青草掲示板ログ平十九年六月 2007.12
多に蛍火の光く神、及び蠅声なす邪しき神有り。湯嶽神・菊嶽神の集い。
素人のひらめき、力はないが騒がしくなかなか従わない、一寸の草木にもある五分の魂の発露を!
 青草談話室

[3416] nau 船はサンスクリット語にもラテン語にも    焼尻紋次郎 2007/12/29(Sat) 08:26 [Reply]
 日本列島には次々と、中央アジア、シナ、ペルシャ、インド、アラビヤ、ラテン(地中海)の高文化が辿りつき、王権を執り、或いは王の側近となって覇を競ってきた……。紆余曲折もありましょうが、これが本筋です。
 多くのミナシャンは、「日本はそんなにも遠い地方とは関係ないはずだ」と勝手に思い込んでいらっしゃると思います。これまでの歴史観はまさにそのとおりでしたし、その偏った考えかたを踏襲するが常識人の執るべき態度でした。
 しかし、文化は言語で探ることができます。そんなことやってる者は今のところ小生一人でしょうが、この道は単に“説”に留まるものではなく、あと十年たらずでホンモノの光彩を放つことウケアイです。

 nau 船はサンスクリット語にもラテン語にもあります。このナウが直江津や直江(出雲)、福岡県ののうがた(直方)で、シナのノウ姫伝説や“能”の地名になっていることとオレ信じま。

 かたばみさん、ナウ船とダウ船の関係・連続を教えてくれないかナァ。

[3415] エジプト語  ns     焼尻紋次郎 2007/12/23(Sun) 07:15 [Reply]
 オレ、『中エジプト語辞典』というのを買ってました。
 この種の言語は子音の連続で記載されていることが多く、あっしのようなポッと出のシロートは読みあやまることでしょうが、そのうち、先日のようにmax beb さん」あたりの目に留まって訂正してくれることを冀いながら……。

 それには ns(s の上に・記号あり、シュに近い音か)には「追い出す」の意味があります。これがいえるならダンナが書いた意味に接近しているのではないだっしゃろか。すなわち、長崎のイナサも外敵を追い出して「ウシハキ」を宣る山……。どな。

 また ns には「炎」の意味があり、那須火山にピッタシ。今の灯台とか狼煙に関係あらむか。一般的族際語形は nur(火炎)だが……。

 別に nsw に「上エジプトの王」がある。これは(< ni-swt)の註がついている。アイヌ語にでてくる nispa(だんな)あたりを強烈に臭わせる。西田、西本、西野あたりも脇ポケットに入れとこうっと。

[3414]  な さ け な い      焼尻紋次郎 2007/12/22(Sat) 17:25 [Reply]
 断ち寄り者さん、有り難うございます。

 南東の風をいう仙台荒浜の「イナサ」の「サ」はヤマセ系統の「シ・サ・セ」でしょうか。風の名前を日本規模で集めても、おもしろい成果があがりそうですね。

 漁業とか川舟関係の人びとのことばは、いちおう揚子江周辺にいた倭蛋民のことばを写している面も多いかと思えます。私の主張は、倭蛋民をネパール系武人が支配して、この日本列島に入った……なんですけど。
 しかし、なにせ、魚の名前にしみこんでいる発音は、まったく意味不明なものがほとんどで、手がつけられられず、なさけないかぎりです。風のイナサもその延長だと考えたくもなります。
 もしかしたら、沿岸漁民の語彙の多くは倭蛋民とは別系統もしれません。
 でも「シ・サ・セ」は日本の内陸語と同一だと踏めますね。

 小生が「情け」で感じていることを披露させてください。
 これもやっぱネパール語で、 sak は「できる、可能だ」で、これに na が接頭されると、「できない、不可能だ」になります。「情けない」のナイは否定のナイではなく「せわしない」などの、肯定で強調(-ai)を含めて造語されたとみるのですが……。 na-sak-e の末尾の e も -ai 系の強調だと思います。

 ひょっと、ひょっとしたら「asa(希望)のケ(気)が無い」かも。この場合の語頭 n- もネパール語での強調接頭辞です。asa はネパール語のほか、フィリピン・タがログ語にもあります。
 ホトケの“ケ”、誰かお教えあれ。

[3413] 情けのイナサ?  立ち寄り者 2007/12/22(Sat) 14:51 [Reply]
日本語では普通に南東の季節風がイナサですけど…

『「イナサが吹けば魚が寄ってくる。」
 仙台市若林区、荒浜集落の人々は言う。「イナサ」とは、春から夏にかけて吹く暖かい南東の風のこと。漁師には大漁の恵み、農家には豊作を運ぶ風である。荒浜の人々は親しみを込め「情けのイナサ」と呼ぶ。』
http://www.nhk.or.jp/sendai/top/program/inasa.html

[3412]   i-nas -a  焼尻紋次郎 2007/12/22(Sat) 12:46 [Reply]
 この語を考えるに、もっともっと多くの言語種を知る必要を感じます。

 語頭に i が立っているところから、ポッと思い出すのは √ i ○○ V の造語によるものであれば i-nas -a で、nas は「破壊」だから i-nas は破壊すること……かな? 末尾の -a は開音(母音づけ)現象でとくべつのいみはありまへん。

もいっちょは、那須の与一の「ナス」。エジプトのファラオの関係で、繪文字みたいに描かれている人物が頭にかぶっている帽子が茄子に似いちゅう。この関係で遠い記憶が川崎真治さんとの語りで、ナニかありましたが、ぼけました。
 √ i-nas で、「(こちらの)王領にする」ぐらいのは出まへんかァ。

 でもでも、長崎にあって「△△-SA 」とあるは、この末尾のサは八重山〜薩摩〜長崎〜津軽の癖音ですので、そうすると ina が残る。されど、今、蓄積のかぎりでは「舟・女・大地・へび」が出る。同時にフィリピン・タがログ語との近似もでま。

[3411] イナサ  神奈備 2007/12/21(Fri) 21:34 [Reply]
 久しぶりに宇陀に行きました。八咫烏神社の鎮座する市です。
 この神社の真東に標高600m以上の伊那佐山が展望できます。『古事記』の歌謡15番には、「楯並(タタナ)めて 伊那佐の山の 樹の間よも ・・」とあります。神武天皇が国を奪うシーンの象徴的な山のようです。

 国を奪うでは出雲の国譲りの現場は伊耶佐(古事記はイザサ 風土記はイナサ 日本書記は五十田(イタサ))の小浜です。大国主との談判がなされました。

 井伊直弼を出した彦根藩のルーツは浜松市北区引佐町井伊谷で、引佐はイナサです。磐座遺跡があるとされています。また渭伊神社も鎮座しています。
 長崎市のシンボルも稲佐山です。

 五十猛神を祭る稲佐神社が佐賀県にあります。この神社の社伝には、「鎮座大神は天地剖判の代草木言語の時、天降りまして、国家を造立し給ひし天神及び五十猛命の神霊にして・・」とあります。渡来の神々が佐賀の平野を支配した残照かも知れません。

 浜松や長崎のイナサは、国譲りとの関係は見えないのですが、イナサにはどのような意味が隠されているのでしょうかね。

[3410] 『アラビヤ人の日本列島上陸』、おわりました。  焼尻紋次郎 2007/12/20(Thu) 08:03 [Reply]
ミナシャン、お陰さまで紋ちゃん掲示板の『紋次郎・言語考古学』で 19回にわたる『アラビヤ人の日本列島上陸』を終わることができました。
 その 18話に掲出してますが、ハヤトが宮廷警護をしていたことはタシカなスジですが、宮廷の中庭まで入っていたかどうかが、重要な視点になっていま。
 そのへん、どうかお教えあれ。

 また、相撲とりの埴輪がでた古墳に祭られていた王様の名は特定できませんか?
 ご存じのかた、どうかお教えくだしゃい。「マスラオ」の語と関係してくるんであります。

 その他いろいろ、周辺事のことお書き込みアマカネ。

[3409] Re[3408]: 三本足・ヤタガラス考     神奈備 2007/12/18(Tue) 17:12 [Reply]
>  このへんで「三本足のヤタがラス」をまとめてみたい。

2001年11月  神奈備掲示板 から
[2098] ヤタカラスその2 [玄松子] 11/04
ところで、「ヤタカラスが三本足」って、なにに書いてあるんでしょうか。
古事記や日本書紀に見当らないんですが、僕が見落としてるんでしょうか。
熊野の烏が三本足で、それがヤタカラスと同一視されているのでしょうか。
だとすると、熊野「三」山と、関係ないですか。

[2114]
後漢時代『論衡』に「日の中に三足烏がいる」。
前漢時代『淮南子』に「日の中に蹲烏(三足烏)」。
ということでした。2000年以上前からある中国の話。


要するに、「三本足のヤタガラス」と言うモノは、勘違いの産物。
ところが、八咫烏神社の境内に烏のヘディグ姿の置物があります。3本足でした。
参照下さい。 http://kamnavi.jp/as/uda/yatagara.htm

[3408] 三本足・ヤタガラス考     焼尻紋次郎 2007/12/18(Tue) 11:30 [Reply]
 このへんで「三本足のヤタがラス」をまとめてみたい。
 三本足とはスフィンクスが謎をだして旅人を困らせたという「杖」のことだと思う。神様は白い髭はやして杖ついていた。杖の語源はツエツキの「つき・枝」だろうか? それにしてもチエ(智恵)に似いちゅう。
 杖は智恵の象徴だったにちがいない。杖を持った二本足の人間は三本足だと考えられていたのではないだろうか。

 西洋系の発音には tr がよくでてくる。これは t と r に区別した音ではなく、喉がらみの一つの音素と見たい。こういうのは倭蛋民とかイタリア人のように舟から舟に叫びあう言語ではなく、洞窟のなかで響かせるクセで発達した音だろう。

 mana というのはタミル語アイヌ語で微塵といういみだが、これを(?)大人の掌でひと握りした体積の量をネパール語では升感覚で 1 mana といっている。1 mana が 8ヶで 1 pathi となる。日本語の八の語源なるべし。ヤタがラスは八咫の漢字が宛てられる。咫は長さの尺度だろうが、これは「尺度」とみれば、上述の pathi との接点がでて来ようし、ヤツカのように「ひと握り」の巾を単位にしたもいえる。
 ヤツカのツカと pathi を同じだとしてみると、 1 ツカ( pathi)は約 8,3cm ぐらいだ。
 そうするとヤタガラスは 65cmぐらいの大きなカラスだということになる。

 カラスは神鳥である。神奈備とは kan(神)avi(鳥)と看た。
 では、ヤタガラスとは単に 8ツカの大きなカラスだったかというと、それだけではなかろう。これにはワタリガラス(渡り鴉)が懸け言葉されていると看たい。
 川崎真治さんがさかんに訴えていたのは、極東語のス(鳥)はシュメル語のシュ(鳥)であるという主張だった。「渡る」というのもアラビア〜インドのことばだった。カラスの kala はアラビヤ語の金属精錬といういみ。 su は衆で、ワタリカラスとは窯場から窯場へ渡り歩く古代の技術者だったとおもえる。
 技術者=知恵者=三本足。 どじゃ。

 ネパール語には yatra(旅・巡礼)がある。r 音を上述理由で差し引けば yata となる。 どじゃ。
 ヘンロはインド・シッキム州(レプチャ語)にもあるとか、建林賢司さんが教えてくれた。カイラ−ス山を知った人びとの、ニ万年前からのメッカ詣りなるべし。

 kag しゃん、杖ついてでも歩くクセつけておかぬと、筋肉が全面退却するばい。

[3407] 要石・妙見      焼尻紋次郎 2007/12/17(Mon) 10:12 [Reply]
 豺さん、そういえば小生は 50年前、電車停留所の妙見ちかくで要さんちに下宿していたことを憶いだしました。この妙見とは、大きな日蓮上人像がある博多の「ハコ(竹に呂だったか)ザキぐう 」です。

 小生はなぁ〜んも知らぬ、ただの「書き魔症」患者ですが、地名やモノの由来・語源にはすごく惹かれています。さきほど「妙見」を Google したところ、50万もの site が出たので、オットロシくなって逃げ帰りました。
 要石、妙見をお教えくだされば幸甚です。お願いします。

★ 群馬県の妙義山の西 25キロ、長野県に御代田がありますよね。この「ミヨ」など、何かを語っているはずです。
★ 飯塚市立岩遺跡のすぐ近くは「カミ・ミヨ」です。
★ 姫路市の近くといってもいいのかなあ。ミツイシがありますね。ここは耐火煉瓦の産地ですが、このミツには「三つ」以外の別の意味があるのでは? 岡山県内ですが御津郡という地名もある。

[3406] 第三の目    焼尻紋次郎 2007/12/15(Sat) 10:08 [Reply]
 くずさん、有り難うございます。それにしても猛烈な掘り下げようですね。
 オレ、くずさんと とみたさんへ、謹んで「山羊どん」のニック・ネームを捧げます。そのこころは根を掘って食べ、消化する。乳は高栄養。ニグラ・ニグラッ。オレも少しはあやかりたいも、カーソルがすぐにビッシャ〜と貼りついカナワン。

 木兎と書いてミミズクと読む。これナァ〜〜ンでカ。ここを睨みつけていたら、古代の偏執と語源も割れそう。
 「ミミズク=ウサギ」と感じたのは、南島語の「まやー(猫)」と、おなじく南島語の「まやすくく(木兎)」を見たからでした。ところがミミズクは木兎とも書くが木菟とも書いて、兎と菟とは字がちがっていることも、あとで発見しました。

 ふくろう一般には耳がないように見える。が、ミミズクにはちょんと小さな耳が立っている(のかな)。ネパール語で dhukur は山鳩。これを中型の鳥と置きなおせば、「耳・中型の鳥」となる。ふくろうにも dhukur の kur が入っている。
 ふくろうの種が闇夜に目が利いて音もなく飛翔するをみた古代人は、この種の鳥は第三の目を持っていると思わざるをえなかったのではないだっしゃろか。

 6センチ平方の紙に、一字だけ漢字をかいてパチンコ玉大に丸め、これを 50〜60ヶ盆に群がらせて「さぁ当てろ」とやると、当てるやつはメチャクチャによう当てる。ナ〜〜ンでカと訊いたら異口同音に「額中央の上のほうに、文字が浮ぶから」と返事する。
 この能力は 15年ほど前、共産党が牛耳る中華人民共和国で再確認された事実です。インド人はもっと早くから気づいていて、額中央に紅をつけたりしました。
 古代人はこんなのを知ったら、神の啓示だとしか考えられなかったことでっしゃろ。
 三つ目は半分わかりました。では第三の足とは、こはいかに。

[3405] Re[3404]: RE Re[3401]:  兎ではなく、ミミズク      くず 2007/12/15(Sat) 00:50 [Reply]
>あれ、兎かと思って、カラスとウサギがどう結びつくのだろと、二三度首かしげましたが、ミミズクなんですね。

ウサギです。延喜式(治部省)に「三足烏、日之精也。白兔、月之精也」とあって平安初期の年中儀式にはすでに取り入れられていたようです。

>それにしても、三つ目と三つ足(カラス)がどう結びつくのやら。

すいません。三つ目兔が印象に残っていたので勘違いしてました。
正確には、鹿児島県祁答院町の藺牟田神舞の飾り付け(大天界)で"日輪に三本足の烏"と"月輪に三つ目の兔"を吊るすそうです。
これは弓神事の的と直接的な関係はありません。弓神事の的で三つ目兔は確認できませんでした。

正月の弓神事で烏(基本三本足一羽)、烏と兔(兔から鼠に変わった例もある)の絵を描いて的にするところが関東で35ヶ所(55ヶ所?)、出雲八束郡に三ヶ所、隠岐7ヶ所、越後南魚沼郡2ヶ所だそうです。(諏訪では正月に蛙を射りますが、これも月の精にかけ合せたものかも?)

弓神事は東日本では御奉射と呼び、西では"オコナイ"の中でおこなわれ、祭りの年番(頭屋)の引継ぎ(オトウ渡し)の前に行われる儀式であるようです。
また日月に象徴される的を射る、割り壊す事に意味があるようですね。

古いオトウを割り殺すと見ればオトゴロスはここからか?

ちなみに正月には近所で"鳥追い"という行事があります。子供達が棒を持ち歌いながら集落の各戸を回ります。害鳥を追い払って稲の豊穣を祈ると言われてます。以下その歌詞

「今夜の晩は鳥追いだ。雀どんの鳥追いだ。つばくろどんの鳥追いだ。
 二つに割って塩つけて、三つに割って味噌つけて、とうじ籠へ、されこんで、
 佐渡ヶ島へほうり上げ、ほうり上げ」

>イエズス会は 1534年、ふん尿の都パリで結成式をあげました。

当時の若手エリート集団ですよね?
前時代の聖フランチェスコがいなかったら、彼らが出てくる土壌もなかったでしょう。
土壌は大切^^

[3404] RE Re[3401]:  兎ではなく、ミミズク      焼尻紋次郎 2007/12/14(Fri) 15:17 [Reply]
> 顧兎とはもともとは楚地域で虎を言う"於兎(オト・虎)

 「恐ろしい」を「オットロしい」ともいいますね(促音は強調)。
 日本語の虎の語源はネパール語 ; tras(恐ろしいもの)か。

 あれ、兎かと思って、カラスとウサギがどう結びつくのだろと、二三度首かしげましたが、ミミズクなんですね。
 それにしても、三つ目と三つ足(カラス)がどう結びつくのやら。

 イエズス会は 1534年、ふん尿の都パリで結成式をあげました。
 当時のイエズス会の人びとは、世界には胸に目をつけた人間がいると本気になって信じていました。科学が行きわたらない時代の人びとは、酔っぱらって語る古老の言を信じるしかショウがなかったのでしょう。

[3403] 『天皇アラブ渡来説』という本   焼尻紋次郎 2007/12/14(Fri) 06:21 [Reply]
 「オッ、これは」と思って買っておいた本の一つ、『天皇アラブ渡来説』をオレ持っています。
 『紋次郎・言語考古学』でシリーズした『アラビヤ人の日本列島上陸』も終わりに近づいたので、この本をひっぱりだしました。
 くだんの矢切止夫さんが“著者みたいに”なっている本です。1974年出版。
 むかしは、なんがなんでも本は縦書きにしないと売れないという固定観念があったので、この本も縦書きです。
 そこに「日神=ウツ」とあります。この“ツ”はまさか tsu ではないとおもわれますが、ut なら、第二子音濁化のクセで ud となって、ネパール語 ud-(陽が昇る)に合致します。

 オレ(このオレもアラビヤ語だとか)、永いあいだシュメール語〜バビロニア関係の言語は川崎真治さんに任せていました。
 矢切止夫さんの語彙処理は粗っぽすぎるようです。
 やっぱ、オレのこの眼で辞書読まねばならんのかナァ〜。


 オレ主催の『一杯のみやの価値観』に Vikz 野郎がチンにゅうしやがった。が、管理者が削除できないシカケになっている。
 そこで、ダンナ様に泣きついたら、さっそく『呑み屋の価値観』なる板を設けてくれました。この画面の左上「ホームにもどる」を叩いて、画面右下に「出口」が出てま。
 この板も神奈備の派出所とか別宮とかではありません。一切、紋次郎が斬りまわすところにござんす。
 意識をぐぐぐ〜っと掘りさげ把握したい方、ラッシェ〜〜イ!!

[3402] Re[3401]: 八咫烏神社  くず 2007/12/13(Thu) 23:41 [Reply]
正月の弓神事で八咫烏(三つ目兎)を弓の的にする地域があるようです。
中国の射日神話、盤古神話の影響と思われます。

中国湖北省の曽侯乙墓(紀元前5世紀の楚文化に属する)から出土した衣装箱に描かれる、
扶桑・若木と思われる神樹があります。
それぞれの樹には2匹の獣と2羽の鳥。側に弓を射る人物。
その2匹の獣は「楚辞」天問にある月中の顧兎であり、顧兎とはもともとは楚地域で虎を言う"於兎(オト)"ではないか。とする説(稲畑耕一郎氏)を読みました。
稲と鳥と太陽の道(萩原秀三郎著)から。

楚の文化を知る人が、月にゆかりの虎(誰かを例えて)のオトゴロス?

[3401] 八咫烏神社  神奈備 2007/12/13(Thu) 19:04 [Reply]
やたがらす→おとごろす なのか
おとごろす→やたがらす なのか
言語発音の揺らぎは大きいようですね。


[3400] ドンゴロス     焼尻紋次郎 2007/12/13(Thu) 10:30 [Reply]
 だいたいにおいて、年よりはジャマになることのほうが多いもんですが、ときとしてミョウなことをおぼえている。

 戦後、衣類が不足していたとき、ホームスパンという生地が出回りました。ひょっとしたら、これアメリカの主婦たちが日本人のために紡いでくれたのかもしれません。
 そのころ、ホームスパンに似た生地でドンゴロスというのがあって、これを緊急避難的に重宝したもんです。ドンゴロスはめっぽう粗い糸で織られていました。今では麻袋のマタイです。
 このドンゴロスは何語でしょう? ドンの部分は *dor(紐)だと断定できます。が、ゴロスの部分はあまりにも英語の cloth(反物)に似いちゅう。
 ハナシ、ピョンと飛ぶが釣り糸のテグスはシナ語だった。ヒョンなところから、英語のクロスが 7 〜 8世紀ごろ、英語としてではなく「コロス」として日本列島にはいって来ていたのでは? ……ああ、アオクサ。

 オトはウイルタ語に露頭している「第一の」だと思います。オツな味ですなあ。
 / オト橘姫……。
 
 神社の名前に「コロス」が入ってはいけないので、第二子音濁化を利用してオトゴロス。意味は「初め・着物」。やっぱ、アホクサ。

[3399] なんだろう  神奈備 2007/12/12(Wed) 21:29 [Reply]
奈良県史5神社

ある神社の漢字のルビに「おとごろす」とある神社があります。
さて、何と言う神社だと思いますか?
一応、式内社です。

[3398] 有渡(うど)小鹿村の百姓、甚太郎    焼尻紋次郎 2007/12/12(Wed) 06:32 [Reply]
 子母沢寛著『勝海舟』六巻、277ページに、有渡郡(うどごおり)小鹿村の百姓、甚太郎のことが出ていて、面白く読みました。

 清水の次郎長も、この有渡(うど)に住んでいたとのことです。

[3397]  ゴ ロ 合 わ せ     焼尻紋次郎 2007/12/09(Sun) 11:03 [Reply]
 一つの音が耳にはいって来たら、ご仁は深層心理下で、それに相応した内意を引きだしてています。このゴロ合わせがウマくできなくなっている人はキチガイとかバカと呼ばれます。

 で、ゴロ合わせはまず発音を検討するところから始まります。
 さて、dadura(柱)、dandi(柱、棒)、dalin(太い幹)、dad(幹)、lattha(電柱などのはしら)、lathi,latho(棍棒、棒)の音に恵まれました。

 概念は単純から複雑へ発展します。

 すると「埒あかん」などと慣用されている“埒”とは、牧場とか囲いの lathi(横棒)が始源だったろうと思えます。後世、これが訛って「らっしもねぇ」とか「やっちもねえ」がでましたが、これ、rathi(山車)を知っていたからでしょう。
 √i○○ V の造語法で、イラツメとは「戸ごとに幸せを届ける(rathi)こと」の祈願をこめた命名ではなかったか。
 宇陀天皇とは基本は「大柱」であり、ネパール語 ; udar(恵み深い)、ud-(日昇)を懸け言葉した命名ではなかったでしょうか。

 ud-(日昇)……。日本最古のくには諌早だと思うのですが、そこの北にはみごとに裾ひく多良岳があります。tara は星でもあるので、ここで星祭りをしたことも推測できます。・ 独活、宇土。……善知鳥?
 しかし、ここの東側は、ことのほか神聖視され、旅人は裾の東海岸を通過できず、大きく峠をこえて南下しなければなりませんでした。その峠とは「黒木峠」です。黒木もtala(シュロの木)に代表される柱文化の一つです。
 東の方向はことのほか神聖……はアイヌ社会にもみられます。他人が無断で東窓に近づくだけで、えらい剣幕で叱り飛ばされました。
 
 諌早市街の地図を見ると、いにしへの中心地らしい東側郊外に先祖の墓や記念碑が南北に並んでいます。

[3396]  た る き  3  焼尻紋次郎 2007/12/08(Sat) 07:24 [Reply]
 √ ♪ みよ 檣頭(ショウトウ・帆柱)に想い出の Z旗たかく 翻る ♪
 こんなウタ知ってるひとも少なくなった。こちとら「柱」じゃもんね。


 橋本さん、すみません。オレ、記述がへたなんです。
 和歌山の橋本先生はわが生涯で第一級の恩師でした。仲良く願いたい紋です。

 アジアマニアさん、有り難う! オレ、ネパールにとり憑かれたのはカタワになったあとです。誰か指摘してくれはるやろ思うて書き出しました。

 きのふ一日かけてアイヌ語の「たるき」を追いかけまわしたのですが、ボケました。なにかひっかかりが、あることはタシカなんです。
 くずさん、アイヌ語に nupuri uturu(谷)がありましたよ。uturu の末尾になぜ u が来るのか、これが何を意味しているのかが、今のところ分りません。
 でも、これやっぱ、柱と柱との間と置くのが正鵠をえていると思います。柱でなくっても「なにか神聖な場所」でしょう。高嶺と高嶺の間もそうでしょうしィ♂。
 日本語の座敷の“ま”もここから発達した概念だと……。ウイルタもおなじ。

 柱が タ・ダ としたら、ウタ、ウダは、一つは、大きな柱を意味したことが浮上します。ウツ、ウヅ、ウト、ウドもいちおう同様です。

 また、ネパール語 dah , dadh に燃やす、焦がすの意味があります。・ 黒柱ね。
 大地を支配しているへびに離縁状を唱える慣習は諏訪の御柱伐りの神事にみられますが、離縁したあと、いよいよ神格が高まったことでしょう。

[3395] Re[3393]: RE [3392]   た る き  2    アジアマニア 2007/12/07(Fri) 22:54 [Reply]

>  なお、ダシ(山車)は rath です。山車が街をねり歩くなどという祭りは、日本とネパールだけではないでしょうか。
>

そんなことはないと思います。私はインドに興味があってへ何回か行ったことがありますが、7月にインド全土で行われるヒンズー教の祭りも凄いですよ。大きな山車が練り歩くのは日本そっくりだと思いますよ。これはRatha Yatraと呼ばれていて、rathaは山車のことで、起源はインド東海岸のオリッサだといってますよ。
参考画像:http://images.google.co.jp/images?q=Rath%20Yatra%20festival&hl=ja&lr=&oe=UTF-8&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi

[3394] 無題  和歌山(橋本) 2007/12/07(Fri) 21:30 [Reply]
最近の談話室・掲示板ともに専門的で難しい。私にはチンプンカンプンでついていけない。

[3393] RE [3392]   た る き  2    焼尻紋次郎 2007/12/07(Fri) 14:26 [Reply]
 下の [3392] の拙文、読みかえしてみて呆れまいた。ここまで支離滅裂になったとは! いえね、わがパソコンのカーソルが乱れ跳んで、20行ほど書いたところで「書き込み」が機動して、やりなおしたのでした。

 鳥居を鳥居たらしめた発音と概念の構成由来をバラさぬことには、鳥居の意味や制度は掴めないのでは? と思ていたのです。
 そこへ、くずさんが ut , uturu など恰好の書き込みをしていらっしゃる……。

 「うずまさ」のように、三本足もありますが、鳥居はおしなべて二本足。しかも少しふんばってる。この足は朝鮮語では tari。沖縄のタ−リ−は男(三本足)。
 tar , tor , tur という相互に音転しやすい音の一群があったと置けそう。

 ネパール語は下記のように *da(柱)が言えそう。この da は、語頭濁音の発音をニガ手とする民衆では ta とするはず。「たるき」とは ta ・rukh(木)で、斜に傾斜させるのではなく、屋根を構成したかなりの巨木ではなかったでしょうか。
 日本語で垂木と書けば「垂れる・木」みたいですが、それはわれわれが漢字にこだわったからではないでしょうか。
 
 書き込みは、大略画面一つがいいようです。次に関連しそうな語彙をあげて、鳥居への肉迫はこの次にします。
 《いづれもネパール語》 dadura(柱)、dandi(柱、棒)、dalin(太い幹)、dad(幹)、lattha(電柱などのはしら)、lathi,latho(棍棒、棒)。

 なお、ダシ(山車)は rath です。山車が街をねり歩くなどという祭りは、日本とネパールだけではないでしょうか。

[3392]   た る き      焼尻紋次郎 2007/12/06(Thu) 08:10 [Reply]
 次々と風発されるヒントが、嬉しくってたまらないんです。古代人が辞書を作ってくれてたらよかったのですが、日本語の辞書はイエズス会員が来るまで皆無。
 そこでわれわれは残されている語彙や固有名詞を拾い集めて“神名”まで迫るを余儀なくされています。
 そこで得られた解釈は、いつも七つ八つも出てきて決定打がないのですが、それでも、その七つ八つをたなごころにいれてゴロン・ゴロンさせていたら、ある日突然に「これっきゃない!」という確信にめぐまれます。

★ 小生は tar , tor , tur あたりの古代音の内意には、鳥居を作った柱があって
、末尾の r が取れて to(門)になったのでは? というヘンな直感に振り回されているのです。 / √ 明石のトより 大和島みゆ 。
自分らの領界入り口に柱を建てた? 峠にもおおいに柱を立てたのでは? 
 ネパール(ヒンディ)語で u- は「二つ揃って」の意味がつよいのですが、アイヌ語では「共に、いっしょに」という意味になります。
アイヌ語; 「一つある」が an 、複数の「ある」が okai ですので、末尾の o が日本語の男ですけんど……。

★ uturu はアイヌ語のほかタミル語でも同一。「物と物のあいだ」ですが、ギリシャの聖賢たちがパルテノン宮殿で演説した姿を彷佛させます。クトブの鉄塔に象徴されるように、ア−リア人たちはドラヴィダ人やほかの民衆に柱偏執を誇示したのでしょう。これがシナにも流入した、と看たいもんです。

★ > 戸隠)で言う方言で山の狭をウト
 こんなヒントがメチャ有り難いんですよ。なにかしらんが、プンプン臭いたちますね。アイヌ語 ut は“脇”ですけど。
 島原の東、熊本県にウド市ウド郡がありますね。
 「ウドで目を突いた」は、持っていた「一点のやましい心」を祓い捨てた……?

★ 戸隠……。イチイ(アララギ)をトガとも言ったか。kush はそれ、「くに」?
 kush 玉の存在も見逃せません。ツガとも呼んでいます。
 オレ、イチイの苗木を商品として扱っていました。25年前、ヤギシリ(焼尻)島の「昇竜のオンコ(イチイ)」から、ペンネームをとったのでした。
 信濃ではヘダ、ミネゾともいいますね。なんで戸がへに音転するのでしょうね。

[3391] Re[3389]:  羊がくちきいてメェ〜    くず 2007/12/06(Thu) 00:30 [Reply]
紋次郎さん、ご高教ってのやめてもらえませんか^^

>ウトの語源
二つの三角山、ウには「二つ揃って」
解りませんでした。
関係ないでしょうが地元(戸隠)で言う方言で山の狭をウトといいます。
アイヌ語の〜の間がウトゥルだそうで、意味は似てますしょうか。
ちなみに地元地名に追通(おっかよう)があるんですが、アイヌ語okkayo(男)ぽくないですかね^^

それから長野にも善知鳥峠があります。古くは東山道も通った南北の分水嶺です。
面白いと思うのが峠の入り口、辰野町側に弥彦神社、塩尻側に小野神社が並んでいます。
小野神社には鐸鉾(さなぎほこ)と言って諏訪に伝わるのと同じ鉄鐸が伝わります。

ウドで目を突く伝承を弥彦神と東北の薬師が共有してます。
ウドには(春先良く取りに行きますが)ちょっと目をつくような尖った印象はないんですね。
むしろウドという呼称がなんや関連あったのではないかと思っています。

もっとも弥彦神にはウドではなくタラで目を突く伝承もあるようで、和名抄にウドの別名ツチダラがあるので、タラだったかもしれません。
また西日本ではウドをシカとも言うそうで、弥彦神社は鹿にも縁のあるようで、
万葉集、「伊夜彦神の麓に今日らもか鹿の伏すらむ 皮服着て角附きながら」
なんら関係あるかもしれませんが、今気になっているのはウド、ウトですね。


[3390] 『アラビヤ人の日本列島上陸』 始まりはじまりィ〜    焼尻紋次郎 2007/12/05(Wed) 07:11 [Reply]
 けふから『紋次郎・言語考古学』で「アラビヤ人の日本列島上陸」をシリーズとして掲出します。
 北海道の釧路はアラビヤ語の qutir(くに…… t の下に“・”あり、s に近似)だと小生は思っています。
 どうか大局での歴史や意識を掴んでください。

[3389]  羊がくちきいてメェ〜    焼尻紋次郎 2007/12/04(Tue) 07:38 [Reply]
 くずさん、いろいろとご高教有り難うございます。
 山の古形を探してるんです。山をヤマと呼ぶ前にナンと呼んでいたか……です。
 「ウトがもり」には二つの三角山はないでしょうか。ウには「二つ揃って」という意味が濃厚です。宇都宮の解釈にはどこかの言葉を拾ってきて「太陽」をあて嵌めているようですが、ここには「ふた・アラ山」があります。
 能登半島にあるトヤン高原にこころ惹かれています。
 ウイルタ語に tok(片目)が露頭し9ていて、これにも惹かれます。

 青森県の県の鳥はウトウ。善知鳥と書いて善知鳥神社もあります。鼻にかなり邪魔になりそうなふくろをつけているので、この器官がなにか特殊能力を発揮させているのではないか……。特殊器官を持たなくってもネコが 3000キロを歩いて、じぶんを捨てた元の飼い主の移転先に現れたという事実があります。

 おっと……、クサレはネパール語 ; ku(悪い) sar(うごかす、移す)。草はサンスクリット語 kusa と完全に同一。
アイヌ語 mai は内障眼(そこひ)です。くされ目は、まさにカイラ−ス山の表情。

 ハイテク木組もあがあが。
 「あご」は意味でいうと、くち(口)と骨に通じるかと。

 口に羊をそえて「メ」。「ヒメ」はただの姫ではないですよネ。一つ眼ならむ。  傍らに e 、o を発音しないアラビヤ語系勢力がいて、そいつらをからかった跡では? オレならそんなヤツ、やじりとばしたにちげぇねえ。

[3388] Re[3386]: 地域文化の断層  くず 2007/12/03(Mon) 12:37 [Reply]
太白山の古い呼称は生出森、ウトガモリであったようです。
舞草鍛冶の山の南に烏兎ヶ森があって同じく"三角山"。
ウトは製鉄に通じるかもしれません。日本書紀に垂仁天皇の皇子、五十瓊敷命が茅渟の菟砥(うと)の川上宮に行って、剣一千口を造らせた。とあります。
片目の薬師様を呼ぶメクサレ様もマイクサに通じるかも。

>岩手以北が「黒岩圏」だと置いてきた小生の考えが
>黒い石とは、まず、銅を採ったことが考えられます。
>表日本(今の裏日本)に環状列石がポツン・ポツンとあります。

本州の日本海と北海道東部は緑色の石を産するグリーンタフ地域と言われ、
そのグリーンタフの形成に伴う副産物に黒鉱があります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/黒鉱
縄文以来の文化と関係ありましょうか。

>小矢部市・桜田遺跡のハイテク木組み

当初、話題になったのは渡腮(ワタリアゴ)という仕口で同様の木組みが見られる中国、河姆渡遺跡との関連が指摘されましたが、その後の調査で下木の凸加工の中央部に貫通孔が認められ、それがホゾ穴ではなく貫穴であったようで「貫穴のある材」に改められています。
 渡アゴは横架材に施す仕口。一方貫穴をあけるのは縦材(柱)ですので、使われた部位が違ったようですね。
http://inoues.net/ruins/sakuramachi.html

でも貫構法は和建築の基本(今は廃れかけてますが)なので、それがこの時代にあることは凄いですけれど。

[3387] Re[3385][3372] 白山と九頭龍  神奈備 2007/12/03(Mon) 10:23 [Reply]
> > 白山と薬師に関連があるのは確かかも。
> >
 白山を開いたとされる泰澄の伝記である『泰澄和尚伝記』によりますと、白山の頂上に登り、緑碧池の傍らで祈っていると、池の中から九頭龍王の形をしたものが現れたそうです。
 もっとも、「これは方便の示現、本地に非ず。」と見破ると、十一面観音自在尊の慈悲の玉体を現したので、「光明見を耀す。」と言ったとさ。

 泰澄は天武期に生まれているようです。白山を開いたとされていますが、この山は加賀平野を潤す水源であり、もっと以前からの信仰があったはず。古い神であったろう白山の水神である九頭龍王が出てきているのにもかかわらず、十一面観音を強調してこれに結びつけたのでしょう。

 ついでですが、泰澄は都を上目遣いに見ながら白山を開いたのです。それは九頭龍よりは十一面観音であり、また白山の峯の左に別山、右に大汝峰を開いたのですが、この左右は加賀平野からではなく、都から見た左右と言われています。
http://www.genbu.net/data/kaga/sirayama_title.htm
 

[3386] シナ系社禝神殿の前は 岩と石  焼尻紋次郎 2007/12/03(Mon) 07:40 [Reply]
 くずさん、仙台の太白山の U.R.L をちょっと見ました。いきなり茂庭の村が出てきたので、「大正十三(年)男さん」を思いだしました。岩手日報新聞社の嘱託書き屋さんで、この系統の地名が岩手に多く残っているので、それを、アイヌ語を援用して意味づけしておられました。

 同時に、やはり、この岩手以北が「黒岩圏」だと置いてきた小生の考えが、いっそう意をえて強化されました。岩手という地名も黒い立岩に手形みたいな凹みがあるところから命名されたとか。この、岩への傷つけは、迷ヶ岱に 2万個はあっただろうといわれています。今はみんな持ち去られていて 1ヶもありません。
 環状列石で有名な大湯温泉のしにせ旅館に行けば、1ヶだけ見れます。

 あ、話が流れました。盛岡から西へ行くと雫石ですが、この sidk はタジク語で「真理、真実、誠意」であり、他では解釈不能です。
 黒い石とは、まず、銅を採ったことが考えられます。
 さらに西へ峠を越え、田沢湖町からガン治療で有名な玉(銅)川温泉に至る一帯の川原には黒い小石が出ています。それから十和田湖に抜けて西へ行ったところが「黒石市」です。

 関東で目立つのが、埋められて、てっぺんをちょっとだけ見せている「底無しの巨岩」です。

 長い岩を立てる風習は、茅野から西南日本一帯に見られます。

 奄美のものは海底に沈んでいますが、それから北、北海道のカムイコタンにいたるまで、表日本(今の裏日本)に環状列石がポツン・ポツンとあります。
 日本語とアイヌ語に類似語彙が多い(700ぐらいか)のは、この環状列石と支笏(千歳)の土壙墓が大きく関与していることと目されます。

 縄文時代は単一文化がつづいたのですから、その期間は 2500年間ぐらいあったとしても、われわれ感覚では 200年〜 300年のあいだに、これら遺跡が作られたと看たほうが見易いと思われます。この 200年〜 300年間、それぞれの地方は特色をみせています。

[3385] Re[3372] 薬師、クシ、クズ考  くず 2007/12/02(Sun) 15:17 [Reply]
> 白山と薬師に関連があるのは確かかも。
>

弥彦の神様には妻と十二人の子を連れての逃亡中に、独活で目を突いたという伝承がありますが、独活で目を突いた薬師様の話が東北の伝承に残ります。
http://www.infoaomori.ne.jp/~teruis22/ema%20matikara/emanomati.htm
薬師ではないですが、仙台の太白山にも独活の話。
http://www.stks.city.sendai.jp/sgks/WebPages/taihakuku/40/40-03.htm

また弥彦にはこんな話も。弥彦の石薬師明神。
http://www.e-yahiko.com/spot/densetu.htm
石が神座、一尺様、蛇神ときますとミシャクジ神を思い浮かべます。

そして梨が好きで虫歯の神。
これは戸隠の九頭龍神と同じですね^^


[3384]   ギニュエン(稲)     焼尻紋次郎 2007/12/02(Sun) 10:03 [Reply]
 アジアマニヤさん、待ってました!!
 オレの云いたかったのも、そういうことです。
 稲は古代にあっては文化語ですので、きっと長い裾野をひいているはずです。

 昭和 43年ごろでしたか、言語学者の郷実さんが「ことしの収穫は川崎真治さんのギニュエン(稲)ぐらいのもんだった」と云ったことがありました。シナで稲をギニュエンと云ってた事実を川崎真治さんが掘りおこし、日本語イネの傍らに立てたのでした。
 川崎真治さんの手法はかなりの音転を許していたので、ついて行けない部分もありましたが、当時のオレは「そういうもんかなあ」ぐらいで受けとっていました。

 与えられた音は恣意に動かせちゃいけません。が、ここはいっちょ川崎真治流を許してもらえれば、沖縄の宜野湾あたりも大いに臭います。
 ギニュエンがギネンを経て、キネンとなれば、チネンも出ましょう。
 このチネンが特攻機が飛びたったチランともなったか……どうか。

 イネは日本語感覚ではコメ、マンマ(or ママ)とともに三点セットです。
 アジアマニアさん、この三点が、あるいはセレベス島あたりで三つ揃い踏みするのかもしれませんね。

[3383] Re[3380][3379][3365]: 青草話  アジアマニア 2007/12/02(Sun) 08:09 [Reply]
はじめまして。面白そうなので参加させてもらいたいです。
ガセというか青草ですいません。聞きかじりですけど、ジャワ島のスンダ語では「イネ」をbhini、「飯」はnasiというそうです。

[3382] オレ発のガセが地球を半廻りしたお話  焼尻紋次郎 2007/12/01(Sat) 12:35 [Reply]
 「オレ発のガセが地球を半廻りしたお話」を掲示板『紋次郎・言語考古学』にかきますのでアマカネ

[3381]  山本多助エカシの寂寥     焼尻紋次郎 2007/12/01(Sat) 09:02 [Reply]
> 神奈備もガセを流さないように心しなくちゃ。ね、モンさん。
★ それを貫徹するなら、ぜんいんが高校までの教科書読んでればいいじゃん。

 オレ、釧路アイヌの酋長で、永年アイヌ語を研鑽しておられた山本多助エカシを阿寒に訪ねたのは、昭和 49年の春でした。
 その前年にはアイヌをめぐっての偏見や誤解で、札幌のアイヌ記念碑が過激派から爆破されたり、白老の町長が少年から刺されるという事件が起きていました。
 その因を作ったのはアイヌ出身でアイヌ語博士の知里真志保が毒舌をふるって、かなりの書き手どもを沈黙させたからだと、オレは思っています。
 知里真志保が去り、つづいて金田一京助博士も世を去ったあと、十余年にわたって、誰ぁれもアイヌとかアイヌ文化、アイヌ語についてはまったくモノを云わなくなっていたのでした。新聞社も雑誌社もラジオ局も同じ姿勢でした。

 オレが行ったとき山本多助エカシは「おう、おう、35年待った男がいま来たか」といって喜んでくれました。
 その後も阿寒を訪ねたたび、エカシは「風の吹かないところに、なんの進歩もへったくれもあるもんか、あとでウソと判って恥かくことを怖れるな、なんでもいい、思いついたことはどんどん発表しなさい」と云いました。

 神風特別攻撃隊の精神……ア〜〜ッたりきヨ。
 いい時代になった紋です。I.T.掲示板は庶民を底辺に置いて文化を推進させるに力あるものと信じます。もう少しのあいだ、板かしておくれや。
 もいっちょ、○×の法則……、反対の極でないと文化のプロモーターにはならない。


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