青草掲示板ログ平二十二年 十月〜十二月 2010.10〜12
多に蛍火の光く神、及び蠅声なす邪しき神有り。湯嶽神・菊嶽神の集い。
素人のひらめき、力はないが騒がしくなかなか従わない、一寸の草木にもある五分の魂の発露を!
 青草談話室

[5829] Re[5828][5827]: 素粒子 / エキトプラズム      生田淳一郎 2010/12/29(Wed) 12:10 [Reply]
下の記述で、大きな舌たらずをやらかしました。
個の意識が社会のことばと連結し常識をもつのは、なにも「原初イメージの延長」だけではありません。生まれ出てくる赤ん坊には、単細胞時代このかたのさまざまな集積がきれいに詰まっている……、それを付記すべきでした。

猛烈な数字オンチ(わて)のいうことは、あんがいヒントに富んでるはず。
このごろ 40万年前のヒトの歯がヨーロッパから出土した。
一人の人間が生まれるには二人の親が必要。一代を 25年としても 1000年前には 1億人以上の先祖がいることになる。とにかく凄い混血があったことはタシカ。ここが共通自我とか常識の根になっている。

「物理化学(世界の説明)と集団形成(軍事、政治)が家出(いえで)したので、まつりごと領域」に残された宗教の専門分野は「いのちごと……すなわち、死ぬ技術」に狭められた。
「◯◯さん」とか「XXさん」と呼ばれて「ハァ〜イ」と返事する回数に比例して「自分」という領域が固まったニンゲンは、自分を直截的に感受できて、全宇宙と “とっかえひっかえ” の関係に立つ自我をえた。そして、それが壊れることを、ほかの動物の何百倍も恐れるようになった。→ 死の恐怖。
そんな人間をスムーズにイオマンテ(送り)することが宗教の役割となった。

理詰めでは分らないことであっても、それを社会構成員の全員が認めれば、それは真理と化す。
赤信号、みんなで渡ればこわくない。
イルカさんからくるくる巻にされる魚のように、みんなで陶酔教に入ることが「一種の正義」となった。

いいお年を。

[5828] Re[5827]: 素粒子 / エキトプラズム      生田淳一郎 2010/12/28(Tue) 09:53 [Reply]
> 霊媒が出すエキトプラズムや P.K などの呼称は、前知識がないので、「考慮の外ごと」になります。
● 認識はどこかの誰か、という個別の、個人の認識であって、「客観的という認識」はありえない。すなわち「客観さん」が認識することはな〜い。
個人の認識には、生まれたあと、いちばん最初には自分とか他人とかの区分もなんにもないイメージが与えられる。すなわち、お母さんの顔などがそれで、そういったモヤモヤ・ぼやぼやが、いろいろなことと触れ合ううちに、他人のことばを介して区分が行われ整理されてゆく。
だから「前」……すなわち、「おかあさんなどの原初イメージ」の延長・・・が、未知の「発音・概念」に連結しないことには、どんなに多くの言葉が社会にあっても、個は常識の線に達することはできない。

心霊現象は、「ある」とは断言できないが「無い」といったらウソである。

また、認識は「見える波長の光」、「聞こえる波長の音」の範囲内でとり行われる。
だから、外界がそのまま認識に投射されるのではなく、感受主体(ヒト)の認識クセが外在世界のありようを決定づけている(コペルニクス的回転)ということになる。
人類はX線とか遠赤外線を使って台所むきの便利さも開発した。パワー・スポット超音波などで、これまで謎とされていた迷信領域にも科学の目が入ってきた。

イルカさんたちは、魚を超音波でくるくる巻きにしてたべる技術を身につけて、ケロケロ笑いながらこの世を天国にした。その超音波発射装置は額の中央にある。人間は、ここに第三の眼があることをみつけていた。

[5827] 素粒子 / エキトプラズム      生田淳一郎 2010/12/27(Mon) 10:54 [Reply]
よかおごじょさん、大波の池(霧島連峰のカルデラ湖)は、もうスケートができるぐらいに凍っていましょうか。
つらくても少しは運動しないと、からだにわ〜るいのではないでしょうか。
お滑りなるときは、ジーンズ履いて、防寒ずきんは三枚もって行きましょう?


ハナシぽーん。
イシコリドメの「ドメ」は、やっぱ「咎め・目」ではないかと思います。咎めはネパール語で dos ですが、西洋語のクセで、 末尾辞の一つ。-s は省略して考えてもよろしい。すると do だけで「とがめる」という意味になります。
ギャッと睨みつけたら、目からナニモノか、小さな物質が飛んで出る。
『霊人の証明』を書いた丹波哲郎さんなんかも、ギャッと睨む視線は、ただならぬものがありました。
勝海舟は曾祖父が検校で、その血をひいたのか、異様な目をしていて、ときどき放つ冷酷な視線は、見る者にただならぬものを感じさせたそうです。
大ちゃんもただならぬ目をしたそうですなぁ。ドメはカリスマの核かナ?

われわれシロートには、視線とかX線なら「素粒子みたいな概念」でもなんとかアプローチできそうな領域です。が、これが霊媒が出す物質のエキトプラズムや P.K などの呼称については、まったく前知識がないので、「考慮の外ごと」になります。
ことばは、斯様な台所向きの素朴的実在の世界で発達してきて、現代を迎えました。

[5826] Re[5824]:  オロ痛い(痛みが軽減する)       よかおごじょ [Url] 2010/12/25(Sat) 13:12 [Reply]

> ふる〜〜い板にはふる〜〜いニンゲンが棲みちょりますナァ〜〜
>
> あ、粘着テープを 500円玉大に切って、痛みのまわりに貼付ける。すると「オロ痛い」そうでんす。

申し訳ないですね。掲示板は目下閉鎖しています。
海外からの悪戯が激しいので、、古い紀行文らのフリーの掲示板も同じく。
歴史関連のリンクの方は、スクリプトを変更して何とか対応しています。

どうもご心配をおかけして恐縮です。
ホームドクターには「更年期障害」でちょんでした。
腰痛、臀部、それに脚の激痛。。
寒くなると「動脈瘤」があるので厄介です。

急激に冷え込んでいます。
風邪等にはご留意下さいませ。


[5825]  念  波         生田淳一郎 2010/12/25(Sat) 09:34 [Reply]
佐々木さん、5階からの念波送りは佐々木さんの愉しみの一つなんでしょうか?

● わては、一昨年までは、わざと小蠅を部屋にいれて、念波放射で追い払うゲームを楽しんでいました。健康法の一つです。
が、そのご逆襲をうけ、寝ているとき両耳の下を刺されて、ブツブツの鮫膚みたいになって痒いので、やめてしまいました。
小蠅クラスの小動物になると、目から出る一種の素粒子をモロにくらって、ひっくり返るみたいです。

● 去年の 5月、ふと見ると真東のブロック塀の上に白いドラ猫が向こうを向いて座っている。そこで「こっち見ろ〜〜 イエ〜イッ !」とこころで叫んだんです。すると、そいつは、ゆっくりとホニャラかホワ〜ン・・・と、真後ろ方面を気にするようです。
10秒も経つとまた向こうをみるので、つづけて放射したところ、計 3回、ホニャラカホワ〜ンと、こっち向きました。

● 今年の 1月、主治医の医院の前にクルマをつけました。運転していた愚息が「クルマを降りて、来た旨を告げてこようか?」と言ったとき、わては「ちょと待て」と言って、ガラス越しでしたが、医院の億にいる事務員さんに秋波を送ったんです。すると事務員さんはすぐに気がついて小走りに走り出てきてくれました。

40年も前、目を離しちゃアカンと、こころに銘じたことですが、やっぱ目を離す時間が長がかったんでしょうね。このごろはパワー・スポットちゅうんですけぇ。むかしなら地縛の霊とか神域という用語でした。暗ァ〜い緊張したムードでした。
「パワー・スポット」だったら手足バタバタさせながらストリート・ダンスを踊りながらでも◯○波のサーフィンを楽しめま。

神奈備ドン、このへんで「カンナリ現象体験記」を披露してくれへんやろか。

[5824]  オロ痛い(痛みが軽減する)       生田淳一郎 2010/12/24(Fri) 18:13 [Reply]
> しかし、お肌の方は、、、、
● 商品名 ; 「超濃厚コラーゲン(商品名)」をお奨め。

その後、痛みのほうはいかがですか?
おはんの Url をたよりに「掲示板」までたどりつきまして、うじゃうじゃ書いたまではヨカばってん、さいごに、「ナントカがナントカされちょりまっしぇん」ちゅう 4行(段)の文字が現れいでち・・・・・、そんままですと。
ふる〜〜い板にはふる〜〜いニンゲンが棲みちょりますナァ〜〜

あ、粘着テープを 500円玉大に切って、痛みのまわりに貼付ける。すると「オロ痛い」そうでんす。

[5823] Re[5822][5821]:  新しい鎮痛法 ?        よかおごじょ [Url] 2010/12/24(Fri) 15:01 [Reply]

>   顔は一回に 5ヶ所ぐらいがいいでしょう。アタマの上部に永いことかけると湯あたりになりますばい。

早速のご教示ありがとうございます。
父が他界した昨年春から15kgも太ったので、今春、祈願し
毎朝のラジオ体操と寒風摩擦を励行して、体重はヤングの頃に戻りました。
は、は、昔のジーンズがはけるんですよ。

しかし、お肌の方は、、、、
最近、「サプリメント」なる妙薬を舐めています。
湯当りにならない程度に、、露天風呂で。。
(当地は、龍馬や西郷さんが通った湯治場です)
今朝、脳外科へ、この所血圧が高くて倍増です。。

寒さ厳しき折、、ご留意くださいませ。

[5822] Re[5821]:  新しい鎮痛法 ?        生田淳一郎 2010/12/23(Thu) 14:43 [Reply]
 《 追伸 》
▲ 沈痛は鎮痛のあまやりでした。
▲ シャワーを顔にかけると、ひと晩で 10歳若がえって、いっそうのよかおごじょになりますばい。
  顔は一回に 5ヶ所ぐらいがいいでしょう。アタマの上部に永いことかけると湯あたりになりますばい。

[5821]  新しい沈痛法 ?     生田淳一郎 2010/12/23(Thu) 14:15 [Reply]
同病あい哀れむ、と行きまひょ。 わての旧名は焼尻紋次郎、ガハハ
あんまし知られていない方法かとおもいますが、次の二つはご存知だっしゃろか。
● 温度は普通の風呂の湯、42℃前後。シャワーくちはぐるぐる廻さずに、ここはと思えるところへ 60秒間、同じところへ   シャワーをかけます。シャワーくちは肌から 20cm あけます。
● 指三本の力を親指でためて、パララン・パラランと、痛い部分を 80回弾きます(3 X 80 = 240)。

▲ なぜ 60秒なのか、なぜ 80回なのかは、あだじは知りもはんのや。
  経皮沈痛消炎剤などが市販されちょりますバッテン、どうせじぶんの肝臓が引き受けて消毒することになりますので、
  あんましお奨めでけまへん。
▲ あだじはアクション・パッドを敷いてま。長引くようでしたら、これもいいのでは?

あれは、やっぱ「慣性の法則」の部類に入るんでしょうかね。氷山にふれると船も大破する。 / タイタニック号 

[5820] Re[5819][5818][5817][5816][5815][5814][5809]:  暮らしの中の怪奇情報            よかおごじょ [Url] 2010/12/23(Thu) 08:06 [Reply]
> いうな、いうなみたいな声なき声が聞こえるようですので、説明を短くしようと心がけるあまりに、


暫くお声をお聞きしなかったので案じておりました。
お元気そうで安堵致しました。
掲載されると「やかましい」が載らないとなぜか寂しくなります。

老練な愉しい話題を展開させて頂くと
好い正月を迎えられそうです。
なるべく判り易く
宜しくお願い致します。

秋のお彼岸で、清掃を終えて帰ろうとしたら
すってんころり。。。臀部を
墓の土台は御影石、それが水で濡れていて
サンダル履きで、、、
幸いにも頭部は大丈夫と安堵していたのですが、、、
その後、この臀部が激痛で、、起きるのもままならない。。
レントゲンでは特に異常なし。。
参ってます。。

怪奇現象で、、そのまま治ればいいのですが、、、なかなかです。

[5819] Re[5818][5817][5816][5815][5814][5809]:  暮らしの中の怪奇情報            生田淳一郎 2010/12/22(Wed) 12:05 [Reply]
いうな、いうなみたいな声なき声が聞こえるようですので、説明を短くしようと心がけるあまりに、誤解されがちな周辺のところばあを書く結果になってまんねん。わての関心事はSGの犯罪めいたことを発く(あばく)こっちゃごわさん。

わての訴えたいこととは、わえらが “日本総体” として持ち続けてきた『だんまり神』と『字句解釈に明けくれる、おしゃべり仏教』の二枚看板は、「教義なんざはそのへんに転がっているポンコツの寄せ集めでよろしい、それよか、今のミニ・コミュニティをマックス・コミュニティに拡張させる運動のほうが優先されるべきである」・・・・・要は集団形成であ〜る、といった泥まみれの足をつっこませる結果を招いたことでんねん。

宗教という意識叢は、そのむかしは「まつりごと」ということばで絞めくくられていました。その「まつりごと」は集団形成や世界の解説をも含んでいました。それが……、武力優位が実証されたこと、地動説が正しかったことに端を発して、ここに、集団形成と物理化学(世界観)が「まつりごと」の領域外に逃げ出した。それを、宗教に凝った分らず屋ども、がいつまでもいつまでも集団形成に未練たらしく愁波を送っているんとちゃいまっか。

寺社奉行・・・、力でおさえこむだけではアカン。ここにはもっと日本人らしい言葉が入って、しっくい、セメントの役割を果たさんことにゃアカン。

おおくの天才さんたちは、人生のたそがれ期に心霊の畑にこころ惹かれるみたいですね。エジソンさんも晩年(?)には心霊に大きな関心を持ったそうな。Z市の天才さんから聴きました。
言語学の父といわれるソシュールさん、なにか心霊現象にまとまった言葉を遺してくれてたら……!! いや、少しでもヨカ。

[5818] Re[5817][5816][5815][5814][5809]:  暮らしの中の怪奇情報            佐々木 2010/12/22(Wed) 10:27 [Reply]
>多大な起爆力
 それは知らんかっといてんね。見当違いですたか、すいませんでした。
★おおむねホルモンのバランスが狂うのでしょう。詳らかに覚えていませんが、おおよそ20歳までは半年で骨がすべて更新されます。つまり半年後は別人格になるのです。それ以上の年代は3年以上かかるようです。
★怪奇情報といえば、5階の窓から人々の歩く光景を見ながら、特定人物に焦点をあてて「右に曲がれ」と念じると、瞬間的に右に曲がりかけます。不思議ですね。
 昨今はパワースポット(とくに伊勢神宮さん)ですね。ガンマ線が強めに地中から出ているのでしょう。

[5817] Re[5816][5815][5814][5809]:  暮らしの中の怪奇情報            生田淳一郎 2010/12/22(Wed) 08:40 [Reply]
> そろそろ特定宗教団体の話題には終止符を打ちませんか。
● わては、この特定宗教団体がもたらしたべんりな「(日本精神史の虚構を覗く)覗き穴」に多大な起爆力を直感してま。そして考えれば考ゆるほど、衝かれたスキマの構造が見えてくるようです。

棒でつっつかれた冬眠ちゅうのヒグマは、体力に自信がないので、うぉ〜っと吼えながら立ちあがります。すなわち、敵(人間)に腹をみせるのです。その一瞬のスキを衝いて、アイヌはササッと駆けよってグサリとやるのです。

「知らしむべからず、寄らしむべし」の果てに、失明者にされた民衆は、八紘一宇みたいな漢字を並べられただけで、「ナニかホンモノらしいぞ」とカンちがいして、多くの隻眼者を排出しました。
オチョクラれる前とオチョクラれた後の病巣はまるでちがいま。ここまでオチョクラれて目が醒めないでいると、それこそ日本じゅうは失明者だらけになるんとちゃいまっか。
おっと、隻眼・失明者は天(アマ)に連なる天才さんたちの群じゃったか。

みんなで生きている。 / VS じぶんさえ、そこそこにシヤ〜セであればそれでいい? 

[5816] Re[5815][5814][5809]:  暮らしの中の怪奇情報          佐々木 2010/12/22(Wed) 00:00 [Reply]
 生田さん お元気ですか。
よのなかの情勢が不安定に見えるとき、人は何かを求めるのでしょう。
 昨今、占いコーナはデパートのトイレや階段の隅から、売り場(本丸的)に移ってきました。古代に常世虫(アゲハチョウ)信仰というのがありました。
 そろそろ特定宗教団体の話題には終止符を打ちませんか。
>信長さんは、ついでに比叡山のただれを踏み潰しちゃった。
 信長(織田家自体は越前神官家がルーツ)は、牛頭天王を祭祀せよ、それならば知行を安堵すると河内周辺ではやっていたような記憶があります。なお日本は、鎌倉から室町にかけては、宗教の力が極めて強かったことを、克明に新田次郎の小説「新田義貞」にも記述されています。

[5815] Re[5814][5809]:  暮らしの中の怪奇情報          生田淳一郎 2010/12/21(Tue) 08:42 [Reply]
> 近年ではオウムと幸福の科学も該当しそうですね。
● 鎌倉ー北條の武士幕府のタガがゆるんだとき、一向宗が出て来て地域限定的なコミュニティの楽土を築こうとして、信長さんや家康さんのこころを悩ませました。神奈備ドンのところは石山本願寺の激戦地だったそうですね。
信長さんは、ついでに比叡山のただれを踏み潰しちゃった。
国土のかぎりに於いて、統一秩序を普及させようとする武力( = 政治・集団形成)は、宗教よりも強いことが、イエズス会の坊さんに言われなくっても、この日本では証明されていたんです。

● 日本で天皇陛下の次にえらい人といえば、大ちゃんしかいないでしょ。
拉致問題などは、大ちゃんに任せておいたら、たちどころに解決されるはず。

ところで、下のようなトラブルがおこっている。この社会の構成要員の一人として放置でけまっか? 積年の内部矛盾が表面化したのでしょうか。

▲ 公明党の委員長・書記長を20余年にわたって務めた矢野絢也氏が、5月12日に東京地裁で記者会見し、同日付で宗教法人・創価学会と創価学会の最高幹部7名を被告として、名誉毀損に基づく損害賠償請求訴訟を東京地裁に提訴するとともに、5月1日付で家族揃って創価学会を退会したことを明らかにした。http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/84584444072bf556056c13931893ead5

[5814] Re[5809]:  暮らしの中の怪奇情報          神奈備 2010/12/20(Mon) 11:01 [Reply]
> ● 日本では、創価学会ほど権力を欲しがった宗教は、ほかに類例はないでしょう。

 近年ではオウムと幸福の科学も該当しそうですね。

[5813] Re[5810][5809]:  暮らしの中の怪奇情報          生田淳一郎 2010/12/20(Mon) 10:42 [Reply]
この奇ッ怪情報に接したとき、すぐにおへま(わが愛妻)に訊きました。するとおへまは、6年か 8年前に大さんの国会喚問が問題になったとき、新聞や雑誌を見たので、「そのことは知っている」と言いました。
わてはア然となりました。
非常識を標榜してきたわてですが、斯くもの重大事実を、まったく知らなかったとは……!! こころ深く羞じいりました。

そこで、一昨日と昨日は全国の仲間 15人ぐらいに電話をかけまくったのでした。
すると、北九州 Y市で高校の国語の教諭をしてきたウシ(あだ名)が、「そういえば、なんだか聞いたことがあるような……」と言っただけで、あとは全員、知りませんでした。
● F市で 10年以上も市会議員をしているH. M 氏も知りませんでした。
● 博多で 40社もの企業コンツェルンのトップ、K T もしりませんでした。
● ひごろ尊敬している Z市の S天才さん(物理化学での評論家)も知りませんでした。
  が、さすが、知らなかったことの意味を深刻に表明されました。

隠蔽工作をしたのでしょうか? しかし、こういうことが、隠蔽されつづけられるもんでしょうか?
「こんにちwa」とか「いい天気ですね」などの言葉は、相手がどこの誰でも !00%そのまま通じます。

「言うて言うて、言いまくること」が伝統的に最高の美徳だとされている朝鮮文化。VS 「モノ言わぬ神」の日本神道。
傍らに「ことばにはなっていない言葉」を借用し、字句解釈に一生を費やす「おしゃべり仏教」。
そういう「板、バージョン、枠どり、体制」の日本の言語構造・・・・・の虚が衝かれたのではないでしょうか。

歴史で、わかっているだけでも 860回の外患(外部からの侵略)を経て、耐えに耐え抜いた朝鮮文化です。
アマちゃんで、おひとよしの日本人とは鍛え方がちがっているのでは?

その他、いろいろと問題がありましょうが、わての掲示板『ふだん記・ニッポン』http://6928.teacup.com/fudangi/bbs で続けます。

[5812] ミニ・コミュニティ         生田淳一郎 2010/12/20(Mon) 08:22 [Reply]
藤堂明保先生ゆかりのお方に申しあげます。
「おたし」は豊後方言で「わたし」と同義です。
武士は「おぬし」の語をもちいましたが、同じ武士でも本所もんは「おのし」と言ったようです。「おたし」は、このような「おのし、おぬし」の対語になっているのではないでしょうか。
わての両親は豊後のうまれで「おたし」とも、いうてました。
使いはじめのころは、註釈入れていましたが、ついつい……でした。やっぱワカラン言葉は使っちゃダメですね。

一読者さんに申し上げます。
「イチキリ」だったか、「イチギレ」だったか、二度も虫さされたままです。
わては必要あらへんと思ったので、神奈備ドンには相談しまへん。必要を感じるおのし様が、自発的に相談してくらはい。

[5811] 無題  藤堂先生の縁者 2010/12/20(Mon) 00:05 [Reply]
”おたし” とは わたしのことですか?

[5810] Re[5809]:  暮らしの中の怪奇情報          一読者 2010/12/19(Sun) 23:46 [Reply]
生田淳一郎さんに申し上げます。

池田大作氏関連の書き込みについてですが、インターネット検索で得た情報は必ずしも正しいとは限りません。
それらを無批判で神奈備サイトに引用すれば、個人に対する誹謗中傷記事の広宣に寄与することにもなりうる。
これは重大なことですから良く考えてください。もし意味がわからなければ是非神奈備さんに相談してください。
本当にお願いします。

[5809]  暮らしの中の怪奇情報          生田淳一郎 2010/12/19(Sun) 18:09 [Reply]
なにから、どのように書いたらいいか……、おたしはまだ興奮していて、おおきくたトチっています。
そういえば、 11月 5日におたしの拙宅においでになった国際マンの T さんの話のなかにもあったのでしたが、そのときの話題の多さにかまけて、蔭がうすくなって、忘れかけていたのでした。

ことをハッキリと意識したのは、一昨日のトゲ抜き地蔵についてのテレビ放映でした。
その放映では、門前町の一角に店を出している耳かき作りの原田稔さんのことを放映していました。
耳かきはおたしにとっては、いのちから○番めにだいじな品です。そこでさっそくパソコンで「原田稔・みみかき」で追いかけたんです。
するとそこに、じつに奇妙な書き込みがつづいていたのでした。

● 尿道に耳かきを入れて、かきまわすのが池田大作の趣味だ・・・・・みたいのが出てきてビックリしました。
● 原田稔という名前の人は、同姓同名があって、池田大作のあとに就任した、創価学会の会長さんだということでした。

そのへんから、創価学会の記事が多くなって、そこに、池田大作さんは北朝鮮系の帰化二世だということが出ました。

大正時代の卒業式に着る着物をつけた奥さんと、パジャマみたいなダブダブ服の池田大作さんが写真に出ていますので、諸賢もパソコンをちょっとひっぱたくと、その真偽のことは確かめることができます。

池田大作さんは、北朝鮮系の人だった。日本の敗戦を知ったときの彼は、 16歳だった。

たしかに、日本の憲法上、人はどんな宗教を作っても、信じてもいいのだし、帰化した以上、われわれ日本人と同一の権利義務を負い、一般人と変わるところは無いはずです。
でも、それは正しい判断といえましょうか?

現代は国際エゴがまかり通っていて、国家間には謀略はつきものです。
● 日本では、創価学会ほど権力を欲しがった宗教は、ほかに類例はないでしょう。
● 北朝鮮とは南北朝鮮間に「休戦条約」はあっても、戦争はつづいています。
  日本とも第二次世界戦争のあと、戦後処理はなされてなく、戦争状態がつづいている。
● 池田大作さんが日本の敗北で終戦を迎えたのは 16歳のときです。

−ーーー続く、と、いうことにしましょうーーーーー。

[5808]  賞味期限        生田淳一郎 2010/12/17(Fri) 11:13 [Reply]
裏番組 神奈備掲示板 10531 で和歌山さんが書きだしておられる次のような固有名詞の意味は、現在ペルシャ語系タジク語やヒンディー語系ネパール語にみられる語彙で、大略のところで、把握できるかとおもうんです。

※ やたらに “鹿” の文字が目立ちますが、これは「地名には漢字の慶文字二つを宛てるべし」という二度にわたっての天皇命令があったことによるもの。

▲ 鹿 …… ネパール語 ; sikhar(狩り)、sikhar(頂、頂上)。ここから神に近い最高位の動物としての鹿が出ましょう。
▲ 鹿島・・・・・タジク語 tʃaʃm(目)、tʃaʃma(泉) → 意味としては「よく見守ること」。→ めがね
▲ ヤマトタケル・・・・・ネパール語 ; jamat(人びとの集まり → 豪族連合) ネパール語 ; dhakel-(押す), daka(奪うこと),    dakhal(侵入・攻撃)
▲ 春日・・・・・ka(場所、家……これは極東語らしい) ネパール語 ; sugghar(きれいなこと、清潔)。形容詞後置形に注目
▲ 安曇磯良・・・・・ネパール語 ; a:dho(失明者 / アマ) , mi ・・・・・尊称用語。iswor(神)。-a は開音作用。
▲ 藤原・・・・・ネパール語 ; puja(礼拝、尊敬)、すなわちバラモンということ。wara(bala)は子供。氏子の概念だろう。

● 中・・・・・、おたしが持っているネパール語辞書では、用例が一つしかないので心細いかぎりですが、「くに、国」の用語が広く普及し確定する一歩手前の「広域地帯」が *nak だったと見込めます。 / ネパール語 ; naksa(地図)。


っとまあ、かなりの高確率で諸般の古代固有名詞が「割れた」と思ってきたのです。
ところが、このようなシロートの愉しみも、さきに述べたとおり、台風到来の前の貧者の一灯火(?)にすぎません。
こんなシロートのぐだめき(津軽弁)は、数百名〜数千名のレッキとした言語学者の大群にかかったら、シガン(ネパール語 ; 痰)もひっかけられず、虫さされにあうは必定です。
こんな詮索の賞味期限は、あと3年半といったところでしょうか。
皆しゃん、よろしかったら、そのおつもりでお読みくだしゃい。

[5807]  メシア待望・・・二人の中川裕先生      生田淳一郎 2010/12/16(Thu) 09:23 [Reply]
本文に「ウンミュー」とあるのに、ついつい学者のマネして 下 5806 では、 N myu: と書いてしまいました。
馬のことを沖縄とアイヌ語ではウンマということに気がづきました。おたしはこのウンマという発音はベトナム語の ngua(馬)に連なる語だと思ってきました。
だがだが、考えてみると、早ければあと 3年ぐらいで、斯かるシロートの詮索は無用のシロモノになるのです。

いや、すでに、そういった優秀な先生が現れていらっしゃるのです。
われわれが端的に、言語学者とシロートの落差を知るには、中公新書刊『ブッシュマンとして生きる』の 17ページ前後を見ると、いちばんよく理解できると思います。
へんな偶然ですが、中川裕という名前の先生は二人いらっしゃるのです。幸い誕生が 1955年と 1960年とちがいますが、若いほうの先生は東京外大に、 1955年うまれの方は千葉大学に所属しておられます。
1960年うまれの中川裕先生は、シロートではまるで手が出せなかったアフリカ現地語の発音・文法をわずか 2ヶ月で整理しリストアップされたのです。

このような卓越した言語学者にかかると、「オウミ」がなぜウンミューとなったかなどの必然を、たちどころに割り出してくれることでしょう。

おたしはこの 8月 23日に松本克己先生のことを知るまで、言語的に行きづまっている人類は、天才大衆を養成して、その指導にゆだねるよか窮状脱出の方法が無いことを思いつめてきました。

永いあいだ、レッキとした言語学者が活躍しなかったため、シャバにはへんちくりんな風が吹いています。
シロート研究者は、少しつっこめば !00%わかると錯覚しているのではないでしょうか。大局が見えないため、シロート研究者のほとんどが、個人的名誉を満足させようとしています。ちょっとした発見を、「無断転載を禁ず」などといって、鬼の首でも取ったようにふりまわしている姿がよく見られます。

[5806] Re[5805][5804][5803][5802][5801]: うれしの温泉              生田淳一郎 2010/12/15(Wed) 18:59 [Reply]
   《 ウム(績む、続む)の 関連語 と 宮古島のことば》

 長い芋(ヲ)の繊維を撚り分けたり、ねじったする作業を、古代では「オ・ウム、ヲ・ウム」といっていたそうです。
 それにしても、この語「ウム」には、連想をよびこむ同義語とか関連語が、まったくみあたらないのはフシギです。
  
 そこで、Goog ってみたところ、宮古島のことを書いた http://www.geocities.co.jp/Milano/4258/galerie/131.html (苧麻(ちょま;方言では「ブー」関係の記事)がひっかかってきました。
 チョマ ……、チョゴリに似いちゅう。

 宮古島方言は、日本語にひじょうに「則して」います。これをよくよく見ていると、下記のように予期しなかった収穫がありましたので、ここに、ご披露です。

★ > この繋がれた糸を方言で「ンミュー」と呼びます。
● N myu: とは !、このままでは音韻のうえから、日本語ではありません。しかし、「ウム」の関連語であることは直感できます。
まず長音と拗音を取りはらって、 u を o としてみると、N- mo の音価がえられ、日本語に近い語形になりました。
語頭に N が立つのは、も一つ南方のことばクセですので、今後の言語比較で、かなりの接近がえられるかと思います。
も一つ直感での書き出しを許してもらえれば、「M / N の近似」で、「ぬの」が出るのではないか……です。

★ > 糸車(ヤマ)
● いまだに憶いだせないのですが、ビルマの少数民族語(panjaw とか?)から、「ワ(豚)」といっしょに沖縄へ流入したジャーマ(機械)のことでしょう。

★ > 80本合わせて一算(ヒトヨミ)とかぞえます。
● ツキヨミの「ヨミ」が出ました。やっぱ紐数字に密接に関連したことばでした。

★ > もともと「あさ」という呼び名も「青麻(あおそ)」から変じたもので、「からむし」とか「まお」という呼び名もあります。
● 麻が “ヲ” とか “マ” と呼ばれたことはタシカですが、では “アサ” とはどこから着た言葉だろうと、思ってきました。編者は「アサ(麻)」の語源は「アオ(青)・so だ」と言っておられます。
古語辞典に相談したら so には「貴人のころも」という意味がありました。これが「アオサ」ならスンナリしますが、出て来た語形は sa ではなく、so です。どうもすっきりしません。
朝鮮語 so には人や物の「蝟集」という概念がありました。もしかしたら、「アオ(青)・so 」の so とは、生産物が山盛りされている状態をいうのかもしれません。
「アサ」という語の語源は、ここの編者がおっしゃっている通りには、全面的には呑みこめません。
そこで、いま、南方のインドネシア語をみますと、そこに kuasa(顕現、権威、権力、勢力、支配者)の語がありました。これは連音して「三笠(の山)」らしい。「カサにかかって……」という言いかたもこれみたい。権力者はおおきな日よけ笠を召使いに翳させていました。
ここで気になるのが、タガログ語の sasakyan dagad(船)です。 dagad は「海」、sasakyan とは「乗り物」なんですが、sasak とはネパール語では「支配者」という意味です。貴人はどこに行くにも担架みたいな乗り物に乗って移動しました(陸行十日・・・!!)。
モノにつけられた “語” 周辺に秘められている制度や習慣に気づくべき切迫を喚起させられます。
ところで、ところで……、朝廷とか超廟にまつわる「アサ」は、シナ語文化の影響絶大なるものがありましょうが、そこへなぜ、日本語(?)の asa が食いいったか・・・・・です。
やっぱ、おらバカばい。朝比奈しゃん、ここんとこを、どうかお教えくだしゃい。

★  > 麻はいずれも非常に強い繊維で、昔から特に強度が必要な分野は麻が使われてきました。(畳糸・帆布・漁網・ホース・ロープ・ひもなど)衣料用として用いられているリネンとラミーは水や摩擦にも強い。
● 漁網を作った繊維は、強いアサ糸だった。
 麻糸による漁獲は人類に驚異的に食糧の安定をもたらしたが、それは意識革命には至らなかった。なぜか?!

[5805] Re[5804][5803][5802][5801]: うれしの温泉              生田淳一郎 2010/12/14(Tue) 16:28 [Reply]
  《 アサムシ温泉 》
ここの流れと、裏番組・神奈備掲示板での記述をうけて、とりとめのないことを書かせてもらいます。
麻という植物はカナダでも生育するというので、本州北辺や北海道でも育つものだと見込めます。
なにが云いたいのかといいますと、青森市北東の出はずれにある浅虫温泉の語源のことです。
少数派でしょうが 、アイヌ語 usi に「入り江、湾」の訳をつけている辞書があります。
そこで、浅虫なる語を「むつ湾の asam(奥)の入り江」と解釈する説が出ています。
ふつう、アイヌ語の asam は容器などの “底” をいうのですが、まあいいでしょう。
入り江の最奥端は to etoko というのですが、これもまぁいいことにとします。
to etoko は to(入り江)の etoko(極まったところ)が、その語源です。

しかし、浅虫は「麻を煮る」作業のことではないかと思われるのです。
今では麻を煮ていますが、昔は大鍋は無いので温泉熱で蒸したのでは?
昔の風呂はトルコ風で、蒸し風呂でした。地熱を利用して蒸したのでは?
北辺は寒く、越冬には犬の毛皮は欠かせません。麻の着物では寒むすぎます。

★ 江戸中期に八戸に綿製の着物を持ち込んで、周辺住民を金銭的に破滅させた商人がいました。
★ 織物のカラムシはギリシャ語にもあります。カラとは族際語で茎のことです。また、身体のカラです。
★ ハタは *bat(織る)、 toriya が組、群、集団。服部とは織物組合。いづれもネパール語です。秦氏とは?

[5804] Re[5803][5802][5801]: うれしの温泉              生田淳一郎 2010/12/12(Sun) 10:13 [Reply]
● 前後しますが、おたしは「ウレシノ温泉」は佐賀県と島根県と三重県にある」と言ったんです。
 島根県がわのウレシノ温泉をネットで調べたんです。すると、これがみつからな〜〜い。
 25年ほどまえ、あの朝、おたしは三次の役場に行ったあと、県境の峠を越えたんです。
 越えてすぐ「ウレシノ」の文字をみて「おぅ!」とほざいたのは記憶に鮮明です。
 山の中の長湯治宿といったような佇まいでした。経営不振で潰れたのだろうか。
 でも、この記事をみた地方篤志家が、きっと建てなおしてくれるでしょう。
 でもでも、こんな記事はふるい「紋次郎」の名ぁ遣って書きたい紋です。

     …………………        …………………

 佐賀の嬉野温泉をネットでみました。すると嬉野の由来は……
 ここにも三韓征伐の……、ジング皇后の・・・、が出てきました。

[5803] Re[5802][5801]: うれしの温泉            生田淳一郎 2010/12/11(Sat) 16:03 [Reply]
 《 あらま シマッタ 》
シンド、シンギがあるので、古代日本後の「ウデ(腕)」が原音 ure とおけば、「これはアイヌ語だ」との断定は、できないことになりますよね。
日本語といえば日本語、アイヌ語といえばアイヌ語・・・といった風な、◯X 法則内のできごとにおさまりそう。

ヤヤコしいですな、シンキ病みになりそう。

[5802] Re[5801]: うれしの温泉            生田淳一郎 2010/12/11(Sat) 15:51 [Reply]
神奈備ドン、江戸のお礼を長崎で申し上げます、あり難うございました。

裏番組の神奈備掲示板をまだ見ていない皆しゃんにお報せしますが、神奈備ドンの卓越した探しのセンスで、三重のウレシノにも温泉があることがわかったのです。

やっぱ、かなり確定的な解釈として、ウレシノとは「手足休め」の線がでました。そうすると、これはアイヌ語ということになりますが……。おたしが 下 1508で「語形のうえで、100%の安心は得られない」と書いたのは、アイヌ語の「休む」は sino ではなく、sini なんです、次に末尾の o です。
末尾に o をそえて「……する」という語意にするのは、ギリシャ語に目立っているのですが、おたしはどこかの別語で、同じ機能をする o を見たことがあります。それがどこの言語だったかは憶いだせませんが、台湾語の一つであれば、アイヌ語とつながりそうです。するとアイヌ語の「休む」は、原音が *sin ということになります。

あとから来た新興勢力が、先住民を追い払って、先住民が呼んでいた地名をそのまま踏襲したのかもしれません。

「アイヌ語とはなにか」に深くかかわってきますね。
人口稀薄な段階での住民は、アイヌ語的な言語を遣っていたとも考えられます。
そして、「それは古くかある温泉場周辺にある」との見方も出てきましょう。

千畳敷の白浜岩がある白浜温泉の街の中心地は「シララ」となっています。sirar はアイヌ語で「波かぶり岩」です。

そういえば *sin は「あ〜シンド、あ〜シンギ」の sin でしたね。これもアイヌ語にあります。

[5801] うれしの温泉       生田淳一郎 2010/12/11(Sat) 10:13 [Reply]
既得概念を並べれば、*ur は水。ure は手足、本体から突出している部分。日本語では「枝……< ウデ」として多用される。sin はカミナリ、神。sini はアイヌ語で「休む」。- o は 男、神。 - o には、あんがい動詞化末尾だったり……(ギリシャ語ほか)

● まず「手足を休める」が浮上するが、語形のうえで、100%の安心は得られない。
● 篠 [……< sing(つの)] は矢を作るところから、「竹やぶ地帯」へと概念移行したのかもしれない。例 ; 銚子の西。
● 単に「 si = 之」と置けば、本流からわかれた「支流(ure・・・枝)」の野が ウレシノだったかもしれない。しかし、これでは温泉に結びつく必然に欠ける。

※ やっぱ「うれしい のう」が正解みたい。ガハハ

[5800] Re[5799][5797]: 漢字のおべんきゃう       生田淳一郎 2010/12/10(Fri) 08:52 [Reply]
 《 よみ落とし でした 》

一読者さん、まっこと あり難うございます。
「たへ」はありました。おたしの読み落としでした。

「藤堂明著」もおたしの単語登録のミスで、藤堂明保がほんとうです。

おたしは漢字オンチ、数字オンチ、キカイ・オンチの上に、音符オンチなんです。
「藤堂明保著『漢和大辞典』」へと修正したいのですが、やりかたがワカランとです。
こんご、おおくのミスをやらかすかとおもいます。ご指摘のほど、よろしくお願いします。

先日、久しぶりにシャバの風に当ったとき、「たえ」なる名前の喫茶店があるにビックリしました。
ナ〜〜ンデカ? それはネ、叱られそうなのでおたしの掲示板 http://6712.teacup.com/bhasa/bbs

[5799] Re[5797]: 漢字のおべんきゃう       一読者 2010/12/09(Thu) 18:34 [Reply]
横から

>タヘと読むのが本当だろうかと、藤堂明著『漢和大辞典』さんに相談してみました。
>『漢和大辞典』ですので、日本の訓読みは詳述してないのがタテマエでしょう。
>が、ここには「たへ」はまったく無く、あるのは「たえ」でした。

藤堂明?サンは知りませんが、藤堂明保さんの学研漢和大辞典には「たへ」と
書かれています。
これはどちらが「本当」とかの大問題ではなく、「たえ」と「たへ」は単に仮名
遣いの違いですね。他の例でいえば「もよほす⇒もよおす」。

学研漢和大辞典646ページ
●栲
〔国〕たえ(たへ)

[5798] Re[5796][5795][5794][5790]: 天津神と国津神      生田淳一郎 2010/12/09(Thu) 14:38 [Reply]
  《 時間の流れが掴めないんです 》
おまたせしました! 
言語比較でもいろいろなものはひっかかってきますが、残念なことに、時間の流れとか、前後関係はひっかかってこないのが泣きどころです。
言語比較では、どうしてヤマタイなのか、なぜサナキなのかなどの意味は、ウスらボヤ〜ッとは出ましょう。が、大勢のほかの人びとが係わっておられるので、おたしゃついつい、つっこみは遠慮するところとなっています。

ウル・シュメール語、バビロニア語、古代エジプト語も、オーストロネシア語、あたりも「あんひとたちのおらすけんで……」と、遠慮しています。

関係あるかもしれませんので、「国、アマ」の語源には早急に斬り込みをかけたいもんです。

[5798] Re[5796][5795][5794][5790]: 天津神と国津神      生田淳一郎 2010/12/09(Thu) 14:38 [Reply]
  《 時間の流れが掴めないんです 》
おまたせしました! 
言語比較でもいろいろなものはひっかかってきますが、残念なことに、時間の流れとか、前後関係はひっかかってこないのが泣きどころです。
言語比較では、どうしてヤマタイなのか、なぜサナキなのかなどの意味は、ウスらボヤ〜ッとは出ましょう。が、大勢のほかの人びとが係わっておられるので、おたしゃついつい、つっこみは遠慮するところとなっています。

ウル・シュメール語、バビロニア語、古代エジプト語も、オーストロネシア語、あたりも「あんひとたちのおらすけんで……」と、遠慮しています。

関係あるかもしれませんので、「国、アマ」の語源には早急に斬り込みをかけたいもんです。

[5797] 漢字のおべんきゃう       生田淳一郎 2010/12/09(Thu) 13:50 [Reply]
どこで拾ったのか、前のパソコンでは、おたしゃ 「栲」をタクとして登録していました。
1年ほどまえ、かたばみさんの書き込みで、これを「たへ」とも読むことを知って、世界語としての taphi(小布)につながる語だとの睨みを持ってきました。
「タク」と読むのは誤りなんだろうか……。

けふも裏掲示板の神奈備で「たへ」と読む書き込みにめぐり遭いました。
タヘと読むのが本当だろうかと、藤堂明著『漢和大辞典』さんに相談してみました。
『漢和大辞典』ですので、日本の訓読みは詳述してないのがタテマエでしょう。
が、ここには「たへ」はまったく無く、あるのは「たえ」でした。
「タク」もまったく見当たりません(字の上で「タク = 栲」というのを探してみましたが、ありません)

「たへ」の訓読みは、日本の歴史の産物でしょうか。
やっぱ、インドネシア語・ピリピノ語などの南方に根を持っているのだと思います。

藤堂明先生は、おたしが住んでいる旧浦和市に住んでいらっしゃって、ときどき遊びに来てくれる I さんは、藤堂先生からとてもよく可愛がられたそうです。
たいへんな天才だそうです。
そういえば、井筒俊彦さんの大天才ぶりは、アラビア語の完全マスター抜きにしては考えられません。
やっぱ知能とか文化の高さは、ボキャブラリーの多さと正比例するらしい。
中華人民共和国の奥ふかさに思いあたります。やっぱ中華人民共和国は先進国だ。

まっつっあん、下へコメントはちょっと待ってくだしゃい。

[5796] Re[5795][5794][5790]: 天津神と国津神      琉球松 2010/12/09(Thu) 13:30 [Reply]
生田淳一郎さんへ

 話は少し飛びますが、倭人伝の「クナ国(木の国?)」についてなんです。

 これは、高天原に対して "まつろわぬ(言うことを聞かぬ者)" の総称ではとも思えますがどうでしょう?

 「熊襲・熊野」などは、国津神の領域だった? これはかつての銅鐸圏じゃないでしょうかね。事代主や饒速日は、高天原との協調を目した国津神。。。なんて?

[5795] Re[5794][5790]: 天津神と国津神      生田淳一郎 2010/12/09(Thu) 08:46 [Reply]
> 高天原で天照大神を相手に乱暴狼藉を働き、やはり高天原の八百萬の神が議りて、神逐らひに逐らひき。とあります。
▲ 天照はアマテラスとアマテルの、二様の発音があると記憶しています。
  「地を照らす」ならスンナリしているのですが……。
  ここは須佐之男命に「(天の)いうことを聞かせる」と解釈したいところです。
  ネパール語 ter- には「いうころをきく」という意味があります。
  アテルイとは「いうことを聞かぬ者」
  テルテル坊主とは(あした天気になぁれと)いうことをきかせる坊主。

[5794] Re[5790]: 天津神と国津神  生田淳一郎 2010/12/08(Wed) 11:18 [Reply]
> 神逐(かむや)らひに逐らひたまひき。
▲ 「やらずの雨」の内意は、子供などを「使いにやる」の「やる」と同じで、派遣するという概念でしょう。
  でも、「殺せ」というとき、あごをしゃくって「やれ」といいます。この「やれ」は「派遣させよ」ではないはず。
  やっつける」もあります。この「やっつける」と、「神逐(かむや)らひ」の「やる」は同一概念かと思われます。
  そのへんの事情がネパール語にあるのです。

5793 では、語彙中の r 音は <1>消える。<2> 撥音をおこす。<3> N音となる性質があると書きましたが、ここの<2>に関係あるかと思われますが、r は t にもなりうる線がでました。
ネパール語 yatna には「拷問・責め苦・苦しみ」の意味があります。末尾の na は名詞化の機能があります。
日本語の「やる」と併せ考えるとき、おたしには ネパール語の yat の前身は *yar ではなかったかとおもうんであります。

では、yar-au-hi の au とか hi は何かというと、これもネパール語の - aunu(……化、……させる)と、アイヌ語にもみられる hi(ことがら)であると(ほとんど)断定できます。
日本語は「祭らぬ人」ではなく、「まつろわぬ人」といいます。「語り」ではなく「語らい」です。
正座して膳につくことを「なおらい」といいます。

この「日本語らしさ」の中核にネパール語があった。

[5793]  サルタ彦の内意にネパール語起源の…… 2      生田淳一郎 2010/12/07(Tue) 17:38 [Reply]
まだサルタが「交易の神」と解釈できる点には触れていません。
交易だと割り出す解釈はアイヌ語に残っている「イタサレ(取り換える)」なる語に “根” を求めました。
この itasare ですが、普通のアイヌ語とは少しちがう「語の構成」をみせているのです。
itasa は「渡す、与える」です。これに re がつくと、普通なら「渡す(ことを)させる」「与える(ことを)させる」で、「渡たさせる」「与えさせる」となって、「取り替える」にはならないのです。
ちょっと複雑になりますので詳細は省略しますが、もともと ita とは「そのときに」という意味のアイヌ語です。
この itasare(取り換える)は、そのままでは「ita(その時に) sar(ネパール語 ;動かす)」にしかならないと思われます。

ですが,「そのときに・動かす」も、意味として「取り換える」にはズレがあります。
実は、ita とは「大分県」の “分” に入っている ita(分)で、剰余生産物の分譲を意味しているかと、愚考します。
「分譲・動かす」が、 itasare(交換)の基本語形だとおもうんです。
そこで、itasare 末尾の e が問題になるかとおもいますが、この e は、末尾辞 - ye (……させる)だと思います。
語形をしっかりと言うと「 ita ・sar ・ye (分譲で・動か・させる)」です。 

では「“分(ita)”とはナニ語で、アイヌ語と日本語の関係とはどうなっているのか」の疑問がでてきましょう。
カンタンに言うと、ita(分)は何語かはわかりません。ここは無責任に、百済語だということにしておきましょう。

アイヌ語と日本語の関係はどうなっているのか・・・・・。
ものごとは、極端に考えるとワカりが早いと申します。それは atui sik kashima kamui(海難よけの神)を日本の北陸方面から北海道に持ちこんだ「アイヌの主要一派」に注ぎ目すればいいかと思います。atui は海、sik は目です。kamui は神。
タジク語 tʃaʃm(目)、tʃaʃma(泉)が、鹿島の語源・・・・・、そうしか考えられません。


  《 運搬人・サルタ と サンカ 》
先日の『龍馬伝』では、龍馬が岡蒸気が走る地図を描いていました。汽車や自動車が走るまわる現代ではつい忘れがちになりますが、昔の物資運びは、剰余人口をかなり吸収していたことと推測できます。
サンカには「一(カミ)」という四途将軍などがいます。出雲帝国の運搬業 兼 諜報業者ではなかったか?
語彙中の r 音は <1>消える。<2> 撥音をおこす。<3> N音となる性質があります。sar-ka は sanka になり易い。
sar-ka (あるき屋さん)の ka は画家、倹約家、起業家などの ka でしょう。

[5792]  サルタ彦の内意にネパール語起源の…… 1    生田淳一郎 2010/12/07(Tue) 10:27 [Reply]
サルタ彦のサルには「交易」、「運搬」、「世話」というネパール語の意味がこめられているとおもえるので、以下はその論証です。
サルタの ta は、*taŋ(身体)が始発概念で、それが土地ということになり、そこから「土地びと」の人が出て、 人 = 神 から、日本では ta は場所、人、神の謂いに用いられたと思います。パキスタン、アフガニスタンのように強調接頭辞の S がついたら stan は 国 になります。

この極東にあって、ネパール語が「そんなに指導的な言語になっていたのか」については、数種の証拠をあげねばなりませんが、まず訴えたいことは 津軽文化と遮光器土偶文化は一体であること、その古さは BC 1000〜 BC 300年で、ここから古代日本の文化があちこちへ波及して行ったことは、まずまちがいないところと愚見しかす。

指導的言語・・・ということに就いては、さいきん得た貴重な資料があります。
台湾ブヌン語  ; ・・・・・・・・・・pusoh(へそ)
〃 ペゼー語 ; ・・・・・・・・・・pusa (へそ)
〃 サイシアット語 ; ・・・・・ pozok(へそ)
〃 クヴァラン語 ・・・・・・・・・pusal(へそ)
〃 シラヤ語 ・・・・・・・・・・… poucol(へそ)

これらは日本語の「ほぞ」に似いちゅうとはおもいませんか?
日本列島には、こういうさまざまな土着民がいたんですよ。そこへ、まだ文字を持ってはいない(税制がない)が、優秀な管理能力をもったネパール語勢力がきて、自らが支配者となって pozo(へそ)というシッカリした語形を一般化させたのでした。
どうシッカリしているかというと、これは 「 pos(栄養)の o(緒)」と、ネパール語で語源的に分析できるのです。
指導的言語とは斯様な語彙形成をみせるということです。

そこで……、今の段階の説明では、まだ少し早とちりかもしれなせんが、ネパール語 sar-(動かす、移す)、sar(助け、世話)があります。

[5791]  流星光底 大魚を逸す       生田淳一郎 2010/12/07(Tue) 07:14 [Reply]
ことしの 8月 25日だったか、レッキとした言語学者の松本克己先生が、本格的に世界規模での言語開発に乗りだされた・・・・・という記事に接してからこっち、おたし(豊後方言 ; わたし)の言語追求の矛先は、どうしてもナマクラになるがちです。
松本克己先生のお弟子さんたちが大挙してパソコン技術で武装しながら絨毯爆撃をかけてくれば、おたしみたいな低能アタマとゴロ合わせでの開発は、一瞬のうちにふっ飛ばされるは火をみるよりも明らかなことです。
学生さんの年齢からいって、それは、もう あと3年ぐらい先にはそろそろ現実のものとなってくるでしょう。

ハナシポ〜ンと飛びますが、おたしは二十歳まえ、釣り逃がした 1m 余の鯉を追いかけ回して、40日あまり池の端にすわり込んだ経験があります。雨の日はカッパを着て座りこみました。

ここの裏掲示板の神奈備で、いま、天のムラクモ(の剣)が出ています。
それを見たとき、「このたぐいの語彙なら、少し追求すれば割り出せるのではないか」との、見込みをえました。
ムラはインドネシア語・ピリピノ語で源泉、起源を意味します。ネパール語では、これに「長」の意味も加わります。
そしてきのふの朝、ちょっとめくったピリピノ --英語の辞書に クモ について、有力な意味をみせる語彙に接したんです。
この辞書は 30年も前にマニラで求めたもので、発展途上国製造品らしく、今はページも抜けてボロボロです。
それでも、「一つの発音 / 一つの意味」で掲出されているhttp://orientalheart.com/dictionaryexplain.htm よりも詳しい内意が把握できます。
ついでですが 下で述べた i tago には「オカルトをする」という意味のほか cover(覆う)も見出せます。

ところが「あ、ムラクモのクモはこれかな?」と思ったとき、身体がグラッとなって、そのページを抑えていた指を外してしまいました。そのとき得たムラクモの解釈は「土地の長」みたいな意味でしたが、そのご一日かけて追いかけまわしたのですが、とうとうその語形が出てきません。
もう一回、ボロボロの辞書を初めっから見なおせば、出てくるのでしょうが、その作業量を考えると、おたしの情熱は松本克己先生出現のこともあって、二十歳ごろのそれとは格段の差があります。

でもでも、ムラクモはピリピノ語かインドネシア語で、きっと解けるはずです。
やっぱ少し、ガンバッてみることにすっか!

いま、神奈備ドンの書き込みに「阿波の国」が出ていますが、ahas はピリピノ語で へび(大地の護り神)です。

[5790] 天津神と国津神  神奈備 2010/12/06(Mon) 16:05 [Reply]
古事記の舞台は阿波だったとの魅力ある主張がありますが、残念ながら主張の展開の中に疑問符がついてしまう話が混ざっています。どのような仮説も恐らくは玉石混淆なのでしょうが、神話や古代史に詳しくない人々に嘘や誤りを伝達してしまう恐れがあります。例えば以下の論調。

> 伊邪那岐命の子孫である大国主命が、国津神となっている。天津神の子孫が男系で続いていて,途中で国津神に変わる事はない。伊邪那岐命は、もともと国津神であったと考えられる。

> 最初から天津神は,天津神の系統。国津神は,国津神の系統にわけているのだから、イザナギから生まれた天照大御神が天津神で、片方の須佐之男命が出雲の代表者、国津神の大国主命の父であるというなら、つじつまが合わない。


 実に尤もらしい主張です。しかし伊邪那岐命や伊邪那美命は高天原で誕生しているのであって、天津神とすべき存在です。
 天照大神はその子ですから、天津神です。

 須佐之男命も天津神の子神ですから、天津神なのです。しかし海原を治めるように命令された須佐之男命は言うことを聞かず、父神から追放されています。「神逐(かむや)らひに逐らひたまひき。」とあります。

 さらに高天原で天照大神を相手に乱暴狼藉を働き、やはり高天原の八百萬の神が議りて、神逐らひに逐らひき。とあります。

 二度も神逐らひに逐らひたと言うことは、天津神の仲間ではないと烙印を押されたということでしょう。即ち出雲へ降臨した以降の彼の御子達は国津神となったのでしょう。

 ぎゃくに五十猛命も須佐之男命の御子神ですが、出雲で生まれたのではなく、親子で高天原から新羅へ降臨しているようで、高天原生まれと考えることができます。上田正昭先生は五十猛神を天津神と見ておられます。

[5789] Re[5785]: おひさしぶりです  神奈備 2010/12/01(Wed) 08:50 [Reply]
入鹿さん お久しぶりです。

> それから、これは、いずれ神奈備掲示板の本体のほうで書こうと思っていますが、

ありがとうございます。楽しみにしています。

[5788]  ツキヨミ        生田淳一郎 2010/12/01(Wed) 07:45 [Reply]
入鹿さん、初歩的なことで面倒くさいでしょうが、教えていただけませんか。
▲ 「月宿」で Goog ってみたら、7300万もの書き込みがあって呆れました。
が、そのほとんどはどこかの宣伝でした。天皇名が割れるなどとは、まさに画期です。
二三のわかり易い例をあげて「月宿」に関わる考え方の威力を紹介していただけませんか。
▲ ツキヨミのヨミは、「読む」ではなく「数える」だと解釈されてきたかと記憶しています。
どこかの言語に「 dom(数える)」みたいな語があれば、万事スンナリなんですが、ここお教えを。
▲ 月みる月は、この月の月という句があります。月(month)によって、月の表情は変わるのですか? 
おなじ満月でも表情がちがうので、庶民はその表情にこめられている “天意” に、おどろき慌てたのではないか。

これから先 ↓ は、おらがおハコ・・・・・のつもり。
●  “月” の語源は、ネパール語の chuk(吉兆)をモロに写しこんだ「発音・概念」だと思います。
「やつはツキまくってるゼ」などとほざくマージャン。
● chuk 末尾の K を容認できなかったアイヌ語は 月を chu-p と、語形を変えて受容した { 日本 → アイヌ語の流れ ] 。
すなわち、意味がワカランままに、アイヌ語領界で「chu なる P(もの)……太陽・月」が定着したのでは? と思われます。
この chup が造語される前から「chu =水旅」があったのか、あるいは chup が造語されたあとに、できたのか、アイヌ社会では、日月はおおぞらを海として「 chu(水旅する)p(もの)」と解釈される時間帯と場があった……みたい。

※ 庶民には月宿ではなく、「月まわり」という語が用いられていたような気がします。
 夜旅をするときなど「月まわりがいいので、足もとはよく見えた」などという表現によく出くわします。

[5787] 次次と神名を割りだす男       生田淳一郎 2010/11/30(Tue) 14:21 [Reply]
おおやけの掲示板なので、無断で公表しても差し支えはないと思います。
掲示板 俳句ダービー http://6556.teacup.com/shugyo/bbs?page=5& がそれで、ここに出ている tombo さんが、日本の神名を割りだしていました。

今日、はじめて「月宿」なる用語を知ったのですが、そのときは、ナニやらわからん言葉ばかりを並べているので、どういうことなのかを席亭の秋魚さんに二度質問したのですが、二度とも虫さされました。三度めの質問をすればヨカッタのかもしれませんが、三度も斯かる軽々犯罪を犯させるも気の毒に思って、同掲示板は逃げだしました。

入鹿さんなら、ねっから話はおわかりのことと思います。
秋魚さんは、住所も割れて(小生が知って)いますので、ご安心の上、アプローチしてください。

[5786]  オッ フブヒーさんだ        生田淳一郎 2010/11/30(Tue) 10:20 [Reply]
左うえから右下への、ななめ斬り !!

hvhy と表記したんでしたか。

ご指導いただきたいはヤマヤマです。だが、ヒマはあれど、アタマがなァ〜い。

少し調べて、また書きますが、月宿というんですか、あれで日本の天皇名、神名を割り出そうとしていた人物に、よその掲示板で出合いました。二月ほど前のことです。

[5785] おひさしぶりです  入鹿 2010/11/30(Tue) 04:28 [Reply]
生田さん、ごぶさたしております。以前は、ソグド語の辞書をご紹介いただき、
ありがとうございました。未だ、ソグド語のほうは、本格的には調べてませんが、
たとえば、日本語の「あるじ」(主)という言葉などは、たぶんソグド語に由来する。
その他にも幾つか気づくところがありましたが、ともかく、ソグド語は手つかずです。

#ソグド人キリスト教徒に注目すべきことは分かっており、
#sims-williams氏の著書などを読破する必要がありますが、
#あれもこれもはなかなかできなくて、手が回っておりません。

で、やはり記紀の範囲に限定してみると、ことさら音仮名表記で出てくる語などの中に、
セム系の言葉(広く言えばアラム語、狭く言えばシリア語)が、相当な数量で見出せます。
といっても、一般に基本語彙と言われるような範疇ではなく、むしろ特化した言葉ですけど。
そういった記紀の中の借用語(特にシリア語)に焦点を当てたブログを今は開設しています。

http://d.hatena.ne.jp/ywrqa/

それから、これは、いずれ神奈備掲示板の本体のほうで書こうと思っていますが、
以前展開した「天皇の列順」と「月宿の列順」の対応の話は、実は具体的な対応が
間違っておりました。間違った情報は訂正・更新しておきたいので、いずれ書きます。
この対応に焦点を当てたHPも作りましたので、こちらも、まずはURLを載せておきます。

http://xwra.web.wox.cc/

こうした事柄は、正規の学問分野の土俵へ載せてこそ、意味があると思います。
その場合、複数の学問分野を横断せざるを得ないという点が現状ではネックです。
古事記や日本書紀の専門家(特に文学)は東西交流の知識は持っておりませんし、
東西交流の専門家は古事記や日本書紀の知識は持っておりません。…と言うよりも、
各々のジャンルが、そのジャンルの範囲内で既に成立しているわけですから、殊更に、
ジャンル外の視点を持つ必要も無く、結果として問題の端緒にすら辿り着かないんです。

聊か余分なことまで書いてしまいましたが、いずれにせよ、生田さんのお言葉に、
励まされたりしながら、細々と勉強(研究と言いたいところですが)は続けています。
その経過報告ということで、久方ぶりに書き込みさせていただきした。時間があれば、
もう少し具体的なことを書きたくも思うのですが、その時間が今は無いことが残念です。

あらためて、この場を提供してくださっている瀬藤さん、また、
暖かいコメントを頂いた玄松子さんほか、参加者のみなさんに
感謝の意を申しあげます。本当に挨拶だけになって、御免なさい!!

#ハンドルは、以前とは異なりますが、
#お察しくだされば、たいへん幸甚です。

[5784] やはり itago(降霊をする)はピリピノ語にあった      生田淳一郎 2010/11/26(Fri) 12:16 [Reply]
3年前ぐらいのとき、小生の記憶にあった「 itago(降霊をする)」は、どんなにさがしてみても、みつからないのでした。それいらい、「やっぱ、オレ、ボケたわい」と思ってきました。
それが……、occult のところで、動詞(V)として入っていた。きのふ確認したばかりです。
ピリピノ語とは「タガログ語 + アルファ」の概念だそうです。「フィリピン・タガログ語」と表記するのがこわくなってるんです。
もちろん、下北・野辺地北にある「巫女(イタゴ)沼」や、恐山のイタゴの語源でしょう。

itago は「いただき」とも関連します。末尾の o は、日本神名では「神・男」であり、第二子音濁化のクセで K は G となるので、これが itak iso(イタキソ様)とどうつながるのか、今後の煮つめ追求がたのしみです。

[5783] まず、韓国を見習おう      生田淳一郎 2010/11/20(Sat) 06:45 [Reply]
戦中、戦後、われわれは朝鮮人・シナ人ときいただけで、どんなに侮蔑し、屈辱的な言辞を投げつけたことか。
その日本に占領されていた屈辱感をバネとして、「日本に追いつけ、追い越せ」を合い言葉とし、両国はいまや世界に躍進しています。そして日本は両国から大きく水をあけられ、亡国状況にたち至っています。
日本では、はたらき盛りの青年壮年の四分の一は年収 200万円以下という現実です。

まず、当面の目安として、韓国を見習ってはどうでしょう。
● 日本では、ここにきて、ようやく電話料金が「国内ならどこにかけても、3分 8円以下(設置電話間)」になりましたが、それでも韓国の水準には、大きなへだたりがあります。韓国では実際にどれくらい安いのかを google検索で調べようとしましたが、NTT関係の書き込みだらけで、韓国の「国際通話料金」ばかりが出てきて、資料取りができない状態です。NTTが必死になってカムフラージュをしています。

● 日本のNHKは、ここんとこ夕方 6時には、日本の高校、大学の新卒業生の就職率の低さについて報道を流しています。なぜ大企業へ「就職」することだけに目をうばわれているのでしょうか? 中学〜高校で経済というものをまったく教えないことが、就職不能の大原因になっていることには全然気がついていない。報道を流しているNHKの職員そのものが、身分を保証されている安定さに酔い狂って、一種のキチガイになっているからでは?
韓国では青年たちの発想する新規企業にはジャンジャン金を融資して、成功させています。

● 韓国は無関税条約国としての地位を克ちとり、国内の産物、商品を安い価格でどんどん輸出できる途をひらきました。

● 日本では麻生内閣のときというタイミングでした。イミョンバク大統領は日本円にして 25億円もの私産を、奨学金につかってくれと、ポンと投げ出しました。
良いことは誰がみても良いことです。世の風評などは気にせずに麻生太郎さんも、これを見習っておけば、多少の延命にはなっていたでしょう。小沢氏も鳩山氏もまた然り。ゼニまみれ体質は自然法に反するありかたです。
イミョンバク大統領の挙は韓国に伝わってきた朱子学の成果でしょう。
さて、モノ言わぬ日本の神社、これにどうたち向かうことができるのでしょう。

[5782] 日本独自のパソコン用語を !      生田淳一郎 2010/11/16(Tue) 08:12 [Reply]
きのふ、シナがスーパー・コンピュ−ター作りでは、アメリカを追い抜き、世界第一の座につきました。
この現象は、まちがいなく、シナが研鑽しつづけたパソコン用語の「ドメイン(自家薬籠)化」の勝利だと想えます。
儂の記憶では、たしか10年ほど前、彼のくに(シナ)は、約 1万の新しいパソコン用語をつくりました。そして 3年ほど前だったかに、更に 1万のパソコン用語を追加して作ったと記憶しています。この記憶、まちがいでしたら、正確なところを教えてほしい。

尖内列島問題にしても、シナではすでに、凄い質とボリュームの大衆が「電脳」であたらしい意識主体となって生まれ変わって、うごいていることが実感として伝わってきています。しかも鋭角の国粋主義的です。
国境は早晩廃絶しなければならない邪魔ものです。しかし、現有国家間の国粋主義(ナショナリズム)はこのあと 200年か 300年はつづくとみなければならないでしょう。国境廃絶の努力は怠ってはなりませんが、日本国を護ることも現実としてだいじなことです。

われわれはアメリカの占領政策の流れの一環として、マインド・コントロールを受け、アマッたれの生活感情に溺れきっています。
だが、このへんで肚をくくって、まず、アメリカ国粋主義を追い出すのが当面の急務かと愚考します。
日本を浸食しているアメリカ国粋主義の先鋭は、まずN.H.Kをはじめ、大型マスコミにくいこんでいること深甚です。

50歳以上の日本人で、パソコンをいじっている人口は何割いるのでしょうか。パソコンをやらない人びとのほとんどは、英語がニガ手なるがゆえではないでしょうか。パソコンをやる、やらないは「言語の問題」だとおもわれます。
日本には国語審査会というのがありますが、やっていることとは「ゆとり教育」とかの占領政策を無反省無検討に受け入れて、使用漢字を減らす方向だけに神経をはらっているかのようです。これは文化の逆行です。
大脳は空き部屋だらけです。日用の語彙が10万あっても 20万あってもビクともしません。

そういう観点からみて、シナが採った電脳用語彙 2万の政策は、刮目すべき画期といわねばならないでしょう。
このへんで、坂村教授にお出まし願って、日本独自のパソコン用語を作ってはどうでしょう。

さいわい、日本語には 2000ぐらいのオノマトペアがあります。ミシンの糸くりバネはピンピンです。
また、英語での idiom のような造語方法(例 ; give up 、make up など)がふんだんにみられます。「採る、取る、執る、穫る」の “とる”、つく、やる、みる、よる、ひく、くる、こむ、などの主要 60語が大活躍して独自の意味を造りあげています。これらを組みあわせたら、数万の新しい語彙が簡単にできそうです。
アップロードは「ことあげ」、ダウンロードは「荷さげ」、アプローチは「はいりこみ」・・・・・ぐらいで、どうしょう。

言語をいじることは、いのちがけのおおしごとのはずです。

[5781] 龍馬 と ピストル       生田淳一郎 2010/11/14(Sun) 10:45 [Reply]
大河ドラマ『龍馬伝』で、龍馬斬殺シーンがそろそろ放映される頃です。
龍馬は、刀を取るのが遅れて斬られたのですが、そのとき高杉晋作から貰ったピストルはどうなっていたんでしょう。
寺田屋事件のとき、紛失したままだったのでしょうか。
おりょうも六連発短銃を持っていました。

新鮮組のほか京都見回り組は、会津藩のものと幕府直轄のものと二つあったらしい。
司馬遼太郎は、龍馬をやったのは幕府見回り組の今井信郎という人物だと確信していますが、これにも異説があるらしい。
大政奉還からわずか 140年ですが、明治のどさくさは、いろんなことがぼやけているようです。

11月 15日が龍馬の誕生日で、最後の日だとか。

[5780] Re[5779]: 沖縄語 イキラサン(少ない)    生田淳一郎 2010/11/13(Sat) 09:22 [Reply]
まちがえました。下 [ 5770 ] の 5行めの 「ki(間接)」はあまやり。「関節」がただしい。

タジク語の Яk と、ペルシャ語の jek との近似には注ぎ目されたでしょうか? タジク語はペルシャ語系です。

先日、ご来駕あった蔚◯さんから聴いたハナシですが、古代シナには西洋人たちが大勢いたそうです。それが周辺民族からやっつけられて、ほとんど絶滅したとの見解を披露してくれました。
BC 1500年の大寒波のとき、ヒンズークシを越えた西洋系の人びとの一派が、なんらかのかたちで日本列島にやってきた・・・・・とも考えられます。
西洋人たちは、日本人の色が白いのに驚いています。

[5779] 沖縄語 イキラサン(少ない)    生田淳一郎 2010/11/13(Sat) 07:40 [Reply]
ペルシャ語 jek(1)、ヒンディー語、ネパール語 ek(1)、ベンガリー語 aek(1),シンハリーズ語 eka(1) のつらなりがオセアニアにまで達しています。
この勢いの延長らしいのがタジク語の Яk だとにらみつけました。発音はユクに近い音らしい。
応神天皇の南下途中だとおもわれる福岡県東の行橋(ユクハシ)は、一本柱 or 一つ橋と解釈できそう。

日本語の「いくつ(幾つ)」は、アイヌ語の ik(間接、ふし)を援用せずには意味が割れない。
アイヌ語の ikir(数)は 「ik(1)の ir(連なり)」でしょう。

そして沖縄語には ikirasan(少ない、僅少)があります。まっつっあん、このイキラサンはどう分析されましょうか。
この ikirasan はアイヌ語で「ikir(数) ra(低い)」という意味がでる。またアイヌ語では san(下る)もありそう。
ikir が開音(母音づけ)されれば ikira となる。その ikira が「くだる」と解釈したいところです。


いっぽう、ikir という語は朝鮮語、日本語では「熱」となっていますが、ここの詮索とは関係ない。
熱の ikir は、アイヌ語の *kir に「回転」があって、日本語 火おこしの「火キリ棒」とか「火をキる」となっている。

キルには、上のほか「契約」、「切る」、「ものいう(タンカきる)」、がある、
ワンキレとはナンじゃらホイ。王様のモノイイか?

[5778]  ek(1) と コンチキ号      生田淳一郎 2010/11/12(Fri) 09:24 [Reply]
安本美典著『日本語の誕生』巻末基礎 200語対比一覧表で拾ったのですが、トンガ、ハワイ、マオリ語で遣われている *ek(1)は、タミル語を除くインド〜ペルシャ語方面全域でも ek(1)です。アイヌ語のエカシ(首長、酋長)も 「ek(第一の)si(人)」と解ける。
対比作業をする人びとは、とくにオセァニアに散っている語彙の類似に驚嘆し、広域の「オーストロネシア語族」などの呼称をつけています。
しかし、おたしは、この類似現象は、BC 300〜200年ごろ、仏教を広宣したバラモンの軌跡だと思っています。

1947年、ペルーから冒険筏・コンチキ号で西に向かって出発したハイエルダールさんたちは、62日の漂流に末、タヒチ島ちかくのラロイア島で歓迎され、現地語の名前を贈られたました。その命名式のとき、実力ではトップのツブホエ前酋長は、杖を横にしてかざし、「どの島民が聴いてもわからない言葉」でコンチキ号の栄誉をたたえました。
すなわち、約 2000年間、ここはバイリンガル地帯だったわけです。

コンチキ号の冒険は、無意味だったとの評価がなされているようですが、このバイリンガル現象を浮上させた功績は、あまりにも大きい。
また、メキシコ原産といわれているサツマイモが、オセアニアにひろく「クマル」の名で呼ばれているのは由々しい。
極めつけの怪奇は、フィリピン・タガログ語に balsa(筏)という語があることです。ハイエルダールさんたちは、コンチキ号を組み立てるために、ペルーの山奥に分け入り、現地名バルサの木を伐採したのでした。

[5777] Re[5776][5775][5773][5772][5771][5770]: キュウリ 補足       生田淳一郎 2010/11/11(Thu) 07:30 [Reply]
株・語研 刊「ペルシャ語・基本単語2000」にはキューリはヒーヤルとあって、「ヒ」は ◯で囲んでありました。
トルコ語のキューリは hiyar でした。ネパール語での yar は仲間ですので、 hiyar が「ヒー 類」だとの解釈がいえれば、キューリの Qu の部分との接点が見出せそうです。英語のキューカムバー(キューリ)とも。

[5776] Re[5775][5773][5772][5771][5770]: キュウリ 補足       生田淳一郎 2010/11/10(Wed) 17:48 [Reply]
> 似たものとして、早苗、早急に。。。。酒?(酒は百薬の長。つまり1番)
▲ おたしも酒には注ぎ目してました。が、自信がなかったです。dosi(同士)の意気で赤信号をわたりましょう。晩酌、ささ一献 ! 佐々木さま。 sasak-i は支配者(第一人者)さん。
早苗、早急に・・・・・sou を sa と読ませていますね。
> おたし(讃岐弁)忘れまひた。
▲ 讃岐でも「おたし」いうんですか。知りまへんでひた。東條操著『全国方言辞典』にも出てません。48年前、おたひゃ高松市に約 100日間いたのでしたが、気づきませんでした。
魯迅の「阿Q正伝」などの 阿 に対応する日本語は「おへま」とか「出雲のおくに」とかの「お」でしょうか。意味は「私の、わが愛する」かな? 阿 = 吾 = あ。 おまへ は お(吾が)前? 御前?

「sa =1 」を追いかけてネパール語辞書をみたのですが、イヤァ〜 教えられまひた。
ネパール語(= ヒンディー語)は、クロマニョン史 16万年を取り込んでいて、基本的な語彙がしだいに複雑な高級概念を造っていく姿を見せつけられたような……そんな気分です。
「 sa = 1 」そのものはありませんでした。が、それは、現在は消えたかと見込めます。
1 という概念は「ひとまとまり」に通じ、「ひとまとまり」にすることが「集める、あつまる」になる。
あっちとこっちが一つ 〜 等価なら、「交換」という概念がでる。
サイクルでの「一周」が “年・週・世紀”などにも適用されている。……みたいなものを感じました。

それらで主立ったのを下に並べてみます。もちろん、ペルシャ語あたりからの流入もありましょう。
sa:c-(集める)、sahamal-(集める、纏める)、saja(新鮮な)、sano(小さい)、sa:pla(一枚二枚の枚)、sata(週)、sae(百)、satabdu(世紀)、sau(合計)、sab , sabay(皆、全部)、sahasra(全部)、sarba(全部、皆)、saberay(朝早く)、sajilo(用意な、やさしい)、sajib(元気がある、力がある)、san , sal(年、とし)、sardar(平均して)、sawbhage(幸運)、sati(交換)。

√ ♫♡ ささ一個 あ〜がった!(お手玉あそびの歌)♫♡  さぁ、晩酌ばい。

[5775] Re[5773][5772][5771][5770]: キュウリ 補足       佐々木 2010/11/10(Wed) 09:20 [Reply]
>「 sa = 1 」を見せる日本語
たとえば似たものとして、早苗、早急に。。。。酒?(酒は百薬の長。つまり1番)
>ワ(豚)とジャーマ(機械)
おたし(讃岐弁)忘れまひた。
※関係ありませんが「脚気」は贅沢病です。デハ

[5774] Re[5771][5770]: キュウリ 補足      生田淳一郎 2010/11/10(Wed) 08:35 [Reply]
>  これは、「クワッチー/サビタン」と分けるべきですね。
▲ 佐々木さんが先日指摘なさった「 sa = 1 」が露出しているのではないでせうか。
異民族が触れ合うとき、「びっくりした」も、かなりの潤滑剤の役目を果たすようですが、「no 1」もかなり広がるようです。「おまえ、ナンバ・ワンあるね」みたくにして。
タガログ語の isa(1)は、語頭の S を発音できないタガログ系の人びとの造語でしたか。
わたしがつきあっていたパキスタン人のアリくんも、のっけから S を発音できません。story をエストリとかイストリとしてしゃべっていました。このクセがなかったら、立派に英語の出張家庭教師ができる実力があるのに、シゴト探しで苦労してました。
「 sa = 1 」を見せる日本語……、ナニかないでせうか。

[5773] Re[5772][5771][5770]: キュウリ 補足       生田淳一郎 2010/11/10(Wed) 07:39 [Reply]
> 活計:読みで「たずき」がありましたね。同じ読みとして「方便」、「手付き」もありますね。御手付きでした・・・・ごちそうさまでした?
> 通称「おたし(大分弁?)」はドウトク。

▲ アキサミオ(沖縄弁 ; びっくりした) これは from China では? 沖縄が永くつきあっていたシナの、その王朝は、どこでしょう。
▲ ワ(豚)とジャーマ(機械)はビルマの少数民族語にあったことを、佐々木さんが教えてくれましたが、あの民族名前を忘れました。ジンパウ語とかなんとかいいましたが、正確にはナニというのでしょうか。
▲ おへまは、よく「ターツケもない」といいます。
 わたしのオヤジ(大分・豊後)は「トスゲもねぇ」と、いっていました。「生計=タツキ」で、標準語化したのでせうか。
 「おたし」はやめにしたほうがいいのかナァ〜

[5772] Re[5771][5770]: キュウリ 補足      佐々木 2010/11/09(Tue) 23:42 [Reply]
活計:読みで「たずき」がありましたね。同じ読みとして「方便」、「手付き」もありますね。御手付きでした・・・・ごちそうさまでした?
通称「おたし(大分弁?)」はドウトク。

[5771] Re[5770]: キュウリ 補足      琉球松 2010/11/09(Tue) 14:23 [Reply]
 これは、「クワッチー/サビタン」と分けるべきですね。
 
 「クワッチー」の語義語源は「活計(クワッケイ)・贅沢」で、室町時代の『太平記/1379』にも見えます。
 ですから、ネパールまで出掛ける必要はありませんし、アイヌ語さえも遠いわけです。

[5770] キュウリ 補足      生田淳一郎 2010/11/09(Tue) 09:35 [Reply]
まっつっあん、わーわー書き込みねがいまっせ。

下 [ 5769 ] の推論はオカシな問題点があちこちにあるのに気がつきました。

▲ 「ごちそうさまデシタ」は「グワッチ・イサビ・タン」になるべきでした。bir の過去形は bitan でしょうか。
宮城県三陸の「◯○だ べっちゃ」は、この *bir が ber となり、その r が促音を起こし、これに cha(である) がつづいたのでしょう。
この cha はネパール語、アイヌ語(*char-……口)にも、北九州弁にもありますっちゃ。

▲ 中東方面でキューリを「キュ」と云っていたがどうか。これがいえるなら、キューリという発音の正当性がでる。
 その場合、木瓜、胡瓜の漢字はアテ字となる。「胡瓜から ko-uri が出て、濁音強調で ゴウリ が出た・・・」は、考えすぎたらめ。

▲ 「ゴサイといいますが、この「サイ」は族際語で」とやりましたが、まちがえました。sau が族際語。「ごちさう」のサウです。

▲ 瓜 は ur- i で「水のもの」とする分析には変わりありません。山菜の「うるい」も同じ動機から命名されたものか。

▲ 祖形 「*go(たべもの)・ ur(水) 」は、確定的ではありませんが、ケッサクとして否定しないでおきたいところです。


とても日本語的な宮古方言は、薩摩か長崎から来た船乗りたちが形成した、ともみれますね。なぜ「長崎・薩摩」が割りだせるのかは、一読者さんの “個人的憶断” で、ここでは書けなくなりました。つづきは http://6712.teacup.com/bhasa/bbs で書きます。

[5769]  沖 縄 方 言      生田淳一郎 2010/11/08(Mon) 06:46 [Reply]
> 琉球圏の事柄に関しては、僕としては歓迎ですね。
▲ ヨカッタ。
チャー、ウサムニーイ、ソーリ。これ沖縄語になっちょりますか? チャーは「ある時点から」のつもり。

ゴーヤの語源についてヒトコとヌシのみこと。
おたしが生まれ育った北九州ではニガゴーリと言っていました。これは「苦いゴ・ウリ」でしょう。
ゴーヤとなった前身は、「ゴ(たべもの)ウラ」ではないでしょうか? ウラとは「ウラナリ・カボチャ」にみられるように、「ur(水)のなりもの」が基本では? ur が開音されてウラになった。これが転意してウラナリ・カボチャは「家の裏・・・日陰で実った」みたいな意味が出てきたかと。
キューリと言い慣わすまえは、ウラではなかったか・・・・・です。
キューリは胡瓜と書くように、胡の地方、すなわち極言すればペルシャ方面から入ってきたかと思うんです。
英語 cucumber(キューカムバー)も、キューリという発音に似いちゅう。

「ゴ(たべもの)」と置きました。沖縄でいうなら「グワッチ・イサベラ(料理はおいしかったです。ごちそうさま)」のグワッチでしょうか。……「ごちそう」のゴチです。この goti の -ti は “事”を意味する末尾辞。
おかずのことをゴサイといいますが、この「サイ」は族際語で、あっちこっちの国語にあります。「そうさい」のサイでもあります。
ゴキブリの「 go 器」。旅籠というのも「hat(泊)・ go(たべる)」ではなかったかと投げ首ちゅうです。

ゴウラがゴーヤになった。日本語、沖縄語は、斯くほどに徹底的に R を Y にするんですなぁ。


一昨年、宮古方言を当たる必要を感じたとき、宮古島出身で 58年間の親友 Y から、宮古郷土史家の中曽◯氏を紹介してもらったのですが、二人とも脳梗塞とか重篤な病気に罹りました。
人生みじかいですなぁ。老人は老い易くして学なりがたし。まっつっあんも身体だっきゃぁ気いつけなはれ。
さいわい、佐々木さんは奄美方言にはメチャつよい。チャー、ウサムニーイ、ソーリ。

[5768] 宮古方言  琉球松 2010/11/07(Sun) 11:01 [Reply]
 琉球圏の事柄に関しては、僕としては歓迎ですね。

 宮古諸島方言は、我々にもほとんど理解困難なんですが、よく見ると奄美&沖縄諸島よりも新しさを温存していることがわかります。
 ただ、発音の変化の幅が大きいのは、島の栄養状態が影響していたのではと考えています。ビタミンB不足による慢性的な口内炎でしょうか?
 口内炎にかかった他島人の発音は宮古風になりますよ(失礼)。

 沖縄方言の「ゴーヤー(苦瓜)」は、宮古島では「ニゴウリャ」に近い音ですから、その語源が「ニガウリ」だとわかりますし、同じく「ナーベーラー(糸瓜)」は「ナビェヤラヒ」に近いですね。つまりは「鍋洗い」ということです。

 ちなみに、本土側古語の「トジ(妻)刀自」は、「トゥジ(奄美沖縄)・トズ(宮古八重山)」となります。

 琉球方言(奄美・沖縄・宮古・八重山)は、比較的古い倭語?を温存しているとされますが、もちろん未詳語も多くなかなか厄介です。「ウワー(豚)」などはお手上げですね。

[5767]  福 知 山       生田淳一郎 2010/11/07(Sun) 09:27 [Reply]
一読者さん ワンキリとはどういう意味ですか? こうも永年世間さまとつきあいが途絶えていると、あたらしい言葉にうとくなります。
きのふ、徐福研究ではトップ・クラスの人が芳屋をたずねて来てくれました。お尻(オットットット……!)の痛いのもわすれて至福の数時間を過ごせました。そのとき感じたのですが、会話はやっぱ、相手の表情をみながらでないと本物ではないと、痛感しました。
普通の、ふれあい、情念の領域でハナシをしているつもりでも、それが長くなるとカドが立つ「主義主張」のモノイイに変わると思います。
文字会話なんざ、イビツです。こんごは羞恥心を誘発する語彙は、ここでは遣いませんのでご安心ください。

まっつっあん、訴えたいことがあるとですよ。
6日ほどまえ、宮古方言集 http://miyakojima.info/DialectWords をみました。すると、沖縄語に関しての考え方に大変換を迫られました。
喜如嘉方言をみたとき、1050語彙掲載のパンフレットのうち、270もの語彙が日本語とはまったく異っていました。そしてこの傾向はナカ全域に通用するものだと思って、おたしは「 13世紀以前の沖縄語は、日本語とはまったくちがう」と断じたのでした。が、それはマチガイでした。
宮古の語彙は統語法までが、日本語で絞めくくられています。
方言採取のやりかたなどにも問題があるかもしれませんし、周辺からのまぎれこみの語彙もあることでしょうが、この宮古にのこることばこそ原日本語かもしれません。

佐々木さん、福知山は全国になんぼあるのでしょうか。ネパール語 phuk- は「(口で)吹く」です。-ti は “事” を謂う末尾辞でしょう。
高倉健さんのふるさと、直方(のうがた)市東にそびえる福知山は 3回ほど登りました。頂上には花崗岩だと思うのですが、白い巨岩がむれ立っています。その南肩に「あがの焼き」という陶器焼きがあって有名です。そしてここには安藤さんがいます。
ふくち / あがの / 安藤 が集まっているのは、偶然のことではないと思えます。
ネパール語 agano 、agena(炉) / *ag(火)。adho 、andho(盲目)。ヤマは人びとの集まり、集会。

[5766] Re[5764]:  モノイイの場      一読者 2010/11/07(Sun) 01:23 [Reply]
>▲ 一読者さん、048 882 4901 に電話ください。

何のことでしょうか? ワンキリ?

>幸い、ここは神奈備ドンの個性展開の場です。神奈備ドンの「いい・わ〜るい、好ききらい」専断の場です。

それは明らかな誤解。
神奈備さんは「この掲示板のやりとりにはできる限り干渉しない」主義であることを言明されています。
早い話が、神奈備さんはご自分の「好き嫌い」で判断していないということですね。
また、生田さんのご投稿は神奈備さん個人ではなく、神奈備掲示板(青草談話室を含む)住人に発信されたもの。
となれば、この談話室の住人の誰もが気持ちよく議論できるような雰囲気を壊さないマナーも重要となります。
生田さんのご投稿 「[5758]  アナかしこ」に見られる女性生殖器の俗称の羅列などは、私を含めた多くの住人に不快感を与えるているのは事実。
ですから、やめて欲しいと要望していることをご理解いただきたい。

生田さんが自分なりの「真実」を追究するにあたり、それらの卑語を用いる必要があるならばそれはそれで結構、他人が止める筋合いは全くない。
しかし、わざわざ神奈備掲示板で不快な卑語を連発し、持論を展開する必然性があるとは思えません。

○結論
是非ご自分のサイト内でやって頂きたい、これが住人としての要望です。

[5765] Re[5764]:  モノイイの場      琉球松 2010/11/06(Sat) 19:55 [Reply]
 ”沖縄” ではなく「沖縄島」で二番目に高い山でokですね。

 「沖縄"本島"」なんて表現はもうやめたほうがいいですよ。
 「牛首岳」は確かに与那覇岳の近くですね。ご教示ありがとうございます。

[5764]  モノイイの場      生田淳一郎 2010/11/06(Sat) 08:36 [Reply]
> 「牛首岳」ってどこの山??
▲ ようやくまっつぁんの引っぱりだし、成功か
高校生がみるような文県地図、株式會社 国際地学協会刊の『日本地図』で、「与那覇(ヨナハ)岳 503m」の北に牛首岳(457m)が
あったので……。「沖縄」と書かずにウルマ本島とか「沖縄本島」と書くべきでしたか。照首岳もありますね。

▲ 一読者さん、048 882 4901 に電話ください。
いま、電話料金はとても安くなっていて、日本ごくじゅうどこにかけても 3分 8円以下です。封書の十分の一。



現代は価値観の錯綜でとてもモノイイがむずかしくなっています。「いい・わ〜るい」とか「好き・きらい」は、つまるところ、末端ランナーの個に寄せられたD.N.A様と個の経験の集積が断を下します。
幸い、ここは神奈備ドンの個性展開の場です。神奈備ドンの「いい・わ〜るい、好ききらい」専断の場です。
しかもいちばん上の青草談話室のすぐ下には「蠅声なす邪しき神」があることが表明されています。
座を貸してもらっている身分のわれわれは、コトあるごとに「わ〜るかったら、どうぞ削除してください」を記入してあげるのがエチケットたらめ。神奈備ドンには「消してくれ」と言ってもなかなかに消してくれないクセもあります。
価値観の整備は http://6928.teacup.com/fudangi/bbs に詳述あり。

[5763] Re[5760]:  牛首 と キュピロス島      琉球松 2010/11/05(Fri) 21:24 [Reply]
 # 沖縄で二番目に高い山の名前が牛首岳です# 。。。これは誤りですよ。

 沖縄県で最も高い山は石垣島の「於茂登(オモト)岳」、沖縄島では「与那覇(ヨナハ)岳」、琉球圏全域で言えば、奄美大島の「湯湾(ユワン)岳」ですね。

 「牛首岳」ってどこの山??

[5762] Re[5760]:  牛首 と キュピロス島      一読者 2010/11/05(Fri) 16:40 [Reply]
>ウエブスターとかオックスフォードなどの大辞典は、 1960ごろから、すべての巷間隠語を掲載するようになったそうです。ナニかに隠蔽されていては “真理” は出ません。真理が「おまえ死ね」と言ったら、死ぬのが学徒のつとめアマカネ。

生田さん、もういい加減にしてください。
ウエブスターとかオックスフォード大辞典に掲載されている語彙だから、一般の掲示板に書き込んで構わないというお考えでしょうか?
もしそうなら、とんでもない思い違いでしょう。
そういう大辞書には各種の差別語、卑語である、などと明示した上で掲載されています。
つまり「人前で使ってはならない」、特に「公共(この掲示板のような)の場では厳禁」ということです。

生田さんの追及する「真理」がどのようなものかは存じませんが、インターネット掲示板に投稿する記事の用語としてはまったくふさわしくない。
神奈備ではなく、ご自分の掲示板にお書きください。

[5761] Re[5757]:  見落とし・・・か      佐々木 2010/11/05(Fri) 10:24 [Reply]
>dhukuti:宝物
※かつて明智光秀が丹波の横山城を征したとき、それを改修して福知山城(当時は福知山城)と命名した伝承があります。
 典拠は見つかりませんが「福知」には宝とか縁起のよいという意味があるような新聞記事を見た記憶がありますね。kutiは鉄でしたね。鉄はほんに宝もんですね。

[5760]  牛首 と キュピロス島      生田淳一郎 2010/11/05(Fri) 09:28 [Reply]
佐々木さん、品性おゲレツの領域に追い込んだみたくになって、申しわけございません。
また、三つもの site をさっそくお示しくださって、有り難きかぎりです。
おたしが探していたのは、http://www1.ocn.ne.jp/~kenjiro/form/report2.html でした。
ここにポルトガル語の bobo と fefe が出ていたは、おどろきです。
言語ではおなじのポルトガル語とスペイン語の勢力が、16世紀以来、アジア、極東に大きな影響をあたえました。
でも、インドネシア語(pepe)〜タガログ語(peppe)が、日本のほかの地域にはなく、下北だけに「へへ、えっぺ」としてあるのは、なにもスペイン・ポルトガル語からの借用とはならないでしょう。しかも下北の発音はグアム島チャモロ語(フィリピン系)のように、シラブルごとに区切ったようなモノイイをします。
ポルトガル語の辞書を読んだとき、そこに saita(出入り口)があって、サイの神との同一を感じました。
斯様に、「基本語彙ちゅうの基本語彙」は、世界にひろがっており、数千の語彙を対比させるよりも、氏族・民族の近似、異同を如実に物語ります。
ウエブスターとかオックスフォードなどの大辞典は、 1960ごろから、すべての巷間隠語を掲載するようになったそうです。ナニかに隠蔽されていては “真理” は出ません。真理が「おまえ死ね」と言ったら、死ぬのが学徒のつとめアマカネ。

ハナシ、ポ〜ン。
牛首という地名は全国にあります。沖縄で二番目に高い山の名前が牛首岳です。ウシは 「u(大)shi(風)」に還元できます。
オオクニヌシが担いでいた大きな袋とは、牛の皮ではなかったでしょうか。材質の強度を調べるとき、「ひっぱり強度」とか「ひっかき強度」などいろいろしらべますが、牛の皮は靴に用いられるように、タタラ炉の送風に利用するに最高の恵まれものだったにちがいありません。

近くの鋳物のまち・川口市に住んでいる孫はキューポラ踊りをやっています。
キュピロス島の *Qb 、*Qp がなんらかのかたちで「首」となった・・・・・は、おたしのヒガ目か。
キュピロス島には大きな一つ目の骸骨がころがっていて、それを古代人は片目の巨人( / バスクのタルタロス)がいたからだと考えたそうです。
ところが、これは象の頭蓋骨だった・・・・・とか。像の両眼の中央部には、区分けをする骨が無いんだそうです。
片目には二つの系統があるようです。が、いづれも金属精練士の強執。

[5759] 謹啓 生田淳一郎さま  佐々木 2010/11/04(Thu) 23:12 [Reply]
これでしたかな。
http://mutugoto.tripod.com/mutu_lady.html
http://www1.ocn.ne.jp/~kenjiro/form/report2.html
http://www.nichibun.ac.jp/graphicversion/dbase/forum/text/fn134.html
 
わるかったらと思ったら、たちまち書き込まないのがよさそうかもしれませんねぇ。

[5758]  アナかしこ      生田淳一郎 2010/11/04(Thu) 07:33 [Reply]
訂正です。dhkuti と掲出しましたが、マチガヒ。dhukuti が正しい語幹です。
ネパール語の d 関連には d の下に “●” があったり、dh があったりするので、ついつい見落としました。

マンチョ関係のことですが、どこかで、日本じゅうに遣われている女陰を一覧表にした掲出 site がありました。それで安心していたのでしたが、きのふ、あらためて探したのですが見当たりません。どなたか、ぜひお力ぞえください。

琉球松さんも「穴」という字に異常反応を示されたかのようですが、これは、とてもダイジな符丁だと想いおります。
古代にはモノノベの先祖神イカガシコオがあります。これは「一つ目」を謂っています。ik (1)、akha(目) si(人)。
この「一つ目」とは男根であり、これは「柱文化」の核になっていたものと、おたしは思っています。
ところが、一般的に用いられた女陰を何と呼んでいたのか……、かなり不明です。「アナ(穴)」でいいのでしょうか?
ここは超神聖なところで、「聖なる空間(xo)]でもあります。古代人はモノで囲まれた空虚を聖なる場所と感じとっていたようです。箱や行李もダイジな入れ物でした。
ホコラというのは、そっくりそのまま「聖なる空間」で、ホクラ、コクラ(神倉と書く)と同根です。
それを雄略天皇や武田信玄のオヤジさんが、タブーを犯して総スカンを喰らいました。好奇心が旺盛すぎたため、妊婦の腹を割ったのです。
よくは知りませんが、虚空蔵菩薩というのは、この関連では? 新潟県北部の村上市ちかくには胎内という地名もあります。

ハナシは少しとびますが、「陰門」という語があります。門とは二つの柱です。南方にはこの偏執が濃厚にみられる「入り口」があったと記憶しています。二つの柱でできたものとは鳥居であり、大陰唇のことでしょう。そこをヘンなぐあいに嫌ったのが、三本鳥居だった……らしい。
八咫烏の三本足も、この関連でしょう。
ネパール語 ; gaddi(王座)、gadi(女性の性器・機関車)、
なぜ、機関車が女陰なのか・・・・・。ピストン運動と関係あるのではないでしょうか。インドの「お父さん」という語の一つにピストーがあるそうです。ピストルもこのぐいでしょう。

神奈備ドン、わ〜るかったら削除してください。

[5757]  見落とし・・・か      生田淳一郎 2010/11/03(Wed) 16:48 [Reply]
ネパール語に dhkuti(宝もの)がありました。
末尾の -uti はふつう、道具をあらわすので 、「づく」が「たから」かも。

[5756] Re[5755]: 参考になれば・・    ・  生田淳一郎 2010/11/03(Wed) 10:20 [Reply]
> 「ずくなし」で、方言辞典に出ているのでは。根性なし?
▲ サァスガ〜 ! 目のつけどころがちがいます。お身体、とくにおめめを、大事にしてくださいネ。
「ずくなし」の “なし” は、無いの “なし” でいいようですね。根性、根気、元気、いくじ、なまけ、だらし(がない)、器用 などに変化していますが、喋られている地帯は、青森、岩手、長野、山梨、秋田県鹿角、山形県米沢、長野県佐久、駿河、岐阜県恵那、静岡県周智、新潟と、大型イントネーション地帯を外した地帯に広がっているみたいな印象をうけました。
こことマンチョ(マンジュー)をいう地帯と重なるのでは? 津々興味です。要、緊急調査。

> 「うちのダンナは〜〜」のしゃべりは雲伯方言うち鳥取県西部地区(倉吉から米子)の典型的なイントネーションですわ。山口県山口市や滋賀県長浜市以北でもこのイントネーションを聞いたことがあります。石川県金沢市の南部もそうでしたな。
▲ おたしゃ、いちおう日本じゅうをサルきまわったんですが、このイントネーションと方言の分布を気にしながらサルいたら、じつにオモシロかったんだろーと残念です。いや、貧乏がアタマに谷まって死んでいたのかも。
しかし、曲がりなりにも、ホケケーと石松の二つのイントネーション地帯が浮かび出たのではないでしょうか。

> 銑(ズク):質が堅くて折れやすい。・・・粘りが無い?
▲ そのへんのことを想い描いてみたんですけどねぇ。ばって、わ(吾)「ほんずなし」だはんで(津軽弁)。
ネパール語 bodh(知識)、インドネシア語 abdi(召使い、奴隷)。d の前には n が立ちやすいアマカネ。

[5755] 参考になれば・・・  蒔の箆 2010/11/03(Wed) 08:08 [Reply]
銑(ズク):質が堅くて折れやすい。・・・粘りが無い?

[5754] Re[5753]:  Reply 利用がコワい       佐々木 2010/11/02(Tue) 19:40 [Reply]
> > 信州方言の「ずく」
> ▲ イマイチのご説明を。
「ずくなし」で、方言辞典に出ているのでは。根性なし?
>うちのダンナは〜〜
 これは雲伯方言うち鳥取県西部地区(倉吉から米子)の典型的なイントネーションですわ。山口県山口市や滋賀県長浜市以北でもこのイントネーションを聞いたことがあります。石川県金沢市の南部もそうでしたな。現時点で75歳以上に限定されると思いますが。

[5753]  Reply 利用がコワい       生田淳一郎 2010/11/02(Tue) 08:17 [Reply]
> 銑鉄から各種鉄製品を製造するわけですから、ズリではありませんね
▲ 銑鉄の銑には、粗鋼と完成品に近い鋼の二種あると、辞書に出ていましたので、「ずく」の命名は “祖” のほう……、雑物がまじっているほうにつけられたかと思ったんです。もちろん確信なんざはありもはん。
> 信州方言の「ずく」
▲ イマイチのご説明を。

> 松下奈緒さんは、兵庫県川西市の出身
▲ 二重のサッカクでした。あがあが。するってぇと、アレは大阪方面でのイントネーションだったか。
あの女優さんがドラマの中で「うちのダンナは〜〜」と言ったとき、おたしゃ、アレッと思ったんです。
楽譜が書けないので隔靴掻痒ですが、八重山〜長崎〜薩摩〜津軽の「ホーホケケ〜」式イントネーションを基本にしているといえば……、いえます。
√ ♫♡ 森の石松、森の石松 よいおとこ ♫♡ の中に顕れている「モリノイ」の末尾のイをそのままつづけて「モリノイイ」を、まず発音してみてください。次に「よいおとこ」の「イオ」をしゃべると、モリノイイイオがでますよね。その「モリノイイイオ」の調子で「うちのダンナwa〜」と発音すると、大略、それに近いイントネーションがえられます。
鉄砲(高文化!)伝来以後、種子島と大阪は片道三日の “高速道” だったそうで、薩摩型イントネーションが大阪方面に混入してないとは言いきれませんね。

おたしゃ、さかんに「開音化」をいいます。原始音はすべて子音終わりだったとの偏見を前提にしています。
この末尾子音に a とか u とか i(物)がくっついて “近代的な語彙” のよそおいをします。
masa の開音前の語形は mas と看るわけ。mas の末尾にある s は、西洋系言語での主格を表わすので、語幹は ma です。この ma は アイヌ語、タミル語の pana、mana(微塵)と同根かと / 湯の花。
ネパール語 masi には「細かい」のほか「(網の)めが詰まった」という意味もあります。これはマサ木、マサ目などに転用されてもオカシくはないだろうと踏んでま。
「正しい」のマサは川崎真治さんによればファラオ行列の旗だそうで・・・・・。
太秦(ウズマサ)のマサはネパール語の math(あたま、露頭)かと。 / サガルマタ(エヴェレスト)。
ピラミッドの切り石も mas だそうで。 / フリーメイスン、コマース、升本さん(塩屋 ??)。

[5752] Re[5729][5728][5727]:  げに 楽しかばい     神奈備 2010/11/01(Mon) 12:12 [Reply]
> 以前、書き込みをさせていただいた、かじりかけです。

かじりかけさん、こんにちは。

出雲の御仁でしたか。うらやましいですね。



生田淳一郎さん

> ▲ イントネーションは東北一般と酷似しています。このイントネーションは関東でも聞かれるので、ゲゲゲの女房役を演じた女優さんの出身地が、あるいは関東ではないかと、思っていたのですが、安木のご出身だそうで、いちおうは見込みちがいでした。

 松下奈緒さんの琴でしたら、兵庫県川西市の出身だそうです。

[5751] Re[5750][5749][5747][5746][5745][5744][5743]: 鉄穴流し       佐々木 2010/11/01(Mon) 10:09 [Reply]
※読みは「かんなながし」
>ずく
 銑鉄から各種鉄製品を製造するわけですから、ズリではありませんね。
 信州方言の「ずく」に近いですかね。
 なかんずく(就中)の「ずく」も近いのかなあ。
>沖縄のマース
 マサは白砂青松の「白砂」で代表されます。よって北海道なら雪、沖縄なら砂浜とも比較してもよいのではなかろうか。なお白砂は上越地方の苗字ですが。

[5750] Re[5749][5747][5746][5745][5744][5743]: 鉄穴流し       生田淳一郎 2010/11/01(Mon) 08:53 [Reply]
> 花崗岩(みかげ石)が風化したりして堆積した土  マサ(真砂)
▲ あり難うございます。マサ(真砂)は知りませんでした。
 石川五右衛門の「浜のまさご」の「ゴ」はコナでしょうか。
 すると、この土が白いのであれば、沖縄のマース(塩)に繋がるのかもしれませんね。塩を表わす *mas は台湾諸語には見当たりません。升本さんが塩屋さんではなかったか……、ヤブにらみちゅうです。
ネパール語 masi(こまかい)。

> 利用価値のない部分(たとえば銅鉱石を採取した残りの石など)をズリと言いますね。
▲ 筑豊炭田のボタ山は、常磐炭坑ではズリ山いいますだ。足摺岬は「馬がズリ落ちる」から??
「ずく」は、原音 *dul と *khud の末尾音が落ちた語形かと想ったんです。

アナトリアとは「(ギリシャの)東という意味だ」とされてきました。アナトリアは、アナ と トリアの二つに分けられるでしょう。日本語にはネパール語 tol(区)も toliya(組合)も入ってきています。
アナトリアの “アナ”……は、仁品卑しくない人もアヌスという語を読まれたことがおありでしょう。ラテン語では肛門です。スワヒリ語、タガログ語の ana(子供)も、これと同根だともおもえます。
アヌスの an とは、沖縄の「アン・エタン(そうだったのか)」の 「 an < ar(別の、もう一つの)」が語源でしょう。/ 昔むかし、あるところに。

「鉄穴流し」は、「かんながし」と発音……、これで良いのでせうか。
アイヌ語 kanna はカミナリです。大筋から外れていません。
カネは鉄とか銅に限定されるものではなく「金属……メタル」です。
フランス語にもみえるカンカン踊り

[5749] Re[5747][5746][5745][5744][5743]: 鉄穴流し     佐々木 2010/10/31(Sun) 10:12 [Reply]
>花崗岩(みかげ石)が風化したりして堆積した土  マサ(真砂)
 マサをタタラ(多段堰)で比重分鉱して、磁鉄鉱を集めるようです。
>インドネシア語 duli
 利用価値のない部分(たとえば銅鉱石を採取した残りの石など)をズリと言いますね。

[5747] Re[5746][5745][5744][5743]: 鉄穴流し     生田淳一郎 2010/10/31(Sun) 08:40 [Reply]
おはようございま。
55年も前のバカの一つおぼえですが、花崗岩が風化したりして堆積した土をカオリンといったのでは? と思ってちょっと調べてみたのですが、http://kotobank.jp/word/陶土 では「鉄分は含んでいない」とある。どうなっているんでしょ。
さらに瀬戸市、瀬戸物というが、この粘度を焼いて得られる陶器は白いとある。ネパール語 seto には白いという意味がある。

これまで、おたしはシナ語には ŋ はあっても N 音は無いと思ってきました。こんかい、銑鉄の文字に出会って藤堂明著『漢和大辞典』と相談したところ、銑にはチャンと sen で、N がある。金属精練関係の用語は国境のカベが薄い。いいおべんきゃうになりました。

タタラ炉の高さは130cmぐらいで、厚い粘度でできた風呂桶みたいなもの、いわば泥舟でしょう。
この中で炭を焼き、下からぶうぶう風をおくる。そこへムラゲ(炉の長)が砕いた鉱石のコナを少しづつふりかける。すると、炭は焼けたあとは体積にはならないが、タタラ舟の底に開けられたホド穴から、まっかに焼けたずく(づく とも)が流れ出てくる。この「ずく」の語源がワカラナイ。
ずくということばの響きからみると、これはシナ語でも朝鮮語でもない。いちばん近いのは、やっぱ日本語です。
ムラゲはネパール語の *age(火・炉)を素材にして形容詞後置形でできている。mula(長) もネパール語にあるが、インドネシア語にもある。
銑鉄の銑には祖鋼と完成に近い鋼の二種があるそうで、すると始発の「ずく・銑」は、祖末な祖鋼につけられた名前だったにちがいない。いまのところ、インドネシア語 duli(塵・泥)ネパール語の khudra(小さい、取るにたりない → 屑)と、インドネシア語 duli(塵・泥)の合成語ではなかろうかと想うことにしました。

[5746] Re[5745][5744][5743]: 鉄穴流し  琉球松 2010/10/30(Sat) 20:42 [Reply]
 「鉄穴」は、文字通りの意味でしたか。

 宮古島をはじめ、「カネ」にまつわる説話は色々とありますよ。"鉄を制する者が国を制する" って感じですね。

[5745] Re[5744][5743]: 鉄穴流し  神奈備 2010/10/30(Sat) 20:23 [Reply]
>  「鉄穴」って、語源は「カネのハナ(花)」でしょうかね。

 花崗岩の朽ち果てた岩から鉄分を取り出す技術があったそうです。御影石を花崗岩と呼んだのは江戸時代か明治以降のようです。「ハナ」のイメージはなかったのでは。

 「鉄穴」とは、山の鉄分を取り出しやすい部分を削って出来る穴を言うようです。

> 島々に「鉄粉(カネコ?)

 宮古島の船立御嶽に祭神として「かねどの」が出てきます。由緒にも「住屋里かねこ世」と言う人が出てきます。鉄粉は貴重なものだったのでしょう。

[5744] Re[5743]: 鉄穴流し  琉球松 2010/10/30(Sat) 10:26 [Reply]
 「鉄穴」って、語源は「カネのハナ(花)」でしょうかね。
 「ハナ」が、キラキラと輝く様だと考えることができます?

 ところで、奄美沖縄には「カネク(金子・金久・兼久・我如古)etc」なる地名があちこちにありまして、鍛冶屋との関係性が指摘されてますが、島々に「鉄粉(カネコ?)」をもたらした本土側技術集団や熊野権現(鋳物明神)によって、琉球建国が始じまるようです。

 「カネの島」とも呼ばれる徳之島から、砂鉄を運ぶとの記事が「おもろさうし」にも見えますね。

[5743] 鉄穴流し  神奈備 2010/10/26(Tue) 19:34 [Reply]
戦国時代以降になされたようですね。

[5742] しばらく休みます      生田淳一郎 2010/10/20(Wed) 09:38 [Reply]
オレばかりが書いているようですので、しばらく休業します。

オレは目下、インドネシア語にハマっていますので、興味あるご仁は http://6712.teacup.com/bhasa/bbs へ.

ヒトの意識に関心あるご仁は http://6928.teacup.com/fudangi/bbs を覗いてくらはい。

[5741]  カミアリヅキ      生田淳一郎 2010/10/19(Tue) 08:55 [Reply]
陰暦十月を出雲の地以外では、神無月というそうです。
ではカミアリヅキは? と古語辞書と相談してみたら、手許の辞書には出ていません。やっぱ、出雲では陰暦十月をカミアリヅキというのではないでしょうか。

インドネシア語は広域言語です。
アラビア語、ペルシャ語、インド語がこの地にやってきて、混成がすすむ前は、今のニューギニアに見るように、多くの言語が群れていたことと思います。
かなり遅れたとはいえ、世界各地が <国で> 広域言語になる歩調に合わせたように、フィリピン・タガログ語もインドネシア語も広域言語としてのていさいをとりました。この二つの広い言語圏に辞書ができたということは、いずれにせよ、画期的なことでしょう。

「カミが一堂に会する」というのは、現代流にいえば、デパートなどの支店長会議を想わせます。同時に出雲帝国の「物流担当・兼・密偵」がサンカであったと断じたくなります。 / サンカの地方将軍(みたいなの)をカミという。

カミアリヅキの「アリ」の用法が、ちょっとオカシく感じていました。そこへインドネシア語の alih(移る、場所を変える)です。
カミとは江戸期の大名がじぶんの名前につけた「○○の守」の “カミ” と置けばピッタし。
ネパール語 ; kamiti(委員会)。

[5740]  ゲゲゲ 郷 報告・・・・ 2      生田淳一郎 2010/10/18(Mon) 09:08 [Reply]
▲ 終戦前後、北九州の筑豊で「チョンゴシ(良い)」と「ナップン(わるい、ダメ)」は対語みたいにしてしゃべられました。われわれ子供たちは、これは朝鮮語だと思っていました。これがゲゲゲ郷では、チョッコシは「すこし」、ナップーンは屁の音として受け容れられていたようです。いずれにせよ、船乗りのイタヅラだったことでしょう。
筑豊で朝鮮語だとして受け容れられていたというのは「カァーチャ・カチャ ナップンサラメ」という怒鳴りだしのタンカがあったからです。
カァーチャ・カチャは、ネパール語では「荷物などを詰め込めるだけ詰めこんだ」という意味になって、これはウイルタ語でもみられます。日本語での「荷がカチすぎる」の kat でしょう。
ナップンサラメの salam は朝鮮語の “人” ですので、われわれ子供は、これは全体として朝鮮語だろうと、思ったんです。

▲ 津軽では、ビックリしたとき オンロ〜!と叫びます。筑豊ではオンリョー!でした。ですから、この系統がゲゲゲ郷にもあるのかどうかを訊いたところ、「アイキョー!」と叫び、オンロ〜もオンリョーも云わないそうです。
豊後での アンリュー は、がっかりしたときに云うらしい。
インドネシアには aduh があります。意味は悲しみ、驚き、痛みを表わす「ああ、おお」に相当すると。 d の前には n が立ちやすい。
鳥取市から来た安藤くんと同室したことがありましたが、よく アイヤ〜といっていました。アイキョーは聞きませんでした。
あいやしばらく、沖縄でもアイヤだった・・・・でしたか。
アイキョウさんは相模原南の愛川周辺固有の姓だったか・・・。

▲ ダメだ は、出雲で マイネ〜、津軽では マイネ。これがゲゲゲ郷でどうなっているのかを訊きました。が、これは双方とも云わないそうでした。やっぱ、佐々木さんがおっしゃるとおりに、津軽から来た殿様のヨメさんの言葉が影響したのかナァ〜。
/ ネパール語 ; manai(禁忌)、man-(いうことをきく)。

▲ 出雲・東北のズーズー弁は、朝鮮〜蒙古〜トルコに連なる i / u 通音に吸収されるかと思います。沖縄の、とくに 伊計〜宮古〜平安 島にみられるズーズー弁は子音がくずれています。これがネパール語では? と、思っています。元々、津軽にはズーズー弁はないはずです。

[5739] dhannebad      生田淳一郎 2010/10/17(Sun) 09:30 [Reply]
佐々木さん、だんだん。Danke , dhannebad(ネパール語 ; 感謝 bad はことばの ba)

文学無用論者のおもて看板をおろしたばかりですので、「感じ取る」はニガテですが・・・・・
それでも、「医薬関係でも有名」には bik(毒)が絡んでいるような。

▲ 「コ」や「チイサ(例 ; 小県郡)」ではなく「スクナ」を採用したには、なにか深ァ〜いわけがありそう。オオクニヌシの「オオ」は、大ではなくって「多」でしょう。その場合、スクナビコナは多くの土地連合グループに比しての少数の連合体。
▲ 「二名」が裏番組・神奈備でだいぶ騒がれていました。「二部族連合」のことだろうと思います。また、na =農耕地。また、 na < nal(nala・・・・・小さな水の流れ)。
▲ 能登は津軽と出雲の中間地。邑知地溝帯文化が花さいた。鳥屋町で塩を焼いた。能登にはトヤン高原という由々しき地名これあり。
▲ 蛇抜け・・・・たしか渓流地名用語。ジャはへびでは無くって、dhar(流水)か。ST の jal でもいい。多数派のおじさんが、こっそりと少数派の樋水を我田引水したのでせう。そこへ少数派の右代表(ヒコナしゃん)が、「まぁ、まぁ」といって出て来た。
▲ 今度は、大きな石。・・・・・ヂヂィが酒飲んで、酔っぱらって・・・。
  
佐々木さんも晩酌の時間は夕方、早い時刻のようですね。あ、あのショーチューの名前、わすれちゃった!

[5738] Re[5737]: すく na-bik 0 ナ        佐々木 2010/10/16(Sat) 17:36 [Reply]
スクナビコナ(スクナヒコナとも呼ぶ)
※オホナムチと対であるという説もあり。これが「二名州」の「二名}起源?
医薬関係でも有名な神さんです。

北國新聞・平成14年3月21日から、能登を平定した小さな神様・少彦名神・・・・恐ろしい大島や毒蛇があちこちにおって、住みにくい世の中やったが、そのちっちゃな神様は、大きな大国主命(おおくにぬしのみこと)と力を合わせて、それらを次々と退治していかれた。・・・・・時が経てば、いいもんも崩れる。
今は、地滑りというとるようやが、「蛇抜け」が起こるようになってきた。
 そんな頃、常世の国から、少彦名さまが、またこの海辺にやってこられたんじゃ。ムラ人に夢で「海辺に立っとるぞ」と告げなさったもんやから、行ってみると、今度は、大きな石の姿になってなア。・・・・
生田さん これで何か感じるかや。

[5737] すく na-bik 0 ナ        生田淳一郎 2010/10/16(Sat) 14:16 [Reply]
sasak-i さん

流れを変えるようで、ジクジクなんですが、佐々木さんは由々しきことを書かれました。
「スクナビコナ」です。おたしは清音のスクナヒコナかと思っていましたが、 na- bik なら「毒消し」の意味が出てきます。
「すく」は「村、村落」でしょう。

おたしは 「スクナ・ヒコナ」と、お調子ことばだと思ってきましたが、おめめの都合をみて、イマイチの御ウンチクを垂れていただけませんか。

タジク語 sukunat には住居という意味があるので、ここ数年、邪視眼ぎょろぎょろでした。スクナビコナは家の建て方を普及させた・・・・・みたいなことを、どっかで聴いたような。

[5736] Re[5735][5734][5732]: ゲニ〜ガイニ=ジュンニ  佐々木 2010/10/16(Sat) 11:45 [Reply]
> ▲ 「ありがとう」の意味での「だんだん」が福岡でしゃべられていることになっていますが、おたしゃ聞いたことがない。

 私も知らんかった。
「ありがとう」の意味では、鳥取県西伯郡、島根県、山口県大島、高知県幡多郡、福岡県博多、熊本県、大分県直入郡、宮崎県高千穂。
「いろいろ」の意味では、新潟県中頸城郡、富山県、石川県、滋賀県彦根、島根県、高知県檮原、熊本県、宮崎県、長崎県壱岐。
(2000年12月07日 南海日日新聞記事より)ご参考になれば。

[5735] Re[5734][5732]: ゲニ〜ガイニ=ジュンニ  生田淳一郎 2010/10/16(Sat) 11:24 [Reply]
「ごしない」の「ない」は、九州のわがふるさとと同じ表現ですね。

東條操著『全国方言辞典』(昭和 26年)と相談しました。
ごせ、ごす、ごぞ・・・など、いろいろな意味がありますね。日本人がスキな音らしい。
でも、「ごぜる → ごす (くれる、もらう)」は鳥取だけの方言となっています。


 <がいに、がいだ>
1 ) たいへん。ひどく。甚だしく。激しく
東北、栃木、埼玉入間郡、静岡、愛知県幡豆郡、三重、和泉、和歌山、兵庫、四国、中国、大分

2) おびただしく、たくさん。
上州、千葉県君津郡、伊豆大島、山梨、愛知県知多郡、三重県南牟呂郡、和歌山、小豆島、愛媛、岡山、鳥取、島根、大分。


 <だんだん>
1) いろいろ、いつも、「だんだんお世話になります」
島根 壱岐

2) 大きに、非常に。「だんだん ありがとう」
大分県直入郡、熊本

3) ありがとう
鳥取、島根、愛媛、福岡、熊本

▲ 「ありがとう」の意味での「だんだん」が福岡でしゃべられていることになっていますが、おたしゃ聞いたことがない。
 そういえば、これをしゃべる京都が抜け落ちていますね。

[5734] Re[5732]: ゲニ〜ガイニ=ジュンニ  佐々木 2010/10/16(Sat) 09:19 [Reply]
 琉球松さん
 いつもがいに興味深い、書込みに刺激を受けています。

>これは「ゲンニ・ダンニ」などに転化しながら、現在沖縄方言の「ジュンニ・ダンジュ(ダンニュ)」となっていますから「ガイニ」とは姉妹語かもしれませんよ。

 おそらくそうだろうと思います。実は伊予にも、「がいに」「だんだん」があります。とくに宇和島付近。
 概ね「great」を中心としながら、実に・真に・誠に・本当でも意味が通じるようです。予想外、想定外な場合が多いようです。
 出雲伯耆と伊予の共通点は近江の佐々木の知行地だったところ。佐々木氏といえばスクナビコナですが。
 「だんだん」もその流れかも。

[5733] ジュンニ たばこゴシても ダンダンは言わん    生田淳一郎 2010/10/16(Sat) 08:33 [Reply]
ジュンニ たばこゴシても ダンダンは言わん

70年もまえ、隣の臼井町に知育発達途上のウスイのジュンちゃんがおったとです。
子供たちゃ面白がってぞろぞろあとをつけていくと、家の前に立って「おばさぁ〜ん、たばこやんな〜い」ち云うとです。たばこを貰ったら、こんどはすぐ隣の家の前に立って「おばさぁ〜ん、マッチやんな〜い」ち云うとです。
タバコやマッチをもらうまで、左掌をだし、右掌で左腕の肘を叩きよるとです。

おれもジュンちゃんやき、ガキどもから「ウスイのジュン」ちゅうて、さんざからかわれました。
ばってん、行きなやんだ二十歳のとき、このウスイのジュンちゃんが、大恩人になったとです。

こっちのジュンちゃんにゼニくれたら、ダンダンぐらいは云いますばい。

[5732] ゲニ〜ガイニ=ジュンニ  琉球松 2010/10/15(Fri) 22:59 [Reply]
 『おもろさうし/首里王府編纂』に見える「ゲニ・ダニ」は、"実に・真に・誠に・本当に" との意味ですね。

 これは「ゲンニ・ダンニ」などに転化しながら、現在沖縄方言の「ジュンニ・ダンジュ(ダンニュ)」となっていますから「ガイニ」とは姉妹語かもしれませんよ。

[5729] Re[5728][5727]:  げに 楽しかばい     かじりかけ 2010/10/15(Fri) 21:39 [Reply]
神奈備様お久しぶりです。
以前、書き込みをさせていただいた、かじりかけです。
琉球松様、他掲示板での書き込みありがとうございました。とてもうれしかったです。
私のようなものでもお役にたちそうなので出てまいりました。
出雲弁といえば、藤岡たいせつ

  
▲ 「がいに」
  …大きいとか、たくさんとか、すごくとかになると思います。
  …greatってかんじです。

  

[5728] Re[5727]:  げに 楽しかばい     佐々木 2010/10/15(Fri) 19:47 [Reply]
> ▲ 「ごしない」
・・・・してごしなはい。竹下景子がよく机を叩いて叫びました。
・・・・してください。「ご」は「御」でしょうかね
> ▲ 「がいに」
 以外にでしょうか。※伯耆から出雲まで、竹歳、田村、岩田姓があります。

[5727]  げに 楽しかばい     生田淳一郎 2010/10/15(Fri) 19:12 [Reply]
> あの人は大阪です。
▲ ゲッ、ゲッ・ゲゲゲのゲ。これもキカイ・オンチの産物か 境港市役所に電話したとき、女優さんと、ご本人がごっちゃになったみたい。

▲ 「ごしない」ちゃ、どげんふうな意味ですと? *gos に「云う」の意味これあらむか。
▲ 「がいに」は佐々木さんが、がいに記述してくれちょりました。もちょっと一般的にしたとが、「げに」じゃろうて。気仙沼では「ゲリ・ゲリモノいう」などというそうです。

[5726] Re[5725]:  ゲゲゲ郷 報告・・・・・1     佐々木 2010/10/15(Fri) 18:00 [Reply]
>ゲゲゲの女房役を演じた女優さんの出身地
 あの人は大阪です。
 出雲の浅い「ずうずう弁」は、藩主の松平が津軽藩から嫁をもらった関係で付録がついてきたためでしょう。
 あん地区は「ごしない」「そげか」「がいに」「だんだん」「ちょっこし」でしたね。私は懐かしかったけどね。



[5725]  ゲゲゲ郷 報告・・・・・1     生田淳一郎 2010/10/15(Fri) 10:33 [Reply]
ゲゲゲの女房、放映が終わって静かになったので、境港市役所に電話でお邪魔しました。

▲ 放映ドラマでは「そげか(そうか)」が多出していましたが、これは九州と同じなので、注目させられたところです。

▲ 学問の上では、ここの方言は「雲伯(出雲と伯耆)方言」として把握されています。しかし、出雲にはズーズー弁があるのに、境港・安木にはズーズー弁はない。この二つ併せてのまとめ方には、大きな疑問があります。

▲ イントネーションは東北一般と酷似しています。このイントネーションは関東でも聞かれるので、ゲゲゲの女房役を演じた女優さんの出身地が、あるいは関東ではないかと、思っていたのですが、安木のご出身だそうで、いちおうは見込みちがいでした。
しかし「東北一般のイントネーション」といいましたが、これは津軽を除く東北一般ということです。
「関東でも聞ける」といいましたが、この一連のイントネーションは札幌でのイントネーションでもあります。

空想を大きく羽ばたかせれば、蝦夷の俘囚とは、出雲(方面)から来て奈良にいた人びとが、津軽征伐に狩りだされたあと、ヤマト朝廷側から置き去りにされた人びと・・・・・では なかったか、です。

▲ お江戸には瓦焼き地帯のすぐそばにマッチ山(粘度とり)があり、船マンジューという娼婦がいました。よそ見はできません。
茨城県の牛久町にも濃厚なズーズー弁を喋る漁民がいました。

[5724]  薩摩の密書       生田淳一郎 2010/10/14(Thu) 10:48 [Reply]
おたしが国民学校(小学校)4年生で終戦の前のとし、「薩摩の密書」という映画がありました。
別のハナシ・・・、江戸幕府の密偵が薩摩領へ「とけこみ草」になったにですが、なかなかシッポを出さない。そこで目明かしがつけまわしていたところ、土地の者ならみんな川下に向かって顔を洗うのに、そいつはついに川上に向かって顔を洗ったので、捕まったそうです。

薩摩では、わざとへんな言葉を人工的につくった・・・というようなことは無かったのでしょうか。
甲府ではあったそうですね。重要な取引のとき、ヨソモンが分らない言葉を遣って、それで相手がたをとっちめたといわれています。

陸つづきだったスンダランドに海進がおこり、無数の氏族が闘争関係に入らざるを得なかった。それだけなら、われわれ感覚でも「闘争」ということがどういうことかは理解できるかと思います。しかし、△か ku△れるかの関係は、およそわれわれには想像もできない関係だろうと思えます。
台湾基礎語をみたとき、同じマレー系なのに、似ていない語彙が圧倒的に多い(似ている語彙はやはり、似ている)。ここには、わざと語彙を変えて内々の者にしか分らないようにする捏造・作為があったのではないかを感じます。

日本語の原郷を南方に求めるとき、従来は沖縄語観の見あやまりと、台湾諸語からうける「乱脈みたいなもの」と、タガログ語、インドネシア語の辞書編纂が遅れたことの三つが、大きな厚いヴェールとなって、「ゆくへ」にたちはだかり、邪魔をしてきました。
▲ 沖縄語に関する迷妄の霧は、おたしが払った。
▲ まがりなりにも、タガログ語・インドネシア語の辞書は「現地人がしゃべっtいることを全羅列している。あとは借用語彙を整理することになった。

残る問題は、台湾諸語の見方、扱い。おたしのアタマでは荷がカチすぎるみたい。欣求天才。

[5723]  臍下丹田      生田淳一郎(76歳) 2010/10/13(Wed) 11:34 [Reply]
ウヒャ〜、バケモンだぁ〜。臍下丹田の *tan までもが、出てるじゃああ〜りませんか

いや、あり難うございます! スクワレンが救われた!!

http://6541.teacup.com/chikuzen/bbs? も見てやっておくんなせぇやし。√ ♫♡ 兵の歩みの たのもしさ ♫♡

[5722] Re[5721]: ボッケ〜ッからの脱出        佐々木 2010/10/13(Wed) 10:16 [Reply]
その辞書ではわかりませんが、
http://tagalog.blog74.fc2.com/category13-1.html
ではpusod
日本大百科全書(小学館)では
マラガシー語 tadny, hho, fitra
タガログ語 tainga, suso, pusod
ブヌン語(台湾) tangiya, suso, pusoh
フィジー語 daliga, sucu, vicovico
ラパヌイ語 taringa, u'u, pito
タガログ語でalas(時刻記号?)が少し気になるところでした。
日本では「あらす」地名と秦氏、そして月読神が近くにあるパターンが。。。

[5721] ボッケ〜ッからの脱出        生田淳一郎(76歳) 2010/10/13(Wed) 07:26 [Reply]
おたしの親友 S は、16歳ごろから病院とか医学に携わってきて、今年 3月に「じぶんの時間を持とう」と、現役を引退しました。
それ以後、「どげしよるとか?」と、尋ねること 4度、5度。そのたびに返事は「ボッケ〜ッとしちょる」です。

おたしも松本克己先生出現の意味を考えたときから、ナニをやっていいか分らなくなって、ここ三日ほどボッケ〜ッとしていました。
が、何をやるべきかは、まず「阿呆気」が立ちこめない状態を持続させることがダイジじゃと思いなおし、そういうことは、歩きながら、走りながら探せばいいのだ・・・・・に気がつきました。

そこで佐々木さん、神奈備ドンにオネガヒ。
先日、おたしのキカイ・オンチぶりをお導き下さったときのことで知ったのですが、「このごろは、外国語の語彙がネット検索できる」ということです。

申し訳ありませんが、次のタガログ語辞典 http://orientalheart.com/dictionaryexplain.htm から「へそ」を引っぱり出す方法を手取り足取り教えていただけませでしょうか。Mac ナントカ support にも訊いたのですが、不徳要領、ワカリませんでした。

一昨年のことになりますか、「塩の系譜」をここに書いて、とみたさんからほめられたことがありましたが、そういう「南から北上している語彙の軌跡」をすこしでも多く掴もうというわけです。
いま「へそ」を追いかけています。台湾のあちこち語が poso に似いちゅう。http://6541.teacup.com/chikuzen/bbs? の、福島さんがたのところで、きのふから書きはじめました。
「塩」は、「酸っぱい」と絡めて、もういちどやり直します。

[5720]  バスの抜けたごつァる      生田淳一郎 2010/10/09(Sat) 18:05 [Reply]
バスの抜けたごつァる(筑紫弁 ; 気が抜けた如く・ある)。
ネパール語 ; basi(古くなった、気のぬけた)。

松本克己先生の世界規模の言語開発のことを考えていたら、バスが抜けました。
これまでは、言語学者さんたちが、あまりにもナァ〜〜ンもしないので、ゲッテンまわして奔りだし、我流で泳ぎつづけてきましたが、こっちは、いうなれば浮き袋に胴体を入れて、足バタバタさせて大洋を泳いでいるようなモンでした。

いまの高校生たちが博士になって、世界規模の言語開発をするようになるまでは、あと 8年もあればいい。
8年後には、巨大戦艦・巨大空母の艦隊があとを追いかけてきて、すぐに追い越すじゃろうて。もちろん sigan(鼻汁)にもひっかけない。
/ ももとせ も きのふの如し

およびじゃないみたい。
だがネ、人間というものは、そのときそのときの「夢を追いかけるもんじゃ」とか。・・・・・サテ

[5719]  松本克己先生の快挙      生田淳一郎 2010/10/07(Thu) 12:55 [Reply]
松本克己先生が、レッキとした言語学者が、世界規模の言語研究をなさったということ。
これが持つ今後への影響は、あまりにも大きいと云わねばなりません。

これまで、この種の研究に近いものは山中㐮太先生があったが、同先生はレッキとした言語学者ではなかった。
村山七郎先生もいらっしゃったが、アイヌ語、満州を含む極東語に限られていた傾向がつよかったのではなかろうか。

松本克己先生の出現によって、今からの言語学者は、言語学者として名を連ねるかぎりは、世界規模の目をもつことを余儀なくされます。このことの効果こそが計り知れないものを持つのであります。

7年ほどまえ、言語学者といっしょに来たズブの素人さんが、「そんなら、一般の言語学の先生たちはナニしてるんだ」と訊いたので、おたしは「自分ではナニも研究などしないで、他人の研究の足をひっぱることだけは長けている。月給日になったらこうして手を出すだけですヨ」と云った。そのとき、ふと気がつくと、言語学者さんがイヤ〜に下向いて、顔を赤くしていた。なんだか苦しそう。
「どしました!?」ときくと、顔をあげて、「おっしゃるとおりなんですヨ」と、のたもうた。

松本克己先生の出現で、そんな時代はもう、終わったのだ!

[5718] シマ荒らし       生田淳一郎 2010/10/06(Wed) 08:39 [Reply]
英語でいうアイランド( island)は沖縄では、ただの ma (マ)だけで済ませている。
日本語の「シマ(島)」が固定されたのは、下では わき水の *sim と置いたのだが、そこに関与するのか・・・しないのか、やくざのシマ荒らしということばと、ネパール語 simana(境界)があることに気がつきました。
シマ荒らしは「境界荒らし」として理解できます。
ネパール語の simana はどのように分析されるのだろうか。もう一つ下の語源が知りたい。

やっぱ、このへんで三枝礼子先生の『ネパール語辞典』を買わにゃならんのかナァ〜。
パソコンでオークションのやりかた覚えにゃならんか。
うんにゃ、このへんで誰かが呉れるんじゃなかろうか。

[5717]  オウ・sim-a        生田淳一郎 2010/10/05(Tue) 09:00 [Reply]
いま、裏番組の神奈備さんで「シマ」が多く出ています。
これは、すでにいちど割り出したことですが、泉を持ったままに海底から「噴きあがってくる冷たい火山」が常識線にひっかからない。
疑問は疑問のまま、ここに再び記述することになりました。

大阪では、久しぶりに知人が来たときなど「オブウ飲んでけや」と声かけます。「お茶飲んでけや」とおなじことです。この場合、オブはタジク語と同根で、タジク語では oB と表記・・・・している(と診る)。へんなふうに oB と書きましたが、 じつは、この B は母音の次には英語の W のように発声される。日本人の発音クセでは ow は o または o: となる。
日本列島周辺には 400の大島がある。これは水汲み場としての陸地だと思えます。でないことには、こんなに多くの同じ発音の島が散在するワケがない。オシマ(渡島)も同列語でしょう。

シマもクセモノなんです。インドネシア語では *sum(水)がある。 / 住吉の sum.。現在では日本の東北から朝鮮、蒙古を越えてトルコ語まで延びている「大 i / u 通音地帯」を考えに入れると、sum は、朝鮮・日本の *sim(水)に連なる。
sim が開音すると sim-a(島) になる。

*mi , *mu 系の水もある。大三島とは「水・水・水」とも読める。ウイルタ語 ; mu(水)。ムナギ(古 ;うなぎ)。
「ム・シマ」と発音する島もあったのかもしれない。害虫を遠くの島に送る「虫送り」も伝わっている。ベトナム語に ao(池)があった。ao ao は水や風の騒がしい音のこと。a か o に水という意味があるのかもしれない。

それにしても、数百〜数千メートルの海底から岩がせりあがってくる現象。しかも清い水を伴ってあがってくる造陸うんどう。どうなってるんだ。

[5716] ヒトコトヌシ 序言      生田淳一郎 2010/10/04(Mon) 13:49 [Reply]
ここ、『青草談話室』は、ちょっと見にはアホ臭いこと書く掲示板みたくに感じるご仁も多いことかと思いますが、おたしは青年らしい青臭いことは書くかもしれません。が、「ここは青草談話室だから、アホくさいことを書くのは許されるんじゃ」などと、みずから卑下した書き込みは、且つていちどもありもっはんど。
16年前、村山七郎先生が日本語の「ひとつ(一)」をめぐって、「これには、すべてとか全部という意味がこめられていてもよさそうだが、周辺言語をふくめても、そういう語彙が見当たらない」と書かれているのをみて、おたしは「アイヌ語の obitta(総ての)は参考になりませんか」と訴えた。返事がきた。「わたしの整理ノートにいれます」とのはがきだった。当時おたしゃネパール語の驚異に目が醒めていたので、村山七郎先生のアタマをネパール語に向けてもらおうとしていたが、欲年、 5月 20日に急逝された。
アイヌ語の koro は kot と急言される。「支配する」と訳されている。

ヒトコトヌシは日本語感覚では、すぐに「一言 nu(する)si(人)」となろうが、「総てのことを・する人」とも解釈できるのではなかろうか。
「ヌシ」は usi(大人)の語頭に 強調接頭辞の n- がついた語形だとも受け取られる。
だが、古代の人名・神名は懸詞だらけだ。この nu には、未発見の意味がなにか隠されているような気がする。

[5715] 再 ククノチ・ タケノウチ      生田淳一郎 2010/10/03(Sun) 09:23 [Reply]
きのふ、福島しゃんのとこに遊びに行ったら、熊本の菊池の古名がククチであることを、教えてもらいました。
そのことで、朝鮮語の kokhwa に「国の花」と「菊の花」の二つの意味があることが再浮上し、由々しき事態になったので、ご披露です。

朝鮮語 kokhwa(菊) は kok(菊)と hwa(花)に分けても良いだろうと思います。すると、この kok がベトナム語の cuc(菊)と対応し、同一だということになります。このことによって、次には、日本の神名 ククノチ(ヒメ)が、朝鮮語起源なのか、ベトナム語起源なのかがモンダイになりましょう。同時に、よく似た発音のククリ(ヒメ)との関係も・・・・・。この三者はどうなってるのか。

まず、ククリ。これはネパール語の khukuri(刀)をそのまま写した語形であることに、おたしゃ自信があるところです。
ついでに云うと、語頭の khu は、日本に定着している Xo(“秀”と訳されている)や、美称の「百済の khu 、グスクの gu 」だとも考えられます。また kuri の部分は朝鮮語の kuli(銅)になっているはずです。

ククノチの「クク」が、朝鮮語かベトナム語かを決めるキーは、ククにつづく「ノチ」の部分の意味割り出しにかかっていましょう。これは単純に「・・・・の・チ(霊)」と分析できます。だが、この「chi(霊)」は祭神となりにくいのではないか、が懸念されます。 chi(霊)は南方の pi に対応していて、アイヌ語 oyapi(悪魔)みたいなものを匂わせている概念ではないでしょうか。
神奈備ドンに教えてもらいたいのですが「chi(霊)」がついている祭神はあまたあるのでしょうか。
そういう詮索よりも、大きなヒントを与えそうなのが、タケノウチです。ベトナム語の nouc には「国」と「水」の二つの意味があることは、さいきん見たところです。そしてベトナム語も形容詞後置形ですので、これを採用するとタケノウチは「国・軍」となります。天皇様が頼りにした楠木正成の家紋・・・・菊水とは「この国は天皇が治めるぞ」と、主張しています。
タケノウチ・スクネの「スクネ」も、さいきん採りあげたところですが、アタマに 80ワット電球が灯ったいま、ベトナム語の suk(力)を、鋭意見せびらかしたいと思います。

日本では天皇家の模様になった菊は、朝鮮語では「国の花」でした。いづれもアラビア発で、黄色強執の産物でした。
ベトナム語 nouc(国・水)は、もっと祖形に還元できそうです。超美人先生に訊いてみます。
古代人は「ヌ」という音が好きでした。沖縄では島は ma だけでも「シマ」です。このへんから「ヌマ(沼)」が出てきそうです。

大喝采 applause !! 久々の快挙デシタ。近視勲章を貰っちょくれ。

[5714] ヒッヒッヒ 出たでた!         生田淳一郎 2010/10/01(Fri) 11:44 [Reply]
おかげ様! ここまでやって貰ったら、・・・でもチョンでも見えら。三つともブック・マークしておきました。あり難うございます。
√ ♫♡ ツキが出たでた ツキが出た ♫♡ っとくら。

ところで、先日だしておいた hien hien には注ぎ目いただけたでしょうか?
hien 一つなら「濃い黄色」、hien hien と二つつづければ「顕現する」。
黄色は朝鮮、日本、ベトナム、百越 などが国家形成にはげんでいたころ、「安寧」ということばと「菊」とともに、強執を帯びた概念だったと思います。
どこまで辿れるのか、ハナから絶望を感じますが、出雲の簸川、斐川、氷川の「ヒ偏執」を匂わせる。
転じて「紀のくに」、アマカネ。
すでに、日本では「 xo(秀)」が定着しています。トルコまで延びている i / u 通音を考えれば、 xo は hi まで拡大できませんか。
ま、ふところの中に入れて当分ゴロン・ゴロンさせておきましょう。


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