大鳥大社(おおとり)
堺市西区鳳北町1-1-2 its-mo

交通案内
JR阪和線鳳駅北500m

祭神
日本武尊、大鳥連祖神

由緒

  延喜式神名帳所載の名神大社であり、月次新嘗の官幣に預かり、和泉国式内社62座の中の唯一の大社であり、和泉国の一の宮として尊ばれてきた。 歴代皇室の御尊崇極めて篤く殊に防災雨祈の御祈願社八十五社の一つであった。

 社伝によると、日本武尊が東夷征討の帰途、にわかに病にかかり、伊勢国能褒野で死去し、その屍は白鳥と化して飛び去り、最後に当所に留まったので、社を建立してお祀りしたのが当社の起源である。とされている。
 白鳥伝説によって日本武尊を祭神としてきたが、本来は大鳥連祖神であり、中臣氏の祖神と同じ天児屋根命を指すのであろう。

 この大鳥郡は大庭造の居住地であり、大庭造は神魂命の八世の孫、天津麻良命の後なりと、姓氏録和泉国神別に記されている。天津麻良は饒速日命降臨の五部人の筆頭であり、物部系である。

 また神鳳寺縁起では、天古移彌命の十一世の孫、大野臣が筑紫からこの地に来て大鳥神を祀り、大鳥姓に改名したと言う。先代旧事本記には天児屋根命も饒速日命の防衛の神々として記載されており、物部系と言えるが、先代旧事本記を記述した物部氏の、藤原氏への対抗心のなせるわざである可能性を否定できない。

 この神社の近くには弥生時代の大遺跡である浜寺四つ池遺跡等多くの遺跡があり、銅鐸も出土している。 実に、物部氏のにおいのする地域である。


お姿

鳥居


   千種の森と呼ばれる鬱蒼とした森である。白鳳が飛んできてこの地に止まり一夜にして種々の木々が生育したと言う伝説があるほどの千種万種の樹木の生い茂る森である。
 本殿の建築様式は大鳥造といわれ、大社造の発展型であり、住吉造への発展途上に当たる。切妻造妻入社殿である。
 

本殿

お祭り

花摘祭  4月13日


摂社美波比神社鳥居

祭神 天照大神


 熊野王子社の大鳥居王子であったとの説もある。

物部氏ホームページ
熊野古道、熊野九十九王子社を歩く
神奈備にようこそ