椋下神社(くらげ)
奈良県宇陀市榛原福地15

鳥居

交通案内
近鉄榛原駅 伊勢北街道を東へ行く 800m mapfan


祭神
高倉下命
摂社 金刀比羅神社「大名牟遲命」、愛宕神社「軻遇突智神」、庚神社「猿田彦神」


由緒
 延喜式神名帳宇陀郡の「椋下神社(鍬)」とされる。椋下については、ムクモト、ムクノシタ、クラジなどがある。『神名帳考証』、『大和志』は式内社の所在は未詳としている。
 旧の鎮座地は東南に1kmの標高521mの福地岳の山中「くらかけ」の地に鎮座していたが、何時の時代にか、当地に遷祀されたと伝えている。この福地岳は別名をタカクラ山と言うが、社名のクラジと余りにも合いすぎるので、近世の付会とされている。
 古老の口碑によれば、神武天皇が紀伊国熊野邑に到った時、高倉下が横刀を献上した功によって、高塚邑の八咫烏神社と同時期の慶雲二年(705)に創祀と伝えている。

本殿へ登る



お姿
 伊勢街道に南面して鎮座、鳥居をくぐるとすぐに数段の石段、そこから今度は比較的長い石段の奥に扉と本殿が南面して鎮座する。社殿は銅板葺きである。本殿は神明造。
 摂社は鳥居の左右に鎮座する。

本殿



お祭り

例祭 11月 2日、3日



『平成祭礼データ』

 参拝のしおり

 当社は、宇陀郡榛原町大字福地に鎮座しており、本殿に高倉下命、境内社に大名牟遲命、軻遇突知命、猿田彦神をお祀りしている、式内社である。
 神武東征の砌、天皇遠く熊野に迂回この地に上陸される、熊野の女首長丹敷戸畔の反撃にあい、正に敗滅の危機に遭遇する。天照大神之を知り武甕槌神に救援を命ずる、武甕槌神「私が参らずともここに在る国土平定の際に用いた国平剣がありますから、之を下さば必ず平定されるでしょう」と剣を高倉下命に下げ渡さる。高倉下命夢のお告げで之を知り倉を見ると夢の如く剣があり、命は直ちに部下を集め丹敷戸畔の背後から攻撃し、天皇勝利を得ることが出来た、高倉下命之を天皇に献上し奉った、之をフツの御霊の剣と言う。この功に依り慶雲2年(705)八咫烏神社と同時に勅祭されたと言う。
  以上

 参考 寺院神社大事典、式内社調査報告

物部氏ホームページ
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