青草掲示板ログ平二十四年 七月〜九月 2012.7〜9
多に蛍火の光く神、及び蠅声なす邪しき神有り。湯嶽神・菊嶽神の集い。
素人のひらめき、力はないが騒がしくなかなか従わない、一寸の草木にもある五分の魂の発露を!
 青草談話室

[6550] Re[6548][6547][6546]: お気軽青草話  やさか 2012/09/30(Sun) 22:18 [Reply]
神奈備さん、琉球松さん、こんばんは。
肯定的なレスポンスをいただいて、ありがとうございます。

>これは面白い。星座に牛や魚がありますね。
はい。そして十二支には蛇や犬があって、これも面白いと思います。

[6549] 皆様初めまして  前立腺隊じっちゃマン 2012/09/30(Sun) 14:13 [Reply]
いつも楽しませていただくのみ、皆様の興味にかかる話題を持ちません。
なので、隣街で得た最新のニュースを御報告します。

宮地嶽神社のある福岡福間、河川沿い低層地を造成開発するにあたり、地区名が「日蒔の里」と決したとの報道がありました。
もともとヒマキの古名を有するとの記事に、合点するところあり、書き込むしだい。

ヒは皇室の日か、はたまた妃であるか。マキは馬城か、あるいは血族を意味するまきかそれとも任か。
裏付けを得る学研的知識を持ちませんが、素人が付会できる周辺事情を散見します。

宮地嶽神社域内に、胸形の君徳善のものとされる円墳があり、娘の尼子娘(あまこのいらつめ)は天武の妃となりました。
つまり正妃(后)ではなく2番目を意味する妃は、ヒの字義かもしれんと思わされます。
一方この地域は、宗像配下の河津氏が治め、「禁裏屋敷の貴人の墓」と称する数本の自然石を守っており、現存します。
禁裏すなわち内裏を出自とする宗像系皇族のことであれば、「日」としなければならないでしょう。

マキも・・・困ったものです。記憶の中で、太っ腹に割譲してもらった領地、という解釈がちらつきます。
が、いったいどこで読んだか聞いたか、さっぱり思い出しません、モウロクしました、すみません。
西郷川河口であることは、遠賀川河口にもマキを含む地名があって、馬城(牧)から水上輸送する軍馬を連想させます。
とはいえ、後代と違って官道・駅伝が整備されていた時代なら、それは無いかも・・・。

皆様の御賢察如何。

最近、日本語に含まれる上代朝鮮の残滓に惹かれます。
過剰な中国化で母音が21個にも膨れ、素語からはるか乖離してしまった朝鮮語と異なり、
万葉語はほぼ百済語であり、現代日本語も極端な音韻の変化を見ない、とする韓国の数学者に、深く同感します。
万葉は朝鮮語で解釈できるとヌカした女の、あのトンデモ本のことではありません。
最も関心のある伽耶語の痕跡は極めて薄いとされますが、詳述したものを知りません。

模糊とした書き込みお笑いください。

[6548] Re[6547][6546]: お気軽青草話  琉球松 2012/09/30(Sun) 12:27 [Reply]
 やさかさんの自説には、なぜか目頭を熱くするものがありますね。

 我々琉球圏はたぶん、"三番目は「太陽」を信仰し、蛇を守護神・・" の時代を温存しているような気がします。
 基本的には出雲信仰で、蛇(鮫)の暴走を抑制する運動に参加したのではと考えています。

[6547] Re[6546]: お気軽青草話  神奈備 2012/09/30(Sun) 09:46 [Reply]
やさかさん、興味深いお話ありがとうございます。

 最初に渡来して来た男達と縄文女性との混血から始まって、次から次へとやって来る男達と既に混血していた在来の女達との混血が進んだということでしょう。
 稲作・米を持ち込んで、食料の安定確保に魅力があったとか、背が高くスマートであったとか、馬に乗り、武器を持ち、行動範囲が広く、忽ち地域の支配者となった屈強な男達、それぞれの魅力的な存在に、女達は惹かれていったり、略奪されたりして、日本人が形成されていったということになります。

> 次に来たのが「狼」または犬を先祖として崇める部族でこれは中国北方から渡ってきた。

 犬祖伝説は隼人が持っていたとされます。海人族のルーツ的存在が隼人ですから、彼らは華南など南方系のように感じます。狼はモンゴル?


> 五番目は「星の人」で遠い星の世界からやって来た種族で、世界中に居て「牛」や「魚」を尊崇していたはずだという。

 これは面白い。星座に牛や魚がありますね。また最後に滅ぼされたのが天香香背男(亦名天津甕星)で、彼らが来た頃は既に権力機構ができあがっており、青い目の人々にはあまりチャンスは残っていなかったと言えるのかも。

[6546] お気軽青草話  やさか 2012/09/29(Sat) 20:04 [Reply]
みなさん、こんばんは。久しぶりにこちらの「青草談話室」にも書き込みさせていただきます。
さて、昨今の日本は「やれ中国だ、韓国だ朝鮮だ」と、様々な権益がらみで近隣諸国にからまれている感があります。
そこで「日本人」とは何かについてですが、日本人は次の多くの民族の混血種だというのが今や定説と思います。
私はおおまかに次のように考えています。(以下は“お気軽青草話”としてお聞きください)

1.列島土人
2.中国・朝鮮半島よりの渡来人
3.その他の渡来人
以上の混血種ではないかと思うのです。
「列島土人」とは言うまでもなく、この日本列島に原始古代から住んでいた人々です。
「中国・朝鮮半島よりの渡来人」とは、中国系・新羅系・高句麗(渤海)系・百済系の渡来民族のことです。
「その他の渡来人」とは、その他の西域・印度・西欧諸国系、東南アジア系、南太平洋諸国系の人々をいいます。
私は、日本に昔から住み着いた人達のことを「物語り風に」次のように表現したことがあります。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
この日本列島には古代より五種の部族がいた。
一番初めからいたのが「熊」を先祖として崇める部族。
次に来たのが「狼」または犬を先祖として崇める部族でこれは中国北方から渡ってきた。
三番目は「太陽」を信仰し、蛇を守護神とする部族が南洋から来た。
四番目に来たのが「龍」を先祖と崇拝する部族で大陸から朝鮮半島を経由して渡来した。
五番目は「星の人」で遠い星の世界からやって来た種族で、世界中に居て「牛」や「魚」を尊崇していたはずだという。
そしてオオクニヌシはこの日本の先住部族の長(おさ)で、スサノオ系の渡来族とは違うと言うのである。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
同じ東洋人同士、いや、その他諸国の人々も何とか仲良くこの地球上で暮して行きたいものですね。

[6545] Re[6544]: 鉤・鍵  神奈備 2012/09/20(Thu) 09:33 [Reply]
> そこでの「鉤」は "契り" の意味もあるようですから、前方後円墳の起源とも関わるかもしれません。
> 「箸墓」は、橋渡し(対立の解消?)を実現した女王に相応しい名ではと思うんですけど、どうでしょうか。


 鉤(つりばり)を、向かい合わせて置けば、鍵穴のイメージ、即ち前方後円墳ということですね。
 狗奴国との和解を目指して形が出来たと考えると面白い。

[6544] 鉤・鍵  琉球松 2012/09/19(Wed) 13:10 [Reply]
 神奈備さん、「カギ」は海幸山幸にも登場しますね。
 活玉依比売など南島の鮫や、ゴホウラ貝輪起源の「有鉤銅釧・鍬型石」などとの関係も気になります。

 そこでの「鉤」は "契り" の意味もあるようですから、前方後円墳の起源とも関わるかもしれません。
 「箸墓」は、橋渡し(対立の解消?)を実現した女王に相応しい名ではと思うんですけど、どうでしょうか。

[6543] Re[6541]: 雨乞い  神奈備 2012/09/16(Sun) 11:43 [Reply]
> これは三輪山伝説の百襲姫と大物主の関係を連想しますね。

 『紀』に、百襲姫の伝承が語られています。ハシは柱・橋・端につながる境を示すもので、百襲姫は巫女として箸を立てて祈祷をすることがあったのでしょう。三輪山の神を祈るのにふさわしい祭祀です。

 『記』には、百襲姫は孝霊天皇の皇女として名前は出てきますが、物語は語られていません。大物主神にかかわる話としては、大田田根子誕生の件で、活玉依比売のもとに通う話があります。通ってくる神の正体を知る為に赤土を捲き、糸捲きの先を着物に刺します。大物主が帰った後を見ますと、糸は鍵穴を通り、美和山の神の社につながっていたと語られています。

 紀は箸墓古墳の名称の起源説話、記は美和山の名の起源説話ですが、記の鍵穴が面白いと思います。これは前方後円墳の形の起源説話にもなっているのです。紀と記とは違う話ではなく、一つのお話が別々の氏族に伝わり、変化した姿かも知れません。天皇家と三輪氏とか。


[6542] 尖閣諸島問題  琉球松 2012/09/15(Sat) 15:06 [Reply]
 神奈備さんへ

 ここでは相応しくない話題かな?と考えて、水を差したりしてるんですが、神奈備さんが欲するのであれば、遠慮なく進めてイイんじゃないでしょうか。

 日本神話や神社の縁起、あるいは琉球圏の神歌から、何か解決のヒントが見つかるかもしれませんし、倭人としての利点が生かせる場面もあるかもしれませんよ。

 「事代主神」のような賢者が日中双方に表れるとイイんですが。。。

[6541] Re[6540][6539][6538][6537][6536]: 雨乞い  琉球松 2012/09/13(Thu) 09:21 [Reply]
 神奈備さん、どうもどうもウフクンデール(ありがとうございます:喜界島方言)。

 スサノヲは、やっぱりヤンチャな弟なんですね。
 「梭でホトをつかれて落命」。。。これは三輪山伝説の百襲姫と大物主の関係を連想しますね。織女とスサノヲの関係は、開化と崇神の時代の断絶とも言えるでしょうか?

 ネイティブアメリカンの神話にも似たようなのがあるようで、これらは時代の画期を表現する凡人類的なプロトタイプの神話かもしれませんし、冬至に太陽が瀕死の状態となることと関係あるでしょうかね?

[6540] Re[6539][6538][6537][6536]: 雨乞い  神奈備 2012/09/12(Wed) 20:45 [Reply]
 『アマテラスの原像』吉田敦彦著 p71から

 アルカディオ地方に伝承されたデメテル神話の別伝によれば、この女神はある時ポセイドン神が彼女に欲情を燃やして後をつけているのに気付き、とっさに牝馬に変身して、付近にいた馬の群にまじり草を食んでいた所が、ポセイドンもすかさず牡馬になってデルメルを犯した。中略。ポセイドンの乱暴に怒った女神はこの後、黒衣に身を包みアルカディアのエライオン山中の洞穴に閉じこもって、大地から作物を育成させるのを止めてしまった。

 天照大神の居る機屋に馬を投げ込み、分身と見られる織女が梭でホトをつかれて落命(負傷)し、この暴行に怒り岩屋に隠れて世界を暗黒にしたお話とそっくりです。

 この天岩戸のお話に、水神を喜ばす目的は感じられません。稲作への妨害、太陽が隠れるまで追い込んだ所業に見えますが・・・・。

[6539] Re[6538][6537][6536]: 雨乞い  琉球松 2012/09/12(Wed) 09:35 [Reply]
 柳田国男は「河童は水神の零落した姿」と書いてますね。
 これは水神でもあった銅鐸の零落したモノとの解釈もできそうですが、馬もまた「天馬」などのように水神の龍にも例えられますね。

 スサノヲの行動は、水神を喜ばす行動との解釈もできるでしょうか? 河童は馬を引きずり込むようですね。
 この場合、その馬は雌のような気がしますがどうでしょうか。姉を怒らせたのもこの事が問題になったでしょうかね。『遠野物語』にもあるオシラサマと雄馬との関係からすると、機織りと蚕。。。馬と水神。。。何か共通性がありそうです。

[6537] Re[6536]: 雨乞い  神奈備 2012/09/04(Tue) 11:11 [Reply]
 馬の皮事件以前のスサノヲの行動は、畔を壊し、溝を埋め、と稲作への妨害行動に見えます。神御衣を織ることを祈雨の為と解釈しますと、御衣ではなく馬の皮を神に捧げなさいということで、おっしゃるような「手っ取り早く雨」というのではなく、猛烈な集中豪雨を呼んで、田畑に甚大な被害を与えようとする目論見に思えますがいかがでしょうか。

[6536] 雨乞い  琉球松 2012/09/03(Mon) 16:29 [Reply]
 神奈備さんの意見を伺いたいので、ちょっと質問です。

 姉をカンカンに怒らせたスサノヲの行動なんですが。。。織女(天照大神?)が機織りの最中に馬の皮をまき散らすってことは、スサノヲにとっても雨乞いだったんじゃないかと考えてみました。

 機織りも雨乞いのための、まあ上品なやり方だとすると、川の龍を刺激して手っ取り早く雨を乞うたのではないでしょうか?
 これが、あまりに強引だったために追放されてしまいますね。
 つまりは、スサノヲは姉のチンタラしたやり方に業を煮やした行動ではないかと。

[6535] Re[6534][6527][6526][6525]: 蘇民将来  神奈備 2012/09/03(Mon) 08:44 [Reply]
>  知り合いの金属加工業者に聞いたんですけど、水銀を舐めるなんてとんでもないとの事。

体温計に入っているような水銀は無機水銀ですから問題はなさそうです。

[6534] Re[6527][6526][6525]: 蘇民将来  琉球松 2012/09/02(Sun) 09:21 [Reply]
 知り合いの金属加工業者に聞いたんですけど、水銀を舐めるなんてとんでもないとの事。

 常習的にこれをやると死に至るようですね。水銀を好んだ始皇帝の気が知れない。

[6530] Re[6529]日の丸/君が代  神奈備 2012/08/24(Fri) 09:29 [Reply]
猛獣には猛獣をあてる

尖閣諸島の大正島、久場島は米軍の射撃爆撃演習場になっていますが、現在は殆ど使われていないようです。この際、問題の多いオスプレイの訓練や配備の基地に魚釣島を活用すれば、本土や沖縄本島の人々の墜落事故の心配もいらず、他国からの侵略も防げると思います。

[6529] Re日の丸/君が代  琉球松 2012/08/23(Thu) 12:09 [Reply]
 失礼しました。名前の表示欄をまちがえました。

[6528] 無題  日の丸/君が代 2012/08/23(Thu) 12:07 [Reply]
 日本の太陽信仰の起源は奄美沖縄にあると考えますが、「日の丸」の起源も琉球船に掲げられたのが始まりとの説がありますね。

 琉球圏の信仰からすると、これは国旗というより「ハレの旗」みたいな感じでしょうか。海人祭での船漕ぎ祭事(ハーレー)に掲げる旗も、以前は日本の国旗という認識は薄かったですよ。

以下は、「君が代/神が世」が表れる久米島の神歌『五月祭りのウムイ』の一節ですが、琉球圏で言う「君」は完璧に女性ですね。
*** んかしあたるごとに(昔あったように) きさしあたるごとに(きさしあったように)
    うしわかうえぬーる(ウシワカ親祝女) さとぬしが(里主が)
    やじゆくひち(やじゆくを引いて) もしちゆひち(真人を引いて)
    うりてうりなはて(降りて降り直して) うりてうりほこて(降りて降り誇って)
    いしだもとほくて(立派な座所を誇って) かなだむとほこて(金たもとを誇って)
    みーのときうがで(巳の時拝んで) うまのとぅちなうさ(午の時直そう)
    きみがゆのうぐぁん(君が代の御願い) かみがゆのうぐぁん(神の世の御願い)
    みまぶやいたぼり(見守って下さい) やしやいたぼり(養って下さい)
    んかへるゆぬうぐぁん(迎える世の御願い) わがまちりうぐぁん(我が祭りの御願い)***

[6527] Re[6526][6525]: 蘇民将来  神奈備 2012/08/13(Mon) 08:42 [Reply]
白地に赤く〜♪ は 太陽の象徴のようです。これは日本独特の色彩感覚で、欧州などでは黄色のようです。赤に黄が少し混ざった色の補色は青です。青空には日本の赤い太陽が似合うのでしょう。
 徳川幕府も日の丸が好きだったようで、それへ対抗するものとして、赤地の錦の御旗に、金色の太陽と銀色の月か刺繍されたものが考案されたようです。

 無機水銀は多分無味、有機水銀をなめるのは勇気がいりそうですね。

[6526] Re[6525]: 蘇民将来  琉球松 2012/08/12(Sun) 09:14 [Reply]
 赤は魔除けで、人を鼓舞する効果はありますね。
 まあ、凡人類的な感覚でしょうし、血の色なんでしょう。 琉球圏でも牛や豚の血を左縄につけて集落の入り口につり下げ、邪気を阻止します。「シマクサラシ」と呼んでいますね。

 「チ」には "聖なる" との意味があるでしょうから、天武派も幕末の「錦の御旗」もそうなんでしょう。

 また、血の赤が鉄分であることは、チョッと舐めるとわかりますよね。水銀も似た味がするものなんでしょうか?

[6525] 蘇民将来  神奈備 2012/08/11(Sat) 14:23 [Reply]
 「蘇民将来の子孫」の御札と茅輪を腰にぶら下げておけば疫病に罹らないとの伝承で、今日でも家に御札や茅輪を掲げたり、神社で大きい茅輪をくぐるお祭りがなされています。いわゆる祇園信仰や牛頭天王信仰の姿です。

 よく似た話としては、モーゼの出エジプト記にあるユダヤ人の長男皆殺しを避けるお話です。玄関口の二本の柱と鴨居に羊の血を塗っておけば、見逃してもらえると言うことでした。
 これは種痘の技術となって、牛痘が治った牛の血液を抽出し、その成分を人間に注射すれば、牛の免疫で人が罹らないと言う予防接種となって現在に生きています。

 茅輪のような考えが我が国に落ち込まれたのは、大陸・半島を経由してきたものでしょう。血の色=赤は魔除けとして建物にも塗られました。また牛の血をもって旗を染めて魔除けとしました。渡来人の子孫である桓武天皇から出た平家の旗となり、ユダヤ人のマルクスが提起した共産主義が赤旗を振るのも繋がっているのかもしれません。


[6522] Re[6519][6518][6517][6513]: 近江  琉球松 2012/07/25(Wed) 11:13 [Reply]
 以前に神奈備さんが、淡路島と琵琶湖の関係?を書いてましたね。

 「多賀」の本家は淡路だと考えますが、近江の地にあった胎児が淀川などを産道として、大阪湾に生まれ出たとも考えられますね。
 これは笑い話にする必要もなく、古代人の観念ではありうると思います。
 とすると、近江は子宮とも言えますから、川の上流から桃が流れて来るとの観念とも繋がりそうです。
 「モモ」は女性そのものでしょうから、イザナギが退散する場合でも有効だったわけで。。。これは沖縄の鬼退治の伝説からすると当然なわけです。

[6521] 古代を偲ぶ会 8月度  神奈備 2012/07/22(Sun) 10:18 [Reply]
講師とテーマの変更お知らせ

2012 8 18
今城塚古代歴史館 館長 森田 克行
鎌足と阿武山古墳

http://kamnavi.jp/link/sinobu.htm

[6520] Re[6519][6518][6517][6513]: 近江  ツ打三ツ個ウ 2012/07/17(Tue) 16:11 [Reply]
>  所で、百襲姫の兄弟が桃太郎、巻向遺跡から大量の桃の種、ここらはモモが多いようですね。

久しぶりに「桃太郎」のWikiを読み直してみました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%83%E5%A4%AA%E9%83%8E


[6519] Re[6518][6517][6513]: 近江  神奈備 2012/07/17(Tue) 08:19 [Reply]
>  母親は意富夜麻登玖邇阿礼比売命です。
>
 思いこみでしたが、結果オウライになってくれれば・・

 所で、百襲姫の兄弟が桃太郎、巻向遺跡から大量の桃の種、ここらはモモが多いようですね。

[6518] Re[6517][6513]: 近江  大三元 2012/07/16(Mon) 17:18 [Reply]
> 孝霊天皇は大倭根子日子賦斗邇命です。賦斗邇はフトニ、これは前の世代の懿徳天皇の妃の賦登麻和訶比売命の名前に近いように思います。
「斗」が甲類の「と」であるに対して「登」は乙類の「と」である、というのが私の(だけじゃないかも)悩みです。

>  さて、孝元天皇は大倭根子日子国玖流命で、国玖流は「国来る」ですから、国引きの神である八束水臣津野命(やつかみづおみつの のみこと)に相当するということですね。

孝安(大倭帯日子国押人命)の「帯」が「たらし」の初出、これを出雲系譜の遠津山岬多良斯神の「多良斯」と同一視することを試みました。http://www.dai3gen.net/izm_kssi.htm

>  母親は意富夜麻登玖邇阿礼比売命です。

古事記では国玖流は細比賣の子となってます。しかし仰るように国玖流は玖邇阿礼の子、モモソヒメは細比賣の子(古事記では玖邇阿礼の子)と考える方が整合性が高いように思えます(詳細はhttp://www.dai3gen.net/yamatoto.htm )

[6517] Re[6513]: 近江  神奈備 2012/07/16(Mon) 15:10 [Reply]
> 孝霊天皇と細比賣の間の皇子が「大日本根子彦国牽尊・大倭根子日子国玖琉命(おほやまとねこひこくにくる)」;これは国引きに因んで居るようで、ここらはナンカがありそうな世代ですね。

 昨年五月のウガネットで欠史八代の天皇達の世代を調べた結果を発表しました。
第3世代 安寧天皇
第3世代 懿徳天皇
第3世代 孝昭天皇
第3世代 孝安天皇

第4世代 孝霊天皇

第5世代 孝元天皇

詳しくは下記に。
http://kamnavi.jp/jm/ketusi8dai.htm

孝霊天皇は大倭根子日子賦斗邇命です。賦斗邇はフトニ、これは前の世代の懿徳天皇の妃の賦登麻和訶比売命の名前に近いように思います。

 さて、孝元天皇は大倭根子日子国玖流命で、国玖流は「国来る」ですから、国引きの神である八束水臣津野命(やつかみづおみつの のみこと)に相当するということですね。
 
 母親は意富夜麻登玖邇阿礼比売命です。その玖邇阿礼から国玖流が引き出されたといえそうです。国有れから不足分を国を引いてきて補うと二番目の作業と見えますね。

[6516] Re[6515][6514][6512][6511][6510][6509][6508]: 近江  琉球松 2012/07/16(Mon) 09:44 [Reply]
 大三元さん

  どこに(何に)到達するのか判らぬ海図無き航海。。。
 まさにそのとうり!。。。やっかいな謎に首を突っ込んでしまったものです(笑)。

[6515] Re[6514][6512][6511][6510][6509][6508]: 近江  大三元 2012/07/15(Sun) 13:39 [Reply]
琉球松さん

>  「根子(ネコ)」の表現なんですかど
直接的なお答えをする力はありません。私も色々考え巡らしています。

http://www.dai3gen.net/nenokuni.htm
http://www.dai3gen.net/amami.htm
http://www.dai3gen.net/amami2.htm
http://www.dai3gen.net/amami3.htm
http://www.dai3gen.net/amami4.htm

どこに(何に)到達するのか判らぬ海図無き航海・・・

[6514] Re[6512][6511][6510][6509][6508]: 近江  琉球松 2012/07/15(Sun) 10:53 [Reply]
神奈備さんへ

 「オオヤマトクニアレ姫」が、"国を出現させた(国生みの)姫" であるということと、『古事記』における淡路島の扱いは無関係ではないでしょうね。
 それと、"大倭と云う役職は単なる市場の監督(卸売り市場長)ではとどまらない地位" との考え方は重要だと思います。「オオ・オヲ」などは「大いなる」のような意味にもとれるんですが、原初的には海人を表し、海上交易集団だったんじゃないかと考えるわけです。
 彼らにとって、「倭国乱」の状態は非常に不都合な環境だったはずですから、孝霊の妃や娘を共立する事で打開しようとしたんじゃないでしょうか?

 大三元さんへ
 「根子(ネコ)」の表現なんですかど、「コ」は琉球古語の「キヨ・ク・コ」で人や神を表しているように思いますが、"根となるお方" と解釈できるでしょうか。
 「ワ(倭・和・輪・環)」の思想を継承してきた勢力によって、いったんは対立した「高皇産霊」と「神皇産霊」を統一に導く事業が、吉備における神武の成功の第一段階かも?

[6513] Re[6512][6511][6510][6509][6508]: 近江  大三元 2012/07/15(Sun) 10:00 [Reply]
>  孝霊天皇とされる人物と后の「オオヤマトクニアレ姫」は、イザナギ尊・イザナミ尊のモデルではなかろうかと思っていましたが、クニアレ姫について、記紀から判ることは、国を出現させた(国生みの)姫と云う名前を持っている重要な女神であることです。

孝霊天皇と細比賣の間の皇子が「大日本根子彦国牽尊・大倭根子日子国玖琉命(おほやまとねこひこくにくる)」;これは国引きに因んで居るようで、ここらはナンカがありそうな世代ですね。

[6512] Re[6511][6510][6509][6508]: 近江  神奈備 2012/07/14(Sat) 09:53 [Reply]
 孝霊天皇とされる人物と后の「オオヤマトクニアレ姫」は、イザナギ尊・イザナミ尊のモデルではなかろうかと思っていましたが、クニアレ姫について、記紀から判ることは、国を出現させた(国生みの)姫と云う名前を持っている重要な女神であることです。

 また、吉備津彦や百襲姫の母親だと云うことです。百襲姫→卑弥呼→天照大神と云う連想(好きではないのですが)が働くと、やはりイザナミにつながります。

 名前の大倭は吉備津彦や百襲姫の冠にもなっており、欠史八代の天皇名にも頻出しています。『倭人伝』に、市場の監督官の役職名として「大倭」が出てきますが、倭国における大倭と云う役職は単なる市場の監督(卸売り市場長)ではとどまらない地位を表しているように思います。大王だったのかも。


> 琉球圏の神歌のほとんどは、琉球国王はもちろん、太陽でさえ祈りの対象ではなく、北の "ヤマト" の平和を願うものばかりです。

 意外ですね。そのような歌だけが残されたということはどうなんでしょうね。

[6511] Re[6510][6509][6508]: 近江  琉球松 2012/07/13(Fri) 10:01 [Reply]
 近江でも淡路でも多賀に祀られているのは「イザナギ」ですから「高皇産霊神(高天原)」の系統ですね。
 「アマテラス」が後から持ち出される理由もそこにあると考えます。

 とすると、「アマミキヨ」に指令を出したのは、淡路出身の "母"「オオヤマトクニアレ姫」とは考えられないでしょうか? 彼女は「アメノミナカ主」とまではいかなくても「高皇産霊神」に比定できるように思えます。

 「高皇産霊」も「神皇産霊」も北方系でしょうから、牧歌的な奄美沖縄の南方系思想?を取り込むための運動かもしれません。
 琉球圏の神歌のほとんどは、琉球国王はもちろん、太陽でさえ祈りの対象ではなく、北の "ヤマト" の平和を願うものばかりです。

[6510] Re[6509][6508]: 近江  神奈備 2012/07/12(Thu) 13:48 [Reply]
 高句麗好太王の碑によれば西暦400年頃、倭は高句麗5万の兵士に敗北しています。倭政権は軍事と外交に失敗、政権交代に追い込まれ、河内王朝が誕生しました。
 ここから倭の五王が登場、王権の血統意識・世襲観念が強くなり、半島の勢力に拮抗するために、半島系の神である高皇産霊神を皇祖神として持ち込んだと考えています。
 北方系の神といえます。天武時代までは、皇祖神はこの神であって、天照大神は後ほど登場してきます。
 北方系の神が南方の奄美・沖縄の国造りに口を出すのは、いささか考えにくいところです。


[6509] Re[6508]: 近江  琉球松 2012/07/11(Wed) 15:53 [Reply]
 「タガ・タカ」と聞くと「高御産巣日神・高木神」を連想するんですが、何か関係あるでしょうか。
 地名としても、愛媛県の「高縄」とか??? 淡路など瀬戸内海はやはり神々しい感を持ちます。

 琉球圏の創成神「アマミキヨ」に "奄美沖縄を造れ!" と指令したのもこの神だとすると都合がイイんですよ。
 琉球方言での「タカ」は、現在でも、採録された古い神歌でも「志操高き(者)」のような意味ですね。

[6508] 近江  神奈備 2012/07/11(Wed) 09:36 [Reply]
 岩波文庫『日本書記』是以構幽宮於淡路之洲。寂然長隠者矣。
 岩波文庫『古事記』坐淡海之多賀也。

 淡路の一宮町の「多賀」地名について

 『地名辞書』によれば、「河合村・井谷村を合同して多賀村と云う。大字多賀には伊佐奈岐神社あり、当国の一宮にして、即国幣小社に列す。按に淡路の多賀の名は、古事記に載せられしを、後世之を淡海の多賀と混乱するは、路を海に誤れるに因る。」とあります。

 さらに、「淡路伊佐奈岐神社 多賀大明神といふ。 近江国多賀神社は日之少宮といふ。近江の多賀は古へ淡路の多賀伊佐奈岐神を移せるなるべし。淡路の多賀社を日少宮とはいはんこと宣なり。」とあります。

 「応永年間の古写の伊勢本には淡海を淡路に作るといふ。」とも。

延喜式神名帳
近江国 多何神社二座 とあるが、大社ではない。犬上氏の氏神か。
淡路国 淡路伊佐奈伎神社(名神大) とある。履中紀に出ている。允恭紀の神もそうだろう。

 吉田東伍さんの考え方は、淡路が本家で、近江に勧請されていったと云うことです。

 一方、『式内社調査報告』には、本家とは云わないが、諾册神を往古から祀っていたとの見解です。日少宮とは、ヒノワカミヤ、と読むのでしょうが、これは稚日女命とか、熊野王子のように思われ、諾册神に当てはめるのは無理があります。

 延喜式の頃は、『古事記』は一般には流布していなかったようで、それゆえに祭神は諾册神とは考えられていなかったのでしょう。それで小社扱いになっていると推測できます。

 新抄格勅符抄では、封戸は、近江 田鹿神 六戸 多何神社、淡路 津名神 十三戸 淡路国 淡路伊佐奈伎神社 となっており、多賀神社が単に犬上氏の祖神とすれば、封戸はやや多いようにも思われます。
 淡路の字名の多賀はいつ頃からあったのか、古いものとしても郡でも郷の名でもない多賀が『古事記伊勢本』に取り上げられるのが、疑問です。近江は郷名にあります。

 結論は急がずに、もっとよく考えたいものです。


[6507] Re[6506][6505][6504][6503][6502][6501][6500][6499]: 邪馬台国の位置〜投馬国  大三元 2012/07/10(Tue) 17:30 [Reply]

>  「投馬国」は、意味的にも難解ですけど、"不弥国と邪馬台国とを繋ぐ" 。

「投馬」:近江の「冨波」(とば)なんかどうすかね。大岩山古墳群、銅鐸、、、
「不弥」:「近江」あふみ の 「ふみ」部分
「邪馬台」:日野川沿いの「山面」が「やまて、やまで」などの訛?
「卑弥呼」:「日・水・峯」と解した場合の「日野川」、、、峯は???
      「鏡山」「日(か)が(の)水(み)尾(峯、を)」とか。

夏の昼の夢、でした。

[6506] Re[6505][6504][6503][6502][6501][6500][6499]: 邪馬台国の位置〜投馬国  琉球松 2012/07/07(Sat) 23:50 [Reply]
 大三元さん

 "縄文(女系重視)・弥生(男系重視)" は傾向として言えると考えます。
 まあ、縄文だの弥生だのと呼んでいるのも現代人の都合ではあるんですが、少なくとも稲作農耕の発展には "男系重視" のほうが有利でしょうね。集団的な戦争もしかりでしょうか。

 「投馬国」は、意味的にも難解ですけど、"不弥国と邪馬台国とを繋ぐ" 。あるいは "不弥国と邪馬台国のクロス地域" なんてどうでしょう? 官の「ミミ」は縁結び役と考えることも可能ですしね。「ハシ(箸・橋・間・中)」みたいな。。。

[6505] Re[6504][6503][6502][6501][6500][6499]: 邪馬台国の位置〜投馬国  大三元 2012/07/07(Sat) 17:05 [Reply]
琉球松さん

>  豊玉姫や玉依姫もワニですから、北方系と南方系の。。。言い換えれば縄文(女系重視)と弥生(男系重視)の融合でしょうか。

縄文が女系重視、弥生が男系重視、と前提的には理解しておりません。
縄文が北方系、弥生が南方系(または逆)、と前提的に理解しておりません。
そのようの措定できるのでしょうか。。。

>  大三元は「倭人伝」の「投馬国」を、だいたいどのあたりに置いているでしょうか。

魏志倭人伝 南至投馬国、水行20日、官曰彌彌、副曰彌彌那利(ミミナリ)
景行12年紀 唯有残賊者 一曰鼻垂・・・二曰耳垂
肥前風土記 第一嶋名小近 土蜘蛛 大耳居之 第二嶋大近 土蜘蛛 垂耳居之

が重要なヒントであろうかと思っていますが
http://www.dai3gen.net/mimitari.htm
を発表して以来たいした進展がありません。

[6504] Re[6503][6502][6501][6500][6499]: 邪馬台国の位置〜投馬国  琉球松 2012/07/07(Sat) 15:21 [Reply]
 大三元さん、どうもです。

 北方のシャチですか。クジラや鮫との解釈も可能なわけですね。
 豊玉姫や玉依姫もワニですから、北方系と南方系の。。。言い換えれば縄文(女系重視)と弥生(男系重視)の融合でしょうか。
 高御産巣日と神産巣日が統一される過程でもあるかもしれませんね?
 「一寸法師」の船?も、赤椀だたり黒椀だったりで、これは奄美沖縄の神歌に頻繁に出てきます。

 大三元は「倭人伝」の「投馬国」を、だいたいどのあたりに置いているでしょうか。神奈備さんの意見とかを参考にすると、当時の中国人達は中国地方の出雲側と瀬戸内海側を一括して理解していたのではとも思えます。

[6503] Re[6502][6501][6500][6499]: 邪馬台国の位置〜投馬国  大三元 2012/07/07(Sat) 10:43 [Reply]
琉球松さん

>  「浦島子」にも登場する亀も、もともとは別物だった可能性がありますが、何なんでしょうかね。

これに関して私は「北方神話」に注目しています。
http://www.dai3gen.net/shachi.htm
に掲げたように、浦島の話も北方神話に沿って考えると乗り物はシャチで、10日ほどが3年に相当する、という類似を見ることが出来ます。

[6502] Re[6501][6500][6499]: 邪馬台国の位置〜投馬国  琉球松 2012/07/02(Mon) 09:55 [Reply]
 楯築神社の御神体とする「亀石」は、どうなんでしょうか。
 どう見ても爬虫類の海亀とは思えないですし、その甲羅さえ連想できません。

 「浦島子」にも登場する亀も、もともとは別物だった可能性がありますが、何なんでしょうかね。
 たんに、南から来る船というこのなのか、「瓶」なのか?
 兵庫県の遺跡からは、瓶に詰められた沖縄の「ゴホウラ貝輪」が出ていますね。

 それが魔除けであるとの解釈は同感です。
 我が家の玄関にもスイジ貝を吊るして魔除けとしていますよ。この風習は、かつては和歌山県などにもあったようですけど、瀬戸内海沿岸には残っているでしょうか。。。
 本土側の旧暦12月8日や2月8日の風習「事八日(コトヨウカ)」で鬼を威嚇するための「目籠」のような効果があります。

 しかしこの亀石。。。よく見ると前方後円墳に似た模様が見えますよ〜。

[6501] Re[6500][6499]: 邪馬台国の位置〜投馬国  神奈備 2012/07/01(Sun) 10:48 [Reply]
> *** 桃太郎の「桃の実物」が存在することに気付いている人はあまりいないのではないか。弧帯文石(弧帯石)とか亀石などと呼ばれている楯築遺跡にある遺物がそれです。

 弧帯文も魔よけと言われています。桃のイメージでしたか。見かけは巻き貝ですね。形が桃は 「俺のとは違うなー。」ですが、それでも示唆的です。

 桃の国の桃太郎、百襲姫、箸墓、巻向から出土した桃の種。

 楯築遺跡の時期については、2世紀の前後と巾があるようです。できた時代の最大の墳丘墓、その頃の歴史に残る権力者は倭国王帥升、卑弥呼はその血脈の末裔とは、岡山大の松木先生のオシャベリにありました。

 楯築遺跡につづいて、3世紀半ばの墳丘墓は鯉喰神社遺跡です。今は立ち石は残っていませんが、周辺までを墓域とすれば、径百余歩、卑弥呼の墓のサイズ。何故卑弥呼が吉備に葬られたのか、それは吉備の生まれだからだと思います。

 邪馬台国を畿内に、狗奴国を東海に想定しますと、吉備と狗奴国とは、鯨面土器の分布では同族を思わせるように似ています。畿内が挟み撃ちになりかねないので、吉備の巫女を和国の女王に迎えたのではと思っています。

http://kamnavi.jp/log/ugakibi2.jpg

 この鯨面模様もまた弧帯文的な所があるように見えます。隼人を経由した南方の影響が感じられる所です。


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