岩屋神社
京都市山科区大宅中小路町67 its-mo


鳥居


交通 JR、京阪 山科駅よりバス 橘女子大下車 北1分

祭神
天忍穂耳命、栲幡千々姫命、饒速日命


摂社 蛭子社、大神社「天照大神」、稲荷社、八幡社、天満社、山王社「大山咋神」、住吉社

拝殿


由緒
 岩屋大明神と称する。延喜式内社山科神社の論社でもある。

 本殿背後の大宅御所山中に陰岩、陽岩と言う大きい岩石がそそり立っている。元々、岩座信仰が当社の起源であった。社殿は仁徳天皇三十一年に創建されたとある。境内から奈良時代以前の土器などが出土しており、古くからの神域であったようだ。

 宇多天皇の時代(887〜896年)にそれぞれの岩座に天忍穂耳命、栲幡千々姫命を祭祀し、その岩前小祠に饒速日命を祀ったとある。これは、物部系の大宅氏がこの山科の地を開拓するに当たり祖神饒速日命を祀ったのである。

 中世、岩屋三社と呼ばれた神社で、東岩屋は当社、西岩屋は山科神社、上岩屋は不明とのことである。音羽山頂に神祠があったのかも知れない。

本殿

お姿
 高塚山の麓に鎮座、奥院として岩屋殿と言うのは、山腹の陰石、その上方の陽石と呼ぶ巨岩のことである。陰石の上には木々が茂っているようだ。そこまでの山道は切り開かれており岩屋皇大神と書かれた朱の鳥居が並んでいる。苔生す趣のある道で400m程の登りである。

 磐座信仰の遺跡として名高い。

陰石


陽石



お祭り
 4月29日 春例祭(火焚祭・湯立神事)
 6月30日 水無月大祓式
10月 1日 秋祭 神輿洗飾り

平成祭礼データ

 本社は天忍穂耳命、栲幡千千姫命の夫婦二柱と、その皇子饒速日命の親子三柱を祭神する。本社の根源は、奥ノ院、また岩屋殿と称す本社後山の山腹に座す陰陽の両巨巌である。これは今の社殿様式のように、定まった参拝設備のなかった時代での石座信仰の名残であり、この発祥は仁徳天皇三十一年と伝わる。後年宇多天皇の御世寛平年間に、陰巌に栲幡千千姫命を陽巌に天忍穂耳命を、また岩前小社に大宅氏の祖神とし饒速日命を祀る。約一千百年前のことである。その後社殿は、治承年間に園城寺僧徒の焼くところとなり、旧記も共に失う。弘長二年にいたって社殿は再建され今日に至る。現存する古代木製高麗狛は当時のものである。また中世に東西上の岩屋三社と呼ばれた神社は、東が当社であり、西が山科神社、上は不明である。
 以上

公式岩屋神社

物部氏ホームページ

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