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掲示板のログ(平成十七年 二月)お名前の敬称は省略しています。

[6067] Re[6057]: 日本人のルーツは、シベリアの筑紫??  かたばみ [Mail] [Url] 2005/02/28(Mon) 19:52 [Reply]

≫もともと古代史が好きでしたが、最近日本人のルーツに興味を持っています。

宝来聴氏のDNAデータを元にした日本人のルーツの持論を以下においてあります。
公開していませんがご参考まで。
http://www.tcn-catv.ne.jp/~woodsorrel/kodai/dna/dna.html

日本の旧石器(細石刃石器)の流れには2系統があるようですが、それが合流するのがバイカル湖付近だそうです。
しかし、その頃の(未知の)言語を現代の地名と比べても無意味と思います。
縄文語?はおろか千年前のアイヌ語でさえどうであったのかわからないのですから。


≫インドのアスカという地名を偶然見つけた五島氏は日本の飛鳥地方と

その本をお読みにはなっていらっしゃらないようですが、まずは読まねばならないですね。
(私は読んでいません(^^;)
ある推論に興味を持ったらその推論がいかなる情報に基づいて導き出されているのかをまず調べる必要があります。

特定の情報だけを用いて期待する方向の論が作り出されていることがよくあります。
石器があるだけで古代文明とするなら、200万年前の原人ホモ・ハビリスも超々古代文明の持ち主となってしまいますし。


[6066] Re[6050]: 刻舟(渚にて)  恋川亭 2005/02/27(Sun) 23:23 [Reply]
> 流れを下ってきたら、そこにいろいろがある、弥生あたりではその量が多いのでいろいろ考えることが多くなっているだけです。
> 下るほど情報量が増えてフィードバックも多くなるのでなかなか先にも進まなくなっています。
>
> また、常に流動的で固定されてもいないので、類型化されてしまうと?
> 新たな情報が加われば180度向きが変わるかもしれないし(^^;
>
> その上で疑問符は大いに歓迎であります。

かたばみさん、有り難うございます。
 今、ドトーの年度末的タボーにより掲示板の流れに追いつかないので、舟べりに刻みを入れるが如き書き込みをしました。あとから『ろ・ぐ』で辿れるようにネ。渡来人の考察は、まさに悠久の大河を相手にするようなテーマですので、少しずつ永く面白く続けていきたいナと。
 私には、海原を眼前にしてこれから渡海しようと決意した人々の感慨に思いを馳せてしまうので、その人達を取巻いていた状況や経緯をリアルに妄想したくなるンですね(悪い癖ですが)。もう少ししてタボーのピークを越したら、よろしくお願いします。

・・・と書いていたら、掲示板はルーツ噺の流れになってますナ〜。今、痛緊電車の中で、平凡社新書の『日本人のルーツ 探索マップ』(道方しのぶ著、740えん)を読んでます(おッ、この著者も元・伝奇屋さんやん)。『一古代人の思いやモチベーション』と語られているところに共感を覚えちゃいました。
 私からも応援・推薦の一言(余分?)『古代人は、原始人と違うンヤデ〜』(おあとがよろしいようで <(__)> )

[6065] Re[6057]: 日本人のルーツは、シベリアの筑紫??  通りすがり 2005/02/27(Sun) 16:08 [Reply]
地名で証明は難しいですね。可能性は0%ではないですが。例えば風習、文化が似ているなどないと。
ちなみに私は大学で化学をやっていたのですが、化学の分野ではロシアで論文を出す人はいません。だいたい欧米です。なぜなら、欧米で論文が認められれば信憑性は90%以上あるがロシアでは1%と非常に低いからです。今回の考古学?の分野ではどうなんでしょうか?私はそういう先入観があってちょっと信じ難く感じています。先入観はいいことではないんですがね。


> つまり昔、北極は今とは違うところにあり、チクシは温帯域だというのだ。そして再び極が移動して、チクシは現在のように北極圏内になり、人々は移動しなくてはならないことになったというのだ。

確かに地球軸は変化しており、極も移動していますが、それは億年単位だったと思うんですが?


> 古代、大陸から日本へ(シベリア⇒中国⇒朝鮮⇒北九州)人々の移動があったことは、考古学的な発掘調査からも事実のようです。

移動はあったかも知れませんが、問題はその年代がはっきりしているかです。これが分かるといいんですがね。でないと、それが日本の国作りに関係しているか、地名が似ていることを論議するのは難しく感じます。この手の話はどこで情報収集できるんだろう?結構大変そうですね。

地名って難しいですね、愛知県知多の先日の話題といい。島根か鳥取には羽合(ハワイ)があったり、和歌山には四箇郷(シカゴ)があったり。山口県旧徳山市には代々木、晴海、原宿、新宿なんかもありますよ。徳山の場合は近代の地名で多分市長さんかなんかの趣味だと思いますが。地名は根拠の1つにはなりますが、証明にはならないので、そこに文化や考古学的なものでの裏づけが必要となってくるのだと思います。

>日本の国造りにかかわる神話でも、北九州地方の筑紫は、重要な地域です。
筑紫は北九州地方と言うよりも、北部九州と言ったほうがいいかも知れません。北九州といえば北九州市になりますので。
勉強不足で申し訳ないのですが、国造りの神話で北部九州が出てるんですね。どうしても天の岩戸(高千穂)のある宮崎県などの南九州を想像してしまうのですが、勉強になりました。
確かに昔から北部九州は外国との窓口であったりし、歴史的には重要な地域で面白いですね。

[6064] お知らせ  PONTA [Url] 2005/02/27(Sun) 15:55 [Reply]
古代史研究サークルPONTAでは「三遠南信応援団」というサイトを作りました。
これからどんどんコンテンツを増やしていく予定です。

http://www2.wbs.ne.jp/~ponta/index4.htm

[6063] Re[6061]: 日本人のルーツ  日本の神  神奈備 2005/02/27(Sun) 13:36 [Reply]
> 何年前かに神奈備氏にメールをした事のある者です。
> その以後の進展です。
ありがとうございます。記憶の片隅にあります。

http://members.at.infoseek.co.jp/kokegan/
興味の多い遺物が出ています。
「竹内文書」との比較があるのですが、この文書の信憑性が遺物で証明されることのなれば、驚天動地と云うことですね。

[6062] Re[6060][6059][6057]: 日本人のルーツは、シベリアの筑紫??  神奈備 2005/02/27(Sun) 13:32 [Reply]
> 発想が突飛すぎて、異端視されているのでしょうか?
>
異端視ではなく、多分無視されているのでしょう。
最近のタミール語との多くの類似性が見いだされても、なかなか認められないですね。
偶然のようなお話は今は無駄話でしょう。

オトツァサン(父)をロシア語ではオテッツと云います。多分偶然でしょうね。
日本へ大陸や半島から渡ってきた民にツングース族があります。
彼ら中心となる国は粛慎と呼ばれたようです。粛慎はチクシと読めるそうですね。ヤナガワですが矢名川と云う川も日本にあります。
アスカはインドにもあります。
その程度の類似のことでは何も語れないのではないでしょうか。

[6061] 日本人のルーツ  日本の神  Su [Mail] [Url] 2005/02/27(Sun) 11:28 [Reply]
こんにちは、 Suです。

何年前かに神奈備氏にメールをした事のある者です。
その以後の進展です。
これは、日本で最も新しい古代遺跡物を紹介します。
現実に出土、埋蔵されています。
日本人のルーツと日本の神に何かの参考に成ればと思い投稿しました。

[6060] Re[6059][6057]: 日本人のルーツは、シベリアの筑紫??  陸奥九十九 2005/02/27(Sun) 10:44 [Reply]
お返事ありがとうございます。

早速、覗いてみました。
本当に色々なホームページがありすね。
しかし、九州の筑紫と柳川と、ロシアのチクシとヤナ川の関係に関する情報は無いでしょうか?

これに関する内容は中々見当たらないですね。
発想が突飛すぎて、異端視されているのでしょうか?


[6059] Re[6057]: 日本人のルーツは、シベリアの筑紫??  神奈備 2005/02/25(Fri) 17:08 [Reply]
> はじめまして。
陸奥九十九さん こんにちは。

バイカル湖、ウイルス、のキイワードで検索すると色々と出てきます。

日本人のルーツと特徴
http://www.asahi-net.or.jp/~uv6y-ysd/sex1_1_15jp.htm
バイカル湖周辺をルーツとする説があるようですね。

塩漬け君の考古学
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/3998/koukogaku.html

などなど

[6057] 日本人のルーツは、シベリアの筑紫??  陸奥九十九 2005/02/25(Fri) 01:10 [Reply]
はじめまして。

もともと古代史が好きでしたが、最近日本人のルーツに興味を持っています。
インタネットで色々情報を収集していましたら、
下記のホームページにたどり着きました。
 http://www.geocities.jp/masasoe/weekly/970601.html
読んで行くと、驚きの情報を発見しました。

(以下原文のまま一部抜粋)

その1
 インドのアスカという地名を偶然見つけた五島氏は日本の飛鳥地方と
何か関係があるのではと現地まで飛び取材しているうちに、
いまから1万年前に現代と匹敵、いやそれ以上の文明があったことを突き止めた。
そしてインドのアスカにその文明の中心地があり、
文明が壊滅した後に生き残った人々が日本の飛鳥まで流れてきたとしている。
日本人はインドのアスカ人の直系であると氏は考えている。


その2
ロシアのウラジオストク大学の歴史学、オキノフ博士はロシアのある地方が
日本人の起源らしいと考えている。 −−中略−− なんと博士は九州の筑紫と
おなじ地名が北シベリアにあるというのである。
我々は世界地図を拡げ、シベリア地方で筑紫(ちくし)と同じ地名を探した。
はたしてチクシはあった。北極海に面した都市名がチクシなのである。
博士によるとこのチクシという都市は現在港町として北極海を利用する航路の中継地として重要な場所らしい。
博士はこのチクシ(この地名はかなり昔から使われていたそうだ)が
九州の筑紫と同じ発音なのは単なる偶然ではないという。
その証拠にチクシの近くにはヤナ川という川があるという。
確かにヤナ川はチクシのすぐ東にある。
九州の筑紫地方にも柳川という川がある。
−−中略−− 
チクシに住んでいた原日本人がなんらかの理由によりこの地域を離れ、
日本の九州、筑紫地方へと流れついた。
昔を懐かしむかの様に住んでいる地域を「ちくし」、
近くの川に「やながわ」と名付けたのではないと考えている。
ーー中略ーー 
つまり昔、北極は今とは違うところにあり、チクシは温帯域だというのだ。そして再び極が移動して、チクシは現在のように北極圏内になり、
人々は移動しなくてはならないことになったというのだ。


非常にショッキングな内容でした。
もっとこれらに関して情報を求めて、インターネットで検索をしました。
しかし、残念ながらこれといった情報は見つかりませんでした。
特に“その2”は、驚きです。
古代、大陸から日本へ(シベリア⇒中国⇒朝鮮⇒北九州)人々の移動があったことは、考古学的な発掘調査からも事実のようです。
しかも、日本の国造りにかかわる神話でも、北九州地方の筑紫は、重要な地域です。
しかもそれを、ロシアの歴史学者がこのような形で説を唱えていたとは!!

これらに関する情報をお持ちの方、どうか教えてください。
それに関するこんなホームページ知ってるよ、とか。
こんな本が出ているよ! とか。

少しでも、情報をお持ちの方、何でも結構です。
教えて下さい。




[6056] Re[6055][6054][6045]: 宗教観の・・・  玄松子 2005/02/23(Wed) 14:20 [Reply]
> 人以外に人とは違った力を持った存在があってほしいと願う、
> 何者をも排除しない教えがあってほしいと願う、
> それぞれの立場でその力や教えを求めて良いと思う、

これらに関して、どなたかが否定的発言をしたのでしょうか?

> 人以外に人とは違った力を持った存在があってほしいと願う、

それは、人であっても良いということでしょう。

血の繋がった祖でも良いし、国土開発の偉業を達成した国民の祖でも良い。
一芸を完成させた人でも良いし、何かを発見した偉人でも良い。
国を守って死んでいった若者でも良い。
今、僕たちが平穏に生活できる、この世界(時間)を作った多くの人々に感謝し、神として祀ることに不自然さはないでしょう。

そういう感謝を「神」と表現することを否定する権利は、誰にもありませんし、
> 神道は自然を神として祀るものだといいます。
このように限定すべきものでもありません。

[6055] Re[6054][6045]: 宗教観の・・・  ZOU 2005/02/23(Wed) 13:02 [Reply]
私の方も場違いかも知れませんが(ほとんど私信みたいで)、神奈備さんならお許しくださるでしょうm(__)m

震災から10年目にあたる年であり、それについての貴重な体験談をありがとうございました。神戸は1〜2ヶ月に1度、福祉関係の施設を訪れるので、なじみの深い場所であります。先月も和田神社を訪れました。今、私の目では惨状の残滓を見ることはありませんが、それでも知人をたどると被災した人などもおり、遠い国のことではありませんでした。

>「神様はなぜこんな酷い事が起こるのを許されたのか」という思いが私にも確かにあったのです。
>「この痛みや苦しみは、神様自身のものでもある」という思いが心を貫きました。

神の傲慢と言われることもあり、神の慈悲と言われることもあり、神からの試練と言われることもあるかと思いますがどうなのでしょうね。人を超越した者の意思がどこにあるか、人のような意思を持っているか、もちろん私には何もわかりませんし、それはだれもが知りたいことでもあるでしょう。科学や医療の最先端にいる者ほど、そのような疑問を持っているのではないかとも思います。

>自分達が痛みを受けているにもかかわらず、先祖代々その神を尊び、愛し、守ろうとする
>人たちの心を「不遜」であると言うことは私には出来ません。

おっしゃること、分かります。私が時折、宗教に対して批判的なことを言うため、565さんと同様のことを諭すように語ってくださった人もいました。私がどのように考えていくかは今後の課題でもあります。ただ、考え方の違いはあっても、人に似た名の背後にあるものが何かを思えば、どこにも対立する部分は無いと思います。


ほんのちっぽけな体験を交えて思うことがあるとすれば・・・ 社寺や教会を詣で、神仏に思いをはせることができる人は幸せですね。またこの掲示板のように、PCをはじめとしたさまざまなメディアでさまざまな考え方を知り、自分でも考えていくことができる人は幸せですね。

それを求めその力を欲しながら、自分の意思とも思考とも関係なく、近いうちに逝かねばならない人がいます。救いの手が必要ながら、自らの意思でそれを求めることができない人がいます。また、自らの意思や思考すら持てない人がいます。これらも自らの力ではどうしようもないほどの脅威に遭遇した状況です。そのような時に何かを示す力なり教えなりがあってほしいと思います。

人以外に人とは違った力を持った存在があってほしいと願う、何者をも排除しない教えがあってほしいと願う、それぞれの立場でその力や教えを求めて良いと思う、それらもまた「時と場所によって変わる例」かとも思います。私自身もなかなかに無知でありますので、深いところまで考えが及ばないのははがゆいことではありますが(^^;)

>もちろん私はZOU様がそのようなおつもりで書き込みを
なさっているとは思っておりませんが、誤解を招かれる恐れがあると思い
レスをさせて頂いた次第です。

ご配慮感謝します。挑戦的な物言いをしたつもりはありませんが、565さんのように言っていただけるとたいへん嬉しく思いますm(__)m

またお話のできる機会があればよろしくお願いいたします。長々と失礼しました。

[6054] Re[6045]: 宗教観の・・・  565 [Mail] [Url] 2005/02/22(Tue) 01:57 [Reply]
ZOU様、こんばんは。レスありがとうございます。

「神への認識が時と場所によって変わる例」かどうかは分かりませんが、私自身の体験を一つ。

私は神戸市在住なのですが、阪神淡路大震災の折、近くに住む小学生が作文で
「神様が人を殺してるみたい」と書いているのを目にしてとても心が痛んだ事があります。
その小学生にとって、この惨事をもたらしたのは「鬼」でも「悪魔」でもなく「神」だったのです。
ですがよくよく考えると、その表現は私自身の心の内も少なからず代弁していました。
「神様はなぜこんな酷い事が起こるのを許されたのか」という思いが私にも確かにあったのです。

それからしばらく後、まだ瓦礫だらけの街の中を歩いていると、インドの方々が
たくさん集まっている所に出くわしました。そして、そのうちの一人の方が私を見るなり
「どうぞ中に入って皆さんのためにお祈りをしてください」と仰いました。
吸い込まれるようにして中に入ると、そこはヒンドゥ教の寺院でした。そして
そこに祀られていた神像は震災で倒れ、片側の腕が悉く折れていました。
それを見た瞬間、「この痛みや苦しみは、神様自身のものでもある」という思いが心を貫きました。
そしたら涙が出るわ出るわ…。

その神様は人の姿をし、人に似た名で呼ばれ、しかも「自然の巨大な力」を司っていたりします。
ですが、自分達が痛みを受けているにもかかわらず、先祖代々その神を尊び、愛し、守ろうとする
人たちの心を「不遜」であると言うことは私には出来ません。

そして、同じような心持ちで「オオヤマツミ」の神をお祀りされている方々は現在もきっと
いらっしゃると思います。もちろん私はZOU様がそのようなおつもりで書き込みを
なさっているとは思っておりませんが、誤解を招かれる恐れがあると思い
レスをさせて頂いた次第です。

以上、場違いな書き込みで申し訳ありませんでした。

[6053] Re[6051][6046][6045]: 宗教観の・・・  玄松子 2005/02/19(Sat) 14:18 [Reply]
>
> ≫イメージする/しないは個人の問題です。
>
> ≫特定の人物である必要はありません。
> ≫というか、神が人物である必要はありません。
>
> ≫怒って旱魃や洪水をもたらし、機嫌がよければ惠の雨。
>
> その通りです。
> 神の有り様は人間側の意識によって変わる、それが八百万の神だと思っています。

「神の有り様は人間側の意識によって変わる」ということに異論はありませんが、
僕の発言は、そういう趣旨ではありませんから、「その通りです」というのは適当では有りません。

が、
> 神の有り様は人間側の意識によって変わる、それが八百万の神だと思っています。

これは、その通りだと思います。
ただし、日本の「八百万の神」に限定されるものではないとも思います。


> 意識していなくても身に付いていれば自然にそうするようになるはず。
> この場合にも無意識というのかどうか。

意識していないことが前提なら、疑問なく無意識でしょ。
この場合の神への感謝が、人間としての本能、本質であるかどうかは疑問ですが。

[6052] Re[6051][6046][6045]: 宗教観の・・・  かたばみ [Mail] [Url] 2005/02/19(Sat) 13:26 [Reply]
書き忘れた、初老の夫婦は外人です。

[6051] Re[6046][6045]: 宗教観の・・・  かたばみ [Mail] [Url] 2005/02/19(Sat) 13:23 [Reply]

≫イメージする/しないは個人の問題です。

≫特定の人物である必要はありません。
≫というか、神が人物である必要はありません。

≫怒って旱魃や洪水をもたらし、機嫌がよければ惠の雨。

その通りです。
神の有り様は人間側の意識によって変わる、それが八百万の神だと思っています。


もうひとつ、
あちらの映画で、食事の時に子供がすぐに食べ始めようとして、親が神様に感謝しなさいなんていうシーをときおり見ます。
これは教育ですね。繰り返し行われれば「身に付く」と思います。

意識していなくても身に付いていれば自然にそうするようになるはず。
この場合にも無意識というのかどうか。

例えばキリスト教を信仰している方と、例えばそうではない私が、教会にはいったとき、あるいは神社にはいったとき、感じるなにかに違いがあるのかどうか興味深いところです。

写真をひとつ。
http://tokyo.cool.ne.jp/woodsorrel/data/m09.jpg
この初老の夫婦は長いことその場にたたずんでいました。またこれ以上社殿に近づこうとはしませんでした。
このときなにを感じていたのかなあ。


[6050] Re[6035]: 刻舟  かたばみ [Mail] [Url] 2005/02/19(Sat) 13:19 [Reply]

≫渡来人による文明開化史観

流れを下ってきたら、そこにいろいろがある、弥生あたりではその量が多いのでいろいろ考えることが多くなっているだけです。
下るほど情報量が増えてフィードバックも多くなるのでなかなか先にも進まなくなっています。

また、常に流動的で固定されてもいないので、類型化されてしまうと?
新たな情報が加われば180度向きが変わるかもしれないし(^^;

その上で疑問符は大いに歓迎であります。


[6048] Re[6047][6046][6045]: 宗教観の・・・  玄松子 2005/02/19(Sat) 08:00 [Reply]
> > 人間の存在に関係なく神が存在するのなら、
>
> それを求め、その力を欲している人もいますので。

その方の 「存在のため」 にも神は存在するのでしょう。

[6047] Re[6046][6045]: 宗教観の・・・  ZOU [Mail] [Url] 2005/02/19(Sat) 07:30 [Reply]
> 人間の存在に関係なく神が存在するのなら、

それを求め、その力を欲している人もいますので。

[6046] Re[6045]: 宗教観の・・・  玄松子 2005/02/18(Fri) 05:50 [Reply]
意図的に無視しているのかな?

> 神々に技能や職能を持たせたのは人間側の都合かと思うんですよね。コトシロヌシやヒルコは商売繁盛の神である必要は無いし、管公は学業成就の神である必要は無いし、信長は武運長久の神である必要は無いし、赤穂浪士はなんだろう・・・

そのとおりです。
道真が自発的に神になったわけではありません。
学問の神を必要とする人々が、彼を神にしたのです。

同様に、山や川、海も自発的に神になったわけではありません。
それらの恩恵を受け、あるいは脅威を感じた人々が、
感謝し、あるいは畏れて、神として祀ったのです。

たとえば、水の原子構造そのものが神ではありません。
水が人間にとってかけがえのなく重要なものであるから神として祀られるのです。

人間の存在に関係なく神が存在するのなら、
仏教もキリスト教も、すべて同じ、あるいは無意味となるでしょう。
それは、仏教徒に対する侮辱ではないだろうか。

[6045] 宗教観の・・・  ZOU [Mail] [Url] 2005/02/17(Thu) 23:53 [Reply]
繰り返しますが、古代人現代人個々人それぞれ様々な見方があっても良いだろうと思うお話です。

“[6038]神奈備さん”から
> 巨木、滝、泉を神として祀る所はありますが、そこにXX命などと祭神がでてくると自然を自然としているのか人格神と変わったのかです。

考え方の筋道として私にとっても示唆的な部分です。次には、その神格が人によって与えられたものかどうかという方向に考えて行きたいと思います。

>戎さんと商売繁盛は元々はつながっていたのかなぁ。銅鐸やヒスイの商いに戎さんを守り神としていたのか不明。

神々に技能や職能を持たせたのは人間側の都合かと思うんですよね。コトシロヌシやヒルコは商売繁盛の神である必要は無いし、管公は学業成就の神である必要は無いし、信長は武運長久の神である必要は無いし、赤穂浪士はなんだろう・・・

知人は「神仏と出あえたこと、そのご縁に対しご挨拶申し上げる」ということを言っています。私もそうありたいと思います。まあ、私は無宗教者ですが・・・・


“[6040]565さん”から
565さん、はじめまして。よろしくお願いいたします。

>「軽く考える」のではなく、人として「自然」とつきあっていく上でのまさに自然な「手段」ではないでしょうか。
>「神」を「自然神」や「人格神」と切り分けてしまうことに私は違和感を感じてしまいます。

それはおそらく正しいと思います。そして私の考えも正しいものであって欲しいと思います。結局、解は一つではないでしょう。

「自らの力ではどうしようもないほどの脅威や恩恵に遭遇した際」にとるべき道が、時代により場所により違ってくるのでしょう。565さんと私でも、そこから先が違ってきているようですね。それは、これまでの生活環境や体験の違いから来るのだと思います。加えて、かたばみさんの書き込みは、時代や場所の違いによって神に対する考え方がどのように違ってくるかを解説してくださったと理解できます。

そして私が思うようになったのは、自然神をも含む神々とは、人とは関係なく存在しているかどうかということ。それが『では、山の神は人間が〜〜(略)〜〜在るかもしれないとも思います。』の部分です。日本列島が生まれる前に日本の神々は在ったかと。

そうしますと、565さんがおっしゃる、

>(ちなみに、これは「心」の話で「神」そのものを「心の幻影だ」と言っているのではありません。念のため^^:)

この部分、私にも心惹かれるものがあります。

人とは、この世界の歴史の中では消し飛んでしまいそうなほどちっぽけなものです。対して、自然が発動する力は言葉では表せないほど巨大なものであり、さらに言えは多分に物理的な力でもあります。その力から「脅威や恩恵に遭遇した際」、それを司るモノを自然神として感得しようとしたのではないかと。でも、その巨大な力を人に似た名で呼ぶのは不遜ではないかと思うのです(あくまで私的に、ですが)。

神への認識が時と場所によって変わるなら、現代人の認識による神の在りようがあってもよいかと思ってしまいます。現代人の認識ということで、神奈備さんの「般若湯」に、また示唆的なお話もありました。どれかはご想像におまかせ(^^;)

考え方は違うでしょうが、565さんがより良き神に出会えますように(^^)

[6044] Re[6042]: 私的神様  玄松子 2005/02/17(Thu) 16:53 [Reply]
> 旅先などでだれを(なにを)祀っているのか知らない社にちょいご挨拶する場合も、そこに在るであろうなにかにご挨拶するだけで、なにもイメージしていないです。

『何ごとのおはしますかは知らねども かたじかなさに涙こぼるる』
伊勢神宮に参拝したときの西行法師の歌です。


イメージする/しないは個人の問題です。
が、貴方は、「そこに在るであろうなにか」をイメージしているのですよね。


> 少ないですが「水神」を祀っている場合だったら・・まず人物が意識に上ることはありません。
> クラオカミとかナキサワメなどと書いてあっても人物にはつながらない。
> せいぜいが、その時の意識に浮かぶ水に関するもの程度。


水神の場合、水(H2O)そのものではなく、
水を司り、水をもたらす力を神格化しているわけで、
特定の人物である必要はありません。
というか、神が人物である必要はありません。

怒って旱魃や洪水をもたらし、機嫌がよければ惠の雨。
そういう性格を持つ「人に似て人でない存在」ということでしょう。

旱魃の時に祈るのは、祈らなければ雨をもたらさないという性格を持った神を意識しているから。
喜怒哀楽のある性格や性質を持っているという意味で既に人格化しているということです。

[6043] 八百万の神  藤野 2005/02/17(Thu) 14:58 [Reply]
エジプトの神々に関してもありがとうございました。

普段感じている事です。それぞれのお社にそれぞれの御祭神様が祭られていますが、お祭は全国でほぼ似たような趣旨を持って行われます。
春の田祭り、夏の祓い、秋の収穫祭、お正月等。
もちろん祭神にあわせた特殊神事も数多いですが、村々の祭りはおおよそこんな感じですね。

記紀などに示された御祭神を全国の社に比定する作業が行われる以前も神祭りはあったと思います。
記紀に示された多くの祭神は人格神ですが、記紀などで系統立てられたものだけが八百万の神なのかなあと思うのです。
言い換えれば、もともと水の神、火の神として存在していたものが記紀の編纂作業の中で系統化され組み入れられたものという感じ。

水をすくった時にそこに水の神様がおられる。
火を使うときそこに火の神様がおられる。
そういう自然からの恵みを頂いて存在していることについてかたじけないと思う気持ち。
かたばみさんの解説にあった人間を特別だとしない事から生まれるそういった心持ちも八百万の神を祭る心だったんじゃないかと思います。
水も火も恵みをもたらすものではあるけれど、災害ももたらすもの。
畏れ敬いながら、少し分けていただく感覚。

祖先神と自然神を同時に祭るのも、八百万の神々が同居している日本ならでは。
みんな一緒に祭ってしまおうという曖昧ながら広い心はいいんじゃないですか。

[6042] 私的神様  かたばみ [Mail] [Url] 2005/02/17(Thu) 12:14 [Reply]

人からの神と自然界からの神、私は多くの場合はっきり違いを感じています。

森や山などに居てなにかを感じるとき、たいていはなにかを感じているだけでそこに人のイメージはでてきません。
食事の時にいただきまーすとかごちそうさまというときにも、その相手のイメージはなにもありません。
おごってもらう時はその人にいってますけど(^^;

旅先などでだれを(なにを)祀っているのか知らない社にちょいご挨拶する場合も、そこに在るであろうなにかにご挨拶するだけで、なにもイメージしていないです。

しかし、由緒書きなどがあってわかった場合・・おおそうでしたか・・
例えば少彦名命であるなら、日本(人)の祖(先)かもしれない少彦名命という人物を意識します。
(ぜんぜん知らない神様であった場合は、ふーんで終わりですけど(^^;)
豹変するんですね(^^;

少ないですが「水神」を祀っている場合だったら・・まず人物が意識に上ることはありません。
クラオカミとかナキサワメなどと書いてあっても人物にはつながらない。
せいぜいが、その時の意識に浮かぶ水に関するもの程度。
稲荷の場合もほとんど無意識かなあ、狐とか油揚げを意識することはありますけれど。

神社で自分の先祖を意識したことはないですが、墓参りではむろん自分の先祖を意識しています。
しかし、記憶にある人物以外の先祖に対しては無意識に近くなりますね。

人間の無数の意識のありよう、それをそのまま表すのが八百万の神だと思っています。
無神ではない、だが教義を伴う宗教(信仰)でもない、それが八百万の神だと思っています。


[6041] Re[6032][6029]: 神様いろいろ  かたばみ [Mail] [Url] 2005/02/17(Thu) 12:08 [Reply]

≫自然神とは人間よりもはるかに上位にあると思うのですよ。人間を人格神化させたとしても
≫自然神を統制するほど上位に上らせるのは無理があるのではないかとも

記紀、先代旧事本紀の天孫降臨では高御産巣日神が天照大神の上位に書かれています。
(旧事本紀神代本紀では高御産巣日神を最古においておらず記述も微妙)
古語拾遣(AD807)では高御産巣日神と天照大神が「相語りて」となっていて同格になっています。
神道五部書(鎌倉頃)では天照大神が最上位とみえます(高御産巣日神は登場しない)。

成立年代は記紀、古語拾遣、先代旧事本紀(の再編纂)、神道五部書の順。
(先代旧事本紀の位置は微妙ですが書かれ方から見てそのあたりと推定)

下るに従っていろいろな意識が加わって変化しているとみえます。
(同時に包含する範囲が狭くなって、列島だけに至るとみる)

古事記での高木神とは世界樹の意に類似だろうと思っています。
また、自己流概念図での自然界全体の概念に近いのが世界樹だろうとも思っています。


≫人間がいないところに神は在るだろうかと

真理とは発見か存在か、に似ていますね。
生命体がなにかに畏れを感じたとしたら、それが最初の神の意識の萌芽であろうと考えています。
アメーバ(^^;・・それを感じるとは思いませんが、鶏狗なら感じていると思っています。
植物は・・音楽に反応するともいうし。

石では・・人智の及ぶところではありませんが、生命体とはいわないからなあ。
石だと人間の側がそれを意識するかどうかではないかなあ。


[6040] Re[6033][6032][6029]: 神様いろいろ  565 [Mail] [Url] 2005/02/17(Thu) 02:34 [Reply]
玄松子様、はじめまして。
>人は、「人に近いモノ」を畏れ、敬う性質があるように思います。

人の心には自らの力ではどうしようもないほどの脅威や恩恵に遭遇した際、
自らの心の内にある見えざる主体に対し、「人」としての性質を与えることで
それを人として理解しうる範疇に持ち込み、客観視や対話を可能として
心的な安定をはかるというメカニズム(アニミズム)が内在しているように思います。

極めて乱暴な言い方をすれば、そのようなプロセスを経て人の心によって客体化された
「自らよりも『カミ』にあると認識できる人格を持った存在」は全て「神」となりうる、と私は考えます。

ですので、仰るとおり、山の神であっても、海の神であっても、人格を与えられて神になる。
そしてそれが鉱物であれ、動植物であれ、経済や文化などの概念であれ、怪物であれ(笑)、
それらを祀る人の心の中では必ずその対象の内に「意思」や「心」などの「人格」を見ていると思います。

(ちなみに、これは「心」の話で「神」そのものを「心の幻影だ」と言っているのではありません。念のため^^:)

ZOU様、はじめまして。
>例えばオオヤマツミのように自然神を人格神化させることは自然神を軽く考えるものであって

「軽く考える」のではなく、人として「自然」とつきあっていく上でのまさに自然な「手段」ではないでしょうか。
…それに、現代人はかなりかけ離れているのかもしれませんが、人間も「自然」ですよね(笑)。
「神」を「自然神」や「人格神」と切り分けてしまうことに私は違和感を感じてしまいます。

[6039] Re[6038]: 神様いろいろ    QUBO 2005/02/16(Wed) 12:51 [Reply]
水分(ミクマリ)神は、縄文時代は存在していないと思います
やはり農耕稲作・水田耕作が始まって以降の神様でしょう。

商売の神、意外に早くから?
縄文時代でも黒曜石やヒスイは交換されていたようです
そういえば土器でできた偶像=土偶はあるけれど、
わざと破壊して埋めている可能性からは、神ではないですね
土器つくりの神様も存在してはいないようですね。

[6038] Re[6033]: 神様いろいろ  神奈備 2005/02/16(Wed) 09:29 [Reply]
> 自然を自然として崇敬する神

 日の出に向かって柏手をうつ行為は日に対しての感謝などの気持ちでしょうが、これを神道の行為と言えるかどうか。
 それはお月見でも言えましょうが、神社によっては月見の宴を行う所もありましす。
 巨木、滝、泉を神として祀る所はありますが、そこにXX命などと祭神がでてくると自然を自然としているのか人格神と変わったのかです。

 益田市隅村町の惠美須神社の祭神に森の大神と言う名の神
 小浜市須繩の熊野神社の摂社に瀧の神社があり、祭神は瀧神です。

> 商売の神、五穀豊饒の神
 自然神があって、それが進化して商売の神、五穀豊饒の神とされていった歴史はありそうですね。戎さんと商売繁盛は元々はつながっていたのかなぁ。銅鐸やヒスイの商いに戎さんを守り神としていたのか不明。

[6037] Re[6034][6022][6012][6006]: エジプトの祖先神他  玄松子 2005/02/16(Wed) 06:52 [Reply]
発言が無視されているようですが、続けます。

> エジプトの神々は個人とか部族の子孫の守護ではなく、様々な「文化あるいは概念を司る神」が「それに関与する人々」を守護する形になっているとみえます。
> 森の文化の多神、これが長年月を経て多神のまま熟成されてゆくとこういった形態になるのかもしれないと思っています。

エジプトに限らず、多神であれば、神々の間でフィールドが設定され、
幾つかの機能や職能を守護する神が存在するのが普通です。日本でも同様。
また、一神教であっても、それぞれの職業や技能を守護する天使なり聖人なりの
神に準ずるモノ(多神教での神に相当するモノ)が存在するでしょう。

日本語と英語では、文法や単語は異なりますが、
言語としての基本は同じ、というレベルで、宗教も同じはずです。
人間の創造(想像)の範囲にあるものです。

ところで、このような職能・技能を司る神々、商売の神、五穀豊饒の神は、
自然の神ではありませんが、自然神同様に祀られることに疑問は持たないのだろうなぁ。

[6037] Re[6034][6022][6012][6006]: エジプトの祖先神他  玄松子 2005/02/16(Wed) 06:52 [Reply]
発言が無視されているようですが、続けます。

> エジプトの神々は個人とか部族の子孫の守護ではなく、様々な「文化あるいは概念を司る神」が「それに関与する人々」を守護する形になっているとみえます。
> 森の文化の多神、これが長年月を経て多神のまま熟成されてゆくとこういった形態になるのかもしれないと思っています。

エジプトに限らず、多神であれば、神々の間でフィールドが設定され、
幾つかの機能や職能を守護する神が存在するのが普通です。日本でも同様。
また、一神教であっても、それぞれの職業や技能を守護する天使なり聖人なりの
神に準ずるモノ(多神教での神に相当するモノ)が存在するでしょう。

日本語と英語では、文法や単語は異なりますが、
言語としての基本は同じ、というレベルで、宗教も同じはずです。
人間の創造(想像)の範囲にあるものです。

ところで、このような職能・技能を司る神々、商売の神、五穀豊饒の神は、
自然の神ではありませんが、自然神同様に祀られることに疑問は持たないのだろうなぁ。

[6036] Re[6030]: 参拝いろいろ  565 [Mail] [Url] 2005/02/16(Wed) 01:51 [Reply]
神奈備様、レスありがとうございます。

>この自身霊とは大己貴命が大物主に「あなたは私の幸魂、奇魂です。」と呼びかけたのですが、
 そう言った魂とも考えられます。

私には「かたじけなさの気持ち」を感じる事=大己貴命と幸魂、奇魂を共有する事(!)
と読めてしまい、激しく感動してしまいました^^。
とは言うものの、私には神宿る杜の前で胸を張ってそのような呼びかけが出来るのかどうか…
そして、それを成された大己貴命に「人としての神性」を感じずにはいられません。

以上、この場にそぐわない内容ばかりで大変恐縮なのですが、頂いたレスにより
積年の疑問を氷解させるきっかけを得る事が出来ました。心よりお礼申し上げます!

[6035] 刻舟  恋川亭 2005/02/15(Tue) 23:24 [Reply]
> [6006]:『人間への意識の違い』 かたばみさん
> 日本では祖先神が誰それというように個人になっている場合が多い。
> これは弥生時代あたりに高度文化を持った人々が渡来し、その人々とその技が強烈な印象として伝承されたためだと考えています。
> それらの人々が八百万の神々のなかでも頭ふたつくらい突出して目立っているわけです。(相対的に自然神の影が薄くなる)

> [6029]:『神様いろいろ』 かたばみさん
> 日本の場合は前にも書いた弥生での強力な人とその技の渡来による、人の形を取る伝承が強烈に残った。(一般自然神が薄められてしまう)

> [6034]:『エジプトの祖先神他』 かたばみさん
> 高度な文化がごく短期間に大量に渡来すれば大きな変化が生じるはずです(弥生時代)。

『弥生時代に高度な文化を持った渡来人が大量にやってきた』という主張は、かたばみさんの一大テーマですね。

 この『渡来人による文明開化史観』。
 面白いテーマなので・・・ひとまず『疑問あります』のフラッグだけ立てて宣言だけでもさせてもらいます。はなはだ失礼ではありますが、ゆっくり(あるいは小出しに)リターンしますね。すんませんがヨロシク。m(__)m

[6034] Re[6022][6012][6006]: エジプトの祖先神他  かたばみ [Mail] [Url] 2005/02/15(Tue) 22:04 [Reply]

≫古代エジプトの王はどうなのでしょう。やはり日本で祖先神を祭る感覚に近いのでしょうか

吉村作治先生におまかせといったところですが(^^;
エジプトの神はある事象が抽象化された神々でここに祖先神らしきはみあたらないです。

代わりにあるのがミイラじゃないかなあ。
祖先をこういう形で残して復活を願う、このあたりも専門化におまかせ。
2次葬あるいは再葬墓のように肉体のほとんどは大自然に戻して骨だけを残すのとは違う感覚ですね。

ただし、アラブでもベドウイン族では例外的に祖先祭祀が存在するようです。
http://www.seikei.ac.jp/university/bungaku/mini/03.html
おそらくはですが、定住せずに部族単位で移動する人々であることから、団結のためにも祖先祭祀が残っているのだろうと思っています。

以下ほとんど余談であります。

エジプトの神々は個人とか部族の子孫の守護ではなく、様々な「文化あるいは概念を司る神」が「それに関与する人々」を守護する形になっているとみえます。
森の文化の多神、これが長年月を経て多神のまま熟成されてゆくとこういった形態になるのかもしれないと思っています。

しかし古王朝時代から中王朝時代の切り替わりがBC2000頃にあります。
彫刻を見ますとそれまでの丸顔から面長の顔にはっきり変化がみえ、人種構成が変化しているとみえます。
神々や祭祀のありようもなんらかの変化があっただろうと思います。

ヒッタイトの粘土板には、アラルという天界の王がまずあり、王権の奪取が数世代あって嵐の神が王位につきます。
メソポタミアのウガリット遺跡から発見された粘土板には、エリオーンともされる神から王権を継承するのがバール神という嵐の神であると書かれているそうです。
エリオーンとはBC100頃の失われたフェニキア史に書かれる神で(引用した古文書がいろいろ残っている)、ギリシャ神話でのウラノスの父とみなせるのだそうです。

旧約聖書の詩編82に興味深い話があります。
「神々の会議」の中で神々はエリオーンの子であり、イスラエルの民はそのうちのヤハヴェを唯一の神としているのだといっています。
ユダヤ教の唯一神もメソポタミアの多神から生じていることがみえます。

ギリシャではまずウラノスあり、ついでウラノスの生んだクロノスが王位を奪い、クロノスの子のゼウスがまた王位を奪う。
ギリシャ神話とヒッタイト神話は酷似しているようで、文化の変遷によって神々も変化していったことをうかがわせます。

ずっと下ってキリスト教でもローマ帝国、ついで中世暗黒時代、これだけでも当初とその後ではずいぶん様相が変化していると思います。


日本だと、まず縄文ありでいいかなあ。
旧石器の狩猟でも南方系の文化でもどちらも間違いなく森の文化だと思います。

三内丸山の墓のありようを氏神様(守護者)の源流とみています。あるいは道祖神も。
http://tokyo.cool.ne.jp/woodsorrel/data/sannaimaruyama.jpg
3本の道路を挟んで並ぶ墓は足を道路に向けて埋葬されています。

道路は広場に集まっていて倉庫であろう高床式建物も並ぶ。
現代では墓を玄関の脇に置く人はまずいないだろうなあ(^^;

高度な文化がごく短期間に大量に渡来すれば大きな変化が生じるはずです(弥生時代)。
そして「原始道教」がはいってくる(森の文化の発達型か)。
そして仏教がはいってくる(厳密には密教の登場というべきか)。

日本の場合は神々の世代交代(文化の交代)といえるほどの状況は生じていないとみえます。
出雲の問題はありますが、結局は復活しているように見えますし。
蛇も残ってるし(^^;
出雲にも天孫にも世界樹の変化らしきが残っているし。

日本全体でみれば何かを廃することはなく「混合」だったのではないでしょうか。
森の豊かさが保持されていたことと、外界からの干渉が海によって遮られていたことによるものか。
書紀における祖先の習合、後の神仏習合などもそのあたりに関連する意識もその継承かも知れないと思っています。

そういう流れの中で一般の人々の意識がどのように変化していったか、あるいは残るのか、いろいろありそうです。


[6033] Re[6032][6029]: 神様いろいろ  玄松子 2005/02/15(Tue) 20:46 [Reply]
> 神道は自然を神として祀るものだといいます。

祀られている神々の中で、「自然神」とよべるものがどれほどあるでしょうか。
素盞嗚尊も大己貴命も天照大神・・・
記紀で活躍する神々は、ほとんど人神、人格神です。

山の神であっても、海の神であっても、人格を与えられて神になり、
喜怒哀楽があるのです。
山の主、海の主として畏れられ敬われるのです。

自然を自然として崇敬する神があれば、教えてください。

人は、「人に近いモノ」を畏れ、敬う性質があるように思います。
創造主が、自分に似せて人間を造ったという話は、
人間にとって創造主は、人間に近いモノであって欲しいということでしょう。

怪物であっても、畏れられ、後に祀られるのは、
人間に化ける、人語を解する等、人間との近さが
不気味であり、恐ろしいからでしょう。

[6032] Re[6029]: 神様いろいろ  ZOU 2005/02/15(Tue) 19:38 [Reply]
“[6015]人物神について”でれふとさんがおっしゃったように、

>人物祭祀の日本における特徴は、人物神をその他の一般の神と同じ作法・形式で祀るということだと思います。
>中国の律令にはあった人物祭祀の規定が全く日本の律令には採り入れられなかったことです。
>他の文化なら人と神を区別して新たな祀り方を作り出すところですが、日本ではそれが生まれなかったのです。

たいへん納得m(__)m
私的には、人を祀る事は不自然だとは思いませんが自然神と同様の神として祀る事は不自然だと思います。神は神として、人は人として祭祀する形式が整っていれば、不自然に感じなかったでしょう。神という存在に対しての考え方や感じ方の違いが出る部分でしょうから、古代人現代人個々人それぞれ様々な見方があっても良いでしょうね。


かたばみさんの“[6029]神様いろいろ”から。

>自己流の概念図です。
>http://tokyo.cool.ne.jp/woodsorrel/data/kami_gainen.png
>左が森の文化、右がキリスト教文化の場合です。

これ非常に分かりやすいです(^^)
日本での神々の祭祀の様子が左になるわけですね。私は右に近い感覚の持ち主のようです。もちろんそれは現代的な知識が入ってのことですが・・・

自然神とは人間よりもはるかに上位にあると思うのですよ。人間を人格神化させたとしても自然神を統制するほど上位に上らせるのは無理があるのではないかとも。不自然に思う理由はこのあたり。また、例えばオオヤマツミのように自然神を人格神化させることは自然神を軽く考えるものであって、「大山津見神や大綿津見神も自然界の一部だと思います」は、自然界がそれらの神を含んだもっと大きなものという意味に捉えられて納得(^^)

神道は自然を神として祀るものだといいます。では、山の神は人間が出現する以前から人間が亡びた後も山の神で在るだろうかと。人間がいないところに神は在るだろうかと。これは知りたいことの一つでもありますが、在るかもしれないとも思います。

[6031] Re[6029]: 神様いろいろ  玄松子 2005/02/15(Tue) 16:00 [Reply]
話がアチコチと飛んでいるようですが、

> 陽の祭祀は神社、陰の祭祀は寺に分離してゆくのが日本での特色か。

これは偏見ですね。

[6030] 参拝いろいろ  神奈備 2005/02/15(Tue) 15:13 [Reply]
[6027] 565さん wrote
> 「my self」も「ancestors」や「my land」同じく「Spirits」を構成する重要な要素であるという認識を彼ら自身がしっかりと持っている、ということであると私は思います。

 直訳すれば、祖霊、地霊、自身霊。
 この自身霊とは大己貴命が大物主に「あなたは私の幸魂、奇魂です。」と呼びかけたのですが、そう言った魂とも考えられます。三輪の杜(だけではなく鎮守の杜)の森厳さは、spiritが共鳴するような感じを受けることがあります。所謂かたじけなさに涙こぼるるの心境です。

[6025] 玄松子さん wrote
> 故に祖先に感謝する。とても自然なことだと思うが。

 かたじけなさとは感謝の気持ちで、祖先だけではなく、生かしてくれている全てへの感謝と言うことになるのでしょう。

[6028]  かたばみさん wrote
> ひとつ足りないものがあると思います。culture 文化です。

 柿ノ本の人麻呂や衣通姫は和歌の神となっていますから、これは文化神!

 人それぞれでしょうが、神社で手をあわす、それは己自身と向き合うことと言われます。内省と内なる神を通して外なる神々への感謝や祈願が参拝と言うこと。
 こうなると建物の前で祈らずとも、鎮守の杜に足を踏み入れて何かかたじけなさの気持ちを感じれば立派な参拝。

[6029] 神様いろいろ  かたばみ [Mail] [Url] 2005/02/15(Tue) 12:51 [Reply]

自己流の概念図です。
http://tokyo.cool.ne.jp/woodsorrel/data/kami_gainen.png
左が森の文化、右がキリスト教文化の場合です。

例えば、こういう状況であったとき、相互をつなぐのにどう説明するのか、ですね。
エジプトの神々は太陽とか天空などの大自然系の神々と文化の神がすべてとみえます。
森の文化がゆっくり熟成した場合にそうなるのではないかと思っています。

エジプトでは古王国時代(BC3000〜BC2000頃)では王はラー神(太陽神)の子であるとして王の権威化をおこなっています。
アメンヘテプW世(BC1365)はアテン神(太陽神)を唯一神としますが、すぐに否定されてアメン神というラー神と習合した神が登場してアテン神は消えます。

アメンヘテプW世の子が暗殺されたともされるツタンカーメン王です。
ツタンカーメン王の次のアイ王は元将軍で前王と血のつながりはありません(ツタンカーメン王の王妃と結婚)。

このあたり、日本における大化改新〜壬申の乱〜記紀の編纂時代のごたごたとイメージが重なってしまうのであります(^^;


日本の場合は前にも書いた弥生での強力な人とその技の渡来による、人の形を取る伝承が強烈に残った。
(一般自然神が薄められてしまう)

キリスト教ではユダヤ教発祥の環境(最初から唯一神を要する)の影響と、ローマ帝国が専制君主制へ移行する時代とキリスト教の理論化の時代が重なって、いささか無理な構成を取らざるを得なくなったと考えています。
(加えて中世ではローマ教皇と教会の絶対権威化が登場)


人間としてのイエスの思想の源はソクラテスとプラトンにあると考えています(^^;
ソクラテスの徳と知に愛が加わり、プラトンの哲人王支配が神の支配(神の国)に変わる。

思想本体は多神の世界からの登場であり、これがユダヤ教とローマ帝国とその後のありようから唯一神に変化していったと考えています。
ちなみに三位一体という不可思議な概念自体(AD325に確立)に多神の解釈があったらしい(異端とされる)。

三位一体・・父なる神、その子キリスト、聖霊、みな「神」なのです。
でも序列があって同じ神じゃないらしい・・これって多神じゃないのかなあ。
うーどうにでもしてくれい(^^;
キリストは神であり人でもある、というのが当時の正統の考え方らしい。
うーどうにでもしてくれい(^^;

聖霊と精霊は和英辞書では同じですが、聖霊と書く場合は神学上の三位一体のひとつのこととみえます。
精霊と書く場合は森の文化での自然神の別称としての森の精といったところと思います。
ローマ以前のヨーロッパは大森林でケルト人の森の文化圏。
その残映で、ハローウインはたぶんこちら。
(本来のキリスト教では精霊の存在は認められないはずですが、消しきれなかったのだと思っています)

聖母マリアに関連する話。
AD430頃、司教ネストリウスが聖母マリアを「神の母」と称することに異議を唱えます。
キリストから人性が失われてしまうことへの異議で異端とされます。
また、キリストに神性だけを認める説も登場し、これも異端とされています。
まだやってる(^^;

で、このネストリウスの教義を発達させたものが景教です。
アラビア医術などによる奉仕と救済によって急速に東方へ拡大。
おそらくは奈良飛鳥時代に渡来。


日本での祖先祭祀はどうなったか。
大晦日の御霊祭の変じたものが初詣、お寺の除夜の鐘も必須になっています。
もうひとつが盂蘭盆会、送り火迎え火、祖先供養、これは完全に仏教に移管された(精霊流しはどうかなあ)。

http://ds.hbi.ne.jp/netencyhome/index.html
の盂蘭盆にある解説中の
「イラン語系の死者の霊魂を意味する urvan であり,霊魂の祭祀と同時に収穫祭でもあったウルバンという祭祀が,イラン系ソグド人の中国進出とともに中国に伝えられ,畑作農業地帯の収穫祭として中元と結合したもので・・」
おおよそ賛同です。中元は道教か儒教で無関係と思いますけど。

盆踊りは墓場で酒飲んでわっしょいやってもいいのだと思いますが、不謹慎とされそう。
神棚には願い事、仏壇には祖先供養。
陽の祭祀は神社、陰の祭祀は寺に分離してゆくのが日本での特色か。


[6028] Re[6019][6006]: 守護神の変化  かたばみ [Mail] [Url] 2005/02/15(Tue) 12:35 [Reply]

≫それと、実在しないとされる人間を神として祀る場合もどう考えれば良いのか気になるところです

よほどの由緒ある家系でないかぎり、記紀に書かれる神々は「日本人の祖先」あるいは「日本文化の祖」と意識しているだけではないでしょうか。
直接の血縁はもはや無関係、記紀の編纂方針?が成功しているのかも知れない。

時代劇では、江戸で働いている息子を田舎の母がたずねてきて、村の鎮守様のお守りをもらってきただよ、なんてシーンがあったりします。
これは息子への氏神様の守護を願うもので、これが本来の祖先神への意識だろうと思います。
しかし、それは薄れつつあると思います。

6021の神奈備さんの青い目の神職さんのThe spirits of my ancestors, my land, my self の my land, my selfがその薄れつつある祖先神だと思います。
それでは天照大神とか素盞鳴尊など「日本人の祖先」化した神々はどうなるのか。
おそらくは、my ancestors だろうと思います。
一言での翻訳は無理ということで、関連あるものを並べた。これなら確実だと思います。

で、ひとつ足りないものがあると思います。culture 文化です。

東京浅草神社の裏手に被官稲荷という祠があります。
江戸の町火消しの新門辰五郎が妻の病気治癒を伏見稲荷に願って成就したので建立した祠です。
なんでお稲荷さんが病気治癒??

かっては地域の集団は同族だった。ほとんどが農耕と思います。
しかし社会が大きくなるにしたがって、その一部は遠方に移動して定住するようにもなって、故郷の氏神とは縁が遠くなった。

手工業や商業など土地に縛られることのない職種が重きをなすようになって、土地に密着した氏神との縁も薄くなった。
逆に海運者の如くひんぱんに遠方を往来するために団結が必要となって同じ祭祀となる場合もありそうです。

そういう人々が集まって町となり、さらに縣や国として統合されてゆく。
農耕の神、海運者の神、商業の神、学問の神、安産の神、交通安全の神(^^;も登場する。
人々を守護し人々が祭るのは故郷や土地の氏神(祖先神)ではなく、各自が関与する仕事あるいは文化の神になってゆくとみえます。


[6027] Re[6021][6019][6006]: 人間への意識の違い  565 [Url] 2005/02/15(Tue) 03:02 [Reply]
皆様の書き込みを大変興味深く拝見させていただいております。
新参者ですので既出の発言等があるかも知れませんが、なにとぞご容赦下さい。

神奈備様
>my self、これが良くわからない。
「my self」も「ancestors」や「my land」同じく「Spirits」を構成する重要な要素である
という認識を彼ら自身がしっかりと持っている、ということであると私は思います。
ある部族では、自分たちが太陽に祈ることによって太陽は天空を運行していけるのだと
信じているそうです。 祈りをやめると太陽は落ちてしまう=この世界を生かしている
「Spirits」としての役割の一部を自分達が担っている、という一種の心理的な「自覚」が、
彼ら自身の「生」を生き生きとしたものにしているそうです。

また、うろ覚えで申し訳ないのですが、ネイティブアメリカンの他のお話で空を飛びたいと
願ったミミズ(だったと思います。汗)が木に登る途中でカエルに食われ、気がつけば
自分がカエルになり、さらに登る途中でヘビに食われてヘビになり、最後に鷲に食われて
鷲となって大空を羽ばたくという夢を叶えた、というものがあったように思います。
…この話を説くものは今まで食した「命」の分まで幸せにならなければならない、
という訳です。

彼らにとっての「自分自身」とそれを取り巻く世界(他)との境界は一見希釈であるように
思えるのですが、そこには逆に生命としての確固たる「責任」があるように思えます。

そして、われわれの住む日本の神々についてですが、「Spirits」の性格を持つであろう
天之御中主や宇摩志阿斯訶備比古遅などは後世の創作である、という意見もありますが、
それが「作り出されて」現在まで神話として「残っている」理由として、われわれの
心のどこかに「Spirits」を感じようとする部分が今もあるからではないか、と私は考えます。

[6026] 祖先  玄松子 2005/02/13(Sun) 09:53 [Reply]
人を神として祀ることが不自然だという発言の意味が良く分からない。

宗教の重要な命題の一つに、「われわれは何者で、どこから来たのか」という問いへの解があると思う。
キリスト教は、創造主である神が人間を造ったと説明しているが故に、神に感謝する。
神道では人間の起源を説明しておらず、系統を説明している。天皇の万世一系に象徴されるように、代々続いている系統が自分たちのアイデンティティとなる。故に祖先に感謝する。とても自然なことだと思うが。

「祀る」=「感謝する」が基本でしょ。

[6025] Re[6016][6011][6006]: 人間への意識の違い  玄松子 2005/02/13(Sun) 09:46 [Reply]
> ≫日本でも自然界につながる人間、あるいは人間的動物は怪物ですよ。
>
> 怪物がいてもいいのです。鶴女房のごとく怪物ではないものがあるだけで十分です。
> 神、人間、自然界全般、の間に壁があるかないか、に注目しています。

まず、「鶴女房」が神道に付属したものかどうかが疑問ですが、
「鶴女房」も怪物であることに違いありません。

神道と直接に関係のない伝承や縁起を持ち出すなら、
西欧にもキリスト教と直接関係の無い妖精などの存在があります。
人間と自然界に区別があるかないかは、洋の東西には無関係でしょう。

[6024] Re[6019][6006]: 人間への意識の違い  かたばみ [Mail] [Url] 2005/02/12(Sat) 22:22 [Reply]

≫人間が人格神化することは分かるにしても、自然神が人格神化する、これを昔の人の発想だとすれば
≫それまでですが、おかげで自然神と人霊神の区別が希薄になるという部分に違和感を感じてしまいます

区別が希薄になる、というのとはちょっと違うのです。
人が神になるとして、それは「人の神」であって「熊の神」(^^;ではありません。
それぞれに特徴があるからこそ価値がある、違いは厳然としてあります。
ただし対等です、区別はあるが優劣や上下関係はなしです。

自然界の一員としての神にはなれる、だが自然界全体になることはできない。
(自然界の一員としての無数の神々=八百万の神)

大山津見神や大綿津見神も自然界の一部だと思います、人間はそういう一部にすらなれないと思います。
自然界の様々なありよう、その一部でさえ理解できていないのですから。
今のところは(^^;

唯一神の概念の源のひとつが、この感覚が強化されたものだと考えています。
もうひとつが、集団の指導者として合議制は不可の意識から生じたもので、具体的にはこちらが主であったと考えています。
でなければ、人間中心とか序列の感覚はでてこないはずです。


現在の日本で壁や優劣の意識がないかどうかは?ですが、少なくとも同居しているという意識は残っていると思います。
「人間がかってに巫を行って自然界が乱れた」・・不完全な考え方や知識でなにかをやれば乱れる、そういうことだと思います。
人間特有の「飽くなき欲望」というやっかいな問題もありますが・・パス。

やりなおしが効く乱れなら何回乱れてもいいですけど(^^;


[6023] Re[6022][6012][6006]: 人間への意識の違い  藤野 [Mail] 2005/02/12(Sat) 14:47 [Reply]
丁寧な解説をありがとうございます。とても納得しました。

日本では人知の及ばないものは神となるような感じですね。
それはある意味とてもわかりやすいです。
受け入れやすい形に変えて府に落ちさせるという感じ。(疫病も災害も)
キリスト教的文化では、そのものは神にはならないけれど、神の棚に預ける。
それも意味合いにおいては同じ事かも。
神様もご苦労ですね。(^^;

死んでしまった身内の御霊はどうなるのかと考えるのも当然で、昇華して祖霊となって神様の仲間入りするという考えは、残された者にとって、とてもありがたいことですね。
そのあたりの素朴な心持ちが、祖先神を生み出す下地としてあったかもと思います。
そこに氏の系統や相互にうまい関係を築こうという政治的な意図も加わったのが国の編纂によって編まれたものでしょうね。

>>定められた何種類かの動物は人間のために存在しているのだ、とすれば儀礼すら必要なくなるかもしれません。
>>(そのために壁と序列を必要とするのかもしれない)

古い東洋の儀礼の厳しさは、この比較で何となく納得出来ます。
自然の恵みを頂く権利を人間は元々有していないので、儀礼によって許しを乞うのですね。
このご都合主義ではない精神はしっくりきます。

[6022] Re[6012][6006]: 人間への意識の違い  かたばみ [Mail] [Url] 2005/02/12(Sat) 00:30 [Reply]

≫怨念を持っているであろう死者も守護神にするのは森の文化圏独特なのでしょうか?

怨念を持って死した場合に、その霊魂が具体的に生きている者に関与するのかどうか、いまだ人智の及ばぬ所だと思います。
神のみぞ知る(^^;
したがって、現在でも畏れや恐怖につながりますね。

直前に書いた「相対する人間側の意識、これによって相手の様相が変わる」、これは必ずあると思います。
死者に怨念があると意識した瞬間に、生きている人間側に心理的影響が加わわるわけです。
まったく無関係なのに、なにかが起きると怨念のせいだと考えたりもするわけです。

ひとつのパターン
東国では平将門、目的成就せずで殺されていますから怨念を持っているかもしれません。
たいていは殺した側は祀ったりしないと思います。
しかし平将門に共鳴する人々はおおいに祀って守護神にもすると思います(徳川家康)。
怨念があってもそれは自分達に向けてではないなら、かえって意志統合に都合がよいこともありそうです。

もうひとつのパターン
平安時代に雷や疫病などが多発する、周辺の人間が怪死したりする。
当然ながら恐ろしい。
その正体(原因)がはっきりわかるならば、だれも菅原道真の怨念のせいだとはいわないでしょう。

その正体がわからないので、おそろしきものから逃れるために、「なにか」にその原因を求めてその「なにか」を祀り鎮める。
これも方法だと思います。少しでも心理的な平穏につながるなら、怨念を持たせた側も祀るはずです。
(罪滅ぼしであって守護神にはしないでしょうけれど)

これを神にまで祀りあげるほうがより安寧を得られると感じるならそうするでしょう。
そして雷神などにも変化してゆくこともあると思います。
天神は天津神の意ではなく、道教での天に神の意識を加えたもので記紀系の天津神とはまったく別物と考えています。


古そうなパターン
狩猟で動物を殺す、殺した動物の怨念を感じていたら怨念だらけになってしまいますね。
その動物は山ノ神の分身あるいは支配下にあって、人間に恵みを与えてくれる動物なのだ、とする考え方で怨念(罪悪感)の問題を回避する。

これは世界中で類似のようですが、動物を神の支配下とみるか動物自身を神(精霊)とみるかは微妙に差があるようです。
その意識は旧石器時代以前に遡るわけで探るのは容易ではなさそう。
どちらにせよ神あるいは神の所有物を扱うわけですから、そこに儀礼が必要になるのは当然となります。


もうひとつが、キリスト教的文化での、殺して良いと神が定めているとして、神にあずけてしまう方法だと思います。
これに限らず、解決困難な諸事を神にあずけて棚上げにするのがキリスト教的文化の特徴とみています。
(万能のでっかい棚が必要(^^;)

定められた何種類かの動物は人間のために存在しているのだ、とすれば儀礼すら必要なくなるかもしれません。
(そのために壁と序列を必要とするのかもしれない)
ただし、その定めができた時代と地域が問題です。

それに当てはまらない動物を殺して食べていた場合、それをどう判断するかですね。
(1か0かではないものを意識として区分しなければならない)
可愛いとみえる動物だったら・・危なそう(^^;
牛や羊を殺しているじゃないかといったって通用しないわけです。


夏や殷(商)では祭祀として首をぽんぽんはねているようですが、自然界との壁がないか低かったのだと思います。
人間を特別視しない考え方であれば、チョン切った相手の首を守護神にすることもできると思います(^^;
鹿や猪より人間の方が守護神として強力そうだ、と感じているならやるのではないでしょうか。
もちろん怨念がないと意識できるなんらかの祭祀を伴ってになると思いますけれど。

長江中流域の楚の昭王(BC515)が書物に書かれている「天地の通行を遮断した」とはどういう意味かを学者に聞いたそうです。
学者は、はじめは神霊と民はいっしょにいて、巫の能力に優れたものが自由に媒介をしていたが、民がいいかげんに巫を行うようになって自然界が乱れたので、神霊と民の居所を切り放して乱れを防いだ。これがその意である。と答えたそうです。

自然界と人間が一体であったイメージが残っていたのでしょう。
北方の儒教のように人間対人間、人間のありようを考えるものとは明らかに違う思想だと思います。

なお、植物を殺す場合は怨念といった意識はほとんどなさそうですね。
しかし、菜食のジャイナ教では根を食べません。
根が残れば再生できるという意識を持つことで許容されるという妥協点なのでしょう。


≫古代エジプトの王はどうなのでしょう。やはり日本で祖先神を祭る感覚に近いのでしょうか

これも余談が混じって長くなるので後日。


[6021] Re[6019][6006]: 人間への意識の違い  神奈備 2005/02/11(Fri) 19:46 [Reply]
> 自然神と、人間由来の神(人霊神)が、神社という同じ範疇で祀られることは、やはりしっくり来ないものがあります。

 ZOUさん、こんばんは。日本の神々にはその茫洋とした広さのようなものがあり、それが八百万の神々と言われ、端的に言えば何でもありの世界。あまり区別する必要がないのでは。

 爺様がなくなって遺体を埋める。そこへ木を植える。やがて木は成長し、祖霊が依りつく。
 婆様がなくなって遺体を山に捨てる。やがて山に雨が降り、静水が流れて、泉となる。泉の神、水の神と祖霊とが習合する。
 御霊信仰の対象となった人霊神でも雷神と習合したりします。

 神社関係のメーリングリストの中で、恐らくは青い目であろう神職さんは、日本のかみの英訳としてはspirit、spirits、特定の神(精霊)はThe Spirit 辺りが好きだとのことです。北米の原住民のお祈りの対象も「Spirits」といわれるようです。
The spirits of my ancestors, my land, my self。
こうすると、祖霊も自然神も含まれてしまうようですね。my self、これが良くわからない。
 またgodsとやるとGodの世界で言う邪神の扱いに解釈される可能性があるようです。 
 

[6020] 戦争について若干  かたばみ [Mail] [Url] 2005/02/11(Fri) 02:02 [Reply]

食糧不足といった場合はそれが補充さえできれば戦争は回避できる。
動物の場合の戦いは、生殖を加えればそれだけだと思います。
これらをなんとかできない場合は・・しかたない(^^;;;
ただし、相手をびっくりさせるなど恐怖を与えると危ないですね。

人間の同士の戦いの場合にも恐怖の観念があると解決困難。
恐怖が恐怖を呼び、ちいさなきっかけから怨念も生じてしまう。
いったん怨念が生じると容易には消せず、悪循環の増幅がはじまる。

逆になんらかの理由で戦争を遂行しようとする側からはこれをかき立てればよいわけです。
テロによって恐怖を生じさせるのもそうだし、テロの恐ろしさを喧伝するのも同じくでしょう。
相手はおとなしい善人なのだが、といいながら戦争をしかける指導者はいないわけ(^^;

宗教がらみの場合はほとんどがこれを含んでいると思います。
もし、相手を人間とみなさないような心理状態が生じたら歯止めもきかなくなってしまう。


相手の正体がわからないという不安、これも容易に恐怖に変わります。
妖怪や幽霊もそうでしょうけれど、これは自然界が相手だから戦争にはならないでしょう。
多くは、幽霊見たり枯れ尾花で終わるんじゃないかな。

異なる集団が接したときに不安が生じると危ない。
相手が新兵器を作ったなんて場合も同様。
もっと強力な兵器を作ることでその恐怖から逃れようとし、場合によってはやられる前にやってしまおうという意識も生じるはず。
その兵器を操る人間が戦いの現場から離れれば離れるほどその意識も強まるはずです。

偏りのない正確な情報、これが無用の戦争を防ぐ重要な手段だと思います。
相手への不安のほとんどを「幽霊見たり枯れ尾花」にすることができると思うのです。
狂気の指導者が登場したとしても、一般が正確な情報を得ていればその狂気に乗せられることは少なくなると思います。
もっとも、偏りを与えることで逆効果を作り出せるのも情報ですけれど。


[6019] Re[6006]: 人間への意識の違い  ZOU [Mail] [Url] 2005/02/10(Thu) 23:57 [Reply]
英訳から始まった話なので、文化的背景の違う他者に伝えるときの“概念”という意味合いで、関心を持って読ませていただいております。かたばみさんの[6006]の解説は興味深いものであり、また非常に分かりやすくもありました。

「森の文化」的な神の概念をもって「キリスト教的文化」的なGODを理解することには(その逆も)うかつであってはならないということが読み取れます。他書にあった言葉ですが、世界とともに生まれた神(研究者は“カミ”とカタカナ表記します)と、世界を造った神(“ゴッド”という表記です)の違いでしょうか。その下位に人間があったとしても、違った文化の中では人間の位置付けもまた違ったものになるのでしょう。


さて、以下は私の個人的な捉え方ですが、「森の文化」的な発想ではないかもしれません。かといってキリスト教を勉強したことはないので、そこんとこもあしからずm(__)m 自然神と、人間由来の神(人霊神)が、神社という同じ範疇で祀られることは、やはりしっくり来ないものがあります。

「人が神になりえる、それが森の文化の特徴」であるなら、神が人っぽくなることもあるのかもしれません。例えば山の神・川の神といった存在が人間のようにふるまう、というような場合です。人のようにふるまう神という意味で初めて人格神という名を使いたいと思います。人間が人格神化することは分かるにしても、自然神が人格神化する、これを昔の人の発想だとすればそれまでですが、おかげで自然神と人霊神の区別が希薄になるという部分に違和感を感じてしまいます(^^;)

それと、実在しないとされる人間を神として祀る場合もどう考えれば良いのか気になるところです。祀られる側の実体は何かという問題ですね。

>なにがしかの統率が必要であり、それが天照大神の登場だと思っています。

道教的に作られたといわれるアメノミナカヌシが、その名からしてもGODに対応できそうなものですが、そうではなくアマテラスが選ばれたあたりに意図的なものがあったような気がします。

> なにがしかの統率が必要であり、それが天照大神の登場だと思っています。
> 日本では祖先神が誰それというように個人になっている場合が多い。
> これは弥生時代あたりに高度文化を持った人々が渡来し、その人々とその技が強烈な印象として伝承されたためだと考えています。
> それらの人々が八百万の神々のなかでも頭ふたつくらい突出して目立っているわけです。

これらの引用部、たいへん示唆的でした。古代史の説には何通りものアマテラス=卑弥呼説があるように、人間由来の神に見える筆頭がアマテラスだと思います。記紀を元にするならば、人間のように見えるアマテラスが、自然神をも含む神々の統率者に収まるには少々役不足ではないかと・・・まあ、これも個人的印象です(^^;)

>それらの文化を生み出した環境が現代の環境と同じかどうかも問題になりそうです。
環境と文化は常に変化する、現在のそれにフィットしているのかどうか。

キリスト教が血みどろの歴史を持つなら、神道側には、ケガレ云々でやらかしたように陰湿な特徴があるように思います。現在の文化にフィットした心のよりどころが欲しいものですね。新興宗教などは御免こうむりますが(^^;)

[6018] 神となる  恋川亭 2005/02/10(Thu) 23:15 [Reply]
「人を神として」祀るわけじゃないのです。
『柴刺』だったかなぁ〜? ありましたよね、そういう神事。
(奄美・沖縄の柴差じゃないヨ、たぶん違ったと思うけど・・・)
七十年忌だったか七十七年忌だったか?亡くなった縁者が先祖霊となる、ホトケからカミとなる儀礼。かつて人だった頃のアクが抜けて、素の神霊の一部に戻った頃合いなのかナ。特定の人、偉人だけがカミとなるのではない。ちゃんとした人生をまっとうして、子々孫々から丁寧な供養を受けてもらえた魂の卒業式でしょうか?

〔余談〕旧約聖書を立読み拾い読みしたときに、ウチの産土神である楠公さんよりも、はるかに『人格神・人物神』的な描写に笑ってしまった。失礼しました。m(__)m

[6017] 戦争について若干  かたばみ [Mail] [Url] 2005/02/10(Thu) 22:00 [Reply]

食糧不足といった場合はそれが補充さえできれば戦争は回避できる。
動物の場合の戦いは、生殖を加えればそれだけだと思います。
これらをなんとかできない場合は・・しかたない(^^;;;
ただし、相手をびっくりさせるなど恐怖を与えると危ないですね。

人間の同士の戦いの場合にも恐怖の観念があると解決困難。
恐怖が恐怖を呼び、ちいさなきっかけから怨念も生じてしまう。
いったん怨念が生じると容易には消せず、悪循環の増幅がはじまる。

逆になんらかの理由で戦争を遂行しようとする側からはこれをかき立てればよいわけです。
テロによって恐怖を生じさせるのもそうだし、テロの恐ろしさを喧伝するのも同じくでしょう。
相手はおとなしい善人なのだが、といいながら戦争をしかける指導者はいないわけ(^^;

宗教がらみの場合はほとんどがこれを含んでいると思います。
もし、相手を人間とみなさないような心理状態が生じたら歯止めもきかなくなってしまう。


相手の正体がわからないという不安、これも容易に恐怖に変わります。
妖怪や幽霊もそうでしょうけれど、これは自然界が相手だから戦争にはならないでしょう。
多くは、幽霊見たり枯れ尾花で終わるんじゃないかな。

異なる集団が接したときに不安が生じると危ない。
相手が新兵器を作ったなんて場合も同様。
もっと強力な兵器を作ることでその恐怖から逃れようとし、場合によってはやられる前にやってしまおうという意識も生じるはず。
その兵器を操る人間が戦いの現場から離れれば離れるほどその意識も強まるはずです。

偏りのない正確な情報、これが無用の戦争を防ぐ重要な手段だと思います。
相手への不安のほとんどを「幽霊見たり枯れ尾花」にすることができると思うのです。
狂気の指導者が登場したとしても、一般が正確な情報を得ていればその狂気に乗せられることは少なくなると思います。
もっとも、偏りを与えることで逆効果を作り出せるのも情報ですけれど。


[6016] Re[6011][6006]: 人間への意識の違い  かたばみ [Mail] [Url] 2005/02/10(Thu) 21:54 [Reply]
≫日本でも自然界につながる人間、あるいは人間的動物は怪物ですよ。

怪物がいてもいいのです。鶴女房のごとく怪物ではないものがあるだけで十分です。
神、人間、自然界全般、の間に壁があるかないか、に注目しています。

私はいまのところ人がなぜ神になりえるのかに対して、自然界全般を中心に据える考え方だからだ、の他に説明できそうな答えをみつけていません。
これも1か0かではなく、その比重がどのようなバランスにあるか、になりますけれど。

相対する人間側の意識、これによって相手の様相が変わるのだと思います。
妖怪とか化け物とみなす場合は「畏れ」が強く働いているときで、畏れが恐怖に変わるのは紙一重じゃないかと思います。


[6015] 人物神について  れふと 2005/02/10(Thu) 21:16 [Reply]

既に他の方が書かれている通り、人を神または神に準じるものとして祀るのは神道だけでなく、キリスト教やイスラム教はもちろん、世界中に見られる現象ですが、人物祭祀の日本における特徴は、人物神をその他の一般の神と同じ作法・形式で祀るということだと思います。

つまり、世界の多くの宗教では、神を祀る神殿と人を祀る廟を区別しますが、日本ではこれを同様の形式で祀っているのです。神を祀る施設にも、人間を祀るようになったというのが、日本の特徴なのでしょう。ただこれは日本に元来あったものというよりは、歴史的な過程で生じたものといえそうです。

周知の通り、中国の律令を元に大宝律令が作成されましたが、中国の律令を日本に採り入れるにあたって、日本の現状にあうように調整されました。宗教に関しては、神祇祭祀を司る役所が行政庁より上位に独立した形で設置すると定められたことがあげられます。
しかし、宗教面において中国との大きな違いがもう一つあります。それは、中国の律令にはあった人物祭祀の規定が全く日本の律令には採り入れられなかったことです。これは、そのころの日本は個人意識が低く、具体的な個人への祭祀が行なわれていなかったことを示しています。これは、人々の社会的地位役職が所属部族と一致していて、個人が埋没していたためだといわれています。
律令制が導入され、官僚制が日本に定着するにつれ、社会的地位や役職が所属する同族ではなく個人に帰するようになると日本に於いても個人の存在が大きなものとなります。すると、一個人に起因する怨霊が出現し、御霊信仰が発生します。ここで初めて具体的な人物に対する祭祀が社会的な要請となります。
一方、既に八幡神など本来は純粋な神祇であったものが応神天皇などと過去の具体的な人物のことだとされるようになっており、神祇と人物霊の境界が意識されなくなっていたので、人物霊を神々と同じ形式で祀ることに抵抗がなかったのでしょう。他の文化なら人と神を区別して新たな祀り方を作り出すところですが、日本ではそれが生まれなかったのです。

人が神になれる文化、といいますが、一面には上記のような事情もあったと私は考えます。もちろん、祖先神や現人神については、このことでが説明できないですが。

[6014] Re[6013][6008][6005][6000]: ARe[5999][5996][5991]: 柱と杜と神  klarin [Mail] [Url] 2005/02/10(Thu) 02:06 [Reply]
> 『古事記』
> 允恭天皇 この天皇、意富本杼の王が妹、忍坂の大中津比売の娶ひて、生みませる御子、..穴穂の命、...,大長谷の命、..。九柱。
>
> 『日本書紀』 允恭天皇、忍坂大中津姫を立てて皇后とされた。皇后は、.穴穂天皇(安康天皇)..、大泊瀬稚武天皇(雄略天皇)、..を生まれた。
>
>  安康天皇の皇太子だったなどの関係は記載は見えませんが、一応、允恭天皇の御子で安康天皇の弟だとは記載があり、天皇の資格としては十分で、このためには特に一言主大神を持ち出す必要はなさそうです。

おっしゃるとおり、他例にない書き方で、続柄は匂わせていますが、雄略記自体には、続柄の記載がないという点で、古事記の研究者も首を捻っているところから、推測が始まりました。

[6013] Re[6008][6005][6000]: ARe[5999][5996][5991]: 柱と杜と神  神奈備 2005/02/09(Wed) 22:07 [Reply]
> しかし、雄略帝の記事については、周知のように、不可解な部分があります。それは、先帝安康天皇との続柄に関する記述がないことです。

『古事記』
允恭天皇 この天皇、意富本杼の王が妹、忍坂の大中津比売の娶ひて、生みませる御子、..穴穂の命、...,大長谷の命、..。九柱。

『日本書紀』 允恭天皇、忍坂大中津姫を立てて皇后とされた。皇后は、.穴穂天皇(安康天皇)..、大泊瀬稚武天皇(雄略天皇)、..を生まれた。

 安康天皇の皇太子だったなどの関係は記載は見えませんが、一応、允恭天皇の御子で安康天皇の弟だとは記載があり、天皇の資格としては十分で、このためには特に一言主大神を持ち出す必要はなさそうです。

『万葉集』の一番目の歌が雄略天皇のものとするように、この天皇は一つの時代を切り開いたようで、神々と親しいもしくは対等であるとの説話が構成されたのでしょう。
 一方、『日本書紀』では、三輪の神をとらえさせたものの、天皇は恐れ入って殿中に隠れてしまったとあり、蛇神にはあまり強くないようで、ここでは天孫らしい所が見えるようです。

[6012] Re[6006]: 人間への意識の違い  藤野 [Mail] 2005/02/09(Wed) 21:05 [Reply]
以前かたばみさんへ直メールでお聞きして、大変お世話になりました。
詳しい解説を一人で読むのはもったいないので、今回はこちらへ書かせていただきます。
日本の神々を海外の観念と比較すると見えてくるものがありますね。

キリスト教的文化でも、村ごとに異なる聖人saintを祭るということですが、
日本の感覚だとsaintも神となるのでしょう。
人を守護者(日本では神)にする感覚は、西欧でもあるのですね。
とすると、神とするか否かはともかく一神教と多神教という明確な違いではなさそう。
かつての森の神々−精霊(spirit、soul、The Holy Ghost)も存在するし。

ただ、唯一絶対の存在があるので、並列にはならない。日本では神様同士で相談もするわけで、序列の感覚は薄いということですね。

違いと言えば、徳を持つとみなされる聖人を祭る西欧に対し、ご先祖さんも、アジアの一部ではコミュニティ外の死者も守り神にして、怨念を持っているであろう死者も守護神にするのは森の文化圏独特なのでしょうか?
このあたり、なかなか感覚的には理解が及びません。

>古代エジプトの神々は自然神の発展抽象化
古代エジプトの王はどうなのでしょう。やはり日本で祖先神を祭る感覚に近いのでしょうか?

自然神よりも先進文化をもたらした祖先神を重んじる感覚が、ある時代以降どちらかというと強かったので、現代の私たちにはわかりにくいのかもしれませんね。

[6011] Re[6006]: 人間への意識の違い  玄松子 2005/02/09(Wed) 15:11 [Reply]
> 日本では動物が人間になったり、鶴と結婚する話がいろいろあって壁がないです。

> キリスト教的文化圏では自然界とつながる人間は怪物でしかなく、人間と動物の同体化は根本的に忌避されるので、これらを説明するのはたいへんみたい。

日本でも自然界につながる人間、あるいは人間的動物は怪物ですよ。
動物が人間に進化する話と、動物が人間に化ける話は別の話でしょ。


で、キリスト教的「神」と神道的「神」の違いについて。
日本では、官僚機構のことを「お上」と言いますが、
官僚のトップであっても、下っ端であっても、呼称は同じ「お上」。
キリスト教的社会では、トップのみを「お上」と呼んでいるということではないか、
と、青草的に思うのですよ。
呼称が違うだけで、キリスト教でも、トップにいないキリストやマリアも崇敬されているわけで、マリアなども日本的観点でみれば「神」と同じでしょう。

[6010] B一言主  klarin [Mail] [Url] 2005/02/09(Wed) 04:22 [Reply]
このような脱皮の抜け殻を奉納するという話(といっても仮説に過ぎません)が作れるのは、蛇の脱皮に神性を認める習俗の存在が基底にあったと考えざるを得ません。

以下は以上よりさらにまだ整理が出来ていない部分ですが、一応したためます。

脱皮出来なければ蛇は死ぬ。それはまさに、マガゴト(死)といえども一事、ヨゴト(新生)といえども一事ではないでしょうか。「コト」には重大事件という意味もあります。このような認識を古代人が持っていたとすると、天皇もまた、法的連続性がないと、天皇として認知されないというシステムが既に成立していて、先帝の死も一つの重大事件だが、新帝の権力正統性(即ち、天より降った皇孫の末裔であるということ)の確保も一つの重大事件である、と思うはずです。

当初、私はこの話は、蛇の脱皮に託して、かなり古い時代の大王の新生儀礼を表象したもののように思いましたが、仮にそうであったとしても、それは古層のもので、この話自体はそれを深い土台として形成されたように考え直しました。

ところで、マガコトといえども云々が、そのまま神の名前になるのも奇妙です。禍事、善事という修飾はこの話のために付されたものではないかと想像しています。
ヒトと対応するタミル語にput-al[snake-gourd(蛇瓜)]があります(-lの脱落。u/i交替)。日本語では、蔦や蛇瓜などの意味のタミル語はそのまま動物の蛇という意味ともなります。

コトと対応するタミル語にcatt-aiがあります。これはslough of a snake(蛇の抜け殻)という意味で日本語ではkot-oに対応します。これがput-alに後接し、put-a・kaz-a>fito・koto(蛇の抜け殻)となり、それに主が付き、更に大神まで付いて神格化されたように思えます。今日ではこの抜け殻も凋落し、単なる縁起物と成り果てました。

このように、一言主大神は、「蛇の抜け殻」の神だとタミル語からは推定されますが、同時にその神自身が、自分はコトサカの神であるといっています。コトサカを「言葉を言い放つ」意味と解する学者が多数を占めますが、「サカ」に「言い放つ」という意味は日本語にもタミル語にもありません。

タミル語akal[1. to leave(去る),vanish(消える); 2. to separate(離れ去る),part(引き離す)]の古形は*cakalであり、これは日本語「離(さか)る」と対応します。
これは「抜け殻から離れ出た神」という意味となり、こうして、一言主は抜け殻の神であると同時に抜け殻から離れた神、即ち、新生した蛇神でもあることになります。これは真床御衾から抜け出して新生した穀霊とよく似た考え方のように思います。

なお『多氏古事記』では、@Bがありません。「そっくりだ」ということのみが既述されています。

ところで、この話が葛城山を舞台とするのは極めて象徴的です。なぜなら、カツラにはタミル語でヘビという意味があるからです。

kAttir-am   snake(蛇)
katur-a    カツラ。

したがって、カツラギ山というのは蛇・子・山という意味となります。
「子」はウサギの「ギ」同様、指小辞です。一言主神が葛城氏の奉祭神であるというのも当然と言えましょう。

[ref]
村松武雄『日本神話の研究.第四巻』は、「かくも多くの典籍が異口同音に一言主神を目して出雲の霊格となしているからには、さうした観想が少なくとも一部の衆庶の間には古くから或る程度に流布してゐたとしなくてはなるまい」(p.194)とし、この出雲神が雄略天皇の許に示現して一種のせり合いをしたということは、偶然であり無意味であるとするには困難である、と述べ、「それは半ばは中央朝廷に対する出雲人の、半ばは出雲人に対する中央朝廷の、対抗意識若くは反抗意識であった」(同p.195)とします。(タミル語からすると、ややあたっているようにも思えますが、対抗意識というより、純粋な出雲系(それは同時に近畿系でもある)の天皇に対する正当化と考えた方が正しいかもしれません。

事実、『多氏古事記』では、一言主神は完璧なまでに天皇より優越した神として記述され、これはそのまま『古事記』にも引き継がれています。このことは雄略帝が出雲系の人物であることを暗示するかもしれません。

しかし、『日本書紀』になると、一転して立場は天皇優位となる。更には早くに蛇を奉祭する部族の凋落を意味するのか、『続日本紀』天平宝字八年(764年)11月の条では、天皇と狩を競うのは無礼であるということで、この神は一時、土左の国に追放されたことになっていることは周知のごとくです。

これらから分かることは、『多氏古事記』の多氏の同族である『古事記』編纂者、太安万侶は、やはり出雲の意宇を本貫とする「オホ」一族の出身であり、したがって『古事記』に出雲関係の神話が多いことや、出雲系と見られる一言主神を天皇より重く置いていることなどは、すべてこの安万侶の思惑によるものと考えられます。つまり、多氏は一言主を雄略帝と理解しており、この出雲系?の天皇を他の系列の天皇より重んじたのかもしれません。

後半は、かなり推量が多くなっています。end

[6009] A一言主  klarin [Mail] [Url] 2005/02/09(Wed) 02:27 [Reply]
言い換えますと、「天皇は安康帝だったのに、この俺が天皇ということは何なのだ」ということになるのではないか。つまり安康帝一族は悉く殺害され、天皇の系列とはまったく関係のない人物が天皇になることになった。これはちょっとまずいんじゃないか、と考えた人物がいたのではないかという推理です。

『日本書紀』ではこの話は文飾が多くなります。ただ、『日本書紀』では一言主を「長人」と最初に述べていることが注目されます。これは蛇が長い姿であることを暗喩していると私には思われるのです。
またこの一言主という奇妙な名前は一体、どういう意味を持っているのだろうかというのも大いに気になるところです。

そこで、古事記の文章を分析してみました。以下の3点が注目されます。
@紅い紐の付いた青摺の衣を着ていた。 
A人数といい、装束といい一行とそっくりの行列であった。
B雄略帝は百官の衣服をも脱がせて一言主に献上した。

@について
上記@は蛇の色であることが想像されます。紅い紐というのは、蛇の紐状の舌の暗喩ではないか。青は胴体の暗喩ではないか。例えば、豊後住人、緒方三郎維義の出自を述べる『平家物語』(巻8)の「諸環」の条は、まったく三輪山神話の流れを汲むものですが、ここでは緒方維義の先祖が大蛇(高千尾明神の神体)であるとし、女の元に夜来て朝返るこの不思議な男は「水色の狩衣」を着ていたとあります。

ちなみに、蛇によって産まされた子の名を大太という。『平家物語』では、母方の祖父を太大夫というので、それにちなんで名付けたと書かれているが、これは付会であり、本来はタタ、即ち「蛇」という意味であろうかと思います。

Aについて
これは脱け殻と新生した蛇との比較ではないだろうか。私も庭でシマヘビの抜け殻を見たことがありますが、「外形」はまさにそっくりです。

Bについて
これは脱皮そのものの姿のように思えます。穏当な見解としては、安康帝が脱いで、雄略帝がそれを着衣した、と考えるべきかもしれません。記紀に見られる名前の交換と類似しています。文面と逆ですが、人数といい、装束といい何から何まで一行はそっくり同じ行列なのですから、一方が脱いでそれを神=雄略帝に着せたでも内実は同じです。(行列というのも蛇の長さの暗喩のように思えます)

ただ、文面どおり、雄略帝が脱皮したとしても神話的表現とすれば、おかしくはありません。認知されていなくても一応、天皇となっていますから、先帝との代わり、あるいは看做しとして、脱皮する。そしてその脱皮したものを神に捧げて、神はこれを受け取り、こうして権力正統性は担保されます。

ここで一言主は、雄略帝より先に名乗りをあげていますので、他例同様、自分を祀れ、という意思表示と受け取れます。この意思表示にしたがい、雄略帝は脱皮した抜け殻を神に奉納し、安んじるという意味合いもこの話には込められているものと思われます。






[6008] Re[6005][6000]: ARe[5999][5996][5991]: 柱と杜と神  klarin [Mail] [Url] 2005/02/09(Wed) 01:36 [Reply]
>  一言主と雄略帝、さてどのように蛇の脱皮とつなぐのか、ですが、一言主が雄略帝に変貌をとげた、即ち支配地を奪い取った等の意味でしょうか。よくわかりませんが・・。

実は私も、一言主と雄略帝がどのようなかかわりを持つのか、今のところ、よく分かりません。ご指摘の部分は、些か早まって書いてしまったと思います。
しかし、雄略帝の記事については、周知のように、不可解な部分があります。それは、先帝安康天皇との続柄に関する記述がないことです。
そこでこう考えました。もっとも順を追って書きますと長くなりすぎますので、はしょります。

近畿三輪一帯(九州にも三輪はありますので、便宜的にこう書きました)には強い蛇信仰がありました。蛇が信仰の対象になる理由のひとつに、蛇の脱皮がある、脱皮を見て古代人は蛇の命に永遠を見た、という考えがありますが、私もそうだろうと思います。

記紀に拠りますと、安康天皇と雄略天皇は血縁関係がないかのごとく続柄が書かれていません。共通しているのは「天皇」である、という点だけです。そこで、これを合理化するスベを蛇の脱皮に見出し、安康天皇が脱皮して雄略天皇になったというイメージを植え込むべく後世に誰かが一言主大神というのを作為したのではないか、作為したついでに、三重の采女の歌に「マキムクの日代の宮」の歌まで取り込んでしまった(かどうかはともかく、雄略帝の宮はマキムクの日代の宮にはありません)。

むろんこれは仮説です。ではなぜこういう仮説を立てたかと言いますと、一言主登場と退場は、以下のような話となっているからです(古事記に拠る)。

雄略天皇が葛城山に登ったとき、百官の役人達はことごとく、紅い紐の付いた青摺の衣を着ていた。
そのとき、向こうの山の尾根に、その人数といい、装束といい一行とそっくりの行列があった。
天皇は、その一行に、「この大和の国には、自分の他に君というものは無いはずだ。いったい何者だ」と問い質したところ、相手の答えもまったく同じであった。
天皇は激怒し、百官ことごとく矢を構えると、相手も同じように矢を構えた。天皇はそれなら名乗りあってから矢を放とうと言った。
すると相手が答えて「私は悪事も一言、善事も一言で決めてしまう言離の神で、葛城の一言主之大神である」と言った。
これを聞いた天皇は、「我が大神よ。このように現身でお現われになろうとは考えてもいませんでした」と言い、腰につけた太刀や弓矢を初めとして、百官の衣服をも脱がせて献上した。一言主は喜んでこの贈り物を受け取った。

まず私は雄略天皇の「この大和の国には、自分の他に君というものは無いはずだ。いったい何者だ」という問いかけに注目しました。このような言い方自体は他にも出てきますが、この文脈上では、格別に異彩を放つ言葉に思えたのです。
つまり「天皇は俺だけのはずなのに、お前は誰なんだ。」という雄略帝の自問自答のように私には聞こえるのです。ここでいう「お前」とは雄略帝その人なのではないか、という疑問です。

ということは、「天皇は俺だけ」という叫びは実は先帝である安康帝の叫びではなかったか。

[6007] 神と神  恋川亭 2005/02/09(Wed) 00:25 [Reply]
 恋川亭は震災前の天理教教会の跡地にあるのですが、この周囲数百メートル圏内には、日本の神社や各派寺院だけでなく、カソリック、プロテスタントの教会、モスク、シナゴーグ、関帝廟(中国寺院)、ヒンズー風やチベット風の隠れ廟、金光教に黒住教、などなどさまざまな装置があってにぎやかです。
 祈る対象の名目は異なっても、人々の祈る姿は共通するものがありますネ。祈らずにはいられない、祈ることしかできない。人生にはそんな場面も多々あるのでしょう、国籍・宗教が違っても。尊重しあい、励まし合っていきたいものです。
 生活の中で朝夕、祈る習慣を持つ人々の生活には、力強いものを感じます。漂泊者からしてみれば、うらやましいくらい。幼い頃に見た爺さん婆さん達の暮らしを思い浮かべて、自分達は大きな何かを失ったものだなァ〜、と。
 祈る対象の名目は異なっても・・・その奥の真の芯は、たぶん同じものなのか?神でもなく人でもなく自然でもなく???

『山川草木悉有仏性・・・和尚っ!犬にも仏性が有りましょうか?』
『有るかいッ!そんなもんッ!!』 <(__)>

(さいきん、直会バー『般若湯』も拝読中。暢気なタオさんと比べると結構シビア)

[6006] 人間への意識の違い  かたばみ [Mail] [Url] 2005/02/08(Tue) 22:09 [Reply]

≫自然神への祭祀も、人を神として(人格神ではなく人霊神と呼びたい)祀る場合も、
≫どちらもが神社にて祀られているわけです

非常にむずかしい問題だと思いますが、とりあえずの私の考えでは・・
人が神になりえる、それが森の文化の特徴じゃないかと考えています(森で代表させておきます)。

雲南の苗族ミャオでは祖先神が最も大切で、これを祀り加護を願い牛を殺して捧げる鼓社祭(鼓社節)があります。
苗族の祖先は巨大な楓木から生まれています(日本のカエデではなく金楼梅科の楓香という木)。
家の中央に楓木を大黒柱として据えれば子孫が繁栄するという「楓木歌」という古い叙事歌もあります。
これも世界樹だと思います。

祖先がいったん洪水で滅び、生き残った兄妹の近親婚から生まれた最初の子が手足のない肉塊だったなんてのもあります(日本ではヒルコに相応でしょう)。


それはおいて、
自然界が生み出したものは木石といえどすべて自然神になりえる、それが自然神だと思います。
自然界が生み出した動物のひとつ、それが人間です。
人間は特別な存在ではなく、自然界の一員(一部)にすぎないということです。
ならば、「その一員」も神になりえて不思議はありません。

キリスト教的文化(表現がむずかしい(^^;)では、最上位に神あり、ついで人間あり、ついで動植物などがある。
人間とそれ以外には明確な壁(序列)があります。
(たぶん後世の理念化(神学)によるものと思います、当初からそうであったかどうかは??)
人間は特別な存在なんですね、これが根本的な違いだと思っています。


日本では動物が人間になったり、鶴と結婚する話がいろいろあって壁がないです。
仏教では輪廻といった概念が人間とそれ以外との関係を示すと思いますが、いったん死ぬ必要があるのが微妙なところ。
道教では修行によって熊が人間になったり、人間が仙人になったりする。
死ななくてもよいわけで(^^; 人と神の境界があいまいですから仏教より森の文化に近いのかもしれません。

キリスト教的文化圏では自然界とつながる人間は怪物でしかなく、人間と動物の同体化は根本的に忌避されるので、これらを説明するのはたいへんみたい。
進化論すら受け付けない場合もあるし。


序列の概念は、簡単にいってしまえばその文化の生じた環境の厳しさによる部族団結の必要性から生じていると考えています(掟が重視される)。
唯一神も人間中心もその下地からの登場だと思っています。

しかし、やっぱりそれだけではだめなのでしょう。
村ごとに異なる聖人saintを祭ったりするのは、具体的かつ身近な守護者が必要だったからだと思います。
かっての森の神々が精霊(spirit、soul、The Holy Ghost)と言い換えられて残ってもいるわけです。
理念上の神だけではなく、身近にある「神」が必要だったのだと思います。

日本の場合は面倒な言い換えや操作ぬきでご先祖様はみな神様、森にも海にも神様がいる。
すなわち八百万の神々。
しかし、こちらでもやっぱりそれだけではだめなのでしょう。
なにがしかの統率が必要であり、それが天照大神の登場だと思っています。


人も神になれるわけですが・・重要なことがひとつあります。

人間を特別扱いしないということは、人間を犠牲にすることも容認されるということです。
羊を生け贄にするのと同じように。
人間にとってたいへん厳しいものがペアになって成立している、それを忘れてはならないと思います。
(すなわち、現人神とか特攻隊などが登場する危険性を常々持っているわけです)

人間中心の文化からは、混乱の元となる複数の神や、「仲間」を犠牲にすることは考えられない。
(人間を助けるために人間が犠牲になる、これはありますけど)
おそらく環境保護でも人間を特別扱いしない考え方は理屈抜きで忌避されやすいんじゃないか。
(動物愛護、これもその反動として理屈抜きになりやすいと思います)

こちらでの危険性は、なんらかの理由で相手を人間とみなさない感覚が生じる場合があること。
スイッチが切り替わると殺戮も平然と行われることになるわけです。

アナログ的な文化と、デジタル的な文化の違いといってもいいのかもしれません。

それぞれの文化から、人も神になれる、や、人間中心や唯一神、だけを取り出して組み合わせたら・・
こりゃまた大変であります(^^;
ある文化のなかで組み合わされて成立しているもの、その一部だけを取り出して他の文化に運ぶ、これだけでもうかつにはできそうもないです。

それらの文化を生み出した環境が現代の環境と同じかどうかも問題になりそうです。
環境と文化は常に変化する、現在のそれにフィットしているのかどうか。


余談
日本では祖先神が誰それというように個人になっている場合が多い。
これは弥生時代あたりに高度文化を持った人々が渡来し、その人々とその技が強烈な印象として伝承されたためだと考えています。
それらの人々が八百万の神々のなかでも頭ふたつくらい突出して目立っているわけです。
(相対的に自然神の影が薄くなる)


[6005] Re[6000]: ARe[5999][5996][5991]: 柱と杜と神  神奈備 2005/02/08(Tue) 20:53 [Reply]
> 大物主という古い器の中身、即ち魂を抜き去って、新しい魂、即ち(帰順した)出雲系の神である大己貴神の魂と入れ替えたと思えます。

> この入れ替え事件は、蛇の脱皮するさまを当時の人々に想起させた可能性もあります。

 興味ある見解だと思います。
 klarinさん、議論と関係が薄そうな所で。−

> 蛇の脱皮の神格化を思わせる一言主の話と上記事件は、何らか、関係があるようにも思えます。

 一言主と雄略帝、さてどのように蛇の脱皮とつなぐのか、ですが、一言主が雄略帝に変貌をとげた、即ち支配地を奪い取った等の意味でしょうか。よくわかりませんが・・。

[6004] Re[6003][6002][5998][5991]: 柱と杜と神  klarin [Mail] [Url] 2005/02/08(Tue) 20:49 [Reply]
> > 絶対の神キリスト。
> これは違うと思う。

キリストは神の子ですから、それはそうでしょうね。
ヤハウェ(全部、子音なのでこれは想定語ですが)は絶対神(一神教ゆえ)。
その周囲に、deity的存在としてエンジェルがいます。
デーモンもdeityでしょう。

イスラム教にもイエスは登場しますが、預言者としてであって、
イーサーという名前で登場します。キリスト(救世主)の地位からは
除外されています。アブラハムはイブラヒム。

キリスト教のヤハウェは、イスラム教ではアラーと名を変えられていますが、
これも絶対神です。なにせ、コーランには旧約聖書も含まれているほどですから。

[6003] Re[6002][5998][5991]: 柱と杜と神  玄松子 2005/02/08(Tue) 20:28 [Reply]
> 絶対の神キリスト。

これは違うと思う。

[6002] Re[5998][5991]: 柱と杜と神  ochoz [Mail] 2005/02/08(Tue) 15:05 [Reply]
絶対の神キリスト。”神を信ずれば救われる”信ずることは洗礼を受けることではないのですか。信じない人は人に非ず、殺しても、煮て焼いて食ってもいいのかなあと宗教戦争、異教徒への対応はとても、人類として納得できるものではないと思う一人です。日本にキリスト教がメキシコ・フィリッピンのように広がらなかった。禁止令まで出してその偽善を見抜き迫害もしました。それは、何故、日本人として今こそ、議論すべきときかと思いますがこの場、博学の方が多いので教えて下さいませんか。
また、アラーの神も絶対神です。イスラム世界ではどこでもアラーアクバルとコーランが聞こえますが意外に他宗教にはコーランは寛容と思いますがいかがでしょうか。

そこで、八百万の神様を世界に理解してもらい人類の安寧、平和の真の心を伝えたいのです。西洋人が考えた異教徒の神は認めたがらないようですから・・・。と21位世紀はローマカトリックも、仏教を、イスラムを、ヒンヅーを認め、共生、できるようになったのでしょうか?それが質問です。ごめんなさい

[6001] B神籬  klarin [Mail] [Url] 2005/02/08(Tue) 10:53 [Reply]
神籬は一般に、神を祀るとき、神の座として立てる常緑樹とされています。木は落雷の対象となるところから(スメラはタミル語では稲光を意味します)、木に神が降りるものと考えられたためとも思われます。

タミル語の意味からすると、モロは神殿ですが、木自体を神殿と見立てることも不可能ではありません。この三諸(mimoro)と神籬のfimoroはf/mが唇音同士で交替し得る音であるので、同義の可能性もありますが、fiに「神」の漢字を当てているのが原義に忠実とすれば、これはfi(霊)を意味するものであろうと思います。

mimoroのroもfimoroのroも乙類です。では神籬(fimoroki)のkiはどういう意味か。神籬が神座として立てる常緑樹とすれば、このkiは「木」が相応しくあります。
しかし『時代別国語大辞典上代編』は、このkiは甲類なので、乙類の「木」や「城」とは語源が異なるとしています。

神籬は「ひぼろぎ」「ひぼろけ」「ひもろけ」などと様々に変化していますが、この変化から見ると、おそらく甲乙いずれでもない「処」の母音交替形であるようにも思われます。

タミル語 k-an place(場所),site(用地); front(正面);
日本語 k-a 処(か)。a>e対応でkeとなり、更にタミル語内部でe/i対応する         が、日本語内部でもe/i交替する。ここは日本語内部での交替と見         るべきである。
k-e ひもろけの「け」。
k-i ひもろきの「き」。

この解釈によりますと、「神名火尓 紐呂寸立而 雖忌 人心者 間守不敢物」(『万葉集』2657)という場合の「紐呂寸たてて」は「聖域を仕切る」ということになります。しかし、「寸」はあくまでも甲類であるのでこの「処」であるとするのも妥当ではないでありましょう。

*紐呂寸たてての「たつ」?
タミル語 tat-u to partition off(仕切る);
日本語 tat-u たつ。 むしろ以下のタミル語との対応とする方が、意味は鮮明になる。

タミル語 kek-am house(家);dwelling(すみか);
日本語 ki キ。e/i対応。-kの脱落。kek-の-e-は長音。

これだと、「モロ」は動詞purr-u[dwell(住む)]との対応で、単純にタミル語の単語を並べると、pe・purru・keとなります。これを日本語と対応させるとfi・muru・keとなりますが、fi・moro・ke、fi・boro・ke、fi・boro・giともなります。

この解釈によれは「霊=神(の)住む家」となります。そうしますと「紐呂寸たてて」の「たつ」は以下のタミル語との対応と言えるでしょう。

*紐呂寸たてての「たつ」
タミル語tot-u to frame(組み立てる),build(建てる);
日本語 tat-u 建(た)つ。o/a対応。

これによれば、「fi(霊=神)moro(住む)ki(家)を建てて」となり、意味がよく取れます。なお『万葉集』の解釈としては、大方の研究者が「ひもろ木を立て(stand)て」としています。
伊藤 博『萬葉集釋注6』(p.301)も同様です。しかし、「木」では音類が合わない以上、この『万葉集』の解釈としては「神の住む家」「神の住む住まい」ということでなければ妥当でない解釈となります。

無論、神が住む住まいは、人間の住む家と同じ構造というわけではなく、石でも木でもいいわけで。したがって、神木を一本その地に刺し立てることも「紐呂寸立て」ることになります。このkiは万葉時代には既に「木」と習合していたであろうと思います。斎部広成『古語拾遺』にも、「吾は天津神籬を起樹てて」と「起樹」という漢字を当てています。

なお、ヒモロキの「キ」を城とする説もあります。しかし、城は以下のタミル語と対応するので、意味上、妥当ではないと思われます。 城については以下のc-oかket-iのいずれかであろう。後者の場合、琉球の「城」と対応します。

*城
タミル語c-o  fortress(要塞);
日本語k-i   城(き)。ko>co対応の古形k-oよりo/u交替。u/i交替。

結論として、神籬は「神の住む(べき)家」という意味であり、それは岩でも木でもいいのだけれど、おそらく実際に古代人が家と看做したのは、神の拠り代としての木であろう、ということになります。岩でもいいのですが、重いのが難点です。

[6000] ARe[5999][5996][5991]: 柱と杜と神  klarin [Mail] [Url] 2005/02/08(Tue) 10:15 [Reply]
三諸が「御神殿」であるならば、まさに「三諸つく三輪山」とは、tagk-u由来のtuk-uで、「ご神殿がある(to exist)神山」という意味となります。 『日本書紀』に、「大己貴神ののたまはく、『唯然なり。すなはち知りぬ、汝はこれ吾が幸魂奇魂なり。今何處にか住むと欲ふ』とのたまふ」とあるように、大己貴神が「あなたはどこに住みたいのか」と聞いている相手は、「吾は三諸山に住むと欲ふ」と答えています。

これはタミル語から意味を正確に復元すれば、「吾は神殿のある山に住みたいと思う」と言っているのが分かります(この神殿とは磐座のことであろうと考えています)。

ただ、引用したこのあたりの記述は、大己貴神=大国主=大物主と、強引に結びつけようとしている作為が感じられます。紀では大己貴神が、「分かった。あなたは私の幸魂奇魂である」と言っているわけですが、これは大雑把に言い換えれば「分かった。あなたは私だ」ということに他なりません。

おそらく、大物主という古い器の中身、即ち魂を抜き去って、新しい魂、即ち(帰順した)出雲系の神である大己貴神の魂と入れ替えたと思えます。それは出雲の神の力の方が強力であると考えられたためでありましょう。外見は同じでも、中身に対する認識が少なくとも支配者においては切り替えられていたので、在地の部族(三輪系と出雲系がごっちゃにされた感があるが)にとっては大物主ではあるが、支配者にとっては大己貴神を改名した大国主でもあったという、複雑な状況を招来したのは、在地への懐柔策もあったのかも知れません。

この入れ替え事件は、蛇の脱皮するさまを当時の人々に想起させた可能性もあります。蛇の脱皮の神格化を思わせる一言主の話と上記事件は、何らか、関係があるようにも思えます。

三輪山には神が住まうという磐座がありますが、神殿とはこの磐座を指すものと思われます。この磐座という言葉は、以下の意味にも取れます。

タミル語 vip-u
1. that which is omnipresent(偏在するもの);
2. the supreme being(至高の存在);
日本語if-a
イハ。v/w対応。wif->if-交替。つまり「神」という意味です。vip-uはmif-aとも交替します。

タミル語 kul-ir to seat(座る),rest(休む);
日本語 kur-a
クラ。 無論、「磐」はタミル語cil-a[rock(磐),stone(石)]のc-脱落、l/y対応、y/w交替形であるiw-a、if-aに由来します。したがって、この磐に「神」という意味はありません。しかし「神」という意味のvip-uは、mif-aとも*wif-a(if-a)とも対応するので、いわゆる見立てとして、磐=ifa=神となり、磐座=神座と古代人には観念されたものと思われます。

「三諸つく 鹿背山の際に 咲く花の」(『万葉集』1059)という言い方もあります。「三諸つく」が「ご神殿がある」であるなら、鹿背山は神山の意味と思われます。タミル語にcatt-a[a village deity(村の神)]という語があります。c/k対応、t/s対応でこれはkas-eとなります。

そうすると「三諸つく鹿背山」というのは、「ご神殿がある神の山」ということになります。 なお、三諸の山と詠まれる歌で、三輪山以外の、例えば明日香の神岳などを指している場合があります。これなどはずばり神岳です。

「三諸の 神奈備山に たち向ふ 御垣の山に 秋萩の」(『万葉集』1761)も同様です。「ミモロ」と「神」は不可分のようです。

以上の考察から、神籬の意味はある程度、解けるように思われます。



[5999] Re[5996][5991]: 柱と杜と神  klarin [Mail] [Url] 2005/02/08(Tue) 10:09 [Reply]
> 神籬(himorogi)の語源は、
> 神霊(hi)天降る(amoru)木(ki)が約まって、音便が変化して、
> himorogi(ひもろぎ)になったと考えます。
>
> 地鎮祭などの神籬祭祀での降神の儀などでも、
> 「天翔けり國翔けり坐して、此れの神籬に天降(あも)り坐せと・・・」
> と言う段(くだり)がありますが、まさしく読んで字の如しだと思います。

諸説あって興味深いところです。
ONE of THEMに過ぎませんが私は次のように考えています。ご引用の「此れの神籬に天降(あも)り坐せ」にもぴったりだと自己満足しています。

三諸と神籬は類義語だと言われています。タミル語にpur-aiと言う語があります。p-は唇音同士の交替で日本語m-とも対応します。つまり日本語ではmur-o、mor-oともなります(u/o対応)。

pur-ai  
1. house(家),dwelling(住まい);
2. hermitage(隠者の すみか);
3. temple(神殿);
4. small room(小部屋);
5. compartment, as of a box(<箱の中のような>区切り);

mur-o(以下は順不同)
1.僧の住居。僧房。
2.「室寿」の「室」は神殿の意。
3.室(むろ)。

mor-o
u/o対応。「むろ」という場合、この「ろ」は甲類ですが、「三諸」という場合、この「もろ」はいずれも乙類です。
一方「森(もり)」は甲乙いずれでもなく中性音です。したがって「みもろ」は「御森」の意ではないということになります。おそらく「むろ」に「諸」という当て字をしたこと、またmur-o/mor-o交替したことなどにより、「みもろ」の「もろ」は乙類となったものと思われます。

以上を総合的に考えますと、三諸は御室の意味ということになります。三諸の「諸」では意味を成しません。タミル語の意味、及び三輪山自体がご神体とされるところからすると、「ミモロ」というのは、pur-aiのtemple(神殿)からのもので、「御神殿」「御聖所」という意味であろうと考えられます。『時代別国語大辞典上代編』は「神の降り来臨する場所」としますが、これだと意味範疇が広すぎます。

次に、「三諸つく三輪山」という場合の「三諸つく」について考えます。

「三諸つく 三輪山見れば 隠国の 泊瀬の桧原 思ほゆるかも」(『万葉集』1095)とあるように、「三諸」は「つく」ものです。日本語tuk-uに対応するタミル語は数種あります。

*つく
tagk-u  1. to stay(留まる),sojourn(逗留する),abide(住む),remain(残る);
2. to be stable(安定する),to be firmly established(しっかりと定着する);to be retained in the mind(心に留める);
3. to exist(存在する);

日本語tuk-u[つく。a/o対応。日本語内部でo/u交替。居つく、住み着く、一息付く、落ち着くなど、複合語でよく用いられる]。

[5998] Re[5991]: 柱と杜と神  玄松子 2005/02/08(Tue) 09:59 [Reply]
天・地・人を祀ることはどの宗教においても普遍ではないだろうか。

> 日本における自然神としての多神ならいいですが、キリスト教的文化圏では人を神とすることを認めていませんから、祖先神の意で使うとあぶなそうです。

キリスト教においては、神は唯一絶対の存在であり、神という呼称が、狭義の神として使用されているので、人や他のモノを「神」とはしていませんが、
天使や精霊のみならず、キリストやマリア、その他の預言者も神「相当」の扱いを受け、崇敬されており、また、祖先の墓も手厚く維持されている状況ですから、広義の神と呼んでもよいのではないだろうか。
日本における神の呼称は、こちら(広義の神)でしょう。

[5997] 日本ではなぜ神は人でもあるのか  klarin [Mail] [Url] 2005/02/08(Tue) 09:17 [Reply]
いまやトンデモ説の代表格(私はそうにはとても思えないのですが)ともなっているタミル語によりますと、神は以下が日本語と対応します。

cam-i 1. lord(神),the supreme being(至高の存在);
     2. skanda(スカンダ神…仏教でいう韋駄天); 3. Arhat(アルハット       神…仏教でいう阿羅漢);
     4. chief(長官),chieftain(首領),master(主君);
     5. Guru(教祖的存在),spiritual preceptor(宗教上の指導者);       6. elder(年長者),senior(先輩),elder brother(兄);

(注)1.のlordは通例「支配者」と訳すべきだが、the supreme beingと併記されているところから、これは所謂the Lord(神)と訳されるべきである。

cam-iはチャミと発音されるが、これが日本語kam-iと対応したと思います。もっともタミル語説主唱者の大野 晋氏はcaとkaの対応を認めていません。
しかしながら、タミル語cam-i[ to go(行く),walk(歩いて行く)]はkam-i[to walk(歩いて行く)]とも言いますから、これはタミル語内部でのka/ca交替が日本語に反映したと考えて差し支えないと思います。ただ、日本には交替形のcamiも流入したと考えられます。

これによると、1.は「神」、2.3.は「人格神」、4.5.は「人々の長」、6.は「人」といったように分類できます。
これは日本の「カミ」と同一です。

「守(カミ)」は4.に該当し、a/i交替形のkim-i(君)も同様です。「この倭国に、吾を除きてまた君は無きを」(『古事記』雄略条)など。
なお刀剣で「備前の守長船」などという場合のカミは、タミル語kammiy-an[smith(金属細工人),artisan(熟練工)]と対応します。

6.からは尊敬接辞が生まれました。大田先輩とか大田兄とかいう乗りで、タミル語内部での交替形cam-iはsam-a[様(さま)]、san(さん)、chan(ちゃん)、chama(ちゃま)などになっています。
なお、kam-iとしても、既述の君主以外の意味、つまり6.の意味で日本語kim-iと対応しています。「君」には「女性が親しい男性をいう」という意味がありますが、これは兄からの意味の変化と考えられます。

日本語sam-aの同音異義語「有様(ありさま)」などの「さま」はタミル語camp-am[ostentation(ひけらかし),show(見せること)]と対応します。
日本語のsam-aの意味は大辞林によれば「有様。すがた。かたち。やり方。方法。形式。品格。人柄」ですからいずれも「ひけらかされているもの」ですから、意味対応にも不足はありません。

なお、女将、おかみさんなどの「かみ」はタミル語cam-i[lady(婦人),mistress(女主人)]と対応します。

[5996] Re[5991]: 柱と杜と神  太田 伝也 [Mail] [Url] 2005/02/08(Tue) 07:49 [Reply]
初めて投稿します。

これはあくまでも私の私見なのですが。
神籬(himorogi)の語源は、
神霊(hi)天降る(amoru)木(ki)が約まって、音便が変化して、
himorogi(ひもろぎ)になったと考えます。

地鎮祭などの神籬祭祀での降神の儀などでも、
「天翔けり國翔けり坐して、此れの神籬に天降(あも)り坐せと・・・」
と言う段(くだり)がありますが、まさしく読んで字の如しだと思います。

> 5977
> ≫『神』を一柱、二柱とかぞえるのはなぜでしょうか
>
> 世界樹(生命樹)の概念の抽象化によるものだと思います。
> この概念は世界中に普遍的で、天と地をつなぐとか神の通り道などいろいろありま
す。

これに関しましてはとても共感を覚えます。

[5995] Re[5991]: 柱と杜と神  ZOU [Mail] [Url] 2005/02/08(Tue) 01:46 [Reply]
英訳云々からは離れる話なんですが、私も「日本の神々ってなに?」と思っているヤツでして、以下は概念的な話になるのかなあ。

> 日本における自然神としての多神ならいいですが、キリスト教的文化圏では人を神とすることを認めていませんから、祖先神の意で使うとあぶなそうです。

人を神として祀ることが神社の特徴とよく言われますが、私のように神社を訪れることがありながら神道(神社神道も古神道も教派神道も)を信仰していない者から見て、この特徴には違和感を感じ、また、その違和感のために信仰も持つことができません。だからこそご発言からの印用部分、たいへんスッキリと読めました。

土地神・山の神・川の神・水の神などなどの自然神ならば、概念の上では「精霊:the spirit」に近いのでしょうね。対して、祟りなす御霊神であろうが、菅公や田村麻呂、信長・家康であろうが、人を神として祀っていることに変わりはありません。同様に高天原神族などにも人を神としたと思える例があります。

自然神への祭祀も、人を神として(人格神ではなく人霊神と呼びたい)祀る場合も、どちらもが神社にて祀られているわけです。ですが、自然神への祭祀と人霊神への祭祀は別な宗教または別な祭祀方法である方がスッキリすると思うのは私だけでしょうかね。

[5994] Re[5975]: 畏きもの  565 2005/02/08(Tue) 01:34 [Reply]
初めまして。
以前とある神社で引いたおみくじに書かれていた歌です。
「八百萬 国津御神の数々も こもれしみわの杉のもろえだ」
そして、同じ根幹を有するのは何も「神」のみに限った事では
ないように私は思います。

[5993] RE「柱と座」    ワープ 2005/02/07(Mon) 23:40 [Reply]
「鎌倉時代以降は、座(寺社などに隷属する商手工業の同業者組合)を組織する(メイソン組織に類似かも?)鎌倉から南北朝にかけて祭礼の催物は極めて多彩で、神輿の御屋への渡御(とぎょ)の他、競馬・流鏑馬・獅子舞・相撲・田楽や後宴の猿楽などの芸能が、白山の神子や神人らによって行われていた(芸能関係?)」・・・・の記載ありました。

[5992] 柱と座  神奈備 2005/02/07(Mon) 16:15 [Reply]
 人間を勘定するのに「人」と「名」とが使われます。人間を直接勘定するのではなく、その代理として人間の名前を勘定すると云うことでしょう。

 で、延喜式神名帳では、春日祭神四座、高鴨阿治須岐託彦根命神社四座
、また狹井坐大神荒御魂神社五座などと「座」が使われています。座については、神社の数との見方もあるようですが、神餞を置く場所をさすものとの説があります。この場合には柱と同じように代理による勘定となりますね。

[5991] 柱と杜と神  かたばみ [Mail] [Url] 2005/02/07(Mon) 12:10 [Reply]

5990
≫神社(もりのかみ)とは{産土信仰、鎮守の森)と同じイミの神名(かみことば)で

三内丸山では村への道路の両側あるいは片側に墓がずらっと並んでいます。
守護者とみなす感覚からの配置で、祖先神としての鎮守様の源流がこれではないかと思っています。
おそらく、この時代では守護だけで、以下に書くような概念はまだ加わっていないと思いますけれど。

5977
≫『神』を一柱、二柱とかぞえるのはなぜでしょうか

世界樹(生命樹)の概念の抽象化によるものだと思います。
この概念は世界中に普遍的で、天と地をつなぐとか神の通り道などいろいろあります。

「巫」の文字の人ではないほうの工の部分。
伊勢の心御柱も諏訪の御柱も源は同じと考えています。
おそらくは縄文でも類似はあっただろうと思います。

中国では先史時代から世界樹を模したものがいろいろ出土。
中国では中国での特色というか、いろいろな飾りがたくさん追加されています。
魏志韓伝には大木を立ててこれに鈴や太鼓を吊り下げて祭る「蘇塗」という風習を書いています。

日本では日本の特色というか、飾りを廃してシンプルにする傾向があると思います。
その結果が1本の棒になり、「柱」の文字で表現されているのだと思います。

余談
神籬ヒモロギは中央に榊などの常緑樹を置き四隅を囲う。
神の降りる木を中心にした神域。small sanctuary of japan (^^;

白川静によれば、ヒ・モロ・キと分解して、ヒは神霊、モロは杜モリ。
杜は樹木の茂った神域。
土壇に木や竹を植えて、これをモリと呼ぶことがある、ともあります。
(うーん、木+土、その意かなあ)

「みもろ」のモロも同じであろうとしています。
大和の三輪山を「みもろやま」と呼ぶのもこのあたりかもしれない。
御杜でも蛇杜(^^; でもいいけど、大山津見オオヤマツミのミと同じで霊の存在する神域の意でしょう。
(大山津見神と書くと神が重なってしまいそう)


5989
≫エジプトのカルナックやルクソール、テーベ。ギリシャのアクロポリスや

吉村作治氏は the Temples of Karnak とか the Temples of Abu Simbel とやってます。
ギリシャでも temple ですね。

ちなみにBC500あたりのギリシャのイオニアに壁をめぐらせた神域sanctuaryがあり、ローマはこれを継承して神殿templesを作ったなんて記事があります。
ここには神域shrineもでてきます、文脈からするとtempleは建物に重きがあり、sanctuaryやshrineでは神のいる場所といった意味が重いようにも感じます。


余談
エジプトの神々は自然神からの発展抽象化によるものだと思います。
ギリシャも同系と思います。
いわゆる欧米でいう多神とはこれらの神々のことで、多神ではあっても日本の「多数の祖先神」とは根本的に異なるものと思います。

日本における自然神としての多神ならいいですが、キリスト教的文化圏では人を神とすることを認めていませんから、祖先神の意で使うとあぶなそうです。


[5990] 柱(ハシラ)  ヤマトは国のまほろば 2005/02/06(Sun) 10:08 [Reply]
> > 『神』を一柱、二柱とかぞえるのはなぜでしょうか?。

日本語の柱(ハシラ)は物名の柱(建材等)と、支える、教える等の複数の意味が在るようです。
よって物名以外で使用する場合いは、大自然や、国や、社会(地域)等、更には身近には一家等を支えるなどの存在に使用したようです。
古事記の冒頭の 此の三柱神者(このみはしらのかみは)の例は 万物を創造する「三っの実体、三っの原理」と云う支え柱、今風に云えば大自然の三大基本原理とでも称するのでしょう。
しかし日本語は面白いですね大は自然法則に、小は一家の主にまで「ハシラ」を使用するとは。

[5989] 神殿の英訳  恋川亭 2005/02/05(Sat) 23:45 [Reply]
 エジプトのカルナックやルクソール、テーベ。ギリシャのアクロポリスやパルテノン。これらの祭祀遺跡も『〜〜〜神殿』と紹介されていますよね。私のヒネクレタ感覚では異国の神社かいな?って印象なのですが、これらの施設を英語ではどう表記するのでしょうか。テンプルなんですか?

[5988] 雑感  ヤマトは国のまほろば 2005/02/05(Sat) 21:39 [Reply]
はじめまして、昨年あたりからちよくちょく拝見してます、なかなか素晴らしいサイトですね。

私自身は古いことや、古典に詳しいわけではないですが、興味だけはあります。
生来のへそ曲がりですので、完全に無視された苗代清太郎氏の音源、語源に基づく歴史、古典解釈に触れ、日本の歴史、精神性の奥の深さにいまさらながら驚いてます。

ちなみに神社は、返り点ヨミで「もりのかみ」と大和言葉(上古のコトバ)で読むそうです。
類似のものに、随神と書き、返り点ヨミで「かんながら」があります。
 
神社(もりのかみ)とは{産土信仰、鎮守の森)と同じイミの神名(かみことば)で、
神社を単に「杜(もり)、社(もり)」と日本語の記号で書かれたことも納得できるそうです。

それを中国式に「ジンジャ」と呼び日本語のイミを忘れてしまっているとのことです。

すいません、古典が大の苦手であった私としては孤高の研究者の解釈を拝借しました。  

 


[5987] Re[5975]: 畏きもの  かたばみ [Mail] [Url] 2005/02/05(Sat) 19:05 [Reply]

ある精神文化のいろいろが集約されている言葉、それを別の精神文化が集約されている言葉に置き換えるのはもともと無理な話だと思います。

日本でいう神様でも説明は容易じゃない。
祖先神(氏神)はその子孫を守護してくれる、自然神は人間に意地悪もする(祈り、畏れ)。
まるっきり違う。

ひっくるめるなら・・ a god of japan (^^; (God じゃなく a god です)
神社も同じです、shrine of japan (shrine には祭祀の場の意はないとは思うけど)

日本の神々ってなに?と思って調べる人もいるはずで、それでいいんじゃないかなあ。


[5986] Re[5984]: 神社の英訳  ochoz [Mail] 2005/02/05(Sat) 18:16 [Reply]
れふと様
 jinjaであれyashiroであれ、何でもいいのです。その心を世界に発信理
解していただければ。

[5985] 無題  klarin [Mail] [Url] 2005/02/05(Sat) 13:45 [Reply]
神社はshrine、多神教の神はdeityとして、英語では広く行渡っていますので、
それでいいのではないでしょうか。


[5984] 神社の英訳  れふと 2005/02/05(Sat) 02:55 [Reply]
はじめまして、ではないかもしれませんが。
「神社」の英訳について一言。

「神社」は日本語ですが、純粋な日本語ではありません。「ジンジャ」という音にはまったく日本語としての意味がありません。あくまで、「神」と「社」という外来の表語文字からなる熟語としてのみ意味を持つのです。それにも関わらず、ただ音訳して「jinja」とするのは、抵抗を感じます。
これは他の多くの日本語の英訳にも言えることです。

「jinja」よりは、日本語としての意味を持つ「yashiro」のほうがよいのではないでしょうか。

[5983] Re[5978][5977]: 柱  恋川亭 2005/02/05(Sat) 00:52 [Reply]
> > 『神』を一柱、二柱とかぞえるのはなぜでしょうか?。

ドドーンと、見たままじゃないですか?
あ、裏青草になってしまった・・・自粛。
『詳しくはどなたかにお願い致します。』

[5982] Re[5975]: 畏きもの  恋川亭 2005/02/05(Sat) 00:42 [Reply]
 他者の文化や伝統を、翻訳語で理解できるという思い込みがあれば・・・難しいでしょうね。微妙で困難なものだという「わきまえ」を持ちながら、理解への道を探ろうとするのが知性だと思いたいです。この辺のことは、翻訳家の方々のご意見が勉強になるカモ。

 世界に「一神教」ということで鳴らしている宗教の聖典を拾い読みして一言。『ぜんぜん、一神教ではないじゃないの?』と思ったのですが???それ以上は、裏青草世界ですな。

[5981] Re[5975]: 畏きもの  玄松子 2005/02/04(Fri) 23:29 [Reply]
ギリシャやローマの神々、インドヒンズーの神々も
英語では God のなのでしょうか。

> God 一般に一神教の「創造主」を意味すると思われます。、「God」を「神」と訳したのは最大の誤訳である。

「一神教」の”神”は、God を日本語訳したものですよね。
神→God という英訳が不可なら、God→神 という和訳も不可となりますね。

神の概念は難しいですが、God の概念も難しいもの。
宗教や文化など、言葉にしにくいものを訳すのは難しいですが、
訳さなければ、全く伝わりませんね。

[5980] Re[5975]: 畏きもの  ochoz [Mail] 2005/02/04(Fri) 20:25 [Reply]
皆様
はじめまして、神社を無理に英訳することはないと思います。ツナミ同様にjinjaとした方がいいと思います。なぜなら、西洋一神教の不寛容なところに理解が得られるはずがないからです。神社は、人類の文化です。世界に誇れる文化です。世界は、イラク戦争の実態に辟易としています。今こそ、八百万の神の心を世界にメッセージとして発信するときではないでしょうか?

今、アメリカには椿大神社がアメリカ人によって分社されています。禅は知識人の間では人気があります。また、三重のある神社がフランスに鎮座しようという話が新聞に出ていました。

誰か、日本発英語版・・神社の心を優しく、哲学として、文化として、PRして欲しいと念じて、全国一の宮巡拝を続けています。  注:宗教の定義を世界共通に出来る人はいないと思いませんか?。英語で勝手に一神教的に解釈されないために。
http://www.tsubakishrine.com/
http://www.ma.mctv.ne.jp/~mizuya-s/oshirase/oshirase_france.html

[5979] 奇蹟的発見の日  神奈備 2005/02/04(Fri) 18:47 [Reply]
 和歌山に高積神社と云う式内社があり、JR布施屋(ほしや)駅の南の神奈備山の山頂に鎮座。ここに近隣の小祠を合祀しており、その中に妻明神社もあり、合祀されました。妻明神社は伊太祁曽神社が分割されて祭神の一柱である都麻都比売神を祀った神社とされています。その跡地を探して、高積山の麓の集落をうろうろ。

 そう簡単には出てこないし、ご存じの方もおられそうでないので、高積神社の宮司さんに聞こうとして歩き始めたとたんに道を間違ったようで行き止まり。
 しかたがないので引き返そうとしていたら奥の畑から忽然と老人が出現、丁度並んで歩くタイミング、「妻御前社と云う神社がこの辺りにあったはずだが・・」と問いかけた所、「そこや、連れていったるわ」とほんの20m程、よく見ると蜜柑畑の一角に小祠、これが妻御前社で都麻都比売を祀っている。明治に内務省が耕地を増やすために神社を合祀した。この蜜柑畑と住居は神社の敷地だった。我々はそれ以来、講を作って旧地に祠を設けて祭祀を続けていると、実に明快なお話でした。

 祠の向かいの家で番地など詳しく聞きましたが、その祠のいわれはご存じなし、実に幸運にも素晴らしい老人に出会えました。

 写真掲示板参照下さい。

[5978] Re[5977]: 柱  神奈備 2005/02/04(Fri) 18:03 [Reply]
> 『神』を一柱、二柱とかぞえるのはなぜでしょうか?。

 伊勢神宮の最も重要な所は、本殿下の「心の御柱」です。ここに神が依りつくものとされています。柱と神が対応しているのでしょう。私の個人の思いですので、お近くの神社の神職さんにお聞き下さい。  

 この掲示板は表青草の別名があるようで、だから一つ青草話ですが、ある霊能者は祈祷を始めると、神が木々に降りてくるのが見えると言っていましたが、やはり一本の木に一柱の神だったようです。

 諏訪大社の御柱は元々はそう言ったものだったのかも知れませんが、詳しくはどなたかにお願い致します。

[5977]  七道の面 2005/02/04(Fri) 14:59 [Reply]
『神』を一柱、二柱とかぞえるのはなぜでしょうか?。

[5975] 畏きもの  神奈備 2005/02/03(Thu) 08:18 [Reply]
神社とか神道の神の英訳が話題になっています。
参考になりますので、概要を。

Our country is still "The Gods’ Country" やはりわが国は「神の国」

God 一般に一神教の「創造主」を意味すると思われます。、「God」を「神」と訳したのは最大の誤訳である。
deity 神道の「かみ」をあえて英訳しようとすれば"deity"の方が適切ではないかと
kami 本当は、kami、でいいのかも。


shrine 「神社」を英訳する場合、一般には"shrine"。
Jinja 本来"shrine"は「廟」を表すものですので神社はJinja

と言った所です。

日本の神の定義として本居宣長の「かしこきもの」が有名ですが、神奈備としてはフィンランドの森の妖精のような雰囲気で、spirit なども候補ではないかと思います。deityと言う単語は知りませんでしたので、字引を引きますと、神位、神格、神性、次に神(god)とあります。実際にどう言った使い方がなされているのか承知していませんので何ともはや。

八百万の神々は日本人一人一人の受け止め方が違うのかもしれません。神についての統一見解もないのでしょうから、これが日本の神の英訳だとは決め付けにくいのかも。


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