伊富岐神社 
岐阜県不破郡垂井町岩手字伊吹 its-mo


鳥居

交通

JR東海道線垂井駅西3.5km 関ヶ原駅東3.5km


祭神

多々美比古命 または八岐大蛇 または天火明命 または草葺不合尊
多々美比古命説 『帝王編年記』養老七年「古老伝曰..霜速比古命之男、多々美比古命、是曰謂 夷服岳神 也」伊吹山の神と言う事
八岐大蛇説 『日本書紀』景行天皇四十年の条に「日本武尊は近江の五十葺山に、荒ぶる神のあることを聞いて、剣を外して宮簀媛のいえにおき、徒歩でいかれた。胆吹山にいくと、山の神は大蛇となって道を塞いだ。」とあり、『平家物語』に「八岐大蛇、天降り..毒蛇となりて不破関の大路を伏塞ぎたり。..さる程に八岐の大蛇伊吹大明神は日本武尊に跳り越えられ」とあり、 伊吹の神を八岐大蛇の変化と見なされていた。
天火明命 この地一帯を伊福部氏の居住地とみて当社をその氏神とする説
不合尊とする説は論拠不明

由緒

 伊吹颪は岐阜市から江南市での冬の名物として語られる。 たたら製鉄とは、風を送って火力をアップして鉄を溶解して行く方式で、基本的には現在も変わらない。古代は風を送り込むのは人力によっていたが、この地は伊吹颪の吹き止むことがない地で、自然風で大いに人力が省けたようである。 実際には伊吹山から風が降りてくる訳ではない。関ヶ原の谷間に吹き込んだ風が東西に抜けてくる訳で、関ヶ原から垂井方面には大いなる風の道である。
 谷川健一氏によると、この神社の付近には鉱石もあるようで、銅や鉄を吹く人が集まったようである。
 壬申の乱の際、武器の少なかった大海人皇子側に、大いなる武器提供を行ったようで、延喜式内社の美濃国二宮に指定される背景があったと推測されている。

 日本武尊にからめての八岐大蛇説は成り立たないがこの説もある意味で面白い。日本武尊と素盞嗚尊とは次に見るように類似点が多い。(1)火雷神格を持つ巡行神 (2)農耕と製鉄 (3)荒ブル神から福神へ化生 (4)相聞と神婚 (5)草薙剣 (6)尾張地方に由緒 このような事から日本武尊の性格付けが素盞嗚尊から構想され、その辺りの事情が平安時代にも伝わっていたのであろうか、平家物語にすばり出ているのがそれを裏付けているようにも思える。

たたずまい
 東海遊歩道に面している。小さい太鼓橋があるが、実用には供さない。松や杉などの木々の多い社域である。直接には伊吹山は見えないが、社殿は東南東向きであり、明らかに伊吹山を遙拝する立地である。

拝殿

本殿

お祭り
 4月 2日 1日間 例大祭  神楽の奉納、獅子踊り

参考書 日本の神々 9 白水社

物部氏ホームページ

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