神奈備掲示板の平成十三年一月ログ


掲示板のログ(平成十三年一月)お名前の敬称は略させて頂きます。
更新 H13/1.31    過去ログへ


あかがね Re[576]: 無題 H13.1.31

> > 誉田別(ホンダワケ)と誉田は、当然違うはずで、

誉田というのは地名ですよね。今ではコンダ。河内出身なので懐かしいです。
地名は氏になっても名にはならないというような話も聞いたことがあったような気がしますが、王族に関してはゆかりの深い地名を名前にかぶせたりするみたいですね。

記に「品陀の日の御子(以下略。というか忘却。)」というような歌もありましたし、「別」がなくても特に問題ないのかもしれません。
それとも景行天皇の王子「ホンダマワカ」王とか。(応神天皇の舅。)


576 setoh  H13.1.30

> 誉田別(ホンダワケ)と誉田は、当然違うはずで、
所が神社庁では誉田大神を応神天皇と同一視しています。

HP八幡古表神社、若干改訂しました。
石坂姫大神と言う神がわかりませんね。


玄松子 Hp Re[574]: 黒く小さく強い神  H13.1.29

> うろ覚えで恐縮ですが、宇佐神宮の摂社のどれかに人形を20体程置いていて、相撲を取らせる行事があるそうです。
八幡古表神社ですね。たしか、神奈備サイトにも掲載されていたような。

> その人形の中で一番強いのが、色が黒かったと思います。
たしか、勝つのは住吉だったと思います。


習志野の てつ 黒く小さく強い神 H13.1.30

うろ覚えで恐縮ですが、宇佐神宮の摂社のどれかに人形を20体程置いていて、相撲を取らせる行事があるそうです。その人形の中で一番強いのが、色が黒かったと思います。必ず決められた二組に分かれ対戦相手、勝ち負けも全て決まっていて、最後に勝ち抜くのが、一番小さいまっ黒い人形だったと思います。それぞれの人形は、有名な神様の名前が付けられていたはずです。
私の関心事は、その中に名付けられていた誉田大神(ホンダのオオカミ?)と云う名前でした。誉田別(ホンダワケ)と誉田は、当然違うはずで、応神天皇以外に、誉田(ホンダ)さんと言う名の神様がいた。
以下勝手解釈
(お父さんは、いわれている仲哀さんではなく、誉田さんだ。お父さんといわれて、哀しい仲さん!)


焼尻紋次郎 Hp くろい花びら 静かに散った H13.1.30

ミクマリ泊瀬女ちゃんアマカネ。 おゲレツでも「気高さ志向」いっぱいの紋チャンカネ アマカネ 
そもそも なにかを隠蔽するっちゅうのはいかんねぇ。思考に乞食三日の偏執が出るよ。全方位的でねぇ〜〜イヨッ。いやさ、サラセッセが消さねぇとこみりゃ、あれで合格だわさ。
ガラにもなく数式使うた……ら、まちがえた。おしまいの“ 」”が二つ左にくる必要これあった。(m・t・t )a・biは股旅ざんす。(ト・チ・カ)ン はトンチンカンあるネ。
餌袋やられなすったけぇ。そいつァいけねぇ。メシィくう前にジャガ芋食べなされ。3回続けるとケロなおるよ。

あっしの持っている基礎ネパール語事典(天理教・海外伝道部刊)には、 
『 khola , kholo =川、小川。 kulo =小川、細い水のながれ 』と出ています。いちど、ネパールの青年から発音を聞いたことがありますが、khola はコラではなく「コーラ」と聞こえました。このことに就いては けふのYou-I 掲示板にて。

兼ねてから取っ組んでいた「日本古代固有名詞 に散文調解説をそえた一覧表」がけふ仕上がる予定です。希望者に E メール流しますので、お申し込みあれ。そのうち、「ほっつきある記」にも掲出の予定。

 気高くもおゲレツな言語小屋 ; http://ucgi.kamnavi.net/cgi-bin/youibbs.cgi


玄松子 Hp Re[570]: 色の黒いのは災難を克服する  H13.1.29

>  宇佐神宮の摂社に黒男神社があり、建内宿禰命を祭神としています。
面白いことに気づきましたねぇ。
「黒男」ですか。なぜ、武内宿祢なんでしょう。
浮羽郡にも黒島神社があり、武内宿祢が祭神です。

久留米には、高良大社がありますが、そこも武内宿祢ですね。
「コオラ」と読みますが、「クロ」と似てますね。
「クルメ」は黒女でしょうかねぇ。

黒男関連社は佐賀から筑後を通って、大分へ抜ける道にあるんですね。
面白そうですね。


571 泊瀬女  Re[568]: 再び 野あるきの おすすめ  H13.1.29

> * クマリ・初瀬女ちゃん、ケツまくり以来アマカネカネ。“「テ・シ・ラ・マ」×「ン・コ」”ちゃんが最高なのら。
クマリ・泊瀬女ちゃんは裾ケッチラカシテ駆けまわることはしても、ケツはまくりませんわヨ! 紋次郎さん、下品だわ。言葉の専門家として尊敬してるのに・・・上品にね。
「テ・シ・ラ・マ」「ン・コ」って何? 意味の分からないこと書いて悩み深き泊瀬女をこれ以上悩ませないでください。
仕事が忙しくて、そのうえ雪まで積もってお宮巡りに行かれないから、ストレス溜まってサ。おかげで食欲に走り、食べすぎで太って、胃まで壊れた。
何とかしてェー


 setoh 色の黒いのは災難を克服する H13.1.29

宇佐神宮の摂社に黒男神社があり、建内宿禰命を祭神としています。確か入り口付近にありました。
 ほかに
福岡県大野城市大字筒井728 黒男神社
福岡県糟屋郡久山町大字山田1283 黒男神社
福岡市中央区今川2-1-17 鳥飼八幡宮摂社黒殿社
大分県中津市大字大貞209番地の 薦神社摂社黒人社
大分県東国東郡国東町大字重藤277番地 黒雄社
大分県築上郡築城町大字赤幡325ー1 八幡神社摂社黒男殿神社
の祭神に武内宿禰が入っています。

それから
佐賀県武雄市朝日町大字中野6741 黒尾神社
の祭神は武内宿禰の母親とされる神母景媛です。

黒男(雄、尾、人)神社で祭神が武内宿禰になっているのは九州にしか出てきませんでした。黒尾神と言うのが一社。

また、ついでに
大分郡野津原町大字荷尾杵1332番地 黒烏社
の祭神は武津之身命となっておりこれは八咫烏のことです。
八咫烏神社や賀茂社は朱色塗りですが、烏は黒いのが普通、海苔も黒いのが当たり前です。有明海周辺は五十猛命や紀氏のルーツにかかわる地域です。海の死滅は見過ごせませんね。


569 焼尻紋次郎 Hp ほっつき歩かいしょ  H13.1.29


地形……といっても、現代人が考えている物理的な地形とはワケがちゃうよ。
さらにワカラなくなろうが“風水”と言ったほうがいいのかもしれん。地形の象徴が神社だ。
大地はおカァチャンあるね。いのちの微粒子を天から受けて、そいつを形あるいのちに育て上げる。
その土地その土地で、おカァチャンの表情(mo……面)がちがう。それを謳いあげているのが“コトシロ”ならまし。こうなると「コト」がアイヌに入った kor(支配……これは標準形)であることがわかる。アイヌは kot とも言う(r , l は t になり易い)。ミコトとは「mi(神)・kot(土地神)」で、イザナギ jyan の命……イノチだった。

神社に詣っても、周辺16キロmをほっつき歩かねぇとニャーンにもならねぇ〜〜イヨッ。
モノとコト …… そろそろ脳しぼりカネ。
  ことば偏執 ; http://ucgi.kamnavi.net/cgi-bin/youibbs.cgi


焼尻紋次郎 Hp 再び 野あるきの おすすめ  H13.1.26

いいなぁ、『かむなび仲間』は。打てば響くばい。
サラセッセは仁徳天皇の生まれかわりならいしょ。

お蔭さんでわかりましたよ。皆シャンがたが見てござるのは“地形”だ! (決めつけるぞ!)
もう半年ぐらい前になるか、あっしゃ野歩きを皆シャンにお奨めした。大略16kmぐらいの寸法で、中央に峠を置いて、ひと里の脇を通って峠をこえて、またひと里の横におりてきて、電車に乗って帰ってくる……。あっしゃそーゆー野あるきを若いときになんべんもやらかした。
 そのとき、巨木の洞穴とか、岩のくびれにあった線香や供え物の意味が“アタマではなく”……わかった。こころにグッときた。
 あのコースのなかで、そーゆーお供えものとか線香がなかったら……!!
 そういうこったろーか、サラセッセよ。お供物と線香をドヒャ〜ッと大きくしたのが神社カネ。

* Nick さん、どこが悪いとですか。悪いところを気にせんことが恢復への早道ですばい。
* クマリ・初瀬女ちゃん、ケツまくり以来アマカネカネ。“「テ・シ・ラ・マ」×「ン・コ」”ちゃんが最高なのら。けふのカキコも、ウヒッ、ウヒッ、ウヒッ……っちゅうち、こころ弾んでアマカネぞな、なも。
  ことばでこい ; http://ucgi.kamnavi.net/cgi-bin/youibbs.cgi


nick 隼人 もとをただせば普通名詞 H13.1.26

焼尻紋次郎 さん
いろいろなご助言ありがとうございます。
当初は観光ガイドでやってたのですが、「なぜ、なぜ」でおっかけていってたら、、、どうも性分でしょうか。。
おもしろくなった。。ただ、奥歯に何か挟まってると気持ちがすっきりしない。。
それで自分なりにいろいろ図書館通いを。。
ここの掲示板は、ありがたいです。私のような素人にも親切丁重にご指導頂いて感謝しております。
もっか闘病を続けていますが、なんとか地元の山を散策できるようにはなりました。
山頂へたつと神々しい気分になります。初日や夕日をみると余計に。。。
霊場なども足を運べば、なぜその場所が選ばれたのか肌で感じ取られます。

ま、おおげさに言えば、「先人とコンタクトを」 いずれにせよ神聖な気分に浸ることはできます。

暖かい南九州で、自由奔走な生活を送っていた者が、見知らぬ土地で束縛の生活を。。。どんなだったか。。思いを馳せるだけでも。。。

だから生きているうちに一度お伺いしたい。。最近はそう願望しております。


焼尻紋次郎 Hp もとをただせば普通名詞 H13.1.26

またことばのことなので、チヂこまりながら質問・提言。
* オオスミ、ハヤトなどは今では固有名詞だと考えられているが、固有名詞として歴史に落ち着くまえは、みんな普通名詞に分解される。
 オオスミは「大きな角(ツノ)を持った神」、「端っこの神」、「黒い石の神」などが考えられるし、ハヤトのトを「人」に釘付けしておいても、ハヤには馬、風、魚、囃(す)、速(伝達)、礼拝、大神などが考えられる。
 同じ発音の神社、氏族名があるからといって、これで即、同一にしてはならん……分かってるよナ。
* おら、ど〜もワカランが、現地に立ったら文献いじょうのナニがわかるんですカネ? おせぇてぇな。ただし、おらは足切り柱で立てないだが……。
* オオスミとスミヨシ……。「住吉の起源地が糸島だ」との見方もアヤフヤになってくるんではなかろうか。
* 乳牛牧は何と発音するんカネ。3世紀末に牛がここにいた……は言えないのだろうか。スミは黒牛のような気もするのだが。九州では「まっくらヤミ」を「まっくらスミ」という。
 応答は下記へ。
  ことばどんどん; http://ucgi.kamnavi.net/cgi-bin/youibbs.cgi


nick 隼人 re:re:おおすみ H13.1.26

詳しいご説明ありがとうございます。
私が読んだ書籍は「日本神話の考古学」森浩一著

一度現場(関西の隼人の居留地)を踏んで、実感をと熱望しております。
そのおりは宜しくお願い致します。(~_~)


 setoh re:おおすみ H13.1.26

新大阪駅東へ3kmの所の淀川の近くに大隅神社が鎮座しています。
大阪市東淀川区大桐5 大隅神社
由緒
応神天皇二十二年(西暦二九一年)春三月、帝難波の地にみゆきしたまい、この大隅島に離宮を営んで宮居せられ、これを大隅宮と称した。
その後安閑天皇(五二五年)秋九月、勅してここに牛を放牧せられた。後鳥羽天皇御悩の時、この地から黄牛の乳を薬料として献進したので、御平癒の後、乳牛牧の地名をたまわった。
応神天皇の崩御の後、里人帝の御徳をしたい、宮址に神祠を建てて、帝を奉祀したのが当社の起源であるといわれている。

 八幡様でなく、応神天皇を祭る珍しい神社と言えますね。

『馬・船・常民』網野善彦・森浩一 講談社学術文庫
にこの島のことが簡単に対話されています。
銅鐸、銅矛、素環頭の刀が出土、近畿地方には近江(石山寺の近くの古市郷に阿多隼人乙朝呂)、河内、山城(大住荘 nickさん既述)、に隼人が分布、大隅島は要の土地・中継地ではとあります。


nick 隼人 おおすみ H13.1.26

近畿地方に「大住」があることを知ったのは「隼人」を調査しだしてからのことで。
その由来は、つい数年前、神話の書籍で知りました。そこで興味を覚え、他にないか2、3調べてみた訳で。。。

福岡県の大木町でマップを検索しますと、西鉄大牟田線 大溝駅の『三潴』(みぬま)付近は「大角」と表示があります。
古文書には、鹿児島神宮の社領替地とあります。

また鹿児島の宮之城にも「大角」があります。
なお、熊襲が移住させられた京田辺にも「大住」があります。鹿児島の半島は「大隅半島」です。

「熊襲」に関連した「隈」の地名も幾つか存在して、それが、鹿児島の正八幡とも密接に繋がっているようです。

佐賀県の東背振村は、鎌倉幕府より、鹿児島神宮の社領地としてこの一帯を寄進されています。

東背振ICの付近に「松隈」という地名が見られます。
他にもありそうですが、、、今後の調査で。。。


 kammer 丹生都姫神社の格 H13.1.25

>マルヤ様
>完全に逆転します。どのようなドラマがあったのでしょう。
高野山のお蔭だと思います。

>創建はどちらが先かは定かではありませんが、
かつらぎ町史より
「(丹生都姫は)神武天皇の御宇大和国丹生の川上に化現したまいて、紀伊国伊都郡三谷郷榊山酒殿に降臨したまう・・・。天野総神主先祖道臣命勅命をうけ奉り、丹生の川上にて祭祀をいたし、三谷にも相倶に降臨し・・・」0これらからだけで想像するに、丹生川上が先ではと思います。
ちなみに、空海ははじめ丹生川上に行き、そこで丹生本家は紀伊伊都郡であるのでそちらに行くよう言われ、紀伊丹生家に来たと聞いたことがあります。
ですから、もとは丹生川上でいたが、その後丹生本体は紀伊に移住したのではと思っております。
また、竃門神社の奥津彦奥津姫について
「丹生大明神酒殿社に降臨したまう時守護之御神也・・・」とあります。前述だけであれば丹生氏が元大伴氏であったような表現になりますが、竃門神社は大伴氏の祭祀するところで、1270年ごろ大伴常家が丹生総神主家の嫡男になっている事を考慮すると、大伴氏は丹生氏の護衛役だったのかも知れません。のち、大伴常家が丹生氏の嫡男になったので、「天野総神主先祖道臣命」という表現が出てきたのではと見ています。


マルヤ Hp 熊野とは H13.1.25

日前の話が出ていますが、これは受け売りです。
イ・ヨンヒ女史によると古代日本における「くま」「こま」「くも」は、古朝鮮の高麗人・百済人・新羅人の大半をしめる貊族の総称だとしています。
クマノとは貊族の土地(国)、ヒノクマとは日本の貊族を意味する言葉だそうです。
そして、万葉集巻一の一「大泊瀬稚武」の歌、
籠毛与 美籠母乳 布久思毛与 ・・・・の歌は日本に住む韓国系同胞に向けての即位宣言だというのです。そして「ミワ」三輪(大神)についても、ミバ(水飯)の意で酒のことだとの説です。
●イ・ヨンヒの著書「日本語の真相」、「天武と持統」、「枕詞の秘密」ほか。いづれも文芸春秋社より


 setoh 分割統治 H13.1.25

習志野のてつさん と こいっち さんで、国の分割統治の話が出ていました。

国の(支配豪族の)力を削ぐのと同じように、神様の神威を削ぐべく神社の祭神を分割した例があります。

また和歌山の話ですが、続日本紀によりますと、大宝二年(702年)伊太祁曽三神を分遷する命令が出ています。伊太祁曽神社、大屋都姫神社 、都麻津姫神社と分遷されました。それでも、三神ともに式内大社にはなりましたが、都麻津姫神社の遷座先は今日では論社三社ではっきりしません。
分遷の理由は伊太祁曽三神の勢いが、国造の紀氏の奉ずる日前神國懸神より大きかった(地元で人気があった)からと考えられます。
東西の本願寺や知恩院と光明寺なんかも分けられた例ですね。

 これとは逆に、神威を高揚させるべく、神様の数を増やすと言うことがあったのではないでしょうか。日前國懸神宮も、天武天皇奉幣は國懸神だけでしたが、いつの間にか日前神も出来ています。また皇太神宮も度會宮が外宮として増強されて来ています。


マルヤ Hp 真野時綱のこと(続) H13.1.25

 お陰様で真野時綱の著書の内、「神家常談」を読みました。
貞享四年(1687)仲冬望、尾陽海部郡門眞の庄津島にて眞野時綱手謹記とあり、その序文に
「唯往々聞にし談の中に耳底にとどめし事のみ粗記て神家常談と名付ぬ・・・中略・・・同士ならん人の神学に励べき一助ともならば是予が本意の事となるべし・・略」と記され或神家の云、・・・と始まり、教訓がつづられています。
その内より一つ。
● 或神家の云 むかしより神木を伐て血流、或は伐て神の祟たまふといふ事有り、神木は勿論子細有、さらぬ木とて精霊あることは白澤図?にも見えたり・・・・・唐の書にも所見有、木の精霊を木魂(こだま)とも樹神(こだま)とも俗にはいへり・・・とありました。
八十の木の種を播き植えて繁る野山も神の功し(ヤソノコノネヲマキウエテシゲルノヤマモカミノイサオシ)と、この日本を緑豊かな国にしてくれた【イタケルノカミ】に感謝して「さらぬ木とて出来るだけ伐らぬ」ようにしたいものですね。

● 真野時綱はすごい。
まだ私は読んでいませんが、三十数篇もの著作集の内の一つ、「古今神学類編」だけでも全十九巻もの膨大な書物らしいですね。
神国篇(第一巻) 神道篇(第二巻) 宗廟篇(第三・四巻) 神階篇(第五・六巻) 祭祀篇(第七・八巻)神器篇(第九巻) 祭任篇(第十巻) 爵位篇(第十一巻)  卜筮篇(第十二巻)  他教篇(第十三巻)服忌篇(第十四巻) 国史篇(第十五・十六・十七・十八巻) 歳時篇(第十九巻)だそうです。


マルヤ Hp 丹生川上神社のこと H13.1.24

丹生川上神社(下社)の歴代の神主家について、以前にもらっていたパンフレットにこんな記事がありました。前にkammerさんに訊ねられ、「調べておきます」と答えていましたので書き添えます。

●当神社の神主社人は往古から六家あり、丹生氏を称してきたが、白川神祇伯から、川上越前・同伊豫・丹後・伊賀・河内・出雲と称することを許されてその支配下に属し来たり。社家は代々尊皇の志厚く、中にも丹生義範は名和長年の軍に属し、足利勢と戦い王事に殉じたのを始め、徳川末期には橋本若狭・乾丹後・河合出雲・中井越前・向井伊予・橋本河内と各々別称することを免許せられて神務に奉仕つつあったところ、官幣大社に御治定後は間接的に社務を補助するのみとなり、爾後その子孫は御用係、神事係として現に奉仕を続けている・・・とあります。
(以前の書き込みで私が言ったことと少し違い、ここでは加藤氏は出てこない。ちなみに波宝神社の神主家は現在加藤氏である)

●丹生川上神社(下社)については下記ページを参照ください。 http://www5.ocn.ne.jp/~miyosino/yasiro_003.htm


マルヤ Hp ほんとに!美しい。 H13.1.24

setohさん。「神奈備・神社名鑑」で早速三船神社を見せていただきました。なるほど見事な美しさですね。三船神社の美しさも驚きましたが、「神奈備」の情報量に改めて驚かされます。ありがとうございました。
ホームの写真が代わって「伊太祈曽神社」になっていますね。以前に手にしたおみくじが縁で五十猛のファンになり、一度伊太祈曽神社に参拝しているので、懐かしく見せてもらえました。


 setoh 丹生都比売を祀る神社は美しい。 H13.1.24

マルヤさん、波宝神社、見せてもらいましたよ。確かによく似ていますね。
和歌山の三船神社もよく似た美しい神社ですよ。ここは三間社流造です。


焼尻紋次郎 Hp ナリタ と イナリの二つに風が吹いた H13.1.24

ちょうど今、あっしゃ古代固有名詞に 200 〜 500 文字を散文調に添えた一覧表を作成ちゅうにござんす。
「イナリ」が出てきているところなので、その部分を披露して諸賢のご批判を仰ぎてぇ。

 イナリ / 成田 Narisingar(大きなつのを持っている神) nari(タミル語 ・シンハリーズ語; きつね)
 イナリと成田で、二つの神を示す i , ta が語幹の前にきているか、うしろにあるかにご注目あれ。「神」があとにつくのは比較的に新しい。
 日本は金属製錬士の上陸によって縄文時代を終わった。だから古代日本でも「つの」への偏執は激しい。つのへの激しい狂執はアーリア人侵入前のインド・モヘンジョ‐ダロに顕著である。そのイ・ナリ(つの神)が日本で定着したところへ、タミル語・シンハリーズ語系文化が nari(きつね)を運んできて、「つの」のイナリとの間に混淆がおこり、キツネはイナリ神の使いだとの線が定着した。
 だから、驚くべき事実だが、イ・ナリにしろナリ・タにしろ、ここには明瞭な語源分析力が働いていると言わねばならない。
 しかし、ここには、別の伏線がある。nari には水道管、噴水という意味がある。
 埼玉県のシバ川は農耕用の水が常時不足がちだが、文字を刻んだ鉄剣が出土した「稲荷山古墳」にほど近い行田市役所周辺には広い濠が水をたたえている。この行田は古くはナリタといった。これは利根川からの土管や暗渠による引き水ではなかっただろうか。

 語源キチゲェ ; http://ucgi.kamnavi.net/cgi-bin/youibbs.cgi


マルヤ Hp 極彩色ペイント  H13.1.24

マルヤです。今日は。
しばらく書き込みを休んで小生のホームページの増築工事と「モノ語り」を書いていました。「真朱の姫神」現代編は1月20日で掲出済みで、飛鳥編は2月初旬に開始します。

 ホームページ用の写真を整理していて気づいたのですが、「波宝神社」と「丹生都比売神社」はとてもよく似た部分があることに気づきました。比べていただくとよく分かるのですが、神殿屋根の二本鰹木、ファサードの柱や梁の装飾、極彩色の塗装などが特に似ていると思います。
創建はどちらが先かは定かではありませんが、三代実録によると貞観・元慶(859〜887)年代では波宝神社が従三位で神階は上位でした。後代の元暦二年(1184)、丹生都比売神社は正一位となり、波宝神社は据置のままで完全に逆転します。どのようなドラマがあったのでしょう。
●両神社の比較写真は以下のページにあります。一度ご覧ください。
http://www5.ocn.ne.jp/~miyosino/yasiro_005.htm
http://www5.ocn.ne.jp/~miyosino/yasiro_002.htm


玄松子 Hp 三大稲荷  H13.1.24

伏見・豊川・祐徳 や 伏見・笠間・祐徳。
他には、最上・瓢箪山・千代保などが入る場合もあります。 探せば、もっとあるかもしれません。

三大稲荷、書き忘れました。
「文献上の初見は」ということなら、各神社に残る文書をみればわかりますが、「どれが本当か」ということなら、すべて本当となるのではないかと思います。
「三」が「めでたい数」であることから、「三大XX」という言い方が多く用いられたのでしょう。
他に弁天、天神、八幡でも、この三大が使われる場合もありますね。


 setoh  H13.1.24

高家神社のご指摘、謝。
祭神としては他に天道根命とされる。「紀伊忌部氏祖の彦狹知命の子である。」こんな断言をするようじゃ、「付ける薬がない」となじられるのも宜なる哉。(-.-;)
手持ちの資料にはこの文章はないので、古本屋か図書館での立ち読みかも知れません。
ただ、河内国に紀直の同族で高家首と言うものがあり天道根命の裔とあるので、高家と天道根命との関係はまんざらでもないのかも知れません。再度調査してみます。

相坂八幡神社の由緒は「あさもよし」に記載しています。
稲荷神社のご指摘、謝。三大稲荷については、承知していません。


 R大学某学生 お礼と訂正希望 H13.1.24

おはようございます。相坂八幡神社の件、どうも有り難う御座いました。ちっぽけな郷社だと思っていた自分が恥ずかしかったのと、一円札で知られた武内宿祢がまさか大字松原小字柏原の生まれだと思っていませんでした。柏原は実家から自転車だと3分ぐらいの所なので、今度、記念碑らしきものがないか、見てきたいと思います。

訂正希望
稲荷神社のリンク集
四国・中国 箭弓稲荷 東松山市
東松山市は埼玉県です。勘違いだと存じます。

ところで、日本三大稲荷という俗な表現がありますが、これは伏見稲荷を勧請した中でも、特に勢力の大きかった竹駒神社、笠間稲荷、祐徳稲荷を指すんですよね?よく他の稲荷神社が混ざってたり(特に豊川稲荷=妙厳寺)してるんですが。そして、伏見稲荷は別格ということなんでしょうか?


福島雅彦 Hp Re[536]: 大黒様物語る H13.1.24


> > 火力(経済的)段階に成ると『少彦名』と。
> 少彦名が常世の国に去る話とはつながりません。技術進歩に遅れた大穴さんこそ穴があったら入りたい。・・

 素盞嗚尊が韓半島の曽尸茂梨に行って、牛頭天王と称されるのと、少彦名の常世行きを重ねて、考えています。未だ、論は固まっていませんが…。


玄松子 Hp Re[544]: 神奈備の延喜式神名帳 から  H13.1.24

> 「天太玉命」は安房一の宮安房神社で、その仲間の高倍神社[タカベ]といっし
> ょに宮中にもいました。

高橋氏文に曰く「大膳職に祭らるる三座の神は、景行天皇五十三年上総安房の浮島に幸したる時、磐鹿六雁の命御膳作り奉る故事に因みて祭る」ということのようです。


習志野の てつ 神奈備の延喜式神名帳 から H13.1.23

神奈備の延喜式神名帳 読んでます。ありがとうございます。
ローカルネタですが 千葉の神社で高家(タカベ)神社について一言
うるさい。それがどうした!などとおっしゃらず少しおつきあいを

神奈備の延喜式神名帳 神社一覧 では
高家神社[タカイヘ] リンク1 高家神社(日本唯一の料理の料理の神様) by 千倉町商工会 リンク2 ちくらの見どころ・あそびどころ by 千倉町役場
高家神社[たかいえ、たかべ]「磐鹿六雁命、天照皇大神、稻荷大神」磐鹿六雁命は大彦命の裔孫にあたる。祭神としては他に天道根命とされる。紀伊忌部氏祖の彦狹知命の子である。千葉県安房郡千倉町南朝夷164 とあります。 http://www.kamnavi.net/en/ahou.htm

房総の歴史と云うホームページでは
●高部神社の庖丁式
日本唯一、料理の神を祀る神社が千倉町の高家神社です。ここはまた、味噌や醤油の醸造の神としても知られています。
毎年11月23日に行われるのが、古式ゆかしい庖丁式。まな板に40cm以上もある魚をのせ、大きな庖丁と金属のはしを使い、魚には手を触れずにさばいていきます。平安時代の装束に身をまとった料理人の巧みな庖丁使いと真剣さには息を飲むほどである。
 高家神社の祭神は、景行天皇より料理の始祖をおおせられた磐鹿六雁命。庖丁式は光孝天皇の命により、四条中納言藤原政朝が創案したといわれています。 http://johokan.net/History/Folk/matsuri.html

実は神奈備 http://www.kamnavi.net/en/kyuchu.htm に宮中神36座 が有り その中で次のようになっています。
大膳職坐神3座(並 小)
御食津神社[ミケツ] 「天太玉命」
火雷神社[ホノイカツチ] 「火雷」 大和國忍海郡 葛木坐火雷神社2座[ホノイカツチ](並名神大。月次相甞新甞。)「火雷大神、天香山命 配 大日貴尊、高皇産靈尊、天津彦火瓊瓊杵尊、伊古比都幣命」奈良県北葛城郡新庄町笛吹神山448
高倍神社[タカベ] 「磐鹿六*命」[イハシカムツカリ] *=けものへん+葛

「天太玉命」は安房一の宮安房神社で、その仲間の高倍神社[タカベ]といっしょに宮中にもいました。私はビックリしました。相当親しいとは思います。
日本唯一、料理の神さまは、全国から人が集まるので、安房にだけいると思ってました。私、景行天皇の実在性について、かなり信じはじめてます。


焼尻紋次郎 Hp 「つの」と「かど・隅」 H13.1.23

サラセッセのオッサンよ、 kuna についておらが声枯らして叫んだモロモロ……に就いての、ご記憶はジェーンジェンなかっとですか。
目の前にいる巨人は、 バカに見えるものならいしょ。……、まぁ、ゆるす。
おらは「日前」はヒノサキじゃろーと思うたばってん、ヒノクマじゃったか……。アッチャァー、ま、よかろう。
なんで日前をヒノクマと言うたか。ここじゃな。sak-i ………と、frontier .

それと、もひとつ、「つの」が「隅・かど」に絡みつく。ナァ〜〜ンデカ。ナ〜〜ンデカァ〜〜ァ〜アッ
「木をこすれば火がでる」……、そりゃぁもう真実だ。だが、ナンデ、その真実がここで顔出さねばならんのカネ。
クスリは持たねぇ ; http://ucgi.kamnavi.net/cgi-bin/youibbs.cgi


焼尻紋次郎 Hp オオナムチの別名 ほか H13.1.23

おらの記憶ちがい。サンカがオオクニヌシに関して別の呼称をもっていた……は、その数計13と変わるところないらしいが、おらが見たのは『ウエツフミ』で、次のようにある。
オオクニヌシ、オオアナムチ、ウツシクニタマ、アシハアラノシコオ、ヤチホコ、オオトコヌシ、オオナムチ、ヤチホコホヨヌシ、オオモノヌシ、クシミカタマ、クニタマヌシ、タマクミオオトコ以上、いづれも下に「の命」がつく。

ワカランことばだらけカネ。解読のコツは目を離さないことだ。そうすると、ある日パラパラパラァ〜ッと解けるのら。
ワカラン語幹群は……ウツ、ヤチ、ホヨ、タマクミ……。

※ サンカは男根をクマドと言っている。kumar が出雲で「オスの精(= ホトケ)」に切り替えられてそれが熊野( no は神)に流れて行ったか。

※ 星月夜をタタ・マグレといっている。タタとツツ……どっちが古いのか。ヅーヅー弁がらみでいうとサンカは出雲より古い。だが、この一語だけでは決められぬ。tata ……やっぱ「斬る」がでる。
  古代語トコトン ; http://ucgi.kamnavi.net/cgi-bin/youibbs.cgi


 setoh 機知音転 瓢箪からクマ H13.1.23

>> > 「木の角」ってどう読むんでしょう。
nick> 角====>>住===>>大隅
岩波文庫日本書紀の 熊野大角命 の訓みに くまのおおくまのみこと とあります。またその注釈に 大角は、曲・隈・碕などと同意。オホスミともオホクマとも訓む。

木の角 を キノクマ と訓めば、ヒノクマ に変わる?
紀氏が紀の川河口で齋祀った日前國懸神宮のヒノクマが出る。
ヒノクマとは木の神、紀氏が五十猛命を奉じていたこともわかる。木をこすれば火が出る。檜という。
nickさん、謝。紋チャン、文句あまかね。


 setoh 穴があれば・・ H13.1.23

>『邪馬台国の東遷』(奥野正男著)でしたね。図書館で見た本です。
それにしても、自分のHPに本の名前をいれてあるのにね。



  博多湾     /
   −−−−−−/
        曾我
    平群    羽田
 背振山地
=======  I      甘木
       ==I基肄
武雄  巨勢   I葛木
    −−−−−+−−−筑後川        
  有明海

 ご協力ありがとうございました


玄松子 Hp Re[538]: 武内宿弥の生誕地調査  H13.1.23

> 詳細は『邪馬台国の東遷』(奥野正男著)
> 以上が私のメモです。お役に立ちましょうか?
さすがですね。
ここまでわかれば、探すのは簡単。
で、検索して見たら、この神奈備サイトにも在りましたね。 http://www.kamnavi.net/ki/city/takeuti.htm
以前に紹介したページにも、平群などがありました。 http://www.ne.jp/asahi/sasatuushin/tkd/chikushi-03/chikushi-03.htm


日下倭人 Hp 武内宿弥の生誕地調査  H13.1.23

私は何でもすぐ忘れてしまう性質だものですから、時折読んだ本の中からの一節をパソコンに打ち込んだりしています。それには次のようにありました。
…生地は佐賀県杵島郡武雄市で、ここには武雄神社がある。宿弥の父の名に武雄の文字がある。神社には239通の古文書が伝わり、子には波多(羽田)・巨勢・蘇我・平群・木・葛城がおり、それぞれ大和の有力豪族となっているが、この地名はすべて筑前・甘木周辺に存在する。この二つの地域に共通する地名が90組ほどある。詳細は『邪馬台国の東遷』(奥野正男著)
以上が私のメモです。お役に立ちましょうか?


nick 隼人 Re[536]: 大黒様物語る  H13.1.23

> 玄松子さん
> >> 武内宿禰は九州生まれの補強にご協力を
> > 「木の角」ってどう読むんでしょう。
「とすみ」ではないのでしょうか。
昔、隼人の正八幡、鹿児島神宮に関連した所も「***角」と付きます。
角====>>住===>>大隅。これはgensさんのページの方が詳しいですが。地名や人名は、なかなか読めない。。古文書も難しい。。


 setoh 大黒様物語る H13.1.23

玄松子さん
>> 武内宿禰は九州生まれの補強にご協力を
> 「木の角」ってどう読むんでしょう。
角川文庫の古事記では「きのつの」と素直です。
木の臣、都奴(つぬ)の臣、坂本の臣 等が祖なり。と続いています。

福島さん
> 私は、古代製鐵の王(長=おさ)の名称の変遷であろう、と思っています。
投稿ありがとうございます。各地でバラバラに呼ばれたと言うこともあったかも知れませんね。
> 火力(経済的)段階に成ると『少彦名』と。
少彦名が常世の国に去る話とはつながりません。技術進歩に遅れた大穴さんこそ穴があったら入りたい。・・


焼尻紋次郎 Hp けふもいい日 オオナムチ復活の日 H13.1.23

nik さん、サラセッセ、あがぁ〜・あがぁ〜(黎明のひかりを呼び込むカラスの鳴き声、“あが”のこと)。

たしか……スプルカンとか、キックラヘンキみたいな○○○カンシ、×××カンキ、などが出て来る古代朝鮮の役職名にまじって△△△△アムチがあったよなぁ。あれナンだったか。『青銅の神の足跡』をたどってみたがみつからん。
ここはいちばん「しんど」なんざ言っちゃぁおられんとですバイ。サラセッセ・チバリョー。nik さんもチェストー!!
アムチに強調接頭辞の N がついたら「ナムチ」じゃんか。
だが、モンダイはその場合も、アムチまで語源をぶっ飛ばさにゃならんこった。

ひとつ出たホイノ・ヤッサほいのホイ。おそらくこれがホントだとおもう。ハムキ(ネパール語 ; ふいご)だ。ハムキはすでに日本語化されているが、学者は語源がワカランと言っている。アイヌ語では被覆形だが、トンボの翅。
柱から“足”がでたように、h は落ち易い。出雲は上を下へのヅーヅー弁だからキチガイ音転が起こる。キは chi になる。で、ハムキはアムチであってもいっこうに差し支えない。
 √おおきなフクロを肩にかけ……。おおきなフクロとは「吹く・ lo 」で、 lo とは箱とか仕掛けのことである。で、全体としてフクロ送風器のこと。フクロウは鳴き声が「あがぁ〜」じゃなく、送風の音だったからである(初発表)。

サンカには12 だったか 20だったか、大黒さんの別名があるよ。シヴァ神の別名は 2000 あると言われている。
ミナシャァ〜ン、けふもいい日 オオナムチの旅立ちあるネ。パンシャァ〜イ。 
 エデン語の園 ; http://ucgi.kamnavi.net/cgi-bin/youibbs.cgi


nick 隼人 Re:酒は百薬の大物主  H13.1.22

> > 大巳(?已?)貴神 どうやら大己貴神(おおなむち)である。
大国主神
大己貫神(おおなむち)
葦原色男神(あしはらしこお)
八千矛神(やちほこ)
大物主神
大穴持(おおなもち)
大名持(おおなもち)
縁結びの神
福の神(大黒さま)
もあるそうです。ちょっとだぶりましたが。 (実は先日調べました)


福島雅彦 Hp Re[529]: 酒は百薬の大物主 H13.1.23

私は、古代製鐵の王(長=おさ)の名称の変遷であろう、と思っています。
倭國では、石器時代から青銅器時代に成らずに、鉄器時代に成ったと思います。
銅剣、銅鐸はさて置いて、中国の鼎の様な精緻な物を造る時代は無かった、と。

※原始製鐵は、野天の裸火が、砂州の砂鉄の上で焚かれて偶然得られた。
遠赤外線で顔が焼け爛れて『葦原の醜男』と呼ばれる。
※技術革新に拠り火を大穴に閉じ込める窯の段階に成ると『大穴牟遅神、大己貴神』と。
※更に進んで、少ない火力(経済的)段階に成ると『少彦名』と。
これらを全部ひっくるめての総称が『素盞嗚尊』=쇠상王(soe-sang)王=製鐵王。
考古学的遺物としての出土が無いので、考古学者は何も論じられずに居ますが、古代に在っては貴重品の鉄を現代人の様に使い捨てにしなかったからでしょう。若し、鏃が獲物から逸れて、失われても、土の中で酸化(錆びて)痕跡を留めない。

トンデモ説、噴飯ものと思われても結構です。


玄松子 Hp Re[529]: 酒は百薬の大物主  H13.1.22

> > 大巳(?已?)貴神 どうやら大己貴神(おおなむち)である。
> 岩波文庫日本書紀の注には、オオ(大)ナ(地または国)、ムチ(貴)を翻訳して大国主と言う言葉を作り、代表させたとある。

大穴持と書く場合もありますよね。大きな穴の持ち主で、蛇の怪物とする説も。
大物主が蛇神とする点、一致します。そうなると、大巳貴も、間違いではないような。
スサノヲのオロチ退治も、古代出雲への侵略とする説もありましたね。

日本書紀では、大己貴・大穴持・大汝・大穴六道、
風土記では、大汝・大穴道・於保奈牟知と記されています。

> 武内宿禰は九州生まれの補強にご協力を
読みを知りたいです。「木の角」ってどう読むんでしょう。

> 背振の北側
に住んでいる、玄松子でした。


 setoh 武内宿禰は九州生まれの補強にご協力を H13.1.22

武内宿禰から出たとされる
波多の八代の宿禰
許勢の宿禰
蘇我の石河の宿禰
平群の宿禰
木の角の宿禰
(久米の摩伊刀売)
(怒の伊呂比売)
葛城の長江の曾都毘古
若子の宿禰

によく似た地名が九州にあると昔何かで読みましたが、具体的に比定できる地をご存じの方、教えて頂けませんでしょうか。木の角の宿禰は背振の北側だったと記憶しているのですが。・・


nick 隼人 Re:酒は百薬の大物主  H13.1.22

私のようなにわか「社寺探索や」にはありがたい説法です。
このページに掲載されていることはほとんど知識がありませんでした。小学生の頃は親父の祝詞を多数空覚えしていたのですが。。。どのような神様なのか少し判ってきだした今日この頃。ありがたいことです。


 setoh 酒は百薬の大物主 H13.1.22

> 大巳(?已?)貴神 どうやら大己貴神(おおなむち)である。
岩波文庫日本書紀の注には、オオ(大)ナ(地または国)、ムチ(貴)を翻訳して大国主と言う言葉を作り、代表させたとある。

古事記では五つの名前が出ている。
大国主神 おおくにぬし
大穴牟遅神 おおあなむぢ
葦原色許男神 あしはらしこを
八千矛神 やちほこ
宇都志国玉神 うつしくにたま

倭大国魂神 やまとおおくにたま は倭の国魂を顕わすのでしょう。戦艦大和の中に分霊されていたようだ。
紀の国の国魂は五十猛命ですが、紀伊國魂神とは呼ばれていません。紀伊神としては日前神を指しているとされます。とられっちゃったんですね。

ついでですが、幾つかの国に國魂神が坐す。
尾張大國靈神
會津大國魂大神
信濃大國魂命
伊勢大國御魂神
國土開發國魂神(兵庫県多紀郡篠山町)
日本大國魂大神
倭大國魂命(徳島県美馬郡脇町)
豐國魂命
大和大国魂神社(兵庫県三原郡三原町)でした。


焼尻紋次郎 Hp √サァケは泪か ため息か H13.1.22

ぢぢぃのケツの毛
さて爺ぃの本120ページ前後。(1909年うまれ 土橋寛著『日本語に探る古代信仰』中公新書刊)
大巳(?已?)貴神は風説によってその半分の“ニギタマ”がオオモノヌシの神。残り半分のアラタマは倭大国魂神に折半されるとのこってす。そして全体としてはオオクニヌシとイクオールである……と。

※ 大巳(?已?)貴神、倭大国魂神 はそれぞれナンと発音するンカネ。
※ 大巳(?已?)貴神などという神が新たに創設されたは、ダイコクが大きい黒・大きい国の二つに分かれて本来の意味が不透明になったからだろう。だから大巳(?已?)貴の読み方がモンダイとならいしょ。これおおミキだから「神酒」につらなって「紀」との関連がサラセッセには気になるにはあらずや(その通りかもしれんが)。
また、オオミキなら、ここから「蛇」も出らいしょ。要するに、新しい神として昔の精神性(伝承)を引き継ぎながら、「大巳(?已?)貴神」を創った……まではよかったが、またまた意味不明となったか、このへんで大国(大黒)という出雲のシッポを断ち切りたかったか、そこへ「へび噺」ができたんだろう。

三輪 は 三室でもあった。
「モロ」とは「国の」という意味のほか考える資料はまったくない。「国の」でいい。「ミムロ」という発音があったにしろ、それは「ろ」が「ら(の)」の変化態であることを見抜けずに、聞き慣れ言い慣れた「むろ」へと音を換え、以て神様らしくカスミに隠した所行だったにほかならない。
「wa=ひと」はよく出会うことばである。「wa = 神」はあんまし聞かないことばだが、インドはなべて「神=ひと」なので、「wa=神」はありうる。これに良く似た語形が wa に強調接頭辞の S を据えた “swa(神……諏訪)”だ。

ヒル酒への執念 likes that of a snake 、
やっぱ、秦氏がとりあげた酒専売権は、出雲のそれだったと見るのが本筋らしい。
神酒と書いてミワと読ませているのはメチャクチャだ。しかし、「酒の神」と書いてクシのカミと読ませているには少しだけ道理が通っている。
ぢぢぃも酒がクスリだったから……と、現代のアタマで判断している。
しかし、ここの「クス」はクスリ以前の意味を露呈させていることに気付かねばならない。
kusal が健康とか元気を意味して、これがクスリの語源。 khus とは幸福、喜びのことだ。玉ぐしの kusi は別のネパール語と同根を持つ。                             ----ま、いっぱいヤッか。

語源のやかた ; http://ucgi.kamnavi.net/cgi-bin/youibbs.cgi


nick 隼人 Re[525][524]: 大己貫 の神社は H13.1.21

> > 当地、国分市内に「大穴持神社(おおなもち)」があります。
> 玄松子さんに採録されていますね。
> > 東北、津軽地方にこの「大己貫」「大国主神」を奉った神社は幾つあるのでしょうか

> だいこく様ネットというのがあります。
> http://www.izumooyashiro.or.jp/net/top.html
玄松子さんがお見えになったようです。(~_~)
どうもありがとうございました。早速、岩木山神社でした。
向うに手紙でも出しておききしてみます。


玄松子 Hp Re[524]: 大己貫 の神社は  H13.1.21

> > 当地、国分市内に「大穴持神社(おおなもち)」があります。
> 玄松子さんに採録されていますね。
久しぶりに見たら、少しさびしかったので、記事を加筆修正しておきました。

>早速、岩木山神社でした。
岩木山神社の御神徳は分かりませんが、火山活動対策ということなら、大物忌との混同も考えられるかもしれませんね。


 setoh re[524]大己貫 の神社は H13.1.21

> 当地、国分市内に「大穴持神社(おおなもち)」があります。
玄松子さんに採録されていますね。

> 東北、津軽地方にこの「大己貫」「大国主神」を奉った神社は幾つあるのでしょうか
だいこく様ネットというのがあります。 http://www.izumooyashiro.or.jp/net/top.html


nick 隼人 大己貫 の神社は H13.1.21

当地、国分市内に「大穴持神社(おおなもち)」があります。
国分諸古記によると、
昔、奥州津軽山に鎮座。西国の守護神となって下向されたとある.

東北、津軽地方にこの「大己貫」「大国主神」を奉った神社は幾つあるのでしょうか
どなたかご存知でしょうか。


 setoh おおお^お!うやと  H13.1.21

> 意宇郡[オウ]:
出雲風土記の有名なシーンの八束水臣津野命の国来、国来「クニコクニコ」の作業の後で
「意恵(おゑ)」と詔りたまった故に、意宇(おう)と言う。

> 大屋については地名とする説
猪名川の水源地が大野山(おおや)で、流域に五十猛命が点在とか、
兵庫県養父郡大屋町の御井神社の祭神を大屋比古命、大屋比賣命とする説があるんですが、
鶏と卵のようなものか、大屋も大田も一般的な感じの言葉ですから・・・

>島根県大田市大屋町{石見 邇摩}の地方神だったとか。「大田」、気にしてましたよね。
播磨国風土記に「呉勝(くれのすぐり)が名草の太田に居住し、その後摂津の三嶋、播磨の揖保に移住した」と記されています。事実としても、4世紀初め頃とか欽明朝の頃の6世紀半ばとか諸説があるようです。

●素盞嗚尊、五十猛命の共通点
紀伊の名草 日前国懸神宮、伊太祁曽神社
摂津の三嶋(大阪府茨木市太田)太田神社「素盞嗚尊」
播磨の揖保(兵庫県龍野市揖保町)中臣印達神社「五十猛命」摂社の木種神社「素盞嗚尊」

●銅鐸
紀伊の名草 大田黒田遺跡から出土 
摂津の三嶋 南側の東奈良と言う所から銅鐸や鋳型が出土
播磨の揖保 太子町に太田と言う地名、物部系の矢田部連の居住地。山奥の山崎町は銅鐸の道と言われる地域。

●天照御魂神、いぼ
紀伊の名草 日前国懸神宮?
摂津の三嶋 新屋坐天照御魂神社、疣水神社
播磨の揖保 粒坐天照神社

物部系か秦氏系か、重奏しているように思います。


焼尻紋次郎 Hp 解けまして おめでとさん H13.1.20

ミナシャ〜ン おめでとう! オオモノヌシ・オオクニヌシ・モノノベの語源、意味解釈に大きな前進があったよ。
下(点線囲みの内側)は今朝サラセッセに宛てたおエメの一部そのままです。
この前進も、好意まる出しでサッサと掲示板を用意してくれた玄さん、ばさらかな資料を提供し続けてくれたサラセッセ、みなシャンのみ胸貸し恩顧のタマモノならいしょ。
  ……………………………
√ オオ物ぬし……分りかけたよ。 「mo =くに」だ。大国主命とイクオールだ。そうするとここからモノノベが出てくる。モノノベとは国家公務員だべし。
  ……………………………
 けふの夕方までには、下のユー・アイ掲示板にカキコカネ。
 ※「刀自古」も書くでよォ。この「古」もネパール語だぜ。
 古代語の ; http://ucgi.kamnavi.net/cgi-bin/youibbs.cgi


焼尻紋次郎 Hp くちの楊子が ヒューと鳴る H13.1.19

○  大屋彦にも足切りのイメージがあるかどうかは紋次郎さんの領域でやんす。
☆ ナンデーーェ。「ya に神は言えるのか、ほんとカネ」とほざいたお方はどこのどなたヤッタカネ。
オラシランばい。なぁ〜んも尻まっしぇんと。ヒント ; 牛殺し屋= go-hat-ya  人=神(用語)

☆ 計らずも「ツマ」が両掲示板で尻合わせカネ。
☆ 玉山村の出雲意宇はなんと読むのカネ。熊野の旧名家の「宇井さん」が精力的に全国の熊野神社をめぐってござるよ。
☆ 「シナ」の na(ナー)というのがウイルタ語にある。意味は「土地・陸地・山の神」。これを見るたびに玉名を思いだす。そこには親友の大磯がいる。

一句できました。 [ 紋次郎 タンカ ! ]  √ 梅毒の 乞食 象牙の 『塔』造る  ヒューッ……
ワッカルカナァ〜。KK学研のブニ野郎。

 神風特別攻撃隊の付託に応える掲示板 ; http://ucgi.kamnavi.net/cgi-bin/youibbs.cgi


玄松子 Hp Re[517]: 大屋津比古命  H13.1.19

> > 「戸辺」の用例が記紀に少ないので
> 廐戸皇子の妃に 刀自古郎女(とじのいらつめ)がいましたね。
日小坐王(ひこいますのみこ)と結婚した、苅幡戸弁(かりはたとべ)。
垂仁天皇と結婚した、苅羽田刀弁(かりはたとべ)が見つかりました。
同じ読みなのが面白いですが。

> 大屋については、皇室の倉庫の屯倉に対して、地方豪族の倉庫のオオヤケの大屋であるとか文字通りのでかい家であるとか、大+弥+彦で弥栄をもたらす大神とか、さまざま。
地名とする説はないんですか。
>島根県大田市大屋町{石見 邇摩}の地方神だったとか。「大田」、気にしてましたよね。


 setoh 大屋津比古命  H13.1.19

 玄松子さん、山浜さんがおいで下さった伊太祈曽は伊太祁曽神社が鎮座しているので付いた名前だと思います。元の名前は須佐と小生は見ています。これもまた須佐神社が鎮座していた故の可能性があります。その前は西の谷と想像しています。これは字の名に残っています。

オオヤ神は大屋比古命・大屋津比古命、大屋比賣神・大屋津姫命の両方の表記があります。訓でもツの有り無しで読みます。
都麻津比賣命・抓津比女命の場合には、ツマヒメとしてはCDでは見つかりません。津が付いています。

尚、大屋津比古命の神名の神社は
島根県八束郡玉湯町林村{出雲 意宇}
布宇ふう神社(風の宮)「大己貴命」の境内の岩木原神社の祭神に大屋津比古命が今のところ唯一見つけている神社です。

大屋姫の場合には
島根県大田市大屋町{石見 邇摩}
 大屋姫命神社 祭神 大屋都比売命
和歌山市宇田森{紀伊名草}
 大屋都姫神社 祭神 大屋都比売命、五十猛命、都麻都比売命
と様々に分布しているようです。

伊太祁曽神社の西1KMの吉礼に都麻津姫神社が鎮座していますが、ここの宮司さんは「ツマとは出ている所の意があり、海への出っ張りに祀られた女神」と言われていました。
他に「妻造り」「妻入り」と言う日本の木造建築の古い様式のツマとか、隅の方とか。

大屋については、皇室の倉庫の屯倉に対して、地方豪族の倉庫のオオヤケの大屋であるとか文字通りのでかい家であるとか、大+弥+彦で弥栄をもたらす大神とか、さまざま。

大屋彦にも足切りのイメージがあるかどうかは紋次郎さんの領域でやんす。


玄松子 Hp 便乗  H13.1.19

> 級長邊命 しなとべのみこと  これと
> 名草戸畔 なぐさとべ
> を並べると「しな」も地名に見えるわけで、
同様に、吉備津彦、宇沙津彦、級長津彦と並べると、級長(しな)も地名に見えます。

「戸辺」の用例が記紀に少ないので、「XX津姫」を見て見ると、「津彦」と同様だと考えられます。

ところで、五十猛命の姉妹、大屋津姫、つま津姫の、「大屋」「つま」は地名なのでしょうか。
大屋毘古は、なぜ大屋津彦ではないのでしょうか。


 setoh  H13.1.19

> 「しなと(風の所)」+「べ(女性)」なんですよぉ。 風之所女神
これはそうですよね。
級遍命  しなべのみこと  風の女神
この訓なんかは超簡略形ですが、原型なのかも。

級長邊命 しなとべのみこと  これと
名草戸畔 なぐさとべ
を並べると「しな」も地名に見えるわけで、そうすると「名詞+連体格助詞」で一つの名詞になったと見たらいいと言うこと。このシナは「級 階 段 品」ではなく、風吹く所と理解をすればいいんですね。予め風の神様とわかっていないと解けない感じの漢字ですね。(; ̄□ ̄;;)

   言語音痴の掲示板 http://ucgi.kamnavi.net/cgi-bin/kambbs.cgi


 こいっち Re[513]: ミョウなリクツの引っ越し  H13.1.18

> 上古日本語論が「ミョウなリクツ」を一蹴したそうです。
上乗せして「さらにミョウなリクツ」を重ねてしまった、こいっちデス。

> > に見るように[シナ]の字が付く地名と神社名があります。
> > [シナ]には一つの言葉として地名なりに使われるような意味があると思いませんか?
>> 志賀剛の「神名の語源辞典」では、「しな」には、盆地などの山の階段状になった地形の意味がある、と記されています。「ヤマシナ」はその地形、「ツマシナ」はその端(つま)の方の地形の意味とありますが、どうでしょう。

「しな」そのものの名詞では、
  級 階 段 品 
などの意味があるそうです。
たしかに「ヤマシナ」でしたら「山の階段状になったところ」でしょうね。

> 風の戸邊神以外の戸邊は固有名詞+戸邊のように見えます。
> 何故、風の女神にだけ連体格助詞が登場するのでしょうか。

あちらでも何度も書きましたが、シナトベの神名の場合も、「戸辺」が独立した単語なのではなくて「しなと(風の所)」+「べ(女性)」なんですよぉ。 風之所女神


 玄松子 re:ミョウなリクツの引っ越し  H13.1.18

> 上古日本語論が「ミョウなリクツ」を一蹴したそうです。
こっ、これは玄松子の勘違いでした。
両掲示板の管理者および読者の方々にお詫びします。
>  また式内社では、
> 信濃国[シナノノクニ]更級郡[サラシナ]波閇科神社[ハヘシナ]
> 信濃国水内郡妻科神社[ツマシナ]
> 山城国宇治郡山科神社[ヤマシナ]
> に見るように[シナ]の字が付く地名と神社名があります。
> [シナ]には一つの言葉として地名なりに使われるような意味があると思いませんか?

志賀剛の「神名の語源辞典」では、「しな」には、盆地などの山の階段状になった地形の意味がある、と記されています。「ヤマシナ」はその地形、「ツマシナ」はその端(つま)の方の地形の意味とありますが、どうでしょう。
すでに蛇足ですが、この本には、「シ」は「アラシ」の「シ」とあります。
荒風でしょうね。なるほどと感心してしまいました。


焼尻紋次郎 Hp 見参(けんざん)! シンドバットぢぢぃ H13.1.18

ミナシャア〜ン、505 でサラセッセが最後に書いた「シンド」に注目しましょオ〜〜。
このお方は資料集めの天才だもんで、おらなど超気軽に「○○は×××カネ」などと質問してきたが、本人もとしとってきたらしい。「シンド」だそうです。
サラセッセからは資料の取出しかたを教わったほうが早いかナ。

「走り」がかなり出ました。*bas(神) ⇒ has アリャ √こ〜こはど〜この床下じゃ ゆかちゃんも懐かしいネ。

精神貴族のたまり場 ; http://ucgi.kamnavi.net/cgi-bin/youibbs.cgi


泊瀬女 懐かしい?  H13.1.18

毎日、この掲示板とユーアイ掲示板、玄松子さんのページは読んでますよ。かなり難しい討論が繰り広げられていて、私のトロイ書き込みは場違いと遠慮してました。
setohさんに懐かしい・・・なんて言われちゃうほどご無沙汰はしていないと思うけど、「走る」から連想したのかしらね。走る泊瀬女? 私、普段は走らないのよ。本当にごく普通のオバさんなの。どちらかというとボーッとしてる怠け者です。ただね、神社巡りの旅に出ると性格が変わっちゃう。だいたいヘビ恐い、坂道嫌い、山登り大嫌い、階段シンドイ、寒いのイヤなんていう人間が神社巡りをしているってこと自体変なのよ。どこでどうトチ狂ってしまったのでしょう。私の血はたぶん南方系だと思う。冬はダメなの。寒さに非常に弱い。寒いと落ち込むんじゃなくて攻撃的になる。絶対ウツ病にならないタイプ。寒いけど、精神衛生のため岡山に行こうと計画していたのですが、次から次へと仕事の予定が入ってきて時間が取れない。表面上はニッコリと穏やかに振る舞っているけど心の中では「バカヤローッ!お宮巡りに行けないじゃないかァ」とはしたなく怒鳴っている。二重人格か・・・今、倭姫世記を必死になって読んでます。読めば読むほど、調べるほどわからなくなってきます。あまり深入りせず、サラッといったほうが良いのでしょうかね。
最近つくづく思います。とんでもない世界に足を踏み入れてしまったなァ・・・と。時間が欲しい、明晰な頭脳と知識が欲しい。ついでに強い意志も欲しい。無いものねだり。


 setoh ミョウなリクツの引っ越し  H13.1.18

お隣さんのYOI−I掲示板ではこの話は終焉したそうな。
上古日本語論が「ミョウなリクツ」を一蹴したそうです。

これ以上書くとYOI−I掲示板に角が立つ。それを見て腹が立ったらいかん。
従って、神奈備掲示板に書くことにします。

志長戸邊命はシナトベのミコトと読むんですね。
「志 シ」=風or息:名詞
「長 ナ」=の:連体格助詞
「戸 と」=所:名詞
「邊 ベ」=女:名詞
と分解することになるんでしょうね。

紀の国に名草戸畔、丹敷戸畔と言う女酋長らしき名前が出てきます。名草は勿論、丹敷も地名と見て良いと思います。戸邊と同義の刀自では奈良刀自神の名が見えます。

風の戸邊神以外の戸邊は固有名詞+戸邊のように見えます。 何故、風の女神にだけ連体格助詞が登場するのでしょうか。

また式内社では、
信濃国[シナノノクニ]更級郡[サラシナ]波閇科神社[ハヘシナ]
信濃国水内郡妻科神社[ツマシナ]
山城国宇治郡山科神社[ヤマシナ]
に見るように[シナ]の字が付く地名と神社名があります。
[シナ]には一つの言葉として地名なりに使われるような意味があると思いませんか?

時代を経るに従って、シ+ナの原義が忘れられて、シナ と言う名詞になっていったと言うことでしょうかね。

この問題は、紋チャン、まだとじたらあかんわい。と思うんよ。


nick 隼人 Re[504]: 韓国古守峯神社 H13.1.18

今日お昼市役所へ出向きましたが、、結局質問書を提出して帰宅しました。
ちょっと時間がかかるかも。。。
今、別で遺物がでてるようですから。。


香具 うながみ航路開通?  H13.1.18

てつさん、海上(うながみ)もつながりました。
詳しくは知りませんが、神戸の生田神社は海上氏が祭祀していたそうです。
「神功皇后の三韓外征の帰途、稚日女尊が活田長峡国に居らむと海上五十狭茅に命じた」との伝説です。
この神職の海上氏は代々続いたらしく、後裔の方が今も神戸市内にいらっしゃるそうです。
(生田神社)http://www.ikutajinja.or.jp/index1.html


 こいっち  H13.1.18

どうも、こいっちと申します。
前回はふと立ち寄ったのですが、今回はユーアイさんの所でゴネてたところだったので、ふたたび本店のところへも遊びに寄らさせていただきました。

習志野の てつ さん、こんにちは。
> 吉備の国も、備前、備中、備後、美作(みまさか)の4ヶ国
> に分けられましたが、強大な国は分割統治されたのでしょう
> か?イギリス流『分割して統治せよ』『Divide & rule』を
おもしろいですね。
云われて思い出したのが、同じように分割された丹波国です。あそこも海部氏の根城とする強国だったのに丹波・丹後・但馬へと3分割されちゃいましたものネ。
吉備国とダブって見えますよ。

旧事紀の国造本紀での支配者の推移を調べてみても面白いかも。
総国も忌部が強大だったからか分けられたし、越国は辺境だったから領域が大きかったのが、中央権力の増大と、反乱などの治安の問題で3分割していったんでしょうね。


習志野の てつ H13.1.18

『走水神社』の走水は『はしうど』…絶句しました
紋次郎兄ぃからは『海上』についてメール アガアガ
さて『海上』(津軽半島の突端東部分)は『ツナバシリ』だそうです。東京『海上』(カイジョウ)が普通で、千葉県の『海上』(ウナカミ)が、昔の地名だと思ってました。
上総国・上海上(かみつうなかみ)、
下総国・下海上(しもつうなかみ)です。
千葉の歴史は、以前にも出てましたが、下記アドレス
http://johokan.net/History/boso3goku.html 詳しいです

吉備の国も、備前、備中、備後、美作(みまさか)の4ヶ国に分けられましたが、強大な国は分割統治されたのでしょうか?イギリス流『分割して統治せよ』『Divide & rule』を大和の大王は行ったのでしょうか?


 setoh 走る神社 神社を走る H13.1.17

なぜか泊瀬女さんが懐かしいですね。

習志野の てつさんから香具さんへのリレーで、弟橘姫のタスキがつながりましたよ。
石切さんにおくゆかしいたたずまいの婦道神社と云う摂社があり、弟橘姫命を祀っています。弟橘姫は物部系の穂積氏の忍山宿彌の娘とされています。石切さんの宮司さんは木積氏で、先祖は穂積氏だそうです。

走*神社 *走神社 を 探してみました。
●走湯神社(そうとうじんじゃ)
岩手県紫波郡紫波町 傍らに小社あり大道租という
神奈川県三浦市
山梨県二座 山梨市と東山梨郡春日居町
静岡県二座 【下田市】と浜松市
宮崎県北諸県郡山之口町 はしりゆじんじゃ
どうやら 【伊豆の走湯権現】を勧請したようですね。
●正一位岩走神社 しょういちいいわばしりじんじゃ 東京都西多摩郡五日市町
●走水神社 はしりみずじんじゃ 横須賀市走水2ー12ー5 はしうどじんじゃ 神戸市中央区
●走淵神社 はしりふちじんじゃ 岐阜県吉城郡神岡町
●馬走神社 まばせじんじゃ 静岡県清水市
●走落神社二座 はしりおちじんじゃ 滋賀県伊香郡高月町、大阪府豊能郡豊能町
●走田神社二座 はしりたじんじゃ 京都府長岡京市 はせだじんじゃ 京都府亀岡市
●火走神社 ひばしりじんじゃ 大阪府泉佐野市
でした。シンド。


nick 隼人 韓国古守峯神社 H13.1.17

国分市から参考資料を頂いたので眺めていたら次のような神社がでてきました。
早速、担当者の方に電話して場所等の調査をして頂いております。 朗報が期待??

韓国古守峯神社
止上神社とともに、熊襲征伐に関連のある神社であり、昔は神社の北、剣岩に石祀があり、拝殿はその麓にあったという。
今の場所に移されたのは延宝元年(1673)である。


香具 地名、ちなみに・・・  H13.1.174

「習志野のてつ」様、神戸の国生と申します。よろしくお願いします。横須賀の『走水』(はしりみず)を見ての蛇足です。
日本武尊とは関係ありませんが、神戸の元町通5丁目に『走水神社』という村社があり、天神さんと八幡さんを祀ってあります。ここでは『はしうど』と読みます。かつて(神戸の)宇治川がこの辺りでは激しく流れて渦を巻いて走るようであったからとか、「間人氏」と関係があるとか諸説云われていますが不詳です。私自身は「出水」の地名のように、土石流などの水害を示すのではと思っています。
また東大阪、生駒の石切りさんの下に『水走』という地名がありましたが、ここは『みずはい?』だったと思います。 蛇足の蛇足、石切さんから枚岡神社も近くですが、ひと足伸ばして瓢箪山稲荷まで行くと『辻占』ができます。


福島雅彦 Hp   H13.1.17

> 『竺紫日向之橘小門之阿波岐−−−原』というのは
> つくしのひむかのたちばなのおどのあわぎはら

横合いから失礼します。何時も皆様の御高説を拝読しています。
『ちくしの、ひむきの、たちばなの、ア・はきはら』と、上ツ瀬、下ツ瀬、と来たら私に一家言有ります。
伊弉那諾尊の禊祓いの地へ至る道順で、福岡県浮羽郡と朝倉郡にかけて一列に順番に並んで、現存します。
「ちくしのひむき」=浮羽郡浮羽町日向(妹川小学校前のバス停留所名でもある)。
「たちばな」=浮羽郡吉井町橘田(土地の人は、タチバンダ、と発音する)。
「おど」=河川や陸地と島との渡りに適した地。
「ア・はきはら」=筑後川を渡河した朝倉郡杷木町(旧、波伎)。
「ア」とは、物の端、東の端、立体空間の上の方などの意=安房、阿波、阿の津(今の津市)、東(あづま=ア・詰まッ)と何れも東に在る。
上ツ瀬は流れが急、下ツ瀬はセセラギで禊に不適、中ツ瀬が澱みで、禊が出来た。
この『小戸』の筑後川渡河地点には、三つの大きな中洲が在る。
上流から、筑後川温泉、原鶴温泉、中島(農地とグラウンドが有る)であるが、中ツ瀬が禊に適している。祝詞の文言はこの地の説明である。福島雅彦説。


マルヤ Hp 真野時縄の件 H13.1.16

真野時縄の情報、確かに受信させていただきました。
なんと34篇もの著作があるのだそうですね。全く驚きです。


nick 隼人 韓国宇豆峯神社 H13.1.16

おそまきながら追加しました。
神話伝承探訪/隼人のルーツ 最後に追加しました。


習志野の てつ H13.1.16

紋次郎兄ぃ ご指摘ありがとうございます すいません
走水(ハシリミズ)は、横須賀市の地名です。解説不足、
勝手にみんな知ってると思ってまして失礼しました。
東京湾の中で、狭くなっている部分で、干満のせいで水の流れが速いところ、と解釈しておりました。

ついでですが、イザナギさんが禊(ミソギ)をしたのも
『竺紫日向之橘小門之阿波岐−−−原』というのはつくしのひむかのたちばなのおどのあわぎはら

海のながれの有るところ=(上つ瀬は瀬速し。下つ瀬は瀬遅し)で、こんな地形の場所かと解釈してます。


あかがね 異説・日本武尊『走水の真相』  H13.1.15

> 『日本武尊 走水事件の 真相』 少し長いのですが
ちょこっと刺激してしまったかもしれないので、責任を感じて「走水事件」の真相にまた違った視点から迫った面白いページを紹介させてください。
http://www.ask.ne.jp/~tachi/
他人様のHPを勝手に紹介するのってネチケットに反しますでしょうか?でもこのページは面白いです。全然衒学的なところはなく、紀行文というか散歩エッセイみたいなんだけど結構鋭い。
ま、要するにヤマトタケル伝説というのは色ーんな話の寄せ集めなんだ。ってことでしょうか。


焼尻紋次郎 Hp 漢字よめない庶民文化にお力添えくだせぇ  H13.1.15

習志野のてつあにぃ、「走水」たぁ、何と発音して、どーゆー意味ざんすけぇ。おせぇてぇな。
ヒヨコッとしたら津軽のミジャシリに関係あらへんやろか。諏訪にも似ぃちゅうことばがありやしたよなァ。
一つひとつ、おれたちの勝利への一里塚カネ。 


習志野の てつ 私説・日本武尊『走水の真相』  H13.1.15

ユーアイ掲示板 風の神志那斗弁命(シナトベノミコト)に刺激され延喜式神名帳 神社一覧を使わせていただいて創った『日本武尊 走水事件の 真相』 少し長いのですが
海に身を投げて有名な弟橘姫命
上總國・長柄郡 http://www.kamnavi.net/en/kazusa.htm
橘神社[タチハナ]
橘樹神社[たちばな]「弟橘姫命 配 日本武尊、忍山宿禰」古事記の「七日の後、その后の櫛海辺に依りき、すなわちその櫛を取りて御陵を作り治め置」とあるのが当社とされる。千葉県長生郡本納738,739

姉埼神社[アネサキ] 同じページ 海上郡
姉崎神社[あなさき]「支那斗弁命 配 天兒屋根命、日本武尊、大雀命、塞三柱命」島穴神社の志那都比古命の妃を祀る。日本武尊が御東征の時、走水の海で暴風雨に遭い、お妃の弟橘姫の犠牲によって無事上総の地に着かれ、ここ宮山台においてお妃を偲び、風の神志那斗弁命(シナトベノミコト)を祀ったのが始まりという。千葉県市原市姉崎2278
地元では、弟橘姫の姉さんが流れ着いた、との俗説が流布されています。

下總國・千葉郡
蘇賀比神社[ソカヒメ] http://www.kamnavi.net/en/simofusa.htm
蘇賀比神社「蘇我比大神、千代春稻荷大神 配 天照皇大神、經津主神、武甕槌神、天兒屋根神、天兒屋根比賣神、應神天皇、比大神、神功皇后」天兒屋根比賣神が祀られている珍しい神社である。日本武尊の軍船沈没の危惧の際、身を投げた姫の中に蘇我大臣の娘たる比がおり、この下の海岸に打ち上げられたが、幸いに蘇生した。後蘇我一族が国造となった際創建。千葉県千葉市中央区蘇我町1-188
今は交通渋滞で、蘇我陸橋として有名です。すぐ傍に川崎製鉄の川崎町が有ります。

以上の3神社の話からの私的邪説
日本武尊の一団は、舟で走水を渡ろうとしました。すぐ向かいに陸地が見えばかにして荷物満載状態で、です。ところが一天俄にかきくもり、嵐となり、舟が沈みそうになり荷物を捨てます。まだ沈みそうです。『しかたない』と非戦闘要員=女性達を海に投げ込みます。ホウホウのていで、岸にたどり着きほっとして、風の神志那斗弁命(シナトベノミコト)を祀ります。自分達が助かったからです。しかし時間が経ち、心が痛み、弟橘姫さんを祀ります。 贖罪のためです。
恥ずかしいので悲劇仕立てのストーリーを創り、流布しました。
君去らず=木更津との地名、吾が妻よ=吾妻=アヅマ、などです。

海になげ込まれても死なない強い運命を持った姫をその一族が祀りました。
以上が3神社の本当の由緒です。

集団自決をした人々
弟橘姫 (姉さん) 蘇我一族の姫 (天兒屋根の一族の姫) その他の姫達

袖ヶ浦と言う地名
木更津と習志野にあるが、片袖ずつ流れ着いた。

以上 珍説 『走水の真相』 如何でしょうか。

多くの女性が亡くなられた場所は、夜になると光り輝きました。今は東京湾横断道路の『海ホタル』とよばれています。ココハ ウソ デス。


焼尻紋次郎 Hp どこまでも3本アシ(足・柱・神)なのら  H13.1.15

日本がポツダム宣言を受容したとき……すなわち、「負けました」と言ったときには「国体をそのままにして」という条件をつけた。無条件降伏ではなかったのだ。
出雲がくに譲りをしたとき、巨大な出雲大社の建造が条件だった。
詳しくはシランが、とにかく物凄く高い建造物だったとの、言い伝えか文献があるそうだ。
その柱はのっけから「三本ひと組」で、青銅でしめあげ、組み建てられたのではなかったのだろうか。その「三つで一つ」の考え方は“世界共通”だったことはタシカな筋だろう。
この“偏執”は、二人のオトコがガッチリ組んで、共に特定の一人を親分として盛り立てる効率のことを謂っているのではなかろうか。さきにも紹介したとおり、出雲でもこれが見られた。

熊野とサンカは出雲王国の忘れ形見だと惟ふ。
大分県でも古い熊野神社がある。出雲・大分・熊野の三つは全国に 2000 もある熊野神社とは格が別だと見受けられる。その大分にウエツフミがあった。紀記に記載されていない事項ながら、サンカとウエツフミに同じ内容の伝承があった。古代出雲王国にあったさまざまな神話や神事、民話をうけ継ぐことによって、ヤマト新政権は周辺の人心を掌握、収攬することができたのである。これホント……と、おら惟ふ。
ウエツフミには物部を「もののべど」と言っていた。ありゃ、またまた言語のことになった。下へおいでんせぇ。

かぎりなく古代語を追求する ; http://ucgi.kamnavi.net/cgi-bin/youibbs.cgi


 setoh 三本足 H13.1.15

玄松子さん>三本足は「神」としての形態・意義も隠されている
いつもながらのグローバルな発想敬服いたします。
これで思いますのは、空海(法然もそうだった?)の姿です。杖でつつくと泉となる伝説です。空海はダウジングロッド(山浜さん、これで正しかったでしょうか?)を持っており、霊気(アルファー線)を感じた所則ち地中の鉱物の多い所(=断層=水の出る所)を探し出して、泉なり井戸を掘らしていったと考えることが出来ます。聖人は持杖にダウジングロッドを仕込んでいたのです。
洋の東西を問わず、「水」こそ最も貴重なものであり、これを見つけだすことは当に神業と思われたのでしょう。

香具さん、過分なるお言葉アガ。書評歓迎いたします。


香具 ムーと違うねん  H13.1.14

神戸の国生です。『【隠された】十字架の国』という本については、私もYOU−I掲示板で半端な紹介をしていましたので気になったまま、腑に落ちない箇所の反証を探してウダウダしているうちに、瀬藤様からの快刀乱麻の如きご解説を頂きました。ありがとうございます。 このサイトでは、原田氏の『古代日本正史』等の批評もたいへん参考になりました。 新聞雑誌の書評欄でも販売促進広告みたいで『評』になっていないものも多いようです。 商業の影響を離れた掲示板で、みなさんの書評が読める事はとても役に立ちます。
調子に乗って他の書籍も取り上げていいですか?


焼尻紋次郎 Hp 哲学者にはあしたはない  H13.1.13

そうなんですよ、サラセッセ様。有名になればなるほど学者はウソつきになるらしい。
最後に真実を勝ち取るは草の根の大衆だけだ。「○○はウソツキだ」と、学者の実名を挙げたほうがいい。ことしも頑張ろうネ。
隣組みのおっさんもそろそろウソをつき始めて、市町村議員になったらウソをつかないと身がもてんようになってくる。一国の総理クラスとなったらもう、ホントのことを喋ったらすぐに「それはウソだ」とされっちまうらしい。

きのふ売り出した『古事記』という本の新聞(朝日)広告に「アイヌ語を駆使して難解な文章をつぎつぎと読み解いていく梅原古代学の挑戦!」とあったので「コリャ大変なことになる」と友人子供を動員して大急ぎで入手してみた……ら、学研という出版社がウソついたか、梅原がウソ言うたかワカランが、マッカな大ウソだった。
おれは、今回のウソツキ広告はゼッタイに許さんぞ。
だれぞ梅原のゴースト・ライターをトッ捕まえるワナの仕掛けかたを知らぬカネ。
だが淋しいねぇ、哲学者ともあろう者が……。これがひと昔前の「気高さ志向の日本」カネ

草の根 I T 掲示板 ; http://ucgi.kamnavi.net/cgi-bin/youibbs.cgi


 setoh 三柱鳥居 H13.1.13

三柱(鳥居)を建てることはユダヤ教、キリスト教にはありません。景教ではないでしょう。

京都洛北の三宅八幡神社は 三宅+八幡と 二重に秦氏が匂います。
上賀茂、下鴨と合わせると、丁度正三角形の位置に鎮座しています。
宇佐の御許山の御神体は三柱の石柱で、宗像三神降臨の地とされています。
一人は鴨のアジスキタカヒコネ神の母神で、宗像と賀茂はつながります。

大和三山と三輪山は昔書いたことがありますが、蚕社の三柱鳥居と本殿の位置関係です。
弓月嶽と三輪山の頂上を結ぶと、橿原神宮につきささります。初期王権の成立を暗示しているようにも見えますね。


 setoh 三本足の烏と三柱鳥居 H13.1.13

三本足の烏:紀元前の高句麗の古墳壁画に、太陽中の三本足の烏と月中の兎、ヒキガエルが描かれているそうです。『稲と太陽と鳥の道』萩原秀三郎著
なお著者は太陽の中の烏は二足であったが、後の陰陽五行思想の影響で奇数を聖数とすることから三本足になったとの見解です。味も素っ気もありませんね。

習志野の てつさんのご紹介の『【隠された】十字架の国』のp40に
秦一族は、中国人が「弓月」と呼んだ中央アジアの国から、シルクロードをたどって東にやって来ました。(『新撰姓氏録』)。
と出てきます。小生の知っている範囲では
太秦公宿禰。秦始皇帝の三世孫、孝武王より出ず。男功満王、帯仲彦天皇(仲哀天皇)の八年に来朝[まう]く。男融通王(一に弓月王と云う)誉田天皇(応神天皇)の十四年に、廿七県の百姓[ひゃくせい]を来[もう]け率いて帰化[まい]り。
です。

ここまで読みまして、『【隠された】十字架の国』の著者は嘘つきだと言うことがわかりました。従って、この本はフクションであり、信用は出来ません。平山郁夫さん永六輔さんご推薦らしいですが、これも嘘かも知れませんね。


玄松子 玄松子の記憶 三本足 H13.1.13

「三本足」というとスフィンクスの問いを連想する。
人間の最終形態で、杖をついた老体と解釈されるようだが、それでは、問いとして単純すぎる。
実は、「神」としての形態・意義も隠されているのかもしれない。


 神奈備の御魂別 ああ、神様。俺もくどいよ いったい三位とは何か? H13.1.12

三本足の烏の文献の名は現在不明です。烏は太陽の化身ではなかったでしょうか。

神道では、人は皆分け御霊をもらって生まれてくるとされています。
従って肉体が滅びれば魂は浄化のプロセスを経て大きい御魂の一部に戻ります。これが「一体」の本義でしょう。
 所が、日本には御魂の集合が三つあります。
●一つは国津神をモデルに観念から作り上げたものですが、多くの人々が信じたので御魂の地位を獲得した天津神です。これには後世の御霊神なんかも入るのかも知れません。天神さんと言う位ですから。
●もう一つは国津神の内、天津神に従った神々です。これを国津神と言うそうです。和魂でしょうね。大国主命、建御名方命なんかがそうでしょう。
●最後の一つが国津神の内、天津神に従わなかったいわゆる荒ぶる神です。アラハバキ神、石長姫、長随彦などなど。
この神々が一体となって日本は出来ている主張を三位一体といいます。
また一体ではない、それぞれが別物であると考えるのが、三位三体でしょう。
机上の産物である三貴子などとは異質なものです。ましてや記紀の冒頭の独神などではありません。


nick 隼人 Re[484][483]: 鳥居については H13.1.12

既にご存知かもしれませんが一応次をごらん下さい。
http://www.jinja.or.jp/faq/answer/03-01.html
また、また追記ですが、もう1本ページを
http://www.genbu.net/tisiki/tisiki.htm


焼尻紋次郎 Hp ああ、クナドの神様! H13.1.11

ここ、ダイジな曲がりかど(kuna……英語 corner )あるネ。皆シャン、時間を止めてくだシャ〜イ。
三本足の鳥居 / 三本足のカラス / 三位三体。三十三。カラス / Kur(黒)su(鳥)。そこへ朝日。

 おら、なぁ〜〜んもシラァ〜〜ん。グジャジィねぇ。
だがサラセッセ様、以前に「三本足のカラスは南方にもある」とおらに言うたと思うが、アレ、おらの夢やったか。ここで鼻血だしてもなんとかモノ言え。
カラスが 30 羽も 40羽も舞う山は香具山と三輪山じゃったか? それぞれ何羽だったか? 

 おらも鼻ヂだしてモノ言うぞ。
 柱は has < bas(神) + ra(強調末尾辞)である。ここまでは鼻ヂ出す必要これなし。そろそろ鼻ヂ出るが、has の“ h ”は外れ易い。すなわち、as =神 なのである。飛鳥、明日香がここでスンナリ胸に落ちよう(ハナヂ出るカネ)。as に別の強調末尾辞の -ai がつくと「浅井(旧名家)」が出る。九州には「阿座上」という姓(名字)がある。末尾が“ a ”終わりになるのはパーリ語のクセざんす。
三橋三智也さんの「ミハシ」はイミシンである。柱がただの建築用材として「丸くて長い材木」だとの概念になったとき、has-ra とともに 「mi(神)has ……形容詞後置形 」が、あっちでもこっちでも言われだしただろう。そうすると、ここに「コトダマ観念」で三本柱が出現するんとちゃうカネ。
神社に祀られる「三柱の神様」は、初めのうちは、祀るべき神様が多すぎて、いっしょの場所に「お詰め願いマァ〜ス」と言った結果だろうが、そういう形態がアタリマエになったとき、そこにはまた別のオチョクリが出たんとちゃうカネ。
すべての意識をビッグ・バンに直結させるホペ ; http://ucgi.kamnavi.net/cgi-bin/youibbs.cgi


 setoh  H13.1.11

あかがねさんに脱帽です。両社とも二度以上参詣しているのに「注意不足」は私です。おまけに坐摩(いかすり)神社は家からも会社からも徒歩10分以内です。早速参詣に行きましたよ。たしかに三輪鳥居と称する様ですが、ゆわれは神社にも伝わっていないとの事でした。天岩戸神社は流石玄松子さんには写っていますね。

imo Qooさん > 柱=神 三本は3人の神
とすれば、普通の鳥居は二柱の神? 鳥居は柱と柱の間の面に意味があるのでは? 

あさひの地名は谷川健一さん『青銅の神の足跡』に金属製錬との位置関係ででていましたね。
和歌山の名草山の東にも朝日があります。一説には浅い樋(水路)を言い、これに対応するのが静火(神社)で沈んでいる樋(深い水路)だとしています。


あかがね H13.1.10

ご無沙汰しております。皆さんの書き込みに勉強させてもらう事はあれど、こちらから書き込む知識も殆どなく、前の書き込みより随分間があいてしまいました。
さて、今の話題は「秦氏と三輪鳥居(三本鳥居ですか?それなら別物か…)」ですか?
秦氏に関しては何もありませんが、三輪鳥居に関して少し。
三輪鳥居、大神神社で「古来一社の神秘なり。」といわれており、大変変わったもののように言われているみたいなのですが、私は意外に全然別なところでも見かけたことがあります。・・・といっても二箇所だけなのですが、それは摂津国式内社の坐摩神社(大阪本町)と大和国式内社天岩戸神社(橿原市香具山ふもと)です。どちらも大神神社とは直接関係ないですよね。
坐摩神社の方は都会のど真ん中にあるお宮で、塀に囲まれているのですが、その入り口が確かに三輪鳥居と同じ形状でした。あれは単に通用口が左右に付随している鳥居に過ぎなかったのでしょうか?
一方の天岩戸神社の方は拝殿の背後のご本殿が通常ならある場所にぽつねんとありました。こっちは間違いなく三輪鳥居。(垣内でもなかったので思わず回りこんでしまったのですが、こういうの写真にとってよいものなのかいつも遠慮してしまいます。)その後ろは竹やぶで、香具山が三輪山のような神南備にあたる。ということなのでしょうか?
本当に一社の神秘なんでしょうか?天岩戸神社は無人だったけど、坐摩さんはいっぱい人がいらしたので聴いておけばよかったと思う毎日です。ああ勉強不足、注意不足。


 imo Qoo 岩戸なる13の蛇の年 H13.1.10

秦氏はユダヤ人原始キリスト教徒なる説が有ります。
三柱の鳥居は「三位一体」ではなく、「三位三体」ではないでしょうか?
柱=神 三本は3人の神 古事記の原初の三神 三種の神器に象徴される三神三貴子等々 です。 


 setoh ハッタリジャ H13.1.10

三囲神社(みめぐり)祭神は宇迦御魂命。小梅村鎮座稲荷神社の名称を三圍神社に改称したそうですね。近江の三井寺の僧の源慶の中興の事績が伝えられているそうです。三井はミツイではなかったかも。
三井をミイとすると蛇です。宇迦御魂命の宇迦もたしか蛇ではなかったでしょうか。
ところで、三輪の神の遣いも蛇でしたね。雷に通じるのかな。小子部連は蛇神も雷神もつかまえました。(雄略紀)。小子部の名前のゆわれは蚕を集めろと云われて間違って嬰児を集めたことです。
蛇は蚕を鼠から守る役割がありました。秦氏の稲荷信仰は稲作だけではなく、養蚕を守ったのですね。


nick 隼人 Re[472][459]: 鳥海山 H13.1.10

山浜さん>夏でしたら7月末〜8月初めが比較的天候が安定しております。
御勧めの時期に、ついでに再度飯豊、朝日連峰もやりたいな〜と。。
九州からでは、交通費とやすみが、、
山浜さん>しかし、あれだけ吹雪であれていたのに、拝殿に着いたら晴れ間が出てき たのはホント不思議です
よい年明けをされました。ご人徳でしょう。


nick 隼人 平家落人部落「あさひ」 H13.1.10

当地鹿児島には「いぼ」の神様があります。
「まむしよけ」、、、も。
あと2、3あったようですが、、ちょっと記憶が薄れて、、、
時にそちら近辺に「あさひ」と読める地名はありませんか。
どうも平家の落人部落のことを指すようですが定かでは。


 setoh  H13.1.10

生駒山は饒速日命の降臨伝説のある神奈備山です。前世紀の半ば頃からこの山麓に数多くの新興宗教が生まれています。向こう三軒両隣合わせて六つの宗教法人の有様に見えます。これは饒速日命の神威のお裾分けに預かろうとするものでしょう。この中のひとつにアシキリさんがあっても不思議ではありませんが小生は未確認です。
大阪では「でんぼの神様」(でんぼとはおでき、できものをいふ)で有名な石切劔箭命神社(式内社 いしきりつるぎやのみこと)が鎮座しております。
お百度参りの列が絶えることのない繁昌ぶりの神社です。


焼尻紋次郎 Hp ハタ・ハッハ H13.1.10

* 秦氏の「ハタ」の基本はカミナリぞな。そんでもって文献の上で秦氏が朝鮮半島の東に現れているから……といって、それを日本列島にたどりつくまでの唯一のコースと決めてかかっちゃぁ〜いけねぇ〜〜イヨッ・
 秦氏といえどネズミの如く子供が増えるワナ。あっちでもハタハタ、こっちでもハタハタカネ。

* わりぃがサラセッセ様、「大阪にアシキリ神社がある」とノーブル福田さんが教えてくれた。ホントカネ。
また、資料の神様アマカネ。・・・・アナシ(足無し)の紋次郎。
 精神文明のパイオニア ; http://ucgi.kamnavi.net/cgi-bin/youibbs.cgi


山浜 Re[459]: 鳥海山 13.1.9

nickさん はじめまして、返事遅れてすみませんでした
> 昔仕事と天候が合わず、近くまで行きながら登山ができなかった所です。
> 私は、雪ではなくて、暖かい夏に伺いたいな〜なんて考えております。

ほんと鳥海山周辺は天候の変化が激しいところです。天候面でも大物忌ですか?
吹雪でしたので吹浦駅近くの吹浦口にお参りしました。
夏でしたら7月末〜8月初めが比較的天候が安定しております。
私もあんなに雪があるとは思いませんでした。いつもの年はこの時期あんなに雪ないのですけどね。しかし、あれだけ吹雪であれていたのに、拝殿に着いたら晴れ間が出てきたのはホント不思議です。


マルヤ Hp どうも、おおきに。 H13.1.8

setohさん、眞野時綱の件ありがとうございます。
こいっちさん、早速の情報ありがとうございました。薄暗がりにランプが点った感じです。マルヤも通りすがりで「神奈備ファン」なって半年、この掲示板に書き込みを始めてまだ2ヶ月足らずです。こいっちさんも又お立ち寄りください。


泊瀬女 出雲幻想の旅 5 H13.1.9

須我神社は日本初之宮と言われ、ヤマタノオロチを退治したスサノオがイナダヒメと結婚することになって、新居を定めた場所といわれています。有名な「八雲たつ・・・」の歌の発祥の地とされ、和歌発祥の遺跡ともされています。本殿の両側に杉の木が立っていて新婚の二人が立っているようにも見えます。

清々と 須我のみ庭に 立たせ給ふ 妹背の姿 幻にみて

八重垣神社は縁結びの神社として、また巨勢金岡の描いたとされる壁画が有名です。本殿前の収蔵庫で平安風のスサノオ、イナダヒメ、天照大神など六神像を近くで見ることができます。本殿の裏手を少し入ると佐久佐女の森があり、スサノオがイナダヒメを八重垣の中に隠したとの伝承の森です。この森に鏡の池という小さな池があり、この池で恋占いをします。社務所でいただいた紙を池にそっと浮かべて真ん中に硬貨を置きます。早く沈めば良縁早く、遅ければ縁が遅いとか。少し離れた所で一心に手を合わせて占いをしていた若いお嬢さんよりも私の占いの紙が早く沈んでしまい、何だか悪い事をしてしまったなァと。恋占いは不真面目に参加してはいけません。でも佐久佐女の森は神秘的な場所です。

八重垣に 乙女らが持つ 恋占の 鏡の池に 映る面影

神魂神社は道路から神社へあがる石段がいい感じです。ご社殿が大きく感じたのは外側に垣がなく、社殿のそばまで近寄れるせいでしょうか。お昼どきだったので社務所に誰もいなくて、ご朱印をいただくため少しの間社務所の縁側に腰掛けて、堂々たる大社造りの社殿をながめて待っていました。風もなく暖かでまるで神様に優しく抱かれいるような幸せな気分でした。

出雲なる 神魂のやしろ 小春日に 峻厳と坐す 神のかひなの

熊野大社は出雲国一の宮です。神社の前には大きな駐車場があり、温泉施設など立派な近代的な建物が並び、森厳な雰囲気をイメージしていた私には???という感じでしたが、中に入るとさすがに威厳があります。神在月なので何かあるかなと思っていましたが、静かで特に変わった感じはありません。神前で手を合わせていたら、突然ダダダダッと音がした。びっくりして振り向いたら、近くを通った巫女さんが「あら、キツツキ!」と言ったので、音はキツツキの音だと知りました。キツツキの音って初めて聞きました。
社殿の左には讃火殿、ここで出雲大社からのお使いが火をおこす道具を借りにくる亀太夫神事が行われるとか。この問答がとても面白いそうです。

あくがれの 熊野大神 あおぎたり 応え給ふか きつつきの音


 setoh  H13.1.9

こいっちさん、眞野時綱の情報ありがとうございます。それにしても通りすがりにこれだけ出てくるのは・・・。ドラエモンのポケットみたいな情報源ですね。

てつさん、秦氏は果たして景教徒だったのか?
秦氏の痕跡はとりあえずは、朝鮮の東側だそうです。三国史記には
蔚珍[ウルチン]郡の治める県は一つで、その県は海曲(または海西県)といい、もともと高句麗の波旦県を景徳王が改名したものである。 と出ています。
更に、兵主神との関連からは山東半島の西部までは可能性があります。これ以上は空想の世界に近づきます。景教・法華教・道教はそれぞれ膨大な大系を持っています。宗教としては人の道を説くわけですから似たものがあって当たり前だと思います。秦氏キリスト教論は今のところ点と点とをつないだ論議に見えていますが、興味あるテーマですね。

泊瀬女さん、神社ではありませんが雪の朝の銀閣寺はお勧めです。ところで泊瀬女さん登拝予定の三輪山の大神神社ですが、三柱鳥居を広げれば、大神神社の三の鳥居(三輪鳥居)になりますね。これは檜原神社でみられますね。所で、大神神社は三輪山の頂上を遙拝するようになっていません。実は巻向山(弓月山:三輪山より100m高い)頂上と三輪山の頂上を延長した線上に大神神社があります。古代の神社を考えるのに秦氏は避けて通れませんね。はた迷惑な氏族ですね。


泊瀬女 変わり者じゃない! H13.1.9

神社大好きの変わり者の皆さん、明けましておめでとうございます。
皆さん相変わらずやってますね、変わり者の生活。私は変わり者じゃァないからお正月は普通にしてましたよ。三ガ日は家にこもりっきりで、4日に歌舞伎座、5日に浅草公会堂、6日に国立劇場と連続の歌舞伎見物、晴れ着でチャラチャラしてました。
これが普通のお正月の過ごし方。
山浜さんなんて吹雪をついてお宮参りしているのに、私ときたら初詣にも行ってないの。
1月・2月は「こもりくの泊瀬女」トーミンしていようと思うけど、もうがまんできなくて気が狂いそう。雪の中でシンと静まりかえった神社なんて魅力だわね。それとも瀬戸内沿岸もいいかな。淡路島から阿波というのはどうかしら。
私はフツーだからね。変わり者じゃないからね。(自分で普通だと言い張る人ほど変なんだヨー)ともう一人の私が笑いながら言います。寒い季節にお勧めの神社があったら教えてくださいな。


習志野の てつ re:眞野時綱  と お稲荷さんの巻物 H13.1.9

初詣 いろいろお参りしてきました。
お正月は時間があるのがうれしいです。
> 稲荷は渡来民族秦氏が西暦712年だったと思いますが、自らの信仰する神を神道形式でお祭りしたことに始まる京都伏見三乃峰稲荷山といわれています。
> たしか巻物は仏教又はバラモンの経典だと記憶しています。--
質問 秦氏はキリスト教徒では? 自分の意見ではなく恐縮ですが。
12月31日発刊の本のご紹介
[隠され]十字架の国・日本 ケン・ジョセフSr.+Jr. 徳間書店
によると、『渡来民族秦氏』は、元 大月氏で、景教徒つまり古いキリスト教徒(ネストリウス派)だそうです。
私がその本で興味を持った部分は全然違うのです。
いわゆる財閥の三井一族は、墨田区の三囲(みめぐり)神社を奉じていますが、(三越屋上に三井神社があり、三囲神社を勧請と書りいてあります)三本足の鳥居が有り、秦一族と深い関係にあるそうです。
三本鳥居は三位一体を表わしているそうです。(P79)
P58 『日本の応神天皇(第15代)の第14年に−(略)−
弓月国の巧満王の子が大集団を率いて、日本に渡来しているのです。−−』
『のち雄略天皇の時代−−彼らの人口を数えてみると「18,670人」いた−−』(新撰姓氏録)
またP62で『127県』(新撰姓氏録)『120県』(日本書紀) と書いてあります。1県(あがた)は最大150人 実際は30人ほどから成り立っていたとすると、今で云う労働力人口は20人程か?と思います。いかがでしょうか。
出たばかりで山積み状態。立ち読みにちょうど良い本です。 今年もよろしく
下総の国 千葉郡 習志野 丹生神社に初詣した てつ


 こいっち re:眞野時綱 H13.1.9

setohさん、みなさん、おはようございます。
通りすがりにカキコいたします。

眞野時綱に関しては、
「神道大系月報」に2・3の特集記事がありましたよ。
彼は祭主大中臣氏・藤波家の分家筋の流れ出身でした。
「古今神学類編」のほかには、
国書刊行会の「神道叢説」に「神家常談」が所収ですよ。


 setoh re:眞野時綱  と お稲荷さんの巻物 H13.1.8

眞野時綱の件は神社オンラインネットワーク連盟の方に質問取り次ぎました。

話は変わりますが、
ある方から、小田原のお稲荷さんの件で以下の質問を受けました。
−−−−−−−−−−−−−−
実は知人がキツネのお稲荷さんをあずかっております。
その口に、巻き物をくわえているのですが、この巻き物はいったい何が書かれているのでしょうか。
私は、悟りに至る秘伝が書かれているんじゃないか、と答えてしまったのですが、
もしかしたら、般若心経あたりかもしれないと予想しています。
−−−−−−−−−−−−−−−
神社オンラインネットワーク連盟のある方から次の答え頂きましたのでご参考に紹介いたします。

稲荷は渡来民族秦氏が西暦712年だったと思いますが、自らの信仰する神を神道形式でお祭りしたことに始まる京都伏見三乃峰稲荷山といわれています。
たしか巻物は仏教又はバラモンの経典だと記憶しています。通常くわえているのは宝珠と御鍵(五穀の稔もたらす知恵、又は豊穣つかさどる大歳神ではなかったかと記憶?)また稲穂の場合もあります。多くの神仏儒バラモン等との習合著しく簡単にはお答えできません。
とのことでした。


マルヤ Hp 眞野時綱 H13.1.8

【眞野時綱】について調べています。どなたか教えていただけませんか。
  歴史人名事典などで調べると、
○江戸時代中期の神道学者(1648〜1717)
○時縄とも書き、トキツナと称して「藤波}を号した
○尾張津島神社の歴代の神官家である
○著書に「古今神学類聚鈔」などがある
○上京して伊勢神道、吉田神道を学ぶ。師友に松下見林、出口延佳ほか
 ・・・以上位しか分かりません。それで愛知県津島市神明町の津島神社を訪ねましたが
ほとんど上記以外のことは分かりませんでした。
「藤波」といえば現在の伊勢神宮の祭主は藤波道忠氏だと聞いていますし、また出口延佳といえば伊勢外宮の渡会氏だと思うのですが、関連があるのでしょうか?
真野氏の出自や系譜、その著書など、ご存知の方ご教示おねがいします。
ある方にお聞きしたら、眞野時綱の晩年は春日宮?の宮司長をして、98歳まで生きた(死因はモチを喉に詰まらせた)。著書は国会図書館と東大図書館、英国の世界資料室?にある言われるのですが?・・・インターネットで検索してもよく分からないのです。


nick 隼人 re:「城と神社の配置」の例 H13.1.7

setoh さん、早速のご返事ありがとうございます。
鬼門だけではなく他の方角にも何か定義があるのでしょうか。
そういえば相撲の房の色や土俵の配置などもこれによると伺ってますが、、、
やはりこのような事項も勉強が必要なようで。。
少しはそれらを踏まえて読み砕ければいいのですが。
どうもありがとうございました。


 setoh 「城と神社の配置」の例 H13.1.7

「城と神社の配置」の例示を幾つか
和歌山城 神明神社 裏鬼門守護神として城山から遷座
大阪城  生国魂神社 秀吉の命令により城内から南方へ遷座
大阪城  坐摩神社  同じく西方の陶器神社境内に遷座
大阪城  高津神社内赤留比売命神社 大阪城内の磐船神社の後裔とされる 南へ
恩智城  恩智神社 城の位置が神社を見下ろす位置になるので城主が東の高所に遷座
多賀城  荒脛神社 蝦夷退散の目的で蝦夷の神を城外に祀った
形態につきましては、目立った特徴を把握できていません。


nick 隼人 城と神社の配置について H13.1.7

昨夜から古文書を読んでいたら、、当地に築城の際に鬼門の方角に、、、、とありまして、、、
どうもその時幾つか位置を変えたりしたようです。
どなたか「城と神社の配置」を御指導いただけませんでしょうか。
またその神社の形態も併せて。。
宜しくお願い致します。


ひん Hp 賀正:賀茂社 H13.1.6

ごぶさたしております。
新春、賀茂2社に行ってきました。
ソトオシノイラツメが奉ってあったほこらがあってびっくりしました。

賀茂氏についていっぱい知りたいんですが、(自分が知りたいだけ)情報下さい!


nick 隼人 re:初詣は鳥海山 H13.1.6

nick です。
山浜さん、はじめまして。

山浜さん>私もいま実家から到着。
山浜さん>さすがに寒い国は神社巡りも大変です。
山浜さん>例年では考えられないような地吹雪でした。
山浜さん>初詣は鳥海山大物忌神社(吹浦口)と羽黒山、そして弥彦神社でした。

昔仕事と天候が合わず、近くまで行きながら登山ができなかった所です。
私は、雪ではなくて、暖かい夏に伺いたいな〜なんて考えております。
その折は宜しくお願いいたします。


 setoh 木狂の話 H13.1.5

木が二本立っていると左右対称に育つように思いませんか?
とくに神社の鳥居の両側に植えられている木にその例が多いような印象を持っています。相似形なら自然の摂理でしょうが、左右対称の姿には木の意志を感じます。

猪名川町の八坂神社  www.kamnavi.net/it/kinki/kasiwabara.htm

伊豆町八幡の来宮神社  www.kamnavi.net/it/izu/hatuma.htm

皆さんの印象はどうでしょうか?


マルヤ Hp 弥勒菩薩と獣666 H13.1.4

・・・智慧あるものは解くがよい・・・と聖書に有ります。
ご存知の方もいると思いますが次の数字は何だと思われますか?
666,828,1008,1179,1314,558,1143,1431,1269,1395,1215,1485,・・・・・
一番初めの数字これは?、そうです。NHKラジオの周波数です。
これらの数字はすべて日本のラジオ放送(中波)の周波数ですが誰が決めたのでしょう。これらの数字には全てに共通する基数があります。
【666】→6+6+6=18→1+8=9
828→8+2+8=18→1+8=9・・・このように分解すると上記の数はすべて【9】となります。
これははたして偶然なのでしょうか。当初はこの数字ではなかったと記憶します。
この内666ですが、これはミロクと読めます。三つの六、または六が三つとも解釈できます。逆にすると999ですが、これも分解すると9+9+9=36→3+6=9,やはりこれも【9】になってしまいます。数字とは不思議ですね。ピタゴラスが云うように全て数字で表せるのでしょうか。
さて、ミロク(弥勒菩薩)ですがこの菩薩は56億7千万年後に、この世に下生(化生)して衆生を救うといいますが、この567の数字も【9】と分解できます。この弥勒菩薩は東洋(日本)の神とすれば、西欧の神からすれば悪魔となります。古来より味方の信奉するのが神(善神)であり、敵の信奉するは悪魔(悪神)と決めつけられてきました。
もし「東洋と西洋の文明衝突」というのがあるとすれば、弥勒菩薩は悪魔の獣666と言われそうです。
近年、西欧の日本包囲網が狭められてきていると感じるのは私だけでしょうか。


マルヤ Hp 謹賀新年 H13.1.4

さくらばなのどかににおう春の野に蝶もきてまうそでのうえかな

高野山仰ぐを更に仰ぐかなにふつ姫神ふもとながらに      <契沖>

新年おめでとうございます。本年もよろしくおねがいします。
初めの歌は丹生川上神社のおみくじ第12番【大吉】の歌文、次は丹生都比売神社の姫神賛歌です(丹生都比売神社・略記より)。

setohさん、天河神社の祭神はよく分かりません。役行者小角が苦行の末、最初に祈り出した天女とされていますが別に天河草創物語として「天河羽衣伝説」があるそうです。

おとめごがおとめさびしも唐玉緒たもとにまきておとめさびしも <大海人皇子>

この歌は天智10年11月3日大海人皇子が吉野日雄離宮の沙庭で詠まれた歌・・・日雄寺継統記・・・らしいですが、大山源吾氏は宮坂敏和「吉野路案内記」を引用して・・・(壬申の乱前)日雄離宮にお入りになった皇子は何よりもまず天神地祇に勝利の祈願をされた。その時神楽の奉納に合わせて皇子は琴を弾かれた。するとその音に乗って唐玉緒(羽衣)をまとった天女が袖を振りながら五色の雲に乗り山高く舞い上がっていった。そしてのちに天武天皇は壬申の乱勝利後、役小角に命じて天河に祀らせたという。・・・
また「吉野郡旧記」に、  山記ニ言フ天ノ川郷琵琶山弁財天ハ即チ太古金精明神ノ化生ナリ・・・とあるとも言っています。


日下倭人 Hp 三種の神器 H13.1.4

新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。
暮れから正月にかけて、三種の神器をアップしてみました。
調べてみると、三種とされる神器ももとは二種であったという説や、一番軽んじられていると思った勾玉が一番古いという説などもあって、なかなか面白かったです。

その中で、昨年この掲示板をにぎわした丹生水銀ですが、銅鏡を磨くのに水銀が欠かせないものだったことが、伊勢に八咫の鏡を置いた理由の一つ、との見解にも遭遇しました。

興味お有りの方お立ち寄りください。


 おめでとうございます H13.1.4

本年も、本州最南端にて年越を迎えました。
どうやら、串本の神社は夏に焼けたらしいのですが、事実を確かめておりません。
地域住民も何が祭られてあったのか知らない神社でしたねぇ。
漁か、海か…見当はついているのですが…
早く復旧していただきたいものです。


山浜 あけましておめでとうございます H13.1.3

私もいま実家から到着。
さすがに寒い国は神社巡りも大変です。例年では考えられないような地吹雪でした。初詣は鳥海山大物忌神社(吹浦口)と羽黒山、そして弥彦神社でした。
今年もよろしくお導きください。では


 kammer あけましておめでとうございます H13.1.3

やっと実家から帰ってきました。
今年は初めてお昼に丹生都姫神社に初詣にいきました。あんなに人が多いとは思っていませんでした。

今年もよろしくお願い致します。追伸、これから寝ます。


 setoh 666 H13.1.1

頭に666と刻まれた子供が悪魔でオーメンと言う映画がありましたね。これは獣の数で黙示録にあるそうです。
小生の誕生日が6月6日だったので、何時頃生まれたかを生前の母親に聞いたことがあります。
残念ながら明け方前の4時頃でした。悪魔にはなり損ないましたが、「変わり者」の端くれに座ることになりました。

新年度の予算で国と地方の借金が666兆円になるそうです。(一人あたり500万円凶。)縁起の悪い数ですね。どうやら景気の悪い年になりそうです。心して迎えましょう。


nick 隼人 賀正 H13.1.1

今年は「徐福」関連を充実させようと。
本年もどうぞ宜しくお願い致します。

発足以来のログです。
掲示板過去ログ集



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