天田神社
大阪府交野市私市1-30-11 its-mo


鳥居

交通
JR学園都市線河内磐船駅 南600m 京阪河内森東300m

祭神
上筒之男命、中筒之男命、底筒之男命、神功皇后

境内摂社 川東神社


由緒
創建年代は不詳。

 古代この地方は地味肥えた沃野であった。 当地では標高30mの地に弥生後期の遺跡遺物が出土する。甑瓶、高杯などである。これは天野川の淀みがあり、当社の地はその南端に当たり、郡津神社付近が北端に当たると言う。 早期の稲作がこの湿地で行われ、豊かな実りがあったので、甘田、またそれを支える川を甘野川と称したと言う。 甘野の里の田の神が甘田神社、川の神であり山の神が磐船神社であったとの考え方がある。
 当地は片野物部氏の所領であったが、物部守屋公が敏達天皇の后の御食炊屋姫(後の推古天皇)の当地を献じたと言う。 私市(きさいち)部とは后(きさき)の為に稲作を行う地を言う。
 後に平安貴族が当地を狩りや遊興の地とし、天体崇拝から七夕伝説を好んだり、詩歌を詠んだことから、磐船をして詩歌の神である住吉神と祭神を変更し、地名も「甘」から「天」へ替わって今日に至るとする。

 当社から南東の山中には巨石が多く、また物部氏のものと推定されている古墳群が発見されている。森遺跡である。 未だ発掘されていないようである。

拝殿

本殿

お祭
例祭 10月15日


巨石の壁 mapion

森遺跡のある 山中の花の窟に匹敵する石壁 近くに弥生時代の住居跡がある。

森古墳 一号墳 前方部(左)と後円部(右)

H14.12.4

物部氏ホームページ
神奈備にようこそに戻る。