時のお話

1.時を感じる
 巡り繰り返す時間 年々歳々花相似たり
 万葉集巻第十 二一七七 春は萌え夏は緑に紅のまだらに見ゆる秋の山かも

 流れゆく時間 歳々年々人同じからず
 ゆく河の流れは絶えずして、しかももとに水にあらず

 時を越える
 田島守が探しに行った非時香実(ときじくのかぐのこのみ)=橘(季節を越えて実る)
 代々 黄色の実が春になると青くなる。代々長生きをする。
 山部宿禰赤人が不盡山(ふじのやま)を望(み)てよめる歌一首、また短歌
 巻第三 三一七 天地の 分かれし時ゆ 神さびて 高く貴き 駿河なる 富士の高嶺(たかね)を 天の原 振り放け見れば 渡る日の 影も隠ろひ 照る月の 光も見えず 白雲も い行きはばかり 時じくそ 雪は降りける 語り継ぎ 言ひ継ぎゆかむ 不盡の高嶺は

 時を遙かに越える
 雄略天皇の時代に引田部赤猪子や浦嶋子のお話があります。

2.豊受大神は浦島子と共に丹後と摂津を結ぶ。豊受大神は浦島子を竜宮に連れていった。
 『豊後国風土記逸文』
 豊後の国の球珠の郡に広い野のあるところに大分の人が家を作り田を作って住んでいた。家が富み楽しい生活を送っていた。酒を飲んであそんだが、ふと弓を手に入れた。弓を射ようとしたが的がなかったのだろうが、餅を的にして射た。その餅は白い鳥となって飛んでいってしまった。その後、家は衰えて、やがて行方知れずになってしまった。

 この国の風土記の冒頭にも白い鳥が飛んできて餅になる話が記載されている。天女が白鳥に化して穀物の神となっているようだ。豊国の保食神であり、豊受神と称された。この白い鳥の天女は今度は丹後に舞い降りる。『天皇家と卑弥呼の系図』澤田洋太郎著)に、豊国と丹後の地名一致が指摘されており、豊国の海部氏が丹後に移動したと云う説をだされている。豊国と丹後を火明命の三世孫の椎根津彦船木氏がつないでいる。

 『丹後国風土記逸文』
 比治の里の比治山の頂上に真奈井という井戸があり、ここに天女が八人が降りてきて水浴びをしていた。その時、和奈佐老夫・和奈佐老婦という老夫婦が、ひとりの天女の衣を隠してしまった。このため、天女は天に帰ることができなくなり、やむを得ずこの夫婦の娘になった。
 この娘は酒を造るのが上手で、その酒は高く売れ老夫婦は金持ちになった。すると老夫婦は娘がもう邪魔になってしまい、追い出してしまった。
 娘は悲しんでその村を去り、やがて船木の奈具の村に至り、そこで暮らすようになった。この娘が豊宇賀能売命である。
 丹後国加佐郡 式内社 奈具神社「豐宇賀能賣命」玄松子

 奈具岡遺跡から水晶の工房跡が出土している。水晶玉はレンズとなり、日から火をとった。日神の後裔に火明命がいるのも頷ける。船木氏、日置氏や日下首の得意技だったのかも。
 奈具岡遺跡

 丹後の籠神社は海部氏の齋祀る一宮であり、その奥宮は真奈井神社と云い、祭神は豊受大神である。『豊受大神宮御鎮座本記』には、「崇神三十九年に天照大神を丹後の吉佐の宮に遷した。」とあり、また「高天原から豊受大神も降りてきて天照大神と一緒に吉佐の宮にいた。」と出ている。海部氏の勢力が天皇家に近い存在である事が偲ばれる説話である。

 『摂津国風土記逸文』
 昔、止与宇可乃売神は山の中にいて飯を盛った。それによって名とした。
 またいう、−昔、豊宇可乃売神はいつも稲倉山にいて、この山を台所にしていた。のちにわけがあって、やむをえず、ついに丹波の国の比遅の麻奈韋に遷られた。
 稲倉山の候補地
  摂津国河辺郡 式内社賣布神社の裏山 中山寺の奥宮が鎮座

  飯盛山 生駒山北部、泉南の紀伊との境。生駒山北部であれば住吉大社との関係があるかも。
  泉佐野市の関空の反対側の山中に稲倉池がある。

 『住吉大社神代記』
  姫神宮。御名。氣「息帶」長足姫皇后宮、奉齋祀神主。津守宿禰氏人者。元手搓「見」足尼後。
  膽駒神南備山本記 四至 東限膽駒川。龍田公田。 南限賀志支利坂。山門川。白木坂。江比墓。西限母木里公田。 鳥坂至。 北限饒速日山。
 摂津の国にいた豊宇可乃売神は稲倉山にいたとあるが、摂津のどこかの社で祀られていたのではないか。丹後では船木の奈具に祀られている。摂津と丹後の共通要素に船木が考えられる。『住吉大社神代記』に「船木等本記」の記載がある。日神を出す氏族として尊ばれている。天手力雄神を遠祖とし、住吉大社創建の頃には重要な役割を果たしていたのであろうが、その後の大社の歴史には登場していないようだ。船木氏は大社の祭祀について津守氏との主導権あらそいに破れたのかもしれない。
 後にわけがあって、やむをえず、ついに丹波の国の比遅の麻奈韋に遷さされたのは船木氏であり、船木氏が豊宇可乃売神を奉じて遷ったのであろう。穀物の神であれば本来は、日神・水神・竈神・酒神でもあった。元始の神である。
 日神を出すとはどういうことか? 天岩屋から天照大神を引っぱり出す、これは実に判りやすい。それだけでは単なる力持ちのこと、そうではなく、日神を舟に乗せて天空を西へ、また沈んだ日神を東から昇らせる役割もあろう。金星は明けの明星の場合、太陽より先に昇ってくる。それに続いて日が昇る。また宵の明星の場合には太陽が沈んだ後も輝き続ける。まさに太陽の運行を司っているのが金星とされた。金星が豊受大神と見なされていたのであろう。金星は日神、月神の御祖ともされ、豊受大神が見なされた始原の神に相応しい。
 丹後の海部氏は豊宇可乃売神を奧宮で祀っている。津守氏も同族であり、豊宇可乃売神を祀っていたのだろうが、王権から住吉大神と姫神としては神功皇后を祀るべく強制された段階で、豊宇可乃売神とは袂を分かったのではなかろうか。
 神功皇后の母方の祖は天日槍命であるが、父方の祖は日子坐王である。従って共に日下首の祖である浦嶋子とも言える。住吉大神は塩筒老翁でもあり、筒川の浦嶋子でもある。浦嶋子は住吉の地で姫神である豊受大神を祭っていたのだが、これが神功皇后に置き換わったということ。

 『大神宮諸雑事記』
  雄略天皇二十一年、天照大神の要請で丹後国与謝郡真井原の豊受大神を伊勢国に遷した。

 『丹後国一宮深秘』
  雄略天皇二十三年、豊受大明神を伊勢国山田原に迎えた。
 伊勢では外宮先祭と云われており、地主神として外宮が先に鎮座しており、後に滝原宮から内宮へ天照大神が遷座して来たのかも知れない。
 外宮の度合氏は天村雲命の後裔を名乗っており、丹後の籠神社奥宮の豊受大神と同じ神とする伝承は古いものがあったと言える。
 古代、先ず祀る神とは食物の神であったろう。これは伊勢に限らず、丹後でも摂津でも同じこと。

3.雄略天皇と時間の不思議
 『古事記』雄略天皇と引田部の赤猪子
 大和川で赤猪子と言う童女を見初めた雄略天皇はそのうちに迎えるから 嫁に行くなと言ったきり、忘れており、童女は80になりました。婚せんとも、すっかり老女となった赤猪子を悼み、歌を与えました。
 引田の 若栗栖原若くへに 率寝てましものよ どう見ても雄略天皇は若いようだ。赤猪子だけが歳をとるか。

『日本書紀』巻十四雄略天皇二二年(戊午四七八)七月
 秋七月。丹波國餘社郡の管川の人、水江浦嶋子が舟に乘って釣りをしていた。そして大龜を得た。それがたちまち女となった。浦嶋子は感動して妻とした。二人は一緒に海中にはいり、蓬莱山に至って、仙境を見て回った。この話は別の巻にある。
 ここでは戻ってきたとは記していない。また亀からなった女はただの女。別の巻とは風土記か? 

『万葉集巻九 一七四〇』
 水江(みづのえ)の浦島の子を詠める歌一首、また短歌
 春の日の 霞める時に 住吉(すみのえ)の 岸に出で居て 釣舟の たゆたふ見れば 古の ことそ思ほゆる 水江の 浦島の子が 堅魚(かつを)釣り 鯛(たひ)釣りほこり 七日まで 家にも来ずて 海界(うなさか)を 過ぎて榜ぎゆくに 海若(わたつみ)の 神の娘子に たまさかに い榜ぎ向ひ 相かたらひ 言(こと)成りしかば かき結び 常世に至り 海若の 神の宮の 内の重(へ)の 妙なる殿に たづさはり 二人入り居て 老いもせず 死にもせずして 永世(とこしへ)に ありけるものを 世の中の 愚(かたくな)人の 我妹子に 告(の)りて語らく 暫(しま)しくは 家に帰りて 父母に 事も告らひ 明日のごと 吾(あれ)は来なむと 言ひければ 妹が言へらく 常世辺に また帰り来て 今のごと 逢はむとならば この篋(くしげ) 開くなゆめと そこらくに 堅めし言を 住吉に 帰り来たりて 家見れど 家も見かねて 里見れど 里も見かねて あやしみと そこに思はく 家よ出て 三年(みとせ)の間(ほど)に 垣もなく 家失せめやも この筥(はこ)を 開きて見てば もとのごと 家はあらむと 玉篋 少し開くに 白雲の 箱より出でて 常世辺に たなびきぬれば 立ち走(わし)り 叫び袖振り こいまろび 足ずりしつつ たちまちに 心消(け)失せぬ 若かりし 肌も皺みぬ 黒かりし 髪も白けぬ ゆりゆりは 息さへ絶えて のち遂に 命死にける 水江の 浦島の子が 家ところ見ゆ
 住吉の岸から船出をしている。これは摂津なのか、丹後なのか。
 万葉集の歌では亀は登場せず、直接に海若の神の娘子と結ばれた。帰って来て玉篋を開けてたちまちの内に死んでしまった。

 『 丹後国風土記逸文』http://www.ne.jp/asahi/tokyo/tanken/newpage156.htm からコピー
 丹後の国の風土記に曰はく
 与謝の郡、日置の里。この里に筒川の村あり。ここの人夫、日下部首等が先祖は、名を筒川の嶼子と云いき。人となり姿容秀美しく、風流なること類なかりき。こはいはゆる水江の浦の嶼子といふ者なり。こは旧の宰伊預部の馬養の連が記せるに相嶼くことなし。
 故、略そ所田之旨を陳べむ。長谷の朝倉の宮に天の下知ろしめしし天皇御世、嶼子独り小船に乗りて、海中に汎び出て、釣すること三日三夜を経て、一の魚だに得ず。乃ち五色の亀を得たり。心に奇異と思ひて舟の中に置きて、やがて寝ねつるに、忽ちに婦人となりぬ。その容美麗しく、また比ふべきものなし。

 嶼子問いけらく、「人宅はるかにして、海庭に人なし。なにびとの忽ちに来たれるぞ」と云へば、女娘微笑みてこたえけらく、「風流之土、独り蒼海に汎べり。近しく談らはむとするこころにたえず、風雲のむた来つる」といひき。嶼子、また問ひけらく、「いづくよりか来つる」といひければ、女娘答へけらく、「天上仙家の人なり。請うらくは君な疑ひそ。相談ひて愛み給へ」といひき。

 ここに嶼子、神女なるを知りて、慎み懼ぢて心に疑ひき。女娘語ひしく、「賤妾が意は、天地と畢へ、日月と極まらむとおもふを、ただ君いかにかする。早けく許不の意を先らむ」といひき。嶼子答えけらく、「さらに言ふところなし。何ぞ懈らむや」といひき。女娘、「君、棹を廻らして蓬山に赴かさね」といふ。

 嶼子従きて往かむとしければ、女娘、教えて目をねむらしむ。すなわち不意間に、海中の博大き嶋に至りき。その地は玉を敷けるが如く、闕台はきらきらしく、楼堂は玲瓏きて、目にみざりし所、耳に聞かざりし所なり。手を携へて徐に行きて、一つの大きなる宅の門に到りき。女娘、「君、しばし此処に立ちませ」といひて、門を開きて内に入りき。すなわち七たりの竪子来て、相語らひて、「是は亀比売の夫なり」といひき。亦八たりの竪子来たりて、相語らひけらく、「是は亀比売の夫なり」といひき。

 ここに女娘が名は亀比売なることを知りき、すなわち女娘いで来たりしとき、嶼子、竪子等が事を語るに女娘の曰ひけらく、「その七たりの竪子は昂星なり。その八たりの竪子は畢星なり。君、な怪しみそ」といひて、すなわち前立ちて引導き、内に進みいりき。女娘が父母、共に相迎え、揖みて坐を定めき。

 ここに人間と仙郡との別を称訳き、人と神と偶に会へる嘉びを談議る。すなわち百品の芳しき味を薦め、兄弟姉妹等は、坏をあげて戲酬し、隣の里の幼女等も紅の顔して戯れ接る。仙歌寥亮に、神嶼舞もこよかにして、その歓宴をなすこと、人間に万倍れり。ここに日の暮るることを知らず、ただ黄昏の時、群仙侶等、漸々に退り散け、すなわち女娘独り留まりき。肩をならべ、袖をまじへ、夫婦之理をなしき。

 時に嶼子、旧俗を忘れて仙郡に遊ぶことすでに三歳になりぬ。忽ちに土を懐う心を起し、独り二親を恋ふ。かれ吟哀繁く発り、嗟歎日に益しき。女娘、問ひけらく、「此来君夫が顔を見るに、常の時に異なれり。願はくは其の志を聞かむ」といへば、嶼子こたへけらく、「古への人言へらくは、小人は土を懐ひ、死せる狐は丘を首にすと。

 僕、虚談なりとおもへりしに、今これまことにしかなり」といひき。女娘、問ひけらく、「君、帰らむとおもほすや」といへれば、嶼子こたえけらく、「僕、近く親故之俗を離れて、遠く神仙之堺に入り、恋ひ眷ぶにたへず。すなわち軽しき慮をのべつ。願くは、暫し本俗に還りて、二親を拝み奉つらむことを」といひき。

 女娘、涙を拭ひて歎きていひけらく、「意は金石に等しく、共に万歳を期りしに、何ぞ郷里を着ひて、一時に棄て遺るる。」といひて、すなわち、相携さへて徘徊り、相談ひて慟き哀しみき。ついに袂をひるがへして退り去りて、岐路につきき。ここに女娘の父母と親族と、ただ別を悲しみて送りき。女娘、玉匣を取りて嶼子に授けていひしく、「君、終に賤妾を遺れずして、眷尋ねむとならば、堅く匣を握りて、慎、な開き見たまひそ」といひき。すなわち相分かれて舟に乗り、よりて教えて目を眠らしめき。忽ちに本土筒川の郷に到りき。すなわち、村邑を眺むるに、人と物と遷ひ易り、さらに由る所なかりき。

 ここに郷人に問ひしく、「水江の浦の嶼子が家の人は、今、いずくにあるか」と問ふに、郷人こたへらく、「君はいずこの人なれば、旧遠の人を問ふぞ。吾が聞きつらしくは、古老等の相伝へていへらく、先の世に水江の浦の嶼子といふものありき。独り蒼海に遊びてまた還りこず。今にして三百余歳をへつといへり。

 何ぞ忽にこれを問へる」といひき。すなわち棄てし心をふくみて郷里を廻りしかども、一の親しきものにも会はず、はやく旬月をすごしき。すなわち玉くしげを撫でて神女をしたひき。ここに嶼子、前の日の期を忘れて、忽ちに玉くしげを開きつ。たちまちの間に芳しき蘭のごとき体、風雲にしたがひて、蒼天に翩飛き。嶼子、すなわち、期要にそむきて、還りてもまた会い難きことを知り、首を廻らして佇み、涙に咽びて徘徊りき。ここに、涙を拭ひて歌ひしく、

 常世べに 雲たちわたる 水の江の 浦嶋の子が 言持ちわたる 

 神女、遙に芳音を飛ばして歌ひしく、
 大和辺に 風吹き上げて 雲放れ 退き居りともよ 吾を忘らすな 

 嶼子、更、恋望に勝へずして歌ひしく、
 子らに恋ひ 朝戸を開き 吾が居れば 常世の浜の 波の音聞こゆ 

 後時の人追い加へて歌ひらけく、
 水の江の 浦嶋の子が 玉くしげ 開けずありせば またも会はましを 常世べに 雲立ちわたる たゆまくも はつかまと 我ぞ悲しき

 浦嶼子は五色の亀を獲って船に置いた。亀は娘に変わり、天上仙家に誘いました。
 楼殿に着くと昴星(すばる)と畢星(あめふり)が出ていき、交代して入りました。
 3年楽しい時を過ごした嶼子は玉匣を貰って郷里に帰りました。300年経っていました。

 筒川の浦嶼子を日下部首等が先祖としている。
  筒川 筒は星だから銀河を表すか。星の世界を旅したとの形容ととれる。
  日下部首 『姓氏録』開化天皇の皇子の日子坐王 『古事記』崇神天皇により丹波に派遣された。浦嶼子はただの漁夫ではなく、丹波の支配者の一族。

 五色の亀を得た。たちまち美しい女となった。神女。亀比売と云う。
  五行説では宇宙の五元素 木・青  火・赤  土・黄  金・白  水・黒
 神仙思想の不老不死と云う観念で書かれたが、神女との約束を破って霊験が吹っ飛んだと云うことだったかも知れない。だいたい男は女との約束を破っているのはイザナギの命も同様。この話も寿命に関わる。
 

 ここからのお話は『神話の痕跡』豊田有恒著)、大和岩雄『日本の神々 住吉大社』のアイデアをヒントにしている。
  亀は空飛ぶ円盤をイメージできる。

 七たりの竪子、八たりの竪子は星の名前が冠。天上仙家も星。
  七たりの竪子 昴星(すばる) 120個の星からなるプレアデス星団 牡牛座の肩
  八たりの竪子 畢星(あめふり)アルデバラン 牡牛座の顔 ギリシャ神話では雨を降らす女
  天上仙家 100個の星のヒアデス星団 牡牛座の顔

 冬の大三角   HP 冬の大三角

 浦嶋子は300年以上経過して帰国している。本人は3年程度留守をしていたとの認識。ここに相対性理論が登場しないと説明できない現象である。『水鏡』(12世紀末)、『帝王編年記』(14世紀後半)などの書物には、347〜8年後に帰って来たとしている。淳和天皇の二〜三年である。その頃の歴史は『続日本紀』に詳しいが浦嶋子の記事は見えない。中世の知識人も興味をそそられての、遊びのようだ。

 神奈備流相対性理論の怪説
 光のスピード(約30万km/1秒)で走ると年をとらない。
 
 生まれたての赤児の姿は光にのって宇宙を進む。先端の姿はいつも生まれたての赤児であって変わらないのだ。まるで写真のごとし。
 一光年後には一年後の幼児の姿、数拾光年後にはおっさんの顔が飛んでくる。

 月を往復すると2秒長生きする。
 月から地球へは光で約1秒かかる。我々は1秒後の月を見ている。人が月へ行くと0秒後の月を見る。ここで1秒得をした。月からは1秒後の地球を見ている。地球に戻ると0秒後の地球を見る。即ち往復2秒得をする。

 光のスピードcの99.995%のスピードvで走ると、走っている人の時間の経過は地上の百分の一となる。
 ローレンツの時間の収縮の式 収縮率=√(1−v**2/c**2) **は二乗
 宇宙旅行をしていた浦嶋子は3年のつもりだったが、地上では300年経過していた。

 重力は加速度である。従って空から落ちてくる物は徐々にスピードをあげてくる。もっとも地球の場合には空気があるので、空気抵抗を受けてスピードに限界がある。雨がそうだ。所が真空中ではその抵抗がないので、重力を受け続ければ速度はどんどんあがる。
 速度=加速度×時間  時間=速度÷加速度
 速度を光速とする。300,000,000m/秒
 加速度を重力とする。 9.8m/秒/秒
 これから光速に達する時間 300,000,000m/秒÷9.8m/秒/秒=354日
 約1年で光速に達する。この間には0.5光年走ることになる。次の1年は1光年。走っている物は時間が経過しない。

 天上仙家ヒアデス星団までの距離は130光年程度、300年もあれば十分往復できる。

 浦嶋子は宇宙旅行をして来たのだ。天上仙家には昴星や畢星からの宇宙人も来ていた。

 昴星と畢星とは牡牛座の肩と顔である。牡牛座の次ぎに東の空に昇ってくるのはオリオン座である。例の高松塚古墳の天井に描かれていた星宿図でも西方七宿に昴、畢に続いて参(からすき 韓鋤)となっている。オリオン座の三ツ星である。オリオン座の三ツ星は赤道上にあり、真東から昇り、真西に沈む。昇る時は三ツ星は縦になり、沈む時は横になる。
 参照 オリオン座の動き

 牡牛座を押し上げてオリオン座が昇ってくる。
 星宿図の西方七宿には金星が対応するのが大陸の天文学である。

 『備前国風土記逸文』に興味深い一文がある。「神功皇后が備前の国の海上を航海している時、大きな牛がいて船をひっくり返そうとした。その時、住吉明神が現れて牛を転がした。牛転が訛って牛窓になった。」
 岡山の牛窓は住吉大社の真西であるのは興味深いことだが、牛を退かすのが住吉明神であるのは、オリオン座の三ツ星こそ住吉三神であることを示している。筒は星、実に素直な理解である。
住吉大社境内社 星宮の説明

 住吉大神は星神と理解できそうな文言だ!!
 筒川の浦嶋子も天上仙家から昴星と畢星とを追い出して亀比売の夫に治まった。まさに住吉の神であり、筒の男である。

 浦嶋子のような伝説は世界にも珍しいのだろうが、白鳥処女伝説はヨーロッパにも分布している。また畢星をあめふらしとするのはギリシャと同じであり、牡牛座をオリオンが退治するのも共通である。奈良時代と云えば大仏も造られ、唐やより西の国々からの来訪者も多く、色んな話が伝わって来たのであろう。それが豊かな伝承を生んだ。

 参考 『神話の痕跡』豊田有恒 『神話の考古学』大和岩雄 『浦島伝説に見る古代日本人の信仰』増田早苗 『日本の神々3』(住吉大社 大和岩雄)

神奈備にようこそ