杜本神社(もりもと)
大阪府羽曳野市駒ケ谷 its-mo


交通
近鉄駒ケ谷東300m



祭神
經津主命、經津主姫命の夫婦(神社)
事代主命と經津主命とする説もある。(『大阪府神社明細帳』)
山神、水神(『河内志』)
百済宿祢永継、その祖先の飛鳥戸氏(社頭の羽曳野市掲示板)

鳥居



由緒 河内国安宿郡の式内大社の有力な論社である。他には柏原市国分東條町の杜本神社、さらに柏原市国分市場の国分神社の境内社(東條町を合祀)が論社。


  經津主命の十四世の孫伊波別命に縁の一族の矢作忌寸が祀ってきたとされる。 矢作忌寸はこの神社の後の扱われ方(式内名神大社、延喜式に杜本祭として記載、勅使が参向)とはバランスしない氏族とされる。また矢作連の祀るにふさわしい神社は八尾市に鎮座する矢作神社と言われる。もっともな言い分。


 當宗忌寸の祖神を祀るとの説がある。五世紀頃半島から渡来して河内の誉田に住んだ氏族である。その一派が駒ヶ谷に移住したものとの推測も成り立つ。「駒」はそれを示すのかも知れない。この氏族は平安時代に皇室と縁戚関係を持っている。すなわち、桓武天皇の皇子の仲野親王の妃を出し、宇多天皇の祖となっている。
 国家的に重んじられて、河内誉田の氏神の当宗神社と共に祭礼時には朝廷の勅使が参向したと言う記録がある。相当神格が高かった。社宝が多い。

本殿




社宝 鈴  河内名所図絵から




社宝 土鏡  同上


お姿
 宮山と呼ばれる小高い丘の上に鎮座、竹藪の参道を行くと、樫、山桃、杉等の木々が多く、優雅な本殿が見える。 江戸時代高津神社から移築したものだそうだ。。
本殿前には、一対の隼人石があり人身獣面の線刻されている。奈良の元明陵にも隼人石がある。

摂社光国神社、杜本神社の拝殿、背後の本殿



南木神社と大楠公首塚(左側)




維日谷稚宮(若宮神社)


 反正天皇、伊波別命、遠登賣命を奉祀、明治末期まで南500mの松林の中に鎮座を移設したもの。

お祭
秋例祭 10月7,8日

『平成祭礼データ』から 

 創建年代は不詳だが醍醐天皇延喜の制に式内名神大社に列し、祈年、月次、新嘗の案上幣帛に預かった有数の名社である文徳天皇仁寿三年内臧寮幣使によって杜本勅願祭を執り行われ、清和天皇貞観元年の正月甲申從五位下より正四位下に特進せられ、仝七月丁夘良峯朝臣経を使いとして神宝を奉幣された。又、延喜の制と共に四月十一日の上申の日を祭日と定められた内臧寮属一人を差しつかわされて幣帛と共に馬寮走馬十匹を賜った。一説によると十代崇神天皇の頃香取明神(経津主神)十四世神孫伊波別命が此の地の祖神をおまつりされたのが此の杜本神社のはじまりである。又後醍醐天皇の時代に社領を寄進されたが、天正十年間織田信長が高屋城を攻めた時、その兵火によって社殿、宝物を失い豊臣氏の頃、社領を没収され一時衰微した。
 以上

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