青草掲示板ログ平十八年十一月 2006.11
多に蛍火の光く神、及び蠅声なす邪しき神有り。湯嶽神・菊嶽神の集い。
素人のひらめき、力はないが騒がしくなかなか従わない、一寸の草木にもある五分の魂の発露を!
 青草掲示板

[2609] Re[2606]: 辛国の城  nick [Url] 2006/11/30(Thu) 16:58 [Reply]
>> 「隅州辛国城」とは今の鹿児島神宮のことでしょう。

推論は出来ますが、断定するには根拠が乏しい。
「かごやま」は現在の隼人塚の西方100m辺りに位置します。
遠浅の干潟と想定すると、船なら可能性はでてきますがあくまで想定内です。
明治の廃仏毀釈が嘆かわしい。

余談ながら「日州街道」と言う古道は現存します。
「日州」がどこを指すのかちょっと調べてみます。

[2608] Re[2607]: 八幡神=大物主+五十猛  nick [Url] 2006/11/29(Wed) 19:46 [Reply]
八幡神と云えば、今日「全国八幡神社名鑑」が航空便で届きました。
実は昨年の今頃、800号突破記念のプレゼントにこれを選択したのですが
営業が忘れていたようで、過日電話をしてやっと、、
もう一冊は絶版で他を選んで下さいと断り書きが入っていました。

この11月の隼人の末裔の弥五郎祭は父の不具合でどちらも見物できませんでしたが
来年はこの祭りの経緯や正八幡宮との接点を探ってみようと思っています。

鹿児島神宮の歴史については
寺社探訪からどうぞ。

[2607] 八幡神=大物主+五十猛  神奈備 2006/11/29(Wed) 17:31 [Reply]
1.宇佐の地
 国東半島は国埼郡に属し、初期のヤマト国家の西の境界であって、その向こうは隼人の国、北には関門海峡を経て朝鮮半島。ここが境界であるとの意識は八世紀でも明確。古代国家は伊勢、鹿島など境界に国家的な神を祀って来たとし、宇佐の神のまず境界の神として出現。

2.八幡社
 和銅年間、律令制が隼人の勢力を征服して行く時期に社が初めて作られたようです。御許山が神の座す山とされていますが、斜めに向かい合う形であり、八幡社は南面、すなわち南の隼人国を向いて、ヤマト国を鎮護する存在となっています。
 『託宣集』によれば、大神比義と辛嶋乙目が鷹井の地に宮柱をたてることで、この神は出現したことになります。これを神の名前で云いますと、大物主神と五十猛神の後裔氏族が原八幡神を出現させたと云うことです。両神の神格をあわせ持っていたのでしょう。国家守護としての祟り神と武神。

3.半殺しの神
 『託宣集』では、欽明天皇三十二年に宇佐郡菱形池の辺に鍛冶の翁として出現、翁は「一身で八頭、五人行けば即ち三人死す、故に行く人なし。」という荒ぶる神として出現。これは祟り神の要素。
 次ぎに神は三歳の少児として出現し、辛国城に降りた幡の神で、誉田天皇(応神天皇)霊であることを明らかにした。応神天皇は武神の要素。


4.大隅国は713年に出来た。
 養老年間の隼人の反乱を契機に宇佐に出現した神と、大隅の辛国城に八流の幡として降臨した神が合体して、ここに八幡神が誕生、隼人の反乱後に小倉山に社殿が造営された。大隅の辛国城とは、霧島市に韓国宇豆峰神社が鎮座、渡来系の人々が隼人の地域に送り込まれて、祀った神でしょう。
 
5.放生会
 宇佐八幡で最も重要な祭りは放生会です。これは隼人の霊をなぐさめる催しです。この辺りから宇佐八幡は仏教的なものにひかれるところがあったのでしょう。


参考 飯沼賢司著『八幡神とはなにか』角川選書

[2606] 辛国の城  神奈備 2006/11/29(Wed) 10:29 [Reply]
素人さん、おはようございます。

> 八幡の神は日本の神様ではないのですか。自説からすると元は中国江南になってしまいますが、半島の神様ですか。

 辛国の城とは『託宣集』の言葉ですが、他に「日州辛国城」、「隅州辛国城」とも記されており、この場合には現在の日本国の範囲内のようです。

「隅州辛国城」とは今の鹿児島神宮のことでしょう。
 鹿児島神宮を正八幡と呼ぶのは『八幡愚童訓』に、「震旦国隣大王(陳大王とも言う)の娘の大比留女(おおひるめ)は七歳の時に朝日の光が胸の間にさし入り、懐妊して王子を生んだ。王臣たちがこれを怪しんで空船に乗せて、船のついた所を所領としたまうようにと大海に浮かべたところ、船はやがて日本国鎮西大隅の磯に着いた。その太子を八幡と名付けたので船の着いたところを八幡崎と言う。継体天皇の代のことであると言う。」との記載があるから。

宇佐と鹿児島とは同じ神様かどうかは定かではありませんね。震旦国とは大陸にあった国のようです。

われは日本の神になれり、ですが、この日本の中には九州は入っていないのかも。なぜなら境界の向こうだから。

宇佐八幡の神については諸説があろうと思います。

[2605] Re[2600][2598]: 諏訪神社の話題が  素人 2006/11/28(Tue) 03:01 [Reply]
神奈備さま
しばらくぶりに、掲示板拝見しましたので書き込み送れて申し訳ありません。
> > 武士といわゆる渡来人(華僑?、中国人)との関係は悪かったのでしょうか。
>
>  牧の管理をやっていた連中等が武装していって、武士の萌芽となった。東国では渡来人が武士になったのではと思っています。
同じ渡来人ですか、弓が弥生時代からの大弓なので半島で生活していた隼人などが、引き上げてきて半島での高句麗などとの戦闘経験などを生かして武士になったのかと思っておりました。弓射騎兵の技術もこれで伝わったのかと思っていました。

>  八幡の神は「辛国の城に始めて八流の幡を天降して、吾は日本の神となれり」との託宣があったそうで、元々は半島の神、従って武士の信仰を集めたとも言えるのでは。

八幡の神は日本の神様ではないのですか。自説からすると元は中国江南になってしまいますが、半島の神様ですか。

[2604] Re[2603]: 伏見稲荷  神奈備 2006/11/26(Sun) 13:05 [Reply]
>  稲荷信仰について問い合わせを頂きました。

問い合わせた方にメールをしましたが、アドレスがないようです。

[2603] 伏見稲荷  神奈備 2006/11/26(Sun) 10:04 [Reply]
 稲荷信仰について問い合わせを頂きました。

 伏見稲荷神社の信仰は日本の神道の形を取っているように見えますが、不思議なことに祝詞と共に般若心経が似合うのです。それはあちらこちらの塚を巡って行者が唱える声が時々聞こえるからでしょう。修験は神仏習合なので。

 伏見稲荷は稲荷山に葬られたこの地を開拓した秦氏の祖先を祭ったことから、祭祀が始まったのでしょうか、後に大陸にあったキツネ信仰が持ち込まれて、それと祖先崇拝、農耕などと結びついて伊奈利信仰として結実したものと考えることが出来るでしょう。ダキニ天はもっと後からのこと。

 松尾大社も巨大磐座が山中にあるのですが、やはりこの地を開拓した秦氏の首長らの祖神を祀ったものでしょうが、稲作よりも稲で酒を造るほうに主眼が置かれているのが参詣してもウキウキとした気分になる要素なのでしょう。

 いずれにしても、秦氏と云う一族は中臣連などとちがって、血族ではなく、渡来系の人々で物部や東西の漢などに属していない者達をかき集めて調庸の民としたと思っています、従って秦氏系の信仰はダボハゼ的なように感じています。
 賀茂、松尾、稲荷、八幡、養蚕、大避、兵主、機物・・・など。

参考 『日本の神々5』山上伊豆母、『秦氏の研究』大和岩雄 ほか

[2602] 天御中主神  神奈備 2006/11/24(Fri) 11:16 [Reply]
 天御中主神を祀る神社について問い合わせを頂きました。答えになっていますかどうか。

 天御中主神  沖縄のアマミチュウにを発想される方もおられますね。
        http://www.dai3gen.net/amami.htm

 天御中主神は一般論では、抽象的な神すなわち記紀神話の中で構想された神と見られていま

す。(『神道用語の基礎知識』角川選書)
 また、妙見さんの祭神や、水に関する神社の祭神になっているようです。


●水に関する式内社

水神社「天御中主神、罔象女之命、御井神」島根県平田市本庄町674

建水分神社[たけみくまり]「天御中主神、天水分神、罔象女神、國水分神、瀬織津媛神」大阪

府南河内郡千早赤阪村水分357 http://kamnavi.jp/ym/osaka/takesui.htm

式内社ではないのですが

水天宮 福岡県久留米市大字瀬下町265-1
この分社の水天宮
水天宮 東京都中央区日本橋蠣殻町2ー4ー1 など

北辰は水。北極星や北斗七星(柄杓)に見なされており、水に関わる。
また、道教的には北極星は天皇と呼ばれており、天皇崇拝につながり、そのベースは農耕・水

利にあるので、水と関わった。


●神奈備信仰や磐座信仰にも出てきます。

阿須須伎神社[あすすき]「天御中主神、神皇産靈神、高皇産靈神、道主貴神」京都府綾部市金

河内町東谷1 

石座神社[いわくら]「天御中主命、比賣大神、大山祇神、素盞嗚尊、天稚彦命、伊弉册命、倉

稻魂命」愛知県新城市大宮字狐塚14 http://www.genbu.net/data/mikawa/isikura_title.htm


●コマツに縁

小松神社「天御中主神」高知県香美郡物部村大字別役字宮ノ谷245

岡太神社「天御中主大神」兵庫県西宮市小松南町2丁目2-8

式内社ではないのですが、小松神社(妙見宮)大阪府交野市星田2-5-14 

http://kamnavi.jp/mn/osaka/hosida.htm


●妙見さんと白木

白木神社「五十猛神」 福岡県糸島郡野北村明見 現在は須賀神社。

http://kamnavi.jp/it/tukusi/nokitasuga.htm
白木神社「五十猛神」 福岡市西区大字西浦 1992 妙見
八代神社(妙見宮)熊本県八代市妙見町405(白木山)

五十猛神を祖神とする新羅からの渡来人が妙見神を祭った名残かも。


[2601] 枕草紙  神奈備 2006/11/22(Wed) 17:32 [Reply]
「枕草紙」に、「社は、布留の社。生田の社。旅の御社。花ふちの社。杉の御社は、しるしやあらんとをかし。言のままの明神、いと頼もし。」
なる文言があります。
それぞれの神社は一体どこを指しているのかを調べて見ました。

布留の社 大和国山辺郡の石上坐布都御魂神社
生田の社 摂津国八部郡の生田神社
 ここまでは異論は少ないと思います。

旅の御社
 これを丹比の御社とするのもあるようです。そうしますと、河内国丹比郡の丹比神社となります。
 もうひとつは、一般論としての御旅所説があります。これに対する反論は固有の神社をあげているところに、お旅所は不釣り合いだとのことです。

花ふちの社がよく分からないのですが、陸奥国宮城郡の式内大社に鼻節神社があります。ハナフチ、他に似たようなものはあるのかな。

杉の御社、これも分かり難いのですが、陸奥国黒川郡の須伎神社がスギ、スキでは候補になります。
 杉で有名なのは、三輪大社、伏見稲荷大社、石上神宮ですが、石上神宮は布留の社ですから残りの二社。しるしの杉と云えば三輪大社。


なお、異本には他にも神社がでてきます。
社は、布留(ふる)の社。先田の社。竜田の社。はなふろの社。
美久里の社。杉の御社。しるしあらむとおかし。
事のままの明神、いと頼もし。

先田は生田でしょう。

美久里の社は河内国石川郡の美具久留御玉神社を略したのかも。

言のままの明神、事のままの明神、コトノママ?、己等乃麻知神社(事任八幡宮)かいな。

[2600] Re[2598]: 諏訪神社の話題が  神奈備 2006/11/18(Sat) 18:50 [Reply]
> 武士といわゆる渡来人(華僑?、中国人)との関係は悪かったのでしょうか。

 牧の管理をやっていた連中等が武装していって、武士の萌芽となった。東国では渡来人が武士になったのではと思っています。
 八幡の神は「辛国の城に始めて八流の幡を天降して、吾は日本の神となれり」との託宣があったそうで、元々は半島の神、従って武士の信仰を集めたとも言えるのでは。
 
 神風を吹かした神は誰か?
 伊勢の神、筥崎宮の神、出雲の意宇の布宇(ふう)神社(風の宮)の神など。

[2599] Re[2598][2595][2592][2591]: 諏訪神社の話題が  nick [Url] 2006/11/18(Sat) 17:12 [Reply]
素人さんこんにちわ。

> 話がだいぶそれるのですが、以前製鉄華僑の日本移住について調べている時に、岡山の旧家の方が家伝として、「武士が登場するまで、中国系であることを自慢していて、蔵から中国伝来の宝物を取り出して自慢していた。しかし、武士が登場してからは脅かされたりして身の危険があるので、自慢しなくなり、元寇以後は中国のスパイと疑われ命にかかわるので宝物も蔵の奥にしまって中国系だと言うことを隠すようになった。」との記述がありました。

なかなか興味あるお話で、さもなんですが。
当地の八幡の歴史を調べるのに宇佐神宮史を読んでいると
結構人間臭い騒動があります。
小説にするには結構面白い題材だなと。
宇佐神宮との抗争も根が深そうですが、案外これも宇佐の覇権争奪戦が
当地にも少なからず影響しているのではと。。
ま、今後の興味あるテーマです。

脱線のついでに。笑。
23日、日南市飫肥の「弥五郎祭」ですが、父ダウン目下点滴のみ。
またホテルやタクシーのキャンセルでした。
ここは昨年も。。2年続けて中止で、、よっぽど嫌われているな。

[2598] Re[2595][2592][2591]: 諏訪神社の話題が  素人 2006/11/18(Sat) 00:56 [Reply]
nick 様
> >  勧請年代は総じて鎌倉時代以降が多いようで、源頼朝が崇敬し、北条氏も武士団にも勧めたようです。源氏と言えば八幡様と思うのですが、お諏訪様も崇敬されたとか。
> >  だから、蒙古が攻めてきた時、諏訪の神が蒙古退治に活躍されたとか。
>
> その蒙古退治で当地の八幡にも祈祷が。。その加護で退治できたと報償を。
>
> 弘安7年 1284 幕府寄進す 異国降伏祈願のため、豊前國上毛郡勤原村地頭職を寄進 宇佐神宮史6-92
つまらない疑問ですがお許しください。
話がだいぶそれるのですが、以前製鉄華僑の日本移住について調べている時に、岡山の旧家の方が家伝として、「武士が登場するまで、中国系であることを自慢していて、蔵から中国伝来の宝物を取り出して自慢していた。しかし、武士が登場してからは脅かされたりして身の危険があるので、自慢しなくなり、元寇以後は中国のスパイと疑われ命にかかわるので宝物も蔵の奥にしまって中国系だと言うことを隠すようになった。」との記述がありました。武士といわゆる渡来人(華僑?、中国人)との関係は悪かったのでしょうか。
もし武家が中国系を嫌っていたら、武家の信仰が厚かった八幡様とかお諏訪様はあまり中国色が強くなかったのでしょうか。蒙古退治は中国が対象ですから中国系の神様にお願いするのも変に思われます。
鎌倉期以後は対中国感情が悪化したことは間違えないようですが、渡来系一族の由来などが、隠されたりするようになったのでしょうか。延長上に秀吉のいわゆる朝鮮征伐なども有るのでしょう。
根拠希薄の青草でした。

[2597] Re[2596]: 最大級の地震が  神奈備 2006/11/16(Thu) 08:30 [Reply]
 地震除けの神様としても中臣氏にかかわる鹿島神宮、香取神宮の要石は有名です。
 この二柱が遷座の途中、三重県青山町で休息した大村神社にも要石があり、地震の神様のようです。

 また、名張市下比奈知の名居神社はずばり地震の古語がナイだそうで、『日本書記』によれば推古7年に大和地方が中心の大地震があって諸国に自信の神が祭られたとか。

 マンションの地震対策が話題になっており、とくに下駄を履いたような構造(1Fを駐車場にして柱だけが立っているような)は、柱に鉄板かカーボンを巻き付ける工事が対策となるようです。そこそこの値段。
 マンションの屋上に鎮守さんを祀れば、それで地震対策になれば、誠に結構なこと。ついでに地蔵さんと十字架も要るのかな。

[2596] 最大級の地震が  nick [Url] 2006/11/15(Wed) 21:57 [Reply]
いや〜おおきな地震ですね。8.1とは初めてでしょうか。
このところ北海道は続きますね。
そう云えば以前釧路沖地震の時もそうでしたか。
海岸線の方々大津波にご留意を。

天変地異と社会的背景それと祭神、当地には多い。

[2595] Re[2592][2591]: 諏訪神社の話題が  nick [Url] 2006/11/14(Tue) 08:00 [Reply]
>  勧請年代は総じて鎌倉時代以降が多いようで、源頼朝が崇敬し、北条氏も武士団にも勧めたようです。源氏と言えば八幡様と思うのですが、お諏訪様も崇敬されたとか。
>  だから、蒙古が攻めてきた時、諏訪の神が蒙古退治に活躍されたとか。

その蒙古退治で当地の八幡にも祈祷が。。その加護で退治できたと報償を。

弘安7年 1284 幕府寄進す 異国降伏祈願のため、豊前國上毛郡勤原村地頭職を寄進 宇佐神宮史6-92

今度この鹿児島神宮の旧社領地を訪れてみたい。
もちろん香春神社もですが。

[2594] Re[2588] 水銀の反応             MADOKA 2006/11/14(Tue) 00:59 [Reply]
 素人さんへ
今回の件で私は丹生の重要性をやっと納得できました! 今まで。丹生は呪術的に魔をよける。不老長寿。鏡。。。これだけでは論点が弱い もう一手欲しかったんですがー。金の採取 金メッキ?合金(古代のレン金術?)に関連があるのならなるほど!\(^0)/ 素人さん 自説を文化史に繋げて論証されると皆からレスが多くなるとおもいます。。じーと見てたんですが丹生に関心がある人はこのサイトに多いとおもうんですが。。どうもついていけないのは私だけではないようです。。今回は皆理解できたでしょう。

ブロンズのことを書いたのは中国では青銅の金色の輝きを重んじ 鉄器の普及は以外と遅れた(実用的には広まったかもしれませんが 祭祀?や調度品としては青銅が重んじられた時代が長いようです)
 
ここで衝撃の事実
ある有力筋(ゆえあって明かせません)から得た情報
秦の始皇帝が自分の周辺に配したという 伝説の金人の正体は? リアルに金塊で造った金人を青銅で包み青銅の面に筋模様を彫り込み中の金が浮きあがるようにしたものです。金を青銅で何故包む?たぶん金より青銅のギラギラしたきらめきが松明で浮かび上がる効果をねらったと思う。そのきらめきの中にさらに浮かぶ金塊のキラメキが重要だったのでしょう。&青銅人を金でつつむのは並! 金人を青銅で包んで中の金を筋模様で見せる!秦の始皇帝のみがなせることだったのです。この現物は地球のさるところに現存する。(へいばよう の兵士軍団はこのレプリカを多様化させたもの 金人は はるかに精巧)

[2593] Re[2592][2591]: 諏訪神社の話題が  nick [Url] 2006/11/13(Mon) 20:54 [Reply]
管理人さんこんばんわ。
今夜は地元の歴史研究会に初参加でした。
寺社関連の情報を仕入れるにはやはり氏子さんにアタックしなきゃと。

>  勧請年代は総じて鎌倉時代以降が多いようで、源頼朝が崇敬し、北条氏も武士団にも勧めたようです。源氏と言えば八幡様と思うのですが、お諏訪様も崇敬されたとか。
>  だから、蒙古が攻めてきた時、諏訪の神が蒙古退治に活躍されたとか。

ちょっと調べてみましたら
諏訪の地頭職拝命は、鎌倉幕府成立以前なんですね。
その後、当地鹿児島や宮崎の地頭を。

神話伝承辺りが主体なのでちょっと武家社会は。。。
ま、興味のあるところだけおいおいと。
のんびり行きます。

[2592] Re[2591]: 諏訪神社の話題が  神奈備 2006/11/13(Mon) 19:57 [Reply]
 諏訪大社の勧請先の数を調べたデ−タが『日本の神々』に出ています。
 面白いのは本家の長野県より新潟県の方が多く、共に千社を越えています。次が群馬、埼玉、富山、福島、千葉と来ます。
 次が何と鹿児島県。
 少ないのは奈良、長崎、高知、山口、青森、北海道で一桁。

 勧請年代は総じて鎌倉時代以降が多いようで、源頼朝が崇敬し、北条氏も武士団にも勧めたようです。源氏と言えば八幡様と思うのですが、お諏訪様も崇敬されたとか。
 だから、蒙古が攻めてきた時、諏訪の神が蒙古退治に活躍されたとか。

[2591] 諏訪神社の話題が  nick [Url] 2006/11/12(Sun) 18:23 [Reply]
昨日は「隼人研究会」の例会でした。当地のそうそうたる諸先生が
参加されました。
中村秋蔵先生とは久々の二次会でした。
実はピンチヒッターで中村先生が「諏訪大社」のお話を。
知りませんでしたよ。まさか島津藩が信濃・藍田荘の地頭職だったなんて。
三国名勝図会に当地の諏訪神社勧請由来の一説があったとは。
隼人や鹿児島神宮関連のコピーはわんさか撮ったのですが。
(最近はデジカメで画像で保存しています。これならコピー代が無料)
当地にはあまり無いですが、ちょっと調べてみるかな。

皆さんからの宿題が昔あったのに思い出せなくて。。

[2590] かたまり  神奈備 2006/11/11(Sat) 20:49 [Reply]
 鎌足をして百済からの亡命王の豊璋だとの奇説がある。ZOUさんちで話題になった関祐二氏。
 理由は 1.鎌足の出自が不明、2.中臣氏は神道の伝統を破っている、3.百済の救済に蘇我氏は邪魔だった、4.韓人が鞍作を殺したと古人大兄が叫んだ韓人だからと云った理由。
 さて、反論であるが、蘇我入鹿を倒したのは、軽皇子、中大兄皇子、鎌足など、この内当時は無位に近い鎌足を代表格と見なすようなはずがない。韓人とは軽皇子のこと、軽は加羅の意、軽皇子は阿部倉梯麻呂の女を妃にしており、阿部倉さんは百済系。子供の有間皇子のアリマは夫余国の意味でもあり、韓人と呼ばれるのに相応しいのは軽皇子のこと。
 蘇我氏は百済の近いと云うか、百済系の可能性もあり、百済からの亡命王が倒す必要のない氏族。
 豊璋は百済で有能な重臣を殺したりしている無能な人物、到底鎌足とは比較にならない。

 やはり鎌足は中臣の後裔の一人、親父とされる御食子は鹿島神宮の神官だったとのこと、真偽のほどは不明ですが、御食子と云う名は紀伊国の豪族紀氏の系譜に御気持の名があるように適当につなぐのに使われやすい名前、実は判らないと云うことで、中臣氏が途絶えたので、分家筋が遠く常陸から有能とされていた鎌足を畿内に呼んで中臣家の再興と立身出世をさせたのであろうと想像しています。

 さて、記紀歌謡で実に趣の深い歌。
 小林に 我を引き入れ せし人の 面も知らず 家も知らずも
 この歌は、入鹿が殺される前兆だったと『日本書紀』に出ています。
 かたまってしまいそうですね。

[2589] Re[2553][2550][2520][2514]多田氏  アジスキ 2006/11/10(Fri) 23:54 [Reply]
古事記と日本書紀全体を総合して判断すると、この記述は出雲神話と
いうものに相当し、安芸神話なるものはございません。一々細かい点は
記紀にてご確認のホド、よろしくお願いします。


> > スサノオが降臨した「安芸国の簸の川上」
>
> 『日本書紀』一書曰。是時素戔鳴尊下到於安藝國可愛之川上也。
>
> この可愛之川とは本当に簸の川のことでしょうか? 普通は江の川(エノカワ)と解釈されていますね。「安芸国の簸の川上」の表現の中に、既にごまかしがはいっているのでは。
> 『神武紀』には、安芸国の埃宮(エノミヤ)と言う表現があります。
>
>
> > そうすると色々とつじつま合うもんな。
>
> 関和彦著「出雲国風土記註論」を持っていないので、安芸ではつじつまがあわず、安来ではつじつまの合う例をいくつか示していただけないでしょうか。
>

[2588] 水銀の反応  素人 2006/11/10(Fri) 23:34 [Reply]
水銀に関連して青草ですからこちらに書かせていただきます。
水銀と金
水銀を使用して金を回収する方法はアマルガメーションと言うそうです。
金回収の写真が載っています。粒状の金が出来ます。
http://www.braintank.co.jp/jogmec/mric_web/video/tec12/tec12j.html
水銀とイオウ
“硫黄は水銀に接すると容易に反応し、硫化水銀(β-HgS、黒辰砂)となる。”
硫化水銀(黒辰砂;合成)と水銀の写真。これを加熱すると赤い辰砂になる。
http://www.kuzuha-tc.jp/~archmetal/synthetic_metacinnabar.jpg
http://www.kuzuha-tc.jp/~archmetal/bangai4.html
参考までに。

[2587] 私も社寺のある風景が大好きです。  Y.O 2006/11/08(Wed) 22:29 [Reply]
仕事で、家屋などを販売する会社に所属しておりますが、
個人的には、神奈備様にも何度も教えを請う身ではありますが
とても好きなんです。

前にも申しましたが、父母の故郷は四国の田舎ですし。。。

ところが現代人という代物は社寺やお墓などを嫌うと言うか
全く無頓着です。
(そもそも視野に入っていない人が多いように思えます)

私は、宝塚市に4年前から住んでおりますが、真っ先にというより、
引越し前から「氏神神社」の在り処を各方面(市役所・各神社)に
問い合わせたものです。

しかし、地方では社寺やお墓が生活の身近に密着しています。
共生しているというのが相応しいかも知れません。

人間の本来の姿が田舎・地方にはまだ厳然と存在しているようです。

[2586] Re[2585]大阪近辺の埋め立て地  神奈備 2006/11/08(Wed) 20:56 [Reply]
北港
夢州
南港  ここらには見あたらない。ミズノの屋上などのはあるのかも。

鶴町
築港  古い埋め立て地には神社が勧請されている。

[2585] Re[2584]: Re皆様、有難うございました。  神奈備 2006/11/08(Wed) 20:19 [Reply]
 今日8日の日経夕刊 神戸女学院大 内田樹教授のコメント

「死者とのコミュニケーションは可能か?」といってもシヤーマン修業の話ではない。「死者」たちがその不在と欠如を通じて私たちの生方に影響を与え続けている限り、それは「死者とのコミュニケーション」と言うことができるというのが私の立場である。

霊的なセンターの役割を寺社に代わって引き受ける社会抑制度は他に存在しない。だが、その欠落を痛切に感じる人はあまりに少ない。
 先日、六本木のある巨大ビルを訪れたときに、たちこめる瘴気に軽くめまいがした。理由を考えているうちに、そのビルのどこにも寺も神社も存在していないことに気づいた。閉じられた空間に大量の人間を抱え込めば、羨望や嫉妬や憎悪がわだかまることは避けがたい。そういう重苦しい「気」はそこに住む人たちの心身をゆっくり確実に蝕んでいく。人間たちが集住する場には彼らが分泌するネガティヴな「気」をキャナライズするための霊的装置は必須のものである。少なくとも、そのような装置をまったく持たないまま生きながらえた共同体は有史以来一つも存在しない。
かつて千里ニュータウン造成のとき、設計プランに一つも寺社が含まれていないことをある僧侶に指摘された阪急電鉄の小林三は千里山の一隅に寺を建てることを許した。

神奈備注
瘴気 熱病を起こさせる山川の毒気
キャナライズ ある方向に導く。出口を与える。

[2584] Re皆様、有難うございました。             MADOKA 2006/11/08(Wed) 00:00 [Reply]
YOさん いやー大変なお仕事ですねえ。せちがらい世の中にこういう心をつくす不動産屋さんがあるんだーなーんか感動しました。頑張ってください。

確かに不動産にまつわるこの手の話は多い。
私の知る一番すごい話は沖縄方面のどこかのリゾート地建設場所の裏山の洞穴から大量の人骨が!どうも村の墓地ができる以前の祖霊を納骨する場所だったらしい!!で、この不動産屋さんは死に物狂いで近隣の村村を尋ね歩いてその洞穴にかかわる村村または家の墓地に全部分骨されたそうな!よくやられましたねえ、徳つまれましたね!ていうと。その方『当然や そうしなきゃ 俺の命が危ない!!』

私はこの話からこれはー古代の祖霊の祭り方そのものなんだろうなあと 洞窟に村の祖霊骨 神社の祖霊社の原型だなあとおもったんですがー

今回はYOさんとこだったからお払いまでしてもらって、この御徳で神奈備さんのおっしゃる通り完売か?これから良い土地にご縁があるんじゃないですかね? 祈念しておりますです

[2583] 皆様、有難うございました。  Y.O 2006/11/07(Tue) 23:04 [Reply]
私は、事務職なので現地には向えませんが。
会社は河内地方で現地は茨木市春日です。

だいたい、江戸時代や明治時代ならともかく、
40年前ならばちゃんと調査(情報収集)すれば
地元民ならそこが神社だったという記憶が残っているはず
だと思います。
もう当社の土地なので遅いですけれども。

余談ですが、以前東海地方で仕入れた現場が全く売れなかった事が
ありました。地元古老に後に聞けば、「伊勢湾台風」で死体が流れ着いた
場所だったそうです。
若い夫婦は知らずとも、その父母・祖父母が反対する訳です。


[2582] Re[2579]: 質問です。教えて下さい。  神奈備 2006/11/07(Tue) 19:34 [Reply]
> 慌てて春日神社にお祓いを頼み、5万円支払いました。
> 合祀にしても廃社にしても、跡地に何も手を施さないなど有るのでしょうか?

廃社なり遷座なりする場合、常識的には何かをしているはず。
春日神社さんんも代替わりをされていて、その頃の記憶や記録は残っていないのでしょう。
再度丁寧ににお祓いをされたのですから、住宅を建てればアットいう間に完売!
祈念いたしましょう。

[2581] Re[2579]: 質問です。教えて下さい。  nick [Url] 2006/11/07(Tue) 16:05 [Reply]
場所にも寄りますが、当地は鹿児島の霧島市ですが
「内神様」と云ってご先祖様の墓が敷地内にある所も散見されます。
現在では埋葬は無理ですが、、立派な物が多いですよ。
またある場所には、大黒天や恵比寿、稲荷、阿弥陀如来と云った祭神も祀られています。

MADOKAさんのおっしゃるようにその石碑の刻印をお調べになれば
案外解決するかもしれません。

[2580] Re[2579] 質問です。教えて下さい。  Y.O             MADOKA 2006/11/07(Tue) 15:19 [Reply]
YOさん はじめまして!
とても リアルな報告ですねえ
なーーんかわかりますわ!
このサイトのメンバーなら廃社や元社を調べている人山ほどいるとおもいますが。。痕跡がないこと多いです。大変なのよね 調べるの!こんなふうに無くなっていくんだーー。YOさんの心情は非常に良くわかります。でも読んだ感じではYOさんの会社ってまだ良心的な会社ですねえ。お払いもされて。。できれば。その祠がどういう祭神で御由緒かどういういきさつでどちらに合祀されたかを記録として残していただけるとありがたいのですが。。無理でしょうが石碑とか案内版?。それが祭神への御供養か??? 最低調べてみる価値はあるとおもいますよ。。(気持ちが悪いでしょなんか? 調べてみたら個人が勧請したものかもしれませんし それならどうということもないし) 付近の古老か郷土史家に聞いてみたらいかがでしょうか?

霊的なことは別のサイトで。。。

[2579] 質問です。教えて下さい。  Y.O 2006/11/07(Tue) 13:11 [Reply]
神奈備様、皆様。質問致します。
私が勤める会社は、住宅建築販売会社です。
土地を購入して、そこに住宅を建てます。

今般、北摂地区の某所に土地を仕入れました。(住宅を建てるべく)
仕入れ担当が、買ってから気づいたらしい(全くお粗末!)ですが、
そこは40年前(昭和40年頃)まで神社(祠)が有った場所。そして井戸も。

近くに春日神社があり、そこに合祀されたのか?それとも廃社?になったのか。
そのあとお祓いなど何も施されていなかったとの事です。

東海地区の支社などでは、井戸一つ有っても大騒ぎになります。
本部の仕入れでこの有り様。先が思いやられます。

慌てて春日神社にお祓いを頼み、5万円支払いました。
合祀にしても廃社にしても、跡地に何も手を施さないなど有るのでしょうか?

それを知らずに買う当社はもっと信じられませんが!

たった40年前の事なんですが。。。

[2578] Re[2577]: 馬の渡来  nick [Url] 2006/11/05(Sun) 16:29 [Reply]

> 聖徳太子が馬に乗って、飛鳥に通う姿を想像します。当時の馬は120--130cmぐらいで小さかったようです。
>

は、は、暇に任せて振ってくれはりました。
当地の開聞岳山麓に「トカラ馬」の放牧場がありますが
これは結構小柄です。
宮崎の都井岬の野生馬は今の馬体と変わらないように見えましたが。
現在のポニー程度としたら担いで坂を下っても不思議は無いですが
それにしても古人は怪力。

[2577] 馬の渡来  とみた 2006/11/05(Sun) 15:13 [Reply]
騎馬民族が中国の北東部から渡来し、日本を征服したのではと言うのが江上波夫さんの説で一時、古代史に画期を与えました。この説に対する批判を経て、今日では
征服まではしなくっても、古代日本に騎馬民は影響を与えているという見方が多いようです。

聖徳太子が馬に乗って、飛鳥に通う姿を想像します。当時の馬は120--130cmぐらいで小さかったようです。

縄文時代〜弥生時代は小型馬が、中国の華南つまり長江の上流域の巴蜀や、洞庭湖辺りの湖南から

日本の沖縄や九州有明沿岸、愛知沿岸・房総へ入ったそうです。
これって、隼人のルートと同じではないか。と想像を逞しくしました。渥美は安曇で海人族も入り房総は黒潮に乗っていろいろな海の民が入っている。忌部氏だけでなくもっと先住の民が来ているはずです。

隼人には長江上流由来の越人という説と、インドネシアの南方人由来説を考えられていましたが、長江上流説に軍配があがりますね。

弥生〜古墳時代は、中型馬として中央アジアや蒙古の馬が入ってきたようです。

聖徳太子の乗った馬はこの類の馬なんでしょうか。
日本への馬の導入は4世紀後半にはじまり、5世紀には馬文化が伽耶から入ってきた。

ツングースの高句麗の朝鮮半島南下と関係がありそうです。馬の普及と共に
馬飼集団が大陸・半島からやってきた。

河内・長野・群馬が騎馬の痕跡が多そうですが、群馬、信州は直接日本海を渡ってきた可能性も否定できませんね。


[2576] Re[2575][2574]: 今月はお祭りラッシュ  nick [Url] 2006/11/05(Sun) 12:29 [Reply]

> 今から思うと私は親をそういうエネルギーに満ちた自然の中へ連れていく回数は少なかったように思います。反省。

ま、なかなかこのようなケースはないでしょう。100歳同伴ですから。
私も嬉しいのです。
現地を訪れると、「あ、ここは幼い頃父と来たな」と記憶が蘇るのです。
都城市高崎町にある「東霧島神社(つま)」あの参道の石段と神石、、
おぼろげながら思い出しています。

それにしても「玄松子」さんの行動力には脱帽。
過日訪れた神社も全部参拝されていました。
図書館にはそう「寺社関連」の書籍は置いてないので参考にさせて頂いてます。

管理人さんも「インカ紀行」素早い掲載。ご苦労様です。

当地の権現信仰と修験道をまとめようとは思っていますが、なかなか。。

[2575] Re[2574]: 今月はお祭りラッシュ  神奈備 2006/11/03(Fri) 19:55 [Reply]
> 今、服用薬は最小限にし、注射は中止しました。

nickさん、ご苦労様です。ご本人の生命力の発揮にはよろしいのかも知れませんね。神社や巨木の側へ連れて行かれるのも、自然からの活力を頂いているのでしょうね。

今から思うと私は親をそういうエネルギーに満ちた自然の中へ連れていく回数は少なかったように思います。反省。

[2574] Re[2572][2570][2569]: 今月はお祭りラッシュ  nick [Url] 2006/11/03(Fri) 16:12 [Reply]
自己レスで恐縮です。
最高の祭り日和となりました。例年以上の人出だったようです。
実は父が昨夕熱を出して、頓挫してしまいました。
先月初め辺りから発疹が出てなかなか引かない。皮膚科で治療していますが
どうも原因が掴めない。。今、服用薬は最小限にし、注射は中止しました。
高齢ですから、今度の23日までのんびり休養です。
と云っても、8日火祭り、10日天孫降臨祭、23日へと続きます。
忙しい。笑。

[2573] Re[2571][2568][2564][2563]: 伎楽・舞楽のルーツ?  なかひら まい 2006/11/01(Wed) 21:11 [Reply]
神奈備さま

> 名草戸畔に関しても充実した日々をおくられているようで、なによりです。
> ブログを見て情報提供される方もおられるようですね。

情報提供の方が出てくるのは、有り難いことです。
しかしまだまだ分からないことだらけです。
縄文系の一族だとは思うのですが、名草に縄文様土器などの、いわゆる「縄文」のイメージはあまり浮かびません。丹生とか鉄だと、どうしても中国方面の魔術的な匂いがします。考古学資料もあまりないし。

[2572] Re[2570][2569]: 今月はお祭りラッシュ  nick [Url] 2006/11/01(Wed) 20:12 [Reply]
こんばんわ。
ここのサイトも皆さんご存知ですよ。
あちこちで宣伝してるし。。

> それにしても殆ど車の走っていない道の横に田畑をつぶして農道ができていたり、山の中にロマンチック街道などと称するりっぱな車道ができており、おまけに歩道付き、ここも殆ど車が通らず、30分の間に追い抜いていった車が数台、島根県だけは湯水の如く道路予算があふれているようです。

当地は、「広域農道」等の方が県道より数段立派ですよ。
それも県道と並行して走っている。中には国道並のも。。
たまにきつねやウサギが走ったりして。。
横並び行政のライバル意識むき出しのロードです。
案外地滑りを誘発して麓に甚大な被害を巻き起こす要因になりかねない。。
また排ガスで枯れ木を育て虫食い状態の山林も多々。
今後は是正されるべきで。。

明後日3日のタクシー予約しました。隼人末裔の弥五郎祭りです。
後はお天気だけ。

[2571] Re[2568][2564][2563]: 伎楽・舞楽のルーツ?  神奈備 2006/11/01(Wed) 20:01 [Reply]
> 神奈備さん、ご無沙汰です。
> なかひらです。
> また、来月、和歌山に行ってきます。
>
舞姫さん、こんばんは。
名草戸畔に関しても充実した日々をおくられているようで、なによりです。
ブログを見て情報提供される方もおられるようですね。
がんばって下さい。

[2570] Re[2569]: 今月はお祭りラッシュ  神奈備 2006/11/01(Wed) 19:54 [Reply]
> しかし何とここにも玄松子さんの足跡が。
> 遠路はるばる参拝して頂いてありがたいこと。
> そして丁重なページを作成され公開を。
> お話を伺う氏子の方々も目を丸くされ
> 中には感涙極まって目頭を押さえる方も。。
> どれほど地域活性化の一助になっていることか。

いいお話ですね。玄松子さんのHPの意義が十分達成されいますね。勇気づけられます。

 インカにされそうなので神々のルーツの出雲に行って来ました。レンタサイクルを借りて東出雲の神社巡りをしたのですが、地図に載っている以外の道がどんどんできており、間違ったとおもったら探していた神社の正面にでたり、ラッキイな出雲サイクリングでした。
それにしても殆ど車の走っていない道の横に田畑をつぶして農道ができていたり、山の中にロマンチック街道などと称するりっぱな車道ができており、おまけに歩道付き、ここも殆ど車が通らず、30分の間に追い抜いていった車が数台、島根県だけは湯水の如く道路予算があふれているようです。
神々の国につけ加えて、車の走っていない車道がどっさりの国になってしまったのでしょう。おかげで神社巡りは快適でした。



> 今月は、田舎はお祭りの最盛期。
> 感謝しながら「父との同行二人」は続く。
>
>

[2569] 今月はお祭りラッシュ  nick [Url] 2006/11/01(Wed) 10:38 [Reply]
この春から念願だった宮崎地方の
神話伝承探訪に父と出かけている。
中には地元宮崎の方も滅多に参拝されない
古社もある。
しかし何とここにも玄松子さんの足跡が。
遠路はるばる参拝して頂いてありがたいこと。
そして丁重なページを作成され公開を。
お話を伺う氏子の方々も目を丸くされ
中には感涙極まって目頭を押さえる方も。。
どれほど地域活性化の一助になっていることか。
今月は、田舎はお祭りの最盛期。
感謝しながら「父との同行二人」は続く。



神奈備掲示板、写真掲示板、過去ログ集




神奈備ホームに戻る