橿森神社(かしもり)

岐阜市若宮町1丁目8番地 its-mo


神社風景と上加納山




交通案内
JR岐阜駅北東へ25分 名鉄新岐阜駅 北東へ20分

祭神
市隼雄命(五十瓊敷入彦命の御子)


磐座 駒の爪岩



由緒
 岐阜旧市街地の東側の山並みの南端の上加納山(水道山)西麓に鎮座。

 創建は景行天皇の御代と云う。

 磐座信仰の古い聖地であったものと思われる。社殿背後の「駒の爪岩」には、大昔神人が駒にのってこの地にくだったことから、この名がでているとのこと。ひっそりと、また見事な磐座。

 もう一つは神木の榎、織田信長の楽市楽座の市神は榎の下に祀られた。 古代の市の木としては、三輪山麓の海石榴市は椿、箸墓の大市は槻、阿斗桑市は桑、石上市は櫟本の櫟、などである。 聖樹に商いの神を祀る風習は連綿と続いているようで、楽市楽座の市神は榎であり、美薗の榎と云われた。

 当社の祭神の市隼雄命については、五十瓊敷入彦命の御子以外には社伝は何も語らない。

社殿


お姿
金華山を頂点として南になだらかな山並みが続く。その南端上加納山(水道山)にこの神社は鎮座している。

 二つの磐座は見事。古くからの磐座祭祀の場であったのだろう。また岐阜の中心地にも比較的近く、市がたつのはよい立地であろう。

 明治になってから建勲神社を勧請、織田信長神社として入り口付近に鎮座、祠の正面に猫が鎮座、 宮司さんに尋ねると、入れ替わり立ち替わり猫がくるそうだ。祭礼時には遠慮してもらうが、普段は知らぬ顔。

 神様のおられる所は人間にとっても動物植物にとっても居心地がいいのだ。


摂社 建勲神社(織田信長神社)と猫


お祭り
 
 例祭  4月4日

平成祭礼データ 橿森神社の 由緒書

 御祭神は市隼雄命(伊奈波神社御祭神、五十瓊敷入彦命の皇子)で、創建は第十二代景行天皇の御代である。慶長五年(一六〇〇)に兵火、慶安二年(一六四九)に火災と両度の難に遭ったともいわれる。宝永三年(一七〇六)の古地図によれば、現在の美園町と若宮町の十字路付近が参道の入口で、西一帯は田となっている。二図中には、美園の「榎」が示してある。「岐阜総構の内は内町、構の外は外町、南へは美園にて″市立市神″として今に榎あり」と江戸時代の資料に示され、織田信長が美園で開いた楽市楽座の″市神〓がこの木の下に祀られたのである。現在、社前の榎は「市」の文化財として指定になっているが、美園の榎の孫に当るもので、明治十一年十月、明治天皇御幸のため道路改修が行なわれた際、現在地に移植されたものである。この榎は″神木化され「イボ」に対する民間信仰の対象となっている。古来木扁に春夏秋冬がついた樹木は、神木化された例は多い。境内には天明六年(一七八七)銘の石灯篭があり、瑞龍寺との関係がうかがわれる。社殿の背後にある駒の爪岩は、大昔神人が駒にのってこの地にくだり、この名がでている。市隼雄命のお墓は、各務原市蘇原の市林山の山頂に在る
以上


物部氏ホームページ


神奈備にようこそ