木島坐天照御魂神社
京都市右京区太秦森ケ東町 its-mo


交通
京福電鉄嵐山線 蚕の社


祭神
火明命 (神祇資料) 他の天照御魂神社からの推定

神社説明では以下の通り。
天御中主命
大国魂神
穂々出見命
鵜茅葺不合命

摂社 蚕養こかい神社 (東殿) カイコノヤシロ  祭神 保食神、木花咲耶姫、雄略天皇

三柱鳥居



注釈
三柱鳥居と秦氏の聖地


 山城郡葛野郡の式内大社。
 日枝と松尾の日埼峯、すなわち比叡山と松尾大社と結ぶ線は夏至の日の出=冬至の日の入りの線にあたる。 この線上に「元糺」と「糺」の地がある。糺の宮は河合神社(式内:鴨川合坐小社宅神社、下鴨神社の摂社で祭神は玉依姫命)であり、元糺は当神社であり、元糺の池には、三柱鳥居が立っている。

 この鳥居は秦氏の神社(松尾大社、稲荷大社)や聖地(双ヶ丘)の遥拝と、京都の聖山とを結合させた太陽祭祀の意味が読みとれる。以上は大和岩雄氏の著作に依っています。*1
 三つ鳥居は大和三輪の大神神社や檜原神社が並べた形である。これを折り畳めば三柱鳥居となる。いずれも太陽祭祀に関わる神社である。

 三柱鳥居は、景教(キリスト教)の遺物説がある。ダビデの星のマークが三角形を重ねた形である事、秦氏に依る広隆寺の鎮守と思われる大酒神社(この木島神社が元社)の元の名が大辟(闢)神社でダビデの大闢の名を持っている事、秦氏・広隆寺と聖徳太子(厩戸皇子)のキリスト誕生物語の模写などからの推測である。 景教なら景教でもいいが、素直に神紋をダビデの星にするとか、十字架にするとか、ほかにも方法があるはずで、この三柱鳥居からの景教論は説得力がない。

 この鳥居の中心部に組石の神座があり、宇宙の中心とされ、主祭神の天御中主命の降臨する所である。

 天照御魂神社は大阪府茨木市、兵庫県龍野市、奈良県田原本町、福知山(天照玉命神社)にも鎮座しており、火明命を祀っているので、この社の祭神をも火明命と考える説がある。
 またこの神社は加羅・新羅系の秦氏が祭祀している事、朝日の直刺す聖なる池を本源とする事、三柱鳥居の性格から見て、日光感精型の日の御子信仰によるものと考えられている。

 この神社は通常
蚕の社と摂社の名を持って呼ばれる。「生機」と言う文字を「きばた」と読める人の過半は繊維産業に関わっている人であろう。 機は織機の機であり、はたおりの機械を言う。 「はた」布である。これから秦氏は織物にからむ氏族とされている。

 扶桑、これは日本を意味するが、大陸では、太陽は東海の島にある神木の桑から天に昇るとされ、日の出の地を扶桑と呼んだ。 太陽と桑(蚕・絹)とは神話的につながっている。天照大神が機織りをしていた神話が残っている。

 英語で絹はsilkである。蒙古語でsirkek、満州語ではsirgeである。斯廬、新羅の語源ともされる。 はたー海ー火明命ー太陽ー桑ー秦との環が回るのである。この環の秦氏の居住地域と天日矛の説話を持つ地域が重なると言う。
 また新羅からは素盞嗚尊、五十猛命の曽尸茂梨からの木種を携えての帰還が思い出されるが、この五十猛命と鎮座したのが紀の国伊太祁曽である。
 木島とは紀の国の意味ともとれる。秦氏の氏寺の広隆寺には新羅から飛来した天神(白鬚明神)の伝承が残っているが、三井寺(園城寺)の鎮守の白鬚明神は五十猛命とされている。 木の国の大神が鎮座したので、木島と呼んだのであろうか。それとも周辺が川で木が生えていた島になっていた場所だから木島であろうか。

 主祭神に天御中主神が祀られているが、この神は始源の神であり、祖神とする氏族はいないのである。 なにゆえこの神を主祭神としたのか、秦氏が祀る理由は不明である。地理的条件から見て、太古よりの聖地であったこの地の祭祀権を秦氏が入手した段階で、先住民の神の名は、天御中主命か大国魂神に変えられたのではあるまいか。

たたずまい
 社地には木々が茂り、清掃も行き届いている、気持ちのいい神社である。三柱鳥居は本殿に向かって左側の元糺の池の中に立っている。池には水はなかった。ここは江戸時代には小川であった。

 叡電嵐山線は、四条大宮(阪急)から嵐山へ通じており、途中の帷子の辻から北野白梅町へ分岐している西京の庶民の足、観光の足である。

 ついでながら、京都には大きい企業が育ってきており、例えば京セラやワコールであるが、ワコールを京都の人はパンツ屋さんと呼び、未だ名門には入れて もらえない。京福電鉄のほうがはるかに「しにせ」として尊敬をされている。なにせ京都では「戦後」の戦争は応仁の乱の事と言う土地柄である。

お祭り
 3月11日
 4月申日
 9月11日

本殿


三柱鳥居



*1日本の神々5「大和岩雄」(白水社)

物部氏ホームページ

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