国分神社
大阪府柏原市国分市場1-6-35 its-mo


交通
近鉄国分駅 東1km



祭神
大國主命、少彦名命、飛鳥大神

摂社 杜本神社 ほか

西の鳥居



由緒 河内国安宿郡資母郷に鎮座。また鎮座の山を宇美山といい、背後を茶臼山または松岡山で古墳である。『河内国名所図絵』には天王祠とある。 古墳を茶臼山と云うのは塚をチョウと云うことから派生しているようだ。

 由緒はわからない。明治41年、水谷の無格社杜本神社を合祀している。

本殿

お姿
 大和川の南岸にそそり立つ高台に鎮座、この地域では珍しい前方後円墳を背後に持つが、神社とは関係はなさそうだ。古墳は400頃の前期のもの。

 この神社の神々はいずまいをただして参詣客を迎えているように感じる。キチットしているのだ。参詣に来た人も自ずから身がひきしまるようだ。

摂社杜本神社


 杜本神社は明治末期に合祀されたが、昭和四七年に地元の方々が復興された。

お祭
春例祭  4月 15日
秋例祭 10月16,17日

『平成祭礼データ』


 当社は字美山にあり、その創建は詳らかではないが、古書、口伝等によれば鎌倉時代の建立によるとある。創建当時の現在地には、推古、舒明の両天皇に仕えた船氏(帰化人)が住んでおり、中国の古礼すなわち有職、接待、技術等かつて見たこともないものを伝え、その才の勲功があったと大仁後の正二位の官位を賜ったが舒明天皇の十三年(六四一年)に没した。二十七年後の天智天皇の七年(六六八年)妻安里故能刀自も没し、同じように神社の背後の松岳山の上に葬った。その墓は前方後円墳で史跡として当社が所有している。

(昭和三十四年に京都大学の小林行雄氏が石棺の調査をされ、四世紀末の古い墓であることが判明した。)境内地は、そのような古い歴史をもち、その後の武家政治による変遷により、船氏の地位も消失して、ここに氏人達の信仰のあった大和桜井の三輪大明神の大国主命と少彦名命、更に飛鳥部の伴造飛鳥大神の三柱を当地に勧請された。

明治五年に村社に列し、同四十年字水谷の無格社杜本神社を合祀した。
以上

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