっくり」とは、このような思いつきの駄洒落を連発することではなく、ひとつひとつ、検証していきましょうということです。
(駄洒落を否定しているわけではありません。日本語は駄洒落の多い言葉らしいですから)

どうして、「ゴアフラ形状」から、「加賀見開き」に変化したと<考える>のかを、順を追って、説明しましょう。(本当はゴホウラだと思いますが)

[411] 韓竃神社  角丸山 2003/11/09(Sun) 11:04 [Reply]
考古学的調査を実行すれば古代史の覆る地域ですね。
http://www.city.hirata.shimane.jp/06/kyoiku/html/syougai/gakusyu/inome.html
猪目洞窟遺物包含層のゴアフラ貝の腕輪をはめた人がスサノオではないのかとかねがね思っている辺り。
http://homepage3.nifty.com/toppoem/kabegami-haru121.htm
この加賀はゴアフラ形状で再生を象徴するシンボル。お正月の加賀見開きはこれからでないでしょうか。

[410] かがみ の語源  大三元 [Url] 2003/11/09(Sun) 09:39 [Reply]
ご参考までに、『時代別国語大辞典上代編』では「かがみ」の語義・原義は「影・見」であろうとしています。「かげ」が「かが」となるのは他にも「酒:さか・さけ」「赤:あか・あけ」「竹:たか・たけ」などがあり、コトバの上からも納得しております。

さらぎ、さわらぎ、 については「さら」が新しいの意味なので、新羅、のことかいな、と思っては居りますが、『倭名抄』からはイイガカリがつけられそうなものの、上の上代辞典には「さら」という語が出て居らず、保留中です。さわらぎ、神社の方から、新羅色は出てきませんか?

[409] 鉱山=カナサナ?  角丸山 2003/11/09(Sun) 09:07 [Reply]
>というわけで、あの書き込みで、私は『香=鉱=カグ』に疑問を呈したつもりなのです。

私はここから「鉱」は無しとして、『香=高=カグ』に走った後、同音多義でカグツチには、逆に御批判に反対となるかもしれないが、大和岩雄説による通り、又、神奈備さんの
http://www.kamnavi.net/mn/nara/itakaga.htmにあるとおりの解釈に組するとしました。ところで、倭人伝のカナサナについて(1)埼玉県のカナサナ神社あたり、(2)「上総の」というような予想を張っていたんですが、カナサナ神社の意味が不明で困っていたところに「この香山=鉱山、「Kwa:ng-San」、クヮンサンでしょうか」と言うお話がを頂戴、こりゃー何かあるんではとゆれ始めております(香山は論外として)。

[408] 蛇穴  角丸山 2003/11/09(Sun) 08:34 [Reply]
>【どうせ】奈良盆地にまつわる地名について話題にされるならば、『蛇穴』なんていかがですか?かのサワラギに掛けて。関係あるのでしょうかネ?私はサワラギ神社の『ギ=村』説を検討できていないのですが、証明できたら面白いですね。

大いに同感。『ギ=村』・・・さわらぎ郷の「郷」と同じような意味の感じがします。カツラギなんていうのは高地性防衛能力を感じさせます。サラギの場合は水源(蛇穴)を含む、新しく作られた郷という意味なんでしょうか。それがなまってサワラギ。この線もありえますね。

[407] かがなべて〜  角丸山 2003/11/09(Sun) 08:03 [Reply]
恋川亭さん、レスありがとうございます。

>『天香山は多分最初は九州でできた言葉』は、失礼ながらまだまだ要検討ですね!
http://www.asahi-net.or.jp/~ag6f-mur/nikki/yokagura/yokagura3.htm 参照。
「高千穂町で神聖な柴(榊)をまつる舞い<柴引き>しばひきを舞うために神楽で用いる柴がすべて調達される三田井浅ヶ部の天香山から調達される」とされていますが、これしきでもって「多分最初は九州で」とは言えないかも。他にも天岩戸などもあり・・・うーん、多分、九州が最初の感もあるが、まー、何でもかんでも九州が最初と決め付けちゃいけないでしょうね。逆に大和朝廷成立後逆輸入と言うどんでん返しがあったりすることも考えて上でないとということでしょうね。
とりあえず、一番ひどいあたりを。

[406] かがなべて〜  恋川亭 2003/11/08(Sat) 22:35 [Reply]
三上神社に合わせて三上山を出したウラには、ムカデと鉱山の新解釈が拝読できないかナ〜という期待もあったのですが・・・。
さて角丸山さん、[404] のご投稿『カグツチに帰り まとめ』より、

> カグは「鉱」、「香」の同音多義語(「香」は倭人による香<高<多賀の線での当て字で、当時の古代中国語の漢字自体は「鉱」、「香」共にカグと発音されていたのでしょうか

 これについては、[388] :『思金松兼』に書き込んだのですが、

> 『鉱』の古い発音は Kuang、『香』は hiang(いずれも ng は重なった発音記号)、と漢和辞典にありました。『香山=鉱山』説は否定的な気持ちです。鉱山を示すなら、やはり金山(カナヤマ)でしょう。

 ということです。現在でも夜来香(イエライシャン)、香菜(シャンツァイ)、五香粉(ウーシャンフェン)と、香はシャンでしょ。鉱山はクワァンシャンで、鉱はクワァンでしょ。中国語は知りませんが、↑日常生活の範囲内の言葉として。(^^:)
 また、私の表現が未熟だったようで、『香=鉱』は誤解です。[380] :『カグ・カル説限定批判?』にて私が書き込んだ意味は、畑井弘氏の『朝鮮語で鉱山をいう鉱の語の変化で、カガ・カグ・カゴになる』という説に対しての批判ということで、

>  鉱山「Kwa:ng-San」、クヮンサンでしょうか。これも例えば「天香山は天鉱山」だから、「香(カグ)は鉱、つまり銅。カグ=銅としたい」ということでしょうか。鉱山は漢語ですよね。鉱の字は今の日本でもコウという。香の音読みは今でもコウですから、香=コウ=鉱として、全国の鉱山(つまり金山)から「香山」地名をリストするほうが、説得力を感じますけど。

 これは↑、畑井氏の『鉱の語の変化でカグになる』という主張に、私が『畑井氏は香山=鉱山、だからカグ=銅と言いたい』のだろうか?と疑問を示しているのです。そして、その説に対して【どうせもっともらしく言うならば】、朝鮮語とか語形変化とか出さずに、『香も鉱も、音読みはコウ。だから香山=鉱山。そして全国にある香山という地名(じつはそんなに無い)は、いずれも鉱物が採掘される鉱山である。』とその例をリストアップする方が余程説得力がありますヨ、と僭越ながら揶揄したのです。m(__)m
 というわけで、あの書き込みで、私は『香=鉱=カグ』に疑問を呈したつもりなのです。拙い文章表現で失礼致しました。<(__)>
 天香山が、『こうごうしい山』とか『かぐわしい山』という可能性も強いのですし、『屈(かが)むでいる山』もね否定できないでしょ?(^^;)実際、奈良の天香山なんてとても低い山で丘みたいですから。「香」の代りに「高」で表記しているのは当て字だと思います、または「位の高い山」なのかな?
『是倭国之物実』の話しにあるような、天香山が大和を代表する重要な山であるという理由はもっと、ゆっくり確実に埋めていきましょう。

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また同じく角丸山さんのご投稿にありました、[404]『カグツチに帰り まとめ』より

> なお、宮崎県高千穂地方には、天香久山や奈良盆地にまつわる地名や神社名が三つほど確認されている・・・(略)

 につきましては、奈良盆地の詳細地図を眺めていると【いろいろな各地の地名】が、でてきます。なにも高千穂に限らずともね。『天香山は多分最初は九州でできた言葉』は、失礼ながらまだまだ要検討ですね!『天香山』なんとなく中国っぽい名前なんですが。(^^)
【どうせ】奈良盆地にまつわる地名について話題にされるならば、『蛇穴』なんていかがですか?かのサワラギに掛けて。関係あるのでしょうかネ?私はサワラギ神社の『ギ=村』説を検討できていないのですが、証明できたら面白いですね。

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 『カグ・カル=銅』説に批判的と言っても、それが証明できるものがほしいナと願っている立場なのです。孫引きが多くて、原典が確認できいないのがもどかしいわけです。ですから引き続き探してはいるのですヨ。
 「加賀百万石の金沢」なんてどうだろうか?とか・・・、「金沢」の地名は砂金を洗い出す処が由来だそうですが、「加賀」の地名の由来はまだ判りません。ご存知の方はご教示願います。
 他にも例えばこんな手掛かり。↓

韓竃神社
http://www4.ocn.ne.jp/~ka-ko/karakama.htm
【引用始め】
『ここ唐川町は古くは「辛川」と表記されている。唐・辛ともに韓の意味である。これはかつての加羅・伽耶の国に通ずる。また、唐川町の約60戸のほとんどが荒木姓だ。阿羅国からの渡来を表す阿羅来に由来するとも解釈できる。さらに、唐川地区には加賀羅、別所地区には加阿羅と称する屋号の家がある。また、唐川には鍛冶屋谷があって、鍛冶屋と称する4件が住まいしている。このようなことからも唐川には古代朝鮮の辰韓・弁韓・新羅諸国からの渡来人たちが重層して定着、産銅生活を営んでいたと考えることができる。』【引用終わり】

 ここに『加賀羅』・『加阿羅』なんて『カガ・カル=銅』説の手掛かりになりそうでしょ?でも、これだけでは、英語で陶器をチャイナ、漆器をジャパンというように、『銅製品』を加羅・伽耶・阿羅由来の製品として『カガ/カル』と呼んだ【かもしれない】という推測ができる、という程度です。カガやカルという語が、直接に素材としての銅とか、銅鉱山を指すように変化するには、かなりの年代が必要になるとは思われませんか?

【ご参考】韓竃神社についての詳細は↓
http://www.genbu.net/data/izumo/kankama_title.htm
『当社は、高所恐怖症及び、極度の肥満体型は参拝不可能。』ということなので、私には無理???(^^;)
ちなみに平成12年11月・12月の神奈備掲示板の過去ログにて、A.I.さんこと泊瀬女さんも『ありがとう』、『出雲・幻想の旅 2』で少し言及されています。

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> [396] 響銅(さはり)
 ペギラさん、サハリの容器は仏教の儀式関係とつながるような印象を受けているのです。新羅方面からの仏教伝来とともに伝わったのでしょうか?インド料理店で出てくる金属の食器のイメージ。弥生時代には遡れないかもしれません。また別件ですけども、虫の「サナギ」は、そんなに古い言葉ではないという解説をどこかで見かけました。(出典忘却ですみません)鉄鐸の「サナキ」は古語辞典にあるのに。

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 ぜんぜん脈絡はありませんが・・・、
素盞鳴尊に鉱業関係の解釈がでる前に、ちょっとだけかえり見てくださいネ。
[738] にも、神奈備先生ご指摘の『白保=スサブ』がありますが、
石垣島の方から直接の解説はここに↓
http://www.yaeyama.ne.jp/NET/yugahu/tusin-6.htm
「さざれ石」の原意までもッ!でてます。

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ゆっくり、じっくり・・・m(__)m

[405] Re[404]: カグツチに帰り まとめ  玄松子 2003/11/08(Sat) 17:33 [Reply]
> ご指摘の問題があり、まとめますとこうです。

複数の投稿を一つにして欲しいという意味ではないのですが。

> カグは「鉱」、「香」の同音多義語(「香」は倭人による香<高<多賀の線での当て字で、当時の古代中国語の漢字自体は「鉱」、「香」共にカグと発音されていたのでしょうか)

と、

> ツチは倭人の神格化の語尾ではないかと思います。

ということでしょうか。

ツチに関しては、神(神霊)を表す言葉だとされています。
ノヅチは、野の草花の神。他にもテナヅチ・アシナヅチ・タケミカヅチなど、「ツチ」の付く神名は幾つかあります。
ただし、神を表すのは「ツチ」なのか「チ」なのかは言語の領域。
「チ」が神を表すと考えると、「ツ」は単に、「の」を意味すると考えられます。
「ノツチ」は、「野の神」と翻訳されるわけです。
他に「ツミ」なども同様に考えられています。

「チ」や「ミ」が神を表すとは思いますが、すべての「ツ」「ミ」が神という意味ではありません。
1文字・2文字の短い語が、すべて、いつでも同一の意味を表すと考えるのは危険です。「カグ」「カル」についても同様。

ペギラさん> ゆっくり、じっくり。

お願いします。

[404] カグツチに帰り まとめ  角丸山 2003/11/08(Sat) 15:33 [Reply]
[399] [400][401]「カグツチに帰り」等

ご指摘の問題があり、まとめますとこうです。

先ずは玄松子さんの「カグツチ=鋳造の神」、続いては恋川亭さんによるカグ・カル説限定批判があります。他方、天香具山に限ってですが、http://www.mode21.com/einbahn/050102.html
によれば「埴土で八十平瓮をつくり天神地祇を祭られたり(日本書紀神武紀)」、http://www.norichan.jp/jinja/renai/unebitaketsuchiyasu.htmには「武埴安彦の妻・吾田姫が、こっそり倭の香具山の土を頒巾(ひれ)に包んで、「これは倭の国の代わりの土(是倭国之物実)」と、呪言をした、というのです」とあります。

さてここで、武埴安彦の妻・吾田姫の呪言の記述とカグツチにまつわる穢れの由緒を合わせて考えて見れば武埴安彦の支配地域に対する香具山の土の使用禁止を意味すると考えるもできましょう。

更にその原因はと考えると宗教戦争、卑弥呼による鏡-太陽宗教と保守的銅鐸宗教の戦争にあったのでは、又、武埴安彦の支配地域とは後代においても前方後円墳が普及されない、狗奴国とされる東海地方ではなかったかと思うのです。

さて、香具山ですが
http://www.mode21.com/einbahn/050102.html
において「なお、宮崎県高千穂地方には、天香久山や奈良盆地にまつわる地名や神社名が三つほど確認されている(天香山、二上山、天岩戸神社)。福岡県にも、京都府や奈良県と同じ地名が随所で確認されるというのは広く知られているが、これらの地名が、邪馬台国論争にもみられるような、古代の日本列島における勢力図を記すキーとなっていることは間違いない。」と言いますから、天香山は多分最初は九州でできた言葉でしょう。

その香具山の「香」を恋川亭さんによるカグ・カル説限定批判、香取神宮、香島神宮>鹿島神宮高見山、高取山、高越山、多賀神社、多賀、多賀城、タカミムスビ、タカギの神、高地性集落に基づいて考えて見ますと、「香」=「高」=多賀=国土/産土」という意味が浮かびます。更に、山岳から国土を見下ろす宗教、国土を生む神、その神のいます国土であるタカギ =高天原、高木の神=天界の神という意ではないでしょうか。

カグツチ=鋳造の神、香山=産土山、しからば、産土山の土が何故鋳造の神なのかとなると、鋳造の神のカグは大和岩雄説による通り、又、神奈備さんの
http://www.kamnavi.net/mn/nara/itakaga.htm
「カガミのカガは物部の伊香我色男や天香具山のカガ・カグと同様に銅、もしくは溶けた銅が凝り固まるコリも同じである」とあるとおりで、これはこれ。また、神様ではない香具山の「香」は産土の意味。つまり、カグは「鉱」、「香」の同音多義語(「香」は倭人による香<高<多賀の線での当て字で、当時の古代中国語の漢字自体は「鉱」、「香」共にカグと発音されていたのでしょうか)、又、ツチは倭人の神格化の語尾ではないかと思います。

[403] Re[350]: 結局のところ【再掲】  玄松子 2003/11/08(Sat) 14:22 [Reply]
> ところで、色々と引用がなされていますが、
> 突然、文体が変わったり、無関係な記事が混入して
> どこまでが、どこからの引用なのかぜんぜん区別できないので、
> なかなか理解できません。
>
> 内容も多岐にわたって論点も見えないので、
> できれば、誰か主旨・論旨をまとめてくれるとありがたいのですが。

[402] 兄貴銅鐸  角丸山 2003/11/08(Sat) 14:07 [Reply]
ぺギラさん、

銅鐸は半島から九州北部、出雲経由攝津に到来したのではと思ってたのですが、吉野ヶ里に出雲の銅鐸の兄貴銅鐸が出たということです。
http://www.sanin-chuo.co.jp/news/2000/10/27/01.html
これは朝鮮小銅鐸よりは大物みたいで、九州北部のものよりなんだか進んだものにも見えるんですが、背景としては何が考えられるのでしょうか。

[401] 同音多義語  角丸山 2003/11/08(Sat) 13:53 [Reply]
カグツチ=鋳造の神、香山=産土山、しからば、産土山の土が何故鋳造の神なのかとくると、鋳造の神のカグは大和岩雄説による通りで、即ち、カグは「鉱」、「香(産土)」の同音多義語(「香」は倭人による「高」への当て字もあったかも知れないが、当時の古代中国語の漢字自体は共にカグと発音されていたのか)、ツチは倭人の神格化の語尾ではないかと思います。

[400] また更に  角丸山 2003/11/08(Sat) 13:23 [Reply]
http://www.mode21.com/einbahn/050102.html「なお、宮崎県高千穂地方には、天香久山や奈良盆地にまつわる地名や神社名が三つほど確認されている(天香山、二上山、天岩戸神社)。福岡県にも、京都府や奈良県と同じ地名が随所で確認されるというのは広く知られているが、これらの地名が、邪馬台国論争にもみられるような、古代の日本列島における勢力図を記すキーとなっていることは間違いない。」というのですから、天香山は九州、近畿各地にあるため多分最初は九州でできた言葉でしょう。

「香」を恋川亭さんによるカグ・カル説限定批判、香取神宮、香島神宮>鹿島神宮に基づいて考えて見ますと高見山、高取山、高越山、多賀神社、多賀、多賀城、タカミムスビ、タカギの神、高地性集落などから多賀=産土>国土、山岳から国土を見下ろす宗教、国土を生む神、その神のいます国土であるタカギ=高天原ということで、「香」=「高」=「国土、産土」の意ではないかと思うに至りました。

[399] カグツチに帰り  角丸山 2003/11/08(Sat) 12:29 [Reply]
「カグツチ=鋳造の神」(玄松子さんの---『式内社・・・』の鋳造の神に関しては違います。カグツチ=カゴツチ=鹿子つちで、鞭や鞴(ふいご)を表す言葉から生まれた神名として、鋳造の神という視点です。もちろん、オーソドックスに火の神という意味が根底にありますから、火力の意味もあるかもしれません。銅ではなく、鉱物一般の鋳造に関わる神という程度です。---)の定義とは別に恋川亭さんによるカグ・カル説限定批判があり、更に、多分大和岩雄説に由来、恋川亭さん御批判に折込済みと思われますが、神奈備さんのhttp://www.kamnavi.net/mn/nara/itakaga.htm「カガミのカガは物部の伊香我色男や天香具山のカガ・カグと同様に銅、もしくは溶けた銅が凝り固まるコリも同じである」、また、http://www.mode21.com/einbahn/050102.htmlによれば「埴土で八十平瓮をつくり天神地祇を祭られたり(日本書紀神武紀)」と言うご意見もあります。カグツチが香具山の埴土から来ているのではという気がします。

これは「武埴安彦の妻・吾田姫が、こっそり倭の香具山の土を頒巾(ひれ)に包んで、「これは倭の国の代わりの土(是倭国之物実)」と、呪言をした、というのです」http://www.norichan.jp/jinja/renai/unebitaketsuchiyasu.htm並びにカグツチ関連が穢れの由緒の伝承を負わされていることと合わせて考えて見ればカグツチ乃至は武埴安彦関連の地域に対する香具山の土の使用禁止を意味するものであり、その原因は宗教戦争、鏡-太陽宗教と保守的銅鐸宗教の戦争ではないかと思います。

そして、そのカグツチ乃至は武埴安彦関連の地域とは後代前方後円墳が普及されない、狗奴国とされる東海地方ではなかったのかと。

[398] Re[397][393]: 近江富士のひとつ?  神奈備 2003/11/07(Fri) 20:12 [Reply]
> 素人には、□に「也」を入れて「刀を作った者は伊太なり、書いた者は張安なり」って感じなり。

 この玄松子さんの読みが多数派のようですね。張安は刀に何をしたのかな。スポンサーかな。
 しかしかってどっかで、伊太氏の神云々の読みが紹介されていた記憶があったのですがね。

 で、太刀の出土した肥後国玉名郡と言えば、疋野神社が鎮座しています。
http://www.genbu.net/data/higo/hikino_title.htm

 祭神は波比岐神となっていますが、面白い説があるんです。五十猛命のことだと。
http://shushen.hp.infoseek.co.jp/keijiban/hahiki.htm

??

[397] Re[393]: 近江富士のひとつ?  玄松子 2003/11/07(Fri) 00:27 [Reply]
> > > 「(作)刀者伊太□書者張安也」
>
> 主旨は
>  この刀を作るにあたって伊太低の神の加護を頂き見事な出来映えである。刻印を書いたのは張安である。
> てな感じで・・・・

素人には、□に「也」を入れて「刀を作った者は伊太なり、書いた者は張安なり」って感じなり。

[396] 響銅(さはり)  ペギラ [Mail] 2003/11/06(Thu) 23:33 [Reply]
土器、、いや、どき!

「さなぎ」に近くないか?

[395] Re[393][391][389][381]: 近江富士のひとつ?  恋川亭 2003/11/06(Thu) 23:04 [Reply]
ありがとうございます。m(__)m

「(作)刀者伊太□書者張安也」

文中の□は、文字が判読できない場合の四角マーク□だったのですね。
で、文の流れから当然「伊太低神」の「低」と推定される、と。
すみません、私は口(クチ)と思い混乱していました。ハズカシ・・・

[394] 熱海の海底遺跡  通行人 2003/11/06(Thu) 22:55 [Reply]
始めまして
熱海で海底遺跡が祭祀遺跡が発見されています、
どのような神様が祭られていたか
見当つきますでしょうか?
http://www.izu.biz/pro-tecs/index.htm
時間がありましたら見て下さい。

[393] Re[391][389][381]: 近江富士のひとつ?  神奈備 2003/11/06(Thu) 22:07 [Reply]

>
> > 「(作)刀者伊太□書者張安也」

主旨は
 この刀を作るにあたって伊太低の神の加護を頂き見事な出来映えである。刻印を書いたのは張安である。
てな感じで・・・・

[392] サワラして  角丸山 2003/11/06(Thu) 19:29 [Reply]
日立の世界大百科ですけど「佐波理(さはり) 銅にスズ,鉛を加えた合金で,たたくとよい音を発するため響銅(さはり)とも書く。サハリの語は《和名抄》によると新羅の〈サフラ〉から転訛したという。鋳造,恐物仕上げによる器物の製作に適した合金で,法隆寺献納宝物中にみる,いくつもの鋺(わん‖まり)を入れ子にした加盤(かばん)などがこれに当たる。正倉院宝物の加盤調査の表面観察結果では,銅にスズ,鉛が数%含まれていることが報告されている。」ということで恋川亭さんとぺギラさんの「倭名類聚鈔に「鈔鑼」がありました。沙布羅 銅器也云 新羅金椀出新羅國後人謂之雑羅者新之訛也正説未詳」とが繋がります。

[391] Re[389][381]: 近江富士のひとつ?  恋川亭 2003/11/06(Thu) 19:23 [Reply]
>  近江の三上神社は天之御影神で天目一箇神と同じとされ、この付近は銅鐸の大量出土地。

野洲の三上山、登拝したことはありませんが、通過途中で何度か見たことがあります。とても印象的で美しい神奈備山ですよね。機会があれば登りたいところです。
野洲近辺は現代でも工場が多いですが、広々として緑が多いので工場地帯という(よくある殺風景な)景色ではありません。某有名メーカーの社屋から眺めた広大な夕陽が忘れられないのです。昔も今もハイテク産業地なのですね。
天目一箇神、どこかの工場でも祀っていたような気が。

> 「(作)刀者伊太□書者張安也」

不勉強な者ですみません。これ↑は、どのように読み下しすればいいのでしょうか?

>  どうやら伊太氏の神は鍛造の神のようですね。
>  鉄を溶かす為の材木一般の神と見ますと、鋳物にも通用します。ただ、紀の国、和歌山の県木はウバメガシ、これで作った木炭は鉄をも溶かす程の高温を出すことができます。鍛造向きか。

鋳物のときは溶かすので高温が必要ですね。砂鉄や鉱石から精錬する場合も高温。しかし、もうすでに鉄が精錬されて鍛造するときには、そんなに高温はいりません。赤らめた状態で、叩いて変形するぐらいの温度です。高温過ぎるとむしろ素材がダメになります。ですから、鍛造のときは松炭・栗炭のような中温?タイプなのです。

[390] サワラ無いで  恋川亭 2003/11/06(Thu) 17:10 [Reply]
サハラといっても砂漠しか思いつかなくて悶々としていたのですが、
『金工の伝統技法』(香取・井尾・井伏共著、理工学社刊)に、佐波理(サハリ)または響銅ともいう、銅と錫の合金が載っていました。青銅よりも錫の成分が多いようです。正倉院の宝物にもあるそうで、皿・盤・碗・匙などが作られたとか。古墳時代から奈良時代の頃でしょうかね。佐波理による伝統工芸品は今でもあるようです。
これがサワラギの銅器のことではないでしょうか?
(追記:中国の周代に青銅のことを「吉金」と示したことがあったそうです。)

「おさわり〜」、「おすわりッ!ペシッ!」 <(__)>

[389] Re[381]: 神社の話題に戻れますか?  神奈備 2003/11/06(Thu) 15:10 [Reply]
鋳造系
 『古語拾遺』天目一箇神をして雑の刀、斧、および鉄鐸を作らしむ。
 近江の三上神社は天之御影神で天目一箇神と同じとされ、この付近は銅鐸の大量出土地。
 天目一箇神と鐸との結びつき、また谷川健一氏の説を踏まえますと、鋳物の神のようですね。

 所が、雑の刀とは、くさぐさの刀、これは鍛造品ですので、この神の場合は鍛造と鋳造の区分はないのでしょう。

 『古代の鉄と神々』真弓常忠氏著によりますと、「肥後国玉名郡の船出古墳から出土の鉄製直刀の銘文に「(作)刀者伊太□書者張安也」」とあります。
 どうやら伊太氏の神は鍛造の神のようですね。
 鉄を溶かす為の材木一般の神と見ますと、鋳物にも通用します。ただ、紀の国、和歌山の県木はウバメガシ、これで作った木炭は鉄をも溶かす程の高温を出すことができます。鍛造向きか。

[388] 思金松兼  恋川亭 2003/11/06(Thu) 13:41 [Reply]
元カレ?元・香具? 流れに追いつかないのでワンテンポ遅れて。
さて、いろいろ見ても判りませんです。以下は漢字辞典から引用、

【 銅 】 : 同は穴を開けて突き抜くこと。銅は「金+(音符)同」の会意兼形声文字で、あなをあけやすい柔らかい金属のこと。古訓はアカカネ、類聚名義抄観智院本にはカスムとも。名のりはカネ。呉音ズウ dung、漢音トウ t'ong(いずれもngは重なった発音記号)。

【 金 】 : 金属の総称。殷・周代のころには、おもに青銅をいい、春秋時代以降には黄金のことをさす。

【 鉱 】 : アラガネ。まだ精製していない、金属を含んだかたまり。古くは「石(扁)+黄(旁)」と書き、「石+(音符)黄(きいろ)」の会意兼形声文字で、銅や金の鉱石など黄色に光る石のこと。のち、金属を含むことを強調するため、金扁の鑛の字ができたが、石扁でもまったく同じ。鉱は鑛の略字。広(ひろい)とは関係がない。

以上です。
 まったくの推測にしか過ぎませんが・・・、弥生時代から古墳時代にかけて、青銅の呼称は『カネ』だったのではないでしょうカネ。『カル』や『カグ』よりも、当時の一般的な呼び名では。材質としての金(カネ)がやがて製品としての鐘(カネ)の名前になっていったと。
 また、『鉱』の古い発音は Kuang、『香』は hiang(いずれも ng は重なった発音記号)、と漢和辞典にありました。『香山=鉱山』説は否定的な気持ちです。鉱山を示すなら、やはり金山(カナヤマ)でしょう。
 大和三山の天香具山については、実物を眺めた印象から、『香具(カグ)←屈む(カグ)』という妄想を持っています。

 ついでにワルノリ・・・カゴメカゴメの童歌ね、呪術でもなんでもない掛詞(ダジャレ唄)と思っています。
 ♪かごめ〜 かごめ〜 (屈め屈め)
 ♪かごの中の鳥は〜 いついつ出やる〜
 ♪夜明けの晩に〜 鶴と亀がするべった〜
 ♪後ろの正面 だ〜れ?
屈め→篭目、籠→鶏、鶏→夜明け、出る→つるっと、つるっと→鶴、鶴→亀、つるっと→滑る、亀→滑る、と掛けています。
 また、夜明けの晩、後ろの正面という詞がオカシイという説もありますが、それは現代的な狭い日本語感覚からくる感性ではないでしょうか?一昔前までの地方の老人と会話していたなら、それほど不自然な表現とは思えません。カゴメ唄の不思議はエンタテイメントして愉しんでます。

 結局、カガ・カグ・カゴに関しては、従来通り『光り・輝く』関係の言葉という印象が強いですね。金属、とくに銅を限定するのは難しいと思います。
でも、もしカルが銅を意味するならば、面白いナとは思っているのですヨ。決定的な証拠がほしいのです。
 どうせなら、『光る』を『日(ヒ)+カル』として、銅鏡をみた者達が、陽光を反射するカル(銅)に驚いた・・・とするのもトンデモ的ですな。(信じないでね)
 言語よりも神話や伝承のほうからカグツチを追うほうが良いようです。<(__)>

[387] [386] Re[385]:天智天皇はご承知であったか  角丸山 2003/11/06(Thu) 13:09 [Reply]
恋川亭さんの[380] カグ・カル説限定批判? の中の○畑井弘説:『朝鮮語で鉱山をいう鉱の語の変化で、カガ・カグ・カゴになる』を孫孫推理、従い恋川亭さんのこれまでの労を踏まえてのことでして、いつか来た道をと言うことではございませんが、改めて何かのご教示を賜れるとあらばこれに過ぎたことはございません。m(_ _)m 

[386] Re[385]: 天智天皇はご承知であったか  玄松子 2003/11/06(Thu) 12:48 [Reply]
銅鐸の話から遠ざかってきましたね。
恋川亭さん、今度は「香具」の意味を御所望だそうです。
昔、どこかで聞いた名前ですよね。

[385] 天智天皇はご承知であったか  角丸山 2003/11/06(Thu) 12:12 [Reply]
鹿島出身とのうわさの高い鎌足はなぜ沢良宜郷を見下ろす阿武山を墓所とし、「軽」皇子を女婿とするその子不比等(659-720)はなぜ右大臣就任後直ちに、今更のように「和銅」を喧伝し、そこまでにして、藤原氏は先代の神主、物部より引き継いだ神社鹿島の神を、神護景雲2年(768)、三笠山に奉じその後、香取の経津主神と枚岡から天児屋命、伊勢から比売大神の四神を迎えて、春日大社を創建し、平城京の東の春日山の麓に造営して、藤原氏の祖先神として祀ったのかを考えると、「沢良宜郷」は千葉の佐原と関係があるのではないかと思ったりします。これは鎌足、その戦友天智ともども「沢良宜郷」の由来、ひいては「高」、」、「香具」の由来を承知していたからあのような万葉仮名をあえて使ったのではとも思ったりします。

[384] 佐和良義神社  角丸山 2003/11/06(Thu) 10:50 [Reply]
伊都国奴国の間の早良王国の遺跡、佐和良義神社(沢良宜郷)、香取神宮(採鉱神宮と仮定すると)の佐原市から考えると広がりを持つ工業団地的呼称が浮かんでくるんですが。単独に銅というのではなく、加工技術、テクノクラートを含む特別地域といいましょうか。

[383] 佐和良義神社  ペギラ [Mail] 2003/11/06(Thu) 10:15 [Reply]
まだ引きずってます。(^_^;

>カグは銅の古語、サワラも銅器を指す

「カグ」について恋川亭さんのおかげで、かなり解ってきました。
なら「サワラ」は?

倭名類聚鈔に「鈔鑼」がありました。
沙布羅 銅器也

でも古語という部類の物なのか?


新羅金椀出新羅國後人謂之雑羅者新之訛也正説未詳


[382] ずれますが孫孫推理  角丸山 2003/11/06(Thu) 10:09 [Reply]
天智御製・・・高山波 雲根火雄男志等 耳梨与 相諍競伎 神代従 如此尓有良之 古昔母 然尓有許曾 虚蝉毛 嬬乎相挌良思吉。
故、香具=高=鉱Kwa:ng(ngは重なった)=軽(カル<ngは重ってlとなる。)。
故、香具山=鉱山。
豊前香春(カワル)はヒラ(平)-バル(原)同様で<香原<鉱原。
香取(鹿島)もこれからか。
訓読みは高(たか、たけ)、高取山は全国に分布。筑前、丹後に竹野ありと。
竹野姫、かぐや姫は同義か。
(籠舟、カゴメカゴメ等はカゴから呪術が派生したものか。)・・・ドウですか。

[381] 神社の話題に戻れますか?  恋川亭 2003/11/06(Thu) 00:45 [Reply]
もうひとつ、しつこく。m(__)m
 当然ですが、鍛造(たんぞう)と鋳造(ちゅうぞう)の技術は異なります。銅鐸や銅剣、銅鉾を作るのは青銅を型に流し込む鋳造、鋳物造りですね。鉄の刀や剣を作るのは赤らめて叩いて形ち作る鍛造です。

 何の本で読んだのか忘れてしまったのですが、韓鍛冶(カラカヌチ)は鋳造の技術に優れていたと・・・、倭鍛冶(ヤマトカヌチ)は鍛造系で、中国や朝鮮半島とは異なるルーツを持つとか・・・。鉄の精錬も、鉄鉱石と砂鉄では技術系統は異なりますね。
 また、必ずしも青銅品が先に流入したとは言えず、国内では鉄製品も青銅品と同じほどに遡れるとか・・・。

裏付けのとれていない話を書き加えました。何が言いたいかといいますと、
『鍛造系と鋳造系では、祀る神様が異ならないでしょうか?』
素朴な感想です。

[380] カグ・カル説限定批判?  恋川亭 2003/11/06(Thu) 00:35 [Reply]
ウリャリャ?
言語界の曹操がやって来る前に退散しようと思っていましたのに。(^^;)

 まず、私は『カグ・カル=銅』説に、まだ納得していません。
大和岩雄氏の『秦氏の研究』を見ても、いまいち?富来隆氏、畑井弘氏、中野幡能氏の説の引用を並べて補足しているだけですね。で、まとめるように『なお、富来隆と畑井弘は、「カゴ」は銅を意味する古代朝鮮語とみている』と、なんだか他人事みたいな感じです。先に引用した部分を検討してみますね。(あくまで先に引用した範囲内ということで)

================

○富来隆説:『韓国語の Kuri(銅)が香春になった』

 韓国語の Kuri(銅)がどれくらいの時代まで遡れるのでしょうね?また香春岳の名前がどれくらいの時代まで遡れるのでしょうか?また、クリからカハルへ変化していくのに、どれくらいのタイムスパンを想定しているのでしょうか?そもそもなんで香春岳になって、栗山にならなかったんでしょうね。

○富来隆説:『香はカグというよりもカルではないだろうか。カオルのつづまった音として本来はカルとよむべきで、カル山というのがもともとのよび方ではなかっただろうか』

 ではなぜ、天香山をアマノカルヤマと呼ばないのか?また、「(本来は)カオルのつづまった音としてカルとよむべきで」と、書くのが正しい表現で、本来という語はカオルの方につけるべきでは?カオル山というのがカル山となるなら判るが、なんでカオル山がカグ山になるのか?
 現実には、天香山はカグであって、豊前の香春はカです。これは、少なくとも千年以上変化していないのでしょう?それ以下の短い期間で急にクリからカハルに変化するのはどうかな?結局、引用されている富来隆氏の説には、思いつき(結果)が先にあって、順逆無視した理屈を当てはめているような印象を受けます。この一文だけでは説得力に欠けると思います。

○大和岩雄説:『軽箭について、「箭之内を銅にせり」とあり、軽が銅の意味で使われている』

 軽矢という矢は、矢の内を銅にしているというだけで、なぜ「軽が銅の意味で使われている」と断定できるのでしょうか?『軽とは銅のことなり』とでも原註があるならともかく。軽は銅のことを示すかもしれないという可能性ならありますが、断定するのは不十分に思います。矢の内を銅にすることにより、それまでの石の大きな鏃よりも、軽くなったのかもしれませんヨ。
 この場合、矢の内とはどの部分を指すのでしょうね?このことも軽矢解明の要素のひとつだと思います。鏃は青銅でも、鏃と矢の軸の接続部分に銅(あかがねの方)を巻いたのかもしれません。青銅は硬い、銅は柔らかい。

○大和岩雄説:『日本書紀の「天香山の金をとりて」は、古語拾遺・旧事本紀では「銅」と書く』

 だから?・・・天香山は銅を産出していて、香(カグ)とは銅のこと。天の銅山のことを意味している、と主張されたいのでしょうか?一文ずつ、きちんと主張を明記されないですね、思わせぶり。この例も「だから香(カグ)とは銅かもしれない」とは言えますが、これだけでは断定するに不十分に思います。もっと同様な例を並べるか、『香とは銅なり』という原註がほしいところです。

○畑井弘説:『朝鮮語で鉱山をいう鉱の語の変化で、カガ・カグ・カゴになる』

 鉱山「Kwa:ng-San」、クヮンサンでしょうか。これも例えば「天香山は天鉱山」だから、「香(カグ)は鉱、つまり銅。カグ=銅としたい」ということでしょうか。鉱山は漢語ですよね。鉱の字は今の日本でもコウという。香の音読みは今でもコウですから、香=コウ=鉱として、全国の鉱山(つまり金山)から「香山」地名をリストするほうが、説得力を感じますけど。

○大和岩雄説:『日本語でも、天香山命は、天香語山命、天香吾山命、伊香色雄命、伊迦賀色許男命のカグ・カゴ・カガは同義である。』

 ならば、そのカグ・カゴ・カガの変化(ゆらぎ?バリエーション?)について、一言でも説明がほしいところ。

○大和岩雄説:『富来隆と畑井弘は、「カゴ」は銅を意味する古代朝鮮語とみている』

 すくなくとも、引用文の範囲内では、富来隆氏は韓国語、畑井弘氏は朝鮮語と書いていて、古代をつけていませんね。古代の話しをしていても、明記していない。
カゴ=銅、古代朝鮮語というのは推定の話しのようです。

○中野幡能説:『美野晃順説から新羅語の「金の村」は「カグポル」である』

 これこそ、この「魏志倭人伝倭三十国の地名比定」から出典元を調べて記述してほしいところです。残念!

==============

 日本書紀か万葉集か風土記などに、『唐金(カラカネ)をカグという』とか『カグとは金(カネ)なり』、『韓国(カラクニ)で金をカルという』などというような記述があれば話がはやいのですが・・・。
 または、古代の新羅語、百済語、高麗語、伽耶語?などでは、金(カネ:金属一般)、青銅、鉄などをどのように表現していたか、知りたいものです。
 わざわざ分けたのは、古代朝鮮語とひっくるめて語るのはランボーなことではないのかな?という思いがあるからです。統一新羅以前と以後の言葉をごちゃ混ぜに認識して大丈夫なのだろうか?とも。同じ国内でも、貴族階級と工人、農民、奴隷と言葉が共通したのかな?とも。
 金思[火華]教授が三国遺事などから、古代の言葉と推定できたものを抽出されていますが、そんなに豊富な語彙数ではありません。資料そのものが少ないし、後の時代に編纂されたものです。実際には、日本書紀などからも古代朝鮮語の推定を行っているわけです。
妄想は別として、基本材料は丁寧に積み上げたいですね。
さて、大分引っ張ってしまいました。m(__)m

 古代の各国々で青銅をどのように呼んだのか?当時の倭や半島諸国での記録が残っていないとすると、大陸の諸国、漢語では青銅を何と呼んだのか?
 青銅文明の大国でしたからね。製品、容器の形状ごとにさまざまな漢字があるのですが、青銅、つまり素材を何と呼んだのか知りません。検索しても判りませんでした。『青銅』そのものか単に『金』でしょうか?
 こんなサイトは在ったのですが↓

「私学教育ネット 物が語る世界の歴史」のサイトにあった、『物が語る世界の歴史』(綿引弘著、聖文新社刊)の中の青銅を解説した部分を引用します。
http://www.shigaku.or.jp/World/bronze1.htm

【引用始め】
『中国では殷代(前一六〇〇年〜)に青銅器が出現している。中国の古書『呂氏春秋』類別篇(秦代の本)に「金柔錫柔。合両柔則為剛」という文がある。ここでいう金とは銅のことで、これは「銅は柔かく、錫も柔かいが、この二つの柔かい金属を混ぜれば、固い金属となる」という意味で、銅と錫の合金が青銅であるということが正確に理解されていたことがわかる。』
【引用終わり】

『カグ・カル=銅』説、検証の道は険しいようです。
言語音痴の私には重荷でした。<(__)>

[379] Re[378]: カグツチ他  玄松子 2003/11/06(Thu) 00:15 [Reply]
確認しておきますが。

> カグ・・・これにある銅の概念、その時代的変化についての論考

恋川亭さんは、
> 書店での立読みでは、カグ=銅の説明を探しだせませんでした。
と書かれています。「時代的変化」を論じる以前の問題で、「銅の概念」そのものがあるのかないのか、という段階です。

[378] カグツチ他  角丸山 2003/11/05(Wed) 21:38 [Reply]
玄松子さん、わざわざありがとうございました。

カグツチ=カゴツチ=鹿子つち=鉱物一般の鋳造に関わる神。
定義の幅が狭められました。だが、鹿児島は火を吹く島・・・この程度の拡大解釈はできる-こうしたニュアンスは残りそうですが。

カグ・・・これにある銅の概念、その時代的変化についての論考は恋川亭さんにお任せということ。恋川亭さんには、ついでで恐縮ですが解る範囲内で、天の香具山(司祭者王)、かぐや姫(巫女王)、カゴメカゴメ(神妻)、籠舟(銅器搭載か、玉勝間防水か)、籠神社(シャーマン神社か)・・・これらについても何なのか(籠の意味もあろうし)恋川亭さんのご意見願えれば幸甚ですが。

[377] Re[369]: カグツチ他  玄松子 2003/11/05(Wed) 20:39 [Reply]
> [361] 鋳造の神
> >『式内社調査報告』では、佐和良義神社のカグツチは、銅鐸などの鋳造の神
> (火の神、あるいは、ふいごの神)と解釈されていますね。「銅の神」は、その拡大解釈に過ぎないのではないでしょうかねぇ。
>
> これらご意見を総合するに、カグ・カル=銅はアカガネに変わり、

『式内社・・・』の鋳造の神に関しては違います。
カグツチ=カゴツチ=鹿子つちで、鞭や鞴(ふいご)を表す言葉から生まれた神名として、鋳造の神という視点です。もちろん、オーソドックスに火の神という意味が根底にありますから、火力の意味もあるかもしれません。銅ではなく、鉱物一般の鋳造に関わる神という程度です。

以後、カグツチから銅をひねり出す作業は、恋川亭さんに任せました。

[376] 古墳時代の小銅鐸生産等  角丸山 2003/11/05(Wed) 19:47 [Reply]
ぺギラさん、

[375]地元では拝原とも、江原ともいっているようです。
これが鉄鐸に・・・こういう話だったんですね。西部開拓幌馬車団の先頭部隊みたいな人たちですね。
[374]脇町(旧制脇町中学の先生をしておられたのが例の箸墓モモソヒメ説の、笠井新也さん、だそうですね。)から出雲参りだったようですね。昔は獣道の山越えだったんだろうなー。

[375] Re[370]: 古墳時代の小銅鐸生産  ペギラ [Mail] 2003/11/05(Wed) 19:01 [Reply]
> 徳島県伝美馬郡脇町江原
> U−1式四区画流水文絵画 鹿
> 無紋小銅鐸
> 大正8年

この部分訂正を
小銅鐸は年代不明です。
そして小銅鐸出土地は正確には、脇町拝原です。
少し手を抜いてますね。私が。(笑)
ひさしぶりに、チャックし直そうかと思いました。m(_ _)m

> 徳島、千葉両県でU−1式四区画流水文、4区画袈裟襷文が同一地域より出土しており、僻地に到達するのに時間がかかり、その時代の最先端の農事祭祀用銅鐸と葬礼用無紋小銅鐸が出土したのでしょう。だが、静岡県のものは古墳時代に入っているようで、少なくとも葬礼用に関しては古墳時代においても小銅鐸の生産と使用が(少なくとも僻地においては)存続していたということになりましょうか。
>

ひっそり頑固に継承していた人達がいるように思えます。
場所的には、僻地だからという感じは、個人的にはしません。
これが、鉄鐸になっていったのではないか?
という私の推理は、前に言いました通りです。

[374] Re[371]: 兄弟銅鐸  ペギラ [Mail] 2003/11/05(Wed) 18:48 [Reply]
> 徳島県脇町はU−1式四区画流水文ですが、「兄弟銅鐸リスト」では徳島県伝脇町と島根県荒神谷が兄弟、しかし、荒神谷には徳島県伝脇町U−1式四区画流水文はなく、袈裟襷文、横帯文だけです。 これはなぜでしょうか。

お知らせありがとうございます。m(_ _)m
私の単なる打ち間違いです。
流水文ではなく、袈裟襷文です。
まだまだ、完成品には、ほど遠い。(^_^;
さっそく訂正しました。御礼

[373] Re[366] : 確認してきました  恋川亭 2003/11/05(Wed) 16:59 [Reply]
> > > 金思[火華]教授の『古代朝鮮語と日本語』・・・
> > この本、権威に頼りますと、上田正昭先生の序文がありましたね。

明石書店から再版された本では、中西進先生の序文になっていました。
金思[火華]教授の『古代朝鮮語と日本語』、書店での立読みでは、カグ=銅の説明を探しだせませんでした。図書館などでじっくり読む時間が必要です。
曹操がやって来る前に、言葉の件はこの辺で早々。m(__)m

[372] [371] 兄弟銅鐸  角丸山 2003/11/05(Wed) 14:21 [Reply]
ぺギラさん、

加茂岩倉の兄弟流水文シカを下記の通り発見しました。
http://www2.pref.shimane.jp/fudoki/koukogaku-data/simaneno-seidouki.html
銅鐸出雲A3大原郡加茂町加茂岩倉U・V袈裟襷文・流水文29.5〜49Oct-96計39個、埋納坑、8組15個の同笵銅鐸、シカトンボ、カメ、顔、等の絵画
[371] 兄弟銅鐸の質問を取り下げます。
(脇町の近所の銅鐸出土地である山川町の高越山(コウツウザン)では戦後まで銅鉱石を採掘してまして、和歌山住金方面向けでしょうか、積み出しておりました。高越山の迫るように見える久千田でも僻地なのに銅鐸が出土しているこれはなぜかと考えていたためです。山川町には忌部の墓が多いそうです。)

[371] 兄弟銅鐸  角丸山 2003/11/05(Wed) 13:07 [Reply]
ぺギラさん、

徳島県脇町はU−1式四区画流水文ですが、「兄弟銅鐸リスト」では徳島県伝脇町と島根県荒神谷が兄弟、しかし、荒神谷には徳島県伝脇町U−1式四区画流水文はなく、袈裟襷文、横帯文だけです。 これはなぜでしょうか。

[370] 古墳時代の小銅鐸生産  角丸山 2003/11/05(Wed) 12:45 [Reply]
ぺギラさん、

貴「銅鐸出土地リスト」から「無紋小銅鐸」関係を選別しますと以下の通り。

福岡県春日市岡本町4丁目
無紋小銅鐸鋳型
昭和54年

福岡市西区今宿・五郎江
無紋小銅鐸13.5cm
昭和60年

岡山県真庭郡落合町下市瀬・池尻
無紋小銅鐸6.6cm
昭和47年

鳥取県東伯郡東郷町北福・北山
無紋小銅鐸9.25cm
昭和5,6年

鳥取県東伯郡羽合町長瀬高浜
無紋紐渦巻き8.7cm
昭和56年

徳島県伝美馬郡脇町江原
U−1式四区画流水文絵画 鹿
無紋小銅鐸
大正8年

松阪市久保町世ノ美・草山
無紋小銅鐸5.3cm
昭和60年

静岡県駿東郡浮島町船津・陣ヶ澤
無紋小銅鐸6cm
昭和4年古墳内出土

千葉県市原市草刈・川焼台地
4区画袈裟襷文小銅鐸12.25cm
無紋小銅鐸9.8cm
昭和58年昭和60年

徳島、千葉両県でU−1式四区画流水文、4区画袈裟襷文が同一地域より出土しており、僻地に到達するのに時間がかかり、その時代の最先端の農事祭祀用銅鐸と葬礼用無紋小銅鐸が出土したのでしょう。だが、静岡県のものは古墳時代に入っているようで、少なくとも葬礼用に関しては古墳時代においても小銅鐸の生産と使用が(少なくとも僻地においては)存続していたということになりましょうか。

[369] カグツチ他  角丸山 2003/11/05(Wed) 11:10 [Reply]
各位の貴重なる参考文献情報に深謝します。さて、

[368]カグツチ
>>そうすると豊前の香春(カワル)と同義となる。

これにつきましては、下記が目に入りましたのでご参考まで。
http://www.sysken.or.jp/Ushijima/Den-kamigami.html#anchor974165
上記HPの下から5番目の項目に「日光感精説話と卵生説話」に豊前の香春(カワル)が登場しております。

[368]カグツチ
>私にはこれらの説の当否は判りませんが、なぜ国内で、カグ・カル=銅を示す言葉が残らなかったのでしょうかねぇ?専門職のテクニカル・タームとして残ってもよさそうな気もするのですが。
[361] 鋳造の神
>『式内社調査報告』では、佐和良義神社のカグツチは、銅鐸などの鋳造の神
(火の神、あるいは、ふいごの神)と解釈されていますね。「銅の神」は、その拡大解釈に過ぎないのではないでしょうかねぇ。

これらご意見を総合するに、カグ・カル=銅はアカガネに変わり、カグは冶金(また、イカガという人名、イカゴという地名もありますが、これは鋳造の鋳がつき、生産工程をあらわすのかと)という古い意味を残して化石化した感があります。こうなるとイスズは鋳鈴(品名か、技術工程かは不明ですが)かなーと言う気も致します。

[368] Re[365][360][358]: カグツチ  恋川亭 2003/11/05(Wed) 00:57 [Reply]
連続投稿ですみません。
ペギラさん、ご紹介いただいた本を見てみました。
大和岩雄氏の『秦氏の研究』、p.110 にありますね。香春岳で銅・鉄が採集できたことをあげてから、富来隆氏や畑井弘氏の説を紹介しています。

【引用始め】
 富来隆は、韓国語の Kuri(銅)が香春になった(クリ→カル→カアル→カハル)と推測し、「『天ノ香山の金(かね)をとりて・・・』とあることからすれば、香はカグというよりもカルではないだろうか。カオルのつづまった音として本来はカルとよむべきで、カル山というのがもともとのよび方ではなかっただろうかとも考えてみたくなる。そうすると豊前の香春(カワル)と同義となる。軽・香・刈などが、カル・カリの宛て字として用いられたこと(ついで字から読み方が変化したこと)も多いのではないだろうか」と書いている。
 富来隆はふれていないが、『古事記』の允恭記には、軽太子の作った「軽箭(かるや)」について、「箭之内(やのうち)を銅(あかがね)にせり」とあり、軽が銅の意味で使われている。富来隆が引用する「天香山の金をとりて」は『日本書紀』(一書の一)の文章だが、この「カネ」を『古語拾遺』『旧事本紀』は「銅(かね)」と書く。
 畑井弘は、朝鮮語で鉱山をいう「Kwa:ng-San」
【恋川亭註:本にはハングル文字で書いて、その後に発音記号があります。引用中のngは重なった記号です。この次も同様】
の ng の後の母音が Aなら「カガ」、Uなら「カグ」、Oなら「カゴ」になると書くが、日本語でも、天香山命は、天香語山命、天香吾山命、伊香色雄命、伊迦賀色許男命のカグ・カゴ・カガは同義である。
(中略)なお、富来隆と畑井弘は、「カゴ」は銅を意味する古代朝鮮語とみている。
【引用終わり】

文中、大和岩雄氏の引用元、
  富来隆:『卑弥呼』:学生社
  畑井弘:『物部氏の伝承』:吉川弘文館
また、『秦氏の研究』、p.109 には、中野幡能氏の引用による、美野晃順氏の「魏志倭人伝倭三十国の地名比定」より、『新羅語の「金の村」は「カグポル」である』という説を紹介しています。しかし、孫引きの孫引きですねー。引用ばかりがズラズラと並んでいます。いいんよう?

 私にはこれらの説の当否は判りませんが、なぜ国内で、カグ・カル=銅を示す言葉が残らなかったのでしょうかねぇ?専門職のテクニカル・タームとして残ってもよさそうな気もするのですが。アカガネ・クロガネ・ハガネなどと、カグ・カルは金属一般を示すカネに収斂していったのでしょうね。このようにみると、カグ・カルは銅のみを示すのか?怪しく思えてきます。ROMするつもりが長くなってしまいました。ではでは失礼しました。

[367] Re[365][360][358]: カグツチ  恋川亭 2003/11/04(Tue) 23:32 [Reply]
> 蝿声なすゆえに許される数々、
> わからない故にごまかしてしましました。すいません。
> 『日本にあった朝鮮王国―謎の「秦王国」と古代信仰』 か
> 『秦氏の研究』か。
> とにかく大和岩雄さんの書物だと思います。

いえいえ、ペギラさん。こちらこそエラソーな書き込みで失礼致しました。m(__)m
> 【必ず原典を示して】公表していただければ・・・云々
というのは、書籍に対してのつもりでした。あのままでは言葉が足りず、みなさんへの傲慢な注文になってしまいますね。すみませんでした! <(__)>
 実際、刊行されている『古代朝鮮語と古代日本語関係の本』の中には、強引な主張のトンデモ本をよくみかけますので、このように思うようになったのです。私自信は確かな『古代朝鮮語』のことを知りたいのですが、案外難しいようですね。
 面白い妄想を愉しむためには、せめて素材を正確なものにしたいと考えています。山田風太郎さんがあるインタビューで、小説の設定とか細かな描写を正確にもっともらしく書いていき、それが充実してきた時点で『おもむろに嘘をつく』・・・というエンタテイメントの正道を語っていました。そうすれば荒唐無稽もスンナリと受け入れられると。
あ、大幅に脱線してしまいましたネ。『カグ、カル=銅』説?もう少し調べてみます。

[366] Re[364][362][356] : トンデモ本?ネチネチ  恋川亭 2003/11/04(Tue) 22:56 [Reply]
> > 金思[火華]教授の『古代朝鮮語と日本語』・・・
>
> この本、権威に頼りますと、上田正昭先生の序文がありましたね。

歴史学の先生からはお墨付きを頂いているのですね。ありがとうございました。

[365] Re[360][358]: カグツチ  ペギラ [Mail] 2003/11/04(Tue) 21:47 [Reply]
> よく日本の古代史で話題にでてくる『古代朝鮮語』については、【本当に古代の朝鮮語】であることが判明している言葉なら、とても貴重な知識なので【必ず原典を示して】公表していただければウレシイですね。そうすれば、とても勉強になると思います。

蝿声なすゆえに許される数々、
わからない故にごまかしてしましました。すいません。
『日本にあった朝鮮王国―謎の「秦王国」と古代信仰』 か
『秦氏の研究』か。
とにかく大和岩雄さんの書物だと思います。

基本的に言語素人なので、お許しを願います。m(_ _)m

[364] Re[362][356] : トンデモ本?ネチネチ  神奈備 2003/11/04(Tue) 20:43 [Reply]
> 金思[火華]教授の『古代朝鮮語と日本語』等は日本国内での歴史学や言語学の学会つまりプロの批評に耐え得る(あるいは認められた)資料となり得るのでしょうか?専門の方がどのように評価しているのかを知りたいのです。

この本、権威に頼りますと、上田正昭先生の序文がありましたね。

[363] Re[362] : 訂正  恋川亭 2003/11/04(Tue) 20:08 [Reply]
>  畑井の『天皇と鍛冶王の伝承』はともかくとしても・・・

畑井氏の氏が抜けていました。失礼致しました。<(__)>

[362] Re[356] : トンデモ本?ネチネチ  恋川亭 2003/11/04(Tue) 20:03 [Reply]
>  カグについては「朝鮮語の鉱の音を写した」と『天皇と鍛冶王の伝承』の中で畑井弘氏が述べていますね。

 この本(『天皇と鍛冶王の伝承』)、僕も買って読んでいました。かなりの労作とは思うのですが、あとがきに畑井弘氏も書いているように『あくまでも仮説である』という展開です。
そして、巻末の[主な参考文献]を見ると、朝鮮語の裏付けを金思[火華]教授の『古代朝鮮語と日本語』、『記紀萬葉の朝鮮語』に拠っているようです。
 畑井の『天皇と鍛冶王の伝承』はともかくとしても(いろんな推測があることは歓迎)、金思[火華]教授の『古代朝鮮語と日本語』等は日本国内での歴史学や言語学の学会つまりプロの批評に耐え得る(あるいは認められた)資料となり得るのでしょうか?専門の方がどのように評価しているのかを知りたいのです。

[361] 鋳造の神  玄松子 2003/11/04(Tue) 19:37 [Reply]
『式内社調査報告』では、佐和良義神社のカグツチは、銅鐸などの鋳造の神
(火の神、あるいは、ふいごの神)と解釈されていますね。

「銅の神」は、その拡大解釈に過ぎないのではないでしょうかねぇ。

[360] Re[358]: カグツチ  恋川亭 2003/11/04(Tue) 18:21 [Reply]
> > 国内で、カグ=銅という使用例は、他にはないのでしょうか?

さなきだに〜重きが上の小夜衣・・・

広辞苑はもとより、
 『岩波 古語辞典』
 『旺文社 古語辞典』
 『角川 古語大辞典 第一巻』
 『三省堂 時代別国語大辞典 上代編』
 『明治書院 上代語辞典』
 『小学館 日本国語大辞典 第二版 第三巻』
以上の各辞典をあたってみました。
 銅や青銅、もっとひろく金属の意味を持たせた【カグ】という言葉がないか?と。もちろん、それに近いと思う発音、カガやカルなども含めてじっくりと調べてみたのですが。結果、まったくかすりもしませんでした。

 どの辞典も『カグツチ』の【カグ】は、光り輝くの意味で示しています。銅を『アカガネ』とすると、赫(カク)という字を使った漢語、
  赫赫(カクカク):明らかで盛んなさま
  赫奕(カクヤク):光り輝くさま
が有りました。新品の十円玉の輝きでしょうか。でも青銅は黄色っぽい色なので、新品の十円玉のような『アカガネ』的印象は薄いのでは?と思います。
 唐金(カラカネ)は青銅そのものの意味でしたが、【カグ】という発音にはなりませんよね。

 このように主要な古語辞典からは、カグ・カガ・カルなどの言葉に銅(金属)を連想させる意味を見出せませんでした。もし、【カグ】が銅(金属)を意味する古語ならば、一子相伝・門外不出の隠語だったのでしょうか。一般的な古語ではなかったようです。

 それに【ギ】が「村」の古語?というのも確認できません。「村」の古語としては、『フレ』とか『アレ』などとあります。【ギ】はむしろ「城」(稲城などとありますよね)ではなかろうかと?【カグ】も【ギ】も、それぞれの出典を明確に示してほしいところです。
ア!ついでに【サワラ】も調べるべきだったのに、ワスレタ!!

さらに・・・、
よく日本の古代史で話題にでてくる『古代朝鮮語』については、【本当に古代の朝鮮語】であることが判明している言葉なら、とても貴重な知識なので【必ず原典を示して】公表していただければウレシイですね。そうすれば、とても勉強になると思います。

[359] 神奈備さんのが多い(^^;  角丸山 2003/11/04(Tue) 16:41 [Reply]
カグ 銅 では神奈備さんのが抜群ですよ。

http://search.yahoo.co.jp/bin/query?p=%a5%ab%a5%b0%a1%a1%c6%bc&hc=0&hs=0

[358] Re[357][356][355][353][352][342]: カグツチ  神奈備 2003/11/04(Tue) 14:59 [Reply]

> 古代朝鮮語の kwa:ng はカネ(金属)じゃないかな?
> 銅と特定されるものじゃないように思えるけど、素人ではこの考察は限界か。。。
金属で初期に使用し始められたのは銅ですから銅のこととなったとか。どうだ!

> 国内で、カグ=銅という使用例は、他にはないのでしょうか?
恋川亭さん。

[357] Re[356][355][353][352][342]: カグツチ  ペギラ [Mail] 2003/11/04(Tue) 13:59 [Reply]
すばやい!
>
>  カグについては「朝鮮語の鉱の音を写した」と『天皇と鍛冶王の伝承』の中で畑井弘氏が述べていますね。
>  

古代朝鮮語の kwa:ng はカネ(金属)じゃないかな?
銅と特定されるものじゃないように思えるけど、素人ではこの考察は限界か。。。
国内で、カグ=銅という使用例は、他にはないのでしょうか?

>  サワラですがこの木は檜と区別しにくく、樹皮は檜皮色で、銅のような色ですね。m(_ _)m
>
なるほど!!
本末転倒という感じもしますね。
サワラ(木)の語源が銅器(サワラか?)なのか、
銅器(サワラか?)の語源がサワラ(木)なのか。(-_-;)

ううう、わけわからん?(爆)

[356] Re[355][353][352][342]: カグツチ  神奈備 2003/11/04(Tue) 11:59 [Reply]
> >「カグは銅の古語、サワラも銅器を指す」
> は、誰の発言ともなく、自然発生的に存在するのでしょうか?

 記述者は該当神社の神主さんあたりでしょう。一般常識を書いたのかも。
 小生は欠いていますが・・・

 カグについては「朝鮮語の鉱の音を写した」と『天皇と鍛冶王の伝承』の中で畑井弘氏が述べていますね。
 
 サワラですがこの木は檜と区別しにくく、樹皮は檜皮色で、銅のような色ですね。m(_ _)m


[355] Re[353][352][342]: カグツチ  ペギラ [Mail] 2003/11/04(Tue) 11:01 [Reply]
神奈備さん、ありがとうございます。m(_ _)m

ということは、
>「カグは銅の古語、サワラも銅器を指す」
は、誰の発言ともなく、自然発生的に存在するのでしょうか?

[354] カグツチ  角丸山 2003/11/04(Tue) 10:58 [Reply]
私も天の香具山、籠神社、籠舟、カゴメカゴメの点から極めて重視しているものですがサワラギ神社のHPで初にお目にかかり残念ながら、恥かしながら、何もわかりません。崇神のタケハニヤスを見ても相当深い意味があるようですし知りたいところなんですがね。違ったアプローチを模索します。\(_ _)

[353] Re[352][342]: カグツチ  神奈備 2003/11/04(Tue) 10:51 [Reply]
> 神奈備さんのHPも同文物を掲載されているから、わかってみえると思うので、教えて頂きたいです。
佐和良義神社の由緒書きは神社本庁の『平成祭礼データ』からの引用です。
『大阪府史』によりますと、東奈良遺跡の出土物の年代は特定できるに至っていないとあり、由緒の2000年前は神武天皇建国から2600年と同類のかも。
佐和良義神社の祭神についても異説があり、平群都久宿禰命、早良臣祖神歟、迦具土神、また明和五年(1768年)の石灯籠には天児屋根命の文字が見え、地域的には藤原氏の勢力圏でもあり、可能性が高いのかも。
式内社ですから平安初期には鎮座していたのでしょうが、創建年代は不詳。

[352] Re[342]: カグツチ  ペギラ [Mail] 2003/11/04(Tue) 10:23 [Reply]
>
> しかし、私は、銅と言う金属自体の認められた葬礼祭祀器具以外の使用を忌避する宗教的禁忌があったのではと想定しているんですが、その理由は:
>
> 「カグツチはカグの神、カグは銅の古語、サワラも銅器を指すので地名と神名が一致し(ギはムラ)この鋳造工房跡は約二千年前にこの地にあった「さわらぎ遺跡」と確認され出土品はすぐ近くの文化財資料館に展示されています。」

>

東奈良遺跡のことですね。
あそこの出土物は、すごいです。
まあ、それは、おいといて、
>「カグは銅の古語、サワラも銅器を指す」
これの提唱者というか、出典もと文献とか、わかりませんか?
知りたいです。
神奈備さんのHPも同文物を掲載されているから、わかってみえると思うので、
教えて頂きたいです。m(_ _)m

で、言いたいことは、
カグツチと銅は、関係ない。とは、言い切れないが。
銅だけではなく、その他多くの大火力による生成物、
それらを生む大火力の神としてカグツチが採用されたのではないでしょうか?

この神社もいつからあるんだろうか?さわらぎ神社。

ですから、カグ=銅に基づく物語は、
違った方向からの攻略のほうが良いのではないでしょうか。

[351] EXECUTIVE SUMMARY  角丸山 2003/11/04(Tue) 10:04 [Reply]
朝鮮小銅鐸/銅鐸/鉄鐸

(1)朝鮮半島の朝鮮小銅鐸は無文、BC3に半島南西部(忠清南道)から東南部(慶尚北道)にかけて広がりはじめる。(「銅鐸起源論と小銅鐸」井上洋一著)ところがこれは墓などから出土、一方日本の銅鐸は有文で、銅鈴などにある鰭(えら)があり、中国南部の銅鼓同様農耕祭祀用に使用されたらしい。従って、この朝鮮小銅鐸と日本の銅鐸に関する限り(A)小銅鐸(B)銅鐸という2つのカテゴリーにわかれる。

(2)日本には九州、出雲などにも遺跡は残るが、量的には大阪府茨木市美沢町9−27、佐和良義神社http://www.norichan.jp/jinja/renai/sawaragi.htm近辺に到来した
ものが中心のようである。ちなみに同HPを引用すると、「カグツチはカグの神、カグは銅の古語、サワラも銅器を指すので地名と神名が一致し、この鋳造工房跡は約二千年前にこの地にあった「さわらぎ遺跡」と確認され出土品はすぐ近くの文化財資料館に展示されています。」とある。

カグツチであるが古事記に・・・またの名はヒノカグツチ神と言う。この子を生んだことによって、陰部を焼かれて病に臥せってしまった。・・・ この時の嘔吐から生まれた神の名は、カナヤマビコ神、次にカナヤマビメ神である。次に、糞から生まれた神の名は、ハニヤスビコ神、次にハニヤスビメ神である。次に、尿から生まれた神の名は、ミツハノメ神、次にワクムスヒ神である。この神の子はトヨウケビメ神と言う。そしてイザナミ神は、この火の神を生んだことによって、遂に亡くなられた。・・・そこでイザナギ命は、腰につけていた十拳剣(とつかのつるぎ)を抜いて、その子カグツチ神の首を斬った。すると、その剣先についた血が、神聖な岩々に飛び散って生まれた神の名は、イハサク神、次にネサク神、次にイハツツノヲ神である。三神。・・・次に剣の根元についた血が、神聖な岩々に飛び散って生まれた神の名は、ミカハヤヒ神、次にヒハヤヒ神、次にタケミカヅチノヲ神、またの名はタケフツ神、またの名はトヨフツ神である。三神。・・・
また、
http://kammuri.com/special-1/04-densyou/04-ohkawano/ohkawano.htm
大川神社の由来は祭られていたカグツチの失脚を表すがごとくである。

このカグツチは倭人伝に「其の南、「狗奴國」有り、男子を王と爲す。其の官、「狗古智卑狗」(別段に言う:倭女王卑彌呼、狗奴國男王卑彌弓呼と素より不和にして)有り。女王に屬さず。 」とあるが、クゴチがカグツチではないだろうか。卑弥呼による銅鐸祭祀の禁忌、禁止が卑弥呼政権の銅鐸政権との闘争に結びついたのではあるまいか。

(3)一方、「古代の謎へ」http://homepage1.nifty.com/moritaya/kodai.htmlと言うぺギラさんのHPがあり、日本の銅鐸の詳細な解説と論考がされている。その中で「兄弟銅鐸リスト」中に
葛城の長柄より出土の多紐細文鏡の同笵
大阪府柏原市 山口県下関市
佐賀県唐津市 新羅慶州
と言う個所があるが、ここに言う「新羅慶州」は(1)東南部(慶尚北道)に含まれる。
多紐細文鏡についてはhttp://ww2.tiki.ne.jp/~hideki-i/kagami.html参照。
葛城の長柄であるが、神奈備さんのHP、
http://www.kamnavi.net/as/katuragi/nagara.htm
によると長柄神社、御所市名柄字宮、祭神
下照姫命(高鴨神社の祭神味耜高日子根命の妹神)の説
高照姫命(一言主神社の祭神事代主命の妹神)の説
一方、古事記アメノヒボコ、によって賤しい女が身篭り、赤い玉を生み、賤しい男がその玉を貰う。賤しい男は稲作に従事している。昼食を牛に背負わせて運んでいる。そこに王子であるアメノヒボコが登場。王子は牛に食料を背負わせ、沼沢に入るということは理解できない。王子は賤しい男がその牛を畜殺し、食用に給するという違反行為を犯していると判断。逮捕、投獄しようとする。無断畜殺禁止令未遂罪であろうか。賎しい男の弁明は聞き入れられず、賎しい男は赤い玉を王子に提供し赦免を受ける。赤い玉は乙女に変身、王子の正妻となる。王子は出自をおごり高ぶり、妻をいやしめる。妻は「私は本来あなたの妻になる女ではない。祖先たちの居住する国に行く。」 というやいなや、小船に乗り、難波に至り、比売碁曾社に鎮座。これがアカルヒメという神。・・・この姫と上記の姫、アマテラス等は太陽と言う点で共通している。

即ち、(2)大阪府茨木市美沢町9−27、佐和良義神社近辺で銅鐸製造を始めた渡来系工人の神は比売碁曾社から長柄神社へと移って行ったのではないか。

(4)他方において、鉄鐸と言うものがあり(1)弥生遺跡と伝承を伴う諏訪神社周辺のもの、(2)古代二荒山奉納用、(3)5C後半-7Cにかけては古墳埋納用、(4)古墳-平安時代の沖ノ島祭祀用と分布しているが、(1)は「諏訪大社・上社の神事「湛(たたえ)神事」は、農作物の豊饒を祈る神事といわれる。神使(おこう)が袖の長い紅色の袍(ほう)を着て、御杖柱(みつえばしら)を背負い、首には錦の袋に納めた御宝(御宝鈴・鉄鐸)をかけ馬に乗り、行く先々の「湛」で鉾に鉄鐸をつけて振り鳴らし、神に作物の豊饒を祈る神事である。 この湛神事の元の目的は農耕儀礼でなく、鉄製品の原材料と考えられた「スズ」の育成を祈願するのが目的であったと考えられる。湛神事の巡路は、平安時代の八ヶ岳西麓・諏訪湖盆地の小鍛冶跡の分布図と一致している。
」(『日蓮宗新聞』平成10年(1998年)8月1日号掲載記事)http://www.d1.dion.ne.jp/~janis/10-8-1.html
このように具体化されている鉄鐸の使用様式は銅鐸の使用様式が継承されていることを物語る。諏訪神社周辺の鉄鐸と銅鐸の間に時間的近接があるようだ。

[350] 結局のところ  玄松子 2003/11/03(Mon) 23:49 [Reply]
久しぶりに見たら、書き込みが多いのでビックリ。

ところで、色々と引用がなされていますが、
突然、文体が変わったり、無関係な記事が混入して
どこまでが、どこからの引用なのかぜんぜん区別できないので、
なかなか理解できません。

内容も多岐にわたって論点も見えないので、
できれば、誰か主旨・論旨をまとめてくれるとありがたいのですが。
(甘えるな、という声が聞える・・・)

[349] 見ちゃだめ?(妄想全開)  角丸山 2003/11/03(Mon) 23:08 [Reply]
恋川亭さん、

>『銅鐸は葬礼祭祀器具であった』という論を展開してほしいところです。

銅鐸は葬礼祭祀器具としての発見事例はないようです。

> また、弥生時代の銅鐸と古墳時代の鉄鐸の関係、つながりが見えてきません。このへん、もう少し傍証をお願いします。

傍証はこれだけです。「諏訪大社・上社の神事「湛(たたえ)神事」は、農作物の豊饒を祈る神事といわれる。神使(おこう)が袖の長い紅色の袍(ほう)を着て、御杖柱(みつえばしら)を背負い、首には錦の袋に納めた御宝(御宝鈴・鉄鐸)をかけ馬に乗り、行く先々の「湛」で鉾に鉄鐸をつけて振り鳴らし、神に作物の豊饒を祈る神事である。

>ただなぜ僕がネチネチと拘るかというと、角丸山さんの『一般に顕示されることのない』という部分に興味があるからです。

銅鐸の加茂岩倉の大量埋納、銅鐸が地上に露出して発見されたことはないことが背景にあります。

>もう少しSFチック、いや伝奇小説的な空想情景がほしいところです。

銅鐸の絵によれば舟の上に竿灯のように銅鐸をぶら下げているようです。これは大変なことです。バランスが取れないのです。

>見せることなく祀られたのではないか?・・・と。

新品のものは磨けば光ります。やはり人に見せたのでは。夕涼み(夕鈴見)なんて言葉があります。

>ふつうの中型サイズの銅鐸ならば、祭祀期間の深夜に神が憑依したとされる神人により打ち鳴らされながら村々をオトズレたでしょうし、大きなサイズの銅鐸ならば、祭祀のために設けられた山麓の仮屋に移されて、そこで鳴らされたものかも。

卓見と存じます。野洲地方、今も世界中のセラミックを生産するハイテク地域、その歴史は紀元前からあるんですね。徐福が秦始皇帝に鮫に悩まされと復命しているのは「ワニ」、韓国人通訳が倭人のことをそう呼んだのか、和邇氏の祖かと思っています。これが大和に入るんでしょう。

[348] 見ちゃだめ?(妄想全開)  恋川亭 2003/11/03(Mon) 22:30 [Reply]
>あ、角丸山さん、行き違いで以下の文は[347]の前の件です。

 ペギラさんのご説明にある通り、銅鐸と鉄鐸の出土状況からそれぞれの時代も使用された様子も異なるようなので、まずは違いを認識しながら考えないと難しいでしょう。
 鉄鐸は古墳から副葬品として出土しているようですが、銅鐸は異なりますね。現状では、銅鐸を検証もなく葬礼祭祀器具として扱うのは無理があるように思います。ここはまず、『銅鐸は葬礼祭祀器具であった』という論を展開してほしいところです。
 また、弥生時代の銅鐸と古墳時代の鉄鐸の関係、つながりが見えてきません。このへん、もう少し傍証をお願いします。

 ただなぜ僕がネチネチと拘るかというと、角丸山さんの『一般に顕示されることのない』という部分に興味があるからです。それが古墳中だとは思いませんが。
(神社と関係つける為にここまで引っ張ってきました。 f(^^;) )
青草板だから書き込めるハッタリなんですが・・・。
−−−−−−−−−−
 よく銅鐸が弥生時代の農耕に関する祭りに使われたという説明を見聞きしますが、その中で『見る銅鐸説』というのがありますね。はじめの頃は音を鳴らす銅鐸だったものが、大きく立派に発達して見せる為の(威圧のある)ものになったという。

 ところが、現代に残る古い形態の祭りを見ていると、(いろいろバリエーションはあるでしょうが)夜に行われる、神器・ご神体は見せない、というのが多いようですね。しかも、本来は氏子達も家々に篭もり顔を出して、練り歩く神人を覗くことを戒められている。もし銅鐸が農耕祭祀に使われたというならば、もう少しSFチック、いや伝奇小説的な空想情景がほしいところです。

 『音だけが通り過ぎていく』そういう予祝行事。巨大な銅鐸でさえ、まずもって一般人には見せることなく祀られたのではないか?・・・と。
 ふつうの中型サイズの銅鐸ならば、祭祀期間の深夜に神が憑依したとされる神人により打ち鳴らされながら村々をオトズレたでしょうし、大きなサイズの銅鐸ならば、祭祀のために設けられた山麓の仮屋に移されて、そこで鳴らされたものかも。古代の人々から見てもなお、いにしえのおやがみ、と思わせるような装束で、田畑を村々を巡る神々。子供達がガタガタと震えて息をひそめている家々。神々役の足音、幣を振る音、カ〜ンといつまでも余韻の響く銅鐸の音。精巧なレプリカの銅鐸の響き、ヨカッタですヨ。
 たぶん、『銅鐸は見せなかった』のではないかと妄想中なのです。(^^;)

>角丸山さん、[347] のご投稿の内容、これから勉強しなければわかりませんので、しばらくROMいたします。<(__)>

[347] あくまで確認したくて  角丸山 2003/11/03(Mon) 21:41 [Reply]
恋川亭さん、

前方後円墳と共に銅鐸の完全な生産中止、埋蔵が行われた理由ですが、邪馬台国による前方後円墳祭祀の実施、その妨げとなる銅鐸祭祀の廃止、葬礼祭祀用銅鐸生産のため、銅鐸製品の製造禁止、銅鐸の祭りの司祭者は邪馬台国の「ミミ」、「ミミナリ」その他の官となり、銅鐸祭祀は廃止され、前方後円墳祭祀が行われる。

地方首長はその祭祀に必要な銅鏡等祭祀用銅製品セットを中央から支給される。その見返りは租庸調の中央への献納/軍事、古墳建設協力等。従って、銅鐸はタブーと言うより禁制品。銅鏡等には政府の集中管理する官製支給品の性格が強かった。

さて、鉄についてはそれでもって禁制の銅鐸を形作ることがなく、無文の朝鮮小銅鐸に似せた鉄鐸を作ることは、宗教的違反もなく銅鏡製造の資源を蚕食するという立法の趣旨に反することもないので是認された。

こういうことが想定できるのではないかと申し上げているわけです。

[346] Re[344],[345] : あくまで確認したくて  恋川亭 2003/11/03(Mon) 19:47 [Reply]
角丸山さん、レスありがとうございます。
しつこくてご免なさい、ただきちんと判りたくて m(__)m

> 『金属としての銅は(古墳に、または、地中に埋葬されたすることになっていて、一般に顕示されることのない)葬礼祭祀器具の材料としての使用しか認めない、とするタブーがあったのではないか』・・・という提言です。

つまり、銅製品は、
『お葬式のときか、お墓の中に入れるときだけに使ってネン〜』
という、決まりがあったのではないかナ〜? ということと、
『(いわゆる紋様のある)青銅製の銅鐸に似たモノ以外なら、鉄製品は何でも作っていい。(オープンに見せびらかしても!)』
ほんでもって、[345]より、
『しかし、銅製品は、いろいろと使用の制限があった。』
と考えられると受けとって良いのでしょうか?
原則とか基本とか応用とかがコンガラガッて、愚脳は目眩がしているのですが、主題は
『青銅製品と鉄製品とでは、当時の権力者により(意図的に)使用制限がされていたのではないか?』と主張されていると思っていいですのかナ〜?
お手数をおかけいたします。<(__)>

[345] ああ現代日本語?  角丸山 2003/11/03(Mon) 19:04 [Reply]
恋川亭さん、

もう一つ言わせてください。基本的には中心は銅鐸製造使用禁止令、特定規格を超える銅鏡に関しては籠神社、皇室等の永代使用、豪族の制限付伝世使用の特別除外を設けた一般の使用禁止令等の細目に渉る規則が存在していた可能性が考えられます。

[344] ああ現代日本語?  角丸山 2003/11/03(Mon) 18:45 [Reply]
恋川亭さん、

『金属としての銅は(古墳に、または、地中に埋葬されたすることになっていて、一般に顕示されることのない)葬礼祭祀器具の材料としての使用しか認めない、とするタブーがあったのではないか』・・・という提言です。

追加で、言わしてもらいたいことなんですが、

「鉄は朝鮮小銅鐸に類似する無文式の銅鐸を除く、一切の銅鐸を除く、一切の製品に使用しても良い(無文式の銅鐸ならいいけどそれ以外の銅鐸はだめ)」

というタブーもできていたのではないか。

これは記紀にもれた。

そこで古語拾遺の天の岩戸隠れのくだりで「令天目一筒神作雜刀・斧及鉄鐸」と注釈が入った。

[343] Re[いろいろ]: ああ現代日本語?  恋川亭 2003/11/03(Mon) 17:19 [Reply]
角丸山さん、ご面倒かもしえませんが、チョット教えてネ。

> 銅と言う金属自体の認められた葬礼祭祀器具以外の使用を忌避する宗教的禁忌があったのではと想定しているんですが・・・

この↑書き込みされた表現の中で、
【銅と言う金属自体の認められた葬礼祭祀器具】=A、と置くと、

⊃ A以外の使用を忌避する宗教的禁忌があったのでは

さらに【宗教的禁忌】=タブー、と置くと、

⊃ A以外の使用を忌避するタブーがあったのでは

もっと、くだけて書くと、

⊃ Aしか使っちゃいけない決まりがあったのでは

と置きかえられますよネ? そこで、このAというのは、もとより

A=【銅と言う金属自体の認められた葬礼祭祀器具】

のことですから、『銅と言う金属自体の認められた葬礼祭祀器具』の意味に絞って考えると、文章の解釈に突当って困っています。
【銅と言う金属】は、そのまま『銅』と簡略したとできる・・・のかな?
【葬礼祭祀器具】は、お葬式のときに用いられる(儀式用)道具という意味あい。
つまり、この1文は、
「葬礼祭祀器具の材料は銅しか認められない」という意味なのか、
「葬礼祭祀器具の材料として銅は認められた」という意味なのか、
はたまた別の意味なのか・・・???
『葬礼祭祀器具の材料は銅しか認められなかったタブーがあった』のではないか?
という提言をされていらっしゃるのでしょうか???
その辺、ご発言の主旨がよく理解できていません。

[342] [338]-[338]銅鐸  角丸山 2003/11/03(Mon) 15:55 [Reply]
ぺギラさん、

[338] >弥生の時代にそんな中央なんて存在しない。

しかし、私は、銅と言う金属自体の認められた葬礼祭祀器具以外の使用を忌避する宗教的禁忌があったのではと想定しているんですが、その理由は:

http://www.norichan.jp/jinja/renai/sawaragi.htmにあるが「カグツチはカグの神、カグは銅の古語、サワラも銅器を指すので地名と神名が一致し(ギはムラ)この鋳造工房跡は約二千年前にこの地にあった「さわらぎ遺跡」と確認され出土品はすぐ近くの文化財資料館に展示されています。」

倭人伝に「其の南、「狗奴國」有り、男子を王と爲す。其の官、「狗古智卑狗」(別段に言う:倭女王卑彌呼、狗奴國男王卑彌弓呼と素より不和にして)有り。女王に屬さず。 」とあるが、クゴチがカグツチ。

古事記に・・・またの名はヒノカグツチ神と言う。この子を生んだことによって、陰部を焼かれて病に臥せってしまった。・・・ この時の嘔吐から生まれた神の名は、カナヤマビコ神、次にカナヤマビメ神である。次に、糞から生まれた神の名は、ハニヤスビコ神、次にハニヤスビメ神である。次に、尿から生まれた神の名は、ミツハノメ神、次にワクムスヒ神である。この神の子はトヨウケビメ神と言う。そしてイザナミ神は、この火の神を生んだことによって、遂に亡くなられた。・・・そこでイザナギ命は、腰につけていた十拳剣(とつかのつるぎ)を抜いて、その子カグツチ神の首を斬った。すると、その剣先についた血が、神聖な岩々に飛び散って生まれた神の名は、イハサク神、次にネサク神、次にイハツツノヲ神である。三神。・・・次に剣の根元についた血が、神聖な岩々に飛び散って生まれた神の名は、ミカハヤヒ神、次にヒハヤヒ神、次にタケミカヅチノヲ神、またの名はタケフツ神、またの名はトヨフツ神である。三神。・・・また、http://kammuri.com/special-1/04-densyou/04-ohkawano/ohkawano.htm
大川神社の由来は祭られていたカグツチの失脚を表すがごとくである。

これが卑弥呼政権の銅鐸政権との闘争とその結果の銅鐸祭祀の禁忌、禁止に結びつき、神話の形で法制定(と言うかインターネット掲示板でアラシが醜悪な表現で罵倒しあるような感じだが)に似たものができたと考えます。

時まさに鉄器時代に入らんとしており、「鉄の神様は、天目一筒神。特に、古語拾遺の天の岩戸隠れのくだりには、「令天目一筒神作雜刀・斧及鉄鐸。(古語、佐那伎)」」となったのでは。(アラシ並だなーは堪忍してくださいね(^^)
[339] (1)弥生遺跡と伝承を伴う諏訪神社周辺のもの、(2)古代二荒山奉納用、(3)5C後半-7Cにかけては古墳埋納用、(4)古墳-平安時代の沖ノ島祭祀用となるんですが、(1)には出雲とのつながりもあり弥生の匂いがしますね。
[340] 朝鮮小銅鐸と銅鐸はルーツが違う。初めから研究やり直しさせてもらいます。
[341]どうもありがとうございました。

[341] Re[336]: クミ(亀尾)->加茂  ペギラ [Mail] 2003/11/03(Mon) 15:21 [Reply]
>クミ(亀尾)

これが、古代朝鮮語の時代から発音が「クミ」なのか?
その地は、古代朝鮮語の時代から表記が「亀尾」なのか?
こんなあたりから、考察しないと。

朝鮮半島の地名は、ものすごく、奇々怪々。
三国史記の中にある地名にしても、百済地名から新羅地名に変わった場所は、
まったく違う文字で、違う発音。

朝鮮語は、まったくわかりませんので、これ以上なにも言えません。

[340] 朝鮮小銅鐸  ペギラ [Mail] 2003/11/03(Mon) 14:07 [Reply]
こんな機会に、朝鮮小銅鐸を。

現在出土されている朝鮮小銅鐸の考察
「銅鐸起源論と小銅鐸」井上洋一著 
東京国立博物館紀要 第二八号 平成四年度
から。

時代順に推測される分布状況は
@忠清南道を中心に一部慶尚北道(前三〜二)
A平安南道と慶尚北道(前一〜後一)
B平安南道と一部黄海南道(前一〜一)
C慶尚北道(一)

朝鮮小銅鐸と銅鐸の大きな違いは有文が無文かということです。
小さな違いを言えば、孔の位置が違う。
銅鐸は、大まかな形朝鮮小銅鐸に近いが、
当初から文が使われていることから、銅鈴などから採用されているよう。
鰭に関しても朝鮮小銅鐸には存在しませんが、
銅鈴などには存在している。

鋳型に関しても、中国東北部・朝鮮半島では、鋳型の素材は滑石
中国中・南部から東南アジアにかけては砂石を多用する。

朝鮮小銅鐸の出土地も墓ないしは、墓と考えられる遺構からの出土。

といったことで、銅鐸と小銅鐸は、使われ方が違う。
銅鐸の使われ方は、農耕祭祀に使われたであろうとされる
中国南部の銅鼓と同じかと思われる。

銅鐸は、複雑に青銅器の様式が絡み合って融合されている。

[339] Re[335]: 鉄鐸関連につき  ペギラ [Mail] 2003/11/03(Mon) 13:08 [Reply]
> >鉄鐸はどの程度の発見事例があるのですか。
>
以前に神奈備掲示板の方で日雲さんが書かれています。
・・・・・・・・・・・・切り張り・・・・・
★栃木県・日光団体山遺跡(時期不明)【トレンチ/131点】
★群馬県高崎市倉賀野万福寺遺跡6号墳(5C 後半〜6C前半)【竪穴式小石室/1点】
★群馬県甘楽郡甘楽町天引向原遺跡(11C)【竪穴住居他/4点】
★長野県各地(14箇所の遺跡。多いので略)
★奈良県桜井市外鎌山北麓忍坂第3号墳(6C末〜7C前半)【横穴式石室/8点】
★奈良県天理市竜王山E-14号墳(7C初頭)【横穴式石室/1点】
★大阪府枚方市小倉東遺跡2号墳(6C末?)【木棺直葬/1点】
★兵庫県三木市久留巳字田井野大池7号墳(6C後半)【第4主体部/1点】
★岡山県津山市西吉田北1号墳(5C後半)【箱式石棺/2点】
★岡山県苫田郡奥津町杉遺跡(6C末〜7C前半?)【?/5点】
★福岡県嘉穂郡稲築町大字口春かって塚古墳(5C後半〜6C)【横口式石室/7点】
★福岡県・沖ノ島祭祀遺跡(古墳時代〜平安時代)
★福岡県福岡市博多区金の隈堤ヶ浦10号墳(6C末〜7C初頭)【横口式石室/1点】
★福岡県筑紫郡那賀川町大字松木字カクチガ浦3号墳、6号墳(6C前半)【墳裾部、横口式石室/各1点】
★福岡県宗像市名残高田遺跡6号墳(6C後半)【横穴式石室/1点】
★福岡県前原市大字本字辻ノ田1号墳、3号墳(7C前半〜末)【共に横穴式石室/各1点】
・・・・・・・・・・・・以上・・・・・・・・・・・

副葬品の様相ですよね。

ちなみに二荒山の鉄鐸は、仏教遺跡です。
弥生とは、関係がないとは言いませんが、修験道の世界の時代です。

6口づつ3個というのは、諏訪だけでして、
小野の矢彦神社は、現状1口(たぶんもとは5口)
小野神社は、現状11口(たぶんもとは12口)5口と6口。
諏訪で言えば、守矢家にも6口あるということ。

どちらにしても、弥生時代のものでは、もちろんありません。

[338] Re[334]: 褐鉄鉱  ペギラ [Mail] 2003/11/03(Mon) 12:49 [Reply]
ゆっくり、じっくり。

> 論考の節々から、褐鉄鉱からの鉄還元工程の試行が窺えます。列島到着後試行錯誤を重ね、最終的には安達太良の砂金、南部鉄などに行き着く山師(穴師)集団の姿を垣間見させてくれるのかも。

ですから、弥生時代に簡単にはできなかったよ。では、ないでしょうか?

>だが、諏訪の鉄鐸には製作者が突線鈕式袈裟襷文銅鐸等を意識している形跡がない。どちらかといえば中国青銅器の感じ。

ですから、小銅鐸では。

>が、突線鈕式袈裟襷文銅鐸を作った、中央の神祇官が巡察に来たとなると、長崎寺社奉行による邪宗門のマリア像発見的なことになるかも。

弥生の時代にそんな中央なんて存在しない。
銅剣・銅矛・銅鐸と同じ時代を歩んでいる。


[336] クミ(亀尾)->加茂  角丸山 2003/11/03(Mon) 11:42 [Reply]
ぺギラさん、

プサンからソウルに向かうセマウル号はトン-テグ(東大キュウ、)、クミ(亀尾)と停車します。
この間に倭館があり、この辺は北加羅の卓淳国でしょう。
さて、観光案内の写真でクミ(亀尾)に加賀の潜戸(かがのくけど)のような洞窟のあることを発見しました。
http://www.orientalarchitecture.com/kumi/doseongulindex.htm
加賀の潜戸(かがのくけど)とは・・・
http://fish.miracle.ne.jp/mugen/meisyo/simane/kukedo.htm
台湾蘭嶼島情人洞は加賀の潜戸と出雲大社の伝承を共有します。
http://www4.ocn.ne.jp/~takusen/luxing/lanyu/lanyu.html
さて、浦島が亀を助けた辺りに久美が浜があります。
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=35.37.47.310&el=134.54.37.933&la=1&sc=4&MD.x=8&MD.y =7
(余談ですがhttp://www.kamnavi.net/ym/ymenzetu.htmの投馬国の比定の補強に供するために申し上げたきことあり。これは神奈備さんあての別口書き込みとします。)
一方、出雲には銅鐸埋納で有名な加茂岩倉があり、加茂とは全国的に銅鐸関連で有名です。
そこでの質問ですが、クミ(亀尾)を隣の倭館にいたであろう倭人が発音する場合、「カモ」とはならないでしょうか。
ちなみに朝鮮小銅鐸、朝鮮銅鏡ははこの地方から倭国
http://www.norichan.jp/jinja/renai/sawaragi.htm
に伝えられ、これが古墳文化まで発達することはご承知の通りです。

[335] 鉄鐸関連につき  角丸山 2003/11/03(Mon) 11:06 [Reply]
[331]神奈備さん、

>鉄鐸はどの程度の発見事例があるのですか。

二荒山:弥生時代の鉄鐸が百三十個余り出土。お土産品になっている以外は形状が不明。数、お土産品がアイスクリームのコーンみたいなことから判断するにお宮に信者が奉納したものをドンド焼き感覚で埋めたものか? しかし、弥生の鉄は伽耶から多大な代償を払いながら入手したはずなのにこんな大量使い捨てが許されていいものか?

諏訪神社:「諏訪上社に伝わる鉄鐸を用いての神事。鉄鐸は諏訪上社に伝世し6口を一組として3組あり、かって上社年中最大の祭である「御立生神事(みたてまししんじ)」に際して神使の行く先々の「湛(たたえ)」でこれを用いて祭祀が行われた。」 6 x 3 = 18 九サナギのダブルとなるのは何故か?

[334] 褐鉄鉱  角丸山 2003/11/03(Mon) 10:39 [Reply]
[332]ぺギラさん、

論考の節々から、褐鉄鉱からの鉄還元工程の試行が窺えます。列島到着後試行錯誤を重ね、最終的には安達太良の砂金、南部鉄などに行き着く山師(穴師)集団の姿を垣間見させてくれるのかも。だが、諏訪の鉄鐸には製作者が突線鈕式袈裟襷文銅鐸等を意識している形跡がない。どちらかといえば中国青銅器の感じ。が、突線鈕式袈裟襷文銅鐸を作った、中央の神祇官が巡察に来たとなると、長崎寺社奉行による邪宗門のマリア像発見的なことになるかも。

[333] 鉄鐸関連につき  角丸山 2003/11/03(Mon) 09:36 [Reply]
[331]神奈備さん、

>両方の鐸が近接した場所から出土した事例がほしいですね。あるのかな?
***ありません。しかし、「諏訪大社・上社の神事「湛(たたえ)神事」は、農作物の豊饒を祈る神事といわれる。神使(おこう)が袖の長い紅色の袍(ほう)を着て、御杖柱(みつえばしら)を背負い、首には錦の袋に納めた御宝(御宝鈴・鉄鐸)をかけ馬に乗り、行く先々の「湛」で鉾に鉄鐸をつけて振り鳴らし、神に作物の豊饒を祈る神事である。
 この湛神事の元の目的は農耕儀礼でなく、鉄製品の原材料と考えられた「スズ」の育成を祈願するのが目的であったと考えられる。湛神事の巡路は、平安時代の八ヶ岳西麓・諏訪湖盆地の小鍛冶跡の分布図と一致している。
」(『日蓮宗新聞』平成10年(1998年)8月1日号掲載記事)http://www.d1.dion.ne.jp/~janis/10-8-1.html
このように伝えられる鉄鐸の使用様式は銅鐸の使用様式が継承されていると思います。つまり、御下問の物理的近接の代わりに時間的近接はあるといえます。

>>>これを見る限り、銅鐸と同時期に使用されているが、もしこの通りとすれば、銅鐸は埋納を強制されたが鉄鐸は探鉱呪具として特別免除されたかの感があります。
>>銅鐸は埋納を強制されたが鉄鐸は探鉱呪具として特別免除されたかの感があります。
> どうしてこのような「感:が出てくるのでしょうか。鉄鐸はどの程度の発見事例があるのですか。
***>>>文章の前半が>>で抜け>となったようです。「感」とは前方後円墳祭祀の開始が最終的に銅鐸祭祀の終末と一致している、(銅と言う金属自体の認められた葬礼祭祀器具以外の使用を忌避する宗教的禁忌、禁色のような、の存在を窺わせえる)がもしこの通りとすれば、銅鐸は(宗教的禁忌乃至は行政的禁止令によって)埋納を強制されたが、他方、諏訪神社、二荒山において祭祀が敢行されたことは、「遠絶国」であるからの理由もあるかもしれないが、中央からそうした禁忌、禁止対象の指定解除を受けている感がするが、それは中央が、言われる、探鉱事業の継続を妨げないように配慮したかの感もあるという意味です。

[332] Re[330]: 褐鉄鉱  ペギラ [Mail] 2003/11/03(Mon) 00:19 [Reply]
高師小僧。

これと銅鐸・鉄鐸との関連ということですね。

関連は全然ないとは言えませんね。
でも、褐鉄鉱と鈴という関連は濃厚かもしれませんが、
褐鉄鉱と鉄というのは、私は、懐疑的です。

確かに、鉄ですが、実体は、赤さびですよ。
それでも鉄ですから、鉄になるといえば、なります。
さびから鉄を作るという作業は、現代でも大変だと思いますが。

弥生時代、褐鉄鉱の鈴よりも、音色を楽しめる鈴はある。

いつもつきまとう製鉄の影。

弥生時代出土の鉄鐸は、ありません。(いまのところ)
鉄鐸は、無紋の鐸。
銅鐸は、有紋の鐸。
音も、ガランガラン(低音)とチリンチリン(高音)と大差

褐鉄鉱の鈴と銅鐸に因果関係があるかもしれませんが、
鉄鐸と銅鐸を繋げるものではない。

褐鉄鉱からの鉄というのを過大評価している。と思う。

[331] Re[330]: 鉄鐸関連につき  神奈備 2003/11/02(Sun) 22:29 [Reply]
 横から。
真弓常忠著『古代の鉄と神々』からの引用のようですね。説得力のある説ですが、どちらにしろ推測の域をでません。
 この辺りから銅鐸と鉄鐸が同時期とはいえず、両方の鐸が近接した場所から出土した事例がほしいですね。
あるのかな?

> 銅鐸は埋納を強制されたが鉄鐸は探鉱呪具として特別免除されたかの感があります。

 どうしてこのような「感:が出てくるのでしょうか。鉄鐸はどの程度の発見事例があるのですか。

[330] 鉄鐸関連につき  角丸山 2003/11/02(Sun) 19:32 [Reply]
ありがとうございます。

ところで、
高師小僧 http://village.infoweb.ne.jp/~fwif4861/2001-9-19takasi.htm
10 謎の銅鐸は高師小僧への祈り
第2-4段落参照。

「弥生時代の民は、鉄を求めることが切実であって、そのため「スズ」[大島注、鈴石を含む広義の高師小僧]の生成を待ち望み、生成を促進させるために呪儀を行った。どうしてこのようなものができるのか、古代人にとっては不思議な、しかし有難い貴いシロモノであった。音の発することも不思議であり、それは神霊の声と聴かれた。/そこで、この模造品を作って「スズ」のできそうな湖沼を見渡す山の中腹の傾斜地で、これを振り鳴らしては仲間の「スズ」の霊を呼び集め、あるいは地中に埋納して同類の繁殖を祈った。それが鈴であり、鐸(さなぎ)であった。/鉄を得るための呪儀に用いたのに始まったのであるから、鉄そのものをもって作った鉄鐸も用いられたが、銅を用いて同類を作った。それが銅鐸であろう」・・・

これを見る限り、銅鐸と同時期に使用されているが、もしこの通りとすれば、銅鐸は埋納を強制されたが鉄鐸は探鉱呪具として特別免除されたかの感があります。

この辺はぺギラさんの説で説明が可能ですが、使用時期の解釈において銅鐸と同時期とするこの年代の古さについてはいかがお考えでしょうか。

[329] Re[328]: 鉄鐸関連につき  ペギラ [Mail] 2003/11/02(Sun) 17:30 [Reply]
> 古墳時代には銅鐸は埋納されている。銅鐸が顕示されることのない古墳時代に鉄鐸が顕示されるのは銅鐸と鉄鐸は無関係と言うことでしょうか。

大場磐雄さんや藤森栄一さんなどは、繋がりを追求していました。

小銅鐸との繋がりはあるのだろうと感じています。
小銅鐸もいくつか種別があるようで、
・朝鮮半島産の朝鮮式小銅鐸
・日本産の朝鮮式小銅鐸
・日本産の銅鐸模倣式小銅鐸

これらの出土範囲は、群馬・千葉から福岡まで。
銅鐸よりも東へと進んでいます。

出土される場所も竪穴住居跡や集落近辺・古墳内に見つかっています。
このあたり、鉄鐸と共通するものもある気がしています。

そこで、私の推理は、小銅鐸の残存形が鉄鐸なのではないか?と。

大型化していく銅鐸とは、また別の道を歩んだ鐸の一族。
その生き残り。

ですから、大型化していく銅鐸とは、同じ役目のものではないと思います。


[328] 鉄鐸関連につき  角丸山 2003/11/02(Sun) 11:22 [Reply]
古墳時代には銅鐸は埋納されている。銅鐸が顕示されることのない古墳時代に鉄鐸が顕示されるのは銅鐸と鉄鐸は無関係と言うことでしょうか。

[327] Re[325]: 鉄鐸関連につき  ペギラ [Mail] 2003/11/01(Sat) 23:14 [Reply]
鉄鐸に関して、誤認しているのでは?

鉄鐸は、新しいものです。
どんなに古くても古墳時代より古くなることはない。

あまりにも、話がごっちゃになっていると思えますが。
一つ一つ、ゆっくりとこつこつと、解明しましょうよ。

[326] 鉄鐸関連につき −続き−  角丸山 2003/11/01(Sat) 14:26 [Reply]
クシナダ姫等の所有する出雲平野の水田、農業地帯が上流の山岳部で森林乱伐、砂鉄濫獲が行われるため被害を受けていた。伽耶地方はよりローコストで製鉄ができ、現
地で生産し、鉄鋌の形で輸入するほうが国産より環境を考えた総コスト的に考えて有利であると判断したスサノオはオオクニヌシに命じ、輸入決済手段であるヒスイ生産
の利権保持者である信州諏訪神社、ヒスイ生産現場の実力者であるヌナカワヒメと強力な交鈔を重ねた結果、大和の国をカミヌナカワミミと言うヌナカワヒメの上司に与
えることで原則的な了解を得た。スサノオはこれに基づき出雲のリストラを断行、約8つの製鉄部族に閉山を命じ、部族の神宝としていた鉄鐸とそのプロトタイプ、合計8個
の鉄鐸を鋳潰しクサナギの剣と名づけ、統合の証しにこれを葛城の長柄にあるアカルヒメの神社に奉納した。しかし、スサノオによる輸入独占には吉備、摂津、丹後、尾
張が反対した。スサノオは筑紫政権と組み日向の軍勢による大和制圧を謀り、大和側の乱れに乗じたというか、謀略にひっかかり、紀州、熊野に兵を回す。最終的にスサ
ノオ族は東国に追放となり、筑紫は大和の支配下に入り、大和は筑紫から華北産の青銅器輸入権を手に入れ、丹後は鉄鋌輸入利権を手にする。

[325] 鉄鐸関連につき  角丸山 2003/11/01(Sat) 12:12 [Reply]
ぺギラさん、

下記の相当なウダウダに付き教えてもらいたいんですが。

ぺギラさんのHPには葛城の長柄より出土の多紐細文鏡の同笵として、大阪府柏原市-山口県下関市、佐賀県唐津市-新羅慶州の言及があります。
他方、茅野市神長官守矢史料館「佐奈伎(さなぎ)鈴」- これを鳴らすのは「誓約のしるし」。
誓約(うけい)の鈴として土地争い、戦争の和睦などのさい鳴らされたとか。又、 「こんな形の鉄の鈴は初めて」というと「そうですか。
諏訪地方では昔から製鉄は行われていたようですよ」。
守矢家ではこの鉄鐸を鉄鈴・陰陽石とともにミシャグチ神の三種の神器としているそうです。
・・・などとも、他方、当「青草掲示板」過去ログでは玄松子さんレスで「赤城の大沼の神は、「オンサラマニョ」という名です。小野猿丸と似ています。
また日光神と赤城神の神戦では、日光神が蛇、赤城神がムカデで、俵藤太がムカデを退治する話が日光側に伝わっていますが、これは琵琶湖の龍神の話。」の情報あり。
この戦争の講和として男体山の頂上に鉄の鈴を納めたことが大いにありえると思うんですが。
また、http://www.sanin-chuo.co.jp/news/2003/10/30/02.html
未確認ですが、2100−1700年前の鉄器が砂鉄原料国産である可能性あ
り。・・・
ウダウダ抜きで結論。新羅慶州方面から多紐細文鏡共々朝鮮小銅鐸が大阪に向かう途中、出雲で砂鉄から鉄鐸を作る。9サナギの剣とはこれら9個を鋳潰して一刀を作った
名刀の意か(スサノオは鉄鐸王の意味でないのか)。鐸を鋳て聖地に埋納、講和の証とする、これが兄弟銅鐸の出雲集中の意味。但し、阿波、信州、遠州等銅鐸国辺境へ
の贈与には、九州、日本海、東北との緊張の高まりによる戦略的国境警護の意味であ
り、意味が違ってきている。
アカル姫がシタデルヒメであり、葛城の長柄に祭られるということは、アマテラス、葛城王朝が実在したかのような感がある。河内、紀伊、近江へと製造拠点が移動して
いるが、これは神武伝承のような名草族、熊野征討によるものではないのか。・・・と次々に飛躍した行くんですが、なんだかとんでもない順序の間違いがあるような気
がしてその辺、何かお気づきの点あれば御教示願いたいと存じます。よろしく。


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