神奈備掲示板の案内とログ

神奈備掲示板

青草談話室、写真掲示板 過去ログ

掲示板のログ(平成十七年 八月 2005.8)お名前の敬称は省略しています。

[6590] もとの住吉神社はどこ  神奈備 2005/08/31(Wed) 22:35 [Reply]
江戸時代の作家の上田秋成は本居宣長と論争するほどの国学通でした。その彼は住吉三神の鎮座した「大津の渟中倉の長狭に居さしむべし」との場所を莵原住吉と見ています。所謂本住吉と呼ばれる場所です。
それは広田神社、生田神社、長田神社と地理的に並ぶのは莵原住吉であること。
後世の土佐日記などは津守氏の祀る現在の住吉大社の記述があるのは、多くの住吉神社の中で格別に発展したからに過ぎないと云う。一つの見識だと思う。
ライバルである本居宣長も莵原を主張する。長狭住吉の長狭とは北の山から海際に突き出た狭さきの意を述べたもの、また仁徳天皇以降に天皇よって莵原から津守へ遷されたとしています。

[6589] すっきり?  くず右衛門 2005/08/30(Tue) 19:31 [Reply]
>現地でいろいろな人に聞いてみると、とてもスリリングで面白いものですヨ。
>ここに投稿されている方々はそのようにして、わかったことを書き込んでいるのです。ガンバッテください。

なんだか変に、ひょっとしたら怪しく? 続いていた「九頭神社」質問。掲示板の常連さま?の回答には失礼なのですが、"をじさん"のご回答ぶり、方法とも感動です。
(といっても、まだ返事の書込み方にムラがあるような、なさそうな・・)

[6588] マル中さんへのおせっかい  をぢさん 2005/08/30(Tue) 17:34 [Reply]
> 和歌山県那賀郡那賀町おおず中の九頭神社です。

あなたの対象としている九頭神社は、ここ↓ですね。
『神奈備にようこそ』サイトから、あえて改行や区読点等をつけて抜粋します。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「紀の国 古代史街道 紀ノ川上流域」編
『九頭神社』(紀の川市那賀町麻生津中1)
http://kamnavi.jp/ki/itonaga/oudu9du.htm

【祭神】天素佐男命、大国主命、稲田姫命

【由緒とお姿】
『建立年代は不詳。 大和国山辺の九頭神は磐座で水神を祀る信仰のように見えるが、
当九頭神社は巨木信仰の少し離れているが麻生津川の水神を祀ったものと思われる。
巨木としては、黒金黐(くろがねもち)と白樫(しらかし)が見事である。
黒金黐は内皮を剥いて鳥もちを採る。
社殿前の広場にその勇姿を見せている。
白樫は本殿向かって左側(北側)にあり、周囲4m弱、高さ20mに及ぶ。
農具の柄などに使用される。』

【紀伊續風土記】
「巻之三十八 那賀郡 麻生津荘 中村」から
『九頭大明神社
  境内森山:東西一町、南北一町三十八間
  本社:二間半、二間、三扉、左右廳、舞台、鳥居二基。
  末社:下司社、公文社、露伏社、祇園社、祓戸社。
村の坤の方にあり、一荘の総産神なり、
総の旧家い下司公文露伏という三家あり、
神主は此家より支配するなり、
当社祀神社傳には三種神器を表すといふ、
本地佛は中央馬頭観音左右普賢文殊といふ、
一年五度の祭礼ありて中に正月午日を重祭とす、
又外に九月二十八日を荘の祭日とすといふ。』
(引用加工おわり)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
『麻生津』(おおず)ですか。興味深い。あなたは、那賀中の学生さんですか?
 那賀町役場とか、北涌の不動寺のご住職さんとか、麻生津小の先生などでご存知の方がいらっしゃらないかどうか、自転車で聞いて回ってみてはいかがですか?もう、時間は少ないと思いますが・・・。
 現地でいろいろな人に聞いてみると、とてもスリリングで面白いものですヨ。ここに投稿されている方々はそのようにして、わかったことを書き込んでいるのです。
ガンバッテください。

[6585] 無題   2005/08/30(Tue) 15:34 [Reply]
自由研究ではないです。
総合で調べるようになっているんです。
私は、九頭神社の名前の由来を調べるんです。
けど、みなさんが教えてくださったサイトのどこをみればいいのか
よくわからないんですけど、どこをみればいいんでしょうか?

[6584] Re[6583][6582][6579][6575]: 無題  玄松子 2005/08/30(Tue) 15:29 [Reply]
> 夏休みの宿題です。

本当ですか?
自由研究として「九龍神社の社名の由来を調べよう」なら考えられますが、
ネットの掲示板で「教えてください」「出来るだけ早くお願いします」では、自由研究とは言えませんよ。

[6583] Re[6582][6579][6575]: 無題   2005/08/30(Tue) 12:40 [Reply]
> > 夏休みの宿題だから急ぐのでしょう。
>
> そんなに難しい宿題はありえないでしょう。
>
> まして、宿題ならば、ただ回答を出せば良いということではなく、
> どのように回答を得るかが重要でしょう。質問の仕方一つも学習のはず。

夏休みの宿題です。
神奈備さん
ありがとうございます
参考にしてみます

[6582] Re[6579][6575]: 無題  玄松子 2005/08/30(Tue) 11:09 [Reply]
> 夏休みの宿題だから急ぐのでしょう。

そんなに難しい宿題はありえないでしょう。

まして、宿題ならば、ただ回答を出せば良いということではなく、
どのように回答を得るかが重要でしょう。質問の仕方一つも学習のはず。

[6581] Re[6580][6579][6575]: 無題  神奈備 2005/08/30(Tue) 08:25 [Reply]
> 和歌山県那賀郡那賀町おおず中の九頭神社です。

このの神社の社名の云われは承知していません。

クズと呼ばれた理由のいくつかを想像して・・・

上質な澱粉である葛を貢進していたので。
クズとなのる民人が入植したから。
権力者から屑の民と蔑まれたから。
非差別民がこんちくしょうと氏神にクズの名をつけた。
天津神に対して国津神をクズ神と呼んだ。
などなど。
サイト「神奈備掲示板 くず 特集」
http://kamnavi.jp/log/kuzukuzu.htm
をご覧下さい。

自分で調査した内容を披露して頂いて、それをみんなで論議したいものです。

[6580] Re[6579][6575]: 無題   2005/08/30(Tue) 08:11 [Reply]
> 夏休みの宿題だから急ぐのでしょう。
> ちなみに、あなたが対象にしている(考えている)九頭神社とは、どこの九頭神社ですか?
> その九頭神社の所在地を書き込んでみてください。手がかりになるかもしれません。
和歌山県那賀郡那賀町おおず中の九頭神社です。

[6579] Re[6575]: 無題  をぢさん 2005/08/29(Mon) 22:09 [Reply]
> なぜ九頭神社っていうんですか?

夏休みの宿題だから急ぐのでしょう。
ちなみに、あなたが対象にしている(考えている)九頭神社とは、どこの九頭神社ですか?
その九頭神社の所在地を書き込んでみてください。手がかりになるかもしれません。

[6578] Re[6573][6571][6570]: 無題   2005/08/29(Mon) 22:07 [Reply]

> お急ぎでしたら、次をご参照下さい。
> http://kamnavi.jp/jm/kuzukami.htm
どこをみたらいいんでしょうか?

[6577] 無題   2005/08/29(Mon) 22:07 [Reply]
なぜ九頭神社っていうんですか?

[6576] Re[6565]: ほっこり  弁財天 [Mail] 2005/08/29(Mon) 21:54 [Reply]
> > 飛騨の方等遠くからも来られるとのことでした
> 飛騨と云えば、両面宿儺、位山や日輪神社などの磐座、
>  そういう所の方が八ツ岩に来られているのは何故なんでしょうか。面白いお話で
>す。
飛騨の方ではYさんとおっしゃる方が「飛騨天孫降臨説」を唱えておられたと思います。あるいはそういったことと関連してかも知れませんね。「飛騨天孫降臨説」自体はちょっと信じ難いですが・・。

[6575] 無題   2005/08/29(Mon) 21:08 [Reply]
なぜ九頭神社っていうんですか?

[6574] Re[6573][6571][6570]: 無題   2005/08/29(Mon) 21:04 [Reply]

> お急ぎでしたら、次をご参照下さい。
> http://kamnavi.jp/jm/kuzukami.htm
どこをみたらいいんでしょうか?

[6573] Re[6571][6570]: 無題  神奈備 2005/08/29(Mon) 19:17 [Reply]
> > 九頭神社の名前の由来が分かる人教えてください
> >
> 出来るだけ早くお願いします
>
お急ぎでしたら、次をご参照下さい。
http://kamnavi.jp/jm/kuzukami.htm

[6572] 操作  神奈備 2005/08/29(Mon) 19:15 [Reply]
PUREさんと云う方が、6513〜6516のReplyのみを書き込んでいましたので、削除いたしました。

[6571] Re[6570]: 無題   2005/08/29(Mon) 18:47 [Reply]
> 九頭神社の名前の由来が分かる人教えてください
>
出来るだけ早くお願いします

[6570] 無題   2005/08/29(Mon) 18:42 [Reply]
九頭神社の名前の由来が分かる人教えてください

[6565] ほっこり  神奈備 2005/08/29(Mon) 17:47 [Reply]
> 飛騨の方等遠くからも来られるとのことでした

飛騨と云えば、両面宿儺、位山や日輪神社などの磐座、上野の垣内の巨石群や環状石垣、川沿いの伊太祁曽神社など、また縄文時代以前からの遺跡も出ていて、実に興味深い地域ですね。
 そういう所の方が八ツ岩に来られているのは何故なんでしょうか。面白いお話です。
 場所が分かりにくいだけで、人をイヤがっている訳ではないと思います。岩の傍にいますと、穏やかで温かい感じが伝わってくる気がします。

[6564] 八つイヤ?  おおなむち 2005/08/28(Sun) 21:34 [Reply]
八つ岩は、あまり人を寄せつけたくないみたいですね。
わたしも、人だのみでなしに、ぜひ探索してみたいです。
人工的に配置された遺跡かもしれませんしね。楽しみ。

[6563] Re[6562][6560]: 無題  弁財天 [Mail] 2005/08/28(Sun) 20:58 [Reply]
ありがとうございます。
そうでしょうね、地図を見ながら地元の方も結構「ああでもない、こうでもないと」
苦労しておられました。


> > 弁財天さん
>
> 香具(KAG)@恋川亭です。

>  メールアドレスを添えておきます。↑

[6562] Re[6560]: 無題  恋川亭 [Mail] 2005/08/26(Fri) 18:19 [Reply]
> 弁財天さん

香具(KAG)@恋川亭です。
 隠したり、勿体ぶったりする気は毛頭ありません。私はレイダースではありませんから。ただしスプリガンかもしれない(笑)。
 位置については、神奈備先生のレスにある通りです。また、この掲示板の過去レスを丹念に探して頂ければ、私も探索状況を投稿しています。

 神奈備先生が回答された位置まで車で行けば、あとは林道を15分くらい歩くと到着です。しかし、磐座は、その林道から見えません。斜面に位置しているため、地形と樹木により道からは見えないのです。有効な目印は無いのですが、ある地点から林道を脇にそれて山に入ります。そのある地点が説明しづらいということです。
 メールアドレスを添えておきます。↑

[6561] 大田  神奈備 2005/08/26(Fri) 16:20 [Reply]
 堺の泉北ニュータウンの入り口にあたる泉ヶ丘駅の北東1.5kmの所に式内社の陶荒田神社が鎮座しています。かっての住居表示は陶器村大字太田字上之(ウエノ)です。大田森に神社を創建したと伝わっています。
『崇神紀』に、「茅渟県の陶邑に、大田田根子が見つかり、おつれした。」と出ています。陶邑とは陶器産業の盛んな町と云うことでしょう。また『古事記』には、「河内の美努の村にその人(大田田根子)を見得て、貢進りき。」とあります。神社の南東数百mに見野山があり、同じ場所を指しているようです。
 ここの住居表示は陶器村大字太田字上之ですが、この「大田」が大田田根子と関係があるのかないのか、関係があるとすれば、大田の田根子さんと云うことになります。

 大田田根子さんがおもむいた三輪山の麓に展開する巻向遺跡は太田遺跡とも云われます。JR巻向駅はまさに太田にあります。箸墓古墳の北側を太田といいます。ここに他田坐天照御魂神社が鎮座、この神社の地から見ると日の出は、立春・立冬は三輪山山頂付近、春分・秋分は巻向山頂上付近となり、日読みの地であったと指摘されている。

 大田田根子さんは大和古来の豪族の子孫で、その豪族は侵入者崇神一派に滅ぼされてしまい、かろうじて傍流の大田田根子さんが生き残っていたのかも。もしくは実は崇神一派など作文であって、大和の中枢を支配していたのは大田田根子さんだったのかも。だから大神氏や鴨氏の祖と崇められたとも言えます。ホケノ古墳が大田田根子さんの墓との説もありました・・・。

[6560] 無題  弁財天 [Mail] 2005/08/25(Thu) 15:14 [Reply]
台風接近のせいかやや雨風がありましたが、長滝町の九頭神社に行ってきました。
帰りに神社近所の村人(ご老人)に事情をお話しして、八つ岩のことを聞きましたら、飛騨の方等遠くからも来られるとのことでした。ご本人は外出間際のご様子でしたが、親切に直ってくださり道順を説明くださいました。
なにせ目のあまり良くない二人が1/25000の地図を見ながらですので、完璧に理解し得たか疑問ですが、日を改めて実際に行ってみたいと思っています。
(ご老人は)郡山の方(住所等不明)がよくご存じとおっしゃていましたが、
ひょっとすると恋川亭さんでしょうか。

[6559] TVドラマの予告より  恋川亭 2005/08/20(Sat) 14:05 [Reply]
大三輪ファンのみなさま、こんにちは。(なんちゅう挨拶やねん)
たまたまNHKを見ていたら、こんな番組の予告がありました。

連続ドラマ(総合:毎週月曜〜木曜 午後11時〜11時15分)
『ダイヤモンドの恋』(8月22日より6週連続 全24回)
http://www.nhk.or.jp/23renzoku/

 この予告編では、桜井市がドラマの舞台で、大神神社などでロケしていました(門前のあの!そうめん屋もでてきます)。遺跡の発掘勾玉を掘り出すシーンもありました。考古学ファンの俳優、苅谷俊介さんも共演しています。三輪周辺のイナカ〜イナカ〜した雰囲気が画面からも伝わってきます。(笑)
 お住まいが遠くて、大神神社に行けない方は、雰囲気でもご鑑賞ください。

[6558] お礼と権現様  まる 2005/08/20(Sat) 12:18 [Reply]
神話の森の番人さま
早速御ご丁寧にご教示頂きありがとうございます。
社の裏手にはわが一族の墓地(江戸時代のものが多いが大半は石でで
きた屋根つきの小さなもので時代不詳)があるので、納得しました!
ずーっと昔から私たちを守ってくれてたんですね、すごいです。
このHPを見てると、これまで何にも感じなかった身近な社や神社に
歴史とロマンを感じます。昔はしんきくさいと思っていた地域の歴史
を調べたくなってきました。
家の裏の山に王子権現様とよばれる小さな変なのがあるんですが、小さな
石段を登ると備前焼の狛犬があって、奥に石がぽつんぽつんと4-5つ離れ
て置かれてるだけなんです。。。これもみんなでなんだろうと言ってるんです。「佐伯町の宇佐八幡宮が郷社」となくなった祖父が言ってたのですが、神社な
のになんで石がぽつんぽつんととしかないのだろうと。。。
こんなことってわかんないですよね??

[6557] Re[6555]: 恐縮ですが 「祝神」  神話の森の番人 [Url] 2005/08/20(Sat) 11:45 [Reply]
まるさん、こんにちは
> 社の中には「祝神大神」と書いてあるのですが、

長野県地方に関しては、「祝神」はイワイジン、いうぇーじん」と読み、同族の祖神の意味になっています。個人の家の守護神でもあり、同族が住む村の氏神になっているのもあります。特定の何何命という神のことではなく、いわば「普通名詞」です。
http://www.city.suwa.nagano.jp/scm/i/i-na/31_ma/~ma_01.htm

西日本では、外来の厄払いの神のように云う例があり、
近畿では祝(シュク)は宿のことで琵琶法師が「祝神」を祭ったという論述もありました。
以上は「祝神」をキーワードに検索した結果のページを参考にしました。

[6555] 恐縮ですが  まる 2005/08/20(Sat) 10:00 [Reply]
初めまして。。少し調べたいことがあって、検索をかけたら
こちらのホームページが出てきたので、書き込みさせてもらいます。

私の家には小さな社があるんです。
でも家族の誰もそれが何であるか知らないのです。
社の中には「祝神大神」と書いてあるのですが、
これが何か教えていただけないでしょうか?
このことについて書いてあるホームページや、
書物でもよいので教えてください。お願いします。

[6554] お送り  琉球松 2005/08/19(Fri) 13:09 [Reply]
 神話の森の番人さん、ありがとうございます。

 琉球圏でも文化周圏論は適応できると考えられますから、古い民俗が王都首里から遠い島々に残っているのでしょう。
 我々沖縄島民が失った民俗の捜索に力を入れたいと思いますね。

 ところで、旧暦7月15日今日の琉球列島は「ウークイ・オーホリ(お送り)」の日で、先祖を見送る日とされていています。
 しかし原初的には、弥生時代中期に南下してきた「女神アマミコ」達を丁重にお送りするものだったのではと考えながら祭を行いたいと思いますね。
 これは、歴史を探るだけではなく、古代日本を継承して行きたいからなんです。

[6553] Re[6537]: 無題 額の水の出典  神話の森の番人 [Url] 2005/08/19(Fri) 11:14 [Reply]
琉球松さん、こんにちは
「額の水」についての出典などです。

> 沖縄島では元旦に若水をくみ,神棚,仏壇,かまどに若水をあげ,家族はその水で〈お水撫で〉をする。若水はスディミズともいわれ,生命を新しくする水という意味がある。マブイ込めやはしかの時にも水をつけた指先で額をなでる行為を行う。先島では夏季のシチ(節)にこの水をくむが……(平凡社世界大百科辞典、饒平名健爾 執筆)

井之口章次著『日本の葬式』(ちくま文庫)にも、「沖縄ではマブイ(魂)の抜けた子供にマブイツケルとき、茶碗の水を子供の額につける」とあります。http://nire.main.jp/sb/log/eid30.html

[6551] Re[6550]:生命樹と図像  かたばみ [Mail] [Url] 2005/08/18(Thu) 20:20 [Reply]

なにからなにを感じとれるか、いろいろに楽しめるところですね。
固執しすぎると危ないけど。

下図は河南省{サンズイ+僕}陽ボクヨウから出土した龍と虎とされる貝で作られた図柄です(年代不明)。
http://woodsorrel.cool.ne.jp/data/yannsyao_dragon.jpg

中国人が多種多様であることはDNA分析でもそうなるようです。
http://www.tcn-catv.ne.jp/~woodsorrel/kodai/dna/dna.html
ご興味あらばDNAと日本人5など参照


[6550] Re:生命樹と図像  沖縄フアン 2005/08/17(Wed) 09:54 [Reply]
かたばみさん おはようございます。
資料は画像を含めてすべて保存させていただきました。有り難うございます。

前漢?(BC202−AD8)双龍円鼎生命樹の画像を注意深く見ると、
メインの生命樹は7個の額縁で囲まれていますね。
外の額縁と6番目の額縁は1対の螺旋の遺伝子に見えてしまいます。
外から2番目の額縁は上下に歯形紋、左右には横線(縦線?)が切られているようです。
この横線(縦線?)は画文帯神獣鏡の線と同じものでしょうか。
外から3番目はひし形が、

4番目の額縁には龍と鳳凰だけではなく、狗もいるようです、鳳凰のようにみせた正体不明の生物はなんでしょうか。
又、動物、鳥の進行方向が違うのは集合と拡散の岐路を表しているのでしょか。

5番目の額縁は3番目の額縁と同じでひし形の対ですね。
7番目の額縁も2番目の額縁と対ですね。

四隅に置かれた七枝樹(列島の七枝刀)又、上の鳳凰の頭の○は七枝樹にもあり、これらとほぼ対象のの位置にあり○も4個ある。

メインの生命樹は興味津津です。
魚は海人の意味でしょうか。
4匹の魚のうち3匹は東を向いています。
漢も西の影響が強かったことを物語ているようにみえます。
水盤の魚も東向きで、それが生命の樹の養分となっているかのように見えます。

不安がのこりますが、もしかして双龍円鼎生命樹は混血の縮図ではと、かんぐってみました。

[6549] Re[6532]: 生命樹と図像  かたばみ [Mail] [Url] 2005/08/16(Tue) 19:46 [Reply]

沖縄ファンさん、こんにちは。
≫シュメール印章と殷の「双胴き龍文」の文様は同じ七枝樹(生命樹)だと思います。

「中国の生命の樹」の著者は河姆渡文化(BC5000〜)はシュメールと海路で交流していたという論を提示していますが・・
先史文化参考図
画像1
(最近では「夏」に相応するのが二里崗文化が確実になってきているようです)
画像2
(大モン口文化は列島が大陸とつながっていた時代に遡れば縄文と兄弟であったとみています)

以下ちょいと青草。
交流したのはBC35000〜BC2000頃の長江文明(良渚など)とインダス文明(モヘンジョダロやハラッパ)だと考えています。
長距離輸送できる力と富を持ち、それを求める者が登場したとき、その条件がそろったときです(≒都市国家の登場)。

インダス文明の輸出品は宝玉、長江文明は絹、メソポタミア文明はおそらくは銅ないし青銅。
それぞれが持っていないものを相手に求めた。

最古とみえる帆船の図はエジプトでBC4000以前のようですが、後のエジプト船が外洋航海できないところからは、ひょっとすると海運のメインは長江〜東南アジアが担当した可能性あり。
小規模かつ短距離の場合は別として、交易が行われる条件がそろうのはBC3000頃で、河姆渡時代ではまだ無理だとみています。

http://woodsorrel.cool.ne.jp/data/monyou_bousuisya.png
「中国の生命の樹」の著者はこれらを太陽の旋転と見ていますが、私は絹糸が紡がれてゆく様を表すとみています。
インダス文明とメソポタミア文明が交易していたことはBC2500頃の粘土板にも書かれています。
中国で青銅が登場するのはBC2300頃からであり、この交流で伝わったのならぴたりです。
メソポタミアから絹が出土すれば決定・・かなあ(^^;

しかし、BC2000頃からの世界的な気候異常によってそれぞれの文明は衰退し交易も途絶えた。
いわゆる洪水神話の時代で、地域によっては寒冷化であり乾燥化でもあり、列島では縄文文化の衰微です。
東西の交易の再開には2千年近くを待つことになります。
青草段落。


そして歴史時代
http://woodsorrel.cool.ne.jp/data/monyou_toutetu.jpg
上記のような図像からも殷の饕餮紋などの紋様は良渚文化の影響下のものとみています。

前漢?(BC202−AD8)双龍円鼎生命樹の画像は先の生命樹にありますが、周辺の図を含めたものを再度。
http://woodsorrel.cool.ne.jp/data/seimeijyu_kan01.png
水瓶と生命樹、魚と龍と鳳凰、これがこの図像のテーマだと考えています。
中近東や西アジアに興味ある方々には4隅にある7枝の燭台?に目がとまるかも。

http://woodsorrel.cool.ne.jp/data/seimeijyu_shokudai.jpg
エルサレムの7枝燭台(メノラー)が生命樹からのデザインであるのは確実と思っています。
前漢時代では中近東やローマとの交易が盛んですから、双龍円鼎生命樹での燭台らしきものはそのデザインを使っている可能性もあるかもしれません。

写真の後漢の燭台は三星堆の生命樹などと共通する流れに思えますが、中国文物はとにかくいろいろなものの複合体といったところか。


[6547] Re[6546][6545]: 桃尾の剣  弁財天 [Mail] 2005/08/16(Tue) 08:39 [Reply]
恋川亭様
ありがとうございます。
以前にだいぶ苦労をして八つ岩に至られた方のお話しだと思いますので、
謹んで拝聴いたします。


>  弁財天さん、横から失礼します。
> 日の谷にある八つ岩の件につきまして、私からも少し述べさせてください。多少「イケズ」な態度に受取られるかも知れませんが、「公正」を期したいという思いからで他意はありません。
>
> (1)神奈備先生のレス、[6536](2005/08/14)と[6540](2005/08/15)は、実はこれでも非常に詳しいご回答なのです。掲示板でやりとりをするには表現の難しいルートです。現地に行けば、きっとご理解されると思います。まず、長滝町の九頭神社は事前に参拝されて、周囲の地形を確認しておくべきかと思います。
>
> (2)それでも、1度や2度の現地探索で辿り着けるとは思えません。多分、最後の脇道への入り方が判らず迷うだろうと予想できます。(そこに案内板でもあれば可能ですが)
>
> (3)どうしても!というならば、メールにて直接、神奈備先生と連絡をとられた上で、個人的な面談をお願いされたらいかがでしょうか?
>  但し、神奈備先生のご了承を得られるか、ご都合があうかについては、私の保証の限りではありません。
>
> (4)これは石上神宮の神主さま、禰宜さまとのお話しの中で聞いたことですが・・・。
> ・現在もずっと祭祀を継続されている篤信家の方がいらっしゃること。
> ・八つ岩へ参拝しようとして、道に迷い大怪我をされた方がいたこと。
> ・マムシが多い地域で危険なこと。
> という3点を理由に、インターネット等でむやみに詳細位置を公表することは考慮してほしい、というご意向でした。(不特定多数相手に、ということです。面談したりして人柄が判れば別です。)
>
> (5)日の谷八つ岩への登拝は、誇張ではなく、本当に大勢の皆さんのご好意・ご協力により達成できました。
>  私は、その結果を公開して還元することにやぶさかではありませんが、方法(形)は考えたいですね。『情報の通りに行ったら、迷ったではないか!』とお叱りを受けたくありませんから。
>
> (6)これは山中にある他の磐座でも同様ですが。夏・秋は、虫・蛇・草が多い為、通常はオフシーズンです。冬場に行きましょうヨ!
>
> (7)傲慢かもしれませんが、行の目的や信仰形態によっては、ご紹介等をお断りする場合があるかもしれません。原則として、現在の祭祀者・神宮・山の地主・管理人・村の方々への遠慮を保持していたいですから。

コメントありがとうございました。良く理解出来ます。
また個別に連絡させていただき可能であればさらなる情報をいただこうと思います。


> (8)質問させてください。
> > Re[6538]:天理桃尾の降龍伝説について  弁財天さん(2005/08/14)
> > 龍福寺(落ちた龍の冥福を祈るための寺)
>
> 龍福寺の名前の由来が「落ちた龍の冥福を祈るための寺」とは知りませんでした。出典はどちらでしょうか?
> 私は「剣が降臨し、八龍がその剣に従って来た」とばかり思っていました。ドラゴンは「お守りさん」だと。

今時点では出典といえるほどのものはありません。
天理市史の748pに「この日の谷に天下った竜の冥福を祈るため、竜福寺が
建てられ寺号となったのか、あるいは竜腹で竜神に対する信仰によるのかも知れない」と書かれています。もう少し吟味してみます。

> (9)念のためですが・・・
> > 天理大学の図書館に龍福寺境内図その他
> > 山中正治氏の見取り図
>
> 磐座位置の特定には、あくまでも「参考程度」にされることが良いかと思います。
> JR天理駅前の地下駐車場が完成して以来、駅前はスッキリときれいになりましたね。実はタクシー乗り場の手前に天理市全体の大きな航空写真があります(金属板に焼付印刷)。よく見ると日の谷もチャ〜ンと写ってます。「八つ岩はこの辺!」と指で示すことができますよ。
確かに航空写真がありましたね。興味があったので以前カメラで撮ったことが
あります。私は半ば地元(大和郡山)ですが、神奈備様は紀州でしょうかまた
恋川亭 様は・・・。

> 以上、僭越な表現で失礼いたしましたが、当然弁えていらっしゃることと期待しています。
4年あまり通年滝行をしてきたのですが、今まで歴史的な背景はあまり知りませんでした。最近仏塔を建てられた日本山妙法寺の方にニギハヤヒの遺徳や当地の特段の霊地としてのいわれをお聞きして、是非ともよく知りたいと思っています。なかば忘れられている当地がふさわしい輝きを取り戻すようにとも願っています。

[6546] Re[6545]: 桃尾の剣  恋川亭 2005/08/16(Tue) 00:55 [Reply]
 弁財天さん、横から失礼します。
日の谷にある八つ岩の件につきまして、私からも少し述べさせてください。多少「イケズ」な態度に受取られるかも知れませんが、「公正」を期したいという思いからで他意はありません。

(1)神奈備先生のレス、[6536](2005/08/14)と[6540](2005/08/15)は、実はこれでも非常に詳しいご回答なのです。掲示板でやりとりをするには表現の難しいルートです。現地に行けば、きっとご理解されると思います。まず、長滝町の九頭神社は事前に参拝されて、周囲の地形を確認しておくべきかと思います。

(2)それでも、1度や2度の現地探索で辿り着けるとは思えません。多分、最後の脇道への入り方が判らず迷うだろうと予想できます。(そこに案内板でもあれば可能ですが)

(3)どうしても!というならば、メールにて直接、神奈備先生と連絡をとられた上で、個人的な面談をお願いされたらいかがでしょうか?
 但し、神奈備先生のご了承を得られるか、ご都合があうかについては、私の保証の限りではありません。

(4)これは石上神宮の神主さま、禰宜さまとのお話しの中で聞いたことですが・・・。
・現在もずっと祭祀を継続されている篤信家の方がいらっしゃること。
・八つ岩へ参拝しようとして、道に迷い大怪我をされた方がいたこと。
・マムシが多い地域で危険なこと。
という3点を理由に、インターネット等でむやみに詳細位置を公表することは考慮してほしい、というご意向でした。(不特定多数相手に、ということです。面談したりして人柄が判れば別です。)

(5)日の谷八つ岩への登拝は、誇張ではなく、本当に大勢の皆さんのご好意・ご協力により達成できました。
 私は、その結果を公開して還元することにやぶさかではありませんが、方法(形)は考えたいですね。『情報の通りに行ったら、迷ったではないか!』とお叱りを受けたくありませんから。

(6)これは山中にある他の磐座でも同様ですが。夏・秋は、虫・蛇・草が多い為、通常はオフシーズンです。冬場に行きましょうヨ!

(7)傲慢かもしれませんが、行の目的や信仰形態によっては、ご紹介等をお断りする場合があるかもしれません。原則として、現在の祭祀者・神宮・山の地主・管理人・村の方々への遠慮を保持していたいですから。

(8)質問させてください。
> Re[6538]:天理桃尾の降龍伝説について  弁財天さん(2005/08/14)
> 龍福寺(落ちた龍の冥福を祈るための寺)

龍福寺の名前の由来が「落ちた龍の冥福を祈るための寺」とは知りませんでした。出典はどちらでしょうか?
私は「剣が降臨し、八龍がその剣に従って来た」とばかり思っていました。ドラゴンは「お守りさん」だと。

(9)念のためですが・・・
> 天理大学の図書館に龍福寺境内図その他
> 山中正治氏の見取り図

磐座位置の特定には、あくまでも「参考程度」にされることが良いかと思います。
JR天理駅前の地下駐車場が完成して以来、駅前はスッキリときれいになりましたね。実はタクシー乗り場の手前に天理市全体の大きな航空写真があります(金属板に焼付印刷)。よく見ると日の谷もチャ〜ンと写ってます。「八つ岩はこの辺!」と指で示すことができますよ。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

以上、僭越な表現で失礼いたしましたが、当然弁えていらっしゃることと期待しています。

[6545] Re[6540][6539]: 無題  弁財天 [Mail] 2005/08/15(Mon) 22:55 [Reply]
> 聖地として恐れられていたのでしょう。
> 昔は大国見山から東への道があったそうですが、今は途絶えているようです。
ありがとうございます。
南側は寺もあり禁足地域とはいえ、実際には出入りが
あったからでしょうね。
先に提示いただいた資料からすると、桃尾山、鳥見山というのは
今の大国見山のようですが、先の山中正治氏の見取り図にある
ビライテンの祀られているところの小山は名前があるのでしょうか。
ある人からこちらが(桃尾山龍福寺に近いという意味からか)桃尾山だと
聞いたことがありますが。
またビライテンというのは弁財天のことでしょうか。
またこの図に国見山とビライテンの間にイワクラが書かれていますが、
石工によって持ち去られた国見山の西側の露出岩に当たるのでしょうか。
いろいろややこしい質問で済みません。

[6544] Re[6542]: 池田神社  神奈備 2005/08/15(Mon) 20:07 [Reply]
塩冶彦さん、ありがとうございます。

> 「物部イコト」は「物部五十琴」のことです
ありがとうございます。

> 大阪池田市の池田神社
> 物部氏の五十琴と関係があるのでは?
物部氏のそれぞれの孫達で、名前が神社名となっている人物は物部守屋がいますが、他には可美真手命神社程度しか見当たりません。物部の歴史の中で良きにつけ悪しきにつけ傑出した人物のみかと。
物部五十琴さんは一体何をやった方でしょうか。

[6543] 稲津彦  塩冶彦 2005/08/15(Mon) 19:28 [Reply]
ちなみに「池田神社(居古太神社)」などにも奉られている。稲作を伝えた渡来人の代表者
「稲津彦(イナツヒコ)」が「為名津比古(イナツヒコ)神社」のイナツヒコと同人ではない
かと、考えてます。「居古太神社」の横を流れる猪名川(イナガワ)もイナツヒコなどと関
係がありそうです。また「池田神社」神社は池田市内に2社あって(2つの位置は近い)もう
一つの方の池田神社の正面に、落語家の桂三枝さんの大きな家があります。三枝さんの本
名は河村なので、池田神社の神主の「河村氏」と関係があるのかな?とこれも勝手に想像
しております。

[6542] 池田神社  塩冶彦 2005/08/15(Mon) 19:09 [Reply]
大阪池田市の池田神社は、機織姫の「呉機織姫(クレハトリ)」と「漢機織姫(アヤハト
リ)」という人が渡来して、呉服を日本に伝えたとあります。江戸時代の神主「河村氏」は
「秦宿祢」を名乗っています。地元の地名には「呉服里(クレハノサト)」や「綾羽町(アヤハチョウ)」「東畑(江戸時代は東秦と書いた)」とかがあります。渡来人が多く稲作文化を
伝えた地でもあり、稲の生る水田から「池田」という地名になったと思いがちですが、
「池田神社」はもともと「居古太神社」と書き「イコタ」もしくは「イコト」と読み、
意味未詳なんです。そこで、秦人と物部氏の多い地で、物部氏の五十琴と関係があるのでは?と思ったのです。確証がないか調査中です。

[6541] 物部イコト  塩冶彦 2005/08/15(Mon) 18:46 [Reply]
こんにちは神奈備さん。
以前「塩治」→「塩冶」を指摘したものです。
「物部イコト」は「物部五十琴」のことです。物部五十言、物部伊己灯宿禰、物部伊己止足尼とも書きます。「イソコト」ではなく「イコト」と読みます。
『録』に佐為連、氷連、高屋連の祖とある。系譜上の位置づけは、大和神別で饒速日命十七世の孫、河内神別で饒速日命十世・十一世の孫、とあるらしいです。
『旧』天孫本紀には、饒速日命の九世の孫で、父は胆咋宿禰。神功摂政の時代、大連となり、つぎに宿禰となって、神宮(石上)を奉斎したという。
多遅麻大連の娘・香児媛を妻として、伊コ弗、麦入宿禰、石持を生んだとある。
とのことです。こぴぺですいません。

[6539] 無題  弁財天 [Mail] 2005/08/15(Mon) 14:52 [Reply]
いろいろお尋ねして申しわけありませんが、
日の谷の方へは大道(大国見山の北側の登り道)から行くのでしょうか。
また大道が地元民に恐れられているというのはどいう背景でしょうか。

[6538] Re[6536][6535][6533][6531]: 天理桃尾の降龍伝説について  弁財天 [Mail] 2005/08/14(Sun) 23:06 [Reply]
> 谷の名に引っ張られて谷を探していたのですが、谷も含めた一帯を日の谷と云うよ
>うです。

行の関係でどこが核心点なのか(祈る対象によって変わるとは思いますが)興味があります。
私は龍福寺(落ちた龍の冥福を祈るための寺)が滝本にあるため
この場所近辺(滝本)に谷があると思っていましたが、2kmほど離れた
長滝でしたか。是非行ってみようと思います。
他にもこの地の情報がありましたらお教え下さい。よろしくお願いします。
9月に天理大学の図書館に龍福寺境内図その他を閲覧に行こうと思っています。
また、投稿させていただきます。




[6537] 無題  琉球松 2005/08/14(Sun) 22:47 [Reply]
 「変若水と若水の違い」はなかなか難しいですね〜。勉強勉強!
 
 神話の森の番人さんへ
 「沖縄では子どものひたいに水を付けると、魂がもどってくる」。。これは僕には実感がないですね。
 大人も子供も、ビックリして魂を落とした場合には、たんに「マブヤーマブヤー(魂よ魂よ)」と言って、手で掬い体の中に戻します(自身では不可)。
 額に撫でる水は、この場合には使わないようです。
 

[6536] Re[6535][6533][6531]: 天理桃尾の降龍伝説について  神奈備 2005/08/14(Sun) 20:57 [Reply]
> 「砂の下に埋もれて・・・」と過去ログで書かれていた
> ところは特定が難しいのでしょうね。

谷の名に引っ張られて谷を探していたのですが、谷も含めた一帯を日の谷と云うようです。八つ磐は山の中腹です。長滝町の九頭神社の真北1.2〜1.3kmですが、相当東に回り込まないと到達出来ません。


[6535] Re[6533][6531]: 天理桃尾の降龍伝説について  弁財天 [Mail] 2005/08/14(Sun) 20:13 [Reply]
神奈備 様 ありがとうございました。
たくさんの資料を提示いただき勉強させていただきます。
日の谷は桃尾山中以外にもあるのですね。
「砂の下に埋もれて・・・」と過去ログで書かれていた
ところは特定が難しいのでしょうね。
できれば私も探してみたいと思ってはいるのですが。

> 弁財天さん、こんにちは。かき集めますと下記の通りです。

[6534] ありがとうございます  猫丸 2005/08/14(Sun) 15:42 [Reply]
皆さんの貴重な意見ありがとうございます。
早速参考にします。

[6533] Re[6531]: 天理桃尾の降龍伝説について  神奈備 2005/08/14(Sun) 14:44 [Reply]
弁財天さん、こんにちは。かき集めますと下記の通りです。

日の谷八つ岩
http://kamnavi.jp/as/yamanobe/hinotani.htm
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?id=51357700&slidex=0&slidey=0
北緯34度36分17秒,東経135度53分18秒

大国見山
http://kamnavi.jp/as/yamanobe/kunimi.htm

石上神社、桃尾の滝
http://kamnavi.jp/mn/nara/tenriyy.htm

鳥見山傳称地私考 by 乾健治氏
http://kamnavi.jp/log/tomiyama.htm

以上

[6532] 無題  沖縄フアン 2005/08/14(Sun) 11:00 [Reply]
かたばみさん
生命樹の画像拝見しました。興味津津です。
シュメール印章と殷の「双胴き龍文」の文様は同じ七枝樹(生命樹)だと思います。
http://adam.olug.gr.jp/~nesu/img-box//img20050814105157.jpg

>中国での生命樹概念のひとつの完成が前漢の双龍円鼎生命樹かもしれません。
>鼎の水には魚がいてここから生命樹が育っています。
の、画像がありましたら拝見したいのですが、宜しくお願いします。


[6531] 天理桃尾の降龍伝説について  弁財天 [Mail] 2005/08/13(Sat) 23:54 [Reply]
はじめまして。
桃尾の滝で4年ほど行をしているものですが、最近この行場の成り立ちについて
関心を持ち調べています。龍が降りたとされる日の谷を過去に探査されたことがあると過去ログで拝見し、具体的な場所等の関連情報あるいはこの滝や桃尾山、
大国見山についての古代史的な情報をいただければ幸いです。

[6530] Re[6528]: 無題  神奈備 2005/08/13(Sat) 19:14 [Reply]
「飛鳥」

多分新宮市の阿須賀神社
http://kamnavi.jp/ki/nanki/asuka.htm

[6529] 生命樹とクワバラ  かたばみ [Mail] [Url] 2005/08/13(Sat) 18:25 [Reply]
6495
≫蛇のご神体を桑の木でつくることがあることなど

ヤマグワは高級工芸用材ですからその理由ということもありそうです。

以下は各地の生命樹の図です(中国の生命の樹/言叢社より)
http://woodsorrel.cool.ne.jp/data/seimeijyu01.png

解釈にもよりますが、長江河口の河姆渡遺跡(BC5000頃)が最古の生命樹図像といったところ。
(図の台座を水盆とみなすようです)
中国での生命樹概念のひとつの完成が前漢の双龍円鼎生命樹かもしれません。
鼎の水には魚がいてここから生命樹が育っています。

同じ漢でも桑の生命樹はちょいと流れが違うのかな。
鳥と射手は太陽鳥と射日神話に関連あるいは影響を受けたものと考えられるようです。

周礼に蚕と馬の気は同一で養蚕に関わる者は馬の繁殖に関わってはならないとあるそうで、馬と養蚕が結びついた説話もいろいろあって蚕に馬の形をあてることもあるそうです。
蚕の伝播に羌族など遊牧系の民が関与して、その系列の生命樹か。
(スサノオが織姫に馬を投げつける、このあたりの書物を参考にしている可能性あり)

−−−−
桑の登場は殷(商)を建国した湯王がひでりが続いたときに「桑林」に祈った(呂氏春秋)が最古の桑の登場とみえます。
殷で養蚕が広まっていますから桑が重視されるのはわかりますが、なんで雨乞いと関係あるのかは不明。
尚書に、桑は箕星(風伯)の精であり、これを食せば老翁は小童になる、とあるそうです。

風神であれば雷神も思い浮かぶので、それらの書物を読んだ人が作りだしたお話が日本での雷やクワバラ、ということもありそうです。
桑は果樹であり薬樹であり、繊維の採れる木でもあって縄文から重要視されていたはずで、同族のカジノキは諏訪大社の紋所でもあるし。
−−−−

エジプトのトトメス3世の図像、これもある時代での完成された生命樹概念だと思います(無花果)。
魚の泳ぐ地中?の水源から生命樹が育っているのは河姆渡や双龍円鼎生命樹と同じ。
水と生命樹が一体である感覚は普遍だったものと思われます。

バシェド壁画では死者を再生させる水なのだそうで、若返りや不老長寿の感覚があるのでしょう(ナツメヤシ)。
生命樹から水を飲む姿を具体的に表しているのは乾燥地域(西域)での特徴か。

チュニスやペルシャでは日月が描かれていますが大モン口文化の通天と配置が同じ。
http://woodsorrel.cool.ne.jp/data/seimeijyu02.jpg
ウルナンム記念碑でも日月が描かれていますがやはり月は三日月。
いかにもここに天の水や酒が貯まりそうです、三日月は「天空の杯」ですね。

シュメール〜ペルシャでは蛇が好まれているのですが・・
エジプトBC1500頃のインクヘルトでは生命樹の蛇を猫(バステト女神?)が攻撃するという奇妙な絵が登場。
中近東でバール神(天候を司る)が広まってゆく年代と一致していますが、豊饒への意識が大地母神から変化しつつあることを示すのかもしれません(乾燥化→大地母神への失望)。

このあたり、日本ではどうなるかなあ。
縄文では特段に水への意識はなかったとみておきます。自然界に依存はしても水に依存はしていないからです。
(雨の少ない地域は別ですが)

弥生では農耕の登場によって水への意識が一気に高まったはず。水神系の神々の登場はこの時代か。
中国文化の龍と縄文の蛇の合体もあったでしょう。
のちには桑と龍、桑と雨、桑と雷といった変化にもなるかもしれません。
弥生後期には土器絵に龍らしきが登場しています。


[6528] 無題  熊野の子 2005/08/13(Sat) 17:47 [Reply]
このあいだは熊野神関係のものを大量に教えていただき有難う御座います。資料が多かったため整理に時間がかかりました。
熊野神についてはまだ考えが固まっていませんが、1つだけ再び質問します。
教えていただいたホームページに、熊野権現は塩屋港に上陸し、切目、神倉、飛鳥、速玉の各神社経て熊野大社に還座した、とありましたが、塩屋港は塩屋王子神社、切目は切目神社、神倉は神倉神社、速玉は速玉大社、とわかりましたが、「飛鳥」がわかりません。ヒントを何かもらえませんか。(答えでもかまいません)


[6527] 月のしずく_草枕  沖縄フアン 2005/08/13(Sat) 11:37 [Reply]
出雲国造神賀詞(くにのみゃっこのカムゴト)
「をち方のふる川岸、こち方のふる川ぎしに生立(おひたてるヵ)若水沼河(ワカミヌマ)
の、いやわかえに、み若えまし、すゝぎふるをとみの水のいや復元(ヲチ)に、み変若(ヲチ)まし、……」
水の女 折口信夫
http://www.aozora.gr.jp/cards/000933/files/16031_14239.html

クリスチャンの洗礼に於いても額に水をたらします。
不安は残りますがヲチミズ、バカミズの水は精子だと思っています。
アマテラスは全体的には女神ですが男神を匂わせるのはこの水(精子)に関係していると思っています。誓約で生まれた男神という回りくどい言い回しも女神アマテラスを男神に変身させるという要素を含んでいる思われる(時空を取り除く仏教的生命論)
「ワカミジ」としての使用は時間軸が新しいのではないでしょうか。



[6526] Re[6521]: たまがりし神  神話の森の番人 [Url] 2005/08/13(Sat) 10:43 [Reply]
「たまがりし神」で検索した結果をみると、やはり最近の創作小説をあたってみるのが解決は早いように思えます。
「今ぞ来ませる」は聖書の和訳の文体の影響があり、古くても大正昭和以降でしょう。
「たまがる」は九州方言で、たまげる(驚く)という意味だとあります。
子どもが何かに驚いて意識が呆然となってしまったときは、沖縄では子どものひたいに水を付けると、魂がもどってくる、という話は、既に出ていたと思いますが・・・

[6525] Re[6523]: 月のしずく_草枕  神奈備 2005/08/13(Sat) 09:53 [Reply]
> 「変若水と若水の違い」
> 変若(ヲチ)は月読の神、若(バカ)はスサノヲとアマテラスの誓約によって生まれた神。
> 両神から授かる水ですが水がちがいます。

五男三女神の八柱の神の一と云うことでしょうか。
ほかに生まれてる神は見当たりませんが。

[6524] 月のしずく  琉球松 2005/08/13(Sat) 00:42 [Reply]
 沖縄ファンさん、初めまして。
 「変若水と若水の違い」。。これがなかなか難しいんですよね。
 沖縄諸島では「ヲチミズ」という言い方はしないですし、「ワカミジ」も正月などの季節の変わり目などに出る言葉ですね。
 ピンとくるような解説。。よろしくお願いします。

 それから、「天の衣織女」が『見驚きて梭に陰上を衝きて死にき』。。これは三輪山伝説に出る「倭迹迹日百襲姫」を連想しますね。
 もしかして「天の衣織女=アマテラス ≒ 卑弥呼=倭迹迹日百襲姫」かもせれませんね?
 そうすると、邪馬台国の中心は奈良県巻向あたりになりそうですが。。。

[6523] 月のしずく_草枕  沖縄フアン 2005/08/12(Fri) 20:42 [Reply]
「変若水と若水の違い」
変若(ヲチ)は月読の神、若(バカ)はスサノヲとアマテラスの誓約によって生まれた神。
両神から授かる水ですが水がちがいます。

[6522] 月のしずく たまがりし神  沖縄フアン 2005/08/12(Fri) 20:27 [Reply]
>この二柱の神がそういう状況になったのであれば、小生の心あたりとすれば、天の岩戸隠れの所しか思いつきません。

天照大御~、忌服屋(いみはたや)に坐して、~御衣(かむみそ)織らしめし時、其の服屋の頂(いただき)を穿(うが)ちて、天の斑馬(ぶちごま)を逆剥ぎに剥ぎて、墮し入れたる時に、天の衣織女(みそおりめ)、見驚きて梭(ひ)に陰上(ほと)を衝きて死にき。

天の衣織女(みそおりめ)はアマテラスことだと思います。
「天の岩戸隠れ」で復活するというストウーリーに成っているようですね。

[6521] 月のしずく たまがりし神  神奈備 2005/08/12(Fri) 20:05 [Reply]
> 明け方までの夜露の量に驚くことがあります。

キャンプなどはこういう体験が出来るので、貴重な活動ですね。


> 夜露の中でも、里芋の葉の露は、昼も残りますから、月と縁の深い特別な葉であり芋であるのでしょう。

芋類や蓮の大きい葉に丸くキラキラ光る露は「命」を内部に含んでいるようなことを紋次郎氏が云っていたことを思い出しました。

またハイヌヴェレの穀物生成神話もそれが芋だと云うところも何かの意味があるのでしょう。



> 『スサノオノミコトがアマテラスオオミカミを殺したと思い込』んだ、という説話

この二柱の神がそういう状況になったのであれば、小生の心あたりとすれば、天の岩戸隠れの所しか思いつきません。

[6520] たまばこに・・・  猫丸 2005/08/12(Fri) 15:48 [Reply]
こんにちは、はじめまして。猫丸(ねこまる)といいます。
日本の神話について調べていたところ、こちらのHPに行き着きました。
HPの充実した内容に感謝の限りです。

ところで、今僕は以下のような呪文(?)について調べています。

「たまばこに ゆふとりしでて たまちとらせよ
 みたまがり たまがりし神は 今ぞ来ませる」

僕が調べた限りでは、スサノオノミコトがアマテラスオオミカミを殺したと
思いこみ、その時に唱えた鎮魂と蘇生の呪文である、とだけ分かりました。
しかし、『スサノオノミコトがアマテラスオオミカミを殺したと思い込』んだ、
という説話は、僕が知る限り心当たりが無いのです。
どなたかこの説話に心当たりがあれば、リプライお願いします。

[6519] Re[6512]: 月のしずく_草枕  恋川亭 2005/08/12(Fri) 03:34 [Reply]
> Re[6512]:玄松子さん

 今日たまたま近所の喫茶店「アムリタ」に寄っていました。(笑)
「ソーマ」でしたか! 「ネクター」同様に酒のイメージしか持っていなかったので、考えつきませんでした。月神もチャンドラしか知りませんでしたし〜。有り難うございます。月のしずくによる再生力信仰が、インド由来という可能性は十分参考に値しますね!!
 さすがに「相馬氏のルーツは〜」なんて書けませんけど、これは山中で酒盛りだ→杣でソーマ!(どうも、おソーマつでした)m(__)m
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
> Re[6513]:神奈備先生
> 『淮南子』
> 水の支配者とされる月への信仰に雨露、水、湿気をもたらすもの
> 従ってあらゆる草木、魚介類の支配者とされた

 いつもの寝言の駄法螺ですみません。月と潮汐は基本としても、雨露・水・湿気まで拡張されて、さらに草木・魚介類の支配ということは・・・。つまり「月が水の支配者とされる信仰」に結晶するまでには、太陰暦で過ごした永い永い年月が背景にあるのでしょうね。『淮南子』の文化も、太陰暦の嚆矢「シュメール文明」との遠く細いつながりが。これはトンデモではありません。(さすがに「エッ、何時?」とは書けない。)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
> Re[6514]:神話の森の番人さん

 あの里芋は、そういうことだったんですか〜!!!深いな〜!今度、茹でた里芋の皮を指先で押し出して、脱皮の如くツルンと剥いて・・・オモムロに蘊蓄を垂れてやろうっと。

> 若返りとは、肌の若返りのことで、蛇の脱皮を人が真似、蛇の信仰になります。

 玄松子さんの『ソーマ』を読んで思ったのが、古代ヨガ神秘思想の身体構成観(○○体とか△△体とかのラッキョウの皮的構成)。そして『解脱』という言葉、です。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
> Re[6515]:神奈備先生

 今日は『魂込めと魂呼ばひ(マブイグミとタマヨバヒ)』宮城喜久蔵・著(副題「ヤマト・琉球」比較文化論)を読んでいました。
 著者は長年、兵庫県内の高校の先生を勤めあげた後、故郷の沖縄に戻られて、現在は佐敷町の文化財保護委員会会長をされている方です。ウチナーとヤマト(関西)との民俗の対比が、判りやすく紹介されていました。どちらにも長く住んだ人のみが書ける内容ですね。取上げている内容が多岐にわたるので、引用は個々のテーマのときにします。「あの世への道」考察にも、ご参考になる部分もあるかと思います。

> 子供の頃、蛇の抜け殻を見ても、再生なり若返りの観念には至りませんでした。

 完璧にきれいに抜けた皮は、最強の金運向上アイテムだと聞かされて探したことがありますが・・・なかなかパーフェクトに巡りあいませんでした。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
> [6516]:沖縄フアンさん
> 変若水(をちみづ) と若水(バカミズ)も同じ水でも違うのですよ。

 上記でも出ましたが、私には、甘露とソーマ・アムリタ・ネクターの区別すらついていません。「変若水と若水の違い」、それを解説・紹介されるところに、あなたの素晴らしさがあると信じてます。ぜひ、よろしくお願いしますネ。「不安」になることはありません!
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
〔余談〕たしかに、数ある島の泉の中には、思わず・・・
「ここここ・・・ここ?これッ?この泉なの???」
と引いてしまうような『カー』がありますね。私も逃げました。m(__)m
 豊富な水量と清流に恵まれた本州とは風土がかわります。

[6518] Re[6515][6514][6511]: 月のしずく_草枕  神話の森の番人 [Url] 2005/08/12(Fri) 02:01 [Reply]
こんばんは。旧暦の七夕でしたが、雨でした。
雨は、星祭りとみるなら残念ですが、水神祭りとするなら縁起が良いのでしょうか?

万葉集の歌は、年の差が自明である安心感から、あえて冗談めかしたやりとりをしたともとれます。つまり遊戯の歌ということです。今の人なら「自分があと20年若かったらほっとかないんだが」という感じです。

脱皮については、所謂青草的になりますが、陽物や稲穂にも脱皮の現象が伴いますので、現在は過剰に気になっていますが、考えすぎかも。
>

[6516] 無題  沖縄フアン 2005/08/11(Thu) 22:42 [Reply]
日本酒と焼酎は同じ酒でも同じ物ではありませんね。
NTとXP も同じOSであるが違うものです。
変若水(をちみづ) と若水(バカミズ)も同じ水でも違うのですよ。

[6515] Re[6514][6511]: 月のしずく_草枕  神奈備 2005/08/11(Thu) 19:59 [Reply]
神話の森の番人さんこんばんは。暑いですね。

今日、8月11日は旧暦の七夕で、月は船となって天の川を渡り、逢い引きに導きます。

変若水を貰い損ねた人間を憐れんで、天の神が若水(バカミズ)を下されると、沖縄(宮古島)では伝わっています。復活の水です。正月の早朝に汲む水がこれです。水はよみがえりの力があるのは、山歩きなどしていて突然湧き水などに行き当たりますと、これは甘露甘露でまさに生き返った気がします。
 『万葉集』巻四 六二七
わが手本まかむと思はむますらをは 変水求め 白髪生ひにたり
私の袂(タモト)を枕に寝たいと思う大夫は、若返りの水を探し回って白髪がはえてしまったのですね。
ジジイを揶揄した歌だとか。

> 脱皮の信仰と、水神の信仰は、どっちが先かということではなく、同時なのではないでしょうか・・・?

素直に考えると、水の信仰、泉への感謝の念、が先行したのではないでしょうか。子供の頃、蛇の抜け殻を見ても、再生なり若返りの観念には至りませんでした。

[6514] Re[6511]: 月のしずく_草枕  神話の森の番人 [Url] 2005/08/11(Thu) 14:20 [Reply]
「月のしずく」についてですが、有名な万葉歌でも
「月読(つくよみ)の持てる変若水(をちみづ)」と歌われます。
 歌の全文引用→ http://nire.main.jp/sb/log/eid21.html
吉成直樹著『俗信のコスモロジー』の第3章「『夏の若水』は存在するか」が参考になると思いますが、
夜露の中でも、里芋の葉の露は、昼も残りますから、月と縁の深い特別な葉であり芋であるのでしょう。
ですから、七夕での里芋の露の効能(皮膚の若返り、脱皮)の話もあり、
十五夜には里芋が月の神に捧げられます。

> 夜露から泉への移動を仮想できれば、孵て水・若水・変若水に繋がりそうなのにナ〜。

若返りとは、肌の若返りのことで、蛇の脱皮を人が真似、蛇の信仰になります。
「泉」とは水源地での水神(蛇)の信仰のことと思いますが、脱皮の信仰と、水神の信仰は、どっちが先かということではなく、同時なのではないでしょうか・・・?

[6513] Re[6511]: 月のしずく_草枕  神奈備 2005/08/11(Thu) 12:15 [Reply]
> 今のところ、『月のしずくと思われた夜露が変若水の元になったのではないか』が恋川亭仮説です。

流石の視点ですね。水の支配者とされる月への信仰に雨露、水、湿気をもたらすものと、『淮南子』にも出ているようです。従ってあらゆる草木、魚介類の支配者とされたとか。

[6512] Re[6511]: 月のしずく_草枕  玄松子 2005/08/11(Thu) 10:29 [Reply]
>  今のところ、『月のしずくと思われた夜露が変若水の元になったのではないか』が恋川亭仮説です。

ソーマじゃないの?
http://moon.jaxa.jp/ja/popular/story02.html
引用:時代が経って「インドラ」を頂点とする神の形になると月の神は「ソーマ」と云われる神となります。これは、「ソーマ酒」としてよく聞かれるもので、インドラに活力を与える生命の源のようなものです。これが転じて「ソーマ」はあらゆる病気を治し、富を与える「神」となりました。
またソーマの作り方が、圧搾をして液を濾しとる方法によることからこの「濾し器」は天空そのもの、そしてその液である「ソーマ」は雨を象徴する「水の神」となり、月が水の調整(潮汐現象)に関係することから「月の神」と結びつくことになったようです。

[6511] 月のしずく_草枕  恋川亭 2005/08/11(Thu) 01:20 [Reply]
ちょっと遅れて過ぎてしまった話題ですが、
「孵て水(ステミズ)」、「若水(ワカミズ)」、「変若水(ヲチミズ)」
こういった再生のパワーがこもるとされる水が、お月さま由来とされることについて考えていました。「月神信仰の形態」と一言では納まらないのが、我が業か。

(1)月の満ち欠けの周期。
 新月→半月→満月→半月→新月のリズムに再生力を見る。これは、普通に考えられる説ですね。新月後の三日月に再生の希望を見るのかな。では、水は???

(2)夜露。
 草深い山野で野宿を繰り返した経験のある方はご存知と思いますが、地形と季節により、明け方までの夜露の量に驚くことがあります。この露が月の水に由来する、とかつて思われた形跡はないのでしょうか?
 『再生力を持つとされる月の水は、夜露となって葉の上に置かれる。』
本体(月)と同様に、朝日が昇ると夜露も消えてしまうのですしね。変若水も夜明け前に汲まれていたような気が・・・。夜露から泉への移動を仮想できれば、孵て水・若水・変若水に繋がりそうなのにナ〜。今一歩???
 今のところ、『月のしずくと思われた夜露が変若水の元になったのではないか』が恋川亭仮説です。

[6510] Re[6508]: Re6505)檜  神奈備 2005/08/10(Wed) 09:26 [Reply]
> 建築につかえる檜は台湾と日本に産出しましたが、韓国に産出したかどうか確認の必要があるかもしれません。

 『日本書紀』で、素盞嗚尊が例示した木は、杉、檜、槙、樟です。現在では楠は半島の極く南には育つようです。檜については日本では北限が福島県ですから、多分樟と同じように育ってはいるでしょう。檜風呂はあるようですし・・・
 素盞嗚尊が降臨されたソシモリとは一体どこだとのツアーがありましたが、有力候補の春川の牛頭山付近(ここは八坂神社を造った八坂造の祖の居たところ)は、樟と檜は到底育つ気候ではないと思われます。
 素盞嗚尊が木の用途を云われた伝承は、より暖かいところのお話でしょう。

[6509] Re[6507]: 阿比太  神奈備 2005/08/10(Wed) 09:25 [Reply]
塩冶彦さん、こんにちは。

> 「上塩冶築山古墳」の「塩冶」がすべて「塩治」になってますよ。

ご指摘ありがとうございます。HPの内容をより正しいものにするのは発信者の責務です。ご協力に感謝。出雲の地名も塩冶ですね。

Googleでは、上塩治築山古墳  13件。上塩冶築山古墳 104件
最初に間違った奴はだれだ!!


> ちなみに兵庫県の「売布神社」も「物部大売布連」、大阪池田市の「伊居太神社」は「物部イコト宿祢」と関連があると勝手に考えております〜。

池田市は秦下郷の内で、上古は猪名里と呼ばれ、のち呉服里、更に伊居太の里となりました。上古は近くまで海水がきていた入江でした。海人族でもあった物部氏が住んでいても不思議ではありません。
> 物部イコト宿祢
この宿禰さんはいつ頃の方でしょうか。

[6508] Re6505)檜  言蛇 [Mail] 2005/08/10(Wed) 03:36 [Reply]
>檜と言う木は宮を作るのによい木だと素盞嗚尊が言われた

法隆寺の修繕には、隋書で琉求国といわれた台湾の檜がつかわれています。
建築につかえる檜は台湾と日本に産出しましたが、韓国に産出したかどうか確認の
必要があるかもしれません。

#素盞嗚尊は韓国系が濃厚ですが、五十猛は大陸or台湾系で別系統かも・・・(←ここはまだ私の青草)

[6507] 阿比太  塩冶彦 2005/08/09(Tue) 23:26 [Reply]
大阪府箕面市の「阿比太神社」懐かしいです。子供の頃に遊びました。で、「阿比太」って名前が珍しいので、不思議に思っていて自分で研究したことがあります。「スサノオのミコト」を祀ったとしかありませんでしたが、これは絶対「物部阿比太連」と関連があるはずと思ったまま、20年あまりがたちました。やはりそうだったのですね。祭神も元来は、「ニギハヤヒの命」だったのではないかと思います。ちなみに兵庫県の「売布神社」も「物部大売布連」、大阪池田市の「伊居太神社」は「物部イコト宿祢」と関連があると
勝手に考えております〜。

[6506] 塩冶っす。  塩冶彦 2005/08/09(Tue) 23:09 [Reply]
hp興味深く拝見しました。

十種の神宝のページで、一つ気になったのですが、
「上塩冶築山古墳」の「塩冶」がすべて「塩治」になってますよ。
さんずい偏じゃなくて、にすい偏です。

webで誤りをみるとついほっとけないのですいません。

[6505] Re[6499]: 桑原  神奈備 2005/08/09(Tue) 19:57 [Reply]
> これは、木に潜む"良心的な火"に期待し

檜と言う木は宮を作るのによい木だと素盞嗚尊が言われたのですが、この檜とは木が火を生むの「火の木」のことかも。
紀州の県木は「ウバメガシ」ですが、これは炭に焼きますと高温のでる硬い炭になります。

[6504] Re[6498]: 玉手  神奈備 2005/08/09(Tue) 19:57 [Reply]
玉手臣の分布は『姓氏録』には、摂津、大和、山城の国となっていますが、これは平安時代のことで、もっと昔はどこに居たのかは定かではありません。河内の玉手(山公園)付近には多くの渡来人などがいたようで、田邊氏と飛鳥戸造一族の名が知られています。かれらが祖神として伯太彦神社、伯太姫神社を祭ったようです。

玉手で思うのは玉手箱ですが、これは玉を入れる手もとに置く箱といった意味なのでしょうか。

[6503] Re[6501]: 熊野神  神奈備 2005/08/09(Tue) 18:16 [Reply]
> 伊予や淡路や鵜殿村石淵にお社は現存しているのでしょうか。また神倉神社が熊野元宮なのでしょうか。

鵜殿村石淵の社は学校の後側に鎮座しているようですが、気がつかずに通りすぎた記憶があります。帰ってからシマッタ!。

熊野神の垂迹の足跡は
http://wiwi.co.jp/vwakayama/kankou/prefg/060200/kankou/kataribe/nati_k.html
紀州語り部の旅─那智勝浦町

http://www.mikumano.net/setsuwa/suijaku.html
み熊野ねっと 熊野の説話
を参照下さい。

『熊野権現垂迹縁起』には、唐の天台山の王子信が日本の日子山に降臨し、それから伊予国の石鎚の峰、次いで淡路国の諭鶴羽の峰、さらに紀伊国の切部山、神蔵の峯、阿須加の社の北、石淵の谷に勧請とあるようです。

日子山は英彦山
http://kamnavi.jp/toyo/hikosan.htm

伊予国の石鎚の峰
http://kamnavi.jp/en/sikoku/isiduti.htm

淡路国の諭鶴羽の峰
http://kamnavi.jp/en/awaji/yuduruha.htm

紀伊国の切部山 熊野王子社で、権現垂迹の場とは違うようです。
http://kamnavi.jp/kumano/kii/kirime.htm

神蔵の峯
http://kamnavi.jp/ki/nanki/gotobiki.htm

で、速玉社は新宮と云いますが、これが神倉を元社としての新宮なのかどうかは定かではありません。新宮社境内から縄文時代の遺跡がでており、相当古い聖地だったかも。

また出雲から伊予とありますが、これは承知していません。
熊野本宮の神は、出雲の熊野神が御坊の熊野(いや)神社などを経由して三重県熊野市の有間から熊野遷ったとの話もあり、よくわからないところです。

御坊の熊野(いや)神社
http://kamnavi.jp/kumano/kii/iwauti.htm

熊野市の有間の産田神社
http://kamnavi.jp/ym/mieubuta.htm

[6502] Re[6501]: 熊野神  玄松子 2005/08/09(Tue) 12:50 [Reply]
> 鵜殿村石淵にお社は現存しているのでしょうか。

http://www.mikumano.net/zsoma/mie/udono.html

『み熊野ねっと』 http://www.mikumano.net/
ご存知かもしれませんが、参考になると思います。

[6501] 熊野神  熊野の子 2005/08/09(Tue) 11:21 [Reply]
私は熊野神について調べているのですが、わからないとこにぶち当たりました。
速玉大社に関してちょっとホームページで見かけたのですが、
熊野神は出雲→伊予→淡路→新宮神倉山・鵜殿村石淵→三山へと遷ってこられたそうです。
伊予や淡路や鵜殿村石淵にお社は現存しているのでしょうか。また神倉神社が熊野元宮なのでしょうか。ぜひともお教え願います。

[6499] 桑原  琉球松 2005/08/08(Mon) 23:32 [Reply]
 神奈備さんへ

 "桑名と云う名は句奴国の残照" 。。これは興味深いですね。
 句奴国は "木の国" とも読めるし、クワ科など比較的硬い木が金属精錬業にとって最良の燃料だったとの解釈と矛盾しない。
 つまり、雷などの強力な火を産む国(好戦的国家)であると解釈したいわけです。

 琉球圏には、アコウやクワ科の木を信仰の対象にしている聖地がかなりありますが、これは、木に潜む"良心的な火"に期待し、同時に"荒ぶる火"の暴走を阻止しようとしているように見えますね。
 しかし残念ながら、古代を証し出す文献資料は島々には皆無です。本土の皆さんの文献解釈や直感に期待したいわけなんです。

[6498] 玉手  タイシ 2005/08/08(Mon) 22:22 [Reply]
神奈備さん、HPの御紹介ありがとうございます。

御所の玉手と言えばご存知、役行者の吉祥草寺がありますね。
この度本堂建て替えに伴い発掘調査が行われました。
口伝されていた、伽藍焼失や本堂再建時期が明らかになったそうです。

繭玉もありますね。何か面白そうなので、調べてみようと思います。

大和川と石川とが合流するあたり、玉手山がありますが古代このあたりは、玉手臣氏が居たのでしょうか?
まぁこのあたり、古墳群や古社があり古代渡来人がたくさん居たようですが・・・




[6496] 桑原  タイシ 2005/08/07(Sun) 22:24 [Reply]
横から失礼します。
御所市の池之内・朝町(御歳神社と大穴持神社の間あたり?)に、桑原の小字が残っているようです。

大阪和泉市の桑原町に、西福寺があり老婆が雷を封じ込めたという「雷井戸」があり確かに、このあたり、川が蛇行しており、和泉の地名の元となった泉井上神社もありますね。

[6495] Re[6494][6491]: 蚕と絹  神奈備 2005/08/07(Sun) 21:05 [Reply]
 桑樹を神聖視する考え方が古代の日本にはあったようです。
 例えば、桑の木の箸や椀を使うと中風にならない。
 桑の木から落ちると三年以内に死ぬとか。
 さて、桑原桑原と云うと雷が落ちないと信じられていたのか、諸説紛々です。
 雷は蛇神であるのは雄略紀や霊異記に見る通りですが、雷の形である稲妻は蛇行と見られていたこと、桑を好物とする蚕も長虫であり、蛇の仲間、蛇のご神体を桑の木でつくることがあることなど、蛇を仲介として雷と桑とは近しい関係があるようです。
 おっしゃる通り、それゆえ世界樹として扶桑の桑の木が尊とばれたのかも知れません。

 桑名と云う名は句奴国の残照だとか・・・。相見英咲著『倭国神話の謎』

[6494] Re[6491]: 蚕と絹  かたばみ [Mail] [Url] 2005/08/07(Sun) 10:27 [Reply]

訂正(6491の最後の部分)、天之日鷲じゃなくて天羽槌雄です。

6488
≫藤ノ木古墳から錦、繍、綾、羅などが出土していると『倭人の絹』(布目順 郎著:小学館)にあります

布目順郎氏は天理市下池山古墳(古墳時代初期)出土の縞織物の調査で絹と麻の交織物であり、これが倭文(シドリ)であろうとしています(蚕は北方系の三眠、繊維が細い)。
天羽槌雄の指導を受けた織姫の織った布を祖とする布、といったところか。

また、糸や織りの分析から吉野ケ里遺跡等の初期の絹は南方系の蚕と紡織、藤木古墳の絹は百済系(秦氏系)の紡織であり、これに倭文を加えて3系列があったとしています。

カセ{木+上下}各種と銅鐸絵
http://woodsorrel.cool.ne.jp/data/hataori_kase.png
奄美の大島紬は奈良時代に遡るようですが、南方系か倭文の下地があったのかなあ。

ひょっとしたら倭文かもしれない比礼ヒレを着けた巫女(AD500年代)
http://woodsorrel.cool.ne.jp/data/haniwa_miko.jpg
平安時代までこれが流れているのかどうか。
http://www.iz2.or.jp/fukusyoku/wayou/6.htm

6490
≫雷神となった菅公は桑原なる地名の場所には落ちなかったと云うのはこの辺りからの伝承かも。

こちらは世界樹の扶桑の桑からの変化ということもありそうですね。


[6493] Re[6490][6489]: 桑の木・ヒル・ヒラ  琉球松 2005/08/07(Sun) 08:06 [Reply]
 「ヒルコ・ヒルメ」って、卑弥呼に繋がる可能性があると思います。
 どこでどう繋がるのか興味しんしんなのですが。。。

 「桑の木の又」は、沖縄的には "女の又"って感じですね。イザナミを鬼に変質させたカグツチは、沖縄では大きな顔をして歩けないわけなんです。。(笑)。

[6492] Re[6491]: 蚕と絹  かたばみ [Mail] [Url] 2005/08/06(Sat) 13:33 [Reply]
倭錦についての追補
http://inoues.net/nyumon/wa8.html


[6491] 蚕と絹  かたばみ [Mail] [Url] 2005/08/06(Sat) 11:53 [Reply]

「絹の東伝/布目順郎/小学館ライブラリ」によりますと・・

日本の蚕の繭は俵型ですが、中国の繭は楕円型だそうです。
中国で俵型があるのは長江流域だけだそうで、この蚕が日本にやってきた可能性があるらしい。

前漢では蚕の持ち出しは厳禁であって、これを持ち出すとすれば漢に滅ぼされた(圧迫された)人々の可能性が高く、すなわち呉越系の人々であろうとしています、賛同です。

紡織技術について、八丈島に伝わるカッペタ織りで使われる道具が中国のBC400〜BC200頃での雲南の道具によく似ており、静岡県の白岩遺跡出土(弥生中期以降)のものはそっくりなのだそうです。<br>
(銅鐸絵で諸説ある「工」の字型の道具とそっくりでもある)

ただしこれは紡織技術における関連であって、蚕との関係は別だそうです。
雲南方面の蚕は品質が悪く、年に7〜8回も世代が代わる品種のために運ぶ途中で成虫になってしまって運搬困難と考えられるそうです。

絹繊維の分析からは長江流域(華中)のものが弥生初期に使われ、弥生末期では朝鮮半島の楽浪郡に見られる絹繊維が登場してくるのだそうです。

蚕の祖先とみられるクワコの特徴は、容器から逃げ出す、色が桑と同色、目玉模様があって蚕とは顔つきが違うなど。
飼い慣らされた蚕の特徴は、容器の外へでてゆかない、色が白っぽい、桑の枝につかまらせるとずり落ちてしまう(^^; などだそうです。

浙江省河姆渡遺跡(BC5000頃)から蚕紋のある骨器など出土。
(遡るとサナギを食糧としていた可能性あり)
殷からは玉で彫られたリアルな蚕が出土。
漆は縄文が先駆者のようですが、蚕は中国長江あたりかな。


倭人伝にいう「倭錦」を正倉院の赤地山菱紋錦に類似とみなして復元が行われています。
結果として、八丈島のカッペタ織りと類似であり、現在の雲南の苗族が得意とする錦繍に似たものとなるそうです。

魏志東夷伝では、高句麗など半島北部に絹はなく、南部には絹はありますが錦はありません。
樂浪郡からも錦は出土していないようです。
すなわち蚕そのものは時代によって品種が変わっていても、紡織技術(倭錦)は日本特有(雲南系)ということになります。

ただし弥生の布の織りの密度は前漢のものより粗であって、その点での技術は未熟のようです。
卑弥呼時代の倭錦は南方系の布であって魏の人々にはめずらしかったのではないかなあ。

絹が出土するのは弥生では九州北部であり、古墳時代にはいると日本海沿岸から畿内に至るようになるそうで、瀬戸内からはでていないのが面白い。


さて、空想でございます。

毎度ですが、持論の長江文化の三苗が登場(苗族ミャオはその末裔のひとつとされる)。
BC2000頃は世界的に気候異常の時代、縄文も寒冷化によって衰退をはじめて洪水の痕跡がある時代。
長江良渚文化は大洪水で崩壊しています、その人々は周辺に散って各地に長江文化を伝えた。
(夏、殷(商)もその影響下にある)

長江文化といっても陸系もあれば海系もあったはずです。
海系、こちらの移動速度は速い、南西諸島経由で南九州へ。BC2000〜BC1500とみます。
これが大綿津見神の原形であり、後の豊玉姫など海神族の祖と考えております。
むろん航海技術は超一流。
http://www.tcn-catv.ne.jp/~woodsorrel/kodai/sankou/bunka_senshi.png

まずはこの人々が九州縄文に文化的に大きな影響を与えたとみています(焼畑や祭祀も含む)。
雲南系の紡織技術もまずは沿岸の温暖地域に伝わったんじゃないかな(後には八丈島までも)。
これとは別系のタパ布も運んだかも知れない(木綿ユフ)。
照葉樹林系の植物も運んだかも知れない(柑橘類などなど)。

蚕も運んだかも知れない・・でも途中で成虫になって飛んでいってしまった、テフテフと(^^;
焼畑とともに稲も運んだかも知れない、だが稲については素人だった。

水稲は陸系の人々が東シナ海沿岸をじっくり北上して山東半島経由で列島へ。
陸系文化はBC1000〜BC500とみます、麦など畑作系の大年神系譜と合体。
列島での穀物神話の源です。弥生の始まり。
http://www.tcn-catv.ne.jp/~woodsorrel/kodai/sankou/kami_ootoshi.png

春秋時代末期BC468に越が山東半島の瑯邪に首都を移しています。<br>
最新版の長江系文化がこの頃に山東半島へ運ばれたわけで、戦国〜秦滅亡時の混乱時代の戦争避難民が半島や列島へ運んだ。
http://www.tcn-catv.ne.jp/~woodsorrel/kodai/sankou/BC800.png

南方系の紡織技術はすでに定着済みで、蚕が登場すれば倭錦が登場するのも時間の問題。
スサノオはBC195頃に登場、こちらは半島北方系で水稲も蚕も知らなかった。
水田を踏み荒らし、倭錦開発中のアマテラスの織り姫をいじめていた(^^;

BC154、前漢に反抗する東シナ海沿岸諸国が反乱、呉楚七国の乱勃発、天之日鷲など布の職人を同伴した天孫の親の渡来(王族しか持てない国宝級のいろいろの持ち主)。


[6490] Re[6489]: 桑の木・ヒル・ヒラ  神奈備 2005/08/06(Sat) 08:39 [Reply]
琉球松さん、どうも。
 桑原と云えば、『神功紀』に、「葛城襲津彦が新羅から連れてきた捕虜を、今の桑原、佐糜、高宮、忍海など四村に住まわした。」と読める記事があります。桑原の地名は失われておりますが、當麻町に棚機神社が鎮座しているので、この辺りかと想像しています。
 『垂仁紀』に、「相撲で当麻蹴速と野見宿禰が闘って野見宿禰が勝ち、この地域は野見宿禰のものとなった。」とあります。そこへ漢人がやってきて桑を植え、養蚕をしたのかも知れません。桑原が地名となったのでしょう。

 菅原道真は野見宿禰の子孫にあたります。雷神となった菅公は桑原なる地名の場所には落ちなかったと云うのはこの辺りからの伝承かも。

 『雄略紀』に、少子部スガルのお話があります。養蚕をやらそうとして蚕(こ)を集めさせた所、嬰児を集めてしまったとのお話ですが、『霊異紀』には、雷をつかまえたとか死んでも木の又に雷を挟んだとのお話が乗っています。桑と蚕と雷とは何故がつながって語られます。なんでだろう??

> 琉球方言でいう「ヒラ」は登り坂(下り坂はサカと言う)
これは面白いですね。坂は登り坂を逆に見ると下り坂、人間または神様主体に坂を見て言葉が変わると云うことですね。
 
> 「蒜(ニンニク)」は、奄美沖縄方言でも「ヒル・フィル」ですが、鬼(雷と同格)を威嚇する
ヒル、これはヒルコ、ヒルメのヒルとすれば・・・
ヒル、これは大阪ではアヒルのこと、白い鴨、WHITEの白ともつながるのか・・・
言語音痴の独り言でした。


[6489] 桑の木・ヒル・ヒラ  琉球松 2005/08/05(Fri) 16:26 [Reply]
 神奈備さんへ
 僕は沖縄人をやってますので、琉球方言や島々の説話等からアプローチしたいのですが。。。

 まず「桑の木の又!」・・これは「桑の木の下!」とともに沖縄諸島では雷よけの呪文ですね。本土では「クワバラクワバラ」でしょうか。

 次に「ヒル」・・古事記に出る「蒜(ニンニク)」は、奄美沖縄方言でも「ヒル・フィル」ですが、この植物は鬼(雷と同格)を威嚇するもので、僕の実家でも軒下に吊るしています。 本土では仏教の影響でしょうか「菖蒲」とされてますね?

 最後に「ヒラ」・・神奈備さんは「黄泉のヒラ坂」との関連を示唆されてますが、沖縄の説話では「生き死にのヒラ」ですね。
 ご存知のように琉球方言でいう「ヒラ」は登り坂(下り坂はサカと言う)で "イザナミVSイザナギ" を連想しますし、沖縄での鬼は女に退治されるのが伝統的常識ですから、ここでも男女の逆転を見るわけです。

 僕は "「ハベル(神女)」の権威を奪った中央政府" だと言いましたが、仏教説話の「三枚のお札・羅刹女」などは、ハベルを「鬼婆・鬼女」として排除するためのプロパガンダではないかと考えています。

[6488] Re[6487]: 綾よ綾よ  神奈備 2005/08/05(Fri) 15:38 [Reply]
> サイト表紙の『能登の国の五十猛命「伊夜比め神社」』の写真、いいです ね!
炎がメラメラと燃える動画もあるのですが、表示の仕方が判らないのです・ ・・

> 絹の道の新羅のシラ、『シルク←新羅』説
朝鮮語の絹はSir、これが新羅の国の語源に影響を与えているとすれば、 辰韓と名乗った地域からの伝来でもかまわないし、山東半島辺りから徐福さ んが持ち込んできても”シル”と云う言葉とともに養蚕が移動したのでしょ う。

> [6486] 新羅の素盞嗚尊が往復しましたが
これは新羅へ素盞嗚尊が往復のことで、今で云う新羅の地域へとご理解下さ い。もっとも記紀神話は原初あたりの神々は後から構想されていて、
> 素盞嗚尊の伝承はかなり新しいイメージ
と云うことかも知れません。

藤ノ木古墳から錦、繍、綾、羅などが出土していると『倭人の絹』(布目順 郎著:小学館)にあります。
 この藤ノ木古墳はあの伊勢神宮の著書に名を出している千田稔氏によれば 、秦氏か紀氏の造営した古墳だろうと指摘しています。ここから綾が出土、 綾はコート地などの織物に似ているので、絹の綾織りは見る角度を変えると 色目が変わる奇麗な織物だったのでしょう。

 さて、おしら様信仰は敦賀辺りから上陸、東へ、北へと流れていったので しょう。敦賀での新羅神、また白山神もその名残と言う説もあるようです。

 紀氏と新羅神、何となく素盞嗚尊と五十猛命を思い起こすではありません か。樹木を植える、桑の木を大いに植えたのかも。素盞嗚尊と五十猛命、こ れはおしら様にイタコの組み合わせに符合しそうです。

 綾織りのアヤ、東漢氏はやまとのあや氏と読むのですが、飛鳥の檜前村に祖先の阿智使主を祀っていますが、紀の国には日前神社(と国縣神社)が鎮座、これもからむとしたらより面白いことになりそうです。要勉強。

[6487] 綾よ綾よ  恋川亭 2005/08/05(Fri) 05:11 [Reply]
サイト表紙の『能登の国の五十猛命「伊夜比め神社」』の写真、いいですね!
さて、またチョット脱線します。(ハベルが侍る)
繊維・織物関係はまったく判らない門外漢なので、初心者的疑問・質問を。

> Re[6486]: テフテフはヒラヒラ
> オシラ様は蚕神ですが、語源は蛾を云うヒル・ヒヒルがシラとなったと云われていますが、絹の道の新羅のシラからとも思われます。

ときどき見かける『シルク←新羅』説ですが・・・、
ホンマにホンマなんですか???
例えば、こんな移植・入植の記事から↓

〔引用1〕『多摩の織物年表』
http://lian.webup.co.jp/tamaken/04/04.htm
−抜粋始め−
471 技術伝播の目的で、秦氏を東国にも分住させる。
    6世紀頃 史、倉人、画師、皮革工などの技能をもつ高句麗人が、
    多摩地域にも渡来していた可能性がある。
666 百済人の男女約2000人を東国に住まわせる。
687 渡来した高麗人56人を常陸に住まわせ、新羅人14人を下野に住まわせ、
    僧尼を含む新羅人22人を武蔵に住まわせる。
−抜粋終わり−

 意外と新しい感じがしますし、人数が少ないですねぇ。機織りの秦氏ですか・・・機織りといえば、クレハトリとかアヤハトリも。もう少し遡ってみます。

〔引用2〕『日本古代氏族事典』の漢人の項より。
 日本書紀・・・葛城襲津彦が新羅に行き、草羅城を破って得た捕虜が「桑原、佐糜、高宮、忍海、凡四邑」の漢人の始祖になった。
 続日本紀・・・後漢の霊帝の曾孫の阿智王が帶方に残留する人民を招き寄せたのが諸国の漢人の祖先である。

 「漢人」がなぜ「アヤヒト」なんだろう?と思っていると、讃岐国阿野郡を本拠とする「綾氏」という項目が! 『日本武尊の子、武卵王を祖とする讃岐綾君に同じ』とあります。こっちの方が、「アヤ」としては古そうですね。この綾氏が織物とか養蚕とかの事業をしていなかったのかなぁ???
 私には、まだ不勉強でわかりません。まだ遡ってみます。

 日本の錦、絹織物といえば・・・、
魏志倭人伝に記述されている台与さんが返礼の品、倭錦がありましたね。魏の皇帝にお返しするのですから、それなりの高い品質であったと想像できます。この時代の半島は、樂浪郡や帶方郡という中国の植民地ですから、まだ新羅・百済は建国されていない三韓の頃。つまり卑弥呼の時代には、すでにヤマト独自の絹織物・養蚕の産業は確立されていたようですね。まだまだ遡ってみます。

〔引用3〕『徐福と吉野ヶ里遺跡』
http://www.muraokaya.co.jp/jofuku/zyofuku2.htm
−抜粋始め−
『吉野ヶ里から発見された絹は、京都工芸繊維大学名誉教授の布目順郎氏の鑑定によると前二世紀頃江南に飼われていた四眠蚕の絹であり、当時の中国は養蚕法をはじめ、蚕桑の種を国外に持ち出すことを禁じていたので、それが最初に国外に出たことを確認できたのが日本で、しかも北部九州であるとおっしゃっている。』
−抜粋終わり−
【参考】『吉野ヶ里遺跡(弥生時代)-織物』
http://www2.edu.ipa.go.jp/gz/k-yda1/k-ycq1/k-ysq1/IPA-yos800.htm
【参考】『弥生時代遺跡出土の絹』
http://homepage1.nifty.com/o-mino/page137.html

 弥生時代には、すでに日本国内で養蚕・絹織物があったのですね。今のところ『最初に(中国)国外に出たことを確認できたのが日本』。
 それから数百年を経て・・・、古墳時代の帰化人がもたらした養蚕・機織り技術の中で新タイプの繭は、舶来物のブランド名として「シンラ」→「シラ」となったのかもかも。

とはいえ、『新羅→シルク』説の検証はどこまで???

> 新羅の素盞嗚尊

 私は、「新羅」という国名を、ニュー・シティまたはニュー・ステイトの意味だと(勝手に)思いこんでいます。(違った?)
 素盞嗚尊の伝承がいつの頃まで遡るのか判りませんが、伝承を採取した時代(つまり記紀編纂の頃)の半島の名称として、「新羅」と書いてあるものと思っていました。つまり『今でいう新羅の国』→『新羅』という短縮表記。
 逆に『新羅の国の素盞嗚尊』ということなら、素盞嗚尊の伝承はかなり新しいイメージになります。もし、そうであるならば、新羅側の資料の中に素盞嗚尊祭祀の痕跡をみつけたいのですが・・・。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
『綾錦 アヤニシキ』
 奄美大島にアヤマル岬という所がありまして(私は未訪ですが)、謝るのではなくて『綾なす(美しい)岬』の意味だそうです。今の本州では、「綾」に「交叉する」の意味程度しか使われませんが、沖縄弁などでは、まだ美しさを表す意味も残っているようですね。エミシの長・綾糟も、実はとても美男子のイケメンだったのではないか?と妄想しています。

『綾にハベル』
 ヤマトでもウチナーでも、人の訪れることのない聖地では、無数のハベルが綾なす美しい空間でした。検索で引っ掛かって、熱狂的採取者に荒されないよう、標準語を使わずにハベルと沖縄弁で書いています。
 奪うことしか知らない人達から隠して守ってこそ、綾は美しく耀くようです。静かに快復を見守っているのです。

[6486] テフテフはヒラヒラ  神奈備 2005/08/04(Thu) 19:54 [Reply]
 大宇陀町春日の春日神社の摂社に伊太祁曽神社があります。杉の木の又になっている所に神様が鎮座されていると云う形で五十猛神が祭られています。
 桑の木の又でオシラ神の御神体を作ったりします。木の又は神霊の宿る所なのでしょう。挟まれたりはさんだりする話などもあります。
 オシラ様は蚕神ですが、語源は蛾を云うヒル・ヒヒルがシラとなったと云われていますが、絹の道の新羅のシラからとも思われます。
 オシラ様はオヒナ様にも通じるとか。このヒナは雛で異境と往来する神霊の象徴だそうです。
 新羅の素盞嗚尊が往復しましたが、異境の要素があったのかも知れません。
 
 黄泉の国の境の平坂と云う言葉があります。ヒラサカ、このヒラは平らではないでしょう。ヒラはヒナに通じすとすれば、辺境や異境の意味があり、異界との境の坂を平坂としたのでしょう。

[6485] Re[6484][6483]: の続き・・  大三元 2005/08/04(Thu) 06:58 [Reply]
>  ヤマトゥンチュ(大和人≒本土日本人)に教えられるとは、なかなかお恥ずかしいかぎりで。。

んなことは、構わないでしょう・・・

>  しかし、日本語ではないとされるアイヌ語や朝鮮語も射程内に入れるべきなんでしょうね?

はい、大雑把に、弥生語への洞察は琉球方言から、縄文語への洞察はアイヌ語から、というイメージ、パラダイムを持つに至りました。
http://www.dai3gen.net/ryukyugo.htm

朝鮮語、、、これ自体も出自・関連が不明な「孤立語」のようで、日本語の形成にどのような立場にあるのか、不明です。

[6484] Re[6483]: の続き・・  琉球松 2005/08/03(Wed) 23:34 [Reply]
 ヤマトゥンチュ(大和人≒本土日本人)に教えられるとは、なかなかお恥ずかしいかぎりで。。
 しかし、日本語ではないとされるアイヌ語や朝鮮語も射程内に入れるべきなんでしょうね?

[6483] 無題  琉球松 2005/08/03(Wed) 23:16 [Reply]
 大三元さん、どうもどうも!
 ヤマトゥンチュ(

[6482] キロロ  大三元 2005/08/03(Wed) 13:18 [Reply]
琉球松さん、キロロと呼んだ理由
http://www.jvcmusic.co.jp/-/Profile/A011363.html
に出てました。

kiro-ruが「踏み固めた道」という意味であることは、辞書で確認できます。
私も出雲の地名で「木呂畑」の「木呂」がこれかも、と
http://www.dai3gen.net/izm_chi.htm
で書いておきましたが、木呂畑、という地名の古さが不明なので、アイヌ語で解くことが意味があるのか確かではありません。

>  「キロロ」が妖精を意味するアイヌ語であるというのも、沖縄県民の思い込みかもしれません。

[6481] 無題  琉球松 2005/08/03(Wed) 12:07 [Reply]
 大三元さんのおっしゃるとおりですね。
 思い込みの弊害はけっこうあります。以後、気をつけようと思います。
 「キロロ」が妖精を意味するアイヌ語であるというのも、沖縄県民の思い込みかもしれません。

[6480] Re[6479]: 文化周圏論  大三元 2005/08/03(Wed) 09:19 [Reply]
>  皇極紀に「ピピル」はでてきませんね。僕の思い込みでした。。。
> >  しかし、常世虫がアゲハチョウ科の幼虫であることは、ほぼ間違いないように思えますね。
>  食草(幼虫が食する植物)である「橘」は柑橘系ですし "蚕に似た" という事は蚕ではないわけで "緑に黒の点" となるとますますって感じです。

ええ。そう思うのは良いし、私もそれがアタリだと思うけど、資料のあるデータと意見・見解・解釈は分別して欲しいです。

> >  蛇足。。。「kikir」からの連想は、沖縄のボーカルディオ「kiroro(妖精?)」。。。(笑)

kiror =力(大力) は知ってますが kiroro=妖精は知りません。そうなんですか?

[6479] 文化周圏論  琉球松 2005/08/02(Tue) 23:35 [Reply]
 皇極紀に「ピピル」はでてきませんね。僕の思い込みでした。。。

 しかし、常世虫がアゲハチョウ科の幼虫であることは、ほぼ間違いないように思えますね。
 食草(幼虫が食する植物)である「橘」は柑橘系ですし "蚕に似た" という事は蚕ではないわけで "緑に黒の点" となるとますますって感じです。

 蛇足。。。「kikir」からの連想は、沖縄のボーカルディオ「kiroro(妖精?)」。。。(笑)

[6478] Re[6476]: 文化周圏論  大三元 2005/08/02(Tue) 14:13 [Reply]
琉球松さん

> >  たぶん、大三元さんも「ヒラ」に注目していると思いますが、アイヌ語の「pora」や与論島などの「ぱピル」。。それから、例の常世虫事件?にでる蝶は「ぴピル」ですね。

皇極紀に「蝶」とか「ひひる」とか出てきますか? そう推定可能な対象はありますが・・・

「ひひる」とアイヌ語 kikir=虫 に関連がないものか、と興味を持っています。これが菊理姫のキクリ〜キキリ、でキクリ姫の名義が虫(広げて蝶?)や養蚕に通じるのか、と。

そこへ今回新たに頂いた視野としては、ハベル周辺の音が蝶や巫女を意味するということ。キクリ姫に巫女の性格を見て良いかも、と思うと、なんかここら辺がつながりを持ってくるかなぁ。まだ妄想域ですが。

[6476] 文化周圏論  琉球松 2005/08/02(Tue) 11:41 [Reply]
 『言葉の景色』を勝手に要約すると。。。
*『あまビラ・ヒルろう・ヒイロ・など「ヒラ・ヘラ」から変化した古名は、西日本から拡大した文化圏の名残り』
*『「ヒラ・ヘラ」を含む言葉として呼んでいた地域が、8世紀頃に「てふ(中国語)」を導入した』
*『東北の「おしら様」は「おヒラ」であった可能性もあり、「ひヒル(蛾)」は古名を引きつぐもの』

 たぶん、大三元さんも「ヒラ」に注目していると思いますが、アイヌ語の「pora」や与論島などの「ぱピル」。。それから、例の常世虫事件?にでる蝶は「ぴピル」ですね。
 これは、「はベル(神女達)」の権威を奪った中央政府への反抗のように見えます。

[6475] てびらこ  大三元 2005/08/01(Mon) 12:03 [Reply]
琉球松さん、
そうですね、東条操編の全国方言辞典でも「てびらこ」は岩手、となっていますね。
他にも手持ちの辞典で確認出来ないものもあり、著者が現地で確認されたものなのか、何かに出ているものか、と保留してます。
ご参考になるかどうか、茶飲み話までアイヌ語の「蝶」を少し:
アイヌ語方言辞典では:
heporap, etattar, kamakata, marewrew, kata riwriw, kapahpo
が上がっています。
heporap:萱野さんは he-pora-pora という語に関して「羽をばたばたすること」としていますので、それを応用すると he-pora-p は「羽をばたばたするもの」ということになります。しかし he は「頭」を意味することはあるけど、「羽」を意味する他例がなく、私はちょっと「?」です。「ハピル」に何となく近いのも面白い。

marewrew:はユーカラにも出てくる一般性の高そうな語です。知里さんはma-rew-rewとして「泳ぐ・とまりとまりする」を解しています。rew は「小鳥が枝にとまる」という意味(萱野辞書)があり、そういうニュアンスの「とまる」のようです。私は後半の rew-rew が「てふてふ」と近いのに興味もってましたが、日本語側の古語が判らないので、仮に関連があるとしても比較的新しい借用関係くらいだろう、と思います。
むしろ、蝶が飛ぶ有様を擬態語として表現したものに過ぎないのかも、という思いが強いです。また、カワウソ(カッパ?)のユーカラで、カッパ・レウレウ・カッパというサケヘ(各句の冒頭に繰り返される、ことが多い)の「レウレウ」を視野に入れて「蝶と河童!」の共通項でも考えるのか、と思案投げ首です。

[6474] てびらこ  琉球松 2005/08/01(Mon) 01:21 [Reply]
 『言葉の景色』には "沖縄の「てびらこ」" とありますが、勘違いではないでしょうか。
 これは岩手県の方言のようですし、沖縄では『おもろさうし』を含めまったく聞かない響きですね。

 「ハブラ(奄美)・ハベル(沖縄)・ハピル(宮古&八重山)」のルーツ探しは困難ですが、琉球方言で言う「アケジュ・アーケージュウ・アキズ」が「トンボ」を意味する事から推測すると、古事記にでる「アケズ」同様、日本古語との繋がりが考えられると思うのですが。。。


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