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掲示板のログ(平成十七年 三月)お名前の敬称は省略しています。

[6134] Re: 月待ち  神奈備 2005/03/31(Thu) 08:22 [Reply]
>  影向・・・と言えば、綴喜郡田辺町大住郷に月読神社。その南に神奈備である『甘南備山』と甘南備神社。さらにその甘南備山の北東麓の薪村(タキギムラ)に、薪神社があって、その境内に『月読神の影向石』があるそうです。

恋川亭さん、ありがとうございます。この前大住の月読神社へ参詣した時に読んだ記憶がよみがえりました。月黄泉神かも。
で、早速、甘南備山へ登拝、神奈備神社へ参詣してきました。当HPの守護神のような神様、発足以来X年、やっとお参りできました。
薪神社にある影向石、説明書きがなかったのですが、それらしく祭られていた石の写真は、写真掲示板に載せましたのでご覧下さい。『日本の神々5』と同じものかどうか・・・

> 持論(^^;
> もともと月読神は月弓であり狩猟系の神だったゆえに保食神(穀物神)を殺害するといった伝承があると考えています。

 何故、月読神が保食神を殺したのか、小生も考えていたのですが、答えは恐らくかたばみさんのおっしゃる通りだと思います。
 狩猟、山幸彦、かれは湯津香木に依りつきますが、月神の変化と見ていいのかも知れません。月神はまた潮汐をおこすことでは漁猟の守り神であったのかも。
 保食神ではなく、『古事記』では、穀神の大宣津比売を殺すの役割は素盞嗚尊、この神もまた田圃への攻撃など、反耕作の要素があります。また御子神の五十猛命は浮宝の神すなわち漁船の守護神で、農耕以前の神格を持っていたのでしょう。

 京都の嵐山の南に葛野坐月読神社が鎮座、これは壱岐からの勧請と伝わります。南九州と壱岐、これをつなぐキイワードが値嘉島(五島列島)なのかも知れません。朝鮮半島からの持ち込みの可能性もあるのでしょうが、対馬にはどうやら月読神は祭られていない(『平成データ』にない)ようで、南回りの神かも知れません。

> (海人の行動によって運ばれている可能性大)
そうでしょうね。安曇海人かな。

[6133] Re[6130]: 月待ち  かたばみ [Mail] [Url] 2005/03/30(Wed) 20:59 [Reply]

≫祭神が月の垂迹、月の影向であらわれたとの由緒を持つ神社をご存じでしたら

神仏習合での月神は知りませんが、日本古代文化の探求/隼人/大林太良編に隼人の月神信仰が書かれており、これが月読神社の母体になったと思われるとあります。
現在の京都府京田辺市大住池平の月読神社(月讀神社)のことだろうと思います。
(恋川亭さんの書かれてる田辺町大住郷の月読神社と同じと思います)

大隅半島や薩摩半島では「お月さんの綱」をない、「綱で輪を作って木の上にかける」や綱引きをおこない、月の出を待って相撲のように四股を踏む所作の行事などがあるそうです。
多くは八月の十五夜に行われ、子供達がカヤ(茅)の束を頭から被って踊ったり、薩南諸島では秋田のナマハゲに似た仮面を使う踊りもあるそうです。

薩摩半島ではこの神をオツットドン(お月殿とある)と呼んで牛や稲作につながり、大隅半島では蛇、粟、芋とつながるそうです。

綱引き行事に絞るなら、南九州と佐賀、長崎(壱岐)では八月ないし盆に行うことで共通し、小正月に行う別系と見える綱引きが熊本−大分−四国と九州を横断する形で分布するそうです。

持論(^^;
もともと月読神は月弓であり狩猟系の神だったゆえに保食神(穀物神)を殺害するといった伝承があると考えています。
九州南部は狩猟+焼畑の濃厚な地域ですから、比重が狩猟から農耕に移ったとき、月神が農耕神的に変化してもおかしくないだろうとも考えています。
ただし、大年神や大気都比賣神のごとき農耕の神が登場しない限りは、です。

肥前風土記の値嘉島(五島列島)の「容貌が隼人に似ており騎射を好む」の記述も、古代九州の南北での共通性に関連するものと思っています。
(海人の行動によって運ばれている可能性大)


[6131] Re[6130]: 月待ち  恋川亭 2005/03/29(Tue) 03:39 [Reply]
ただいま〜帰りましたです。ご無沙汰の挨拶に覗きました。
 木の上にあらわれて微笑んでいるといえば(美人をナンパしてたけど)、わがホホデミノ尊!?・・・月神ではなかったですね。(笑)

 月の神様と樹木・・・と言えば、『山城国風土記』逸文「桂の里」の条でしょうか。

 影向・・・と言えば、綴喜郡田辺町大住郷に月読神社。その南に神奈備である『甘南備山』と甘南備神社。さらにその甘南備山の北東麓の薪村(タキギムラ)に、薪神社があって、その境内に『月読神の影向石』があるそうです。

 自分で参拝したことはありません。白水社『日本の神々・5』(山城・近江編)に載っていました。お探しの神社とは異なると思いますが、ご参考まで。(隼人関係で読んでいたときにあったので。)
 某『大和的』宗家の月読霊の秘儀の描写にも、イチイの樹の梢に影向される月読神のシーンがあったような・・・?

 話しは変りますが、今日読んだ漫画から。星野之宣:著、小学館:刊、『神奈火』−忌部神奈・女の神話シリーズ−。女性史研究家・忌部神奈(ヒロイン)が、木花開耶姫や天宇受売神の伝説にからめた伝奇ロマン(フィクション)です。あの、『ヤマタイカ』や『宗像教授異考録』の作者ですな。面白かったですが・・・あくまでもフィクションです、念の為。
 

[6130] 月待ち  神奈備 2005/03/28(Mon) 20:36 [Reply]
『熊野権現垂迹縁起』(1163)
 熊野権現は唐の天台山から飛行し、九州の彦山(ひこさん)に降臨した。それから、四国の石槌山、淡路の諭鶴羽(ゆずるは)山と巡り、紀伊国牟婁郡の切部山、そして新宮神倉山を経て、新宮東の阿須賀社の北の石淵谷に遷り、初めて結速玉家津御子と申した。その後、本宮大湯原イチイの木に三枚の月となって現れ、これを、熊野部千代定という猟師が発見して祀った。これが熊野坐神社の三所権現である。
http://www.mikumano.net/meguri/hongu.html から


『高良玉垂宮神秘書』(1320)
築後国の高良大社の祭神は、「月神の垂迹」とあり、住吉神とともに神功皇后の船を先導したと云う。『日本の神々5 葛野坐月読神社』

 記紀にはなさそうですが、祭神を月(神)の垂迹と見る文献があります。実はノンカミ時代の京都での目撃記憶ですが、名前を忘れてしまった神社の前の由緒書きにやはり「月(だったと思う)が木に引っかかっていた云々」とあったように思います。
 1.どなたか、見た記憶はございませんか?どの神社でしたか?
 2.それ以外に、祭神が月の垂迹、月の影向であらわれたとの由緒を持つ神社をご存じでしたら、教えて下さいな。

[6129] とほかみえみため  PONTA [Url] 2005/03/27(Sun) 16:04 [Reply]
>「とほかみえみため」

祓いの祝詞ですよね。
「とほかみえみため」=「遠津御祖神笑み給え(とほつみおやのかみえみたまえ)」
でしょうけど、神道には流派があるので、違う解釈もあるでしょうね。禊教の「三種の祓」の教義も気になるところです。
漢字の表記もいろいろあって、よくみかけるのは「吐菩加美依身多女」とか「吐菩加身依美多女」とか。

 「とほかみえみため」が8文字ということは非常に意味深ですね。
 尾張氏関連で言うと、尾張一宮・真澄田神社の祭神・天火明命(尾張氏の祖神。ニギハヤヒ?)は8頭8尾の龍に乗って尾張にやって来たので、尾張は8郡に分かれたと伝えられています。
 中国の八卦にその起源を求めて、「八方を八元素をもって祓う」の意味と解釈される方もおられるとか。

 研究不足ですみません。

 「旅少女」に「熊野三山」をアップしました。

http://www2.wbs.ne.jp/~ponta/index4.htm

[6128] とほかみえみため  ニギハヤヒ 2005/03/27(Sun) 10:41 [Reply]
初めての闖入者ですが宜しくお願いします。
私の家は神道ですから、祝詞をあげますが、祝詞の最後に「とほかみえみため」
「祓えたまえ清めたまえ」と言います。
「とほかみえみため」は8人の王の名の頭文字を並べたものだと聞いたことが
あります。
PONTA様のHPを見て、「穂の国」とありますので、「ほ」は「穂」かも
しれない。「と」は「遠」、「か」は「加」、「み」は「三」、「え」は「江」、
「み」は「美」、「た」は「丹」、「め」は「?」と考えてみました。
これは尾張氏の王・神の名前かも知れません。
PONTA様はどう思われますか?

[6126] Re[6124]: 事解男命のこと  PONTA [Url] 2005/03/26(Sat) 22:18 [Reply]
> 事解男命は主祭神でないのにどうして

熊野速玉大神=事解男命説があります。
また、熊野三山として有名になってからの勧請でしょうから、第一殿(結宮)の神(伊邪那美大神・熊野牟須美大神・事解之男神)の1柱ですから、「主祭神でない」は言い過ぎかと思います。

*現在「三河の熊野神社」「遠州の熊野神社」を執筆中です。お楽しみに☆

http://www2.wbs.ne.jp/~ponta/index4.htm

[6125] Re[6124]: 事解男命のこと  神奈備 2005/03/24(Thu) 20:08 [Reply]
み熊野茶屋に書かれているのと同じ質問ですね。てつさんのお答えを読まれた感想をまず茶屋に書き込んでほしい所です。

 速玉は唾を吐いた時に生成された神、唾の木は椿で、榊の中の榊です。境界の神でもあります。この神には祓えの強力な機能があり、また、唾にはディープキッスの如く力強い生命力が宿るのでしょう。
 椿は照葉樹で南紀にはどっさりあります。また熊野川の流れは、不断に白い波をたて、それは玉のように見え、ハヤタマと称えられたのでしょう。熊野速玉大社はこれが融合したものとして速玉之神を祀ったのでしょう。

 で、み熊野ネットのテツさんが書いておられるように同時に生成された事解男之神をも祀ったのでしょう。この神は離婚の神のようで、往古のそれは三下り半より短く、一言で済んだのでしょう。一言主神もそう言う神かも。

み熊野ネットの掲示板の茶屋、2005/02/23を参照して下さい。
http://www.mikumano.net/Cgi-bin/honey/honey.cgi

[6124] 事解男命のこと  ひろむちゃん 2005/03/24(Thu) 16:16 [Reply]
先日、兵庫県小野市の熊野神社に参拝しました。
祭神は、伊邪那美命、速玉男命、事解男命の三神との表示がありました。
HPを確認しても、熊野三所権現の祭神として事解男命が各地でお祭りされています。
熊野の三神社(本宮、新宮、那智)では事解男命は主祭神でないのにどうして各地で
このようにお祭りされているところが多いんでしょうか?不思議です。

[6123] 3は聖数?  PONTA [Url] 2005/03/24(Thu) 01:10 [Reply]
> 三体の御神像については石鎚神社のページで見ました。山も三つでセットですか。必ずそうなのでしょうか?

神奈備様も

>英彦山でも山頂の三岳に阿弥陀、釈迦、観音の垂迹

と指摘されています。
PONTAの調査範囲で言うと、PONTAサイトの「二川巨石紀行」の「石巻山」が三河一の霊山ということで、修験道と関係しています。山は1つしかありませんが、南から見ると山頂付近は巨大な3つの石の壁であり、中央が天狗岩で、その両側が雄岩と雌岩と、3つで1セットになっています。
近くにある修験者が修行したという滝も男滝・女滝・不動の滝と3つで1セットです。

http://www2.wbs.ne.jp/~ponta/index4.htm

[6122] Re[6117]: レス  kaoru.N 2005/03/23(Wed) 19:21 [Reply]
PONTA様、説明を有り難うございました。

石鎚開山後も、剣嶽を男体山、彌山を女体山とする見方が、この山と関わる人たちの間に伝えられていったかどうか、それが知りたいことです。修験者たちを通して伝わっていった場合、信仰の対象というのが自然かと思いそう書きましたが、特に修験者に限定しなくてもいいのです。言い伝え等、何かの形で残っていないかということです。

三体の御神像については石鎚神社のページで見ました。山も三つでセットですか。必ずそうなのでしょうか?

>石鎚の修験者たちも剣山を男体山、弥山を女体山ととらえて、信仰の対象にしていると考えられますか?
> > 修験道では、出羽三山、熊野三山というように3つで1セットですから、男体山・女体山の2つで1セットというのは考えにくいですね。石槌山の3つの峰(弥山・天狗岳・大砲岩)で1セットなら分かります。ちなみに石鎚神社の神像も3体です。(石鎚大神の和魂=玉=仁、奇魂=鏡=智、荒魂=剣=勇の3体)

かたばみ様、情報ありがとうございました。それらしき山は見ましたが分かりづらいです。

>視覚的なことであれば、国土情報ウェブマッピングシステムをご紹介しておきます(試験公開中)

[6121] Re[6120][6118]: 広隆寺  神奈備 2005/03/22(Tue) 21:14 [Reply]
> 九条川原里・同荒見社里がどこなのか?わかりませんが、
> 吉祥院の中河原里あたりなんてことがあったら、

凄い示唆的です。
中河原里の北側に宮の西町、宮の東町がありますが、神社はどっかに遷座してしまったのか、地図では見当たりませんね。

荒見神社は式内で二社ありますが、城陽市の荒見神社の住所は富野荒見田と”田”がついています。丹後まで行きますと阿良須神社が2社。 惜しい。

月読神社の東600mに松尾吾田神町(まつおあだかみ)、ひょっとしますと、社殿は山の麓に遷座したとしても神域の一部分はそのままだったのかも知れません。遷座後3年で従一位、神域は相当広かったのでしょう。

[6120] Re[6118]: 広隆寺  ペギラ 2005/03/22(Tue) 17:26 [Reply]
少し視線がずれますが、広隆寺

『広隆寺縁起』は、蜂岡寺はもともと葛野郡九条川原里・同荒見社里にあったが、それを現在の地に移したと伝える。京都市北区白梅町にある北野廃寺が蜂岡寺の旧地であるとする説がある。しかし、二つの寺から出土する創生期の瓦の様相が異なっており、7世紀前半に別の寺として成立していたとする説もある。
引用
http://www.bell.jp/pancho/travel/taisi-siseki/temple/koryu_ji.htm

九条川原里・同荒見社里がどこなのか?わかりませんが、
吉祥院の中河原里あたりなんてことがあったら、
桂は目の前だ。
広隆寺の原形の寺が引っ越し、宇太地名まで引っ越したなんてことは??無いか(笑)

[6119] 松尾大社の磐座  神奈備 2005/03/21(Mon) 19:37 [Reply]
 山の上の磐座の写真が松尾大社発行の『まつかぜ19号』に載っています。
磐座は横に長く、向かって左側に龍の顔、中央付近に獅子の顔、それ以外にもじっくり眺めますといろんなモノが見えるようです。

http://kamnavi.jp/yamasiro/matuo.htm

[6118] 葛野坐月読神社の元地  神奈備 2005/03/21(Mon) 19:33 [Reply]
葛野坐月読神社の元地を歌荒樔田といいます。またそこは可濱、川の浜であ

って、水害による被害があるので、現社地の山裾に遷座しました。
歌荒樔田とはどこか、諸説がるようです。

大堰川の左岸では次の二箇所

嵯峨野の斎宮神社。有栖川に近い。荒樔からの連想。

http://kamnavi.jp/yamasiro/saiguu.htm

宇多野  ここは太秦の北側、ここが洪水なら広隆寺も引っ越し。

大堰川の右岸なら次の2〜3箇所
上桂の御霊神社 桂の木が生えていた。月神は桂に降臨すると言う。

http://kamnavi.jp/yamasiro/kami5ryou.htm

桂の上野 最近まで木々が茂った月読塚があったが、整地されて住宅になっ

てしまった。
http://kamnavi.jp/yamasiro/kadotuki.htm に近所の写真あり。

で、歌とは、大三元さんによるとウタはアイヌ語で砂、砂浜を言うとか。
残る荒樔田をどう理解するかですが、平凡に荒瀬、そうすると神域は川辺の砂地の荒れた神田のある所とでもやっておきましょう。

小生は、候補地は月読塚の場所だと思います。洪水にあいやすく、引っ越ししたくなるトップの場所で、なによりも月読塚が無関係に存続するはずがないこと。

[6117] レス  PONTA [Url] 2005/03/21(Mon) 00:08 [Reply]
>石鎚の修験者たちも剣山を男体山、弥山を女体山ととらえて、信仰の対象にしていると考えられますか?

修験道では、出羽三山、熊野三山というように3つで1セットですから、男体山・女体山の2つで1セットというのは考えにくいですね。石槌山の3つの峰(弥山・天狗岳・大砲岩)で1セットなら分かります。ちなみに石鎚神社の神像も3体です。(石鎚大神の和魂=玉=仁、奇魂=鏡=智、荒魂=剣=勇の3体)

[6116] 氷川神社  PONTA [Url] 2005/03/20(Sun) 23:08 [Reply]
 式内・氷川神社は『延喜式』に1座とあり、昔(1699年以前)は3座のうちのどれが本来の祭神か問題になっていたようですね。
 社名の「氷川」は、出雲国の「ひかわ」(肥川、斐伊川、簸川)の川上に鎮座する杵築大社(現出雲大社)から勧請したからだそうで、この社伝が正しいとすると氷川神社の祭神=杵築大社の祭神となりますが、杵築大社があるのは「神戸川」の「河口」であって、ひかわの川上ではないので、この社伝が正しいとは思えません。
 『新編武蔵風土記稿』によると、氷川神社は、本宮(簸王子社)、男体社、女体社に分かれていて、『延喜式』の1座とは(1)本宮であって、男体社と女体社は本宮の摂社、(2)男体社であって、本宮と女体社は男体社の摂社の2説があって論争になり、1699年に寺社奉行が「双方明証なきをもって、この後3社同格として甲乙の次第あるべからず」と判決を下したそうです。
 「『延喜式』では、本宮、男体社、女体社の3つセットで1座とした」という説もあります。また、『江戸名所図会』等では、摂社の荒波々幾社こそ社伝の孝昭天皇3年創建の神社であり、本宮、男体社、女体社の3社は記紀成立後に勧請されたものだとしています。

[6115] 菟足神社  PONTA [Url] 2005/03/20(Sun) 22:15 [Reply]
式内・菟足神社へ行ってきました。
先輩の社名説だと、
・社名は祭神の菟上足尼からか。
・そうでなければ、「小坂井町平井」という地名からも分かるように、湧き水が多い地であり「雨垂」か。
ということでしたが、今回の私たちの現地調査では、
1.菟上足尼に兎の足を持つ子が産まれた。
2.その子を柏木浜から海に流した。
3.その子が漂着した。
4.漂着した地に遷座し、社名を菟足に変更した。
ということでした。
その子は蹴鞠がうまく、いつも梅の木下で練習していたそうです。その梅は花が咲くけど実がならないそうです。(以上、地元民からの聞き取り調査)

あと、近くに坂田金時誕生地とお墓がありました。
ネットで調べてみると、坂田金時誕生地とか坂田金時のお墓ってたくさんあるんですね。この坂田金時の時代のことですら分からないということは、古代のことはもっと謎ですね。

[6114] 石槌山  PONTA [Url] 2005/03/20(Sun) 19:52 [Reply]
石槌山連峰の「瓶が森山」は、昔は「石土山(いしづちやま)」と呼ばれ、別名「女山」。近くに「男山」がある。

石鎚山は昭和20年まで女人禁制。女神でさえ登れない。男神(石鎚神)と一緒に女神(石槌神の妻)が登ろうとしたら「だめ。山頂から石を投げるから、石が落ちたところで待機しろ」と言われた。その投げた石が落ちた場所に建てたのが式内・伊曾乃神社で、投げた石が伊曾乃神社境内にある「大石」。(伊曾乃神社は公式サイトがあるので、石鎚山について質問すれば答えてくださるかも。)

[6113] Re[6112][6111][6101][6100]: 剣神社と素盞鳴尊  かたばみ [Mail] [Url] 2005/03/20(Sun) 00:27 [Reply]
≫楡山神社ホームページで近津が取り上げられていますね。

江戸名所図会と神社散策というコンテンツの榊神社で参照させてもらっています。
話がずれますが、
東京浅草の北に隅田川に面して今戸という地名があります(今戸神社)。
この地名は江戸以前では今津で、江戸になってから今戸に地名変更されています。
江戸以前ではこのあたりまで海だったのが、江戸開発で都市化して今戸に変更されたのだろうとみています。

近津と近戸、これも同じような理由じゃないかと思っています。
利根川の支流の各地に小さな船着き場があった、この時代が近津。
船着き場が発展してそこが集落となったとき、地名も近戸になったのではないか・・
利根川の地名も、戸の根、集落の根の川の意であろうと考えています。

関東の第六天社の多くは江戸時代の治水によって生まれた開拓地にあります。
これらは江戸時代に展開したわけで、だれがどのような理由で祀ったのか・・ぼちぼちと調査中。


≫> 岐阜で素盞鳴尊登場の必然性はあるのかなあ。
≫織田信長の影響も混ざっているのでは

中世はほとんどノータッチですが、信長がいかなる神(信仰?)をもっていたか、いろいろ議論があるようですね。
第六天魔王なんて論もある。(第六天神とは無関係です)
信長が素盞鳴尊に破壊のイメージを持っていたなら素盞鳴尊もありえるかなあ。


[6112] Re[6111][6101][6100]: 剣神社と素盞鳴尊  神奈備 2005/03/16(Wed) 22:25 [Reply]
> 近津、第六天
楡山神社ホームページで近津が取り上げられていますね。
http://nire.main.jp/rouman/ubu/tikata.htm

> 岐阜で素盞鳴尊登場の必然性はあるのかなあ。
織田信長の影響も混ざっているのでは。

[6111] Re[6101][6100]: 剣神社と素盞鳴尊  かたばみ [Mail] [Url] 2005/03/15(Tue) 20:00 [Reply]

≫熊野本宮の祭神が素盞嗚尊とされたり、また牛頭天王は役行者によって大峯山に勧請されたと伝えられています

同じくまったく霧の中ですが、関東では牛頭天王とは無関係に素盞鳴尊を祀ると見える社と牛頭天王系から明治以降に素盞鳴尊になった社(八坂神社系といってもいいのかな)がある。
女体とか男体といった表現が密教〜修験にあるとすれば氷川はその影響下にあったのかもしれない、といったところです。

秩父〜埼玉、このあたりには金鑽神社といった山を御神体にする社もあるし、諏訪とからむとなると近津や第六天も登場してくるのであります。

日本武尊が行く先々で地元の神を尊重して祀り、後に日本武尊も祀られるようになった・・そのように考えるとなんとなく見えるように感じています(近津、第六天のありようを包含できる)。

熊野速玉大社や那智大社では阿弥陀が習合されていますね。
これなんとなく台密系の修験??


≫剣と言えば草薙剣だからでしょうか?

社名としてはそのあたりでしょうね。
剣をもつ社の分布をざっとながめると偏りがあるようにみえます。
福岡、岐阜、埼玉、このあたりが濃密。

関東では日本武尊が地元の神(おそらくは諏訪源流の素盞鳴尊)を祀ったことが源でそこに素盞鳴尊がいるのだとみたい。
福岡の場合は日本武尊時代なら素盞鳴尊の痕跡が残っていて日本武尊が祀って不思議はないと思いますが、岐阜で素盞鳴尊登場の必然性はあるのかなあ。

氷川は素盞鳴尊(男体社)、櫛稲田姫(女体社)、大己貴命(簸王子社)だったともされる。
こちらは諏訪系の素盞鳴尊に熊野修験系?の男体とか女体の概念が加わったもので、日本武尊とは無関係だった系列か?


≫山の形状等、いったいどんな山なのか、気になり出し調べていますが

視覚的なことであれば、
国土情報ウェブマッピングシステムをご紹介しておきます(試験公開中)。
http://w3land.mlit.go.jp/WebGIS2/WH_WebGIS_np.html
ここで地域を指定してから空撮閲覧サービスへはいると自動車を識別できる空撮写真をみることができます。

たぶん全土をカバーしてます(^^)
立入禁止地域でも上空からちょっと失礼(^^;
石鎚山ですと石鎚神社らしきや大砲岩らしきを識別できます。


[6110] Re[6109][6108][6107]: 日本語って難しい!(補足)  神奈備 2005/03/14(Mon) 18:38 [Reply]
> <位置から考えると剣山>というのは、<弥山の近くにあり、名前に剣の一文字が入った山なので、剣山が剣嶽であろう>という意味でしょうか?

然りです。

> 天狗岳の可能性はないですか。弥山と天狗岳では、二つの(対の)山とは見なされないのでしょうか。

出来ればそうあってほしい気がしますね。その形から、天狗岳は剣山よりは尖っているように見えますので、可能性はあるのでしょうが、昔剣岳だったとの文献は承知しておりません。

[6109] Re[6108][6107]: 日本語って難しい!(補足)  kaoru.N 2005/03/14(Mon) 16:39 [Reply]

> > 剣山は、石鎚神社成就から夜明峠、そこから弥山更に天狗岳へ登拝の途中の山を云います。従って、石鎚山の剣山と申してよろしいかと思います。厳密には石鎚山系と剣山と云うことでしょう。

私も<石鎚山の剣山>の石鎚山を広く石鎚山系、石鎚山脈の意味でとらえていました。
ただ、なぜ剣山を男体山と見なしたのでしょう。剣山とは、歴史的に、山の形状等、いったいどんな山なのか、気になり出し調べていますが、簡単にはわかりません(今のところ愛媛の剣山で見つけたのは、西条市の剣山<鶴来山>城跡のみ)。弥山と対になる山ですよね。PONTA様のおっしゃるように、組み合わせとして天狗岳の可能性はないですか。弥山と天狗岳では、二つの(対の)山とは見なされないのでしょうか。

>  剣嶽(男体山)については未確認ですが、彌山の位置から考えますと、[6097] のかたばみさんのご指摘が頷けますね。(6099)

神奈備様の<位置から考えると剣山>というのは、<弥山の近くにあり、名前に剣の一文字が入った山なので、剣山が剣嶽であろう>という意味でしょうか?

[6108] Re[6107]: 日本語って難しい!(補足)  神奈備 2005/03/14(Mon) 08:09 [Reply]
> 今度はちゃんと伝わったかしら。

良くわかりましたヨ。

剣山は、石鎚神社成就から夜明峠、そこから弥山更に天狗岳へ登拝の途中の山を云います。従って、石鎚山の剣山と申してよろしいかと思います。厳密には石鎚山系と剣山と云うことでしょう。

> 「AのB・C」と書いてあるとき
には、AのB、AのCと理解するのは共通認識、AのB、AではないCの場合には、AのBとC、もっとわかりやすくはCとAのBとでも書くのでしょう。

[6107] 日本語って難しい!(補足)  PONTA [Url] 2005/03/13(Sun) 22:32 [Reply]
>意味がよく判りません。

「AのB・C」と書いてあるとき、
(1)「AにあるBとAにあるC」とも
(2)「AにあるBとAにないC」とも
とれると思うのですが、今回はBとCをひっくり返して「AのC・B」として、
(3)「AにあるCとAにないB」
という説を出された方がいらして、それを支持された方もおられたので、「そういう読み方も出来るのか。難しいなぁ」と感想を述べたまでです。

原文「石鎚山の剣嶽(男体山)・彌山(女体山)」において、
A:石鎚山
B:剣嶽(男体山)
C:彌山(女体山)

今度はちゃんと伝わったかしら。

http://www2.wbs.ne.jp/~ponta/index4.htm

[6106] Re[6105]: 日本語って難しい!  神奈備 2005/03/13(Sun) 17:51 [Reply]
> >で、剣の名のある神社を調べると多くが素盞鳴尊か日本武尊を祀っています。
> なぜ素盞鳴尊?
> 剣と言えば草薙剣だからでしょうか?

素盞嗚尊と日本武尊とがよく似た神格である事は江戸時代の国学者で再来とした方もいるようです。
何が似ているのか?
巡行神
農耕
荒ブル神から福神へ
相聞と神婚
草薙剣

ご指摘のように「草薙剣」の発見と献上、かたや受領と活用と云うことですかね。

> ひっくり返して読めば
この辺り、本当に「日本語って難しい」、意味がよく判りません。

[6105] 日本語って難しい!  PONTA [Url] 2005/03/13(Sun) 00:59 [Reply]
>愛媛県石鎚山の東北に剣山があります。

なるほど。私は、「石鎚山の剣嶽(男体山)・彌山(女体山)」と読んで「石槌山の3つの峰のうちの2つの峰の剣嶽(男体山)・彌山(女体山)」ととらえたんです。ですから、天狗岳は剣の形をしてるし、修験者が入山してからの呼称でしょうから、それ以前は剣岳と呼ばれたのかなと考えてみました。神奈備様が支持されているように、「石槌山の3つの峰のうちの1つの峰の彌山(女体山)とその向かいの剣嶽(男体山)」と剣嶽(男体山)と彌山(女体山)をひっくり返して読めばよかったんですね。

>で、剣の名のある神社を調べると多くが素盞鳴尊か日本武尊を祀っています。
なぜ素盞鳴尊?

剣と言えば草薙剣だからでしょうか?
素盞鳴尊の八王子を八剣と言うとか。

http://www2.wbs.ne.jp/~ponta/index4.htm

[6104] かたばみ様へ  PONTA [Url] 2005/03/12(Sat) 03:25 [Reply]
>ただし石鎚山の隣の剣山ではなく、徳島県の剣山で大剣神社などがあります。
>登山愛好家には周知の山のようです。

登山愛好家だけではなく、古代史研究家、特に日ユ同祖論者には超有名な山です。
ソロモン王の秘宝が隠されているのだそうです。

[6104] かたばみ様へ  PONTA [Url] 2005/03/12(Sat) 03:25 [Reply]
>ただし石鎚山の隣の剣山ではなく、徳島県の剣山で大剣神社などがあります。
>登山愛好家には周知の山のようです。

登山愛好家だけではなく、古代史研究家、特に日ユ同祖論者には超有名な山です。
ソロモン王の秘宝が隠されているのだそうです。

[6103] Re[6102]: ありがとうございました  神奈備 2005/03/11(Fri) 21:38 [Reply]
> 石鎚の修験者たちも剣山を男体山、弥山を女体山ととらえて、信仰の対象にしていると考えられますか?

推測と類推でお答えするしかありませんが・・・・

英彦山でも山頂の三岳に阿弥陀、釈迦、観音の垂迹を見たとあり、熊野三所権現と同じように南俗躰岳を釈迦垂迹、北法躰岳を阿弥陀垂迹、中央女躰岳を千手観音垂迹としているわけで、観音は一応女体ですから、神仏混淆の場合、このセットが多いので女体山が登場するようです。ここには男体山はありませんが、俗躰・法躰とは男の姿の詳しい形なのでしょう。

然りと思います。

[6102] ありがとうございました  kaoru.N 2005/03/11(Fri) 04:03 [Reply]
公仁様、PONTA様、かたばみ様、神奈備様、いろいろと情報をありがとうございました。
石鎚山の近くの愛媛の剣山ですね。
もしこの剣山が剣嶽とすると、石鎚の修験者たちも剣山を男体山、弥山を女体山ととらえて、信仰の対象にしていると考えられますか?

[6101] Re[6100]: 剣神社と素盞鳴尊  神奈備 2005/03/10(Thu) 20:24 [Reply]
> 密教と修験と氷川・・興味深いラインが見えてきそう。

 英彦山の由緒を『日本の神々1』で見ていましたら、八幡神・香春神と彦山権現とのかかわりの伝承が語られており、彦山の原始山岳信仰に宇佐系・朝鮮系シャーマニズムの合体と云う形が進行していき、そこに天台宗が結びついて、天台系の彦山修験道が成立したとありました。
 
 宇佐の八幡神や香春神と云えば、新羅系となり、素盞嗚尊もしくは牛頭天王がその守護神として登場してくるわけで、例えば熊野本宮の祭神が素盞嗚尊とされたり、また牛頭天王は役行者によって大峯山に勧請されたと伝えられています。

 で、これを氷川神社に導こうとすれば、素盞嗚尊だけでいいのか、それとも修験と双並びの山々との関係を考えるのか、小生には未だラインは霧の中。

[6100] 剣神社と素盞鳴尊  かたばみ [Mail] [Url] 2005/03/09(Wed) 20:20 [Reply]

kaoru.Nさんの質問のおかげで「剣」についていろいろ興味深い事象(きっかけ)がみつかりました、感謝。

西日本での最高峰が石鎚山、次の高峰が剣山。
ただし石鎚山の隣の剣山ではなく、徳島県の剣山で大剣神社などがあります。
http://k2project.web5.jp/kinki/turugisan/turugisan.htm
登山愛好家には周知の山のようです。

修験の山ですね、たぶん。
で、剣の名のある神社を調べると多くが素盞鳴尊か日本武尊を祀っています。
なぜ素盞鳴尊? そこで思い浮かんだのが関東に多い氷川神社、各論ありますがもとは女体社と男体社であったともいう。
密教と修験と氷川・・興味深いラインが見えてきそう。


[6099] Re[6092]: 無題  神奈備 2005/03/09(Wed) 17:04 [Reply]
kaoru.N さん こんにちは。

 土佐は葛城の鴨朝臣が土佐守を任じられたりしている鴨氏とはかかわりの深い土地のようです。土佐から伊予への道を作ったりしているとのこと。その作業の中には後世役行者となる小角も混ざっていたとか伝えられているそうです。
過去ログの[1498]の内容は、賀茂朝臣家の末裔の方から頂いたメールを紹介したものです。
剣嶽(男体山)については未確認ですが、彌山の位置から考えますと、[6097] のかたばみさんのご指摘が頷けますね。
 神社縁起などは、社記に残るもの以外に、地域や」末裔のお家にいろいろ伝わっているものがあるようです。菅原道真公の末裔の方のお家にも古文書は残っているようで、ひもとくことができましたら、歴史の違った側面を知ることができるのかもしれません。

[6098] VIVA!カンナビ  千田寛仁 [Url] 2005/03/09(Wed) 16:48 [Reply]
 ところで、大倭日高見については、第9代開化天皇の時代その長臑彦の子孫が全国を「統合」したことによって、以前アサクラ、ミズホと呼ばれた奈良も一時は日高見と言ったわけです。

 歴史のページに色々書いてますんで、お楽しみあれ。

 ここらでおいら募集です。紀元前の日本史を編纂するべく、ボランティア仲間の募集です。ボランティアの名前は編集した本に残します。監修は私です。
 あなたの歴史データを託してみませんか。名前が残ります。
 篤志話し合いの上で、やるきのある人は挙手ください。


 条件は・お金をかけないこと。
    ・発生した財源は均等分配
    ・その中から基金によって「日本歴史義塾」を開く  「意識」のある人

 管理人さん参加というか発起人に並んでくだされ!らせらっ!

[6097] Re[6090]: 女体山・男体山  かたばみ [Mail] [Url] 2005/03/08(Tue) 11:52 [Reply]

≫剣嶽というのは現在石鎚のどの山を指すか、どなたかご存知ないでしょうか。

国土地理院地図検索ページ
http://watchizu.gsi.go.jp/
検索画面→地名公共施設→石鎚山
http://watchizu.gsi.go.jp/cgi-bin/watchizu.cgi?id=50335005&slidex=1681&slidey=762

愛媛県石鎚山の東北に剣山があります。これかどうかはわかりませんけれど。

[6096] Re[6078][6074][6070][6067][6057]: 日本人のルーツは、シベリアの筑紫??  かたばみ [Mail] [Url] 2005/03/08(Tue) 11:48 [Reply]

≫こういった海外の研究者のについて情報を調べるには

私ならば、
国内でも海外でも、どこかに所属している方ならその団体の受付、本を出している方なら出版社に手紙をだして、連絡する方法をたずねます。
素人の相手などしてられないよ、となるかもしれませんがこれはしかたないでしょう。

[6095] PONTA様  公仁 [Mail] [Url] 2005/03/08(Tue) 08:23 [Reply]
魔法神社とはどんな神社なのでしょうかねぇ?
確かに和歌山にしろ岡山にしろ狸はたくさんいますから、狸でも不思議はないですね。
うちの近所の淡路島にも「芝右衛門狸大明神」なる神社もありますし、狸や河童などが○○大明神として祭られている場合も多いみたいです。
魔法神社…魔=魔物、法=教え=魔物の教えを伝える神社、などと仏教的な解釈もしてみたくなります。
もしかしたら「貧乏神神社」のように個人が運営する神社だったりして?
とりあえず岡山県や和歌山県の掲示板に行ってみます。

[6094] どうも  PONTA [Url] 2005/03/08(Tue) 04:58 [Reply]
古代史研究サークルPONTAです。
今日は「持統天皇」をアップしました。
http://www2.wbs.ne.jp/~ponta/index4.htm

公仁様
神社庁登録外だと現地調査しかないですね。あとは、そこに住んでる人に聞くとか。(たとえば、岡山県のことなら、岡山県人が集まってる掲示板に書き込めば、情報が得られるかと。)ところで、魔法様って狸?

kaoru.N様
>石鎚山の剣嶽(男体山)・彌山(女体山)
「彌山」は石槌山の3つの峰(弥山・天狗岳・大砲岩)のうちの、石槌神社がある弥山のことでしょ。剣嶽(剣岳?)は天狗岳のことかしら。

[6093] 無題  公仁 [Mail] [Url] 2005/03/07(Mon) 21:45 [Reply]
kaoru.Nさん>こちらの管理人さんである「神奈備さん」は水曜日までお出かけ中みたいですよ。

[6092] 無題  kaoru.N 2005/03/07(Mon) 18:52 [Reply]
こんにちは。前回(6090)、初めてお邪魔したということと、神社や神様のことを語り合うお部屋ということで緊張のあまり、初めましての挨拶すら書き忘れて、質問だけ投げかけたような文面のまま、あわてて送信してしまいました。後であっと思ったのですが....。大変失礼いたしました。そこであらためまして、初めましてKAORU.Nです。よろしくお願いします。答えのヒントになるような、小さなことでも結構ですので、どなたかお分かりになる方、教えてください。よろしくお願いいたします。

[6091] 調査結果  公仁 [Mail] [Url] 2005/03/07(Mon) 12:34 [Reply]
和歌山県神社庁に電話にて問い合わせたところ、「魔法神社」なる神社の登録はなしとのことでした。
試しに岡山県の「魔法神社」について、岡山県神社庁HPにて検索をしてみた結果、該当する神社はありませんでした。
村かなにかで管理する小さな神社なのかもしれません。

[6090] 女体山・男体山  kaoru.N 2005/03/07(Mon) 03:06 [Reply]
四国にも女体・男体と対になるような山があるのか知りたいと思い、さがしています。女体山、男体山、というと一般的には日光や筑波山が有名ですが、香川県さぬき市にも88番大窪寺のある女体山という山があります。が男体山と名のつく山は近くにありません。いろいろ探していたところ、< h13.7月 1498 式内社の土佐国の葛城男神社・葛城メ神社は石鎚山の剣嶽(男体山)・彌山(女体山)を神奈備として祭祀した石鎚信仰の原型とされています。>という過去ログの一文が検索で引っかかり、この部屋に導かれてきました。彌山(女体山)は弥山のことかなとわかりますが、剣嶽というのは現在石鎚のどの山を指すか、どなたかご存知ないでしょうか。また、石鎚神社で検索しても、剣嶽(男体山)・彌山(女体山)というような説明はありませんでしたし、土佐国の葛城男神社のページを見ても、石鎚山の剣嶽(男体山)・彌山(女体山)を神奈備として祭祀した...ということは書いてありませんでした。どなたか門外漢の私にも分かるよう、簡単で結構ですので説明してくださる方はいらっしゃいませんか。よろしくお願いいたします。

[6089] 失礼しました  PONTA [Url] 2005/03/07(Mon) 01:07 [Reply]
神南備様ではなく、神奈備様でした。
神様(霊山?)のお名前を間違えてすみませんでした。

http://www2.wbs.ne.jp/~ponta/index4.htm

[6088] 公仁様へ  PONTA [Url] 2005/03/06(Sun) 23:54 [Reply]
お役に立てなくてすみません。
でもきっと神南備様が情報を下さることでしょう。

今日は「一宮」をアップしました!

http://www2.wbs.ne.jp/~ponta/index4.htm

[6087] 見つかりませんでした。  公仁 [Mail] [Url] 2005/03/06(Sun) 12:23 [Reply]
パソコンの地図にて一時間ほど探してみたのですが、とうとう発見できませんでした。
紀三井寺とか根来寺を見ていた時の地図でしたから和歌山だとは思うのですが・・?
明日、仕事の昼休みにでも和歌山県神社庁に電話をしてみます。

[6086] Re[6085]: ありがとうございます。  神奈備 2005/03/06(Sun) 06:17 [Reply]
> 神奈備さん、PONTAさんありがとうございます。
> 昨日地図で調べた時には、和歌山の根来寺の右上の方で「魔法神社」の表示を見たような気がしたのですが、正確な位置をもう一度調べなおしてみます。

その辺りなら魔王神社は鎮座しています。

[6085] ありがとうございます。  公仁 [Mail] [Url] 2005/03/05(Sat) 23:41 [Reply]
神奈備さん、PONTAさんありがとうございます。
昨日地図で調べた時には、和歌山の根来寺の右上の方で「魔法神社」の表示を見たような気がしたのですが、正確な位置をもう一度調べなおしてみます。

[6084] 公仁様へ  PONTA [Url] 2005/03/05(Sat) 22:44 [Reply]
古代史研究サークルPONTAです。
ちょっとネットで調べてみましたが、岡山の魔法神社しかヒットしませんね。
図書館で『和歌山県神社誌』を探すか、和歌山県神社庁に問い合わせるかですね。平成祭りデータとか。
小さな神社だと神社庁管轄外のこともありますが、地図に載ってる神社でしたら、神社庁に問い合わせれば多分教えてくださいますよ。
http://www2.wbs.ne.jp/~ponta/index4.htm

[6083] 公仁様へ  PONTA [Url] 2005/03/05(Sat) 22:30 [Reply]
古代史研究サークルPONTAです。
魔法神社って、岡山だけじゃなくて、和歌山にもあるんですね。
初耳です。情報ありがとうございました。
http://www2.wbs.ne.jp/~ponta/index4.htm

[6082] Re[6081]: はじめまして  神奈備 2005/03/05(Sat) 20:55 [Reply]
公仁さん こんばんは。

 和歌山と云っても広うござんす。

 小生明日早朝より旅、安芸の宮島、英彦山温泉、宗像大社、香椎宮など。水曜日夜以降に調査しましょう。

[6081] はじめまして  公仁 [Mail] [Url] 2005/03/05(Sat) 19:54 [Reply]
はじめまして、公仁と申します。
こちらのHPはいつも拝見させていただいているのですが、書き込みは初めてにります。
よろしくお願いいたします。
先日、和歌山県の地図を見ておりましたところ、偶然に「魔法神社」なる神社を見つけました。
この神社についてネットで調べてみましたが、全く情報が掴めません。
どなたかご存じの方がいらっしゃいましたらお教えいただけませんでしょうか。
よろしくお願いいたします。

[6080] どうも  PONTA [Url] 2005/03/05(Sat) 12:06 [Reply]
古代史研究サークルPONTAです。
今日は「村積山」(AYA先輩作)をアップしました。
http://www2.wbs.ne.jp/~ponta/index4.htm

[6079] どうも  PONTA [Url] 2005/03/04(Fri) 18:05 [Reply]
古代史研究サークルPONTAです。
今日は「七福神」をアップしました。
http://www2.wbs.ne.jp/~ponta/index4.htm

[6078] Re[6074][6070][6067][6057]: 日本人のルーツは、シベリアの筑紫??  陸奥九十九 2005/03/04(Fri) 04:36 [Reply]

こんばんは。

> よーくごらんください。Gase News Pageとあります。
> ガセネタ、嘘ニュースであると書いてあるわけで、良心的(^^;
> オキノフ博士とやらを調べても無駄かも(^^;

ガセネタ・・・・。
ショックですね。

でも、ウラジオストック大学 オキノフ博士 とかにかぎらず、
こういった海外の研究者のについて情報を調べるには、
如何したらよい出のでしょうか?

例えば、今回のオキノフ博士に関しても、ウラジオストック大学 の
ホームページを調べても、それらしい人物の名ありませんでした。

他にも調べてみたい研究者がいるのですが・・。

[6077] Re[6074][6070][6067][6057]: 日本人のルーツは、シベリアの筑紫??  玄松子 2005/03/03(Thu) 17:37 [Reply]
> で、これの上位にある頁は
> http://www.geocities.jp/masasoe/archive.html
>
> よーくごらんください。Gase News Pageとあります。
> ガセネタ、嘘ニュースであると書いてあるわけで、良心的(^^;
> オキノフ博士とやらを調べても無駄かも(^^;

そのサイトの別のページ。
http://www.geocities.jp/masasoe/weekly/970427.html
「すでに日本にもUFO基地は存在した?! 」
僕も、神社でこのようなUFOを見たことがあります。
陸奥九十九さん、調査してみませんか?

[6076] 今日のアップ!  PONTA [Url] 2005/03/03(Thu) 17:00 [Reply]
古代史研究サークルPONTAです。
今日は「幻の穂国」「三河国内神明帳」をアップしました。
http://www2.wbs.ne.jp/~ponta/index4.htm

[6075] Re[6073]:[5958] 都麻都姫神社を祀る平尾の里人の為の青草話。  神奈備 2005/03/03(Thu) 12:34 [Reply]
佐渡の渡津神社では五十猛命はずばり渡しの神として祀られています。素盞嗚尊も新羅から土で造った船で来ていますから渡しの神とされていたことでしょう。角上神社を津の神と読んでも渡しの神になります。
興味ある視点だと思います。ありがとうございました。

玄松子さんの角上神社
http://www.genbu.net/data/iki/tokami_title.htm
玄松子さんの覩上神社
http://www.genbu.net/data/iki/tonokami_title.htm

角上山は見晴らしがいいようで、掲示板[4989] 対馬航路でカタバミさんがカシミールで作図してくれています。

http://tokyo.cool.ne.jp/woodsorrel/data/3d_tushima.jpg
壱岐の中央部、石田町湯岳射手吉触の角上神社(標高115m)から唐津湾と対馬、対馬から半島の遠望です。
楽鎮海?

[6074] Re[6070][6067][6057]: 日本人のルーツは、シベリアの筑紫??  かたばみ [Mail] [Url] 2005/03/03(Thu) 12:30 [Reply]

≫一般に販売されている書籍で勉強されるのでしょうか

勉強じゃないけど市販の書籍です。
途中まで読んでやーめたというのもありますが、運がよければ優れた同人誌とかローカル学会誌に巡り会うこともあります。

陸奥九十九さんが紹介されてるHPに「幻の超古代帝国アスカ/五島勉」が書かれていますね。
私の読んでいないというのはこれのことです。
で、これの上位にある頁は
http://www.geocities.jp/masasoe/archive.html

よーくごらんください。Gase News Pageとあります。
ガセネタ、嘘ニュースであると書いてあるわけで、良心的(^^;
オキノフ博士とやらを調べても無駄かも(^^;

最近で読んだその手の本は「神々の指紋/グラハム・ハンコック」かなあ。
ここに書かれていることにどれだけ疑問を提示できるか、いろんな手練手管が盛り込まれているので腕試しになるかも(^^;


[6073] Re:[5958] 都麻都姫神社を祀る平尾の里人の為の青草話。  玄松子 2005/03/03(Thu) 09:40 [Reply]
>  素盞嗚尊が降臨したとされる鳥上峰(船通山)の付近に

鳥上と船通に関して、少し思い出したこと。
鳥上=トカミと読むと面白いかもしれない。

壱岐に、角上(とかみ)神社や覩上(とかみ)神社というのがあって、祭神は素盞嗚尊。
壱岐では河川の渡し場を「ト」と呼ぶらしく、ト神は、渡りの神らしい。

[6072] Re[6070][6067][6057]: 日本人のルーツは、シベリアの筑紫??  神奈備 2005/03/03(Thu) 08:08 [Reply]
> 確かに、世界地図を調べると、インドにアスカはありました。
地図で見つけられるとは凄いですね。
アスカの類似かな。
キスカ 太平洋のアッツ島
クスコ ペルーの古都
ナスカ インカ、地上絵

[6071] 新コンテンツ  PONTA [Url] 2005/03/02(Wed) 20:47 [Reply]
「三遠南信応援団」に「日本武尊」をアップしました!

http://www2.wbs.ne.jp/~ponta/index4.htm

>最近のアスカ○○○本 って、どんな本ですか?
>何処から出版されている本でしょうか??

もしかして、学研のMUブックス?

[6070] Re[6067][6057]: 日本人のルーツは、シベリアの筑紫??  陸奥九十九 2005/03/01(Tue) 22:56 [Reply]
情報ありがとう御座います。

訪問させて頂きました。
かなり本格的に調べられているんですね。
一般に販売されている書籍で勉強されるのでしょうか!!??


> ある推論に興味を持ったらその推論がいかなる情報に基づいて導き出されているのかをまず調べる必要があります。

その通りだと思います。一生懸命しらべているのですが・・・・。無いですね。
ウラジオストック大学のオキノフ博士が、どんな研究をされた方なのか?
大学のホームページを調べても、その様な名前の博士の名前は、
見つかりませんでした。
退官されたか? それとも、他の大学に移られたのか?
ご存知の方いますか?


[6069] Re[6068][6067][6057]: 日本人のルーツは、シベリアの筑紫??  陸奥九十九 2005/03/01(Tue) 22:47 [Reply]
こんばんは

結構多くの皆さんが、書き込みに答えてくれたのでうれしく思っています。

> 古代史というより『ちゃんとしたオカルト分野』です。でも最近のアスカ○○○本よりも、遥かにマ・ト・モなのでケチつける気は毛頭ありません。

最近のアスカ○○○本 って、どんな本ですか?
何処から出版されている本でしょうか??
確かに、世界地図を調べると、インドにアスカはありました。
しかし、そこに古代遺跡があるような情報も無く、一体情報源はどこなのか??
非常に関心があるところです。
是非教えてください!! 読んでみたいです。

>  『ちゃんとしたオカルト分野』と言っても、マダム・ブラバツキーみたいな本流じゃないですけどね。ジョージ・アダムスキー『空飛ぶ円盤搭乗記』やら、チャーチワードのムー大陸本やら、デニケンの宇宙考古学本やら・・・、レトロで懐かしいですナ〜。

昔からあるんですね〜。

>  ・・・とは言えど、板違いでしたネ。レトロ・オカルト板でお会いしましょう。(^^)/?

レトロ・オカルト板 ってなんですか??

[6068] Re[6067][6057]: 日本人のルーツは、シベリアの筑紫??  恋川亭 2005/03/01(Tue) 01:28 [Reply]
> ≫インドのアスカという地名を偶然見つけた五島氏は日本の飛鳥地方と
>
> その本をお読みにはなっていらっしゃらないようですが、まずは読まねばならないですね。
> (私は読んでいません(^^;)

 20年以上も前に本屋で立読みした記憶が・・・、ノン・ブックス刊でしたっけ?
古代史というより『ちゃんとしたオカルト分野』です。でも最近のアスカ○○○本よりも、遥かにマ・ト・モなのでケチつける気は毛頭ありません。ゴトー・ベン氏の著作は興味本位にのみ取り上げられる傾向(ノートルダム関係ね)が多いですが、70年代の初期から公害や人心荒廃への警鐘について一貫して変わらないことを評価すべきじゃないのかな〜?
 『ちゃんとしたオカルト分野』と言っても、マダム・ブラバツキーみたいな本流じゃないですけどね。ジョージ・アダムスキー『空飛ぶ円盤搭乗記』やら、チャーチワードのムー大陸本やら、デニケンの宇宙考古学本やら・・・、レトロで懐かしいですナ〜。今となっては、SFマガジンの作品や挿絵と同様、貴重な『お宝』文化だと思っていました。(まさか、現在進行形で、感動なさってる方々がいらっしゃるなんて!!?)それはそれで(と自覚するならば)、とても面白いカルチャーなので遊びましょう!
 ・・・とは言えど、板違いでしたネ。レトロ・オカルト板でお会いしましょう。(^^)/?


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