神奈備掲示板の案内とログ

神奈備掲示板

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掲示板のログ(平成十九年 六月 2007.6)お名前の敬称は省略しています。

[8442] ネコババ  神奈備 2007/08/30(Thu) 20:12 [Reply]
ササユリは銅鉱床を含む蛇文岩地帯によく生えるそうです。自然銅をサササと言うようで、ササは酒だけではないようです。

ネコダとは筵(ムシロ)を言い、金・銀・銅などの金属を含む泥粉を流してやると重い金属が筵に付着し、他の所ではたいて金属を取り出すようです。この工程を管理する老婆がいて、時々金属を盗むようです。これをネコババと言う。(『黄金と百足』若尾五雄著)

[8441] 玉の緒  神奈備 2007/08/25(Sat) 16:25 [Reply]
玉の緒とは人の命を示す言葉でもあります。

 式子内親王の歌
 玉の緒よ 絶えなば絶えね 長らえば しのぶることの よわりもぞする

 自分の命は絶えてしまえ このせつない思いを抱えたままでは生きていけない

 11月22日の寒い夜に石上神宮で鎮魂祭に列席させて頂いたことがありました。
 神職二人が簾の向こうで何かをしている音、時々小さくチリチリンと鈴の音が聞こえるような気がしました。鎮魂の儀式の様子はかいま見ることにはなりませんでした。

 『太陽と月』(日本民俗文化体系)で、谷川健一氏は石見の物部神社での鎮魂祭の様子を記述していますので紹介しておきます。

 五色の絹糸三尺。これが玉の緒のつもり。
 形代の人形を柳筥に入れる。
 すだれの外の拝殿で、猿女(13才以下の女子)が桶の上に登る。宇計布禰と云う。
 すだれの内側では、宮司が玉の緒に一つ結び目をつくる。
 禰宣は「一」と叫ぶ。
 猿女は鉾で桶をつき、笹の束をゆらゆらさせながら「一」と数える。
 もう一人の禰宣が柳筥を3回半ゆりうごかす。

 これを二、三、・・、十と繰り返す。

 これが『旧事紀』の物部氏伝承の鎮魂の呪法。玉の緒を結ぶことは人間の魂を身体につなぎ止めるまじない。
 
 玉を身につける、その伝統はブレスレット、ネックレスに残っていますし、結婚式で花婿が花嫁に指輪をつけますが、花婿の魂を花嫁の身体に付着させる呪いです。

[8440] Re[8439][8438]: 出雲の銅剣358本の謎にせまる  神奈備 2007/08/25(Sat) 16:24 [Reply]
> 銅剣の柄の付け方がわからないつうのは驚き(><)

 荒神谷の銅剣はほぼ同時期に製作されているようです。多分祭祀のための道具だったのではないでしょうか。現に『出雲国風土記』に登場する郡別の神社数に付合して並べられているとの説もあるくらいですから。

 西から@34本、A111本、B120本、C93本と並んでいたようです。計358本

 一方、『風土記』記載の神社は、

 神門37社、仁多10社、大原 29社、飯石 21社、楯縫 28社、出雲 122社、島根 69社、秋鹿 27社、意宇 63社 合計406本。

 @34は神門37社、A111本は仁多・大原・飯石・楯縫の88社、B120本は出雲郡122社、C93本は島根・秋鹿96社に相当しているようです。Aに差が大きいのは少し気がかりですが・・・。

 主に西の出雲地方一体が意宇郡の勢力に圧倒されたと云うことかも。

[8439] Re[8438]: 出雲の銅剣358本の謎にせまる  縁MADOKA [Url] 2007/08/23(Thu) 23:42 [Reply]
はじめまして ゆりこさん
> 中杉 弘のブログの「出雲の銅剣358本の謎にせまる 」「出雲紀行 騎馬民族征服王朝 」を読まれたし。
>   ↓
> http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/

見ました!
ちょっとおもろいなあと。。
銅剣の柄の付け方がわからないつうのは驚き(><)
銅剣は鉢巻で頭に巻いたつうのは結構おもしろかったですねえ
そんなギラギラした角生やした軍団!!
そりゃ怖かろうて!!

確か 聖徳太子が物部との戦いの時 手ずから彫った四天王の像を頭に巻いて勝敗祈願して出陣したんじゃなかったけ???

[8437] Re[8434]: 済州島&鉱物  神奈備 2007/08/21(Tue) 13:35 [Reply]
> 済州島出身の女性の日本の聖地巡りの本で、姫嶋に降り立った時、ここは済州島に似ている!!

 紀州の歴史家は済州島の海岸と熊野の海岸の風景がよく似ていると云われていました。岸壁と植生が似ているのでしょう。よく似た緯度と暖流の流れは共通です。淡路島の南の沼島も熊野の海岸の風景と似ており、また姫島も似ているのは不思議ではないですね。

[8436] Re[8435]: 島根の古事記関連観光  神奈備 2007/08/21(Tue) 13:35 [Reply]
> 『古事記』の出雲

 神代 伊耶那伎命   出雲の国の伊賦夜坂  八束郡
 神代 速須佐の男の命 出雲の国の肥の河上  仁多郡
 神代 速須佐の男の命 出雲の国の須賀の地  大原郡
 神代 宇都志国玉の神 宇迦の山の山本    簸川郡
 神代 少名毘古那の神 出雲の御大の御前   八束郡
 神代 建御雷の神   出雲の伊耶佐の小浜  簸川郡
 神代 大国主の神   出雲の国多芸志の小浜 簸川郡
 垂仁 本牟智別の御子 出雲の大神      簸川郡
 景行 倭建命     出雲の肥の河     簸川郡

 大国主が登場して来ますと、流石に西出雲が多くなりますね。

[8435] 島根の古事記関連観光  佐久佐 2007/08/19(Sun) 12:20 [Reply]
 松江&古事記で検索エンジンにかなりの数、引っかかりますが、実際には、古事記の関連神蹟は東出雲町の揖屋神社や安来市のイザナミ神陵地になり、出雲大社のある出雲西部ではなく最東部付近になります。

[8434] 済州島&鉱物  縁MADOKA [Url] 2007/08/19(Sun) 04:33 [Reply]

とみたさん
こちらこそ、サイトパトロールしていると神話の話になると諏訪春雄さん よくでて
きますね。読みかけですが、少々面食らいながら、頭の中で組み替え中(><)
ご紹介のサイトで済州島がでてきましたが
私が一番興味を持っているのが済州島です
有名な耽羅国三姓神話は普通に読んで誰もが思う、三穴からうまれた三姓と契った海の向こうから来た三人の姫神!は宗像三神なんでないのう???
『済州島』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%88%E5%B7%9E%E5%B3%B6
つうことと
済州島出身の女性の日本の聖地巡りの本で、姫嶋に降り立った時、ここは済州島に似ている!!なにが似ているとはいえないが本能的にそう思うと書かれていたことが原因!
姫嶋は私の追っているアカルヒメに関係がある!!
三姓神話以外の済州島の伝説が中々手にはいらないのが悩み・・・
ご存知の方があれば 書き込み下さい!

あっ隠岐 西の浦島 は西の島 本島は島後 でした! 失礼

素人さん
ちょっと触発されて 中国の銅剣 写真掲示版にアップしました 見てください
鼎もいいのがあったんですが アップできず(><)
鉄に関しての私の知識は
玉はがね一キロをつくるのに、一山を裸にする木材がいる
中国韓国名物の禿山は古代の鉄作りの公害の跡
日本のみが植林しながら鉄を作ったので緑が残った(いそたけるの御陰??)
湿度が高いことも幸い 古墳が種をまかずにでも森になるように。。。
ですが。。
私は日本に製鉄とか?渡来人が多くやってきた原因の一つに
日本の鉱物の種類の豊富さがあるのではないかと思っています
つうのは私 石が好きなんですが、西洋人も石好き 石専門店では良く出くわす。
彼らが非常に好んで買うのが 鉱物のミニチュア標本!
どうも大量に一種類の鉱物が産出するところは大陸に多いらしいですが、一国でこれほど多種多様な鉱物コレクションが揃うのは稀有なことらしい 嬉々として大量に買って行く!で、ジパング伝説じゃないけれど、日本を目指した目的は鉱物の種類が多く手に入ることだったんじゃないかと??ていうのは染色もそうです製鉄青銅の製作の秘中の秘は?微妙な鉱物の配合率が大きいと思います。完成品からは検出できない??微量、複数の鉱物の成分が必要とか?たとえば、東大阪で銅鐸製作実験を延々とやっている会社がありますが、どうしてうまくいかないトキ、銅鐸の破片を混ぜた すると良いものができた、原因はわからない やればやるほど古代の技術の凄さに驚かされるという話
これも、銅鐸の破片に混じった 微量な鉱物の配合なんじゃないかと
門外漢なんで大体ですが ご推察ください

[8433] Re[8432]: いつもお騒がせします  素人 2007/08/19(Sun) 01:07 [Reply]
とみたさま
落東江の東岸にある勿禁邑(ムルクムップ)鉱山の貴重な写真が載っていますのでホームページは以前から存じ上げております。鉱山はスカルンの磁鉄鉱鉱山で現在は航空写真から推察するにお決まりの石灰山になっているようです。
> 下に同好の士というには、畏れ多いのですが広島の倉本さんという方で還暦を越してから考古学一筋の方の研究成果が載っています。
>
> 鉄についても朝鮮に詳しく、壱岐の話までありますのでご覧ください
>
> >http://kkuramoto.web.infoseek.co.jp/kuramoto.htm
>
行動力がとみたさまと同等かそれ以上と驚くばかりです。
国内の製鉄産地と鉄鉱石鉱山は車の両輪のように関連しており、調べておりましたが、伽耶地方の現在まではっきり残っている鉱山として勿禁邑鉱山に興味を持っていますが、ほとんど資料がありません。そう言う訳で勿禁邑鉱山の写真は大変参考になっております。
ご存知と思いますが、朝鮮半島・中国の鉄は最近見つけました
国立歴史博物館研究報告 第110集 2004年2月
を参考にして勉強しております。
朝鮮半島・中国の鉄羽資料が乏しいものですから、ご指導いただけると助かります。
遼寧省鞍山市の鉱山地区や古代製鉄遺跡などの旅行記がありましたらご紹介いただけると助かります。
参考に
刀鍛冶の方のホームページ(鍛冶技術の解説が丁寧になされております。)
http://www.eonet.ne.jp/~sumihira/

[8432] いつもお騒がせします  とみた 2007/08/18(Sat) 11:19 [Reply]
素人さん

毎々お付き合いしていただいてありがとうございます。

私も素人の癖にドンドン質問する輩ですから、時々顰蹙を買います。

下に同好の士というには、畏れ多いのですが広島の倉本さんという方で還暦を越してから考古学一筋の方の研究成果が載っています。

鉄についても朝鮮に詳しく、壱岐の話までありますのでご覧ください

http://kkuramoto.web.infoseek.co.jp/kuramoto.htm


縁MADOKAさん いつもフレッシュな好奇心に元気を頂いています

諏訪春雄さん のHPありがたく見せていただきます。

この道は権威がいない世界、中国貴州のトン族を現地調査を含めて

やっておられますね。

もっと学問的に調べるなら、国学院大学21世紀COEプログラム 事務局03−5466−0132(tel/fax)へ資料請求なさってください

薩歳の祭り(日本における神観念の形成とその比較文化論的研究)という冊子(160ページ)です。在庫があれば返送用の切手代だけで無料で送ってくれます。

雲南省のイ族やワ(イ瓦)族については、工藤隆先生の本やビデオがあります。

大修館書店で出されていますので問い合わせてください。


倭族研究の第一人者の鳥越憲三郎先生は80歳近くになって、このワ(イ瓦がくっついた字)の現場調査を山深く入ってなされたようです。

50年前には首狩り族だったようですよ。日本人のルーツの倭族とも類似点があるようで、先生の好奇心や情熱には頭が下がります。

わたしは、呆け予防の古代史探求だから恥ずかしいですね。

[8431] 鉄について聞いた話  素人 2007/08/18(Sat) 09:25 [Reply]
とみたさん
色々と情報ありがとうございます。
考古学として鉄をやっていられる方、鉄を研究しておられる先生 、刀鍛冶やたたらの復元に取り組んでおられる職人さんそれぞれ捕らえ方が極端に違います。
とみたさんの疑問の大部分は本に載っていない職人さんの経験や刀鍛冶の方々の秘伝などの中にありあまり公開されていない部分と思われます。
私の場合は、極めてまれに技術をご指導いただける技術者の方に身の程をわきまえず、メールで疑問点への回答をお願いして、頓珍漢な愚問としばしば怒られながらご指導いただきました。実際は本に書いてあるのと大違いと言う事が多々あるようです。
> 紀元前9世紀といえば、一昨年、虢国博物館で見た鉄剣があります。
>
> 低温度で木炭を使い固体状態に還元して製作する。武器としては無理でしょうね。農具として開墾用具としては使えましょうか。
>
> 鉄についての製法や鍛治について基礎知識がないので、いろいろと理解が難しいのです。以下のように情報が一杯あるのですが残念です。

実際は簡単な鍛冶炉と鞴で、炭の種類(密度等)、大きさ、積み上げる量などを調整して、還元雰囲気・酸化雰囲気・温度を自由にコントロールして脱炭素・浸炭を居のままに出来るそうです。特殊なものはいらないそうです。
古鉄なども新鉄とともに溶解して浸炭が進みすぎて白銑鉄にならにように、浸炭を押さえ目的の炭素濃度の鋼に調整できるそうです。
赤い炭に羽口から十分な空気を吹き込めば高温は以外に簡単に得られるようです。
炭を積み増せばさらに温度が上がると聞きます。
古代は技術が低いとか本には書かれていますが、現在よりも古代のほうが優れていたかもしれない言われる方も居られます。
>
> 中国華北では、坩堝精錬法(間接法)による鋳鉄で送風装置が必要。
>
> 楚を中心とする江南では、砂鉄製錬の副産物として生産された錬鉄(直説法)
>
> 朝鮮南部では鍛造中心、朝鮮西北部では燕の戦国系鋳鉄中心
>
> 直木孝次郎さんの説では、4世紀末から5世紀には、秦氏が新羅から移入したのは、鋳工で備前(上道)に、5世紀後半、漢系の工人が伝えたのは鍛工で備中(下道)に
>
>
> 倭鍛治から韓鍛治の画期は5世紀初め
>
> 日本では砂鉄を原料としてタタラ製鉄が広島県東部から岡山県にかけて始まったのは、6世紀半ば(日本鉄鋼協会内の研究会)(広島大考古学教室のタタラ研究会)、5世紀初めまで遡れるかも知れません。
>
>
> それ以前は水辺の草にくっついた褐鉄鉱=高師小僧=サナギを国内では利用し伽耶から鉄鋌(鉄素材の延べ棒)を輸入してはトンチンカンをやっていたのでしょうか。
>
> 鉄穴流(カンナ流し)の開始期も不明
材料について砂鉄、砂鉄と質問したらこっぴどく怒られたことがありました。
原材料は鉄が含まれていれば何でもよく、鉄の含有量が多い程、歩留まりが良いので好ましいそうです。容易に入手できる,当然ですが、不純物が少なくて、鉄分が多い原料が良いようです。初期ですと全国の川に転がっていた岩鉄(餅鉄)などが集積されれば最高の鉄原料と思われます。
川砂鉄などは一般的に不純物が多く、低温還元では不純物を精錬でとり切れないなどの問題があるようですが、千種砂鉄など一部の川砂鉄は良質でそのままで良質の純鉄や鋼が取れる物もありますが例外と考えたほうが良いようです。当然ながら、このような砂鉄は初期から用いられたと思います。例外です。
あくまでも聞いた話ですか、お聞き流しください。

蛇足、鉄関係の技術は極端な秘密主義で秘伝として弟子に伝えられ居り,公開されていないようです。これを見ても日本に半島を経由して渡来した、渡来人(中国人、製鉄華僑)は同国人は元より、異国人への飯の種である、技術の伝承は非常に少なかったと夢想します。

[8430] 御返礼  縁MADOKA [Url] 2007/08/18(Sat) 01:22 [Reply]
とみたさん
ご紹介の本 ぼちらぼちら読んでます
ご存知かもしれませんが
下記サイトがあったのでご紹介 御返礼??
『諏訪春雄通信』
http://www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/profile.htm

[8429] 中国の金属  とみた 2007/08/16(Thu) 12:02 [Reply]
素人さん 鉄のことでお世話になります。

物好きでいろいろ調べていると、知識の結び目に新しい発見が時々あります。

>中国で低温還元直説法・塊錬鉄は紀元前9世紀とされているようですから、それ以前に導入されたと思われますが・・・

紀元前9世紀といえば、一昨年、虢国博物館で見た鉄剣があります。

虢国は西周時代の名門の国です。黄河が湾曲部を下ったところが三門峡です。その近く洛陽の西北の地です。

出土資料として人工鉄として最古のものです。河南省三門峡上村嶺の北虢国の墓から出土した「銅柄鉄剣」で、炭素量0.2~0.3%の軟らかい人工鉄の短剣(20cm位)です。

時期は西周晩期(紀元前850年〜前800年)頃ですが、同時に出土した戈は刃部のみ「隕鉄」です。この様に殷・周の時期は「隕鉄」と共に「人工鉄」も生産されていたが、利器として使用し得る硬さの技術がまだ開発されていなかった事を物語るようです。

中国の鉄器文化の成立にあっては、西アジアに共通する「隕鉄」の使用、利器になり得ない「錬鉄」の使用などから始まっており、この動向は鉄文化成立の原初的な様相を示しているとのこと。

トルコのカマン・カレホック遺跡のアッシリアの商人居住地で紀元前20〜18世紀に最古の鉄片=鋼が出ていますので、どんな経路で伝わったんでしょうか。

>塊錬鉄
前9世紀後炉の開発。低温還元直説法。中国では最古の開発品であるが、この製法の鉄器は古い時代には日本に導入されていない。日本列島には6世紀中ごろに岡山地域に導入され吉備の鉄を生産した技法である。


低温度で木炭を使い固体状態に還元して製作する。武器としては無理でしょうね。農具として開墾用具としては使えましょうか。

鉄についての製法や鍛治について基礎知識がないので、いろいろと理解が難しいのです。以下のように情報が一杯あるのですが残念です。

中国華北では、坩堝精錬法(間接法)による鋳鉄で送風装置が必要。

楚を中心とする江南では、砂鉄製錬の副産物として生産された錬鉄(直説法)

朝鮮南部では鍛造中心、朝鮮西北部では燕の戦国系鋳鉄中心

直木孝次郎さんの説では、4世紀末から5世紀には、秦氏が新羅から移入したのは、鋳工で備前(上道)に、5世紀後半、漢系の工人が伝えたのは鍛工で備中(下道)に


倭鍛治から韓鍛治の画期は5世紀初め

日本では砂鉄を原料としてタタラ製鉄が広島県東部から岡山県にかけて始まったのは、6世紀半ば(日本鉄鋼協会内の研究会)(広島大考古学教室のタタラ研究会)、5世紀初めまで遡れるかも知れません。


それ以前は水辺の草にくっついた褐鉄鉱=高師小僧=サナギを国内では利用し伽耶から鉄鋌(鉄素材の延べ棒)を輸入してはトンチンカンをやっていたのでしょうか。

鉄穴流(カンナ流し)の開始期も不明

などなど、鉄の話を技術的に追っかけると、わからないことが一杯です。

遊び半分の研究ですからまた気楽に教えてください。






[8428] Re[8423][8418]: 中国の金属  素人 2007/08/16(Thu) 01:23 [Reply]
とみた様へ
レベルの低い回答ですが
>> 中国よりインドの方が、鉄文化は早く入っています。中国の南方はインドから鉄文化が入ったのでしょうか??
>
中国で低温還元直説法・塊錬鉄は紀元前9世紀とされているようですからそれ以前に導入されたと思われますが、はっきりは解りませんが簡単な技術ですから、どこから入ってきても高度な銅の精錬技術の有った中国には簡単な技術導入であったと思われます。最初の導入経路はわかりませんが、多方面から導入されたのではないでしょうか。
>
> 北ルートでは、楽浪郡の平壌からどんなルートが考えられましょうか。大同江、漢江、それと、中央ルートの扶余あたりの松菊里遺跡から錦江、洛東江沿いに朝鮮南部に出て来たのでしょうか。
楽浪郡の鉄鉱石探査の進展に伴い、現地での製鉄が行われていったのではと夢想します。石灰岩層への花崗岩の貫入により生成するスカルン鉱床の磁鉄鉱が発見されたようです。鉱山で追うと答えが得られるかもしれません。または石灰岩地帯。

> 前漢武帝は、全国に官営の鉄工場=鉄管をたくさん作ります。斉国は鉄が特に多く取れ、鉄官も多いです。
楽浪郡の時代では、遼東半島の付け根の鞍山に鉄管が置かれました。
以下に資料を紹介します。
遼東半島の付け根にある
縞状の鉄鉱石で風化すると小石状になりそうな堆積鉱床です。
鞍山市:戦国時代は燕の領地で、前漢時代に鉄管が置かれた鉄の先進地であった。
http://maps.google.co.jp/maps/mm?ie=UTF8&hl=ja&ll=41.107554,122.995377&spn=2.334314,5.278931&t=h&z=8&om=0
鞍山鉄鉱山区:鞍山市付近にあって規模が巨大であり、鞍山、斉大山、大弧山、眼前山、弓長嶺などの鉱区を含んでいる。露天掘りの鉱山が見られる。古代は露天掘りではないが鉱山から流出した鉱石による堆積層の存在が予想され利用されたと推測される。
http://maps.google.co.jp/maps/mm?ie=UTF8&hl=ja&ll=41.107554,122.995377&spn=0.145899,0.329933&t=h&z=12&om=0
それ以前に山東半島からの燕以外の地区からの鉄の日本への伝播を考えております。


> 蚩尤は斉の山東半島が本拠でしょうから、斉の鉄と関係が深いと思っているんです。蚩尤を祀る兵主神社は但馬に多いようですね。三輪山近辺の巻向川(穴師川)の穴師兵主神社も気になっているんです。
>
> 素人さんは、鉄の技術に特に詳しいようですが、われわれ素人にわかりやすく技術の特徴をお教えいただけませんでしょうか。
>
解説
塊錬鉄
前9世紀後炉の開発。低温還元直説法。中国では最古の開発品であるが、この製法の鉄器は古い時代には日本に導入されていない。日本列島には6世紀中ごろに岡山地域に導入され吉備の鉄を生産した技法である。
 可能性としては、日本が半島で生産していた鉄蹄の製法は塊錬鉄の可能性があると夢想しています。中国では鍛造品の原料は塊錬鉄を用いたようです。中国では無煙炭などを使用して大規模に生産されていたようです。
方法としてはこちらで,ご紹介いただいたアフリカの製鉄と同じです。
日本の方法では最後にノロが出たりしていますので、ファイナルでノロに中に溶解した純鉄を落として酸化防止を行い歩留まりを上げたりしているのかと思います。
岡山での鉄鉱石の初期は低温で炭素濃度の低い鉄を作っていたようです。
この製法は不純物の少ない鉱石が必要と思われます。
その後、炉の高さを高くして温度を1200℃以上に上げて、浸炭を進め液体の白銑鉄を製造できるようになりイルメナイトなどの不純物を分離できるようになり、不純物の多い川砂鉄や海砂鉄を利用できるようになった。その後に不純物の少ない高純度の山砂鉄を得ることができるようになり、江戸時代に温度を下げて浸炭を抑えて海綿鉄ではなく鋼を直接製造する技術が確立され玉鋼が発明された。
白銑鉄を経る製法は高酸素濃度、低温法で不純物が溶解しづらく、不純物が多くても高純度の白銑鉄を得ることが出来る方法です。
以上が素人の夢想しているところです。


[8427] 潮盈珠と潮乾珠  神奈備 2007/08/15(Wed) 20:04 [Reply]
 吉田敦彦『日本神話のなりたち』、大林太良『日本神話の構造』などから

 海幸彦・山幸彦の物語は借りた釣り針をなくして、どうしても返せと云われて、やもうえず海底まで探しに行く物語です。これとよく似た物語はインドネシアやメラネシアにあるそうです。
 さらに大陸南部には山幸彦と豊玉姫の結婚を思わせるような、竜女との結婚の物語が数多く見いだされるそうです。
 かたや、スキタイの民の伝承とまた東南アジアで語られる物語が天皇家の祖先神話に取り込まれているのは興味深いことです。
 これは岩長姫と木花咲耶姫の物語が、東南アジアでの石とバナナとの選択の話のなき直しとされているのと同じことです。

 山幸彦(火火出見命)が海底から持ち帰った潮盈珠と潮乾珠を使って高潮を自在にあやって兄の海幸彦(火照命)を降伏させる説話もまたアッサムやインドシナの神話にもあるようです。引用以上。

 潮盈珠と潮乾珠を持って帰って来るのですが、この珠の威力は水を自在にコントロールすることにあるのですが、やはり珠=玉=水神の魂と云う基本線は日本古来のものが入っているようです。

[8426] 豊玉姫・玉依姫  神奈備 2007/08/15(Wed) 09:36 [Reply]
 架空の存在ではあっても、伝承された物語がどこかで語られつづけられたと云うことです。水を支配している海神の娘の名に豊玉姫・玉依姫と玉がついているのは何故なのでししょうか。

 勾玉は縄文前期にはすでに日本列島に存在していました。この頃の縄文人は狩猟・漁猟・慣海の民でした。彼らは太陽よりは月を頼りに生活の糧を得ていました。そういう意味で勾玉は月神として身に付けており、食物を充分で安全な確保を祈念していたのでしょう。三日月に似た形です。

 相当後世のことですが、北畠親房の『神皇正統記』には、「玉は月の精なり。」とあります。

 さらにその青色ないし濃緑色の勾玉は水滴をも示しており、水神の魂が宿っているとも思われていたのでしょう。
 
 水神・海神の娘達は水に関わる名として玉を含んだ名前になったのでしょう。豊玉、豊穣の女神。玉依、水と海と食物の魂を宿した女神。ともに始祖王の親に相応しい名前です。

 『古事記』には、「伊耶那伎命が天照大神に「汝は高天原を知らせ」と、御頸珠を賜った。御倉板挙の神と言う。御倉板挙とはクラに入れるタナモツのこと。タナは種の古語。稲霊。ついでに雑穀はハタケツモノ。

 『垂仁紀八七年』丹波国の甕襲(ミカソ)の飼犬が山の獣ムジナを食い殺したら腹から八尺瓊の勾玉が出てきたと云うお話が載っています。山の獣ムジナとはいかにも縄文的な雰囲気を漂わせています。
 甕襲の襲は南九州を連想させます。丹波には隼人が古くから移住させらており、小川月神社・月読神社・藤越神社が鎮座しています。隼人の月信仰も縄文の流れを汲んでいるのではないかと思われます。

[8425] 海神の娘  神奈備 2007/08/14(Tue) 18:00 [Reply]
 ギリシャ神話の最高神ゼウスは嫉妬深い嫁を持ち、それでいた各地の女神や貴族の娘に妻問いをします。まるで大国主神そっくりの印象です。
 ギリシャ人はもともとバルカン半島にいて、そこから南下したようです。ギリシャ神話が直接日本に伝わってきたわけではなさそうですが、南ロシアにいたスキタイ人の神話の中に入っているようです。これがはるかアジア大陸を横断して高句麗などを経由して日本に伝わってきた可能性はありそうです。
 『日本神話のなりたち』吉田敦彦著)では、ギリシャの歴史家ヘロドトスがスキタイ神話を書き留めているのです。

 スキタイ民族の最初の王は天上の最高神パパイオスと云う神と、ドニエプル河の神の娘神との結婚から生まれたとされています。
 高句麗の神話では初代の東明王となった朱蒙は、天帝の太子の解慕漱が河の神の娘であった柳花と云う女神と結婚し、生まれた子だった。
 日本では、天孫の天神と水を支配する海神の娘トヨタマヒメと結婚して生まれた子のウガヤフキアエズが更に海神の娘タマヨリヒメと結婚して生まれた子が初代の天皇である神武天皇になります。
 また、スキタイ、高句麗、日本と三種の神器が伝えられており、それぞれ祭具(鏡)、農具(玉)、武器(剣)となっています。

 それ以外にも双子の兄弟のうち一人が海神の住む宮に行って、海神の娘と結婚し、やがて帰国、兄弟は再会するのですが、争って二人とも死にます。海神の娘は孕んでおり、父親の国で子供を産むと云うお話があります。お産の場所は家ではなく馬小屋となっています。
 
 祖先神話の伝播と云うことを考えますと、トヨタマヒメと云う存在は全くの神話の中だけに登場する女神であって、まさに架空の存在。

[8424] 鉄?  福島雅彦 2007/08/12(Sun) 23:31 [Reply]
※素人さん、とみたさん、「中国の金属」興味深く拝読しました。

*私は、語源解明から古代史の謎解きに挑んでいます。
*製鉄に関して、世界で最初に「鉄」を造ったのは古代倭人ではないか、と思っています。
*鉄の古字は、「銕」です。漢字の成り立ちの会意から「東夷の金属」です。
*音符の「夷」は“yi”ですから「い」と発音するはずです。
*其れなのに、漢字一文字一音節の原則から外れて、呉音「テチ」漢音「テツ」と二音節です。
*これは、古代倭語(九州弁と朝鮮語に臍の緒を留める)の外来語だからであろう、と思っています。
※『後漢書』に登場の倭王「帥升」は、中国書記官の認識では“shuai-sheng”で、“soe-sang”(ハングル=“쇠상”=鉄上)の音写=製鉄王⇒素盞嗚尊である、と。
*以上、福島雅彦説でした。

[8423] Re[8418]: 中国の金属  とみた 2007/08/12(Sun) 22:53 [Reply]
素人さま

> > 少し独善的な掲示板濫用にて皆様に迷惑をおかけします。> >
> 大変参考にさせていただいております。
> お礼を兼ねて、中国関連などは出所が限定されますが、面白い資料がありましたので、ご紹介します。
>山東半島から海路日本の可能性もあります。
> 燕から朝鮮ですが古い時代は後世ほど往来が簡単でなかった様に聞きます。
> 炉の記載はありませんが、銅の精錬での高温の還元炉が鉄に利用され銑鉄を製造出来たと思われ興味あります。液体の鋳鉄は銅の鋳造技術により鋳造されたようです。
> 炉は丸型の炉に例えば20cm径などの太く長い磁気性の筒を下向きに差し込んで大量の空気を送り込んで高温とする炉で古代中国・朝鮮・8世紀日本で発掘されています。
> “春秋"以前の中国の金属鉱業. 岸本文男(鉱床部)
> http://www.gsj.jp/Pub/News/pdf/1982/05/82_05_02.pdf

ありがとうございました。早速印刷して読ませていただきました。

中国東北方の燕や黄河下流域の斉は鉄で有名ですね。春秋時代の末期から戦国時代に鉄がつくられ、山の木は刈り取られ禿げていく。

燕から衛満が紀元前195年に朝鮮にやってきたのが画期なのでしょうか。燕の鋳鉄や明刀銭が朝鮮北西部に出回ります。

紀元前108年前漢武帝時代に中国の植民地の楽浪郡など4郡ができて、中国の鉄の技術が入ってきたのでしょう。

一方長江の中流域の楚では、春秋の初めに高度な製鉄が始まっているんですね。
楚の南の百越でも(今の広西チワン自治区あたり)、戦国時代の墓に青銅製と鉄製の工具が副葬されているようです。

中国よりインドの方が、鉄文化は早く入っています。中国の南方はインドから鉄文化が入ったのでしょうか??

中国から日本にどう伝わったかが、気になります。

北ルートでは、楽浪郡の平壌からどんなルートが考えられましょうか。大同江、漢江、それと、中央ルートの扶余あたりの松菊里遺跡から錦江、洛東江沿いに朝鮮南部に出て来たのでしょうか。

朝鮮半島の西の海沿いに、或いは半島の東沿いの海から日本の北九州へ或いは出雲など日本海へ直接来たのでしょうか。

神話に依れば、鉄族スサノオは朝鮮慶州の迎日湾から、出雲の日御崎へ来たかも知れません。

考古学に依れば、北九州の福岡比恵/下碑田遺跡などは弥生時代の燕の鋳鉄鉄斧が朝鮮の西北部からやってきています。


前漢武帝は、全国に官営の鉄工場=鉄管をたくさん作ります。斉国は鉄が特に多く取れ、鉄官も多いです。
蚩尤は斉の山東半島が本拠でしょうから、斉の鉄と関係が深いと思っているんです。蚩尤を祀る兵主神社は但馬に多いようですね。三輪山近辺の巻向川(穴師川)の穴師兵主神社も気になっているんです。

素人さんは、鉄の技術に特に詳しいようですが、われわれ素人にわかりやすく技術の特徴をお教えいただけませんでしょうか。

今後もよろしくお願いします



> http://kkuramoto.web.infoseek.co.jp/higasiajia.html
>

[8422] トヨ  縁MADOKA [Url] 2007/08/12(Sun) 19:44 [Reply]
邪馬台国は不勉強なんでなんですが。。。
今、私の至っている 答えは!
卑弥呼ではなく、トヨのほうが 天皇家? 大巫女?としては大名跡ではないか?
神武 神功 他 古代の政権はトヨにからんでいることが政権を掌握できるキーになっているとおもわれる。
トヨは海神ネットワークのシンボルというか。。。
トヨに絡む族を掌握したものは海神族ネットワークを手にいれ、それが政権の裏の大きな力となっているつうことですね

[8421] 継続は力なり  縁MADOKA [Url] 2007/08/12(Sun) 19:31 [Reply]
お盆ですね!皆さんいいお盆をお過ごしでしょうか?
私はとみたさん御推薦本&いい本をみっけ久々に大量に本を買い読書三昧になりそうです。スッポンが頭にあり、亀関連の本購入これは導水施設のことも・・素人さんにいいかも?ちかじかUPします。
本に埋もれてまた部屋が狭くなる(><)
東沢美史さん お久しぶりです。
東沢さんからはいつも東北の匂いが伝わりますね。コツコツ書き込んで下さいね!
<一つだけ宮城や岩手で確実なことは「星の玉」の「星」は「年」を意味すると言うことです>
は参考にさせていただきたい一文でした。
前にお会いした某サイトを覗きにいったら閉鎖(><)
近頃掲示板の相次ぐ閉鎖を立て続けに目にし、
『いつまでも あるとおもうな ネット上の情報&掲示板』をシミジミ。。
老舗の神奈備掲示板の偉大さを改めて痛感!!
継続は力なり、膨大な書き込みや情報は宝ですね。。
神奈備大老の御壮健を祈念!

ひみこさん、みんなで古代史を考える会さん 咲きPONTAさん
はじめまして、書き込みよんでおります。
私は、邪馬台国にはさっぱり興味がなかったんですが、豊玉媛を追う事になり、やはり邪馬台国のトヨがからんでくるんで。。。いま考え中。。。
参考にさせていただいてます。論考がまとまりしだいレスしたいとおもってます。御三人の論考の発展を期待しています。

[8420] Re[8417]: [8416] 「つつ」=「星」について  神奈備 2007/08/12(Sun) 18:37 [Reply]
東沢美史 さん、こんばんは。日本列島、どこもかしこも猛暑のようです。

> うちでは竹筒の節を刳り抜いて竃(かまど)口で使う「火吹き竹」を作ります。
> この中には昼間でも星が見えるとのこと。

 思い出しました。和歌山の伊太祈曽と云う田舎でも、竹筒の一方節に小さい穴をあけ、後の節は取り除いて、火を燃え立たす空気を送るものを使っていました。風呂を沸かすのは大変で、先ず井戸からバケツに水を汲み、何度も運んでから火をつけます。燃えやすい松葉などを一掴みいれてやり、それに火をつけてかた木々などに燃え移らせるのです。

 深い井戸の中からは昼間でも星が見えます。長い筒も同じような効果で星が見えるのでしょう。星=筒も、筒から星なのか、星から筒なのか、関係がありそうです。


> この漢字の「台」=「臺」はイコール=漢字の「以」でもありますから、

 これはよく判りません。台には星の名とか三ツ星と云う意味があるのですね。


> 中国の「三台星」を「上台星」、「中台星」、「下台星」とか

 住吉の神に近づいている感じです。面白い。

[8419] Re[8416]: 狗奴国=許乃国、卑弥弓呼=武埴安彦命  神奈備 2007/08/12(Sun) 18:37 [Reply]
> 狗奴国=許乃国(このくに)=山城の宇治

 山城の宇治だけの地域の勢力では魏の国にアッピールするほどの戦いにはならないでしょうが、宇治を最西端として近江・尾張などの勢力が狗奴国とすれば、十分に考えられますね。
 大和をすら狗奴国の最西端とみる学者もいます。大和に前方後方墳が作られているからです。

[8418] 中国の金属  素人 2007/08/11(Sat) 23:11 [Reply]
遅くなりましたが、とみた様へ。
> 少し独善的な掲示板濫用にて皆様に迷惑をおかけします。少しひかえことにしないといけませんね。
>
大変参考にさせていただいております。
お礼を兼ねて、中国関連などは出所が限定されますが、面白い資料がありましたので、ご紹介します。
Pdfファイルですが、最後のほうに春秋戦国時代の鉄鉱山の分布図が載っています。
地名は現在の地名ですから正確な位置も確認可能です。この地図では当然ながら中原地域に集まっているようです。山東半島から海路日本の可能性もあります。
燕から朝鮮ですが古い時代は後世ほど往来が簡単でなかった様に聞きます。
炉の記載はありませんが、銅の精錬での高温の還元炉が鉄に利用され銑鉄を製造出来たと思われ興味あります。液体の鋳鉄は銅の鋳造技術により鋳造されたようです。
炉は丸型の炉に例えば20cm径などの太く長い磁気性の筒を下向きに差し込んで大量の空気を送り込んで高温とする炉で古代中国・朝鮮・8世紀日本で発掘されています。
“春秋"以前の中国の金属鉱業. 岸本文男(鉱床部)
http://www.gsj.jp/Pub/News/pdf/1982/05/82_05_02.pdf

中国鉄鉱山の中国式の分類や鉱山の地図など資料が沢山載っています。
山西式鉄鉱床は石灰岩の上のヘマタイト鉱床で前にこちらで紹介した金生山のヘマタイト鉱床と同じ鉱床です。小規模ですが採取しやすいので製鉄初期から利用されたのではと思います。鉱山は動かないので、古い時代と結びつくのではと考えています。
一36一寿陽式鉄鉱床って何だ 岸本文男(地質相談所)
http://www.gsj.jp/Pub/News/pdf/1988/06/88_06_04.pdf

[8417] [8416] 「つつ」=「星」について  東沢美史 2007/08/11(Sat) 21:46 [Reply]
神奈備さん

「つつ」=星については竹細工では説明がつきますがなるべくこれを使わず、
竃(かまど)と「カメ」だけで説明できるか春からずーっと聞き込み調査していました。
詳しくはまた書かせていただきます。
一つだけ宮城や岩手で確実なことは「星の玉」の「星」は「年」を意味すると言うことです。
お正月に絵札が大量に売られていますし仙台の八坂神社でも解ることです。

>「邪馬台国は、大和国」

聖徳太子は「和を以(もっ)て貴しと為す」と有名な言葉を17条憲法に残しました。
この漢字の「台」=「臺」はイコール=漢字の「以」でもありますから、
発音ばかりか意味まで同じということは重要ではないでしょうか?
そういたしますと、「もったいない」、「餅」、「持って行け」、「もってのほか」など
大和言葉の語源にも触れてるようでやはり驚きですし、やはり重要です。

中国の「三台星」を「上台星」、「中台星」、「下台星」とか
「さんだいしょう」などと仙台では言います。
うちでは竹筒の節を刳り抜いて竃(かまど)口で使う「火吹き竹」を作ります。
この中には昼間でも星が見えるとのこと。
雲南省では星印を「*」としますが竃(かまど)の中で爆発音すれば
竹筒の場合も有りがちなひび穴となり、
竹の筒の節が4つあれば星も一列に三星並ぶと見立てできます。

漢字の「以」の篆文&甲骨文字は
大国主命の打ち出の小槌や衣装や俵口のカブラ形と全く同じ紋様。
仙台平野の私の家や近くの農家では標準語の小槌を「つつ棒、つづ棒」と発音し、
年の瀬に臼を逆さにしてその上で藁(わら)を打ち年縄をないます。

大和三山、三輪山。・・・東北では出羽三山、岩手山。

大日霊貴、保食神、そして大名持神の「もち」=「以」=「台」=「臺」??
しつれいいたしました。


[8416] 狗奴国=許乃国、卑弥弓呼=武埴安彦命  ひみこ [Url] 2007/08/09(Thu) 14:22 [Reply]
邪馬台国は、大和国。
狗奴国は、許乃国(このくに)・・・宇治のあたり(山城国風土記逸文より)

魏志倭人伝は、
最初の北九州の国の漢字名については、
漢の時代の上古音をもとにつけられた名残があって
後の北九州以外の国の漢字名については
魏の時代の中古音をもとにつけられた名残がある。
つまり、奴国と邪馬台国・狗奴国とでは
中国人がこれらの地域と交流を緊密化させる時期が異なっていて
奴国は、57年の金印の頃の上古音時代につけられた可能性が高い。
しかし、邪馬台国・狗奴国などは240年前後の卑弥呼の時代につけられた漢字名で
魏の時代の中古音でつけられている。

よって、魏志倭人伝には、20数カ国の戸数を記していない国が多く列挙されているが 、その殆どに「奴」という字がつくが、これは中古音で「の」と呼ぶ。 おそらく、日本語の格助詞「の」が、当時の中国人の耳に残ったのでは?

狗奴国=許乃国(このくに)=山城の宇治
ここは、日本書紀の崇神期に武埴安彦命が謀反を起こした地域である。
武埴安彦命は、河内と山城の両方に拠点を持っていて
彼は、甥の崇神天皇や伯母のモモソヒメを
山城と河内の両方から、大和を挟み撃ちするように攻めた。
こういう二方向からの攻撃だから、魏志の方角観も混乱したのだろう?

狗奴国=許乃国(このくに)=山城の宇治
狗奴国男王・卑弥弓呼=彦命=武埴安彦命
狗奴国官・狗右智卑狗=河内彦
の可能性が高い。

狗奴国は許乃國(山城の宇治)
http://yamatonokuni.seesaa.net/article/34476515.html

[8414] 御案内 チャンス!  縁MADOKA [Url] 2007/08/08(Wed) 02:42 [Reply]
去年もお知らせしましたが!大阪で一番古い伝統を持つ 大阪薪能
新作ですが去年の再演
生玉神社で8月11日
『生国魂』という 八十嶋祭りを題材にした能楽が演じられます 岡田精司のお弟子さん監修!去年も見ましたが 秀作!! 女祭りであることが美しく描かれています!必見!! これを見逃すとあと再演は十年はない! BS NHKの放映待ちか???当日券¥3500
『生国魂』は18時半上演 他『清経』『船弁慶』午後4時会場 5時開演 格安で能楽見るチャンスです!!


[8413] よかったー  縁MADOKA [Url] 2007/08/08(Wed) 02:04 [Reply]
たんかんさーん 神奈備さん DVD楽しみにしております
(*^0^*)
&たんかんさーさんお元気だったんですね。。。
あまりの沈黙に。。。なんか御身ににおきたのでは??!!
とちと心配しました(><)
よかった よかった

アユタヤまとめていただき有難うございます。。アユタヤにこだわるのは朝鮮半島へどんぶらこと嫁入りしたことがもっとも原因
アユタヤ情報待っておりますーーサイトにも以外とルーツはのってない(><)

[8412] Re[8411][8410]: アカ族  神奈備 2007/08/07(Tue) 22:28 [Reply]
> 昔の映像ですが、この辺りのをDVDに再編集して管理人さん宛てにお送りしましょうか。
> あちこち探せば出てきますよ。笑。

貴HPの表紙が変わりましたね。DVDはまどかさんにもコピーして渡します。よろしく。

[8411] Re[8410]: アカ族  たんかんさ〜 [Url] 2007/08/07(Tue) 20:51 [Reply]
昔の映像ですが、この辺りのをDVDに再編集して管理人さん宛てにお送りしましょうか。
あちこち探せば出てきますよ。笑。

今夜は七夕ですが、結局行かなかった。
最近、地元の民俗芸能と云っても単に祭りの奉納舞を集めただけですが
アップしています。
「隼人舞」もあります。

[8410] アカ族  縁MADOKA [Url] 2007/08/06(Mon) 21:32 [Reply]
とみたさん
ご紹介していただいたHP拝見しました。
アカ族の村落は日本の田舎の村落にそっくりで驚きました
ただ・・タイ国に移住したのが 150年前。。。。新すぎる無念(><)

でも、なんかありますねえ
私はアユタヤ王朝を建てた部族のルーツを追ってるんですが。。。

>ハニ族は、中国の黄河流域にいた古い羌族(チベット人)が戦国時代に蜀あたりに南下し、その後も迫害を逃れて雲南に南下した族でさらにタイに逃れてタイ族になります。この民は日本人の風習と似ていまして赤米でおこわを作ります。>

これに関係するとみています
古い羌族(チベット人

アユタヤ王朝に関係するとみていますが・・・羌族についてあまりよくわかりません
もしご存知であれば、お教え下さい

[8409] RE[8408] Re[8407]: ハニ族  縁MADOKA [Url] 2007/08/04(Sat) 03:21 [Reply]
とみたさん
ありがとうございます!

>少し独善的な掲示板濫用にて皆様に迷惑をおかけします。少しひかえことにしないといけませんね>

とんでもないですよ!
とみたさんが独善的掲示版濫用ていったら
誰も書き込めないじゃないですか(><)

とみたさんは 柔軟な方ですが、クセがないので、私は信頼してファンなのに。。
そういう方多いとおもいますよ!

チョッと 明日早いんで!
じっくり読んで レスします!
まずは御礼まで。。。


[8408] Re[8407]: ハニ族  とみた 2007/08/03(Fri) 10:13 [Reply]
少し独善的な掲示板濫用にて皆様に迷惑をおかけします。少しひかえことにしないといけませんね。

> ハニ族

> >ハニ族は、中国の黄河流域にいた古い羌族(チベット人)が戦国時代に蜀あたりに南下し、その後も迫害を逃れて雲南に南下した族でさらにタイに逃れてタイ族になります。この民は日本人の風習と似ていまして赤米でおこわを作ります。>
>
> これです!!!!これです!!!!!
>
> ここにタイ族と書かれているのは!!!!
> アユタヤ王朝を作った部族ではありませんか??????!!!!

タイ族は人偏に泰=イ泰と書きます。

タイ族は雲南省シーサーパンナや景洪という地に住んでいます。ハニ族で、タイ国の北部に逃れたのはアカ族のようです。

アカ族は村の境に鳥居見たいな木の門を作り、注連縄を張っています。米は食べていますが、赤米ははどうでしょうか。雲南のタイ族はタイ国に住むタイ族にはルー族と呼ばれているようです。タイ国のチェンマイあたりまでは進出しているようですね。

雲南のタイ族はうるち米、もち米を食する。

アジア文化叢書〔雲南の生活と技術〕慶友社 TEL03−3261−1361を図書館で読みましたが、在庫があるかどうか分かりません。

もち米、ちまきはチワン族にもあるようです。こちらは百越で中国南部のタイ系民族とされていますね。

景勝地、桂林などのある広西省にいるようです。

中国は広いので、いろいろな少数民族の流れがありますね。北のチベット系民、モンゴル系民の南下。長江中流域の巴人、楚人の南下、福建省の越人の西方移動など、戦争・迫害や気候変動・飢餓などの要因で動きます。移動先で民族が交わることもあるかも知れません。

下に貼り付けたのは、ハニ族。アカ族の真面目な論文です。

http://www.jpf.go.jp/j//culture_j/news/0412/img/pdf/report13.pdf

鳥越憲三郎先生の古代中国と倭族、古代朝鮮と倭族(中央公論新社刊)でアカ族について詳しく取り上げておられます


[8407] ハニ族  縁MADOKA [Url] 2007/08/03(Fri) 01:11 [Reply]
ハニ族
とみたさん!!!!!
>ハニ族は、中国の黄河流域にいた古い羌族(チベット人)が戦国時代に蜀あたりに南下し、その後も迫害を逃れて雲南に南下した族でさらにタイに逃れてタイ族になります。この民は日本人の風習と似ていまして赤米でおこわを作ります。>

これです!!!!これです!!!!!

ここにタイ族と書かれているのは!!!!
アユタヤ王朝を作った部族ではありませんか??????!!!!

[8406] 対馬のテンテル族(訂正&補足)  とみた 2007/08/02(Thu) 23:45 [Reply]
自己レスで済みません。

>シャーマニックですね。天道は天童とも書かれていて、日光に感精して生まれたことになっていますが、アメノヒボコも太陽に感精して生まれていますので似ていますね。

粗雑に書きまして、失礼しました。

天童・・・・女が朝日に向って小用を足していたとき日光に感精して生まれた

アカヒルメ・・・女の陰部に日光が当たって赤い玉が産れた。生まれたアカヒルメを妻としたのがアメヒボコ。アカヒルメは新羅から、日本に逃げて難波についた。アメヒボコは神々に邪魔されて難波に入れず、播磨で伊和神と戦って負けて但馬の出石へ

皆様には常識でしょう。確かにアカヒルメもアメヒボコも謎の重要人物です。

>天神多久頭魂神社の神事に赤米神事

赤米神事の謎。

日本に三つしかないとのこと。

長崎県対馬の天神多久頭魂神社、

鹿児島県種子島南端の宝満神社、

岡山県総社市の国司神社、

平城京の造酒司の井戸の排水溝跡で赤米と書いた木簡が出て、

これには丹後国の竹野郡芋野郷采女部古曾赤米五斗・・・とあります。

丹後と言えば海部・ホアカリにつながる籠神社の近く、弥栄町です。(ここは古代の製鉄と関係があるとか)、竹野は葛城襲津彦より古い葛城垂見宿禰系統の竹野別のいたところ、竹野神社がある。

こんなところに赤米を作っていた。

想像を逞しくしても、よくつながりません。

何かヒントがありましたらお教えください。




常識でしょうが、

[8405] 対馬のテンテル族  とみた 2007/08/02(Thu) 18:46 [Reply]

縁MADOKAさん
> 対馬は耕作にあまり適地でなく、壱岐の方が豊かなようです。観光案内を調べても、壱岐は解放的!観光客いらっしゃい!!てな感じ?対馬はあまり上手じゃない。。。
> 壱岐は解放的で豊かで社交的?
> 対馬は無骨で素朴な感じ?でしょうか?
> たぶん、生活そのものが違うんじゃないのかなあ。。
> 族が違うのでは?と壱岐は行ってないんで。。。
> 対馬はシャーマニックな感じはビンビン!
> 天神多久頭魂神社は凄かった!!
> 石で築いた塔に獅子? 土壇しかないんですが、ここは確かに!神社だとハッキリ感じる空間!
> 天道山を遥拝しているらしいです。。鏡と丸い石をお供えするのが祈願の方法らしく、小さい祠?に百金ショップにあるような鏡と丸い石が一杯収められていました。
天道信仰は私も注目!姫神が鏡(日)を抱いた神像あり、私の追う あかるひめの本来の出自は対馬と睨んでいます。根拠は薄いですが、比売許曽神社にある大小橋命の先祖が対馬に繋がる!
> 『比売許曽神社』


天道山がご神体の天神多久頭魂神社のHPを見たら、やはりピラミッド型(三角錐状)の積石の塔が並んでいますね。私にとっては発見です。

これは朝鮮の済州島と昔の百済の地である朝鮮南西部の全羅道や忠清道に多く分布していますね。

稲とともに対馬に入ってきた習俗でしょう。

百済の蘇塗というんですが、三角錐状積石の脇に木を立てて銅鈴(小さな銅鐸の元祖)・銅鼓を吊るし鬼神(先祖霊)を祀る、稲作農耕の祭りです。蘇塗、卒土とも云って仏塔ともなっていますね。古代神道と仏教が習合しているようです。

シャーマニックですね。天道は天童とも書かれていて、日光に感精して生まれたことになっていますが、アメノヒボコも太陽に感精して生まれていますので似ていますね。アメノヒボコは新羅か江南か伽耶かどこで生まれたのでしたか。

楚辞という中国戦国時代の歌(長江中流の楚の国の歌)に、太鼓打ち交わし、懸木揺らして鐘を打つという文言があって、朝鮮の百済(=当時は馬韓)と楚国=江南の祭祀が似ていることがわかります。

阿麻テ留=アマテル信仰のルーツなんでしょう。海人集団が朝鮮から対馬に渡ってきて、日本海をさらに東上したのでしょうか。これは海部、宗像、安曇、隼人などのどの一族でしょうか。

潜水漁法と稲作を兼ねた一族でしょうか。或いは交易と運搬を専らにする民なんでしょうか。

楚は、西の巴人を中国戦国時代に、支配します。

長江中流には巴人がいて、龍蛇を信奉する伏義族、白虎を信奉する板盾族、それに潜水漁撈民の白水郎がいます。氐人(人面にして魚身、チベット系の民の南下?)が鵜飼の民でもあります。鵜飼は何れにせよ長江中流域に始まっている。

潜水漁法は長江の楚・巴人と関係があるようです。これは苗族でミャオ、ヤオ族?何でしょうか。倭族との関係があるようなないような・・・で難しいところです。

天神多久頭魂神社の神事に赤米神事があります。

赤米は古代米ですが、熱帯ジャポニカ種です。これはどことつながっているのでしょうか。

中国南部の少数民族であるミャオ族は水稲を作り、新嘗祭に相当する吃新祭があります。

ハニ族は、中国の黄河流域にいた古い羌族(チベット人)が戦国時代に蜀あたりに南下し、その後も迫害を逃れて雲南に南下した族でさらにタイに逃れてタイ族になります。この民は日本人の風習と似ていまして赤米でおこわを作ります。

対馬の民は、どこからどんな風習を携えてやってきたのでしょうか。

稲作やシャーマンや漁撈や海上運搬などいろいろな顔を持っています




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