掲示板のログ(平成二十一年 二月 2009.2)お名前の敬称は省略しています。
[9746] Re[9745][9744][9743][9742][9741][9740][9739]: 彗星 神奈備
2009/02/28(Sat) 17:51 [Reply] インカの信仰
天−コンドル−平和
地上−ピューマ−力
地下−蛇−豊穣
の三体。
コンドルは重要な神のようです。
> そして。KondorKanki/Condorkanki(コンドルの王)の、kanki にご注目下さい。想像力を刺激するものがあります。
都怒我阿羅斯等。亦名曰于斯岐阿利叱智于岐。ですね。
クスコ インカの首都。標高3399m。
サント・ドミンゴ教会はインカ時代コリカンチャ(太陽の神殿)だった。
カンチャは神社?
> 神奈備さん、ありがとうございます。(^^)
良いブレーンストーミングが出来ました。掲示板の本懐です。こちらこそありがとうございました。
[9745] Re[9744][9743][9742][9741][9740][9739]: 彗星 かしこ
2009/02/28(Sat) 10:19 [Reply] 最後にもうひとつだけ。
南米には、コトシュの遺跡があります(qotu(〜の山)だそう)。ここには(焼畑に倣ったもののようですが)、神殿の中で火を焚いてから神殿を壊し、その上に再建するという習慣があったようです(一昨年放送の「世界不思議発見」)。
そして。KondorKanki/Condorkanki(コンドルの王)の、kanki にご注目下さい。想像力を刺激するものがあります。本殿で失礼致しました。神奈備さん、ありがとうございます。(^^)
[9744] Re[9743][9742][9741][9740][9739]: 彗星 かしこ
2009/02/26(Thu) 13:56 [Reply] >面白い!
さらに面白いのは、倭文に対応しそうな「星」として、ウルドゥー語の sitara(tara) があることです。静も倭文も星の意味。偶然でこうも揃うものでしょうか。当時のこの地域に、星を意味する語としてもしこの二系統があったとしたら・・興味深いものがありますね。sitara といえば、志多羅神という神さまもおいでになります。
>織物の神が腕力で封じるよりは祈りで悪神をなだめる
確かにそういうこともあったかも知れませんね。それにしても、羽槌雄命という名前を見ると益々、ハタウチ長 に思えて。平時は羽槌雄命として機織に精を出し、事あれば建葉槌命や武甕槌命となって出陣するのかも。
>須勢理媛は倭文神から大国主命に乗り替えた
能登では、伊須流伎比古が姉倉姫から能登姫へでしたね。常陸では、倭文神から大国主命へ・・何か気になります。
日下については、ケチュア語 kuskan(真中)、Cuzco(臍)などに関連を感じています。
801年田村麻呂が陸奥の奥地に「日本中央」の碑を建てたそうですが、まさに日本 kuskan の Cuzco で、日本の語源は日下=クサカですね(^^)。音が通じ意味が通じるのであれば、たとえ何語であろうと、心に留めておいてよいのではないかと思っています。南米は土器、遺骨の面からもご縁がありそうですし。
[9743] Re[9742][9741][9740][9739]: 彗星 神奈備
2009/02/26(Thu) 10:11 [Reply] > シズは星の意味ではないかと実は思っています。sidus(ラテン語 星)です。
面白い!
天香々背男を封じた倭文神ですが、丹後国与謝郡の式内倭文神社には興味ある社伝が残っているようです。
ひとつは、倭文神は素盞嗚尊の娘の須勢理媛と夫婦であったそうですが、大国主命が大きな力をもって来たことで、須勢理媛は大国主命に乗り替えたようです。
もう一つは、天岩戸の前で、香山の五百の眞坂樹に天の羽槌雄命の織り成せる倭文(織物の名)など種々の幣を取りそへて神楽をおこなったとあります。
須勢理媛にふられた件は別にして、倭文布は神祭りに必要な神具の一であり、倭文布を斎主の神(伊波比主)が天香々背男を和めるべく利用したと言うことかも。織物の神が腕力で封じるよりは祈りで悪神をなだめる、この方が織物らしく平和的でよさそうですね。
> ここで思い浮かんだのが、ワカヒメ=シタテル姫=ヒルコ(3歳で岩樟船に乗せて捨てられた)というホツマの記事の「樟」でした。(^^)
=丹生の神だそうですね。??
[9742] Re[9741][9740][9739]: 彗星 かしこ
2009/02/25(Wed) 11:37 [Reply] >何故、倭文神でなければならなかったのか
また笑われてしまうかも知れませんが、頑張って書いてみますと。
これは星には星を以って・・ということではないか。シズは星の意味ではないかと実は思っています。sidus(ラテン語 星)です。
静神社祭神の元宮といわれるのが、笠の宮とも呼ばれる常北町の小坂神社(神社誌:常陸第二宮静神社祭神天手力男の本宮と伝う)。ご神体は石です。香々背男とは同族でしょうか。同族といえば、建借馬命の夫人が静神の娘である綾姫です(「茨城の民俗」(古市巧氏))。建葉槌命と武甕槌命の名前の類似といい。
>草香は日下とされ、日本国のヒノモトの語源だそうで、太陽を語る場合、下はモトがよく似合います。
ここで思い浮かんだのが、ワカヒメ=シタテル姫=ヒルコ(3歳で岩樟船に乗せて捨てられた)というホツマの記事の「樟」でした。(^^)
[9741] Re[9740][9739]: 彗星 神奈備
2009/02/24(Tue) 10:09 [Reply] かしこさん、コメントありがとうございます。
> 糸で縛って染色するタイプ
日本で言う絞りのような染色ですね。
建葉槌命
この神様を祀っている神社は北は常陸・越後から西は備後・阿波までで、九州には見あたりません。(『平成CD』から)
神社名としましては
高房、静、倭文、などが目立ちます。
> ほぼ同一神に見えてきます。
そうですね。経津主命と武甕槌命はこの天香香背男が苦手なようで、本文の注や一書(第二)では、別の神を差し向けているようです。
何故、倭文神でなければならなかったのか、よくわからない所です。
> 下照→シツテル→シテリ→倭文。オリツル(織鶴)姫はどうでしょう。(^^)
下照をシタテルと読むのが通常のようですが、太陽の女神の原形と考えますと、この「下」は「モト」と読む方がいいのではと思っています。まず、下照の意味として下を照らすからとの説明があり、高照は高い所から照らすと言い、物は言いようで何とでもなる典型です。
それよりも、草香は日下とされ、日本国のヒノモトの語源だそうで、太陽を語る場合、下はモトがよく似合います。
下照姫はモトテルヒメ。
いかが。
[9740] Re[9739]: 彗星 かしこ
2009/02/23(Mon) 20:22 [Reply] >本殿[9739] 何故この神が織物の神である倭文神なのか
インドネシアにイカットという織物がありますが、これはikat(結ぶ・束)の語が示すように、糸で縛って染色するタイプの織物で、誕生・婚礼・葬儀など重要な儀式に使われるとのこと。
槌は(イカ)ツチ、イカツチは雷(ハタ)で機に通じるとして、
建葉槌命→建-hat-uti(建機打)。武甕槌命→建-m-ikat-uti(建御ikat打)。
にも感じられ、ほぼ同一神に見えてきます。後者は御織物のイメージでしょうか。もし建機なら栲幡?
>青草[4684] 下照比売とは、オリテル、シヅテルとも読めます
下照→シツテル→シテリ→倭文。オリツル(織鶴)姫はどうでしょう。(^^)
本殿で失礼致しました。
[9739] 彗星 神奈備
2009/02/20(Fri) 17:55 [Reply] 概ね、古代世界においてては、彗星は不吉な象徴とされていました。
時には彗星は分裂してみたり、消滅してみたり、ダストが球状に広がり、太陽系最大の星に姿を変えたり、中には地球に衝突したと考えられている彗星もあるようです。
まつらはぬ神として天津甕星(香香背男)とは彗星をイメージしたものとするのが尤もらしいようです。彗星は先が丸くて尾は途中で消えていると、甕のようにも見えるのかも。
さて、『日本書紀』の本文に注釈のような形で、星の神香香背男は倭文神である建葉槌命に征服されたとあり、『一書第二』天津甕星、亦の名を天香香背男を斎主の神(香取神宮の神)が征服したと記載されています。
今でこそ、香取神宮の神は経津主神となっていますが、その昔は斎主の神(伊波比主)で、何となくやさしい名前です。女神かも。
本文では倭文神である建葉槌命ですが、この「建」は建速素盞嗚のように使われる「建」とすれば、武である猛であるようですが、何故この神が織物の神である倭文神なのかが疑問。
さて、大三元さんの『「倭文(しとり)神」の周辺 」』http://www.dai3gen.net/sitori.htm
に面白い記述があります。
「天稚彦=アヂスキ=赤衾伊農意保須美比古佐和気能命=天津甕星=天香香背男」
これを見ていますと、キイは下照姫。夫・天稚彦は妻に頭があがらない、または兄・アヂスキを思う妹の力の凄さ。
古代の人々はいくつかの彗星を見て、それが無事に去っていった場合や天空を明るく照らし出した光景や、太陽に吸収されたり、地球に衝突したり、天空で壊れたり、さまざまな姿を見せていたのでしょう。女神の祈りが通じで、災厄から逃れたと思ったのでしょう。それが太陽の女神の原像でもある下照姫につながっていったのかも。
[9738] 妙見 神奈備
2009/02/18(Wed) 11:15 [Reply] 交野の星田妙見の宮司さんによれば、妙見信仰の最も古い信仰は周防国都濃郡(山口県下松市)の降松神社(くだまつ)と言われています。確かに、由緒には、「推古天皇の時代に一松樹に降臨して霊異を輝し玉ひ宣託した神は天之御中主尊。」とあります。
建立は先ず、鷲頭山上に上宮と中宮を建立、また一般信者の参拝の便のために桂木山の麓に下宮を設けたようです。
九州では肥後国八代郡(熊本県八代市)の八代神社が妙見宮と呼ばれており、九州では古い妙見信仰の神社のようです。
『日本の神々1』(八代神社)には、「『妙見縁起』によれば、むかし漢土の白木山神が、四つの津より亀蛇(きだ)に駕して、天武朝の白鳳九年(680年)に来朝、数年後に八代神社上宮に鎮座したのが本朝妙見の始まり。」と記しています。
漢土の白木山神とは韓国の新羅の山神と言うことでしょうか、九州では五十猛神と妙見神が重なっている神社があります。
八代神社も降松神社と同様に上宮・中宮・下宮の構成になっています。おそらく、殆どの神々は最初は山の上に祭られ、徐々に里に近づいた宮を建立しているのでしょが、これら妙見宮は文書での記録がなされる時代に建立されたものだから、そのような説明ができたのでしょう。
[9737] 「名草神社」問題 多美
2009/02/14(Sat) 12:12 [Reply] 天香香背男に導かれて(笑)、いや実は神奈備さんにです。
「消された星信仰」などから栃木の太平山神社、星宮神社へ。
しかし、どうもしっくりこない。
どうやら神仏分離ということを知る必要を感じました。
星宮神社に、
妙見様と虚空蔵菩薩の問題を知ったとき、神奈備さんに『西の妙見、東の虚空蔵』というヒントをいただきました。
最近サイトを覗いてみましたら、
「但馬帝釈寺(日光院)に於ける神仏分離」を発見、内容は
[4-1]〜[4−5]に分かれて解説(主張)されています。
その中で「名草神社」という問題という記述、妙見は、その信仰は近畿一円に広い基盤をもっていた・・・・・。
なるほど、”西の妙見”とは、これを(代表的)言うのか。
一歩前進しました。
[9736] 影姫 山下
2009/02/14(Sat) 07:48 [Reply] 影姫様とはまったく関係のない山下です!! が興味があります。
神社継承では武内宿禰、武雄心、影姫と九州ですが記紀、紀氏系統ではやはり
こちらですね、ほんと謎が多くて面白いです。
奥の院は橋の手前に撮影禁止の看板がありますのでわかりやすいです、ひとの少ない
神社では良いのですが、看板がないにぎやかなところでは気を使ったりしますので
お聞きしました。あまり気にしないで撮っていこうと思います。
[9735] 遅くなりました 清水
2009/02/14(Sat) 03:31 [Reply] 質問に答えて頂きありがとうございます!返事が遅れてすみません。貴重な情報ありがとうございます。問い合わせてみます!助かりました。。
[9734] 写真 橋本
2009/02/12(Thu) 21:25 [Reply] 寺院では高野山奥の院は正面からは禁止だったと思います。神社でも正面はできるだけ遠慮した方がよいかも!伊勢神宮でも階段下からでないと駄目ですよね。
[9733] Re[9732]: 写真撮影について質問です 神奈備
2009/02/12(Thu) 21:01 [Reply] 山下さん こんばんは。和歌山で山下さんと云えば武内宿禰の母神の山下影姫さんを思い浮かべます。市の教育委員会の方が安原付近には山下さんが多いようにおっしゃっていましたが、貴殿は影姫の後裔の方でしょうか。
> 撮影禁止、ある ない にかかわらず気を使うのですが皆様はどうでしょうか?
神社の建築物には基本的に著作権はありませんので、写真撮影はかまわないと思います。
ただ、内陣などや特殊な祭場については信仰上の理由で撮影が禁止されている所があります。
例えば湯殿山神社の御神体とか。
> また 和歌山の神社で撮影禁止のところはありますか?
私の参詣した範囲では気がついておりません。
[9732] 写真撮影について質問です 山下
2009/02/12(Thu) 08:52 [Reply] はじめまして、邪馬台国から始まって最終和歌山の古代史にはまってしまった
県在住のものです、いつも勉強さしていただきありがとうございます。
ところで神社などの写真ですが、撮影禁止、ある ない にかかわらず気を使うのですが皆様はどうでしょうか?また 和歌山の神社で撮影禁止のところはありますか?
よろしくお願いします。
[9731] 双子は吉、凶? 橋本
2009/02/09(Mon) 20:24 [Reply] 皇室ジャーナリストが取材したんですが、妹君の話は、最初の出所は考古学者の末永氏だったという事です。それから関係者を取材していきましたが、否定する人、肯定する人、口を濁す人様々だったようです。女は普通なら殺されているところですが、生母の決断もあり、またそういう時代でもなかったんでしょうか。
双子は珍しいから吉と考えるか凶と考えるか?混乱を招くから双子は凶とするようになったのかも?
時代が降るにつれ女性の地位も低下していったようですが、中世には女性の地頭もいたようですね!
[9730] Re[9729]: 昭和天皇の妹君 神奈備
2009/02/09(Mon) 08:39 [Reply] 双子に忌諱があったのは人間よりは獣的だったとか。
後世のことだと思いますが、特に男女の双子は心中の生まれ変わりと見られて、皇室ではあってはならないこととされたようです。
[9729] 昭和天皇の妹君 橋本
2009/02/08(Sun) 21:00 [Reply] 女性は奈良にある門跡寺院で生涯を終えました。妹君は生母の意向でひそかに里子に出されましたが、生母は習慣や迷信にこだわる方だったそうです。双子が忌み嫌われるというのは古代からあったんでしょうか?仏教など外来宗教の影響もあるでしょう。
[9728] Re[9727][9726]: 百済と日本の建国神話 神奈備
2009/02/08(Sun) 17:33 [Reply]
大三元さん、こんにちは。
> それで判った!と膝を打つ気分なのは:ヒルメとヒルコが双子だった、という想定。
三笠宮殿下は男女の双子の男として生まれたと云われています。女性は京都のお寺で生涯を過ごしたようです。
ヒルメが残り、ヒルコが流される。大昔は女性が貴ばれた?
建国神話に陸・水・空の動物が登場するのも、列島と半島で似ています。
神武建国神話には、三匹の動物が登場します。
亀:珍彦が乗って来て水先案内をする。
熊:神武一行に毒気を吐きかける。
烏:熊野山中を案内する。
『旧三国志』朱蒙が夫余から南土へ行く。
亀:河をわたれずにいたところ、亀が橋を成した。
鳩:五穀の種のうち、麦を忘れたが、母が二羽の鳩になって追い届けた。
朱蒙の誕生
動物:柳花が卵を生んだが、金蛙王は不祥として深山に捨てたが百獣たちがこれを護った。
[9727] Re[9726]: 百済と日本の建国神話 大三元
2009/02/08(Sun) 10:22 [Reply] 神奈備さん
面白いですね。
海が負け、山が勝つ、というモチーフでは海幸、山幸物語を想起します。
これに伴い登場するワニの説話が沿海州〜北米西岸に広がることと併せて、想像を廻らせそうです。
> 世界的なお話として双子が生まれた場合、一方を子として育て、もう一方を舟にのせて流すとか、捨てるとか、家来に下すとかがなされたようです。
それで判った!と膝を打つ気分なのは:ヒルメとヒルコが双子だった、という想定。
[9726] 百済と日本の建国神話 神奈備
2009/02/07(Sat) 10:41 [Reply] 『日本神話の構造』大林太良著 から紹介します。
高句麗王朱蒙の後妻の子の沸流と温祚の兄弟は近臣をつれて国を出て南下しました。漢山に至って負児嶽に登って住むべき地を眺めて、兄の沸流は海浜に都を置こうとしたが、十臣はこれを諫めて河南の地に都を置くようにすすめました。しかし
沸流はこれをきかず、その民を分けて仁川?に行って住みました。他方、温祚は河南慰礼城(ソウル?)に都し、国を百済としました。
海浜に行った沸流は土地がベチャベチャだったので安居することが出来ず、河南に戻ってきました。そこは人民が安楽に暮らしていたのを見て、慚愧して自殺しました。沸流の人民も慰礼に住んだ。
大林氏は
@兄弟が新しい国を求めて放浪する。
A海の原理の代表である兄の沸流は失敗して死ぬ。五瀬命も同じ。五瀬命は九州から河内までの海での主役を務めている。
B 温祚も陸で成功し建国、神武さんも熊野から紀伊半島縦断・大和へ入ると云う陸での主役。成功。
この二つの建国神話は海の失敗、陸の成功と同じようなお話です。違う点は神武東征譚は戦闘が繰り返されるのですが、百済の神話では無人の荒野に建国のように感じられることです。
先に前原市の産の宮神社の由緒に神武さんには姉妹がいて、奈留多姫命と云う名で祭られているとの伝承を紹介しましたが、『古事記』では五瀬命と神武さんの二柱が国を探す旅にでるのですが、『日本書記』では、四柱の兄弟が饒速日が降臨した土地を目指しています。しかし稲飯命と三毛入野命の兄弟は熊野の海で海に入ったり常世国に行ったりして、いささか不自然に消えています。
世界的なお話として双子が生まれた場合、一方を子として育て、もう一方を舟にのせて流すとか、捨てるとか、家来に下すとかがなされたようです。ひょっとしますと、五瀬命と稲氷命が双子、御毛沼命と若御毛沼命(神武さん)が双子と云う組み合わせだったのかも。
なお、『新撰姓氏録』右京皇別下新良貴条には、「是出於新良国 即為国主 稲飯命出於新羅国王者組合」とあり稲飯命(稲氷命)は新羅王の祖と云う説があるようです。
新羅王では『三国史記』によりますと、初代赫居世居西干 ・ 二代目は南解次次雄となっています。青草話ですが、この南解次次雄が進雄に似ており、素盞嗚尊のイメージがあるように思われます。さらに『備後国風土記』では、武塔の神(速須佐雄の神)が南海に妻問いに出かけるお話がありますが、南解に通じるような気がしています。
[9725] Re[9724][9723]: 質問です 多美
2009/02/06(Fri) 21:55 [Reply] > > 神社本庁の平成祭りデータCDからとありましたが、そのCDはどこにいけば拝見できるのでしょうか。
>
> 神社本庁で2万円でわけてくれていました。現在の状況は問い合わせて下さい。
> http://www.jinjahoncho.or.jp/
@問い合わせ、申込。
A申込書が届きます。
B誓約書に署名捺印、現金書留にて送金(2万円)。
C2〜3日でウインドウズ版CD-RAMが届きます。
不正使用など禁止されています。
楽しいですよ。
[9724] Re[9723]: 質問です 神奈備
2009/02/06(Fri) 08:14 [Reply] > 神社本庁の平成祭りデータCDからとありましたが、そのCDはどこにいけば拝見できるのでしょうか。
神社本庁で2万円でわけてくれていました。現在の状況は問い合わせて下さい。
http://www.jinjahoncho.or.jp/
[9723] 質問です 清水
2009/02/06(Fri) 04:26 [Reply] 突然の書き込み申し訳ありません。
今回大学のゼミで一言主神社のことを調べているさなか、こちらのHPに出会い参考にさせていただいております。
そこで質問なのですが、一言主神を祀っている神社一覧のデータは、神社本庁の平成祭りデータCDからとありましたが、そのCDはどこにいけば拝見できるのでしょうか。
無知で申し訳ありませんが、よろしければおしえてください。よろしくお願いいたします。
[9722] Re[9721][9720]: 夜開とは 神奈備
2009/02/05(Thu) 09:20 [Reply] > 「益城」も倭名類聚鈔で「ましき」となっているのでナンですが、これだった「やき」があり得る(『播磨風土記』に印南郡益気(やけ)の里)
まさに、景行天皇が御宅(みやけ)をこの村にお造りになったと、『播磨国風土記』にあります。
防御拠点としての御宅というのはありですね。
> *写真神奈備別荘の地図で囲まれた中心に、私が比定する「邪馬臺」=「邪靡堆」=高天原は在ります。
邪馬台国の東遷説を何人かの学者さんが主張されているように思えますが、東遷して大和の国に宮を置いたとしています。それが神武東征神話となっているとのご託宣。そうしますと、邪馬台国は大和に攻め込んだということになります。大和は狗奴国であったということになります。
大和には饒速日尊・長髄彦がおり、また東海にも物部と同祖とする尾張氏がいて、狗奴国連合の一角をしめていて、大和の物部が帰順してしまったので、尾張などの狗奴国も自然におとなしくなったと言えますね。
[9721] Re[9719][9718][9715]: 夜開とは 福島雅彦
2009/02/04(Wed) 22:02 [Reply] > 黛氏は夜明地名を邪馬台国の防御拠点との推定をされていましたが、それが正しいなら卑弥呼を奉じる呪術集団のつけた名前かとも想像されます。それを宮宅と呼んだとしますと、おっしゃる通りです。
>
> 「やき」からは邪馬台国の城など。
※防衛ライン!!!、此れは大有りでは?
*写真神奈備別荘の地図で囲まれた中心に、私が比定する「邪馬臺」=「邪靡堆」=高天原は在ります。
[9720] Re[9719][9718][9715]: 夜開とは 大三元
2009/02/04(Wed) 18:17 [Reply] 神奈備さん
> 「やき」からは邪馬台国の城など。
「焼」方面を想うと「焼き畑」とか?
> それ以外のブレーンストーミング
> また、夜明地名は有明海の東に位置。
> 菊池市の南の益城郡には朝来 =夜明。
「益城」も倭名類聚鈔で「ましき」となっているのでナンですが、これだった「やき」があり得る(『播磨風土記』に印南郡益気(やけ)の里)
> 夜明地名の一つは菊池市赤星。赤星は明けの明星のこと。
呼称成立の順番の問題でしょうね。なんかわからんが「よけ」とか「やけ」とかが最初。それを漢字で「夜明」と記録。そこから赤星(明けの明星)への連想。。。かな?
[9719] Re[9718][9715]: 夜開とは 神奈備
2009/02/04(Wed) 10:25 [Reply] 大三元さん
ありがとうございます。
> 夜明を「やあけ」から「やけ」と読んでみると「宅」(みやけ、などの「やけ」)が相応しそうです・・・が果たして??? (「やあき」から「やき」(焼)の可能性もありそう)。
黛氏は夜明地名を邪馬台国の防御拠点との推定をされていましたが、それが正しいなら卑弥呼を奉じる呪術集団のつけた名前かとも想像されます。それを宮宅と呼んだとしますと、おっしゃる通りです。
「やき」からは邪馬台国の城など。
それ以外のブレーンストーミング
また、夜明地名は有明海の東に位置。
菊池市の南の益城郡には朝来 =夜明。
夜明地名の一つは菊池市赤星。赤星は明けの明星のこと。
[9718] Re[9715]: 夜開とは 大三元
2009/02/03(Tue) 21:23 [Reply] 神奈備さん
> 黛弘道は夜開(夜明)には別の意味があったのではないかと云うが、その意味が何であったかはわからないとしています。
確かに「よあけ」と読むのでは古代日本語としては二重母音になるのが、通則に反しているようです(よあかし、ありあけ、などがあるにはありますが)。「よあけ」のような音列の場合には例えば「よけ」のようになりましょう。ここでの夜明を「やあけ」から「やけ」と読んでみると「宅」(みやけ、などの「やけ」)が相応しそうです・・・が果たして??? (「やあき」から「やき」(焼)の可能性もありそう)。
[9717] Re[9716]: 夜開(夜明)とは 神奈備
2009/02/03(Tue) 18:07 [Reply] 福島さん こんばんは。
> 飛鳥(明日香)と同義で、「(国の中心から見て)朝日が昇る方向」=日向、でもあるか、と。
なるほど。
地図を見ますと日田市の夜明付近は線路や道路が集まっている場所ですね。やはり境界をなしているのでしょうか。
写真掲示板に『古代学入門』掲載の地図をアップしました。
[9716] 夜開(夜明)とは 福島雅彦
2009/02/03(Tue) 15:16 [Reply] ※ご無沙汰です。
*飛鳥(明日香)と同義で、「(国の中心から見て)朝日が昇る方向」=日向、でもあるか、と。
*夜明=「明日がくる処」であり、日田市夜明けは私が「邪馬臺國」=高天原と比定する水縄連山(耳納山地)の東に在ります。
*筑紫の日向(うきは市妹川地区の日向)の東でもあります。
[9715] 夜開とは 神奈備
2009/02/03(Tue) 11:39 [Reply] 有明海の東側に高良山や女山(ぞやま)があります。それを囲んで夜開(現在は夜明)と云う地名が4つあり、一つの区画をなしています。
『和名抄』では、夜開と夜關が並んでおり、黛氏は夜關は版本の誤りとしています。
筑後 三瀦郡 福岡県久留米市大善寺町夜明
肥後 菊池郡 熊本県菊池市赤星
肥後 山鹿郡 熊本県鹿本郡菊鹿町米原
豊後 日田郡 大分県日田市大字夜明
なお、日向 那珂郡、宮崎市佐土原・住吉周辺にも夜明地名があったようです。
『古代学入門』(黛弘道著)に、上の4つの夜明に囲まれた地域が邪馬台国の領域であり、夜明は防衛上の前線基地ではなかったかと述べています。
日田郡の夜明の近くの朝倉郡杷木町に神護石遺跡。
三瀦郡には高良大社があり、高良山にも神護石遺跡。
山鹿郡に近い女山にも神護石遺跡。
また、菊池郡には鞠智城があり、後世まで熊襲隼人を警戒する城でした。
黛弘道は夜開(夜明)には別の意味があったのではないかと云うが、その意味が何であったかはわからないとしています。