神奈備掲示板の案内とログ

神奈備掲示板

青草談話室、写真掲示板 過去ログ

掲示板のログ(平成二十二年 一月 2010.1)お名前の敬称は省略しています。

[10152] Re[10143]: 名草姫  橋本(和歌山) 2010/01/31(Sun) 20:12 [Reply]
はじめまして。私も和歌山に住んでいます。毎日名草地域を通ります。


それが真実ではないように何故か?思います。

神話の世界ですから全て真実とは考えられないでしょう。敗者が切り刻まれて別々に埋葬されるという類似した伝説はありますし、日本に伝わるお伽話でも世界に類似したものがあります。

[10151] Re[10133]: 事代主命  神奈備 2010/01/31(Sun) 09:46 [Reply]
> 基礎データ データは祭神の総神社数に対する割合ppm

 これはppm(1/百万)ではなく、毛(1/一万)の表記でした。

 なお、銅鐸の原形かどうかは確認されていませんが、苗族の銅鼓と銅鐸とはそのルーツを同じくするものと考えられているようです。銅鼓は土中とか水中に保存されるそうで、これは銅鐸と似ています。

 [10133]では水中に沈む神として事代主をあげましたが、蛭児も水に流されると言うことで、銅鐸に近いと見なして、銅鐸出土國と非出土國との神々の比率を計算して見ました。
 
  神々の密度(毛)
       出土國    非出土國  出土/非出土
 事代主   380    241    1.6
 蛭児    128     46    2.8

 銅鐸を製造した氏族の一つとされる伊福部氏の祖神は物部の祖と同じ。

 饒速日尊  32      9     3.6
 可美真手  9       2     3.8

 苗族の奉じた神であろう蚩尤を漢の高祖が兵主神として祀りました。銅鼓と銅鐸の近さから、兵主と言う名称の神社の分布は以下の通り。

 兵主神社   4      2     2.2

 畿内と三遠とでは祭神の密度にあまり差がありませんでした。

 2200年前からの400年間の銅鐸祭祀と今日の神社の祭神、さてどこまで関連させれるのでしょうか。これこそ青草!

[10150] 聖地チベット  神奈備 2010/01/26(Tue) 22:03 [Reply]
 今、大阪歴博でチベットをテーマにした「聖地チベット展」が行われています。

 古代、例えば唐の時代にはチベットは独立した国であった。元の時代に中国に併合された。これは何もチベットだけではなく、遠くヨーロッパに及んでいる。
 中国のチベット支配は元以来今日まで続いているが、今日ほど残虐な支配はなかった。元や清の皇帝はチベット仏教を崇拝し、僧侶とも交歓していたようだ。

 今回の展示会には元代以降の仏像などが中心です。展示物の中には中国皇帝がチベット国王に与えた印鑑も出ていました。

 中国支配を当然と思わせる意図を感じる展示会だと思いました。歴博の方々は気が付いていないのでしょう。

[10149] Re[10148][10147]: 艪掛 ろかけ  神奈備 2010/01/24(Sun) 11:06 [Reply]
 素人さん、こんにちは。

 讃岐国からは小型を中心に銅鐸が約20個ほど出土しています。

 鉄の鐸(古語に佐那伎と言う。)と『古語拾遺』にあり、また、佐鳴(さなる)湖、猿投(さなげ)神社、大和国の散去(さぬき)郡、因幡国の散岐(さぬき)郡、佐嚢(さなぎ)神社の近く(数キロ米)から銅鐸が出土していると、『青銅の神の足跡』(谷川健一著)にあります。

 従って、讃岐国も、銅鐸に由来する国名と見ていいのでしょう。

 倭迹迹日百襲姫命の墓とされる箸墓古墳に使用された黒曜石は二上山か屯鶴峯辺りから運んだのでしょう。『紀』には、大坂山の石を運んだとあります。民は並んで手渡したのかも。

[10148] Re[10147]: 艪掛 ろかけ  素人 2010/01/24(Sun) 00:11 [Reply]
神奈備様
サヌカイトの讃岐のことですから、書き込みさせていただきます。
>  金刀羅宮の神体山の象頭山は船を逆さまにしたような形です。
>
金刀羅宮は讃岐ですから「サヌカイト」と関係有るのでしょうか。
もっとも多く産出するのは讃岐地方で、サヌカイトは香川県の国分寺町の国府台、坂出市の金山、城山(讃岐富士)、大麻山(象頭山の隣の山)の上部層で産出するようです。山の頭が「サヌカイト」?
象頭山は「メサと呼ばれるテーブル状に侵食された山であり、サヌカイト質安山岩の板状節理が見られる。」サヌカイト質の石もあるようです。
http://www.ehime-u.ac.jp/upload/temp/block_3592_01.pdf
箸墓古墳の葺き石からはサヌカイトが出ると聞きます。大阪山(二上山)から運んだのでしょうか。
サヌカイトWeb
http://www.sanukite.com/about.htm
素人の青草でした。

[10147] 艪掛 ろかけ  神奈備 2010/01/23(Sat) 17:43 [Reply]
 金刀羅宮の神体山の象頭山は船を逆さまにしたような形です。

  /−−−−−−−\
 /           \
/             \
_____________  この中腹に鎮座。

 ここに鎮座する神は大物主神で、海を照らしながらやって来た神ですから、海神とも言えるのでしょう。

 神妻は倭迹迹日百襲姫命です。讃岐の田村神社の由緒には、「兄弟の吉備津彦命と西海鎮定の命を奉じ讃岐路に下り給ひよく鎮撫の偉功を立て当国農業殖産の開祖神となられた。」とあります。この縁で大物主神が讃岐に祭られたのか、大物主が百襲姫を呼び寄せたのか、興味深いところです。

 百襲姫を祭る神社は式内で2社、田村神社、水主神社。式外の船山神社、また艪掛神社が鎮座しています。水主神社の由緒には百襲姫は7才の特に来讃したとあります。興味深いのは水や船に関連する神社名が目立つことです。

[10146] Re[10145]: 出雲  神奈備 2010/01/23(Sat) 17:41 [Reply]
>  長浜神社の宮司さんは四十代ぐらい代々秦さんがされており、それ以前は日野家がされていたそうです。藤原家と関係あるのでしょうか?

ご本人に確認するとわかるのかも。

[10145] 出雲  かじりかけ 2010/01/21(Thu) 21:19 [Reply]
 お返事ありがとうございました。
 長浜神社の宮司さんは四十代ぐらい代々秦さんがされており、それ以前は日野家がされていたそうです。藤原家と関係あるのでしょうか?

[10144] Re[10143]: 名草姫  神奈備 2010/01/20(Wed) 22:18 [Reply]
> が、それが真実ではないように何故か?思います。
> どなたか?私の仮説に対し肯定していただく意見の方はいらっしゃいませんでしょうか?

 私の仮説とは具体的にどのようなものでしょうか。お考えになっている名草姫と神武天皇との関係ですが、敵対関係ではなかったとか、殺されていないとか、また三つの神社と名草姫とはとは無関係だとか、何が真実でなく、あなたが真実だと思っていることはどんなことでしょうか。先に披露して下さい。根拠も。

[10143] 名草姫  ぱたぴ 2010/01/20(Wed) 13:17 [Reply]
和歌山に住んで10年名草山から春風のようなパワーをもら
い 5年くらい前に名草姫伝説を知り プログ等で書かれているのは 皆 神武天皇に 殺され 三つの神社にて埋葬され信仰し現在に至った。…

と大雑把ですが、だいたいこのようなコメントです

。が、それが真実ではないように何故か?思います。

どなたか?私の仮説に対し肯定していただく意見の方はいらっしゃいませんでしょうか?

よろしくお願いします。

[10142] Re[10139]: 出雲  神奈備 2010/01/18(Mon) 10:27 [Reply]
> はじめまして、かじりかけです。
> 昔、出雲社だった長浜神社は園神とは違いますか?
> 園の長浜とあったので気になりました。

かじりかけさん こんにちは。

 宮中で祭られていると言う園神韓神の園神のことですね。なにゆえ、園の長浜と言うようになったのでしょうか。
 金達寿は『日本の中の朝鮮文化3』の中で、新羅の原号をソ(徐)と言うそうで、園神とは新羅の神のことで、曾富理神のこととしています。

 国引き神話では新羅の余った土地を引いてきた綱が薗の長浜であるとしています。

 そういえば、近江の園城寺の守護神は新羅善神堂に鎮座しているのも面白いことです。

 園の神とは新羅の神と見ていいのでしょうね。 

 大和の漢国神社では、園神を大物主命、韓神を大己貴命、少彦名命として祭っています。大物主神も海を照らして現れた神ですから、園の国からやって来た神かも知れません。

 漢国神社の国は園が転じたものとの説明があります。しかし逆に国が園に転じることもあったのではと考えています。日本の神(国神)と韓の神を國韓神と称していたのが、園神に転じたこと(誤記など)があったのかもとも思われます。そうでないと、園神韓神とは新羅の神と韓の神となり、いささか奇妙な言葉遣いになりますね。



[10141] 白髭明神  りんの助 [Url] 2010/01/17(Sun) 16:00 [Reply]
神奈備さんありがとうございました。やはり八百万の
神々が白鬚のお姿で現れそれを民がそれぞれ白髭さんと
崇めたのでしょうね。時としてまたその地方により
神様は複雑ですね。

[10140] Re[10138]: 白鬚明神  神奈備 2010/01/17(Sun) 09:44 [Reply]
 白髭神社の祭神

 りんの助さん、おはようございます。

 白髭神社の祭神は一般的には猿田彦神、部内宿禰などが目立ちます。

 ただ、神は時として老翁の姿をとって顕れるようで、それ以外の神〃も祀られたのでしょう。

山形県山形市大字滑川90-1      稻倉魂命
山形県鶴岡市大字斉藤川原字林俣75  事代主命
栃木県足利市山川町1,076      伊邪那岐命 伊邪那美命
埼玉県飯能市坂石町分268      清寧天皇
埼玉県秩父郡横瀬町芦ケ久保202-3  清寧天皇
石川県金沢市本町2丁目18-8     素戔嗚尊
石川県羽咋市千路町ヌ27       鹽土翁
香川県綾歌郡綾上町枌所西926    須佐之男命

 清寧天皇とは白髭大倭根子と言い、生まれながらの白髪だったそうです。外国人なのか、倭人なのか、妃も子もないようですので、早老の草食系の極地の天皇だったのでしょう。だから倭人でも白髪でいいのでしょう。

[10139] 出雲  かじりかけ 2010/01/16(Sat) 23:24 [Reply]
はじめまして、かじりかけです。
昔、出雲社だった長浜神社は園神とは違いますか?
園の長浜とあったので気になりました。

[10138] 白鬚明神  りんの助 [Url] 2010/01/15(Fri) 16:24 [Reply]
はじめまして福岡県在住の者です。白鬚さんは猿田彦さん初め
武内宿禰、中筒男命等たくさんの神々様の同一神になされて
いますが、それぞれ別の神様でしょうか?金山彦命・金比羅神も
言われていますが白鬚神社の祭神として祀られている神社は
ご存知内ですか?福岡県であればお参りに行きたいのですが。




[10137] 八大龍王  ぱたぴ 2010/01/14(Thu) 15:25 [Reply]
ワー様 神奈備様 早速の返答 ありがとうございます。

その仏像は 高野山奥の院手前の専門店で購入したもので店頭に販売してなく

交渉して 1つだけ彫っていただいた物らしいです。

そのお坊様とは現在連絡がとれません。 そのお坊様曰く『「八大龍王」の本当の御神体は香川県

満濃池である』と言われ 満濃池に行った後で「八大龍王」の仏像に 魂 を

入れていただきました。

お陰様で毎日守られている感謝の気持ちが高まり日々おつとめをしております。

高野山へお参り際 お店の方に聞いてみます。

ありがとうございます。

[10136] Re[10134]: 八大龍王  神奈備 2010/01/14(Thu) 09:40 [Reply]
> 私が祈っている「 八大龍王 」は 右手に剣を持ち左手に珠を持っています。

 ぱたぴさん、こんにちは。
 掲示板管理人の神奈備はこの種のことに疎いのでコメントはできませんが、お持ちの像は珍しい像だと思います。
 どうなんでしょうか、真言宗のお坊様なり購入先に確認されたらいかがでしょうか。

[10135] Re[10134]: 八大龍王  ワー 2010/01/13(Wed) 20:13 [Reply]
RE
八大竜王(はちだいりゅうおう)は、天竜八部衆に所属する竜族の8王。 ... また善女龍王(清瀧権現)も娑伽羅の娘(第三王女)である。 ... 九頭一身の竜王で、須弥山を守り細竜を取って食すという。 徳叉迦(とくしゃか - Taksaka) ...
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%A4%A7%E7%AB%9C%E7%8E%8B

八大竜王(はちだいりゅうおう)は、天竜八部衆に所属する竜族の8王。法華経(序品)に登場し、仏法を守護する。古代インドではナーガという半身半蛇の形であったが、中国や日本を経て今の竜の形になった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%A4%A7%E7%AB%9C%E7%8E%8B
昔から雨乞いの神様として祀られ、日本各地に八大竜王に関しての神社や祠がある。

龍王は、古代中国の霊獣であり、日本に伝わり、龍神や水神として信仰されてきている。 ...
http://www.fwd-net.com/jin/shinme.html
は■八大竜王・龍王・竜宮・はちだいりゅうおう
龍王は、古代中国の霊獣であり、日本に伝わり、龍神や水神として信仰されてきている。ここでいう、八大龍王は、法華経の守護神であり、密教の雨乞いの際に、用いられる請雨経曼荼羅には、釈迦如来に仕える、八大龍王が描かれている。
これにより、水を司る神として信仰されている。諫早湾周辺の村々には、龍王の祠が、数多く祀られている。

半身半蛇
半身半蛇(人頭蛇身・半神半蛇)の女神がいたという。 その名を女 女咼(ジョカ)という。 女 女咼と同様にまた男神も存在し、その名を伏義といった。 ...
http://manji.gozaru.jp/onmyougogyou/onmyou1.html
問題にする洛書の起源伝説では夏(か)王朝の初代皇帝禹王(うおう)黄帝から位を譲られた事柄に関連し、王位を譲った理由は禹王が洪水を治めたという治水の実績を評価したためで、実はこの時、洛水(揚子江)から神亀(じんぎ)が現れたといいます

ジョカは蛇体・道祖神も? ... 景教以前のキリスト教的宗教観の渡来の民が存在していたのでは? ... なお、聖徳太子時代に景教が広まったことは間違いなく、その関連文化も運ばれていると思っていますがこれはキリスト教の一派。 ...
http://kamnavi.web.fc2.com/log/ktba0408.htm
(ミシャグチ=大蛇の姿をしている。諏訪湖の氷が裂けるという神渡りも、この神が渡っているとされ
諏訪大社に祭られ信仰された。)そうだ 
フツヌシノ神=渡り(境サカエを越える)神 (諸国の兵主神社の祭神は、フツヌシノ神・タケミカツ
チノ神・天忍日命・天津久米命・宇摩志麻遅命など) 
 フツヌシノ神は物部氏の祖神であり、石上神宮の霊剣「布都御魂」の神格化したもの。そうだ
 国の境を呪術によって護る甕といい伝えられたこの聖なる「甕」(ミカとも言う 常陸おおみか)は?
、国や神社の境や家の入り口の土中に生贄(犬など)を埋めた。(古代中国での測量にも使われたと
私は考えている。)兵主神の神体が矛(武器)なのは古代中国での測量が主に軍隊によるもので
測量道具(器具)が軍事用品や鼎(カナエ)などの日用品の役目も兼ねていたと考えています。

八大竜王(はちだいりゅうおう)は、

日本人の源流
禹は三年の服喪の後、帝位を商均へ譲って引退し、陽城で隠居生活をはじめた。 ... だが、皋陶は禹が健在のうちに死んでしまった。 ... 牛頭天王は武答天皇の太子として登場し、牛頭天皇とも表記され、八大竜王の一、沙竭羅竜王の女を妃として8人の王子を生んだという。 ...
http://34547.webspace.ne.jp/rental/tree_bbs/bbs.php
沙竭羅竜王
禹が健在のうちに死んでしまった。 ... 牛頭天王は武答天皇の太子として登場し、牛頭天皇とも表記され、八大竜王の一、沙竭羅竜王の女を妃として8人の王子を生んだという。 ...


[10134] 八大龍王  ぱたぴ 2010/01/13(Wed) 16:39 [Reply]
はじめまして 和歌山在住のものです。

ある事から 霊感が強くなり 真言宗のお坊様から「八大龍王を祀りなさい 」と

言われ 八大龍王の仏像を購入し 『ねん』をいれていただき 毎朝 祈っていま

す。 私が祈っている「 八大龍王 」は 右手に剣を持ち左手に珠を持っていま

す。 プログで仏像を見ると 「 八大龍王 」は 八体 いろいろありますが

私が 祈っている「 八大龍王 」とは 違うのです。

私の祈っている「 八大龍王 」は 違う「 八大龍王 」なのでしょうか?!

どなたか わかる方 教えてください。 よろしくお願いします。

[10133] 事代主命  神奈備 2010/01/11(Mon) 21:02 [Reply]
 『古事記』には、「事代主命は国譲りに賛同して身を隠しました。」とあります。いかにも銅鐸と同じ様な運命をたどっているようです。
 事代主命を祀る神社の県別割合を見ますと、
銅鐸が多く出土県している県(徳島・島根・兵庫・紀伊・滋賀・愛知・静岡)の平均ppmは 406。計算は、県の祭神を祀る神社数/全神社をppmで表示。
銅鐸非出土県を適当に選んで(新潟・群馬・宮城・熊本)の平均ppmは 185。

このようにくっきりと差が出る神々は
熊野久須毘命 出土県  92 非出土県  62
九頭神    出土県   5 非出土県   1
饒速日神   出土県  18 非出土県   3
事代主命   出土県 406 非出土県 185
となっています。
 期待をしていた阿斯受岐高彦根命・猿田彦大神・手力男命などには大きい差は認められませんでした。

 銅鐸と鴨族とが関係をあるとすれば、事代主神がこれを代表しているようです。

基礎データ データは祭神の総神社数に対する割合ppm
http://kamnavi.jp/log/doutakami.htm

[10132] Re[10131]: くすみ(鐃)  神奈備 2010/01/10(Sun) 07:40 [Reply]
> ぬで 大野手比賣神 鐸石別命

大野手比売は小豆島の神、ここからも銅鐸が出ています。
讃岐国に属していますが、サヌキもサナキの訛りかもm

[10131] くすみ(鐃)  神奈備 2010/01/09(Sat) 20:01 [Reply]
『広辞苑』

くすい(鼓吹)
@鼓(打楽器)と吹(管楽器)とを主な楽器とする古代の軍用の音楽。つづみふえ。
A鼓を打ち笛を吹くこと。こすい。

くすみ(鐃)
軍用に用いる楽器 鉦(かね) 銅鑼(どら)の類 くすび。 → にょう(鐃)


『埋もれた銅鐸』森秀人著 1976年
銅鐸は日本固有の言葉ではない。
銅鉦、銅鼓、銅鈸、銅鑼は陣太鼓のようなようなようもので銅鐸とは違う。
銅鐃は銅鐸に似ている。角と円との差はある。
当初は銅鐸をクスミと呼んでいたのではないか。


日本の神々の中の銅鐸

くすみ くすひ くすい 熊野久須毘命(熊野那智大社)
くす 楠神
くず 九頭神 國樔乃翁
くし 奇御氣野命(熊野大社、熊野本宮大社) 櫛玉饒速日神(矢田坐久志玉比古神社)
   大物主櫛甕玉神(大神神社)櫛稻田姫神(八重垣神社)
さな(ぎ) 金鑚神 鐸比古大神
ぬで 大野手比賣神 鐸石別命
すず 五十鈴依姫命 姫蹈鞴五十鈴姫命

[10131] くすみ(鐃)  神奈備 2010/01/09(Sat) 20:01 [Reply]
『広辞苑』

くすい(鼓吹)
@鼓(打楽器)と吹(管楽器)とを主な楽器とする古代の軍用の音楽。つづみふえ。
A鼓を打ち笛を吹くこと。こすい。

くすみ(鐃)
軍用に用いる楽器 鉦(かね) 銅鑼(どら)の類 くすび。 → にょう(鐃)


『埋もれた銅鐸』森秀人著 1976年
銅鐸は日本固有の言葉ではない。
銅鉦、銅鼓、銅鈸、銅鑼は陣太鼓のようなようなようもので銅鐸とは違う。
銅鐃は銅鐸に似ている。角と円との差はある。
当初は銅鐸をクスミと呼んでいたのではないか。


日本の神々の中の銅鐸

くすみ くすひ くすい 熊野久須毘命(熊野那智大社)
くす 楠神
くず 九頭神 國樔乃翁
くし 奇御氣野命(熊野大社、熊野本宮大社) 櫛玉饒速日神(矢田坐久志玉比古神社)
   大物主櫛甕玉神(大神神社)櫛稻田姫神(八重垣神社)
さな(ぎ) 金鑚神 鐸比古大神
ぬで 大野手比賣神 鐸石別命
すず 五十鈴依姫命 姫蹈鞴五十鈴姫命

[10130] 豊中歴史同好会  神奈備 2010/01/08(Fri) 13:48 [Reply]
2010 1 9 14〜 同志社大学  辰巳和弘教授
演題  オホクニヌシと出雲大社
http://homepage2.nifty.com/toyonakarekishi/2009.html

[10129] Re[10128][10127]: 猿田彦命と銅鐸  神奈備 2010/01/08(Fri) 09:05 [Reply]
 『播磨国風土記』には、伊勢津彦は伊和大神の御子神のようです。もっとも、播磨の伊勢津彦と伊勢の伊勢津彦とは違う神かも。威勢のよいお兄さん!

 伊勢の伊勢津彦は東に立ち去ったのですが、その時海上が照り輝いたと、『伊勢国風土記逸文』にあり、太陽神のようにも見えます。

 立ち去る時、光り輝くのは時味耜高彦根神もそうです。『日本書紀』に、立ち去る様子を「光儀華艶映于二丘二谷之間」と出ています。
 
 共に太陽神であり、神体は光り輝く銅鐸だったとか?

[10128] Re[10127]: 猿田彦命と銅鐸  くず 2010/01/07(Thu) 18:54 [Reply]
>この猿田彦にからんで銅鐸が語られるお話があります。

>猿田彦が「われが死ねば銅鐸がなりひびくであろう」との遺言をしたとあります。

青草[5406]からの流れで、紀元前後に遡った星空を眺めていましたところ、
夏至の日の出に先んじて、オリオン(三ツ星)が昇る。
それと冬至の日の入り後、東の空にやはり三ツ星が昇っていました。

猿田彦は伊勢の阿邪訶の海で溺れ死ぬとき3つの御魂が生まれていますが、
猿田彦を太陽神ととると、その死とは冬至の日の入りを指すと思われます。
東に昇ってくる三ツ星が猿田彦の御魂と考えられたかも^^

説の補強は三ツ星の代表格、住吉大社から見て真東の延長上に松阪市阿坂付近が位置する事。
同じく住吉の真東が信貴山ですが、その麓(住吉大社真東)に天照大神高座神社(八尾市)が祀られています。

神社名から天照大神が祀られるのは当然なのでしょうが、
合わせて伊勢津彦命が祀られます。

伊勢津彦命=猿田彦命、もしかしたら建御名方命というのもあるのかも^^


[10126] Re[10124][10123]: 和都賀野  大三元 [Url] 2010/01/03(Sun) 23:00 [Reply]
神奈備さん

お言葉有り難うございます。
地名の話はどうしても現在の地名を使ってしまい、古地名だけで論ずることが難しく、果たしてどうなんだろう、と忸怩たるものがあります。しかし、オモシロイですね。

> > 今年も宜しくお願いします。
>
> 大三元さん、あけましておめでとうございます。
>
> 流石ですね。元旦早々、じっくりと物事をお考えになる。
>
> > 月ヶ瀬地区には「桃香野」(今は「ももがの」と呼ぶ)があるが、原点は「とがの(とうがの)」かもしれない。「とがの」地名はかなり広く行われており「大和の とがの」と特定するために「和都賀野」となっているものであろうか。
>
>  「とがの」地名は三重県の柘植、滋賀県にもあるようですね。奈良とあわせて連続した一帯をさした地名のようです。伊賀市佐奈具も含まれているようで、銅鐸とからんで登場してきた地名としましてはうなずける所です。
>

[10126] Re[10124][10123]: 和都賀野  大三元 [Url] 2010/01/03(Sun) 23:00 [Reply]
神奈備さん

お言葉有り難うございます。
地名の話はどうしても現在の地名を使ってしまい、古地名だけで論ずることが難しく、果たしてどうなんだろう、と忸怩たるものがあります。しかし、オモシロイですね。

> > 今年も宜しくお願いします。
>
> 大三元さん、あけましておめでとうございます。
>
> 流石ですね。元旦早々、じっくりと物事をお考えになる。
>
> > 月ヶ瀬地区には「桃香野」(今は「ももがの」と呼ぶ)があるが、原点は「とがの(とうがの)」かもしれない。「とがの」地名はかなり広く行われており「大和の とがの」と特定するために「和都賀野」となっているものであろうか。
>
>  「とがの」地名は三重県の柘植、滋賀県にもあるようですね。奈良とあわせて連続した一帯をさした地名のようです。伊賀市佐奈具も含まれているようで、銅鐸とからんで登場してきた地名としましてはうなずける所です。
>

[10125] 10年目の謹賀新年  やさか [Url] 2010/01/03(Sun) 22:11 [Reply]
神奈備さんのサイトを知って10年になりました。
以来、いつもこの掲示板を読ませてもらっています。
ここで様々なことを学びました。
今年もよろしくお願いします。

[10124] Re[10123]: 和都賀野  神奈備 2010/01/02(Sat) 11:40 [Reply]
> 今年も宜しくお願いします。

大三元さん、あけましておめでとうございます。

流石ですね。元旦早々、じっくりと物事をお考えになる。

> 月ヶ瀬地区には「桃香野」(今は「ももがの」と呼ぶ)があるが、原点は「とがの(とうがの)」かもしれない。「とがの」地名はかなり広く行われており「大和の とがの」と特定するために「和都賀野」となっているものであろうか。

 「とがの」地名は三重県の柘植、滋賀県にもあるようですね。奈良とあわせて連続した一帯をさした地名のようです。伊賀市佐奈具も含まれているようで、銅鐸とからんで登場してきた地名としましてはうなずける所です。

[10123] 和都賀野  大三元 [Url] 2010/01/01(Fri) 16:08 [Reply]
今年も宜しくお願いします。

年末考えていた「和都賀野」関連メモをUPしました。
http://www.dai3gen.net/watsukano.htm
「和束」との関連などを考えてみました。

>  『伊賀国風土記逸文』に、「猿田彦の女の吾娥津媛命は、四(日)神之御神の御神が天上から投げ降ろしなさった三種の宝器のうち、黄金の鈴を受領してお守りになった。その領有した御いわいどを加志の和都賀野のいった。現在の手柏野。」とあります。

[10122] 所得倍増の首相  神奈備 2010/01/01(Fri) 09:28 [Reply]
 ◎虎の油 だましやの大作

  ○ 輪切りの竹を煮させる。
 昔、大作という、人をだますのが上手な男がいた。ある年の暮れ、奥山で雨にふられたときのこと。大作は、濡れて冷たくなった着物を乾かしたいと思いながら歩いていた。
 
 ふと見ると、囲炉裏に火を焚いている家があった。大作はその家に入ると、「正月に竹を食べる方法があるが知っているか」と聞いた。「いや知らん、どうするのか」と聞かれた大作、「竹を輪切りにして、火をうんと焚いて煮るんだ」と答えた。その家の主、早速、輪切りにした竹を煮はじめた。大作も手伝ってどんどん火を焚いた。だが、いくら待っても竹はやわらかく煮えない。

 やっとだまされたと気づいたその家の主は怒った。大作は平気な顔で「虎の油は入れたか」と開いた。そんなものあるかっ」と怒鳴られると、「それじゃあいくら煮てもだめだな」と言って、大作はすっかり乾いた着物を着て帰っていった。

 本年もよろしくお願いいたします。


神奈備掲示板、青草談話室 写真掲示板 過去ログ集目次




神奈備ホームに戻る