鏡作坐天照御魂神社
(かがみつくりにます−あまてるみたま)
磯城郡田原本町八尾816
鳥居
境内と拝殿
交通案内
田原本駅(近鉄) 北 1km mapion
祭神
神社の説明では
中央 天照国照日子火明命(旧事本紀では天照国照彦火明櫛玉饒速日命とする)
右 鏡作伊多神・石凝姥命
左 鏡作麻気神・大糠戸命(石凝姥命の父命)
摂社 鏡作坐若宮神社「天八百日命」
本殿
由緒
この地に居住した鏡の鋳造を業とした鏡作部の氏神である。記紀によると、崇神6年、皇居内の天照大御神を畏れ多いとして笠縫の地に遷座せしめたとある。八咫鏡を皇居から出したと言う事である。その代わりの神鏡を鋳造した際の試鋳の像鏡を御祭神とした。
本物は現在の皇居の内待所に祀られているのであろう。 この神社の御神体は確かに三角縁神獣鏡であるが、これは土が付いており、古墳から掘り出されたものと思われる。同笵鏡が愛知県犬山市白山平の愛知県最古の東の山古墳から出土しており、この地は、天照国照彦火明櫛玉饒速日尊の12世建稲種命の子尻綱根命を祖とする尾張氏の系譜につながる丹羽県主の支配地である。
よく似た話であるが、和歌山市の日前国懸神宮も天岩戸の前で使った鏡の前に作った鏡を御祭神としていると伝えられている。「磯城郡誌」等からの推測すれば、この試作鏡は紀の国の日前国縣神宮に持って行かれたとも理解できる。
中央の祭神は天照御魂神であり、天照国照日子火明命とされる。尾張氏の遠祖である。
さらに右座の石凝姥命は伊多神と言われる。穴師神社の御神体にもこの神社の鏡を祀った伝承があり、金属生産にからむ古代のせめぎ合いがうかがわれる。
隣接する唐古・鍵遺跡からは石製の銅鐸鋳型の破片やフイゴなどが出土している。銅鐸作成の技術者が住んでいたが、これらの技術者は銅鐸の需要がなくなって後には銅鏡の製作に従事したものと思われる。
大和への外部勢力の侵入の物語は神武、崇神、応神天皇などが代表的であるが、銅鐸から銅鏡へ、また倭鍛冶から韓鍛冶への技術や製品の推移に対応して行っている。
唐古遺跡からは、河内、吉備、北摂、近江、伊勢湾などの土器が出土している。弥生時代から連綿と途切れる事がない遺物が出ている。政治的思惑よりは技術の伝承を優先した古来からの日本人的技術者のありようを彷彿とさせる。
立春の前の日の節分に三輪山頂上から朝日が出、立春と立冬の夕日は二上山の鞍部に落ちるとの事で、立春と立冬の観測地であったと推測されている。*1
鏡作坐若宮神社
お姿
参道両側の木々は深い杜をなしていたが、平成10年度7号台風で大木が倒され、すっきりした杜になっている。これも古来から繰り返されてきた杜の営みである。
その社叢は2000年の歴史を持つ。 硝子会社などの寄進で美しい本殿になっている。杜も社殿も風格のある神社である。
唐古鍵遺跡の説明板
お祭り
10月 25日 例祭
西側から見た本殿
鳥居の南側に西を向いて豊雛大明神 豊受大神を祭る神社の雛形
*1 日本の神々4(大和岩雄)白水社
物部氏ホームページ
神奈備にようこそ
|