新屋坐天照御魂神社(福井神社)
茨木市西福井 ゼンリン

一の鳥居と余野茨木線 その向こうに日降丘


交通    JRもしくは阪急茨木から阪急バス忍頂寺(福井)方面福井宮の前  西すぐ

祭神    天照御魂皇大神、天照国照天彦火明大神、天津彦瓊瓊杵大神

 祭神としては天照御魂神のほかの二座として種々推測がなされている。
神祇寶典 栲幡千千姫命、手力雄命
神祇志料 伴馬立天照神、伴酒着神
地名辞書 饒速日命降臨の供奉の天日神命などである。

注釈

立地


 福井の新屋坐天照御魂神社は三座ある天照御魂神社の中心社である。
 この神社から見ると西河原の天照御魂神社が冬至の日の出の方向に、 上河原の天照御魂神社から見て夏至の日の出の線上にこの神社は鎮座している。 また南東45度の方向に溝咋神社、同じく60度の方向に天石門別神社(茨木神社境内)の式内社が鎮座している。 三島地方の太陽祭祀に関係する神社はこの新屋の神社を基点としているとの大和岩雄氏の見解である。*3

 地図上ではそうであるが、福井の新屋坐天照御魂神社は遷座を繰り返しており、おそらくは大きい距離ではなかろうとは思うが、大和氏の論は遷座にはふれていないようで、面白い説だがひっくり返る可能性もある。

 神明造の鳥居から石段とまっすぐつづきに拝殿本殿と並ぶ。古いままの神社とは思えない配置であることは人目で分かる。

 社伝では、崇神天皇7年、神の降臨があったので伊香色雄命によって祀られ、景行天皇の皇女五百野媛をして天照御魂皇大神を祀り、また後に神功皇后出立にさいし、この社でみ禊の祓いを行い、後日帰国後、東西の川上に社を造り、天照御魂皇大神の幸御魂と荒御魂を祀ったとされている。

拝殿



 参道は長く、それを横切って余野茨木線の道路が通っている。
 また祭神の天照御魂神は三島県主の祖神の天神玉命か饒速日命だとされている。*1

 神社の裏山(日降丘と云う)一帯は「新屋古墳群」であり、古代氏族制度と氏神との関係の貴重な資料であるとともに金糞が多く、かっては製鉄が行われていたようだ。 『先代旧事本紀』の饒速日尊の降臨の際にお供した船長、梶取の船子倭鍛師等(祖は天津真浦)の鎮座地との鳥越説もあるが、これに依っているのだろう。

本殿

 伴馬立天照神と云う神の名が出てきている。 前の宮司さんの著述になる『新屋坐天照御魂神社の謎』によれば、大阪の古書店主の足代健二郎氏の示唆として「馬立」を「真竜」とする考え方は披露されている。 当神社の東に真竜寺があり、奥の院に祀られている竜神のことをマダチ神というのではなかろうかとのこと。 馬立は古地名にもあり、大和には馬立伊勢部田中神社が鎮座、また『常陸国風土記』の箭括麻多智が夜刀神を祀っているのとの関連も指摘されている。 水源に関係する言葉のようにも思える。

 伴酒着神であるが、酒も坂や境に通じ、また神祭りに酒は欠かせないものであり、どのような性格の神かは分からない。 『新屋坐天照御魂神社の謎』には酒解が酒都岐となり酒着と表記されたものとの推測である。大山咋神を云うようだ。


例祭 8月16日、秋季大祭 10月16日

*1 大いなる邪馬台国(鳥越憲三郎)講談社
*2 日本の神々1(永留久恵)白水社
*3 日本の神々3(大和岩雄)白水社
*4 大阪府神社史資料

物部氏ホームページ

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