青草談話室ログ平十六年 九月
2004.8.13
多に蛍火の光く神、及び蠅声なす邪しき神有り。湯嶽神・菊嶽神の集い。
素人のひらめき、力はないが騒がしくなかなか従わない、一寸の草木にもある五分の魂の発露を!
 青草談話室

[955] 手間天神 その5  神奈備 2004/09/29(Wed) 11:52 [Reply]
少彦名神は山城では五條天神、出雲、伯耆や大和などでは手間天神と呼ばれる社に祀られています。

 山城の五條天神は大和の宇陀からの勧請とされています。多分、クズ、クスシの神社からでしょうが、元社が今も存続しているのか、またどの神社なのかは判っていません。

 大和では春日大社の南方の高畑町に手間天神が祀られており、どうやら平安時代に勧請されてきたようです。
http://www3.kcn.ne.jp/~mamama/nara/temple/tenn-takabatake-shrine-01.htm

 この手間天神も伯耆の国の「手間の山本」の鳥取県会見町天万の天神社からの勧請かも知れません。
 ここは大国主神が八十神に赤猪と騙されて焼いた大石を持って死んだと『古事記』にあり山です。赤猪岩神社が鎮座しています。この岩に少彦名神が寄り付いていたのかも知れません。だから生き返ったのかも。少彦名神は岩に寄り付く神だあるのは、紀州串本の潮御崎神社の磐座、また能登の国の宿那彦神像石神社の名からも想像できます。

赤猪岩神社 http://page.freett.com/weyl/izumo2/akaiiwa.html
潮御崎神社 http://www.kamnavi.net/ki/nanki/sionomisaki.htm
宿那彦神像石神社 
http://www.genbu.net/data/noto/sukuna2_title.htm
http://www.genbu.net/data/noto/sukuna_title.htm

 または近くに探湯の甘樫坐神社を遷座させたと言う瑜伽神社が鎮座している所から考えますと、密教的な要素も感じられ、熊野辺りからの勧請なのかも知れません。これは徐福伝説の残る菟足神社に伝わる伝承として、『牛窪記』元禄十年(1697)に「崇神天皇御宇ニ紀州手間戸之湊ヨリ徐氏古座侍郎泛舟、此国湊六本松ト云浜ニ来ル。」とあるのをヒントにしています。

瑜伽神社 http://www.kcn.ne.jp/~koi/yuuka.htm
菟足神社 http://www.genbu.net/data/mikawa/utari_title.htm

紀州の手間戸之湊と言うのは良くわかりませんが、三重県熊野市波田須に徐福を祭神とする神社が鎮座しています。

 常世国からやって来た神として徐福と少彦名神は同じように見られたのかも知れません。
 手間、やはり大国主の国作に手を貸した、手間を貸した神なのかも

[954] 手間天神 その4  神奈備 2004/09/27(Mon) 08:31 [Reply]
『古事記』上巻の少名毘古那の神の登場シーン
大国主の神が出雲の御大の御前にいます時に、波の穂より、天の羅摩の船に乗りて、鵝の皮を内剥義に剥ぎて衣服にして、帰り来る神あり。

 奇妙な単語がちりばめられていますが、「帰り来る神」と云う表現があることです。ルビは「よりくるかみ」。
 「帰り」が「より」であると云うのは、お盆の風景であろうか。すなわち、祖霊が常世(蓬莱、いらいかない)から戻って来て、位牌などに寄り付くのであって、これを一言で云ってしまえば、「帰り来る神」となるのでしょう。

 大国主の国作を支援した少名彦は大国主の祖霊であったとの理解になります。少名彦は高皇産霊神の子ですが、系列に大国主さんはいませんね。何故、「帰り来る神」なんだろう。

[953] 手間天神 その3  神奈備 2004/09/24(Fri) 17:27 [Reply]
> 『生野の神々と「御神名記」』足代健二郎氏論文
『郷土誌いくの』の連載だそうです。

菅公は朝廷に伝わる様々な神事に通じていたとは子孫の塩小路光孚さんの言。
http://www.gojokashiwaya.jp/shiokouji.htm
そう云う意味では占い師・呪術師でもあった。これを藤原一門が恐れたのだが、やはり怨霊のなって一門に襲いかかった。

ここでひとつ青草話。

菅公は若い頃に集中的に山岳修行などを体験し、自らの力をとぎすましたのでしょう。そう云う意味では修験の人であった。

『日本の神々1』によりますと、配流された際、近くの筑紫の天拝山で祈祷したそうだ。
 多分、無実を天帝に訴えたそうだ。そこで自ら天満大自在天となったと伝わっています。

 天満大自在天は修験者であり密教者であったことを示す名です。

修験、シュゲン、手間、テマ、天満となったのでした。

上記についての足代氏のコンメント
蔵王権現は神道流では、安閑天皇とも少彦名命ともされていますし・・・。
修験者は民間に医薬をもたらす役割を担っている点も少彦名命に似ておりますなぁ。
と無碍に否定されないところが大人。謝。

[952] 手間天神 その2  神奈備 2004/09/21(Tue) 21:59 [Reply]
『生野の神々と「御神名記」』足代健二郎氏論文から
『御神名記』
 御本宮境内四十一社
 生玉庄の内 十一社
 近郷    十三社
この近郷社の中に 手間天神社 の名がある。

(生野区の)旧南四条に、長宮または遠宮とよばれる天神社があった。当社は北四条にあった「八幡宮」を合祀すると同時に、北四条の字山小路に移転したものと推測され、『神社神名帳』に
河内国渋川郡四条村字山小路
 村社 天神社
 由緒 不明 明治五年同村に座す 八幡大神合併す
となっている。
 手間天神という神号は余り見慣れないが『大三輪三社鎮座次第』と言う書に、少彦名神は大変小さく、親の手の指の間から落ちた子(記紀)なので手間天神と云う、と書かれている。
 天神社として少彦名神を祀る神社はかなり多い。
引用以上

 手間 天万 天満 天満自在天
 菅原道真が後から天満天神の称号を得たのでしょうね。

[951] 手間天神社、大日本廻国  神奈備 2004/09/18(Sat) 18:02 [Reply]
大阪市生野区四条に鎮座していた天神社が巽神社に合祀される際、天神社にあった石燈籠が巽南の法蔵寺に移設されたようです。
写真掲示板にアップしております。
その石燈籠の上には手間社、下には大日本廻国と彫られています。

手間天神とは、少彦名神のこととする説があります。親の高皇産靈神の手の指の間からこぼれてしまった神と言うことからです。
大国主神が八十神に赤猪と騙されて焼いた大石を持って死んだのが手間の山でした。伯耆の国(鳥取県会見町天万)で、ここには手間天神が鎮座しています。
http://saihaku.net/site/page/gappei/info/roots/

伊豆国賀茂郡の式内社である弖良命神社の論社に神沢神社[かんざわ]
があります。祭神は手間天神でです。東京都三宅村伊豆字神沢山

他に、平成データでは
能登国羽咋郡 手間神社 少毘古那命 石川県鹿島郡鳥屋町
摂津国武庫郡 天神社境内神社手間神社 兵庫県西宮市門戸字天神山633-1
出雲国意宇郡 手間天神社 少名毘古那神 松江市竹矢町805
伊予国伊予郡 手間天神社 少名彦命 愛媛県伊予市上野
など。

大日本廻国
札所巡りや武者修行で全国を廻るのを言うようです。

[950] Re[949]神奈備[5651] : 任益神  玄松子 2004/09/16(Thu) 23:07 [Reply]
> 稲前神社も稲隈(けものへん)、稲狭との表記があるようですが、誤写はありうるのだろうか。それとも古文献は殆どママよと漢字を当てはめて読んでいるのだろうか。

文献の性質(公用文書かどうか)によるでしょうが、写本の場合は写した人の立場や性格にも依存するかもしれません。また、近世に判読した人の間違いや活字にした時点での間違いと、その孫引きによる間違いもあるかもしれません。
ゴキブリは、本来「ごき(御器)かぶり」だったものが、印刷ミスからゴキブリが定着したというのは有名な話らしいです。

神奈備掲示板にも書きましたが、砥鹿を都麻と書いている文献もあります。
これは東大寺の勧請神名帳ですが、寺院なので神名に対して好い加減だったということでもないでしょう。

[949] Re神奈備[5651] : 任益神  神奈備 2004/09/16(Thu) 21:58 [Reply]
> 任益 が、漢字の誤写だとすると、稲前 の方が近いかも。

トウマス、嫁に食わすなトーマスアキナスですか。

稲前神社も稲隈(けものへん)、稲狭との表記があるようですが、誤写はありうるのだろうか。それとも古文献は殆どママよと漢字を当てはめて読んでいるのだろうか。

 古文献ではありませんが、『摂津名所図絵』は江戸時代のままのフニャフニャとした字でさっぱり読めなかったのですが、根気よく眺めているとなんとなく読めてくるような気がしますから不思議なものです。

[944] Re[926]: 神名に本名はあるか  恋川亭 2004/09/12(Sun) 21:40 [Reply]
さてさて、本線に戻りまして。(脱線した本人が書くかナ、まったく・・・失礼)

 神様と、その神威の憑依を受ける専属巫女の二人?以外にはヒ・ミ・ツである「神の本名」は伺い知ることができないので別件として。記録や伝承に残る神名しか考察の対象になり得ないですから。
 ただ伝えられて残った神名が「本名」と思いこむのは問題でしょう。昔の人達は、人名でさえ官職名や称賛する通り名で呼ぶのがならいだったようですからね、「太閤さん」や「豊臣秀吉」が、「日吉丸」とは異なるように。
 七つの称賛名を持つといわれる大物主大神様なんかは、やはり古代の全国に鳴り響いた(ブリブリ言わせた)偉大な神様だったのでしょうね。
 と、いうことで、神名に残る称賛の言葉のパターンを少し羅列。

 建(タケ)、速(ハヤ)、豊(トヨ)、甕(ミカ)、奇(クシ)、大(オオ)・・・
(サジってどういう意味なんでしょうか?)

※*%#?! さてオマケ、ここからは青草。以下は本題とは無関係です。

 本殿で、布都之御魂大神は霊剣に、その神威を宿らせる神であって剣そのものではないと書き込みましたが、実は・・・裏石上の裏布都伝承を展開!
 「フツ」とは「二つ」である。それは遥か古代から「二上山」産出加工の高級石剣のトレードマークであった。サヌカイトの語源となった讃岐の石剣と、二上山の石剣は、全国に人気を競う名製品。四国の石剣は「素早く貫く」という意味のサ・ヌキが商品名・原産地名となり、二上山はその原産地の山の形状と剣が二つに切り裂く鋭利さを重ね合わせたネーミングで流通していた。フツノミタマのルーツは二上山の石剣?!
 時代は流れ、青銅や鉄を材料に剣が製作されるようになっても、いにしえの霊剣の伝統は衰えずに最新最高の技術を駆使して製作された剣をもって、神器として布都之御魂大神へ奉納された。
 さらにフツノミタマノツルギとは、トヨフツ・サジフツの「二つの双剣」でもあった。事情により吉備の石上に在ったのが、この片方で別名「フツシミタマ」であり、さらに後、大和の石上に移されて元通りに合祀されたのであった。
 明治の世になり石上神宮禁足地から発掘された神剣は一振りではないのである。複数との伝えではあるが、正確な本数は尚、秘されたままである・・・。

〔この話しはフィクションであり、いかなる現実とも無関係です。でも、伝奇小説等に応用するときは、原案:恋川亭と明記してカップ麺1年分をプレゼントしてね。〕

[940] 例えばこんな想像  恋川亭 2004/09/12(Sun) 00:53 [Reply]
私は神社ウォッチャーではなく、神社ドランカーです、ハイ。
 奉納されている御神酒をちょいと失敬して、イヤ、お下がりを頂きながら・・・、直会(なおらえ)気分で・・・、全国の宮から宮へ、社から社へと彷徨し・・・って、何者やねん?(笑)
 ということで、あまり難しいことは考えていませんしぃ、たいがい(大概)でエ〜ヤン、と思ったりしてます。

 私自身は、古事記や日本書紀に採録された神話の元は、記録されたものになる以前、地方・地方の各地で何百年にもわたり、秋祭りのような祭礼で演じられてきたものではないかナ、と思っています。神楽のもっと演劇的なものとして。神代記や英雄の物語りの部分を、節回しよろしく声に出して、振りをつけて読んでいくと、とてもドラマチックです。

 伝えられ続くうちに、他所で聞いた面白そうな話しを加えたり、アドリブでも好評なものは定着したり、(当時の)時代に合わなくなったものは省略したり、村々ごとにいろんなバリエーションがあったことでしょう。
 政治的意図云々は、むしろ編纂された後のことではないでしょうか。支配者に有利な記述操作というのは疑問なのです、ズケズケとミもフタも無い話しが多いですからネ。
 ニニギノミコトとコノハナヤクヤヒメの件も、一幕のストーリーでしょう。イワナガヒメのことや、一夜で妊娠するところなどは、観客を笑わせる場面だったかもしれませんネ。ボーイ・ミーツ・ガールに対して、あてつけ役がイワナガヒメですな、観てる人達もヤンヤ・ヤンヤとひやかしを入れて。
 かくして年に一度の氏族の大祭も盛りあがっていくのでありました・・・とさ。

[939] Re[938][937][936]: バナナヒメ  ZOU [Mail] [Url] 2004/09/11(Sat) 00:26 [Reply]
大林太良氏による神話の分析では、その登場人物の行為(バナナを選んだなど)以外にその人物の神話における位置付けをも考察の対象にしています。バナナタイプの場合ですと、バナナを選んだ男女は多くの場合人間の始祖であるという位置付けです。

これを日本神話に当てはめると、ニニギは支配者の祖先であり、神から人間に歴史が移り変わる時に登場する重要人物なので(馬鹿殿様ですけど)、人間の始祖に準じる位置付けがなされているかと思います。となると、

>で、寿命の件は、サブテーマではないでしょうか。

違う方向に考えることもまた可能ですね。「人間の寿命を制限する機能」の方がメインテーマであるかもしれません。イワナガヒメが付け足されたのではなく、始祖の男女のうちの女性の方をバナナ機能の姫と石機能の姫に分けたのかも。

天孫降臨説話についての土台伝承を考えるともっと複雑になるんでしょうが、あとは専門家にお任せ(^_^;)

[938] Re[937][936]: バナナヒメ  玄松子 2004/09/10(Fri) 14:22 [Reply]
出発点は、「この土台伝承を切り離してコノハナサクヤヒメという神格」です。

木花開耶姫の神格・意義という観点から

> 木花開耶姫の登場は、天孫を寿ぎ、支配者であることを承認し、子孫を残し、繁栄させるという点がメインテーマ。

だと書きました。


> そう言う意味でも、人間の寿命、天孫の寿命(のわりには長生きのようですが)を物語る木花姫の登場には何らかの意味が込められているのではと考えました。隼人を支配下におく算段との関係かも。


寿命が主であれば、木花開耶姫であっても、葉菜菜姫であっても、美玉姫であってもかまわないわけで、「石長姫に相対する属性」という意義しかありません。

隼人の話の序章であれば、父の大山祇あたりに意義がありそうです。

[937] Re[936]: バナナヒメ  神奈備 2004/09/10(Fri) 12:44 [Reply]
> 木花開耶姫の登場は、天孫を寿ぎ、支配者であることを承認し、子孫を残し、繁栄させるという点がメインテーマ。

先住であっただろう山の神の娘に子を生ます説話は、マクロには支配者であることを承認したことになるのでしょうが、思想としては天譲無窮でしょうから、天照大神から鏡を持たせてもらい(古事記)、三種の神器、斎庭の穂(日本書紀)などを持たせて貰ったことの方がウエイトが高いのではないでしょうか。

 それよりも二人の娘を差し出した大山祇神の面子をつぶし、磐長姫を嘆かせて呪わせ、木花開耶姫の妊娠には疑いを持ち、自分の子供を見てあざわらい、これはまさに完璧な馬鹿殿様ぶりの記載と言えます。馬鹿者でも血で跡継ぎになれることが天譲無窮の本質なのでしょうが、「天孫を寿ぎ」たければ、馬鹿祖先の話はそれこそ蛇足になるのでしょう。

そう言う意味でも、人間の寿命、天孫の寿命(のわりには長生きのようですが)を物語る木花姫の登場には何らかの意味が込められているのではと考えました。隼人を支配下におく算段との関係かも。

> イザナミの捨て台詞に通じる呪詛
 小生はハワイで花で歓迎された覚えだけではなく、行ったこともありませんので、熊野で我慢しますが、花窟神社では、イザナミを祀るのに、花の時は花を持って祭りとあるのを思い出しました。

[936] Re[934][933][931]: バナナヒメ  玄松子 2004/09/10(Fri) 07:49 [Reply]
> 人類はバナナを選んだ、即ち人類は木の花の姫の末裔であり、総じて短命だとの説話です。ゆえにやはり木の花の姫はやはり登場せざるを得なかったと言えるのではないのでしょうか。

木花開耶姫の登場は、天孫を寿ぎ、支配者であることを承認し、子孫を残し、繁栄させるという点がメインテーマ。
(ハワイなどで外来者の歓迎に花を用いることは関係ないかなぁ)

そういう意味において、「この土台伝承を切り離してコノハナサクヤヒメという神格」は語れるのではないでしょうか。


で、寿命の件は、サブテーマではないでしょうか。
黄泉国脱出時のイザナミの捨て台詞に通じる呪詛ですが、ストーリーの本質ではないと思います。人間の寿命を制限する機能が木花開耶姫の本質ではないでしょう。

日本神話は多くの箇所で、東南アジアや中国、ヨーロッパの神話伝承を借りて、ストーリーの装飾や説明に使用していますが、ストーリーのメイン・本質に使用されているものと、そうでないものと区別する必要があると思います。
本質部分での借用であれば、神話の継承者・伝承者が日本神話形成に関与した証拠になるでしょうが、周辺・瑣末な部分の借用なら、聞きかじりや孫引きである可能性が高い。その区別を明確に意識しないと、日本人の源流を見誤るのではないかと危惧します。
という程度の話で、深い意味はありません。

[935] Re[933][931]: バナナヒメ  ZOU [Mail] [Url] 2004/09/10(Fri) 00:35 [Reply]
玄松子さん>できるんじゃないでしょうか。
>木花開耶姫に関しては、「国津神である花の神が、天孫と結ばれた」という伝承ですから。

>バナナ型に類型されるのは、石長姫の存在です。この女神が登場しなければ、バナナ型とは無縁の伝承。
>後付けされたのは、石長姫の方で、バナナ型の石の神格化をそのままストレートに持ってきたのではないでしょうか。

なるほど、了解しました。
そのほかのタイプに当てはめて考えても面白そうですね。

神奈備さん>人類はバナナを選んだ、即ち人類は木の花の姫の末裔であり、総じて短命だとの説話です。ゆえにやはり木の花の姫はやはり登場せざるを得なかったと言えるのではないのでしょうか。

蛇がイブをそそのかして禁断の木の実を食べたというのはエデンの園の説話ですが、これも、“蛇が知恵の木の実・生命の木の実を提示した→人間の始祖の男女は生命の木の実を取らず知恵の木の実を取った”と解釈できるそうです(書名は忘却)。共通の記憶かも。

蛇足か余談か。マンが家の諸星大二郎氏が、バナナではなく石を取った人、知恵ではなく生命の木の実を取った人の子孫の話をお描きになってました。これもまた面白かったです。

[934] Re[933][931]: バナナヒメ  神奈備 2004/09/09(Thu) 18:15 [Reply]
> 木花開耶姫に関しては、「国津神である花の神が、天孫と結ばれた」という伝承ですから。

『日本書紀一書二』磐長姫は恥じ恨んで、唾を吐き呪って泣き「この世に生きている青人草は、木の花のごとくしばらくで移ろって、衰えてしまうでしょう。」と。これが世の人の命がもろいことの原因であるという。

人類はバナナを選んだ、即ち人類は木の花の姫の末裔であり、総じて短命だとの説話です。ゆえにやはり木の花の姫はやはり登場せざるを得なかったと言えるのではないのでしょうか。

さらに蛇足ですが:−
大山祇命がその出産を助けたのが山姥、かたや木花姫は大山祇命の娘。

その山姥は多産、長野県下伊那郡に伝わる話では、七万八千人の子供。これとは比べようもありませんが、木花姫は三人。

また、山姥は出産中に焼き畑の火で死んだりします。木花姫も火の中で出産します。

多分、妊娠しやすいことも共通でしょう。

この山姥の性格が木花姫に入っているのですが、これらがバナナ神話の諸国で語られているのかどうか承知していませんが、日本で語られていた山姥の伝承がミックスされているのかも知れませんね。

[933] Re[931]: バナナヒメ  玄松子 2004/09/09(Thu) 10:46 [Reply]
> 私的に知りたいもう一つの疑問が、この土台伝承を切り離してコノハナサクヤヒメという神格を考えることができるかなあ?というものです。

できるんじゃないでしょうか。
木花開耶姫に関しては、「国津神である花の神が、天孫と結ばれた」という伝承ですから。

バナナ型に類型されるのは、石長姫の存在です。この女神が登場しなければ、バナナ型とは無縁の伝承。
後付けされたのは、石長姫の方で、バナナ型の石の神格化をそのままストレートに持ってきたのではないでしょうか。

[932] Re[930]: ちょっとだけ横道  ZOU [Mail] [Url] 2004/09/09(Thu) 02:08 [Reply]
> アマツ・ヒタカヒコ・XXXXXと読んでもいいですか?

ヒコヒコもヒタカヒコもどちらの説もあったと思います。
ヒタカヒコは大倭日高見に結び付けて解釈していたような気が・・
ヒコヒコは語呂が悪くてキライだったりします。

[931] バナナヒメ  ZOU [Mail] [Url] 2004/09/09(Thu) 02:03 [Reply]
神社ウォッチャーの恋川亭先輩が、以前にこの掲示板でお教え下さった「歪められた日本神話」は、比較神話を題材にした大変面白い本でオススメです。以下は、本殿の“[5644] Re[5642]: 木花開耶比売 恋川亭さん”について青草にて続けさせていただきますね。

>別伝では、さらにこの世の人全体への呪詛になり・・・おぉ怖い。

コノハナサクヤヒメの説話は、よく知られてますが、比較神話学でいう“バナナタイプ”モチーフの説話に分類されますが呪詛っぽいですねえ。http://nihonsinwa.at.infoseek.co.jp/type/si-banana.htm

バナナタイプの場合は、“神から与えられた物の二者択一が人の生死の起源だ”という部分が土台になるかと思います。で、この種の論考ではたいていが、土台を伝えた人たちの繋がりや移動、文化の伝搬経路を考えていくようです。ただ、どこでどういう形でその土台伝承が発生したたかという論考は寡聞にして知りません。

> 仮に『木花之佐久夜比売は後の創作』だとしても、その創作の理由が、民衆にスメラミコトは神だと信じ込ませる必要から、というのはチョット青草やな〜?

バナナタイプに注目しますと「木花之佐久夜比売は後の創作」と解釈できます。これを例に。

私なんかのようなシロートが思うところですが、その土台伝承を元にして説話が創作されたとき(もちろんこれは定説ではありませんが)、構成要素になぜ器物や食べ物でなく二人の姉妹が選ばれたか?というのがとりあえず気になります。イワナガヒメと羽菜奈比売みたいな名前だとわかりやすいんですけど、こりゃあほくさいっすね。

私的に知りたいもう一つの疑問が、この土台伝承を切り離してコノハナサクヤヒメという神格を考えることができるかなあ?というものです。土台に合わせるためにコノハナサクヤヒメという神格が創作されたか、もともと信仰されていたコノハナサクヤヒメと土台を組み合わせて記紀の説話が作られたか、なん通りかに考えられますが・・・

バナナタイプや火中出産や、ヨモツヘグヒや見るなの禁etc.のモチーフを取り除くと、記紀神話の神々には何が残るんでしょうね。

恋川亭さんは、神話や神格が創作された意図について思考を進められているかと思いますが、私のは、疑問を出しただけでなにも提出できるネタはありませんでした。お粗末・・・(^_^;)

[930] ちょっとだけ横道  恋川亭 2004/09/09(Thu) 00:58 [Reply]
> Re[926][925]: 神名に本名はあるか  から忘れないうちにさっそく脱線
 
→  天津日高日子番能邇邇藝能命
→  天津日高日子浪限鵜葺草不合命
→ 阿遅志貴高日子根神

アマツ・ヒタカヒコ・XXXXXと読んでもいいですか?
(ルビは、ヒコヒコなんですけど)

[929] 弥栄  恋川亭 2004/09/09(Thu) 00:31 [Reply]
 木花開耶比売は、父神である大山津見神が約束するように、『木の花の栄えるが如く栄える』幸せをもたらす目出度い(愛でたい)女神様ということです。
 草の花ではありません、木の花。大輪の花でもポツンポツンと開くようでは、『栄える』というイメージには足りないです。やはり、枝々すべて樹木全体に満開の花が咲いてこそ『弥栄』でしょう。古事記にある大山津見神の言葉はそれを強調しているように思います。そして、その花の命が短く散っていくはかなさも(結果的に)述べています。木花開耶比売の『木の花』も、時代を越えて、眺める人に同じような印象を持たせる花ではないでしょうか。(→常識的ラインじゃダメですか?)
 『咲く』には、『栄え』や『盛り』などの言葉も連想できます。サクラのラは、中国の「了」でなくとも、近畿南方の日本語に残っていますヨ。学生時代のH先輩はいつも『行こラ〜』と誘いに来ました。(笑)
 と、書きつつ今も小さく揺れました。沈静化しますように(祈願)。
 ああ、今日も神格化と神名に追いつかない・・・。(了)

[928] 花は華かも?  わーぷ 2004/09/07(Tue) 22:38 [Reply]
「木花開耶比売ってどんな神様ですか?」
単純に開耶は「耶」馬台国を「開」いた姫?・・・国造り系?
神阿多都比売=神= ジン臣+ア阿(高い丘)+多(功イサオ)+都(諸侯の子弟や上級菅史の領地)+比(くらべる)売(うる)ヒメ 
「比(くらべる)売(うる)ヒメ」=比(くらべる)は姉妹? 売(うる)は、嫁がせるの意味でしょうか(売れ残る)から
木花佐久夜姫命・木花之佐久夜毘売命・木花開耶姫命・小酒解神(こさかとけのかみ)・神吾田鹿葦津姫命(かむあたかあしつひめのみこと)
同じでしょうか?

『大山津見の神』・・・・・・大=翁(首領)+山津=海上より山や津ツ(船着き場)の位置を+見(測量)・・・ 私見です。
(大山祇神(おおやまずみのみこと・大酒解神 (おおさかとけのかみ)・綿津見命などとの関係が有るでしょうか。?)

「天の神は死なないが、地に下りた神の子孫は死ぬことの説明」・・・・・キリストの話?(考え過ぎでしょうか?)

「つまり、神阿多都比売が本名で、木花之佐久夜比売は後の創作だと」の「木花之佐久夜」=木花キカ(帰化・姫華)中華の姫氏+
佐サ=たすける(臣)+久(キュウ究=それ以上先の無い所まで知る)・・・・・測量作業?+夜
夜(日没から日の出まで=晩〜夜明け)*夜明けの(と)晩(夕方)に「鶴カク(角)と亀キ(規)」(測量)がすべった(滑る=測量が順調に進む)
夜から(役小角エンノギョウジャの命令でも一言主は、昼間は働かなかった。・・・・測量の能率が上がら無いからか誤差が多きいから?)
・・・・(私的な期待の青草でした。)
浅間神社には、たしか一言主や鹿島神宮との係わりが?定かで無いのでご存知のかた宜しくお願い致します。

(漢字には古代中国の歴史が埋もれています。たとえば「虫」に付く字には中国外の民族が現されています。
蛇・蛟・(海人)蛭子(恵比寿)ムカデ・ゲジゲジ(胡人・蛮人・イラン?ペルシャ?)・・・以下省略
「隼-(+)スイ」・「鳥」は天の使いで主に測量関係・・・・鴉・烏(ヤタガラス)・大鳥(鳳・鴻・鵬)・鳶・推
中国の架空の動物 龍(蛇・魚)+馬+鹿+鳥=麒麟
「魚」の付く文字は原始キリスト教 「魯」ろ・すなお・おろか「鮎」や蛭子(恵比寿)ナマズ(長い髯ユダヤ)・アユ 鮮(生贄の子羊)
「魚+系」コンは、夏王朝の「禹」王  人名に多く使われている。(キリスト教徒らしい)
他にも夏王朝の「禹」王の生涯に係わる漢字が多いです。

[927] Re[924][921]: 木花開耶比賣と桜  かたばみ [Mail] [Url] 2004/09/07(Tue) 21:22 [Reply]

≫岩長姫はコブシの花だったのかも

それらがみんな含まれていたのが「木花」だと思います。

最初に余談(^^;
大昔に撮したアンズとコブシの写真を以下のHPのギャラリーにおいてあります。
http://www.edokko.sytes.net/~syashin/index.html
(花の郷、他に五月花と神社があります、みてやってください)


まずは食い物を確保する時代、次いで各種渡来文化導入と咀嚼の時代。
様々な固有名称もそれに連動して登場しているだろうと思います。
大気都比賣などは食い物確保時代に登場した名だろうなあ。
地形や環境からとみえる名も原則として古いと思います。

そしてロマンの開花、それが平安時代だと思います。
実用などから離れたもの、遊びの登場です(ただし、まだ貴族どまり)。
万葉で歌われる草木や花の名には遊びがたっぷり含まれていると思います。
http://www.hitachi-ul.co.jp/public/jp/INTRST/MYO/index.html

万葉1461 昼は咲き夜は恋ひ寝る合歓木の花君のみ見めや戯奴さへに見よ
 家持が紀女郎に送る恋歌、夜に葉が重なり合って歓ぶ花かあ・・(^^)
256 天降りつく 神の香具山 うち靡く 春さり来れば 桜花 木の暗茂に・・
 磐座にどんぴしゃ(^^;
1868 かはづ鳴く吉野の川の滝の上の馬酔木の花ぞはしに置くなゆめ
 地味な花も歌ってる。


木花開耶比賣は微妙。
花の名が細かく設定されていない時代の総称の木花であるか、あるいはネムノキやサクラなどいろいろな呼称は存在していたが、それらをひっくるめる意味で木花としたかのどちらか(すなわち新しい)。
記紀と万葉あたりから推察するしかないですね。

万葉でのウメが和名妙などではムメ(无女)になってることに注目です。
「ウ」は重く強い発音だと思いますが、貴族サイドの意識でもっと軽い「ム」に置き換えられた可能性あり。
だとすると、ム何々とされている固有名称には再チェックが必要かもしれません。


[926] Re[925]: 神名に本名はあるか  神奈備 2004/09/07(Tue) 20:42 [Reply]
> 神名に関する考察、はじめの一石。

続きの一石 命名の様相

神が名のるケース
八俣の大蛇 大山祇の神の子、足名椎
笠紗の岬 大山津見の神の子、神阿多都比売、またの名は木の花の佐久夜毘売
神功皇后への託宣 天照らす大神
同じ また底筒の男、中筒の男、上筒の男

神が神の名をあかすケース
八俣の大蛇 手名椎、櫛名田比売
降臨準備 天の菩比の神、天津国玉の神の子天若日子
高比売の歌 阿遅志貴高日子根の神

神が神を名付けるケース
根の国 大国主の神、宇都志国玉の神
豊玉比売 天つ日高日子浪限鵜葺草不合の命

> 名前が必要になるのは、他の神との区別。あるいは、記録に残すため。
神話として神々の活躍が語られる場合、上記に該当しています。

さて、オオヤマツミの神とその子が登場します。このオオヤマツミの神は普通名詞のようで、先住民族の奉じる神と云う程度の意味なのでしょう。混同と云うよりは汎用か。

[925] 神名に本名はあるか  玄松子 2004/09/07(Tue) 12:52 [Reply]
神名に関する考察、はじめの一石。

ある神を信奉している人々にとって、その神に名は必要ありません。
名前が必要になるのは、他の神との区別。あるいは、記録に残すため。
区別のための命名なら、ニックネームであって本名とは言えない。(というか本名などない)
もちろん、実在人物を神とする場合は別。

命名規則
1.その土地の名、山河の名 + の神
2.その人々、氏族の名 + の神
3.機能、属性を象徴する言葉、事物 + の神

1と3(あるいは2と3)を同時に持つ神々も多いでしょう。中には1・2・3と持つ神も。

A山の山神とB山の山神は、もともと違う神だけど、はたから見れば、同じ山神。
中央で「大山祇」という名を用いれば、A山神もB山神も「大山祇」となり現在に至る。(混同その1)

ただし、もとのA山神も、A山に鎮座する神か、Aに鎮座する山神かは、
それは、名づけた人、その名を使用している人にしかわからない。(混同その2)
A山に鎮座する神なら、属性は山とは限らず、岩神・木神や水神である可能性もある。

[924] Re[921]: 木花開耶比賣と桜  神奈備 2004/09/07(Tue) 09:18 [Reply]
桜花と開耶姫とは、あまり関係がなかったのかも。
岩長姫はコブシの花だったのかも。
http://www.ohararyu.or.jp/kihondata/kobusi.html

> 山肌の磐座を愛でる木
ロマンですね。
 山肌の磐座の登場は、サクラのクラからでしょうが、万葉集などの桜は山に咲き、坂に咲き、宿にお咲き、それぞれ散るのですが、磐座や神事にかかわるような雰囲気は見えず、名前以外に磐座との結びつきも見えませんね。

[923] Re[920][915]: 他 ウネと三角  玄松子 2004/09/07(Tue) 00:48 [Reply]
> ◎では『台風による海上のウネリ』も方言???

大三元さんの提示した『時代別国語大辞典上代編』では、
「ウネは、方言で山の頂、あるいは小高く連なる丘陵」
ということですから、海のウネリに関しては別ですね。

海のウネリは方言ではないのでしょう。

ところで、山の頂=ウネということから、
尾根・峰・屋根・棟なども同根・派生した後のような印象を受けました。海のウネリも。

蛇や川のウネウネは、クネクネか?
古語に言及すると、短い音について語ることが多いですねぇ。
「可能性」は無限に広がりますねぇ。

[922] Re[920][915]: 他 ウネと三角  恋川亭 2004/09/07(Tue) 00:46 [Reply]
 西日本、とくに紀州・四国は、ここのところ豪雨・台風・地震とたて続けです。こちら神戸でも、暴風雨が過ぎた後の恋川亭の窓ガラスは、塩で真っ白でした。一応、錨山の麓なんですけど・・・。咲耶といえば昨夜の地震は、ウチもよく揺れました。明日にかけて、また大きな台風が接近中です。沖はうねっていることでしょうね。

> ▲△模様 私は波の紋だと思っていました。

 横にいくつも並べると・・・たしかに波ですね。ちょうど『ひょっこりひょうたん島』に出てきそうな。(笑)

[921] 木花開耶比賣と桜  かたばみ [Mail] [Url] 2004/09/06(Mon) 12:34 [Reply]

(表の5641に連動)
木花開耶比賣の「木花」とはなにか。
紹介あったHPの万葉からの抽出に書かれる花に含まれているとするならば、頻度順に梅、橘、藤、桜。
どれも語源がわからない(^^;

橘は書紀にあるように香果であって香りと果実の木。
除いてよいと思います。
藤は古事記の中巻最後に男が藤の花になって伊豆志真登賣神の旦那になる話があります。
固有名詞になっていますから、藤も除いてよいと思います。

残るは梅と桜、記紀にはでてこないようです。
弥生の少なくとも中期には中国系渡来者と伴に梅も運ばれていた可能性はあると思います。
梅が「木花」が示す花に含まれていたかもしれません。
(万葉では宇梅、烏米でウメ、これが後に牟女ムメなどになる、平安時代にウがムに変化する様子が見える)

しかし、木花開耶比賣の「木花」の場合であれば記紀編纂者が「木花」に梅の意をみていた可能性はまずないと思います。
木花開耶比賣は大山祇神の娘、列島の先住者の娘であることを意識していたのなら、それを象徴するのに中国由来の花を使うことは考えにくいからです。
心理分析ではありますが(^^; 梅も除いてよいと思います。

古来からの重要植物であろう「椿」がないですが、景行紀にでてくるので早々に固有名詞があったとみておきます(ツバ・キ、だいぶ前に若干考察、その後なまけてますが(^^;)

桜ではない状況はみえないので、木花開耶比賣の「木花」は桜を意味しているとみてよいと思います。

「木花」にサクラの意が含まれているなら、開耶というすべての花がもつ機能が固有名称に「自然に変化」してゆくこともないとみています。


以下別の観点から。

北海道を含めた全土にウワミズザクラがあります。
花は一般のサクラとは似ても似つかない地味なサクラです。
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/uwamizuzakura.html

もう少し一般のサクラの花に近いものにミヤマザクラがあって、日本全土のやや寒冷帯と大陸東北部に分布するそうです。
http://research.kahaku.go.jp/botany/sakura/sakura09.htm

写真でしかみていませんがカンヒザクラは中国南部や台湾原産で花は濃いピンク、花だけ先に咲く。
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/kanhizakura.html

ヤマザクラは西日本と半島南部に分布。
西日本特有の桜がヤマザクラ、弥生時代のありように分布が一致してますが、いつからの登場かは不明。
ミヤマザクラとカンヒザクラの中間環境にある桜のようにみえます。
各種桜のDNA分析がほしいところです。


それぞれの品種のありようはおくとして、桜の祖先は縄文時代に軽く遡る木だろうと思います。
では縄文時代〜弥生初期に桜が注目されていたかどうか。
ほとんど役に立たない木だったとみています(^^; むろん材木にはなるけど。
(卜占に使われた可能性あり、ハハカ)

生活必需品ではないものにどれだけ固有名詞がつけられていたのだろうか。
細かく識別する必要があったのだろうか。
花の咲く木、コノハナ、それだけで十分だったのではないか。


美しさだけでその木に名がつくとしたら、人々の生活にゆとりがある時代だろうと思います。
弥生時代の中期、もうひとつは飛鳥奈良から平安初期か。
そういう時代での呼称が木花開耶比賣の「木花」であり、平安に至ってのより「しゃれた命名」によるのがサクラではないかと考えています。

平安時代は渡来文化が熟成して日本の文化が誕生する時代だと思います。
梅にかわって桜が台頭するのもその時代の流れに一致するものだと思います。

いろいろなものの「新しい命名」にも独自の工夫と遊びがなされたでしょう。
桜がブームになったとき、コノハナをさらに限定する呼称も必要になった。
それがサ・クラ、山肌の磐座を愛でる木、であろうと考えています。


[920] Re[915]: 他 ウネと三角  QUBO 2004/09/06(Mon) 11:44 [Reply]
海からの視点
「うねり」
 大きな波のことです。(海岸に繰り返し寄せる普通の波ではなく単発系)
 地震の津波のような波のことです。
 磯釣りのときに、波にさらわれて・・・と言うのは、こうした波です。
 普段の波と違い突然襲ってきます。見分けるのは沖を見ること。
 沖の水平線が盛り上がります。
 これを見たら高いところに駆け上ります。
「三角波」
 風に吹かれて立つ波で、正に三角形。小さすぎて乗れない。
 遠泳をするときは、この波が立つととても苦労する。
 呼吸困難になり、初心者では対応できません。
 ▲△模様 私は波の紋だと思っていました。

 鱗も単体で見ると四角(菱形)に近いです。
 但し重なり合っていると三角の集まりに見えます。

◎では『台風による海上のウネリ』も方言???
『ウネリ』は間違いなく全国共通の言葉です。
少なくとも海のせかいでは。

[919] 『うね』字解してみました。  わーぷ 2004/09/05(Sun) 22:14 [Reply]
>  「特定の地方でなくとも「小高く連なる丘陵」を『うね』と表現するように思いますし、」から

畝・鵜ね・兎ね・禹ね・卯ね・畦・宇根・有年・うね    私の古代文字字典の索引には
「土」の上に「龍」のウネと田+壽「ショウ・あぜ」のうね、「チュウ・ジュウ・たぐい」田+弓+ヒ・ヒ(口・口)
(エ・エ)のうねが三つ有りました。    田+弓+ヒ・ヒ(口・口)(エ・エ)のうねの索引では、S逆S字に隔てられて 
白川静氏に言う「口」=神への祈りの文である祝詞をいれる器のサイが描かれています。(他に「エ」・「ヒ」の形が有ります。)  
 私は禹(口文命)の父「口」コン(魚+系)(黄河の横の塚(丘陵)に甕棺に逆さまに入れられ生贄にされた禹の父「口」)との考えです。
「台」の字は塚(丘陵)の上の禹(ム・ヒ・巳・弓・・・)です。(詳しくは「渡来人研究会 」の最近のお勧め読本 「古墳のこころ」をご覧下さい)
「エ」コウ・たくみは白川静氏は工具・呪術的な呪器してますが、この場合私は測量器(アリダード)・古代中国の神器「鼎」と考えます。
「ヒ」は呪術をする時の禹の形で「北」に先祖の霊山や宇宙の創造神「主」山伏の言う「YAHO−(ヤヘー)?」に祝詞をあげてる形。

S逆S字はうねる(禹の寝姿?)川や道の形で口・工などは測量台と考えます。(古道に掛かる「橋」の対角線上600m以内の測量ポイント有り。)
塚(丘陵)(行基の経塚・講神塚・銅鐸・甕)・古墳・寺社・その他)
  皆様のお陰で『うね』の漢字とめぐり合えました、有難う御座います。
ちなみに「形」は鳥居の形です。鳥や隼 羽などの形に天使(神の使いの意が感じられます。)「矢」には神の意思を感じます。
「田」には地図を「八」には産むを「十」には神を       青草と本殿が裏=表に成りますように祈ります。

    字解に使用   古代文字字典 (甲骨・金文編  別巻古文編)城南山人編  )   マール社  参考・お勧めデス
 結論、『うね』はS字の様なうねりの様です。

[918] Re[917][915]: 鰻(うなぎ)の項(うなじ)  恋川亭 2004/09/05(Sun) 19:47 [Reply]
大三元さん、さっそくのご解説、有り難うございます。

> 標準語の「ウネ」にはその意味がない、ということでしょう。大辞林にも、広辞苑にも、その意味はない。

他の辞書まであたって頂いたのですね。お手数をおかけしました。

> 現在の語感、それはそれで一つの領域でしょうが、原義とか、古語での意味を現在の語義で律してはなりますまい。

私のみの語感であっては、方言以前でしたねぇ。気をつけます。

[917] Re[915]: 鰻(うなぎ)の項(うなじ)  daisangenn 2004/09/05(Sun) 16:34 [Reply]
> > 『時代別国語大辞典上代編』のウネの解釈は、かなり疑問を覚えますが・・・?

「・・・」で省略したところはアタリマエのことを言っていると思って省略したのでしたが、まずかったのかも。最初から書いておきます。

『時代別国語大辞典上代編』「うね」の項:

うね「畝」うね。畠にいく筋も平行に土を持ってものを植え付けるようにしたところ。(出典四点、省略)【考】ウネは、方言で山の頂、あるいは小高く連なる丘陵をいい、琉球語では嶺や畝をウネという。中世の(出典一点)に「うねを越し谷を越し」とあるのも山の尾根をウネといった物。元来は畠のウネに限らず、小高く連なったところをいったものであろう。長畝川(播磨風土記飾磨郡)の語源もこのウネに求められるかもしれない。

> > 『うね』が方言とは???

つまり、「山の頂、あるいは小高く連なる丘陵」を「うね」というのは方言である、と言っているのだと思います。

>  特定の地方でなくとも「小高く連なる丘陵」を『うね』と表現するように思いますし、

東北両親、関東生まれとしては「小高く連なる丘陵」を『うね』とは言いません。


> 沖縄言葉でなくとも「嶺や畝をウネ」とも言いますし、

標準語の「ウネ」にはその意味がない、ということでしょう。大辞林にも、広辞苑にも、その意味はない。

> 中世でなくとも「うねを越し」と聞いたことはあるし、

「うね」が「小高く連なったところ」を意味することがどこまで遡れるか、という視点でしょう。中世までは遡れたけど、例えば記紀万葉には見あたらない、ということでしょう。

> 元来でなくとも「小高く連なったところ」を『うね』と言っても不自然でないし・・・と思うのは私だけでしょうか???

少なくとも私はそれは今、誰かからとか何か(辞書など)から「うね」は「小高く連なったところ」を意味することがある、と教わるまでは知らなかった。

> >  しかし『山の尾根をウネといった』のは違うんじゃないかな? 尾根とウネはゼーッタイ違うと。 尾根のオには稜線の「ライン」の意味が含まれているけど、ウネには「盛りあがり」と「繰りかえされる連なり」であって微妙な差があると思います。 例えば同じ高さや同じ傾斜で続く尾根はあっても、それをウネとは言わないと思うのですが。

現在の語感、それはそれで一つの領域でしょうが、原義とか、古語での意味を現在の語義で律してはなりますまい。

[916] 小國神社  YUUKO [Url] 2004/09/05(Sun) 06:28 [Reply]
>小國神社は「おくに」=出雲の阿国?関係は?

主祭神が大國主なので、「大國神社」にしようと思ったが、それでは出雲に対して失礼なので、「出雲国=大国、遠江国=小国」という意味で「小國神社」としたそうです。

[915] 鰻(うなぎ)の項(うなじ)  恋川亭 2004/09/05(Sun) 02:07 [Reply]
週末すらも余裕がなくて、『神格化』の続きができません。<(__)>
本殿では、ウナギで盛りあがっていたのですね。

> 大三元さん(2004/09/01)神奈備板[5607] 『Re[5606]:ウナ−再び−』

『時代別国語大辞典上代編』のウネの解釈は、かなり疑問を覚えますが・・・?

> ・うね:・・・方言で、山の頂、あるいは小高く連なる丘陵をいい、琉球語では嶺や畝をウネという。中世の・・に「うねを越し谷を越し」とあるのも山の尾根をウネといった物。元来は畠のウネに限らず、小高く連なったところをいったものであろう。

『うね』が方言とは???
 特定の地方でなくとも「小高く連なる丘陵」を『うね』と表現するように思いますし、沖縄言葉でなくとも「嶺や畝をウネ」とも言いますし、中世でなくとも「うねを越し」と聞いたことはあるし、元来でなくとも「小高く連なったところ」を『うね』と言っても不自然でないし・・・と思うのは私だけでしょうか???

 しかし『山の尾根をウネといった』のは違うんじゃないかな? 尾根とウネはゼーッタイ違うと。 尾根のオには稜線の「ライン」の意味が含まれているけど、ウネには「盛りあがり」と「繰りかえされる連なり」であって微妙な差があると思います。 例えば同じ高さや同じ傾斜で続く尾根はあっても、それをウネとは言わないと思うのですが。
 では『台風による海上のウネリ』も方言???

> 玄松子さん(2004/09/01)青草板[912] 『神奈備:ウナ−再び−』
> 田の畝・畦は、∧字形。「うねうね」というと高低の連続。∧が連なると山々となるのでしょう。
> 辞書で「うねうね」をひくと、「高く低く波のように、あるいは曲がりくねって長く続くさま。」とある。「波のように」? 「曲がりくねって長く続くさま」?
> ∧∧∧∧∧∧∧という形状を横からの視点で考えると「山々」ですが、上からの視点で考えると、川の流れ、蛇の蛇行、ウナギの・・・ウネの本来の意味は、そういうところにあるのではないだろうか。

 左右に曲がったり、上下に高低ができたりして変化している様子にウネのイメージがありますね。ウネウネと続くと、波のようであり、連なる山々のように繰り返し続いている様子が浮かぶ言葉です。(けっしてオネオネではないですナ・・・しつこい?)
ポイントは『曲がり』の要素ですね。

 ウナを見て、私が辞書を引いた言葉は、まず宇奈月温泉でした。『黒部川の渓谷を見下ろす』という記述に、やはり・・・ナァ。ウナギは今まで、海のナーガ→ウミ・ナギと思っていましたので、ムナギ(胸・黄)だったとは驚きでした。兎はウサ・黄で、鷺はサ・黄なんですね。(なんだそれ!)
 遊びが過ぎました、今日はウネウネと大脱線です。
〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆

ちょっとマジメに青草します。
『三角紋は、本当に鱗(ウロコ)紋なのか?』

 「三角の模様は、ウロコをデザインしたものであり、蛇の象徴である」という記述を時々みかけるのですが、ホンマカイナ?勝手なイメージだけが閃光(先行)した話しではないでしょうか?
 ウロコの無いスーパーのパックで買物をする今の人と比べ、ウロコのある魚や蛇を日常よく見る機会のあった昔の人が、ウロコを三角形△で表すような安易なモデファイをしたのでしょうか?
 現物を見ると、魚でも蛇でも、一般的にウロコは四角(菱型◇)です。
 『菱形紋こそ、鱗(ウロコ)紋ではないのか?』

 それから、ウロコを蛇の象徴としたい方が多いようですが、金印の取っ手(蛇紐?)の写真を見ていたら、やはり丸模様◎でした。古来から蛇紋は丸がお約束だったのですね、蛇の「目」紋でなくとも。鱗(ウロコ)紋は、やはり魚なんでしょう。では、三角は何の象徴か・・・まだ模索中です。
 トンデモをかますなら、焼き直しよりも、もっと自由に遊びたいですね。

 ちなみにウナギにウロコはありません。マムシ獲りに行くのをウナギ獲りに行くという戦中派老人達は実在しますが、ウナギをマムシとは言いません。ただし、大阪あたりでいう、ウナギ料理のマムシは、名古屋が本家の『ひつまぶし』からきたマブシ(マムシ)でありまして、蛇のマムシとは関係ありません。御飯のお櫃にウナギの蒲焼を刻んだものを『まぶす』のです。『ひまつぶし』と間違いやすいですが『ひつまぶし』です。熱田神宮参拝のおりにはぜひ、おいしいよ。

[914] メビウスの輪  わーぷ 2004/09/04(Sat) 05:50 [Reply]
「桜の語源は、分かりませんし」から
桜のもと字は櫻 音はエイ(嬰)オウムの音も有る。嬰エイには、みどりご(あかご)の意と、女の首飾りの意がある。
嬰エイの字形から 1)女の首飾り(サクラ貝かも?)   
嬰エイの字形から 2)方形の飼い馬桶のような物を前にしている女と さしのべる腕 +みどりご(あかご)の意から
     青草です。  飼い馬桶のキリストとマリアでは、

「任益神は『ままよ』と読めるし」から任 益の文字から『ままよ』を関連付けてみました。
「任」は人ニンと壬ジン(みずのえ)から成り「妊」はらむの意も有る(壬人ジンジンは壬生ミブ氏))。
「壬」を字解すると 1) ノ=神が 士サムライに降臨した形。
            2)「I」の孕んだ形「王?」 「I」は定規を表わす。「任」は測量士?」
「益」には、皿に○を産み落とした形も有り出産をイメージされるので『ままよ』はママ(母)マリア?青草デス。

小國神社は「おくに」=出雲の阿国?関係は?(測量ポイントに「おくに」の地名?)
「エラギは猿舞い、獅子舞、猿楽、白拍子、くぐつ、などの遊芸である。
彼らは、漂泊の旅をする遊芸の民だった。歌舞伎(かぶき)は出雲の阿国という女がはじめたと言われている。
サンカの伝承=コトツによれば、この阿国がサンカだったというのである。このようにサンカは、
芸能や宗教などにたずさわった者と根をひとつにするようだ。」(遊芸と山伏は関所をフリーパスなぜだろう?)

「参河國って小さな字で書いてある」の「参河」はサンカ・ミカワ
(ミ・御・壬・巳・箕・三 カ・夏・華・架・香・珂・鹿・霞 ワ・倭・和・輪・羽・窪・我・・・)
文字や読み(音)につながりが?   ラインが見えるかも?。

「空海が指で『南無阿弥陀仏』と彫ったら泣き止んだとのことだけど、・・・・・
佐野(さの)郡にあるのに、なぜ『さよ』かというと、昔はさよ郡と言ったから。これを漢字で書くと佐益郡」から

空海の母方は佐伯(土蜘蛛)  佐野 『さよ』   佐益 サエキ?  

鰻とセグロウミヘビに関係は?
「出雲では、神在月の頃に稲佐の浜にあがってくる海蛇を神の使いとして信仰する竜神信仰がある。
この海蛇は、セグロウミヘビといい、背が黒色をしている。注目したいのは、脇腹の色で、金色をしている。
これが青銅器のイメージにあわせてこの海蛇が選ばれた理由と考えられる。」
「御諸山の神は蛇の化身であったといわれている。この神は青銅器の航海技術を伝えた人物と解釈する
こともでき、セグロウミヘビを祭る竜神信仰、そして青銅器祭祀を暗示しているような気がするのである。」
などと有りました。

[913] Re[909][906]: 景教以前の宗教観の渡来の民が存在していたのでは  玄松子 2004/09/02(Thu) 10:36 [Reply]
最近、書き込みが多くて恐縮。

モリヤに関しては、僕も否定的ですが。


> チェック2
> もうひとつが、様々な事象のなかの一部だけを取り出し、他の事象からも一部だけを取り出してうんぬんする場合です。
> 「12345」という情報と「54321」という情報があたっとき、3だけをみてどっちにも3があるからどうだこうだ、とやる。

この「3」を肯定的情報と捉える方も多いでしょう。


ユダヤ周辺でモリヤ山を信奉した人々が、西アジア→インド→中国を経て日本でも同名の山名を用いて信奉した。
途中の国々にも同(発音)名の神の山が存在した可能性はないのかなぁ。かつてはあったが、その後無くなったという可能性はないのかなぁ。
という妄想も否定できません。可能性という言葉を用いれば。

> 存在したことの証明は可能だが、存在しないことの証明は不可能、にからんでもきそう。
> ただ、肯定的情報に重きを置いた場合はロマンや考える楽しみが増え、発見のチャンスも多くなると思っています。

[912] 神奈備:ウナ−再び−  玄松子 2004/09/01(Wed) 22:19 [Reply]
青草へ移動。

大三元> ・うね:・・・方言で、山の頂、あるいは小高く連なる丘陵をいい、琉球語では嶺や畝をウネという。中世の・・に「うねを越し谷を越し」とあるのも山の尾根をウネといった物。元来は畠のウネに限らず、小高く連なったところをいったものであろう。・・・

田の畝・畦は、∧字形。
「うねうね」というと高低の連続。∧が連なると山々となるのでしょう。

辞書で「うねうね」をひくと、「高く低く波のように、あるいは曲がりくねって長く続くさま。」とある。

「波のように」? 「曲がりくねって長く続くさま」?

∧∧∧∧∧∧∧という形状を横からの視点で考えると「山々」ですが、上からの視点で考えると、川の流れ、蛇の蛇行、ウナギの・・・

ウネの本来の意味は、そういうところにあるのではないだろうか。

[911] 訂正します。  わーぷ 2004/08/31(Tue) 17:18 [Reply]
ごめんなさい。
さらし兎の「し」は「に」でした。

[910] 「むなぎ」を考えました。  わーぷ 2004/08/31(Tue) 17:07 [Reply]
≫鰻の古語は「武奈伎(むなぎ)」の「むなぎ」を考えました。

棟木の「棟」もっとも重要なの意。    他に星の名「大角」・・・(角度の星?)
「極」にも(むなぎ)の読みが有りました。天位・帝位 きわめる 最高 方位・方向などの
                他に星の名「北極星・南極星」 北極星・・・・・・(太一 ?)

 私は漢字の成り立ちに古代中国の禹(ウ)王と父口(コウ?)の長江・黄河の治水・土木事業と後の、
中国を九州に分けた測量事業 天文学・呪い(まじない) そして日常生活の中での人間関係
虎のモデルは禹の上司「ギョウ」らしくトラ冠(コ)の付く文字には父「口」を治水の失敗から父を黄河への
生贄とされたギョウへの恐れと 憎しみが感じ取れます。

それに、旧約聖書の話との関係する字形も多く有ります。
例; ウ冠=幕屋(モーゼの時代の移動用テント) 宇宙をも表わす。
「宗」 ムネ 会意 神を祀るみたまや。一族の祖先を祀る族長の意もある。夏に天子に拝謁する諸侯。
       字解 ウ冠と示すとから成る。ウ冠のもとは幕屋(幕を張って小屋の様にしたもの。)
「示」は、ツクエの上に生贄を載せて神に献じる意。生贄を載せるツクエが神位との考え転じて「神の意」。
他に甲骨文字には、TやIの形がありTは工に通じ定規に関係するとの私見を懐いております。

話が飛びますが、「島」シマには仲間内の縄張りのどの他と区別された地域の意味もあると思います。
他に、「田」タの文字も意味深くこれにも「他と区別された地域」が感じられます。
「田」の文字は、+を中心に木の楯に測量図を彫り込んだが地球が丸いので失敗し「亞)アの字が生まれた。
 「禹」の字は「ノ」=神 「口」=父 「ム」=ウ 「けいがまえ」=とらわれのミ・巳(蛇)・身・壬・御・魅・・・・
「口」+「ム」=虫(むしの付く文字は脱皮をするので蘇えりの象徴かも)蛇=虫+ウ冠+ヒ(禹が奉げる形)
禹の姿は「羽人」ウ人(天使?悪魔?)仙人・まじないし・・・さらし兎に通じ臼で薬草を煎じている。
 ウの音の文字
烏(ヤタガラス?サルタヒコ?)・兎(因幡の白兎?)・羽(羽人は天の使い)・胡(胡人コジン・ユダヤ系?)
禹・鵜・宇・菟・・・・    出雲系の渡来人は禹王の末裔? 始皇帝(秦氏)より家系が上?

青草にも入れない草かも知れません、お許しください。


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