生石神社 おいしこ
兵庫県高砂市阿弥陀町生石171 its-mo


司馬江漢の「西遊旅譚」の石宝殿

写真は拝殿正面から見たもので、数枚の写真を重ねたもので、広角で撮ったものではない。

交通案内
JR山陽線宝殿下車 南西1.5km


祭神

大穴牟遲命、少毘古那命
配 大國主大神、生石子大神、粟嶋大神、高御位大神

『播州石宝殿略縁起』によれば、神代の昔、大己貴命天の岩船にのり此山にとどまり生石子大明神(大己貴命の化身)と号し、 一神は、少彦名命高御位大明神と号す。二神御心をあわせ、陰陽の御宇を現じ、五十余丈の岩を切りぬき、石屑は一里北たかみくらのみねに投置、一夜の間に、二丈六尺の石のほうでんをつくり、二神の尊鎮座ます。 とある。(『白水社の日本の神々2』から引用)

祭神としては、高御位山の男神に対する女神との説もある。


由緒

 式外社。巨大な石造物が御神体で、古くからの名物であった。

『播磨国風土記』の印南の郡大国の里の條に以下の様に出てくる。
大国の里土は中の中である。
大国とよぶわけは、百姓(おおみたから)の家が多くここにたむろしていた。だから大国という。
この里に山があり、その名を伊保山という。帯中日子天皇(仲哀天皇)を〔崩御されたので〕 神と仰ぎ奉り、〔陵墓造営のために〕息長帯日女命(神功皇后)は石作連大来を連れて讃伎 の国の羽若の地の石をお求めになられた。その地から海を渡って来られて、まだ〔お宿りする〕御盧をお定めにならなかったとき、大来が〔絶好の地を〕見いだしてみんなに知らせた。 だから美保山という。山の西に原がある。名を池之原という。原の中に池がある。だから池之原という。

原の南に石の造作物がある。その形は家屋の如くで、長さは二丈、巾は一丈五尺で、高さも同様である。 その名号を大石という。いい伝えによると、聖徳の王の御代に弓削大連(物部守屋)が作った石であるという。


大石の形状

左の前から前部の下部を写したもの、下部が削られているのが見える。

向かって左にまわって撮った横の写真。

向かって左にまわって背後の家形とされる出っ張り(1m)を撮った写真。

上からの写真、向こうは拝殿、木が生えている所から見ると大きい穴があいているものと思われる。




考察と諸説紹介

 大石そのものについて。
 この石は9700万年前にマグマが地下から一定の時間差をおいて不定量づつ噴出したものだそうで、その時に堆積した面は比較的柔らかいようで、その箇所を削れば岩体が確保されることを石工は知っていたのではないかと、『古代播磨の地名は語る:姫路文庫6』に記載されている。 竜紋岩質熔結凝灰岩と云うものだそうである。

 大石の用途は何か
 諸説がある。家形石棺、ゾロアスター教の水の祭壇、石槨(骨蔵器の収納施設)、斉明帝の陵墓説などである。 どうやら、下の彫り込みはこの石を拝殿側(東側)に倒すべく、工事されたようである。そうすると現在上部にある穴は前を向くことにあり、一体型の家形の石棺になるべく作られたようで、 残念ながら未完成のまま放置されたと見るしかなさそうだ。

 風土記の物部守屋が作ったと記載されている。
 石工は石作部の得意分野で、讃岐から連れてきたと記載されている。サヌカイトは讃岐石と云われ、石作部としては当然拠点を持っていたのである。 また讃岐と播磨は瀬戸内海で向かい合った地域で、同じ形の銅鐸が出土している。 この辺りの『古風土記』の記述は信用できそうである。 問題は物部守屋が作らしたものであるか否かである。年代的には顕著な差は認めにくいと言えるかどうかが問われる。 物部守屋の死亡は587年であり、『白水社の日本の神々2』では石宝殿は7世紀の中頃との見方を示しているが、この比定の根拠については調べ切れていないが技術的には6世紀以降だとの事で物部守屋の時代と矛盾はしない。 また工事が中断されているとすれば、命令者の物部守屋の不慮の死は大きい要因と見る事が出来る。 矛盾がなければ『風土記』を信用するべきだろう。

神社の由緒 平成祭礼データから

 神代の昔大穴牟遅(おおなむち)少毘古那(すくなひこな)の二神が天津神の命を受 け国土経営のため出雲の国より此の地に座し給ひし時、二神相謀り国土を鎮めるに相 應しい石の宮殿を造営せんとして一夜の内に工事を進めらるるも、工事半ばなる時阿 賀の神一行の反乱を受け、そのため二神は山を下り数多神々を集め「当時の神詰、現 在の米田町神爪」この賊神を鎮圧して平常に還ったのであるが、夜明けとなり此の宮 殿を正面に起こすことが出来なかったのである。時に二神宣はく、たとえ此の社が未 完成なりとも二神の霊はこの石に篭もり永劫に国土を鎮めんと言明せられたのである 。以来此の宮殿を石乃寳殿、鎮の石室と稱して居る所以である

拝殿 この正面に石宝殿が鎮座



お姿

 急な石段を登ると途中に車道がある。 更に登ると、背の低い門をくぐると拝殿がある。
 拝殿の右側に霊石が置かれており、押せば神から力を授かると書いてある。 拝殿から奥に入る際、100円の賽銭が必要である。 圧倒される大石が見える。

 拝殿の右側に巨石に階段が刻まれており、これを登ると御神体を上から眺めることが出来る。 巨石から切り出したまま置かれている様子がよく分かる。


お祭り

  4月第二日曜日 春季大祭
 10月第三土曜日、日曜日 秋季例祭 


 

公式生石神社(石ノ宝殿)


物部氏ホームページ

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