神奈備にようこそ 掲示板のログ(99/9月)お名前の敬称は略させて頂きます。



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更新 99/09/30


てっちゃん 99/09/30
瀬藤様 大和のアマチュア考古学者様 松岡様 その他の方々こんにちは
実は私も神社を巡るのが好きなのですが現地にてどういうように神社を見たら良いか解りません。もちろん由緒書きとかは見ますし神社をぐるっと回ってみたりしますが歴史的な事実をどうやって読み取って好いか解りません。もしコツなどがあればお教え下さい。

瀬藤禎祥 99/09/30
>対馬に行きます。式内論社をすべて見てくるつもりです
これこそ神社にロマンやミステリーを感じる旅行になりますね。うらやましい限りです。
小生も検討したのですが、なにせ車を運転できない人間ですので、対馬はそうとう時間がかかりそうで、リタイヤ後時間を気にせずになどと思っております。
五十猛さんにもよってあげて下さい。

松岡 99/09/30
>山城/下鴨神社の原稿に入れましたのでご一読を!
拝見しました。『神社辞典』を見ると、「賀茂」と「三島」との関連は通説になっているようです。
たしかに、原田常治著「古代日本史」は、「調べたらわかった」の羅列で、説明や分析に説得力を欠き納得の行かない部分は多いと思います。
ただ、「異名同神説」が有るからこそ、神社にロマンやミステリーを感じるのではないかと思います。そういう「説」に触れ、興味を感じたら、瀬藤さんのように自身で調べ、必要なら現地に行ってみる事が大事なんでしょうね。
今度の連休に、対馬に行きます。式内論社をすべて見てくるつもりですが、さて、3日で回れるのでしょうか。

瀬藤禎祥 99/09/27
異名同神説を調べていて疑問点を発見しました。ご一読を!
原田説
小椋説
です。

大和のアマチュア考古学者 99/09/27
瀬藤さん
>岩波新書の「神々の明治維新」に一村一氏神の強制が行われた旨書いてありました。
>この時に祭神名も多く改められたようです。
ありがとうございました。

瀬藤禎祥 99/09/23
神社庁発行平成祭礼データ CD 由緒に乏しいのです。
死の国・熊野(豊島修)講談社現代新書
熊野修験(宮家準)吉川弘文館
神社名鑑(昭和39年)神社本庁 などです。

岩波新書の「神々の明治維新」に一村一氏神の強制が行われた旨書いてありました。
この時に祭神名も多く改められたようです。

松岡 99/09/23
>勧請の由緒がはっきりと書かれている神社の内、家都御子神を主祭神としている神社をいくつかリストアップしておきます。
これらも、「平成祭りデータCD」からの抜粋でしょうか?うらやましいなぁ。

大和のアマチュア考古学者 99/09/22
>異名同神説・・・これが、神々を考えるとき話をややこしくしていんですネ。
 そう考えると「マキ」→「マケ」→「ケ」→「ミケ」→「御食津」=兵主神ってゴロあわせみたいに思えるのですが・・・。
●ところで、先日某国営放送で、「廃仏毀釈のときに神社の廃統合があった」と云う 様なことがチョコット放送されておりました。ここらあたりの真意はご存じありませんでしょうか。
 僅か1つだけですが、わたしが存じ上げておりますのは桜井市の大福にある三十八柱神社は、江戸時代はでは小治田神社と云っていて明治になったとき村の氏子さんたちが時の政府に召し上げられることを恐れて神社名を変えたその記録が神社の保管している古文書にも書かれている。
 と、社主の方の著書(地名でみる大和のロマン:非売本)に記載されているのですが。

瀬藤禎祥 99/09/22
熊野本宮大社の現在の主祭神は家津美御子大神となっています。
勧請された熊野神社の祭神は熊野三山に祀られている神々の名が見えます。
伊弉册尊、伊弉諾尊、家都御子神、速玉男命、熊野夫須美神、事解之男命、なかには五十猛命も祀られています。
勧請の由緒がはっきりと書かれている神社の内、家都御子神を主祭神としている神社をいくつかリストアップしておきます。

宮城県柴田郡川崎町大字支倉字宮脇上10 熊野神社「家都御子神、速玉男命、熊野夫須美神」延暦十六年(七九七、平安)征夷大将軍坂上田村麿
福島市下飯坂字熊野15 熊野神社「奇御氣奴命、速玉男之命、伊邪那美命」中古、黒津庄八なる者、紀伊、熊野神を勧請
茨城県稲敷郡江戸崎町高田1348 高田熊野神社「熊野神呂櫛御食野命、伊邪奈伎命、伊邪那美命、撞榊嚴御魂天疎向媛命、菊理比賣命、速玉之男命、事解之男命」承平年中(931から937)に、紀伊国の熊野大社の分霊を勧請
東京都新宿区西新宿2ー11ー2 十二社熊野神社「櫛御氣野大神、伊邪那美大神、天照皇大神」応永年間(西暦一四〇〇年〜一四二〇年)に熊野三山の十二社の神を勧請
岐阜県揖斐郡池田町宮地865番地の1 熊野神社「家津御子神 合 速玉之男神、熊野久須美神」文徳天皇の皇子惟喬親王糟ケ谷に熊野権現を御勧請

 原田さんや小椋さんの書いた物は神社の存在や由緒など参考になりますが、そこから推測する神々の系譜や異名同神説には頷けない所がありますね。

松岡 99/09/21
>熊野本宮の家津御子は素盞嗚尊です。
原田常治氏によれば、家津御子ではなく事解之男(饒速日)と。真偽は分かりませんが、各地の熊野神社で、家津御子を祭神にしているのは、熊野本宮だけだそうですね。

瀬藤禎祥 99/09/21
熊野本宮の家津御子は素盞嗚尊です。要するに天津神へ供物を饗するのは国津神の役割であって、民人の収穫を保証するのは支配者側とする論理ですね。

松岡 99/09/21
食の神として、御食津(御膳)・豊受・保食と宇迦之御魂などがあります。大抵の本では、同様に扱われますが、御膳神は、宮中八座の一つです。
個人的には、宇迦之御魂などが民衆に対する農業神、御膳などは神(支配者)へ供物を饗する職能ではないかと考えています。
そういう意味で、気比の神のように、ミケツとする神には、服従・恭順的印象を持ちます。これは、天日矛・饒速日に通じるものではないでしょうか。
神宮に外宮が存在する意味を暗示してはいないでしょうか。

瀬藤禎祥 99/09/21
瀬藤です。
 麻気神を大御饌津彦命や饒速日命としている式内社があります。
神社の祭神が不明になってしまった場合、饒速日命とするよりは、天照大神や御饌津神にするケースが多かったのではないかと推測しています。 それだけに饒速日命としているのは、本来の祭神に近いのではないかと思われます。従って麻気神からの印象として武神とか金属生産の臭いを感じます。
 穴師兵主神社も祭神は兵主神で、蚩尤との関連が指摘されています。宮司さんも天日槍では・・と何かの本で読みました。 朝鮮との関連が強い神は、氏子に嫌がられる風潮が残っています。由緒が失われた段階で御食津神が強調されたのでは・・。
 尤も、田植えのシーズンが近づいてくると、弓月嶽の神が田に降りてくるとされ、その日には山に入らないようにしているとされ、これは豊穣の神のありようです。
 金属生産は農機具もそのジャンルです。神々の事に思いを馳せるとわけが分からなくなりますね。

松岡 99/09/21
>それと古事記に三輪の大物主の話の後に唐突に大年の話がでてくるんでもしやとも思ったのです。
たしか、大山咋を入れたいために、大年の系譜を平安期に挿入したという説がありましたよ。

大和のアマチュア考古学者 99/09/20
話題の腰を折るようですいません。
御食津神。・・・日曜日に穴師坐兵主神社に確認に行ってきました。
        拝殿の中と横に貼り付けてある説明文を読むと兵主神(中央)は御食津神で
        生産と平和の神、又、チエの神で崇敬を受けたと書いてありました。
        「マキ」→「マケ」→「ケ」→「ミケ」→「御食津」=兵主神で「麻気」とつながりました。


てっちゃん 99/09/20
松岡さん
詳しい情報ありがとうございました。
スサノオの息子であるオオトシが先に大和に来て先住民の王となって再び天孫族である九州勢力と合流するというのは大変魅力ある話だと思うのですが、、、
それと古事記に三輪の大物主の話の後に唐突に大年の話がでてくるんでもしやとも思ったのです。


松岡 99/09/20
さらに、
>大物主=大年神=ニギハヤヒ
安彦良和氏の漫画「ナムジ」が、この説(原田常治氏)を基本にしています。中公文庫コミック版で出ています。

松岡 99/09/20
>大物主=大年神=ニギハヤヒ
HP「木屋の資料館」に詳しく説明されています。
http://www.intacc.ne.jp/~kiya/sehaci/kiya33nigi.htm
私のHPではありませんが。

てっちゃん 99/09/20
大物主=大年神=ニギハヤヒと言う説があるそうですがどなたか詳しくお教え下さい。

松岡 99/09/20
>松岡様、書籍の情報ありがとうございます。
内容について、補足しておきます。
「神名の語源辞典」の「神名」は、祭神の名ではないようです。著者は「式内社の研究」を書かれた方で、延喜式神名帳の「神名」です。式内社の社名を音訓の転訛などで解明しようとしており、中には「コジツケ」っぽい部分も有りますが、勉強になります。

瀬藤禎祥 99/09/19
瀬藤です。
松岡様、書籍の情報ありがとうございます。
Mr.KurosawaさんのHP超マンダラの世界へようこそに刺激されて京都に行きました。
アドレスは www.tk.xaxon.ne.jp/~kurosawa/index.html です。葛城は一週間延ばしました。
 広隆寺の近くの大酒神社の祭神は麻多羅神と言う神だそうです。

大和のアマチュア考古学者 99/09/17
●連続投稿してすいません。
>湯は金属の溶けた状態を呼ぶ事もあるそうです
 鉄鋼業界といいますか鋳造業界といいますか、この道の方は湯を(鋳)型に鋳込む。
 とおっしゃいますネ。

大和のアマチュア考古学者 99/09/17
>三輪山界隈、いいですね。・・・ほんと、いいですネ〜。
>曼珠沙華もぼちぼち見頃・・・大和川沿いもぼちぼちです。15日雨でしたが咲いていました。
>「麻気(マケ)=ミケ」であり「ケ(食)」だそうです。
 っと言うことは、管理人の須藤さんがこの掲示板のトップでいわれておられます「はかないやま」→「ハヤマ」→「【ミ】(御)ハヤマ。「ケ」→「【ミ】(御)「ケ(食)」→御食津神。ってことに・・・なりませんか・・・ならないですよね。
●そういえば、須藤さん「大阪市立中央図書館」がお近くにあるのでは・・・。
●明日は、京都の山城町の郷土資料館に出かけようと思っています。

松岡 99/09/17
>「神名の語源辞典」という本、情報下さい。
紀伊國屋書店のBookWebで購入しました。
「神名の語源辞典」 ISBN:4784205772 志賀剛 思文閣出版 出版年月:89/12 19cm 242p NDC:175.2 \3,500
個々の神々の説明の量は、多くありませんが、かなりの神名が載っています。
ちょっと高いですが、同様に、
日本神名辞典 ISBN:4915265668 397,56p 26cm(B5 94.7.1出版 神社新報社 NDC:175.2 \10,000 というのもあります。

瀬藤禎祥 99/09/17
>また、伊多は「伊多太」で、由立。
由立→湯立(湯は金属の溶けた状態を呼ぶ事もあるそうです)→射達→姫路の射達兵主神社となり五十猛命と兵主神がまたまたつながりました。
滋賀の兵主大社の宮司さんによりますと、五十猛命や兵主神などの金属に関係のある神々は日本のより古い金属神(南宮大社の神)によって日本に呼ばれたのだそうです。
尤も南宮大社の神は金山彦命で、後年、構想された天津神ともされていますが・・。
「神名の語源辞典」という本、情報下さい。

>三輪山界隈、いいですね。
昨年の台風7号の直撃で和歌山、奈良は大きい被害を被りました。
三輪山の杉も多く倒れました。頂上辺の木々もまばらになっていていささかみすぼらしく見えます。

18日の土曜日は葛城の方を歩こうと思っています。一言主神社あたりの曼珠沙華もぼちぼち見頃でしょう。

松岡 99/09/16
>麻気     東向き  穴師方面 祖先の出身地
> 天日鉾、兵主神との関係が見える。穴師の一部を移動か
「神名の語源辞典」という本を手に入れました。それによると、「麻気(マケ)=ミケ」であり「ケ(食)」だそうです。
麻気(マケ)=ミケ=ミケツ=兵主神ですか。
豊受・保食にも通じるかもしれません。
また、伊多は「伊多太」で、由立。水に関する祭祀であるとか。確かに水辺にあります。
真偽のほどは分かりませんが、面白いですね。


てっちゃん 99/09/16
京都出帳に乗じて奈良の大神神社まで行って来ました。
二年前は石上神宮、三年前は山辺の道、南道をフルに歩きましたが今回は暑さにかまけて三輪山界隈しか歩けませんでした。しかしこに辺は本当に何か感付る物があると思います。

大和のアマチュア考古学者 99/09/14
>奈良の各地域の市町村史が揃っているところ。
 わたしは、斑鳩町のいかるがホールの図書館をよく利用させていただいております。
 コピーも、申請が必要ですが、1部10円でさせていただけますヨ。
●先日、11,12日の両日、奈良県新公会堂で「唐古・鍵学創設シンポジウム」が開催されたことはご存じかとおもいます。国史跡に指定され近年、色々なものの整備がなされることとおもいます。
鏡作神社のことも。

瀬藤禎祥 99/09/13
話題になっていた鏡作神社を歩きました。
HPを改訂し、記載したのですが、神社の向きについて思ところをまとめて。
石見、八尾  南向き  太陽祭祀
伊多二座   西向き  葛城方面 祖先の出身地
 廬戸宮の孝霊天皇の祖地の葛城の八十梟師の一部を移動か
 伊多→五十猛命の上陸地石見の方向 宮古の鎮座の字は補屋→大屋→大屋毘古→五十猛命
麻気     東向き  穴師方面 祖先の出身地
 天日鉾、兵主神との関係が見える。穴師の一部を移動か
 他の麻気神社の鎮座地は天日鉾、兵主神と重なる。

田原本町の図書館へ行きましたが、奈良の各地域の市町村史がそろっておりました。

瀬藤禎祥 99/09/12
ある人から奥多摩の丹生神社の件で書き込んで頂きましたが本人から削除の依頼がありましたので、削除いたしました。

瀬藤禎祥 99/09/06
てっちゃんさんご投稿ありがとうございます。
イワクラのイメージ
 山の頂上など−天へ向かう信仰−三輪大社、基山の荒穂神社
 湖の向こうの山から登る朝日−横に日に向かう−日吉大社
 性信仰−石床神社、花窟神社

イワサカ
 禁足地的なスペース−地へ向かう信仰−石上神宮、山辺御県神社(別所)

ヒモロギ 臨時的なイワサカ
 山から神を迎える空間−水平的−上賀茂神社

どうも感覚的で・・三輪山も禁足地で蛇神を祀るとすればイワサカもあるのでしょう。総合神社?。

てっちゃん 99/09/06
磐座・磐境についてお話がでて来ましたがみなさん御存じとは思いますが日本のピラミッドを詳細に調べたレポートがあります。
http://plaza14.mbn.or.jp/~taizan/index.html

瀬藤禎祥 99/09/06
 あかね 様 ご投稿ありがとうございます。
 美奴売の神が自分の住む能勢の美奴売山(大阪府豊能郡三草山?)の杉を伐切り採って船を造れ、その船に乗っていくと幸いがある、との神託を下した。とあります。(摂津風土記)
 また、爾保都比売命が、自分を良く祀ってくれるならば赤土を与えようと言った。その赤土を船体などに塗ったとあります。帰還後、神功皇后は爾保都比売命を紀伊国筒川の藤代の峯に鎮め奉った。とあります。(播磨風土記)
 筒川から住吉の名が連想されます。御船前伊太て神や丹生都比売命は紀の国を代表する神々です。大変興味のあるテーマです。

 かって橋本か高野山近くの高校の先生(確か奈良の御出身)から、筒川の藤代の峯を探し当てたお知らせのメールを頂いたのですが、メールソフトの取扱のチョンボで失ってしまいました。誠に残念至極です。

あかね 99/09/06
初めまして。とても楽しいHPですね!お気に入りに加えさせていただきました。
瀬藤さんの文中に出ていらっしゃる新村明子さんのご関心分野、神功皇后と住吉神社についてお話致します。
ご存知かと思うんですが、兵庫県の「多可(託賀)郡誌」(大正時代の編纂)に、住吉神社領として同郡の山林が出てきます(同神社の記録にもあるはず・江戸期まで住吉領)。
神功皇后の新羅出兵のおりの舟は、多可の西脇辺りの山の杉を使って造船したと記されてます。元の出典はやはり「播磨風土記」だと思います。神様の名は忘れましたが、皇后がその神のご神託を受けて、同神がお住みになっている地域の山の杉で造船すれば幸いがあるという説話の山が、どうやら多可郡らしい。 こちらのHPにも記載されてたような・・・。
この出兵の後、多可西脇の山々は住吉の管轄になったとされています。住吉神社を通じ、天皇家に木を献上するお山だったらしい。うろ覚えでごめんなさい。
また、そのうち磐座・磐境についてもお話させていただきたいと思ってます。

瀬藤禎祥 99/09/05
 瀬藤です。地図情報ありがとうございます。
谷川健一さんの白鳥伝説によりますと饒速日山の下には深い井戸があって云々と出ていたと思います。
 また、哮ケ峰とか白庭台とかの地名が何時頃からそう呼ばれていたのかが解りません。

 昨日の土曜日に天理市杣之内町の都祁山口神社の論社へ行って来ましたが、小さい磐座がありました。
磐座の印象としては巨岩ですが、それとは限らない物が時々ありますね。

 ところで新村明子さんは「ただいまOL生活に別れを告げ、大学編入(もちろん史学科です)の受験勉強の為、アルバイトをしながら予備校に通って」おられるそうです。
ご関心のテーマは「神功皇后と住吉神社のこと。または大阪と住吉の関係。もしくは摂津播磨地区の兵庫と住吉の関係…。」などのようです。
頑張って下さい。「若さ!」素晴らしいですね。

大和のアマチュア考古学者 99/09/03
>須藤様
  ●3D地図ソフト カシミール(フリウェアー)
        http://www.kt.rim.or.jp/~sugi/と、
●山名データベース(ダウンロードフリー、近畿圏)だけですが
 低山徘徊派! (^^)v
       「低山.好日.来(Teizan.GoodDay.com)」
     http://teizan.goodday.com/exdoor.htmと、
●国土地理院発売の「数値地図50mメッシュ」(西日本編)
 (谷四交差点すぐ西のぶよお堂さん06-6942-2410に\7,500-で)
 近畿圏の山名やその位置がたのしめま〜す。
>饒速日山は載っていませんでしたがニギハヤヒが天降ったと云われる哮ケ峰が生駒山の少し北にありますネ。
>生駒市史によりますと、白庭山というのがあって、近鉄不動産の白庭台あたりかと思うのですが・・・。


瀬藤禎祥 99/09/03
生駒山系のどっかに饒速日山があるそうです。
住吉大社神代記の胆駒神奈備山本記に生駒の神奈備山の四至が記されており、北を限る、饒速日山とあります。
実はこの饒速日山をさがすべく生駒山を徘徊したことがあるのですが、その時、生駒山には巨岩が多い事を発見しました。
どこもかしこも饒速日山に見えてしまうのです。
 そう言えば、東側には石床神社、西側では天照大神高御座神社が磐座を御神体とする古い信仰のように見えます。


大和のアマチュア考古学者 99/09/02
>磐坐・磐境
 ご存じだと思いますが御紹介させていただきます。
●奈良県桜井市三輪山
 辺津磐坐、中津磐坐、奥津磐坐がありますネ。
 三輪山は、東北方の巻向山からみても、南方の飛鳥からや、西方からみても円錐形に見えますネ。
●同県高市郡明日香村
 祝戸地区通称フグリ山と呼ばれているそうなのですが、その西の展望台(ここから眺める飛鳥の景色はすばらしいです。)との中間地点に数個の磐坐があり飛鳥神奈備「ミハ山」と言う小字名が残っている様です。
 今、その検証をさせていただいています。
 大字「栢森」の勧請縄(雄綱)のところにもポツンとひとつ磐坐石がありますネ。
●枚方市になるんでしょうか。磐船神社の磐坐。
●そういえば、笠置山の頂上にもくぐるとよいと言われる磐坐がありましたネ。


瀬藤禎祥 99/09/01
MiwaKami様から盤座・盤境についての質問を頂いております。
皆さんの記憶にある盤座・盤境を紹介していただき、古代人の信仰に思いをはせてみたいと思います。
頂いた質問を再掲します。
MiwaKami様
 今日は! 盤座・盤境についての質問なのです。
 あの巨石信仰は、「神社や社殿成立以前の”縄文時代”のアニミズムである」と、いろいろな本などで何の躊躇もなく書いてあるのですが、これには何か根拠となるものがあるのでしょうか?
 盤座は石で地表に露出しているものなので、遺跡・遺物と違い、非常に時代の特定が難しいものだとおもうのですが…
    ほとんど盤座と神社ってセットでありますよね。
 時代的には一体いつのものだと思われますか?
 また、これは後世の話しになるのですが、このような山をみていると、修験道や御岳信仰って、じつに「効果的に」このような盤座・盤境の山に拠点をもっていますよね。
 「御岳」信仰って、”そういう山を選べよ”、みたいなネット・ワークがあったのでしょうか。
 わかりません。皆さん、よろしくおねがいいたします。


大和のアマチュア考古学者 99/09/01
>須藤さん、松岡さんありがとうございました。
>伝孝霊天皇廬戸宮、旧孝霊神社地、現法楽寺、あのあたりの道、よく利用しています。
 現法楽寺は、桃太郎生誕の地としてお寺さんが旗をたてておられます。
 いまは、本堂と鐘堂しか残っていませんが、基壇址があり、塔とかもあったんだろうと思います。



発足以来のログです。
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