神奈備掲示板の案内とログ

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掲示板のログ(平成十五年十一月)お名前の敬称は省略しています。

[4708] Re[4707][4706]: 吉備と気比はどっちがコピー?  T2 [Mail] 2003/11/30(Sun) 23:58 [Reply]
> コピぺが前提なのですか?
> 神社由緒であっても著作物だと思いますよ。
> 引用ではない複製は問題あるんじゃないかと危惧します。

表現が間違っていましたね。
今回のミスの原因としてこれであればミスは無かったとしただけです。
本来は参拝した時の自分の所感などを記載するのみであったのですが、
感じた事以外で、はっきりした事を伝えたくて由緒等を付け加えてみたのです。
由緒等を付け加える際にはきちんと引用先や参考文献などを記載するようにはしています。
今回の件でサイトを見直して問題点を改善するように努めます。

[4707] Re[4706]: 吉備と気比はどっちがコピー?  玄松子 2003/11/30(Sun) 23:07 [Reply]
> ミスの原因として私が作った当時気比神宮のHPが閉まっており、簡単にコピーできない状態でした。

コピぺが前提なのですか?
神社由緒であっても著作物だと思いますよ。
引用ではない複製は問題あるんじゃないかと危惧します。

[4706] Re[4703]: 吉備と気比はどっちがコピー?  T2 [Mail] 2003/11/30(Sun) 22:43 [Reply]
初めまして、T2と言います。

先日の私のサイトに関して書き込みにあった

>  変化 舊事紀→舊事記 當國國造→営国国造。
>  ここはエントロピー増大の原則が働いていると云うことは、このコピー作業に頭が働いていない証明。単なる作業だったことがわかる。

についてですが、ご指摘の通り、頭を働かさないまま作業していました。

言い訳を申しますと、私のサイトは主に身内にしか教えていないので正直サイトに書かれている事柄を理解できる人はいません。
その為、これくらいの省略や漢字ミスであっても分からないだろうと軽い考えで作っていました。
ミスの原因として私が作った当時気比神宮のHPが閉まっており、簡単にコピーできない状態でした。その為社歴を見つつ、しかも私自身知識が無い作業であった為ミスに気付きませんでした。

今回のご指摘で自分の知識の無さを痛感し、皆さんに不快な思いを与えた事を深く御詫び申し上げると共に内容を変更します。

[4705] Re[4700][4698]: 神道と翻訳  神奈備 2003/11/30(Sun) 09:54 [Reply]
> ヌサや削り掛けと神道の接点、なんてのも面白そうなのに、

京都の削掛いろいろ

 遷都1200年祭が京都で華々しく行われたのは約10年前ですが、その大晦日から元旦朝にかけて八坂神社へお詣りしたことがあります。おけら祭で、火貰ってくるくる回しながら帰宅、雑煮を焚くのですが、その1200年記念で恐らくは普段の何倍かの人出で、人の集団がカンカンに固まったまま社殿の前を移動して行きました。とてもじゃないけれどお詣りのお賽銭も奉ずることもできませんでした。このおけら祭は「削掛」とも云うようです。オケラの草を削るのかな。

 京都府伊根町の宇良神社(浦嶋神社)では3月17日に削り掛神事が行われます。通称福棒祭です。近くの山のコブシとチシャの木が使われ、コブシの木の皮を取った白い枝で削掛を作り、これを俵形にしてシャチの木にくくりつけるようです。この木のことを「立花」と云うそうです。何故、立花と云うか、元々橘が使われていたようで、昔は丹後半島も暖かかったのかも。何れにしろ、浦島、常世、橘とセットになっています。

[4704] Re[4700][4698]: 神道と翻訳  金●@埼玉 [Mail] 2003/11/28(Fri) 16:22 [Reply]
大三元さん、お久しぶりです。NIFTYも最大のプロバイダ化から
その後の通信環境の変化で壊滅状態ですね。
その昔のハードルの高かった有意義な状態が懐かしいものです。
internetの普及が歴史愛好家の散逸を生んだのも、しょうがない
という面もありましょう。しかし、残念。

> COE、ですね。

あちゃ、間違えた。

> しかし、相も変わらず・・・アイヌには視点が向かないようですね。
> ヌサや削り掛けと神道の接点、なんてのも面白そうなのに、なん
>でヴェトナムへ飛んでいってしまうのか。 ゴメンナサイ・・・

金田一さんの業績が余りに大きいので躊躇するのかなあ?
幕末から近代初期の北海道の神社の研究はいくつか散見され
ますが・・・・・・・・・・・。

玄松子さん<埼玉くるときゃ、ご連絡くださいな。歓待しましょ。

来春3月には新幹線の新駅「早稲田本庄」駅が近隣に新設されます
ので、東京駅まで1時間少しになります。駅まで30分かかるが。

Yanaseさんが解析したのにはビックリ。それも仕様書お持ちでな
いとのこと。目が点になりました。本庁がWEB上で検索公開しな
がら誤植を直して欲しいがなあ。こればっかりは、田舎の神職が
声をあげても中央の腰が重いし〜。
あのcdを公開してれば世間の見る目が違ったろうに思うのはい
かにも残念。先見の明がなかったのだろうがなあ。

和歌山は和歌山大の海津一朗さんが中世中心に精力的に活動され
てる噂聞きます。紀ノ川沿いは、なかなか面白そうです。

氏子・崇敬者あって、こその神社ですので以後興味深く拝見します。

[4703] 吉備と気比はどっちがコピー?  神奈備 2003/11/28(Fri) 10:11 [Reply]
 気比神宮の摂社の角鹿神社の祭神ですが、『敦賀郡誌』は「大日本史」の角鹿国造の祖の建功狭日命(たけいさひの命)としています。

 建功狭日命は気比神宮のサイト
http://www2.ocn.ne.jp/~kehi/tajinjya.html
によれば、摂社の擬領神社の祭神にその名が見え、「社記に武功狹日命と傳え、一説に大美屋都古神又は玉佐々良彦命とも云う。舊事紀には「蓋し當國國造の祖なるべし」と載せてある。」と記載されています。
 舊事紀とはその中の国造本紀のことで、
角鹿国造 志賀高穴穂朝御代吉備臣祖若武彦命孫建功狭日命定賜国造
とあります。吉備の子孫なんですね。吉備と気比、やっぱし。

 建功狭日命の中の「功」は五十猛命が有功の神と呼ばれたこと、また別に大屋彦神の名を持っていたのが、大美屋都古神と似ているので、何だろうと入った程度の疑問。

 で、余談ですが、G氏のHPの内容がペーストされてアップされているようで、神社サイトではそれ以上のものが作れないレベルにあるG氏のページならではの被害だなとの感想。ペーストしてまでアップする心境は理解できませんし、即刻やめるべきですが、この気比神宮のHPからペーストをすればいいものをハンドでコピー(再度タイプしたのか)面白いページをみつけました。

気比神宮
 社記に武功狹日命と傳え、一説に大美屋都古神又は玉佐々良彦命とも云う。舊事紀には「蓋し當國國造の祖なるべし」と載せてある。

某ページ 実は2つある。この文章で検索すれば出る。
 社記にと傅え、一説に大美屋都古神又は玉佐々良彦命とも云う。舊事記には『蓋し営国国造の租なるべし』と載せてある。

 変化 舊事紀→舊事記 當國國造→営国国造。
 ここはエントロピー増大の原則が働いていると云うことは、このコピー作業に頭が働いていない証明。単なる作業だったことがわかる。

[4702] Re[4701][4698]: 神道と翻訳  玄松子 2003/11/26(Wed) 23:17 [Reply]
>  泊瀬女さんがお知らせ下さった姫宮神社も最近元地に戻っています。『式内社調査報告』もそれ以降編が要るようになってきました。神社も動いているんですね。

近くの有名社に合祀されていた古社の幾つかが古社地、あるいはその近くに再建されているのを幾つか見ました。氏子の方々の執念というか、崇敬の深さみたいなものを感じます。

金●@埼玉さん> win版祭祀祭礼使いやすいで〜す。サンクス。

yanaseさんのおかげですよ。
先日、埼玉方面を計画していましたが、風邪で中止しました。以前は大雨で引き返してしまいました。なかなか縁が無いようですが、いつか必ずお邪魔します。

[4701] Re[4698]: 神道と翻訳  神奈備 2003/11/26(Wed) 22:00 [Reply]
> オーナーさん、ひさしぶりに覗きに来ました。
 歓迎いたします。
 最近は『魏志倭人伝』で云う句奴国は尾張方面だとの説が有力です。
 そうしますと絶遠国の一つである華奴蘇奴国とは関東ではなく西日本から探すのがよさそうですね。

 須牟地曽根神社が金岡神社から正遷宮して金岡神社に痕跡を残さずに元地とされつ勝手明神の場所に祭られました。平成五年のことです。
 泊瀬女さんがお知らせ下さった姫宮神社も最近元地に戻っています。『式内社調査報告』もそれ以降編が要るようになってきました。神社も動いているんですね。

[4700] Re[4698]: 神道と翻訳  大三元 2003/11/26(Wed) 21:15 [Reply]
おお、金●@埼玉田舎さん、って数年前の今頃かな(?)お会いしたことのある金●さんですか。おひさしぶりです。

> 国学院大が私学では珍しくCEOに選抜されて、予算が
> ついて色々と頑張っています。

びっくりしました。金●さん、社長さんになったんかと思ってしまいましたよ。
COE、ですね。ふむ。色々面白そうなプロジェクトがありますね。
しかし、相も変わらず・・・アイヌには視点が向かないようですね。
ヌサや削り掛けと神道の接点、なんてのも面白そうなのに、なんでヴェトナムへ飛んでいってしまうのか。 ゴメンナサイ・・・

[4699] Re[4697][4696]: 情報ありがとうございます  ぱいん [Url] 2003/11/26(Wed) 17:41 [Reply]
> 下記HPを参照下さい。
> http://www.asahi-net.or.jp/~ue1k-ootn/0481dozyo.html

ご紹介いただいた記事、じっくり読ませていただきました。
私の夫は、那智勝浦の出身なので、
「こんな石垣があるの知ってる?」と聞いてみました。
「あるよー!」と、なんでもないような答え。
記事にもあるように、地元では石垣があるのは誰でも知っていることみたいですけど、
それを不思議に思っている人は少ないみたいですね…
『謎の石垣!!』なんて思っていたら、古代史好きの私に教えてくれるはずですもん。

それと、神奈備さま、『石垣姫』のお話、ご存じないですか?
この間、勝浦に行ったとき、姑から聞いた話です。
姑も、小さい頃に聞いた話で、ほとんど詳しい内容は憶えていないそうなんですけど、
昔々、何かがあって(この「何か」の部分も覚えてないそうです…)、当地のお姫様の首が切り落とされ、その首が飛んで、三輪崎の山の方に落ちたのだそうです。首が落ちたところは『姫の宮』と呼ばれて、ずっと供養されていて、姑も小さい頃行ったことがあるそうなんです。でも、もう今となっては、場所も憶えてないそうです…(>_<)

お姫様の首が切られる…ましてやその首が遠くへ飛ぶ…
なにやら、尋常ではない事件があったことを暗示しているような気がします。
次回、あちらに行ったときは、なにか郷土史のようなものを探してみようと思ってるんですけど。

[4698] 神道と翻訳  金●@埼玉 [Mail] 2003/11/26(Wed) 17:12 [Reply]
オーナーさん、ひさしぶりに覗きに来ました。
金●@埼玉田舎です。
大三元さん、お久しぶりです。お元気でしょうか?
国学院大が私学では珍しくCEOに選抜されて、予算が
ついて色々と頑張っています。
http://21coe.kokugakuin.ac.jp/modules/wfsection/index.php?category=12
面白いものも中にはありますので御覧あれ。
それに関連で「神道事典」の英訳が進んでいますね。
問題点でもあれば指摘してやってくださいな。
http://sscoe1.kokugakuin.ac.jp/report.pdf
「神道」の訳語でシンポもあります。
日時   2003年12月7日(日)午後1時〜5時
「〈神道〉はどう翻訳されているか(2)近現代の
神道を中心に」
「神」や「宗教」のように近代の訳がいまいちの
ものもありますし・・・・・・・・・・。
ではでは、出羽三山〜。<寒い〜。

玄松子さん<win版祭祀祭礼使いやすいで〜す。サンクス。

[4697] Re[4696]: すみません・・・  神奈備 2003/11/26(Wed) 12:15 [Reply]
>> >この辺りから謎の石垣が熊野山中に
> 今度熊野方面に行ったときには必ず行ってみます。

 神武天皇の上陸伝承地の大きい看板があり、そこに熊野荒坂津神社が鎮座、明治100年を記念して造営。昭和40年頃。

この辺りを「おな神の森」といい、ニシキトベの塚があるようです。
下記HPを参照下さい。
http://www.asahi-net.or.jp/~ue1k-ootn/0481dozyo.html

[4696] すみません・・・  ぱいん [Url] 2003/11/26(Wed) 08:56 [Reply]
先日、この掲示板に登場したぱいんです。
すみません…先に謝っちゃいます。m(__)m
私のサイトで、今、熊野に旅行したときのことを紀行としてアップしているのですが、
そこで、佐野と三輪崎のことを詠った万葉歌、「佐野の渡しに家もあらなくに」の、
神奈備さまの和歌山弁訳が、とっても面白かったので、引用させていただきました。
事後報告になってしまってすみません…m(__)m
私は、大阪の南部の出身なので、文化的にも方言もほとんど和歌山なんです。
だから、あの和歌山弁訳、完璧に発音できるんです(^^ゞ
でも、ご了承も得ずに引用してしまったので、もちろんマズいようなら、すぐに削除いたしますので、おっしゃってください。(._.)

先日教えていただいた、
>佐野王子から東へ行くとトンネルの手前に神武天皇上陸の地の大きい看板と
>小さい神社があります。
>この辺りから謎の石垣が熊野山中に
今度熊野方面に行ったときには必ず行ってみます。
(熊野にはよく行くんです。)
情報ありがとうございました。(^^)

[4695] いなり  金平糖 2003/11/25(Tue) 10:54 [Reply]
「カタカムナと楢崎皐月」というサイトを見ていたら、次のような文があり、印象に残りました。
・・・「決して狐をうつな」という平十字(ひらとうじ)は、まるで彼が狐の化身であるかの印象を与えますね。余談ですけど、狐を祭る稲荷神社の「稲荷(イナリ)」というのは当て字であって、本来は「インリ」、つまりヘブライ系の伝統において重要な位置を占め、イスラエルの王であることを示す概念、「INRI(インリ)」であったと、どこかの本で読んだことがあります。・・・・・・・

I:イエス  N:ナザレ  R:レックス=王  I:イスラエル
http://home.att.ne.jp/wood/aztak/inri.html

[4694] Re[4691][4689]: 白山いろいろ  玄松子 2003/11/23(Sun) 00:48 [Reply]
> 「アルビーノ」の希少性が、神聖に変化したものでしょうかねぇ。

http://www.tohoku-safaripark.co.jp/howaito.fils/howaito.htm
白い動物たちの写真があります。山歩きの時に、白いキツネを見たら、僕なら神の使いと思ってしまうでしょう。

ホワイトゼブラと白馬、ホワイトヒグマと白熊はやっぱり違う種なんでしょうね。

[4693] Re[4691][4689]: 白山いろいろ  大三元 2003/11/22(Sat) 23:34 [Reply]
玄松子さん

> > 「アルビーノ」の希少性が、神聖に変化したものでしょうかねぇ。

なるほど。六月晦大祓祝詞の「白人」(岩波の頭注では「はだの白くなった人。白はたけ。」とありますが)だと「罪」になっちゃうんですね。これはやはり皮膚病のことなんでしょうかねぇ。

[4692] Re[4690]: 七白山  玄松子 2003/11/22(Sat) 15:55 [Reply]
>  22日は、山添村のイワクラサミットを拝聴の予定だったが、風邪が長引いており、欠席。

ご自愛下さい。
僕も風邪で、予定していた旅行をキャンセルしました。
11月は休みが多く、気候も良いのですが、七五三で人も多いのが・・・

[4691] Re[4689]: 白山いろいろ  玄松子 2003/11/22(Sat) 14:26 [Reply]
> 「刀v一般辞書にない文字がなんででるんだかわかりませんが、シフトJISのFA93ででてきます。

この文字はNECの拡張シフトJIS、いわゆる機種依存文字なので、PCやOS、ブラウザによって表示されないことがあるかもしれません。
日本のPCでは大抵サポートされていると思いますが、標準文字ではありませんし、メールでは対応していない場合が多いかもしれません。


> 白蛇、白鹿、白狐、白雉、白子・・・白シロ、シラは奇譚現象ないし恐れ敬うことへの象徴に使われています。
> 白と赤での微妙に異なる感覚がペアになっていたのではないかと考えています。

「アルビーノ」の希少性が、神聖に変化したものでしょうかねぇ。

[4690] 七白山  神奈備 2003/11/22(Sat) 11:23 [Reply]
 22日は、山添村のイワクラサミットを拝聴の予定だったが、風邪が長引いており、欠席。

 で、XX社については某神社MLからは一通も情報が提供されて来ていません。悪しからず。

 白山で云えば、伊勢に「七白山」があります。
一志郡白山町大字川口 白山比盗_社(正白山)
一志郡白山町大字南家城 家城神社(諏訪さん)
一志郡白山町大字南出 白山比盗_社(惣社白山神社)
一志郡白山町大字八対野 八ツ山神社
一志郡白山町大字山田野 白山比盗_社
一志郡美杉村竹原 竹原神社
松阪市柚原町 蘭宇氣白神社
『日本の神々6』p.81に加賀の白山が「白山七社」と称されていたのを伊勢の地に想定したものと説明しています。祭神は菊理媛が多いのは中世以降の勧請かも知れません。

[4689] 白山いろいろ  かたばみ [Mail] [Url] 2003/11/21(Fri) 22:52 [Reply]
≫土御門家写本を底本とした本では「比口羊」

失礼、比賣じゃなかった。
「刀v一般辞書にない文字がなんででるんだかわかりませんが、シフトJISのFA93ででてきます。
白山比唐ェ一番古い名とみてよさそうですね。
賣と唐フ使い分け、なにか意味があるのかなあ。

≫母は斯羅媛と曰ふ

シラ、シンラとからむ場合に推古以降ではいろいろありえるとしても、弥生時代〜神功時代あたりでの新羅とはなにかが問題になりそうです。
新羅が倭に対抗する国として登場してくるのはAD250あたりからで、新羅からみれば倭はほとんどの時代で敵国。

例えば鉄、伽耶の製鉄炉(馬山市)はAD1頃の登場ですが、新羅の製鉄炉ははるかに遅くAD300頃、百済も同じ頃です(七支刀=同盟すれば鉄を供給するぞよ、の宣伝とみる)。
弥生〜古墳時代の半島情勢と列島情勢を平行させて関連づけるのがなかなかやっかい。

新羅の台頭する時代=列島で出雲が滅びて半島の伽耶も衰退し任那日本府へ変化するとき・・青草になるので略(^^;


白蛇、白鹿、白狐、白雉、白子・・・白シロ、シラは奇譚現象ないし恐れ敬うことへの象徴に使われています。
白と赤での微妙に異なる感覚がペアになっていたのではないかと考えています。
婚礼衣装の白無垢、死装束の白、白には死と生の切り替わり(接点)、再生、生まれ変わり、を意味するイメージがあったのではないでしょうか。

白の塗装(化粧)も古代から用いられていたが(胡粉や石灰?)、ベンガラや朱に比べてすぐ変質してしまうために痕跡が残っていないだけではないかと考えています。

白山の呼称はごく単純に雪をかぶった神の山、漁師の目印にもなる白い山からと思ってます。
その白と古来からの白へのイメージが合体していったのではないかなあ。
(泰澄の父は漁師という話をどっかで読んだ記憶がありますが、あいまい)


≫鎌倉末期の『元亨釈書』が白山権現=伊弉諾尊としたあと

以下は原本を確認していないので、あしからずの参考ですけれど。

称徳天皇718-770は百万塔陀羅尼経を各地に配布しており、現存する世界最古の印刷物で空海以前の密教。
役小角(700頃)も陀羅尼経を自らの厄災除けの守護としています。
で、泰澄(717)の妙理大菩薩が登場。
これらは新思想に触発された天才たちの先駆的行動と思ってます。

白山権現(泰澄)や蔵王権現(役小角)はこの頃には登場かもしれない、日本書紀の神々登場の方が遅いわけで初期密教との習合が先(権現という表現は?ですが)。
(この頃に先代旧事本紀などの私本の「原形」も登場とみています)

泰澄和尚伝記(958)に伊弉冉神が初登場らしい、白山比唐菊理姫とする扶桑明集(1041-1111)登場。
白山記(1163)で白山比唐十一面観音(御前峰)、大己貴を阿弥陀(大汝峰)、大山祇神を聖観音(別山)とする。

天才の登場は別にして、まず初期密教と地元信仰が合体、ついで日本書紀系の神々との習合が行われ、空海等の密教登場で神仏習合が拡大した、と考えています。
その後はいろいろが乱立かな。
江戸時代の菊理姫が神道系からであるならば、当初の日本書紀系の習合を継承するはずで、有力者の公式見解の登場でそれを各社が採用したのではないかと考えています。

≫衰退期を過ぎてからのお話のようです

白山の衰退(拡大停止)は1400頃から被差別民に白山が広まったために一般がこれを避けるようになった、その可能性があるようです(白山信仰と被差別民/坂井康人)。
鎌倉以降の仏教(曹洞宗)の葬儀にも取り込まれるようで(白の死と再生のイメージからか?)、葬儀に携わる人々との関係が深まっても不思議はなさそうです。


[4688] Re[4687][4682]: XX社  玄松子 2003/11/20(Thu) 17:22 [Reply]
> 熊野三山はあまりにも有名。

日本三大稲荷というのもメジャーですね。内容には諸説あるようですが。

福島白河の鹿嶋神社は、日本三鹿島の一社だそうですが、残りの2つは何処なんでしょうか。鹿島神宮は入ってるんでしょうね。

[4687] Re[4682]: XX社  神奈備 2003/11/20(Thu) 16:57 [Reply]
紀の国では、紀伊三所神として志摩神社、伊達神社、静火神社。
また三社参りは日前宮、竃山神社、伊太祁曽神社。
熊野三山はあまりにも有名。
某神社関係MLに各地の情報を問い合わせ中。

[4686] Re[4685]: XX社  玄松子 2003/11/20(Thu) 15:40 [Reply]
> ええ、一つの場所ですが、神社が六つ(*)まとめてあって、効率よく一度に六ヶ所拝める、というありがたさがなんとも・・・
> (*)小野神社・小川神社・氷川神社・秩父神社・金鑽神社・杉山神社

武蔵国一宮から六宮を勧請した神社ですね。

各地に土地の有力神を勧請した六所神社がありますが、総社、あるいは総社的な神社ですね。
京都の吉田神社に行けば、全国3132神を拝むことができます。

[4685] Re[4684][4683][4682]: XX社  大三元 2003/11/20(Thu) 15:23 [Reply]
玄松子さん、
ありゃ、はずれでしたか。

> > うーん、ちょっと違います。六所神社は一つの神社名ですよね。

ええ、一つの場所ですが、神社が六つ(*)まとめてあって、効率よく一度に六ヶ所拝める、というありがたさがなんとも・・・

(*)小野神社・小川神社・氷川神社・秩父神社・金鑽神社・杉山神社

[4684] Re[4683][4682]: XX社  玄松子 2003/11/20(Thu) 11:34 [Reply]
大三元さん、ありがとうございます。

> 六所神社、なんてのもその類ですか?

うーん、ちょっと違います。六所神社は一つの神社名ですよね。

たとえば、壱岐では、「壱岐七社参拝」といって、白沙八幡・興神社・住吉神社・本宮八幡・箱崎八幡・国片主神社・聖母宮を参拝する習慣がありました。
比叡では、「三十番神」といって、30の神(神社)が仏教守護にあたるという思想があります。
そのように、いくつかの神社をグループとしてまとめた名前が、各地にあると思うんですが、そういう名称です。

東京では東京十社なんてのもありますね。

[4683] Re[4682]: XX社  大三元 2003/11/20(Thu) 10:28 [Reply]
玄松子さん

六所神社、なんてのもその類ですか?

> 最近、探しているものがあるんですが。
> 二十二社とか、白山七社とか、琉球八社とか、
> 幾つかの神社をまとめて呼ぶ名称。
> 情報求む。

[4682] XX社  玄松子 2003/11/20(Thu) 01:21 [Reply]
最近、探しているものがあるんですが。
二十二社とか、白山七社とか、琉球八社とか、
幾つかの神社をまとめて呼ぶ名称。
情報求む。

[4681] Re[4678]: 初めまして  神奈備 2003/11/19(Wed) 21:29 [Reply]
 ぱいんさん こんにちは。
 古代を楽しく紹介なされているHPですね。ますますの充実を祈願いたします。
 佐野王子から東へ行くとトンネルの手前に神武天皇上陸の地の大きい看板と小さい神社があります。この辺りから謎の石垣が熊野山中にのびています。
 古代史の面白い所ですね。

[4680] Re[4679]: アラハバキ  神奈備 2003/11/19(Wed) 20:41 [Reply]
 板東千年王国のHONさん、こんにちは。
 『東日流外三郡誌』の荒吐神は縄文の遮光土偶の絵があります。
 また『東日流外三郡誌』荒吐神に唱え奉る唱文として
ホーイシャホー・アラハバキ・カムイ・イシカ・ホノリ・ピッキム・カムイ・ガモ・アヤ・イペ・アパ・カムイ・
ホーイシャホー・アラハバキ・カムイ・イシカ・ホノリ・カムイ・ホー・ダミヤ・カムイ・イシャホー
是の如く唱るふは荒吐族の阿蘇辺族系および津保系化族のみなり
(孫引き元は『謎の神・アラハバキ』川崎真治著から)

 縄文の神で、覆い被さった新しい神によって末社になったり門神になったりでしょうね。カムイですから縄文でしょうが、アイヌは神にこの様な名を付けたりはしないような感じで、大和王権側が従わぬ(アラ)、地主神(蛇神:ハハキ)等と命名したのかも。
 何時の時代にかアラハバキ狩りのようなものがあったのかも知れません。根拠無しですが仏教に睨まれたのかも。
 出雲に多い荒神さんも、アラハバキを憚って荒神としたのかも。

[4679] アラハバキ  HON [Url] 2003/11/18(Tue) 20:56 [Reply]
神奈備さん、ご無沙汰しています。
こちらではお初で、みなさん宜しくお願いします。

[4645]一体誰がアラハバキと名付けたのでしょうか。

武蔵国総社、現在の大国魂神社ですけど、この古図にはアラハバキ社が記載されています。現地へ行ってみると稲荷に代ってますけど。
あきる野市にある二宮神社には、境内の真ん中に堂々とアラハバキ神の祠があります。
武蔵一宮、総社に呼ばれると三宮に格下げされる埼玉県大宮市の氷川神社もアラハバキが地主神といわれます。

そこで、誰がということでもありませんが、中山太郎の説を紹介します。

原祀神の地主神つまりアラハバキが後祀神つまりスサノオに総てを奪われ、社殿の奥から門前へ敬遠され、ここで門客神と称され、さらに門神ゆえに荒脛巾(アラハバキ)、草製の脚巾などつけた木像が造られ、遂にアラハバキと呼ばれるようになった。

というわけで、元の神名は不明の地主神ということですから、各地にあるアラハバキを一緒くたにしてとらえるのは問題で、それぞれの地域特有の地主神として考える必要があるのではないか、というのが私の意見です。

[4678] 初めまして  ぱいん [Url] 2003/11/18(Tue) 15:33 [Reply]
今月最初の三連休に、熊野を旅行してきました。
今、その紀行をまとめているところですが、
和歌山県新宮市の「佐野王子」のことを、もっと詳しく知りたくて、検索していて、こちらのサイトにうかがいました。(^o^)丿

とても参考になりました。
ありがとうございます♪

では、またお邪魔させてください〜
よろしくお願いしま〜す!!

[4677] Re[4675][4674]: 白山  神奈備 2003/11/15(Sat) 20:54 [Reply]
 日本海側であり新羅との交流が多く、従って半島の太白山の信仰の影響、さらに渡来系のような秦澄が開いたとの伝承、航海の目印など、多方面から白山については語られているようです。

 『日本の神々8』で東四柳史明氏は「伊弉册尊祭神説は、鎌倉末期の『元亨釈書』が白山権現=伊弉諾尊としたあと、それが女神に転身する中で主張されるようになったものである。さらに後年、神主方が菊理媛単独説を唱えた。」と出ています。

 小松.avの論文では菊理媛は近世のように書いてありましたが、いずれにしろ、衰退期を過ぎてからのお話のようです。
 白山妙理権現と言われたのはもっと古いのでしょうが、「理」のつく女神で有名なのは須勢理姫神、多紀理比賣命あたりですが、白山には不向きだったのかも。

 『神道史』清原貞雄著から白山の神仏の祭られ方を参考に示しておきます。
−は文献がない。
宮  平安  鎌倉初期 中期 末期  南北朝 室町 戦国
妙理 −   十一面  −  十一面 十一面 −− −
太田力明神 − 阿弥陀 −  阿弥陀 −  阿弥陀 −
別山大行事 − 聖観音 −  聖観音 −  聖観音 −
金劒宮 −  倶利加伽不動 − −  不動 −

[4676] Re[4675][4674]: 白媛  大三元 2003/11/15(Sat) 14:16 [Reply]
関係あるのか無いのか判りませんが、『伊福部臣古志并序』(佐伯有清著『古代氏族の系図』所載)に
・・・
第十二 内色雄命
 (出雲)色雄命の子。
  母は近江国の河枯の伊波比長彦の女。白媛と曰ふ。
・・・
第十八 阿良加宿禰命
 健火屋宿禰命の子。
 母は斯羅媛と曰ふ。
・・・
第廿五 小智久遅良臣 {推古期}
 飄臣の子
 母は斯羅媛と曰ふ。

と「シラ媛」が三回も出てきます。
もしも何方かが、あ!、それならば、、、というイイガカリを発見されるようなら、と思って書いてみました。

[4675] Re[4674]: 白山  玄松子 2003/11/15(Sat) 13:31 [Reply]
> 類聚国史(菅原道真853)では単に「女」とあるだけのようです(原文読んでいません)。

「類聚国史」は、889年以降に道真がまとめた六国史の事典なので、正確には六国史だと思いますが、文徳実録には「仁壽三年白山比口羊神」と書かれているようです。仁壽三年が853年。三代実録には「貞観元年白山比女神」。貞観元年が859年。(出典『古代諸国神社神階制の研究』)

> 延喜式(927)で白山比賣。

写本によって違うのかもしれませんが、土御門家写本を底本とした本では「比口羊」。『式内社調査報告』でも同様。

[4674] 白山  かたばみ [Mail] [Url] 2003/11/15(Sat) 12:49 [Reply]
白山に関してはいまのところ外堀を眺めている程度ですが、書紀一書に名のみ現れる菊理姫をなぜ信仰の対象に登場させるのか、単純にそれを不思議に思うと同時に、深い根がそこにはあると感じています。

類聚国史(菅原道真853)では単に「女」とあるだけのようです(原文読んでいません)。
延喜式(927)で白山比賣。
白山之記(1163?+追記)では白山妙理大菩薩でこれは泰澄が感得した女神。

白山比唐菊理姫とする最初は扶桑明集(大江匡房1041-1111)のようですが、どこで読めるのかわからず(^^;
絹本着彩白山大権現図(1215)では中央に菊理姫、左右に伊弉諾伊弉冉神が描かれているそうで、現物を見たいのですがこれもどこに存在するのかわからず。

1480に白山七社の本宮が焼失したとき三の宮に遷座。
三の宮の神名が不詳のために江戸時代の吉田神道が本宮を下社、三の宮を上社としてその神名を菊理姫としたという論があるようです(原文読んでいません)。

うんと古い神ならば伊弉諾伊弉冉神としておくのが無難かつ具体的で著名、これはありえるパターン。
拡大するときにその内容に人々を引きつける内容が付加されてゆく、ありそうです。
遡れば遡るほど現代の我々が知らない情報が多数残存しているはず。
同時にそれが変化したり、面白い尾ひれだけが現代に伝わったりもあるはずでやっかいですね。

インターネット上では以下などを参照しています。
http://www.komatsu-c.ac.jp/~yositani/ha3.htm
(いささか読みにくいですが、同じHP内に類似の他項目あり)


[4673] Re[4671][4670][4669]: 第六代天神と菊理姫  大三元 2003/11/12(Wed) 23:52 [Reply]
玄松子さん、お久しぶりです。

> 白山ひめ神社の存在から、白山の姫神であるのは明白なので、伊邪那岐命、伊邪那美命を祭神とするのも後世の付会と見るべきじゃないでしょうか。

はい。神社の伝承は一体いつ頃から言い伝え始められたのか、なかなか信頼性の担保が難しいように思っています。イザナギ・イザナミは後世の付会、特に異論ありません。

> > でも、白山の姫神=百マイナス壱=九九というのは面白い話です。
> 逆に白山の名の起りが菊理姫かもしれませんが。

想像の域を出ませんが、白山ひめ、って誰なんだ、ということで、一番古いところでイザナミにしてみたり、100−1でククリ姫にしてみたり、ということなのではないか、と思っております。

念のため、このような戯れは万葉集には幾つか見られ、ククリの宮の「クク」なんぞは「八十一」と書かれていたりします。つまり、そのぉ、私がふざけているのじゃない、ということで・・・

[4672] Re[4668]: 二見興玉神社  神奈備 2003/11/12(Wed) 21:24 [Reply]
ペギラさん 拝見いたしました。大変な労作です。

> 佐見都日女命
> 本当の二見浦の神はこの人ではないでしょうか?

佐見都日女命を祭る神社は北から
二見町江 堅田神社
二見町江 栄野神社
鳥羽市堅神町 堅神神社
堅神神社の摂社の乳の宮
と並んでいます。

おっしゃるように二見浦の神はこの神かも知れません。
夫婦神の二座とすればもう一座は大若子命?
『三重県神社誌』に二見興玉神社の祭神に不詳二座があり、思わせぶりです。

[4671] Re[4670][4669]: 第六代天神と菊理姫  玄松子 2003/11/12(Wed) 20:48 [Reply]
> 菊理姫と白山の関係は中世までは見られず近世から見られるようになるとのこと。
> 参考 http://www.loops.jp/~asukaclub/kami/kami_101.html  など

このサイトでは「中世の所説である『元亨釈書』や『白山之記』などには、伊邪那岐命、伊邪那美命を祭神とする説ばかり」ということですが、
白山ひめ神社の存在から、白山の姫神であるのは明白なので、伊邪那岐命、伊邪那美命を祭神とするのも後世の付会と見るべきじゃないでしょうか。

でも、白山の姫神=百マイナス壱=九九というのは面白い話です。
逆に白山の名の起りが菊理姫かもしれませんが。

[4670] Re[4669]: 第六代天神と菊理姫  大三元 2003/11/12(Wed) 20:35 [Reply]
菊理姫と白山の関係は中世までは見られず近世から見られるようになるとのこと。
参考 http://www.loops.jp/~asukaclub/kami/kami_101.html  など

そんなあたりから、私なんざは、クク=九九=九十九=百マイナス壱=白 という言葉/文字遊びだとばっかり思ってました。(九十九里浜の白里もそんな関連らしい)

失礼。




[4669] 第六代天神と菊理姫  かたばみ [Mail] [Url] 2003/11/12(Wed) 18:22 [Reply]
おしさしぶりです。
関東に密集する第六天社をぽちりぽちり散策しています。
新編武蔵風土記稿(1828)に記載される第六天社を拾い出していますが、稲荷社と同じとまではゆかないけれどそれに準ずるといえるほど多数あります。

ほとんどは社の存在を記しているだけで内容は不明ですが1400年頃に登場とされる社が散見されます。
(東京台東区の榊神社が総本社で日本武尊創建とされている)
千葉や茨城などの状況はわかりませんけれど、容易ならざる社だと感じています。


ところで、先代旧事本紀の神代本紀の六代天神の女性神の神名のひとつに「蚊鴈姫尊」があります。
旧事本紀以外でこの神名が登場しているかどうかご存じないでしょうか。

万葉仮名では蚊はカ、鴈=雁でカリのようですから、カカリヒメでよいと思います。
(大野七三編の旧事本紀ではカガリのルビあり)
カカリ(カガリ)とは糸や紐で二つをつづり合わせるといった意、裁縫での「かかり縫い、かがり縫い=ほどけないように縫い合わせる」の意と同じと思います。

伊弉諾伊弉冉尊の夫婦喧嘩の仲裁にはいった菊理姫ククリヒメ、このククリを縄でくくり合わせると解するなら、ふたつの神名の意は同じとなります。
(折口説では水をクグルとやってますけど納得できず(^^;)
蚊鴈姫と菊理姫は同一神ではないかと考えています。

伊弉諾伊弉冉神の夫婦喧嘩に先代の女性神=黄泉の国にいるおばあちゃん、が仲裁にはいったのならその登場に文句のつけようがないです。
(菊理は単なる当て字ということで、野菊の姫君といったイメージではなくなるけど(^^;)


だとすると、白山神社での菊理姫が見えてきそうです。<br>
泰澄による白山権現の登場(717頃)は日本書紀(720)編纂まっさかりの時代。
書紀に書かれる菊理姫に関する伝承がこの頃では各種残存していた可能性があります。

泰澄がそれらの伝承と泰澄以前の白山信仰の関連を知っており、書紀とも習合を考えたのなら、白山に菊理姫が登場するのは自然だと思います。

書紀編纂以降の大和朝廷からみれば白山は外様の民間レベルでの存在でしかないとしても、日本武尊時代ではどうだったのか。
あくまで可能性でしか考えることはできませんが、第六天社の由来の大きなヒントにもなりそうです。


[4668] 二見興玉神社  ペギラ [Mail] [Url] 2003/11/11(Tue) 23:38 [Reply]
戦前のしおりを発見しまして、少し考察しました。

神社に関して鴨以外興味を持っていなかったので、
浅い考察ですが。

玄松子さんちなど、勝手にリンクしちゃってますんで、
この場をお借りしてご報告まで。m(_ _)m

上記URL↑

[4667] Re[4666][4665][4664]: 1784番の歌ですが  よしよし 2003/11/11(Tue) 12:51 [Reply]
どうもありがとうございました。参考にさせていただきます。

[4666] Re[4665][4664]: 1784番の歌ですが  大三元 2003/11/10(Mon) 23:37 [Reply]
詳しくありませんので『時代別国語大辞典上代編』を見てみました。
くさ は出てますが くへ は出ていません。
くさ の中に万葉集の4514に「行くさ久佐」とあること、281に「ゆくさ来さ」とあることが上げられ、「従って」でしょう、1784の「往くさも来方」の「来方」も「くさ」とルビを振っています。

[4665] Re[4664]: 1784番の歌ですが  神奈備 2003/11/10(Mon) 19:41 [Reply]
> 「往方毛來方毛」の訓は、「ゆくさもくさも」か「ゆくへもくへも」かのどちらかだと思うのですが、よくわかりません。ほかの用例などわかることがあれば教えて頂けないでしょうか。

 HPには万葉集のことにもふれていますが、このような内容は苦手です。

http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/manyok/manyok09.html
によりますと「行方も来方(くへ)も」ですね。

また
http://etext.lib.virginia.edu/japanese/manyoshu/Man9Yos.html
では、「ゆくさもくさも」となっています。

どなたかお詳しい方がおられましたら、よろしくお願いいたします。

[4664] 1784番の歌ですが  よしよし 2003/11/10(Mon) 18:19 [Reply]
「往方毛來方毛」の訓は、「ゆくさもくさも」か「ゆくへもくへも」かのどちらかだと思うのですが、よくわかりません。ほかの用例などわかることがあれば教えて頂けないでしょうか。

[4663] あしたは  金平糖 2003/11/08(Sat) 12:51 [Reply]
一週間ほど前に、初めて「ハーモニック・コンコーダンス」という言葉を、友人から聞きました。

http://www2.gol.com/users/nikoniko/izumo.html

[4662] 神功皇后の別名  神奈備 2003/11/08(Sat) 11:38 [Reply]
かってこの掲示板で神功皇后の別名は、との話がありました。
H12/2/23
> 伎佐良妃命が神功皇后の別名としますと、香春の大目命とともに第三の名前の候補と考えられますね。

 『天之日矛の民俗』寺本躬久著p139に、『宋史日本伝』に神功皇后を神功天皇と国人が言うには「大奈良姫大神」と呼ばれたとの紹介がありました。

 大奈良姫大神の名は『平成祭礼データ』には見いだせませんが、上賀茂神社の摂社に奈良神社が鎮座、祭神は奈良刀自神とあり、ひょっとしたらかも。

[4661] Re[4660][4659][4654][4653][4652][4651]: 音浦樋(おとらひ)  大三元 2003/11/04(Tue) 07:59 [Reply]
> 大三元さん チャットのお時間も忘れてのご研究でしたか。拝見いたしました。

いやぁ、失礼しました。その通り、熱中していて時間を忘れていたようです。それでも10分遅れほどで開始、なかなかにぎやかでしたよ。

>  神社の重層化ですので、違和感があってもあり得ること、また「井戸、日」を意識する必要のないことでしょう。

まぁ、そう云ってしまっても良いのかもしれないし、取り付く(鳥著く、かな?)島の無いときには私も、そうやって放っておきますが、今回は、コトバの点から、提示のような説明が可能である、ということです。

> >  日前国懸神宮の鎮座地はかっては伊太祁曽神社が鎮座していたとの伝承があるのですが、伊太祁曽神には溝口の神の要素が少なそうで、この伊太祁曽鎮座伝承は要再検討かも。

この意味では、中言、の「言」に関してはアイヌ語 itak= 話す,言葉 を絡ませると イタキソの要素を見て良いのか、と考えてます。「中」があまりすっきりしませんが、tu itak で 物語 の意味なので、tu の部分を「中」にしたか、なんてあたりをさまよってます。

以前申し上げたように iso-itakは 物語の意味ですが、久保寺辞典稿によると、「<猟談 (1)幸話.実歴談,身上話,獲物話をする =tu itak(多語,(樺太))狩猟の功名咄・冒険譚」がある。 イタキソ *itak-iso では転倒してますが、そこをどう説明、担保するか、が問題です。

> > > 少彦名大神」は「ががいもの船に乗ってやってきた」からである
>  少彦名大神を紀の国の神と言われている理由がわかりにくかったのですが、「ががいもの船」からの解読はいいヒント。ありがとうございます。

少彦もアイヌのポイヤウンペ(小・陸・者)周辺に共通点が見られ注目しています。
http://www.dai3gen.net/sukunahikona.htm


[4660] Re[4659][4654][4653][4652][4651]: 音浦樋(おとらひ)  神奈備 2003/11/03(Mon) 14:49 [Reply]
大三元さん チャットのお時間も忘れてのご研究でしたか。拝見いたしました。

> なんらかの形で、「かは」=「井戸、日」という言語の使い手が日前・国懸神社の性格に水利分配を付与したものと考えている。
> 日前(日鏡を祭る)国懸(日矛を祭る)神宮が水利を司る、とはどうにも違和感の残る解であった。

 紀の川からの取水で名草平野の灌漑に成功したので紀氏は大きい力を持つことが出来たのではないかと考えています。先行して身近な水利の神、名草溝口の神を祀っていたのではと考えています。上下の二座についてはよくわかりませんが例えば水を流す方向とか何か。

 紀氏がある程度の力を持った豪族になって来た段階で、自らの祖先神を祀る形がほしくなり、更に天孫族にひっつけるとか、名誉がほしくなったので、溝口の神の上に別に祀っていた日神を被せていったのかもわかりません。
 神社の重層化ですので、違和感があってもあり得ること、また「井戸、日」を意識する必要のないことでしょう。

 日前国懸神宮の鎮座地はかっては伊太祁曽神社が鎮座していたとの伝承があるのですが、伊太祁曽神には溝口の神の要素が少なそうで、この伊太祁曽鎮座伝承は要再検討かも。

> 少彦名大神」は「ががいもの船に乗ってやってきた」からである
 少彦名大神を紀の国の神と言われている理由がわかりにくかったのですが、「ががいもの船」からの解読はいいヒント。ありがとうございます。

注:(1)『伝教大師全集』巻四とは「長講法華経後文略願文下巻」の文献だとのこと。
この全集の他の部分とは「長講金光明経会式」と「長講仁王般若経会式」です。

[4659] Re[4654][4653][4652][4651]: 音浦樋(おとらひ)  大三元 [Url] 2003/11/02(Sun) 23:54 [Reply]
神奈備さん、
> 以上『和歌山市史』から。
の記事、ありがとうございます。レスを書き始めたのですが長くなってしまったので、私のサイトにあげました。あしからず。

泊神社などで少名彦が出てくることにも触れています。

http://www.dai3gen.net/kunikakasu2.htm

[4658] Re[4657]: 無題  神奈備 2003/11/02(Sun) 21:00 [Reply]
> 和歌山城の松の丸に七福神の石組みがある。七福神がインドからやってきた・いまは日本中に祭られている。御教えください。

 七福神の中にはインドをルーツとする神様もいますが、恵比寿神は国産の神だと言われています。福禄寿は道教の神でとりあえずはチャイナの神。

 徳川頼宣が、藩の繁栄を祈願して七福の庭を作らせたとされています。
 この配石は、七福神が船に乗っている姿を配したものだそうです。
詳しくは下記を参照。
http://f1.aaacafe.ne.jp/~megalith/wakayama3sitihuku.html

[4657] 無題  林 幸三 [Mail] 2003/11/02(Sun) 18:30 [Reply]
語り部研修のために伊太祁曽神社に行った。わからないことがあって2度神社に質問をした。その回答の速くて正確なこと。そして親切だ。深く感謝したい。
和歌山城の松の丸に七福神の石組みがある。七福神がインドからやってきた・いまは日本中に祭られている。御教えください。


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