野間神社
豊能郡能勢町地黄291番地 ゼンリン

祭神  饒速日命、野間姫命

注釈 式内社。社記によると、推古天皇御代、大和国石上哮嶺(布留神廟石上神宮)の石窟から真勾玉241個を奉戴遷祀したともされている。布留社とも、また有無社とも呼ばれていた。これは明治末期に有無神社「紀貫之霊」を合祀したからであろう。
 織田信隆の侵入により、社殿、古文書は焼失。*2

 先に祀られていた神であろう野間姫とはどの様な神であろうか?

 九州に野間岬の近くに野間岳があり山麓に野間神社という小祠があり、東宮には瓊瓊杵尊と木花咲耶姫命が祀られており、西宮には娘媽(のうま)神が祀られていたと言う。*1 この神は大陸と台湾では有名な航海安全の女神である。伝承によると福建省に住む漁夫林氏の六女は神術を持って溺者を救い、物事全てに百発百中の霊感を備えていたので神の再来と崇められた。 死後、人々は水上守護の神として尊崇したのである。天后、天上聖母、娘媽、媽祖とも称された。九州野間の伝承では、水死した娘媽の遺体が流れ着いたのでこれを祀ったと伝わっている。

 当野間神社の祭神の野間姫が娘媽姫であるかどうかは今となっては知る由もない。

 社殿は流造、拝殿前の広場では地元の老人がゲートボールに興じていた。 大きい檜がそびえる神社らしい神社である。




お祭り

例祭  10月14日

近くに天然記念物の野間の大欅がある。神木である。



*1 隠された古代「近江雅和氏」彩流社
*2 大阪府神社史資料


物部氏ホームページ
神奈備にようこそ