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掲示板のログ(平成十六年 十一月)お名前の敬称は省略しています。

[5799] Re[5787]: 鉛丹とは  かたばみ [Mail] [Url] 2004/11/30(Tue) 21:05 [Reply]

神奈備さん
≫丹波の国の丹とは何だろう

丹波の語源考はペギラさんが書かれたので、以下若干の別考。

水銀を示す丹は「ニ」と読んでるようにみえます。
丹波の丹は単なる当て字とみますが、開化紀での「旦」は太陽が昇る意でこれ以上の好字はないと思えます。
なのになぜ丹を使うのか、です。

尾張氏族に丹比連タチヒがあります。天火明命の系譜。
その後裔を含めて勢力は尾張、河内にあります。
タヂ・ヒ・・タヂ・マ・・彦坐王→丹波氏族→多遲摩国造・・
なんで丹をタチと読むのだろう。

「丹羽」ニワ、丹羽臣、丹羽縣主。
こちらも尾張に根拠を持ちますが、多臣族オホで神八井耳命の後裔です。

多臣族にはなにかと注目しており、水銀とも関連がみえそうなのですがなかなか表にでてこない氏族。
このあたり、大彦(意富彦)、葛城、紀国造、さては武内宿禰登場にまでつながっているのではないかと考えています。

丹波と丹羽・・どこかで結合し、その結果で丹が用いられているのではないか。
いろいろ楽しめるところかもしれません。


[5798] Re[5793][5787]: 鉛丹とは  かたばみ [Mail] [Url] 2004/11/30(Tue) 20:48 [Reply]

ペギラさん
≫続日本紀には鉄、出てきますから。別に機密じゃないでしょう。

続日本紀762の淳仁758-763から藤原恵美押勝が近江の浅井と高島の「鉄穴」を拝領ですね。
淳仁、恵美押勝・・興味津々。

ちょい寄り道で奈良〜平安の製鉄

編纂された時代の60〜100年ほどの差、書紀と続日本紀の違い、鉄のありようの転換ポイントを示すものと考えています。

600年前後に登場する鉄器の大部分は成分分析から輸入銑鉄の精錬によるものだそうです(漢鍛冶の流れとみます)。
この頃には近江の鉄鉱石が発見されていた可能性もあります→機密(^^;
時代背景として特に中国には(663白村江の大敗、665筑紫、長門の築城など)。

長野県上原古墳と神奈川県石名坂横穴から砂鉄使用が確実な最古の鉄刀が出土していて、これも600年前後だそうです。
この頃には砂鉄による製鉄が行われていた、倭鍛冶の登場でしょう。
地方であることが興味深く、古い技術が発達して再登場した可能性をみています。

それから100年ほどで東北の蕨手刀が砂鉄化してゆきます。
この頃には砂鉄製鉄が一般化しているわけで、鉄を秘密にする意味は消えたと考えています。

ところが、奈良時代に砂鉄化していた蕨手刀は平安以降に鉄鉱石に戻ってしまいます。
箱形製鉄炉が消えてしまう時期に一致しています。
砂鉄が入手できないはずもなく、鉄器の需要が減るはずもないです、なぜか。

続日本紀765に、諸王への武器所有禁止令(称徳764-769)が登場しています。
これと関連して民間製鉄も禁止されたのだと推定しています。

近江の鉄鉱石を背景にした朝廷による鉄生産の独占化です。
その一環が恵美押勝の鉄穴ではないか。
飢饉の多発、エミシの造反、そういった情勢不安の背景もあると思います。

しかし、武士の台頭、農耕開拓の拡大時代となって、刀と鉄器の需要増に朝廷の鉄だけでは追いつかなくなった。
朝廷の支配力が失われていった頃に、地下に潜った民間の砂鉄製鉄が復活し、これが後にタタラ製鉄となっていった。

そのような流れを考えています。


[5797] Re[5793][5787]: 鉛丹とは  神奈備 2004/11/30(Tue) 08:57 [Reply]
> > 松田道雄さん『丹生の研究』が引用されています。
> 松田寿男(ひさお)さんじゃないの?
そうでした。道雄さんは「赤ちゃん」のことを書いたお医者さんでした。赤ちがいで、丹沙の方が寿でした。

> 水銀濃度だけでは、硫化水銀の証明にならない。
そうなんです。逆しか言えません。表面の土壌の水銀濃度の低い所(0.00001%)では、簡単に丹沙層には行き着けない。0.0001%以上程度なら可能性があるのかな、と矢島博士曰くですね。

 縄文か弥生の人々が簡単な露天掘で丹沙を採取したとしても。痕跡は残らないですから、発見は難しい所。
 丹生神社とか井光さんの神社の存在、地名の女布谷(にょうだに)などからの推し量るとしても決定的ではないです。

> この答えが丹生の謎の答えのひとつになることは、、間違いない!
遠敷明神が鎮座していても、「硫化水銀」の証明にはなりませんわな。

[5796] 神奈備様  なにがし 2004/11/30(Tue) 01:18 [Reply]
>論文か書籍で発表されるのでしょうか。その節はお知らせ下さいね。
いえいえ、まとめはしてもそこまでは。
確かにHPは途中のものが多いんですよね。どうしようかと思っているのですが。
ただ、最近まわりがばたばたしてきまして、そろそろ正体がばれそうになってきましたので、閉鎖するにはいい時期かと思いましてふみきりました。丹生津姫などを調べることをやめるわけではなく、さらに調べるためHPを閉じるといった方が近いかもしれません。今は詳しくは言えませんが、大きな展開がありそうな感じがしており、数年後にはお話できるようになると思います。そのときはまた宜しくお願い致します。

[5795] ベギラ様  なにがし 2004/11/30(Tue) 01:12 [Reply]
>大昔、丹波は湖だった。その水が赤かったので丹波と呼ばれた。
丹生津姫神社のある地は神奈備様もご存知赤土が多い土地です。谷川によっては結構あかちゃけて見えますよ。

>赤米の稲穂が波のように見えたことから「丹波」と名付けられた。
丹生都比売→爾保都比売→爾保→丹穂→赤米の稲穂
丹生津姫神社はいくつかの澤の中から1つの澤を選んで建てられたとの伝承があります。なぜかは分かりませんが、丹生津姫は古代、水の神であり、そこから稲作の神だったかも知れません(だれの説だったかなあ?)。

すいません、我田引水でした。聞き流して下さい。

[5794] Re[5792]: 教えてください。  神奈備 2004/11/29(Mon) 15:53 [Reply]
貴宮大明神と云いますと神奈備はすぐ熱海の来宮神社を思い出します。海岸に寄りついた神様で、楠木の生えている所に祀られました。キから木が発想されて、来宮神社の祭神は五十猛命となっております。この神は日本全国に樹種を播いてこの列島を木々が多い国にした植樹神です。

真鶴の貴船神社にはまだ参詣しておりません。是非参詣したいものです。

参考サイト
http://www.d3.dion.ne.jp/~stan/txt/szo1kfn.htm
http://www.ichibo-kaku.co.jp/moreinfo.htm

[5793] Re[5787]: 鉛丹とは  ペギラ 2004/11/29(Mon) 13:04 [Reply]
神奈備さん

> 丹波の国の丹とは何だろう。
丹生の人の移転先か?と最近思う。
井光は吉野から丹波へ。(笑)

> 一説には丹沙とか。

http://web.pref.hyogo.jp/tamba/pr/zatugaku/
・・・引用・・・
丹波の語源には、いくつかの説があるようです。

1 大昔、丹波は湖だった。その水が赤かったので丹波と呼ばれた。
2 赤米の稲穂が波のように見えたことから「丹波」と名付けられた。
3 旦波が、丹波に転訛した。古事記には、開化天皇が、旦波の大県主・由碁理の娘である竹野比売を妻にしたと記されている関係からである。旦波は、「タニハ」と呼ぶ。
4 丹波は山岳が重畳している山国の底であるから、谿間と称され、それが丹波に転訛した。
5 後に伊勢度会(わたらい)郡の外宮に遷られた豊受大神が丹波におられた。丹波与謝宮と元伊勢宮がそれである。同宮の皇太御神に朝夕の大御食(おおみけ)を奉った田圃が、広く平であった。つまり、庭のような田圃、田庭である。タニワが転じてタンバになったという。
・・・以上・・・

「にゅは」じゃなくて、「たには」ですからね。
好字とかじゃないのかな?

> 鉛丹も貴重なものだったのでしょうが、国名になる、神社名になる、祭神名になるほどのものだったのかいな。
>

普通の鉛丹は、硝石がないとできないのとあちこちにあるので、
国産はまず無理だろうな。と思いつつも。鉛錬に引きづられ。
硝石が手にはいれば、鉛と硫黄のあるところで生成できる。なんて。

> 松田道雄さん『丹生の研究』が引用されています。
松田寿男(ひさお)さんじゃないの?

水銀濃度は、日本中にサラサラある砂鉄と同じようなもの。
水銀濃度だけでは、硫化水銀の証明にならない。
砂鉄が存在するだけで、製鉄の証明にならないのと同じ。

かたばみさん

お付き合いいただき感謝です。
≫近江で鉛の文字。どうして鉄じゃないの
>鉄の文字は書紀にいっさい登場しないですね、最高機密だったんじゃないかなあ。

続日本紀には鉄、出てきますから。別に機密じゃないでしょう。

>>その本は読んでませんが、辰砂、朱、みな同じHgS。
漢字の丹の意は、硫化水銀(HgS)がしみ出した赤土で、鉱脈が縦に延びるので井戸のように掘った、そこで井の中に点の文字。

説文解字は、すでに数往復。
奈良時代以降、実際に赤色顔料のほとんどが鉛丹のようです。
硫化水銀はどんどんと希少価値を高めていく。
「朱」といえば「硫化水銀」でしょうが、
「丹」というくくりならば、「四酸化三鉛」が使われただろう。

で、視線の先にあるものは。
福井若狭に「硫化水銀」が本当にあるのか?あったのか?

この答えが丹生の謎の答えのひとつになることは、、間違いない!

[5792] 教えてください。  なつ 2004/11/29(Mon) 12:58 [Reply]
どなたかご存知でしたら教えてください。
真鶴の貴船神社ですが、もともとは貴宮大明神と呼ばれていたそうなのですが、
その貴宮大明神について、別の御神名とかお働き等ご存知でしたら教えてください。

[5791] Re[5788]: ご無沙汰してます。  神奈備 2004/11/29(Mon) 08:40 [Reply]
 なにがしさん ご無沙汰です。
 HPを閉鎖されるとか。
 http://www5b.biglobe.ne.jp/~mkn/index.html
 HPの構想を見せていただいて、半ばで終わる、関心を持って見ていた読者にとって誠に残念です。
 今後も調査研究をされていかれることと思いますが、論文か書籍で発表されるのでしょうか。その節はお知らせ下さいね。

[5790] Re[5789]: RE [5771]: 古代も三角点?      玄松子 2004/11/28(Sun) 23:27 [Reply]
書き込みの趣旨を、よくご理解下さい。

要点は、こちら。
> 各ポイントに関して検証・考証を行った、2・3の例を挙げれば良いでしょう。

[5789] RE [5771]: 古代も三角点?      ワープ 2004/11/28(Sun) 22:59 [Reply]

 こんばんは、

<<古代から存在している神社のほとんどは、その位置を変遷させています。
たとえば、江戸時代に遷座された神社境内に学校ができたとして、
その学校を結んでできる図形では、古代を考える意味では無意味。

そのような考証を、各ポイントで行わずに、繋げるだけでは、
たとえその説に真理が含まれていても、信憑性はゼロとなります。

掲示板での発表はスペースの問題があるということですが、
各ポイントに関して検証・考証を行った、2・3の例を挙げれば良いでしょう。
「アバウト」な地図で作図したものでは、人へ説明する態度ではありません。

「アバウト」な地図とは、建設省国土地理院長の承認を得て、同院発行の10万分の1地方図、を使用したもので1999年現在の物です。
(1万分の1地方図で、私の住む近隣の市町村でも同様の結果が出ております。)
60度(15度の倍数の角度・正三角形の内角)百聞は1見に如かずと申しますので、是非にもお試しください。
重ね重ね御願い申し上げます。( 秦氏・ 行基・最澄・円仁・空海なども関係したと考えております。)  

[5788] ご無沙汰してます。  なにがし 2004/11/28(Sun) 22:49 [Reply]
>空海が若狭に足跡を残し、水銀とかかわったような事を、昨日のテレビでやってましたね。NHKだったかな。
世界ふしぎ発見ですね。

[5787] 鉛丹とは  神奈備 2004/11/28(Sun) 21:10 [Reply]
丹波の国の丹とは何だろう。
一説には丹沙とか。
鉛丹も貴重なものだったのでしょうが、国名になる、神社名になる、祭神名になるほどのものだったのかいな。

http://www.geocities.jp/k_saito_site/kasagun4.htm
松田道雄さん『丹生の研究』が引用されています。
淡島神社の南にある公文名の小学校附近では水銀0.0003%,公文名の南の七日市から西に折れて山にとりついた京口のものは0.0006%,笠森社の西の高野由里,およびこの部落と宮津線の鉄路をはさんで対面する中西では,それぞれ0.0006%,そして京口および中西とX字を措いてその底点にあたる山中に存在する女布(にょう)の部落から採ったものは実に水銀含有0.009%であった。

空海が若狭に足跡を残し、水銀とかかわったような事を、昨日のテレビでやってましたね。NHKだったかな。

[5783] またたび鉛錬比古  ペギラ 2004/11/27(Sat) 13:17 [Reply]
近江で鉛の文字。どうして鉄じゃないの?
そんな疑問はずっとあった。

鉛丹(Pb3O3)
近江北陸の丹生は鉛酸化物じゃないか??

「朱の考古学」P70
>本来辰砂の意味であった「丹」は、奈良・平安時代には
>鉛丹を意味した。

正倉院にある鉛丹
東大寺の丹

すべて輸入品なのか?
鉛・黒鉛産出地を国内に求めていいのか?

[5782] Re[5777][5776]: はじめまして  やま 2004/11/25(Thu) 14:23 [Reply]
玄松子さん

お返事ありがとうございました。


> 伊勢神宮は、正確には、伊勢の神宮といい、内宮・外宮を中心とした、
> 125社の総称ですから、それぞれの社(境内)は、玉城町や小俣町にも存在します。

なるほど、そういうことだったのですか。誰も知らないそういう秘密の場所が
あるのかと思ってました(汗)

近所の小さな神社とかでもとても暖かい気が感じられます。たまにそうでない
所もありますが・・・ 神社とかが好きで興味もあるのですが、何を読んだり
すればいいのかとかわかりません。こちらの過去ログなど読ませて頂いて、
勉強します。

どうもありがとうございました。

[5781] Re[5780][5779]: 努能太比売  神奈備 2004/11/25(Thu) 08:04 [Reply]
> 神社や神社跡を訪問し、情報を発信していれば、いずれそういう動きになるかもしれないという希望は持ち続けたいです。

 そうですね。努能太比売神社の跡地にもう2ヶ月早く行っておれば、石燈籠が健在でした。神社では石燈籠を鉄格子で補強して維持している所もありますので、地元でそのようなお話ができたかも知れません。

 また町会敷地に地蔵堂を移転してきており、お参りの方もおられました。石燈籠を解体したと云っても、決して信心が浅いわけでもなさそうです。

[5780] Re[5779]: 努能太比売  玄松子 2004/11/24(Wed) 10:40 [Reply]
> http://kamnavi.jp/en/settu/nunota.htm

このサイトを見て、遠方から多くの方が訪問するようになれば、
町内会として、石碑を建てたり、玉垣で囲うなどということになるかもしれません。
寄進があれば、小祠を再建する可能性もあるかもしれません。(ないかもしれませんが)。

神社や神社跡を訪問し、情報を発信していれば、いずれそういう動きになるかもしれないという希望は持ち続けたいです。

[5779] 努能太比売  神奈備 2004/11/23(Tue) 20:12 [Reply]
 大阪はいい天気の一日でした。
 前に玄松子さんがブログに書かれていました『廃絶式内社調査報告』。
 これにあった努能太比売神社跡を探しに出かけました。二週間ほど前には発見できず、今回は二度目の探索。
 町内会の建物を聞き、その敷地に入りますと、角に小さい石碑があり、式内社努能太比売神社跡と刻んでいるではありませんか。万歳”!!
 で、『廃絶』には石燈籠の写真があり、それが見当たらない。犬と散歩していた方に聞く「もうない。」との返事。大きく重いものだろうから残骸は残っているだろうと、杉本町会館の敷地を奥へ行ってみますと、石燈籠が立っていたであろう穴、隣には天照皇大神と刻まれた石柱が横になっていました。あったんです。
 写真など撮っていると、会館の中からいかにも怪しい奴と云う顔をした、多分町会の役員他がぞろぞろ。
役員氏「なにしてまんねん。」
神奈備「調べてまんねん。ここはヌノタヒメ神社の跡でねん。」
役員氏「あー。ヌノタと読みまんのか?」「そう云えばヌノタって字があら。」
神奈備「社殿はどうたっておましたん?」
役員氏「いや。わいら生まれる前からありまへん。」
神奈備「あ、そうでんな。明治の末だもんね。」
某婦人「いや、この前、ここに泥棒がはいったんでよ。覗きにきたんよ。」
神奈備「それでようけでお出迎えでっか。」
楽しい一時でした。

http://kamnavi.jp/en/settu/nunota.htm

[5778] Re[5775]: 文献に依る水銀産地の変遷  神奈備 2004/11/22(Mon) 19:54 [Reply]
貴重な資料、ありがとうございます。
現れては消える産地もあるようですが、網羅性の問題かも知れませんね。

『魏志倭人伝』には、「丹」が献上品に名を連ねています。倭人の住む国の産物に「其山有丹」あsります。卑弥呼の支配地域か交易地域に辰砂の出る山があったと言うことでしょう。それぞれの鉱山の開発された時代を探る必要がありますね。市毛勲氏は『日本民族文化体系3』で、卑弥呼の時代には、大和と阿波の鉱床群が開発されており、九州はまだであったとされています。

銅鐸にも朱の痕跡が認められるものがあるようです。
縄文後期には辰紗が土器顔料に利用されています。採取し易い露天掘りだったのかも。

辰砂は印肉の朱肉の最高級品だそうで、びっくりするほどのお値段とか。空海が留学の時に持っていったのがこれで、仏典を仕入れるのに役立ったと聞きます。

[5777] Re[5776]: はじめまして  玄松子 2004/11/22(Mon) 16:33 [Reply]
> 「伊勢神宮の飛び地が玉城町、小俣町辺りにあるとされる」という内容を
> 見たのですが、自治体などでもたまにある飛び地とは文章のニュアンスが
> 異なっていますので(あるとされる、という部分)、何か謎めいたことが
> あるのか少し気になったもので…

この場合の「飛び地」とは、飛地境内のことですね。
大きな神社では、一般にいう境内の他に、別の場所にも境内を持っている場合があり、それを飛地境内といいます。

伊勢神宮は、正確には、伊勢の神宮といい、内宮・外宮を中心とした、
125社の総称ですから、それぞれの社(境内)は、玉城町や小俣町にも存在します。

伊勢神宮の公式サイトです。ご参考に。
http://www.isejingu.or.jp/index.htm

[5776] はじめまして  やま 2004/11/22(Mon) 12:51 [Reply]
みなさん初めまして。

こちらのホームページ、掲示板の内容にそぐわないものかもしれませんが
疑問がありますのでよろしかったらお教え下さい。

「伊勢神宮の飛び地が玉城町、小俣町辺りにあるとされる」という内容を
見たのですが、自治体などでもたまにある飛び地とは文章のニュアンスが
異なっていますので(あるとされる、という部分)、何か謎めいたことが
あるのか少し気になったもので…

何かとんでもない思い違いなどしていたら恥ずかしいのですが、よろしかったら
お教え頂けますか?

[5775] 文献に依る水銀産地の変遷  ペギラ 2004/11/22(Mon) 09:02 [Reply]
日本水銀鉱業発達史引用(本州・四国・九州のみの引用)
地名など記載内容優先

続日本紀 水銀(辰砂)産地
文武天皇二年
伊勢国
常陸国
備前国
伊予国
日向国
豊後国

佐藤信淵著土性弁巻及経済要録
江戸時代
奥州猪沢山
出羽鹿角山
阿州丹生谷
美濃赤坂山
伊勢丹生山
和州吉野山の水上
羽州鹿内ノ厳窟
奥州猪沢山の谷間
豊前草木村

日本鉱産地(農商務省鉱山局発行)
明治三十三年
安房国安房郡鷹ノ島沖ノ島
伊勢国三重郡水沢村中谷
大和国宇陀郡宇賀志村駒帰ヒヤケ畑外六字
大和国宇太村松月外字小屋網屋外二○字
阿波国那賀郡加茂谷村水井小字東
阿波国那賀郡加茂谷村水井小字東山林
伊予国宇和郡日吉村父野川小容外三字
伊予国宇和郡同志村谷川
日向国南那賀那湊浦
大隅国桑原郡山ヶ野金山
陸前国気仙郡世田米村世田米小字畷畑外一字
肥前国松浦郡平戸

日本鉱業誌(東京鉱山監督局編)
明治四十四年
阿波国 水銀鉱山
伊予国 父川鉱山
陸中国 蛭子館鉱山
肥前国 波佐見鉱山(長崎県東彼杵郡上波佐見村)
薩摩国 大口及牛尾鉱山(鹿児島県伊佐郡大口村)
肥前国 山口村
日向国 湊村

日本地質鉱産誌(地質調査所発行)
昭和七年
多武峰鉱山  奈良県磯城郡多武峰村
大和水銀鉱山 奈良県宇陀郡宇太村
水銀錳鉱山  徳島県那賀郡加茂谷村
蛭子館    岩手県気仙郡世川米村
父ノ川    愛媛県北宇和郡日吉村
波佐見    長崎県東彼杵郡波佐見村
大口     鹿児島県伊佐郡大口村

昭和二十年三月に於ける水銀鉱の主なる産地(矢島澄策調)
岩手県気仙郡世田米村
愛知県北設楽郡下津具村
三重県多気郡丹生村(丹生鉱山・佐奈鉱山)
奈良県宇陀郡宇太町字賀志村(大和水銀、外二三)
奈良県磯城郡多武峰村(多武峰鉱山)
大阪府南河内郡千早村
和歌山県日高郡丹生村字和佐
徳島県那賀郡加茂谷村
岡山県和気郡藤野村
高知県香美郡上韮生村付近
高知県長岡郡御免町
高知県長岡郡天坪村及穴内村
高知県吾川郡池川町
愛媛県北宇和郡日吉村字父野川
大分県北海部郡丹生村付近
大分県大野郡今市村
大分県南海部郡佐伯町付近(大富鉱山)
鹿児島県伊佐郡大口
長崎県東彼杵郡波佐見村
長崎県佐世保市相ノ浦
長崎県北松浦郡平村
熊本県球磨郡五木村
熊本県八代郡八代町


[5774] Re[5773][5771]: 古代も三角点?    神奈備 2004/11/21(Sun) 18:40 [Reply]
> 私は、主に地図上の「∴」史跡・名勝・神社・寺院・温泉などの記号を90度・60度・30度・45度の角度で線で結び何百もの正三角形を描き確信をえました

『朝日の直刺す国、夕日の照る国』池田順著
足摺岬から室戸岬に線を引き、東に延長すると富士山、西に延長すると笠沙の岬、共に木花咲耶比売の鎮座まします地である。

これなんか、温暖化や寒冷化で岬の場所が変わってしまいますので、ほぼナンセンスです。地図上で三角形が出来たとしても高度差があり、たいした意味があるとは言えないのでは。

『日本の神々5』月読神社の項
大和岩雄さんは夏至のライン上に並ぶと云ったようなことをよく書かれていますが、直線上ならあまり高度差は意識されなくともいいのかも。

小川光治さんでしたか、伊勢の神島と淡路島を結ぶ東西ラインを主張されて、NHKが金をかけて番組を作ったりして無駄使いと批判されていましたね。プロデューサがネコババするよりはましかも。

[5773] Re[5771]: 古代も三角点?    ワープ 2004/11/21(Sun) 03:45 [Reply]

おはよう御座います。
<検索画面ではなく、自身で考えられた抽出結果をご披露下さい。それが掲示板です。
<可能性が高いだけではなく、
ご指摘の各公共施設や公園の位置には、元は何があったのか、
どのような遺跡や寺社だったのか、それぞれの創建年代はいつか、
など、具体的な検証を先ず行うことが先決です。
「単に、都合の良い点をつなぎ、キリの良い角度が出たからといっても、なんの意味もありません。」

私が使用した伊豆大島の地図はアバウトで先日列挙した地名がほとんどでしたので偶然ではないと思っています。

「これだけの条件によるポイントは全国に無数にあります」から、なんの考証もせずつなぎ合わせるだけなら、日本列島にオリオン座やカシオペア座を表出することは可能ですし、絵心があれば、モナリザでも描けそうです。

その通りです。それ程の密度の測量ポイントが存在するのです。この方法で全国と北海道に一部が測量されたとの自論です。(私は、主に地図上の「∴」史跡・名勝・神社・寺院・温泉などの記号を90度・60度・30度・45度の角度で線で結び何百もの正三角形を描き確信をえましたが、掲示板への抽出結果を披露するには、数が多すぎますので御陵謝ください。ある公的機関のふたりの方に説明したところ 一人方は自分の目で地図の三角鎖を見ても信じようとしませんでした、あと一人の方は理解してくださり学者のかたを八方探したそうですが考古学や民俗学の範囲では無いそうで専門の学者が居なかったそうです。神社に見識・関心が深い「神奈備掲示板」の皆様方ならばと投稿した次第です

 699年(文武三年) 役小角(役行者) 伊豆大島に配流。
 822年(弘仁十三年)ごろ 「日本霊異紀」 成立。
 最初の日本地図は。奈良時代の僧「行基」が作ったとの伝承。
 1305年に描かれた地図が京都 仁和時に伝わる。
1779年長久保赤水(水戸藩の儒者「大日本史」の地理志編纂伊能忠敬の地図に近い日本図を多くの資料を参考に20年かけて作成した。)
1799年(寛政十一年)役行者一千百年遠忌。「神変大菩薩」のシシゴウ(おくりな)がさずけるられ聖護院に勅書が下賜された。
1804年(文化一年)伊能忠敬、沿海地図を幕府に提出。

一千百年も後に、それも満足できる日本地図の完成の時期に朝廷より役小角(役行者)が称えられるとは行者や僧(山伏)が地図の作成に関与していたからではと思います。

測量の歴史
http://www.tomei-survey.com/history.htm
測量の歴史とこれから
http://www.fan.hi-ho.ne.jp/nbr-k/rekisi.htm
旧日本政府の三角点−几号水準点
http://jn1rel-web.hp.infoseek.co.jp/hen/kigou.html

[5772] Re[5770]: 古代も三角点?  玄松子 2004/11/19(Fri) 14:43 [Reply]
>  古代の国づくりのヒントに、夢(妄想)が広がります。

再度のお願いです。
根拠の無い自論を主張するのは止めましょう。
根拠があるのなら、まず、その根拠を判りやすい日本語で表現しましょう。

[5771] Re[5770]: 古代も三角点?  神奈備 2004/11/19(Fri) 09:12 [Reply]
ワープさん。こんにちは。
三角点は山の頂上の目印ですよね。
三角点、神社、古代で検索してなにか一般法則が抽出できましたか?
どうして三角点なのですか?

検索画面ではなく、自身で考えられた抽出結果をご披露下さい。それが掲示板です。

>  「それでも地球は廻っている」信じられまで100年かかるかも。
何故、このようなことが言えるのでしょうか。
わかるようにお示し下さい。

[5770] 古代も三角点?  ワープ 2004/11/18(Thu) 23:04 [Reply]

 古代の国づくりのヒントに、夢(妄想)が広がります。
ヤフー検索
三角点 古代で検索した結果
http://search.yahoo.co.jp/bin/query?p=%bb%b0%b3%d1%c5%c0+%b8%c5%c2%e5&hc=0&hs=0

三角点 古代 古墳で検索した結果
http://search.yahoo.co.jp/bin/query?p=%bb%b0%b3%d1%c5%c0+%b8%c5%c2%e5+%b8%c5%ca%af&hc=0&hs=0

三角点 古代 神社で検索した結果 
http://search.yahoo.co.jp/bin/query?p=%bb%b0%b3%d1%c5%c0+%b8%c5%c2%e5+%bf%c0%bc%d2&fr=top&hc=0&hs=0

三角点 古代 寺で検索した結果 
http://search.yahoo.co.jp/bin/query?p=%bb%b0%b3%d1%c5%c0+%b8%c5%c2%e5+%bb%fb&hc=0&hs=0

三角点 古代 学校で検索した結果 
http://search.yahoo.co.jp/bin/query?p=%bb%b0%b3%d1%c5%c0+%b8%c5%c2%e5+%b3%d8%b9%bb&hc=0&hs=0

三角点 古代 病院で検索した結果 
http://search.yahoo.co.jp/bin/query?p=%bb%b0%b3%d1%c5%c0+%b8%c5%c2%e5+%c9%c2%b1%a1&hc=0&hs=0
 「それでも地球は廻っている」信じられまで100年かかるかも。

[5769] Re[5764]: 丹沙   ペギラ 2004/11/18(Thu) 16:34 [Reply]
日本水銀鉱業発達史から
      
> 千葉県安房郡富浦町丹生

明治三十三年
日本鉱産地(農商務省鉱山局発行)に

安房国安房郡鷹ノ島沖ノ島(自然水銀あり)

というのが載っている。

この2地点は近い。
鏡ヶ浦を挟んで、南北。

鷹ノ島・沖ノ島は、現在館山航空基地なんですね。
関東大震災で隆起したとか。


[5768] Re[5767][5764] : 丹沙   ペギラ 2004/11/18(Thu) 11:26 [Reply]
おはようございます。QUBOさん。

> > 8千葉県習志野市谷津町
> 正しくは習志野市谷津  谷津町ではありません。

正確な情報ありがとうございます。
松田寿男さんの提示したものそのままですので。

それこそ「鉄」からこんな話題になってしまいました。(笑)

水銀濃度について、私見。

金属が出るところほぼすべて水銀濃度は高いはずです。
ましてや中央構造線近辺なら間違いなく高い。

水銀濃度が高い=硫化水銀がある
ではないと思います。

水銀という金属の性質上、他の金属のように高温圧縮されると飛んでしまいます。

サンプルの採り方、他の鉱山ではどうか?
など丹生ではない場所の多くのサンプルも欲しいです。

この研究をされる方に。

[5767] Re[5764] : 丹沙   QUBO 2004/11/18(Thu) 06:54 [Reply]
ペギラ様 おはようございます。
> 8千葉県習志野市谷津町
ここに最近まで住んでいましたので一言
(以前のHNは「習志野のテツ」でした。
テツは名前ですがヤツを捻っています)

正しくは習志野市谷津  谷津町ではありません。
谷津の丹生神社から400M程の所に住んでいました。
だいぶ前、2年以上前だと思いますが、この掲示板で
一度話題になったことがありました。

ここでは水銀は採れません。東京湾に面した漁業の地です。
赤土は、関東ローム層です。富士山の火山灰です。
丹生神社は、江戸時代になって和歌山から勧進されたのです。
江戸が開発されて人口が多くなり、魚への需要が増え、
和歌山から漁業関係者が移住、神様も移住したことが
神社縁起にでています。

[5766] Re[5765]: 無題  神奈備 2004/11/17(Wed) 20:16 [Reply]
> 下記 丹生関係の水銀濃度です。
>
> 見難いですね。すいません。
> あまりに見苦しいようでしたら、削除してください。

貴重な情報ありがとうございます。

>>近江国伊香郡(余吾村) 0.0015% 
> 出てきません。
>
> 「丹生の研究」にあるのだろうか?

然り、『丹生の研究−歴史地理学から見た日本の水銀』からのようです。


> しかし、その地名の適応範囲は結構広いのではないか?
そうですね。出土地と居住地は重なっている場合が多かったのでしょう。

伊香群余吾は散策しましたが、やはり赤土も見えており、産地であったとしても不思議ではない地域でした。だからこその丹生神社二座なのかも。

[5765] 無題  ペギラ 2004/11/17(Wed) 18:40 [Reply]
下記 丹生関係の水銀濃度です。

見難いですね。すいません。
あまりに見苦しいようでしたら、削除してください。

[5764] Re[5763][5762][5760][5757][5754]: 丹沙   ペギラ 2004/11/17(Wed) 16:27 [Reply]
山形県尾花沢市丹生              0.0465
福島県伊達郡梁川町舟生            0.0020
茨城県那珂郡山方町舟生
栃木県塩谷郡塩谷町船生            0.0002
1群馬県富岡市下丹生字六反田         0.0056
2群馬県多野郡鬼石町浄法寺          0.0073
3群馬県多野郡美原村坂原           
4群馬県多野郡万場町塩沢字森脇
5群馬県多野郡万場町黒田字西沢
6群馬県多野郡万場町相原字二階堂
7群馬県北群馬郡白郷井村中郷字浅田
8千葉県習志野市谷津町
千葉県安房郡富浦町丹生
千葉県安房郡  入上             0.046
千葉県安房郡  入田             0.0015
長野県大町市丹生ノ子             0.0030
9静岡県袋井市豊沢字宝野新田         0.00268・0.0018・0.0024
岐阜県大野郡丹生川村             0.0028・0.003・0.0060
三重県員弁郡丹生川村             0.0016
三重県一志郡多気村丹生俣
10三重県多気郡勢和村丹生
11福井県丹生郡清水町竹生          0.0023
12福井県武生市丹生郷町           0.0098
13福井県敦賀市高野
14福井県三方郡美浜町丹生字北宮脇      0.0019
15福井県小浜市国富字太良庄         0.0015
京都府鶴舞市大丹生・浦丹生
京都府竹野郡網野町郷字丹生土
16滋賀県伊香郡余吾村上丹生
17滋賀県伊香郡余吾村下丹生
18滋賀県坂田郡米原町上丹生         0.0050
19京都府竹野郡丹後町岩木
和歌山県日高郡竜神村上山路字丹生ノ川
和歌山県日高郡印南町丹生
和歌山県日高郡川辺町和佐
和歌山県有田郡金屋町丹生           0.0018
和歌山県有田郡吉備町丹生図
和歌山県那賀郡粉河町丹生谷          0.0087          
和歌山県伊都郡九度山町入郷          0.0081
和歌山県伊都郡九度山町丹生川
20奈良県奈良市丹生町 0.00254
21奈良県宇陀郡榛原町雨師
22奈良県宇陀郡菟田野町入谷
23奈良県吉野郡東吉野町小
24奈良県吉野郡西吉野町六田
25奈良県吉野郡西吉野町大日川
26奈良県吉野郡下市町長谷
奈良県吉野郡下市町丹生            0.0021
奈良県高市郡高取町丹生谷
奈良県御所市関屋字丹生谷
27兵庫県三原郡南淡町居神
28兵庫県神戸市灘区高羽
29兵庫県神戸市兵庫区山田町丹生山  0.005
30兵庫県城崎郡香住町浦上 0.0032
兵庫県城崎郡香住町丹生地・丹生
31岡山県井原市丹生             0.0012
32岡山県笠岡市白石島
33広島県世羅郡甲山町 0.015
34香川県大川郡大内町町田          0.0030
35徳島県那賀郡鷲敷町仁宇
36高知県土佐市宇佐町
高知県安芸市入河内
37佐賀県藤津郡嬉野町丹生川
38佐賀県藤津郡嬉野町平野
39佐賀県藤津郡嬉野町湯野田
40佐賀県藤津郡嬉野町下野
41佐賀県藤津郡塩田町大草野
42佐賀県藤津郡塩田町馬場下
43佐賀県鹿島市森字小刀
44大分県大分市坂の市町原          0.0980
45大分県大分市坂の市町屋山
46大分県大分市坂の市町市尾
47大分県大分市宮河内字阿蘇入
大分県大分郡野津原町練ヶ追字丹生山      0.008    
大分県臼杵市丹生島              0.0015
熊本県下益城郡城南町丹生宮
鹿児島県姶良郡溝辺町丹生附          0.0040

[5763] Re[5762][5760][5757][5754]: 丹沙   ペギラ 2004/11/17(Wed) 11:00 [Reply]

> 矢嶋澄策著『日本水銀工業発達史』
良い物を見つけました。

日本民俗文化資料集成10 金属の文化誌
三一書房 

矢嶋博士の二編の考察が載っている。
「日本水銀鉱業発達史」
「日本水銀鉱床の史的考察」

市毛さんや松田さんの話より私的にはすごく良い。
市毛さんの引用は実は「日本水銀鉱床の史的考察」だということもわかった。(笑)

「日本産水銀の史的研究」という大西源一さんの考察も良い。
引用古文献が一杯。

>近江国伊香郡(余吾村) 0.0015% 
出てきません。

「丹生の研究」にあるのだろうか?

ここで、「丹生」について
丹生=硫化水銀

大きく間違ったことではないと思います。
しかし、その地名の適応範囲は結構広いのではないか?

出土地=丹生ではなく、
水銀発掘従事者の生活区=丹生ではないかと。

[5762] Re[5760][5757][5754]: 丹沙   神奈備 2004/11/17(Wed) 07:51 [Reply]
> 山を越えた岐阜県側
>
> 徳山水銀鉱山がある。

『朱の考古学』市毛勲著
p.127 から丹生地名の水銀濃度
矢嶋澄策著『日本水銀工業発達史』から引用。

越前国丹生郡(武生市) 0.0098%
若狭国三方郡(美浜町) 0.0019%
若狭国遠敷郡(小浜市) 0.0032%
近江国伊香郡(余吾村) 0.0015% ←
近江国坂田郡(米原町) 0.0050%
大和国添上郡(丹生町) 0.0025%
紀伊国伊都郡(九度山) 0.0081%
 
http://www.geocities.co.jp/NatureLand-Sky/3982/cinnabar.html
>  徳山水銀鉱山は入谷鉱床と茂津谷鉱床の二ヶ所の鉱床から成り、堆積岩層を鉱染した浅熱水性の水銀鉱床です。

入谷は丹生谷かも知れませんね。

琵琶湖の東部は若狭湾岸の水銀の多い地帯ですが、目立った鉱床は発見されていませんが、坑道内の土壌の水銀含有率が高い所が発見され、辰砂採掘跡の可能性が指摘されています。
徳山水銀鉱山もその一貫の鉱床群に属するのかも。

[5761] Re[5758]:[5756] 伊豆國賀茂郡  お詫びと代替いたします。     玄松子 2004/11/16(Tue) 21:21 [Reply]
> (過去に、遺跡や寺社だった可能性が高い。)

可能性が高いだけではなく、
ご指摘の各公共施設や公園の位置には、元は何があったのか、
どのような遺跡や寺社だったのか、それぞれの創建年代はいつか、
など、具体的な検証を先ず行うことが先決です。
単に、都合の良い点をつなぎ、キリの良い角度が出たからといっても、なんの意味もありません。

これだけの条件によるポイントは全国に無数にありますから、なんの考証もせずつなぎ合わせるだけなら、日本列島にオリオン座やカシオペア座を表出することは可能ですし、絵心があれば、モナリザでも描けそうです。

根拠の無い自論を主張するのは止めましょう。
根拠があるのなら、まず、その根拠を判りやすい日本語で表現しましょう。

[5760] Re[5757][5754]: 丹沙   ペギラ 2004/11/16(Tue) 18:13 [Reply]
山を越えた岐阜県側

徳山水銀鉱山がある。

[5758] Re:[5756] 伊豆國賀茂郡  お詫びと代替いたします。     ワープ 2004/11/16(Tue) 13:53 [Reply]

 大変失礼いたしました、使用した地図が要約されていることに気づきませんでした。
代わりに役小角(役行者)が配流されていた伊豆大島についてご紹介いたしますので懲りずに御願いいたすます。
史跡:(名勝・天然記念物なども含みます。奇岩や温泉・滝なども測量でのポイント地点なのです。ヤタガラスや山伏らが長年に渡り測量していたとの自論です。)
史跡:伊豆大島火山博物館から史跡:大島自然公園から 二子山から史跡:観光資料館から史跡:椿トンネルから三原新山から大島高校。
史跡:地層断面から史跡:大砂漠から 波浮湾の好展望地から30度 野増小から 大島温泉から北の山小から 30度 第二中から 史跡:松山海岸から 剣が峰から 史跡:リス村。
史跡:上人の滝から 史跡:大島自然公園から 史跡:伊豆大島火山博物館に戻る。 

 伊豆諸島の地図が御座いませんので訂正し兼ねますお許しください。この方法の他に寺社・学校 病院など公的機関や遊園地・動物園などの公共施設(過去に、遺跡や寺社だった可能性が高い。)などで45度の場合も多いです、お試しください。

[5757] Re[5754]: 丹沙   ペギラ 2004/11/16(Tue) 12:26 [Reply]
> 早稲田大学の教授だった松田壽男さんは、丁度列島改造華やかなりし頃、各地が掘り返されているのをこれ幸いと歩き回り、土中の水銀濃度を調べました。
> 日本各地の朱砂産地とて判定した場所が47ヶ所、その中に近江国伊香郡の余吾村上丹生と同じ村の下丹生をあげておられます。
> 参考書 『古代の朱』松田壽男著 学生出版

水銀濃度
これほど怪しい物はない。
現代なら我が家の前の空き地の水銀濃度でも丹生だと言えてしまう。
下手をすると自分の体の中の濃度の方が土中濃度より濃いかもしれない。

直接現地を回られて調査した松田先生にお願いしたい。
そのサンプルデータの数値の一覧表を。

>現地から試料を採取し、その結果として古代の朱砂産地であったと判定したもの
「古代の朱」 P89

P99の伊香郡丹生の図に
cutting sample 赤色ナシ カオリンのみ
と記述されている。

それで本当に古代の朱砂産地であったと判定できたのか?

「早稲田大学鉱山学研究報告」の矢島博士の「日本水銀鉱床の分布について」
を見ないと解らない!!

地質調査総合センター (茨城県つくば市東1-1-1 産業技術総合研究所 第七事業所)で
コピーサービスでもしてもらわないといけないのか!!!



[5757] Re[5754]: 丹沙   ペギラ 2004/11/16(Tue) 12:26 [Reply]
> 早稲田大学の教授だった松田壽男さんは、丁度列島改造華やかなりし頃、各地が掘り返されているのをこれ幸いと歩き回り、土中の水銀濃度を調べました。
> 日本各地の朱砂産地とて判定した場所が47ヶ所、その中に近江国伊香郡の余吾村上丹生と同じ村の下丹生をあげておられます。
> 参考書 『古代の朱』松田壽男著 学生出版

水銀濃度
これほど怪しい物はない。
現代なら我が家の前の空き地の水銀濃度でも丹生だと言えてしまう。
下手をすると自分の体の中の濃度の方が土中濃度より濃いかもしれない。

直接現地を回られて調査した松田先生にお願いしたい。
そのサンプルデータの数値の一覧表を。

>現地から試料を採取し、その結果として古代の朱砂産地であったと判定したもの
「古代の朱」 P89

P99の伊香郡丹生の図に
cutting sample 赤色ナシ カオリンのみ
と記述されている。

それで本当に古代の朱砂産地であったと判定できたのか?

「早稲田大学鉱山学研究報告」の矢島博士の「日本水銀鉱床の分布について」
を見ないと解らない!!

地質調査総合センター (茨城県つくば市東1-1-1 産業技術総合研究所 第七事業所)で
コピーサービスでもしてもらわないといけないのか!!!



[5756] Re[5755][5751]: 伊豆國賀茂郡     玄松子 2004/11/16(Tue) 11:16 [Reply]
青草ならば、そのままにしておくところですが。

> 例: 新島 十三社神社か史跡新島ファミリーパークから三宅島冨賀神社かココマ遺跡   史跡新島ファミリーパークから八丈島為朝神社から三宅島ひょうたん山を線で結んでください、666 6:6:6 60度:60度:60度になります。

文章として、よく理解できませんが、
新島・三宅島・八丈島の位置関係から、この三島を用いて60度の角度をなすレイラインを想定するのは不可能です。
http://www.mapion.co.jp/c/f?grp=all&uc=1&scl=3000000&el=139%2F24%2F28&pnf=1&size=500%2C500&nl=33%2F44%2F54

経線や緯線と絡めれば、60度の角度を形成することは可能ですが、
それは全国どこのポイントでも可能です。

[5755] Re[5751]: 伊豆國賀茂郡     ワープ 2004/11/15(Mon) 19:43 [Reply]


<御蔵島〔みくら〕、三宅島〔みやけ〕、神津島〔こうづ〕
いずれもイワクありげな名前です。

「蔵」・「宅」・「津」いずれも古代の測量に関係する文字です。

<更に、五十猛、鴨族も寄与しているようですね。(役小角(役行者)は鴨族では?
役小角(役行者)六九九(文武三年)伊豆大島に配流。(行者は配所にて、昼は王命に従い、夜は駿河の国の峰に修行す。)
例: 新島 十三社神社か史跡新島ファミリーパークから三宅島冨賀神社かココマ遺跡   史跡新島ファミリーパークから八丈島為朝神社から三宅島ひょうたん山を線で結んでください、666 6:6:6 60度:60度:60度になります。(古代、行基図を創ったのです。日本中の史跡・寺社・公共施設(学校など)・温泉・山・岬・溜池・橋・辻など(古代国造りは測量していたのです。富士山の望める場所・「宮」につく地名、一の宮など)他にも全国に在ります。

[5754] Re[5753][5752][5751]: 伊豆國賀茂郡   神奈備 2004/11/15(Mon) 10:45 [Reply]
> > 近江国伊香郡
> 鉄はともかく、丹沙っていうのはどうかと。
> でも丹沙が取れたという記録はあるのだろうか?

記録の有無は不明。
早稲田大学の教授だった松田壽男さんは、丁度列島改造華やかなりし頃、各地が掘り返されているのをこれ幸いと歩き回り、土中の水銀濃度を調べました。
日本各地の朱砂産地とて判定した場所が47ヶ所、その中に近江国伊香郡の余吾村上丹生と同じ村の下丹生をあげておられます。
参考書 『古代の朱』松田壽男著 学生出版
まさに此処に式内小社丹生神社二座が鎮座しております。
http://www.kamnavi.net/ny/yogokami.htm
http://www.kamnavi.net/ny/yogosimo.htm

[5753] Re[5752][5751]: 伊豆國賀茂郡   ペギラ 2004/11/15(Mon) 08:53 [Reply]
> 近江国伊香郡

> 鉄や丹沙が多い。

鉄はともかく、丹沙っていうのはどうかと。

金青・慈石・白礬石

近江の献上鉱石、色々あれど、
青丹??
確かに木之本は含銅硫化鉄鋼がある

でも丹沙が取れたという記録はあるのだろうか?

[5752] Re[5751]: 伊豆國賀茂郡   神奈備 2004/11/14(Sun) 18:13 [Reply]
近江国伊香郡

水が多い、平地もそこそこ。
鉄や丹沙が多い。
渡来系も定着。
菅原道真ゆかりの寺。
伊香具神社の神官と菅公とは仲がいい。
菅公は三大実録の編纂。
延喜式の基礎を残していったのかも。


伊豆国賀茂郡

島が一回火を吹けば式内社一社かも。
更に、五十猛、鴨族も寄与しているようですね。

[5751] 伊豆國賀茂郡   QUBO 2004/11/14(Sun) 08:21 [Reply]
伊豆國 92座  伊豆国賀茂郡 四十六座 
 
今は東京都に属している伊豆七島は、火山でできた島々です。
大島1986年11月、三宅島2000年9月
島の住民すべてが島外へ避難、三宅島は未だ避難中です。

火山が爆発すると、占って神階を上げ、お鎮まり願う。
この為有力な神社が多くなり、式内社が多くなったのでは

御蔵島〔みくら〕、三宅島〔みやけ〕、神津島〔こうづ〕
いずれもイワクありげな名前です。

神津島は、縄文人にも良く知られ、通っていました。
神津島産黒曜石は当時のブランド品でした。
http://chiba.zzkt.com/eisei/e_vol_miyaketc.html
http://chiba.zzkt.com/eisei/e_kokuyo_kanto.html

それにしても周りに比べ多すぎる。

[5750] Re[5749][5744]: 伊香郡の製鉄遺跡  ペギラ 2004/11/13(Sat) 14:29 [Reply]
> 伊香郡や賀茂郡の特徴とは何だろうか?

伊香郡から。

近江国155座のうち、伊香郡(46)と高島郡(34)で
半数を超えるという異常な状態。

大和國286座
伊勢國253座
出雲国187座
越前國126座
伊豆國 92座
山城国122座

神階記事は、高嶋郡は三尾神・伊香郡は伊香神を上げるだけ。

恵美押勝の乱かな。

[5749] Re[5744]: 伊香郡の製鉄遺跡  神奈備 2004/11/12(Fri) 20:23 [Reply]
近江国の伊香郡には物部、安曇、天日矛など多士済々の氏族が跋扈。もっとも、伊香郡だけの噺ではないでしょうが。

以下は延喜式内社の数の多い順

1.伊勢国度会郡 五十八
1.出雲国出雲郡 五十八
3.大和国高市郡 五十四
4.伊勢国多気郡 五十二
5.出雲国意宇郡 四十八
6.伊豆国賀茂郡 四十六
6.近江国伊香郡 四十六
7.越前国敦賀郡 四十三

伊香郡や賀茂郡の特徴とは何だろうか?

[5748] 自説の宣伝  曲学の徒 [Mail] [Url] 2004/11/12(Fri) 11:37 [Reply]
突然の書き込み失礼します。
管理人さまの「邪馬台国の系図」興味深く拝見させていただきました。
しかし相当無理があると感じております。
私も『記紀』、『勘注系図』、『先代旧事本紀』から相互の比較系図を作成しております。ご批判を。

『欠史八代の実年代』
http://www.max.hi-ho.ne.jp/m-kat/nihon/6-9nenndai.htm

[5747] Re[5746]: 楢神社の鳥居  神奈備 2004/11/10(Wed) 17:21 [Reply]
風間さん こんにちは。
> 石鳥居
> 一緒に銅版巻きしてしまったそうです。

面白いお話ですね。確かに異様に太い感じの鳥居でした。

http://www.kamnavi.net/as/yamanobe/tenrinara.htm

[5746] 楢神社の鳥居  風間 2004/11/09(Tue) 21:16 [Reply]
はじめまして、神社巡りにこのサイトを色々参考にさせてもらってます。
先日天理の楢神社に寄ったのですが、そこで守り番をしている方にお話をお伺いしたところ、あのごっつい金属製の鳥居の中にはちゃんと本来の石鳥居が入ってるそうです。台風や地震でズッコケては危ないということで、桧皮葺の屋根を銅版葺きに葺き替える際、一緒に銅版巻きしてしまったそうです。

とまぁ現地でお伺いしてきたお話でした

[5745] Re[5742]: フツヌシとは  神奈備 2004/11/09(Tue) 19:46 [Reply]
>  神楽でフツヌシがオロチ退治をしているのを見ました。スサノオがするのが一般的だと思うのですがどうしてでしょうか。

どこでご覧になったのでしょうか。
オロチ退治にスサノヲが使った剱の神格化されたものがフツヌシですから、ありうるお話でしょうね。

[5744] 伊香郡の製鉄遺跡  ペギラ 2004/11/09(Tue) 17:46 [Reply]
鉛練日古から推測される金属話を少し

1985年当時わが国最古の製鉄遺跡と言われた 古橋遺跡があります。
伊香郡木ノ本町古橋地区

場所的には一山も二山も違いますが。

判出した土器が6世紀末〜7世紀初頭のものです。

鉄滓の化学組成の分析からここから出た鉄は珍しいものだった。
リンもカルシウムも成分比が少ない。

すくそばの北マキノ遺跡の鉄とはまたちょっと違う。
ちょっと離れた湖南草津市の野辺小野山遺跡の鉄に近いという不思議な現象。

[5743] Re[5738][5735]: 近江国・大水別神社  神奈備 2004/11/08(Mon) 19:02 [Reply]
式内社の大水別神社の論社は『式内社調査報告』によりますと四箇所あるようです。どうやら田中さんから写真掲示板に投稿頂いた鉛錬日古神社奥宮の大水別神社は鎮座地は鉛練日古神社の東方の山中ではないでしょうか。
余呉町中之郷字大水ヶ谷とすれば論社の一つのようですね。

[5735] で田中さんのご紹介の文にあいそうですね。
『旧淀藩上申書』に「中ノ郷村大水ヶ谷、今両岩窟夜叉神と称す社殿なし洞口三尺幅六尺許。洞中方二間水を湛えたり夫より岩穴二に別れて其奥を極る者なしとある地なるべし」と記されています。


荒樫神社の境内社鵜甘神社の写真ありがとうございます。

[5742] フツヌシとは  安来刀米 2004/11/08(Mon) 13:06 [Reply]
 神楽でフツヌシがオロチ退治をしているのを見ました。
スサノオがするのが一般的だと思うのですがどうしてで
しょうか。

[5741] Re[5731][5730]: ななかまど  恋川亭 2004/11/07(Sun) 22:51 [Reply]
 今日は、恋川亭の前の道がハーフマラソンのコースになっていたので応援してきました。招待選手たちのトップ集団の早いこと!!まぢかで見た本物のスピードにびっくりしました。マラソンといえども弾丸快走でした。弾丸といえば・・・

>  氣吹雷響雷吉野大国栖御魂神社は、南淵寺との関連がありそうで、それゆえ、稲淵山に鎮座と想定。玄松子さん[5726] の地図で標高356mの頂上付近に祠があるのではとイメージしていました。

 飛鳥川上坐宇須多岐比売命神社の手前、関西大飛鳥文化研究所の横から登山口があるところですね! 去年の6月、そこから登ろうとしてチンタラ歩いていたら、栢森から突進してきた弾丸トラックに追い立てられて足を挫いたところです。
 あまりの痛さに道にうずくまっていると、目の前を綺麗な模様のヘビさんが(懸命な顔つきで)横切っていくではありませんか。そしたら、ア〜ラ不思議!足の痛みが半減。足の無いヘビさんが痛み半分負って持って行ったみたい?やっと立ちましたが登山を断念、脂汗を流しながら稲渕の集落へソロソロと戻りました。
 比売神様のお使いでしょうか。ヘビさんといえども感謝!その後は、稲渕でタクシーを呼んで頂き飛鳥を後にしましたが、それ以来まだ再訪してません。生き物は友達・・・結構、助けてもらってます。弾丸トラックよりも。

 稲渕山は、地図でみると冬野川沿いに細川地区から車で登るルートがあるようですね。

[5740] 越前国・岡本神社  田中 久光 2004/11/07(Sun) 22:33 [Reply]
大水別神社のこと、素人ではこれ以上はわかりません。
話はあちこちするのですが、今日は黄葉・紅葉も始まっただろうと、以前から計画していた今立町の大滝神社の奥の院(上社)に行くつもりでした。神体山・権現山の山頂付近に大滝神社と岡太神社の本殿が並び立つと(下社)の由緒に書かれてありましたから。いざ、登山口に立ったのですが、地元の人が寄って来られまして、最近熊が出没、つい最近、顔中をひっかかれ大怪我をした人がいる、とのこと。よしなさい!と云われ、諦めました。神社を訪ねるのも命がけですね。

後、大塩八幡宮の4式内社などなどを回って帰宅しました。
ところで、神奈備・今立町西樫尾の荒樫神社の境内社鵜甘神社未確認とありますが今日確認してきました。写真掲示板で報告いたします。

[5739] しらはえ さん?  玄松子 2004/11/07(Sun) 21:53 [Reply]
瀬藤さんのお知り合いでしょうか。それとも以前のハンドル名を変えた方でしょうか。
できれば、自己紹介などをお願いできないでしょうか。

[5738] Re[5735]: 近江国・大水別神社  しらはえ 2004/11/07(Sun) 20:33 [Reply]
> これも苦労して訪ねた式内社の一つです。参考にしてください。写真で紹介しましょうか。

すばらしいですね。田中さんが、この社に至るまでの御苦労や様々な御手数については、この掲示板をご覧になられる方々には察することができることと思います。
タブーとプライバシーさえ侵さないのでしたら、是非ともお願い致します。

[5737] Re[5736][5735]: 近江国・大水別神社  玄松子 2004/11/07(Sun) 11:53 [Reply]
中之郷の太水別神社に関しては、『式内社調査報告』に所在は書かれていますが、
境内地に関しては不詳となっています。
これが、鉛練日古神社の奥宮だとは知りませんでした。

> 鉛練日古神社
>  『式内社調査報告』には、境内摂社を紹介した後、境内摂社の「秋葉神社以外の五社は、秋葉神社に合祭されている。なお外に前記の奥宮之社がある。」と記されています。

鉛練日古神社境内に、「山王二十一社 奥宮之社」と書かれた祠があります。
これとは、別に奥宮があるということでしょうか?

[5736] Re[5735]: 近江国・大水別神社  神奈備 2004/11/06(Sat) 10:44 [Reply]
 高天岸野神社の場所については、小生は『式内社調査報告』の地図が間違っていて一日棒に振った記憶があります。しかし、
> 小祠を見つけ、写真を撮りました。大山津見大神・猿田彦大神・大地主大神という貼札がありました。
 山越えの神々でしょうね。

 小生の地図のマーク、ずれていましたか。失礼いたしました。山中での場所の特定、難しいものですね。登り口の表示にしておきましょう。

鉛練日古神社
 『式内社調査報告』には、境内摂社を紹介した後、境内摂社の「秋葉神社以外の五社は、秋葉神社に合祭されている。なお外に前記の奥宮之社がある。」と記されています。
 是非、写真で紹介下さい。

[5735] 近江国・大水別神社  田中 久光 2004/11/06(Sat) 09:06 [Reply]
おっしゃる通りです。自己責任で、観察力と判断力で訪ねた前向きの紹介をします。
滋賀県余呉町に式内社鉛練比古神社があります。その境外社に大水別神社(神奈備資料には掲載ありませんが)があります。中之郷の山中にありました。洞窟があり、中は水を湛え、30aほどの小祠があります。洞窟の前には「式内社鉛練之宮奥宮大水別神社」とあります。

志賀剛氏の「式内社研究」を引用しますと、
川合村、中之郷村、池原村の三村に大水別ノ神社と称するものあれど何れ式内とも定め難しと云へり。されど淀藩上申書に中之郷村大水ヶ谷、今両岩窟、夜叉神と称す。社殿なし。洞窟三尺幅六尺許、洞内方二間水を湛へり、夫より岩穴二つに分れてその奥を極る者なしとある地なるべし。

これも苦労して訪ねた式内社の一つです。参考にしてください。写真で紹介しましょうか。

[5734] Re[5733]: 自刃  しらはえ 2004/11/06(Sat) 00:50 [Reply]
>  事故責任であります。
アハハハ・・・、自己責任ですね。

[5733] Re[5732]: ご無事でなによりです  しらはえ 2004/11/06(Sat) 00:48 [Reply]
 本であれ、ネットであれ、口伝であれ、すべての情報は参考に過ぎません。フィールドにおいては、得た情報を信じて助かった場合の僥倖も、信頼したまま遭難した場合の悲劇も、すべて事故責任であります。
 登山地図も地域によっては毎年改訂される処もありますし、それでも万全ではなかったりしますヨ。あまり人が訪れない処などは、なおさら・・・でしょうね。地図や標識ですら『参考が原則』ですから、ご自身の観察力と判断力を育てあげていかなければならないわけです。

 それにしても、こうした掲示板などで、訪問された際の情報を集めて多角的に重ねていくことで、情報の確度・精度が向上していくのも値打ちのあることです。たくさん参考にして、実地で得たことをたくさんフィードバックしましょう!よりよい情報の宝庫となりますように。多くの方々のご報告を期待しています。十分お気をつけて!!
 ・・・and, 土地の方々への感謝の気持ち(言葉で十分)も忘れずに。他所への訪問の鉄則!でもありますネ。次の人が訪ねて行きやすくなりますから。

[5732] 五條市・高天岸野神社  田中 久光 2004/11/05(Fri) 22:43 [Reply]
すみません、重箱の隅のようなことを申しますが、もう一つ苦労話を。
五條・高天岸野神社の欄でリンクしているMAPを参考にさせていただき、
訪ねました。赤星印は、金剛山に登る久留野峠ルートの途中にあると
判断しまして、登ったのですが行けども行けども神社は現れず、ついに
久留野峠に。あきらめて金剛山山頂葛木神社を訪ねました。帰りのルートで
再度星マーク辺りを彷徨しまして、ようやく小祠を見つけ、写真を撮りました。
でも、紹介あった赤い四脚鳥居もなく、祠には大山津見大神・猿田彦大神・
大地主大神という貼札がありました。その日はあきらめました。
後日、再挑戦しました。実は、高天岸野神社は星マークから西500b位に
あり、登り口は草谷寺と一尾背神社の中間くらいです。でも案内もなく、
氏子の方が登るくらいの小道でした。田畑があり、杉林を越え、30分くらい
の山道です。神社近くで初めて「式内岸野神社」という小さな看板がありまして
赤い鳥居が目に入ったときは感激でした。一人30分暗い山道は不安でしたから。

小生、後、吉野山周辺の数社で大和国式内社を完訪になります。ご紹介によると
これも山中の神社です。頑張ってみます。

[5731] Re[5730]: ななかまど  神奈備 2004/11/05(Fri) 08:42 [Reply]
> miekoさんの「ななかまど」はhttp://www.7kamado.net/nara-index.html です。
> 失礼しました。
いつもながら、美しくまとめられていますね。

> 思い出さなくてもいいのにサ・・・
夏の終わりのトカゲの思い出、最高に雰囲気が盛り上がった。

 氣吹雷響雷吉野大国栖御魂神社は、南淵寺との関連がありそうで、それゆえ、稲淵山に鎮座と想定。玄松子さん[5726] の地図で標高356mの頂上付近に祠があるのではとイメージしていました。
地図に鳥居”丹”のマークがないのが楽しみ。

 大仁保神社
『三代実録』によれば、元慶二年(八七八)二月二七日に従五位下を授けられた大仁保神と云う神があり、この候補神社が高取町丹生谷と明日香村入谷に鎮座する同名社です。
どちらかが正解で、どちらかが別の神社だったのでしょう。

また、同じ『三代実録』に、貞観元年七月五日戊午条に、大和国従五位下気吹雷神。従五位下響雷神並列於官社。とあり、こちらは話題の氣吹雷響雷吉野大国栖御魂神社の二座のこと。

> 大仁保神社が気吹雷響吉野大国栖御魂神社という可能性は全くないのでしょうか? 
三大実録で云う社名が違うので、違うのでしょうが、上記候補社の内、正解が高取町の場合、明日香村は可能性があるのかも。ただ山が違うのかも。

[5730] ななかまど  泊瀬女 2004/11/04(Thu) 23:54 [Reply]
miekoさんの「ななかまど」はhttp://www.7kamado.net/nara-index.html です。
失礼しました。


[5729] Re[5725][5723]: お礼  泊瀬女 2004/11/04(Thu) 23:35 [Reply]
> 時の経つのははやいもの。 2003/05/19の神奈備掲示板[4153] 泊瀬女さんの書き込みを思い出しました。

思い出さなくてもいいのにサ・・・

昨年、夏の終わり頃に明日香の奥に確かめに行って来ました。

飛鳥川上坐宇須多岐比売命神社、加夜奈留美命神社と飛鳥川に沿って遡り、さらに奥の入谷の山の上にあったのは大仁保神社でした。
確かに明治天皇・神武天皇と刻まれた石碑が左右に祀られ、中央の小さな社殿に祀られていたのはミツハノメ神でした。
詳しくはmiekoさんの「ななかまど」http://www.7kamado.net.nara.html をご覧ください。
気温も湿度も非常に高い時で怖かったんですよ。ヘビが出そうで・・・
おっかなびっくり大仁保神社の石段を登って行ったら、目の前を全長30センチ近くの赤銀色に光るトカゲが横切り「ギョエ〜ッ」と叫んでしまいました。
吉野の方から近づいてくる真っ黒な雲と稲光に追われるように逃げ帰りましたっけ。

ヘビやトカゲの出ない時期に、もう一度ゆっくりお参りしてみたい神社です。

昭和天皇の遥拝というのは間違いで、明治天皇遥拝記念という石柱が加夜奈留美命神社境内にありました。

聞きかじりの情報は半分合っていて、半分間違っていました。
でも、大仁保神社が気吹雷響吉野大国栖御魂神社という可能性は全くないのでしょうか? ご神威も高そうな雰囲気ですし・・・

[5728] Re[5727]: 無題  神奈備 2004/11/04(Thu) 10:45 [Reply]
> その民家の方に「葛神社」という社名と位置を確認いたしました。

そうですか・・。ありがとうございました。一度探索してみます。

[5727] 無題  田中 久光 2004/11/04(Thu) 10:33 [Reply]
すみません、ちょっとオーバーな表現をしてしまいました。
神奈備さんの引用とはちょっと違うと思います。
玄松子さんの紹介いただいた地図の示すところです。
大変と申したのは、車で田んぼの畦道のような道を
参りまして、Uターンもままならず、行き止まりになる
民家で庭を借りて方向チェンジしたり、田んぼに落ちそうに
なったり、を申しました。
その民家の方に「葛神社」という社名と位置を確認いたしました。

[5726] Re[5725][5723]: お礼  玄松子 2004/11/04(Thu) 09:48 [Reply]
> 坂田の葛神社とは、上記の場所に相当するようです。どのような神社でしたのでしょうかね。気にかかりますね。

http://watchizu.gsi.go.jp/cgi-bin/bl.cgi?b=342742&l=1354949
「国土地理院」の地図閲覧サービス(重い画像です)
この阪田にある神社だと思ってましたが、違うのかなぁ。

[5725] Re[5723]: お礼  神奈備 2004/11/04(Thu) 08:00 [Reply]
> 明日香村坂田の葛神社

時の経つのははやいもの。 2003/05/19の神奈備掲示板[4153] 泊瀬女さんの書き込みを思い出しました。

>高市郡の式内社、氣吹雷響雷吉野大国栖御魂神社(いぶきいかつちのよしのおおくずみたま)

以前、耳にしたのですが、飛鳥川上坐宇須多岐比売命神社の横から登った山の上に、3つの祠が並んでいて、一つは神武天皇を祀り、一つは明治天皇を祀り、真中の祠は何が祀ってあるか分からないけど、水に関係する神様らしい・・・それも非常に格の高い神様らしいという話を聞いたことがあります。
山の途中には昭和天皇が遥拝されたという場所もあるとか。
以上

坂田の葛神社とは、上記の場所に相当するようです。どのような神社でしたのでしょうかね。気にかかりますね。

[5724] 打下考  ペギラ 2004/11/04(Thu) 06:51 [Reply]
足掛け数年ついに見えてきたような気がする。

歌荒樔田と打下と桂里

「歌」は宇多なので「打」でも問題はありませんが、
「荒樔田」と「下」の関係。

じっくり日本書紀を読み返して、「下」の使用法と岩波本編纂者の訓をじっくりゆっくり。

あった。
南加羅 ありひしのから
下多利 あろしたり・あるしたり

「あらす」と「ありひし・あるし・あろし」 下=荒樔

「ありひし・あるし・あろし」は「おろし」へと変わっていく。 降=桂木

まだ不十分かな。もうちょっとか。


[5723] お礼  田中 久光 2004/11/03(Wed) 23:57 [Reply]
5722の田中です。ありがとうございました。
但馬国式内社の写真を整理していましたら、豊岡の西刀神社の由緒書が
出てきまして、
「仁徳天皇の代、当時この地方に円山川氾濫の滞水のため一大入海で
あったところを西刀宿禰は西刀の水門を切開いて干拓し安住の地を開拓
された故相殿に合祀・・・」とありました。
この度の台風23号の被害をそのままに思い浮かべます。西刀宿禰の
神徳も及ばなかったのですね。豊岡の方々にお見舞い申し上げます。

ところで、今日は「明日香村冬野の波多神社と明日香村坂田の葛神社」を
訪ねました。車で行きましたが、とても大変なところでした。

[5722] Re[5721][5720]: 教えてください  玄松子 2004/11/02(Tue) 08:09 [Reply]
『式内社調査報告』より補足。

> 和田山町林垣の十六柱神社は更杵村大兵主神社が合祀されたとの伝承があるようです。下記サイト参照。
> http://www5d.biglobe.ne.jp/~tosikenn/tazimakami.html

古社地が取り残され荒廃していたため、幕末に遷座することとなったが、
遷座先に関して、寺内と林垣で対立。結局、寺内へ遷座。

その後、明治になって、神社改めの際、当社貧弱のため、式外社とされ、
林垣の十六柱神社を式内社として報告されたという。

ということらしいですね。

[5721] Re[5720]: 教えてください  神奈備 2004/11/02(Tue) 07:48 [Reply]
全国兵主神社のサイトは近江の兵主神社の宮司さんが参詣されて、奥さんがサイトを運営されている夫唱婦随のページの一部です。
http://www.biwa.ne.jp/~hyouzu/
おっしゃる通り、写真に佐伎都比古阿流知命神社の写っていますので、こちらの神社でしょう。更杵村大兵主神社の北東に鎮座、近いですね。
和田山町林垣の十六柱神社は更杵村大兵主神社が合祀されたとの伝承があるようです。下記サイト参照。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~tosikenn/tazimakami.html

[5720] 教えてください  田中 久光 2004/11/02(Tue) 00:55 [Reply]
各地の式内社を訪ねています。ちょっと気づいたことと、お尋ねしたいこと
を書きます。
但馬国の更杵村大兵主神社の項で全国兵主神社にリンクしている神社写真、
これは同じ寺内にある佐技都比古阿流知命神社だと思います。
寺内には、式内更杵神社というのが別にありました。これが更杵大兵主神社
と思うのですが。
ところで、その寺内という集落の隣に林垣という集落があり、そこに
式内十六柱神社という神社がありました。りっぱな社殿でした。
この神社はいずれの式内社なのでしょう。情報がありましたら。

[5719] Re[5715]:むらくも  恋川亭 2004/10/31(Sun) 13:10 [Reply]
> 道行を蹴殺して草薙剣を奪ひ取る。
・・・住吉さんだけに、上段・中段・下段の三段蹴りだったのでしょうね。当麻蹴早も真っ青!

> 籠神社も若狭湾に面して、熱田−住吉連合(○暴にあらず)に加えてほしい所。

湾ですね、船ですね、交易ですね。海運だけに開運のご利益が。


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