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掲示板のログ(平成二十四年 七月〜九月 2012.7〜9)お名前の敬称は省略しています。

[11222] Re[11221][11220][11217][11216]: 尖閣諸島  神奈備 2012/09/17(Mon) 09:29 [Reply]
> と言いますのは、もしも日・中・韓・朝、いずれかの国家間で紛争が勃発するようだと、「黄色の猿どもが相討ち、共倒れすれば手間がはぶけるワイ」と、ほくそ笑む勢力が無きにしもあらずと思うからです。

 おっしゃる通りです。抑止力としての戦力、であるべきです。中共が一刻も早く成熟した国家になってくれることを願います。衣食足りて礼節をしる、忘れてほしくないものです。

 尖閣諸島を個人所有から国有財産になったことを、我々は高速道路用地を国が買った程度にしか思わなかったのですが、中共では捉え方が全く違うようで、中共の財産から日本の財産に接収したように理解したのでしょうか。それで暴徒がこれだけ暴れて略奪をほしいままにするのを中共政府が公認しているようです。

 中共のテレビでは、10年後に戦争などと言う発言もでています。

 双方に思兼神のような賢者が出てきてほしいものです。

[11222] Re[11221][11220][11217][11216]: 尖閣諸島  神奈備 2012/09/17(Mon) 09:29 [Reply]
> と言いますのは、もしも日・中・韓・朝、いずれかの国家間で紛争が勃発するようだと、「黄色の猿どもが相討ち、共倒れすれば手間がはぶけるワイ」と、ほくそ笑む勢力が無きにしもあらずと思うからです。

 おっしゃる通りです。抑止力としての戦力、であるべきです。中共が一刻も早く成熟した国家になってくれることを願います。衣食足りて礼節をしる、忘れてほしくないものです。

 尖閣諸島を個人所有から国有財産になったことを、我々は高速道路用地を国が買った程度にしか思わなかったのですが、中共では捉え方が全く違うようで、中共の財産から日本の財産に接収したように理解したのでしょうか。それで暴徒がこれだけ暴れて略奪をほしいままにするのを中共政府が公認しているようです。

 中共のテレビでは、10年後に戦争などと言う発言もでています。

 双方に思兼神のような賢者が出てきてほしいものです。

[11221] Re[11220][11217][11216]: 尖閣諸島  やさか 2012/09/16(Sun) 01:18 [Reply]
> やさかさん おひさしぶりです。
> 貴掲示板は時折拝見させていただいております。

ありがとうございます。
こちらこそ、しばらく消息もなしで失礼しておりました。

> 領土の確保には日頃から戦力の充実を計っておくことが肝要。

お説のように、法の整備や国防の拡充など、国家としての充分な備えだけは是非とも必要で、その為の憲法改正や自衛のための核武装もその視野の中で検討すべきと私も考えます。
当然のことですが「国防上の軍備」が大前提なので、その行使に当たっては格別の慎重さが求められます。
と言いますのは、もしも日・中・韓・朝、いずれかの国家間で紛争が勃発するようだと、「黄色の猿どもが相討ち、共倒れすれば手間がはぶけるワイ」と、ほくそ笑む勢力が無きにしもあらずと思うからです。
冷酷な利益至上主義の中にあっては、戦争や飢餓、天災さえも利潤追求の機会とされましょう。

> 尖閣諸島についての中共の行動と主張は全く理の無いものであることを世界にアッピールする。

これも神奈備さんのご意見に全面的に共感できます。
おっしゃるように、日本は勇気を持って堂々と世界に日本の正当性を主張すべきと思います。
正論は良識のある国家には通じるはずだからです。
世界世論?を味方にすることはとても重要だと思います。
その意味でも、世界に向けての正義のプロパガンダは是非とも必要と思うものです。
神奈備さんご発言の主旨に賛同して、ささやかですが声援をおくりたいと思います。
皆さんはどのようにお考えになりますか?

(ps:前回・今回いずれも不適当と思われましたら、いつの時点でも適宜に削除お願いします)

[11220] Re[11217][11216]: 尖閣諸島  神奈備 2012/09/15(Sat) 08:39 [Reply]
やさかさん おひさしぶりです。
貴掲示板は時折拝見させていただいております。
http://www.yasaka.org/

先に中国の女性実業家が、尖閣についての自国の主張に疑いをはさんだメッセージ、を出しました。彼女のその後の運命に思いをいたすと、気が重くなるのですが、日本人はもっと勇気をもって、無礼無作法な無法者国家に対処しなければと思います。

老骨には言論と寄付くらいしか思いつきませんが、行動を起こしたいものです。

[11219] Re[11218]: お教えいただけませんでしょうか  神奈備 2012/09/15(Sat) 08:31 [Reply]
> 鳥之石楠船神(天鳥船)が祀られている神社はご存じないでしょうか。
> できれば大阪か奈良で。


奈良県には見当たりませんが大阪に三社。(『平成祭CD』神社庁平成7年によります。)

住吉大社摂社船玉神社 大阪府大阪市住吉区住吉2-9-89,摂津国 住吉郡
高砂神社摂社交通安全社 大阪府大阪市住之江区北島3-14-12,摂津国 住吉郡
開口神社摂社舟玉神社 大阪府堺市甲斐町東2-1-29,和泉国 大鳥郡

[11218] お教えいただけませんでしょうか  禿頭庵 2012/09/14(Fri) 23:37 [Reply]
はじめまして。

お教えいただきたいことがあり、書き込みさせていただきました。

鳥之石楠船神(天鳥船)が祀られている神社はご存じないでしょうか。
できれば大阪か奈良で。
宜しくお願いいたします。

[11217] Re[11216]: 尖閣諸島  やさか 2012/09/14(Fri) 18:22 [Reply]
神奈備さん、こんばんは。 皆さん、こんばんは。
久しぶりにお邪魔して、書き込みさせていただきたくなりました。

「尖閣諸島は日本の生命線」を読んで神奈備さんの領土問題に対する明快なご意見を承りました。
分かりやすくまとめてくださっているので、私にも歴史的な経緯が改めて理解できました。
このような領土問題は曖昧に妥協せず、侵略類似行為も断固排除すべきだと私も思います。
一度弱腰になると嵩にかかって、四方から日本の領土を奪いにくると思われるからです。

>外交的解決をしようとしても、国際紛争に武力行使を排除した憲法下では、相手になめられる。
>先ず、憲法第九条を改正し、軍の保有と自衛権の行使の為の武力行使を行えるようにすることが肝要。
>併行して核兵器の開発は行っておく。

私もまったく同感です。神奈備さんの勇気あるご発言に敬意を表します。
もうこの辺りで日本の神道界、仏教界も大きな声を上げるべきだと思います。
このままでは本当に日本は沈没してしまいます。
くだらないテレビのバラエティー番組をのんきに見ていられる時期ではないのです。
私たち国つ神の子等も、立ち上がるべき時が来たようです。

[11216] 尖閣諸島  神奈備 2012/09/14(Fri) 15:34 [Reply]
 尖閣諸島がきな臭いようです。これを機会に尖閣の歴史と日本の防衛について考えてみました。http://kamnavi.jp/link/nagaoka.htm

[11215] 豊中歴史同好会  神奈備 2012/09/05(Wed) 08:47 [Reply]
2012 9 8 14時から16時
講師 元福井県埋蔵文化調査センター所長 中司 照世
演題 考古学からみた4・5世紀の伊賀
場所 会場:豊中市立蛍池公民館 5階公民館集会場 http://homepage2.nifty.com/toyonakarekishi/2012.html

[11214] 鉄を喰う神  神奈備 2012/09/02(Sun) 16:36 [Reply]
兵主神社は天日矛の足跡に鎮座しているとされますが、山東半島で漢の高祖が「蚩尤:シユウ」を祀って、勝利を祈った事に由来して、祭神は戦いや武器に関する神で、鉄を食らう神だとされています。

主な兵主神社と主祭神

丹波国氷上郡 兵主神社「大己貴命」
但馬国朝来郡 兵主神社「大己貴命」
但馬国養夫郡 兵主神社「大己貴命」
播磨国飾磨郡 射楯兵主神社「射楯大神、兵主大神」
近江国野洲郡 兵主神社「八千矛神」
大和国城上郡 穴師坐兵主神社「兵主神」
和泉国和泉郡 兵主神社「天照大神」 
 式内社調査報告の由緒 応永二年(1413)の由緒に天照大神が登場。明治には八千矛神。
因幡国巨濃郡 佐彌乃兵主神社[さみのひょうす]「天照大神」
 式内社調査報告に祭神の説明はありません。

 天照大神が「鉄を喰う神」だとしますと、その神餞を準備する豊受大神は、製鉄の神となります。そういえば、丹後で天女が天降りした泉は比治山で現在は磯砂山と云い、砂鉄の多い山だそうです。また天女は白鳥にも例えられ、これは製鉄につながっています。

[11213] 古代を偲ぶ会  神奈備 2012/08/17(Fri) 10:53 [Reply]
古代を偲ぶ会 8月18日(土)14時ー16時 
講師 今城塚古代歴史館 森田克行館長 
テーマ 鎌足と阿武山古墳 
場所  エル大阪 本館6F 大会議室 ¥千円。http://kamnavi.jp/link/sinobu.htm

[11211] Re[11209][11198][11196]: 「呉音」がはっきりしない  神奈備 2012/08/14(Tue) 09:53 [Reply]
hoshikuzu|star_dust さん、残暑お見舞い申し上げます。

> 五谷郡 一云 弓次云忽

気にかけていただき、ありがとうございます。

敬愛する大三元さんの
http://www.dai3gen.net/kg09koutei.htm
にも記述がありました。


> これはトッテモ嬉しいぞー!

 卑弥于呼の登場となりましたね。

 『巷説牛頭天王と高志族』と云う古書に、西域諸国の君主は「ハム」、アブラハムなど、との記述があります。
 時代は中世ですがこれが蒙古では「可汗」、古代に戻って卑弥于呼の登場ということですね。

[11210] 牛頭天王雑感5 完  神奈備 2012/08/14(Tue) 09:52 [Reply]
 御霊会 貞観五年(859) 神泉苑で行われています。無実の罪に課せられた人々の御霊の祟りを鎮めるために行われた。

 祇園御霊会 貞観十一年(865) 六十六本の矛を立て、神輿を神泉苑に送る行事がなされましたが、牛頭天王とは無関係の行事のようです。

 このような御霊会の流行の中で祇園は行疫神の神格を獲得していき、武塔天神や素戔嗚尊信仰を取り入れていったのでしょう。

 松前健氏は、「備後から播磨に分布していた海人系のスサノヲ信仰を渡来系巫祝の徒が取り込み、巫覡の守護神武塔神と同一視して。これを平安になって広峰辺りにいた仏僧達が播磨から山城に移し、仏典の牛頭天王と同一視した。」と推測されていますが、これは広峰から山城祇園への勧請の物語を形成したのでしょう。

 山鉾の鈴鹿山は鈴鹿山で悪鬼を退治したとされる瀬織津姫神が祭神です。とんでもない神がおられるものです。

 織田信長が信仰した津島の牛頭天王は、対馬から勧請されたとの由緒を持っています。対馬の国魂神は島大国魂神社に祭られている神様で、現在は素戔嗚尊となっています。素戔嗚尊を祭る神社の神主さんで作る清清会という会合があるようで、会長神社が京都の八坂神社、副会長神社が津島神社となっています。

 東日本の牛頭天王社は津島系なのかも知れませんが、神社名に現れるのは東海は津島系、それ以外は八坂系となっているようです。

 しかし津島神社は日本総社・日本総鎮守として最大級の信仰を得ていたようです。またお伊勢参りの際、津島に寄らないと片参りとされたようです。

地域別に神社名で分布数を調べてみました。

県     津島神社     やさか神社
愛知    395       14
岐阜    241       18
長野     72       38
静岡    201       50

神奈川     5       59
東京      5       38

福島     14      133
秋田      0       14

                  完

[11209] Re[11198][11196]: 「呉音」がはっきりしない  hoshikuzu|star_dust 2012/08/13(Mon) 17:40 [Reply]
hoshikuzu> > 「卑弥弓呼」は、あるいは、本来「卑弥于呼」の表記であった可能性があるかもしれません。

神奈備様>  問題は「弓」が「干」であったか否かにつきます。弓と云う字と㢨(弓扁に干)の省略形なのか、おっしゃるような「干」の異体字だったのかが問題です。決め手が欲しい所。
>  幾つかの写本が残っているのでしょうが、それらに「弓」の字。
>  また、『三国志』全体の「弓」の使い方などを見てみたいものです。
>  いずれにしても、おっしゃるように、その可能性はありそうです。面白いことで

その後、偶然に、関連することがらに気がつきました。
高句麗語の分析において有名な部分なのですけれども『三国史記』巻三十七 地理誌 におきまして、以下の記述があります。
===
五谷郡 一云 弓次云忽
===
これを、通説では誤字とみているようでして、「弓」→「于」、「云」→「呑」と校訂するようです。すなわち、
===
五谷郡 一云 于次呑忽
===
この記述から、五の高句麗語での訓が「于次」、谷の訓が「呑」で表記されているとみるようなのです。 日本語相当で言えば前者は「いつ」後者は「たな(たに)」に比べることができるのだそうでして、すなわち、五谷郡という漢語表現と一致すると…
高句麗語と日本語の間で、一部の語彙に非常に似通っているものがありそうだという説なのですね。

さて、話を戻します。 「弓」のようにみえる字があって、それは本当は「于」のことですよ、という事例が、魏志倭人伝の他にもあった、わーい、これはトッテモ嬉しいぞー! というご報告でした。


[11208] 牛頭天王雑感4  神奈備 2012/08/13(Mon) 13:00 [Reply]
 平安末期に出来た『伊呂波字類抄』に牛頭天王についての記述があります。
 自天竺北方有国。其名曰九相。其中有圓。名曰吉祥。其圓中有城。其城有王、牛頭天王。又名曰武塔天神。
 インドの北の国ですからヒマラヤ付近でしょうか、九相と云う国があり、そこの吉祥圓があり、そこの王城に牛頭天王と云う王様がいて、別名を武塔天神と云うとのこと。

 播磨広峰と山城祇園とどちらが本家なのか、本家とは牛頭天王を祭神とした時期の早いほうを云いますが、少し考えてみます。

 祇園はそのお祭りもあわせてよく知られています。一方、広峰は殆ど知られていない神社です。姫路市街から北側に見える山頂に鎮座しています。
 火の無い所に煙は立たずです。広峰にはそれだけの由緒が語られていたのでしょう。

 時代は降って、15世紀半ばの『二十二社註式』に以下のことが書いてあります。
 この神(牛頭天王のこと)は、はじめ播磨国の明石浦に垂迹し、ついで同国の広峰に移り、後に北白川の東光寺に、最後に陽成院の元慶年間(877〜884)に、現在の八坂に移されたという。

 播磨国明石郡(神戸市西区岩岡町字岩岡山)に鎮座する岩岡神社は江戸時代創建の神社ですが、ここの由緒に、「その由来を尋ねると、遠き神代の昔、素盞嗚命(牛頭天王ともいう)が降臨後、当氏子地に、神幸せられた由緒がある。」とあります。

 広峰神社につては、山頂の寺院風の大きい神社で由緒を感じる神域を形成しています。ここから山城へ牛頭天王の御魂が遷座したと云われています。(山城の八坂神社では否定しているようです。)

 摂津国八部郡(神戸市兵庫区上祇園町)の祇園神社の由緒
 創祀の年代ははっきりわからないが、神社にある天明八年の古い書類によると、第五十六代清和天皇の御代、貞観十一年(西暦八六九年)に姫路市城北にある広峰神社より素盞嗚尊の御分霊を京都(今の八坂神社)におうつしする時に、その平野に徳城坊と云う坊さんが居り、この坊さんが広峰神社と関係があったので、その神輿を此処に一晩お泊めした。以上

 大阪には牛頭天王社が多く鎮座していました。連歌で有名な杭全神社など。また多くは八坂神社と改称しています。大阪市内で33社と云われています。大獅子殿で目を引く大阪難波神社では、「姫路の広峯神社より京都の八坂神社へ勧請する際、神々がこの地に到着されたのでお祀りをしていると。」との口伝が残っています。

 また、寝屋川市八坂町に鎮座の八坂神社には、「広峰神社の分霊を播州より勧請し池の辺りに小社を建立し、これを祇園社と称え里の守神として斎き奉る。」との伝承が伝わっています。広峰から八坂へ遷座の途中とはなっていませんが、広峰からの勧請社と称しています。

 京都では、元祇園梛神社が中京区壬生梛ノ宮町に鎮座、下記のような由緒を持っています。
 貞観十一年(876)京都に疫病が流行したとき、牛頭天王(素盞嗚尊)の神霊を播磨国広峰から勧請して鎮疫祭を行ったが、この時その御輿を梛の林中に置いて、祀ったことがこの神社の始まりであるという。
 後に神霊を八坂に遷祀したとき当地の住民は花を飾った風流傘を立て、鉾を振り、音楽を奏して御神を八坂に送った。これがのちの祇園会の起源といわれる。また当社は八坂神社の古址にあたるので元祇園社と呼ばれる。以上。

 左京区岡崎東天王町に岡崎神社が鎮座、これは『二十二社註式』の北白川の東光寺の後裔社で、山城八坂に鎮座する前にも、都の中でウロウロしていたようです。

 さて、広峰から八坂への遷座について、各地に伝承が残っています。これらを全て否定してしまうことが出来るのでしょうか。

[11207] 牛頭天王雑感3  神奈備 2012/08/11(Sat) 21:58 [Reply]
 延喜式内社の備後国深津郡に須佐能袁能神社[スサノヲノ]が鎮座、先の『備後国風土記』の疫隅の国社に比定されています。現在の広島県芦品郡新市町大字戸手天王に鎮座する素盞嗚神社のこととされています。10世紀初めの頃には武塔天神=素戔嗚尊は周知の事だったようです。

 牛頭天王の登場はいつのことでしょうか。

 山城の祇園感神院と播磨の広峰神社が牛頭天王を祀った本家争いがありました。広峰神社由緒には、「聖武天皇の御代天平五年(733)吉備真備公に勅して、廣峯山に大社殿を造営、新羅国明神と稱し、牛頭天王と名付けられた。」とありますが、さてどこまで信用していいのかいな。播磨の広峰社は鎌倉時代は祇園本社を名のったのですが、室町時代には祇園社の末社に列しています。

『三代実録』に、「播磨国無位素戔嗚神に従五位下を授く」とあります。貞観八年(866)のことで、これは広峰大神のこととされています。

 12世紀半ばの『伊呂波字類抄』によりますと、「昔、貞観十八年(876)に、常住寺の十禅寺円如という僧が、牛頭天王の神託により、広峰から八坂郷の樹下に移し、祀ったといい、後に藤原基経が、精舎を建立したという。」記事があります。どうやらこれが、牛頭天王は広峰にも祇園にも関係する初出でしょう。
 この頃には、武塔天神=素戔嗚尊=牛頭天王 が成立していたようです。

[11206] 牛頭天王雑感2  神奈備 2012/08/10(Fri) 11:37 [Reply]
 京都の八坂神社は明治維新までは祇園感神院と称していました。寺院と神社の合わせたようなものでした。どのようなきっかけで牛頭天王が祀られるようになったのでしょうか。

 八坂神社の宝殿の下に深い穴があいていたとのことです。
『釈日本紀』「祇園神殿下有通龍宮穴之由、古来申伝之。」とあります。
『続古事談』によりますと、祇園社は延久二年(1070)焼亡のとき、宝殿の下の龍穴の深さを計測しようとしたが、五十丈以上あってまだ底知れずだったと云う。
 500尺、165m以上。現在も深い池があるとのことです。往古から、龍神・水神が祀られていたと思われます。御旅所に少将井、大政井があるのもむべなるかなです。

 『新選姓氏録』山城諸蕃に、八坂造の名が見えます。「出自狛人之留川麻(るつま)乃意利佐(いりさ)也。」とあります。『日本書記』斉明天皇二年(656)高句麗の使伊利之(いりし)等が来朝(81人)とあるのに符合します。山城八坂郷に、彼らが住み着いて共に祭祀を行ったのでしょう。

 元の宮司の真弓常忠氏は、八坂神社が祭神をスサノヲ尊にしている根拠は、突き詰めれば、『備後国風土記』(逸文)によるものと語ってくれました。
 内容をざっくりまとめますと。

 昔、北海に住む武塔神が、南海の神の女を妻問うたが、途中日が暮れたので、蘇民将来と巨旦将来の兄弟の家に宿を乞うた。弟は富んでいたが宿をかさず、兄は貧しかったが、快く宿をかし、粟柄で座を設け。粟飯を供した。
 数年の後、神は八柱の御子をつれて、再び来訪し、兄の蘇民の家人に茅輪を腰につけさせ、也を疫病でみなごろしにした。そこで、神は「われはハヤスサノヲノ神なり」と名のり、後世、疫病流行の時、「蘇民将来の子孫」といい、茅輪を腰につけるなら、難を免れるだろうと教えたという。

となります。武塔神=ハヤスサノヲノ神 ということです。


[11205] 牛頭天王雑感1  神奈備 2012/08/08(Wed) 11:33 [Reply]
明治元年三月二十八日 神仏分離の通達

一、中古以来、某権現或ハ牛頭天王之類、其外仏語ヲ以神号二相称候神社不少候、何レモ其神社之由緒委細二書付、早々早可申出給候事、但勅祭之神社御翰等有之候向ハ、是又可伺出其上ニテ御沙汰可有之候、其余之社ハ、裁判、鎮台、領主支配頭等へ可申出候事
一、仏像ヲ以神体卜致候神社ハ、以来相改可申候事

附本地杯卜唱へ仏像ヲ社前二掛、或ハ、鰐口、梵鐘、仏具等置候分ハ、早々取除キ可申事
右之通被仰出候事

 分離令のターゲットは牛頭天王であったようです。この頃までは、「テンノウ」と聞けば、牛頭天王を指すものでした。天皇は禁裏様、内裏様と呼んでいたようです。これを天皇を中心とした新政府としては、テンノウは天皇であるべき、牛頭天王は消してしまえとなったのです。
 どう消すのか。
京都の祇園社は地名を取って八坂神社と改称しました。全国的にこれに倣えとなったようです。さらに、これに関して、「今般一新、皇礎弥以晶栄ヲ表シ、八坂弥坂之文字相用ヒ、以来者、弥栄神社と被称度事」とご親切な提案がありました。

神社本庁所属(平七年)の神社名(本社摂社)
八坂 2636
弥栄   34
祇園  191
素盞烏  62
須佐之男 84
となっています。

大阪市生野区桃谷に彌栄神社が鎮座、ここは出雲の熊野大社からの勧請社で、京都祇園系ではなかったのでしょう、彌栄神社としています。他地域の神社にもそれぞれ由緒事情がいろいろあるのでしょう。

http://kamnavi.jp/en/kawati/ikunousi.htm

[11204] 8月の豊中歴史同好会  神奈備 2012/07/30(Mon) 19:46 [Reply]
8月4日 第一土曜日
講師 大阪大学助教 中久保 辰夫 先生
演題 考古学からみた4・5世紀の播磨とヤマト政権
会場:豊中市立蛍池公民館 6階教育センター

http://homepage2.nifty.com/toyonakarekishi/2012.html

[11203] Re[11201][11200][11199][11198][11196]: 「呉音」がはっきりしない  hoshikuzu|star_dust 2012/07/25(Wed) 10:40 [Reply]
> ※横レス、失礼します。
>
> *難升米=「奴(國)三位(さんみ)」=「卑彌呼」・男弟に次ぐ位、の意の「倭語」音写ではないかと思います。

なるほど。面白いですね。

三位(さんみ)の(さん)と(い)との両方は、発音や用字から見て純粋な日本語ではなく中国語系統の語ですね。してみると、3世紀までの中国に「三位」なる役職の用例がみつかるといいですね。「漢籍電子文獻」で検索しましたがふさわしいものはないようです。私は詳しくありませんから、探し漏れかもしれまんが。
また、日本語化していたとして、語、「三位」(さん)(い)が、(さんみ)と日本人に発音されるには、「連声」(例:「陰陽」 おん + よう → おんみょう)のシカケが必要ですが、「連声」が始まったのは中世以後のようです。3世紀に「連声」が既に存在していたことを示すことはちょっと難しいことかもしれません。

コメントをありがとうございました。

[11202] Re[11200][11199][11198][11196]: 「呉音」がはっきりしない  hoshikuzu|star_dust 2012/07/25(Wed) 10:26 [Reply]
>
>  畑井弘さんは、難升米を 奴宿禰 とされていました。(たぶん『古代倭王朝論』で)
>
>  こちらの方が役職ポイように感じます。

なるほど、興味深い着眼ですね。 米と禰との子音が相違しますが、こんなことは外国語の表記ではありがちなこととも考えられます。 有名な事例では、江戸時代、オランダ語の「diamond」が、日本語で「ギヤマン」と聞きならわされ、本義のダイヤモンドのみならず、ガラス細工の名称にまで使われたことがあります。
>
>  共感できる取り組みスタンスに感銘いたしました。
ありがとうございます。楽しいことをみつけるには時間がかかりますけれど、なにかみつけたときの喜びは大きいものですね。

このたびは思わず脱線につぐ脱線になってしまいました。

[11201] Re[11200][11199][11198][11196]: 「呉音」がはっきりしない  福島雅彦 2012/07/24(Tue) 09:53 [Reply]
※横レス、失礼します。

*難升米=「奴(國)三位(さんみ)」=「卑彌呼」・男弟に次ぐ位、の意の「倭語」音写ではないかと思います。

[11200] Re[11199][11198][11196]: 「呉音」がはっきりしない  神奈備 2012/07/23(Mon) 21:05 [Reply]
> 難升米は本当は「難叔米」ではなかったか? だとしたら、これは、「ナのシコメ」という倭人の名前の表記としてふさわしかろう…というものです。

 シコヲ・シコメ は 役職名ではなさそうですね。美称と云うか反美称と云うか、個人の形容に感じます。

 畑井弘さんは、難升米を 奴宿禰 とされていました。(たぶん『古代倭王朝論』で)

 こちらの方が役職ポイように感じます。


> とっても楽しいのでございます。大変に興味深く。空想は尽きません。

 共感できる取り組みスタンスに感銘いたしました。

[11199] Re[11198][11196]: 「呉音」がはっきりしない  hoshikuzu|star_dust 2012/07/23(Mon) 12:20 [Reply]
いろいろとご教示をありがとうございます。

>  中世のモンゴルの首領は「可汗」と呼ばれたようで、これと1000年近く前の、1000kmほど離れた卑弥弓呼の弓呼を短絡させるのは可笑しいでしょうが、なにか通ずるものがありそうです。

「可汗」の「汗」の字の「ツクリ」は、「干」であって、「于」ではありません。トメ・ハネの違いがあります。あ、こう意味ではなくて…「可汗」の「可」のほうの、音が「カ」ですので、こちらのほうにご注目されたのでしたか…

弓呼=ウカ説において、ウって何だろう?と昔書いたメモ書きを広げたところ、「大人」という表記でもって「ウシ」の語にあてている例を古語辞典から拾っていることに気がつきました。忘れていました。 オトウカシのウカシと比べて何かわかるとよいのですけれども、よくわかりません。

>  問題は「弓」が「干」であったか否かにつきます。弓と云う字と㢨(弓扁に干)の省略形なのか、おっしゃるような「干」の異体字だったのかが問題です。決め手が欲しい所。

個人的には、写本類からは…ほとんど望み薄であろうかと存じます。非常に残念なことです。

呉音関連の話の延長だったはずですのに、話が広がってしまいましたが、申し訳ありません。 要は、卑弥呼の時代の倭人伝の用字において、朝鮮半島の文化圏における中国語漢字表記の受容のありかたや、当時の朝鮮系の発音その他が、影響しているはずだろうという、個人的な推測を申し上げたかったというのが、私の最初の書き込みの動機でございました。 中国での上古音・中古音の表記でもって、倭人伝の表記にあらわれる、再構した古代倭人の言語を復元する研究が圧倒的に多いわけですが、ちょっと待って? 通訳がいたのではないの? 倭人の使節が魏にオトヅレル時には、かならずや通訳がいたはずだし、漢字をある程度使いこなせていたその通訳は朝鮮系の人だったのではないの? という思いです。

>しかし、「升」の字は「升の右下に点」と混ざっています。「卑」の字は、上の点がないものもあります。

脱線ついでですけれども。「升の右下に点」にさらにいくつか点を加えますと、「叔」の異体字となります。ざっくばらんに思い付きを書いた拙ブログが以下にあります。
http://d.hatena.ne.jp/hoshikuzu/20090514
難升米は本当は「難叔米」ではなかったか? だとしたら、これは、「ナのシコメ」という倭人の名前の表記としてふさわしかろう…というものです。
神奈備様でしたら、「シコメ」という語に特別な感慨があるのではないでしょうか。
あわせて、「シコヲ」なる名称が倭人伝に? という無茶苦茶な暴論が、同じく拙ブログにございます。
http://d.hatena.ne.jp/hoshikuzu/20081211
http://d.hatena.ne.jp/hoshikuzu/20081209
載斯烏越と都市牛利は同一人物で発音は「ツ シコヲ」ではなかったかと。

※シコヲとシコメが登場するので、とっても楽しいのでございます。学問的な検証はしてありません。 空想です。

>
>  宇賀神は、中世に登場した神のようで、穀物神ともされていますが、お姿は蛇神のようです。
>

「お姿は蛇神」とのこと、大変に興味深く。。。これは大変に興味深いです。ありがとうございます。

[11198] Re[11196]: 「呉音」がはっきりしない  神奈備 2012/07/22(Sun) 11:11 [Reply]
> 「卑弥弓呼」は、あるいは、本来「卑弥于呼」の表記であった可能性があるかもしれません。


 中世のモンゴルの首領は「可汗」と呼ばれたようで、これと1000年近く前の、1000kmほど離れた卑弥弓呼の弓呼を短絡させるのは可笑しいでしょうが、なにか通ずるものがありそうです。

 問題は「弓」が「干」であったか否かにつきます。弓と云う字と㢨(弓扁に干)の省略形なのか、おっしゃるような「干」の異体字だったのかが問題です。決め手が欲しい所。

 岩波現代文庫 『魏志倭人伝の考古学』佐原真 の中に、倭人伝の原文が載っているのですが、どのような写本なのかは記載がないのですが、弓の字はきれいな弓の字になっており、異体字と間違えると云うことはないように思います。しかし、「升」の字は「升の右下に点」と混ざっています。「卑」の字は、上の点がないものもあります。
 幾つかの写本が残っているのでしょうが、それらに「弓」の字。
 また、『三国志』全体の「弓」の使い方などを見てみたいものです。

 いずれにしても、おっしゃるように、その可能性はありそうです。面白いことです。

 宇賀神は、中世に登場した神のようで、穀物神ともされていますが、お姿は蛇神のようです。

[11197] 古代を偲ぶ会 8月度  神奈備 2012/07/22(Sun) 10:18 [Reply]
講師とテーマの変更お知らせ

2012 8 18
今城塚古代歴史館 館長 森田 克行
鎌足と阿武山古墳

http://kamnavi.jp/link/sinobu.htm

[11196] Re[11195][11194][11193][11192][11191][11183]: 「呉音」がはっきりしない  hoshikuzu|star_dust 2012/07/21(Sat) 16:08 [Reply]
もう少しだけ、異体字関連の参考URLを補強させてください。

1: ニコニコ大百科
http://dic.nicovideo.jp/a/%E4%BA%8E

2: 「大規模漢字集合の異体字構造」
http://www.itscj.ipsj.or.jp/ipsj-ts/ts0008/table/8101.htm#4E8E

上記1については、過去にこちらの掲示板でも別件で紹介があったものです。
上記2については、4E8E, 4E8F, 4E90 の見出しの漢字が互いに異体字の関係にあります。

以上の参考資料により、古代から、「于」の異体字には、「弓」に極めてよく似た字形があり、古くは、むしろ、こちらのほうが本字に近かったことがわかります。(「于」が俗字であった。)

※『大漢和辞典』(諸橋轍次著)をパラパラめくっていて、運良くページがとまり、ふと、これらのことに気がついた時には、心臓が止まりそうでした。

まとめ。
「卑弥弓呼」は、あるいは、本来「卑弥于呼」の表記であった可能性があるかもしれません。

===
閑話休題。予断です。

卑弥呼の鬼道が龍蛇信仰と関連性が深いのではないかとする研究者に、陰陽五行説を中心とした研究で著名な、民俗学者の吉野裕子氏がいます。 氏の全集を読んでいて気がつきました。


[11195] Re[11194][11193][11192][11191][11183]: 「呉音」がはっきりしない  hoshikuzu|star_dust 2012/07/20(Fri) 17:44 [Reply]
>  わかりやすい解説ありがとうございます。
>
> > 『アイツが「卑弥・呼」ならば、俺は「卑弥・于・呼」だぞ!』
>
>  敵対する二人の名前がよく似ている謎、うまく解き明かしています。

ご評価をありがとうございます。個人的にもずっとひっかかっていたところではあります。

> > 「于呼」を「ウカ」と
>
>  卑弥呼・卑弥弓呼 の中に 兄宇迦斯・弟宇迦斯 や 宇加御魂 や 宇賀神 につながる重要な言葉が隠れていたとは、衝撃的です。命中かも。

宇賀神は、想定外でした…なるほど…勉強になりました。ありがとうございます。

> > そこで。以下をご覧ください。
> > http://glyphwiki.org/wiki/juki-b106.htm
>
>  htmを補充して見ましたが、よくわかりませんでした。
>

失礼いたしました。
では、こちらではいかがでしょうか?

http://glyphwiki.org/wiki/toki-01029260


[11194] Re[11193][11192][11191][11183]: 「呉音」がはっきりしない  神奈備 2012/07/20(Fri) 09:34 [Reply]
 わかりやすい解説ありがとうございます。

> 『アイツが「卑弥・呼」ならば、俺は「卑弥・于・呼」だぞ!』

 敵対する二人の名前がよく似ている謎、うまく解き明かしています。


> 「于呼」を「ウカ」と

 卑弥呼・卑弥弓呼 の中に 兄宇迦斯・弟宇迦斯 や 宇加御魂 や 宇賀神 につながる重要な言葉が隠れていたとは、衝撃的です。命中かも。


> そこで。以下をご覧ください。
> http://glyphwiki.org/wiki/juki-b106.htm

 htmを補充して見ましたが、よくわかりませんでした。


[11193] Re[11192][11191][11183]: 「呉音」がはっきりしない  hoshikuzu|star_dust 2012/07/19(Thu) 17:57 [Reply]
>  hoshikuzu|star_dustさん、こんにちは。面白い着想のお話ありがとうございます。

ご感想をまことにありがとうございます。

>
> > リーダー格の名称を「●ka」とする
>
> 各国の役人の役職名を書いて見ました。ルビは小生がメモ替わりに。
>
( snip )
>
> ●kaに該当しそうなものもありそうですね。
>

はい。すべてとは限りませんけれども…

> 狗奴国王の卑弥弓呼はヘミクカ? 海蛇とか大蛇とか?なにかあるんでしょうか。

卑弥弓呼の「弓」の字の発音は、どうも、古代日本語にふさわしくない気がしていました。藤堂漢和辞典などをみていて…ですが。

そこで。以下をご覧ください。
http://glyphwiki.org/wiki/juki-b106.htm

上は、「于」の異体字として、「弓」の字形に近いものをサンプルとして挙げたものです。

「卑弥・于・呼」が大元であったかもと思いを馳せるのです。無論確証はございません。「于呼」を「ウカ」と発音するならば、これは? 私が思いつくのは、ひとつには、「大きい呼」の意味の語、もうひとつは、兄宇迦斯・弟宇迦斯の兄弟の名です。

「宇迦斯」がなんらかの王号・首長号であったとするならば、これは、複数の語幹からなる合成語であったかもしれません。「相加」もそうでしたが。 すなわち、「宇迦」+「斯」。 やや苦しい想定ですけれども… 
なお、「斯」相当の語尾は、古代朝鮮半島の人や官の名前に多くみられる「智」に相似しているものと捉えられなくもありません。 一種の美称としてつけられているようです。

いずれにせよ、
『アイツが「卑弥・呼」ならば、俺は「卑弥・于・呼」だぞ!』
というイキオイがあると申しますか、なんと申しましょうか…

空想は尽きません。

[11192] Re[11191][11183]: 「呉音」がはっきりしない  神奈備 2012/07/19(Thu) 16:24 [Reply]
> はじめまして。

 hoshikuzu|star_dustさん、こんにちは。面白い着想のお話ありがとうございます。

> リーダー格の名称を「●ka」とする

各国の役人の役職名を書いて見ました。ルビは小生がメモ替わりに。

対馬国 卑狗 卑奴母離 ヒク ヒナモリ
一大国 卑狗 卑奴母離
末廬国
伊都国 爾支 泄謨觚  ジシ ニシ エイポコ セツポコ
       柄渠觚  ヘイヒョコ

奴国  凹の下に儿 馬觚  □マコ 卑奴母離
不弥国 多模 タボ タモ 卑奴母離
投馬国 弥弥 ミミ 弥弥那利 ミミナリ
邪馬台国 伊支馬 イシマ  弥馬升 弥馬獲支 ミマカクシ 奴佳[革是] ナカテイ

狗奴国 狗古智卑狗 クコチヒク コウコチコウ

狗奴国王 卑弥弓呼  ヒミキュウこ
女王 卑弥呼  ヒミこ
大夫 難升米  ナンショウベイ  ナンショウマイ
副使 都市牛利 ツシギュウリ ツシゴリ  トシギュウリ  トシゴリ

使者 伊声耆 イキケイ  イキセイ イキショウ イシケイ イシセイ イシショウ
使者 掖邪狗 エキジャク  エキジャコウ Jエキヤク Jエキヤコウ

壱与  イチヨ 
台与  タイヨ  ダイヨ

●kaに該当しそうなものもありそうですね。

> 卑弥呼の王号が「ヘミカ」

狗奴国王の卑弥弓呼はヘミクカ? 海蛇とか大蛇とか?なにかあるんでしょうか。

[11191] Re[11183]: 「呉音」がはっきりしない  hoshikuzu|star_dust 2012/07/19(Thu) 12:44 [Reply]
はじめまして。

> http://www7b.biglobe.ne.jp/~gengo/fimikonewpage74.html
>
> によれば、「魏・蜀・呉」の三国時代であり、言語の様相ははっきりしていないのである。『三国志魏書』「東夷伝」倭人伝での、当時の呉音で「呼」は「オ/o」「ヲ/wo」「コ./ko」「クォ/kwo」のどれか、当時使われていた正しい発音のことは誰にも判らない。
>  【呼】の文字は〔乙類〕の「クォ・kwo」で「こ=込める形態・凝る形態」である。
>  「コ・kwo〔乙類〕」の構造は「ク+オ」である。以上
> とのことらしい。

扶余及び高句麗における支配階級である「官」に与えられる一般名詞として、「馬加・牛加・猪加・狗加」があります。 また、これらの上の階層に 「相加」があります。ここで相はおそらくは首相の相の義でありましょう。なお、「加」は、大きいという意味の語の発音に当てた字であろうとのことです。扶余及び高句麗が成立する以前から、リーダー格の名称を「●ka」とする、こうした風習はあったとも考えられましょう。

さて、倭人伝における「●呼」は、中国からの影響を受けて当時先進地域であった朝鮮半島からの外来語であったかもしれません。 現代日本で社長のことをCEOなどと呼ぶように、外国の制度から名称を輸入した可能性があるとも考えられます。すなわち、「●呼」は、「●加」の反映であるとみなすことも、あるいは、できましょう。 「●呼」が、純粋な倭人の言語に起源を持つものではないものと、一応は考えてみたいのです。
さて、高句麗における「●加」は、多くの場合、「動物名プラス加」です。それでは「卑弥呼」が、「動物名プラス呼」である可能性はないのでしょうか? ずばり、「蛇プラス加」が第一候補と考えられましょう。古代日本語において「蛇」を「へみ」と呼んだことが知られています。
倭人伝の中には「卑弥呼」ではなく、「俾弥呼」と記されていることもありますが、こちらの発音は「ヘ」+「弥呼」でしょう。万葉仮名において「俾」が「ヒ」相当ではなく「ヘ」相当に当てられていることも参考になります。「俾弥呼」のほうが、皇帝の勅の文章に添ったものであろうことから、発音はより正しいものとも考えることができます。
卑弥呼の王号が「ヘミカ」相当であったと考えられなくもない、そうしたロマンを感じます。 かの女王国は、龍蛇信仰に支えられた鬼道を支配原理にしていたと考えると楽しくなってきます。

長文失礼をいたしました。


[11190] 伊佐奈岐神社  神奈備 2012/07/18(Wed) 11:20 [Reply]
 伊弉諾諾尊の幽宮は紀では淡路、記では淡海(真福寺本)となっています。
 『日本書紀』は「是後伊弉諾尊神功既畢。靈運當遷。是以構幽宮於淡路之洲。寂然長隠者矣。」とと幽宮を淡路に求めています。さらに、「亦曰。伊弉諾尊功既至矣。徳文大矣。於是登天報命。仍留宅於日之少宮矣。〈少宮。此云倭柯美野。〉」と別伝を載せています。近江を指しているとも思えません。
 履中紀には、「淡路の伊弉諾神が飼部の入れ墨の血の臭いをいやがった。」とする記事がでています。また允恭紀にも、淡路の神が明石の真珠をほしがったとあり、伊弉諾神のように思われます。

 『古事記』真福寺本は、「坐淡海之多賀也。」とあり、現に多賀大社(延喜式 多何神社)が鎮座、『倭名抄』に、近江国犬上郡に田可郷があるとなっており、多賀は古い地名です。

 淡路にはタカ郡やタカ郷の名が見えません。『地名辞書』によれば、「河合村・井谷村を合同して多賀村と云う。大字多賀には伊佐奈岐神社あり、当国の一宮にして、即国幣小社に列す。」とあります。
 多賀は大字の名で、以前は神宅(かんやけ)でした。淡路の多賀は天保年間が初出。(『兵庫県の地名』平凡社)要はマイナーな地名。『古事記』道果本・道祥本・伊勢本が「淡路の多賀」と記したのは疑問です。やはり淡海だったのでしょう。

 近江の多賀は記紀や続日本紀には出てきません。壬申の乱の物語にも戦場近くだったのに出ていません。天武側は近江の神に戦勝祈願はしなかったのでしょう。
『延喜式神名帳』には、淡路伊佐奈岐神社が大社、近江国犬上郡多何神社二座は小社とあります。『新抄格勅符抄』には、「近江国田鹿神 六戸(多何神社)、淡路国津名神 十三戸(淡路伊佐奈伎神社)となっています。

 伊弉諾尊を祀る式内社は
大和国添下郡・葛下郡・城上郡
伊勢国度會郡
出雲国出雲郡
摂津国嶋下郡
若狭国大飯郡
に鎮座しています。海人族が祀った神社でしょう。これに淡路・近江を加えて共通の海人族がおれば、彼らが各地に勧請していったということでしょう。安曇・物部・和珥など、ピッタと来るのはいないようですね。天皇家や藤原氏にまで広げて見ましょうか。

[11188] 豊中歴史同好会  神奈備 2012/07/14(Sat) 09:14 [Reply]
2012 7 14
講師 京都橘大学教授 一瀬 和夫
テーマ 古市・百舌鳥古墳群の成り立ち
場所  豊中市立蛍池公民館 5階公民館集会場

[11187] Re[11186][11185][11183]: 「呉音」がはっきりしない  福島雅彦 2012/07/12(Thu) 16:09 [Reply]
>  対馬国の長官を卑狗、副官を卑奴母離と呼ぶ、とありますが、対馬の人の発音はきれいだったのか、通訳が少ない会話が成り立ったといえそうですね。卑弥呼の呼が狗でないのは、そのように聞こえなかった?

※「呼」と「狗」とを使い分ける様な聴き分けが可能なほどだった、と。

*尊(みこッ)=「水(米)・事(こッ)」=水耕稲作の水利権と稲作の統括をする、職掌。

*「卑狗」=「日子」=「彦」か、と。

[11186] Re[11185][11183]: 「呉音」がはっきりしない  神奈備 2012/07/11(Wed) 09:34 [Reply]
 対馬国の長官を卑狗、副官を卑奴母離と呼ぶ、とありますが、対馬の人の発音はきれいだったのか、通訳が少ない会話が成り立ったといえそうですね。卑弥呼の呼が狗でないのは、そのように聞こえなかった?

[11185] Re[11183]: 「呉音」がはっきりしない  福島雅彦 2012/07/09(Mon) 18:21 [Reply]
> http://www7b.biglobe.ne.jp/~gengo/fimikonewpage74.html
> によれば、「魏・蜀・呉」の三国時代であり、言語の様相ははっきりしていないのである。『三国志魏書』「東夷伝」倭人伝での、当時の呉音で「呼」は「オ/o」「ヲ/wo」「コ./ko」「クォ/kwo」のどれか、当時使われていた正しい発音のことは誰にも判らない。
>  【呼】の文字は〔乙類〕の「クォ・kwo」で「こ=込める形態・凝る形態」である。
>  「コ・kwo〔乙類〕」の構造は「ク+オ」である。以上
> とのことらしい。

※ですから、「倭語」の何と言う意味の何と言う発音に宛て振った(当て字した)かを考察すべきなのです。
*書記官は漢字の持つ全ての音の中から擬似音と通訳から聞き出した語義と両方に当て嵌まる近似音を当てた、と観ています。
∴「卑彌呼」=“힘”(him)尊(みこッ)=最高位の尊、の古代倭語(九州弁と朝鮮語に臍の緒を留める)音写である。

[11184] 今使譯所通三十国  神奈備 2012/07/09(Mon) 15:56 [Reply]
 近江の伊勢遺跡は倭国大乱から卑弥呼共立の時代(184〜210年)頃のもののようです。弥生後期では大和の鍵・唐古遺跡に並ぶ大規模な集落遺跡。
 遺跡の中心部には床面積88平方メートルの建物があり、それを囲むように直径220mの円周上に30棟の祭殿が取り囲んでいたと推定されています。

http://www.bell.jp/pancho/travel/oumi/images/ise%20iseki-40.jpg

 『魏志倭人伝』に、「今使譯所通三十国」とありますが、まさにドンピシャリ。「神集い」として伝わった現場だったのかも。

 いずれにしても近江は野洲川も流れており、標高85mに琵琶湖があり、天の安河や高海原があり、古事記の舞台だったといえそうですね。

[11183] 「呉音」がはっきりしない  神奈備 2012/07/08(Sun) 22:11 [Reply]
http://www7b.biglobe.ne.jp/~gengo/fimikonewpage74.html

によれば、「魏・蜀・呉」の三国時代であり、言語の様相ははっきりしていないのである。『三国志魏書』「東夷伝」倭人伝での、当時の呉音で「呼」は「オ/o」「ヲ/wo」「コ./ko」「クォ/kwo」のどれか、当時使われていた正しい発音のことは誰にも判らない。
 【呼】の文字は〔乙類〕の「クォ・kwo」で「こ=込める形態・凝る形態」である。
 「コ・kwo〔乙類〕」の構造は「ク+オ」である。以上
とのことらしい。




[11182] Re[11181][11180]: 諏訪  福島雅彦 2012/07/03(Tue) 22:29 [Reply]
> 田主丸 水害お見舞申し上げます。

※お見舞いを賜り、多謝 謝々!
近くの町道が例年1〜2度は膝下位の水位で冠水するのですが、
今度のは股下位で過去最高でした。短時間集中豪雨だとか。
我が家はお陰様で無事です。

[11181] Re[11180]: 諏訪  神奈備 2012/07/03(Tue) 18:52 [Reply]
田主丸 水害お見舞申し上げます。


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